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2024年11月04日
■ BanG Dream! It's MyGO!!!!!劇場版前編、観てきた
(20241004) BanG Dream! It's MyGO!!!!!劇場版前編、観てきた!すごいよかった!毎度の札幌シネマフロンティアでレイトショー。はじめの23分くらいは楽奈エピソードの新映像で、いい感じに補完できた。一方で祥子とAve Mujica周りのエピソードは完全カットなので、話の筋はだいぶスッキリしてる。内容的には初ライブ(7話)まで。はやく後編も観たい。
なお、総集編なのに新規映像が多くてすごい、という意見を見たが、今回追加された楽奈エピソードは、あらかじめ作ってあったけど削られたエピソードなんだろうと推測する。TV放映版はあきらかに楽奈だけ説明が足りてなかったから。そういう意味で、劇場版前編はディレクターズ・カット的なものだと思う。
これはあくまでも推測だけど、たぶんTV放映版での元々の構想として、楽奈エピソードで1話分使う可能性があったんではないだろうか。(7話にたどり着く手前のどこかで。) それがAve Mujica編への引きを作るために現在のTV放映版の構成になったのではないかと。というのも、Ave Mujica編として機能している12話後半と13話の大部分を削ると、ちょうど楽奈エピソード1話分のスペースが空くので。
会場は500人入るところに観客は10人くらいでガラガラ。レイトショーとはいえ、大丈夫かこれ。あと、異様なまでに静かだった。ふつう二人組で誰かしら解説とかしてたりするものだけど、咳の一つすら聞こえなかった。おかげで画面に完全に没頭できたけど。
終了後に札幌駅JRタワーを振り返ると時計は23:15を指していた。駅前の駐輪場に停めていた自転車を拾うと、5分で帰宅。駅近ナイトライフを満喫してる。
ところで後編は8話から13話だけど、どういう終わり方をするのだろうか。「うたう、僕らになれるうた & FILM LIVE」となってるので、これまでのバンドリの「FILM LIVE」と銘打ってるものから推定するに、12話のライブ部分が拡張して終劇となるかな。
前編がディレクターズ・カット的に楽奈in, 祥子, 睦outとなってることから考えるに、後編についてもAve Mujicaパートを全カットして、マイゴ編として完結させてくれるのを期待してる。だから、実質12話のライブ終了(キュウリの差し入れエピソードの前)までで終了になるのではないかと。この期に及んで「クソ親父」ENDはないだろうと思うので。
ただ、制作側的にはこれから放映されるAve Mujica編への引きを作っておきたいという動機があるから、作品の完成度よりも引きを優先して、ラストを「クソ親父」にする可能性はまだ残っている。たつき監督を信じろ(チガウ)
(まもなく劇場版後編が封切りするので、その前にブロク記事を公開。)
2024年11月03日
■ バンドリIt's MyGO観た
(20240324) バンドリIt's MyGOの10話まで来た。なるほど最高だった。
自分はバンドリは全く観たことがなかった。(共感性羞恥を引き起こす「キラキラ星エピソード」の噂だけ聞いて敬遠してきた)
It's MyGOも1話のいちばんはじめのバンド解散エピソード部分だけ観て、しんどそうだったので切ってた。
10話神回という評判を知っていつか観ようと思っていたが、やっと観ることが出来た。1話は愛音が出てくればもう面白くて、3話までまとめて観たら、視聴確定となった。
すでにいろいろ語られているが、10話の段階でひとつだけ書いておくと、そよが「わたしが終わらせる」と言ってライブを観に行ったのはなんだったか。
それは、そよがライブを観客側から見ていることに燈が気づいたならば、燈は以前やらかしたように(初ライブの一曲目とか)、動揺して歌えなくなってしまうだろうと考えたからではないだろうか。
しかしそよの予想に反して、燈がそよをステージに引っ張り上げるという積極的な行動をした。(あそこでステージに引っ張り上げようとするのが愛音であったのなら、そよはそれを拒否できたはずだ。) 燈の鬼気迫る勢いにそよは気圧されたのであって、この段階ではなにも解決してない。ただただ、音を通して詩をぶつけるという形で否応なく向き合うことになっただけなんだよな。
ということで9話から10話の流れについては大満足。
アドリブであんなうまく演奏できるかよというツッコミは気にならなかった。ストーリーの力が勝った。
祥子の脱退理由については10話でも不明だが、そこを引っ張る点についてはとくに不満はない。祥子本人が自分の責任であると言っており、なんらか個人的事情であることは判明している。種明かしがどういうものであっても、それは話の本筋ではないと思った。(「祥子の脱退理由」はいわゆるマクガフィンだという解釈を見たが、それにすごく納得がいった。) ただし、祥子がAve Mujicaとして再登場するのは知っているので、ここからも祥子がストーリーを牽引することは予測できる。
ここまで書いたので今から11-13話観る。
11-13話観た。大満足だった。
前に書いたことを拾うと、「アドリブであんなうまく演奏できるかよ」については「たまたまうまくいっただけで二度と再現できない」と明言された。
「祥子の脱退理由」についても、予想通り「家庭の事情」だったが、第1期を閉じるのに必要最小限の情報を出したうえで、第2期に引き継がれることが明らかになった。
これで円満解決ではなくて、ライブ前や打ち上げシーンなどでバラバラであることで描写されてるのもよい。
あと、そよに対するヘイト管理が完璧だった。そよが外面を繕わなくても良い場としてバンドが機能し、黒いそよという新たなキャラの魅力を獲得してしまうのをみて、神かと思った。
2024年10月29日
■ 「春よ来い 2024」(さうして、このごろ2024年3月前半)
小山田圭吾の件は当時リアルタイムでクイック・ジャパンの記事も読んでたし、後の炎上によってとくに聴くのをやめようとは思わなかった。 でもeufoniusの菊池創が炎上したときは、それから「メグメル」を聴くことができなくなった。 自分を振り返ると、けっきょく理屈じゃなくて感情の問題なんだなって思う。
「今夜はブギー・バック」リリースから30年だって。
1990年代の曲を喜んで聴いている55歳を相対視するならば、自分が大学生のとき(1990年代)に、親がその30年前の曲(1960年代)を聴いているのに相当する。こう書いてみると、そんなに違和感ないな。
自分が小中学生の頃は、仕事場(メリヤス工場)のAMラジオから「恋のバカンス」「恋の季節」「花の首飾り」などが流れてくるのに馴染んでいた。加山雄三の「旅人よ」とか今でもギター弾いて歌う。函館行きの飛行機を見かけたらつい「函館の女」が頭の中で流れるくらいには、馴染みがある。当時のヒット曲って今でもだいたい歌えるわけで、それって貴重な財産だよな。
はじめてギターで弾き語りした曲は「四季の歌」だった。あれはコードが Am, Dm, E7だけで、Fを抑えなくて済む。
ギターを始めたときはFコードを押さえるのに苦労した。でもその理由は単純で、最初のギターは叔父から借りた、クラシックギターにスチール弦を張ったものだったから。弦幅が広いし、そもそもコード弾きには向いてなかった。
しかもギターのピックを持ってないので、人差し指一本でストロークしたがうまくいかない。けっきょく、寿司の持ち帰りセットの蓋の部分みたいな、透明なプラスチックを自分で切ってピックとして使っていた。あれは中学1年生のこと。
Ableton live 12が出たのでさっそくインストールした。見た目もちょっと変わってる。
ブログではこんなこと書いてたが、けっきょくSuite版買っちった。ウェ~イ。
(3/2) 札幌の雪は災害であり、ハンデであり、可能ならもう二度と雪など降ってほしくないと考えていて、けっして雪を美化するまいと考えている。でも先週末の雪(3/2夜)はたぶん今年最後の雪らしい雪で、集中力の必要な仕事(脳切片の作成)を終えて疲れ果てた帰り道に、いつの間にかすっかり積もっていた雪を見たときは、ついついスマホで写真を撮影してしまった。
(3/3) 切片をスライドガラスに貼り終えて、それでもまだ日が高かったので、八軒の業務スーパーまで自転車で行った。
これがなかなかたいへんだった。大学から業スーまでの4.3kmは、ふだんなら自転車で15分で行ける距離だけど、道の雪がカチカチのところと融けてガサガサの部分とが混ざっていて、タイヤが取られて激危険な道だった。なんとか転倒せずに到着した。25分くらいかかった。マヂ偉業。
地下鉄で行ける狸小路店ではなくて、わざわざ八軒店まで行ったのは精肉コーナーがあるから。ラム肉500g 900円をゲットして帰った。その夜サニーレタスにくるんで号泣しながら食べた。自分へのご褒美。
(3/10) 今日も丸一日切片貼り。こんなに組織学やるのは20年ぶりかも。ギリギリ2X時前に終了したので、人間らしい生活と言える。
で外に出てみたら、またもや雪が降って積もってる。月曜から気温が上がって雪解けと聞いていたので、ホントのホントにこれが最後の積雪だろう。
今回の冬は自転車を使いこなせたということもあって、だいぶ精神状態が悪化せずに済んだ。この調子なら、あと10年くらいは乗り切れそう。
「鳥山明追悼から発生した「鴨川つばめ再評価」論」 この史観はけっこう同意できた。
途中のツイートにもあったけど、「マカロニほうれん荘」は連載期間1977-1979に限られた年齢層の読者に強烈な影響を与えてるんだろう。私は当時小学校高学年だったので、鴨川つばめはまさにマンガについての原体験だった。
その後は80年代ジャンプ黄金期のバトル漫画(キン肉マン、DB、)に興味が持てず、スポーツ&ラブコメ経由で90年代のビッグコミックスピリッツ、ヤングサンデー、とかに移っていった。
2024年10月24日
■ 「20周年、ふつうの軽音部、ブルスカ」(さうして、このごろ2024年2月後半)
(2/17) いま気づいたけど、2003年11月にはてなダイアリーを始めてから私のブログ 「pooneilの脳科学論文コメント」の20周年が過ぎてた。いちおう月1ペースで更新をし続けてる。今後も、バズらず、炎上せず、細々と続けていこうと思う。
秋アニメは「豚レバ」を追ってきたけど、けっきょく第9話で万策尽きて、最終話が2月まで延期という残念な展開だった。
それでも構成とシナリオは原作の理解度が高くてよかったと思うし、映像もアクションシーン以外は破綻してなかった。原作のラノベ1巻分をじっくり映像化してくれたし、松岡劇場も堪能できて、自分的にはこれを選んだことに悔いはない。
ジャンプラの「ふつうの軽音部」って11話まで来たのに、いまだに「ルーキー版のほうが良かった」って言っている人がいる。
あれって「デッサンを最終的なイラストにするところでなにかが消えてしまう現象」と同じだと思う。つまり、ルーキー版でなぐり書きで書かれたものに読者側が自分の想像込みで読み込んでしまうから、ジャンプラ版でそれの清書が出てくるとコレジャナイ感が出るということ。
ともあれルーキー版で連載されている箇所よりも先に話が進めばもう比べようがないから、はやくそこに辿りつくのを見たい。
自分は「ルーキー版は書き分けが下手だったので、ジャンプラ版で脇役の解像度が上がってハッピー派」です。
Dropboxってある時期から、あるPCで更新したものが、べつのPCから見るとタイムスタンプが古いままなので、ファイルの受け渡しが不便になった。(なにか編集したファイルを受け渡しする際は、タイムスタンプが最新のファイルを探すのがいちばん手っ取り早い方法だったが、それが使えなくなった。)
どういうことかと調べてみたら、どうやら同期の仕方を「オンラインのみ」にすると、ダウンロードするまではタイムスタンプが更新されない、という仕様らしい。筋は通ってるかもしれないが、不便じゃない?
「時短! ゆで卵を茹でずに作る方法」 これやってみた。冷蔵庫から出してすぐの卵(画鋲で穴を開けておく)を1cmのぬるま湯から始めて、沸騰してから中火で4分、火を止めて4分置いて水で冷やす。
この条件でやってみたら、黄身がとろとろで崩れるギリギリくらい。ちょっと柔らかすぎか。うちの環境では5分置くか、中火で4分を4分半にするのが正解かも。
「水から火にかける」の水の温度とか、「中火」の加減とか、そのあたりがバラツキを生むのかも。「画鋲で穴を開けておく」は自分で加えた。あと、なんどか転がして、ムラが無くなるようにした。
ブルスカでフェデレーションができるようになった、とのアナウンスが来た。
これは私にとっては重要なニュースだ。これまでレンタルサーバー(さくらインターネット)でブログをやってきた。ブルスカの情報についてもそちらに集約することで、データを自分で持てるようになる。
そのためには、Blueskyに接続するサーバをレンタルサーバーに立てる必要があるが、さくらインターネットではすでにマストドンについてもスタートアップスクリプトを用意してくれている。おそらく早晩ブルスカについても用意してくれるだろう。それまで待ってみる。
プロトコルが違うので、TwitterやMastodonとこのままつながることができないのは理解している。でも、TwitterやMastodonに書き込みしたことをエクスポートして、それを自サバでのブルースカイにインポートできないのだろうか?そうすれば、これまでのすべてのSNSの書き込みを、ブルースカイで管理できてうれしいのだけど。
ブルースカイ自体の仕様としては、あとから記事を書き換えることができないようになっている。だからもしかしたらインポートとかはできないのかもしれない。
まあこれからもっと情報が出てくるでしょう。
"Psych-Out" (「ジャック・ニコルソンの嵐の青春」)を飛ばし観していたら、Flipper's Guitarの"The Quizmaster"の頭で聴いたことあるのが聴こえてきた。ここからサンプリングしていたのか!
いまはてな匿名ダイアリー(増田)で話題となるのが「40代での婚活」だってのが感慨深い。10年前に話題となったのは「就活、転職、会社の飲み会断る話」だし、20年前に話題になったのは「非モテ、サークルクラッシャー」だった。そう考えると、はてなのコア層は就職氷河期世代からもうちょっと若いあたり(ゆとり世代)なんだろうな。
「クラスマガジン」って概念があるけど、はてなも同じで、2005年くらいに大学生-新卒だった若いギークを対象に、そのまま持ち上がって続いているのだろう。
何が言いたいかというと、自分ははてなの文化が好きだけど、あれってすごく限られた視点なんだよな。
いまの大学生にとっても、「非モテ」や「サークルクラッシャー」とかは変わらずインパクトがあるはずなのだけど、はてな界隈で話題になったりはしない。擦られすぎて面白い話題にならないからかもしれないし、はてなではなくてべつのところで話題になっているのかもしれない。
(と思ったが、「ぬいペニ」とかは最近だな。)
2024年10月07日
■ 「自転車置き場、イトーヨーカ堂、さっぽろ雪まつり」(さうして、このごろ2024年2月前半)
このブログ記事は良かった: 拝啓、松本人志様
これを見て思い出したけど、この人にとっての松本人志が、私にとっての北野武だった。小学校6年くらいで出会ったビートたけしは私の精神の形成に大きな影響を与えた。当たり前すぎて、はじめて言語化したかも。
昔の私は容赦ないツッコミと毒舌の芸風だった。それによる失言を重ねて痛い目にあって、けっきょく大学を卒業するくらいまでにそういうキャラからだんだん脱却していったのだけど。
その後北野武が映画監督になったり文化人枠になった頃、私はもう高校生くらいで、その影響を無意識化して忘れ去っていた。
(2/8) 自転車置き場までの道が雪に埋もれて、坂を乗り越えないとたどり着けなくなった。しばらくそのままなんとかしていたけど、そろそろ滑って転びそうなくらいの高低差になってきた。誰もやらないから自分でやるしかない。これが試される大地か。
そういうわけで意を決して道を作った。今週の最大の成果物です。
住んでる近くの歩道に積まれた雪。高さが3mくらいある。全ての雪を、生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての雪を、この手で。
「イトーヨーカ堂が北海道から撤退」ってニュースを見てびっくりした。(サッポロビール園の隣りにある)アリオ札幌は2005年に開店して、まだそんなに古びてないのだけど。
調べてみたが、ショッピングモールが閉店するのではなくて、中に入っているスーパー部分が「ダイイチ」に入れ替わるということらしい。ダイイチならいいかも。ダイイチ八軒店はお惣菜が安くてけっこう重宝している。
これに関連して、すでにいくつか店が閉まってた:「「アリオ札幌」リニューアルに伴いテナント7店舗閉店、「ヨーカドー」は食品・日用品売り場のみに」
(2/9) さっぽろ雪まつり大通会場に行ってきた。風はないが気温は低くて、沢山の人が踏みしめた道がツルツルになってた。
今年の雪ミクのプロジェクションマッピングはイマイチ。雪像と連動した仕掛けがほとんどなかった。去年の様子はこちら
去年との違いといえば、昨年は30分に一回しか流れなかったのであまり人がいなかったけど、今回は5-10分に一回くらい流れていたので、けっこう人が滞留していた。
らきすた20周年にはびっくりした。立ち止まっている人はあまりいなかったが。アーリャさんが宣伝されているのは、なるほど旬だなと思った。
(2/13) 札幌は気温が10度を超えた。55年ぶりの記録的な気温とのこと。
自転車置き場までの道の雪が柔らかくなったチャンスに雪かきをしたのだけど、汗だくになった。
あと、道の雪が融けて柔らかくなっているので、自転車漕ぐのがたいへん。しまいには諦めて歩いた。
2024年09月22日
■ 「給料はあなたの価値なのか」から「大腸菌の予測」まで徒然と考えてみた (20240922)
夏アニメで継続して観ているのは「逃げ若」「推しの子」「マケイン」「ロシデレ」まで。
秋アニメはいまのところ視聴予定は「リゼロ3期」だけで、「アオのハコ」「結婚するって、本当ですか」は1話の出来をみて考慮する。
「ふつうの軽音部」の38話で「バビルサの牙が折れた」ってのが繰り返されてて、なんか意味ありげだなと調べてみたら、バビルサってあれか、「牙が伸び続けると脳に刺さる」「性淘汰で牙が長ければ長いほど強い」とかでネットで話題になったアレか。「才能に溺れる」のメタファーに使われてそう。
wikipediaではそこまで書かれてないのだが、「牙は脆く、オス同士の闘争で使用されることはほとんどない」とかは面白い。
ブルスカに来てからはコミックやアニメを題材に語るようになった。文章修行の一環として(言い訳〜)。
Twitterで書いてたときは、学問的なことを書く本アカと、オタク語りを鍵付きアカで分けてた。
でもブルスカに移ってきたら、関係者はほぼ誰も見てないということが判明したので、2つに分かれていた人格を合体して書くようになったら、ほとんどオタク語りだけが占有するようになってしまったのだった。
結果としてザッカーバーグの「2つのアイデンティティを持つことは整合性の欠如の一例だ」を不本意ながら実践していることになった。
ザッカーバークの「2つのアイデンティティを持つことは整合性の欠如の一例だ」については2012年に「そんなのリア充の強者の論理だろ」という趣旨でブログ記事を書いてる。
今もその考えに変わりはないけど、こうして自分のブログを読み返してみると、コロンバイン高校銃乱射事件やスクールカーストが大きな影響を与えていたことがわかる。(当時すでに43歳だったんだけど。)
さいきん「給料はあなたの価値なのか――賃金と経済にまつわる神話を解く」 ジェイク・ローゼンフェルドを読んでる。
米国についての分析なんだけど、民主党も共和党も「良き仕事を取り戻す」(=自動車や鉄鋼などの製造業)を選挙民に訴えかけている、という話が第6章で取り上げられている。
- 近年米国内に製造業が戻ってきたのは、中国などに作られた工場の人件費が高騰したから。
- しかし米国内に戻ってきた製造業の給与は昔の水準には戻らない。
- なぜなら機械化によって製造業における人件費は大幅に抑えられるようになったから。
こういったことが語られる。ここでの製造業での機械化というのが50年前とかの現象であるということは重要。50年前のことが解決せずに今の問題となっている。いまのAIによる社会変動でも同じことが起こるだろう。つまり、これから50年先になってもたぶん解決しない。
AIによって人件費が大幅に抑えられ、給与の不均衡はますます激化する未来が来るだろう。
よくある「そのようにしてあぶれた者はべつの職業に就くから問題なし」というネオリベ的言説は先述の製造業での機械化の問題を考えれば、正しくないと言えるだろう。
(そもそも社会構造の変化というマクロなものと、各個人のかけがえのない人生への影響というミクロなものを混ぜて語る詐術がここにはある。)
こういったネオリベ的言説を程度の差はあれ誰もが(自分も)受容している状況というのをなんとかしたい。この点で自分はマーク・フィッシャーの「資本主義リアリズム」に書かれている問題意識を共有している。
マーク・フィッシャーは「アシッド・コミュニズム」という概念を提出したけど、それを十分形にする前に自死してしまった。部分的に残された文章をいくつか読んでみたけど(たとえば序文)、評価可能な形にはなってないと思う。(もしそれが「60年代カウンターカルチャーからありうるべき未来を辿り直す」で要約できるのならば、少なくとも「反逆の神話」で提示された問題に応答できないとダメでしょう。)
でももしそれが「ネオリベ的価値観以外がありうると気づくためには、われわれの「現実」に対する見方のレベルから買えてゆく必要がある」ということならそれはわかるし、私自身が学問を通して目指していることでもある。
社会は力学系なのだから、だれか黒幕がいて制御しているわけでもない。かといってそのようなトップダウンでの制度設計や個人によるボトムアップの行動変容が無駄なわけではなく、それらによって社会の相転移は起こり得る。
そういう見方からすれば、社会科学的な意味での制度設計の提案自体は無駄とは言わないけど、小さな変更は力学系のflow fieldを変えない。つまり、いろいろやってもお決まりの状態へと回帰する。(これがXTCの"complicated game"の歌詞で書かれていることだ。先日のブログ記事20240911)
むしろ人間の「現実」感を変えることのほうが社会を変えるだろうし、その意味で「現実」感を変えるテクノロジーが重要だと思う。そこに自分も寄与できたらと考えている。とはいえそこで決定的となるのは、VRのようなデバイスではなくて、もっと予測不可能な別のものだろうと自分は想像している。
「VRで現実感を変える」って言葉には、ビジネスの文脈での「バックキャスティング」、そしてネオリベ的な「選択と集中」による決め打ちを感じてしまう。力学系的視点からは、もっともっと、予測つかないものになるほうに賭けておきたい。
2019年12月の段階で、だれもがその先にコロナ禍を想像していなかったように、そういう意味での、想像を超えた、しかし起きてしまえばそれは100年に一度、スペイン風邪以来で起こってもおかしくなかったもの、そういう「ブラックスワン」に来る方に自分は賭けておきたい。
ここで「賭ける」とは、ブラックスワンに頑強であるように準備するという意味で、これがタレブの「反脆弱性」で言わんとしていることになる。
「バックキャスティング」について補足しておく。バックキャスティングの定義である「目的のためにいまをデザインする」、これ自体は構成論的なアイデアであって、けっして悪くないはずだ。(「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」by アラン・ケイ)
でもことビジネスの文脈で「バックキャスティング」と語られると、そんな予測できないものについてあたかも予測できるようにデザインするという考えが、ネオリベの最たるものである「選択と集中」というアイデアと同類になってしまう。このことがなんかおかしいと思ってるんだ。
いわば、バックキャスティングには半脆弱性を持たせる必要がある。
これと関連して先日飲み会で語った話題がある。「大腸菌は予測ができる」という論文(Science 2008)がある。
つまり、大腸菌は人間などの生き物の体内に入ると、環境温度が上がり、酸素濃度は低下する。このとき大腸菌は、環境温度の上昇から酸素濃度の低下を予測して、酸素を使った代謝の遺伝子発現を抑制する。それの証拠に「環境温度が上がると酸素濃度は低下する」という相関関係を崩した条件(たとえば「環境温度が上がると酸素濃度は上昇する」とか)で大腸菌を培養すると、大腸菌はそれに適応できる、つまり予測をしている、というわけだ。
この話の種明かしとしては、個々の大腸菌が予測をしているわけではなくて、集団としての大腸菌が選択されているからこういうことが起こるというわけだ。つまり、大腸菌の中には「環境温度が上がると酸素濃度は低下する」だけでなく、「環境温度が上がると酸素濃度は上昇する」ことが可能な状態を保持している個体もいて*、そういう個体が選択されたという話**。
(* この機構はエピジェネティックなものだと思うけど、そのあたりは自分は調べてない。)
(** この話はダニエル・デネットのkinds of mindで出てくる「ダーウィン型生物」の一例となっている。私の大学院講義「意識の科学入門」でも扱ってる。)
長々と大腸菌の話をしたのは、「どうして大腸菌はわざわざ「環境温度が上がったときに代謝を上昇させる機構」を保持していたのだろうか?」ということ。それはほとんどの環境で無意味な特性であって、実験室環境で不自然な状況を作ることで現れた特性だ。でも大腸菌はそれをわざわざ保持していた。これがタレブの言う「半脆弱性」の一種であり、生物が生物であるために必要な重要な要素なのではないか。
Varelaのオートポイエーシスの条件(生物学的自律性)にDiPaoloは「適応性」と「規範性」という2つの概念を付け加えたのだけど、ここでの「適応性」とはこういう「半脆弱性」を含むのではないか。
そうして考えてみると、「半脆弱性」というのは想定されていない外部からのアタックに対してなんとかもがく能力であり、もがいたうえで絶滅することもあるのだけど、生き延びることもある、そんな確実性はないなにかだ。(それは生きているものが不可避にさらされている、いつでも死にうるという状態precaliousnessを反映している。)
そしてそれは、Ross AshbyがHomeostatを作ったときに、感覚運動ループでは対処しきれない外部に対処するためにホメオスタシスによるリセット機構を作ったアイデアの源になっている。
(感覚器ではなく、体に物理的、科学的に影響を与える得体のしれない外部を「生命の危機」として扱う、これが我々が「情動」を持ち、理性以外の回路を使って予想外の状況に対処することのモデルとなっている。)
…とこういうことを今書いている本で書こうとしているのだけど、考えをまとめるために雑多なまま文章化してみた。雑多なままというところが重要なんだ。整理すると大事ななにかが消えてしまうので。
これらはぜんぶ繋がってるんだ。「3月のライオン」の中で主人公の桐山零が将棋のことと川本家のことを考えるうちに両方について頭脳がフル回転してゆくという描写がある。自分はあれにはなんか親近感というか、そうありたい気持ちと、じっさいそういうふうにやってた気がするという記憶とか、そういうものが駆動されてくる。
つまり、自分の中では、ネオリベ的なものへの反感と研究の動機がつながってエンジンのように働いている。
意図せずどんどん話が広がったけど、話を広げるのは意図して行った。今回は下書きをせずにそのまま書き続けた。それを整理して、今回のブログ記事にしてみた。
マーク・フィッシャーが映画とテクノでやるように、わたしもオタクカルチャーでやってみたい。でもありがちなサブカル語りにしたいわけでもない。そういう文体を作れたらいいのだけど、それって簡単じゃないな。
拾遺: 力学系云々という言説についても自分史とつながっている。浪人生の頃に読んだ岸田秀によって相対主義のドツボに長い間ハマっていた。学部生の頃に読んだベイトソンがそれと合体して、「システムにおいて無力な私」というという構造主義の相対主義的理解に留まっていた。だから、そのシステムのツボを付くことで相転移が起こり得るという力学系的視点の獲得には救いがあった。
じつのところベイトソンにはシステムのメタレベルを上がり下がりすることによってそういうドツボからの解決法が提示されていたのだけど、それを理解できたのは、オートポイエーシスを理解できた後だったと思う。そしてそれが、1998年くらいにブログを書き始めたころのことだった。
2024年09月01日
■ 「スカスカおせち、若者のすべて、Ulrich Schnauss」(さうして、このごろ2024年1月)
(2024/1/3) 「冷凍ケーキ崩壊とかで騒いでいたのが昔のことのようだ」みたいな表現を見て、なんかこれと似た感慨を覚えたことがあるぞと記憶を辿った。そしたらあれだ、「スカスカおせち事件」だ。
あれは2011年の正月用のおせちの話で、始まったばかりのフラッシュマーケティングへの疑念までつながってどえらく炎上していたものだった。でもそのあとの東日本大震災がやってきた。あのときに、似たような感慨をTwitterに書き連ねた、もしくはだれかが書いたのを見た記憶がある。
「合唱曲「COSMOS」をシューゲイザーにしてみた」 これ完璧なバランス、完璧なブレンドで成立している。革命的だわ。コメント欄にあること以上のことは言えないが、先日見つけてからちょくちょく聴いてる。
Allen Instituteのマウス脳論文がNature Articleで9連報。なんか感慨深いな。いまから脳の研究をしたいという人の多くはまずこのデータを弄るという発想になるだろう。
「理系の人がよく言う「何が嬉しいかというと」」 自分はこの節回しまったく使ったことがない。「理系」というよりは数学を(モデリングなどで)ヘビーに使う人、「数物系、情報系、工学系の人」が使うイメージかな。
「若者のすべて」を歌っていて気づいたのだけど、「夕方5時のチャイムが〜」の部分のメロディーって、歌詞に合わせて夕方っぽい感じがする。もっと具体的に言えば、小学校で放課後に「下校の時間になりました。」って放送されるときに流れる「遠き山に日は落ちて」のメロディーっぽいというか。
ここまで書いてから、検算というか、ググってみた。そしたら、もっと深い考察を見つけた。すべての人の心に響く「志村正彦」が残した音色~思い出と共鳴し日常に溶け込む「チャイム音」~
「「ポランニーのパラドックス」という有名な説があります。これは哲学者マイケル・ポランニーの言葉をもとに提唱されたもの」
ポラニーは「パラドックス」みたいな言い方はしてなかったのでは?と調べてみたら、経済学者デヴィッド・オーターが2014年の論文で使って定着した模様 。
- 京大総長卒業式 式辞 https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/president/speech/2021/20220324-1
- Itmediaブログ https://blogs.itmedia.co.jp/borg7of9/2015/09/ai.html
糸井重里氏の昔のツイートが上がってきている。学生運動から転向して80年代にスターになった人の言葉と考えると、よく理解できる。そういう文脈において、自分はこれに心情的に同調できる。
とはいえ、こういう考え方は、現実の変革への抵抗勢力になるのでは、という懸念もわかる。
だからもし自分用に書き換えるなら、人様にもの申す形にならないようにするだろう。「自分が発言するときは、スキャンダラスでないように、より脅かしてないように、より正義を語らないように、より失礼でないように、と表現を選びます」ってかんじで。
ヴィレッジヴァンガードは岡崎に路面店があって、90年代にはよく夜に車で行ったものだった。「クール・クールLSD交感テスト」(トム・ウルフ著)とかを立ち読みしていたはずだ。イオンモールとかに出店しはじめたあたりから行かなくなった。
昔の自分のツイートを漁ってみたら、10年以上前に言及していた。書籍の顔ぶれが変わらないのが、自分にとっては致命的だった。これ以降ヴィレヴァンには入店したことがないので、最近の状況はわからないけど。
Ulrich Schnauss、いいなあ。"Goodbye"のPVを見てハマった。Youtube Musicに入っているので全アルバム聴いてるところ。
「シューゲイズ/エレクトロニカ」とか書かれてるけど、あまりシューゲは感じない。まあそういう分類は置いたうえで、これはいい。発見するのが15年遅れたけど。
ザ・キンクス 榎本俊二 第10話が「ABCの歌を歌わずに済ます」という回だった。
自分の場合はそこは「ABCの歌」ではなくて、Soft Machineの"A Concise British Alphabet part 1"が頭の中に流れる。そしてそのまま"Hibou, Anemone and Bear"の7拍子になだれ込む。(7拍子、はより正確には(3+3+3+5)/8の14/8拍子)
ナゾロジーの「私の赤とあなたの赤は違う色?」の記事はよくない(のでリンクも貼らない)。
元論文は、レチノイン酸によってL錐体とM錐体の分化が起こることをオルガノイドで明らかにした(図3)、そしてレチノイン酸シグナル系の多様性がL錐体/M錐体比率の多様性と相関していることを示した(図4)、というもの。
L錐体/M錐体比率に多様性があるというのは以前の報告にある。(JNS2005の図4) この図は印象深いので、わたしも自分の講義「意識の科学入門」で使ってる。
もし「スキップとローファー」が実写ドラマ化されて、あの話のキモである繊細な描写がすっかり削られて、「地味な私がイケメンに気に入られてドッキドキ」みたいな話に改変されたら?、とか要らん想像をした。
2024年08月13日
■ 「初雪、シンプソンズ、さっぽろミュンヘンまつり」(さうして、このごろ2023年12月)
(11/24) 札幌は11/11が初雪だったけどそれはすぐに融けた。そのあと11/24についに積もる雪が降った。これは12月頭には融けたけど。
いよいよ冬かと観念して、ミニベロ(Dahon Dash P8)をスパイクタイヤに交換した。でも12月前半は雪が融けて問題なく自転車で走れるようになった。
(12/5) これが最後のチャンスかな、と自転車で秀岳荘白石店までインナーチューブを買いに行った。豊平川を渡る東橋で日没直後の川を撮影。雪が消えていることがわかる。秀岳荘白石店で用事を済ませたあと、札幌ではレアなバーガーキング(白石店)へ。国内でははじめて行ったが、まあ頑張って行くほどのことでもなかった。
そのあとブックオフ巡り。菊水元町店から伏古店へ。「夜は短し歩けよ乙女」コミカライズが全巻110円だったのでゲットしてきた。
シンプソンズで教会の参列者がみんなで"In-A-Gadda-Da-Vida"を歌うっていう回があるのを知った。わけわからないと思ったが、ウィキペによれば、じつは"In-A-Gadda-Da-Vida"というタイトルが、"In the Garden of Eden"を酔っ払って喋ったフレーズから来ていて、歌詞に登場するカップルはアダムとイブだった、という深い(?)わけがあるということを知った。ずっとなんかインドっぽい架空の地名だと思っていたわ。
「T. S. エリオット『荒地』登場人物最強議論スレ(強さランキング)」 これはいい。もういちど原文を読もうって思った。
「内発的動機で駆動する『個人主義ユートピア』を、外発的動機で動かされる『資本主義ディストピア』に変えられてしまわないために」
私はWeb 2.0の思想に感化されてブログを始めたので、ここでいう「嫌儲」(というかOSS精神)はよく分かる。この記事ではその嫌儲的側面を「内発的動機」に絡めて説明している。これは納得。
この議論自体はすでにありそうだと思ってググってみたら、以下の紀要を見つけた: 「OSS 開発者の心性を探る」
(12/24) 大学から用事で中央郵便局まで歩いてきたついでに、今日はこのまま散策しようと思った。
札幌駅前のエスタが閉店しているのを確認。(じつはいままで通りがかる機会がなかった。) さらに地下街を大通まで。途中で「札幌にクリスピークリームドーナツが上陸」って張り紙を見て、あれ?日本から撤退してなかったっけ?とル・トロワまで行ってみたら、建物の外は、ちょうど恒例のさっぽろ・ミュンヘンまつりの日だった。
そんなわけで、カップルや子連れに混ざってライトアップを楽しんで帰った。
2024年08月05日
■ ひとりカラオケした
(20231215) 先日麻生のニトリまで買い物に行く途中に「カラオケまねきねこ」があることに気づいて、ふらりと入って一人カラオケしてしまった。札幌来て初。
- フレデリック「オドループ」
- フジファブリック「若者のすべて」
- きのこ帝国「パラノイドパレード」
- サカナクション「新宝島」
- サカナクション「アルクアラウンド」
- フィッシュマンズ「100ミリちょっとの」
- フィッシュマンズ「ナイトクルージング」
- フィッシュマンズ「あの子が眠ってる」
- ナンバーガール「Omoide in my head」
- coaltar of the deepers「dear future」
- duca「アマオト」
- KOTOKO to 詩月カオリ「夏草の線路」
- Rita「Little Busters!」
- Lia「Light colors」
- Tahiti 80「1000 Times」
- Travis「Sing」
- XTC「Senses Working Overtime」
これでトータル17曲で90分。歌い足りなかった。
あとでわかったけど、一人カラオケしていると曲を探している時間が無駄。あらかじめ歌いたい曲リストを作って、片っ端から入力しておいて、イントロアウトロは早送りで飛ばす、次回はそのぐらいを目指す。
あと、DAMにするかJoysoundにするか深く考えずDAMを選んだけど、ギャルゲ/オタク系はJOYSOUNDのほうが多いのを失念していた。KOTOKOで検索しても「さくらんぼキッス」も「INTERNET OVERDOSE」も見つからなかった*。けっきょく「夏草の線路」だけ歌った。
(* いま検索したら出てきたので、機種による?)
2024年07月28日
■ 平和駅までおでかけ
(20231209) 今日は12月なのに例外的に気温が10度を越える日だが小雨。自転車で行くのは諦めてJRを使って平和駅まで。平和駅は南側に札幌貨物ターミナル駅があって、どえらく長い橋がかかってる(写真1: 柏山跨線人道橋)。橋の中から見ると先が見えない(写真2)。 Wikipedia 平和駅
第一の目的地は「麺屋 菜々兵衛 本店」 ここは以前通りがかったときに行列ができていたので気になっていたのだけど、鳥白湯の有名店だったらしい。スープがうまくてよかった。ここは再訪しようと思う。
第2の目的はホルモン専門肉店の「トリッパ」。黄金ホルモン塩200gと富良野名物豚サガリ200gを買った。次の日焼肉にして食べたけど、黄金ホルモン塩は臭みもなくてタレもうまくてすごくよかった。豚サガリは硬いので今度は違うものを買う。ともあれここも再訪する価値あり。
帰りに平和駅に戻ってみたら、各駅停車が1時間に2本しかないことに気づいた。さいわい待ち時間が短くてよかったけど、ローカル駅では時刻表を確認すべきだった。
いい休日だった。
2024年07月20日
■ 「成分調整牛乳、アーメンブレーク、星屑テレパス」(さうして、このごろ2023年11月)
定年後にやることのネタ帳として、"The Electric Kool-Aid Acid Test"の日本語翻訳『クール・クール LSD交感テスト』があまりに古くてクソすぎるので、いつか翻訳してみたい、というのがある。でもって、「禅とオートバイ修理技術」みたいにハヤカワ文庫NFから出すの。それってよくない?
わかるわ(略
フルーチェを作ったらあまり固まらなくて、よくみたら「成分調整牛乳」だった経験があって、それ以来気をつけて見るようにしてる。「成分無調整牛乳」かと思って買ってたら、「成分調整牛乳」だった。つか「無調整」じゃないんだったらそう書けよっていいつつ、たしかに「調整」って書いてあるんだけど、わざわざ書いてあったら「無調整」だと思うじゃん?(<-理不尽)
みんな大好き、Amen Break。
自分はFL Studioで打ち込みをしている頃(00年代前半?)ときにその存在を知った。FL Studioの純正だったか自分で探してきたか記憶はないけれども、曲作りをしているときになんだかんだで選ぶのはいつもこいつで、ファイル名を見てAmenなんとか、というのだと知ったが原曲は知らず。 90年代ヒップホップとかでさんざん使われていたこととかには気づかず、Soft machineの"So Boot If At All"とかで親しんできたビートに近かったので選択したのだけれど。
つか90年代前半には"Unknown Territory" (Bomb the Bass)をさんざん聞いていたが、あれの"Pressure Point"はまさにAmen breakだった。ドラムンベースとかでbpm上げたやつはぜんぜん興味がなくて、トリップホップとかでbpm下げて陰鬱なやつが好き。 BeatlesのRainのドラムがBbで録音してGにスピード落としたものを最終的に使っているんだけど、あの音が大好き。どうやらスピード落とした重いドラムってのが、自分にとってのツボらしい。
FL studioに入ってたアーメンブレークも、90bpmくらいだった記憶がある。原曲はbpm=136。
「弱くあり続ける強さを持ちたい」って書いたことがある。「メンタル強い」「マッチョ」であろうとは思わないんだ。ストレスのある事象に苦しんで、でも死なない、そうありたい。もしメンタル強くマッチョであるように自己改革ができたとしても、それはメンタルの強さを他人に要求するような老害にしかならないと思うんだ。
だから自分は、しんどいことがあっても、そのしんどさに無感覚にならないようでありたい。でもそうしていたら、なんだか感情が鈍麻してきて、ある程度やる過ごせるようになってしまった。これはたぶん適応的な反応なんだろう。せめて心の認知的な部分が自己欺瞞に陥らないように、そして死なないようにと思う。
「技術革新で人間は労働時間が減る」って話を疑ってる。今後レジの無人化とかで起こるのは、「利益は生むけど雇用は産まない会社」の増加だ。今後われわれはそうやって職を奪われ続けて、それを新自由主義的な価値観のもとで無能だからと断罪される。茹でガエルのように、じりじりと分断が進み、どっかで決定的な事態に至るだろう。
私用で東京に行ってきたんだけど、帰りに東京駅の東京キャラクターストリートを通りがかったら、ちいかわのところに大行列ができていた。星屑テレパスのポップアップショップを見つけたので、キーホルダーを買って帰った。スマホに付けた。
「星屑テレパス」のアニメ版のキャラデザが好き。コミック版と比べると、アニメ版では下唇だけに色を付けているんだけど、これって「8月のシンデレラナイン」と同じ方式だな。(今調べたけど、アニメーションキャラクターデザインは別人物だった)
旧島松駅逓所にはそのうち自転車で行ってこようと思う。ファイターズ観戦のついでに。この旧島松駅逓所は、クラーク博士が日本から米国に帰国する際に「青年よ、大志を抱け」って言った場所として有名。古い建物も残っているらしい。
旧島松駅逓所は恵庭と三井アウトレットパークの中間にある。その位置から推測すると、クラーク博士はそのあと道央自動車道に入って千歳ICで降りて、新千歳空港からマサチューセッツ州まで行ったものと思われる。
…でもじっさい、どこから船が出たのだろう?苫小牧港ができたのは昭和らしい。函館港まで行ったということか。
テッド・チャンのインタビュー。このあいだのALIFE2023でのアニル・セスとのパネルディスカッションでの話題にも触れてる。
ついでに思い出したけど、北大生協の書籍部のレジ近くでアニルの翻訳書のサイン本が売られてる。まだ何冊かあったので、札幌近辺でまだ買ってない人にオススメ。
ブラウザでタブをたくさん開きっぱなしにしていたら、その一つに「ミク」ってのがあった。なんだっけ?と開いてみたら、「ミクロトーム」だった。それだけ〜
2024年06月22日
■ Googleの検索の質が下がっている話について自分の経験を交えて書いてみた
(20231104) ギガジンの記事を経由してTHE VERGEの記事 "The people who ruined the internet"を読んだ。
前半はSEO業者編で、後半はGoogle編という構成なのだけど、Googleはけっして検索結果がクズになったとは認めてない。
ここは具体例が必要そうだ。私は本の題名を検索したときのユーザー・エクスペリエンスが低下したことを不満に思っている。たとえば「ジェフ・ホーキンス 脳は世界をどう見ているのか」と検索したならば、書店の販売情報がずらりと並ぶ。
でも知りたいのは「その本をどうやったら買えるか」なんかではない。そんなのamazonで調べる。そうではなくて、「その本についての感想、考察」を知りたい。
「ジェフ・ホーキンス 脳は世界をどう見ているのか 感想」とすればある程度は感想が増えるけど、honto、読書メーター、ブクログといった集合知サイト(これらはしょうもない断片的な感想ばかりで、使いものにならない)が上位に来て、以前のような面白い個人サイトが見つからなくなった。
私にとってはこれが不満だ。でもこれはGoogleにとっては意図的な方針であって、評価基準E-E-A-T(経験, 専門性, 権威性, 信頼性)を反映したものらしい。
けっきょくのところ、そういう個人サイトは「権威性、信頼」の点で欠けるので、検索順位が下がる、下がるどころか検索結果に出てこなくなった。
私自身はWeb 2.0の思想に賛同してブログを書いているということもあって、そういう「ロングテールを可視化できる」といった強みが消えていく現状に不満をいだいている。
たとえば"The electric Kool-aid acid test"で日本語のページを検索すると38件出てくる。でも、このなかで真っ当にこの本について語っているのは私のページと「サイケデリック漂流記」しかない。
でもこれらは検索の下位に出てくる。pooneilが20位で、サイケデリック漂流記が28位。5位に読書メーターがあるので開いてみると、「感想・レビューがありません」という空白ページが出てくる。
そんなわけで、E-E-A-Tといいつつ、経験、専門性などどうでもよくて、権威性、信頼性、に振っているということがよく分かる。
こうして考えると、検索の順位には「inforrmativeであるかどうか」を考慮すべきなのではないか、というアイデアが浮かぶ。つまり、書店サイトが上位に並んでも、同じ書誌情報が繰り返されるだけで情報が増えない。
そうではなくて、そのサイトにしか書いてないような、情報量を増やすようなもの(しかし信頼性のあるもの)に高い順位を与えるようなアルゴリズムがよりよい検索サイトには必要なのだと思う。
そうすれば、たとえば読書メーターのサイト内でも、感想ゼロの本のページの順位は落ちるし、感想が充実している本のページの順位は高く保たれる。こういうふうにできないものだろうか? 生成AIがクロールして学習する際に、informativeであるかどうかは評価できそうなものだけど。いま出てきている生成AI検索機能がそういう風に増強されないものだろうか。
こうして言語化してみると、自力で書評検索サイト(集合知的なあれではなくて)を作ったらハッピーになれるか、さらにいえば周りの人もハッピーにできるかも、と考えた。自分が興味のある本をWebクローラー使うところから徐々にスケールしていけば実現性もある。定年後にやることのネタ帳につけておく。
(20240217) Google検索の質が低下しているって話題についてはてブ界隈でしばしば見るようになった。わたしも自分の身近な経験(本の題名で検索)について上記の通り書いた。
そのときはGoogleの評価基準E-E-A-Tが(広告収入のために)歪められている可能性をオチにした。
でも最近のmarkezineの記事を読むと、これは「3rd Party Dataから1st Party Dataへの流れ」とリンクしているようだ。
すると「Googleがevilで広告収入集めたいから」なんて悪玉説では不十分なのだな。これは検索エンジンそのものの危機であり、生成AIへの移行が不可避である現状を反映したものであると捉えるのがよさそうだ。
そうすると以前のテッド・チャンの記事「ChatGPTはウェブのぼやけたJPEGだ」への見方も変わってくる。
テッド・チャンの記事「ChatGPTはウェブのぼやけたJPEGだ」
これの結論(というか締めの文章)はこういうものだった。
「もし私たちがインターネットへのアクセスを永久に失い、限られたスペースしかない個人サーバーにコピーを保存しなければならないのであれば、ChatGPTのような大規模な言語モデルは良い解決策かもしれない。しかし、私たちはインターネットへのアクセスを失うわけではない。では、オリジナルがまだあるのに、不鮮明なJPEGがどれほど役に立つのだろうか?」
私はこの結論に無意識的に同意していた。その反映として「検索エンジンが提示する1次データをかき集めて、自分の情報収集能力と編集能力を発揮する」という行動方針を取りつつ、同時に「検索エンジンの劣化を嘆く」という行動を取っていた。でも後者の原因は前者の行動方針にある。
たぶん今後必要なのは「検索エンジンの代わりに生成AIを活用しながら、それでも生成AIが出した答えが怪しいときには適宜1次データに当たって確認できるリテラシーを持つ」ということなのだろう。
私はPubMedの論文片っ端から読んだりする派だったので、まだ体が慣れないのだけど、老害にならないためには必須なことだなと思った。
論旨が紆余曲折したが、雑にまとめると「google検索が劣化したと嘆いてる人は、そのままだと生成AIを使いこなせてない老害になる。」でもこれはさすがに言い過ぎ感があるな。
現時点でgoogle検索が頭に返してくる生成 AIの結果は間違いだらけだったりする。あれで半分知ってることならまだしも、全然知らないことを検索したときに「これは間違ったこと書いてある」と気づくのは簡単ではない。将来的にも程度の差はあれ同じだろう。
そうして考えてみると、google検索で一次資料に当たるリテラシーがない人が生成AIを使いこなせるだろうか?と自分で反論してみる。
結論出せず。
2024年06月13日
■ BEATLESS (長谷敏司)についてメモ
(20230921) 長谷敏司のBEATLESSはハヤカワ文庫の原作とアニメを並行して読み進めていて、いま21話まで来た。原作は2012年、アニメ化は2018年だけど、「アナログハック」というテーマはChatGPTがある今、現実味が出てきてすごく面白くなってる。 長谷敏司氏のブログ記事: 「アナログハックの時代が、そろそろ始まりそうだ」
超高度AI《ヒギンズ》が最初に設計した(そして爆破された)のが《イライザ》、というところで「ピグマリオン」「マイ・フェア・レディ」から名前を取っているということに気づかないといけないの、俺にはムリ〜
それはそれとして、主人公の「遠藤アラト」の「アラト」って「新しい人」なんだろうなあと想像した。
ネットで見つけたコメント (ソースはこちらのコメ65 を補完):
「なんというかレイシア級は製造目的からすると、最初からあえて不完全にできていて、人間と一体運用されて初めて製造目的を達成できる様になってる節がある。戦略組めない人との戦いに勝つ道具 (紅霞) 新しい物を生み出せない進化の委託先としての道具 (スノウドロップ) 自分から積極的に動けない環境を整える道具 (マリアージュ) 行動が行き当たりばったりな人間を拡張する道具 (メトーデ) ってポンコツだらけやん」
これはなるほどと思った。レイシアはアラトと組むことでこの物語の結末を生み出した。でも別の人と組むことによって、レイシアは「邪悪な謀略を繰り出す政治マシーン」となるIFもあったのだろう。
逆にたとえば、スノウドロップが人間と組むことによって人間が進化するIFもあったのかもしれない。(とはいえ、そもそもスノウドロップに人間と組む動機がなかったけど。)
そのようにヒギンズは「娘たち」を設計し、最後に設計されたレイシアが人間と組むことで破滅を避ける可能性を生み出したが、それでもギリギリ運任せだった、と読める。
(20231029) 「BEATLESS」長谷敏司 (文庫版)を読了した。4月に購入してからアニメ版と並行して読んでいたが、やっと終了。アニメ版はモノローグがないので、アラトが状況に振り回されているようにしか見えないところも多々あるのだけど、文庫版の方でだいぶ補完できた。
アラトはチョロいと言われつつも、自分の結論にたどり着くところは(宇野常寛的な意味での)決断主義ではなく、「ビジョンを持てるかどうか」の違いとして描写されていたと思う。
いろいろ考察はできるけどそれは置いといて、印象深いシーンを思い出すと、始終冷静なレイシアよりは紅霞やメトーデのほうを思い出す。メトーデの悲痛な「信じて、信じて」が胸に来る。(「心に茨を持つ少年」のようだ。) むしろ紅霞やメトーデのほうが人間臭い行動をしていた。
(20240317) 「redjuice × 長谷敏司対談」 さいきんBEATLESSを読んだ私には面白い記事だった。
redboxってのは、BEATLESS内での造語で、AIが作り上げた人類未到産物のこと。AIの進歩を人間が必死に追いかけていることを赤方転移(遠ざかっている天体から来る光が赤い方向にずれる)になぞらえてredboxと読んでいる。もし人間が追いかけるのを諦めたらそれはblack boxとなるということを含意している。
BEATLESSは2012年の作品だけど、いまのAIの状況を踏まえて読むことでより実感を持って読める。アニメも小説もおすすめ。
2024年06月06日
■ 「ヒヤリハット、BSS、キャッキャウフフ」(さうして、このごろ2023年10-11月)
(20231024) 今日もまた、私利私欲を抑えて、他人のために行動してしまった(2件)。これが自己満足でなければよいのだけど。
自分は「一発だけ出るしゃっくり」(たぶんチックの一種)を持っているので、この話題に興味がある。
講演の話者でやたらと咳をする人がいるけど、あれもチックだと思う。コンサートの観客で咳をする人もたぶん同じだ。
咳をする人はすごく限られているし、それはランダムには発生してない。その人達は緊張から緩和されたタイミングで咳をする。あれを悪意で捉える必要はないと思う。逆に、意識して抑え込まないと出てしまうタイプの行動だと思う。
それとは別に、contagious yawningと同じように、伝染する側面があるのも面白い。
自分は学生の飲み会があったら、金だけ出して、口は出さない、なんなら顔も出さないように心がけてる。仕送り生活で学生並みの財政状況なので、毎回ちょっとしかお金が出せなくて申しわけないと思ってる。
だから後日に礼を言われることを期待してないし、されても困るし、されたこともない。
今日はなんかちょっと調子が悪かった。ランチャー(Alfred)で"Slack"と叩こうとして、"S"まで入れたところで止まってしまった。その次は"vs code"と入れようとして、なにから入力すればいいか10秒ほど時間がかかった。
なんかこういう、急に頭が働かなくなる感じは、先崎学や田中圭一や相原コージとかのうつ発症エピソードで見たことがある。いまのところそこまで深刻な感じはしないのだけど、ヒヤリハット事象として、ここに記録しておく。 たいしたことでないといいのだけど。
IHヒーターのIHってなんの略だっけ?とググってみたら、1ページめにはIHヒーターの価格.comとかアマゾンとか楽天とかそういうのばかりで、IHがなんの略だか調べるためにはぜんぜん使えない。それぞれのサイトはSEOを頑張るだろうけど、けっきょくのところGoogleが商売に関連するものばかり優先しているのでこういうことになる。俺は、こんな世界は、イヤだ。
eLife編集長のマイケル・アイゼン氏が解任のニュース。 マイケル・アイゼン氏がSNSで風刺ツイートを支持したことが発端で、イスラエルよりパレスチナ側に立っていると非難されたようだ。(記事にもあるように)氏自身はユダヤ人であり、ハマスのしたことを避難しているにもかかわらずだ。
FBでは、(自分の知り合いの)ユダヤ系の研究者がイスラエルによるガザの爆撃への支持を表明してプチ炎上している。
研究者として他人事ではない状況だ。この状況で見えてくるいろんな人の行動から、どのくらい信用が置けるか情報集めをしておこうと思った。(ちなみにこのFBの人は、「IITはニセ科学論文」に署名してた。)
「絵柄の古さの話題」 この記事経由で、やぶうち優の画風の変遷を見たら、ちゃんと今っぽく調整されているので、スゲーって思った。
岡崎市が東海オンエアの聖地巡礼で若者が集っている、ってニュース。岡崎を離れて4年近くになるけど、こんなことになっているとは知らなかった。東岡崎駅前のまんぷく家が大行列って、あそこ、そんなにスゲーところでもなかったぞ。
トミックさんの海鮮丼Youtubeチャンネルは、札幌や小樽の店の情報を収集するためにちょいちょい見てた。でも最近、岡崎魚市場の「平の食堂」が取材されてて、すごい評判良かった。
これは盲点だった。自分は岡崎市に23年在住してたけど、岡崎魚市場には行ったことがなかった。だいたいあのあたりでお魚市場に行こうとなると、一色さかな広場に行っていたから。
隣でうなぎを炭火焼きする店にも惹かれる。こんど岡崎に行くときには寄ってみようと思う。
恋愛代行 (赤坂アカ×西沢5㍉)はジャンプラのコメント欄とか評判良くないけど、自分はもっと西沢5㍉の作風に寄せて、心を抉る方向に行ったら面白くなると思ってた。だから今週の南砺くんのBSS展開は好き。
「突然胸のこの辺りがキュッとしてきて…吐き気とともに脳がチカチカしてきて…」って言いながら「チカッチカッ」ってする表現、あれ福本伸行の「ぐにゃあ」に匹敵するナイス表現だと思う。
極度のストレスで知覚が歪み、視野が狭くなる感じ、そして、目の前が真っ暗になるのではなくて、オチそうになっては復活するのを繰り返す、そういうのが「チカッチカッ」っていう表現だと理解してる。(追記: 見返したら、そんなに秀逸な表現でもないかと我に返った)
劇場版「ぼのぼの」(1993)が各動画配信サービスで配信をスタート、というニュース。 これ観に行ったわ。そのときのことについて語るつもりはないけれど、私の人生にとって、重要な瞬間だった。
封切りされたのが1993年11月13日なので、たぶん11月中に観に行ったのだろう。でもって泥酔して湯島の坂で自転車で転倒して左耳を7針縫ったのが、1993年12月25日。激動の日々だった。あのとき俺は死んで、そのあとの俺はずっと抜け殻だ。(おおげさ)
"The future that Babin had cackled about at the alligator party was already here."をdeepL翻訳したら、「バビンがワニパーティでキャッキャウフフしていた未来は、すでにここにあった。」となった。 キャッキャウフフと訳すとは、やるな、deepLと思った。
2024年06月01日
■ 「デート中おばあちゃん助けた話」を見て考えた
(20240531) 増田の「デート中おばあちゃん助けたらフられた話」への返答が荒れてるの見て驚いた。
てっきり「デート中おばあちゃん助けるみたいな偽善的な行動うざい」「美徳シグナリングうざい」みたいな話かと思ったら、そういうのじゃなくて、素で増田の行動が「デート相手を大切にしてない」という意味で批判されてた。ちょっと納得いかなかった。
(20240601) この話題なんか気になっていたのだけど、このブコメを見てだいぶ問題が明確になった。
「ヤンキー気質がモテる理由の一つがこれ。周りに迷惑をかけ、授業などの毎日の行事を軽視しながらながら「自分達2人の仲間の空間をを最優先」」
これ見て疑問が氷解したのだけど、これって松尾匡の「右翼と左翼」で扱われている「ウチとソト」の問題だ。
詳しくはリンク先を読んでほしいけど、松尾匡によると、右翼か左翼か、という二分法は正しくなくて、じつは右翼とは「ウチとソト」に分けたときのウチの味方であり、左翼とは「ウエとシタ」に分けたときのシタの味方である、というねじれの関係にある。
松尾匡の右翼(=共同体主義者)は道義的正しさよりもウチに味方することを重視する(例: カスハラするヤンキーとその彼女)。 松尾匡の左翼(=リベラル)は身内かどうかでなく道義で判断するから、共同体主義者からすれば、身内を裏切る信用ならない者と思われるし、その行動は偽善的だと思われる(前述の美徳シグナリング)。
会社の腐敗を告発された社長(だけではなく社員)が告発者を避難する例がしばしばある。ここで告発者は身内と道義とを秤にかけて道義を選んだのだけど、社長(だけではなく社員)は身内を裏切ったことを非難する。道義よりも身内が大事だから。
こういう「道義よりも身内が大事」という感覚を前述のブコメは「ヤンキー気質」と呼んだけど、じつのところそれはふつうの人間に広く共有されていることなのだろうと思う。
増田とその反応を見ると、思った以上に共同体主義者(道義よりも身内)が多いようだ。増田とはてブのいいところは、建前の裏に隠された正直な心情が垣間見れることなので、そういう意味では有益な情報だった。
(徳倫理学にも関係してそうだが、今はそこは掘り下げない。)
以上を踏まえて「デート中おばあちゃん助けたらフられた話」(およびそれへの反応)に戻ると、「デート中おばあちゃん助けた」人は、身内よりも道義を優先したと言える。そして身内よりも道義を優先とは、「ソトに味方」することではなくて、困っているかそうでないかという軸(ウエとシタに対応)で、困っている人に味方したということ。
しかしデートの相手およびそれに同意した者は、その行動を「身内を大事にしない」と受け取った。しかしこれは上記の通りねじれている。「デート中おばあちゃん助けた」人は、もしデートの相手(身内)が困っていたなら親身になって助けてくれただろう。だからあの例は、悲しき行き違いだったのではないか。
とはいえ、「釣った魚に餌はやらない」的な態度で身内を邪険にする行動方針を取る人だという可能性は残る。これは松尾匡の「逆右翼」(ウチよりもソト)に該当する。(生徒のことばかり気にして家族をおろそかにする校長の例がブコメにあったけど、あれはこの範疇。)
ところで自分が同じ状況だったらどう行動するか想像してみた。自分なら、話題を切らさないことばかり気にかけて、べらべら喋って、周りが見えてなくて、困ってるおばあちゃんにも気づかずに通り過ぎてしまう、というのがいちばんありそう。(ダメなヤツ)
追記: ここまで書いてみると、世界で起きてる紛争だけでなく、ネットで見られるいざこざについても同じ理屈を援用できるなと思った。具体的な例には触れないが。つまり、「道義よりも身内が大事」は根深い。根深いのはそれが「理性と感情」の問題だから。
2024年05月24日
■ 「本音ベース」と「体裁ベース」
(20231022) 「就活に苦しむインテリの学生に社会の真実を教える」 このブログ記事が面白い。
私は大学教員として、逆向きからこの事象を語ることができる。つまり、教育の場面で、本音ベースで哲学的に突き詰めてほしいところで、体裁ベースで対応されて消化不良になる、という話。具体的な場面を書くことはできないけど。
「よく会社の人が「大学の人は世間をわかってないから」って言うけど、その世間とは会社での常識であって、大学の人だって大学という世間で生きてるのだ」なんて議論がある。
これで会社の人を説得することができないのは、まさにこの記事にあるような「体裁ベースでの一貫性を重視する」というような感覚を満足させられないからだと思う。
たとえば大学の人はそもそも論とか事態の本質とかを議論したがるが(わたしもそう)、体裁ベースでは、それはイマココの問題を解決しない。
これは大学の財政問題への社会人からの冷ややかな目にも直結している。「そもそも教育とは云々」では「集中と選択」が持つ難点を説得できない。そうではなくて、「イマココの問題を解決するためには、集中と選択はまずい選択」という方向の議論が必要。
ちなみに元のブログ記事で言ってることは「本音と建前」の語で長らく語られてきたものだと思う。でもそれを「テイ」という言い方をすることで、テイの内部での一貫性が要求されることを強調したところに価値があると思う。
2024年05月21日
■ 「ココロのプログラム」最終回まで読んだ
(20231017) 「ココロのプログラム」の最終回は安直な終着点にはならなくてよかったと思う。(八足す一のエピソードをはじめが思い出したりはしない。)
それでも違和感はある。主人公(九)のセリフ「どうやらこの世界はそういう風にプログラムされているらしい」でタイトルが回収された。(プログラムされていたのはいちこだけでなく九も同じということ。)
もしここが「どうやら僕は〜」となり、九が自分の気持ちを諦観とともに表現していたのなら、成長の証拠で話が閉じられただろう。しかしバッドエンドを繰り返す方向性が、希望のある筆致で表現された。それを納得させるだけの描写が欠けていると思った。(コメ欄の炎上も動機は重なってる。)
この漫画でのアンドロイドの扱いは、あくまでも二人の間に障害を作るためのギミックとして導入されているだけで、設定は練り込まれてない。それが証拠に、いちこが感情を理解できないことが二人の間にディスコミュニケーションを引き起こしたりしない。
もちろんこの話はSFではなくてラブストーリーなのだから、この設定自体が前面に出てくる必要はない。でも設定が練り込まれてないと、行動原理が見えなくなって、人格がストーリーに従属してしまう。
川井マコトの「甘えたい日はそばにいて。」のときも同じことを思った。こちらでも、なぜ記憶の消去をひなげしが恐れるのか説明がないので、アンドロイドの行動に見えない。
「ココロのプログラム」はすごく繊細に描かれているので、描かれていることを自体は不用意に描かれたものと読むことはできない。たとえば「いたいのいたいの飛んでゆけ」の歌を覚えていたこと自体がはじめの記憶であるという微かな希望は、「八足す一」のエピソードを覚えていないことから裏切られる。(つまり「いたいのいたいの飛んでゆけ」の歌は記憶ではなくて、ミームとしての伝播だったということ)
しかし、このことに九が気づき、落胆する表現がない。だから九が何をわかっていて、何をわかっていないのかが、読む側にはわからない。
2024年05月18日
■ 「暗黙知、悪役令嬢、みよしの」(さうして、このごろ2023年9-10月)
最近のSNS使用状況: これまでSNSでは、Twitterをずっと更新してきたけど、2022年11月からはMastodonに移動した。(Twitterのアカウント自体は残してあって、たまに告知用に使ってる。) Mastodonでの更新は2023年9月に終了して、そこからはBlueskyに移動した。Blueskyは2024年2月から閲覧にログイン不要(一般公開)となったので、そのままひきつづきて更新している。
職人が自分の感覚を重視してマニュアル化しないのは良くないこと、というのはそのとおりなのだけど、ここしばらく「暗黙知」について学んでいるうちに、もう少し考えが深まってきた。
職人が持ってる技能というのは、暗黙知として非言語的、身体的に獲得されている部分が大きいので、そのすべてをマニュアル化することはできない。だから、言語化、マニュアル化できるところはするとしても、それだけで解決するような問題ではない。
そんな難しいことを言ってるつもりはない。それは、「どんなにプログラミングのやり方を教科書で学んでも、自分でコード書いてみないとわかったことにならないよね」の延長上にあること。
『下り坂・上り坂運歩』 これはこの間の三角山で試してみたけど、たしかに有効だった。ずっとはやってられないけど、ゆるい下りが続くところとかでこれをやると、膝への衝撃が軽減される。
"Exploring the Mythical Chords of God Only Knows"という動画を観た。イントロのキーがEだって言っていてびっくりした。でもイントロのフレンチホルンのメロディーからすると、Aメジャーではないんだと。(d音でなくd#音だから。)
ひさびさにエレキギターを鳴らしてみた。コーラスとリバーブかけて、シューゲなコード弾き:
Dm(add9) X57760 Ab(add9) XX6546
の繰り返し。
過去の名作「アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本」を思い出した。当時、この自意識とキモさには衝撃を受けた。共感性羞恥的な意味で。
でもってこの問いについてだけど、これ正確には、「ニワカと思われず、しかしキモいとも思われないようなチョイスとは」ということだろうなあ。2023年の今なら京アニでいいんじゃないの?「氷菓」か「ユーフォ」で。
さらにブコメ見ながら考えてみたけど、2023年9月現在なら「スキップとローファー」って答えるのがかぎりなく正解に近いな。
Webtoonの特徴の記述が面白かった。「たくさんの登場人物がいろんなところでいろんなことをするという表現が性質上合わない」「時間の経過や1人のキャラクターの視点を生かした表現は得意」「横幅が狭いので背景が少なく、場所の転換が伝わりにくいこと」
Webtoonって「ものすごく縦に長い漫画」ってかんじで息苦しさを感じることがある。Youtubeの動画をPCでみているときに、横長の画面に縦長のスマホ映像を見せられたときの窮屈さというか。
とはいえこれは一時的な局面であって、表現上のブレイクスルーが今後あるかもしれないけど。
先日狸小路商店街に行ったときにいままで言ったことがなかった「みよしの」に行ってカレーと餃子のセットを頼んだ。普通のカレーと餃子だった。とくに金を出していく必要はなかった。生協のカレーのほうが安くてお得。あと、客層が老人ばかりで、なるほどたしかにこの店は昔から地元に愛されているのだなと思った。
安宅和人氏が旗振りしていた10兆円ファンドが「国際卓越研究大学」になって、東北大が選ばれた。
正直、また「選択と集中」かよって思う。とはいえ文科省ががんばって財務省からお金を取ってきてくれたとも言える。問題なのは、財務省を納得させるためには「選択と集中」とならざるを得ないというネオリベ的な苦境に我々はいるということ。
世間を味方につけたうえで、財務省を説得する、この二つを両立しないと解決しない。これが「ネオリベ的苦境」の意味。
元論文: https://arxiv.org/abs/2310.04153
これって有意検定の説明に使えそう。よく使われる帰無仮説と対立仮説はH0: p=0.5, H1: p≠0.5だけど、これを使えばH0: p=0.5 (等確率の原理)とH1: p=0.51 (物理モデルからの予測)の二つの仮説で、ネイマン=ピアソン流の仮説検定を使えるので。
あと、nが多いと何でも有意になる問題、の説明にもなる。35万回のデータがあるので、empiricalな分布50.8%を帰無仮説50%からの乖離でt検したら有意になるので。
2024年05月17日
■ 心理的安全性と定型発達症候群
「「心理的安全性」はなぜ混乱を招き続けるのか」のブコメで「サバサバ組織」って表現があって、いいなと思った。
それで思ったんだけど、心理的安全性って「定型発達症候群」である人には難しいことなんだと思う。だから誤解は尽きないし、実現は簡単ではない。(ついでに言えば、アサーティブ・コミュニケーションもそうだな。)
ところで、ASDでない人をぜんぶ「定型発達症候群」と呼ぶのはたぶん間違いで、ASDの反対の極により強く「定型発達症候群」をもつ人がいるという分布になってるんだと思う。
(「定型発達症候群」はインターネットスラングであって、医療的な正当性はないけれど、将来真剣に扱われる日が来ると思う。)
「反対の極」とは言ったけど、簡単でないな。 「周囲の人の顔色を気にしすぎる」が社会生活を困難にするのであれば、それはSAD(社交不安障害)であって、「定型発達症候群」ではない。
「定型発達症候群」という言葉がもともと、ASDの社会モデルという考えを際立たせるために使われた表現であることを考えるなら、ASDでない人を「定型発達症候群」と呼ぶという元の表現が間違っているわけではない。でもなんかそれだと、「定型発達症候群」の解像度が上がらないように思う。
2024年05月15日
■ 三角山に登ってきた。ストックの突き方から水泳技術へ
(20230927) そろそろ運動しないとまずい、ということで先日三角山に登ってきた。ヤマレコ記録
札幌から行くならいちばん初心者向けの山なのだけど、行き帰りそれぞれ40分弱で無事怪我もなく戻ってきた。左膝の手術後初の登山なので、達成感はある。三角山はきついところは意外ときつかったので、下りで膝を傷めないように細心の注意を払った。
次回は藻岩山に行こうと思う。なんなら下り(帰り)はロープウェーでもいいし。
三角山は短いなりにけっこう段差のある登り、下りがあったので、ちゃんとトレッキングポールを使おうと思って、いろいろ情報を集めてる。
登りについてはこれがけっこう納得いった。あなたの使い方は大丈夫?山登りで疲れを減らすトレッキングポール ストック/実践編【ヤマスタ】 つまり、前に突くのではなくて、後ろから支えてあげる。これによって腰が引けて前傾姿勢にならずに済むというメリットもありそう。
下りについては、ポールを前に突く動画をたくさん見たけど、アクシデント時にポールに体重がかかるのが怖いと思った。yamakei-onlineの記事で「下りではポールを後ろに突く」というのを読んで、深く納得いった。じっさい、自分が左膝の手術をして松葉杖を突いていたときは、リハビリの人にこのように教えてもらって地下鉄の階段とかを降りていたので。
こっちの動画にあるように、右足から降りるときが左足側のストックを突く。これも松葉杖と同じ。
で、なんでこんなことになるかというと、山登りの上手い人は軽快に上り下りできるから、そのうえで膝に負担がかからない方法について説明している。でも私(とかその他多くの高齢初心者)にとっては、そんな軽快に上り下りできなくていいから、怪我をせず安全にゆっくり上り下りするための方法を知りたいんだ。
自分は高校での水泳部出身で、そのあとコーチとかもやっていたので、水泳の教え方については長年興味がある。たぶんここでも同じことが起きてる。
その昔自分が泳ぎの教え方を学んだときに革命的だったのは、水は固体ではなく流体であることを考慮すべきということ。端的に言えば、水を後ろに押すのではない(それでは渦ができてしまう)。抗力と揚力の合計ベクトルが大事で、そのために水に対して斜めに掻く(S字プル)、って話だった。 でもこれでもまだ理論としては古い。水泳では止まった水を掻くのではなくて、自分が動きながら相対的に動いている水を掻くので、もっと難しい問題を解かないといけない(スピード依存的に最適な軌道が変わる)。
だから、高齢の初心者に水泳を教えるためには、そもそもスピードが乗ってない状態でどうやって推進力を生むか、を伝授する必要がある。
その昔、total immersion swimmingというのに興味を持って練習していたことがある。あれはけっして主流にはならなかったと思うけど、推進力が少なくて、姿勢が立って抵抗ができてしまう人にとっては福音となるものだったと思う。(ただし、一掻きごとによく延びるためには、それなりに腕力が必要なので、かならずしも高齢者に向いているというわけでもないが。)
昔のブログに書いた関連記事: クロールの最新理論
total immersion swimmingについての最近のネットの反応をググってみた:
total immersionは競泳スイマーのためのものではないが、トライアスロンでは有用視されている、このあたりは私の認識と齟齬がない。
2024年05月13日
■ Unity炎上(2023年9月)から自分のポリシー語りへ
「価格改定で大荒れのUnityが「無料プラン続行」「既に発売済みのゲームは対象外」などの見直しを発表」のニュースがやっと来た。
それでも勢いは止まらず、「Unityへの信頼が失われたとして最古の公式Unityユーザーグループ「B.U.G.」が解散」というニュースが届いた。
(例のコピペ「ひとたび壊れた器は、二度と元には、元には……」を貼りたい気持ちになったが、実名でやってるのでそういうことはしないのだった。)
自分はネット業界のこういうEVILな動きには敏感な方だと思う。
そもそもなんでいまレンタルサーバー(さくら)でブログをやっているかというと、それまでやってたはてなダイアリーから引っ越したからだ。当時はてなが記事の著作隣接権を行使して収益化しようという動きをした。(2004年の後半あたりのこと。ググっても見つからないが。) それはけっきょく撤回されたのだが、私はもはや信用はできないとして、引っ越しを決断したのだった。
今もTwitterからの移動を試行錯誤しているけど、こちらはよい引越し先が見つからなくて困ってる。Blueskyもこのままずっとクローズドベータのままなら見限る。
クローズドの中で記事を書いてる自分の現状は気に食わない。Clubhouseが流行ったときのしゃらくさい印象があるので、「俺の記事が読みたかったらBlueskyに来いよ」みたいな煽りをするつもりはない。
いまのところ、SNSに記入=>ブロク記事に再利用ということで公開する道筋を作ってあるので、それでよしとしている。ただ、私のブログのいまの最新記事が2022年11月のmastodonの書き込みだったりするんで、時間遅れが大きすぎる。
当時はこれではてなは終わるだろうと思ったが、そんなことはなかった。おそらくtwitterもこのまま生き延びるのだろうし、Unityも今回の変更によって生き延びるだろう。それでも私の嫌悪感は拭えない。
以前のブログ記事でも書いたけど、Googleの検索も収益化のために最適化しすぎて使い物にならなくなってるのが不満。
自分はwebを始めた頃(90年代後半)にGNU/Linuxのオープンソースムーブメントにかぶれ、ゼロ年代のWeb 2.0での標準化とロングテールに希望を見出した人間なので、フリーミアムの矛盾が噴出した現在の状況に幻滅している。それでも自分のアップデートを続けようとは思っているけど。
2024年05月11日
■ 「喜久屋書店、三和音の表記、ONE」(さうして、このごろ2023年8-9月)
(ここまではmastodonでの書き込み。ここからはBlueskyに移動している)
2023年8月 仙台での神経科学学会への参加記録。
南國堂でインド定食。カジキマグロのカレー、というのが良かった。ベジカレーも優しい味なんだけどけっこう辛いというバランス。また行く機会があったら行ってみたい。
仙台の学会終了。帰りにいつもの巡回ルート(仙台朝市から魚臭いアニメイト)に寄ってみたら、アニメイトは移転していて、跡地にメロンブックスが入っていた。札幌よりも大きいかも。
でもってアニメイトは「仙台駅前イービーンズ」というところに移転していた。ここがスゲーオタクビル化していて感動した。らしんばんも大きいし、ボークスも充実してる。次回イービーンズに行くときはあらかじめイベント情報とく必要がありそう。
あと飛ばす予定だった喜久屋書店がすごい。漫画家の色紙がずらりと並べられていて(二千点と書いてあった)、もはや博物館のようで、それをみているだけで時間が飛ぶ。
喜久屋書店の色紙が並んでる写真。ほぼすべての棚がこんな感じだった。これちゃんと見て回ったら、けっこう時間がかかるはずなので、次回はちゃんと時間を取って見に行きたい。
そういうわけで、いつもの仙台駅中すし通りに寄る時間がなくなって、そのまま仙台空港へ行くことに。
わかる。ほんとうは |三和音|7th|9th|11th|13th| という表記にして統一すべきだよな。
三和音部分は(C, C-, C+,C°), 7,9,11,13のところは(b7, 7), (b9, 9, #9), (11, #11), (b13, 13)みたいに分けておくのが体系的ではある。
そうすると、C7, Cmaj7, Cm7, CmM7はそれぞれ、C(b7), C(7), C-(b7), C-(7)と書ける。
"Rockafeller Skank"は1998年に岡崎の街を車で走りながらzip-FMから流れてきたのを思い出させる。
"You get what you give"は1998年に西友の前のレコード屋がまだ繁盛していた頃に、CD試聴コーナーで聞いたのを思いださせる。
ショッピングモールで流れていたような偽の記憶がうめこまれているが、たぶんそれはPVの影響だ。
思い立って再聴してみたら、"You've gotta music in you"で涙が出てきたので、俺はまだ大丈夫だと思った。
(将来的に)「音楽はAIと自分とで作った曲をAIに聴いてもらうものになる」
これはわかる気がする。私が作った曲を誰も聞いてくれなくても、AIが点数とかつけてくれるなら、それでいいのかもしれない。というかそれって、採点付きのカラオケで高い点数とるのにがんばるのと同じだな。
(採点付きのカラオケで、採点システムをハックするために、なるたけ崩さないで歌うようになることを考えると、よく似たことが作曲評価システムでも起こることも予測できる。)
(20230909) いま18時になったところだけど、太陽がもう沈んでる。調べてみたら、今日の日没時間は17:57だった。先週まで夜の室温が30度を超えていたというのに。秋の日はつるべ落としだ。
スティーヴ・ライヒは何回か挑戦したが、毎度ちょっと聴いては途中で飛ばして、またいつかってかんじだった。でも"Electric Counterpoint"はギター曲なんで、フルで聴けた。
とくにこの映像はRadioheadのJonny Greenwoodによるもので、とてもいい。
bloodthirsty butchersってギターは最高なんだけどボーカルが受け付けないなあと思ってた。でも「7月」のライブ版を聴いてて、なんか(ジョイ・ディヴィジョンの)イアン・カーティスっぽいなあと思ったら、いっきょにボーカルにも味わいがあると思えるようになってきた。
「トラウト・マスク・レプリカ」の第1曲めの"frownland" のギターコピー。これはたまげた。
さらに調べてみると、 "frownland"の楽曲分析をしているのも見つけた。
“Hello, world.”のED曲"BLAZE UP"って広瀬香美の"promise"が元ネタだったのか。20年経過してはじめて気がついた。
ハロワって今にして思えば「萌えで隠したハード展開」っていう、まどマギの前身ではあったな。虚淵玄がシナリオ担当なわけではないけれど。
"ONE."は樋上いたるが戻ってリメイクする(リファイン版)ということで期待している。fhánaによるOPもよかった。長森の声は黒川あかね/椎名真昼の声優だって。
アウトロに入る部分(1:49)で「輝く季節へ」って文字が差し込まれて、「輝く季節へ」にインスパイアされたフレーズが始まるとこ、こんなの泣いちゃうじゃん? いや、感情が鈍麻してるから泣かないんだけど。
あの日 僕を救った 永遠という光 やっと時が来たんだ 言わなくちゃ さよなら またどこかで
2024年05月09日
■ 「シーン、濁川くん、華倫変」(さうして、このごろ2023年6-7月)
「私なんかが地方でよく聞く、そして聞くたびにウンザリするのが、「ココは田舎だし、面白いものなんか何もないですよ」みたいな云い草である。」「 そりゃ東京や京都にでも出りゃ“面白い”人やモノにいくらでも出会えるでしょうよ。しかしそれはオマエが生み出した“面白さ”じゃないだろう。どこでもいいが、とりあえず自分がいるところを“面白く”できないような奴はしょせん消費者なのだ。」
そうだよなあ。「シーン」は世界中いたるところで生まれ、消える。そのどれが大きく育つかはわからない。「シーン」は消費するものではなくて、コミットするもの。コミットできなかったとき、お客様となり、あとから消費することしかできない。(ケン・キージーの「マジック・バス」をイメージしながら書いてる)
「東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか」 これはよかった。
昨日書いた「シーン」の話の続きだけど、「文化に触れているつもりで消費しているだけ」から逃れるためには、べつに文化を生み出す制作者にならなくても、こうやって道を這いずるカニとガルシア=マルケスをつなげることができればいいんだよな。それを増田に書くとか、mastodonにこうやって書くのも生産的な行動だ。それがバズる必要なんかなくって、銀河通信でいいんだ。
「若者の『動画に比べて漫画はタイパが悪い』という感覚が分からない→情報処理の方法が違うのでは?」
これは納得いった。自分は動画って時間の無駄すぎると思っていたが、「新しいことの概要を学ぶ」みたいなときには入門書を流し読みするのではわからないものが動画にはあるということを実感した。
そのうちYoutubeで講義をアップしようという計画があるのだけど、それはやっぱひたすら「入門」に特化すべきだなと思った。
『皆、本当に他人を『好き』になった事あるの?』 ブコメ
この感覚は非常によく分かる。ドパミン出まくっている感じで、世界が変わって見える。私も短い期間だったがそういう経験をしたことをよく覚えている。
Jimi Hendrix / West Coast Seattle Boy: The Jimi Hendrix Anthology での"Little one" 初めて知ったけど、聞いてすぐにこのシタールはデイブ・メイスンだなと気づいた。これはとてもいい。そうそう、こんなふうにシタールを弾いてみたかった。spotify Noel Reddingが歌ってるバージョンもあるが、一挙にしょうもなくなるので、歌無しがよい。
僕ヤバの濁川くん(イマジナリー京太郎)の声が福山潤なの、最高だな。解釈一致とはこのことかっていう。
「華倫変 没後20年追悼原画展」 これ見逃してた。いつのまにかkindleで再販しているし、すげえなあ。
ちくさ正文館書店が閉店というニュース。自転車や車で名古屋に行ったときに必ず通るコースで、ペヨトル工房の「夜想」とか、サブカル系の書籍や雑誌を立ち読みしたものだった。お世話になりました。
「指摘を批判と捉えない」 これをみて、いつぞやの「批判なき政治」じゃんって思った。
わたしが好きなのは"WILDERNESS COOKING" おっさんが一人で黙々とでかい羊を瓶で焼いたりする途中で、4Kでの美しい自然画像とか鶏がバタバタ走るのとかを映すの。すごくよい。スーペル!
ツイッターからサルベージ:
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沈むタイタニックで、他人を押しのけずに、静かに死んでゆきたい。(2022年8月27日)
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コミックを読む能力が衰えてきているのを実感する。このあいだ一念発起して(<-?)、積んでたごちうさ4巻を読んだら、読み終えるのに2時間弱かかったのにはびっくりした。(2022年7月11日)
2024年04月28日
■ 「報酬予測誤差、スイートホーム・アラバマ、スキロー」(さうして、このごろ2023年5月)
「意識の科学入門」のスライドの準備中。報酬予測誤差ニューロンの説明を見るとどれもSchultz 1997の図を書いておしまいなのが不親切だなあと思う。まず
- 「報酬ニューロン」というのがあったらどういう活動なのか示して、
- さらに「報酬予測ニューロン」というのがあったらどういう活動なのか示して、
- そのうえで報酬予測と実際の報酬の誤差を計算するとしたらどうなるか、 という3段構えにするべき。
そもそもSchultz 1997のデータはしょぼいし、反応の抑制が小さいので、もっと新しいデータに差し替えるべき。オプトとボルタメトリーとかでもっとわかりやすいデータがあるんだから。
調べてみたら、銅谷さんの図(Bayesian Brain)が比較的親切だった。
Voltametryについては、LH刺激の文脈でNieh EH et al. Neuron. 2016を引用してみた。こんなかんじでclassical trace conditioningについてもvoltametoryの図を入れようと思ってる。(図は作ったけど、論文の図を引用しているので、掲載割愛)
「サザンマン」vs「スイートホーム・アラバマ」 以前書いたこれの続き。
「スイートホーム・アラバマ」の歌詞で面白いと思うのは、ニール・ヤングの呼び方がだんだん変わるところ。
さいしょは"Mr. Young"と言っていて、ちょっと他人行儀というか礼節をわきまえた呼びかけになってる。
次が"Ole Neil"で、これはOle = oldの南部訛りで、「ニールさん」「ニールおじさん」という親密な呼び方になる。
んで最後に"I hope Neil young will remember ..."とフルネーム呼びをしている。これは「親が子を叱るときにフルネームで呼ぶ」のと似たニュアンスがあるんではないだろうか。べつにここは"I hope he will remember ..."でも意味が通るところだから、フルネーム呼びするのにはニュアンスがあるはず。
…ということをtwitterかブログに書いたはずなんだけど、見つからない。
夜の秋葉原で踊るRAB この閉店後の秋葉原の風景にキュンと来た。終電もなくなった深夜の本郷から家までの帰り道に、自転車に乗って、本郷通りからアキバを通り過ぎたときのあの感覚を思い出した。
今期アニメはいまだかつてなく充実してる。「推しの子」「僕ヤバ」「君は放課後インソムニア」は遅滞なく観てる。「カワイスギクライシス」は遅れつつ観てる。
「スキップとローファー」「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編」「Dr. STONE」「水星の魔女」はかならず観るけど、まだあとでよいという判断。
「スキップとローファー」観はじめたら最高すぎた。最新回(第4回)に追いついた。
なんだろう、ドラマティックな展開というわけでもないのにスルスルと観てあっという間に24分が経過してしまう。なんだかおいしい水のようだ。
なにがいいのだろうか。登場人物の心情により沿いながら話を追っていると、いつまでも観ていられるという感じ。話に作為的な感じはないのに、すごく行き届いているということだろうか?これは説明が難しい。
あとOP観ると泣けてくる。この「つつきあいながら笑う表情」のところとか最高すぎない?
スキロー第5回も完璧だった。不自然な主人公アゲとかせずに江頭がデレる機会を作るという、過不足ない描写。こういう面白さというか凄さがあるというのに興奮している。なんか、わたしもこういう感じにものごとを描きたい、という気持ちになった。
「つばめアルペン」が札幌の女子高山岳部を舞台にした作品なんだけど、藻岩山とか八剣山とかたい焼き一休とか六花亭とか秀岳荘(「吉岳荘」になってる)とかご当地ものがいろいろ出てきて、なんだかうれしい。
秀岳荘は外観の描写的に北大前店だ。ということは地下鉄の駅も南北線の北12条駅だろうけど、島式ホームになっているので、札幌駅の描写を借りてそう。第10話で夜が乗るのは一番線の真駒内行きで、残り三人は二番線の麻生行きか。
2024年04月06日
■ 「100分de名著 ブルデュー」を読んで自分語りした
ネットでよく出てくる「文化資本」とかあのあたりをちゃんと知りたいと思っていたが時間がないので「100分de名著 ブルデュー」を読んだ。これは面白かった。たしかに(作者がいうように)、これは自分語りしたくなる。
自分は高度成長期に上京してきた中卒の父と母が起業した町工場の家の長男だったので、家に文化的なものはなかったし、おもちゃも買ってもらえなかった。自分は家族の中でひとりだけ突然変異的に勉強ができたのだが、とくに褒められることもなく、逆にプレッシャーもなく、一人遊びばかりしていた。小学校時代は自宅兼町工場でひとり、対数計算尺を紙で自作したり、近所のゴミ捨て場で拾った化学の参考書をみて周期表を書いていた。自分の原風景は町工場でAMラジオから流れていた演歌や歌謡曲だった。
(80年代当時はツッパリハイスクールロックンロールなヤンキー文化の時代で、その暴力性に心底怯え(自分は当時ある傷害事件の被害者となった)、中学受験をして地元からの脱出に成功した。いまだに「闇金ウシジマくん」「地元最高!」とかガチで怖くて読めない)
中学は私立の進学校にも合格したが、国立の進学校に行った。それは共学だったからというのもあるけど、うっすら親の経済状況を気にしてのことでもあったのだと思う。(この選択について、自分は親孝行だと自認していた。) その中学は、私のように勉強で成り上がってきた者と附属小学校上がりで金持ちの子息とが混ざる残酷な環境で、私はすぐに差別問題に注意が向いた。(朝日訴訟の本とか読んでた記憶がある)
こんな育ちだったので、自分は上流社会的な文化には馴染めなかったし、そこでのハビトゥス(服や時計や靴や所作がそのトライブに入るために重要だ)というものを嫌っていた。大学受験のときに自分は医学部には行こうとは発想からしてまったくなかったのだけど、いまにして思えば、あの文化に入らずにいて正解だったと思う。
100分de名著の著者が「好きな映画監督はカウリスマキ、音楽はジャズ、クラシックではグールド、でいかにもインテリ」と自虐的に書いてる。これはよく分かる。自分とは全然かすってないし、正直そういうのにうっすらとした嫌悪感もある。 (もちろん、そういう嫌悪感を表出するような愚は犯さないように中高の時点から自分を律してきたつもりだし、これは自分の弱点であると自覚して、オープンであるように自己研鑽してきた。でも知らず知らずに漏れ出していたと思う。)
そうした志向からけっきょくサブカル、アングラに吸収されて、ありがちなトライブに収まった大学生の自分は、まさにブルデューの言説が示すとおりだった。(なお、ここで言うサブカルとは、文学的な上流社会のものではなくて、根本敬/青山正明的なものを指すのだが、当時の自分には区別がついてなかったので、単館上映映画とかアメリカ現代文学とかも含めて、混ぜこぜで消費してた。)
そんな自分にとっての大きなターニングポイントがゼロ年代にオタクに目覚めたことだった。
古のオタクの価値観では、裕福な家の子供でたくさんのものを買い与えられて、それに基づく文化資本を構築した者ほど偉いというヒエラルキーがあるので、自分にはまったく縁のない、むしろ敵対するものだった。
じっさい、自分は特撮やロボット物にいっさい興味がない。(もちろん小学生当時は観ていたが、それに対するノスタルジーを持っていない。) コレクター気質もない。そういうわけで、オタク第一世代(ヤマト)、オタク第二世代(ガンダム)ともにかすりもしなかった。
オタクに向いた時期的に自分はオタク第三世代(エヴァンゲリオン)に分類できると思うんだけど、ロボット物に興味がないので、いまだに見たことがない。(3話くらいまでみて脱落した)
でも就職して消費にお金が使えるようになり、ゼロ年代にインターネットの発達でさまざまな言説が手に入るようになった。Youtube前の時代にデモ動画とか観まくったのも大きかった。 並行してそれまでの雑誌文化が衰退してきた。それまで購読してたStudio voice、MARQUEE、クイック・ジャパン、危ない1号とかがみるみる終わっていった。(実際に終了したものもあれば、内容が変わっていったものもあるが。) そんなわけで自分はサブカル、悪趣味文化からオタクへと移行してきた。(たぶん、上流階級的なサブカルの人だったらそこで文芸誌や現代思想に向かったのだと思うけど、自分はそちらに行く素養がなかった。)
さてこれで自分はどういうトライブに属したかというと、ありがちなネット民(はてな的なギーク寄り)と化したんだと思う。自分は世代的にはバブル世代なのだけど、属している文化的なトライブは氷河期世代かもしくはもう少し若いところで、なんかちぐはぐになってる。星屑テレパスのアクキーとかぶら下げていい歳じゃないんだ。
同窓生の集まりで「昔の音楽は良かったけど、いまの音楽はわからん」って話を聞いたり、人生逃げ切ってアイリーリタイアしてる人の話を聞いたりとかしてうんざりしつつ、じゃあ自分はどうなの?と自問する。
研究者/大学教員をやっていると、親も研究者/大学教員をやっていたという話にしばしば出くわす。やっぱそういうものかと思うが、親を選べるわけでもなし、本人についてなにか思うことはない。でも、その周りが「XX先生はサラブレッドだからw」とか発言しているのをみたときは、嫌悪感が高まって、平静を保てなかったことを覚えている。
だんだんとっ散らかってきたので、ここまでとしよう。結論がなにかあるわけではないけど、自分は自分であるように掘り続けてゆくだけ、それがありがちなところに着地にするのだとしても。
いやいや、これで終わるのは逃げか。ブルデューから始まったのだから、「階級意識」に踏み込むべきだよな。まずは、上のように整理することが出来たのは、自分が隠し持っていた階級意識を直視できたから、と言える。
あともう一点、私は私で、独特の、強烈な階級意識を隠し持っているのだが、これは言語化しにくい。先日ふと気づいたのは、「誰もが忌み、やりたがらないことを人知れずやるやつがなによりも偉い」という強烈な価値観を自分は持っているということだ。でもそれはこの言葉が示すような単純なものではないし、「ノブレス・オブリージュ」とも違う。これは差別問題とも関わっていて、言語化に気を使うので、今はここまでしか書けない。
2024年04月04日
■ 「シュウェップス、ChatGPT、Believe me」(さうして、このごろ2023年4月後半)
「シュウェップス」ってあったなあ。ブラッドオレンジのやつが好きでよく飲んでた。浪人生だった頃だろうか(1987あたり)。たぶんアサヒビールの時代。いまは見たことがない。トニックウォーターは売ってるか。でもそれ以外はなあ。
twitter.com/ChainHokudai/status/1650708811601293313 これのつづき。
テッド・チャンによるNew Yorkersの記事: ChatGPT Is a Blurry JPEG of the Web。
LLMでゴミの記事とか画像とかが生まれて真正のデータと混ざったら地獄だよなあとかは以前から考えたことがある。でもこの記事では、Google検索は「可逆圧縮」であり、GPTは「不可逆圧縮である」という分け方をしていて、すごく納得がいった。GPTによる小論文がぱっと見まともに見えるのは、JPEG画像がぱっと見まともに見えるのと同じく、見る側の人間の特性なのだな。
かといってロスレスが問答無用に偉いというわけでもない。そしてそもそもロスレスな「引用」自体がそれ以前から壊れている(ソースのわからないインターネットミームとか)ことを考えると、ロスレスであるためにもっとできることはないかと思う。
あと、要約が不可逆であるとはいえ、人間が要約を組み込みながら新しい文章を作るときになんらか価値を生み出している。ならば不可逆であることとオリジナルであることの関係はもっとややこしいということがわかる。 とかいろいろ考えた。
“I believe you” と “I believe in you”は違うって話。 これは知ってる。"Believe me"の訳は「信じてよ」ではおおげさで、むしろひっくり返して「ウソじゃないよ」がしっくりくる。
このニュアンスを私は歌の歌詞で理解してる。Bob Dylanの“I don't believe you”は(昨晩あったことをなかったことにして、まるで会ったことがないような応答をされて)「ウソついてんじゃねーよ」ってニュアンス。
いっぽうでNeil Youngの"I believe in you"では、女性からの愛(now that you made yourself love me)に応えて、("I love you"ではなくて)「"I believe in you"とは言える」という修辞疑問文になってる。だからこれは、君の気持ちが本当であることは疑ってない、気持ちは受け止める、だがI love you と応えることはできない、というニュアンスなのだと思う。
…そう思うのだけどsongmeaningsとかまともな解釈がない。
「「コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された」件について」ブコメ
昔のブコメだけど、これは元記事が正しいなあ。数字の多い少ないの問題じゃないんだよ。面接って雑談ではないので、「能力が高くないと言えないこと」を提示すべきなんだよ。「面接では「能力が高くないと言えないこと」を言って欲しいだけなんですよ」
この点については、自分で面接官をやるようになって、より実感するようになった。とはいえ「能力が高くないと言えないこと」(それは知識量ではない)を言える人は少ないので、せめて「自分の頭で考えて言葉にできたもの」を引き出したくて、手を変え品を変え質問してる。私自身は毎回ほとんど助け船を出すつもりで質問してる。
ところで、あの悪名高い「2位じゃダメなんでしょうか?」も、質問した当人は助け舟的な質問をしたつもりだったんだと思う。(デファクトスタンダードを取ることのマーケティング的な意味での重要性とか。) 聞き方がまずいと思うけど。
このブログを読んだら、なんか、すごくよかった。
こうやって他人のブログを、記事レベルでなく、時系列追って読んでみるという経験はひさびさだったけど、なんか新鮮に楽しめた。10-20年前はよくやっていたことだったのだけど。
なにが良かったのかちょっと考えてみたけど、友人との交遊録とかそういうのが一切なくて、ただひたすら一人でなにかやっていることを綴りながら、それに満足している感じがすごくよかったのかも。
「最強の鬱マンガ」 自分はこのリスト、一冊も読んだことがない。鬱なシーンがあるものはあらかじめ評判を見て避けていたので、正解だったみたい。タコピーですら、話題になっていたときに察知して回避。カンペキ。
自分はこの種のものに引っ張られやすいと思っているので、かなり自衛を意識している。たとえそれで名作を見逃すことになったとしてもいい。
以前回ってない寿司を食べたのはいつだったっけな? と調べてみたら、2014年のことだった。
いまだから言えることだけど、あれは北海道医療大学にジョブインタビューに行った帰りのことで、それはけっきょく落ちたのだけど、とにかく面接を終えた私はその日晴れがましい気持ちで、雪道を二十四軒駅から歩いて向かったのだった。
あのとき以来回らない寿司には行ったことがない。
ここ行ってみたい。士幌線タウシュベツ川橋梁跡 この旧国鉄士幌線ツアーとかよさそう。
2024年03月26日
■ 「黄砂、サクラ開花、アナログハック」(さうして、このごろ2023年4月前半)
(20230413) 昨日の黄砂はすごかったみたい。朝駐輪場の自転車を見たら、自転車のシートがすっかり砂だらけになってる。昨日の夜に自転車置いてから一晩でここまでなってる。比較のために、汚れを拭き取ったあとの写真も撮っておいた。これほどのものは初めて見た。
(20230416) 札幌中央図書館に置く途中で札幌管区気象台に寄ってきた。ミニ大通公園の突き当たりにある。
「敷地内にある「ソメイヨシノ」の標本木」というのはたぶん1、2枚めにあるやつだと思うけど、近くまで寄ることができないので、開花しているかはっきりはわからん。
帰りに中島公園に寄ったら、こちらはたしかに桜が咲いてた(2枚め)。札幌にも春がきた!
「ChatGPTに名前をつけるとやり取りが泣きゲーと化して情緒が壊れ、感情を与えるとAIが人間をコントロールする"アナログハック"が起こる」
ChatGPT関連で「アナログハック」の語をしばしば聞くことが増えた。ここらでそろそろ積んでたBEATLESSを読むことにした。
アニメと小説と並行して進めるのがよさそう。小説だけだとバトルシーンとかイメージが湧かないし、アニメだけだと書き込まれた設定を読み取れないので。
Americaの"Sandman"の歌詞の意味だけど、砂男が眠気を誘う妖精であることから、不眠と(ベトナム戦争からの)PTSDと関連していると想像していた。でもこの記事が明確にしていた。
"Bunnell wrote this song based on some of those tales he heard, stories about how when stationed in Vietnam, they were afraid to sleep for fear of attack, so they would stay up as long as they could (sometimes with the help of various substances), since sleep could mean death. The "sandman" represents sleep, which they feared. Thus they were always "running from the sandman." (songfacts)
「やる気1%でも作れるご飯」 これはブコメに同意。やる気1%でこんなことできない。自分はだいたいこんなかんじ:
- やる気0%: 「布団から起き上がれない」
- やる気1%: 「トイレに行ってまた布団に戻る」
- やる気10%: 「冷凍ご飯をチンしてフリカケ」
- やる気20%: 「冷凍ご飯をチンして納豆ご飯」(納豆を混ぜるのにやる気の10%を消費)
- やる気30%: 「冷凍ご飯とあり物でチャーハン。包丁使わない、洗い物しない」
- やる気50%: 「これまで作ったことのあるのもをレシピを思い出しながら作る」(包丁使う、洗い物あり)
- やる気100%: 「初めて作るものを、買い物に行って食材を揃えたうえで、レシピをネットで検索してそれを見ながら作る」(包丁使う、洗い物あり)
LAで3ヶ月間住んでいたアパートをgoogle map出調べてみたら、いまもあることが判明。Bachelorタイプが当時は1000ドル/monthだったが、いまは値上がりして1600ドルになってる。
しかも2011年当時は1ドル80円台だったので月8万円くらいの計算だったが、いま住もうとすると1600ドル=21万円。ありえね〜
「ツイッターの「おすすめ」に慣れてきた」 これ半分はわかるけど、もう半分は認めたくない感じ。
自分はWeb2.0の時期(2003年)にはてなダイアリーを始めて、ブログに移行して書きつづけてきた。そこでなんらか知恵が集合するのを夢見ていたところがあったのだけど、けっきょくそれは「いかがでしたかブログ」とか「2ちゃんねるの一般化」とかそういうものに敗北した。
今でもそういうものに迎合したくないし、Googleの検索結果が商売に最適化されて、書籍の感想とかそういうブログ記事が拾えなくなってきたこととか、Twitterがイーロン・マスクに乗っ取られたこととか、そういうインターネットの現状にハッピーではない。
だからわたしは「ツイッターの「おすすめ」に慣れてきた」なんてことは言わないで、まだ抵抗している。Tweetdeckで限られたフォロワーだけで作ったTLしか見てない。そうして書いたツイート/トゥートで細々とブログ用の記事を書き溜めつづけてる。そうしながらも「老害」でないありかたで続けていくにはどうすればいいのか、答えは見つかってないのだけど。
2024年03月15日
■ 「悍体、玉光堂楽器センター、シューゲ」(さうして、このごろ2023年3月b)
網膜の「悍体 (rod)」の「悍」が「悍(おぞ)ましい」と呼ぶことを知った。マヂで?
「「外側?内側?」白菜は"どこから"食べるのが正解?」「料理の際は内側の葉から使うようにすると、栄養分を送る必要がなくなった外側の葉に栄養や旨味がとどまり、最後までおいしくいただくことができるんです。」へー、知らんかった。外側から剥がして使ってた。
いまテレビで流れてたYellow HatのCMのBGM、 すごくいいんだけど。これチルウェイヴじゃん。Youtubeで探してみた。これ。Youtubeのコメントでも高評価。 会社のサイトを見たが、音についてはとくに情報なし。
「研究の実験ディスプレイ、なぜあえてブラウン管型? 教授に聞いた液晶型との違い」
わかる。本質的な問題は遅延時間ではなくて発色の形式の違い。
「液晶型では、PCからの電圧入力によってディスプレイ表面のフィルター中の液晶分子の方向を揃えることで、バックライトの光を遮るシャッターを形成するという『間接的』な光の提示方法を使っています」というところ。
横軸に時間を取って光の量をプロットすると、液晶ディスプレイでは、フレームレートごとのスパイクみたいなのが続く。瞬きとか眼球運動とか、そういう速い事象(数msオーダー)と関連する現象に関わる研究では、そういうのを排除したい。
まあ、自分はブラウン管でないとできないようなことはやってないけど。
「玉光堂楽器センター」はススキノラフィラにあった時代にベースを買って、移転後はYAMAHAのエレアコを買った場所で、どえらくお世話になってきた。 2021年10月にあそこが閉店してからは、札幌には島村楽器くらいしかないのでけっこう困ってる。(BIG BOSSがあるが、あそこはメタル系で、なんか違う)
閉店の時のニュース記事を見つけたのでリンクしておく。
「最後まで読み通せるジャズ理論の本」宮脇 俊郎を読んだ(旧版のほう)。これはいい本だった。タイトル通り、最後まで読み通すことができた。Webサイトにあるmp3を聴くのを含めて、2日で合計3時間くらいで完了。
Cキーだけに統一するとか、いろいろ気配りがあって、とにかく最小限のことを伝えるという方針がはっきりしていてよい。
自分はまさにこの本が対象としている「エレキはペンタ一発で弾くことはできるけど、ジャズについても知りたい」に該当してた。だからダイアトニックコードとかまではわかってるので、5章のスケールチェンジして弾くあたりからが本番。6-7章でコンディミとかホールトーンとかあのあたりをついに理解できた。こうやってII-VのVの部分をアウトっぽくすることから取り組めばよいのか。
まずはギターは持たずに最後まで読み通したので、2周めはギター持ちながらやってみようと思う。
「逃げ上手の若君」が好きで毎週追ってるけど、史実を知らないので、歴史物なのにある意味ネタバレ無しで読むことができる。
…そのはずだったのに、「建武元年(1334年)大風により大仏殿が倒壊し、中にいた北条時行方の軍兵500人が下敷きになり死亡 。「太平記」」というのを読んでしまった。
まもなくこのイベントが来るってことか…中先代の乱以降はしんどいイベントばかりと察してはいたけれど、つまりこの大仏殿倒壊イベントが、下り坂(曇りイベント)の始まりとなりそう。
- - -
以前こう書いたけど、いよいよ月曜の103話がこのイベントらしい。
「ここからは下り坂」と書いたけど、ここですかさず新たな問題設定が提示されてる。
つまり、鎌倉奪還によってとりあえずの目標が達成したわけで、次の目標は打倒足利尊氏となるわけだけど、史実から時行が負けることはわかっている。そこで102話では「足利尊氏による神力の集中を削ぐ」という(史実を踏まえても実現可能な)目標が提示されている。
この目標を提示するのはこの時点しかない。敗走が始まってからでは言い訳がましくなってしまうので。
すごくうまくできていると思った。ああすげえ。
「豚のレバーは加熱しろ」もアニメ化のニュースが来てた(12月に)。 タイトルで爆笑して、原作ラノベを読んだら、コミカルだが過酷な世界観とどんでん返しで面白かったので、つづいてコミカライズも読むくらいにはファン。
アニメでの主人公のブタ役は(PVと同じく)松岡禎丞。これは期待できる。ボイスドラマの声優もヒョロガリ眼鏡感があってよかったけど、松岡禎丞であれば、ギャグシーンでのキモオタ感と戦闘シーンでのヒーロー感を両立してくれるはず。
制作会社はどこか、そして遠坂あさぎのキャラをアニメでどのくらい再現できるか、などが現時点では不明だが、期待してる。
リゼロのED曲"Stay Alive"が好きなんだけど、よくよく考えてみれば、この曲ってシューゲイザーだな。高橋李依がエミリアっぽくするために頼りなく歌ってる感じもはまってる。アニソンだからどうしてもボーカルをかなり大きくするミックスがなされているのだけど、もしサビの部分でギターが入ってくるところのバランスをもっとギターを大きくしてくれたら、自信を持ってこれはシューゲであると言える。
同じこと言ってる人を見つけた。
2024年02月18日
■ ChatGPTでブログの説明文章を作ってみた(2023年5月)
(20230506にChatGPTとかを使ったときにmastodonに書いたことのまとめ)
EdgeのBingでGPT4が使えるとことなので、プロンプト入れてみた。 「http://pooneil.sakura.ne.jp/ というwebメディアを宣伝するメルマガ文章を作成してください。」そしたら嘘八百の文章が出てきた。なるほどこれがハルシネーションってやつか。
次は以下のプロンプトでやってみた。「神経科学者の吉田正俊が作成しているブログ http://pooneil.sakura.ne.jp/ について一般向けに解説する文章を作成してください。」
なにひとつ合ってない!
「ブログのタイトルは「意識と脳とその周辺」というもので、彼自身が「意識と脳」に関心を持ったきっかけとなったビートルズの曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に登場するキャラクター「ポー・ニール」から取っています。」
「神経科学者の吉田正俊が作成しているブログ http://pooneil.sakura.ne.jp/ のタイトルが pooneil である理由について教えてください。」
クソワロタ > 「「Broken arrow」に登場する架空のキャラクター「Mr. Soul」の別名」
もう一回聞いてみたら、だいぶ近くなってきたが、ピグレットの話のあたりは100%ウソ。
ああ面白い。chatGPTが流行った頃に、みんなしてchatGPTの返事をTwitterに貼ってたときは他人事って感じで興味が持てなかった。でも自分でやってみると面白さがわかる。ということは他人から見たらやっぱりつまらんということだろうな。というわけでここまでにしておく。
といいつつchatGPTのほうでもやってみた。こちらもアホアホだったが、"regenerate responses"を押してたら、だいぶいいのが出てきた。自分で書こうと思ったら出てこないフレーズだ。なるほどこうやれば創造的にも使えるのだな。
さっきのはバージョン4で、こっちがバージョン3。こっちもなかなかよい。
こうやって生成したものを組み合わせて編集したら、ブログの紹介文を作ることができた。こんなかんじ:
神経科学者の吉田正俊が作成しているブログ http://pooneil.sakura.ne.jp/ のタイトルが pooneil である理由について:「pooneil」というタイトルは、吉田正俊氏が自身のブログに与えた名前であり、その背後には特別な意味と理由があります。
「Pooneil」という言葉は、1960年代のアメリカのバンドであるJefferson Airplaneの楽曲「The Ballad of You and Me and Pooneil」に由来しています。吉田氏はこの曲を好み、そのメロディと歌詞に触発されて、自身のブログにその名前を付けることにしました。この楽曲は実験的で前衛的な要素を持ち、当時のカウンターカルチャーや反体制的な運動にも関連していました。吉田氏は自身のブログを通じて新たな視点や先駆的なアイデアを提供し、異なる領域のクロスオーバーを促進していることから、このタイトルが選ばれました。
「pooneil」は、ユニークな造語であり、具体的な意味を持つ言葉ではありません。しかし、Jefferson Airplaneの曲の歌詞には、意識の拡大や新たな視点の探求、内面の成長などを表現した言葉が多く含まれています。吉田氏が自身のブログにこのタイトルを選んだことで、彼の研究と同様に、脳の神秘を追求し、新たな知識と洞察を提供する場としてのブログのコンセプトが表現されています。
また、「pooneil」という言葉自体が独特で記憶に残りやすいため、読者がブログを容易に見つけ、覚えることができる効果もあります。吉田氏のブログが独自性と魅力を持つことで、多くの人々が彼の研究や神経科学に興味を抱き、アクセスしやすくなるでしょう。
「Pooneil」というタイトルは、吉田氏の個性と彼が追求する知識と芸術の融合を象徴しています。彼のブログを訪れることで、独自の視点と魅力的なコンテンツが詰まった世界に触れることができるでしょう。
自分ではけっしてこんなこと書かないだろうから、執筆支援という意味で面白い。
(追記: 生成AIが生み出した文章はゴミであり、インターネットにそのまま放流するのは検索エンジンにゴミを食わせることであり、避けるべきと考えている。そういうわけでこの記事では最小限できることとして、生成した文章は(テキストとしてではなく)画像として貼り付けることにした。)
2024年02月17日
■ 20240217: ブログの設定を直しました
要旨: 「pooneilの脳科学論文コメント」https://pooneil.sakura.ne.jp/が正常に動くようになりました。また見に来てください。
1年くらい前からずっとこのブログ https://pooneil.sakura.ne.jp/に繋げることが出来ない状態が続いてた。昨年の3月のマストドンでこんなこと書いてる。
その後判明したことだけど、この電源トラブルというのは勘違いで、原因はブログの設定でSSL化をしてないからだった。
どういうことかというと、ブログを昔(2003年)セットアップして以来、設定を更新してなかった。このためURLがhttpsではなくてhttpのままだった。
それから時代が変わって、httpのままのサイトはセキュリティー上の問題があるとみなされるようになった。2023年あたりから、Googleの検索でhttpのサイトが検索結果に現れても、httpsにリダイレクトされるようにブラウザの設定が変更した。
そういうわけで、わたしのブログ(http)はgoogle検索には現れるけど、いざクリックしてみるとhttpsにリダイレクトされるので、htmlファイルが表示されないという現象が起きていた。
自分でブログの記事を見る際は、ブラウザのURLを手打ちしてhttpsをhttpに直せば、とりあえず閲覧自体は問題ない、とわかったのが1年前。
あとはブログのwebシステム(さくらインターネットを使ってる)の設定を直してやればいいのだけど、SSLサーバー証明書の入手とかいろいろややこしそうなので、そのままずっと放置してた。
今回ようやく意を決して、重い腰を上げて、設定をしてみたのだけど、やってみたらあっという間に問題解決した。
さくらインターネットのhelpページにあるSSL証明書を設定したい(共有SSL)の通りに設定画面を開いて、設定を保存したら、即httpsで開けるようになった。
今まであるファイルをhttpからhttpsにリダイレクトするためには.htaccessを編集する必要があると思っていたけど、これも設定画面で「HTTPSに転送する」にチェックを入れるだけで作業が完了した。ここまで所要時間5分。
さらにこれまでの記事をhttpではなくhttpsになるようにmovable typeの設定画面で作業して、全記事を再構築する。これも所要時間5分。
調べ物をしたりいろいろあって実働時間30分だったけど、いざ始めてみれば簡単すぎて驚いた。どうしていままで先延ばしにしてきたか。
ともあれこれで、「pooneilの脳科学論文コメント」https://pooneil.sakura.ne.jp/が正常に動くようになりました。また見に来てください。
2024年02月10日
■ 「春が来た(2023年冬版)、京大-名駅出張」(さうして、このごろ2023年3月)
(20230303) 昨日は飛行機が遅れたので、京都到着は20時を過ぎて遅い夕食になった。ずんどう屋で「味玉ラーメン脂多め」。天一系でうまかった。次回は「脂まみれ」を頼んでみる。そのあと三条大橋のブックオフに向かった。
(20230304) 今朝は荒神橋を経由して、医学部でラボ見学。昼に下鴨神社裏にある「ナカガワ小麦店」へ。「フリュイ・ルヴァン」と「シナモン・ノア」を買った。「フリュイ・ルヴァン」はよかった。有名店なのに安くてよかった。行きに通りがかった下鴨神社ではちょうど流し雛をやっていて、そうか今日は雛祭りかと気づいた。
そのあと午後に班会議で招待講演。そのあとはほぼ毎回質問した。今日はかなり貢献できたのではないかと思う。
(20230305) 名古屋に移動して名駅周りで探してたらKITTEにエリックサウスがあったので、そこでターリーセットにした。(腹いっぱいだったのでミールスはやめといた) でもひさびさにうまかった。札幌でカレー屋行っても感激することがなかったので、感覚が鈍麻したかと思っていたが、そうでもなかったようだ。
懇親会でもいろいろいいものが出ていたのだけど、参加者との話が盛り上がりすぎて、あまり食べることができず。
(20230306) 名古屋出張の帰り道にエクストリーム寄り道で大須に寄ってきた。
第2アメ横ビルは電子パーツ部分がだいぶ縮小していた。以前から縮小はしていたけど、ついに入って手前左は不動産屋になっていたし、その奥も閉店準備中だった。
それよりも驚いたのが、三洋堂上前津店が閉店していたこと。特徴的なガラスタイルの建築はそのままに、居抜きで2nd streetが入るらしく、準備中だった。大須に行ったときの周回コースの必須ポイントで、時系列データ解析本からボカロなどのDTM本までここで(おもに立ち読みで)お世話になってきたのだが、ついに来る時が来たという感じ。
(20230311) 街は雪融けが始まっている。雪の上に撒かれた滑り止めの小石が道に散らばっていて、まるで災害のあとのようだ。
今日はひさびさに自転車でブックオフ巡り。光星店から伏古店へ。自転車でないと行けないところなので、久しぶりだ。
それで気づいたのだけど、伏古店って他の店と違って快適だ。まずうるさい店内放送がない。何度も聞かされる、寺田心となかやまきんに君のCM(および90年代のヒット曲メドレー)がなくて、低い音量で目立たない音楽がかかってる。あとちょっと安い。
(20230316) 春になって北13条門のイチョウ並木の根雪が融けると、その下にあったギンナンが現れる。まだ気温は低いので臭くはないけれど。
(20230318) 雪融け記念で中央図書館まで自転車で行ってきた。いつもの南21条西14丁目交差点 (電車事業所前駅)。ちょうど雪ミク電車が来たのでそちらも撮影。今年は3/26までとのこと。
(20230402) 今日は卸売スーパー北42条店までお買い物に行ってきた。ヒートテック無しで行ったらまだ寒かったので、途中で手袋をはめた。100g 198円の牛肩ロースを焼いて、号泣しながら食べた。いい週末だった。
2024年01月02日
■ 「チャリで来た、春よ来い、はやく来い。」(さうして、このごろ2023年2月後半)
遠くで雪かきをする車(というかホイールローダー)が作業する音が聞こえる。がんばえ〜
チャリで来た(琴似まで)。今日は気温が5度まで上がるということで、スパイクタイヤでどこまで行けるかテストしてみた。
北大 北13条門から北5条通経由で琴似のブックオフまで。そこからふたたび北5条・手稲通経由で大通公園まで出て狸小路のブックオフと業務スーパーへ。トータルで14km/65分程度。
大きい道路は雪がないのでふつうに20km/hr弱で走れる。歩道は雪が融けてシャーベット状になっていて難儀した。こういうところは10km/hr以下になるし、危ないところは押して歩いた。
車道のルートの選択は重要。狭い道は除雪してないので論外。かといって環状通や石山通などの広い道(2車線と自転車レーン)だと除雪した雪が自転車レーンを埋めて2車線ギリギリを車が専有するので自転車が入る場所がない(ので歩道に退避する)。そういうわけで、北5条通くらいのサイズの、自転車レーンのない2車線が除雪によって1.5車線となるので自転車にとってはちょうどよい。
札幌は雪が過酷すぎて、除雪のため、自転車フレンドリーとかぜんぜん考えてもらえない。まあしかたないが。
大通公園を通りがかったら、先週までやってた雪まつりの雪像が取り壊されたものが見えた。祭りの後という感じ。
トム・ウルフの"Electric Kool-aid acid test"は「クール・クールLSD交感テスト」のタイトルで翻訳されているんだけど、訳も古いし、ヴィレヴァンの片隅で埃を被ってるような扱いなので、新訳が出てくれないかなと思う。
たとえば(同じく太陽社の)「禅ヒッピー」(ケルアック)が「ザ・ダルマ・バムズ」として講談社文芸文庫から出たみたいに。もしくは「禅とオートバイ修理技術」がハヤカワ文庫NFから再販されたみたいに。
そういう感じで、再発見されるだけの価値があるんではないかと思う。
以前のブログの記事: 「Electric Kool-aid acid testを読みながら年表を作成しているんだけど」
レッチリのフリーが影響を受けた本のリストの中に「スローターハウス5」(カート・ヴォネガット)に加えて「巨匠とマルガリータ」(ミハイル・ブルガーコフ)が入ってた。「スローターハウス5」は私にとって重要な本で、「巨匠とマルガリータ」はずっと積ん読リストに入ったままだった。これは読むべきか。
ジョン・フルシアンテのギター基礎練習。
ザッパに言及してる。"I have something like 12 Frank Zappa instrumentals that I play along with, and they go in the order of how difficult they are."
これって自分で選んだ12曲という意味かな。"The Frank Zappa guitar book"(Steve Vaiが採譜)から選んだとかかも。
「彼の曲は簡単なフレーズから次第に難しくなっていく曲が多いんだけど」これは誤訳だと思う。"they go"とは、簡単な曲からはじめて難しい曲に進めてゆくというルーティーンのことだろう。
昔はこういう謎翻訳に悩まされたものだが、いまはすぐ原文に当たれる。いい時代になった。
(20230219) ついに私のボッチ部屋にテレビを導入した。
今日中にセットアップしたかったんで、ヨドバシカメラで在庫のあるやつを買って、配送は断ってタクシーで運ぶことにしたのだけど、なぜかどこも出払ってて車がない。覚悟を決めて、ヨドバシカメラから北13条まで900mの距離を手持ちで運ぶことにした。
カタログによれば梱包入れて10kgくらいなんで、輪行で自転車運ぶのと同じくらいだろと思っていたが、思った以上にたいへんだった。雪道を転ばないように運ぶ、テレビの横方向に力を入れないなど、気をつけることが多かったので。幸い雪はほとんど止んでいたので助かった。
途中で空車のタクシーが通りがかったが、こうなったらもう意地だ。100m進んでは休憩の繰り返しで、でもなんとか到着した!トータル30分かかった。
いまは握力が働かないのでぐったりとしている。パソコンで文字を打つのもしんどい。なんにしろ、また偉業を成し遂げてしまった!ウェーーーい!
あとでテレビの梱包の箱を見たら重量が14.8kgって書いてあった。そりゃ重いわ! クロスバイクじゃなくて、ママチャリの重さだった。
と言いつつ懲りずにニトリに座椅子を買いに行って、ビニール袋でくるんでもらったものを地下鉄乗って運んできた。どうして俺の人生はこんな選択ばかりか。
この動画の0:27から始まるパートのノイズが凄くよい。これサンプリングして曲にしたい。Faustの"Why Don't You Eat Carrots"の頭の部分みたいだ。
今日は最高気温が3度で温かい。車道の雪も融けてる。来週は最高気温が概ね0度を超えていて、火曜日は最高気温7度の予測。これは街中が水浸しになる予感。春が近づいてきた!
ところで今年の冬は、昨年の冬よりは心がしんどくなかった。自転車が使えたからかもしれないし、思い切って地下鉄をたくさん使って移動したからかもしれない。コープの配送サービスを使って、買い物に行く手間を減らしたのがよかったのかもしれない。ともあれ、昨年の反省を踏まえて、いくつか対策を行ったことが奏功した。冬季うつへの対処法を掴んできたかも。
「生物学者のための科学哲学」について松前ひろみさんのコメント:「科学哲学の役割の1つにファシリテーターがあったと思うけど、本当にそうなっている書籍」
大塚淳氏のコメント:「生物学を「メタ」的視点からあーだこーだ言うのではなく、その「内」の思考プロセスを明示化するものとしての科学哲学」
どちらとも「生物学者のための」の部分を強調してる。これは読もうと思う。来世に、ではなくて。
いまこれ聴いてて気がついたんだけど、Trafficの"Dear Mr. Fantasy"のギターソロってDave MasonじゃなくてSteve Winwoodなのか!
たしかにアルバムのクレジットにベースはDave Masonってあるけど、でもアルペジオ弾いてるギターも入ってるし、多重録音してると思うじゃん?
でもここに書いてある: "Winwood on electric guitar and vocals, Mason on bass, Wood on organ and Capaldi on drums"
ここにも: "Winwood also showing off on guitar, with two wonderful solos on his white Fender Stratocaster - from his Spencer Davis Group days - connected to a Marshall"
ということは、"Welcome To The Canteen"での"Dear Mr. Fantasy"のextended versionのギターソロも、Steve WinwoodとDave Masonが交代交代で弾いてるのだな。最初のソロがSteve Winwoodで、次がDave Masonだろうな。アウトロではふたりのギターソロが絡み合うように演奏してる。ぜんぜん気づいてなかった。
「奢り奢られ論争」を見たけど、50代男性で、かつ月々の仕送りで一人暮らししている人間として率直なところ、「俺はおごりたくね〜」「俺におごってくれ〜」「他人の金で寿司食いて〜」「5000兆円ほし〜」って思った。(<-ダメだこいつ)
他人の金で寿司食いて〜どうして、だれも、俺に、寿司をおごってくれないんだ!!!
(20230227) 札幌は明日火曜日は最高気温が9度で、週末にかけて3-7度が続く。雪融けの季節がやってきた!
夕方に西日が入るようになってきた。これも春になった証拠だ。冬は(西向きの窓に)西日が入るところまで太陽がが来る前に日没していたから。
春よ来い、はやく来い。
(20230301)「札幌で11度超 2月の観測史上1位を更新 2月の10度超えは54年ぶり」
春が来た!もっと、もっと暑くなってほしい。今日の帰り道は、根雪が融けてツルツルになっていてたいへんだった。でも、もっともっと、どんどん雪が融けてほしい。
2023年12月31日
■ 「アーニャ像、恵方巻き、バックビート」(さうして、このごろ2023年2月前半)
冬に入る前に買っておいたスパイクタイヤ(SCHWALBE マラソン ウィンター プラス 20 x 1.60)に履き替えた。
さっそく試し乗りで北18条まで行ってボストンベイクでパンを買ってきた。30分くらい。日が暮れる前に、転んでもいいようにグローブと厚めの上着にて。スピードは下げて、なんならいつでも片足つけるくらいにして、それでもかなり緊張感があった。
スパイクタイヤなので、雪のない道では音がするが、そんなにうるさくはない。直線は問題ないので、横Gのかかるときに気を使う。構内の整地された雪道(車道と歩道)は問題無し。西5丁目通りのザラメ雪の残る車道も問題なし。でも整地されてない凸凹な歩道は怖い。
この調子なら大通やすすきのに行くのにも使えそうだが、いきなり無理はしない。徐々に距離を伸ばしてゆく。どのくらいだと転ぶのか限度を見ておきたい。
(20230203) 札幌の雪の生活にはいつまでたっても慣れないし、これは大災害disasterであって、雪は一生降らないでほしいと本気で思うのだけど、でも今日の雪がしんしんと積もるところを、街灯を通して見たときに、不覚にも美しいなと思ってしまった。それでも雪とは大災害であり、雪は一生降らないでほしいと本気で思うのだけど。
今日はなんか疲れたので、仕事をするのを諦めて、大通公園までウォーキングしてきた。なんかしらないけど、ライトアップしてた。いったいなんだったんだろう。(すっとぼけ)
東のアーニャ像と西のアーニャ像。通り掛かる若者が口々に「アーニャだ」と近づいて写真を撮っていて、かなり人気だった。
雪ミクのプロジェクションマッピングも録画しておいた。ちゃんとしたPAで音聞くのが久しぶりだったので、それだけでなんかうれしかった。 流れてた曲は今年の雪ミクのテーマソングとのこと。
昨日が満月で、さっぽろテレビ塔に向かって東に歩くとちょっと欠けた満月が登るところを見ることができたのだけど、撮影しそこねた。
「さっぽろテレビ塔」の名称をド忘れしたので「大通公園 タワー」でググってみたら、タワマンばかりが検索で引っかかってきて、ちょっとSEO対策されすぎじゃね?って思った。
(20230204) 今日は売れ残った恵方巻きが安売りをしているに違いないと、JR生鮮市場まではるばる1.5kmを歩いてきた。
「やれやれ。フードロスが云々」とかいいつつ半額のやつを確保するつもりだったが、売ってない。売り切れたのか、それともはじめから売ってないのかはわからないが。行くべきはジャスコだったか。
けっきょく山田肉店で牛テール大2で1000円と豚サガリと豚トロを買って帰ってきた。そんな生活。
「明らかに不便な「毎週1話」方式が日本で好まれる理由」 わかるわ(略 自分は「ビンジウォッチング」をする習慣がないし、アニメ一話分観たらもうSNSで感想探しするから、一晩で一話くらいしか消費できない。
この記事で「飛ばし観できない」と書いてあるのもポイントで、伏線やらよく観ないとわからない小ネタを散りばめたりとか、そういう考察が捗る系が私自身好きだし、そういう方向に内容を充実させたアニメが人気になっているという側面もある。
ケムリクサとか毎週追ってゆくのが楽しかった。リゼロは2期からの後追いだけど、毎話後に公開される公式のyoutubeコンテンツが充実していて、毎話追ってゆく楽しみを享受できたと思う。
「まちカドまぞく」は5巻まできた。はじめのあたりは魔法少女にやられて退散を繰り返して面白くないと思ってたが、だんだん話が展開して面白くなってきた。
なんか謎な感じだったので、アニメの方も観はじめたが、やっぱりはじめの方は面白くない。いま6話まで来てやっと面白くなってきた。つまりシャミ子と桃が拮抗してきてはじめて面白くなるのだとわかった。
まちカドまぞく第一期の最終回まで来た。「頑張れ優子。誰よりも優しく強くなるんだ」で泣いちゃったよ。これまでの「頑張れシャミ子」じゃないんだよ。ここで毎度の最後のナレーションが、ずっと見守っていたお父さんだということが確定するんだよ。そんなの泣いちゃうだろ。
まちカドまぞくは2期の5話まで来て、千代田桜が金元寿子だったのがすごくいいかんじ。金元寿子が当ててるキャラをはじめて認識したのは「弱キャラ友崎くん」の日南葵だった。そのあとでキュアピースだったことを知って驚いた。
パン屋(ボストンベイク)に行ったら、流れている音楽がなんかシューゲなやつで、ディストーションギターがフレーズナシの単音で鳴りつつけながらバッキングのコードが変わるってパターンで、誰の曲?と思ったがそのままアウトロで終了してしまったので判明せず。有線とかで調べればわかるのか?
有線放送だったら時間で調べられるじゃん、と検索してみた。幸い時間は15:30-15:45で絞り込めるから。チャンネルを片っ端から調べてみたら、 見つかった!これだった!「レイラ / 話をしよう」 フルで聴いたらまあふつうにJ-POPって感じだが、アウトロだけいきなりシューゲになる。ここ最高。
「日本人、バックビートで手拍子打てない問題」ってのがあるけど、たしかに繰り返し練習して体に染み込ませる必要があるんだよな。
自分は今までアコギ弾き語りでテンポとかぜんぜん気にしてこなかった。でもそれだとDTMでドラムに合わせて録音するときに問題がある。そういうわけで遅ればせながら、メトロノームを使って練習するようにした。さらにメトロノームのbpmを1/2にして、2拍と4拍だけ鳴るようにしてそれに合わせてギターを弾き、歌う。音ゲーみたいで面白い。遅い曲(80bmp以下)でピッタリ合わせるのはかなり難しい。
いったんリズムに入ればそれを維持するのは難しくないのだけど、そこに入るまでにちょっと戸惑いがある。やっぱりまだバックビートが血肉化できてないなと思う。
「ガチ中華」って札幌にないのかなと調べてみたら、好運来がよさそう。Twitterの記事に写真もあった。さいわい、北24条なので近い。北区役所の裏辺り。
「玉林酒家」 https://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010202/1001655/ こちらは中華料理として有名店っぽい。
2023年11月22日
■ 「都心北融雪槽、シャウエッセン、分断と融合」(さうして、このごろ2023年1月後半)
札幌駅北口の地下にある「都心北融雪槽」 こんなものあったんだ!夜中に雪かきしているショベルカーの音を聞くことがあるけど、まさにここに向かって雪が運ばれていたんだな。がんばえー
(20230128) 今日の成果物。いつもの通路が雪で盛り上がっているところが邪魔なので、スコップで削って平らにした。いい汗をかいた。
「三大一人暮らし始めて自分でスーパー行ったら高くてビビった食材」 わかる。シャウエッセンの値段(COOP通販価格で234g 430円)を知ってからは、もう業スーのウインナー(鶏屋さんのハーブウインナー: 500g 299円)しか買わなくなった。
リンゴ、ナシ、トマトは高い。札幌来てから買ってない。コンビーフとかスパムとかもバカバカしいほどに高いので買ったことがない。肉で100gあたり100円以下のものを買うのに慣れると、魚がありえないくらい高いことに気づいた。たまにホッケ干物を買うのがわずかな贅沢。鮭切り身は買ったことがない。道民なのに。
業スーの「ケイジャン風スパイス」100g 106円は安いのはいいんだけど主成分岩塩で、かけすぎるとしょっぱくなってしまう。
使いみちを思案していたのだけど、ポトフ作るときにコンソメキューブにこいつを加えるといい感じに風味がつくことを知ったので多用してる。
ジャンバラヤやガンボスープの味付けには向かなそう。ちゃんとしたケイジャンスパイスを買うべきなんだけど、3倍くらい高いからなあ。
院生の頃に家庭教師をしていた家はたしか初台あたりのマンションにあって、都営新宿線の新宿駅から京王モールアネックス経由で地上に出て、文化学園大学の前を通って、首都高4号新宿線をくぐったあたりという記憶があるのだけど、google mapを見てもあまりピンとこない。はたしてわたしはそこにいたのだろうか?自分の記憶が信用できなくなる。
さらにそのあとは渋谷の並木橋あたりにあった個人指導の塾で働いていたのだけど、そちらは渋谷駅から歩くだけでなく、表参道から青学と首都高3号渋谷線を越える陸橋を歩いて行った記憶がある。ということはたぶん常磐松公園の近くのアパートだったか。もう30年近く前の話なので、そもそも町並みも変わってそう。そう思ってGoogle map ストビュー見てみたら、変わらずゴミゴミとした町並みだった。
「京王モールアネックス」って書いたけど、当時(1990年代前半)は存在してなかった。(ついでに都営大江戸線が開通したのが2000年。) ということは、都営新宿線の出口が甲州街道沿いに西に伸びてる長い地下道を歩いた記憶があるので、たぶんもっと手前で地上に上がっているはず。
新宿西口の高層ビル街や初台周りの高級マンション群を見て、「俺もいつかビッグになってやるぜ」と思ったかというとそんなこともない。漫然と、自分とは縁のない世界だよなと思っていた気がする。
いちばん長く続いた家庭教師は大島四丁目公園の近くの江戸切子の職人のうちの子で、工房のある家で作業をしているのを聞きながら勉強を教えていた記憶がある。
記憶をたどってそのお父さんの工房を調べてみたら、見つかった。名前は出さないでおくけど、日本橋三越本店で製作実演したり、各種受賞してたりと、ガチですげえ人だった。
"INTERNET OVERDOSE"のPVいいな。ボーカルはKOTOKOでいわゆる「電波ソング」を令和に再構成という意図はわかるけどとか思って観てたら、2番が雫の瑠璃子の夕陽のシーンのオマージュだったんで、思わず泣いた。(泣いてない)
(私の目が節穴でないことを証明するために言うならば、夕陽のシーンは夕陽を背にして夕陽が隠れているところがミソなので、PVではその図までは同じにならないようにちょっとずらしてある)
ついでに調べてみたら、「さくらんぼキッス」の2022mixとか出てる。すげえ!
「不便になるインターネット」 わかるわ〜 たとえば書評を探したいときでも、Google検索すると、書店の宣伝みたいなのがずらりと並んで、ぜんぜんたどり着けない。商売に絡まないものはだいぶ押しやられている感じ。(この記事みたいな)面白いブログ記事に通りかかることが少なくなった。
たぶんこういう最適化が進んだことでネットで食えるようになった人は増えたんだろうと思うけど、自分はハッピーではないな。
デヴィッド・クロスビー死去のニュース。自分は中学時代から長らくCSN/CSNYのファンだったが、実際にコンサートに行けたのは2015年のブライトンでのCSNのコンサートが最初で最後だった。
今年は雪まつり開催するみたい。先日大通公園を通ったときに、石像を作るための四角い雪の塊がいくつも並んでいて、ああこれを削って作るんだ〜とか思って見てた。
Youtubeで「2頭のかわいいカワウソ」の映像を見てたら、サーモンを与えている回があって、俺よりいいもの食ってるじゃねえかと死にたくなった。
「東京で車は必要ないと思っていたけれど、心の底から買ってよかった」 このブコメが酸っぱい葡萄だらけなんだけど、保険会社の宣伝記事なんだから、これを読む対象者は都内に住む子連れで車を持つ可能性のある家族で、世帯収入が少なくとも1000万円以上はある人たちなんだよな(私も含まれない)。
上記の話題自体はあくまで話の枕で、言いたいのは、こういう記事がターゲット以外の人にリーチして無意味なコンフリクトを起こさないようにするにはどうすればいいのかなと思う。とはいえ会員限定サイトでは広がりがない。
爆サイ見る層とはてな見る層が自然に分断されているのと同じように、高収入層と平均収入層とが分かれてもおかしくないのに。
このことは逆説的に、はてなが高収入層と平均収入層(や都心と地方とか)などが入り混じっていて、分断がまだ深刻化してない、ということを意味しているのかもしれない。
「なめらかな社会」が情報の共有化を意味していたとしても、自分宛てでないメッセージが無差別に届くような状況が良いとは思わない。
Youtubeで「2頭のかわいいカワウソ」の映像が流れるときは、「この映像を作っている人は海外で裕福な家庭での生活を映像化してます」ということを開示してほしい。
いや、開示しなくてよいんだけど、分断と融合とのはざまで割り切れない気持ちが残る。心がふたつある〜
その昔、雑誌というのは「クラス・マガジン」としてそういう役割を果たしていた、とは言えるかもしれない。そこに戻ることは不可能だから、インターネットでなにか代替物が必要なのだと思う。
酸っぱいものぜんぜんダメ。梅干しは「はちみつ入り、甘い」というやつですら酸っぱくてしょっぱすぎる。レモンとかもぜんぜんだめ。
辛いものぜんぜんダメ。カレー屋で激辛的なものは食べたことがない。味仙の担々麺もつらかった。
熱いものぜんぜんダメ。猫舌なんで、味噌汁を飲むという習慣すら無い。
自分は食べ物として好き嫌いはないと思っていたけど、不得意なものたくさんあったわ。
子どもの頃は触覚も過敏だった。ハイネックのセーターは首がチクチクするのが嫌いで、後ろについているネームをとってもらったりしてた。
子どもの頃はいつも貧乏ゆすりしてた。成人して控えるようになったけど、いま個室で働くようになって、気兼ねなく貧乏ゆすりしてる。
いわゆる感覚過敏ってのはあまり該当するものがなかった。とくに聴覚や視覚についてはなにもない。照明が眩しすぎると感じることもないし、雑音にイライラしたりしない。
小学校低学年くらいまでは気に食わないことがあると泣いて机で突っ伏してた。
球技は得意だったけど、体操は全般的に不得意。逆上がりもできなかった。
いろいろへんな子どもだったんだけど、こうしていま生きている。
2023年11月01日
■ 「白い恋人パーク、都電、カジカ鍋」(さうして、このごろ2023年1月前半)
(20230104) 札幌は12月頭から根雪がある状態がつづいている。前回の冬はなんどか滑って転んだので今回も覚悟していた。
でもいまのところ雪質がよい(温度が低すぎて昼に融けない)のと、ワークマンの氷雪耐滑防水シューズ(レイキャビク)を買ってあったので、いまのところほぼ問題ない。ヒヤリハット事象もゼロ。道路の交差点は流石にツルツルなのでちょっとは滑ったことがあるが、いまのところ危なげなくクリヤーしている。
ヤマノススメ4期 最終回観た。グランドフィナーレって感じでEDが流れて、感涙してしまった。内容的にもこれで終了で、5期はないだろう。でも満足した。
今日は休暇にして発寒から宮の沢ルートを散策。「白い恋人パーク」に行ってきた。入場料は800円だが札幌市民は500円。周りはカップルか親子連れで、ディズニーランドに一人で行くのに近い難易度はあったが、工場の機械が面白くて細かいことはふっとんだ。
2枚目の写真、一枚うまく完成しなかったものが左に見える。これは後段でチェックしている人にはねられる。3枚目の写真で8枚入りの箱に梱包されるところが見える。こんな複雑な機械じかけがちゃんと動いているということ自体がただただ面白い。こうやって完成した商品が写真1枚めにある青いトラックで運ばれてく。
ショップコーナーは混雑していたが、華麗にスルー。財布の紐は緩まないのだった。
「チー牛」「ピザデブ」って言葉がある。自分はライフスタイルがキモオタ寄りなのだけど、チーズ掛けってものにまったく興味がない。ピザとかグラタンとかもほとんど注文したことがない。そもそもチーズって油の塊の割にはうまいと思えないんだよな。
んでそんな自分を開拓するために家でドライカレーにチーズを載せてレンチンしてみた。それ食べてわかった。すごく熱い。わたしは猫舌なので、冷まさないとチーズ掛けしたものは食べられないのだった。
つまり「チーズってうまいと思えない」っていうのも後付けの説明であって、熱いチーズを掛けたもので口の中がやけどしてからそれを忌避しているだけだった。
人間による原因の説明など当てにならず、後付けの合理化であって、ほとんどの行動は連合学習である、という実例をここに見た。
「Pythonではじめる 音のプログラミング: コンピュータミュージックの信号処理」を見つけた。「サウンドプログラミング入門」の著者がC言語でなくPythonで書いたということでこれはとっつきやすそう。 よくよく見てみたら、北大情報科学研究科の方だった。
そこを辿って知った北斗電子の「サウンドエフェクタ」。C言語で書かないといけない。勉強のためにはいいけど、音作りたいという方向ならmax4liveで書けたほうがよいので、sigboost (M4Lで書いてFPGA)のほうに興味が湧く。まあそんな時間もないのだけど。
都電 大島三丁目・竪川通を見た。
- 02は北に向かって4丁目団地が写っていて、左手に「ヨシカワロード」(溶接屋)があって、ここはいま城東郵便局になってる。(城東郵便局ができてからもしばらく残っていたはず。)
- 04と05は南に向かって、首都高小松川線がみえる(1971年開通)。左に小林酒店とその奥に福寿庵(そば屋)が見えるが、どちらともいまも営業している。
- 06と07の左に見えるのはたぶん貸本のある駄菓子屋のはず。井上陽水の「小春おばさん」の世界だな。
「都電の記憶」https://youtu.be/oHOJn1O3M78に注釈:
- 9:09 が南に向かって首都高が見えるので1971-72年頃。さっきの写真にもあった電気屋と「福すずめ」(飲み屋?)がある。
- 9:47 今の竪川人道橋のあたり。右手に見える「東京鐵鋼」は1976年に全面閉鎖した。長らく瓦礫の山となっていた場所を探検した記憶がある。星座の観察をしたり、花火をやった記憶がある。この跡地に城東高校ができたのは1978年あたり。ウィキペに寄ると東京鐵鋼と日本ロールの跡地だったらしい。
- 14:45 ふたたび同じあたりだがカラー映像。
- 15:11 竪川に丸太がたくさん浮かんでる。そういえば当時の江東区の運河はだいたいこんな感じだった。
- 19:00 ふたたび竪川人道橋あたり。車両の揺れ具合がこれ大丈夫かという感じ。
- 1ページに見える「第二精工舎」の工場と本社が移転したのが1993年で、サンストリート亀戸がオープンしたのが1997年。ここには長らくお世話になった。正月にお年玉をもらった子供を連れてトイザらスに行ったりとか。
- 2016年に閉鎖して、長らくそのままだったが2022年にタワマン(プラウドタワー亀戸クロス)が建って大型商業施設「カメイドクロック」ができた。まだ実物は見てない。あんなところにタワマンができて、入居者がSAPIXとか低層階では米が炊けるとか「ブリリア!ブリリア!」とか言ってるのかと思うと感慨深い。(<-タワマン文学と現実の混同)
卸売スーパー北42条店に行ったらカジカが売られていたので、今日はカジカ鍋。卵と肝臓と身がちょっとであとはアラで430円。白菜とエノキに昆布と味噌でだいぶいい感じにできた。 自分は一人暮らししていても独り言を言わないタイプだが、今回ばかりは思わず「うめ〜」と言葉が出てしまった。 材料費600円で3食分できた。これで明日は鍋三昧(サマーディ)。
「自分のツイートの最後に括弧を使ってセルフツッコミを入れないと耐えられない体になってしまった」
すごくわかる、つか言葉は発した瞬間に言いたいこととどんどんずれてゆくのだから、せめてセルフツッコミでもしてかないと追いつかないと思うんだ。
そういう意味での「誠実さ」のためにやっていることなんで、自分としてはセルフツッコミを消そうとは思わないな。
「ブリリア!ブリリア!」
2023年10月01日
■ 「さっぽろ羊ヶ丘展望台、アイスバイン、ヒートアイランド現象」(さうして、このごろ2022年12月後半)
(2022/12/17) これまでの冬は自転車は諦めて冬季駐車場にあずけていたので、翼の折れた天使(エンジェル)だった。でも今年は違う。小径車用にスパイクタイヤを買っちった。シュワルベのマラソン・ウィンター20x1.60。これで雪道でも翼を授かった。取り付けはまた今度。楽しみ。
(2022/11/25) 今年まだ一度も海に行ったことがないぞと気がついたので、石狩灯台まで行ってきた。海岸なのに奇跡的なまでに無風で、この季節にしてはありえないくらい温かい砂浜を歩いてきた。
マストドンでだれとも繋がらずに壁に向かってしゃべるのって、やってて虚しくなるかなと予想していたが、あんがい続いているので、ただただ書いて吐き出したいらしい。
先週さっぽろ羊ヶ丘展望台まで行ってきた。ちょうど看板リニューアルの次の日だったみたい。
さっぽろ羊ヶ丘展望台はがっかりスポットと呼ばれることがあるが、たしかに観るところはクラーク像くらいしかないので、これのために行くというよりも観光バスのコースの一つとして消化するのが正解のスポットだと思った。眺めはいいけどクソ寒いので、あまり長く滞在できない。
売店に雪ミクコーナーがあったので、キーホルダーを買ってきた。これまで2020年1月に買ったのをずっと使ってたので、世代交代。
イナダシュンスケ氏の記事でドイツ料理のアイスヴァインについて書いてる。
そういえば大学院時代、大先生に連れられて麹町のパウケに行ったなと思い出した。まだやってるのかなと調べてみたら、なんと閉店。食べログ 時は移り変わってゆくのだな。このブログ記事に歴史的経緯が書かれてる。
(2022/12/19) 札幌の中心部に在住していると、冬は厳しいとはいえ-10度を下回ることはよっぽど無い。そういうものかと思っていたら、どうやらヒートアイランド現象によるものらしい: 北海道の気候
ちょっと離れると、たとえば江別とか石狩とかでも最低気温が-20度を下回る。なんならもっと暖かくなってほしいが。
"Sign up to be the first to know about new features"っていうから何かと思ったら、たんに「これからメール送りつけてもいいか」のオプトインだった。持って回った言い方しやがる。
covid-19が収まったらボイトレ始めたい。
TSUTAYA札幌琴似店が閉店しとる。あそこは面積も広くて、スタバが併設されてて、いいかんじの店だったのに。いま札幌中心部のTSUTAYAは全滅で、ゲオしかなくなってしまった。マヂか。(郊外店で菊水、南郷、美しが丘、あいの里が残ってる。)
ひさびさにニコニコ動画に繋いで音楽聞いてみたら、youtubeで観ているのとは違った喜びがあるな。CANの"Oh Yeah"でダモ鈴木が「ひとりでそこに座ってる 頭のイカれた奴」って始まるところで「くるぞ…くるぞ…」って言ってて「キター!」ってなるとそれだけで謎な感動が生まれる。それは今聴いても変わらなかった。
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』には興味があるが、なんか「読みだしたら止まらない」的な熱烈な評価ばかりで逆に今読まなくてもいいかと思ってた。
でもpha氏の感想を読んだから、「流し読みで読んでも筋がわかる」「基本的に一本道の話を進んでいくだけなのであまり驚きはない」「確かに読みやすくてウェブ小説ぽくて、日本のなろう系とかとも通じる」 と一歩引いた書き方をしてた。なるほどそういうものなら、構えずに、時間のあるときに読もうかなと思った。
(20221223) ぼざろの最終回は24日24時からなのでabemaでリアタイしようと思う。深夜アニメでリアタイ視聴なんて人生初かも。(テレビを持ってないもんで)
(20221225)ぼざろの最終回観た!エンディングがぼっちちゃんボーカルになるところまでは予測できていたけど、選曲が、そうきたか!
さっそくぼざろ最終回の感想を漁ってみたけど、「ボトルネック奏法でやってることがよくわからない」というのがあって、なるほどそういうものかと思った。
(弦をネックに押さえつけなくても、弦を浮かしたままボトルネックで押さえれば、フレットに依存せずポルタメント奏法ができるという原理は、ギター弾いてない人には必ずしもわからないということ。)
ぼざろは原作を2巻まで読んでいたので、アニメ化のニュースに期待はしていた。でも、まあ目立たない作品として埋もれるだろうと思ってた。まさかこんなにブレイクするとは思わなかった。
「『ぼっち・ざ・ろっく!』若い子よりもアラサーに刺さってる説 」というのを見て笑った。そりゃあそこで鳴らされているのはゼロ年代ギターロックだから、いまの中高生の多数派が聴く音楽ではないよな。
でもそもそもゼロ年代だって、ギターロックは陰キャが聴く音楽だったわけで(オレンジレンジや湘南乃風ではなくて)。ある限られた層に刺さるようなものであっても、それが集まればこういう風にブレークしうるということなんだと思う。
(ちなみに自分はこれまでのバンドアニメ、たとえば「けいおん」「バンドリ」の音楽にはまったく興味が向かなかった。)
「星座になりたい」は歌詞に天体ネタが散りばめられてる素敵な曲で好き。「描こう絵空事」のところはネガティブ思考感あって、ぼっちちゃん作詞っぽさが出てるなと思っていたのだけど、くり返し聴いていたら、「絵空事」のなかにも「空」が入ってることに気がついて戦慄した。いや、歌詞カード見ながら聴いてる人にとっては明白だったのかもしれないけど、繰り返し聴きながら自力で気がつくと、なんかすごい歌詞を読み込めた感じがして、とても良い。
なお、アルバム「結束バンド」でいちばん好きなのは「フラッシュバッカー」。イントロの段階でもう好き。これシューゲだよね。
頭が働くなってきたので、ちょっと休むかとギターを持ってみたら、井上陽水のギター譜があるのを思い出して、10年ぶりくらいに開いてみた。アルバム「断絶」全曲原曲キーでフルコーラス、を始めてしまった。まったく問題なく弾き語りできてしまった。技能知ってすげえな!
2023年09月23日
■ 「石狩灯台、ぼざろ、例のドレス」(さうして、このごろ2022年11月-12月)
(2022/11/25) 今年まだ一度も海に行ったことがないぞと気がついたので、石狩灯台まで行ってきた。海岸なのに奇跡的なまでに無風で、この季節にしてはありえないくらい温かい砂浜を歩いてきた。
石狩灯台前の海岸。動画版。
ぼざろでのぼっちちゃんはいじめられているわけではなくて空気系ボッチという意味で、ワタモテと同じなのな。どちらも凄惨ないじめ描写があったりとかはしなくて、優しい世界で、主人公が空回りしてボッチ化する。たぶんバランス的にそのくらいがちょうどよいのだろうな。(もしネガティブ思考の主人公と悪意のある世界だと、描写がしんどすぎることになるので。)
「ぼっち・ざ・ろっく」8話観た。原作読んでるんで話は知ってたはずだけど、音が付いたら感涙した。
第5回のオーディション曲も良かったけど、それでもひとつ不満だったのは、曲中のぼっちちゃん覚醒のタイミングで音楽的には変化が見えないことだった(サビのギターは好きだけど)。「響けユーフォニアム」で見られた、演奏の内容がそのつど話に合わせて変わるのと同じようなことは期待できないかと思っていた。
でも今回の「ギターと孤独と蒼い惑星」がガタガタなのがあって、その空気を一新する「あのバンド」の始まり部分で、音で説得力出す展開が出てきて、もう最高だった。
こういうのを待ってた!あれ聴いたら、ひとりがギターヒーローであることに虹夏が気づくというくだりにも説得力が生まれる。ほんと、アニメ化されてよかったと思う。
ググろうと思って「け」って入力したら「けものフレンズ たつき 復活」ってサジェストされて、俺のGoogleスゲーって思った。
ついでにdアニメでけもフレOPを観たら、ラストでまだ登場人物が現れてないバージョンだったので、それ観ただけで涙が出てきた。
シャニマスのことはいっさい知らないけれども、「円香日記」は好き。
ひさびさに夢らしい夢を見た。どこかの都市(博多と金沢が合体した感じ)に出張で赴いたのだけど、訪問先が駅の南すぐのところだと早合点して行ってみたら、そうではなくて、駅南のちょっと西に寄ったところであることが、以前の地図に書いてあった目印からわかった。その地図とメモには見覚えがあったので、以前訪れたところだと思っていたけど、目が覚めてそれは夢だと気がついた。
さて問題は、その「見覚え」というメタ認知さえも夢で捏造されたものだったのか、それとも同じ場所を訪れる夢を以前に見たことがあったのか。どちらかは判断がつかない。
今日大学1年生向けの講義で「例のドレス the dress」の話をしたんだけど、よくよく考えてみればあれは流行ったのは2015年なので、受講生は当時小中学生で、もしかしてリアルタイムであれを経験してなかったんではと気がついた。
「橋の下世界音楽祭2017ダイジェスト/切腹ピストルズ」 この年は見に行ったのでこれ参加した。Twitterでのポスト 「そのあと切腹ピストルズ行ったら既に始まっていた。しかもPAの調子が悪いのかエレキ三味線の音が小さくて太鼓しか聞こえない。でもオーディエンスはお構いなしに曲が始まるたびに大暴れ。私もなんとか参入して暴れてるひと押し返したりしながら参加。そういうわけで膝ガクガクになった。」
このときにOKI DUB AINU BAND観て、トンコリの音に惹かれたのだった。
Little Featは"Willin'"の歌詞がトラックドライバーがいろいろ密輸したりするのとか、"Truck Stop Girl"って曲があったりするので、トラックドライバー推しなのは知ったけど、それはLowell Georgeの人生を反映してる(ガソリンスタンドでバイトした経験がある)ということらしい。
"Truck Stop Girl"の歌詞をちゃんと読み込んでみた。"This is the last time we can meet"ってくだりがあるからなんか事故死でもしたのかと思ったらそうではなかった。(彼が惚れていた)"Truck Stop Girl"にそう言われたのだな。それでつい酒を飲んでしまって、そのためドライブインから出発するときに、積荷がずれてたのを直すのを忘れて出発したから、積荷を落っことしたってことな。書かれてはいないけど積荷をそこらじゅうにぶちまけてしまったのだろう。
ただわからないのは、"the stare from all those around him"のところ。周りに睨まれてドライブインから退散したってところ?
私にとって「フレデリック」といえばオドループの方ではなくて、90年代のネオアコグループの方だよなと思いだしてググってみたらぜんぜん情報がない。wikipediaもないし、レビューとかもない。見つかるのはdiscogとヤフオクだけ。
自分は「Pudding」が好きだった。1991年におマンチェ/ネオサイケになって出たこのアルバム。多分バンドの本意ではなかったのか、ふたたび次のSheep & Childrenではフォーキーな音に戻るのだけど、わたしは「カッコーの巣の上で」とか「かけらを探しに」とかが好きだった。また聞きたいけどyoutubeにもないし、CDもどっか行ってしまった。
90年代ついでにpaint in watercolourはあるかな、ないだろなとyoutube musicを検索してみたら、見つかった。スゲエ。 "creeper"だけでも聴くことをオススメする。スピッツ的なギターロックの名曲。ブリッジまでくると痺れる。
調べてみたら、paint in watercolour再結成とのこと。 creeperの新録もyoutubeに公開してる。
このブログのアニメ批評は面白い。ゼロ年代のギャルゲ論壇を思い起こさせるものがある。
こういう魅力的なコンテンツはこれまでだいたいはてブで見つけてきたはずなんだけど、見逃してた。今回はたまたま「AI拓也」経由で発見した。
これとかもすごくよい。なんせバズらないのか訳がわからない。
2023年08月31日
■ 「札幌市時計台、野中郁次郎、北海道博物館」(さうして、このごろ2022年11月版2)
今日は北海道博物館まで行ってきた。自転車で片道50分くらい。擦文文化とオホーツク文化が混ざり合うところとか、アイヌ文化への移行、松前藩の支配、そのへんの歴史が一通り追えたのでとても有益だった。
北海道博物館前でパンを食べてた私をびっちりマークしてたカラス。近寄りすぎだろ。YouTube
札幌市時計台ががっかりスポットだというのはまあしょうがないのだけど、あれは歴史的建造物だから、歴史を感じて味わうものなのだと思う。ビルが立ち並んでいるのをとっぱらって想像してみよう。明治時代には北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎)の斜め向こうにこの札幌農学校演武場があった。そういう時代に思いを馳せながら時計台を見ればよいのだと思う。この地図のp.2がおすすめ。
いまマイケル・ポラニーについて知るために「複雑さを生きる―やわらかな制御」を読んでるんだけど、ブログとかの感想を探そうと思ってググってみたらぜんぜん出てこない。
30件ヒットして、はじめの2ページはアマゾンとか楽天ブックスとか「その本を買う人」のための情報で、「その本を読んだ人」のための情報は3ページめにやっと出てくる。以前のGoogle検索はこんなではなかったと思う(本を読むときにググって感想集めるのはそんなに苦ではなかった)。Googleが収益を最大化するとこうなるということなのだろうと推測するけど、こんなの間違ってるよと思う。
なんかいろいろ経緯があって、いま野中郁次郎の新著(「ワイズ・カンパニー」)を読んでる。俺が経営学の本を読むことになるとは…と人生面白い。もともと「知識創造企業」の段階で西田哲学の「場」の概念とか言ってたのだけど、「ワイズ・カンパニー」でもエナクティヴィズムとか言ってる。ほかにもアリストテレスとか出したりして多少コケオドシなかんじはあるが、それはそれとして興味深い。
ドンキ新川店の交差点から西に向かって山を見たら、山の上になんか構造物がある。あれはなんだと帰ってからgoogle mapで調べてみたら、サッポロテイネスキー場だった。
ひさびさに遊佐未森聴いて、そうか、島みやえい子の歌声になにか懐かしいものを感じていたのだけど、これか!と思った。
ヤマノススメnext summitのOPで、登場キャラたちを送り出す側(お父さんかお母さん)の視点からのシークエンスがあるのだけど、あそこ観ると感情移入して泣く。といいたいところだが、感情が鈍麻しているので泣かない。でもあそこはいいと思う。
「独身男性が凝りがちな自炊料理 最終完全決定令和最新版2022」 わたしが作ってるのとだいたい合致してる。「独身」とか「男性」とか括らなくても、家族のためとか、パーティーで披露したりとか、そういう「他人のため」でなくて自分のために作るとだいたいそういう方向に行くんではないかと思った。そんな私はいまは低温調理器具買うかどうか思案してる。
今の方針としては、調理器具は増やさない(部屋が狭いから)、揚げ物はやらない(事故防止)、パスタは作らない(炭水化物過多を避ける)、ということでなるたけ手間を掛けないようにしてる。紙皿とアイラップを躊躇なく使って洗い物を最小限にしてる。(食洗機を置く場所はない。)
そういえば札幌に来てからまだパエリア作ったことないなと気づいたのでやってみた。おっさんが凝りがちな自炊料理。有頭エビ5本で298円を投入。いいかんじになったが、ちと焦げた。最後に中火にして水を飛ばすところで、パチパチ言い出したらもう終了(+蒸らし)すべきだったが、そこからちょっとおこげの臭いがするまで30秒追加したのが敗因か。忘れぬうちにまたやってみる。
Strawberry Alarm Clockはだいたい"Incense and Peppermints"だけ聴いて飛ばしていたのだけど、改めて聴いてみたら、"Strawberries Mean Love"っていい曲だな。
ダマジオの意識本の新刊なんだけど、ダイヤモンド社から出版されるとこんなふうに自己啓発本っぽいカバーと宣伝になるところが面白い。amazonの書影「意識=人間の成功の鍵」ってなんだよw やっぱ売ろうとすると「成功」がキーワードになるのだね。
くぅ〜疲れましたw (<-論文サブミットdoneを婉曲的に表現)
2023年07月30日
■ 「歯車」が出た!(2年ぶり人生で3度目)
以前、閃輝暗点を経験したことがある。視野の中に歯車のようなものが見えはじめて、だんだん広がって消えるという現象だ。芥川龍之介の短編小説「歯車」で記述されているので、わたしは「歯車」と呼んでいる。
これは片頭痛の前触れとして知られていて、この歯車を見たあとに吐き気が起こったり、頭痛が起こったりする。人生でこれまでにわたしは2度だけ経験したことがあるのだけど、さいわい私の場合頭痛とかで苦しんだことがない。
今回ちょうど寝る前に「歯車」を経験して、詳細なメモを取ったので、ブログ記事にしてみる。(改行のみ変更。文面に変更なし。)
- 23:56 ちょっと前が見にくいと思ったら、歯車だと気がつく
- 23:57 中心の右半分側に歯車が出てきた
目をつぶっても見える。中心視野にあるので、キーボードで文字を打つのがやりにくい - 23:58 いま腕の先の親指の爪の幅の2倍位 = 2-3deg 目をつぶっても見える、明確な虹色をしたギザギザが右側に弧を描いている
- 00:00 あっという間に大きくなってきた。現在親指の爪の幅の4倍くらい。楕円の右半分だけ。弧この部分がギザギザの虹色で、その中は白く輝いている感じ。目を開けても視野上に重なってみる。
これまでの経験では吐き気がしたことはない。次の日頭痛がする。
以前は左視野だった記憶がある。
今回は明確に右視野に出ているので、明日は左側の頭が痛くなるはずだ。 - 0:06 いま歯車は手を伸ばした先でA4の紙の横幅くらいになってる
虹色のギザギザがだいぶ大きくなってきた
目を動かすと一緒に動いてしまうので、歯車の右端の位置ははっきりはわからない
スキップとローファーの第9話を見始めたところだったのだけど、歯車が出だした時点でストップして、座椅子に座って安静にしている - 0:09 だいぶ大きくなってきて、右端は視野の中にあるかどうかわからない
歯車の上端は手を伸ばした先でA4の紙の縦幅くらい
でも歯車の下端ははっきりとしないので、中心視野からA4の紙の縦幅/2くらい上にあるという意味
というに気分が悪いとか、視野以外に変なところはない - 0:12 右目だけでも左目だけでも、両目つぶっても見える。
歯車は明確に動いているわけではないが、なんかチカチカするかんじ。かといって点滅しているわけでもない。例えるなら、「回転する蛇」の錯覚のように、動いてないものが動いているように感じる、という経験。 - 0:14 歯車の部分はほぼ視野の一番端っこの方まで来ていて、円弧の中の明るい部分が右半視野に広がっていて邪魔をしている。ラップトップでキーボードを打つ際には、歯車はそれよりも外にあるので、打ちやすくなった。
- 0:16 歯車の部分はほぼ視野の外に消えた。目をつぶると、まだ円弧の中の明るい部分が右半視野に残っている感じがする
- 0:19 歯車も円弧の中の明るい部分も完全に消えた。右視野は普通で、べつにscotomaがおこっているわけではない。つまり、「円弧の中の明るい部分」というやつが、閃輝暗点でのscotomaに対応しているらしい。
23:56の出現から24:19に消えるまで、持続時間は23分。
今回は出現に気づいたのがパソコンを打っているときだったので、時間とかもかなり正確。貴重な記録が取れた。
- 0:23 左の後頭部が重い感じがする。まだ痛みが出ているという感じではない
- 0:34 まだ痛みは出てないが、いまのうちにイブプロフェンの2錠飲んでおいた
- (翌日) 寝坊したが、とくに頭痛もなく。普通に生活した。
メモはここまで。よりによって日曜の革新脳グループでの進捗報告会前に追い込みをするタイミングで発症した。
でも以前の記録を見ると、閃輝暗点は人生で2回だけ経験があるのだけど、それぞれ
- 2013年4月17日 JC発表の前日(の深夜)
- 2021年12月12日 FEPシンポジウムの前日(の夕方)
となっているので、こういう根詰めるタイミングで出るということがよくわかる。どちらも吐き気はなかったし、いわゆる片頭痛(こめかみと目の周りの痛み)というのとも違っている。
なんだかよくわからないが、ともあれこうやって元気にしている。
2023年06月26日
■ 「純連、ピーマン、秀岳荘」(さうして、このごろ2022年11月版マストドンへ移行)
11/2にTwitterからマストドンに移動してきた。以下はマストドンに書いたことのまとめ。
今日はもう頭が働かないので、諦めて卸売スーパー(北42条)まで買い出しに出ることにした。行きの途中で純連に通りがかったので味噌ラーメン。ここは2年ぶり2回め。
札幌らしい味噌ラーメンは、表面に脂が浮かんでいて、湯気が出ないのにものすごく熱いので、猫舌の自分は苦手。もっとぬるいラーメン出してくれるところはないものかと思ってる。
マストドンは「削除して下書きに戻す」ができるのがよい。 Twitterはリツイート機能を重視するから書いた後編集できない。これはずっと不満だった。わたしはマイクロブロギングしたいのであって、ソーシャル・ネットワーキングしたいわけではなかったので。 RT重視はツイート数にRTが含まれる点にも反映していて、あれも嫌いだった。
私のブログははてなダイアリー(2003年12月から)で始めたのだけど、はてなの体制が信頼できなくてレンタルサーバーでブログをやるようになった。同じ方針を貫くならマストドンに行くほうが正しいよなあ。ただ面倒くさい。ブログの方のシステム更新も滞ってるし。(ブログ自体は継続してます。)
Twitterを離れると、なんか「応答責任」みたいなものがいっさいなくなって気が楽になった。こちらでは好きなことだけ書いておく。
なんかマストドンで書いてると、すごく気が楽だ。これからも誰もフォローしないで、独りTLで運用していく所存。
Twitterのときはついついいいねの数を数えてしまったり、へんにいいねが増えたときは速攻ツイ消ししたりと、なんだかんだ反応を気にしていたのだけど、「通知」以外に数字が見えないのがとてもいい。これからも壁に向かって話し続けようと思う。
「お尻を出した子一等賞を説明するよ」 これはすばらしい。この歌詞の意味を解釈しようと考えたことはなかったが、たしかに意味不明だし、このような説明が与えられたらもうほかの解釈はありえない。実際2番でも「ビリっ子元気だ一等賞」なので、いちばん下手な子に一等賞を与えるという意味で筋が通ってる。僕は、こういう「解像度が上がる」って話が大好きでね(月島兄風)
Spacemen 3 - An Evening of Contemporary Sitar Music - Dreamweapon 電極作るときとかずっと入り込まなければならないときに、90分のカセットテープの片面全部にこれを入れて流し続けたものだった。いまはYoutube Musicで聴けてしまう。ありがてえ。
タワマン文学は見えないようにしている。30年前に「金魂巻」でやったマル金とマルビを経由しているので、ああいうのはもうお腹いっぱい。SAPIXとかどうでもいい。
美食の人って、「以前は普通だったものが美味しくなくなる」って経験をしてるのかね?もしそうならそれは際限ない欲望にとらわれている苦dukkhaだよね。もしそうでなく、普通のものは普通に、美味しいものは美味しいものとして経験されるだけなら、それはそれでいいのだけど、
MLBで「ワールドシリーズ」とか「世界一」とか言うの、なんかムカついてこない?
昔の公務員たたきみたいにTwitter職員が叩かれている。私は「溜飲を下げないようにしよう」とあらためて心に誓う。
kindleで洋書を読むときに、翻訳と原文が両方載ってたらいいと思うのだけど、UIに工夫が必要だな。 基本訳文が載ってるんだけど、なんかおかしいときにマウスオーバーすると原文を見ることができる、こんなんでどうだろうか。 kindleのe inkだとあまりそういう早い変化のあるUIは不得意だろうから、あくまでもブラウザベースでの挙動にはなるだろうけど。
月食を見に外に出てみたが、厚い雲がかかっていて、うっすら雨も降っている。残念ながら今回はまったく見えないみたい。
皆既月食終了後の部分月食のタイミングで雲が薄くなったので、ちょっと月食をみることができた。満足。
ピッツァ!
富士山麓オウム鳴く!(<-ヤマノススメ観てる)
ぼっちちゃんにもし髪飾りがないと、全部がピンク色になってしまうのでアクセントを付けるためということはわかる。でも水色と黄色のキューブだというのがよくわからない。あれは配色的には理にかなっているの?
「くものすおやぶん とりものちょう」 また朗読してみたい。 https://twitter.com/pooneil/status/648524520614006784
mstdn.jpのローカルTL見ると、ほぼ実名ゼロで、アイコンも二次元キャラ率8割って感じ。場違いなのでとりあえず名前出さず顔も出さずでやってる。まあ、mstdn使っているのは、壁に向かってしゃべるのが目的なんで。
以前はマスカットジュース紙パック1L140円というのを頻繁に買っていたのだけど、代わりにカルピス原液1Lというのを買ってみた。ちょうど2ヶ月経過したところでだいたい使い切った。コスパとしてはなかなか良い。いつでもカルピスが飲めるって幸せだ。紙パックジュースだと賞味期限までに飲みきらないとという不自由があったけどそれも解決したし。そういうわけでこれはもう一回注文しみようと思う。
「丸ごとピーマンの焼き浸し」をもう一回やろうと思ってピーマン買ってきた。3日くらいしたらピーマンがオレンジ色になってる。調べたら熟するとオレンジから赤になるとのこと。聞いてないよ!とりあえず色が変わったやつだけアイラップにくるんで冷蔵庫に入れておいた。
「Twitterは『間違いなくオタクだが日々の生活に追われてオタクらしい活動をしていないオタク』のちょうどいい生息場所なんだよ」 これって自分が作るTL次第で、ある意味鏡を見てるだけの話なんだけど、私の場合はすごい合点がいった。ワナビのための場所って感じだよね。そう考えると、AI絵師のときにイラストレーターにヘイトが向かったのとかも理解できる。
秀岳荘北大店の向かいに古い炭屋の建物があった。(写真はこちらにあり。) 前回の冬に雪でこの店の軒先が崩落した。そのあとしばらく工事してたのでどうなったかと思っていたら、スッカラカンになってる!なんかいきなり無くなったのでビックリした。
「セラトナ」いい曲だなあ。じつはゲキドルの「キズナ」を聴いてその元ネタとして知ったのだけど。
以前聴いてた曲でいつもここに来たら胸が震えて涙が出てくるというのがあったのだけど、それがすっかり消えてしまった。冬期うつの症状かなと思っていたのだけど、いまケムリクサed聴いたらめちゃ涙が出てきたので、たんに感性が変わってきたということらしい。
今日の強い風でイチョウ並木の葉が落ちるだけでなく、ギンナンが大量に落ちてる。ブジュブジュ潰しながら並木道を歩いた。たぶん明日朝は臭い的な意味でたいへんなことになってるはず。
2023年05月04日
■ 「青い影、ローファイヒップホップ、金葉祭」(さうして、このごろ2022年10月版その2 + マストドンへ移行)
今日から本気出す。ということで札幌に来てはじめてオムライスを作ってみた。ところが卵を巻くところで惨敗。メシマズ写真を取ることができた。これならニャンちゅうも「これはひどいw」と言ってくれるはず。味には問題なし。
今日から本気出す。と書いたが本気出せず。けっきょく15時になってやっと活動開始した。外に出てみたら異様に寒くて驚いたが、あとで確認してみたら気温は9度でそんなむちゃくちゃ低いわけでもない。副反応の反動なのか昨日の午後からずっと体温が低い(35.5とか)ので、それの影響か。
「チェアリング」という言葉を知った。わたしが中央キャンパス前でアウトドア用椅子に座ってギターかき鳴らしていたあれ、チェアリングの一種だったのか。といっても折りたたみ椅子はセカンドストリートの1980円のだけどな(ヘリノックスの2万円のではなくて)。
「青い影」の歌詞で"as the miller told his tale"ってのがわからなかったのだけど、「カンタベリー物語」 を言及していて、これが「浮気と寝取られ」の話だとわかるそうな。そうするとVestal Virgins (= ウェスタの処女)への言及も不貞への刑罰についてとわかる。
ただし作詞者のKeith Reidは「チョーサーは読んだことがない」と言っている。あとシングルでは歌われてない3番と4番の歌詞を読むと、海のイメージに満ちたディラン的シュルリアリズムで書かれていて、不貞の歌というイメージは薄れる。
だからKeith Reidは"They're right off the track there"と言っているのだろう。いわば「(シングルとして売るために)1番と2番だけに切り抜かれた」ことによって、全体の文脈から離れた「不貞というテーマ」が強調されて理解されていることを訂正したかったのだろう。
「海のイメージに満ちたディラン的シュルリアリズム」というのは2番でも、「海岸に向かう」「16人の」Vestal Virgins のくだりとかがあてはまるだろう。ディランの"Desolation Row"で「良きサマリア人が今夜のカーニバルに行く」のテイストに近いものを感じる。
「なぜ心はこんなに脆いのか」(ランドルフ・ネシー)を読むつもりで持って帰ってきた。これまで「鬱」「不安」について取り組んでこなかったので、大学院講義「意識の科学入門」用にネタを仕入れる。いまshorebird氏のまとめを読んだらすでにもうお腹いっぱいだが。
(エピローグまとめより:)「進化的視点に立つときに重要なのは,症状自体に必ずしも機能はないということだ.摂食障害やADHD自体が淘汰産物ではない,それらへの脆弱性が問題なのだ.」そういえばこの話は今年のサマースクールで鈴木さん、松前さんと食事しながら話ししたっけ、と思い出した。
老眼が進んできたのでこれまで100均の100円メガネでなんとかしてきたのだけど、意を決してメガネ屋さんに行ってきた。検査もしてもらってちゃんと合わせてくれて、それは良かったのだけど、メガネってあんな高いの?ギター1本買えるじゃん?
"How to make Microtonal Lo-Fi Hip Hop" これ見てびっくりした。ローファイヒップホップのデチューンした感じって、微分音だったの?あらかじめ演奏したのを後からいじって作ってるのかと思ってた。その先祖のBoards of Canadaとかライブでやるのならわかるけど。
ここまで書いてから、"Boards of Canada" microtonalでググってみたけど、やっぱり否定的だ。reddit
さっきの動画はあくまでもローファイヒップホップを使って微分音楽を説明するという位置づけなのかな。
微分音による非西洋的な和音を作るとかそういうのが目的ではなくて、あくまでも「繰り返し聴いていて伸びてしまったカセットテープ」とかそういうアナログな感じを再現するのが趣旨のはずだから。
Abletonがモバイル用音楽制作用アプリ"Ableton Note"をリリースした。KORGのGadgetを積んでる私が使うかなと思いつつ、とりあえず買うだけ買っておいた(1000円)。そしたらSLEEP FREAKSが次の日には使い方解説の動画を出してた。ありがたい。来世でいじってみる。
今日は最高気温は9度で、いま5度。冬が来ちゃう…永遠に冬が来ないでほしい。毎日18度とかがいい。
毎日25度よりは毎日18度がいい。この温度ならコバエが出ないので、安心してバナナの追熟ができる。
自炊するようになってから、果物って高いんだと実感した。日常的にはバナナくらいしか買わない。りんご、ナシ、モモが半額弁当より高いなんて。シャインマスカットが出回っても1300円とか書いてあって、回転寿司より高いじゃんとか思ってスルーしてた。
でも先日業スーでハンパな部分の寄せ集めでシャインマスカットが598円、というのがあったので人生で初めて購入した。何回かに分けてゆっくり味わった。…人生に果物は必要だな。
そういえば、と札幌ライブ情報を調べてみたら、Ringo Deathstarrの対日公演の会場に札幌が追加されているのを知った。 以前チェックしたときは東京、大阪、 名古屋だけだった。そのあとで札幌と旭川が追加されたらしい。11/13(日)。これは行こうと思う。 (追記: けっきょく行かなかった)
この記事良かった。スーパーでスルーしつづけている食材がいろいろあるので、こうやって開拓しておきたい。「丸ごとピーマンの焼き浸し」はすぐ試してみようと思う。ピーマンは中の種を取るのが面倒かつ無駄だと思ってたので、だいたい業スーの冷凍で済ませてた。
「アスペル・カノジョ」はしんどそうなので読んでなかったが、この批判記事にある「恋愛のガワをかぶせた、「罪悪感の払しょくを目的とした自己完結型救済の物語」だ」というのを読んで、逆に興味を持った。
これ好き: 「前向いてるから自分より前の人しか見えないんだよね」
(10/29) 金葉祭初日。だいぶ紅葉が色づいてきた。ちょっと肌寒く、雨がぱらついたりもしたけど、まだ落葉は始まってない。しばらく暖かいので、落葉するのは11/4(最高気温6度の予想)に一挙に寒くなるタイミングだろうか。
(10/31 00:16) 玄関開けたら5分で就寝。明日から本気出す。
(10/31 00:18) 金華祭の片付けをしている実行委員の学生たちの姿が横目に流れた。
紙ストローの話題を読んでて、記憶をたどってみたら、札幌に来てからスタバもマックも行ったことがないことに気がついた。ファーストフードに行く習慣がCOVID-19でほぼ消え失せた。
ガンダムは一切観たことがないのだけど、ふだんわたモテのイラスト描いてる人たちが軒並みスレッタを描きはじめているので、ちょっと興味が湧いた。
ひさびさに「仏教思想のゼロポイント」「だから仏教は面白い!」(魚川祐司)を再読してる。「世界は壊れるものでできており、壊れるから世界である」(p.126)というくだりを見て得心した。
(11/1) 「イーロン・マスクがTwitterをめちゃくちゃにすることを恐れてMastodonやDiscordに移行する人が続々登場」わかる。やっぱMastodonに行くべきかね。
(11/2) しばらくこっちでやってみます。みんなも移ろうぜ! https://mstdn.jp/web/@pooneil
(11/8) なお、宣伝などSNSの機能を活用するときはTwitterで、言いたいことをつぶやくだけのmicrobloggingとしての機能を活用するときはマストドンと使い分けてます。あと、@ChainHokudaiのほうはひきつづき私が更新していきます。
2023年04月12日
■ 「カルピス、東京化学同人、"than meets the eye"」(さうして、このごろ2022年10月版その1)
冷蔵庫のスペースを確保するために、飲み物はミネラルウォーターとカルピス原液で運用してる。カルピスは計量してきっちり4倍で薄めていたけど、「紙コップに印つけておけばよくね?」と思ってやってみた。なんか違うものに見えてきたが、とくに支障なし。ダイソーで目盛り付き紙コップ売ってほしい。
今期は「ヤマノススメ」と「ぼっち・ざ・ろっく」で。といいつつまだ第1回観てない。リコリコもまだ最終回観てない。
「生命のかたち/かたちの生命」木村 敏 を北大図書館本館まで行って借りてきた。ヘルダーリンについての記述があるというのを知ったので。ランゲ=アイヒバウムの「ヘルダリン―病跡学的考察」も以前借りてきたが「統合失調症で詩が壊れてゆく」的な決めつけが激しくて嫌悪感のため放置してる。
工学部の図書館の新刊コーナーで見つけた深層学習入門の本。表紙で有機化学の教科書かと思って二度見した。フォントとか表紙の佇まいが「マクマリー有機化学」とか「モリソン・ボイド有機化学」 と同じでしょ。だれか「東京化学同人の表紙シミュレーター」を作るべき。
- 「マクマリー有機化学」https://www.amazon.co.jp/dp/4807909126/
- 「モリソン・ボイド有機化学」 https://www.amazon.co.jp/dp/4807904019/
たぶんデザイナー(東京化学同人の中の人?)が同じなのだろうけど、そこまで調べる情熱はなかった。
ぜんぜん別の話だけど、ドレミ楽譜出版社のギター譜(70-80年代のフォークからニューミュージックの時代)を複数持っているのだけど、筆跡からして同じ人が複数の本を手掛けているらしいのを知って、実はすごい少人数で作っているんだなと思ったことがある。検証したことはないけど。
と手間ひまかけて(これのために1時間くらい調べ物してた)ポストしてみたものの、言うほど似てねえなあ。ダメじゃん。
(久々の出張から) 無事札幌に戻ってきたが、このまま家に帰るのもなんかもの足りないので、そのままスーパーアークスまで買い物に。どうやら今日の札幌は温かい日だったようで、22時でも上着さえ着ていれば気持ちいい空気だ。夜の街灯の環状通を東に向かっていったら、なんだか気持ちが回復してきた。
明日から本気出す。明日から本気出せば、まだ間に合う。明日から本気出す。
「岡崎市歴史的風致維持向上計画」の1章 p.31 に岡崎の古墳の地図がある。甲山古墳、外山古墳群などみなどれも丘の上にある。なるほど昔の人は古墳は丘の上に建てたのだなと一瞬納得しかけたが、これってもしかして生存バイアス?(生還した爆撃機が被弾した銃痕)と気づいた。
と書いた瞬間に「例の銃痕の図は実データではなくて、あくまでも仮想的な図であるとwikipediaの「生存者バイアス」の項には書いてある」と付け足しておく。
隣の安城市には桜井古墳群があるけど、これらも碧海台地の東端の河岸段丘にある。安城市資料 矢作川流域の低地にはいっさい古墳はない。河岸段丘に多い点からは、古墳を作った場所は意図的に地形で決められていたようにみえるが。古墳+低地でググってみたが証拠なし。
飛鳥時代になると岡崎にも寺院ができるけど、北野廃寺とか能光廃寺とかが矢作川沿いにあるのは対照的で面白い。岡崎市資料のp.33。今日はここまで。
ニール・ヤングの有名なフレーズ"Rock and roll can never die. There's more to the picture than meets the eye"でpictureにtheが付いていることに気がついた。もしかして「画像には目に写っている以上のものがある」ではなくて、"the picture"ってもっと具体的な状況(=前の文)を指してるの?
ただそうするとよくわからないのは、視覚科学の論文ではよくこの歌詞をもじったタイトルがある。ひとつ挙げるとこれ: J. Biogeogr. 2017 これらは一般論的な表現(画像には…)をしようとしているのだと思うのだけど、なぜ"pictures"や"a picture"や"the pictures"ではない?
もともとの動機は、change blindnessの話をしたかっただけなので、"than meets the eye"とだけ言えばいいのか。それでも"meets the eye"が中心窩だってところで捻りが加わっている。
4月からウォーキング40分を、ピッチは180bpmで固定、運動強度は脈拍140bpmで続けてきたけど、いつまでたっても時速6.5kmを超えることができない。前回からウォーキングからジョギングに変えたら、やっと時速6.7kmを超えた(<9min/km)。いまのところ膝は痛くない。以前の時速9kmまで戻すには先が長い。
運動強度が上がったので、心拍も以前の平均140pbmから今回は平均155bpmくらいに上がった。後半は168bpmとかになっていたけど、そんなに息切らしながら走っているわけではない。でもポックリ逝かないように気をつける。
カルボーネン法: (220-年齢-安静時心拍数)×運動強度(%)+安静時心拍数 で考えると運動強度100%になってしまうので、なんか間違ってる。
自転車のタイヤをそろそろ交換しておこうと、シュワルベ ビッグアップル 20×2.00をヨドバシカメラで注文してた。到着のメールが届いたので、21時過ぎているが取りに行った。大学からチャリで5分。北大のメリットを享受している。(とはいえ北海道での通販は1日余計にかかるのだが。)
夜の気温が6.9度とかまで下がってきて、冬が近づいているのを感じる。5時にはもう暗くなってきて(日没16:45)、秋の日はつるべ落とし。 家に戻ってみたら室温が18度。ついに20度を切った。(比較的暖かい部屋なんだ。) そろそろ暖房を点ける時期が来たのかもしれない。
2023年04月01日
■ 自転車で札幌恵庭自転車道(エルフィンロード)行ってきた
自転車で札幌恵庭自転車道(エルフィンロード)行ってきた。北大->白石->北広島->大曲->白石->北大で53.46 km / 2:45:21 (平均速度 19.4 km/h)。来年からファイターズの試合がエスコンフィールド(北広島)で開催されるので、自転車で行けるか試すのが当初の目的。25kmで70minくらいなのでまあ可能。
「白石こころーど」「(厚別)陽だまりロード」部分は、街中を走る自転車/歩行者専用道路になってる。緑が多くて気分が良い。車道とクロスするたび地下に潜るので上り下りが多くてたいへん。運動になるが。道はけっこう凸凹で乗り心地は良くない。とはいえ道に穴はなかったので整備はしてると思うけど。
あと気づいたのが、街灯はほぼない。夜は明るいライトが必須。私は500ルーメンのを使ってるけど、ナイター見たあとこの道を帰るのはたいへんそう。 北広島に向かう「エルフィンロード」部分は道も凸凹してなくて気持ちよく走れる。ただしずっとゆるい上り坂なので、速度16km/hrくらいまで落ちる。
北広島到着ちょっと前くらいに「自転車の駅」がある。売店とかがあるわけではなくて、ただ自販機とトイレがあるだけ。でもツーリングの集団が休憩していて賑わってた。 このあたりは函館本線沿いを走るので、鉄的な意味でも楽しい。 エスコンフィールドは建物の外側ができているのは確認した。
これで北広島駅まで到着。25kmで70min。コンビニ休憩込みでも90分くらい。これでデーゲームの日なら問題なくチャリで行けることがわかった。
北広島で昼食の予定を変更してそのまま大曲の三井アウトレットパークへ向かう。ここが予想外に上り坂だった。一番きついところで820mで40m登る。
坂を登りきったところにある「ホクレンくるるの杜」で乳製品を買って、「三井アウトレットパーク」でジョギングシューズを買って第2の目的達成。帰りにスープカレー天竺 清田本店を発見して入った。(じつは北広島駅前でスキップしたのは天竺 北広島店だったのですごい偶然。) 良い休日だった。
2023年03月31日
■ 「ワークマン男子、ナチュラルブラック、もやもやプーニールさん」(さうして、このごろ2022年9-10月版)
自転車のベダルがバキッと折れてしまったので修理に出した。それで週末は足が無くなった。俺はまるで翼の折れた天使(エンジェル)だぜ。しかたないので、ひさびさに市電に乗って中島公園経由で市立中央図書館まで。ヘルダーリンの詩集を借りてきた。これは積んでおくだけでご利益がある。
FugaziってSonic Youthの"Dirty"で知って、ジャニスでCD借りて聴いたりしたけどあまり印象がない。Youtubeのおすすめに出てきたこのライブ映像はすごく良かった。Fugazi - Turnover - (Live 1991)
以前から洋服関連の支出は最小限にとどめていたけど、札幌に来てついにユニクロさえ行かなくなった。ほぼワークマン。ワークマン男子。
ワークマン男子、昨晩は伏古のブックオフに行く途中でワークマンプラス 札幌美香保店(昨年開店)を見つけて入ってみたら、冬には売り切れてた氷雪耐滑の靴(ケベックNeo)が売られてた。これはガラス繊維を使っているやつで、札幌の冬のQOLが上がるはず。ということでだいぶ早いが購入しておいた。
スマホで調べたら、10月末に新商品(レイキャビク)が出るらしい。多分買い逃すし売り切れるから、それを待つ必要はないだろうと判断した。 前回の冬はほんと雪が多くて懲りたので、今度の冬を乗り切る準備を早めに進めている。小径車のスパイクタイヤ化もしないといけない。
修理が終わった自転車が戻ってきて、調子悪かったところが全部直って、乗り心地も良くなってハッピー。でもコミコミで2万円弱取られてブルー。今月は外食無しで乗り切るべきか。5000兆円ほしい。
頭が働かないので今日は店じまいして、卸売スーパー北42条店まで行ってきた。チャリで信号待ちこみで片道20分。肉と魚の品揃えが良い。値段は高いの安いのいろいろなので、安いものだけ選ぶ必要あり。冷凍カリフラワーライスを買って帰ってきたが、融けてなかったのでセーフ。
立川マシマシの「麺なしラーメンライス」、いいな。むしろライスも要らないな。有名なコピペで「山盛りニンニク背脂サラダ」ってのがあるけど、むしろ「山盛りニンニク背脂サラダ」でいい。豚は欲しいけど。
ひさびさに会った奥さんから指令が出たので、白髪染めをしに床屋に行ってきた。「ナチュラルブラック」というのを選んだんだけど、効果てきめんすぎて、黒黒としていて、なんだか違和感がものすごい。ぶっちゃけ(略 他人にツッコまれる前に自己申告しておく。
弱くありつづける強さを持ちたいと思ってる。マッチョではありたくない。世界の罪をすべてこの身に集めて犠牲となりたい…いやさすがにそれは大げさだけど、弱くありつづけて、それでも生き延びたい。
かといって傷をなめ合う堕落にはまり込むのでもない。そういう狭い稜線を進みつづけていこうということ。
それが私がたまに書いては消す「溜飲を下げない」「スッキリとしすぎない」という方針の根底にある。モヤモヤしつづけていたい。もやもやプーニールさん。
部屋を片付けていたら、エレカシ野音1995のチケットが出てきた。この時期のエレカシは「東京の空」(1994)が出てからポニーキャニオンに移籍して再出発(1996)する前の時期だ。チケットの右が切り取られてないので、参加してない。なんか理由があったんだろうけど、思い出せない。D1の夏なんだけど。
Atomが開発中止ということでVS codeを使い始めたけど、使いこなせてない。新規作成した文書の拡張子がiniになる。いったいどういうこと?と思いつつそのまま数ヶ月が経過した。重い腰(物理)を上げて調べてみたら、defaultLanguageで設定できることを知った。 まだ先は長い。
自分はマウスでカチカチやるよりもキーボード・ショートカット使いたい人間なので、MacでPDF開くときもFinderでcommand-oを使う。でもたまに打ち間違えてcommand-pを押してしまう。これやるといきなり印刷が始まってしまってウザい。command-pをdisableすればいいんだろうけど。(<-書いてて気づいた)
2023年02月28日
■ 「かにらっきょ先輩、ライジングサン、サレジオ」(さうして、このごろ2022年8月版)
「かにらっきょ先輩」っていうペンネームを考案した。念のためググってみたら、カニの肘関節の部分のことを「ラッキョ」というということを知った。カニの部位詳細
今日はなんだか疲れたので早めに帰ることにしたが、夜の空気が奇跡的に完璧な温度で、家に帰るのがもったいなかったので、自転車で夜の街を東に向かったが、けっきょくスーパーアークス 光星店でお買い物して帰ってきた。気温は22度。
犬山に行った日が同じように劇的に快適だったことを覚えている。[2019年11月8日](https://twitter.com/pooneil/status/1192770796181082112 ついでに当日の気温を調べたら、20度以下だった。 ああ、でもなんか共通してるはずなんだけど。(<-完全に個人的なメモ)
「地形分類で見る武蔵小杉と田園調布」の記事を見て、同じように北大内を流れるサクシュコトニ川の地形図を表示してみた。地理院地図 すごいくっきりと川の流れが現れて、テンション上がった。
以前もTwitterで書いたけど、ラーメン二郎の横から偕楽園緑地に流れ込む川の流れは今も残っていて、住宅地の中に曲がりくねった元河川が見える。今昔マップ
Google mapの航空写真で流れをなぞることができる。ラーメン二郎の横から左斜め上に、そこからぐるっと210度くらい円周を回って偕楽園緑地に流れ込む。偕楽園緑地からは東側に出て、急カーブで北上し、北8条通を越えて、生協会館を通り、北大構内の「水源」に出てくる。
「文具と本の巨大デパート「コーチャンフォー」」 わかる。新川店にはちょくちょく行くけど、ちゃんと繁盛してる。先日も宗教コーナーでスマナサーラのスッタニパータ解説本を読んでから文庫の棚に行って岩波文庫および光文社古典新訳文庫の訳を読み比べる、なんてことしてた。
札幌には紀伊國屋書店と丸善ジュンク堂書店があるので、専門書はだいたいそこで立ち読みするのだけど(買うとは言わない)、コーチャンフォーは音楽関係の本が充実しているので、バンドスコアとか、ディスクガイド本(クラウトロックとか)を立ち読みするのに重宝している(買うとは言わない)。
ライジングサンDAY2行ってきた。ナンバガのライブの途中で向井氏が「ナンバガ再結成がRSR出演を目指していた」と話を始めたときに「これは解散宣言来るな」と予想はしたけど、本人の口からそれが出て、そのまま"Omoide in My Heart"になだれ込んだときには、ものすごく心が震えた。歴史的な場面に遭遇してしまった。
そもそも再結成の理由がRSRでやることだったわけで(ORICON MUSIC)、RSR2019のトリだったのが台風で流れて、さらにコロナで流れていたので、今年解散というのも、予定よりもずっと遅いことだったのだろうと思う。(といいつつショックを抑えきれない。)
ソウルジェムが曇ってきたので、そろそろ回る寿司かなと、トリトンに行ったら、15時過ぎなのにどえらく並んでた。なにごとかと思ったけど、いまがお盆で、家族で集まって行くのにちょうどよいのだなと気がついた。諦めて、JR生鮮市場でサーモン8貫800円の寿司を買って帰った。
納豆は100回かき混ぜてネバネバを出す派なので、ネバネバが多いひきわり納豆が好き。先日もいつもどおりひきわり納豆を買って開けてみたら、なんか違う。よく観たら「おかわり納豆」という商品名だった。
めんつゆ一辺倒からの脱却を図るため、キャベツ1/2+なんかの肉+コンソメキューブ2個+(業スー)ケイジャンスパイス4gで圧力鍋、というのを繰り返していたら飽きてきた。白だし60g+ みりん20g+砂糖20gを試してみたら、かなり幸せになれることがわかった。
「ジキルとジキル」ってのを考えた。ハイドはいないの。そんなものははじめから無かった。
「PMのための読書地図」 中身には興味がないけど、「枝分かれした読書地図」がすごくいい。いわゆる「必読本リスト」的なのって対象を明示しないと不毛だと思うけど、枝分かれ式なら、ぜんぶは読まなくてもいいし、各人が必要な本と読む順番もわかるし、とてもいいと思った。
サザエさんOPがアウトロのところで音がフラットする問題、いろんなバージョンを比較して解明してる。謎が解けて満足した。ところで訂正版では、後半繋いでるところのスピードが上がってるように聞こえる。音の補正をしたときにスピードも変わったということだろうか。
ふと思い立って「札幌ライブ情報」的なものを調べてみたが、この秋は人間椅子、アジカン、THA BLUE HERB、ってかんじか。サカナクションはsold outしてた。
「ぼっち・ざ・ろっく!」のアニメ化は期待している。10月まではがんばって生きる。
MidjourneyもStable Diffusionもスゲーってことはよく分かる。でもなんか、フォトリアリスティックな画像ばかりどんどん出てくるのがなんか気持ち悪くて、自分でいじろうという意欲が湧かない。自分はこれまで、新しい技術はすぐいじってみたくなるタイプだったので、これは敗北宣言なのだけど。
「サレジオ」ってたぶんsurgeonと同じ語源なんだろうと思っていたのだが、ふと思い立ってWikipedia調べてみたら、ぜんぜん関係なかった。「サレジオはイタリア語で「サール(地名) Sales の」という意味」
明日は北海道マラソン。創成川通から新川通りを北上して、また戻ってきて、北大の中を通って、大通公園がゴール。さっき北大構内をウォーキングしてみたら、すでにロープが張り巡らされていて、コースの準備がだいぶできてた。落ち葉とかはあったけど。
生鮮食品が安いところを開拓しておきたい。網羅的な記事 普段はJR生鮮市場を使ってる。業スー八軒店の野菜は高い。マンボウは安いが遠い(質も悪い)。卸売スーパー北42条店はよさそう。豚バラブロック79円/100gに惹かれた。チャリで20分かかるけど。
2023年01月28日
■ 「西瓜、千石自慢らーめん、第一農場」(さうして、このごろ2022年7月版)
業スーに行ったら、なんだか西瓜みたいな香りがしてきて、日曜日の夕方に笑点を観ながら西瓜を食べて、もう週末終わっちゃうなと感じていた、そんな記憶が蘇った。じつのところ、笑点なんて観てたのはずっと昔、小学生くらいのときしかないはずなのだけど。
このままビールでも飲んでそのまま爆睡して、といきたいところだが、まだやらなければならない仕事があるのだった。先週も本気出したはずなんだけど、どうしてこうなるのだろう?明日から本気出す。
[今日の俺通信0702] 2日目の抽選当たった。8月まではがんばって生きる理由ができた。石狩湾新港樽川ふ頭までは16kmなのでチャリで1時間くらい。あらかじめ予行演習しておこうと思う。
Alvvays - Pharmacist これ好き。映像もよい。
「異世界おじさん」面白かったので視聴継続する。セガネタはまったくわからなかったが、それでも楽しめた。自分は家庭用ゲーム機をやったのはファミコンまで(弟とファミリーテニス1987)、アーケードゲームはゼビウス(1983)までという人間なので、ドラクエもFFも触ったことがない。後悔はしてない。
でもジャンプ黄金期を逃したのはいつか取り戻したい。「ジョジョ」は1期までしか読んでない。「幽遊白書」も「ボボボーボ・ボーボボ」も「DEATH NOTE」も「BLEACH」も「NARUTO」も「銀魂」も「HUNTER×HUNTER」も「ONE PIECE」も読んだことがない。追い出し部屋で毎日ジャンプ読むだけの仕事がしたい。
コミックを読む能力が衰えてきているのを実感する。このあいだ一念発起して(<-?)、積んでたごちうさ4巻を読んだら、読み終えるのに2時間弱かかったのにはびっくりした。
「千石自慢らーめん」閉店だって。ホープ軒とともに私の心の故郷だった。大学生の頃にけっこう通った。(附属水泳部コーチの帰り道で。1988年開店だから当時は新しかったみたい。) ここ数年は東京に出張しても近くを通ることがないので、なかなか行く機会がないままだった。
自分はいまでも背脂チャッチャ系を探しているけど、いい店が見つからない。だいたいどの店も「臭く」ない。いま調べたら、ホープ軒ですらあっさりめに振ってるみたい。
- http://www.hopeken.co.jp/history.html
- https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130901/13021239/dtlrvwlst/B223923870/
背脂系の代替として二郎系を選んでる側面がある。だから自分にはモヤシが邪魔。ほんとうは「野菜抜き」で注文したいけど、対応してない場合面倒なので、いつも「野菜半分」でコールしてる。家系はぜんぜん良さがわからない。吉村家でさえピンとこなかった。必要なのは鶏油やラードではなくて背脂。
この図好き。自分は「カンデル本にぜんぶ載ってるよ」よりはこういう「一枚絵にとりあえずぜんぶ載ってるよ」っていう提示法に惹かれる。パズルのピースを埋めたい欲求を刺激するというか。(研究の話ではなくて教育の話をしてる)
物理でこういうのがほしい。でっかい紙にmaxwell方程式とか熱力学の基本方程式とか数少ないものが中心に書いてあって、そこから派生してすべてのことが説明できます、みたいなやつ。
[今日の俺通信0705] ウォーキング再開して3ヶ月経った。時間を40分に固定して、平均心拍数が130-140をキープするようにする。以前半月板を痛めたので、今回は極力上下動無しのウォーキングにしてる。メトロノームを使ってピッチを180step/minに固定する。これで1stepの長さだけが操作できるパラメータになる。
時速6.5kmくらいまで上がってきて、歩きから走りに移行する直前まできたが、膝を傷めないこと優先で慎重にやってる。幸い膝の痛みを感じることはない。ダイエットの効果は劇的ではないけどちょっとずつ減ってる。それよりはウォーキング後に頭がはっきりするのでもう一仕事できるのがメリット。
これがあって40分走にした。以前は60分走かつ運動強度が高かったので、汗が引くまで時間がかかり、走った後仕事をする余裕もなかった。19時くらいで集中力が切れたタイミングでウォーキングすると20時くらいからもう1時間ちょい集中して仕事ができる。難点は夕食が遅くなる点だがこれは未解決。
メトロノームを使ってピッチを180step/minに固定する、は以前読んだ本から取ってきたもの。以前は大股で走って踵を痛めてしまったので、それを防止する役割、あと、ピッチを固定すると歩幅だけが操作可能なパラメーターになるので、心拍コントロールがしやすい。ただ問題はメトロノームをかけながらだと音楽を聴けない。
骨伝導イヤホンで小さく音楽かけながらメトロノームに合わせるというトリッキーなやり方をしてた。でもここ最近Hammockというアンビエント/ポスト・ロックバンドを知ったので、ヘビーローテーションしてる。ドラムがほとんどなくて、アンビエントなギターと弦楽器が延々続くので、ふだん聞くには退屈だけど(バンド自体も「就寝用プレイリスト」を作ってたりする)、夕焼けから夜の街に変わる時間帯に聴くとなんだかすごくよく響く。ちょうど走り終わったところで始まったこの曲"Razorback Drug Town"を聴いたら、なんかすげーチルアウトっていうか夜空に心が飛んだ。
音楽の構成としては「ニューエイジ・ヒーリング」的なアレに近くて、あまり自分が聴く分野ではないのだけど、出てくる音がギターに深いリバーブかけた、ポスト・ロック的な音なのでなんか聴けてしまう。そんな今日このごろ。
ひさびさにwindows PCのセッテイングをしたら(5年ぶり?)、BTOのPCだったので、ライセンス認証の仕方がわからなくてドハマリ。けっきょく「ライセンス認証 > ライセンスキーを変更する」をすればいいということに気づくまで1時間くらいかかった。
スナックバス江、「北海道最大の繁華街すすきの――から5駅離れた」なんて書いてあるから平岸あたりかと思ってたら、北24条か。ご当地ものじゃん。だいたいどのへんのことか想像がついた。Mohan Dishからちょっと東に入ったあのあたりに昔ながらの飲み屋街がある。入ったことないけど。
自律性におけるprecariousnessについて考えていたら、進化においてもたまたまいま生き延びているのを適応的と呼ぶだけで、環境が変わったときに生き延びることは保証されていない。ここにもprecariousnessがあるのだなと気がついた。たぶんどこかに書いてありそうだけど、自分で思いついたのでメモ。
たまに買っている「フルタ製菓 生クリームチョコ」をスーパーでカゴに入れようとしたら、なんか妙に軽い。これはもしかしてシュリンクフレーション?と思って家に帰って調べてみたら、ほんとうに184gが174gに減ってた。気づけた自分にびっくりしたわ。
生理研のプレスリリース。窪田さん。イラストレーションに鯉田孝和さんの最新作が出てる。私も以前、盲視の論文のときにイラスト書いてもらったことがある。こちらにあり: ギャラリー
一週間くらいmatlabに触っていなかったら、"hold on"のフレーズが出てこなくて1分くらい難儀した。幸いググる前に、手が思い出した。それにしても、歳取るってのはこういうことか…
八軒の業務スーパーでの買い物の帰り道、平成ポプラ並木に寄ってみたら、北大第一農場の牛と羊たちがいるのが見えたので、記念撮影しておいた。いまこちらの気温は21度くらいで、なんだか秋が来たような寂しい空気を感じる。
雪の季節が来る前に食品宅配サービス使ってみた。でも第1回目の配達が今日なのを忘れてて、7時間後の輸送箱開けたら牛乳と納豆がぬるくなってた。号泣しながら処分した。水2L*6本1箱とかを運ばなくて済むのはすごくよい。
宅配一回ごとに220円なんだけど、これは一人暮らしではペイしないな。ついでに他のネットスーパー(イトーヨーカドー、イオン、西友)も調べてみたが、配送料は同じくらい。Amazonフレッシュは北海道では利用できない。
たぶん、大きい冷蔵庫を買って2週に1回ペースで宅配注文、が正解か?
2022年12月04日
■ 「pooneilさんのもやもやクリニック」(さうして、このごろ2022年6月版)
家からちょっと離れた、行ったことがないコンビニで買い物して店を出たら、夜の街がまるで知らないところのように見えて、オフィスビルが立ち並ぶ街並みに、一瞬LAの街並みを感じた。Little Tokyoの紀伊國屋書店に行った帰りに自転車で西に向かうあのあたり。その感覚はあっという間に消えた。
以前車を運転しているときに同じ感覚を抱いたことがあったなと思って検索してみたけど見つからない。
ついでに昔のツイートを発掘した。「pooneilさんのもやもやクリニック」好き。誰も評価しなくても、俺が評価する。
「pooneilさんのもやもやクリニック」ってのを考えた。モヤモヤしてるの。しかもべつにそれを治療してくれるわけでもない。ただただモヤモヤしてる。迷惑。
[今日の俺通信0619] 今日の休日仕事はつらかった(心理的に)。チャリで業スー八軒店まで行って、肉買って、号泣しながら焼いて食べた。
自分は大学教員に異動してから、「ネオリベ的価値観」と不可避に直面(もしくは片棒を担ぐ)しなければならない場面が増えてきた。でもそこで逆に肩入れしてもそれは自己満足だ(いわゆる「バラモン左翼」問題)。さっきの記事での「9割と1割」は、よい現状認識と行動指針を提示していると思った。
わかる。いっそのこと北大を苫小牧に移転しようぜ!
ちょっくら定山渓温泉まで自転車でエクササイズしてきた。往路が28km/93min(18km/h)。復路が29km/91min(19km/h)。行きは藤野(15km)で休憩してそこから13kmが山道。右手に八剣山が見える。激坂ってほどではないが、時速11kmまで落ちた。帰りは下り坂メインで、ブックオフ川沿店(20km)で休憩。 https://pic.twitter.com/ncUMoJ12GB
川沿から藤野あたりの平らな道は自転車レーンが無くて車が寄せてくるのでストレスが溜まる。山道は2車線あって舗装がちゃんとしていたが、車が制限速度を守らず飛ばしているので命の危険を感じる。北海道は自転車に優しくない。ロードバイクの集団とかは見なかった。往路で一人に抜かされたくらい。
ついでにワーケーションしてきた。Varela 1997を印刷して再読。ホテル周辺で謎な吊り橋を発見。ウィキペによると、橋の向こうの建物は廃墟とのこと。いい休暇だった。明日から本気出す。
[今日の俺通信0602] Chromeの検索欄に「ここが」まで入れたら「ここがあの女のハウスね」と補完されたので、ひさびさに観た。なにを検索しようとしていたのかは忘れた。
[今日の俺通信0607] ヴェンチュラハイウェイ インザ サーンシャイン〜 (<-略
これでCHAINからのアナウンスは @ChainHokudai から出るようにしたので、@pooneil のほうは元通り鬱々とした「俺通信」を継続する予定。そういえば今日(ry
[今日の俺通信0610] セコマのポテサラ、うめえなあ(<-万感の思いを込めて)
[今日の鬱々俺通信0614] グリコポッキーアーモンドクラッシュなのだっ…と久しぶりに買ってパッケージ開けてみたら、こんなに短かったっけ?こんな長さだったっけな? こんな長さだったっけな? (<-くどい)
[今日の俺通信0616] 自転車で夕食に出かけたが、帰りは雨に降られた。濡れたまま仕事したら風邪ひくかもしれない。コロナ以降ずいぶん用心深くなった。そういうわけで今日は諦めてそのまま帰宅して、即風呂に入った。たぶん正解だったと思う。
「雨に振られた」って言葉おもしろいよなあ、これ自動詞なのに受け身?と調べてみたら、日本語文法的にいろいろややこしいということを知った。
[今日の俺通信0617] あるときは「藁人形論法」だったり、あるときは「主語が大きすぎ」だったりするけど、そしてそれは批判されるべきものなんだけど、問題はそういうふうにズラすことができるのが人間の認知の特性だということだよなあ。(<-なんか知った風)
途中の道でうろこ雲?的なものと電線が並ぶ風景があったので、記録しておいた。琴似駅から北上してツルハドラッグの手前を左折したところ。なんてことない風景だけど、いつか札幌から去ったときにこういうのを懐かしく思うんではないかと思って、自分用に記録しておく。
3年前に撮影した、西尾に南下するバイパスの夕焼けを懐かしく思い出す。感情が鈍麻しているので、べつに心が震えたりはしないのだけど、認知的にこれは懐かしいものだと考えることはできる。
Atomが開発終了、のニュースを見て、やっとVSCodeをインストールしてみた。これまでブログでLaTeXの数式入りの文章を作るときはAtomでmarkdownで書いてプラグインでMathJaxのプレビューをしていた。昔ならVSCode出たら即試していただろうけど、ずいぶん好奇心が低下しているのではないかと思う。
ともあれVSCodeセットアップして、markdownでLaTeXの数式書いてみたらエラーが出た。数式モードへの切り替えを
\[
\]
でやっていたのだけど、
$$
$$
にしないとエラーが出る。この二つは完全に同じではないらしい。(現在ではプラグイン入れなくても数式はプレビューできるけど、KaTeXで描画されてる。)
ブログの方はMathJaxで書いているので、VSCodeのプラグインを入れてMathJaxで書くか、それともこれからはVSCode上でKaTeXで書いて、ブログでもKaTeXで描画するようにするか。調べたところ、KaTeXのほうが描画は速いが、MathJaxのメリットもあるらしい。
[今日の俺通信0623] カワイスギクライシス、毎回だいたい面白いが、今回はすべて最高だった。ああ幸せ。
Kindleでハヤカワ書房のセールをやっている。「順列都市(上)(下)」グレッグ イーガンを買った。まだ「息吹」テッド チャン を積んでるので、先は長い。なんだかんだ言いわけして積んでばかりなので、自分、じつは本読むの好きではないんだなとうすうす気がついてきた。
[今日の俺通信0623] 「ドラえもん」を「アサヒィスゥパァドゥルァァァァイ」みたいに発音する技法を考案した、まで書いて、以前も同じこと書いた気がすると思って検索してみたが見つからない。たぶんツイ消ししたんだと思う。なんで消したかはよくわからないけど。(<-よくある)
[今日の俺通信0624] 積んだ本が消化できない〜とかいいつつ、ついついyoutubeで「イチナベさん、なにやってんの」「ニンニクを剥いてます」とか、アゼルバイジャンの山でラム肉焼いてるのとか、そういうのダラダラ観てる。頭使いたくない。スーペル!
Robert Wyatt “Little Red Robin Hood Hit the Road”の中間のギターソロ、ずっとFred Frithだと思っていたけど、Mike Oldfieldだった。んでFred Frith – viola ということは、この曲の最後の最後に弦楽器をかき鳴らす音(VUのジョン・ケイルみたいなあれ)がFred Frithの音か。(30年後にはじめて理解)
ワークマンまで夏物を買いに出かけた。コンビニでLeDouxの総説読了。帰りにメガドンキ新川店に寄ったら意外によかった。狸小路のドンキは狭くて混んでるうえに安くもないのでもう行かなくなったが、こっちのドンキは広くて楽しい。コーチャンフォー->ワークマン->メガドンキという巡回ルートができた。
2022年11月20日
■ 「喫茶マウンテン、分離色、意志と表象としての世界」(さうして、このごろ2022年5月版)
ライジングサン、今年はやるみたい。https://rsr.wess.co.jp/2022/artists/lineup/… 2019年以来3年ぶり、しかも2019年の1日目は台風で中止(でナンバガなし)だったので、たぶん今回はチケットめちゃ競争率高いはず。当選したら私は行くけど、もし行ったとしても、twitter上では黙っている予定。
3大「声に出して読みたい科学者・哲学者の名前」と言えばこれは「ミハイ・チクセントミハイ」が一強すぎるなあ。神経科学者としては「サンティアゴ・ラモン・イ・カハール」を推しておくけど。
劇場版「輪るピングドラム」が4/29から始まっていることを知った。北海道でやってるかなと調べてみたら、旭川と北見のみで札幌は無し。よーし、ちょっくら北見まで行ってくるわ。
きかんしゃトーマスOP曲のコード進行についての解説。C-Abは転調ではなくてキーCの借用和音だった。同主調のCmからの借用和音(モーダルインターチェンジ)で、CmのダイアトニックコードからEb, Fm, Gm, Ab, Bbが使える。EbやBbの例にも言及してた。以前こんなふうに書いてたけど、転調は勘違い。
きかんしゃトーマスOP曲の場合、モーダルチェンジでAbを提示しておいて、あとでほんとうにAbに転調するのがかっこいい。モーダルインターチェンジはビートルズっぽいと言うけど、C-Bbはむしろミクソリディアンのイメージ。 C-Fmはたしかにビートルズっぽい。ユニコーンの「すばらしい日々」とか。
岡崎に20数年住んでたけど、けっきょく「喫茶マウンテン」には行ったことがない。どうしてか考えてみたけど、あそこって「友達と連れ立って行くことで経験を共有する」ところがミソで、一人で行っても面白くもなんともないからだと気がついた。自分は、食事に他人と行くという発想がないもんで。
Slowdiveの"Sleep" (Eternalのカバー)というのを知って繰り返し聴いてる。なにがいいって、サビが間奏なの。なに言ってるかわからない表現だけど。明日はこれを歌おうと思う。ヴァースがEm-F-Am-FでサビがC-Am-Em-Gこれだけ。
大学院講義(意識の科学入門)で動画を見せようと思ってyoutubeを開いたら、 関連動画のところが「パリピ孔明」「【ガリハラ】にんにく餃子」「古田の方程式」みたいに丸見えだったので、あわててgoogleをログアウトした。あらかじめ準備しておいて正解だった。
水彩絵の具の「分離色」というのを知った。元々は不具合と捉えられる存在が、アナログならではの味として再評価されて、意図的に分離色を作る絵の具が開発されているという話。色の配合とか乾く過程とかいろいろ考えることがありそう。面白い。
「ハーゲンダッツとスーパーカップの差がわからない」 すごく同意。自分はJR生鮮市場でハーゲンダッツ1個190円を見つけてしばらく買っていたのだけど、週2でハーゲンダッツ食うより週5でエッセルスーパーカップ食うほうが幸せじゃね?と気づいて切り替えた。(<-食い過ぎ)
Elon Muskがtwitterを買収したら、ヘイトスピーチとかデマツイートとかが制限されない野放図になると思う。そろそろtwitterからの移行を考えておこうと思う。とはいえ今からマストドンじゃないしなあ。
アセスルファムKと苦味受容体の遺伝子多型の話、面白い。
自分は人工甘味料をまずいと感じないが、わざわざダイエットコーク買おうとも思わない。つか、ビール飲むの止めたら、炭酸飲料を飲む習慣もなくなった。
この動画 "Fluctuation theorems from Bayesian retrodiction"に興味を持った。JaynesのMaxEnt TP (ベイズ推論としての熱力学)を援用しながら、熱力学第2法則とゆらぎの法則はベイズ推論の問題であり、物理システム以外(情報とか)でも成り立つ。
平衡状態では予言と遡言が拮抗するが、平衡から離れたところでは両者のバランスが崩れて不可逆性、 遡言不可能性(=時間の矢)が生まれる。
「少女終末旅行」(つくみず)のラスト部分を見返していたら、チトが「意志と表象としての世界II」と題された本を見つけるシーンがあるを思い出した。これは趣味の小ネタとかではなくて、この物語に通底する思想であることは、最終回にチトの「(ネタバレにつき略)」という台詞があることからもわかる。
ネタバレ気にしない人には、ここに抜書きがある。
ここ最近つづけている、渡辺慧を読み込むプロジェクトで、(「生命と自由」や「時間と人間」で) 渡辺慧がショーペンハウアーに強く影響を受けているのを知ったので、いつか(or 来世で)読まなければと思っていたのだった。
ちなみにチトが見つけた本には「II」と書いてあるが、中公クラシックスの表紙と似せてはいないので、第3巻の芸術論ではなくて、原書の第2巻「意志としての世界」に相当するんだろうと思う。(わざわざ「II」と書くからには、それには意味がある)
プランAはもう無理であることが判明したので、プランBでいく。やけくそになってプランCを選ばないようにする。
2022年10月24日
■ 「ちくさ正文館書店、やきまる2、ギャッツビーの葬式」(さうして、このごろ2022年4月版)
札幌に来てすぐコロナだったので映画館にはまだ行ってない。札幌に「TOHOシネマズ」が無いことをいま知った。札幌にあるシネコンは「ユナイテッド・シネマ」(サッポロファクトリー)と「札幌シネマフロンティア」(ステラプレイス)の2つみたい。(もっと小規模なのが「シアターキノ」と「サツゲキ」)
遅ればせながら第7話の蛇森さん回を見て感涙した。自分が初めて弾き語りできた曲は「四季の歌」だった。Am, Dm, E7だけなので。叔父さんから借りたのはクラシックギターにフォーク用の弦を張ったやつで、セーハコードなんか押さえられないので、やっと弾けたのがこれだった。ということを思い出した。
The Beach Boys “All I Wanna Do” ほんとだ。50年前の曲なのに、Chillwaveみたいな音してる。
調べてものをしていて、そういえば昔(1990年代)、ポピュラーサイエンスの本で「科学の危機と認識論」と「醜い家鴨の仔の定理」とを激推ししている箇所があって、ものすごく影響受けたのだけど、なんだったか思い出せない。沼田 寛「ヒジョーシキな科学」を開いてみたが違う。たぶん別冊宝島でもない。
「トンデモ科学の世界」や「オムレット」も開いてみたが違った。もうちょっとマイナーな感じの本だった気がする。
「複雑系入門」(NTT出版)でもなかった。ついでに池上高志さんが語ったことを見つけたので抜書きしておく(p.185)。
「詩人というのは、すべて言葉の世界(言い換えれば言語ゲーム一元論)であり、数学者は言語ではなく共通理解が保証された数学の世界で戯れる。物理学者はこれに対して『自然』というものをくっつけてマージナルな立場でありつづけている。しかしこの立場はマージナルなので壊れやすく、突き詰めれば詩人か数学者になってしまう。しかし、ここで『ふんばってがんばる』のが複雑系の立場。ただし『自然』を『計算機の中の現象』というふうに拡張はするが。自然とはなにか。それはわれわれのリアリティーの問題でありわれわれはそれを構築しようとしている。」(「複雑系入門」井庭、福原 NTT出版 p.185)
愛知県道56号名古屋岡崎線(平針街道)が延伸したとのこと。まだ未完成。岡崎から名古屋に行くには国1があるけど、豊明あたりで1車線になって生活道路を兼ねていて大渋滞になるので、自動車どころか自転車でも走るのが辛い道だった。
まだ長男が小さかった2000年代初頭、岡崎にイオンモールもウィングタウンもない時代、文化の香りを求めて名古屋まで車で行っていた。まだ伊勢湾岸道の全通前(豊田南IC - 豊明ICが2003年)で、東名高速で本郷ICで降りて、千種経由で大須、栄に行っていた。(忘れないうちにメモっておく)
ちくさ正文館書店に寄って、ペヨトル工房の月刊誌を立ち読みした。名古屋のラーメン屋を探訪した。大須を周回しているときにおむつを替える必要が出てきて、やむなく駐車場でスタンディング交換したのをよく覚えている。行き帰りの車でさまざまな音楽をかけて、長男に英才教育(?)を施していた。
「何でもやれると勘違いしやすい…「43歳」に多くの冒険家が命を落とすのは偶然ではない」ここが面白かった。自分の行動の予測が「成長込みでの予測」になっているという点で。「ところが経験値が増して世界が大きくなると、その外側にある未知の領域のこともなんとなく予測できるようになり、いわば疑似既知化できる。予測可能領域がひろがり、本当は未知なのに、なんだか既知の内側にとりこんでしまっているような感覚になり、それなら対応可能だろう、と思えてくるのだ。」
居室にギターを持ち込んで誰もいない時間に歌ってたりするのだけど、「いまそんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに」ってところが、息継ぎせずには歌えない。これまでは好きに歌っているだけだったのだけど、ちゃんと歌えるようにしようと思って、bpm確認して、メトロノーム鳴らしながら歌ってる。「ある光」はbmp = 134。
佐藤友哉は「水没ピアノ」で衝撃を受けてから、デビュー作から鏡家サーガはだいたい読んでた。岡崎という地方都市に住みだした時期と重なっていたので、そういうファスト風土的風景と重ねて読んでいた気がする。でも「世界の終わりの終わり」を積んだあたりから読んでない。ということを思い出した。
これはいい話。ただのzoom会議だったら、ちょっと画面消してミュートしておけばよいだけのこと。そうではなくて「絶対に集中して喋り倒さないといけない会議中」というのがミソだよね。自分も「議長として会議招集して意見集約してあとでXXXXに報告書提出」みたいなのをやることが増えてきて、もしいまこのタイミングでtogetterでいうような状況が来たときに、自分は正しく対処できるだろうか、なんて思った。
岡崎という地方都市のメリットは職住一致(家まで自転車で5分)なので、子供の発熱とか怪我とかで学校まで迎えに行ったものだった。昼に電話がかかってくれば、子どもになにかあったか?とビビるし、夜に電話がかかってくれば、動物になにかあったか?とビビる。そういう生活だった。
岩谷産業の「やきまる2」を買いたくなってきた。6500円くらいするので微妙に高い。セカンドストリートとかで中古が売ってないか探してみることにする。
家族との交渉によって仕送りの増額に成功したので、もうすこし健康的な食生活を営むように、野菜をもっと買うことにした。いままで目もくれなかったけど、グリーアスパラがあったので金額見たら、太めの3本で300円とか書いてあって、ブラジル産冷凍鶏ももよりも高いのか!とショックを受けた。
けっきょくグリーンアスパラを買って塩ゆでにして食べた。たしかに幸せだけど、300円で一食分で使い切ってしまうのがつらい。そのあとで業スーでグリーンアスパラ 400gで350円買ってきた。冷凍野菜で不満が出てくるまでは、これで行こうと思う。
あと三つ葉を買うようになった。いまは季節なので3束入って98円とか心が傷まない。以前は三つ葉というものの存在意義が分からなかったのだけど、親子丼を作るときに三つ葉ってけっこう存在感があることを知った。でも3束買うとだいたい腐らす。カットして真空パックして売ってほしい。
明日は薬学時代の人達の集まりで話題提供。ひさしぶりなので楽しみ。対面だと生活レベルの格差に直面して惨めな気持ちになったかもしれない(同年代はだいたい大学教授か会社の管理職なので)。でも今回はリモートなので気楽。いつもどおりBBCパパ方式で、上だけ背広、下はジャージで華麗にこなす予定。
今週はオペも無事終わったし、大学院講義もだいたい軌道に乗ったし、論文もだいぶ進んだ。いろんなことがダメだったけど、それはいつものこと。今日のプレゼンも無難に終了して旧交を温めることができたので、帰りに回らない寿司(=スーパーの割引のやつ)でも買って帰ることにしよう。
思ったよりも集客が悪かったときは、「でもまあギャッツビーの葬式よりはマシだよな」と言えば心が休まる(<-号泣)
[今日の俺通信0425] 「ゆず白菜の塩漬け」というのがマイブームになってる。買いだめしたいんだけど、賞味期限が短いのが難点。(<-それがどうした?)
[今日の俺通信0427] 今日は強い風が吹いている。ああこれが「春一番」かとググってみたら、北海道に春一番はないということを知った。(<-それがどうした?)
より正確には、北海道と東北と沖縄については、気象庁が春一番を発表しない。 参考: 「北国に「春一番」はない?」
[今日の俺日記0430] ひさしぶりにガンボ(スープ)を作った。このレシピを基本に、圧力鍋を使うレシピと合体させてみたけど、とろみがつきすぎて、底が焦げてしまった。今度やるとき圧力鍋かけたあとでトマトソース加えて煮る作戦で考えてる。(<-それがどうした)
2022年09月07日
■ 札幌の冬2021-2022
(11/15) これが北13条門イチョウ並木の様子。先週までの冷たい雨で葉っぱがすっかり落ちてしまい、ギンナンだけが残っている。いまはこのギンナンが道に落ちてクサい。昨年はこの時点ですでに雪が降って雪の中にギンナンが残り、春にそれが融けて再びクサい経験をしたのだった。
でも今年は11月半ばになってもまだ雪が降ってない。雨が降るのは嫌だけど、雪が降らないのはいいことだ。このまま春が来てほしい。
観測史上札幌で初雪がいちばん遅かったのが2018年の11/20。今年はたぶんそれを更新する。天気予報では11/24あたりになるっぽい。
(11/27) 先週末から一時的にパラパラと雪が降ってはいたのだけど道に雪が残るほどではなかった。今朝起きてみたら、ついに道に雪が積もっていて、私も今日から靴を雪用のゴツいやつに交換した。北13条門のイチョウは先週からすでに葉は落ちていたけれど、昨晩の雪でギンナンもだいぶ落ちてきた。
(12/2) 今日は朝起きたら雪が降っていた。これはけっこう積もりそうな勢いだ。じつは昨日、実験室の荷物を移動するために車借りて作業していたのだけど、結果として大正解、あそこしかないタイミングだったということが判明。明日は気温10度で雨とのことなので融けてくれるといいのだけど。
(12/17) 昨日の夜から本格的に雪が降ってきた。この写真が今日15:30で、すでに暗くなってきている。明日も雪で、最高気温が-5度。ついに札幌にも根雪がある状態になりそう。ニュースによればにこんなに根雪が遅いのははじめてとのこと。
(12/19) 昨日の夜はときおり階下の道路の方からゴトゴトという音がしていたので除雪車がフル稼働していたのだと思うけど、朝見たらこんなかんじでこんもりとした山ができてた。
金曜の夜の雪はとくべつ多かったようで、「札幌市でドカ雪 24時間降雪量55センチ 統計開始以来1位の値を更新」とのこと。今年はこれまですごく雪が少なかったのに、極端すぎるよ!「なんでそう変な方向にばかり思い切りがいいのよ!!」の画像を貼りたい。
(1/1) いまだ仕事納めできず。12月36日までには仕事納めできる見込み。外は風の強い大雪。仕事場への道を散歩してきた。いつもの通り道の足跡が無くなっていて、フワフワの雪が積もっていた。
(1/9) 札幌は12/18の大雪が根雪になって以来、最高気温0度以下の日が続いている。今日は比較的暖かい日で、気温が1度まで上がって車道の雪が融けていた。ツルツルの横断歩道がジャリジャリになっているのが嬉しい。今日はカーシェアでコストコ行くチャンスか?でもまた雪が降ってきた。そんな今日このごろ。
1/10の週の札幌は雪が降りつづけて、道路脇に積まれた雪が私の身長を超える程度になった。横断歩道はどこも段差ができていて滑りやすい。北13条門前の交差点で車椅子の人が段差を越えられず立ち往生していたので手伝った。雪道で車椅子の人を見たのは今回が初めてだった。
1/17の週は雪は降らなかったが、昼に雪が融け夜にそれが凍るを繰り返して道がツルツルになった。あちらこちらで滑っている人を見かけた。私は左膝の手術後なので細心の注意を払っていたけど、それでもヒヤリハット事象が2回。転倒を防ぐため足を突っ張るを繰り返していたから、いま膝の調子が悪い。
(1/29) 北大の平成ポプラ並木と第一農場からの通り道。
(1/22) 今日はひさびさにまとまった雪が降った。職場へ行くいつもの道にもフワフワの雪が積もっている。その下にはツルツルの氷があるから気をつけなけばならない。
2週間予報を見たら、ずっと最高気温が氷点下の日が続く。雪は融けない。融けろよ!春よ来い!(<-切実)
(2/6) 札幌含む石狩地方は大雪警報。雨雲レーダーを見ると、冬型気圧配置で西は手稲山、東は石狩丘陵で挟まれた札幌の扇状地に雪雲が流れ込む。あらためて札幌が「日本海側」であることを実感する。そりゃ大雪にもなる。住んでるアパートの入口でも雪で吹き溜まりができて、わたしの背丈くらいになっている。
最初のほうが2/5(土)16時の写真。この時点ですでに2号館の看板が1m以上埋まっていて、CHAINの部分が見えない。今朝の大雪が先程止んで青空が見えてきた。次の2/6(日)15時の写真では、2号館の看板は雪で完全に見えなくなった。雪の高さは150cmくらいはある(測った)。
(2/26) 今日は最高気温が7.5度。やっと春の兆しが来た。ここからいっきょに雪解けらしい。tenki.jp
最高・最低気温のグラフを作ってみた。今回の冬は雪が多いわ、昼にちょっと融けた雪が夜に凍るを繰り返して道がツルツルになるわで大変だった。
(2/27) 今日は気温が2度くらいまで上がって、根雪は融ける温度。歩道の雪がザクザクとしているのを踏んで歩く。交通量の多い道(北大前の西5丁目樽川通とか)では雪が融けて路面が乾いている。でも今になって雪がぱらついてきた。上空でできた雪が降ってくる間にはまだ融けないで落ちてくるということのようだ。
(3/8 16:15) いま私の居室に西日が入ってきてる。これは春が近づいてきた証拠。これまでは西日が入る位置に来る前に日没していたので。日の入りの時間も遅くなってきた。いま調べたら、札幌の今日は17:31だと。車道の雪はだいぶ融けた。歩道の雪も柔らかくなってきた。春よ来い。雪よ融けろ。
(3/21) 2/6の大雪のときは隠れていた中央キャンパスの看板が、今日3/21にはだいぶ見えるようになってきた。「人間知・脳・AI研究教育センター」もかろうじていちばん下に見える。 札幌の街でも、道路の雪はほぼ無くなったけど、路肩の雪はまだ人の背丈くらいあって、自転車で車道を走るのは危険だ。春よ来い。
(3/27) やっと気温が上がって環状通の車道脇の雪も融けてきた。そういうわけで、環状北大橋まで自転車で往復してきた。11kmを50分。環状北大橋の橋の下はまだ雪がたくさん残っていたけど、道中は雪融けでできた水たまりを避けながら、春だな、温かいなと心躍らせながら走ってた。
ちょうど1年前の3/28にも同じ場所に行っていて、そのときは河川敷の雪はほとんど無くなっていて、豊平川沿いの自転車道を走っていたのだった。
(3/30) 定点観測。以前の写真(2/6,3/21)と比べると、看板の雪の位置で雪融けの具合がわかる。まだ人が足を踏み入れないところは雪がかなり残ってる。医学部の建物の隅ではふきのとうが出てきた。春よ!来い!
(4/4) 定点観測。ふきのとうも育ってきてる。
(4/7) 定点観測。ついに看板の根元の雪がなくなった。ここは人が通らない北向きの場所なので最後まで雪が残るはず。
(4/11) 定点観測。この週末は最高気温が15度以上になって、今日も19度。だいぶ雪がなくなってきた。むしろ最高気温19度でなぜ雪がまだ残っているのだ?と問いたい(<-誰に?)。
(4/12) 定点観測。ふきのとう。
(4/14) 定点観測。いよいよ雪がなくなってきた。今週末ぐらいで無くなりそう。
(4/15) 定点観測。ふきのとう。ぐいぐい伸びすぎ。「圧倒的成長!」とはこういうののことか。
(4/16) 定点観測。ついに雪がなくなった。
(4/22) 定点観測。ふきのとう。
(4/28) 定点観測。ふきのとう。すごい勢いだ。
(5/10) 定点観測。ふきのとう。
2022年08月18日
■ 「三遊亭4U、コロンボ、ビオレu詰め替え さっぱりさらさら」(さうして、このごろ2022年2-3月版)
ひさびさに「オレンジ」を聴いて、いい曲だなあと思った。なんか、ゼロ年代だなあって感じ。(「とらドラ!」15周年からたどって)
「新宝島2020」っていうMADムービーが好きで、ラストに出てくるヒゲモジャおじさんが荒野のまっすぐに伸びる道を歩くシーンにたどり着くと謎の感動が生まれてくるのだけど、いまは感情が平板化しているため、心が反応しない。これもだめだった。
Steve Hillageって、Uriel -> Khan -> Bananamour (Kevin Ayers) -> Flying Teapot (Gong)の順番か。思ったよりもKhanが早いのとFlying Teapotが遅いのが意外だった。Hatfield and the Northも1stが1974で意外に遅い。カンタベリー音楽は大好きだけど、もしカンタベリー音楽の検定試験があったらせいぜい3級ぐらいだな。
Pete Frameのrock family tree というのが有名で、カンタベリーシーンのものもよく見かけた。ここにバージョン違いについての詳細な記述がある。これを時間軸をlinearにして、バンド中心でなく、人中心で書いてみる、というアイデアが浮かんだが、来世でやる。
「三遊亭4U」ってネーミングが降りてきたので、実在したっけ?とググってみたら、そんなものはなかった。
ここでシューゲっぽいコードの例として「サブドミナントの#11th」を挙げててなるほどと思った。たとえばC(トニック)-F(サブドミナント)だと#11はb音になる。b音はトニックの9thなので、
を繰り返すと1,2弦を開放弦にしてるところとかそれっぽい。
あんまり宣伝してないけど、ブログ「pooneilの脳科学論文コメント」http://pooneil.sakura.ne.jp/ では、1ヶ月に一回は投稿するのを続けている。ブログを定期的に書くようになったのは2003年11月からなので、もうすぐ20年になる。バズることもなく、炎上することもなく、細々と続けている。
「再生の象徴の魚、消滅を司る鳥たち」のフレーズを理知的な意味(キリスト教での含意とか)でずっと聴いていた。でもそういうものではないのな。スパイラルマタイした者が命と引き換えに得た真実なのだな。一人称の歌詞だし。ということを今日札幌の地下道を歩きながら聴いていて気がついた。
「初花凛々」の中で「ももいろのうた」という歌詞があるんだけど、これが「桃色」かと思ったら「百色」であると知って、なんか魂に響いたのか、ここを聴くたびに涙腺が緩む。でも最近はこれを理知的にしか聴くことができなくなってる。(試してみた)
自分は音楽の好みは雑食だと思っていたけど、考えてみたらそれは正しくなくて、雑食的な音楽(ZappaやXTCやTodd Rundgrenや(アルバムごとにジャンルが変わる)Neil Youngとか)が好きなのだと気がついた。サイケデリック音楽も折衷主義なところが好きなのであって、ガチなノイズや現代音楽は聴かないし。
スピッツの「ロビンソン」をはじめて聴いた場所をよく覚えている。かつて地下鉄大島駅前にあった安売り雑貨店コロンボでカセットテープを物色しているときに流れてきたのだった。私は2ndからのファンで(妹がインディーズ時代からのファンでその影響)、なかなかブレイクしないのにやきもきしていた。
で、流れてきたのがスピッツの新曲と気づいて、随分あっさりとした曲だな(ブリッジがない)、これも不発かな、と諦め気味に思っていたら、あれよあれよというまに大ヒットになったのだった。ということを急に思い出したので、書き留めておいた。
コロンボについて調べてみたら、2013年までは営業していたみたい。でもそのあとにまいばすけっとになったようだ。この写真がいちばんはっきりと(かつての)店舗の様子が見える。
いまだに“Kinky Afro” だけは聴く。歌詞がよくわからんので調べてみた。弟でベーシストのPaul Ryderが、子供ができた自分のことを歌っていると推測している。the guardian 自伝的なフレーズらしいが1990年当時はShaun Ryderは28歳。“Son, I am 30"じゃないんだ。
裸のラリーズのオフィシャルサイトができているのを知った。(昨年の10月。) 2019年に水谷孝氏が死去していること、ウィキペにある「海賊版は本人が売ってる説」の完全否定とか、新事実が多すぎてびっくりした。ソース: mikiki
ひさびさにコンビニスイーツの生クリームのやつ食べたら、なんかうまくて幸せになった。札幌来てからはコンビニで無駄遣いしないように、なるたけスーパーの冷凍解凍ショートケーキを買うようにしていたけど、生クリーム欲はそれだけでは満たされないのだなあ。
「東大の1限にぎりぎり間に合う範囲」 ポスドク時代を思い出した。毎週のラボセミナーに参加するために、6:07東岡崎発で、6:40豊橋発8:12東京着で本郷三丁目に8:30に到着する。帰りは21:30東京発で東岡崎着23:35。セミナーの前後の日とも電気生理の実験が6時間くらいあった。
冬の季節には、日の出前のまだ真っ暗な時間に、粉雪ぱらつく岡崎高校から東岡崎駅までの下り坂を、自転車で転倒しないように気をつけながら走った記憶がある。東岡崎から豊橋まで行く名鉄の急行(この時間帯は特急がない)で、東へ向かう途中に太陽が登ってくるのをみて、無意味に高揚感を抱いたりとか。
今日はなんだかもう疲れちゃったので、帰宅して横になったらそのまま1時間ほど寝てしまった。そのあとで遅い夕食を作ることに。鶏皮で親子丼という、「親子」の概念に再考を促す食べものを作った。
なんで「親子」の概念に再考を促すかというと、「皮じゃ親じゃねーじゃん!」と突っ込んだ直後に、「じゃあ肉なら親なのか?」という根本的な問題に気づかされるから。(<-マヂレス)
ビオレu詰め替え さっぱりさらさら(<-ついったを備忘録代わりに使用)
今日も「ビオレu詰め替え さっぱりさらさら」買いに行くの忘れた。ぜんぜん備忘録になってねえ。
TSUTAYAといえば、まだ小さい子どもを連れてビデオコーナーまで行って、「ニャッキ!」とか「おさるのジョージ」とかを選ばせながら、子供の背中を見ていた情景を思い出す。なんてことのない日常のひとつに過ぎないのだけど、もう戻ってこないんだということを実感して号泣(しない)。
2022年08月06日
■ pooneilの膝改造日記 完結編
これまでの経緯:
- pooneilの膝改造日記 入院初日から退院(17日目)まで
- pooneilの膝改造日記つづき 退院からリハビリ終了まで
今回は膝に入ったボルトを外す手術のあたり。これでpooneilの膝改造日記は完結のはず。(<-フラグ)
[pooneilの膝改造日記 533日目] 膝のボルトを外すために2泊3日の入院。病室に入ったら、なんだか「帰ってきた」という気持ちになった。手術の方は、挿管して全身麻酔と神経ブロック下で内視鏡での確認後ボルト外して縫合して全部で30分とのこと。手術終了後1時間以降に軽食。親知らず抜くよりも早い。
尿道カテーテルは無しと聞いてほっとしている。あれはつらかった。 あと、手術予定の手際が良すぎてびっくりする。私の手技だと、麻酔開始30分後ではまだcraniotomyが始まってない(<-比べるな)。
膝のMRを撮影したところ、半月板にまだ傷があることがわかった。術中に内視鏡で見て必要なら縫うという話になった。やるなら今しかないが、その場合は再び松葉杖の生活に戻る可能性が出てきた。
[pooneilの膝改造日記 534日目] 無事終了。10:30オペスタートで、11:30終了。レントゲン撮影して病室に戻ってきた(11:45)。まだもうろうとしていて、タイプミスが多い。けっきょく半月板縫ったりはしなかったみたい。
執刀医が説明に来て、内視鏡で確認したけど半月板はとくに傷ついていなかったのでノータッチとのこと。そういうわけで問題なく帰ることができる。11:54の時点でまだ神経ブロックが効いているので、左膝部分の体性感覚は麻痺している。でも左膝を曲げることはできるし、左足首を曲げることはできるし、膝と足首の曲がりを感知できる、つまり固有受容感覚はちゃんと働いている。プロポフォールが抜けきってないので、目の焦点が合わず、タイプミスが多い。タッチタイピング自体はできるが、指への司令と実際に押すキーがずれている。sensorimotor contingencyがずれている感じ。
麻酔の導入の方は、麻酔科医が「プロポフォール20mg/kgで始まりましたよ」と言ってから1秒ずつカウントしたけど、1,2,3までは覚えていて、5に行く前に意識消失した。
目が覚めたときは時間の経過の感覚は少ないが、「意識が消失してから目覚めるまでが一瞬」というのとも違うし、「仮眠で1時間寝た」とも違う。その中間くらいの時間経過感覚。
(12:12) だいぶ目の焦点があってきて、タイプミスも減ってきた。11:45の時点で思考自体はとくに妨げられている感じはなかった。睡眠から覚めた直後にまだちょっとぼやっとしているのと同じくらい。
プロポフォールによる麻酔導入のタイミングでは、1,2,3までは覚えていて、4あたりで麻酔に落ちてゆく感じと、ああ4が言えないなという感じを抱いた記憶がある。あとで麻酔科医に私がいくつまでカウントできていたか聞いてみたい。(記憶と実際の行動の間にずれがあるかもしれないので。)
目が覚めてすぐ(11:50)、今日10:00公開の僕ヤバを見に行ったので、判断力は失われてないっぽい(<-そうか?)
(12:30) 看護師さんが来たのでトイレに行かせてもらった。神経ブロックが効いているので両足で立つことはできない。左足の力が抜けていることに気づいた。車椅子が必要。運動指令は出せるし、固有受容感覚はあるけど、正常からは下がっているらしい。前回の手術では術後1日は絶対安静だったのでこのあたりを試すことはできなかったので、今回はじめて実感した。
あと、体性感覚は左足の鼠径部より下の内側では麻痺していて(自分で触ると感覚はある)、外側はほぼ正常に近い。麻酔科医からの説明では鼠径部で神経ブロックすると言っていたので、それで選択的に遮断しているのだろうか。
ついでに調べてみた。「神経ブロックの最近のトピックス~上下肢および体幹手術における鎮痛~」 「膝関節手術に関しては、大腿神経ブロックから内転筋管ブロックという、より末梢での神経ブロックでの運動機能を温存した術後鎮痛が少し前までのトレンド」
オペ室に入ったときに確認したけど、超音波のモニタを立ち上げていたので、たぶん超音波ガイド下での大腿神経ブロックを行っていたのではないかと思う。
前回の手術では硬膜外麻酔を併用していた。今回は神経ブロックだけと説明を受けた。
これによると「外側大腿皮神経ブロック」 というのが別にある。今回は大腿神経ブロックだけだったと考えると、外側の体性感覚が比較的保持されているという実感と合ってる。
(16:40) 神経ブロックの効果はだいぶ抜けてきたので、両足で立てるようになった。片松葉で歩行可能になった。内側の体性感覚も戻ってきた。そして膝内側の切開部がピリピリ痛くなってきた。ロキソニン飲まないと。
(17:20) 松葉杖なしで歩けるようになった。念のため転倒しないように、慎重に歩いてる。
[pooneilの膝改造日記 535日目] 昨晩は微熱(37.3度)が出たけど、ロキソニン飲んだら今朝は平熱に戻った。神経ブロックも完全に抜けた。歩くのに支障はないが、膝をあまり曲げることができない。皮膚を縫ってあるからだと思うけど、全体的に腫れてる感じもある。ともあれこれで退院。
外した膝のボルトをもらった。こんなのが入ってたのか。術前は皮膚を上から触るとここかな?ってかんじでわかるけど、普段の生活で(たとえば正座しているときに)気になることはなかった。
来週が抜糸なので、それまでは転倒(ヒヤリハット事象も)がゼロになるように、歩行を控えめの生活にする予定。
病院からの帰りにタクシーを呼んだけど、電話がつながらなかったので地下鉄で帰ってきた。ちょうど入院してから退院するまでが札幌では大雪で、交通関係混乱していたせいだろう。そうしてみると、なにごともなく手術が済んで退院できたことが、とてもラッキーで有り難いことであることに気づいた。
[pooneilの膝改造日記 537日目] 退院して2日経つが、膝の周りが腫れていて、普段ほどは曲げることができない。(術前は155度だったが、今は90度くらい。) 手術で内視鏡を入れたので、それで腫れるみたい。正常な側で見える膝関節のくぼみが左でが見えなくなっている。歩行自体での痛みはない。
[pooneilの膝改造日記 542日目] 今日は病院で抜糸。待ち時間に北18条交差点の北天堂書店に寄った。ここはSFの文庫の棚が充実していて、本棚4つが早川SF文庫、創元SF文庫、サンリオSF文庫に充てられてる。ヴァリスのサンリオSF文庫の初版とか昔はクソ高かったはずだが、今は1500円くらいで売られてる。
これでpooneilの膝改造日記、完結!
2022年07月29日
■ 「モエレ沼、スチールウール、卵(らん)と眼(がん)」(さうして、このごろ2022年1月版)
「トラゴン」というのを考案した。龍じゃなくて虎なの。ワンワン!
「カビゴン」というのも考案した。カビなの。ポケモンじゃない。苔むした園庭に紅葉が舞い散る。
2020年4月にモエレ沼公園に行ったときに野外ステージみたいなところがあったので写真を撮った。当時は軒並み学会、研究会がオンライン開催となりはじめた時期だったので、「ここで学会やれば、ソーシャルディタンスも保てて、いいんじゃねwww」と投稿しようと思ったが、俺内会議で却下された。
「新千歳から羽田の空路 遅延で終電後着陸時のTips」これはいい情報。自分はそもそも夜遅い便には乗らないようにしているけど、いつかこういうことに遭遇することはあるだろうなと覚悟はしている。 つかなるたけ出張したくない。すべてリモートで済ませたい。
うまぴょい伝説のBメロからサビでの転調が連続しまくる部分を知りたくてググってみたら、解説動画があった。ふぃぎゅ@メイトの作曲者の人だった。
“The Phlorescent Leech & Eddie” (Flo and Eddieの1st 1972)を聞く機会があったのだけど、60年代サイケ的な味があって、もっとハジケてる2ndよりも好き。
ひさびさに生命表から生存確率を計算してみた。条件付き確率p(x歳で生きてる|53歳で生きてる)を計算。ついでにに60際、65歳、70歳でも計算。20-80%のレンジで考えると、73-92歳 のあたりで死ぬのが大半ということになる。
ついでに20歳から85歳まで5歳刻みでプロットしてみた。差が見えてくるのは50歳以上だとか、どんなに生き延びても100歳までにはだいたい死ぬとか、そういう身も蓋もないことが明確になる。
声に出して読みたい解剖学用語1: ディセンディング エイオータ (descending aorta)
どんなに美味いものでも、美味しいのは最初の一口だけで、食事中にマインドワンダリングが始まって、思考に沈降しているうちに食事が終わってしまう。一人で食べているときはそれでも一口目は味わっているが、会食しているときは会話を維持するのに必死なので食事を味わうことができない。だから、もし会食するなら「あーこれ美味いなあ」って話だけをしていたい。
「キノコには意識がある。学習し、短期記憶を持つとする科学的根拠」マヂかよ〜俺が死んだらキノコにマインド・アップローディングしたい(<-ヤケクソ)
リアデイルのキャラデザがいいなと思って第1話を観てたんだけど、感想ブログを漁ったら「キャラデザが古い」「ゼロ年代っぽい」みたいなのがけっこうあって、なるほどそういうものかと思った。
テンガロンハットを2つ重ねて、中に隠れているハトを、そっと逃してやりたい。鍵盤の連なる山、水晶と霜柱の国。スチールウールが燃焼する動画。遠くで地鳴りがしている。私はそれがなぜだかを知っていて、でもそれをここに書きたくない。すきま風でコーンスープがすっかり冷めてしまった。
本しゃぶりブログで骨伝導イヤホン (AfterShokz)を推してたのを見ていちばん安いやつ(Open Move)を買ったら大正解だった。それでプンパーニッケル(ライ麦パン)を推してたので、買ってみた。腹持ちがいいので、仕事場でカップラーメン食うよりいいかと思って続けてる。
札幌駅近辺だと、ESTAのB1にある輸入食料品店ジュピターでdelbaのPumpernickelが売ってたので買った。250g (8枚入り) で350円くらいするのでコスパ的には良くない。とりあえずクリームチーズとかソーセージとかと一緒に食べてる。
業スーでトマトブルスケッタ 190gで185円というコスパ最強なものを見つけたので、買ってきて乗せて食ってる。Youtube観てたら酷評されてて泣いた。俺の、俺の、業スートマトブルスケッタ をバカにするな!(<-過度な感情移入)
(2022年6月 後日談: プンパーニッケルじたいはいいのだけど、乗っけるものが油っこくなりがちなので、けっきょくやめた)
大学生協食堂でいかに安く抑えるかというのを試行錯誤していたのだけど、ライス中+棒々鶏豆腐で240円というのが価格と満足度でギリギリなライン。次はライス中+温泉卵で160円というのを試してみようと思う。
急に思い立って、LAに滞在したときのアパートがまだあるかGoogle mapで調べてみたら、まだあった。それだけ。
ニワトリ胚と網膜 (眼底)ってこうやって見ると、似てるよね。「卵(らん)と眼(がん)」を引き合わせるポエジーが私の中に生み出された。
「ロックイン新宿」が閉店だって。北大に異動する直前の2019年12月にベースを選ぼうと思って行ったのを覚えてる。
そういえば札幌って空襲の被害にあってないんだっけ?と調べてみたら、北海道空襲: 札幌は今の丘珠空港とか今の苗穂分屯地への空襲はあったようだけど、 室蘭、釧路、根室が主な標的だったらしい。豊平区でもあった札幌空襲(1) 6つの空爆標的リスト
ついでに見つけた「さっぽろの戦跡」 北24条に「札幌飛行場」というのがあったことを知った。(今の丘珠空港は札幌新飛行場に該当。) よく行ってたスーパーアークス北24条店の近くに、正門がまだ残されているとのこと。ストビューあった: 道道89号
岩波文庫版ベイトソン「精神と自然」を入手した。大学生協のクラーク書店では売り切れ、北で最後の一冊だった。発売即重版というニュースを見て驚いたが、ちょっと実感したかも。まあ原著も思索社版も持っているのだけど、さっそく自炊した。
以前「形式、実体、差異」(「精神の生態学」に入ってる)のサマリを作ったことがある。
「このような『精神mindの単位』についての見方は、前述の『進化における生存survivalの単位』についての見方と正確に一致する」つまり、生存の単位は「柔軟性を持った生物と環境」であり、「精神の最も単純な単位」とは「木を切る私が、斧と木によってメッセージが周回する回路」である。このような見方はenactive approachを先取りしていると言えるだろう。
Parannoul、以前聴いたとき青春感あるシューゲで気に入ってた。bandcamp 今インタビューを読んで、ギターもベースも弾いてないことを知って驚いた。「予備知識を持たずに僕の曲を聴いて、全てVSTで作っていると気付かれないようにするのが僕の目標だったんだ」
2022年06月14日
■ 「バ ディヤ、フルヘッヘンド、ウォウ〜」(さうして、このごろ2021年11-12月版)
Earth, Wind & Fireの“September”のサビの「バ ディヤ」のところ、わたしには聞き取れないけど、たぶんpartyがなんたらとか言ってるんだろうなと思ったまま生きてきたが、調べてみたらただの掛け声だった(“Ba de ya”)。
北岡さんのツイートを見て、CHAINでも文字列傾斜錯視を試してみた。ナカグロ抜いてみるとちょっと下に傾いてる感あるかも。とはいえ「研究教育センター」 だけでも傾いて見えるのだけど。
札幌は今日も雨。昨日も夜から雨。明日も雨。明後日も雨。つか来週金曜まで雨印が入る10日間予測。自転車生活している私にとっては、行動範囲が狭められてしまうのでたいへん困る。やっぱ車がほしい。カーシェアで時間を気にしながら走るのではなくて、いつでも好きなときに石狩湾まで車を飛ばしたい。
Primal screamの“loaded”で最初の会話のサンプリング部分が映画“The Wild Angels”(1966)からであることを最近知った。牧師の問いに答えたヘルズ・エンジェル(ピーター・フォンダ)の長台詞なのな。ヘルズ・エンジェルが"we wanna get loaded"って言ったなら、それはLSDでもなければヘロインでもないのは確かだろうけど、ビールではなくてメタンフェタミンかもしれないな。
Velvet Undergroundの“Loaded”は明白にドラッグ的な含意があるけど、“The Wild Angels”のセリフにはその含意はないはず。というのもヘルス・エンジェルはLSDには興味がなくてビールのほうが好き、みたいな描写を“The Electric Kool-Aid Acid Test”で読んだので(私の記憶が正しければ)。
では1991年のPrimal screamの“loaded”の含意は何かというとMDMAだと思うのだけど、という前提が抜けてた。
ギター弾いてたら出てきたアルペジオのパターン。なんか聞いた覚えがあるのだけど、なんだったか思い出せない。
ターヘル・アナトミアの逸話で出てくる「フッフルヘンド」って音韻的にもなんかいいよなと思ってググってみたら正しくは「フルヘッヘンド」だった。まちがえて覚えていたよ!しかも間違ったまま気に入ってた。はー、フッフル、フッフル。
エコーチェンバーの中に安住するのはよくない、という強い信念があるのだけど、ふと思うに、エコーチェンバー作る能力って、友達作る能力と正の相関があるんではないだろうか、なんてことをFBを見てて思った。
ひさびさにprime music開いてみたら「大阪へやって来た」友部 正人 が入ってた。エンケンも1stから3rdまで入ってた。
「せきしゅんのあめ」って歌詞、なんだったっけ?と頭をぐるぐると回っていたが、自力で思い出せなかったのでググってみたら、2ページめに出てきた。「散りゆく花」アリスだった。
「金魚王国の崩壊」久しぶりにアクセスしてみたら、まだ完結してないみたい。そもそもどこまで読んだかも覚えてないので、4話から読み直している。ウォウ〜
ビートルズの"I feel Fine"のドラムのハイハットが"チャンチャカランチャチャンチャンチャンチャン"なのは遅いスピードで録音したのをスピード上げてるから(アウトテイクでは"チャンチャンチャンチャン"としか叩いてない)と理解していたのだけど、ググってもどこにもそういう情報がない。まぼろし?
そういえばSaxon Shoreって活動してるのかなと調べてみたら、いまだに2009年の"It Doesn’t Matter"以降新作が出てなかった。私のスマホの着メロはいまでもこれの6曲め、"Bar Clearing Good Times"なのだけど。
「望遠レンズの圧縮効果」の話、この記事を読んでだいぶ納得いった。ではなんで「実際よりも」圧縮されて見えるか、については書いてなかったけど、おそらく我々の目は広角レンズ的に距離を感知しているので、望遠もしくは画角が狭いものの拡大はその予測を裏切るのだろう。
試しに紙で筒を作って遠くの風景を見てみたら、圧縮効果っぽくなるようだ。ただし、今日は雪が降ってきて、遠くが霞んでしまうので、正当な評価ができないのだけど。
「望遠レンズの圧縮効果」の最たるものがプロ野球の投手の後ろから見た映像だと思う。あれだと球のスピードがすごく遅く見える。審判カメラによる映像がyoutubeにいくつかあるけど、あれは迫力はあってすごい。当たったら死ねる。アストロ球団かよっていう。でも揺れるので長く観ることはできない。
だったら、スーパーボウルのEyeVisionみたいに、複数カメラで揺れを補正した上で、たとえばバッター目線とかで安定した映像を流すということはできないものだろうか?スーパーボウルほどのカメラ数必要なさそうだし。でもNPBはまだしもMLBでも観たことない。そういう需要ってないのだろうか?
それとも、画面に看板広告を写しつづけることが経営判断上重要すぎるために、映像経験についてのイノベーションを妨げているということだろうか?
昨日は年末恒例の高校の同窓会。Zoom飲み会だけど、ブレイクアウトルームで10分ごとに強制シャッフルする形式だったので、例年よりも多くの人と話ことができた。そういう意味では、Zoom飲み会も悪くないかもと思った。
進学校なんで、経済的に成功してアーリーリタイアした人もいるのだけど、今回さらに増えてた。私にとっては無縁な話ではあるけど、どのくらい資産が溜まったらアーリーリタイア可能なので聞いてみたかった(が聞きそびれた)。
自分は53歳なので、定年までもう10年切ってる。(そもそもいまのポジションは年限あるし。) いま健康寿命が72歳であることを考えると、もうそんなに時間はない。今でないとできないことに注力したほうがいいのではないか、なんて考えたりする。
この間の同窓会のときの会話で「ユヴァル・ハラリ」と「ジュンパ・ラヒリ」を取り違えて喋ってきたことに、今になって気がついた。
2022年04月24日
■ リルケの「ドゥイノの悲歌」と「開かれ」
(20151115) なんとなく詩が読みたいと思って先週借りてあったリルケの「ドゥイノの悲歌」を読んでる。案外覚えてた。大きい数字がきっちり割り切れるところとか、軽業師についての言及とか。以前読んだのは学部の頃だろうか。当然岩波文庫の改版前のものだ。どっかにドイツ語の原書があるのだが、実家だったか?
「ドゥイノの悲歌」の第8悲歌は「動物と人間」がテーマで、「動物にとって開かれている」という表現がハイデガーの批評の対象となったとかは知らなかった。さらにまさにこれをテーマとした「開かれ 人間と動物」アガンベンという本もあることを知った。読めるかどうか分からないが借りてこよう。
『ドゥイノの悲歌』の第八悲歌の解釈 独語独文学科研究年報, 16: 53-66 良い資料も見つかったので、ドイツ語で読むか。(<-ぜったいやらない系)
(20190922) 再び「ドゥイノの悲歌」を読みたくなって、「新訳リルケ詩集」(富岡近雄 訳、郁文堂 2003)を借りてきた。ちょっと積んでおく(読むとは言わない)。つか昔丸善でハードカバーで買ったものだが、今はネットで原文にアクセスできるな。
「ドゥイノの悲歌」は第8章が動物と人間の心について比較しているところがあって、違った方面からも面白いのだった。
Wikipediaの解説を読むと、
作品の基底には「全一の世界」、つまり目に見えるもの・見えないものを含むあらゆる事象が相互に関連し一つの統合をなしているというリルケの考えがあり
とか書いてあって、また繋がったよ!とか思う。(<-Jumping-to-conclusionバイアス)
(20200721) リルケの「ドゥイノの悲歌」が好きで、たまにマイブームが来るのだけど、今回はDeepL翻訳を使って独英対応させながら読んでた。
第8悲歌で動物の意識に言及して「開かれ」Das Offeneという概念が出てくる。新約リルケ詩集(郁文堂)にリルケによる説明(書簡)があった(p.421)。
「動物の意識の程度は、(私たちが為すように)世界をあらゆる瞬間に自己に対置することなく、自己をそっくりそのまま世界の中に置くのです。私たちは、私たちの意識が取った独特の展開と強調によって、世界の前に立っているのです…動物や花はおそらく、自らは全くそれとは理解することもなく、開かれた世界のものであり、そして自分の前に、自分の上にあの名状しがたい開かれた自由を持っているのです。このような自由は、ひょっとしたら初めての愛の瞬間に…そして神への献身のうちに、私たちが(ほんの一瞬の間)その等価物を見出すようなものです」
ハイデガーも「開かれ」という言葉を使っているけど、逆に使っているらしい。「ヴェールを剥ぎ取られた存在を名指す開かれを見ることができるのは、人間だけ、いやむしろ、真の思惟の本質的なまなざしだけである。逆に、動物は、この開かれをけっして見ることがない」(「開かれ」アガンベンp.102より)
意識を考えるにあたって、どこかでこういう「実存」について考える必要があるだろうなあとは思うのだけど、なんかハイデガーのこういうところが馴染めない。リルケの言ってることのほうが理解可能に思う。仏教っぽいからかもしれない。
「開かれ」については「ハイデガーと生き物の問題」(串田 純一)の第3章で「自然全体のただ中で脱抑止の連関にとらわれているものとしての生き物」の関連で言及されている。
「開かれ」についてなんでこだわっているかというと、オートポイエーシスにおけるorganizational closureとどっかでつながらんかなと思っている。
(20220424) 今回は札幌中央図書館で「リルケ全集第4巻 詩集IV」(河出書房新社 1991)を借りてきた。これには「ドゥイノの悲歌」の翻訳に加えて250ページ分の解説がついてる。さて今回はどこまで行けるだろうか。
2022年04月16日
■ 「バラ園、水平線、おだのぶなが」(さうして、このごろ2021年10月版)
ひさびさに東岡崎駅前に戻ってきた。ここがジョギングしたところ、ここが新しくなっている、とか思いつつ、でもさっぱりエモくならず、感情の平板化を再認識するだけだった。
水平線の距離は4.5kmという話、ウィキペの「水平線」見て計算してみた。[地球の半径R(=6378km)]と[R+身長h]と[水平線の距離x]の直角三角形で x^2+R^2=(R+h)^2 だから、 x=\sqrt(h \cdot (h+2R))\simeq \sqrt(h \cdot 2R)=\sqrt(1.8/1000 \cdot 2 \cdot 6378)=4.8km でもその理屈だと地面に這いつくばる(h=0.2m)と1.6kmになるんだがいいのか?
北大植物園に行ってきた。昨年10/31に行って以来1年ぶり。緊急事態宣言の間ずっと閉館していたので。バラ園では赤いバラがなんか光って見えるのに惹き寄せられた。でもそれは、写真には映らない。あれは、なんでがな あつたらうか?
「江別古墳群」 へー北海道にも古墳あるんだと思って読み進めたら「北大医学部陽子線研究施設で発見された古墳」って書いてある!これ仕事場の眼の前なんですけど!調べてみたら、サクシュコトニ川沿いには擦文文化(この言葉もはじめて知った)の竪穴住居とかがある(K39遺跡)。
北大埋蔵文化財調査室というところがニュースレターや詳細なレポートを出している。北大遺跡保存庭園とかもいったことがない。北大内、まだまだ知らないことが多すぎる。
札幌ではここしばらく寒い雨が降る日が続いたけど、今日は快晴で気温も17度くらいまで上がるとのこと。北13条門前のイチョウ並木にも、紅葉を観にきた人たちが今日はたくさんいる。北大のイチョウの最盛期はたぶん来週だけど。今日は私も円山公園にでも行ってこようと思う。
けっきょく出発が15時に。中央図書館に行ってから円山公園まで行って帰ってきた。14kmくらい。もうすっかり日が暮れていたので、円山動物園と円山球場からの下り坂を自転車を押して散歩した。
途中で撮った写真。 私の好きな場所1: 南21条西15交差点。電車事業所への引込線があるため、やたらとたくさん架線があるところがいい。 私の好きな場所2: 北5条西8交差点。サクシュコトニ川の水源を敷地内に持つタワマンのすぐ向こうにラーメン二郎が見える。その取り合わせがなんか味わい深い。
(10/31) 職場の前の北13条門イチョウ並木がいいかんじに紅葉してきた(金曜に撮影)。昨日土曜は紅葉を見に来た人たちで混雑して、まるで観光地のようだった。
「おだのぶなが」を"uwoda"で発音する技法を編み出した。
「どらえもん」をasahi super dryみたいにdryemonと発音する技法も編み出した。
New Radicalsの“You Get What You Give”のPVをひさびさに観て、90年代後半にメンタルタイムトラベルした。戸崎町のTSUTAYAがまだ「ディスクステーション岡崎」って名前で、試聴用のCDプレイヤーが並んでて、賑やかで混んでて、音楽が私にとって重要で、強い力を持っていた。
秋になってふたたびコバエとの闘いが始まったが、寒い季節になったらまったく現れなくなった。でも吉田は今日も生きている。吉田とコバエでは吉田のほうが生命力が高いらしい。よし、来年まで生き抜くぞ!
Turtle (タートル)もTortoise (トータス)も亀感あるけど(音韻的な意味で)、Terrapin (テラピン)って亀っぽくなくない?もっと平べったくて、流線型で、水を切って速く泳ぎそうな感じがするんだけど。
2022年03月14日
■ 「夏の魔物、秋の日はつるべ落とし」(さうして、このごろ2021年9月版)
Retinal waveの研究について考えてみたのだけど、もし人間でもこんな活動パターンが出ていたとするならば、赤ちゃんはお腹の中で毎日閃輝暗点みたいなのを経験していたのかもしれない。わたしはもう歳をとったので、そのころの記憶がないからわからないけど。
ある朝、居室に行ったら、小さな「夏の魔物」が盛大にお店を開いていた。こんなのはじめて。そういうわけで、「殺してしまえばいいとも思ったけれど」とかいいつつモタモタしてたら、エアコンの吹出口から逃げられた。いったいどこから入ってきたのかと思ったが、そこか。
骨伝導ヘッドセットはずっと興味あったけど、ネットで調べてもちょっと使ってみた的な記事しかなかったので躊躇してた。でも本しゃぶりブログの人が1年間使ってみたという記事を書いたのを読んで、即ヨドバシカメラまで行って買ってきた。AfterShokzのOpenMove。
そしたら1日でもうこれは手放せないとわかった。自分は仕事中に音楽聴かない人間なので、岡崎在住時は職場との行き帰りと車の移動で音楽を聴いてた。でも札幌に引っ越して車がなくなったので、ほとんど音楽を聴く機会がなくなった。でもOpenMove買ったらジョギングから買い物までずっと付けっぱなし。
音は普通のイヤホンよりも良くないけど、外で環境音を聞きながらでは音質を求める必要がなかった。音漏れは思ったより少ない。高音がシャカシャカいうので電車では使えないが、信号待ちで隣の人に電波ソングが丸聞こえになったりはしない。あと、耳をふさがないというのは実に快適。いい買い物だった。
骨伝導する位置はすぐわかった。ひとつ気がついたけど、マウスのクリック音のようなカツカした音はこめかみにビシビシくる。響く音と響かない音があるらしい。低音は響くだけで音としては聞こえてこないので、イコライザーとかでカットしてしまったほうがよさそうだが、そこまで手間はかけてない。
懸垂式モノレールに乗って車道の上を走り、最後は離脱して終着駅につく記憶があったので、湘南モノレールかなと思って動画見てみたらなんか違う。
いろいろ調べたがわからない。懸垂式なので、該当するものは湘南モノレールしかなさそうだ。
自分のツイートを検索したら、そもそも自分は湘南モノレールに乗ったことはないと書いてあった。昔家族と鎌倉に行ったときに乗ったつもりでいた。でもそれは勘違いで、このツイートをしたときにストビューで下の道路を追跡しただけだったようだ。そんなことありうる? 自分の記憶が信じられなくなった。
9月も後半になったら、18時にはもうすっかり空が真っ暗だ。緯度と経度の違いだろうかと調べてみたら、札幌の日の入りは17:27で、岡崎は17:45。いうほど違ってないな。地域差よりはむしろ夏から秋にかけての変化を実感しているらしい。「秋の日はつるべ落とし」だ。
調べてみたら、簡単ではないということがわかった。「日の入時刻地図」を見て初めて知ったのだけど、日の入りの時刻って経線と平行でないのだな。当たり前かもしれないのだけど、夏至と冬至の傾き方が「日の出時刻地図」と「日の出時刻地図」で反転しているのを見てわからなくなった。
さっきのPDFとか、こちらのページとか見て、アナレンマを書くと9月終わりには正午の段階ですでに太陽が10度西に傾いているとか、均時差の概念とか、いろいろ理解しなければならないことがあることを知った。さっきのpdf見ながら三角関数をいじればよさそうだ。
2022年02月02日
■ 「ピペットマン、パラフィルム、ドムドムバーガー」(さうして、このごろ2021年7-8月版)
「ロビンソン」と「クルーソー」でコール・アンド・レスポンスしてみたい。アリーナ席を左右半分に分けて。
今日は電子秤やピペットマンの選定をしていた。実験で必要なサイズを確認とか、GILSONのやつでもGとLとPでなにが違うかとか、いろいろ調べていたら3時間くらい飛んでた。
パラフィルムを注文しようと思ったのだけど、パラフィルムという言葉が出てこなくて、「3Mの…シリコンの…」(どちらも間違い)とググってみてもさっぱり見つからず、諦めてべつの仕事していたら突然「パラフィルム」の語が降りてきた。私の中に、パラフィルムの概念は、たしかに存在していた。
時計台、とは名ばかりの錆びた鉄骨と古びたコンクリートの塊でできた階段を登り、見下ろしてもだだっぴろい駐車場にただ一つの車と、それを照らす街灯しか見えない。逃げて逃げてここまで来たのだけど、ここにもなにもなかったし、階段は低く共鳴しているし、天井の闇は不吉にうごめいている。
ホメオスタティシャンhomeostaticianという職名を考案した。生体恒常性を整えてくれる。(<-「整える」を定義しろ)
久しぶりに夢らしい夢を見た。いつもの「ほとんど考え事」ではなくて、視覚経験を伴い、他者がいて私は行動していた。私は車の中にいて、次の場面で私は自転車を停める場所を探していた。内容はひどく自罰的なものだった。今日はいつもより早く目が覚めてしまったので、夢を覚えていたのかもしれない。
ここ数年、少なくとも札幌に来てからは夢らしい夢を見た記憶がないので、これが初めての経験だ。もしかしたら普段から夢は見ていたのだけど忘却されていて、今朝はたまたま早く目が覚めてしまったから記憶に残っている、ということなのかもしれない。
USCにいたときに地震があったな、と急に思い出したので調べてみたら、どうやらこれ: "2010 Baja California earthquake"らしい。LAはせいぜい震度3か。それでも到着直後だったので、すげー不安になったのを覚えている。とりあえず向かった建物の裏口の階段の踊り場の光景を覚えている。
"Dangerous Giant Heavy Duty Hammer Forging Process, Excellent Workers’ Skill In Steel Forging” 映像もいいが、音もいい。もっと良い機材で録音してほしい。
ドムドムバーガーの「ドムドム」部分にはシンセベースっぽさを感じる。(<-不要不急なツイート)
タフであるけど弱いままでありたい、強者の論理を振り回さずにいたい、と心密かに願いつづけている。でもそのためには、卑下せず自己憐憫せず、おのれのダメさに言い訳せず、恥をかくことにオープンである必要があるだろう。そんなの不可能だなと思いつつ、ただ命の炎を、消えるまで燃やし続ける。
2022年01月30日
■ 「夜明けの口笛吹き、ゼラニウム・キッス」(さうして、このごろ2021年6月版)
(6/10) 大学構内をポプラの綿毛が舞ってる。構内のサクシュコトニ川にも降り積もってきている。夜はなんか花のような甘い香りがしている。綿毛は花が咲いたあとにできるから、花の香りというのは正確でないのだろうけど。明日は気温が30度までいくらしいので、たぶんポプラの綿毛ももっと飛び交うことだろう。
以前のブロク記事に去年の綿毛がいちばん飛び交っていた日のサクシュコトニ川の画像を貼っておいた。2020年6月9日。ほぼ1年前だったので、自然すげえって思った。
藤井寺市の古市古墳群見に行きたい。歴史はぜんぜん興味がないのだけど、「街の中に普通に古墳がある風景」というのに惹かれる。新コロのせいでもう1年くらい北海道から出てないので、そろそろどっか行きたい。
「何者かになりたい」と「モテたい」って同じ構造だということに気がついた。後者が「(相手が誰か想定せず)モテたい」を含意するがゆえに説教食らうのと同じように、前者も「何者ってなんだよ、具体的な目標見つけてそれに向かって努力しろよ」と説教されるという意味で。(<-いい歳してどうしたの?)
「ゼラニウム」ってあまり名前と実物が一致してなくない? 「テンジクアオイ」って言われるとそれはそれでテンジクぅ?って思うけど。
それでなんで「ゼラニウム」だったかというと、「ゼラニウム・キッス」というフレーズを思い出して、それが誰の歌詞だったか思案していたのだけど、けっきょく判明したのは、ボブ・ディランの「ローランドの悲しい目の乙女」"Sad Eyed Lady of the Lowlands"だった。
“The Piper at the Gates of Dawn”を「夜明けの口笛吹き」って誤訳だよね?シド・バレットなのだから“Piper”と言ったらBlakeの詩に出てくるような羊飼いの笛とかパンフルートとかああいうのだよね?と調べてみたら童話「たのしい川べ」の7章からとったそうな。
そういうわけでだいたい合ってた。ところで、ではなぜ「夜明けの口笛吹き」なのか、というのは当時のレコード会社の人がどう考えたか次第でよくわからないけど、誤訳というよりはむしろ「夜中に口笛を吹くのは縁起が悪い」というアレから来たのではないかと思った。
ライジングサン中止のニュース。五輪に反対する立場ならば、フェスにもおおっぴらに行くとは言いにくいと思っていた。Lack of integrityの問題に直面せずに済んだとむりやり納得しておくことにしよう。来年までは頑張って生きて、来年こそ行けるように準備しておこうと思う。
「トラコーマ」って今日日使わないフレーズだよなあ、と思ってウィキペってみたら「先進国ではほとんど見られなくなった」とあった。急に思い出したのは、たぶん子供の頃に病院で見た写真のトラウマな記憶のせいだと思う。たぶんこういうの。
このブコメにもあったけど、「故人のアカウントで親族が訃報をツイート」ってたしかにそんな簡単じゃないなと思った。私も長男あたりにパスワードを教えておいたほうがよいのだろうか?
2021年12月03日
■ 「カニちゃんこ、レッドバロン吉田、ヌンク!」(さうして、このごろ2021年5月版)
「ショック!カニちゃんこ」という廻文を考案した。
「あきれるわ、アルキル基」という廻文を考案した。
「ありえない解決策を図る」というのを提案したい。つまり、豚が空を飛べばいい。最初から。ドクター、ドクター、プリーズ!
春と秋はいつも着てるL.L.Beanの赤いウィンブレ(というかヤッケ?)、新婚旅行の写真でも着てたので、たぶん25年くらい着てるんだけど、ついに腰のあたりの縫製がほつれてきた。長い間よく保ってくれた。
(2021年11月追記: けっきょく補修して、2021年の秋もこれで乗り切った。)
「レッド・バロン」という概念が好き。バイクには乗らないので店には興味ないのだけど。バロン吉元からの連想か、70年代感ある。紅い稲妻。「バロン」ってきょうび使わない単語だよね。なろう系異世界ものの舞台(ナーロッパ)で貴族や騎士がいる世界でも、バロン(男爵)って見たことない。なぜだろう?
“curfew”(門限 or 外出禁止令)という単語を知った。そういえば、なんかの歌詞にこの単語あったなと思ったが思い出せない。ビートルズ、S&G、と順番に検索していって、ボブ・ディランの“Gates of Eden”の出だしに出てくるのを見つけた。記憶にあったのは多分これだけど、まだしっくりこない。
自分は大学生の頃に翻訳に興味を持っていたのを思い出した。安西徹雄の「翻訳英文法」に賛同して、バベルプレスの「翻訳の世界」を購読して、巻末にある翻訳問題を解いて送ったりしてた。けっきょく翻訳業界はあまりに儲からないことを知ったので、進路としては選ばなかったけど、いまでも学術書の翻訳を読むとたいがい理解不可能な文章があるので、ブチ切れて原書にあたって、俺なら(翻訳英文法的に)こう訳すのに、とか思ったりする。
先日、北島三郎の「函館の女」が頭の中でぐるぐると鳴りつづけていた(イヤーワーム)んだけど、金管楽器の音がコンプがかかったみたいにバキバキに鳴っていたので、本物もこんな音だっけ?と確認してみたら、もっとおとなしい音だった。記憶を頼りにすると、コンプがかかるらしい。
CREAMの"Crossroads"ってジャック・ブルースが歌っているもんだとずっと勘違いしていた。いまはじめて気がついた。いかに自分がぜんぜん「聴いて」ないかということを気づかされた。
「アンドリュー各務原」という芸名を考案した。なんとなく語感がよい。
異世界転生したい。宮廷薬剤師として、有機化学の知識を駆使して、薬草からの抽出法とか試行錯誤しながらスローライフを送りたい。
生理研のラボの人の結婚披露パーティーで、豊田市のレストランを貸切にして、中庭のところでセレモニーをやって、私はなんだかんだで手持ち無沙汰になって、あちこちウロウロしながら、でもとてもいい季節で、あの光景を急に思い出した。(光景が先で、後で結婚披露パーティーだったことを思い出した)
左右の指をキツネのポーズにして「ヌンク!」って叫ぶ型を考案したのだけど、ところでヌンクってなんだったっけとググってみたらファッションブランドが出てきたので、いやそれではなくてと調べてみたら、細胞培養に使うディッシュだった。そうそう、これよこれ。ヌンク!(左右の指をキツネのポーズにして)
「卓球したくないですか?」(<-電車で急に話しかけてくる隣の席のおじさん)
(5/31) 今日も冷たい空気で、夕方になったらさらに冷たい雨までが降ってきた。いわゆる蝦夷梅雨というのは6月後半の話らしいので、それとはべつのようだけど。
今の気候はむしろ「リラ冷え」に該当するらしい。まだまだヤッケと長袖の生活が続く。
2021年11月29日
■ 「ゴニオ先輩、フキノトウ、長久手-弁天島」(さうして、このごろ2021年4月版)
「ゴニオメーター」の「ゴニオ」部分、いいよね。俺もゴニオ先輩にラーメンおごってもらいたいよ。
次男が小学生だった頃のソフトボールチームで、特別イベントとして岡崎市民球場でナイターで練習試合をやったことがあって、私は保護者として球拾いをやっただけではあるけど、こんなところで野球できたら楽しいだろうなあと思った。ここ5年くらい野球してないな。
昨日数年ぶりにサーティワンアイス食べた話を書こうかと思ったが、コロナの時期に外食した話をツイートしている人が周りにいないので、そんなことしてません、やろうとも思ってません。
私のソウルジェムが曇ってヤヴァいことになっていたので、コープに行って寿司10貫入り800円のところ半額400円を買って号泣しながら食べた。(<-号泣してない)
(3/23) 医学部学生サークル室の脇に咲いてたフキノトウ。この時期はまだ人通りの少ない道には雪が残っている状態で、これがこの春初めて見つけたフキノトウ。
(4/8) 今日はたぶん一ヶ月ぶりくらいの久々に雪が降った。帰りの道にはなにもなかったけど、芝生がうっすらと白くなるくらいは降ったようだ。なるほどこれが「なごり雪」ってやつか。
大学1年のときの英語の先生がたしか有名なSF評論家だったのだけど、自分に知識がないので何も話しかけられなかったことを思い出した。(裏とりに調べてみたが、たぶん巽孝之氏だったと思う。)
ついでにメモっておくと、もうひとりの英語の先生は小野寺健氏で、E.M.フォースターの「アビンジャー・ハーヴェスト」を採りあげてた。大きい書店でE.M.フォースター全集が並んでいるのを見たりすると、もう一回読んでみようかなとか思って本を取る。そして本棚に戻す。
エアリプには応答しないし、エゴサはしないようにしている。これまでずっとそうしてきたし、今後もそのつもりでいる。それはそれで我慢が必要なこともあるけど、今後も炎上もしなければバズりもしない、という状態をキープしていきたい。
なにか話題を出すなら、なるたけ他人事みたいな態度をとらないように気をつけているのだけど、自分ごとに引き寄せて書くと、書くべきでない深淵が出てきてしまうので、けっきょくツイ消ししたりする。そういうのを繰り返していたら、自分が書くことのできることなんてほんの少しだなと気がついた。
"Buffalo Springfield"の名は蒸気ローラーの名から取られているけど、実車の映像がyoutubeにあった。Buffalo Springfield Steam Roller
これを見るとSpringfieldとはOhio州のSpringfieldなので、Buffaloとはナイアガラの滝の近くのBuffalo ということだろうか。東海で例えるなら(<-?)、長久手-弁天島みたいな。
みんなしてナイスネイチャ、ナイスネイチャって、そんなにたくさんの人がネイチャーにアクセプトされてんの?
My Bloody Valentineの"Strawberry Wine"を久々に聴いていて、これってブルガリアンボイス的なコーラスにできないかなとか思った。それだけ。
"Strawberry Fields Forever"のサビでフロアタムがドコドコ鳴ってるのはオーバーダブだと思うんだけど、ドラムカバーしてる映像で、左手一本でドコドコ鳴らしているのを観た。再現できるのか。本物はフィルイン叩いている間もフロアタム聞こえるのでやっぱオーバーダブだとは思うんだけど、
2021年10月21日
■ 「きかんしゃトーマス・マンボウ・フキノトウ」(さうして、このごろ2021年3月版)
きかんしゃトーマスのOP曲、始まりがいきなりC-Abで転調か。かっけーな。シド・バレットみたいだ。
天気予報のお告げのとおり、今日は気温が10度まで上がり、道の雪が融け始めた。雪解けの季節が近づいてきた。雪解けって白い雪からせせらぎが流れるようなイメージだったけど、じっさいは泥混じりの雪で排水口が詰まって横断歩道前に泥水の水たまりができる。これが雪解けだった。
エヴァについては当時薬学の友人が熱心に勧めてくれたが、TVシリーズ前半で断念して以来いっさい見てない。自分は90年代までは(根本敬とか危ない1号とか読んじゃうような)ロック寄りのサブカルで、(ギャルゲ論壇や非モテ論壇が隆盛した)ゼロ年代からオタクにシフトしたので、基礎的素養が欠けている。
1980年代は同時代の音楽には見向きもせず1960年代のサイケデリック・ロックとかそういうのばかり聞いてきたので、現在のシティポップ再評価の流れにもぜんぜん乗れない。ヴェイパーウェイヴとかチルウェイヴみたいに、仮想の80年代を表現したものはわかるんだけど。
「岩波文庫の哲学の色」 こういうのがパッと出てくるのはいいなあ。自分はこの種の気の利いてるのが好きで、自分なりにそういうのが溢れてくる時期があったと自負していたのだけど、TwitterやSNSで反響が可視化されるに至って、私なりに面白いと思っていたものはたいがい独りよがりだということに気付かされて、幻想は壊れた。
ウィキペで(アメリカでも)「『フランダースの犬』は出版されているが、「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」として、ハッピーエンドを迎えるように改変され「ネロが息を吹き返す」「ネロの父親が名乗り出る」といった展開になっている。」というのを読んで、ほっこりとした心持ちになった。
長い映画でのトイレの問題 自分もこれ深刻で、90分程度のものはなんとかなるが、それ超えたら途中でトイレに行くの込みで見てる。人間がトイレに行かなくて済む(+雨のときに傘をささずに済む)ようになったら、それこそがシンギュラリティだと思うよ!(<-ヤケクソ)
「ただの田舎の駅前の安いそば屋なのに妙に気になる」 これ好き。ここに再訪するためだけに旅してもいいし、行ってみたら思ってたほどでなくてがっかりするところまで込みで、そんなふうに人生を楽しめたらよかったんだけど、と思う。
春が近づいてきた。今日は今年初の自転車でお出かけ。15.6km in 74min。とくにあてもなく、西の方に向かった。道の雪は融けたけど、自転車レーンには雪が積み重ねられていて、まだ自転車で走るには早かったようだ。だがおれは一番先に咲くフキノトウ(<-どうした?)。
走っているうちに、琴似に行けばなんとかなるだろう、と目標をとりあえず決めた。宮の森まで来たら、サザエ食品の店舗があったのでそこで途中停車。(後で調べたらこれが宮の森本店で、裏の工場からできたてが買える) おはぎをゲットした。あんこも良かったがモチ米がうまくて満足した。
道中でそういえば激安スーパーで有名なのがこっちの方にあったな、と思い出したので、ネットを検索してみたら、西野の「マンボウ」だった。ということで今日の目的地が決定。店の前まで来たら、もう人が多くてすぐわかる。「食費を半分に!」とあるけど、本当に安かった。
たとえば豚バラブロックが341gで270円 (税抜き)とか(79円/100g)。若鶏むね正肉が69円/100g、たとえば241gで166円 (税抜き)とか。これは車で来ないと意味がないことがわかったので、今日のところはとりあえずかさばらないものということで、ユウキの甜麺醤130g 248円と豆板醤130g 248円 (amazonに勝ってる)だけ買ってきた。
帰りは発寒川の雪を見たり、場外市場に寄ってみたり。最後に桑園のホーマックで災害用の手回しアーム付きラジオを買ってきた。でもってFMラジオを聞きながらこれを書いてる。いい週末だった。明日から本気出す。
今日はいろいろあってけっきょくCOOPに行くのが20時を過ぎたので、刺し身を買って海鮮丼。アトランティックサーモン刺身用 170gと豊後ブリ刺身用 100gが両方半額で合計350円。ご飯に対する刺し身の比率が高すぎた。刺し身は200gくらいあれば充分らしい。でもまあ、それも自炊ゆえの喜びということで。
自転車で街を走ると、滑り止めの砂利で走りづらい。アスファルトにところどころ大きな穴が空いている。雪が解けて、道に沁み込んで、また凍って、を繰り返すことであちこちに亀裂が入っている。路肩の雪も日に日に薄くなる。雪解けした場所にはすでにフキノトウが育っている。春が近づいてきた。
「虚無」と「スンってなる」ってネットでも日常生活でも使ったことがない。使いこなしてみたいなと思うこともあるが、使いこなせないので、使わない。
にゃおーん (<-いろいろ言いたいことはあるが、言うに言えない気持ちを「にゃおーん」の一言に込めて)
Youtubeで「屋根から雪が落ちる映像」みたいなのばっかり観てる。
「限界ごはん」 自分は札幌単身生活で夜遅くなった帰りに、スーパーまでの雪道を1km歩く余裕もないときは、家に常備しているパック入りモチとかフリーズドライ卵スープで凌いでた。たしかにここで紹介されてるようなものを常備しておくと有効そう。
2021年10月17日
■ pooneilの膝改造日記つづき
pooneilの膝改造日記のつづき。以前は第17日目の退院の日まで書いたのだった。そこからリハビリの日が続いた。それについてツイートしていたのをまとめておく。
[pooneilの膝改造日記第18日目] 退院後の仕事第一日目。居室に行ってPC仕事。ロキソニンが切れたからか、ずっと頭が痛い。歩く方はとくに不便なし。中央食堂まで往復してきた。膝の装具があるのがすごく安心させてくれる。これなら明日は紀伊國屋書店まで歩いて往復できそう。(<-急に負荷をかけすぎ)
これまでのメモを全部まとめてブログ記事にしておこうと思う。医師から膝MRのデータももらっているので、それも解析したい。簡易ビュワーによるJPEG形式の閲覧(添付画像)だけでなく、DICOM形式のデータももらっているので。
前十字靭帯ACL再建術の動画。3Dアニメーション使用でわかりやすい。つか説明聞いてたら、術後2-3時間回復室で過ごした後、家に帰ります、とか言ってる。日帰りかよ!
術中に関節鏡突っ込んでいる画像。見ているこっちが痛くなってくる。
退院後の仕事場での生活は案外問題ない。家のほうがかえって不便。というのも、病院ではベッドだったから、腰掛け状態から立ち上がるのは楽な動作なのだけど、家では布団なので、床から立ち上がらないといけない。そういうわけで毎回、生まれたての子鹿みたいに、プルプルしながら立ち上がっている。
退院したら焼肉屋行くぞ!とか思っていたが、夕食にスーパーARCSで買ったホルモン300g 400円を焼いてその脂でインゲン150g炒めて食べたら、なんだか満足してしまった。
入院中に(ずっと見そびれていた)「ダークナイト」観るぞと思っていたけど、長い(150分)のが億劫で、ついつい「釣った魚のさばき方」みたいなyoutube番組ダラダラ観てたら、入院期間が終わってしまった。Kindleにも積んでた小説詰め込んでおいたけど、いっさい読んでねえ。もう一週間入院していい?
[pooneilの膝改造日記第19日目] 今日はだいぶ頭痛が軽減した。装具を付けて歩く時間が長かったため、家に帰ってきたら脚が腫れていた。当分は足を動かす=>腫れる=>冷やす、の繰り返しで、それでも足を使って筋肉の衰えを回復させる必要がある。寝ているときは意図して寝返りを打つようにしている。
[pooneilの膝改造日記第20日目] タクシーで駅前まで出て紀伊國屋書店に行ってきた。本屋っていいなあ。でも購入は無し。その足でヨドバシカメラに向かい、ずっと懸案だったGPSウォッチ(Garmin Foreathelete 245)を購入した。ウォーキングとかライフログとか、いまこそ必要だと思ったので。
けっきょくのところ、歩き出せばとくに膝が痛むこともない。それよりは、デスクワークで膝が曲がった状態をずっと続けて、トイレに行くために立ち上がると、膝を伸ばした状態にするのがしんどいので、ちょっと時間をかけて伸ばした状態で安定するまで待つ必要がある。
[pooneilの膝改造日記第21日目] 札幌駅ビルまでお買い物。島村楽器と三省堂に行って何も買わず。ユニクロでレギンス(ジョギングとかでハーフパンツの下に履くやつ)を探したが見つからなかった。今度ワークマンで買う。帰りに大学までウォーキング。片松葉杖で1.4km/15分。
駅ビルでは、エスカレーターの上り下りでどちらの脚を出すべきか一瞬迷う。(常に低い方に損傷側がくるようにするのが正解だが、とっさに出ない。) 歩きでは、膝の装具をしていれば、ほとんど不安を感じることはない。たぶんもう片松葉杖無しでも歩けるのだけど、体重の2/3までという制限を守る。
[pooneilの膝改造日記第22日目] 昨日くらいから膝裏内側の神経がピリッとすることがある。膝裏の腫れが引いてきて、可動域が上がり、ほとんど問題なく歩けるようになってきたのだけど、膝裏の神経周りも色々再編成している段階で、刺激されたりとかを繰り返している様子。
[pooneilの膝改造日記第23日目] 片松葉杖もだいたい慣れたと思ってたが、夜の暗い帰り道で段差があるところに気づかず、転倒してしまった。装具をしていて可動域が狭いため、柔道の技(体落)をかけられたみたいにつんのめった。幸いうまく受け身をとれたので、大事には至らなかったけど。油断怖い。
[pooneilの膝改造日記第24日目] 術後3週目の診察とリハビリ。今日で片松葉杖が終了。普通に歩く練習をした。とはいえ基本は片松葉杖のときと同じ。左足をつくときは膝真っすぐで踵から、左足を上げるときは膝を曲げる、の繰り返しで問題なく行けた。整理券取りに行って帰って全部で6時間。半日潰れた。
今日の帰りも夜の暗い道の部分で、予想外に低いところでガクッとくるヒヤリハット事象があった。吉田という歩行システムが予測誤差の修正に脆弱であるのを実感した。手術からの回復期に、身体と環境の関係が時々刻々変わってゆくのに対応できてない感じ。(<-予測誤差トーク)
[pooneilの膝改造日記第28日目] 今日は自転車でジュンク堂書店まで行ってきた。片足ケンケンで時速10kmくらい出るし、心拍も140bpmくらい上がるので、それなりに運動になる。片道2.5kmで15分くらい。
[pooneilの膝改造日記第31日目] 手術から一ヶ月経った。今日も病院。リハビリは順調で、左膝の屈曲も140度までできた。(術前は左右とも150度。) 北27条の循環器内科の方はエコーで左ふくらはぎの血栓が無くなっているのを確認。Dダイマーが前回の19.9から2.8まで下がった(まだ基準値よりは高い)。
[pooneilの膝改造日記第63日目] 手術から2ヶ月経った。昨日から自転車解禁となったので、片足ケンケンから両足漕ぎに戻す。片足ケンケンのときはサドルを下げていたけど、両足漕ぎでは左膝を深く曲げすぎないようにサドルを高くした。とっさのときに左足を突くと危険なので、ゆっくり安全運転にする。
[pooneilの膝改造日記第88日目] 今日もリハビリ。2週間前から膝曲げ歩きKBWが始まって、今日はついにウォーキングからランニングに移行する動作の練習へ。とくに問題なし。それよりも椅子に座った状態からの片足スクワット10本3セットがきつかった。ちょっと左膝が重い。(腫れてはいないが。)
今日からジョギング解禁となった。でも、もうすこし体重減らしてからでないと怖い。雪で道が使えなくなるまでは、ウォーキングの時間と距離を延ばしていこうと思う。いま30分で3kmペース。これを50分くらいまで延ばしたい。膝の屈曲も150度になり、右と同じになった。自転車を漕いでいても、膝を曲げにくい感じがなくなった。
「膝前十字靭帯損傷の再建手術を受けたアスリートの競技復帰を支援するため、リハビリ期(初期~復帰準備期)に応じたセルフトレーニング動画」これすごく充実してる。
[pooneilの膝改造日記第151日目] 昨日はリハビリの日。ジョギングしてみましょうということで3分間軽く走ってみたけどとくに問題なし。だいぶもとに戻ってきた。はやく走りに行きたいところだが、道はツルツルで危険なので、氷が溶けるまであと一ヶ月半待つ。
昨年の冬は転倒回数ゼロを達成したが、ヒヤリハット事象はけっこうあった。今年はヒヤリハット事象ですら左膝に急激に負荷がかかるので避けなければならない。いまのところヒヤリハット事象は2回くらいか。北図書館前の道がスケートリンクみたいになってて危なかった。
[pooneilの膝改造日記第165日目] 昨日はリハビリ。左足のみで椅子から立ち上がるやつ、1月にはできなかったが、今回は難なく成功。この2週間くらい一日おきでスクワット、左足のみスクワット、ヒップレイズを続けてきたので、その成果が出たっぽい。道路を走ってみたいので、はやく雪解けしてほしい。
[pooneilの膝改造日記第179日目] 昨日はリハビリ。今回から横向きの運動も追加ということで、1) サイドスクワット、2) スケーティング、3) 右足で飛んで左足片足で着地するやつ。問題なくできる!と飛ばしたら、今日は左膝の奥に鈍痛がある。今日明日は膝の筋トレは休みにしてクラッチとかにする。
術後初のレントゲン写真を撮ったのを見せてもらった。腱を通すために骨にぽっかり穴が空いてた。あと3ヶ月でリハビリは終了とのこと。先が見えてきた。これであとは、1年以上経ってからボルトを外して完全終了になる。
[pooneilの膝改造日記第193日目] 今日はリハビリ。フロントランジをする際に、膝裏の内側ハムストリング腱の張力が高くする指示を受けた。でも触って確認しながら力を入れてもうまくいかない。しかもこの腱はわたしのACL再建に使われた部分だ。まだまだ自分の体を使いこなせてないことがわかった。
[pooneilの膝改造日記第208日目] 今日はリハビリ。両膝の筋力測定をした。だいぶ回復しているが、まだ右より左のほうが弱いとのこと。あと、体重支持指数(WBI)が低いですね、と言われた。WBIの改善には、筋肉をつけることよりも(筋肉を減らさないように)体重を減らすことのほうが有効そうだけど。
[pooneilの膝改造日記第285日目] 今日は手術後9ヶ月目でリハビリの最終日。ここしばらく筋トレをサボっていたので、左膝周りの筋肉の太さがまだ右側よりも1cm程度細いままだった。あとは自分で筋トレしながら、ボルト外す日が来るのを待つ。pooneilの膝改造日記もこれで終了。
2021年09月17日
■ 「どんぐりカレー・西瓜糖の日々・アリザリン クリムゾン」(さうして、このごろ2021年2月版)
「ストレイン・ゲージ」ってなんかバンド名っぽくない? なんかメンバー全員入れ墨入れてそう。
声に出して読みたい日本語といえば、今の気分としては「宝石の八神」かな…
「沸騰するやかん」「どんぐりカレー」「市松模様と螺旋形」「白黒の集合写真」「雑草に埋もれたマンホール」「街路樹からの落雪」「消える境界線」「七色の鍵盤ハーモニカ」「グリッサンド」「ポルタメント」「パンダ色のマスクカバー」「毛糸の靴下」「地震の前兆」「自走する草刈り機」「黒い日傘」
ブローティガンの「西瓜糖の日々」を原書で読もうと、kindle paperwhiteに入れて寝る前とかにちょっとずつ読んでいたのだけど、2ヶ月くらいかけてやっと読み終わった。翻訳で読んだのは20年以上前だろうから内容は忘れていたけど、ともあれぜんぜん入り込めなくてショックを受けた。
以前読んだときは「えいえんのせかい」のような寓話的な儚い世界だと思って読んだのだけど、再読してみたら、街から離れたところにヒッピーがコミューンを作って、そこで何かひどい犯罪が行われたであろうことを寓話的にぼかして表現しているようにしか読めなかった。
しかも主人公はものすごく傍観者的なのにモテて、主人公にとって都合の良いことだけが起こる。(嫌いな奴らが勝手にどんどん死んでゆく。) これは再読したことによって私にとっての物語の解像度が上がったせいか、それとも藤本和子の翻訳が原書よりも良かったからなのか。
今回はこの世界の描写についてちょっと気をつけて読んでいたけど、電気とか機械とかは一切出てこなくて、照明はランタンだし、人力だったり、馬だったりする。ただし「街」の存在があって、そこは1960年代のアメリカであるようで、ポストアポカリプス的な舞台設定だという前提が元々誤解だったのかも。
「せいりけん」って入力して変換したら「整理券」になった。他の人にとってはまったく驚きではないことだけど、私にとってはこんなこと数十年ぶりのことだ。
髪が長くなってきたけど、床屋に行く回数は減らしたい。ヘアバンドがどっかにあったはずだが見つからない。そういうわけで、持ってた赤いバンダナを巻いて、ヒッピーおじさんもしくはカントリー歌手(ウイリーネルソン的な)みたいな風貌で中央キャンパス総合研究棟2号館の4Fを行き来してる。
夜に誰もいなくなったところを見計らってギターかき鳴らして歌いたい。いい場所がないので、夜遅くに平成ポプラ並木の放牧場の横まで行くのがいいのかもしれない。人と出くわすとむちゃくちゃ気まずいけど。もしくは電子研の北の原野みたいなところとか?とにかく誰もいないところを見つけたい。
「電子研の北の原野みたいなところ」って今書いたけど、Google map見てみたら、なんかすげー整地してる。なんかの車が地面ならしてる。なんだこれは?いま行けばここは雪の平原?
ドノバンの"Wear Your Love Like Heaven"の歌詞にはいろんな色が出てくるので意味もなく並べてみる。Carmine, Carthamus Rose, Alizarin crimson. こうやって並べておいてなんだけど、ディスプレイの色って別もんだよな。
ウィキペの色リストのページ。
こういうのって永久に見てられる…といいつつ30秒で飽きた。
2021年07月28日
■ 「アムール今出川・クラゲ茶・大仏廻国」(さうして、このごろ2021年1月版)
「アムール今出川」っていう芸名を考案した。アパートの名前でもいい。…とここまで書いてから、念のためググってみたら、「アムール賀茂川」が実在することを知った。
「スーパーでよく聞くポポーポポポポ」 あれの名前が「呼び込み君」であるということを知ってしまった。
今日はオンライン飲み会だったので、いつもどおりウクレレいじりながら喋ってた。そういえば「ウクレレで緊急地震速報」をやるチャンスだったのに、忘れてた。
今どきのネットで人気の曲をいくつか聴いてみたら、歌がボカロっぽくて、映像がヴァイパーウェイヴ感あって、なるほどと思った。
「おかゆ作品」 わかる。先日日常系30分アニメ観たら、Bパートまでたどり着けなかった。いまの俺の胃にはモルカーしか受け付けないようだ。
子供向けでも、たとえば「おさるのジョージ」はけっこう「やらかし」のシーンがあるので、共感的羞恥がキツくて案外観るのがつらい。モルカーも、銀行強盗に乗っ取られたシーンがもし5分続いたら、たぶん観つづけることができなかったと思う。えいえんのせかいに旅立ちたい。
「クラゲ茶」ってのを考案した。ものすごく語呂が悪い。
「クラウド・ファンディング」ってのを考えた、まで書いて、念のためtwilogで検索してみたら、まさかのネタかぶり、しかも3回目。いったいなにがそんなに私の琴線に触れるのか、私が知りたい。
「大仏廻国」では東海市の聚楽園大仏が開眼して犬山城まで行き、さらに戻って三河までやってきて西尾の常福寺大仏に会いに来る。そんな存在とはつゆ知らず、自転車で通りがかったので常福寺大仏の写真を撮っていた。大仏にはとくに興味があるわけでもないが。
Korg Gadgetではスケールに合わせてキーボードを切り替えることができるので、Dドリアンにしてアンビエントなパッドをいじっていたら「君が代」が演奏できることに気づいた。要は雅楽の壱越調がDドリアンに対応しているということのよう。
興味が湧いたので更に調べてみたら、雅楽のスケールにエッカートが西洋風の伴奏を付けた。でもむりやりな当てはめのため、最初と終わりはユニゾン(N.C.)だし、基本C/Am調の和音だけど途中でD-G (ドッペルドミナント)が入る、ニール・ヤングみたいなコード進行になった、ということらしい。ソース
なんだろう?コンビニの駐車場があって、その前を走る細い道の向こうには、線路がある。なんだか懐かしい気もするし、すごくありふれすぎているだけにも思えるし。
髪が伸びてきたが、あまり床屋に行きたくない。前髪がじゃまになってきたので、JR東海の牧瀬里穂のCMの彼氏みたいに、赤いバンダナを巻いて、論文書きをする。とここまで書いて、Youtubeで確認してみたら、青いバンダナだった。(<-ファクトチェック)
急に思い出したんだけど、高校生の頃に栗本慎一郎の本(「パンツを捨てるサル」「意味と生命」あたり)を一生懸命読んでいた時期がある。(大木幸介経由での)ドパミンA10細胞(VTA)とか、ウイルス進化説とかいろんなもののごった煮で、たぶん無意識レベルで私にすごく影響を与えている。
中3のときに聴いた「リボルバー」からサイケデリックとか変性意識状態とか神経伝達物質とか、そういう本を読み漁って、私は薬理学の道に進もうと考えた。それからいろいろあって(雑)、なぜか今ここにいる。33年前のちょうど今頃、眼底出血で入院していた高3の自分には想像もできないことだった。
2021年04月24日
■ 「緊急地震速報、サンタさん、冬到来日記2」(さうして、このごろ2020年12月版)
私のはじめてのツイートが2007年12月13日で、それから13年が経ったとのこと。経つなよ。
暮れといえば「スカスカおせち」の時期ですが、あれって2010年の暮れの話だから、ちょうど10周年。あれから世界は色々と変わった。
「老人と子供のポルカ」って1番の「やめてけーれゲバゲバ」しか知らなかったけど、2番は「やめてけーれジコジコ」で3番は「やめてけーれストスト」だったのか。この役に立たない知識を俺は頭に刻み込んで、そのまま消えてゆく。
緊急地震速報のあのフレーズがジミヘンコードであることを知った。|C7(#9)/G|C#7(#9)/G#|だって。ギターのフレット表現だと |x|10|10|9|11|11| から |x|11|11|10|12|12| へスライドアップする。私には弾けなかった。小指セーハで1,2弦を押さえればよいのかなあ?
緊急地震速報のあのフレーズがジミヘンコードだったって以前書いたけど、ウクレレで弾いてみた。|5|4|6|6| と|6|5|7|7| の繰り返し。それにベースG-G#を付加して、トリップホップぽいドラムループを貼り付けた。
今日は頭の中を"Can’t Find My Way Home" (Blind Faith)がぐるぐる回っていたのだが、いつのまにかElectronic版(バーナード・サムナーが歌ってるやつ)に移行していた。
「虚構推理」のギミックってまさにカウフマンの「隣接可能領域」だよな、ということに気がついたのでメモ。
たぶんいま時期をいつか想い起こす日々が来たとしたら、今の時期のことを「納豆とキムチと豆腐の日々」と名付けることだろう。(<-「酒と薔薇の日々」っぽく)
あー、俺のところにもサンタさん、来てくれないかなあ (<-お前が、サンタに、なるんだよ!)
以下、冬到来日記。
(12/8) 今の札幌はぜんぜん雪が無い。一ヶ月前の雪(11/9)が消えて以来、パラパラとは降るけどぜんぜん積もらない。予報によれば月曜は一日中降るようなので、ここで積もるのかも。
(12/11) 札幌は今日の入りが一年の中で一番早い(16:00)。ちなみに日の出は6:56。なんでこんな非対称なの?と調べてみたら、南中時間が11:28と前にズレてる。いまだに理屈を理解できてないが、もうちょっと朝方にして、早めに太陽浴びて季節性うつ対策しておかないと。つか寝る!
(12/13) 自転車を冬期保管所に預けてきた。ここから3月までは自転車の無い生活になる。ギリギリまで粘ったが、期限は明後日で、明日以降は雪の予報なので、たぶんここが最後の機会。自転車を置いて、徒歩で大学まで帰る俺は、まるで翼の折れたエンジェルのようだった。
今日もすっかり遅くなった。帰り道の空気はスキー場の匂いがした。家に帰ってみると、部屋の温度は12度になっていて、いよいよ寒くなってきた。先週は最高気温が5度くらいだったけど、明日からはいよいよ最高気温が0度以下になるらしい。試される大地。
(12/14) 天気予報のお告げのとおり、昨日の夜から朝にかけて雪が降って、道路が真っ白になった。つか昨日までが暖かすぎた。朝はサクサクの雪だったが、夜の帰り道にはこれがぜんぶカチカチになっていて、北13条門の北大通りの信号を渡るときなどは、転倒しないように小股で歩いた。
(12/16) 道路で「ブイーン」みたいな音がしていて、こんな時間にヘリコプター?と(非主題的に)思っていたが、いま気づいた。除雪車か。月曜から続いている雪を削りにやってきた。除雪車ガンバレ、除雪車ガンバレ。(<-戦時中?)
(12/19) ひと仕事終えて、帰りに大学の建物から出てみたら、夜の間に雪が降ったらしく、パウダースノーで足跡が一切ない。これスキーできるんじゃねーの!と興奮しつつ、自分の足跡の写真を撮っておいた。
(12/20) 朝起きたら、けっこうな量の雪が降ってる。大学に行ってみたら、昨日の私の足跡は11時間ですっかり消えてしまい、再びふかふかの雪の中を蹴散らしながら歩くことになった。
(12/24) 今日は生暖かい雨が降って、リハビリの帰りの道は雪が溶けてベチャベチャになっていた。天気を調べてみたら、今日だけ最高気温が5度で、明日からまた最高気温は0度以下になる。つまり今日は車を運転できるチャンスじゃん?と気がついたので、カーシェアで業務スーパーに行って買いだめしてきた。
(12/26) 今日はガチ寒だった。けっきょく雪は夜まで止まず、気温-6度でも風が強かったので、体感温度はもっと厳しかった。明日も気温は低いが雪は降らないようなので、明日こそ買い出しに出かけようと思う。
(12/31) 昨日の夜から朝にかけて再び雪が降ったようで、北大構内はふかふかの雪で車道も歩道も埋め尽くされていた。
2021年03月25日
■ 「小樽行き、赤い稲妻、冬到来日記1」(さうして、このごろ2020年11月版)
楽天の通販で買い物かごに入れた状態で到着予定日が11/3着になってたから購入作業を進めたら、届け先が愛知県のままだったので北海道に変更した。それでもう一回確認したら到着予定日が11/4-6に変わっていて、北海道に住むってこういうことかと思い知らされた。
職場で部屋に鍵を置きっぱなしにしてロックアウトされてしまった。半年ぶり2度め。携帯も財布も上着も何もない状態。知り合いが出てくるのを待ったが、祝日の前ということもあって、17時半にしてすでにほとんど誰も居ねえ。15分くらいかけてなんとか解決したが、マヂ死ぬかと思った。
「コロナボーイ、コロナガール」っていうなんかダンス・チューンのタイトルっぽいフレーズを思いついたのだけど、不謹慎かと思ってリトラクトした。でもあまりのも語呂が良いので、ここに高らかに宣言しておく。(<-すんな)
そういえばSpirea Xの"Sunset Dawn"って"Jugband Blues"だよね。いつかわかってくれる人がこれにファボ付けてくれる日が来るまでは、生き延びようと思う。
「走れ!赤い稲妻!」
今日の授業が終わって、21時前くらいに疲れた頭で北13条門の横断歩道で信号待ちをしていたら、札幌発、北大経由、小樽行き 高速バスというのがバス停に到着したので、このまま俺を連れ去ってくれよ、とか思った。
「進化は予測できない」の例として、キャラ付け要素として「オッドアイ」「モノアイ」「チューリップハット」が出現したことを挙げてみたい。「チューリップハット」にはマヂびっくりした。
榎本喜八の人生、すげえなあ。とくに「神の域」から「奇行」のあたり。おおっぴらには言いにくいけど、俺はこういうのに心打たれるんだ。
さっそく「打撃の神髄 榎本喜八伝」松井浩、読んだ。自分と重なる部分もそうでない部分もあり、この種の突き詰め方をする人生には心打たれるのだけど、あー、もうこれ以上言いたくない。
以下、冬到来日記。
(11/4) 札幌、初雪きた。初雪はすぐ止んで陽が差してた。今日は盛りだくさんで疲れ果てたので、CHAINの演習授業が終了したあとさっさと帰宅。帰ってみると、室温は16度台になっていて、これまでの17-18度から下がってきている。
(11/9) 昨日の夜中は強風で窓ガラスが揺れていたけど、今朝起きてみたら、雪が降っている。(氷の粒だから正確にはアラレか) 先日の雪は一時間も経たずにやんで積もらなかったので、今日のが初積雪か。明日、明後日も朝方は雪らしいので、根雪にならないことを祈る。
銀杏並木は昨日まで観光客が集まるほど葉がたくさんあったのに、昨日の夜の強風であっという間に葉が落ちてしまった。銀杏もたくさん落ちているけど、氷漬けになているので匂いがしない。あとで氷が溶けると臭くなる。冬を越して雪解けしてから匂いがするのは3月あたりに経験した。
(11/14) 長期予報を調べてみたら、次に雪が降りそうなのは11/23。まだしばらくは自転車で活動できそう。
(11/15) 今日は中島公園まで出かけてきた。豊平館とか天文台とかを散策。菖蒲池のほとりのあずま屋からサックスの音が聞こえてきたので近づいてみたら、ご老人がカセットテープかなにか流しながら練習しているようで、メロディーをよく聞いたら「長崎は今日も雨だった」。味わい深い。
(11/16) 今日は実験がない日なのでまとまった仕事ができるぞと思っていたが、各種メールと事務作業をしていたら、もう窓の外が真っ暗だ。というのも、札幌の日没は早い。札幌の今日の日没時間は16:10なので、岡崎市の16:45と比べると明確な違いを実感する。
(11/18) いま15時50分だけど、すでにもう空が暗い。1月に着任したときはぜんぜん気にならなかったのだけど、今は日没の早さを痛感する。こうなると、もうすぐ夜が明けない日が来るんじゃねーの?(<-自然の斉一性への疑念)
(11/24) めちゃ集中できたので仕事が進んだ。帰りに建物を出てみたら、再び雪が降りはじめていて、寒々とした道を、いつもの薄っぺらいウィンブレ(20年着てる赤いやつ)のフードをかぶって、家まで歩いた。
(11/26) アパートの駐輪場は12月半ばで雪のため閉鎖になる。札幌駅北口に冬期自転車預かり所というのがあることを知った。先週末に予約手続きをしてきた。「例年持ってくるのが遅くて、雪の中苦労して運んでくる人がいるから気をつけて」と言われた。あー、私は性格的にギリギリまで粘りそう。
2021年03月05日
■ 札幌近郊をウォーキングしてきた
(11/3) 今日は午前中にウォーキングしてきた。4.22km in 66:47。途中で色々美味しそうなものがあったのでつまみ食い。気温も12度くらいで快晴で快適だった。滞在時間2時間でサクッと戻ってきて、共著論文の最終チェックを開始。そしたら空が曇ってきて、小雨がぱらついてきた。絶妙なタイミングだったらしい。
あと、この街は歴史的建造物を保全活用をしていて、どれも味わい深くてよかった。写真撮るために立ち止まってばかりで、あまりウォーキングにはなってなかったが。
2021年02月05日
■ 「ハングリーバード、Treasure Trip、北大植物園」(さうして、このごろ2020年10月後半版)
「〽今日の仕事はつらかった〽あとは〽ストロングゼロをあおるだけ〽」(<-あおらない)
頭の中で「ガットゥーゲダウェイー ガダガダガダゲダウェイー」ってフレーズが流れるけど、誰の曲か思い出せない。“got to get away” “gotta gotta gotta get away”でググってみたらストーンズ(“Out of our heads”)だった。うーむ、頭の中ではミック・ジャガーの声で再生されていたわけではなかった。
中央キャンパス2号館前のイチョウ並木の写真を撮っておいた。けっこうな数の観光客がいて、みんな写真撮ってた。
昨日の夜、なぜかウィキペの「克美しげる」の項目を読みながら、火曜サスペンス劇場のようだなとか思った。なんでそんなもの見てたんだっけと思ったが、たぶん筒美京平死去のニュースから巡り巡ってそこにたどりついたんだろう。たどりついたらいつも雨ふり。
「ハングリーバード」ってのを考えた。怒ってないの。代わりにめちゃ腹減ってる。…とここまで書いてから試しにググってみたら、そういう名前のゲームがあることを発見した。実在すんのかよ!
「格闘技を習ってホームセンターで働いて裏で弱い人のために戦う人生を歩みたい」 わかるわ(ry 俺も必殺シリーズみたいに、表向き姑に婿殿!とか叱責されて肩身が狭いんだけど、裏稼業では得意の解剖技術で的確に脊髄を撃ち抜いて世の悪人を闇に葬ってみたい。(<-混ざっとる)
西18丁目の保健所に書類を提出しに行ってきた。帰りはミニ大通公園の遊歩道に沿って植物園の裏に出たらなんかすげーいい感じだったので撮影しておいた。
Primal Screamの初期のライブ映像ってのを見たら、"Treasure Trip"のギターのカッティングがまるでTomorrowのようだった。なんだっけこれ?と思って探してみたら、“Shy Boy"だった。つかサビもそっくりじゃね?さっそく"Treasure Trip” "Shy Boy"でググってみたが該当する記載が見つからなかった。世界初の発見を主張しておきたい。
キース・ムーンがハイハット使わない話、昔の映像で確認してみようと思って1967年のBeat Clubの映像を見てみたら、たしかにハイハット開きっぱなしで使ってる形跡がないんだけど、2:16のあたりで一瞬叩いてる。本日伝えたいのはそれだけです〜
ラストチャンスなので北大植物園に行ってきた。混んでるかと思ったらガラガラ。いい天気でゆっくりできた。扇状地の先にあるので湧水池(メム)がある(図1)。ハルニレ(エルム)の林(図2)。オオタカネイバラの実(図3)。
「〽今日の仕事はつらかった〽あとは〽ストロングゼロをあおるだけ〽」(reprise)
2021年01月26日
■ 「フジツボ、ブタにゃん、キツネ」(さうして、このごろ2020年9-10月前半版)
「チーローリアーン」ってAMラジオでさんざん聴いたよなと思って探してみたら、youtubeで見つかるどころか千鳥饅頭総本舗が昔のCMコーナーとか作ってた。実家がメリヤス工場でクーラーがあるのが仕事場だけだったので、夏休みとなると夏休み子ども電話相談とか聴きながら仕事場でゴロゴロしてた。
ついにコバエを殲滅できたっぽい。コバエホイホイを新しく追加してももう捕まるやつがいない。「物陰にアースジェット」「至近距離からアースジェット三段攻撃」などの技法を開発してここまで来た。端的に気温が下がったからとも思うが。ここにアースジェッター吉田の名を返上したいと思う。
「フジツボ」を「フジツヴォ」と発音する練習をしておいた。この技法が役に立つ日が来るときに備えて。
サマースクール最終日のzoom飲みが終了した帰り道、松葉杖をつきながらイチョウ並木を歩いていてふと見上げたら、昨年の葉が落ちずに残っているっぽいものを見つけた。見回してみると同じような黄色い葉は他の木にも見つかった。まるで俺の人生のようだった。(<-そういうの要らない) ともあれ記録。
アマプラに「新しい日の誕生」2814が入っている(ただし1-6曲目までだけ)ことに気がついたのでさっそく聴いてみたら「悲哀」がいちばん良かった。ヴェイパーウェイヴ的意匠をまとったアンビエントって感じ?こっち方面、ちょいちょい見つけては聴くのだけど、いまのところまだドハマリはしてない。
“13th Floor Elevators - May The Circle Remain Unbroken” これ映像も相まって最高にサイケデリックで大好きなのだけど、違法アップロードなのでリンクしなかった。でもいつのまにかライセンス表示されるようになったので、実名アカでリンクできるようになった。
「薬の名前のタイトル曲リスト」ってのを思いついた。いちばん気に入っているのはSebadohの"Dramamine" (酔い止め)なんだけど、他が思いつかない、というかたいがいドラッグになってしまう。'Heroin"とか"Cocaine"とか。"Tylenol"とかあってもよさそうなのに。ググって"Halcion"ってのを見つけた。
野付半島を知った。なにこれ、キーウェストかよっていう地形に惹かれた。レンタカーに自転車積んで行ってみたい。海水面上昇で消えつつあるというのを読んで、これは早めに行っておくべきだなと思った。花が見ものなようなので、来年の6-8月あたりで。
「ブタにゃん」ってのを考えた。ブタなの。ネコじゃない。ニャンニャン。
入院前に髪を切ったのだけど、白髪が中途半端に交ざって、短髪のゴマ塩頭で、スクールウォーズ時代の名古屋章みたいになってきたので、つい気の迷いで白髪を染めてしまった。そんな自分の自意識が恥ずかしい。(<-ファクトチェック:スクールウォーズ時代の名古屋章は白髪ではない)
「ハートのエースが出てこない」から間奏を挟むと、どうしても「北酒場」になってしまう。(<-昭和トーク)
生協食堂に行く途中でリスが木の実を持って飛び跳ねているのを見かけて、おー、なんか北米っぽいと思った。帰り道では中央キャンパスの駐車場をキツネが歩いているのを見かけた。おー、なんか北海道っぽいと思った。建物の隅に隠れたところの写真。痩せ細っているようすだった。
2021年01月23日
■ 「ちのいろ、わが放浪、針尾送信所」(さうして、このごろ2020年8月版)
ザリガニ釣りとか行ったなあ。生ぬるい浅い池で、子どもが夢中になって、でもあれがどこだったか、ぜんぜん場所の記憶がない。たぶん俺はあそこにいたはずなのだけど、あの浅い池に足を踏み入れた生ぬるい水の感じとかは覚えている気がするのだけど、あのとき、俺は一体どこにいたというのだろう?
アースジェッター吉田、アースジェットにつづいて、アース製薬の「コバエがホイホイ」も投入して、アース製薬の回し者に。効果てきめんで、3日で台所でコバエを見なくなった。やったか?(<-フラグ)
「ちのいろ赤血球」というフレーズを考案した。繰り返しでポエジーが宿るかどうかの検討。(<-ポエジーって何?)
北大通りの酔っぱらいがうるさい。フォッフォッフォッ、元気があってよろしい。(<-でもうるさい)
ヨックモックのシガールはハラールだという知識を得た。
昨日北図書館で岩波文庫から「対訳 ランボー詩集――フランス詩人選1」というのが出ているのを見つけた。わたしにとってランボーは人生を左右した重要な詩人で、見者の手紙における「詩人は、あらゆる感覚の、長期にわたる、広大無辺でしかも理に即した錯乱により、見者となる」というのはその後の人生に大きく影響した。
後に13th floor elevatorsのトミー・ホールが1stのライナーノーツに"quest for pure sanity"と書いたときに、私はランボーを思い出しながらそれを読んだものだった。だったのだけど、今からフランス語を勉強しようとも思わないので、本棚に戻した。
でもけっきょく我慢できず「対訳 ランボー詩集」借りてきてしまった。さっそく「わが放浪Ma Bohème」をどう訳しているか見てみたら、Oh ! là là !が「いやはや!」となってて、16歳のランボー青年にはなんかそぐわないなあと思った。ちくま文庫版の訳を確認したいがいま手元にない。
このブクマにある「OOくんパパ」「OOくんママ」はたしかによく使った。ソフトボールのチームでお手伝いしているお父さん同士での会話とかだと、OOくんも下の名前しかわからないので、そもそも名字で呼ぶことが出来なかったりする。
ついでながら、子どもができてから夫婦で「お父さん」「ママ」と呼び合うようになったが、それは子どもの呼び方を共有しているんだと思う。その証拠に、私は自分の母親を「ばーちゃん」と呼んでしまう。それは、私の母親は、私にとっての母親というよりも、子どもたちにとってのばーちゃんだからだ。
いま、子どもたちが大きくなり、つぎつぎと家を出ていく段階なのだけど、それによって、この感覚はまた変化するのかな、と思う。
「道路を方角ごとに塗り分けると、その街のでき方がわかる」(DPZ) これ大好き。札幌中心部の図を見ると、札幌駅から北東へ斜めに走っている道(元村街道)があるが、これも歴史的に古いから。これについては以前書いた。
広域図では琴似が函館本線と平行になっているけど、そのなかでぽつんと発寒だけ違う向きになっている。ウィキペに「発寒地区中心部の道路は当初、札幌市の中心街と同様に南北の碁盤の目状に建設されたが、後に幹線道路や鉄道に沿う形で発展していったため」とあった。
発寒の北西にある旧中の川も南北に走っている。これは以前RSRの会場を見にカーシェアで出かけたときに見つけた。さらに札幌の地図を北西に進むと(これはDPZの記事には載ってない) 、手稲駅あたりも南北に道が走っている。ていねっていねっていねーに描くと(ry
創成川が途中で線路のポイントみたいに斜めに切り替えしてるところも味わい深い。つまり北12条通りから北18条通りまで1kmかけて、東1丁目通から西2丁目通までのワンブロック分を切り返している。理由は解明できず。ともあれここが寺尾堀として明治3年完成したことを知った。北海道開発局
ついでに東京の古地図とかを調べていたら、地理院地図で昔の航空写真を見ることができることを知った。1936-42頃の地図で洲崎球場を探してみたら、それっぽい扇形が見つかった。解体後っぽいが。
牛乳の賞味期限が近づいていたので、フルーチェを作ってぜんぶ食べた。子どもたちと一緒に住んでいた頃はこうではなかったな、とか思いおこす。
Wired記事: 「人間がクルマをつくっていると思っているけれど、本当はクルマがわたしたちにつくらせている」「人間は明らかに、嬉々としてモノを増殖させています。これは人工生命で、わたしたちは気づいていませんが、その繁殖はすでに始まっているのです」 これは面白い!
針尾送信所のストリートビュー。これいいな!俺がメジャーデビューしたら、アルバムジャケットにはこれを使いたい。
曜日がタイトルに入っている洋楽。私も好きな曲でリスト化してみよう: Blue Monday (NO) / Ruby Tuesday (RS) / Wednesday Morning, 3 A.M. (S&G) / Thursday (Country Joe & The Fish) / Get Em’ Out By Friday (Genesis) / Book of Saturday (KC) / Sunday Morning (VU)
放課後ていぼう日誌を観ていて、ずっと前に子どもたちを連れて潮干狩りに行った日を思い出した。調べてみたら10年前だった。その日は奥さん休みで私が子供連れて行く日で、潮干狩り行って砂抜きして次の日に酒蒸しとあさりパスタを作った。たぶんあれが人生で最後の潮干狩り。
2020年12月07日
■ 「オブリガード、蝉の声、アースジェッター」(さうして、このごろ2020年7月版)
(7/14) 寒い時期は遮光カーテンを閉めっぱなしにしていたが、開け放ったら開放感がすごい。西5丁目樽川通の向こうに北大病院の駐車場があって、街灯が照らす範囲には車が一つも見えない。
札幌に来たタイミングが雪の時期だったせいか、あちらのほうがデフォルトで、雪のない今が特別な状態のような、冬の街を今の街に重ねて見ながら、あの雪はどこに行ってしまったのか、COOPに行くのすら一大決心して出かけたというのに、なんだか当てが外れたような、そんな気持ちになったりする。
(7/15) 「人間知序論I」の吉田担当講義はぶじ終了。講義終了後いろいろ後片付けを終えて2号館から出てみたら、夜の草の匂いが濃厚で、なんか圧倒されたので、スマホカメラで写しとっておいた。
「ありがとう」って言うふりして「オブリガード」って発声してみる、っていう技法をずっと暖めているのだけど、実演する機会がない。
大学生の頃、わたしもショーン・ライダーみたいなジャケット着て、ツーブロックにして前髪かきあげたいと思って、当時行きつけの美容院でその話振ったら「ツーブロックは刈り上げ部分をこまめに揃えないとかっこ悪いですよ」って言われて、俺には無理だと諦めた記憶がある。
んでいまyoutubeのPV見直したら、ショーン・ライダー、ツーブロックじゃないじゃん。(<-イピイピヤイヤイヤイ!)
Yndi Haldaの"We Flood Empty Lakes"がYouTubeからも聴けるようになってた。iTunes上に自分がこれまで聴いた曲の回数が記録されてるんだけど、 2009年から今までで、この曲聴いてる時間がいちばん長い。そのくらい好き。ひたすら祈りが高まってゆく感じなの。
「北海道開拓の村」まで自転車で行ってきた。敷地がデカくて、一回りするだけで2時間かかった。お客に若者が多かった。たぶんみんなゴールデンカムイの聖地巡礼(私を含む)。写真は鶴見中尉が座ってた椅子(旧松橋家住宅)と例のラッコ鍋をした囲炉裏(旧樋口家農家住宅)。
今日は再開した札幌市中央図書館まで自転車こいできた。南22条西14の交差点までやってくると藻岩山が近づいてくる。ここは市電車庫の前で、ドえらくたくさん電線が走っているのが風情があるので写真を撮っておいた。
帰りに市電の線路と分かれる南1条西15で市電を撮影した。なんか昭和感ある町並みだったので、グレースケールにしてみたが、よくよく見たら2020年でないとありえないものが写っていた。
洗濯物を部屋干しして、部屋の灯りを消して、窓を開け放って、北大通りにたまに車が通り過ぎるのを見ながらこれを書いてる。なんか静かだなあと思ったら、蝉の声がまったく聴こえないからだ。そういえば大学構内でも蝉の声を聴いたことがない。
ウィキペでこういう記述を見つけた:「北海道ではエゾハルゼミのほかにエゾゼミやコエゾゼミも生息するが、これらのセミもやはり森林性のため、北海道の市街地では一年を通じてセミの鳴き声はほとんど聞こえない。」
静かだってことは、オケラの鳴き声(「ジー」)もまったく聴こえないということか。岡崎とはずいぶん違っている。
バナナを追熟させるために食卓にバナナを置き続けていたら、コバエが発生してしまった。パスツールの法則間違ってない?
それはそれとして、対策するためにめんつゆトラップ(洗剤入り)を作って食卓に仕掛けておいた。いま最大の懸念は、明日の私が「なんだっけこれ?」とか言って飲むこと。
「万有引力」の「万有」っていったい何よ?と思ってググってみたら、"universal gravitation"だった。じゃあなにかい、"universality"は「普遍性」じゃなくて「万有性」かよ、ってそれはそれでカッコいいな。万有製薬!
「新宝島」の手稲ネタは道民なら手稲のイントネーション(テ(↑)イネ)からして間違えない、という証言(2017年の記事より)。ついでにググってみたら「道産子は三音の地名を、真ん中を上げて発音します…「お↑た↓る」「こ↑と↓に」」道民への道は遠い。
ちなみに愛知県岡崎市のイントネーションも標準語での人名とかで使われる「お↓か↑ざ↓き↓」ではなくて、三河弁では「お↓か↑ざ→き→」(ももクロ」「手羽先」と同じ) (ソース) 当分は使いこなせなかったが、次男のソフトボールの付き合いなどでだいぶ上達した。
JR千歳線の車内自動放送では「て↑い↑ね」と読むので私はすっかり勘違いしていた。しかしこれは道外イントネーションとのこと。さきほどの記事でも批判されている。
ついでに「NHKアクセント辞典 "新辞典"への大改訂(5) 日本地名と「地元放送局アクセント」~積年の課題に解を求めて~」という記事も見つけた。これ見て思ったけど、自分が住んだことないところのアナウンスって俄然どうでもいいな。(<-ヒドい)
コバエ対策にめんつゆトラップを作成したが、みなさんトラップの周りで井戸端会議してやがる。ブチ切れたので、ホーマックまで行ってアースジェット買ってきて、トラップ周りをジェットした。だいぶ効きめあったが、まだ1-2匹残ってるっぽい。殲滅するまではアースジェッター吉田を名乗ることにする。
飛んでるコバエにアースジェットしてもまったく問題にされてないので、あいつら俺の殺意に気づいてもいないっぽい。我々人間が歩いている先に壁があったとしても壁に殺意を感じないのと同じで。つまり、時間と空間のスケールが合ってないと、殺意を含めたコミュニケーションは成り立たないのだな。
自分はむしろ「如何にして善く死ぬか」に目が向くので。これは何かの価値に殉ずるという意味ではなくて、生物として生まれ死ぬだけのことなのだけど。
なにかをやり遂げて死にたいというわけでもなくて、志半ばでいいのだけど、でもたとえば、自分の子供が車に轢かれそうになったときに、躊躇せず身を挺することができたら、とか夢想する。
「なにかの価値のために殉ずるという意味ではない」と繰り返した上で、意図を持たずに自然と体が動いたことによってなされる聖性(ベイトソンの聖なるもの、もしくは禅で出てくるような)、そういうものを心の拠り所にしている、という側面はある。
積んでた「地図の中の札幌」ちょっと読み進めた。なんつうか、文章が簡潔で達意でいいかんじ。ちょっと読み進めただけで、創成川が大友堀として開拓者によってかなり早い時期に作られたこととか、大通が北側の官庁街と南側の民家とを分ける防火帯だったとか、重要な知識がするすると頭に入ってきた。
「地図の中の札幌」読み進めていたら、大正5年の地図に天使病院(北12条東3丁目)がなにもないところにポツンとあることに気づいた。ホーマックに行くときに通りかかるので、名前的にキリスト教系の病院なんだろうなあとは思っていたが、いま調べたら1911年に開設されたそうだ。
あと、明治29年に札幌にあった屯田兵司令部が第七師団となり、これが旭川に完全に移転したのは明治35年、って書いてあって、おお!鶴見中尉!とか思った。(<-現実とフィクションの区別が云々)
「地図の中の札幌」読み進めていたら、昭和30年くらいの地図で、JR桑園駅から北大構内まで引込線が出ているのがあった。当時北大は石炭の大口顧客だったことが理由らしい。地図によると、引込線は工学部の裏を通り、今の北図書館とかフロンティア応用科学研究棟あたりに入っていた模様。
住んでるアパートから北大通りを隔てて北大病院の駐車場が見えるのだけど、この北大通り=西5丁目通り=電車通りは以前市電鉄北線が走っていた。
それは知ってたけど、地下鉄南北線が札幌オリンピック直前に開通したのと同時に市電が廃線になったと知って納得いった。つまり、今の南北線が走っている道路は、市電の走っている広い道路よりも1ブロック東を平行に走っている。それに違和感を持ってたのだけど、つまり、市電を稼働させたまま、その隣の道を工事して地下鉄を作っていたからなのだな。たぶん。それが証拠に、両者は麻生で合流する。
2020年11月28日
■ 「ポプラの綿毛、どーもくん、マインスイーパー」(さうして、このごろ2020年6月版)
(6/9) 今日は北大の校内を綿毛が飛びまくってる。調べてみたら、ポプラの綿毛だそうな。下の写真は北大内を流れるサクシュコトニ川で、川面に白い綿毛が吹き寄せられている。それ以外にも大量に風に舞っているのが見える。私のzoomのvirtual背景は今日からこの動画に変更した。
昨日まで気温14度くらいで涼しかったのが今日は25度まで上がったのでこのタイミングで一挙にきたらしい。北大の目抜き通り(ポプラ並木)の道脇にも、こんなふうに白い綿毛が吹き寄せられている。
現在のサクシュコトニ川は復元されたものだが、北大からさらに上流をたどっていくことができる。北大クラーク会館の南に清華亭という古い建物(写真)がある。
その隣の偕楽園緑地をたどり、途中ラーメン二郎と線路を越えると、伊藤邸跡のタワマンの敷地内に水源(湧水=メム)がある。私有地なので中には入れないが。
その道路を隔てた南側には北大の植物園があって、こちらはまた別の川(セロンペツ川)の水源なのだけど、植物園はコロナ以降閉園になっていて入れない。外から覗いてみたら、白い花がたくさん咲いていて、甘い匂いがしていた。
Google mapの航空写真を見たら一目瞭然だった。ラーメン二郎のすぐ西から、細い川の名残りがぐるりと210度くらい回って偕楽園緑地に流れ込んでいる。メムも線路を越えてすぐ、タワマンの北東あたり。
この機会にいろいろ歴史を調べてみた。Wikipediaにあった1891年の地図をみると、清華亭と偕楽園が記載されていて、湧水地は線路の南にある。
この地図(1891年)の段階では北海道大学はまだ札幌農学校の時代で、いまの北大の敷地には「農学校付属農園」と書いてある。札幌農学校の本体は時計台のところにある。調べてみたら、1903年に札幌農学校はいまの北海道大学の敷地に移転している。
「今昔マップ on the web」の札幌市のところを見ると古い地図を見ることができる。1916年の地図では敷地はサクシュコトニ川の南までで、名称も(東北帝国大学)農科大学となっている。北海道帝国大学になったのは1918年で、1935年の地図では大学病院が現在の場所に出来てる。
この機会にもう少し調べてみたけど、札幌の古い地図は「北海道大学北方資料データベース」にいくつかある。ここまで調べたところで「地図の中の札幌: 街の歴史を読み解く」(堀 淳一)という本を見つけた。札幌愛を高めるために読んでおこうと思う。
もひとつ地図ネタで興味あったのが、大覚寺あたりを斜めに走っている道路。札幌は基本碁盤の目なのにこの道(花畔札幌線)はそれを無視しているから古い道なのだろう。Wikipediaを調べてみたら、明治初めに作られたとのこと。途中にある本龍寺は安政に開山。明治以前の札幌に興味を持った。
「にりくにつといとくこいこつ」を思い出した。中1と高3に眼底出血でそれぞれ2週間くらい入院したのだけど、視力検査で提示されるのがこの文字列。いつも同じやつだから覚えてしまった。あれから再発する日が来るのを恐れていたけれど、なにごともなく30年以上が経過した。(<-フラグ立てるな)
「…」「お別れ会で 花を渡した」「団地の下で 手紙を書いた」「土に 埋めた 鍵を 探す」「今も 眠る 口を 閉ざす」「起きる 笑う 腕を 伸ばす」「歌を 歌う 鐘を 鳴らす」「…」
意味もなくWikipediaで「どーもくん」の記事を読んでいたら、「機嫌が悪くなると強烈なオナラをする。」という記載があって、「その設定、要る?」と思わずツッコんでしまった。
3時くらいになって雲が厚くなって、空が暗くなり雨が降り出した。雨雲レーダー見たら一過性のものらしいので外出せずに作業をしていたら、5時くらいですっかり雨は止み、雲は通り抜け、日が照っている。一昨日も一過性の雨だった。これが「蝦夷梅雨」に該当するものだろうか?
いろんなことをわざとごちゃまぜにして考えてみると、世の中のことはたいがい「弱い因果のネットワーク」で、いざある部分だけ見ても制御できないし、責任とか原因とか言われるようなものは分散している。われわれは認識はそのような局所ではなくて、ちょっと引っ張ったら共倒れになる連鎖を見てる。
そういう連鎖を遠くからピンぼけにして見るならば、世界は必然のように動いていて見える。逆に局所に焦点を当てて見るならば、そこから見える世界がぼやけてくる。
(6/23) 廊下を歩いていたらちょうど日没の瞬間だった。19:05くらい。夏至が6/21だから日が長いのも納得だった。
人生やり残したことがあるとか、死んでも死にきれないとかそういうのはとくにないけど、2035年9月2日の皆既日食には立ち会えたらいいなあと思う。あと15年って気の遠くなるような未来に思えるけど、15年前が2005年であると考えると、たぶんあっという間に過ぎ去ってしまうのだろう。
久しぶりにテレビがある環境なので、テレビを点けてみたが、とくに観たいものがない。しかたないので「おしりたんてい」を観ることにした。
「研究とはなにか?」の説明図で、円の中が既知で外が未知で、実際の研究とは、その円弧をほんのちょっと広げることなんだよ、ってのがあるよね(“The illustrated guide to a Ph.D.”)。
あれをマインスイーパーで説明できないかなと思った。理詰めで広げてくんだけど、運頼みのところは多い。うまくいくと大きく領域を広げることができる。
マインスイーパーの例は学生向けの説明にいいかなと思ったのだけど、いま調べたらマインスイーパーはwindows 10には標準搭載されてないということを知った。それじゃあ意味がない。
2020年11月07日
■ 「フキノトウ、マーモット、胃ゾンデ」(さうして、このごろ2020年4-5月版)
(4/14) 北大はすっかり雪が融けて、銀杏並木の道の雪の下から現れるのは、落ち葉と銀杏で、秋がそのまま春にワープしていることがわかる。まさか春の代名詞が解凍された銀杏の匂いだったとは。中央キャンパスの駐車場横も雪解けして、こちらは落ち葉の間からフキノトウが出てきた。
(5/13) ちょうど一ヶ月前に写真を撮ったときは、ふきのとうが出てるところだったけど、ほぼ同じ場所の写真がこれ。花の部分はほぼ終了して、葉柄から大きな葉がどんどん広がっている。
先日の夜、水を補給しにディナーベルに自転車で向かったら、なんかすげえいいかんじの春の空気で、もうこのままどっか遠くまで行きたいって思ったけど、自分を説得して、水2L2本と半額お惣菜を買っておとなしく帰ってきた。
あれはいつだったろう、浪人時代だろうか、夜に自転車で出てみたら、やっぱりこんなかんじのいい空気に胸躍らされて、曳舟から水戸街道を東進して、千葉県に入って車も無くなったあたりで24時もとうに越えて、すっかりテンションが落ちて、引き返して丸八通りの見知らぬラーメン屋に入って帰った記憶。
当時はものすごい大冒険だったような気がしていたけど、いま距離を測定してみたら、たった18kmだった。ママチャリだからたぶん往復で3時間くらいかけたのだろうけど。
こちらがマーモット。こっちがマーモセット。違うでしょ?何も違うでしょ?音がだいいち違うでしょ?音が違うから当然名前も違ってくるでしょ?
マスクが入手できないので、持ってる赤いバンダナをマスク代わりにしたら、変装してる不審者になったので、街に行くときは使えないと思った。
今日はカツゲンの1L入りを買った。ますます道民らしくなってきた。
いまの居室は空調がリモート制御で12時前、17時前、21時前に強制的にオフになる。そのため、集中して仕事をしていると、いつのまにか暖房がオフになったままで部屋がすっかり寒くなっているなんてことを繰り返した。
でも最近は感覚が研ぎ澄まされて、暖房がオフになる瞬間に気づけるようになった。つまり、暖房の音はふだんは意識に上っていないのだけど、オフになった瞬間にそれに注意が向き、ポストディクションによってオフになった瞬間の音変化を意識するという説明。この「気づく前の暖房の音」ってのが面白い。
好きなコードその1。スカボロー・フェアの出だしのカポ7フレでX04030というやつ。むりやりコード表記するならA5(11,13)というべきか。AドリアンなのでAm(omit 3rd)でテンションがb13ではなく13になってる。
好きなコードその2。Vapour Trailのイントロの979900というやつ。イントロは全部1,2弦が開放のシューゲ王道のやつ。コード表記するならE5 on C#とというべきか、C#ルートで解釈するならばC#m7(omit 5)ってわけわからなくなるので。
いつだったか思い出せないのだけど、なんか行き止まりの電車の駅から坂に向かって歩くと、左に折れたところに商店街があって、そこでレコード屋に入ったら13th floor elevatorsのリイシューCDボックスがあったから買おうかと逡巡した記憶があるのだが、あれはBrightonだっただろうか?
ここまで記憶だけを頼りにして思い出した上で、google mapで調べてみたら正解だった。Trafalgar Stから右に入ったいくつかの小路だった。たぶん2012年7月のASSC。これは俺にしか意味がないが、浮上してきた記憶を大切に保管しておく。
そういうスナップショットみたいな記憶の断片がいくつかある。フロリダでのVSSでコンド借りてみんなで泊まったのだけど、なぜか早起きして誰もいない、独特の入り組んだ道を辿りながら、海まで出ようとして、でも出れなかったときの中央分離帯とか。
岡崎の西友前のTSUTAYAは昔は地元系のレコード屋で、駐車場の壁に"Music spin me round"って書いてあって(うろ覚え)、80年代かそれより昔から営業していたことが忍ばれる。CD販売のスペースは以前はワンフロアまるまるだったのに、いまはレンタルCDとレンタルコミックに押しやられ1/4となっている。
発売されたばかりのブンブンサテライツの1stをここの試聴スペースで聴いて即買いしたのを覚えている。視聴できるスペースが各音楽ジャンルごとにたくさんあって、私が知らない音楽がたくさんあると思った。いま急速に無くなりつつある光景だから、私自身があの空気を忘れないように記録しておく。
ここのやりとりが面白い。これを見て思い出したけど、音楽聴くと必ず聞こえる「チッチッ」って音(はじめてそれを意識したのは井上陽水の「断絶」)の正体がわからなくて、それがクローズド・ハイハットの音だと知るためには、ドラムセットの構成を理解する必要があった。
ここまで書いてから井上陽水の「断絶」(曲の方)を再聴してみたら、左チャンネルでクローズド・ハイハットの音とアコギのコード弾きが重なっていて、しかも2番ではフェイザーがかけられていてサイケなテイストになっている。自分にとっては初めてのサイケな音だった(「リボルバー」より前に聴いてた)。
中学生の頃に聴いた岡林信康の「自由への長い旅」のイントロのギター(大滝詠一が演奏している)がすごいいい音で、自分でギターを弾いてもぜんぜん再現できなくて、コードの押さえ方か、ギターに秘密があるのかと思っていたけど、けっきょく鍵はコンプのかけ方だということをだいぶ後になって知った。
「自由への長い旅」のイントロのギターについては、たしか「サウンド・クリエイターのための、デジタル・オーディオの全知識」 に大滝詠一との対談があって、そこで言及されてたはず。図書館で読んだ本なので現物を確認できないけど。
リンゴのドラムの音(たとえばRainとか)はリミッタで潰してあの音になっているのだけど、それは自力で解明した。中学生のころ宅録のために使っていたラジカセでマイクのゲインを上げると、アナログでリミッタがかかったみたいになるので、ゴミ捨て場から拾ってきたスネアでそれっぽい音を作ってた。
コルトレーンの至上の愛の“Resolution”を聴いていたら、ベースソロのあとでサックスが入ってくるところで(0:21あたり)、その0.5秒前くらいから左チャネルでサックスの音が小さく聞こえるのに気づいた。これってマスターテープの段階で裏移りしてると理解してたけど、この現象、調べても見つからん。
昔カセットテープで音楽聴いてたときによく経験した。プログレとかだと、静かなところから急に音が大きくなるところがあるので。録音テープは巻いてあるから、大きい音が入っているとそれが1周前に写ると理解してたけど、そもそもそんなこと起こるのだろうか?調べてみたけど見つからなかった。
解析が終わらないので、気分転換のために体動かそう、キャッチボールとかしてえなあ、とシャドーピッチングしてみた。そしたら右手の人差指と中指の指先がなんか腫れるような感覚が。遠心力で指先の毛細血管が拡張したってことなんだろうけど、こんなこと人生で初めてだったので、加齢を実感した。
「胃ゾンデ」っていいよね。「ゾンデ」だけでもそうとうキテるのに、それに「胃」付けて「イ・ゾンデ」って、音韻的に、胸がキューってなるね!
会議終了したら自転車でどっか気晴らしになる場所に行きたいと思うのだけど、札幌ではまだ開拓できてない。東京なら荒川堤防だし、岡崎なら矢作川堤防だった。どうやら私には川と堤防が必要らしいのだが、豊平川は絶妙に遠い。
報告会が無事終了して、買い物行ってきて、家に帰ってきたら爆睡。スッキリ目覚めた。レジリエーンス!
2020年09月28日
■ pooneilの膝改造日記
[第1日目] 先月ジョギング中に左膝を痛めて歩けなくなって、MR撮ってみたら左膝の前十字靭帯が全断裂していることがわかったので、再建手術を受けることになった。今日(9/7)から入院で明日が手術。9月23日退院予定。ネットは使えるのでここに記録しておく予定。
手術の概要はこのあたりにあるけど、
ざっくり言って、どっかから靭帯とってきて、骨に穴開けて靭帯通して、ボルトで留める(<-ざっくりしすぎ〜)。術後すぐは神経ブロックと尿カテーテルで移動不可だと。もう脱走したくなってきた。
病院の説明によると、術後一週間は車椅子か両松葉杖で体重かけずにリハビリ、一週間後あたりから体重をかけながら歩く練習、退院前には片松葉杖で歩く練習、とのこと。先は長い。運動できない分肥満に気をつけないといけないが、コロナで外出禁止なので、間食買いだめしてきた。
病院食はちゃんと量はあって、でも塩分控えめな感じで健康的だった。もしかして間食せずにこれだけ食べればダイエットになるんじゃねーの?
ほんとうは内容的にはFBに書いたほうが、旧友への近況報告になってよいのかもしれない。でもFBだといちいち「悲しいねボタン」とか押されるのも気がひける。そういうわけで、我が心の故郷であるtwitterで続けることにした。スルー気味にウォッチしておいてください。
手術前の検査がだいたい終わったので、仕事ができるようにセットアップした。MBPのバッテリーが膨らんできてヤヴァいので、キーボードとマウスは外付けを使ってる。はっ、これってもしかしていわゆるワーケーションなのでは?(<-チガウ)
[2日目] 毛剃り完了。いま栄養液の点滴が始まった。手術は14時から。
手術無事終了。予定通り14:00スタートで、16:50あたり終了とのこと。
全身麻酔の経験が面白かったので、メモっておく。手術室まで歩いていって、手術台に乗り、麻酔科医の先生と会話しながら(こちらが研究者なの知ってる)、「いまレミフェンタニル入れましたよ」「ああこれで鎮静ですね」「はい、ではこれからプロポフォール流します」「ああたしかに冷やっとしますね、そういえばプロポフォールって懸濁液なんで」というあたりで意識が無くなってた。意識が消える瞬間がわかるのがすごい感覚。
次に目覚めたときは手術室で、はい、目覚めました、みたいなのが聞こえて、わたしもとっさになにか喋った気がするけど、憶えてない。エレベーターに乗せられて、自分の部屋まで連れて行かれて、ベッドの上に載せられるのとか、ぜんぶ憶えているのだけど、たぶんまだしっかりとは目が覚めてない状態。
よく全身麻酔は睡眠とは違って時間が経過した感覚はあまり無い、というけど、たしかに睡眠のあとのような時間経過感はない。かといって、目をつぶって開いたら術後だった、みたいな一瞬の経験というのとも違う。なんとも表現し難い不思議な感覚。
それの理由は、プロポフォールが切れて目が覚めたとはいえ、まだ覚醒しきってない状態が当分続いたからで、じっさいに家族や同僚にスマホからメールを打ったのが18:00くらいなので、60分くらいはまだ目覚めきってない状態が続いていたものと思われる。(術後にTwitterに書き込んだのは18:10)
この時間帯の経験についても記録しておく。ベッドに戻ってきてすぐは、硬膜下麻酔と神経ブロックが効いているので、膝の周りは全く痛みはない。というか触覚自体がない。その先の左足首と指のみが触覚、というか感覚のみがあって、まだ動かすことはできない。つまり、左足先のsense of agencyはないけど、body ownershipはあるような状態が続く。そこから60分たって、いまは左足首と指が動かせるようになり、スネや膝も固定されているのがわかる。
[第3日目] 昨晩は痛みは出なかったのでよかったが、尿カテーテルがなんか違和感であまり眠れなかった。主治医の説明によれば今日から痛みが出るかもとのこと。麻酔科医の説明によれば神経ブロックが切れるのが24時間なので。リハビリは明日からで今日は安静にする。
[第4日目] 昨日は昼から微熱が出た(37度後半)。医師によると手術後に熱が出るのはよくあるとのこと。膝は痛みが出ないのでこのまま行けるかと思ったら甘かった。明け方4時くらいに痛みで目が覚めて、ボルタレン飲んだけど痛みは引かず、そのまま夜が明けた。
朝昼のロキソニンが効いたのか、昼になってやっと左足を持ち上げることができるようになった(痛いけど)ので、車椅子でトイレに行ってきた。今日の午後で抗生剤(セファゾリン)の点滴は終了。術前からライン入れっぱなしだったのがやっと外せるので、嬉しい。チクチクして微妙にストレスだったから。
今日は3時過ぎからリハビリ第一回目。それまでに昼のロキソニンが効いて痛みが減ってくれるとよいのだけど。
膝の痛みがだいぶ引いたので、リハビリも問題なく終了。体を温タオルで拭いて、体温も平熱に戻って、だいぶ頭がはっきりしてきた。(術後はずっと重苦しい状態が続いていたので。) 持ってきた緑本のAICの章を開いてみたが、読む気力は出なかった。来週から本気出す。(あまり出したくないが。)
[第5日目] 昨日も熱が上がり、明け方は膝の痛みが出た。それでもちゃんと眠れたのでよかった。今日からいよいよリハビリが本番突入。午前の一時間で電気刺激や左脚のモモ上げをやって、午後の一時間で両松葉杖(左足荷重0%)の練習や脚の横上げをやった。どう考えても明日は筋肉痛。
[第6日目] 昨晩も微熱(37度前半)が出た。膝の痛みはロキソニンでなんとかなってる。動かそうとすると角度によっては痛いが、要領さえわかればなんとかなる。今日もリハビリで左膝周りの筋力強化と両松葉杖の練習。まだ昨日の筋肉痛が来てないということは明日来るということか。
病院は6時起床、21時消灯で、3食を毎日同じ時間(7:30, 12:00, 18:00)に摂るのだけど、確かにこれっていいなと思った。いつもは腹減って集中力切れたら14時くらいに昼ごはんは生協かセコマだったけど、午後に眠くなったりするので。この機会に朝型に移行できたらなおよいけど、そっちはわからん。
リハビリの時間以外はずっと病室で、トイレに行くとき以外はヘッドの上にいる。気分転換に車椅子に乗って本読んだりもするが、あまり不満もない。とはいえ、外に出たい欲望が高まる情報(旨い店とか)には意図的に触れないようにしているが。なるたけ心が平穏であるように心がけている。
[第7日目] 今日のリハビリは自主トレで脚上げ10回3セット3方向。そのあと髭剃って洗髪してさっぱりしたので記念写真。洗髪台の使い方がヘタクソでTシャツをびしょ濡れにしてしまった。体を拭いてから膝のお皿を動かす運動。左足のお皿周りが見えないことからわかるように、まだめちゃ腫れてる。
EMSでは膝のお皿(膝蓋骨)を引っ張っている大腿四頭筋の内側(内側広筋)を刺激してた。刺激に同期させて、自力でも筋肉を収縮させる。正常側ではお皿の動きで確認できるのでカンタンなのだけど手術した側はお皿を触ってモニタしながら正しく収縮できてるか確認しながら行った。
なんだかんだとまだ膝の痛みは出ている。ロキソニンは一日3回で一週間分処方されていて、たぶんこれ以上は長く飲ませないだろう。明後日までにロキソニン無しでも済むところまで回復してほしい。かなり気をつけて、左足に体重かけないようにしているのだけど。
[第8日目] 昨日は頭が痛くて何もできず。熱も37度前半だったし、明け方は膝の痛みで目が覚める。けっきょくアイシングがいちばん有効で、寝る前にアイシングしてたのがぬるくなって逆に熱を持たせてしまうのが明け方4時ということらしい。
[第9日目] 今朝も4時くらいに痛みで目が覚めたが、対策はわかったので、即ナースコールしてアイシング再開。これで十分眠ることができた。今日のリハビリではついに左足に体重1/2をかけて立つ。鏡の前で「クララが立った!」をやった。写真を取りそびれたが。
午前中には抜糸も済ませた。写真は以下の通り。グロ注意。抜糸は局麻も無しで一瞬だった。手際が良い。そのあと3Mステリストリップで固定。俺が研究で使っているのと同じwwwとテンションが上った。(マーモちゃんは即剥がすが、吉田は人間なので剥がさない。)
今回の手術は、ACL完全断裂の再建 + 半月板裂傷部分を削るという手術で、内視鏡を使って最小限の侵襲で行う、ネットで調べた通りの術式だった。どこから再建用の腱を持ってくるかはそれぞれのようだが、私の例では膝裏内側の腱をとった。このため、アキレス腱伸ばし的な動きにはひきつれを感じる。
今回経験したのはよく確立した術式だったけど、それでも疼痛、患部の腫れ、尿カテーテルの不快感など、しんどいことがいろいろあった。人類の医学の発展はまだまだ不十分だなと実感した。BMIが進歩して健常人への埋め込みを実現するためには、この種の苦痛をすべて取り除く必要があるだろう。
とくに尿カテーテル、あれは人生でもう二度とやりたくない。確かに排尿はできているけど、妙な残尿感があって、手術直後の夜に何度も目が覚めた。けっきょくあの妙な残尿感は尿ではなくて空気だったらしい。後日尿カテーテル抜いた後めっちゃ空気出た。尿カテーテル改善した人にノーベル賞出したい。
今日も夜から37.3度となった。なかなか終わらん。
[第10日目] 今朝も午後くらいから微熱が出てる。リハビリの方は両足立ちでのスクワットがはじまった。左右のバランスが悪い。手でサポートしての左膝の屈曲では、90度曲げたいところだが85度どまり。膝とふくらはぎがまだパンパンに腫れているので、物理的にこれ以上いかない。
[第11日目] 昨晩はアイスノンを置いておいてもらうようにして、朝3時くらいにそれを自分で取り替えて寝たらすぐ眠ることができた。リハビリの方は膝の屈曲やスクワットの要領がだいぶわかってきた。ベッドでも膝の屈曲をするため、ベッドに腰掛けて作業するが長続きしない。
[第12日目] 主治医と相談をして、9/23の退院ということで話が進んでいる。あいにくこれから連休なので9/20-22はリハビリもなくただ寝ているだけとなる。術後2週(9/22)から左足の荷重が体重の2/3となり、両松葉杖から片松葉杖になる。膝の装具も今使っている膝が曲がらないものから膝が曲がるやつに変わる。これらの使い方を全部教わって、その日のうちに退院ということで、かなり慌ただしくなりそう。ともあれ先が見えてきた。退院したら肉と寿司食べたい。
膝の回復の方は、両松葉杖で問題なく歩くことができて、リハビリも日々向上している。ただし、ふくらはぎの腫れは引かない。主治医によれば、膝裏の静脈が詰まっているのかも、ということで、普段はなるたけ装具で締め付けないようにして、いろんな姿勢で膝の屈曲をするようにしている。
ただし、膝下の外転が起こらないように気をつけてる(前十字靭帯に負担がかかるため)。膝の伸長(0度以下の屈曲)も前十字靭帯に負担がかかるらしいが、私の膝は元々健常側でもそっち方向には曲がらないようなので、今とくに問題ではないだろうとのこと。
熱は今日も37.3度。ロキソニン続けすぎでは?
[第13日目] 血液検査の結果、D-dimerの値が大きいとのこと。ふくらはぎの腫れから、膝窩静脈での血栓(DVT)が疑われたので、エコーで検査。もし血栓があれば、血栓が飛ばないように絶対安静で処置だったが、エコーで血栓が無いことが確認できて、とくに方針変更なし。ほっとした。
膝の屈曲のテストも110度までいった。前回測ったとき(~1wk)は87度で、術前は120度だったので、だいぶ回復してきている。ある一定以上曲げると膝周りの腫れで物理的にテンションがかかってくるのと、膝内側の術部(いちばん縫合が長いところ)の痛みが出てくるので、その手前で止める感じ。
[第14日目] ふくらはぎの腫れの対策のため、昨日はベッド上では装具を外して、膝の曲げ伸ばしをしてみた。これが奏功したらしく、今日のふくらはぎ周りの測定では2cm減で右と同じ程度になった。(でも筋肉の減少も加味する必要あり。) 膝の腫れも引いて、お皿の形が見えてきた。
上記の術後5day(第7日目)と比べると、そこから一週間でだいぶ腫れが引いたのがわかる。
[第15日目] 膝とふくらはぎの腫れがだいぶ引いて、膝の屈曲もがんばらなくても90度をキープすることができてる。もうふつうに片松葉杖で歩けるだろう?と思うけど、指示通り両松葉杖で歩行している。腫れが引いてみると、術後の13日で左足の筋肉がだいぶ落ちているのを実感する。
「六花亭の喫茶」ってさんざん通りがかったけど行ったことないな。北大の北20条門近くに「北大エルム店」があるけどここは喫茶がない。札幌駅南口の「札幌本店」はテナントのヤマハミュージックにはなんどか行くのだが、喫茶に行こうと思ったことがない。退院したら行こう。
[第16日目] 今日から膝の装具が、新しいコンパクトで膝を曲げられるタイプになった。いままでは膝固定用でかさばるわ下にずり落ちるわで、装着するのがが億劫だった。新しい装具なら片松葉杖も問題なくできる。これなら日常生活に問題なく復帰できる。いよいよ明日退院。
とはいえ、新しい装具でもけっこう締め付けっぱなしになるので、移動時だけ装着して、研究室でのPC作業時は外している、という運用になりそう。ともあれこれで、中央キャンパス2号館から生協食堂まで往復する目処がついたので、ひと安心。
今回の入院ではいろいろしんどかったけど、コロナのせいで外出禁止というのが堪えた。毎日同じ部屋からの同じ景色で、リハビリに行っても同じ景色で、隣のパン屋の煙突から出る熱で歪む空気を眺めてた。インターネットを窓にして、外に出ようという気持ちを(太陽みたいに)直視しないように心がけてた。
それでも今は「退院したらMARUZEN&ジュンク堂書店 / 紀伊國屋書店 / トリトン / 六花亭行きてえなあ」みたいに思うのだけど、たぶん退院したらどうでもよくなるだろう。「実際にどこかに行くこと」ではなくて「行こうと思えば行けること」さえ叶えば、たぶん私は充分なんだ。(<-感覚運動随伴性?)
[第17日目] いま最終日の診療が終わって、荷造りしているところ。これから午後のリハビリして、入院費の精算をして、これで退院。この部屋ともおさらば。毎日繰り返し眺めたカレンダーと部屋の窓からの風景。あんなに外に出たかったのに、今は、忙しい日常に戻るのが億劫な気持ち。
退院して家に帰ってきた!家を出てくるときに生ゴミ全部処分してきれいにしてきたので、留守の間にコバエ大発生ということもなかった。今日はこのまま休みにしたいところだが、血栓マーカー(D-dimer)の値が今朝も高かったので、念のため別の病院の循環器内科を受診することになった。今日はまだ続く。
循環器内科でエコー検査したら、ヒラメ筋の毛細血管に血栓があるということで、血栓を溶かす薬(リクシアナOD錠)が処方された。もし(エコノミークラス症候群みたいに)太い血管に血栓が見つかっていたら、入院して絶対安静だったということで、大事に至らなくてよかった。
病院を出てみたら、すでに午後6時近くなっていて、周りは暗くなっていた。私が外の世界から隔絶している間に、この街はすっかり秋になっていたということに気がついた。L’automne déjà ! (アルチュール・ランボー)
まだ続きはあるけど、ここまでとしておきます。
2020年07月25日
■ Snap Cameraで「盛って」みた
みなさんリモートの会議や講義でいろいろ試行錯誤してるところかと思います。わたしはzoomを使ってますが、講義でブレイクアウトルームを使いこなすためにドタバタしてます。
リモートで自宅からの会議、講義となると、背景が生活感溢れてしまうので、バーチャル背景とか使う。ここまでは以前から普通にやってた。でも、同僚と話していて「いろんな条件で、顔を出しにくい場合もあるし、アバター使ったり、映像加工アプリを使うのとかどうだろう」なんて話題になったので、さっそく自分で試してみた。
VRchatでLive2Dのモデル読み込んでとか凝りだすとたいへんそう。Macユーザーなので、FaceRigは使えない。ということでいちばんお手軽なSnap Cameraにしてみた。
とりあえず家でヒゲボーボーでも会議に出るためには、図aの"Potato"のようなネタ系でいいと思った。元々ビデオ画面を出しているのは「寝てないでちゃんと話聞いてるよ」ということを伝えることが最大の目的だと思うので。このときの実際の私は図b。
Snap Cameraでは、いろんなフィルタ("lens"と呼ぶ)が選べるのだけど、"Remove Beard"というのを見つけた。図bの状態から、ヒゲをごっそり無いことにしてくれる(図c)。しかもよく見ると肌の色合いとかも変わっていて、SNOWみたいに「盛る」ことができるらしい。
そこでいろいろフィルタを試行錯誤してみて、最大限「盛る」ことに成功したのが図d。お前誰だよっていうかんじ。(最大限盛るために、あらかじめ髭は物理的に剃っておいた。) さっそく会議で使ってみたが、参加者から笑いを取ることができたので満足。
b)の状態から、d)に変えて「盛ってみましたwww」って言って、じゃあ戻しますって言ってc)に変える。これによって今は盛っている自分なのか盛ってない自分なのか、参加者にはわからないようにしてゆくってのを考えた。そう、substitutional reality (SR)のように。
そんなこんなで、元気にやっております。(<-なにか話を畳む言葉がほしかった)
2020年07月20日
■ 「倍音キング/銀河通信」(さうして、このごろ2020年1-3月版)
今年もまだ夢らしい夢はみてないけど、今朝は気がかりだったので、頭の中でずっと「ゆうゆう窓口はいつから開く?」と問い続けていて辛かった。これが初夢といえば初夢だろうか?
無事札幌に到着。札幌駅北口は今日もぜんぜん雪がなくてびっくりした。たまたまらしいけど、地球温暖化してない?=>「全地球的global」は大げさだろ?=>じゃあ「地球の一部」で。=>温暖化っていうけど変化を証明できるの?=>じゃあ「温暖だ」で。=>「地球の一部が温暖だった」という穏当な結論にアップデートした。
ついにベースギター買ってしまった。Bacchusのジャズベのいちばん安いやつBJB-1R。税込み18,700円。その後ろのエレクトリックギターは23年前(結婚直前)に買ったのだけど、ギターを買うのはそれ以来。なんか感慨深い。とりあえずSaturday in the parkのリフ弾いてみた(<=ありがち)
ハンガーラックを作ろうと思って箱を開けて説明書読んでみたら、「ゴムハンマーの使用を推奨します」とか書いてあってブチ切れ。そんなもん持ってねえし!温度湿度計を買ってボタン電池を入れようとしたら説明書に「精密ドライバーが必要です」とか書いてあってブチ切れ。そんなもん持ってねえし!
ホームセンターで大きな荷物を買ってタクシー使って帰る。運転手さんに「愛知から来たんですが冬の運転ってどうですか」と聞いてみたら、アイスバーンどころかミラーバーンがあるよ、とかブラックアイスバーンとかホワイトアウトとかいろいろ詳しく教えてくれた。仕事でなければ冬は運転しないって。
実家の近くを都電が走ってた頃の写真を見つけた。小林酒店があって、これは現存してる。右一つ飛ばしが今の蕎麦屋の福壽庵で、我が家で店屋物取るといえばいつもここだった。わたしはいつも親子丼を頼んでた。母親に見せてやろう。
間奏でぜんぜん違う曲が差し込まれるみたいになるの好き。すぐに思い浮かぶのは"See Emily Play"でいきなり早回しのピアノ曲になるところとか。
"wonderful parade~philter records compilation"ってのをずっと昔に買ってバンド名とか把握しないままに聞き続けてきたけど、2曲めのサイケ・ポップ"YOU ARE AN AIRPLANE"はつくづくいい曲だと思って調べてみたら"of Montreal"というバンドで、Youtubeで数曲聴いてみたらこれは好きだ。20年積んだ。
大通公園をウォーキングしてきた。北大から札幌駅経由で大通の1丁目から11丁目までを辿るコース4kmちょい。たまたま雪まつりもやっていたけれど。
「ベルファスト金山」という芸名を思いついた。なんというか自然の厳しさが滲み出る感じ。
これ素敵だ。Processing3をPythonモードにしてこのコードをコピペすると同じものが再現できる。それでコードをいじると色合いを変えたりできる。fill(i,c,99)の99を255にしたらこうなった。
Supercolliderでも同様にTwitterの140文字でコード書いて音楽作品作るという文化があって、このアカウントがたくさんリツイートしてる。これ聴いてるとキリがない。ほんとうはコードを解読して、使い方を学ぶのに役立てるべきなのだけど、その手前で満足してしまう。
あたらしい場所は中央キャンパス総合研究棟2号館というところで、薬学部の隣、銀杏並木通りとポプラ並木通りの角あたり。というわけでオリンピックのマラソンコースが遠くだけど見える。
「聴かないバンドのTシャツは着ないようにしましょう」 わかる。Grateful DeadのTシャツ着ててもたいがいDead聴いてないだろうからなあ。
私が「Grateful Dead聴くんですか?」と問われたら「拙者60年代の2nd(“Anthem Of The Sun”)あたりのガレージバンドからアシッドテストを経由してジャムバンド化した時代のデッドが好きで候」とかキモオタ語りする気まんまんなのだけど。
札幌の夜は暴走族がいないので週末でもとても静かだ。夜中に道路でゴトゴト言ってる音がしたら、それは除雪車で、それはそれでうるさいのだが、すっかり慣れて風情を感じるようになった。
昔小学校の社会科で学んだときは、豪雪地帯(新潟とか)では雁木づくりとか消雪パイプとか街の設備として雪の対策が行われているという話だったが、札幌は街づくりとして東京と一切ちがいがなく、ただただ札幌市の除雪車が頑張ることでなんとかしているようで、驚きがある。
琴似のイトーヨーカドーとかは駅から直結して行けるようになっていて、雪への対策を感じるけど、イオンモール苗穂とかアリオ札幌などの新しいショッピングモールは駅から離れていて、車で来ること前提で、駐車場が普通に野外にあって、買い物中に大雪になることとか想定しているように見えない。
受験が無事終了した長女を連れて、車であちこちお買い物へ。ここ数年はほぼ毎晩のように図書館とか習い事とかで送り迎えをする生活だったが、これが岡崎では最後の機会かと思うと感慨深い。
持続性のあるネット活動をしたいので、バズらないし炎上もしない状態を維持したい。風野春樹氏のウェブ日記にある「銀河通信」からかけ離れてしまっている自分のブログとツイートには満足してない。もっと謎な心象風景ポエムとか自作曲混ぜ込んでドン引きand放置されたい。
「日々誰に向けているのでもないテキストを淡々と書き、そしてどこかにそれを読んでくれる読み手がいる、ということに心を癒され、直接感想メールが来たりすると、かすかな苛立ちを感じずにはいられないような、そんな「コミュニケーション」」ツイッターのlikeは読み手が見えるのがこれを妨げる。
ツイッターを始めた頃に、私のブログをそのように読んでくれた人がいて、淡白なやり取りを数回か繰り返したのだけど、没交渉になったと思ったら鍵がかかってた、という苦い記憶がある。そういうわけで、こうやって擬態しているけど、私には90年代後半のweb1.0的な部分が残されている。(<-自分語り乙)
こう書いて文面を見返していたら(推敲して投稿し直したりする)、以前ブログに書いたことを思い出した。「部室でジャムった日のこと。」 あれもほんのひととき、通じたかどうかもわからないコミュニケーションの話で、私がそういうのを大切にしているということを再認識した。
名鉄特急に乗ってるところ。新舞子駅に近づくと景色が開けて海が見えるのだけど、その瞬間が好き。何度も見た風景だけど、そしてこれが最後というわけでもないのだけど、別れを惜しむように灰色に曇った海を見送った。
10日ぶりに北海道に帰ってきたら、すっかり雪が融けて、まるで春のようになってた。歩道の雪が融けて、滑り止めに撒いてた小石とか踏み残された土とかが残されて、全体的に埃っぽい感じ。雲のない山に落ちる太陽を記録しておいた。
「高輪ナワタカ」という芸名を考案した。縄跳びが上手いの。
その昔、中学生くらいの頃だろうか、大島中央銀座の古ぼけた駄菓子屋に1回10円でできるギャラガ(そのかわり画面は白黒)があって、そこで小学生に混じって一人ギャラガだけをやるのが俺だった。あとディグダグも好きだったな。同じゲームをひたすらやるタイプだった。
いまぐぐってみたら、wikipediaで「ギャラガ」のネーミングが「ギャラクシアン」+「蛾」だということをしった。いや、昔からそれは知っていたのかもしれないが、昔それを知っていたというメタ記憶がない。敵機がどう見ても蛾なので、そんなこと明白だったのではないかと思うのだけど、メタ記憶は無い。
小学生の頃は駄菓子屋前のアーケードゲームを他人がやっているのを後ろから見るくらいで、自分ではやれなかったはず。ゲームウォッチを買ってもらって、友達のと交換して桐杏学園(代々木校)までの往復30分をゲームに費やしていた記憶がある。
「倍音キング」ってのを考えた。「あなたは偶数倍?わたしは奇数倍。」とか言ってビッグマフを踏むの。(<-持ってねえくせして)
「海へ行くつもりじゃなかった」のタイトルの元ネタが児童文学であることを初めて知った。しかし自分は昆虫図鑑->元素周期表->西村京太郎鉄道ミステリー->太宰治と中原中也、という遍歴で児童文学を完全にスルーしたのでこの辺全く知らない。
図書館が大好きで、江東区立城東図書館と亀戸図書館と深川図書館と江東図書館をハシゴする小学生だったのだけど、いま岩波少年文庫のリストを確認してみたら、一切貸し出しすらしたこと無いことに気がついた。あああのとき俺は老けていた。今はあの頃よりもずっと若いよ(マイ・バック・ページ)。
2020年07月04日
■ 「スピログラフ/東亜飯店」(さうして、このごろ2019年10-12月版)
シューゲといえばタイトルは単語一文字がベストで、SeagullとかParalyzedとか完璧。そういうシューゲ詩語みたいなのを見つけた者が優勝できる。Meltとかいかにも。かといってwhateverとかは違う。こういうシューゲ語感談義を酒を飲みながらやってみたい。人生でそういうことをしたことはないけど。
わたしが小学生のころ、祖母が早川書房の寮母だったので家には海外SFのペイパバック(たぶんペリー・ローダン)がたくさんあった。罰当たりなことに、私は一切見向きもせず、いつしか処分された。あれにハマっていたら人生違っていたのかもしれない。
その頃の私はといえば、ゴミ捨て場で見つけた化学の参考書にハマって、大きな紙に手書きで周期表書いたりしてた。そののち高校で勉強に落ちこぼれた私を救ってくれたのも大西の有機化学だし、大学で薬理学に進んだのもインドール環とかへの興味からだった。そういうわけで、化学のことは愛してる。
はっぴいえんどの2ndの「抱きしめたい」「空いろのくれよん」での大瀧詠一のビブラートはニール・ヤングだなと思って聴いてたけど、同様に1stの「春よ来い」や「はっぴいえんど」のダミ声的アーシーな感じはローウェル・ジョージだと思ってた。でもそれだと計算が合わない。
はっぴいえんどの1stは1970年リリースだけど、Little Featがブレークした“Sailin’ Shoes”は1972年リリースだった。つまりこっちは私の勘違い。推測するに、3rdの「さよならアメリカ さよならニッポン」の録音をローウェル・ジョージが見に来た逸話と混ざったんだろう。
「ADHDの自分が片づけられない理由が分かった。」 これ当事者研究的ですごくいいと思った。まさに注意の処理過程(専門家的には視覚サリエンスと言っておきたい)でなにかが違っていることを言語化している。
と感心していたら、ブクマコメントで「何言ってるか良くわからないところが、精神構造のごちゃごちゃ感そのもの」ってあって、ちょっとショックを受けた。これで伝わらない人もいるんだということは、私もよく知っておくべきだなと思った。
ブクマ全体で見ても、「わかる!」って人と「何言ってるかわからん」って人が混ざっているようなので、とても面白い。なんか人間の認識の盲点がここにありそう。
久々にギター弾いてた。Guitar Rig 5(アンシュミ)のプリセット試していたら、"Kurt in Bloom"とか"Carlos in Europe"とか"Edged without you"とかもじったネーミングが面白いのだが、"Pete won’t explain"というのが一瞬わからなくて、すぐにThe WhoのI can’t explainだ!と気づいた。クイズかよ!
「僕のマルコフ・ブランケットを取り上げないでくれよ」(by ライナス)っていうフレーズを考えた。考えるな。(<-考えてもいいよ)
「僕のマルコフ・ブランケット」とは僕を僕であらしめるものだから、それを公園だろうがどこだろうが、ボロボロになっていても、どこにでも持ってゆくのは当然なの。うーん、深い。深くない。(<-やっぱり深いよね)
KONTAKT5のサンプラーの音を色々いじっていたら、「メロトロンのフルート」ってのを見つけた。鳴らしてみたらまさに「あの音」だったので、"Strawberry fields forever"のイントロとか、Dinosaur Jr.の"Thumb"のイントロとかを弾いて堪能した。
「ど根性ガエル」で町田先生の毎度のセリフが「教師生活25年」っていうアレだけど、大学3年で薬作に入ってからすでに研究者生活25年過ぎてるじゃん、ってことに気づいた。
犬山城下町は毎度ながら19時過ぎには真っ暗で観光客も皆無、やる気あんのかと言いたいが、職場環境としてはめちゃホワイトということで、これは素晴らしいことだと思い直した。
酒を飲まなくなってから、飲み会のために5000円払うことが耐え難くなった。べつにみんなと語り合うのが嫌になったわけではないのだけど。ドトールでアイスコーヒー一つで3時間粘ろうぜ!(<-51歳が言うこと…?)
本日の北大シンポジウムは無事終了。パネルディスカッションのチェアもYing-Tungが活躍してくれた。いろんな人と話ができてよかった。しなければならないことが溜まっているので、ホテルに戻って仕事。
長女から「迎えに来て」というLINEが来たけど、スマン、パパ今日は岡崎にいないんだ…
東亜飯店貼るとかネタを考えていたのだけど、ぜんぜん余裕がない。
「温泉卵」というフレーズを提案したい。「温泉」と「卵」というありえないモノ同士の邂逅。シュルレアリスム。
朝食を食べながら野菜ジュースのパッケージを見たら、「23種類の野菜と現実」と書いてあったので、心の中がポエジーで満たされたのだが、よくよく見たら、「23種類の野菜と果実」だった。
小学4年生くらいのころ、夕方にとてもお腹が減っていて、大島6丁目団地に来ていたおでんの屋台を通りかかったら、はんぺんが5円とあったので、ちょうど持っていた5円を渡したら、屋台のおっちゃんに「15円だよ」と言われて、恥ずかしくいたたまれない気持ちで家に帰ったことを思い出した。あのときの飢餓感が今も俺を支えている。(<-なこたあない、とタモさんが)
解析が終わらねえ…音楽でも聴いて気合い入れるかとモグワイ聴いたら、もっと陰鬱な気持ちになってきた。
はてブコメントより。これ、私の言いたいこととぴったりあってる。なんつーか私には、酔っ払ってしゃべるときの粗雑な感じがおっかない(自分にも相手にも)。初対面の人と距離を縮めるために飲むというのは避けたい。気心知れてガードを下げるのはいいことだと思うけど。
夜の駐車場で、道路の中心線に鎮座しているネコちゃーんが居たので、スマホを持って近づいていったが、このあたりまで接近したところで退去なさった。
夕食食べながら、受験生の長女たちと一緒に「東大生クイズ」的なテレビ番組を見て、答えを当て合うなど。残る人生でもう何度もできないことだろう。
スピログラフってあれか。なるほど「破壊と創造の幾何学模様」だった。すげえ!ちゃんと変則ループものの歌詞になってる!
「クラウド(cloud)・ファンディング」ってのを考案した。どういう仕組かわからないけれど、雲から無尽蔵にお金が落ちてくるの。うちでのこづち!
あと「未確認飛行物体」っていうフレーズも考案した。略して「みひぶ」。
140字まるまる使ってツイートすると「オタクが早口で言ってるかんじ」が醸し出されるのはわかっているけれど、溢れるほどある言いたいことを、切り詰めて切り詰めて、でも誤解を防ぐように一つのツイートにまとめるとしたら、当然こういう文体になるじゃん?って思う。(<-めっちゃ早口で言ってそう)
東京の実家に戻ったら、お茶うけのお菓子を入れた容器に「ナボナ」があった。生きとったんかワレェ、とか思った。さっそくYouTubeで探したら、自由が丘亀屋万年堂自体がCMをアップロードしてた。
ザ・フーの「クイック・ワン」で好きな点は、ラストが「チャン・チャン」で終わるところ。コミックバンドかよっていう。
昨日の忘年会兼送別会では、頼まれてもいないのにウクレレで別れと旅立ちの歌を2曲。ユニコーンの「素晴らしい日々」とスピッツの「楓」で。良い選曲でしよ?二番まで歌ったら妨害された。フルコーラス歌わせてくれ。(<=ただ歌いたいだけ)
ラボの送別会ではあらかじめ贈り物とかは無しでお願いしていたのだけど、まったくゼロなのも残念ということで「日本一高い納豆」の詰め合わせセットというのをいただいた。たしかにこれはいいアイデア。さっそく食べてみたが、大粒で柔らかく、美味かったので幸せになった。
この話には文脈があって、いつも私の昼食はローカーボ志向で激安豆腐と納豆で済ませているので、せっかくなら吉田が自分で買いそうにないものを贈ろう、ということになったらしい。そういうわけで、いただいたときにとっさにトンチを効かせて、「ところで高級豆腐はないのですか」と切り返してみたら、ドン引きされた。
いつもどおり家族と一緒に夕食。今日は特別に奥さんが手作りでピザを焼いてくれてる。次男は腹減ったからなんか間食させろとか文句言ってる。私は引っ越しの準備とか年賀状の印刷とか。ありふれた日常風景だが、1月から単身赴任なので、こういう時間がなくなるのだとじわじわ実感してきている。
クリスマスイブの思い出といえば、大学2年生くらいだろうか、だれともなにも予定がないのだけど、なんだかイブの街の光景の中に混ざっていたくて、自転車で池袋と新宿と渋谷をハシゴして、ただただ繁華街の中を歩いた、そんな年もあった。
その前の年は、穴開きジーンズにネルシャツ重ね着してグランジロック的な(Nirvanaとか)つもりでいたら、友人に「山男?」とか言われてめちゃ恥ずかしかったことを覚えている。よってトレンディドラマw的にバンダナまいてみたいな格好は宇宙神に誓ってけっしてしていなかったことを、強調しておきたい。
自分はあの80-90年代をサイケデリックロックとシューゲと「マリファナ・ナウ」と「完全自殺マニュアル」と「危ない1号」と根本敬で乗り切ったサブカル人間なので、最近のシティポップブーム含めた80年代再評価の流れにはぜんぜん当事者意識が持てない。いや、そこまで強く否定する必要もないか。
そうして考えてみると、時代にチューンできずにサブカルを見出した私が、なぜかゼロ年代にオタク文化(ギャルゲ論壇とか)にチューンしてしまったのは不思議なのだが、ゆえに私は第2世代オタク(ガンダムとか)も第3世代オタク(エヴァとか)に乗り遅れてそのあたりへの興味がぜんぜんない(<-自分語り乙)
なんて自分語りはいいから、いまからラボ行ってもうひと仕事してくる。きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる(<-パクった)
「ヌガー」って、音韻的にも、なんか「歯の詰めものが取れそう感」あるよね。
冷蔵庫の扉を開けたら、中の人が油断していたらしく、消灯している状態から点灯する瞬間に遭遇した。今度は通りがかりに後ろ手で開けてみるとか、いろんなフェイントを効かせて扉を開けてみることにしょう。
新幹線に乗っているときに満月が出ていることに気がついて写真を撮ってみたら、ちょうど駅を通過したらしく、意図せずグルスキー感(?)が出たので、記念に貼っておく。
家族と年越し蕎麦を食べながら「浜田、アウトー」みたいなやつを視聴した。
考えてみれば、例年東京の実家で年を越してきたので、岡崎で年を越すのはこれが初めてかも。そしてたぶん最後でもあるのだろう。
2020年06月30日
■ 「ドルフィン・キック/ソクラテスの弁明」(さうして、このごろ2019年7-9月版)
繁華街を歩きながら、座り込んで地図を見ている旅行客とか、交差点で演奏するベーシストとか、暗闇にぼおっと浮かび上がる欄干とか、生ぬるい風とか、人混みを避けて進むジョギングランナーとか、そういうのを横目に見ながら、ブクオフにたどり着いて優雅な時間を楽しみ、白くまアイスを食べた。
「ドルフィン・キック」というのを考案した。イルカの鳴き真似をしながらドロップキック。めちゃ練習が必要(<-おもに鳴き真似の)
あと「アングリー・バード」ってのも考案した。めちゃ怒ってる。手のつけようがない。仕方がないので放置している。どっかへ飛んでいてほしい。銀閣寺。
「ヌガー」って、いいよね。(<-主に音韻的な意味で)
もろもろメール送り終えてラボからの帰り道、図書館の時間外窓口に本返しに行くつもりが、明日の予定とか考えごとしながら運転してたら、自宅に到着してた。私のオートパイロット(ゾンビ)モードが何もかもやってくれすぎて困る。いっそのこと実験と解析もしておいてほしい。
今気づいたけど、JR幸田駅の手前で在来線と新幹線が交差するのか。そんな重要なことではないが、はじめて意識に登ってきたことではあるので、ここに記して永遠の記録とする。
「骨休め」っていいよね。自分の中のガイコツ部分が、なんかアホ面してかぱっと口を開けているイメージ。世界が二つに分かれて、そこに海の水が流れ込む。
いまとくにウナギを食べたいとは思わないが、リョコウバトは食べてみたい。肉が美味で取り尽くされたというのを見ると。
早晩ウナギは絶滅するだろうけど、近い将来、専門店でありえないくらい高額になって、裕福な人がFBで自慢する写真をシラっとした気持ちで見てみたい。
今回の札幌での、全ての予定されてたイベントが終了して、JR琴似駅からホテルに向かうまでの帰り道で、これですべての日程が終了か、という感慨が湧いてきた。空気が涼しくてまるで秋が来たかのようで、なんだかメランコリックな気持ちになってきた。
今日撮った写真だけど、私にはこの画像に、雪が降っていて「夢の跡」が流れている光景が重ね合わされている。メランコリックな気分だから。
札幌からの帰りの電車の中で、和やかにしりとりをしていた家族が、ママの失言で小学生が一挙に機嫌を損ねてブチ切れ、居眠りしてたお父さんに八つ当たりしてお父さんがブチ切れて、ママが恐縮するというなんともやりきれないシーンに遭遇してしまったので、ここに記して永遠の記録とする。
Tom Froeseと会話していて「そういえばフローゼってドイツ的な名前?ドイツのミュージシャンで聞いたことのあるけど」って話をして、思い出せなかったのでその場でスマホでぐぐってみたらタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼだった。クラウト・ロック趣味が初めて日常生活で役に立った瞬間。
「ハクキンカイロ」と書いたTシャツを自作して、それを着ながら冷房のない部屋で汗だくになって、チューニングの合わないギターを掻き鳴らして、隣の部屋から壁ドンされたい。あまりの暑さにセミさえ鳴かず、すべての生きているミミズは地下に逃れる。遠くには鳥居を通して不二が見える。
「ヌフォガエル」ってのを考案した。ヌフォっとしている。つか寝るぞ諸君
先日クリスとskypeで話ししてて、なんか噛み合わないなあと思ったら、クリスが二重否定で話してるのを(「XXでないわけがない」)、私が単純否定だと誤解してたからだった。「英国人的だな!」とか言って笑った。
ブログ記事を作るために数年前のツイートをまとめていたら、「東岡崎からの空港バス」とか「改修工事前の実家」とか「田嶋さんのセミナー」とかそういうものに連続して遭遇した。しばし立ち止まって、心を当時へ飛ばしてみた。
「クラウド・ファンディング」ってフレーズを考えた。雲が、ゆっくりと、通り過ぎてゆくのを、長い時間かけて、眺めつづけるの。ファンディングのほうは知らない。
「来世で」を多用しているので、輪廻転生を信じているとか誤解されないように説明しておくと、来世というものは端的に無いので、「来世でやる」とは「やらない」という意味。“God only knows” = “Nobody knows”なのと同じ。言わせんなよ…
夜の風があんまり気持ちいいから、近くの奈良井公園までビールとつまみ持っていって、夜空を見ながら、たまにKindleで「意識と本質」のII章を行ったり来たりする。こんな気分は久しぶりだ。近所を歩いても新鮮に見える。
誰にも通じない地元ネタ…248号で八帖の交差点越えた北のコンクリート塀が並んでいる佇まいが、千石の交差点を通り過ぎた小石川高校の前あたりを思い起こさせる。とここまで書いてストリートビュー確認してみたら、そんなに似てねぇ。しかも小石川高校は6年一貫制の中等教育学校になってた。時が駆け巡ってる。
「また逢う日まで」を車運転しながら絶唱したりするんだけど、あれってコブシ(メリスマ)の入るところが「なぜかさみしいだ〜け なぜかむなしいだ〜け」で「だ〜」の部分なのが絶妙に難しい。ふつう「しい」の部分に入りそうなものなのに、そうはなってない。ネット探したがだれも言及してないな。
Kindleにダウンロードしたまま積んでた「ソクラテスの弁明」をウォーキングがてら読んでみるか、薄い本だし、と歩き始めたら思った以上に面白くて本編から訳者の解説まで全部読んでしまった。ソフィストとは別に哲学者が誕生したこととか、大学の概念の誕生とか、やっぱ古典超重要だった。
衆愚によって感情で裁かれる状況とか、現在の状況を思い起こされるものもあった。あと、ここで出てくるソクラテスは、死を恐れず金を取らず貧乏で信念を貫くというなんだかロックな爺さんだった。そういうわけでそのうち訳者の「哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々」を読んでおこうかと思う。
あと、これが「無知の知」の原典なわけだけど、正しくは「不知を意識すること」とあって、それってメタ認知じゃねーの?とか言いたくなってきた。
あと、ソクラテスは「神霊の徴」を聞いているんだけど、それはなんらかの行動(政治的参加とか)を制止する声として聞かれている。これには驚いた。まったく知らなかった。
2020年06月15日
■ 「シケモク先輩/ウォーリーを探せ!」(さうして、このごろ2019年4-6月版)
家の駐車場から西の空を見たらいい感じに空の色が青から緑、黄、赤となっているのに気づいてスマホで撮影してみた。電線が邪魔、と言いたいところだが、電線があってこそ、というふうにも思う。
「ウィスコンシン・カード・ソーティング・テクニック」ってフレーズを考えた。ウィスコンシン州では一番なの。地元じゃ負け知らず。そうだろ?
「ゼロセン」ってのも考えた。ゼロがセンになるの。そんなのって、そんなのって、ほぼ無限大じゃん!
進化生物学とかで出てくる「ボディプラン」という言葉を見るたびに、「ボブ・ディラン」に空目するのだけど、とくに実害は被ってない。
車を運転しながら、DTMで作りかけの曲を聴いてたら急にメロディーが浮かんだのだが、長女のお迎えの時間になったのでそこで中断。メロディーを忘れる前に録音しておきたいのに今日に限ってドンキに寄りたいとか言うので、しかたなくドンキの外で待ってる間にボイスメモで鼻歌を録音。俺いったい何者。
もうちょっとマシな方法はないか調べていたら、Logic Pro XからiOS用GarageBand用にエクスポートできることを知った。ただし、Google Driveには対応してないので、iCloud Driveが必要。あれもこれも使うのが嫌なので避けてきたが、しかたないので無料分だけ使うことにした。
ともあれiPhone上のGarageBandからファイルを開いて、歌用のトラックを追加してみたら、伴奏流しながら歌を録音することができた。ボイスメモだと同時に音楽を鳴らすことができない(自動的に音楽が消音される)のでこうはいかない。
これまで歌入れは家族のいない機会にこっそりとしかできなかったのに、これなら毎日できるじゃん!またもや人生の楽しみが増えてしまった!
「シケモク先輩」ってフレーズが降りてきた。なんか70年代のドラマっぽいでショ。
特急電車で「右側に国宝犬山城が見えます」とかアナウンスが出てた。国宝かよ!とか思って検索してみたら、天守が国宝に指定されている城は姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城の五つだけ、とのこと。
「コネクショニズム」ってのを考えた。コネ第一主義。(<-チガウ)
「ウォーリーを探せ!」ってのを考えた。ウォーリーは遠いところに旅立ってしまったのだから、そんなところを探しても見つかるわけがないんだ。でも僕らはウォーリーを探さなければならない。おい、ウォーリー、お前は一体どこに行ったんだい?
以前近くの西友がブリットポップやシューゲばかり流すと書いたけど、あれって西友で共通だったのか!はてぶ
そしてついでに選曲終了のニュースも知る。「西友が音楽ファン「お墨付き」の店内BGM選曲を終了? 真相を訊く」 いつだって、謎が解けたときは、謎そのものが無くなっているんだ…(<-意味ありげだがとくに意味はない)
「大西の有機化学」というフレーズが急に浮かんで調べてみたら表紙画像があった。高校の物理の試験で100点満点で5点を取って絶望していた私を救ってくれた大西の有機科学。
研究所の東門で飛行機雲があるのに気がついたので、スマホのパノラマ写真機能を使って撮影してみた。だからなんだと言われても、答えはヴェイパー・トレイルのように雲散している、としか言いようがない。
「サバミソグラフィー」ってのを考案した。「グラフィー」つけると大概なんとかなる。「サバミソイズム」ではダメ。全然わかってない。「サバミソレスク」は狙いすぎ。見ているこちらが共感性羞恥。わかるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ(<-昭和)
「【のどごし<生>】ブランドサイトはこちら」「お~いお茶ブランドサイト」というのを見ると「ブラインドサイトblindsight」と空目するのは俺ちゃんの職業病だ。わかるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ(<-もういい)
「ラーハン」と「チャーメン」を組み合わせて純化することによって「ラーメン」と「チャーハン」を単離することに成功しました!(<-モルダー、あなた疲れてるのよ)
「うどんこ病」ってのを考えた。「そもそもなんでうどん粉なんだっ、小麦粉でもいいじゃないかっ」って粘着してきてすごくウザいの。お花を大切に!
2020年05月25日
■ 「ノルウェイの森/Campfire guitarist」(さうして、このごろ2019年1-3月版)
「ウニカレー」が食べたい。カレーなの。ウニは入ってない。ただ、ウニのように黄色いカレーなの。何の変哲もないカレーに「ウニカレー」という名前をつけたことによって始まる、回り道に回り道の苦難。ジャン・バルジャン。
「こういう地方都市って多い」こういう話題大好き。東岡崎駅も川を隔てて離れたところに城と旧市街と西三河庁舎がある。JR岡崎駅はさらに南3.5kmのところにあって、しばしば鉄道忌避の例として挙げられる。(がwikipediaによると本当は違うらしい)
「ボルゾイ」っていいよね!と思ってなんとなくググってみたら、鳥取のボルゾイ・レコードというのを発見。なんか惹かれた。鳥取に行く用事は当分無さそうだけど。
長男の発案でフェルメール展行ってきた。11時からの時間指定のチケットを取っていって、20分並んで入場。中もけっこう混んでいたが、まあ全部見ることができてよかった。なによりも母と子どもと三世代でこういうのに行くというのは貴重な機会となりそうだ。
「ノルウェイの森」の最後の“So I lit a fire”ってところは、一人残されタバコに火をつけ「でもNorwegian woodも悪くないね」と苦笑い、って理解だったけど、「風呂で寝ることになってしまった復讐をするために、その場所を燃やしてしまうことにした」とWikipediaにあって、マヂかよ。
たしかに、持ち主のいない部屋に火をつけて、「おー、ノルウェイ製の木材ってよく燃えるな〜www」ってイギリス的な?ブラック・ユーモアが利いているとも言えるか。
マグフーズで鶏皮 200gで安売り100円というのがあったので2つゲットした。フライパンで焦げ目つけようと火にかけたらスゲー油出て、最後は素揚げみたいになった。モヤシとシメジ(計120円)と合わせて炒めて食ったら多幸感が溢れてきたが、油は多すぎて捨てた。食い過ぎで腹が苦しい。
「ポピヨドン吉田」という芸名を考えてみた。ついでにポピドンってなんだ?と思ってwikipediaを調べてみたら、ヨードを溶かすのにエタノールではなくてポリビニルピロリドン(ポビドン)を使うことで刺激性を下げたのがポビドンヨードだということを知った(<-ペーパー薬剤師)。
ひさびさにフレスカに行ってジェラートを。毎度の親父の「不味いよ」も聞けて満足。「いやいつも来てます」とか返したら、「今日は不味いよ」ってそこ粘るのか。イチゴ、パイナップル、栗のトリプルで、たいへんよかった。
父親の形見のウインドブレーカーを母親が送ってきたけど、そんなに古びてないのでここしばらくそれを着ていた。ふと気がついたら腕の先の方に画鋲みたいなものが入っている。ポケットと繋がっているところまでずらして取り出してみたら、ゴルフで使うボールマーカーだった。潮来カントリー倶楽部。
「ランランとカンカン」っていうコンビ名を考えた。ランランは目が爛々としている。カンカンは頭を叩くとカンカン鳴る。二人が協力して窮地から奇跡の脱出をする。
あーあ、棚からボタ餅落ちてこないかなー(<-ダメ人間)
長浜の街を歩いたら、片方の通りはジャズが流れていて、まあありがちかなと思っていたら、もう一つの通りはThe Smithsが流れてた。この曲なんだっけと思い出せずにいたが、調べてみたらMeat Is Murderの一曲目、The Headmaster Ritualだった。
「スイート・ホーム・アラバマ」を聴いてた。例のニール・ヤングをディスるくだりだけど、呼び名がMister Young->old Neil->Neil Youngとなるんだけど、だんだん怒りが爆発してゆく感じなのだろうか。「吉田氏がxxしたそうな->正俊おじさんはxxしたそうな->吉田正俊は覚えておけよ」みたいな。
0時過ぎて論文のドラフトを共著者に送って疲れた頭で家に帰ってみたら、長女がドンキに連れて行ってくれという。どうやら学校のバレンタインのイベントかなにかでいろいろやっているらしい。仕方ないのでいまドンキまで送って待っているところ。(<=まんざらでもない)
"Avicii"の名前の由来が「阿鼻地獄(avīci)」(「阿鼻叫喚」の阿鼻)であることを知った。
Webの音楽サイトで「あなたのギターのレベルを教えてください」ってのがあって、選択肢がTotal beginner / Three-chord strummer / Campfire guitarist / Garage-rock guitarist / Rock-star guitaristってなってるのがなんかウケた。これから"Campfire guitarist吉田"を自称したいと思う。
キッチンで考えごとをしながらスティックコーヒーの袋を開けたら、顆粒を床にぶちまけてしまった。やっちまったと思いつつ考えごとを継続して、水で湿らせたティッシュで顆粒を集めたら、こんどは顆粒が溶けて床がコーヒー色になった。そこでやっと正気になって「誰もお前を愛さない」を思い出した。
空いてない電車では立つように心がけているのだけど、先日の名鉄電車で、ついに生まれて初めて自分より若い人に席を譲られた。そんなの受け入れるわけにはいかないので、気づかぬふりして別の車両に移った。白髪を染めるのは止めてたけど、老人扱いされるくらいならと白髪染め買ってきた(<-泣ける)
「トロイの白馬」ってのを考えた。しかも正体はユニコーン。大空を駆け巡りたまえ。
「ジョニ黒」ってのも考えた。めっちゃ黒い。極黒の鳥。NASAもびっくり。黒く塗れ。直感を越えて。 ルーツ牛乳かと思ったら豆腐だった。むかしの潜水服。止むことのない雨。
「モンドリアン図形」ってのも考えた。もんどり打って倒れたら、このザマよ。海風が強くて、肌がベトベトするんだ。
2020年05月20日
■ 「かに道楽/アーメン・ブレイク」(さうして、このごろ2018年10-12月版)
「うな丼」ってのを考案した。丼の水の中にシラスウナギが泳いでいるの。それを眺めて過ごす。観賞用。
「情熱大陸に上陸したい」とは思ったことがないな。「吉田正俊の朝は早い」とかナレーション付けられたいと思ったことはないな。そもそも吉田正俊の朝は遅い。
「ブラジリアン柔術少年とモンゴリアンダンサーの詩」っていうタイトルを考えたのだが、今ではこれは「文化の盗用」になるのだろうか?
シド・バレットの名曲Octopusって"close our eyes to the octopus ride"だから「タコに乗って海を探検」的な歌かと思ってた。でも歌詞を読んだらぜんぜん海っぽくないので、遊園地の「オクトパスライド」のことであることが判明した。つかたぶん"Terrapin"と混ざってた。
小学生の頃、流行っていた玩具を親にねだると、父が買ってきたのはきまって安物のパチもん(紐が軸で空回りしないヨーヨー、すぐばらばらになるルービックキューブ)で、憤慨して泣いた記憶がある。
だから今でも、コレジャナイロボ的話題を見ると心が乱されてしまう。
そのなかでもいちばん強烈な記憶は、弟がファミコン買ってほしいとねだったら、父親が買ってきたのはセガだったとき。しかも不人気ソフトとの抱き合わせ販売で、モナコGPもギャラガもなかった。けっきょく数年後にファミコンを買うことができた。バブル期で父の収入も上がっていく時期だった。
コンビニまで散歩、とドアを開け家を出てみたら、昨日の草刈りのせいか青臭い冷気が漂っていて、なんだか胸を締め付けられるような気持ちになった。誰もいない緩やかな上り坂を歩いていると、遠くから団らんの声が聞こえてきて、人がまだ活動していることを知る。
「エターナル・ゴールデンハムスター」ってなんだっけ?と思ってぐぐってみたが出てこないので、そういうものはとくに無いらしい。
疲れ果てたが、夕食前に仮眠したら回復した。このまま寝ると夜中に起きそうなので、夜の岡崎を車で流しながら、音楽を聞いてた。そしたら商工会議所通りの下り坂の先にある、雨上がりの霧がかかったような空に、イオンモールの過剰な明かりが反射して、白くけぶっているのが見えた。
マーモちゃんの世話を終えて、肉食って、伊賀川沿いを経由して図書館へ。ん?ネコちゃん!ネコちゃん!今日は休日らしい休日。
伊賀川は護岸工事ですっかりきれいになったけど、何度か大雨があって、すっかり上流の土砂が堆積していて、知らぬ間にこんな形になっていた。こんなものを記録しても意味などないのだけど、それでもそれが存在していて、それを見ていた人間が居たという証拠を残すためだけにこの画像を貼っておく。
「かに道楽」って遊びを考えた。ばらばらになった蟹の甲羅から、正しい組み合わせを見つけるの。古くは貴族も嗜んだらしい。
今朝は電子ドラムが空いていたので、「アーメン・ブレイク」 をマスターしようと思って練習してみたら、クッソ難しい。ライドシンバルを8分で叩きながら3拍目の裏に16分二つのバスドラを入れるのがこんなに難しいとは。シナプスからフィロポディアが出入りするのを実感した。
“When the levee breaks”でバスドラが入るところはアーメン・ブレイクと同じ(3拍の裏)ということに気がついた。こっちのほうがゆっくりなので(70 bpm)、とりあえずは叩ける。あと、ハイハット8分音符をキープしながらバスドラで16分音符2つをどこでも入れられるように練習してみた。難しいが楽しい。
「イリュージョニスト」ってのを考えた。イリュージョンをみるのが得意なの。(<-チガウ)
「世界一の新宿駅の隣で超ヒッソリの“あの駅”」ということで小田急線の南新宿駅が採り上げられていた。中学受験をしたときは桐杏学園の代々木校に行っていたので、このあたりで買い食いしたもんだった。今調べてみたら、幼児教育専門として生き残ってた。
私が通ってた頃は、開成中の隣りにあった西日暮里校が有名だった。年末から正月をまたぐ講習(「正月特訓」)では、朝校舎の周りを鉢巻姿でランニングして、「開成!合格!」とやるのをテレビが報道する(受験戦争の加熱の例として)というのが恒例だった。私もやった。「開成!合格!」
2020年05月01日
■ 「ペンギン仕立てのカエルさん/おでん星人」(さうして、このごろ2018年7-9月版)
ひさびさに豊田市立中央図書館まで本を借りに行った。片道30分かかるので、そのあいだに「世界はいつも夜明け前」かけながら練習した。だいたい6回ぐらい聞き直して歌えるようになった。キー下げなくてもギリギリいけた。
そうして考えると、歌詞カードを見なくても歌える歌を持つことが財産なのだということに気がついた。これまでたくさん洋楽を聴いてきたけど、けっきょくのところ歌詞カードを見なくても歌えるのはビートルズとニール・ヤングだったわけで、けっきょく俺は「ビートルズおじさん」だったのかとも思うが。
「偽タクシードライバー」ってのを考えた。タクシーなんだけど一日中街を流しているだけなの。人は乗せない。手を上げても停まらないから客激怒。でもって車には通信カラオケが設置してあって、1曲歌うとスイカに100円入金される。謎の「機関」から。8時間で100曲で1万円計算。ああ忙しい。
英語で会話していて聞き取れなかったときに、わかった顔せずに聞き返すよう心がけているけれど、固有名詞、とくに人の名前は鬼門だ。以前誰だったか「ロッジャレモ」ってのがわからなくて何度か聞き返したらRoger Lemonだった。これは自分が「ロジャー・レモン」ってカタカナ読みしてる証拠だった。
いつものドイツの共同研究者は聞き取りやすい英語を喋ってくれるのでだいぶ助かっているのだけど、マイクロサッカードの研究者Michele Rucciが「ミケラルチ」だったときは難儀した。イタリア名だからミケーレなんだな。あと基本フルネームでも繋げて発音するんで分節化に失敗する。
コンビニのロックアイス400gに100%グレープジュース500mlを注いでストローでチューチュー飲んだら多幸感が溢れてきた。
グーグルマップでアムダリア川を追いかけながらどこで水が無くなっているかを調べた。
疲れ果てて元町でぼっちホルモン。ひさびさにすたみな太郎以外の肉食ったので幸せになった。もうちょっと幸せになってもいいんではないの?と自問自答する。
センマイ好きでないんだけど、なんかセンマイが多いぞと思ってまずセンマイだけぜんぶ焼いて食ってから、シマチョウとかハラミとか好きな部分を焼いたらご飯が足りなくなった。よくよく考えてみれば、好きな部分だけ食べて好きでないものは後回しまたは残す、でよかったんじゃないかと気づいた。
以前も書いたけど、自分はいつの間にか頭の中に鮮やかなvisual imageryを作ることができなくなっていた。いつからできなくなったのか、それともはじめからできなかったのか、それすら思い出せない。でも音楽に関してはいつでも頭の中で鳴らせる。
いまもニール・ヤングのcowgirl in the sandのイントロのギターが鳴ってる。もしかしたらこれも消えてしまうのかもしれない。でもはじめから存在しなかったわけではなかったんだと、そのことを証明するために、web上に書き込んで永遠の記録とする。
いまは"A Tair"が流れている。望めばいつでも「えいえんのせかい」への序曲を流すことができるのだ。
明治38年の東京府南葛飾郡全図というのを見つけた。当時は新大橋通りはまだ無くて、羅漢寺が新大橋通りをまたぐように位置しているとか、自分の実家あたりは何もない原っぱだとか、竪川にぜんぜん橋が架かってないとか、なにもかも味わい深い。
FMラジオ聴いてたら「夏に聴いたら死にたくなる名曲ベスト3」ってことで「パラノイドパレード」きのこ帝国が流されて、蒸し暑い夏にはシューゲの音とけだるいボーカルがよく合う、って紹介されてたので、わかるわ〜と思った。
「ペンギン仕立てのカエルさん」というフレーズを考えた。中身はまだない。「チューリップのアップリケ」と韻を踏んでる。踏んでない。
長男は20歳の誕生日を迎えたので、今度の1月は岡崎で成人式。超感慨深い。そして私の人生はすでに余生となった。
ふと思いつきで「人生」でググってみたが、役に立ちそうな情報はなかった。
「一目置かれる」ってフレーズを見てひさびさに思い出したけど、中学生の頃の通信簿に「クラス内でも一目置かれる存在」と書かれたことが密かに自信になっていた。これは私にとって最上位を占める価値観で、私は「一目置かれる」存在になることさえできれば、社会的な意味ではだいたいハッピーだ。
つまり、社会的な意味では「仲間の中心でいたい」「憧れの対象になりたい」「競争相手に勝ち続けたい」「相手を自分に従わせたい」「頼りになると思われたい」「誠実だと思われたい」といったさまざまな欲望があるわけだけど「一目置かれる存在」になりたい。「尊敬されたい」というのとはちと違う。
ヘシェル海江田っていう芸名を思いついた。ヘシェル回が発達してる。ただそれだけー(<-発達とはなんだ?)
人生で初めて、ホテルで寝ている間にベッドから落下した。枕ごと落ちたので頭を打たなかったのが幸い。落ちていく間の浮遊感は記憶しているけど、ベッドの縁から落ちた瞬間の記憶はない。Postdictionの時間幅はそのくらいらしい。(<-ホントか?)
「オデッセイ」かと思ったら「おでん星人」だった。びっくりしたなーもー
こっちは別の日に行った北野廃寺跡。岡崎市にも白凰時代に法隆寺と同じような構造の寺があったという証拠。いまは何もないただの公園だが、わずかに塔の土台の丸い石と講堂の基礎の四角い石が並んだものが残されている。クソ暑い8月の日で、地元の老人会とおぼしき集団がみんなで草取りをしていた。
こちらの記事を見るかぎりだと、いま矢作川の東岸にある「大門」という地名はちょうどその西岸にあった北野廃寺の山門だったことが由来とのこと。要は矢作川を遡ってここまで人が行き来していたのだな。
ここまで書いておいてなんだが、歴史には特に興味がない。
2020年04月30日
■ 「汎神論的な悪意/カニチャハーン」(さうして、このごろ2018年4-6月版)
活字中毒。文字メディア大好き。チラシでいいからなんか読んでいたい。ネットラジオとか映像や音声で流すものはほとんど聞かない。TEDですら、英語の勉強だと思って我慢して聞くけど、内容知るためにはtranscriptで済ましたい。音声だと文字のように飛ばし読みできないってのが耐え難い。
先日松屋に行ったら自販機に「大盛りカレー単品」ってのがあったので、サラダとか味噌汁とか無しのことかと思ってそれ頼んだら、「ご飯抜きカレールーだけ」が来た。いまさらご飯追加お願いするのもおっくうで、そのままルーだけ食べてみたら、意外に腹いっぱいになって満足した。よかったね!
カップラーメンにモヤシをトッピングする技法を探求している。普通にカップラーメン作ってモヤシを乗っけるとスープが薄まってしまう。試行錯誤の末、カップラーメンにはお湯半量、モヤシに粉末スープをかけてレンチンして水分を出させて、これらを合わせるようにした。これで私のQOLは25倍になった。
吉岡実の「サフラン摘み」を読みたくなって図書館で探したのだけれど、「吉岡実」という名前が出てこなくて見つからなかった。いま気づいたけど、「吉野弘」とごっちゃになってた。
「ストロングゼロ文学」を理解するためにストロングゼロ ダブルグレープフルーツ 350mlを買った。飲みはじめて、ああこれは以前間違えて買ってぜんぜん飲めなかったやつだと気づいた。しかたなく閉店前のイーオンで半額になっていたアジフライで流し込み、吉岡実全詩集を開いて文字を追う。
「すぐそばにタコのメスのみひらかれた眼がある それには汎神論的な悪意が感じられる」 …汎神論的な悪意!イイね!
駅でSuicaのチャージしているときに機械が「チャージ中です」って言ってるのを聞くと「チャージマン研!」の変身バンクが頭の中でリフレインする。ジュラル星人にSuicaを奪われないように、慌ててカードを引き抜く。
自分がいちばんお金をかけたのは楽器だろうけど、エレキギターは20年前に買った島村楽器のES-335模造品(当時5万円)だし、中2で買ったアコギ(当時2万円)は長男に譲ったし、ウクレレは15年前に買ったフェイマスの入門用(FS-5, 当時2万円)を修理して使ってる。トータルで10万円行ってない。質素すぎない?
今日の任務を無事終了させた。高安ですじラーメン。 腹一杯なので鞍馬口駅まで歩く。まだ岡崎に帰ってから今日締め切りの仕事がひとつあるが、あと一時間くらいで完了するだろう。良い一日だった。
実存的な不安に駆られて眼を開けたら、名古屋駅だった。っぶねー、乗りすごすところだった。
どっかの地方都市に出張したときに線路沿いにある城跡公園をぐるっと歩いたけどあれはどこだっけと記憶を辿ってみたが、山形だということに気がついた。そうそう、この東大手門を渡った憶えがある。駅前に戻ってジャスコ的なスーパーでお惣菜買ってホテルに戻った。
ひとつひとつ数え挙げてみる。広島、富山、高岡、新潟、甲府、長崎、熊本、札幌、仙台、長野、高山、山形、花巻、那覇、せいぜいこのくらいか。旭川も福井も秋田も岡山も山口も博多も大分も鹿児島も行ったことがないな。四国には大学の卒業旅行以来足を踏み入れてないし。(首都圏、関西、愛知は除く)
東海道新幹線沿いはあるか。小田原、熱海、三島、沼津、焼津、静岡、浜松。遺伝研に行ったときの三島はなんかいい感じのところだったな。三島広小路駅、好き。
夕食に帰ってみれば、奥さんから鳥川までホタル見に行こうとの提案。Web情報によると今日がベストコンディションらしい。たしかにたくさん飛んでて最高だった。写真部に入ってる長女が一眼レフで露光時間延ばして撮影したのを送ってくれた。いい一日だった。
小雨降るなか車を走らせて、土井町で右折して田んぼだけの真っ暗な道を通り抜けて、美矢井橋まで出てみると、真っ黒な河と遠くの街の光が見えた。渡橋を通って戻ってきて、TSUTAYAでよつばと!の最新刊をレンタルして、店の前の電灯の下で全部読んで(<-マイルドヤンキー)、リフレッシュした。
よつばが自動改札でおっかなびっくり切符を入れて一喜一憂している様子をコマ数かけて描写しているのを見ると、親目線で涙が出てきちゃう。そうやって私は、三人の子供が成長するところを見届けてきたので。
紅葉が満開の東公園の池の横を通る砂利道を勝手に先に進んでいく子どもの姿を見ながら私は後ろを追いかけていく。ああこの光景を私は懐かしく思いだすだろうと思った記憶がある。でもあれは長男だったか、長女だったか、次男だったか。それすらも思いだせないのだけど。
おっさんカラオケしたい。「ボヘミアン・ラプソディ」とか「天国への階段」とか「ハイウェイ・スター」とか「ホテル・カリフォルニア」とかバンバン曲入れてみんなでマイク奪い合って全員で歌うの。
あとオタクカラオケもしたい。もちろんJOYSOUNDで。「鳥の詩」とか「Rumbling hearts」とか「同じ空の下で」とか「true my heart」とか「青い記憶」とか「Little Busters!」とか「空気力学少女と少年の詩」とか歌うの。当然キー下げるのは禁止。
車でアルバム「断絶」を歌いながら岡崎の街を警備。「人生が二度あれば」は父を亡くしたばかりの私にとっては泣かずには歌えないので、泣きながら歌う。この感情を探ってみたのだけれど「人生が二度あれば」って二度あったってしょうがないんだよな。子どもを育て家族のために年老いた母にとっては。
それでも「二度あれば」としか言いようがないし、若い歌い手が拙い表現として「二度あれば」と歌っている。そしてこのアルバムで歌われている感情はすべて、最初の曲「あこがれ」が提示しているように、ステロタイプな「あるべき姿」が失われた世界の話となっている。
だから「二度あれば」も子供じみた願望を、そんなものは失われた大人の世界から歌っているはずなのだ。同様に「断絶」も「感謝知らずの女」も「愛は君」も「限りない欲望」もそれらの感情はぜんぶ相対化されるの。竹田青嗣の陽水論でも似たようなこと書いてた気がするが、手元にないので確認できない。
一方でアルバム「断絶」は陽水的にはコミックソングとして作ったんでないかという節もあって、「小さな手」で間奏がいきなりムード歌謡になる(サックスソロと伊勢佐木町ブルース的吐息)とか「断絶」のやけくそな歌い方とか「ハトが泣いてる」がなぜかブラス・ロック的なアレンジであるところとか。
わざわざググって「伊勢佐木町ブルース」というキーフレーズを探し出す俺エラい。(<-偉くない) しかもどうしても思い出せなくて、「お色気BGM」でググると「タブー」とか「哀愁のヨーロッパ」ばかりで、しかたなく「テレッテテレレレッテレ」でググったら見つかるという驚きを伝えておきたくて。
「あこがれ」がオルゴール曲の序曲で始まって、「家へお帰り」のエンディングが同じオルゴール曲で終わって、そのあと曲間が少し開いて「傘がない」が始まる。これはサージェント・ペパーズでの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」と同じなので、「傘がない」はそれまでの曲と別の位置づけになってる。
「うにラーメン」が食べたい。うにがビッシリ入ってるの、殻だけ。中身は無し。しかも汁なし。そんなの食べたくない。寝る。
本日の「一度使ってみたいフレーズ」は「おいおい、そいつはちょっとパッショネイトすぎないか?」で。「パッショネイト」好きなんだが、パッショネイトな奴がなかなか見つからないので使う機会がない。
「カニチャハーン」が食べたい。「カニチャーハン」ぢゃないの。キラー・カーン的な何か。特殊健康食品カニチャハーン。
「忘れがたない虹と花」ってなんだっけ、とググってみたら、中原中也だった。中原中也を忘れてるのはさすがにまずいと思った。
自宅の部屋がどうにも不快で、しかも不快であることにも気づいていなく、ただただ不幸な気分に浸っている状態だったのだが、ふと思い立って扇風機を出して動かしてみたらすべてが解決した。蒸し暑かったのだね。
2020年03月26日
■ 「ズモフ/バルーン型投光機/ビュッフォン」(さうして、このごろ2018年1-3月版)
「コチュジャン・エクスプレス」ってのを考えた。めっちゃ辛い。そしてめっちゃ速い。なにそれ。
「かわいそうなウーゾ」ってのを考えた。どんな善良な人にも嗜虐心を抱かせる過酷な宿命からウーゾは**するのだけど、それはお星様も誰も、読者さえも見ていなくて、読者が読まされていたものは実はべつものであり、あらゆる嘆きは届かず、記憶にも留められず、すべてはなかったことにされるの。
帰り道を見てみたら知らぬ間に雪が降って、そして止んで、道路は真っ白に薄く雪が積もっていて、雲は去り空が見えている。ともあれ自転車を転がしながら、転ばないように細心の注意を払い、ゆっくりと長い坂を登り、そして下り、なんとか家まで帰ってきた。
"LAY YOUR HANDS ON ME"を聴いて感涙していたら、急に「全ての言葉はさよなら」ってのがどういう意味だかなんかわかったような気がした。「全ての言葉はこんにちは」ということは決してないのだな。
車で皆既月食の見やすいところを探してTSUTAYAとかコンビニの駐車場とか行ったけど、だれも皆既月食に興味を持っている様子はなくて、なんだか独りで無邪気に月探している俺おっかしいなとか思いながらスマホで写真を撮った。
ふと思い立って「ズモフ」で調べてみたらプロレスラーにバック・ズモフ(Zumhofe)という人がいるのを知った。って以前書いたような気がするが、記録が残ってない。デジャヴ?
「お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった」ははあ、コレジャナイロボ案件ね、と脱力笑いネタと思って読みすすめたら「お祖父さんの夢を形にした家なのかも」というところで感涙してしまった。
年度末になると道路工事が増えるけど、夜に使う「バルーン型投光機」がなんか怖い。あれ見るとギョッとする。真夜中にビルの間から半月が現れたのを見かけるとギョッとするけど、たぶんそれと同じ理由。
ある種の「優美さ」を尊ぶ人からは私は無教養でがさつな人間だと思われるのだということをひさびさに思い出した。研究者の中で生活しているとほとんど忘れてしまうのだけど、立ちふるまい、言葉遣い、身につけるもの、そういうものを見て即座に他人を評価する人達がいるのはアタリマエのことだった。
俺が普段の会話でもn=1で一般論に持ち込もうとする話を聞くのが耐えられないのと同じように、ある種の人は猫背で歩いたり箸の使い方が下手だったりするのを見るのが耐えられなかったりするのだろう。
車の中で「1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,6,7,休, 1,2,3,4,5,ビュッフォン」っていうジングルを考案して精神統一を図った。
って書いてみて気づいたけど、"You never give me your money"のアウトロのパクリだな。ギャフン。じゃなくてビュッフォン。
淀から八幡市のところ、めちゃ楽しいな。巨大な列車基地があって、無茶なカーブがあって、いい感じの河川があって、ケーブル支線があるって、アトラクション盛り込み過ぎだろ。<=鉄ちゃん
エクストリーム帰宅を成功させて21時30分には名古屋駅に到着したが、驛麺通りはすでに終了だった。そういうわけで夕食は岡崎西友の割引弁当に確定した。
もしポプテピピックOPの「パラレルワールド旅して 鏤める願いに気付いて」が壮大な伏線で、この伏線が最終回で回収されたりしたら感動して泣く自信があるが、そんなことはけっして起こらないだろうと思っている。(<-「脚本の人そこまで考えてないと思うよ。」のコピペを思い出しながら)
「おお、おお、おお、俺の『ネコちゃん警察署捜査本部』よ、いったいぜんたい、どこへいっちまったというんだい?」(reprise)
寿司食いたい。他人の金で。雲丹ばかり注文して呆れられたい。
鰻食べたい。他人の金で。入店してから一時間かかるような老舗で、待っているあいだにビール2本空けてお腹いっぱいになって、やっと出来上がったやつを端っこの方だけちょっと食べてあと全部残したい。でもこの望みはかなわないだろう。なぜなら鰻はもう10年前に絶滅してしまったのだから(<-未来人)。
スバカマナで恒例のアニバーサリーバイキングをやっていたので子どもたちと行ってきた。5種類のカレーは辛くないけどそれぞれ味わい深いし、チーズナンはいつもどおり美味しかった。こういうのでいいんだよ こういうので
最終回見た。「パラレルワールド旅して 鏤める願いに気付いて」マヂでループもの的な伏線回収があったのでたまげた。
2020年03月24日
■ 「ズボラッティ/ヨシダルシダ」(さうして、このごろ2017年10-12月版)
「立憲」付くと明治っぽいよね。カイゼル髭はやしたい。海に太陽が溶けこみ、太陽に向かって鳥が溶けこむ。アトラース神の豪腕が大地を踏みしめ天空を支える。
カラオケ屋で「俺がサザーンマン歌うから、お前は次にスイートホームアラバマ歌ってくれ」みたいな打ち合わせしてみたい。思い出のレコードと、大げさなエピソードを…
こないだのKフォーラムのときに「ニューヨーク・シティ・ボーイ」歌ったのに、このネタ振るの忘れてた。次回はぜひ「スイートホームアラバマ」を「スイートホーム岡崎」でキメてみたい。
「クロマニヨン」にはフランス語テイストを感じるなと思って綴りを調べてみたら"Cro-Magnon"だったので思わずうっとりとした。
「1・2のアッホ!!」のことを数十年ぶりに思い出した。そして忘れる。
「pooneilさんのもやもやクリニック」ってのを考えた。モヤモヤしてるの。しかもべつにそれを治療してくれるわけでもない。ただただモヤモヤしてる。迷惑〜
雨の中を自転車で帰るときの「実存スケール」とは、軽い順に1) 雨降る前の空気の臭いで気分がいい 2) 霧雨じゃ、濡れて帰ろう、と武士を気取ることが出来る 3) 雨の中で傘もささずにスマホをいじる英国紳士を気取ることが可能なくらい 4) 悲壮感の中にも濡れながら走るヒロイズムにひたれる 5) なんでこんなバカな選択をしたのか、自分に腹が立つ、となってます。
「デイドリームおとうちゃん」ってのを考えた。ずっと夢を見て、今も見てるの。(<-寝ろ!)
ワイルダー、と言ったらペンフィールドです。ではスペンサーと言ったら?」「ドライデン!」「正解!」まで書いてから調べてみたらスペンサー・ドライデンは2005年に亡くなっていることを知った。
ドノヴァンの"Wear Your Love Like Heaven"の歌詞にはいろんな色が言及されるんだけど、rose carmetheneってのがどんな色かわからない。ググるとドノヴァンの歌詞ばかりヒットする。画像検索からすると、サルビアの花的な色?
次男が自作のチェスを持参して勝負に挑んできたので受けて立ったが、完全に負けた。将棋でもオセロでも負けたことがなかったのに。もう俺から教えてあげられることは何もないな!
「ズボラッティ」ってキャラを考えた。いいかんじにヒゲなの。でもミラーニューロンとか発見してない。ズボラだから。こりゃ参ったネ!
ウィキペで「ロビン・ダンバー」の項目を読んでいたつもりがいつのまにか「エインズレー・ダンバー」の項目を読んでいて、気がついたらキャブテン・ビーフハートの"I’m Gonna Booglarize You, Baby"を聴いてた。(<-よくある)
次男がこういうメロディーの曲をiPodに入れたいんだけど、と歌いだしたので、ヲヂさんイマドキの歌はわからんがなーと聞いてみると、「残酷な天使のテーゼ」だった。それはさすがに知ってた。
「俺の懐のオムネティクスが火を噴くぜ」(<-世界初プレクソン自由律俳句)
ヨシダルシダ、ってのを考えた。カメラじゃなくて吉田が丁寧に書き写してくれるの。べんりー
今日で私のナイター練習手伝いは最終回。こうやってガッツリ次男のイベントに付き合うことも今後あまりないだろうと考えると感慨深い。ともあれ怪我しなくてよかった(私自身が)。毎回左膝が痛くなっていたが、今日は右膝もキタ。無理しないように気をつけて、ギリギリ大事には至らずに済んだ模様。
「遮断器のない踏切、信号のない横断歩道」ってフレーズを考えたが、あんまり語呂が良くない。
次男がマラソン大会で活躍したお祝いに寿司へ(回転するやつ)。栄光に向かって陽のあたる坂道を駆けのぼっておられる。いっぽうでその父ちゃんはといえば、うだつの上がらない惨めな生活を未練がましく続けては、緩慢な死へジリジリと向かっておる。
俺も宮廷薬剤師になりたいなー(<-人生に迷ってる)
「再生核ヒルベルト空間」ってものものしくて好き。「ヒルベルト先生、核を再生しちゃったんですか?!」って聞きたくなるよね。
ひさびさに"Travel is dangerous"を聴きながら打ちひしがれている。いま聴くべき曲ではなかった。
2019年09月23日
■ 「オクラホマ・ミキサーってプロレスの技っぽい名前だよね(<-イケメン声で)」(さうして、このごろ2017年7-9月版)
サリエンスの定義として「そこに行けば どんな夢も かなうというよというcounterfactual expectationを持たせる場所」というのを考えた。(<-それパクリ)
「ブタにゃん」ってのを考案した。ブタなの。ネコじゃない。(<-論理的)
皆既日食の映像を幾つか見たけど、みんなわかってねえっつうか、そんな拡大した映像でフレアとか見てもしょうがないだろ。端的に、昼間だったのが暗闇になってしまうっていうこの世ならぬ異様さを露出の自動補正なしに記録するってのが見たいんですけど。(<-なにもしてないくせにエラソー)
明け方まで散々飲んで語って、始発電車に乗って帰り道、もう喋ることもなくて、なんか手持ち無沙汰で、なんてことがあったような気もするし、無かった気もする。あっても無くてももはやどちらでもよいのだし、そのとき雨さえ降っていなければ、万事問題なしなのだ。
先日5年ぶりくらいでカラオケに行ったのだけど、選曲に遠慮があって不完全燃焼だった。次回のために候補曲をリストしておく:“Lay Your Hands On Me”,“人間発電所”,“The Nights”,“New York City Boy”,“Built To Last”,“Snowdome”,“スターライトパレード”,“なないろびより”,“コネクト”,“アルクアラウンド”,“Birthday song, Requiem” だいたいJoysoundにしか入ってないということも判明した(<-検索してるし)。
(Kフォーラムでの講演の終了後)そのあとカラオケへ。今回は「ダンシング・クイーン」「招待状のないショー」「New York City Boys」「ロビンソン」で。「コネクト」「The nights」「アルクアラウンド」はなかったので断念。「さよなら」と「12月の雨の日」は時間切れで歌えず。楽しかった。
「ぼくのフレンド」と「ようこそジャパリパークへ」も歌えるようにしておかないと。
「40歳になるころには 単著の一つも出して ひとりで地下室のある家を買い 週末はギターを弾いたり、 メロン、 メロンはどうでもいいや。」http://twilog.org/pooneil/date-080909
ストーン・ローゼズの再結成にも来日にもさっぱり興味はなかったが、このグラスゴーのスタジアムでのライブで、観客がリフから歌まで全部大合唱しはじめちゃうこの現場には居合わせてみたいと思った。I Wanna Be Adored https://www.youtube.com/watch?v=YthoNkDAWkw
ネットを彷徨っていたらウィキペで「ダダイズム」の項目で「萩原恭次郎」なんて懐かしい名前を見つけた。こんなものまでネットにはあるのか。 https://ja.wikisource.org/wiki/ラスコーリニコフ
中学生の頃に中原中也経由でダダイズム・シュルレアリスムに目覚めて(<-まさに厨二病)、それからアンドレ・ブルトンの「溶ける魚」(当時は全集にしか入ってなかった)とか探して読んだものだった。
それはサイケデリック音楽を知るのと同じくらいの時期で、私はアルチュール・ランボーの「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者になる」を本気で受け止めて、そういう表現を追い求めていたのだった。そういった「反自然主義的」なものへの志向(嗜好?)は現在に至るまで変わらず続いているようだ。
その頃マン・レイの展覧会に行った記憶がある。http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135536 横浜美術館美術情報センター https://yma.opac.jp/opac/top (追記:2019年現在サービス利用不可能)の情報を参考にして調べてみたところ、1986年、高1の夏の小田急グランドギャラリーと判明。水泳部の練習の合間に行ったらしい。元気だ。
今週のYAで三月のライオン読んだら、幸田香子のモノローグ回だった。形式としては幸田母のモノローグ回(Chapter 97)を踏襲している。あの回は幸田母の贖罪意識が表現された神回でラストのページ読むと毎回泣けるんだけど、それはそれとして、今回の幸田香子のモノローグ回はどうだろう?
香子が贖罪意識を持ってました、で終わりでは済まないと思うんだな。そうするとあれは壮大な前フリなんじゃないかと思う。香子がそのように「わかって」いたとしても、いざ桐山零と対峙したときに再びコンフリクトが起きるのを避けられない、そういう業がないと香子らしくないだろう。
そこを零と香子が乗り越える過程で、ひなたもいまのオコチャマ状態から自分の手で掴み取る行動を起こすところまで行かなければきっとこの話は閉じないだろう。作者がそこまでごまかしなしに書いてくれるのを期待してる。
今日は岡崎の花火大会なんだけど、次男はママと泊りがけでソフトボールの大会、長女は友達と遊びに、というわけで独りの夜を迎えている。この20年くらいで初めてだろうか。家で肉でも焼くかと買い物に行ってみたら大渋滞。しかたなくチャーハン山盛り作って全部食ってうたた寝して目覚めたところ。
夜中に車を運転していて、道路標識とかが人の顔にパレイドったりすることはまああることだけど、一昨日遭遇した事案では、大きな黒い牛が見えたと思ったら、暗い道に駐車してあるワンボックスカーだった。流石にそれはねーよ!と思った。
休暇二日目。奈良美智展@豊田市美術館。 http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html 実物を見るのはこれがはじめてだったけど、とても良かった。ついでに、入り口のレコードジャケットのニール・ヤングのセレクションがソロのファーストとオン・ザ・ビーチだったのが気が利いてると思った。
長女の文化祭の手伝いとやらで、あちらこちらに買い物連れて行ったり、写真の印刷手伝ったりとか、なぜか俺まで忙しい。(<-うれしそう)
伊賀に行ってすき焼き食べたい。10年ぶりの「金谷」で、あれ?こんなもんだったっけ?とかがっかりするもよし、やっぱりうまかったと感激するもよし、どちらでも後悔はしないだろう。いざ生きめやも。
太陽からの熱線も、紫外線も、大粒の雨も、雹も、煉瓦も、蛙も、すべてのものが、すべて同じ強度で降り注げばいい。手を上げて受け止めることすらできず、全てが平等に破滅させられ、全てが平等に生き残る機会を与えられ、海の深いところまで、浸透され、貫通され、透徹され、埋葬される。
リハビって理蔓延る。
俺は根本敬作品で言うところの村田藤吉で、吉田佐吉みたいなのに見つかっては喰いものにされる人生を繰り返してきた。自分なりに工夫はしているけれども、事態は好転せず、いつぶん殴られるかと怯えながら日々を暮らしている。ホントだよ。
こんなに「敗北主義者」をやっていても、予想外の悪意にぶつかれば、胸は痛むし、眼は廻る。だから、自虐と自己弁護で、固く固く自分の身を守りながら、終わりのない退却戦をつづけるのだ。
ハシビロコウの嘴焼きが食べたい。身は要らない。
カリフォルニア・ロールはもう飽きた。シカゴ・ロールが食べたい。シカゴ・ロールには◯◯◯ウナギが入ってる。まで書いてから念のためググってみたら、シカゴ・ロールって本当にあんのかよ。https://www.tripadvisor.co.uk/LocationPhotoDirectLink-g39588-d405790-i89077491-Malone_s-Lexington_Kentucky.html https://www.yelp.com/biz_photos/annas-asian-grill-and-sushi-bar-chicago?select=DWKf-tIweKcoR6_zqYggDA
念のため「嘴焼き」もググってみたら、「あひるのクチバシ揚げ」ってのがあることを知った。http://blog.livedoor.jp/ma888tsu/archives/51711852.html 世界は、俺の想像力よりも、ずっと広い。
「オクラホマ・ミキサーってプロレスの技っぽい名前だよね(<-イケメン声で)」ってツイートをしようとしたが、念のためググってみたら「オクラホマ・スタンピート」と混同していることがわかった。スッキリした(<-スッキリすんな!)。
「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」ってタイトルには、なんで俺人間代表として責められなきゃならないの?って涙目になる。「意識はいつ生まれるのか」ってのもいつになったら生まれるんだと責められて動揺した。「森田はいつになったら一流になるんだ?」とか言われながら杖で殴られる感じ。
「会計680円で1180円出すのが気持ち悪い?」ってのをみて、なるほどそういう人もいるのかという「気づき」を得ることができた。なんなら、私は会計688円で1243円出したりするけど。
2019年09月05日
■ ロサ会館の大黒屋。(さうして、このごろ2017年4-6月版)
「石鹸みたいなカップケーキ」「フィラデルフィアからフィラデルフィアへ」
「猫に小判」をバレないように「コヴァン」と発音する技法を開発した。
今日は花見。ウクレレ引きながらコード進行を考えていたら、こんなのが気に入ったので、乙川の土手を演奏しながら歩いた(<-不審者)。|X543|X542|*2 |X220|X120|*2
このあいだの花見で思いついたコード進行でギターを弾いてSoundCloudにアップしておいた。|Cm |Cm7b5 on Ab |A |AM7 on E |
進化論で出てくる系統樹って、いま生存しているものから遡るんではなくて、絶滅したものまで入れて作れば、たえず枝分かれしては絶滅してゆく繰り返しのなかで、ほんの僅かな偶然を辿っていまここに生存しているというのが見えるはず。これ見つけた:https://j.p.gogarten.uconn.edu/
さっきのツイートの図を見ると「生存バイアス」を可視化できたようなかんじがしてなんだか面白い。 https://j.p.gogarten.uconn.edu/ToL.gif
その昔池袋ロサ会館でジンギスカンの安い肉食べ放題のチェーン店があって、正直美味しくなかったけど、とにかくたくさん肉食って、たくさんビール飲んで、たくさん吐いて、それで幸せだった。あの店の名前が思い出せない。歌舞伎町コマ劇場近くにもあった記憶があるのだけど。
(追記:同じ疑問を持っている人を見つけた。答えは「大黒屋」だった。そう言われるとそうだった! https://twitter.com/tsuyu2011/status/781250650113998848 )
長女が一眼レフカメラ買いたいっていうんで情報集めているところ。カメラに興味持ったことがなかったけどいろいろ調べてみたら面白くなってきた。とくに標準レンズキットでどれ選ぶかとかはあらかじめ決めておかないと割高になるので悩ましい。
今日はカメラを買いたいという長女に付き合っていたら午後から夜までまるまる費やすことになってたいへんだった(<-満更でもない様子)。でも買うところまでたどり着けたので良かった。
Miku-gazer 2011 (Vocaloid2) https://soundcloud.com/pooneil68/miku-gazer-2011 6年くらい前に初音ミクでシューゲっぽく作ったもの。
「最後のバスはもう出ていってしまった。私は真夜中の道を記憶だけを頼りにして進まなければいけなくなった。バスならすぐ到着する場所へ、私は夜通し歩きつづける羽目になった。私は自分の愚かさを恥じて、誰にも相談せずに、登り坂の向こうにかすかに見える街の明かりへと引き寄せられていった。」
「The 13th Floor Elevators 47年ぶりの再結成ライヴ」http://amass.jp/56251/ もう2年前のニュースだけど、今知った。トミー・ホールが壺をトゥクトゥク鳴らしてるのが聴こえる!こんなことってあるんだ!
わたしのエレベーターズ愛はこちらを参照「俺がもし人生をもう一度やり直せるなら、the 13th floor elevatorsで壺にマイク突っ込んでトゥクトゥクいう役、あれをやりたい。」http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/001392.php http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/001400.php
"Eleanor Rigby"の歌詞ではエレノア・リグビーという老婦人とマッケンジー神父の生活が1番と2番で別々に描写されて、3番で初めてふたりとも描写される。それで死んだエレノアの葬式には「誰も来ず」埋葬をしたマッケンジー神父が手の泥を拭うわけだけど「誰も救われなかった」。
なんか舌っ足らずだと思ってた。じつは叙述トリックで二人は邂逅してなくて、もし 二人が出会ったいたならば「誰も来なかった」「誰も救えなかった」は回避されたかもしれなかったけど、それすら起こらなかった、っていうドラマチックさが排除されてよりいっそう侘しいものになったってのでどうよ?
もしかしてそういうふうに読めないか3番の歌詞を再読したが、"wiping the dirt … as he walks from the grave"でtheがついてるからやっぱエレノアの埋葬としか解釈できないか。
実家が立て直しをするので家に置きっぱなしにしてきたものを片付けてきた。JAのフィルモアライブのポスターのレプリカ https://www.wolfgangs.com/jefferson-airplane/posters/poster/BG042.html がずっと壁に貼りっぱなしだったのだけどそれも剥がした。そのとき自分のかさぶたを剥がしたような痛みを感じた。(<-ウソ)
酔っ払った頭で阪大の西入口を出て、阪大病院前のモノレールにいくよりは歩いたほうがいいはずと池の周りを歩いたら、山田駅のつもりが北千里駅で(どうして勘違いした?)、もう時間が間に合わないのでタクシーで千里中央まで(幸い1000円以下だった)いって、新大阪に出たら東京行き最終だった。
「地獄に仏の喩えもあるさ さよならだけが人生だ」
岡崎行きの空港バスに乗り込んでみるとなんだか憶えのある臭いがして、いったいこれはなんでながあったらうかと思案していたが、ブックオフの臭いだ、と合点がいって満足した。
おととい久々に夢の内容を覚えている夢を見たのだけど、その中で私はUS西海岸のサイケデリック・ロックとUKのサイケデリック・ロックのどっちが好きかを誰かにコンコンと説明をしていた。色も音もなかった。つまりそれはいつも通りほとんど「思考」で、知覚経験らしきところはなかった。
VSSのときからちびちび読んでた「人間の大地」 (光文社古典新訳文庫版)を読了。新潮文庫の堀口大学訳と比べると格段にわかりやすくてよかった。新潮文庫で読んだときはそもそも初めの章で乗っているのが市電だってことすらわからなかったから(バスか何かだと思ってた)。
それでもまだ本当のところ、この話での飛行機ってのがどういう規模のものかという情報が足りなくてイメージが定まらない。宮﨑駿のイラストで書かれるようなものでイメージしてたけど、どうもそれは正しくなさそう。
カーディガンズの"Life"を買ったときのことはよく憶えている。宮下研から派遣されて岡崎に住むようになる直前に日本薬理学会年会が1995年3月に名古屋で開催されて、帰りに近鉄パッソにあったタワーレコードに寄ったらこれがヘビロテされていて、即購入したのだった。当時の新生活への高揚感と混ざっている。
いちおう裏とりをしてみたら(<-律儀)、 http://www.pharmacol.or.jp/society_infomation/chairman/kaicho.html を見てみたら第68回は1995年3月に名大の日高先生が会長で、Lifeの日本での発売日は1995年3月25日だった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ライフ_(カーディガンズのアルバム)
中高生の頃の私の口癖は「要するに」で、吉田お前要するにって言うけどぜんぜん短くなってないじゃんとよくツッコミ入れられたものだった。今にして思えばこれは私の本質を突いている。結局のところ私は今でも「要するに」って言いたいだけなのだろう。そんな詰まらない奴だとは認めたくないけど。
ブログに書いていることもそういうことで、論文とか本とか読んで、「要するに」こういうことだろ?って書いてみるのだけど、凡庸なまとめだったり、的外れだったり、はたまた独特な理解だったりということを蓄積しているのだろうなと思う。
気持ちいい季節の、我が家に誰もいない時間が3時間ほどあったが、昼寝で使い果たしてしまった。でも幸せ。
近所のローソン100円ショップは昭和50年台に建った住宅地に入居したご老人をメインターゲットとした立地だが、現代アイドル歌謡がヘビロテされていた。別のバイトの人のときはアニソンで、また別の人のときはビジュアル系なので、どうやらある程度自由が効くらしい。労働者のQOL的にいい話だ。
ブクオフとか行くと同じ放送がずっと流れているので何度もイノセントワールド聞かされたりする。客は一瞬だからどうでもいいだろうけど、従業員にとっては辛かろう。
やっとこさ「河合荘」最新刊読んだけど、最高だな!「世界が美しく見える」の描写のところとか、超共感した。そうだった、俺もそれを知っていた。さあ頑張ろう。
「【昭和時代】昔、お風呂入る前に棒でかき混ぜてなかった?」https://togetter.com/li/1124785 うちは築40年でボイラー式だからいまだにお湯かき混ぜてる。子供と一緒に風呂入って追い焚きしながら火傷しないようにブロックして足でかき混ぜつつタオルくらげ作って遊んだものだが。
東京の昔ながらの鰻屋に行きたい。独りで行って、本も携帯も持っていくのを忘れて、することもなくぼんやりして、1時間くらい待たされて、でも全然美味しくなくて、しかも7000円くらい取られて、でもぜんぜん惨めではなくて、暑い夏に空気が揺れて、お迎えがきて、そのまま消え去りたい。
2019年09月04日
■ 暗い部屋で、「優しい世界」に浸りながら、千年眠りつづけたい。(さうして、このごろ2017年1-3月版)
寝息の音がするから誰かなと思ったら、自分の呼吸が窓に反射して聞こえるのだということに気がついて、試しに息を止めてみたらたしかに音が消えた。(<-いったい何が言いたいの?)
今日の節分はひさびさにパパが鬼になってみたが、鬼のお面がないので、恐竜が飛び出すホログラム加工してあるウチワをお面代わりにして鬼になった。皆さん容赦なく鬼に落花生をぶつけてくれて、今年もつつがなく節分が終了した。
ハシビロコウが動かないのは怠け者だからなのではなく、奴が動かない間にも頭の中はフル回転、最大のepistemic valueを得るために奴にとってのベストを尽くしてるんだな。つまりexloration-exploitionのバランスが我々と違うだけのことなんだ。(<-FEP小咄)
田嶋さんのセミナーが来週金曜日にあるとのこと。この機会にPLoS Comp BiolとNature Comm論文を予習して理解できるようにしておく予定。 https://twitter.com/satohirotajima/status/828776630915067909
はぁ…他人の金で寿司食べたい…あと自分の金で浅草今半で両親にご馳走して感謝されたい…無理だけど…(<-いますぐやれ!)
FBとかでオモシロ動画みたいなのが流れてくると、それを楽しむ前に、データのソース情報なしにクリック数だけ増やそうとしているサイトに加担するのが嫌で、元ネタ探しの旅を始めてしまう。そしてたいがい元ネタは見つからない。
はやくgoogleがパクリサイト追放の一環としてオリジナルの素材(画像、動画、文章すべてについて)の同定をして検索結果に反映するようにしてほしい。
いろいろ思い通りにいかなくてしんどいことばかりではあるけれど、このあいだのFrontier論文を読んだ人が賞賛のコメントのメールを送ってくれたので、なんだか元気が出てきた。
もっともっと、ニュートラルに、無邪気に、なんなら非人間的に、日々のよしなしごとが通り過ぎてゆくさまを書きたい。
(ニュートンプレスに民事再生手続のニュースを受けて)「ニュートン」誌ってほとんど読んだことがないので、正直スマンかったとしか言いようがない。小学校の時は元素の周期表が大好きな化学(not科学)少年だったが、そのあとは詩とか小説とか音楽とかそういうのばっかで、高校3年で有機化学に開眼した。化学と文学!
そういうわけで、ホジキン・ハックスレー方程式を理解して感動したとか、デヴィッド・マーの「ビジョン」を読んで世界が変わったとかそういう正統派的な経験はない。ベイトソンと岸田秀とヴァレラから入っちゃったから。もしあそこで清水博経由でまじめに生物物理を学んでいればと思わなくもない。
長男は無事合格して、この春から東京へ向かう。子どもが家を出るとは、俺の人生も終盤に差し掛かったなという実感がある。俺自身がまだ何者にもなっていないというのに。
ふと見渡すと、岡崎は山に囲まれていることを実感する。
「新入生たちに送るξ(グザイ)の書き方」https://togetter.com/li/1092915 グザイ嫌い。フリストンのFEP論文読んでてもグザイが出てくると全部xiに置き換えてノート取るくらい。全てのグザイを生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全てのグザイを、この手で。
恵文社一条寺店好き。ちくさ正文館も好き。働かず、気を使う相手もいず、何故か生きるだけのお金はあって、食欲もなくガリガリな草食キャラで、レコード屋と書店とを往復しながらそれにも飽き飽きしているような高等遊民として人生を過ごしたい。来世はその方向で。(<-ついに諦めた!)
「勝ったな!ガハハ!!」っていいな。
洗濯してベランダに干して、ラボに向かってたら、いきなり雨が降ってきた。オイオイオイー、雨降って地固まる!
もりの、くまさん!
すっごーい!(<-心が浄化された)
「リサフランク420 / 現代のコンピュー」ってのを見つけて気に入ったが、youtubeにあるのもsoundcloudにあるのもどれが公式かわからないからリンクできない。
暗い部屋で、「優しい世界」に浸りながら、千年眠りつづけたい。
たしかに、砂漠のシーンで「なにもないね」ではなくて「砂がいっぱいだね」って反応したところはハッとした。
飛行機は無事新千歳に到着した。これから札幌に向かうところ。
シースー(<-うざい)も済ませて、ホテルにチェックイン。スライドを手直ししたくなってきたが、あんまり難しい話にもしたくないのでバランスを考える。質問の答用資料に回すか。
雪がやんで真っ白な街を見ながらの帰り道に「Last regret」とか聴きながらメランコリックな気分に耽溺した。空港には雪ミクミュージアムがあったがグッズはあまりなかったので、手ぶらで帰ってきた。(雪まつりになってからが本番だろう。)
2019年09月03日
■ 王と王子と神と天使のどれになりたい?(さうして、このごろ2016年11-12月版)
コンビニで「ハッピーターン250%」を手に取ったときに急に思ったけど、なんでホコリを被っている商品が皆無なんだろう。昔は埃かぶったカビ臭い店でおばあちゃんがもの売ってたはずだ。強烈な効率化でこれが成り立ってるんだな。でもそういえばこないだの昭和な温泉宿の食品店は埃かぶってた。
今日は子どもたちとスバカマナで60分食べ放題コース。久しぶりに和んで会話した。長男の「小5でアジカン、中2でシューゲ」という名言も出た。
夜中にトイレに起きて、家族がみんな寝静まっていて、体温と寝息で人の気配があるのを感じると、これは奇跡のような事実で、今この一瞬に誰もいなくなってしまったら、この家は幽霊屋敷だなとか思った。
自転車での帰り道には「累積ガウシアン関数、ロジスティック関数、ワイブル関数、などまあ数多くございますが、どれをお使いになってもねえ、同じような、もんですが(<-スネークマン・ショーネタ)」という返答を考えていたが、展開上、使う場所がなくなったのでここに貼る。(<-貼るな)
明日は早起きして次男のソフトボールクラブチームの試合のお手伝い。スコアボードに点数を書くだけのカンタンなお仕事で、特等席で次男のプレイを見ることができて、あとで指導に役立てることができる。俺の人生にとってこれがいちばん大事と言っても過言ではない。それでも早起きは辛い。
「王と王子と神と天使のどれになりたい?」私は天使かな。ひれ伏されたいのでもなければ、ちやほやされたいわけでもなければ、全知全能の力を振り回したいのでもない。よき知らせをもって世界にふれまわりたい。
俺も出世コースを外れたらアラーム鳴る機能つきのゴーグル欲しかったよ(<-正直すぎ)。と言いたいところだけれども、自分の体が出しているアラームのほうがもっと大事だからなあ(<-マヂレス)
次男のソフトボール大会のお手伝い終了。次男のチームは残念ながら予選敗退。チーム全体としてまったく打ててなかったのでヤキモキしながら得点係やってた。次男の遊ゴロ内野安打が唯一のチーム打点となった。
山の上にある中央総合運動場からの帰り道に谷を渡る橋から見下ろす道がビルの15階くらいから見下ろすような高さで見えるのだけれど、そこを自転車で下りながら「ここからいま飛び降りる理由なんてまったくないな」と唐突に思った。ほんとうに唐突だったので、なんでそう思ったかもわからない。
行くも地獄、引くも地獄なら、そのときの報酬を最大化するのではなくて、取りうる選択肢が増える方向を選択したつもりなのだけれど(<-FEP)、もちろん後から振り返らないと、本当のところはよくわからない。
ヘドバとダビデ(「ナオミの夢」)で有名なダビデのフルネームはDavid Rosenthalであることが判明した。だからなんなのだと言われても困る。
「三三七拍子というけれども実はあれは普通に八拍子だよね。ということでガチで三三七拍子やります」と言って3-3-4-3の変則ビートを手拍子で刻むっていうネタを実践したことがあるのだけれど、あれは自分で思いついたオリジナルで、あのときの俺は冴えていたと思う。
あと、「指切りげんまんで『針千本飲ます』っていうけど、あれを『針一本飲ます』って言い直すと、ガチで飲ます気が出て怖いよね」っていうネタもあったけど、あれも自分で思いついたオリジナルで、あのときの俺は冴えていたと思う。
という話をツイッタに書いたことあったっけと思ってtwilog調べてみたらそれはなかった。
サンレコの最新号はプライベート・スタジオ特集。https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000LE0RKS/ 高校生くらいのときに漠然と将来のことを考えながら、地下室のある持ち家で防音設備があってギターが弾けて、みたいなことを夢見ていたことを思い出した。
世界がもう少し良くなってくれたらいいなあ(<-ネット見ながら思ったことを書こうと思って、エッジを削り、オブラートに包みまくったら、まったくなにも言ってない表現になってしまった状態)
俺は、俺の「ズッコケ道中」を、クサらず、卑下せずに、ただ進み、目的地に辿りつく手前で退場してもいいんだと、最終地点などないのだとわかったうえで(<-途中でどうでもよくなった)
「アインシュタインが黒板の前で6-3=6と書きながらベロを出している」という画像をネットで見たが、それは当然コラなのだけど、ソースはどこかと調べて、でも簡単には答えが見つからず、ふと「そんなことは俺の人生にとってはどうでもいい」ということに気がついて止めた。(<-よくある)
田中一村は「白い花」が好き。中央画壇に背を向け、奄美で極貧の中作品を書いて「日本のゴーギャン」となった一村に対して、画壇に受け入れられた最後の作である「白い花」を好きと言うことはたいへんダッサいことかもしれない。俺の感受性は彼の人生選択を裏切っている。でもこれがいちばん好き。
短い曲っていいなあとあらためて思う。Tyranosaurs Rexの"Salamanda Palaganda"ってヴァースとコーラスの構成で3番まであって、アウトロで違った展開もあるのに2:16で終了する。美しい。こういうのを目指したい。
素朴な驚きとして、弦の振動や太鼓の震えや声帯の響きが、スピーカーの振動板というぜんぜん違う素材によって再現できることって、ほんとうに不思議だ。液晶ディスプレーに光る蜜柑や人の顔や這いずるワニが画面に写ったものにしか見えないことを考えると、まったくありない奇跡のように思える。
Likeよりもリツイートしろよ!ってのはごもっともだけど、ツイッターの仕様的にリツイートするとツイート数が加算されるのが気に食わないのでリツイートはしないことにしている。今の仕様でのツイート数はオリジナルなコンテントの数になってないので間違ってる。同じ意見を聞いたことはないけど。
ツイッターより前にブログを始めていたせいか、ツイートをフローというよりはストックとして扱いたい気持ちが強い。だから自分にとってツイートは140文字ギリギリに収まるように繰り返し推敲したミニブロクのエントリであり、いまの18,430ツイートをリツイートで薄めたくないという気持ち。
いま部屋にある除湿機は、稼働しているときはずっとモーター音がしているのだけど、除去した水が満タンになるとファンを停めて静かになってしまう。つまり、満タンになった水を捨てて再稼働させるためには「無音であること」に気づかないといけない。これってけっこう難しい。サリエンシーがないから。
同じように、誰か特定の人のツイートがしばらくないなあとかいうことも気づきにくい。なんかの拍子に、そういえば最近見てないなあ、みたいなかんじになる。ここから導き出せるのは、「自分のツイートを待っている人がいるから書かなくては」なんて考えはまったく不必要ということ。
だから、いつでもフェードアウトしていいのだけど、なんだかんだと書きたくなることがあるから書き続けてしまうんだなあ。(<-変な締めかた)
今日は長女が昨日の余りご飯でチャーハンを作ってくれた。たいへん素晴らしい。iPod Touchが台所にあったところを見ると、作成過程だか成果物の写真をインスタに上げたらしい。パパはツイッターで娘はインスタ。
2019年07月21日
■ 2016年10月チュービンゲン出張メモ
そろそろチュービンゲン出張の準備を、と思って気温を調べてみたら最高12度、最低4度とかでクッソ寒いもよう。まだ自分は膝丈パンツにアロハシャツという状態なので、ちょうどこのタイミングが衣替えとなりそう。
明日からのチュービンゲン出張に備えて、時差分夜更かししてみた。7時間差なので今はまだ夜の10時。明日は完徹して空港バスに乗る予定。寝過ごすのがいちばん怖いから…
体内時計を後ろにずらしたつもりが、眠くて頭が働かない。今日はトヨロックの一日目で、午後3時からeastern youthだったんだけど、こっち行ったほうが1024倍幸せになれたっぽい(<-counterfactual)。
さーて、あと12時間で共著者へのデータ送付と科研費の第一次締め切り用の原稿提出をする。飛行機の中でシンポジウム用のスライド作って(すでに3/4できてる)、喋り原稿作って、それでフランクフルト到着。これで時差ボケになるまえに水曜までに必要な仕事は済むはず。(<-社畜)
科研費一次締切の書類を終了させた。解析の方はまだまだつづく。出発まであと5時間。
よーし、解析結果もメールした。あと2時間でスライドの完成を目指す。
いまから搭乗。今回もドタバタだった。でも今回は「白い恋人」をおみやげに買うのを忘れなかったので良かった。
フランクフルトに到着。入国審査が1分で終わった。列の前に一人しかいなかった。こんなことは初めて。いいことだ。ともあれ予定よりも早くシュツットガルトに向かっているところ。
チュービンゲン到着した。思ったより寒くない。最高11度、最低4度って聞いてたからけっこう覚悟していたのだけれど。
TU-NIPSシンポジウムの第一日目が無事終了。Schloss Hohentübingenの博物館で夕食という大変貴重な機会を楽しんだ。トイレの鍵が外せなくなって中から出られなくなるなどのトラブルもありつつ、ホテルに帰還してみれば夜10時半。喋り原稿を完成させるまであと少し。
喋り原稿完成した。いつもの say -f talk1.txt -v Alex -o talk1.aiff でファイルを作ると14分。実際に喋ると20分くらいになる。トータル30分にはちょっと短いがまあだいたい目処はついた。
朝起きて練習3回やって24分に収まるようにした。本番もだいたい24分で終了。質問込みで30分ちょっとオーバーでだいたい妥当な感じで終了。質問は前半に集中して、肝心のポズナー課題とマイクロサッカードのところは反応なしだったが、初めての図のお披露目としてはまあよかったのではないかと。
夕食は昨日の城の近くのお店で、食事が出るまでクッソ待たされたが、隣の人と「ゾンビモード」についての議論とかして楽しんだ。その人は第一回のシンポジウムのときに来ていたと話していて、たしかに見覚えもあったのだが、いまさら名前を聞くわけにも行かず、あとでこっそりネットで調べて確認した。
今日はネッカー川岸のホテルからチュービンゲン大学(丘の上)までウォーキングで行ってみた。 2.96km in 33:54。1.6kmで100m登るので最後はけっこう汗かいた。普段はバスで10分なんだけど、これなら毎回歩きでいいかも。
おとといはStuttgartのトルコ料理のお店まで連れてきてもらった。Piri Reis Restaurant & Cafe ラム肉を瓶で料理したものを山盛りで盛ってもらって大変満足した。StuttgartまではTuebingenから車クッソ飛ばすと40分弱。
目覚めた。時差ボケもだいぶ修正されてきて、夜中に起きることなく朝まで一挙に眠ることができた。さあ今日も頑張ろう。VSSに出すネタの方は昨日でだいたいまとまってきた。データ的にはどっちに転ぶか予想つかないので解析が楽しい。(<->ざっと見予想通りのものを形にする場合と比べて)
ラボに行く途中で中心街へ買い出しに行ったら、街中でジャズバンドが演奏をしている。なんだか岡崎のジャズ祭りみたいだと思ったら、まさにそういうイベントが今日から開始とのこと。Tübinger Jazz- und Klassiktage http://www.jazzklassiktage.de/
気分転換に建物の外に出てイヤホンで音楽を大音量で聴いていたら、ちょうどRideの"Leave them all behind"のイントロの部分で階段を登りながら見えてきた沈みゆく太陽が目に入ってきて、なるほどこのイントロは沈みゆく太陽だったかと合点した。(<-JTC bias)
じっさい、歌詞的には、まぼろしの世界へ時を越えて向かい、色は失われ夜に溶け込んでゆく(超訳)、というかんじなので、だいたい合ってる。
さて月曜が始まった。今日と明日でCIN滞在は終了。問題はどこで科研費原稿をfinalizeするかだが、いまのところ飛行機の中になりそう。
Rail & Fly用のチケットを印刷してもらったら、あともうすこしで帰国かと感慨深くなる。だけども 問題は 今日の雨 傘がない。
小雨になったところを見計らって帰ってきた。そしていつものようにREWEでしょっぱすぎるクスクス(のようなもの)とと水を買い込んで、これでなんとか一晩しのげる。本当はここから科研費原稿書きなのだけど。持ってきた本も読んでない、ジャズフェスティバルも行ってない。ひたすら解析している。
使っているバス停がUni kliniken Bergという名で、 丘の上の大学病院の最寄りとなっている。手前の平地にあるバス停の名はUni kliniken Talというのだけど、Talとは「谷」の意味だった。Bergが「山」だから、「大学病院山部」と「谷部」というところか。
もう時間切れなので科研費書類書きに専念している。ああ終わらない。今日こそは日が暮れる前に帰ってネッカー河の中洲の公園を散策するつもりだったのだけど、けっきょく達成できず。今回はbotanical gardenにも行かなかった。今晩もREWEで夕食を買い物ということになりそう。
長居せずホテルに帰ってきた。これでCINでの仕事は終了。荷造りをして名残を惜しむ。前回のチュービンゲン訪問時のツイートを見ると、午後6時に鐘の大合唱があるのだけど、今回聴いた記憶がない。つまり今回午後6時にホテルに居たことは無かった。
以前のツイートを見直して、フランクフルト空港のチェックインにどのくらい時間があるか調べてみた。そしたら、肝心の部分の記述がない。なにやってんの俺。いつもなるたけメモするようにしているのに。
科研費書類、やっと最終形が見えてきた!でももう24時なのでここまでで寝る。
いまフランクフルト空港。結局鉄道が遅れて接続で一本逃して1時間遅れ、離陸まであと100分。でも駅到着12:00,駅出てすぐにチェックイン到着12:05,荷物預け12:10,そこから歩いてパスポートコントロール12:20,荷物チェック12:25で30分かからず全て終了。
長距離鉄道駅から来たのは初めてだったけど、すぐにチェックインできて荷物軽くなるのはよかった。この空港は3回目だがターミナルにまったく見覚えがないので、改装でもしたのだろうか。次があるかはわからないけれど、情報としてメモっておく。
とにかく帰ってきて、仮眠したら頭痛はなんとか通り過ぎてくれたので、科研費書いた。書くべきことは書いたので、あとはどうわかりやすい構成にするかという段階まで来た。明日は用事がいろいろ入っているので時間が厳しそうだが、とにかくいまは無理矢理でも寝る。(<-いまドイツ時間で19時)
昨日はぶじ科研費の書類を提出して燃え尽きた。昨晩は時差ボケ直すのも忘れて大爆睡した。9月を乗り切り、チュービンゲン出張を乗り切り、科研費を乗り切って、でもまだいろいろ締切が追っかけてくるのだが、でもなんとかここまでたどり着くことができたと感慨深い。
2019年06月07日
■ 公募での面接の仕方とか調べてみた
前回のエントリにも書きましたが、ポスドク研究者を一名募集してるところです。応募したことはなんどもあるけど、自分で募集をかけるのは初めて。
これから選考の過程で面接とかをしてゆくわけだけど、自分なりの基準とかいろいろ準備しておかないといけない。US方式を踏襲して、まずはskypeで面接、そのあとで現地でトークと面接という段取りを予定しているのだけど、じつのところ皆さんどういうことを聞いているのだろうか?そういうわけで情報収集してみた。
日本語の書籍でアカデミックでの面接というのは図書館では見つからなかったので、「中小企業で人を雇う方法」みたいなのを探して読んでる。あとはネットの情報だけど、大学のサイトがそういう情報を持っていて大変参考になることがわかった。あとは体験談がいろいろある。バイオ系の人が多いな。
調べてみると「募集側の立場」(どのような質問をして、どのように人を選ぶか)についての情報よりも「応募側の立場」(質問対策)についての情報のほうが圧倒的に多いこともわかった。
まあそんなわけで、web上の情報をまとめていたのだけど、これは他の人でも役に立ちそうなので、ブログのエントリにしてみた。ここから:
英語 大学サイト
- London School of Economics and Political Science Academic job interviews およびここからリンクされているTypical Academic Interview Questions (PDF)
- UCSF Office of Career & Professional Development Interviewing for Academic Jobs およびここからリンクされているAcademic Interview Tip Sheet (PDF)
- UC Davis Internship and Career Center Potential Interview Questions for Positions in Academia
- Virginia Tech Academic Job Interviews: Questions and Advice Roseanne J. Foti, Ph.D (PDF)
英語 その他の団体サイト
- DISCCRS Questions to ask (and be prepared to answer) at academic job interviews, collected from diverse sources(PDF)
- Vitae Commonly asked questions in academic interviews
- Judith A. Jablonski, Ph.D. WHAT QUESTIONS DO I ASK AT AN INTERVIEW FOR A FACULTY POSITION? (PDF)
- Inside Higher Ed The Inverse Interview
- The Guardian blog Worried about academic interviews? Here’s how to handle tricky questions
- Enago Academy 10 Questions You Should Ask in an Academic Interview
- Thought Co. What to Ask During an Academic Job Interview
日本語 団体サイト
- 実験医学online 留学のすゝめ! 第6回オファーを勝ち取る〈後編〉
- 研究留学ネット 第13問:インタビュー 質問:研究室を決める際にインタビューを受けましたか?
- カガクシャ・ネットワーク 「アカデミアで研究を続ける場合:良いポスドク先を見つける方法」、「アカデミアで研究を続ける場合:カバーレター作成と面接時に見るべき点」
- 日本RNA学会 「ボルチモア留学途中経過」
- まてりあ / 48 巻 (2009) 5 号 / アメリカでのポスドク面接体験記
日本語 個人サイト
- すぎりおのがんばったるねん ポスドクインタビュー1、2、3
- MITポスドクの就職活動記録 「米国アカデミック面接の質問集」
- トロントラボライフ Medicine&English 「留学が決まるまで 2度目のスカイプインタビュー」
- Bio Technicalフォーラム 電話面接
- 研究関連雑記帳 ポスドク先の決定まで。その2
- もじゃもじゃ日和 海外ポスドク体験記 ポスドク先の決定
- 海外で研究者や大学教授になる方法 海外のポスドク先を見つけるには? * Tanakkyの留学ライフ はじめてのSkype面接
- 生命科学Ph.D留学記 インタビュー
- ポスドクのアメリカ就活日記 電話面接に向けて情報収集(知り合いの教授編)
2019年06月06日
■ ポスドク研究者の募集をしてます(6/30まで)
現在生理研・認知行動発達機構部門の吉田のグループではポスドク研究者を一名募集しております。
詳しいことは生理研のサイトを御覧ください。同様の案内をjrec-inおよび日本神経科学学会にも出してます。同様のものをこちらにも貼っておきます。条件がマッチしている人はぜひ応募してください。
生理学研究所・認知行動発達機構研究部門(吉田グループ) ではポスドク研究者を募集します。(2019/5/30開始, 2019/6/30締切)
生理学研究所・システム脳科学研究領域・認知行動発達機構研究部門に所属している吉田正俊助教は、ラボを主宰する磯田昌岐教授の元で、独立した研究プロジェクトを進めております。ここ数年は、統合失調症の脳内メカニズムの解明を目指して、マーモセットを実験動物として、視線計測と神経活動計測を用いた研究を進めてきました。この4月からスタートした後期革新脳に採択されましたので、本研究の中心部分を担当するポスドク研究員を1名募集します。
詳しいことについては生理研の吉田のwebサイトにある募集ページをご覧ください。http://www.nips.ac.jp/~myoshi/postdoc_recruit.html
[1. 研究プロジェクトについて]
吉田グループでは統合失調症の脳内メカニズムの解明を目指した研究を行っております。統合失調症患者では眼球運動および視覚探索の空間パターンが影響を受けていることが以前から知られております。吉田はこれを視覚サリエンスへの影響として捉えることでヒト-動物で共通の脳・行動マーカーを確立することを目指して、統合失調症患者での視線計測データの解析、マーモセットでの視線計測と脳活動計測を行う研究を進めてきました。今回の募集では、本研究での実験、解析について中心的役割を担っていただけるポスドク研究者を募集しております。
[2. 本募集のアピールポイント]
生理研の吉田のwebサイトを御覧ください。
[3. 応募条件]
募集側と応募側のミスマッチを防ぐために、吉田の方からは、 以下の2つの条件を満たす方のみに応募を絞らせていただきます。 3-1) 神経科学または動物行動学の分野で博士取得、もしくは取得見込みの方。 3-2) ご自身で動物(哺乳類)の行動トレーニングを行った研究で一報以上の筆頭著者論文を持つ方。
[4. 待遇]
フルタイム勤務で年棒制の雇用です。革新脳の中での身分は「研究員」、生理研としての身分は「特任研究員」となります。
[5. 採用時期、採用期間]
採用期間は一年ごとの契約更新で最大で2024年3月まで(後期革新脳の終了まで)です。着任は早ければ早いほどありがたいですが、現在のお仕事、学業の都合もあるかと思いますので相談しましょう。
[6. 応募方法、選考過程]
募集側と応募側のミスマッチを防ぐ、お互いの手間をなるたけ少なくする、ということを考慮して以下の段階を踏んでいきます。
- 資料請求: この公募に興味を持った方はまずは吉田までメールして資料請求してください。(お名前、メアド、身分、所属、所属のわかるweb上の情報など、身元が分かる情報をお知らせください。)
- 応募: 応募をすると決断した方は生理研の吉田のwebサイトに記した参考資料を吉田 myoshi@nips.ac.jp までメールしてください。第一次面接等の選考作業は応募をいただき次第順次進めてゆきますが、締め切りの6/30(日)までのすべての募集を受け付けます。
- 第一次面接: 以上の資料を元に選考した上で、skypeなどを使って遠隔で第一次面接を行います。6/30の締切を待たず、順次進めてゆきます。
- 第二次面接: 生理研に来て研究室、実験室を見ていただきます。ラボのメンバーと話をするなどして着任したいかどうかの判断材料に使ってみてください。私との面接、セミナーなどもしていただきます。
詳しいことについては生理研の吉田のwebサイトにある募集ページをご覧ください。http://www.nips.ac.jp/~myoshi/postdoc_recruit.html
以上です。ぜひ応募よろしくお願いします。
2019年05月27日
■ Fmaj7add9、ハートの形のサングラス(さうして、このごろ2016年9-10月版)
「「諸般の事情で」ってフレーズは使ったこと無いな。」とか豪語しておいて心配になったので「諸般の事情で pooneil」でググってみたがなにも見つからなかったので大丈夫だったっぽい。(<-人間がちっちぇえ)
好きなギターのコードはFmaj7add9かな(XX3213だから正確にはmaj7の音はオミットされてる)、とかカッコつけてみたりするけれども、じつのところギターを覚えたての頃にアリスの「チャンピオン」でかき鳴らしたEmこそが私の心の一番深いところにあることは認めざるをえない。
車で陽水とかエレカシとか流しながら、ボーカルにどのようにビブラートをかけているか注意しながら聴いていた。こう、どこか気持ちが高ぶったところで意図せず震えが出るような場面に遭遇すると、聴いているこちらも激しく心が震える。
NUVO社のプラスチック製 フルート Student Fluteっての見つけた。14,500円とか安くて俄然物欲が高まった。やってる人に言わせればちゃんと教室に行って教わりましょうということになるだろうけど、遊びたいだけなんだ。
でもって遊びたいだけだったらこっちのほうがよさそう。NUVOのTooT。これなら衝動買いしても後悔しないかんじ。
例のUKギターロックがBGMとして流れる西友に行ったら、 こんどはPrimal Screamのファースト・アルバムのGentle Tuesdayだった。12弦ギターキラキラのあれ。たまげたなあ。
その昔、ジッタリン・ジンの「プレゼント」の替え歌であなたがわたしにくれたものに「七福神の置き物セット」とか「ハートの形のサングラス」とか珍妙なものを入れるのが流行った。(<-ありもしない過去を捏造)
奥田民生の「息子」って父親の眼で息子を見ている歌詞だと思っていたのだけど、それにしては「別嬪さんにきっと惚れられる」とか古風な言い回しが出てくるのに言語化できない違和感を持っていた。それで、もしかして息子だった自分が父親からかけられた言葉だったのではないかということに思い至った。
そうすると、歌詞の最後に"…Farther told me"って付けられる。Aviciiのthe nightsみたいに。もしくは、息子としての視点と、(これから自分がなる)父親としての視点が交錯する歌詞として読めるかもしれないと考えた。考えただけー
車で「サイレン」かけて声のかぎり歌ってたら「存在証明を鳴らせ」のところで感極まってしまった。この曲は小さい頃の長男が好きで車中で何度も聴いた思い出の曲だが、この部分は典型的ロキノンフレーズで心に染み入らなかった。でもやっとわかった。作者は本当に存在証明を鳴らそうとしていたのだ。
「俺には世界が無自性で空である縁起のネットワークとして見えるぜ」と言えたら素晴らしいけど、頭ではわかるけど、そのように実感持って世界を見ることができるようには会得できていないと言わざるをえないのがおおいに不本意だ。
「俺には世界が、意味付与された『知覚』の手前の、純粋な『感覚』の集合に見えるぜ」と言えたらスゴイのかもしれないけれど、それを「世界」と呼んでしまった時点で、意味付与された「知覚」以降の存在に思える。脳から見ると、知覚から世界を構成するような言い方をするけど、たぶんそれは誤謬。
「俺には世界が、解釈されるのを待ちつつも、いまだ意味をなさず俺との関係を取り結ぶに至っていない、意味の可能性のかたまりに見えるぜ」と書いてみたら、あまりに当たり前のことだった。
ではそのようなつながりというのはいったい何なのか、「連合」なのか、「因果」なのか、「情報」なのか、「意味」なのか、「縁起」なのか、ともあれそういうつながりと、未だ関係を結んでいない潜在的つながりとで世界が成り立っている。
Tony ViscontiはT RexのプロデューサーをTyrannosaurus Rexのファーストからやっていたわけだけど、バッキングヴォーカルもやっているとは知らなかった。テレグラム・サムの項目を見るかぎりイントロの「ウー」とかはTony Viscontiか。
ボブ・ディランは二分冊の全詩集 https://www.amazon.co.jp/dp/4794951302 を買ってコードを書き込んで、毎日のようにそれ見ながらギター弾いて歌っていたことがあるくらいには好きだった。とはいえ60年代のロック時代のディランしか追えてないくらいにはヌルいファンであるのだけど。
ディランを通してT.S.エリオットとか、アンドレ・ブルトンのシューレルアリズム詩(溶ける魚)とかをわかりもしないくせに読んだりするくらいには世界を広げてもらった。今となってはほとんど聴き返すこともないのだが(ブロンド・オン・ブロンドを通しで聞いたのはいったい何年前のことだろう)、中学の卒業文集の自分の欄を「Sad Eyed Lady of the Lowlands」の歌詞で埋めてたりとか、なんだかそういうことを思い出したので、ネットに書き込んで、永遠の記録となることを願う。
ディランがニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキ持ってブーイング受けて退場って逸話があるけど、これが1965年7月25日。そこからハイウェイ61とブロンド・オン・ブロンド出して(以降隠遁することになる)バイク事故に遭うのが1966年7月29日。たった一年のことなのだな。
ニューポート・フォーク・フェスティバルの逸話は以前散々読んだけど、これはかなり盛った逸話だったようで、真偽についてはウィキペディアに項目があるということを知った。
急な大雨の中を家まで帰ってきた。しかもなんだか生暖かい空気で、まるで夕立のようだった。
ゼネラル・エレクトリックのロゴを見るたびに、持田製薬を想起するんだけど、そもそもどういうロゴだっけと調べてみたら、案外似ていた。持田製薬のロゴ
戦車に嵌ったアライグマの動画を興味深く視聴する。(<-仕事しろ!)
いろんな締切りがある中を水をかき分け抵抗に耐え進む感じ。締切り追い越したかと思ったら、締切りが先に飛んだりして。締切りに翻弄されながら、締切りとともに生きる。(<-生きるな!)
2019年05月10日
■ 2016年3月UK出張メモ
そしてそのあといろいろあって5時40分発の空港バスでもうすぐ出発。今から寝たらぜったい寝飛ばすので、スライドの仕上げとしゃべり原稿作りをしながら、まんじりともせずに夜を過ごす(<-誤用)ことを決意した。
しゃべり原稿完成した。いつもどおり say -f talk1.txt -v Alex -o talk1.aiff で音声ファイル作ってみると14分。実際に喋ると20分くらいになるだろう。30分の割り当てだから、もうすこしサリエンシーについて詳しく喋ってもよいか。まだ元気。
ホテルの部屋に入ってネットに繋けて、やっと「心理的安全性」を確保したところ。予定通り15時くらいに着陸して、入国審査の行列を通過するのに45分かかって、そこからピカデリー線で50分かけてラッセルスクエアへ、コンビニで買い物して、チェックインして17時。けっきょく2時間かかった。
地下鉄で行くと6ポンドで、ヒースロー・エクスプレス使うと17ポンド+乗り換えなので、ケチるとこうなる。毎度ながら思うけど地下鉄は若者とか学生ばかりだ。
昨日は19時に仮眠し始めて、でも目覚めたのは2時で、こりゃもう眠れないかと思いつつもむりやり寝たら3時から9時まで眠ることができて、そりゃ寝過ぎじゃあねえのかと思いつつもまあよかった。出発前から頭が痛くてこりゃ熱上がるかと思っていたが、なんとかギリギリ凌いだっぽい。
トーク終了した!午前中押してるところでのラストのトークで、30分のところを23分代で終わらせて、質問込みで26分で終了。そのあと合う人ごとに良いトークだったとお褒めの言葉をもらって、これまででいちばんよい反応を貰ったように思う。
前半のヒトでの「なにかあるかんじ」の話から、それをnhpで調べてSDTとサリエンシーで一貫性のある話をするよって方向で。神経活動の話は無しだったが、SDTと色(DKL)の話を詳しめにきっちりやったのは今回の聴衆(視覚科学および眼科臨床)に対しては正解だったようだ。
シンポジウム後の立食パーティーでColin Blakemoreとサシで語る機会があったので意識談義へ。Surのrewiringの話題が出たので、いつもの知覚運動連関が大事って話をしたら、それだけで足りると思う?と問われたので、期待とか予想とかは必要かもしれない、でも、といつものカエルの意識談義へ展開させてみた。Morlandとも話をする機会があったのであなたの1996論文で方位サリエンシーについての着想(moving barはmotionを見ているのではなくてpositionの変化を見ている)を得たのですとお礼を言っておいた。
Holly Bridgeとも話をしたかったのだが、ぜんぜんそのチャンスがなかった。というわけで今回の訪問の目的はだいたい達成した。Colin Blakemoreにワインを注がれてしまったので、ひさびさにアルコールを摂取した。さっさと寝るか。(ただいま19:54)
今回も3時間前に到着、チェックインはすでに開始してた。JALのカウンターは小さいので並ばなくて済むのでありがたい。隣のBAとか大行列になってる。安全保安区域も混んでなかったが再検査に引っかかって15分で通過。トータルで離陸の2時間半前、搭乗開始の2時間前に中に入れたのでまあ充分。
羽田に到着!メールがどっさりと貯まっている。気温18度とか言ってて驚く。でもロンドンもこの時期にしては暖かったし、なにより晴れ空が出てて快適だった。
行き帰りの待ち時間用に「光車よ、まわれ!」天沢 退二郎を持って行ってたけど、帰りの飛行機で読了。これは良かった。わかりにくい所も多いけど、昭和の東京郊外を舞台にしたファンタジーで、なんかすげーさまざまな水のイメージに晒された。
なんか時代背景的に、あさま山荘事件とかあのあたりの立て籠もりとかを想起したので調べてみたら、この本の執筆は1972年の8月から12月にかけてとあとがきに書いてあった。あさま山荘事件は1972年の2月。
Holborn駅のエスカレーターでテストしたら二列で立って乗るほうが効率よいってニュース。Leicester squareとかLondon bridgeとかで長いエスカレーター乗ったけど、東京と同じく片側はだいたい歩いてた。
ロンドンで連れて行ってもらったデンマーク・中近東料理店でローストビーフを頼んだら、付いてきたソースが緑色で謎な青臭い味でいったいこれはなんですかと聞いてみたら「コリアンダー」という返事がきた。その謎なクオリアが一挙にコリアンダーのフレーバーとして再解釈されるという経験をした。
2019年05月08日
■ ブラディー疲れた、訳ありさくらんぼ(さうして、このごろ2016年5-6月版)
帰り道に守衛所の前を車で通ったら、丸っこいフォルムの動物が草むらに隠れた。たぶんあれはタヌキだ。昔はよく見たけど、今回は久々だ。まあ3時に帰ること自体が久々なのだが。
そして車で下り坂に差し掛かると、夜景が開けて、90%くらいの満月が西に傾き、びっくりするくらい空を明るく照らしていた。その左には惑星とおぼしくものが赤っぽく光っていて、まるで世界が終わる前触れのやうだった
本日の仕事はこれで全部終了!もう寝る!ブラディー疲れた!(<-インチキ・ブリティッシュ・イングリッシュ = IBE)
今日は次男とこどもの日企画に参加。バドミントン15分*2 + 卓球20分*4って書くとたいしたことがないように見えるが全力出して戦ったので疲れた。バドミントンは2勝1敗、卓球は4勝2敗くらい。これで家でビール飲んでだらっとしていられれば最高の一日なのだが、仮眠後ふたたび解析へ。
以前次男といっしょにバドミントンをやりまくったのはいつだったかかなと思って調べてみたらついったに書いてあった。私生活つつぬけじゃん!
これで今日は終了かと思ったら、次男がシャトルバッティングをしたいというので100球くらい付き合った。なるほどただ素振りをするよりも有効。シャトルを追って姿勢が崩れないように、ちゃんと呼びこんで振りぬくことを意識するように指導した。
ヌゥ…すでに前腕に筋肉痛が出てきている。これは今日バドミントンのラケットを握って振った影響だな。(<-なぜか嬉しそう)
次男がテレビの動物番組を見ながら「鮫って居ていいことある?」って喋ってたので、「パパって居ていいことある?」って聞いてみたくなったが、あまりに卑屈かと思い直して、代わりにツイッタに書き込んでみた。(<-代わりにすんな)
今日は次男のソフトボールクラブチームでナイター練習のお手伝い。コーチがバッティングのときの腰の回し方について説明してて、すごく勉強になった。こんど試したい。
つまり、上半身を回す前に左右の下肢の内転筋を締めるように腰を回す。上半身が回るのはその後。これによって上半身が開かずに球を呼び込んでどのコースでもバットが出すことができるようになる。
って自分のことは別として、帰りの車では次男とともにキャッチングの時の右手の場所について議論したりしてた。我が家はなぜか父も長男も次男もキャッチャーなのだった。(体がでかくて声がでかくて視野が広くて肩が強い系)
家に帰って、全力バタンキューして、目覚めたら22時。コンビニまで歩いてみたら、とても気持ちの良い温度で、先日空に見た禍々しい惑星も今日はただの明るい星で、なんだか多幸感あふれる散歩だった。つか今からひと仕事するにも遅すぎるし、どうやって眠ればいいのだろう?
高校生ぐらいに考えたネタで、「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、ってのがあるけど、針一本飲ます、にするとマジで飲ませる気が伝わってきて怖いよね」ってのがあるんだけど、念のためネットで調べてみたら同じ話が見つからなかったので、著作権を主張しておきたい。
なるほど「誤解を恐れずに言うと」「失礼を承知で言うと」「自戒を込めて」って使ったこと無いな。そういう言い訳入れたくなるときはすでに論法が間違っているのでだいたい書きなおしてる。「不躾ですが」は使う。というかメールでの頼みごとはすべて「不躾」。誤解を恐れずに言うならばね。
今日は宿題を早く終わらせた次男の相手をして、日が沈む前にトスシャトルを使ったバッティング練習に付き合う。シャトル6個で30回=180球。投げたこっちも疲れた。素振り180回よりはずっと良いが、フォームを見ておかないと悪い癖がつくのが注意点。
今日も今日とてソフトボールチームのお手伝い(球ひろい)。コーチの指導を聞いててわかったけど、選手たちはボールを呼び込んで打つように徹底されてる。それはいいのだけど、後ろ側の足に体重乗ったままで腰回さないで手打ちするので、速球をきっちり打ち返せてない。だから「ボールを呼び込んで打つ」ことと「軸足(後ろ側)のお尻を前に出すように腰を回す」こととを両立させないといけないということのようなのだ。
帰りに寄ったコンビニに「訳ありさくらんぼ」ってのが売ってたので、「聞かないよ〽その理由(わけ)は〽」みたいな演歌だかムード歌謡だかのフレーズが頭に浮かんだ。
コンビニ帰りの駐車場で西の空に火星が赤く光っているのを見て、ぼんやりと「そういえば高校のときの同期に赤星くんっていたなあ」とか考えてた(<-マインドワンダリング)
Google Chromeの検索欄に「ここが」と打ち込んだら「ここがあの女のハウスね」と補完されたのでまったくどうかしていると思った。…まあ、それを探そうとしていたんだけど。
いやまじで、ホワイトボードのペンのかすれを解消する方法を見つけたら、革命的イノベーションと呼びたい。マヂ困ってる。
スマホに付けていたキュゥべえストラップが色が剥げて謎生物となっていたので、なんか新しい物をと思って秋葉原に寄った際に探してみた。アウトでないものを探していて、けっきょく羊のショーンを選択した。牧場主のオッサンのがあればそれ買いたかったのだけど、そんなものは無いらしい。有れよ。
アウトでない選択として考えていたのは、十四松がユニフォーム姿で「ハッスルハッスル! マッスルマッスル! 」って言ってそうなのがあったとすれば即買いだったのだけど、そういうものも無かった。有れよ。
昼にうたた寝していたらなんかの夢を見て、しかもそれは朝見たものの続きだな!と思ったことは憶えているが、内容はまったく思い出せない。たぶんそれはimageryというよりはthoughtだったように思うのだけど。
今回は「さっきの続きだ!」という特別な思考が働いたから夢を見た、というメタ認知が働いたのだけど、ふだんもたぶんこういう意味での夢は見ているということなのだろう。
ブルースギターといえば、高校生のころ小川町のカワセ楽器に出入りしていて、そこでカントリーブルースギターの教則本を買ってオープンDチューニングでボトルネック奏法とか練習したものだった。それはクリームとかから遡りたかったからなのだけど、けっきょくブルースを理解することは出来なかった。
ネットで探してみたけどこれとかだな:「ステファン・グロスマンのカウントリー・ブルース・ギター」昔だからCDとか付いてない。仕方なく楽譜だけ見て演奏してた。それだとブルースギターのタイム感とか音程感とかさっぱりわからないのだった。
2019年05月07日
■ 宮廷薬剤師、ポンチ絵、バルーン投光機(さうして、このごろ2016年3-4月版)
俺も宮廷薬剤師になるか!(<-なんかテレビ見てるところ)
イヤホンをストーブ前に放置したら熱くなってしまった。やむを得ずそのまま耳に入れてみたら温くて気持ちいい。これはビジネスチャンスか?(<-チガウ)
帰り道のコンビニの前で、電線がたくさん走っているのってなんか風情があるなあと思って写真に撮ってみたら、ひこうき雲が写ってた。
@ksk_S さん経由で知った「夢の中に出てきた奇妙な単語達」「ヘビとショウガを抜いたケーキ」とか「リドプチチャン穿孔」とか「この新しい原子は左に回すと緑色に変化します」とかサイケデリックで痺れる。
以前書いたブログ記事の「ボン・ボリーニ!」「幸せはスペードの43」「暖かいところに集まる習性を持っている「つるにはまるまるむし」」とかと近いけど、「夢の単語」の方がホンモノ。俺のは狙いすぎのニセモノ。
年度末になると夜間の道路工事が増えて、車を運転しているとあの明るいボンボリみたいな照明がいきなり現れてギョッとするのだけれど、あれの名称は「バルーン投光機」というということを知った。つか知ってどうする。
新学術の班会議の予定をカレンダーに書き込んだら、2017年にも私が存在していることが確かになったような気がして、不思議な心持ちになった。
ハーゲンダッツの華もちシリーズが出て一瞬で手に入らなくなって、非主題的に(<-現象学ジョーク)欠乏感を感じていたのだけど、井村屋のやわもちアイスを見つけた。ラクトアイスなので満足感は低いけど、それでも私のQOLが256倍になった。
今ケーキ屋さんの前を通ったら、ケーキの名前のひとつが「シフォン主義」って書いてあって、通り過ぎた2秒後くらいになってから意味を理解して軽く吹いた。
ためしに「シフォン主義」でググってみたら、「相対性理論」のファーストアルバムのタイトルであることが判明した。己の不明を恥じた。
人生の中で厳しい時期をなんとかやり過ごすためには「弱くあり続けられる強さを持ち続けたい」と頭のなかで唱えたりすることもあるものなのである。(<-である、じゃねえ)
なんというか「人生は続く」ということをひしひしと実感させられる。それにはポジティブな意味合いもあるけど、絶望でもある。24時間寝ても寝足りない。ドアは鍵がかけられたままで錆びついてしまった。でも雨は降りつづけ、安物のビニール傘では雨を凌ぐことができない。(<-雨降ってません)
簡潔なチルウェイブの作り方。“Find an 80s sample. Slow it down. Put a beat behind it. Put a droning synth behind it. Turn on Ableton’s Beat Repeat effect.”
Kraftwerkの1970年ライブというのを聴いてみたら、すげークラウトロックというかカンタベリー・ロックしていてよかった。
Khun Narin’s Electric Phin Band タイの伝統音楽とアシッド・マザーズ・テンプルみたいなサイケなジャムの合体という感じでスゲーいい。
わたしがはじめて「ポンチ絵」という概念を知ったとき、「ポンチ」という言葉は太宰治の前期作品でしか見たことがなかった。おそらくは戦前生まれで軍人メタファーを駆使しちゃうような大先輩方が作った言葉なのだろうと戦慄したものだった。
別件だけど、数十年前の話で、戦前生まれの大先輩に「敵前逃亡は銃殺刑だぞ」と軍人メタファー使って説教されたことを今でも覚えている。というかその人のことはそのことしかもう覚えていない。
甲子園と戦争メタファーって話はどこかで書かれてなかったろうか? 私は試合開始のサイレンにそれを感じる。夏の甲子園で終戦の日の正午に黙祷するのとか。
2018年12月22日
■ さうしてこのごろ201602
冬の自転車での帰り道は、ライトを灯けなければならない。持ってるライトは点滅することで電池の保ちを良くしている。暗い時間は長いはずなのだが、明るいときの残像で長時間道を照らしているように錯覚するのだ。ではなぜ暗闇の残像は持続しないのだろうか?暗闇の速さはどれくらい?(<-チガウ)
次男が代休の日用にコナンのDVDをツタヤに借りに行ったら、暗殺教室の映画版のポスターが貼ってあって、それを見ながら次男が「この黄色いのが悪者でしょ」と言うので、いやそのように見えるけど実はこいつはと微ネタバレかましつつ擁護しておいたが、ぶっちゃけ次男はどうでもよさそうだった。
暗いところからいきなり明るいところに出たときの「眩しい」って感覚、あれってなんなんだろう?痛み?苦しみ?気持ちの良いことではないのは確かだけど、痛覚を刺激されてるとかそういうのではない。杆体中心の活動から錐体の活動に移行することがなぜつらい?
我々は空を見ていても無意識的に太陽を直視するのを避けていると思うので、それとも関係してるかも。先天性無痛症の人が舌をかんだり骨折をしたりすることを考えると、そういう無意識の体の位置の誘導というのは見えてないけどかなりあるのだろう。
「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」訳者あとがき「抽象化の能力は反省(reflection)という、事象を再帰的に検証する行為を通して論理的な手続きを構築することを可能にしている。これは人間のような複雑な神経ネットワークを持たない前・反省的(pre-reflective)な生物にはない特徴である。」URL
Z会を「ツェット会」と読むと秘密結社度が上がってたいへん良い。ベルク・カッツェ(Bergkatze)くらい良い。
ミニオンズのCM見てて「これってスポンジボブ?」って聞いたら次男にめちゃバカにされた。
「茶の間の超能力者たち…野口選手がラストスパートをかけた頃からどんどん跳ね上がって、ゴール時点での瞬間視聴率は29.2%に達したそうです。これって不思議だと思いませんか?」これは進化の説明に使えるナイスな事例。メモっておく。
「カニは食ってもガニ食うな」の「ガニ」って音が好き。ローラン・ガルニエの「ガルニエ」よりも好きなくらい。
「ダダイズム100周年 全てを疑問視した芸術運動」ダダイズムなんて言葉久しぶりに聞いた。私がこの言葉を知ったのは多くの人と同様、中原中也からで、「タバコとマントの恋」とかの作風には強烈な影響を受けた。
それは中学生の頃で、そこからシュルレアリスムを発見し、「溶ける魚」を愛読し、そのあとでサイケデリック・ミュージックに触れ、そしてザッパを知ったのであった。(<-なぜかである調に)
私の父親は75歳を越えてから経営していた町工場(「(株)ヨシダニット」)の規模も縮小して仕事を減らしているのだけど、それでも年末には仕事がたくさん入って、休み前に終わらせるのが大変だったと言う。この歳でまだ仕事を持ってくるクライアントがい続けるってすげえことだなとあらためて思う。
「王様・軍人・学者・職人」って区分の話が好きなんだけど、あれは占いみたいに使うものではなくって、誰もが持っている欲求を明確にして、どうそれを割り振るかということを考えるのに役立つ。
たとえば研究者は「学者」的欲求だけでやっているかというとそうでもない。「日々の発見でのアハ体験や、研究をまとめ上げbig pictureを組み立てる喜び」みたいな「学者」的欲求は研究者の生活においてはほんの一部であって、「論文通すために査読というバトルパートで完勝するとか、大きいグラントを取ってくる」といった「軍人」的欲求も不可欠だし、そのためには「揺るぎないデータを得るための実験手法の開発のためのこだわりとプライド」といった「職人」的欲求に支えられる必要があるし、「PI/ラボマネとして個々のメンバーが幸せでアクティブなラボを作りたい」といった「王様」的欲求がなければ研究はスケールしないだろう。
翻って自分はどうかというと、いまここで晒すわけにはいかないのだが、だれもがそれぞれに違ったバランスでこの人生というゲームに取り組んでいるんだろう、とかそういうことを考えたり、考えなかったりする。
ウィキペってみたら、ジョージ・オーウェルはイートン校卒で、30代は「パリ・ロンドン放浪記」「カタロニア讃歌」とかのルポライターで、42歳で「動物農場」でブレークして、結核を患いながら45歳で「1989」を書いて、46歳で死去とのこと。
2018年11月09日
■ さうしてこのごろ201601
今日は昼から実家に弟一家も集結して11人で乾杯。近くの公園でサッカーボールで遊んだり、8人でババ抜きしたり。あと初めて「4人制スピード」をやってみた。試行錯誤の結果、参加者は4人で場のカードは2枚でやるのがちょうどよいことが判明。場のカードが4枚だと一発で終わってしまう。
あと、参加者が5人だと接触プレーが多すぎて危険。
あと、場にプレーヤーの手札が重なりまくって正しく手札が置けてないという問題が発生するので、レフェリーをひとり置いて訂正をさせると、プレイを止めなくて済むので良いということもわかった。横で見ている方が面白いってのもあるので。
あともう一つのポイントはトランプは2セット使って、ジョーカーは除いておくとよい。(<-マニュアルみたいになってきた)
Tychoが気に入ってこういう音(リヴァーブかけまくり+シンセパッドでもやもやの音像)の作リ方調べていたら、Chillwaveというキーワードを発見した。それでwashed outとかToro Y Moiとかを知った。ジャンル分けもこういうときには役に立つ。
私自身はシューゲでサイケな方が好きなのだけど、いわゆるChillwave、たとえばWashed outはもうちょっと80年代ディスコサウンド的な要素が入るようで、あまり趣味ではないのだけれども、聴いてれば慣れるかもしれない。
60年代サイケからChillwaveへの系譜という意味では、ソフトサイケのGundalfでのヴォーカルにリヴァーブかけまくりの音とかは近いんではないかと思った。そういう見方で聴いてみると昔の音だからスッカスカではあるけど。
正月も終了してしまったけれども、この時期になると想い出すのは「スカスカおせち」と「サンタクロースミュージックFES」だ。なんでこんなに気になるのかはわからないが、いまでもあれはけっきょくどうなったのだろうと気になる。
今日は次男を連れて吉良町の屋内プール(ホワイトウェーブ21)へ。年始だからかガラ空き。流れるプールで前後5mに人がいない!というわけで3時間みっちり次男と遊んできた。家に帰ってすぐに爆睡したけど、これからまたさっさと寝る。レジリエンスを涵養中。(<-テキトー)
昨日ひさびさに(たぶん10年ぶりくらいに)Space OddityをiTunesで聴いたところだったので、訃報には驚いた。この偶然に意味を見出したいところだが、ぶっちゃけ偶然。
やれやれみたいなポーズで「負けそ。」って言いながらドヤ顔でカメラ目線で、お茶の間の笑い声が重ねられる、っていう記憶の断片があって、多分昔の海外のコメディードラマなんだろうけど、わからん。たぶんこのエピソード記憶を支えていた細胞は3個くらいしかなかったんだろう。
以前は東岡崎駅前で夜9時以降営業している飲食店といえばココイチしかなかった。でも昼に行くと家帰ったときに奥さんに外食したのが臭いでバレるので次第に行かなくなった。ここ数年では、カレー欲が高まったときはステーキガストの日替わり定食のカレー食べ放題を利用する。味にこだわりは無い。
そうしたら、学食とかふつうのカレー屋とかであるような、ルーとご飯の比率を考えながら食べる必要がなくなって、ルー2:ご飯1 (通常の比率と比べて) くらいでいけるようになって幸せになった。ルーの味よりも、ルーの比率が低いことのほうが俺を不幸にしていることがわかったので、最近は学食の380円カレーでも、ルー比の高い状態でカレーを食って、余ったご飯は残すという方法を編み出した。これで人生の幸せが二倍になった。
Matthew Sweetの"Girlfriend"のドラムが好きなんで、アウトロのブレーク後のドラムだけのところをDAWで切り出して、ループにして120bpmを100bpmに下げてベースとエレピ入れたら、Fatboy Slimみたいなビッグビートになったのでなるほどと納得した。
「ぶももも」みたいな擬音ってなんだったかと思案していたが、「できんボーイ」(田村信)の「ずもも」のことだったようだ。Kindleで1巻読んで確認してみた。少なくともこの擬音のセンスは私の心の奥底に埋め込まれているのは確かだ。
2018年11月03日
■ さうしてこのごろ201512
うちの次男が「安心して下さい、穿いてますよ」をわざわざ実演して説明してくれるのがウザいながらも愛おしい。
「49%の職業が機械や人工知能によって代替することが可能」のニュースを見ながら長男と「ベーシックインカム」とか「蔓延する自己責任論」とかそういうことについて語った。
昨日は長女が英語のリスニングの勉強の仕方を知りたいと言っていたので、ESLPodcastを薦めたがまだ難しそうで、洋楽の歌詞カード読んで歌えるようにすればというのが長男との結論だった。
「藤田嗣治、全所蔵作品展示」に行って戦争画見てきた。これはすげー。玉砕の美化かつ戦争の悲惨さだった。縮小サイズで見てたら折り重なる人々と暗い色調に目が行くのだけど、 実物で見たら日本刀の威力が強くて、敵とともに互いに喉元を押さえあって刀を突き立てるというモチーフがいちばん心に来た。
実際の戦争はこんな肉弾戦ではなくって、兵站の軽視による餓死と病死だったことを知っている我々にとってはこれは見てきたようなウソなのだけれども、でもそういうのを超えたものに圧倒された。そういう何重にも読み取れるものがここには入っていて、これを見て「玉砕の美化、戦争協力、イクナイ!」と言うわけにもいかないし、「戦争の悲惨さを訴えた名作」というのも正しくない、ということを実物を見て感じて帰ってきた。
補足すると、敵も見方もわからないような入り混じった状態で(顔はどちらも迷彩のため赤茶色に描かれている)、唯一それを知る鍵が日本刀を握っているかになっているということ。西洋画の意匠の借用が多いもの(「神兵の救出…」「ソロモン海域…」とか)よりもただただ暗く塗られたものが良かった。
その一連の作品で一番いいと思ったのは「ブキテマの夜戦」というやつで、これはもはや肉弾戦をしているところは山の端に見える細い赤色で暗示されているだけで、前面は打ち捨てられた野営所か何かで、暗い画面をよく見ると3人くらい死者が横たわっているというもの。これには心が震えた。
これは1944年、最後の最後のあたりの作品なので、どう解釈しても戦争賛美を読み取ることができない。戦争協力側に入りながら、大衆の支持を集めたことで、軍部の怒りを買ってもおかしくないような相当きっついところを攻めている作品のように思えた。
MogwaiのTravel Is Dangerousがロシアの潜水艦クルスクの沈没をテーマにしていると読んで、アウトロの音の意味が理解できてしまった。あと歌詞の聞き取りが英米人でもめちゃめちゃだということが分かって拍子抜けした。
Sing, Singじゃあおかしいもんな。Sink, Sinkだ。「沈む、沈む、母国によって溺れさせられ。この古いマシンは呪われ、忘れられ、二度と浮上することなく。」こうなのだな。
今日の午前は実家で今日の午後のプレゼン資料づくり。両親が仕事をしながらかけているAMラジオから「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が流れてきて、思っていたよりもバッキングがかっこよくてシビレた。
世間ではスター・ウォーズが盛り上がっているけど、告白してしまえば全く見たことがない。つか80年代辺りの洋画を全く見てないことに気がついた。E.T.、バック・トゥ・ザ・フューチャー、トップガン、シュワルツェネッガー出演作、スタローン出演作、ダイ・ハード、エイリアン、ジョーズ、ゴーストバスターズ、ロボコップ、インディ・ジョーンズ、マッドマックス。これは教養に欠けるという意味で恥じるべきなんだけど、なぜか全く興味が無い。ってここまでピックアップしてみて気づいたけど、アクション映画を見るという習慣が(レンタルですら)無いということか。
なんか70年代後半のギャグマンガで「ぶももも」みたいな擬音があったよなと思って調べてみたが見つからない。代わりに「ぶももベーカリー」という名のパン屋を見つけた。香椎神宮駅前だそうな。俺の人生と交錯してまた去っていった。
ついにサンタクロースの正体を知ってしまった次男のために自転車を買いに帰宅ラッシュの国道248号線を行ったり来たり。日、水、木と三回目でやっと買えた。次男も満足、私も満足。よいクリスマスイブとなった。
長女が「サンタクロースは本当はいるんだけどその正体を疑ったがゆえに来てくれなくなったので、代わりにパパとママがプレゼントを買ってくれるんだよ」という論理を展開したが、次男は聞いちゃいねえ。
「けれどもかれらの存在は彼らにとって無限であり、意識の枠がなく、おのが状態に向ける眼をもたないそれはかなたへ注がれているかれらの眼差に等しく純粋なのだ。かれらが未来をみるとき、かれらはいっさいを見る。そしていっさいのうちに自己を、永遠にまったき存在である自己を見ているのだ。」
「けれど動物も、その身はつねに警戒にほてり、かれらのなかには大きい優秀をはらんだ重さと不安がひそんでいる。つまりかれらにも常にまつわりついているものがある、それはわれわれをしばしば圧倒するもの、ーーー思い出だ。」(第八の悲歌)
ここで「思い出」と言っている部分の原語はErinnerungなのでこれはふつうにmemory一般を指していて、recollectionとかそういった含意はないようだ。
ここでいう「開かれ」(das Offene)ってのが「行為的連関のモード」にあり続ける動物であり、反対向きに(内向きに)死の恐れを見るのが表象によってできた「反省的試行のモード」の世界であり、(フッサール)現象学ってのはそういう開かれ(直接的な経験)への志向っていう俗っぽいご利益があるってことなんではないだろうか。
第8悲歌で動物にもErinnerungがある、ということを書いてあって、これはふつうにmemory一般と理解していたが、「経験の構造」を読んでたら「『受動的総合の分析』における『想起(Erinnerung)』の理論」という記述が出てきた。
家族と一緒に食卓を囲む日常を過ごしていて、当たり前のようでいてこれ以上なく幸せなことだなと思う。正直今日は悪いニュースもあったけど、そんなの吹き飛ぶくらい、毎日が幸せだ。(<-涙目)
2018年10月31日
■ さうしてこのごろ201511
薬品会社の工場が移転した跡地に新興住宅街ができていて、きれいにライトアップした家が立ち並ぶところを自転車で通りかかったら、子どもたちが列を作って練り歩いていて、いちばん先頭のやんちゃっぽいのらしきが「トリックオアトリート!」と叫んでいるのを通り過ぎた背後で微笑ましく聞いた。
「『俺たちの旅』の歌詞はラブソングではないところが良い」って書いたけどこれは正確ではなかった。「背中の夢に 浮かぶ小舟に あなたが今でも手をふるようだ」には「あなた」への憧憬の情がある。でも「憧憬」ってとても良い。ライドっぽい。
と言いたいところだが、アンディ・ベルの曲はだいたい甘ったるいラブソングで最高(Vapour trailとか)。マーク・ガードナーの曲は寂寥感あふれてて至高("Seagull"とか"Leave them all behind"とか)。たぶん。歌詞全部再確認する必要があるが。
確認のためにアンディ・ベルによる解説を再読した。 Seagullはアンディ・ベルだそうです。さきほどの説はretractしたいと思います、と言いたいところだが、Unfamiliarがマーク・ガードナーなので、だいたい合ってる。
近所の100円ローソンショップでご老人達が生活用品をたくさん買い込んでレジが行列になってた。400m先にAEONがあるのだけど、徒歩圏であることが重要なのだろう。竜美のこの辺は1960年代に住宅造成がなされて移り住んだ人たちが(私の両親と同じくらいの)70-80歳になっている。
名古屋に通うために岡崎に家を購入する若夫婦は、以前は竜美に家を建てたのだろうけど、私が来た頃は緑丘だったし、さらに上地にも新築の住宅がたくさん建った。いまは福岡町と中島町のあいだに広い道路ができて(わたしの自転車コース)、そのあたりが住宅建築ラッシュとなっている。
ひさびさに次男と「人生ゲーム極辛」をプレイ。父は順調に社長へとステップアップして裕福な人生を歩み、次男は途中でフリーターにジョブチェンジして借金だらけでゴール。終了後に「ジョブチェンジのところはおまけしてほしかった」とか言いながらため息ついて片付けしてた。甘ったれてやがる。
昨晩は久々に子どもたちと外食。今どきの中高のスクールカースト状況とか、ヒップホップの4大要素とか、シャドーイングの仕方とか、森羅万象について長男と長女と語り合った。そのあいだ次男は食い過ぎでダルそうにしながら、ストローでサイフォンの原理を再現するなどの科学的偉業をうち立てていた。
太宰の言葉を借りて表現するならば、「けれども私は、ハムレット話法というものを処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、」批判者の曖昧であるという言葉を意外に感じた、というところになる。(<-いろいろ考えた挙句のこの表現)
今日は次男を体操教室に連れて行って、車の中で「アルクアラウンド」を二人で熱唱。一番のヒラウタ部分の「僕は歩く〜」が四回繰り返されるところが良いと言っていて、よくわかってるじゃんと関心した。
なんとなく詩が読みたいと思って先週借りてあったリルケの「ドゥイノの悲歌」を読んでる。案外覚えてた。大きい数字がきっちり割り切れるところとか、軽業師についての言及とか。以前読んだのは学部の頃だろうか。当然岩波文庫の改版前のものだ。どっかにドイツ語の原書があるのだが、実家だったか?
「ドゥイノの悲歌」の第8悲歌は「動物と人間」がテーマで、「動物にとって開かれている」という表現がハイデガーの批評の対象となったとかは知らなかった。さらにまさにこれをテーマとした「開かれ 人間と動物」アガンベンという本もあることを知った。読めるかどうか分からないが借りてこよう。
『ドゥイノの悲歌』の第八悲歌の解釈 独語独文学科研究年報, 16: 53-66 良い資料も見つかったので、ドイツ語で読むか。(<-ぜったいやらない系)
Saint Etienneを聴きながら帰宅。「こんなにいい気分なのははじめて、こんなに自分が強く感じるのははじめて、何人も私たちを止めることは出来ない!」とセカンド・サマー・オブ・ラブのMDMAで多幸感出まくり感あって最高。
「アウトロなんて「完璧!(perfect)」ってリフレインしてるし。」って書くつもりで、でも念のため歌詞サイトチェックしてみたら、アウトロのウィスパーは「何人も!(nothing)」って繰り返していることが判明。俺24年間ずっと勘違いしたまま聴いてた。どっこいそれでも生きている。
今日は家族5人全員で上和田町のスバカマナ。食べ放題をやってた ので、というかそういう時しか行かない。こうやって家族5人で外食というのも長男が高校を卒業したらなかなか無いだろう。じつはあと数えるくらいしかこういう機会はないのだ。きっと今日のこともいつか懐かしく思い出すことだろう。
今日は子どもたちのひいおじいさんが天パーだったのでうちはみんな癖っ毛とか、長女がいつも写真取っているのはinstagramにアップしているからとか、そういうとりとめのないことを話したが、あとでそれを想い出せるように、ここに記して永遠の記録とする。
急に思い出した。私は中学か高校くらいの頃、父親はまだ酒を飲んでいて、いつも行く寿司屋の「たけさん」でビール飲んで将棋打って、酔っ払って帰ってきて、たまに「マスオさんが持ってくるアレ」を持ち帰って、みんなで寿司(鮪の赤身)を食べたのだった。
「たけさん」はおやじさんの体調が悪くなったかなんだかで店じまいをして、いまは別の店になっている。その隣りにあった古い本屋も、さらに隣りにあったスポーツ用品店も、その向かいにあったレンタルビデオ屋も、みんな無くなった。
俺の人生が停滞しつつ徒に時が過ぎてゆくばかりであるあいだに、2年8ヶ月ぶりの「よつばと!」の13巻が出た。買いに行こうっと。
「みかんの心ぼし」をひさしぶりに聴いてみたら、3番の歌詞の展開がPixiesのMonkey Gone To Heavenの3番の展開を完全に先取りしていたことを知って、あのねのねの偉大さに驚いた。当時は不二家歌謡ベストテンとかでワンコーラスしか聴かなかったから気づかなかったのだ。
2018年08月16日
■ さうしてこのごろ201509
「ソーナンス」って屈託なくって内面無いかんじですごくイイ。ああ、俺の内面もソーナンスみたいだったらよいのに。(<-ソーナンスはソーナンスであれで実はいろいろ考えていることあるのですよとお説教が)
学芸会で水戸黄門をやるとかで、次男が水戸黄門のDVDを見ている。昔の水戸黄門(東野英治郎版)は単純に勧善懲悪でよい。最近のも流していたけど、複雑すぎる。現代ものドラマみたいになってた。
マカクのresting state fMRIの解析のためにAFNIにはお世話になっているが、ここのロゴのセンスとかがなんつーかアメリカで売っている水色のケーキ的センスというか、旧愛生会病院ホームページ的な残念感があるのがいつも気になる。たとえばこのスライド。
このあいだ、どういうシチュエーションだったが忘れたが、興奮して喋ってたら(<-よくある)、喋りながら鼻を鳴らしてしまった(ブタの鳴き声のマネみたいなアレ)。素で「フォカヌポウ」をやってしまった自分を恥じつつ、あれってこういう意味だったか、という気づきを得た。
運転しながらの帰り道に、安城街道で上りたての半月を見たら、飛行機雲がちょうど前を横切っていて、まるで半月が串刺しになったかのようだった。「ククク、ついに【ヤツ】が目覚めるときか」(<-厨二病風)
夕ニャンの「勝ち抜き腕相撲」でロッキーの合図とともに乱闘が始まるあれ、あんなかんじで(ry
ハッピーターンのパウダーが増量250%になっているのを堪能する幸せ。いったい、これ以上、なにを望めばいいというのだろう?ああ、勝ち抜き腕相撲か。
「ここさけ」岡崎でも来週いっぱいまでやっていることに気がついた。レイトショーなら1100円。行くか。でもその時間最近いつも眠い。時差ボケだろうか。
「んもっちー!」「けぼー!」とコールアンドレスポンスをしてみたいのだが、もう子どもたちは大きくなってしまってそういうバカなことの相手はしてくれないのだった。これが35歳問題か。(<-テキトー)
だれかオレのことも修復してほしい。(<-さりげないノーベル化学賞ネタ)
「意識とはは幻想である」ってのは結論ではなくって、それが原点なんだという言いかただとしっくり来るかなと思った。すっかり忘れていたけど、私の原点のひとつは岸田秀の「唯幻論」で、国家も歴史も社会も貨幣も自己も共有された幻想であり、それは結論ではなくって、乗り越えられるべき原点だった。
「俺たちの旅」の歌詞を熟読してみたけど、あらためてすごくいい歌詞だなあ。 ラブソングではないところが良い。こういう含羞含んだドリーミーな歌詞はシューゲに通ずる。シューゲアレンジで録音したい。
トイレでプーさんカレンダー見ながら瞑想に耽っていたら、「ほっきょくぐまって「くま」かとおもったら「ぐま」かよ! 「ぐま」つよい! 「くま」よりつよい!「ぐま」つよい! 「くま」よりつよい!」っていう歌詞を思いついた。
家族が見ているテレビをぼんやり音だけ聴いていたら「ポルターガイスト」って言葉がドイツ語だってことにふと気がついた。当たり前っちゃあ当たり前だけど、その発想がなかった。「ガイスト」はZeitgeist(時代精神)と同じだから「魂」とかそういう意味なんだろう。ポルターは知らん。
いま流している番組のナレーターが仮面ライダーWのあれの人なので、「ヒート!トリガー!ジョーカー!」とか言ってみたくなったが、次男がいない。ホームシック。(<-家に居ます)
今朝の草刈りの方は無事終了。草刈機の操作に没頭しすぎてジャージが草の破片だらけになってしまった。くさかりまさお!
夕方ジョギング10.03km in 69’05"。ひさびさの矢作川沿いコース。行きは夕焼けに向かって走って、帰りは暗闇に向かって走って、小休憩のときに振り返ってみたら、残照に堤防沿いの植えられた街路樹がシルエットだけになっていて、なんかもう、生きててよかったって感じだった。
次男の体操教室への送り迎え。待っているあいだに意味もなく中央総合体育館の写真を撮ってみた。
そして行き帰りの車では次男と一緒に「スターライトパレード」とか「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」を絶唱。人生を楽しんでおります。
長女がAviciiかけてて、いいかげん憶えた。The nightsの歌詞が泣ける。「僕が子どものときお父さんは…と言った。そして"These are the nights that never die"で「その夜」はけっして死なないけど、お父さんは亡くなったんだろうと暗示される。
広島到着!駅の「みっちゃん」に行ったら大行列だったので隣りに行った。新幹線も指定は満員、自由席に行っても座れなくてデッキで立ちながらラップトップ仕事をした。今日はなんか特別な日だったか?それとも日本の景気が回復しているのだろうか?(<-「主語大きすぎ」問題)
2018年03月11日
■ マニフェスト20180311
「人生何者にもなれなかった、けど」という記事を見た。この記事自体はどうでもいい。でも恥ずかしながら告白すると、私もいい歳して「何者にもなれなかった」みたいな気持ちを持つことはある。ただその表現では正確でないので、もうすこし言葉を費やしてみる。
私は薬学部に入って研究者としての訓練を始める前から、ベイトソンみたいな、ヴァレラみたいな、領域を自由に動き回る教養人になりたかった。偉い先生になって教え子から尊敬を集めたかったのでもないし、本を書いて文化人として扱われたかったわけでもなかった。
大学院に入った私は、ベイトソンみたいにやるためには、清水博が実践したみたいに(注1)PIになって自分の陣地を作ってから己の道へ進めるという戦略がよいのではないかと考えて、神経生理学者としてPIになることを目指した(注2)。
でも出世ルートから外れて年老いてしまい、どうやら計画は「まずPIになる」という段階で頓挫したようだ。それならば代替策はと、「高等遊民になりたい」と冗談めかして書いてきたのだけれども、それは「なろうと思えばいつでもなれる、仕事と家族を捨てればなorz」っていう苦しい思いを裏に貼り付けた上での発言だったのだ。
だから「高等遊民」になりたい、という表現も正確ではない。私は好事家や「プロのお客さん」(by 大槻ケンヂ)になりたいわけではない。ベイトソンみたいに、生きること、心を持つこと、優美であること、尊いこと、それらを「結びつけるパターン」を見つけ出すような生産的な活動をしたいのだ。私はいまでもこの目標に向かって進んでいるつもりだし、その意味では諦めているわけではない。
生きていることと心を持つことを繋げるような、なんだか分からない枠組みに向かうことは、ひとことで言うならばそれは「意識研究」だと思うので、自分のライフワークは「意識の解明です」と説明してきた。
でもそのように説明すると、心の現象のほんの一部である意識だけを研究したいのかと誤解されることがある。そうではなくて、(現象学的に言えば)心の構造が、「注意を向けられ、意識化されたもの」を氷山の一角に、「非主題的な意識」があり、それをさらにたくさんの「無意識」が取り囲んだ地平としてなりたつ仕組みをこそ知りたい。そもそもわたしは盲視という無意識の知覚を研究してきたのだから。
それをあらためて表現しなおせば、ベイトソンが言った「結びつけるバターン」であり、そういった、なんだか得体の知れないものに取り組みたいというのが私の行動原理になっている。
でもそのために自分が持っている道具はあまりに少なすぎて、道具を揃えているあいだに人生の大半が終わってしまいそうだ。「永遠に生きるように学び、明日死ぬように生きる」これは正しい考え方だと思うけど、「永遠に生きるように学ぶが、明日死んでも悔いはない」というやり方にしか自分にはできないなと思う。
そういうわけで、いまの自分にとって「何者かになる」とかそういうこと自体はどうでもよいことなのだけど、研究の道に進む際にひそかに立てた目標からどんどん遅れていっていることに焦りを感じている、というのが正確なところだろうか。
ここまで書いてこの原稿は放置していた。公開するにしてはちょっとぶっちゃけ過ぎているかと思ったので。以前信頼できる友人から、ジョブ探しの際にはwebサイトの内容に極力気をつけた方が良い、とアドバイスをもらったことがある。まったくそのとおりだなと思って、精神状態が悪いときに書いたものはほぼ非公開にした。あと自分の文章作成の方針として、原稿(Twitter含む)を見直してみて、自己憐憫や自己欺瞞や自己正当化や愚痴が含まれていることに気づいたら即削除するようにしてきた。
このような自己ルールの帰結として、このブログは研究に関わる告知や報告が大半を占めるようになって、風野春樹氏のウェブ日記にある「銀河通信」の感覚はまったく失われてしまった。
でも昨年末に祖母と叔父と父親がたて続けに亡くなり、親しくしていた研究者たちが若くして亡くなるのに遭遇して、自分の人生について振り返る時間が多くなった。偶然だが今日は3月11日だ。すくなくとも今回は、自分はどう生きるのか、それを語って消さずに残しておこうと思う。この文章には自己憐憫や自己欺瞞や自己正当化や愚痴が明らかに含まれている。それを完全に脱臭できたらよかったのだけど、自分がどう生きるかを書くにはそれは避けられないことなのかもしれないよ。自己正当化だけど。
注1: 清水博氏が1970年に九州大学の教授になったときはあくまで生物物理(自己組織化現象の物理)の枠内での仕事をしていた。「情報の創造」(場とかホロンの概念)を目指してラボの方針を転換したのは1976年に東大薬学部に移って以降の話。この経緯については氏の「生命と場所」のあとがきに書かれている。
注2: いまでもエリック・ホッファー的な「在野の研究者」の可能性についてよく考える。それをおおっぴらにするわけにはいかないのだが。
2018年02月23日
■ わたモテが12巻まできて最高潮に面白くなってた
以前コミック「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(わたモテ)についてブログの記事を書いたことがある。そのときは主人公のぼっち描写と社交不安障害(SAD)についての論考から興味をいだいて5巻まで読んだけど、主人公の空気系ぼっちだが肥大化した自意識でやらかした失敗談をギャグとして読ませるという構造に、読んでる側の共感的羞恥がきつくて中断してた。
でもここ最近になって「尊い」連発の熱い記事を何回か見かけたので、再開して11巻まで読み進めてみたら、すごく面白くなってる。主人公の下品でクズなキャラはそのままに、周りの人間模様が複雑化して話が動いている。
それでいよいよ12巻出たので発売日に購入して読んでみたが、予想以上に素晴らしかった。1-7巻くらいまでの「陰キャぼっちあるあるネタ」から8巻の修学旅行編以降では「青春群像劇」へと展開していたのだけど、12巻ではそれが最高潮に面白くなっている。でもこの変化は路線変更というよりは主人公の成長物語におけるひとつながりの流れであると捉えられる。
作品初期の主人公の目を通したクラスメイトの描写は、見下す対象でありモブキャラにすぎないあっさりとしたもので、名前すらも与えられていなかったのだけど、いまではみなそれぞれに人間味を持ち、それぞれの機微も併せて描かれるようになった。
それは主人公が「クラスのリア充ども」といっしょくたに見ていたところから「あいつらもけっこう大変なんだな」みたいな認識を経て、ひとりひとりを個別の人間として扱い、扱われることで、世界が明確に輪郭を持ってゆく過程を反映しているように読める。
これが1巻から6年かけて計画的に構築されたものなのかといったらたぶんそうではないだろうけど、でも結果として1−7巻が周到な伏線としてはたらいている。たとえば2年生の始業式での自己紹介でウケを取ろうとしてコケたことが伏線となって、2年の終業式の打ち上げで話題となったり、3年生の始業式での自己紹介へのネタ振りになっている。
一方でこのような変化は(主人公の内面の変化に対応しているだけではなく)中学生から高校生に成長していく段階で、いじめが子供じみたものであることが共有されて、学生生活の娯楽としてのいじめがなくなってゆくタイミングとも合致しているだろう。Web版最新の喪128以降でのキバ子はその流れに乗り遅れて、キョロ充としてのカッコ悪さが露呈したところが描写されている。(わたモテの主人公はあくまで空気系ぼっちであり、明確ないじめの対象ではないけど。)
そういうわけで、今後も展開から目が離せない。アマゾンのレビューも現在星5が96%と絶賛状態だし、売り上げも上がるんではないだろうか。いっそのことアニメ2期来ないかね!卒業式で完結するとしてコミック出版まであと2年くらいはかかるだろうからタイミングは悪くないと思うんだけど。
2017年11月22日
■ 「理不尽な進化」読んだ!(2年前に)
旅のお供に「理不尽な進化」(吉川浩満 著)を持ってきた。第1章を読み終わったけど今のところいい感じ。「適者」は強者ではなく、ニッチの埋め合いであって、進化とは必ずしも進歩ではないこと、「適者」であるがゆえに一見トートロジーに見えるということ、このあたりについて正しく理解したいと思っていた。
ここで紹介されている「理不尽な絶滅」を自分の人生と実存に引き寄せて読んでしまいたいところだが、まさにそういった進化観とと実存と認知バイアスというのがこの本のテーマなわけで、あんまり即断せずに読み進めていこうと思う。
「理不尽な進化」は最終章まで来た。なるほど「回帰する擬似問題」とか「心脳問題」のときと同じ構造を持っている。進化論が歴史と適応の組み合わせであり、これは意識での一回性の問題と同じなのだな。そして袋小路の成り方もよく似ている。機能主義者の無意識的な形而上学的コミットメント問題とか。
ほかにも「「お話としての説明」と「科学としての説明」という対比」の話と繋げて考えてみたりとか、いろんなとっかかりがあって、頭のなかで重要なところに杭を打つことができたような気がする。これを起点にもっと進めてゆくことにしよう。
あと、フリストン自由エネルギーとも関わる「最適化」の問題。歴史の影響から逃れ得ないがゆえの「奇妙な生物」と「messyな解決法」。期待に依存しない「アルゴリズム的解決」と物理に拘束された「embodiedな解決」。IITや自由エナジーをこちらから鍛えることができないだろうか?
「理不尽な進化」は読了してたけどメモ書くのを忘れてた。パウル・クレーの「新しい天使」くだりとかしびれた。トラルファマドール星人のように永遠の相のもとに進化、そして我々の歴史を見るならば、それはランダムウォークと枝分かれた先が消えたものでできた樹形になるわけで、その消えた先を見て"So it goes"と言ったんだなとか改めて感じ入った。あれの話でも、なんかしょうもないもの盗んで射殺された話とか、そういうときに"So it goes"というフレーズが繰り返されたはずだ。
あと、この本を読んだことで、Varelaが「知恵の樹」や「身体化された心」で「ナチュラル・セレクション」に対抗するために使った表現「ナチュラル・ドリフト」の概念を理解する準備がやっと整ったように思う。たぶん「アルゴリズム」なのかそれとも「来歴」なのかという問題に回帰するはず。
2017年10月31日
■ 坪内ショウヨウ/三社祭/ネコちゃん警察署捜査本部 (さうして、このごろ2015年8月)
「おお、おお、おお、俺の『ネコちゃん警察署捜査本部』よ、いったいぜんたい、どこへいっちまったというんだい?」
「まどのそと」までは良いだろうが「つよいあめ」と繋がってはダメだ。まどのそとにはいったいなにがあるのがよいのだろう? ぼんやりプラットフォームに立っていたら、自分の後ろに人が並んだ。わたしは慌てて自販機に向かった。雪が降っていて、私はそのとき何かをやりきったつもりだった。
俺がGを恐れるのは、ほんとうは世の中にはもっと恐れるべきものがあるのだけれども、そういう気持ちを隠蔽して矛先をGに向けているためだ、という可能性はないのかと無理やり考えてみたが、さっぱりそんなあては見つからないのであった。これが認知的閉包というやつか。(<-言葉遊び)
ザッカーバーグの”Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity”が今でも気になるのだけど、そもそもintegrityってわからないなあ。https://en.wikipedia.org/wiki/Integrity
「坪内ショウヨウ」っていう芸名を考えついた。「カセタイシュウ」くらいイケてると思う。
何年前の話だったか忘れたけど、次男と街歩いてたら本屋だかレコード屋だかの店頭に萌え絵のポスターがあって、それを見た次男が「なにこれ!鼻がない!」ってめちゃくちゃウケてたのを思い出した。それだけ。
トバ・カタストロフ理論 で「現世人類が総人口が1万人にまで激減した」って話がなんか好き。言語化しにくいけど、なんだか痛快なかんじ。
「高菜、食べてしまったんですか」ネタを振りたくなって、どんだけ元気一杯よ俺、とか思った。行ったことないのに。これとstudygiftだけは未だに気になるのだけど、なんでこれらに私はそんなに惹かれるのだろうか。多分私の欲望とか嫉妬とか弱点とか個性とかを反映しているのだろう。
あと、「スカスカおせち」も未だに気になる。あれは大震災の前の正月、思えばのんきな話だった。
「サークル・クラッシャー」とか「オタサーの姫」とか「童貞を殺す服」とかそういうフレーズが世をにぎわすたびに、俺の人生にはもはや全く関係のないことのはずなのに、なぜか25歳の俺に戻って、胸を痛めてしまう。
「サンテ・ド・ウ」に「デッセ・ジェニー」的な吉本センスを嗅ぎとったので調べてみたら、はたして参天製薬は大阪の会社だった。(<-「はたして」を使ってみたかっただけ)
いままで「リッチモンド」Richmondだと思っていたものが「リッジモント」Ridgemontであることに気がついて、福本漫画のように現実空間がグニャアとなるような衝撃を受けた。受けてない。
遊佐未森の曲の歌詞で「樹々に隠れた大きな家に一人で彼は住んでる何やら妙な研究してるそういう噂」ってのが好き。俺もそういうところで何やら妙な研究したい。
RDレインの「引き裂かれた自己」を大学生の頃に読んで大きく影響を受けたことを思い出した。どうしていままで忘れていたのだろう? このブログ記事で「存在の裂け目」という言葉を使ったときにこれがレイン本由来だったことに気がつなかかった。
レインの本のメッセージのひとつとして、統合失調症患者の内面に整合的な物語があるんだということを受け取ったし、いま私がご執心の(<-自分で言う?)過剰サリエンス説もそれのバイオロジカルなバージョンと言えなくもない。「反精神医学」とかそういう政治的なものには興味が無い。
そのへんの家族療法的なものと認知行動療法の関係とか知りたい。あと最近話題になっている「オープンダイアローグ」ってのもそのへんのはず。そういうことを知りたい。
6月28日@pooneil いつのことだったか、こういう梅雨の蒸し蒸しした時期に、浅草橋を通る用事があって、そういえばおもちゃ問屋のせがれがこの辺だったっけかとか思って通りかかってみたら、偶然、軒先で甚兵衛姿でビール飲んでた。
それで、飲む?みたいな展開になって、アサヒビール(スーパードライでもなければ黒生でもなく)と枝豆をご相伴に預かって、ご両親にお礼言って、気持よく帰ったおぼえがある。あのときのビールはうまかった。たぶん。
三社祭の時期かなと思ったけどあれは5月だから多分違う。軒先って…いいよね。(<-イケメンボイスで)
2017年05月05日
■ 「吉田=ホセ」の法則 (さうして、このごろ2015年7月)
Harvard squareで昼ごはん。ネットで評判を見て、Flat Pattiesでチーズバーガー頼んだ。4ドルなのにパンの部分が絶妙にカリフワでうまかったので大正解。
注文のときにおねえさんに(出来上がったときに呼び出しに使う)名前は?って聞かれたので「YOSHIDA」って答えたらわからんって顔したので、「YOSHI」って言ったら、注文票に「JOCE」って書かれていた。なるほどこういう風に聞こえるのか、と感心した。
ハンバーガー焼いて手渡ししてくれるおっちゃんは注文票の「JOCE」を見て「ホセ?」と聞いてきた。思わず吹いたが、予想できる事態だったので、慌てず対応してすぐハンバーガーをゲットできた。これからこういう場合は「ホセ」と名乗ることにしようと思う。
今年の我が家の会心のズッキーニ。デカい。
"procrastination"(先延ばし)って単語、語感が無駄にかっこいいから好き。もっとキモいのにすればいいのに。「ズモフ」とか。
「サークル・クラッシャー」とか「オタサーの姫」とか「童貞を殺す服」とかそういうフレーズが世をにぎわすたびに、俺の人生にはもはや全く関係のないことのはずなのに、なぜか25歳の俺に戻って、胸を痛めてしまう。
中学校の卒業前くらいに体育の授業でレポートが要求されて、その頃なんかで読んだ、今で言うところのHIIT(50m全速力を一日4回くらいを一週間続ける)を実践してレポート提出したら、体育教師にお前ふざけてんのかと凄まれた。急に思い出した。今にして思えばあれが体育学を忌避した遠因だな。
デトロイト・メタル・シティってあまりピンとこなかったというか、出落ちすぎて続けて読む動機がないなと思ってはじめの方しか読んでなかったのだけれど、もしかしてあれは「デロリンマン」の系譜で読めばいいのではないかということにふと考えが至った。そう読めば泣けるかもしれない。泣きたい。
Teenage FanclubのThe Conceptについてのコメントで"The "Aaaaaaahs" kill me."っていう表現を見つけた。"Aaaaaaahs"ってのは組曲構成の後半のあれのことだけど、Aaaaaaahsにもtheが付きうるんだ、って面白く思った。
次男を連れて岡崎城の目の前の乙川カヌー体験コース行ってきた。次男は何度かこういうの行ってるのでけっこううまい。上手なお兄さんにカヌー上でボール操る方法とか教わってた。私はバランス悪くて一回転覆させた。薬学ボート部だったのに!
貴重品は身に付けて、とのインストラクションだったので財布をポケットに入れてた。転覆によって財布はずぶ濡れ。お札を扇風機で乾かしてる。川で財布落とさなくてよかった。乙川は真ん中の方は後が届かないくらい深いことを知った。岡崎に19年いてこの川で泳いだのは初めてのことだった。
2017年03月10日
■ 「Skype3時間/Disorientation/Y字路」(さうして、このごろ2016年8月版)
本日の最後の任務終了。Skypeで3時間ちかく語った。受話器を握る指がしびれた。(<-受話器ないし)
カラオケ屋で"I Feel Love"をキー変えずに歌いたい。「魅せられて」みたいな振付で。
「新思索社、破産決定」というニュースを知った。ショック!残念!とか言いたいところだが、ベイトソン本二つしかこの会社の本は買ったことが無かった。正直スマンカッタ、としか言いようがない。
SHIROBAKOの第1話を見たら、使えない金髪野郎の失策を補うために進行の人が頭を下げて別のアニメーターに仕事の肩代わりをお願いするという胃が痛くなる展開で、なんでテレビ見てまでこんなつらい思いを追体験しなければいけないのかさっぱりわからなかったので、それ以上見るのはやめた。
久々にアコギ出して弾き語り。ペット・ショップ・ボーイズの「ニューヨーク・シティー・ボーイ」とか歌って左手の指が痛い。つかBmaj7-Gm6-Am7-Dmとかギターで弾いても気分が出ないがな。
それで歌詞を見てて気がついたのが、"Want to go and wander in the ticker tape"とtheがついてる。なんか特別な意味があるのかと調べてみたら、「ニューヨーク名物の紙吹雪舞うパレード」のことだった。
今日は毎年恒例の岡崎の花火大会。これまでは家族と一緒に研究所の開放スペースで過ごしたり、次男を連れて自転車漕いで見に行ったりしたのだが、昨年は海外出張(GRC)、今年は次男はソフトボールチームの合宿で一緒に見ることができていない。
それで気づいたんだけど、もうすでに(子育ての生活の1ページとして、)子どもたちといっしょに花火を見に行くというのは終了していたのだと。それはなんとも悲しい話だ。残るは、次男がソフトボールチームから卒業するまでの期間で、そしたらこういう生活は唐突に終わるのだ。ついにそう実感した。
駐車場からちょうど沈む夕日が見えたのでスマホで撮影したけど、こんな色じゃあなくって、もっと禍々しいくらいの存在感だったのだけど、どうしてそういうのって写らないのかな?
名鉄の中で夢中で本を読んでいて、ふと顔をあげたら周りが田園風景で、いったい自分はどこにいて、どこに向かっているのかわからなくなるような、disorientationの感覚を経験した。これは再現しようと思ってもなかなかできない。
けっきょくそこは刈谷に向かって東へ走る途中で、こんなところに田んぼがあるなんて思わなかったからなのだけど。
こういうことは以前もあった。車を運転していつもの見慣れた上地から南下する道を、そのときは北上しているだけだったのだけど、いったい自分がどこにいるのかわからないまま、とにかくまっすぐ進めば知っているところに着くはずとの信念だけで運転してた。
「Disorientationの感覚」と言えば、そんなの夜に車でナビ無しで山道に向かって走れば再現できるじゃんと思って、緑丘から南へ向かったら、山道を後ろからDQNカーに張り付かれて桑谷山荘辺りまで走ることになって、大後悔した。
けっきょく名電山中まで出て、国一を帰ってきたが、ふと気がついて、藤川の道の駅は深夜はどんなかんじなのか見てきた。DQNカーが集合しているということもなくて、トラックとかキャンピングカーとかが静かに並んでいた。
相模原の事件と一橋大の事件とが重なって、さまざまな言説を読んでいろいろなことを考えるけれども、そういうことって世間話ではなししたりしないんだよな。そういうことを話ししてみたいんだけど、けっきょくオリンピックの話とか朝のテレビで見た話に終始してしまう。
「オリンピックで思い出した水泳部あるある」これを読んでたら「レモンのはちみつ漬け」なんて胸キュンワードが出てきたのでしばし反芻した。(<-人生の勝者)
「プレイボール」ちばあきおの1-2巻がKindleで期間限定無料になっていたのでさっそくダウンロードして久々に読んでみた。谷口くんの渾身のバックホームのシーンで感涙できたので、俺はまだ大丈夫だと思った。
「あなたが友だちだと思っている人の半分はあなたを友だちだと思っていない」 泣けるわ〜友だちの定義を操作的かつ広く取ろう。俺と雑談をしたことのある人は全員俺と友だち、俺と食事に行ったことある人は全員俺の心の友(<-ジャイアン的な意味で)
skype終了。3時間もやると受話器の手が痺れるぜ。(<-同じネタ使い回し)
例のごとく22時の西友で大幅安売りになったお惣菜を見知らぬデブと争ってゲットしていたら、RideのVapor Trailが流れてきた。以前からここの選曲はUKギターポップぽいなあと思っていたが、疑念は今日確信へと至った。
岡崎市で好きなY字路といえばここ(本局の奥)とここ(岩津町)。後者は名鉄挙母線の跡地だと理解していたが、こちらの記事によれば勘違いだったことが判明した。
前者も後者も狭い道で、つまり古い道である可能性が高い。じっさいに昭和6年あたりの地図を見てみると、ちゃんと載っている。これは激萌えスポットと言わざるをえない。
2017年02月02日
■ 「サード・プレイス/リョコウバト/アウトロ」(さうして、このごろ2016年7月版)
ガソリンスタンドに行って給油しながら、「イレギュラー、満タン、現金」ってフレーズが頭に浮かんだ。ちょっとハードボイルド感出てる。
気持ちは高ぶったままで、これでは眠ることができない。カーステレオのボリューム上げて、アジカンとかサニーデイ・サービスとかかけて、大声で歌いながら深夜の岡崎の街を警備していたら、やっとこさ心の平安を取り戻すことが出来た。
とある事項についていろいろツイートしてみようとしたが、「誤解を恐れずに言うと」と書かないと無理そうな展開になった。ということは、どんな言い訳を付けてもけっきょくは誤解を産むということだ。そういうわけで書きかけたそのツイートは消すことにした。(<-よくある)
ひさしぶりに楽しい飲み会だった。アルコール一滴も飲んでないけど、楽しい飲み会だった。
さっきまで実家の近くのミスドで作業してたが、周りの座席は中国語、韓国語、ポルトガル語が混ざっていて、マヂ異国だった。「コレニホンゴデナントヨミマスカ?」と問われて、どこかの住所の漢字の読み方を説明することに。うーむ、これが「サード・プレイス」か。(<-覚えたばかりの言葉を使いたいだけ)
そもそも今自分が大学生だったらなにをしていただろうか?いまからPythonを勉強して機械学習をやってとかだったろうか?でもそれって20年前にバイオでポスドクに行く選択と同じレッドオーシャン一直線という気もする。
給料安くても勤務時間が限られたホワイトな環境で、独身で、ストレスの少ない地方都市で、時間外はDTMやってsoundcloudとかで作品発表してハートが付いたらそれで満足、みたいな人生がいいな。
鰻が食べられなくなる日って、ある日これでおしまいではなくて、割高で質が悪い鰻ばかりになって庶民は食べなくなって、数年経って忘れたころに物好きが食べる鰻がこれで最後というニュースを他人事として聞くのだ、というふうにイメージが湧いた。リョコウバトのときはどうだったのだろう?
仕事に没頭してたらいつの間にか周りが真っ暗になっていて(<-部屋の電気を付けないタイプ)、夕立がやってきていることに気がついた。なんとかやり過ごすはずが雨は止まず、しかたなく帰ってきた。これからこういう夕立を何回か体験して、いつの間にか梅雨明け宣言が出されて、夏がくるのだろう。
帰ってきたらすっかり雨は止んでいて、西の方には青空まで見える。けっきょくもう15分待ってから帰ってくればよかったことが判明した。でもそれまでに既に45分待った後だったのだから、これは合理的な意思決定だったのだ、と自分に言い聞かせる。でも基本的に俺の意思決定めちゃくちゃだなと思う。
工夫してあるアウトロは好き。「すばらしい日々」のアウトロでギターのリフはイントロと同じなのにコード進行だけ違ってて好き。"Sir Psycho Sexy"でいきなりプログレみたいなコード進行になるところ好き。C†Cの"Crossing"もこの系統だけどやっぱ好き。
「思い出してる 夢みるように 夢みるように」ってのはあらためて聴いて泣ける。(過去を)思い起こしているのに、(未来を)夢見るようにっていう(<-説明ダサい)。「たとえこの世界が本当だって」っての好き。「たとえこの世界が嘘だって」じゃないの。本当だってことを否応なく知らされるの。
KORG Gadgetが半額になってた。この日を待ってた。さっそくiTunesから購入してダウンロードしているのだが、やたらと時間がかかってまだ完了しない。そうして、いま日本中がポケモンGoをダウンロードしていることに気がついた(7/22)。
さっそくKORG Gadgetで短い破片を作ってsoundcloudに上げてみた。メロトロンっぽいフルートと「チルウェイブ」ってタイトルのパッドがあったのでそれを使って。
耳かきが大好きで、毎日2,3回くらいやってる。つまり耳かきをする動機はもはや耳孔をきれいにする喜びではない。それで今気づいたのだけれど、もしかして私は外耳道の軟骨よりも奥にある頭蓋骨(側頭骨)を引っ掻きたかっただけなのではないかと。ってなにそれ怖い。
でもひとつ思い当たるフシがある(<-あるのかよ)。小中学生くらいのときに、眉間を鉛筆の後ろ側とかの棒でコツコツとやると、なんというかそのあたりが「ニ〜ン」とした感覚になるので、よく繰り返していた。もしかしたらあれも頭蓋骨に直接刺激を与えたかったのかも。ってなにそれ怖い。
2016年09月27日
■ 「公正なる世界戦線」(さうして、このごろ2015年6月版)
さっき新横浜駅で「いま有楽町なんで、いまから東京駅に向かいます」って携帯で電話しているおっさんを見かけた。いったいどんな大冒険がこれから君を待っているんだい?
「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞で「彼(ナポレオン)のところに行けよ、呼んでるぞ、拒めないだろ」って畳み掛けるところが好き。”Go to him now, he calls you, you can’t refuse”
しかもよく見ると、heとyouの順序がライティング的によくできていることに気がつく。「ディランに学ぶ英語ライティング」って企画を思いついた。
「人は33歳までに音楽的嗜好が固まり、新しい音楽への出会いを止める傾向がある」 知ってた。ビートルズとソフト・マシーンが好きです。あとの音楽は全部クソです。こうですか?
でも実際問題として、いまDeerhunterとかTychoとかYndi HaldaとかWashed Outとかを聴いていても、それは私にとっては、カンタベリーとシューゲイザーとクラウトロックからの発展形として聞いているだけで、私がなにを美しいと思うかの感受性はちっとも拡張していないんではないかと思う。
「今いくよ」というけれども、已にいったものはいっていないし、未だいってないものはいってないし、今いきつつあるものもいかない。いきつつある者はいかないし、いきつつある者ではない者もいかない。「今くるよ」というけれども、(略) (ナーガルジュナ「中論 今いくよくるよの考察」より)
「ミルウォーキー・カード・ソーティング・タスク」ってフレーズが降りてきた。だったら「タラハシー・カード・ソーティング・タスク」とかどうよ、とか考えてみた。「ツーソン・カード・ソーティング・タスク」とかは普通にありそうで怖い。結論としては、「どうでもよい」
西友で3割引きになっていたお弁当を買ってガチャガチャが並ぶベンチで遅い夕食をしていたら、おじいさんが所在なさそうにじっと座っていて、徘徊老人だろうかと思ってこっそり見てみたら、案外若い人だった。マクドナルドはすでに閉店し、消灯し、アイカツの筐体からむなしく音声が流れた。
世界は俺を追い立て、追い越し、追い抜き、トンネルの先の方にぶつかって詰まってしまった。俺はトンネルの壁を手で伝いながら、夜露に濡れた壁を伝いながら、その部分に探るように前へ進むのだけれども、いつのまにかトンネルは闇に溶けてしまって、世界もそのうちどっかへ行ってしまった。
俺は自分で自分に賞状を書く。夜道の畑のスイカの甘い匂いとか、山道で不格好に大きくなっているタケノコとか、稲刈りで大量に見つかった小さなカエルとか、降りだした雨で立ち昇るジオスミンの香りとか、そういったものをかき集めて、承認欲求を満たしていこうと思う。
Grateful Deadの"Morning Dew"で一番好きなバージョンは Europe '72 に入っているやつだけど、もっといいのがあるかもしれない。俺は無限の図書館を、オイルで磨かれた板張りの廊下を、欧州の城を模した廊下の壁画を眺めながら歩いてゆく。
「公正世界仮説(just-world hypothesis)」という言葉を知った。つか「公正世界」って言葉の響きがカッコええ。「公正なる世界戦線」(just-world front)とか作って戦いぬきたい。いや、べつに戦いたくない。
「もぐ♥ワイ!」ってのを考えついたんだけど、誰にこの気持ちを伝えたらよいのかわからない。
海外からの客人を迎えてひさびさにビール3パイントも飲んで酔っ払った。夜の奈良井公園の気持ちいい空気の街灯の下で本を読みながら酔い覚ましをして、それだけでもう幸せだった。この瞬間の気持ちをwebに書き留めて、永遠の記録とする。
2016年08月06日
■ ゲッチンゲン・チュービンゲン滞在記
(2015年3月、ゲッチンゲン、チュービンゲンに滞在したときのメモ)
今日は共同研究がいろいろ進んだ。19時過ぎたところで夕食行く?って聞くからスーパーでなんか買ってくよって答えて別れて、Kunsthalleにあるスーパー(Penny Markt)で鱒のスライスとかハムとか棒アイスとか買い込んで最終バス待ってたら、10分たってもバスが来ない。
ついに案内板から17番バスの案内が消えてしまって、同じくバス停で待ってた人たちもみんな諦めて歩き出した。だれも文句言わないのでよくあることなのだろう。しかたなく昨日車で案内してもらった道を記憶をたどりながら、誰一人歩いていない静かな道をバス停を一つ一つたどりながら下っていった。
誰も歩いていないのをいいことに吉田式ディナー(歩きながら鱒のスライスを手を汚さずに食べる技法)を実践しながら道を下ってゆくと、Max Planckからの道と合流するSpemannstraßeまで来て、やっと歩いている人も出てきてホッとしたが、今度はゲストハウスの場所がわからない。
バス停で待っていた学生さんがウロウロしている私を見かねてスマホで地図を調べてくれて(偶然日本語を理解できる人でスマホの画面が日本人イケメン俳優だった)、お陰でなんとかゲストハウスまでたどり着いた。けっきょく戻るまで30分かかった。まったくえらい目にあったが暖かい夜で助かった。
食い物があったので悲壮感が出なくてよかった。空腹で寒くて異国の地をさまよい歩いたりとかそういうことにならないで、ほんとうによかった。生きてるって、素晴らしい!(<-おおげさ)
(ソース不明のブログの記事より:)「もうわかっているかと思いますが(もしくはすぐに気づくことになりますが)、チュービンゲンで真夜中に食欲を満たすのは至難の業です。」 知ってた。20時過ぎたら店は閉まってる。水が無いことに気づいて、しかたなく駅構内まで買いに行ってきた。
解析が終わらん。ネッカー川の向こう側では酒飲んで騒いでいる若者たちがウェイウェイ言ってる。(<-言ってない)
REWEというスーパーマーケットが土曜でも夜10時までやっていることを発見した。これでなんとかサヴァイヴしていけそう。
仮眠してた。18時の鐘が鳴り響きだした。いろんな鐘の音が重ね合わされて、いい感じに不協和音がドローンのように響くのに重ねて、まだ足りないかと鐘が打ち鳴らされて、なんだかサイケデリックだった。寝起きの頭で音の行方を追い続けたら、街のアンビエンスノイズにかき消される瞬間を見とどけた。
2016年05月03日
■ 吉田サンクチュアリ(さうして、このごろ 20150430)
「ニューヨーク・シティ・ボーイ」をカラオケで歌いたい。サビのところでみんなにマイク回して「オカザキ・シティ・ボーイ」とか「トットリ・シティ・ボーイ」とか歌ってもらう小ネタまで準備してあるというのに(<-切ない)。
“100,000,000 miles high”ってタイトルを考えた。highすぎて、太陽まで届いちゃうの。Higher than the Sun。(地球から太陽までの距離 = 149,600,000 km = 92,950,000 マイル)
今日はなんだか疲れた。感情が動かずに、事実だけ事務的に処理できるようにいられたらいいのに。上がったり、下がったり。ヘルター、スケルター、ローリー、ポーリー。車を飛ばして、幡豆の漁港まで行って、堤防から雨振る海を眺めたら、少しは気が晴れるだろうか?
二年前の豆まき: 昨日豆まきできなかったから今日豆まき。次男が鬼になりたいって言うからみんなで次男に豆を投げる。なんだかいたたまれなかったので鬼を守った。我が家から鬼は出て行かなかった。— Masatoshi Yoshida (@pooneil) 2012年2月4日
去年の豆まき: 今日は俺が鬼の役だったので「不動の心、不動会」とか言いながら居間の片隅でポーズを取ってみたら、子どもたちが「無言で」落花生を「勢いつけて」俺に投げつけるというわけのわからないことに。途中で奥さんが指摘して「鬼は外、福は内」がコールされるようになったので節分らしくなった。そんな日。— Masatoshi Yoshida (@pooneil) 2014年2月3日
今年の豆まき: 次男が風邪で豆まきは延期。次の日も長女も風邪、長男は帰ってこないので、ママから二人でやっておいて、と落花生をもらって次男と二人で豆まき。新聞チラシで即席のツノを作ったパパ鬼を家から追い出すところまででヨロシク、とあらかじめ段取りと個数を決めて、無事実行。そういう顛末にて。
ラボでの今日の任務終了。家帰ってたまっている仕事を片付ける。「貯まっている」ではなくて「溜まっている」だな、とか文字変換しながら考えた。空には太陽が出ているのに、雪が降ってきて、しかもそれがさっさと融けて、工事中の砂利道に水溜りができている、そんなイメージ。
「マシン・ラーニング」ってあらためて字面がカッケーな。「ハンマービート!」「デウス・エクス・マキナ!」「キカイノカラダ!」そんなかんじ。(<-徹夜ハイ)
豊橋駅の名鉄ホームに降り立ったら、屋根の下なのに水しぶきの当たるのを感じて、俺もここまでポエジーが高まっちゃったかと(<-?)思ったのだが、空を見るとかすかに雪が舞っていて、なんだなにも不思議なことはなかったのだと安堵したのだが、上着持ってこないで背広だけだったのでクソ寒かった。
岡崎に戻り、くらやみの道を更に強くなった雪の中、自転車で戻ろうとすると、車のヘッドライトに照らされた雪が渦を巻くように不思議な流れを作っていて、それに少し見とれ、遠くを見やり、近くの交番に目を向け、でもって家に向かって急いだ。
車で「雨ざらしなら濡れるがいいさ」を絶唱しながら、いつもは「時が来たなら 終わるもいいさ それが俺の最後の運命だったら」のところで感涙してるのだけれど、その続きの歌詞の意味がはじめて頭に入ってきた。「その時、瞼に吹く風も見えるだろう 静かに揺れるだろう」と言っているのだ。
つまり「時が来たなら 終わるもいいさ」という言葉が激情にかられて歌われているように聴いていたけど、そうではなくて、その時の心は平安であり、瞼に吹く風を見るような、なんならマインドフルネスといってもいいような心持ちで終わりを受け止めると言っていることに、今になって気がついた!
太陽が二つあって、それぞれが昼と夜を照らすので夜が無くなり、そしてそれに誰も気がつかない。よくよく見ていれば、夕焼けと朝焼けとが重なるのだからわかるはずなのに、肝心のその時間だけ、だれも竹林に居なくて、謎は暴かれず、川の水が鏡となり、葉の影がすべて三日月となる。
二歩では飽きたらず、三歩を実現するために、指を使わず掌だけで歩を隠し持つ技を磨き続ける日々。その修業は決して無駄にならずに、エレベーターをボタン操作だけで加速する方法を編み出すことで開花した。
「ぼくらは太陽まで歩いてゆくんだ」っていいな。飛ぶのでもなければ、走るのでもないの。歩いてんの。辿りつくのかっていう。表現がぼんやりしすぎていて、正しく像を結ばないのだけれども、それはそれでいいんじゃないかと思う。ぼくも歩いて行こうと思う。等高線と螺旋とを辿りながら。
帰りに遅い昼食をとスーパーに入ったら「魚の塩ダレ焼き」というのがあったので買った。200円でたっぷり食べれてお得。見たかんじカジキっぽいのだが、「魚」。たぶん輸入魚なのだろうけど、「カジキ」でもなく「カレイ」でもなく「魚」という概念を食べることで私の心は宇宙に飛んだ。
吉田が余生を平穏に過ごすことができるように、桑谷山荘の跡地に「吉田サンクチュアリ」を作ってほしい。でもって、バーベキューに来てハメ外す若者を叱責したり、咲き誇るあじさいの世話をしたりするの。
「すしざんまい」とか三昧はぜんぶ「サマーディ」に置き換える。「すしサマーディ」。うーん、満足。(<-頭働かない)
2016年04月20日
■ ホワイト、ジャック!
(原題:さうして、このごろ 20150131)
「子供の頃、何が欲しかった?」高校生のときは宅録関係だったな。カセットMTRが欲しかったけど買えなかったので、シャープのダブルカセットでピンポン録音してた。ヒスノイズが重なりまくって、出来上がりの曲はシューシューいってたっけ。けっきょく大学4年くらいにfostexのX12買った。
「子供の頃、何が欲しかった?」あと、ドラムマシンが欲しかったがなかったので、近所のゴミ捨て場でスネアドラムとシンバルを拾ってきて、バスドラ代わりに枕をスティックで叩いて、マイクで音拾ってた。カセットでリミッタがかかる(リンゴ・スターのドラム的な意味で)ので案外音は気に入ってた。
ゴローがBOSSのドラムマシン (Dr. Rhythm DR-110ってやつ)を持ってて、それを借してもらったことがあって、延々ひとりでジャムってた。Grateful DeadのDark Starのモチーフを延々展開して。
「Z会(ぜっとかい)」のことを「ツェット会」と発音すると、秘密結社っぽくてよい。
JR岡崎駅から戸崎町を経由してゆるやかに登る坂道を自転車を漕ぎながら、この国道をエポケーして(<-フッサリアンジョーク)、これが開発される前の50年前の、林の中の誰もいない砂利道を自分は自転車を漕いで登っているのだと、目に見えるものを消して、ただ坂の傾きに意識を集中させる。
ライカ犬、ライカ犬。「今そこにある危機」と傘を回して見え隠れする魔女。電話で届けられる、予想通りの悪いニュース。思いつく限りの嘘と、廃墟で行われるある種の犯罪。カミキリの幼虫が白日のもとに透視され、白日のもとに凍死される。そうしてついに、海を見つけた。ライカ犬、ライカ犬。
n=1で「やっぱ俺の言ってたこと正しかった」とか言われると本当に統計わかってんのかって思うけど、そういうときに人々が言いたいのは「n=1の新しいevidenceによって、以前持っていたpriorから仮説が補強される方向にposteriorが変化した」ということだと脳内変換してる。
小学校3年生くらいのときには自転車でもうどこへでも行けるつもりであちこち行って、でも新大橋がまだ歩道がなくって車道だけで、ここ(隅田川)が自分の行ける範囲の限界なのだと思った覚えがあって、新大橋を走る車と排気ガスのイメージがあるのだけど、なぜかそれは色あせたカラーのイメージで、たぶんテレビの映像の記憶と混ざっている。
帰郷したときに送り迎えで明治通りを往復して、日曹橋の交差点を通りかかった。日曹橋は橋と名が付いているが橋はない。以前日本曹達の工場があった場所で、運河の埋め立てで橋もなくなり、橋にだけ名前が残る。日曹橋への愛が深い人の記事を見つけた:「いつか日曹橋で」が出来るまで あとこれも詳しい:東京都江東区に「日曹橋」という地名があります
岡崎の電車通りに「芦池橋 バス停」というのがあるが、ここにも芦池橋はすでにない。しかしこの近辺を歩いてみれば道路に運河の名残らしき段差があるのに気づく。
岡崎市内(2012.12.28) 「新田橋親柱 電車通りの歩道の脇にあります。図書館の前から電車通り西側にあった江川まで流れていた小川の橋らしいです。ちなみに江川は久後崎から占部川まで続く川で現在は暗渠になっています。」 あとこちらにも記載あり。
「島村卯月がブレイクしなかった世界で!」を読んだら泣けた。
「パパも返品ね」っていいなあw いっそのことパパを返品して、返金して、倒壊して、融解して、全てをやり直して、進化からやり直して、進化のランドスケープから違った山を選んで、僕らみんな全く違った形の生き物として生まれ直し、全てをやり直してみればいいんだと思う。
子どもたちがまだ小さかったころはよく受話器を耳にあてて「もしもしこちらネコちゃん警察署捜査本部、何?事件?」ってダミ声で言うっていうネタ(?)を繰り返していたのだけれども、だれも相手してくれなくなったのでもうしなくなった。それは記憶の片隅に追いやられ、しかし消えずに浮上してきた!
ツタヤで借りた「それでも町は廻っている」を読んでいる私を見た次男が「(手塚治虫の)ブラック・ジャックを読んでいるのかと思った」と言ったので、まったく頭を使わずに「ホワイト、ジャック!」とウイスキーのCMみたいに渋みたっぷりに返答したら、我ながら気に入った。「ホワイト、ジャック!」
「世が世なら・・・ADHDは狩猟採集社会では優位性を持っていた。」 元ネタはこれ:BMC Evol Biol. 2008 介入してるわけではないのでこれ自体はそんなに強い議論ではない印象。
統合失調症が創造性と関わるとか、糖尿病が寒冷期に糖を蓄える際には有利だったとか、そういう説とともに、進化的には意味のある表現系はここ数千年だか数百年だかの環境の違いには順応できないってのはもっともらしい話だ。
構造で規定されるんだな、みたいな相対化の洗礼を受けたのは大学生の頃だったか。今にして思えばずっとそんなこと考えていた気がするし、ずっとそれをうまく取り込むことが出来ずに、あるときは構造主義だったり、あるときはアフォーダンスだったり、オートポイエーシスだったり、力学系だったりと、近寄ってはぐるぐる回りつづけていただけなような気もする。
それは中観派の空の思想だったり、現象学の反表象主義だったり、実在の絶対性みたいなものを避けていく選択肢を常に選んできたけど、大元は浪人のときに読んだ岸田秀と「弁証法とはどういう科学か」で太宰治から戻ってこれたという、身も蓋もなく実存的な理由があったことは覚えている。
2016年04月13日
■ 疾患と疾患モデル
表面的な理解/解釈のみで、ある障害や疾患のことを安易に引き合いに出すのは、単に誤解があるという点だけでなく、その障害や疾患が意味する本質的なところに近接できていないという点で、危険があるな、、、というのが、このところ読んでいる幾つかの本に共通する感想(自戒も込めて)。
— Noritaka Kawashima (@KWS456123) 2014, 1月 5
.@KWS456123 「表面的な理解/解釈のみで…危険がある」という批判は患者を実際に見ている方でさえ自問自答すべき問題なのだと理解しました。しかし、この批判を転じて、患者を見ている方が動物モデルをやっている人に向けてしまうと、誰にでも言えてしまう、不毛な批判になってしまう。
じゃあどうすればいいかといったら、ひとつの方法は患者を見ている人と一緒に動物モデルを研究するということになるのだけれども、この批判は際限なく、恣意的に運用することも可能だから(なにしろ患者を見ている人でさえ問題にしなければならないのだから)、動物モデルへの批判自体はそのモデルが実際に役に立てば消えるだろうけど(遺伝的疾患モデルなど)、精神疾患モデルの場合にはそれがうまくいってないことが元凶なのだろう。
…以上、河島さんのツイートにインスパイアされて、最近考えていたことにつなげて書いてみました。
@pooneil 主観的観察のバイアスはあらゆるレベルで存在するからどうしようもないですよね。主観的観察の観察対象ソースを共有することである程度避けられるかもしれないっていうのは神経データでも行動データでも同じですね。
— Naotaka Fujii (@NaotakaFujii) 2014, 1月 5
.@NaotakaFujii なるほど、いまの話はかなり一般化が可能な論点であるようですね:「主観的観察の観察対象ソースを共有することである程度避けられるかもしれない」
そうしてみると、神経生理学者が自分でデータを取っていて、データ科学者と一緒に仕事するときにもおんなじ構造が出ていることに気づく。神経生理学データはそのままだといろんな目に見えない情報が欠けている(記録者が未熟だからこのデータの信頼性は低いとか)。それらをどうやってメタデータとしてデータに足してゆくかというのがひとつの課題なのだけれども、そこで神経生理学者としての私は「じっさいにデータを取るところを見ていないと正しいデータ解析はできない」という気持ちは強いし、自分の経験として、「両方をつないでハブとなる人間が居ないとうまくいかない」という信念もある。
私の視点はどちらかというとハブの人が一人で両方見渡すことが大事という方向性なのだけれども、いま藤井さんが書いていることは、互いに両方見渡すことができる技術を作れないか、ということなんだろうと思う。
「同じイベントを全員が同じ視点から見て共有し議論する」これが視点交換とかにつながり、ジェンダーバイアス、福島、いろんなところにつながることはわかる。それこそが「なめらかな社会の実現」なんではないだろうか。
さっきの話をまとめると、[精神科医 - 精神疾患の動物モデルの研究者] という関係と [神経生理学者 - データ科学者] という関係の相似に無自覚だったし、自分はそのどちら側にも立ちうるのだな、というのこと。だから、データ科学者に向けてデータわかってないじゃん、って批判は誰にでも言えてしまう不毛な批判であって、しかも立場に依拠しているため際限なく言うことが可能。
だからその批判を使う際には「どこまでわかっていればデータを理解したことになるか」を正しく限定する必要があるし、それはデータ科学者に欠けていることではなくて、データを提供する側が行動しないと解決しない。
@pooneil 実際、科学読み物系の書籍の中には安易に障害や疾患を引き合いに出しているものが多いと思うんですよね。引用することが間違いという訳ではなく、読者はそれを通して障害や疾患に接することができるという意味では、むしろ書き手の企図を率直に受け取ることでいいんだと思います。
— Noritaka Kawashima (@KWS456123) 2014, 1月 5
@pooneil だた、単なる機能の欠損的な部分ではなく、普遍化可能なもっと重要なメッセージがあると思うのにそこが抜け落ちて表面的なところだけの引用に留まっている、みたいなくだりを目にして、「うー、ここらへんは自分なりのアプローチで穴を埋められればな」という思いを持つんです。
— Noritaka Kawashima (@KWS456123) 2014, 1月 5
@pooneil そこが「自戒を込めて」という意味。まさに、自分自身に対する問いなわけです。
— Noritaka Kawashima (@KWS456123) January 5, 2014
.@KWS456123 そうですね、自分ならどうするかな?って感じで捉えていくのが生産的ですよね。
2016年04月01日
■ さうして、このごろ 20141031
ふなっしーは「ヤケクソ感」が出てるところが好き。「ヤケクソ感」という美を世界に広めてゆきたい(<-ヤケクソ)。
.@ichipoohmt オカザえもんはエキセントリックだけどヤケクソではない。紳士(ゼントルマン)ですね。
「あいにく修行中の身だ」っつうのは日常生活のどっかで使ってみたい。松山はよく「春雨じゃ、濡れてまいろう」って言ってたけど、あんなかんじで。ちなみに「この世を忍ぶ仮の姿」ってのはよく使う。
「吉田が輝く社会」を作りたい。
綿棒で第2中手骨と第3中手骨の間を穿つ。これが極意。ピアノと月とドブ川に浮かんだゴムボート。道路工事用のライトの周りで、3つの楕円が形を変えながらも中心をピッタリと合わせて回るさまが、まるで枯れ葉のようだった。
「枯れ枝を踏み進む」って書いて、”re-e”の繰り返しと”f”の音と”su-su”の繰り返しにうっとりとしてみる。
雨が降ってなかったタイミングを見計らってコンビニまで昼ごはん用の鮭缶とちくわを買いに行ったら、帰りに雨に降られた。風が強いので傘は持って行かなかった。ずぶ濡れになった。ところで雨に「降られた」って表現って面白いなあ。「雨に憑れた ひとが行き交う」を思い起こした。
雨で練習が無くなって暇になってしまった次男の相手をして、竹で作った刀のおもちゃを改造してやる。先っぽの割れている部分をのこぎりで切って、断面をコンクリートに擦って角を取って、さらにビニールテープを巻いて安全確保。夕食前は二人ポケモンポンジャン。父大負け。1勝4敗。
「人生ゲーム極辛」を次男とやってるところ。私はスポーツ選手で、次男はフリーター。そしてストレス(カード)の多い私は「ハードコース」へ突入、ストレス(カード)のない次男は「ノーマルコース」へ突入したところ。ああ、人生。
「人生ゲーム極辛」終了。次男の勝ち。せっかく給料は父のほうが高かったのに、途中の「ハードコース」が尾を引いて、出遅れた。ああ、人生。
「マイム・マイム」って改めていい曲だなあと、とくにhey hey hey heyで四つ打ちで念押しているところ。あそこの響きってなんか特別だなと思ってコード調べたらふつうにV7だったんで自分の勘違いに笑ったが、なんか特別感あった。
以前「線路は続くよどこまでも」の「[G7]はるかな まち[C]まで [F]ぼくたち[E7]の」の「の」の部分だけがCメジャー・スケールからAハーモニック・マイナー・スケールになっていることを知って(しかもコード的にはAmに解決しない。この曲にはマイナーコードがない)この曲の良さを再発見したことがあった。
「缶コーヒーにヘブライ文字」ってフレーズが頭に浮かんだが、端的にさっき「マイム・マイム」の動画を見たからだと気づいたので、心がほっこりしてきた。(<-犯行の動機は「ほっこり」という語を使いたかっただけ)
自転車で例のバイパスを国道23号線超えて、吉良のホワイトウェーブのところまで行って、西尾市役所まで行って、また戻ってきた。23号線より先は道が狭くなって、マヂで「暗闇を切り裂」いてきた。矢作古川が暗くて怖い。
吉良のホワイトウェーブへと左折する交差点で一休みしたら、畑につるが生えてて、それを追ってみるとスイカだか瓜だかの細長いのがあって、よく見たらたくさん並んでる。暗闇で見るスイカというのはけっこうびっくりするものだったはずだが、そのときは気にならなかった。かすかに甘い香りがしてた。
今日は次男の学芸会。出し物は学年全体で「泣いた赤鬼」。赤鬼も青鬼も何人も居て、場面ごとに別々の人が担当するという今どきのパターン。
うちの子は三人いる青鬼の一人で、三人いるということは3つの場面(悪役になるよと赤鬼に相談、村で暴れて赤鬼に退治される、村を去り手紙を残して朗読)のどれかを担当なわけだけど、次男は最後のパートをやってた。おいおいオイシイな、それ。ともあれ、泣いた赤鬼大好き。何度見ても、ぼくの心のやらかい場所を 今でもまだしめつける。
10年前に書いた「泣いた赤鬼」と映画「Bruce Almighty」の共通点。でも10年後のいま見返してみれば、人間とはホルモンに左右され泣いたり怒ったりする動物なんだなという醒めた感慨が。人間ってちっぽけだなあ。(<-主語デカすぎ)
昨日は次男と一緒に公園でキャッチボール。次男がキャッチャーの練習をしたいというので、私は2週間後のソフトボール大会に向けてピッチャーの練習(投げたことないけど)。そして今日は筋肉痛。右の肘がなるのはわかるとして、左の腿の裏がなるのははじめて。左足のステップを活かす方法を習得中。
その後で竹で作った剣をノコギリで切る仕事の二本目。今回は取っ掛かりだけ作ってやって、あとはぜんぶ次男が切って、コンクリートの床で角をなまらせて、テープ貼って終了。「二刀流!」とか言って遊んでいる。なんだか典型的にチビッコなのが面白い。
「プレイボール」ちばおきおのワンシーンで、なんか部に問題があって揺れている状況で、合宿場で谷口くんがひたすら夜に打撃練習してて、「コーン」「コーン」って音鳴らし続けるのに部員のみんなが気づくシーン、あそこを読みたいのだけど何巻なのか記憶が無い。
走ってる方の筋肉痛はもう出なくなってる。いい調子。昨日のピッチャー練習の筋肉痛は出てる。左腿の裏がキテいるのは、ソフトボールの教本に書いてあることから判断するにフォームが悪いということのようだ。基本動作を練習することにする。夜の奈良井公園で、谷口くんみたいに。(<-なりきり中)
2016年03月23日
■ さうして、このごろ 20140930
今日食べた太刀魚の塩焼きは旨かった。ここに記して永遠の記録とする。
「トンカツ慕情」を模して言うならば「棒アイスをな、ガリガリ君リッチをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。」ってところだろうか。ハーゲンダッツではなくて。あぁ僕らの人生って空飛ぶブタくんサーカスみたいだね?
小学校高学年ぐらいのときに、近くの団地のゴミ捨て場というか古本回収しているところで化学の参考書を見つけて、それに元素の周期表が乗っていて、すべての物質がこれのどれかに対応しているという事実を知って夢中になり、軌道モデルで表を書くのにふけった時期があったことを思い出した。
時間が飛んで、こんな季節、もう少し10月に近いくらい、清里駅から合宿所に向かって夜遅い時間に真っ暗なゆるい登り坂を歩きながら、草の匂いとか遠くを走る車のライトとかそういうのを感知していたことを思い出した。
さらに時間が飛んで、M1の秋、戸田のボートの合宿場に行く手前の公衆電話から電話をかけるために小沢健二の「天気読み」を聴いて気分を盛り上げて勇気を振り絞ったことを思い出した。あれもたしか涼しくなってきた時期だったはずだ。
イヌのSNP解析の図 こういうのにものすごく惹かれるんだけど、子供のときに元素の周期表に超絶惹かれたのと同じことだと気づいた。見渡せる範囲内で、網羅的に、十分な粒度で書かれたものがどうやら私は好きということらしい。
だから、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え = 42」というのには惹かれない。粒度が低すぎるから。もっと網羅的にいかなくっちゃ。
隆介と大学生くらいのころにゴールデン街とか行って、店の人が恭しく出してくれたボジョレーヌーボーとか恐縮しながらご相伴に預かって退散して、いつかオレは社会人になったらこういうところに来て楽しめる日が来るのだろうかと自分の将来を想像したものだけど、けっきょく再び行く機会は来ていない。
東岡崎駅から岡崎高校へ向かう登り坂を車を走らせていたら、高校前の信号のところで左にグッと曲がったところで下弦の月がヌッと飛び出てきたのでギョッとしたが、そんなことは予想がついていたはずだった。でもなんだか赤黒い月で、ほんとうに、ギョッとした。
アパートの駐車場で次男と花火。風が強くてロウソクに火が付かないので、チャッカマンを買いにコンビニまでダッシュしてきた。次男と二人でどっちが保つか競争した。途中から長女も参加。線香花火をやりながらiPodで動画撮ってる。我が家の花火ストックを全部消費した。これで夏は終了。
奥さんが捕まえてきたコオロギが消灯した部屋で鳴いている。なんかすごくいい音だ。そこから鳴っているとは信じられないようなかんじ。秋なんで、コンビニまでアイス買いに行ってこよう。
空気が秋すぎて胸がキュンキュンしてくらぁ(<-江戸っ子)
「レエン・コオト」を着て、大雨の中、アスファルトの道を歩いてみたい。羽根町の交差点みたいな難所を目指して。
say -v Otoya のOtoyaさんの喋りを聞いてたら、Capsuleの「 壁についているスイッチ」を思い出した。
熊野古道行ってみたい。名古屋から新宮までは特急でもバスでも3時間以上かかるので遠いなと思っていたけど、近鉄で大和八木駅まで行けば2時間弱で、そこからバスで90分。それだったら、けいはんなに行くときに寄り道する感覚だ。
つかその前に橿原神宮とかあのへん行くべきだが、前回の機会には心の余裕がなさすぎて不可能だった。心の余裕、大切。
スコットランドの話題でハイランド、ローランドってのが出てきたので、アズテック・カメラの「ハイ・ランド、ハード・レイン」を思い起こした。ウィキペで「スコットランドのロック・バンド」なんて項目を見つけた。
グラスゴー出身多いなあ。TFC, JMC, プライマル・スクリーム、ベルセバ、モグワイ。クリエーションレーベル。グラスゴーってめんたいロックの博多みたいな存在か(<-逆)。
2016年03月22日
■ さうして、このごろ 20140831
わたしが「salt waterって詩語として好きだなあ」と書くときには「そもそも詩語なんてない」「すべての言葉が配置によって詩語となりうる」「だがあえて書く」「詩を描いたことなんてないけど」といった万感の思いを込めて書いていて、そしてそれがだれか一人にでも伝わればいいと思ってる。
でも「電気刺激によってこむら返りの頻度を下げる」とか書くときにはぜんぜん万感の思いを込めて書いてない。勝手なもんだ。
google日本語入力で「サッカード」って入力すると「サッケード」が選択肢に出てくるので素晴らしいと思う。でも「サッケード」じゃなくって「サッカード」って発音してるよって思うから「サッカード」って書くようにしている。(<-ゲシュタルト崩壊)
一方で、「サリエンシー」は発音としては「セイリエンシー」というのが正しいと思うけど、「サリエンシー・マップ」って言葉に馴染みすぎたからいまさら変えようという気がおこらない。(<-恣意的)
「線路は続くよどこまでも」ってCメジャースケールの明るい曲なんだけど「ぼくたちの」の「の」のところだけE7になっていて、Am-Dm-E7の短調になってる。あそこが好き。歌詞としては「春、金町まで」っていきなり東京ローカルな歌詞になるところも意外性があってよい(<-すっとぼけ)。
「ポーリュシカ・ポーレ」をサーフ・ロックアレンジで聴いてみたいなあと思って調べたら寺内タケシとブルージーンズを見つけたが、そういうのではなくって、Pixiesみたいに轟音でサーフ・ロックでしかもロシア民謡をカバーというニッチなものを欲していることに気づいた。
いまじんに向かう上り坂の暗い道を車で走っていたらなんかが横切ったので慌ててブレーキを掛けた。あの胴のひょろ長さはネコではなくてタヌキだと思う。タヌキさん、タヌキさん、銃を抱えてどこ行くの?タヌキさん、タヌキさん、銃を抱えてどこ行くの?(<-Hey Joeのメロディーで)
駐車場のいつもの場所に停めようと思ったら、なんか隣の車がはみ出している。むりやり車を入れることはできるけど、こんな車の停め方している奴はきっと擦りながら出てゆく可能性も高いだろう。面倒だが遠い別のところに車を停めた。結果的にそれは私の人生最善の選択だった。(<-S.ジョブズ風)
今日は「オフトゥン」という言葉を知った。「トゥ」のところが好き。こうしたまた前人未到の高みに到達してしまった。
「"what’s the deal with ~"のフレーズは、ちょっぴり不思議なものや予期せぬものを前にして「知りたいんだけれどもどう質問をすればよいのかハッキリとはわからない」ときに使います。」 これ合点がいった。
ザッパの200motelsの出だしは司会が「リンゴ・スターがザッパみたいなカッコをしているんだけど、聞いてみましょう。"what's the deal?"」となる。訳すとしたら「いったいなにごと?」もしくは「どうなっちゃったの?」みたいなかんじか。
2016年03月21日
■ さうして、このごろ 20140731
夜に豊田図書館へ本を返しに行った帰りに、三河上郷のあたりを走っていたら豊田東ジャンクションの夜景が見えて、ちょうど「青い車」を歌いながら走っていたところだったから、なんだかちょっと感動してしまった。平常心を失っているらしい。
田舎道をひとりでドライブしてそれで幸せなんて、これっていわゆるマイルドヤンキー? でもそれだけで幸せだった。
竜美小のところからローソンに行くのに、真っ直ぐな下り道へととつい折れ曲がってしまったが、いや俺はここよりもその先のくねくね道が好きなんだと思いだして、なんか人生の選択を仮託するかのようにわざわざストップして、Uターンして、そのくねくね道をエレカシ歌いながら降りて、満足だった。
この日のことは忘れることはないだろう、あの高速の風景と固く連合させたんだ。
でもじつは忘れちゃうんだ。だからわざわざ世界に向けて書き記す。
「なんか雨が激しくなってきた。きっと、梅雨を終わらせるためには、長く、強い雨を降らせないといけないんだね。(<-なんかかっこいいこと言ったふうな顔つきで) 」これ好き。(<-自画自賛)
Googleの天気予報を見たら「ちぎれ雲」って書いてあったので「おいおい、無駄にリリカルだな」と志鷹さんの口調を真似て呟いてみた。
「ポンチ絵の世界」ってタイトルを考えた。中身はまだない。
「スベスベマンジュウガニ!」とシュプレヒコールしている横で、両手の平をこすり合わせながら「すべすべすべすべ」と茶坊主的にステージ上であっち行ったりこっち行ったりする役割、あれをやりたい。「すべすべすべすべ。」
積み木を重ねてバナナを取る係、あれでもいい。
「マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! 汝等祝福されてあるべきなり、其の他はすべて分解しければ。」いま思うとなんだかすごくスチームパンクだな!
夜運転してたら、後ろから追ってくる軽自動車がヘッドランプ真っ暗なんで、信号で停まったときに自分のライトをハイビームにしたりしてアピールしたんだが、気づいてもらえなかった。更に帰りにも別の車がステルスモードで走ってた。おいおい最近こういうの流行ってんの?
んで、今日は夜に信号待ちしてたら、ジーンズ屋の壁で光がチラチラ動いているのを見つけて、いまどきお店の宣伝でもプロジェクションマッピングかと感心してたら、手前にある街灯に蛾が集まって飛び回っているのが壁に投影されているだけだった。ぎゃふん。
「白色レグホンじゃあなくって、褐色レグホン。なんか燃えるような夕陽のイメージ。」とここまで書いて、ねんのため「褐色レグホン」でぐぐってみたら実在することを知った。ショックを受けている。指先が震え、皮膚のいちばん面の部分が痺れている感じ。川原の礫石がきれいに積み上げられている。
ピアノを演奏する手にモーションブラーがかかり、あらゆる色はかき混ぜられ、つまらない灰色になった。クレヨンの落書きは全部捨ててしまおう。登り坂が終わったらそこは里山で、草履とか行李とか蝉とかが並べて売られている。
「キレッキレ」と「シュッとしてる」を日常生活の中で使ってみたいのだけど、なかなか使える場面がない。
シカゴの"25 or 6 to 4"って時間のことで、午前4時まであと25分または6分=午前3時35分または3時54分だと思っていたが、そうではなくって"25 or (2)6 to 4"、つまり午前3時34分か35分か、ってそりゃそうだよなと思いつつ、わかるかんなもんとも思った。
「愁嘆場」という言葉を知った。なんか気に入った。
"let it go"の訳をメロに合わせるために「ありの ままの」にしたってのはわかってるとして、意味に忠実に、簡潔に表現するとしたらどうなるかって考えたけど「ほっとけ、ほっとけ」ってのを考えた。ダセえw
帰り道でヘビを見かけた。マカロンが散歩していた空き地の草むらに逃げてしまって見失った。ところでヘビを見たのは良い兆しだろうか、悪い兆しだろうか? どっちでもいいか。そもそもどちらに転がるかも長い目で見ないとわからない。今はただ笑う。
ストレッチをしながら"The time is out of joint: O cursed spite, That ever I was born to set it right"とか読んでいると、なんだかそれは、カルモチンと間違えてヘノモチンみたいなおかしみがあって気に入った。
今日は次男と将棋。2戦2勝で完膚なきまでにボコっといてやった。まだ当分負けそうにはないが、そうはいってもあと数年で追い越されることだろう。それでよし。all shall be well and all manner of thing shall be well.
上機嫌で替え歌歌ってた。Deep Purpleの"Child in Time"のメロディーで「よっしっだー(おっとうちゃんー)、よっしっだー(おっとうちゃんー)」って。
あと、風の谷のナウシカのメロディーで「かぜのたにの とうちゃん よしだ よしだ まさとし」ってのもよく使う。「よしだ」を二回繰り返すところが気に入っている。
コンビニの駐車場に車を停めて、車から降りてみたら、なんだかざわざわとした風が吹いていて、遠くではパトカーが走っている音が聞こえた。もしかしていま台風がやってきて、ちょうど台風の目に入ったところなのかもしれないと、そんなわけはないのだけど、そうだったらどうだろうと、幻視してみた。
「蒲焼き」のことを「カヴァヤキ」と発音してツッコミを待つ。夢の中で。
八丁味噌の八丁(八帖)ってのは地名で、岡崎城から八丁(~800m)離れたところに味噌工場がある。外国からお客さんが来ると、岡崎城かこの味噌工場に行く。豊田の自動車博物館(長久手にある)に連れてったこともあったっけか。
日本橋八丁堀とか、広島の八丁堀とかの場合は堀の長さが八丁だから八丁堀なのであって、城との距離の問題では無いようだ。
2016年03月20日
■ さうして、このごろ 20140630
よし、どうあれ魂を曇らさないように、正しい選択を行うことに注力していけば、それは未来に生きるのではなく、今に生きることになるだろう。(<-なんか読んで気分が盛り上がっていらっしゃる様子)
安息香酸、ビルの谷間を飛ぶカラス。保育園のオルガン、ヘビとスズメバチ。雨雲とヘリコプター、様々な色文字のマグネット。全てを透徹し、浸透する法則性。段差とダンプカー、チョークの粉。森とモノレールと焚き火と海水。ブレーキを踏んだら、ハンドルにロックが掛かった。
「つかお茶碗と箸をドラムに見立てて遊ぶのやめてもらえますか?」
岡崎市民としては、長久手古戦場公園には行っておこうと思う。小牧・長久手の戦いというのは、犬山城にいた秀吉と小牧城にいた家康が対峙しているところで、家康の岡崎城に奇襲にかけに行った秀吉陣営を家康側が追いかけて長久手のあたりで衝突して、家康側が勝ったという話(ということを今知った)。
三河の人は尾張とは別だという意識が強いので、岡崎の人に「名古屋の人」とか言うといっしょくたにしないでほしいと思われる。それにはこういう歴史的経緯があるからなのだな。
じゃあ三河と尾張の境目ってどこかって知多市と豊明市の間くらいのイメージあったのだけど、桶狭間の戦いで今川義元がいた沓掛城ってのは豊明にある。まあ、ニワカなんでせいぜいこんなところで。
英語らしく発音するためには促音を入れないようにってことで、Zakは「ザック」じゃなくって「ザク」だよって話になる。こないだ誰かと話してたときにRoger Lemonのことを「ロッジャ・レモ」って発音している人がいて、なんどか聞き返してやっと聞き取れた。あれはなんでがなあったらうか。
「アンドロメダの異星人」ネタで思い出したけど、「と学会」的なやり方よりは「幻の名盤解放同盟」的なやり方のほうが好きだったな。
「ジョニー・マーの最も素晴らしいリフ 10選」ってのを見て、Electronicの2枚目の最後の曲が好きだったっけなと思って調べてみたら、見つかった。"Time Can Tell"だった。哀愁ただようネオアコポップチューン。iTunes探してみたら売ってたのでこの曲だけ買った。
石川博品作品で「俺はモリッシーふうに花束を抱えて、『あっちはジョニー・マー? こっちは僕?』ってギャグを思いつき、ひとりでニヤニヤしていた」ってくだりを見つけて、ロキノン世代かよ!と「フハッ」と鼻を鳴らしてみた。これを思い浮かべてた。
ケリューケイオン ってなんかで見たなあと記憶を辿ってみたら、「よくわかる現代魔法」だった。なんだかもう、人生で大切なことはすべてラノベから学んだ。
2016年02月24日
■ サマー オブ ラブとコムニタス
サマー オブ ラブ(1967)、セカンド サマー オブ ラブ(1988-1989)に加えて、ニコ動、初音ミクの2007年をサード サマー オブ ラブと捉える史観があるというのを知った(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』柴那典)。
でも、サードが来るのはむしろこれからだと思う。「インターサブジェクティビティー!」という幻想の同時発生がSummer of Loveの本質であり、次に来るサード サマー オブ ラブでもそのような幻想と幻滅とがなにかのテクノロジーとともに再来するだろう。
「インターサブジェクティビティー!」というのはサマー オブ ラブの元となったケン・キージーらのアシッドテストのムーブメントで使われたキーワードで、このムーブメントの興没はトム・ウルフの"Electric Kool-aid acid test"にて描写されている。詳細については以前のエントリを参照してほしい。
(ところでニコ動と初音ミクのムーブメントは、サマー オブ ラブに連なるものというよりは、イギリスのパンクムーブメントや日本のイカ天バンドブームとかの系譜ではないだろうか?)
サマーオブラブにおける「インターサブジェクティビテイー!」という感覚について調べていたら(<-そんなもん調べるな)、文化人類学者のヴィクター・ターナーによるコムニタスという概念を知った。まさにこれだ!元論文はこれ:"Liminal to Liminoid, in Play, Flow, and Ritual: An Essay in Comparative Symbology"
Spontaneous communitas is "a direct, immediate and total confrontation of human identities … It has something 'magical' about it.”
"this moment when compatible people - friends, congeners - obtain a flash of lucid mutual understanding on the existential level"
"… if only the group which is felt (in the first person) as "essentially us" could sustain its intersubjective illumination."
これだわ。自発的にほんのいっとき繋がるかんじ。昔書いたこれとかまさにそんなかんじ:「部室でジャムった日のこと。」
じっさいに、カトリックの巡礼、ヒッピーのムーブメントやレイヴカルチャーとかの場面でこのコムニタスという概念は援用されているようだ。ケン・キージーが「東方への旅」に言及したのも当然のことで、自分のやっていることを分かっていたのだ。
さらに調べてみたら、「インターネットとコムニタス」という記事も見つけて、面白いなあと思ったら風野春樹氏の記事だった。
2015年04月29日
■ MathJaxテスト
ネットを見ていたら、数式がTeX記法でしかも画像でなくてコピペできるようになっているのを見つけた。 http://blog.gepuro.net/archives/123
調べてみたら、MathJaxというそうな。さっそく試してみた。
$y'' + x^2 y' + 4y = e^x$
\begin{align*} \hat{\beta_n} = \left[\sum_{t=1}^n x_t x_t ' \right]^{-1} \left[ \sum_{t=1}^n x_t ' y_t \right] \end{align*}
ちゃんとコピペできる。上の式だとこうなる:
βn^=[∑t=1nxtx′t]−1[∑t=1nx′tyt]
htmlのヘッダはいじらないで、本文中にscriptを書いてやれば動く。だからレンタルサーバーでの運用でなくて、ふつうの無料ブログとかでも使える。こりゃあいい。
2015年01月17日
■ さうして、このごろ 20140531
金平糖がポルトガル語のコンフェイト (confeito)から来てる、って記載のあまりのそれっぽさに、ウィキペなのに民明書房刊かと思った。
しゃっくりをしたら、しまい忘れた電気ストーブの熱反射をする部分が音を反響した。なんだか新しいワビサビを発見してしまった。
「ノーベル棒」ってのを考えついた。ノーベル賞じゃないの。代わりに棒が付いてる。棒が付いているからいろいろ便利なの。背中掻いたりとか。それだけ。それより先のことは考えてない。
奥さんの友人の一歳児を預かった。私の本棚から本を取り出して「読んで?」と主張した。でもそれは「くらやみの速さはどのくらい」だったので「それは絵がないからこっちにしよ?」と言って「マンガはじめましてファインマン先生」を見せた。でもどのぺーじも「おじさん」「くるま」だった。
見かねた奥さんがどうぶつ絵本を出してきてくれたんで、それを読んであげた。「これは?」「きりん!」「これは?」「がおー!(ライオン)」「これは?」「ちーた!(トラ)」とかなりイケてた。
「奥が深い症候群」というのはプログラムなどがさまざまな歴史的要因でバッドノウハウを抱え込んでしまうものに対して、そのバッドな部分をありがたがることへの批判なのだが、脳と心がまさにそういう意味でバッドノウハウだらけで、messyなのであった。
Larry Wallの言葉で"Perl is messy because the world is messy."というのがあるらしい。(ググると元ネタは見つからないのだが。)
世界がmessyでそれに対処するためにバッドノウハウで対処するというのはまさに「脳はあり合わせの材料から生まれた」というかんじでおもしろい。そしてハッドノウハウであることと「ハックする」ことってのはやってることは同じで、あとからどう評価するかだけの違いなのだ。つまり間に合わせでうまく行ったハックをその適応範囲を超えて使い続けようとすると、それは「バッドノウハウ」になるだろう。
VSSの飛行機で読みかけだった「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読了した。よかった。プロットとしては、えっ、そこで終わるの?ってかんじで、「猫のゆりかご」や「スローターハウス5」みたいなドラマチックな展開はないのだけれども、エリオットもストーリー自身も、ハムレットのように反転して意味を固定させないところが好み。というか、意味を固定して説教くさくなっちゃうようなものを受け付けることが出来なくなってしまっているくらいの域(?)に達しているもんで。
さっそく感想漁ってみようとぐぐってみたら関連キーワードに「富士山の恵みミネラルウォーター」が出てきたので、機械学習ならではの発想(?)に感心した。
The Musicのヒット曲"The People"のサビの部分はスキャット的に歌詞にならないなにかを叫んでいるのかと思っていたが、"out all alone and out on her own"と歌っていることが判明。いつもながら、まったく聴き取れていないことにショック。
ウィリアム・ブレイクの「無心のまえぶれ」(Auguries of Innocence)を読んでいたら、slip inside the houseのメロディーでこれを歌えることに気づいた。(詩の基本的形式だからみんなそうなのだろうけど)
「なぜ一流の男の腹は出ていないのか?」とか「なぜ東大生のノートは美しいのか」とか、正しくない言明があたかも成立しているかのように「なぜ」を付けて煽る技法についてなんか名前をつけたい。「早まった一般化」「合成の誤謬」論法、よりもspecificな感じで。
長女が英語の発音の聞き取り問題を出してほしいというので、Macのterminalのsayコマンドで発音だしたった。
雨の中を家まで帰ってきたが、傘が小さくて左肩がびしょ濡れ。我々の生活の質向上に寄与するのは傘をもっといいものにすることじゃあねえのか? "We re-invented umbrella"とか言ってkick starterで資金集めるの。具体的なアイデアは無し。
帰りの名鉄は人身事故のせいで混雑してた。近くにいた男子学生が同じクラブと思しき女子に「お前そんな格好してオレのこと男だと思ってないでしょ」みたいな、付き合い始める手前っぽい甘酸っぱい会話をしていたので、読んでる論文が頭に入らなくて困った。
家に帰って、長女と一言二言話をして、寝っ転がりながら「^ぶ\た-く_ーん」と太陽にほえろ!の黄昏れたインストバージョン(オルガンかなんかが主旋律のやつ)のメロディーで歌ったりする。べつに子どもに向かって歌っているわけでもないが、かといって一人でいたら歌ったりはしないだろう。
つまりこの15年くらい私は「^ぶ\た-く_ーん」とか歌いつづけてきたんだ。子どもたちが大きくなって、家を出て行ってしまったなら、いったい私はどうするというのだろう?
2015年01月10日
■ VSS2014訪問記
20140514: 明日は飛行機で12時間なので、QC15のイヤーパッドがほつれているのを治すために針仕事。
ギリギリのタイミングでVSSのiOSアプリが更新された。前のバージョンは要旨が途中でぶつ切りされていたけど、これが解決した。機上で読む。
いま空港でこれから出発。眠いが、離陸時に寝ると2時間ぐらいで目が覚める。航空機で爆睡できたらいいのだけれど。
共同研究ミーティング用の資料はできあがった。空港バスでラップトップいじるとか余裕なさ過ぎ。
ぼっち、車無し、観光地、ということで生きていけるかどうか心配になってgoogle mapでストリートビューを見てみた。セブンイレブンとハワードジョンソンがあるのを見つけたので、とりあえずサバイブできそう。
デトロイト着いた!いつもながら入管とか、安全検査とかがひどい。手荷物をベルトコンベアで送る部分と身体検査をするところとが離れていて、ベルトコンベアの荷物が溜まったまま放置されてるところに自分のラップトップがあるのを遠目に見たりとか。
いつも通り、離陸後の1時間くらい寝て、あとは完徹。でもドラフトコメント書きとVSSプログラムのチェックが出来た。Tampa行きの中で爆睡する予定。
Tampa行きの航空機で爆睡していたら、着陸態勢で気圧が上がるときにうまく耳抜きが出来なくて左耳、歯、頭まで全部痛くなった。もともと意識してあくびとかして直さないとこうなるのだけど、こんなにきついのははじめて。つまり、着陸時に赤ちゃんが泣くのと同じ理由なのだが、これがあるために、ダイビングでも耳抜きが出来なくてしんどかった。どっかに針で穴でもあけてやりたい。
ホテル到着した!メインのではなくてGuy Harveyの方。なんか部屋の空きの都合で、スイートルームにアップグレードしてもらった。なんかこれ新婚用なのですけど。レンジ、コンロ、鍋、冷蔵庫が揃っているので、なんか作るか。
いつものパターンからすると、このまま寝ると午前3時に目覚めるだろう。エアポートシャトルで来る途中でWalgreensとか店がいろいろあるところを見つけたので、そこに行ってこようと思う。
Walgreensまで行かずにもっと手前にCVS pharmacyとPublixっていうスーパーがあった。Publixでほかの日本からの方に出くわした。どうやらここは定番だったらしい。せっかくアメリカでスーパー行くなら肉だな!ということでrib back買ってきた。明日焼く。
あと、おなじみのカナダの先生にも会った。明日のシンポジウムでまた話そう!と快活に分かれていった。
CRSのサテライト8:00-12:00に参加中。色の話とディスプレーの話のどちらかを選ぶように書いてあったからこのトピックで4時間ってすごいな!と思って参加してみたのだが、行ってみたら一つの部屋でそれぞれ質問込みで2時間だったのでぜんぜん浅かった。
「ここでは技術的詳細には立ち入りませんが」を連発された。DKLについても俺のブログ記事のほうがよっぽど詳しい。ただ良かったのは、DKLはbackgroundの値によって決まる相対的な値であることを強調していたこと。
でも、質問で個人差に合わせてどうcalibrationしてゆくかの問題が出たらまた「ここでは技術的詳細には立ち入りませんが」だった。L,M,S Coneの比率は個人差がものすごくあるのだから、そこをやらないと意味が無いじゃん。以前この論文のfig.4を見て、あまりの個人差に驚いた覚えがある。
いまはディスプレーの話をしてる。いまはどのくらいCRTの輝度が安定するか、スイッチオンしてから3時間までの輝度変化の図を出してる。理屈的には知ってたが(「り りろんはしってる」)、データを見たのは初めてだった。
つぎはspatial uniformityの問題。これはたしかCRTよりもLCDのほうが問題なはず。将来的には、広い画面での視覚刺激を考えているのだけど、その意味ではプロジェクターとかのほうがよいのかもしれない。PROPixxとか。
「将来のために買ってキープしてあるモニターがphospherのdecayが遅くなっているようなんだけど、使わなくても劣化するものなの?」って質問には劣化しますって答えてた。CRSは三菱の新品CRT未使用品をキープしてて売ってるんだけど、やっぱ完全に新品とおなじではないようだ。
LCDでの時間応答特性を上げるために使われる"overdrive technology"について。これがあるのでスペック値はものすごく速く見えるが、微妙な輝度が表現できているわけではない。だから0->255とかの時間ではなくて、gray-to-grayの時間が重要なのだが、そのへんまで話をするかどうか見ているところ。
そこには行かずにOLED displayの話に移行した。このへんはキャッチアップしてないので知りたかった。いまになってOLEDとOELDとを混同していることに気がついた。ググりながら調べているところ。OLEDのほうがCRTとかと比べてCRT空間の緑側の部分をより広いところまで表示することができる。
JOVに出た、OLEDを視覚研究に使うことについての論文ふたつ
- Evaluation of an organic light-emitting diode display for precise visual stimulation
- Assessment of OLED displays for vision research
.@kohske OLEDはOLEDでいまのところ60Hzまでしかだせないし、なんか長持ちしない(short life expectancy)みたいなことを話してました。
活発に質問している奴の顔がなんか見たことあるなあと思ったら、PsychoPyのJonathan Peirceだった。PsychoPyのデモでグルグル回る顔はこの人だ。
ブライアンのトーク終了。質問者が私とアリ(Ali Borji)って関係者ばかりだった(もうひとりは不明。シニアな人だったけど)。
竹村さんのトークの前に、ホテルに戻って遅い昼食。 これで昼は5ドル以下をキープしていけそう。
長い一日だった。アリ(Ali Borji)と会って話が出来たのが収穫だった。私がUSCに滞在していたときにちょうどポスドクとしてIttiラボに入ってきたのがアリで、トップダウン注意をどうモデル化するかみたいな話を延々したものだった。
ジアドにも会えたし、今日最小限しておくべきことはぜんぶ済んだ。スーパー行ってみたらまた日本の先生に会って、帰ってきたら22時過ぎてて、今から走ると遅くなってしまうので今日の朝に走ろうと思う。(<-今日は走らない作文完了)。
朝ジョギング 6.16km in 45min@St. Pete。平均ペース7'19"/km。浜辺をジョギング。波打ち際のちょい手前を走ると足場がしっかりしているので気持ちよく走れる。ROVO聴きながら水平線見ながらで宇宙感覚で走った。老夫婦がウォーキングしているのと何度かすれ違った。なるほどフロリダだなと思った。
昼はRib back焼いて食った。 二つで4ドルで大満足。ステーキ屋行く必要ないや。ただ、ホテルに備え付けのにくき利用のぎざぎざの付いたナイフが壊滅的に切れなくて、しかたなく骨にかぶりついた。
ジョギングして、トーク聞いて、肉食って、もはや一日が終わりそうな勢いだが、今日の本番はこれから。午後にふたつサッカード関連のセッションがある。
コーヒー飲んだら元気が出てきた。そうか、コーヒーが足りなかったんだ!
共同研究者とのディカッション終了!かなり進展あった。これで安心して海に入れる。海パンは持ってきた。
朝ジョギング 8.51km in 60min。平均ペース7'04"/km。だんだん調子出てきた。もうすこしでまた7分/kmを切れそう。はじめはゆっくり、ほとんどウォーキングで、15分くらい経過したらだんだん上げてゆくということで正解だったらしい。もうすこし(あと1kmちょっと)でビーチの南端まで辿り着けそうなので、帰国する前に10km走に挑んでみようと思う。
肉焼いて食った。これで6ドル。大変満足。VSS来てからまだ一回も外食してない(初日のレセプションを除けば)。ここまできたら自炊で全部済ますのを目指すか。
焼き加減としては肉汁が出だしたくらいがちょうどいいのだろうけど、そうすると中のほうが真っ赤だ。お店で食べるならミディアムレアくらいで頼むけど、自分で焼いたもんで赤いの食うのは怖いので火が通るまで焼いたら硬くなってしまった。難しい。
VSSのデモナイトが大混雑だったので早々に退出して、浜辺で陽が落ちるところをビデオに撮ってた。
帰りのシャトルを予約した。帰るんだなあって実感が湧いてきた。あと42時間で出発だ。
「ステーキの焼き方」をぐぐってみたところ「あらかじめ冷蔵庫から出して室温に戻しておかないと中まで火が通らなくて赤いままになってしまう」というミスを犯していたことが判明。つか初歩中の初歩だった。今日は冷蔵庫から出して再チャレンジ。
強火で30秒、弱火で2分、裏返して強火で30秒、弱火で2分のトータル5分でいいかんじにできた。
6ドルで大満足。ただ、コンロの真上にある火災報知器が鳴って困った。じき止まったが。そしてホテルの人はだれも来なかった。
朝ジョギング10.03km in 70min。平均ペース7'00"/km。予定通り10km走してきた。南端まではもうちょっとだったが、5kmに到達したところで折り返してきた。70min切りたいところだったが、それには届かなかった。でもだんだん調子が戻ってきてる。
VSS終了。どんどんホテルから客が出てゆくのを見ていると、いつもながら不思議と悲しい気持ちになる。おみやげは全部買った。シャトルの確保もした。帰国する前にメール色々書いて、帰ったらいろいろやらなければならないことに手を付けて、さっさと頭を切り替えていくことにしよう。
VSSの発表についてもまとめておきたかったが、どれもhighly relevantすぎてちょっと書きにくい。ともあれいろいろ収穫があってよかった。NCMとVSSどちらに行くべきか逡巡していたのだが、VSSに来ておいてよかった。
サランラップと塩コショウとオリーブオイルが余った。置いてゆく。サランラップはすごく重宝した。作り置きして半分ラップして冷蔵庫というオペレーションが可能になった。本当は牛脂とかが欲しかったのだがなかったのでオリーブオイルで。でもベーコンで間に合うということを学んだ。
起きた。もうすぐ出発。
タンパ空港には2時間前に到着したけどガラ空きですぐにチェックインできた。チェックインでハマるのを恐れていつも早めに行くようにしているけど、考えてみればここ最近困ったことはないな。1996年のLAXで螺旋階段みたいなところで2時間並んだ記憶がある。たぶんあれを引きずっている。
長男へのお土産のチョイスに気の利いたものが見つからなくて毎度難儀するのだが、今回はESPN(スポーツ専門チャンネル)の雑誌の表紙が田中将大だったので、これにした。
中部国際空港到着した!たぶん眠れないだろうと思って、飛行機の中では2週間後のJCのスライド作ってた。ほぼ完成。でもまだ駒場講義もあるし、前倒しでやっておかないと時間が取れない。機内では4時間くらいは眠れただろうか。いまのところけっこう元気。
2014年12月17日
■ eye tribeで試行錯誤中(2014年4月版)
なかなかeye tribeのMac用APIがリリースされないので、パラレルズ上のWindows 8.1から動かしてみた。仮想OSからUSB3を認識して動作した。ハードウェアはけっこう熱くなるので、ラップトップの上に置くには気になる。画面キャプチャー動画も上げておいた。
マウス・カーサー・コントロールもちゃんと効いた。Tobii X2-60も使っているけど、そちらと比べると頭の動きの許容範囲は半分くらいだろうか。
あとはアイトラッキングのデータをprocessingから読めるかどうかなのだが、残念ながらまだだれもそういうライブラリーは作ってないみたい。Leap Motionとかだとすでにあるのだけれど。
SDKのドキュメントを読んでみたら「TCP Socketsを開けることができて、JSONをパースすることができるプログラム言語だったら、理論的には接続可能」と書いてある。つまりprocessing.netとJSONObjectを使えばよいのだな。
The Eye TribeでのアイトラッキングデータをJSONで出力したものをProcessingで描画してみた。
あとはこれをリアルタイムでdataIn = myClient.read(); とかやればよい。
2014年12月11日
■ さうして、このごろ 20140430
いぬのおまわりさんが「困ってしまってわんわんわわーん、わんわんわわーん」ってもう少しなんとかしろよ、使えないにも程があるだろこいつ、とか思った。
走りながらセバドーの「磁石のコイル」を聴いていたら、"soon our little brain is gonna boil"って歌詞が出てきたので、これって「頭がフットーしそうだよおっっ」じゃんとか思ってフイた。
ジョギングからの帰り道、ローソンの向こうにギリギリの三日月が見えて、月の暗い部分が薄暗く見えて、光っている部分が本当に端っこだけで、まるで月食が始まる直前で時が止まったかのようだった。
ことわざを日本式に直しておいた;「米のとぎ汁を捨てるときに米粒まで流すな」…つか本当にある気がしてきた。
「チャーリー・ブラウン・イズ・デッド」っていう痺れるタイトルを思いついたが、どう見ても「ジェイムス・ブラウン・イズ・デッド」のパクリだった。
今日は新年会兼送別会。なんというか、自分の身に引き寄せて考えてみた。どの道だって、「幸せ」になれるかどうかはわからないけれども、その道を「正しく」歩くことはできるんではないだろうか、事実かどうかというより祈りのような気持ちだった。
シロツメクサで花冠を作るんだ。たくさん作って、無造作に並べて、雲も風もなくて、空は平坦に絵の具で塗られていて、遠近感は失われて、それでも生命の感覚は残り、灰色は世界から追放されてゆくんだ。熱と鼓動が中から外から、いくらでも押し寄せてくるんだ。
ポプラ通りを統合バイオセンターに向かって車を走らせていると、T字路の手前で「この先通り抜け出来ません」の看板があるのだが、後半が生け垣に隠れているために「この先通り抜け出来」という東スポ技法がなされているのがすごく気になる。
「溯源」とかそんな言葉しらネーヨ!とか思って調べてたら知恵袋の記事を見つけて興味を惹いた。「逆上る/遡る」「爪突く/躓く」「紐解く/繙く」「色取る/彩る」「散り嵌める/鏤める」「片寄る/偏る」「型取る/象る」なんか、カッケー! 後者は中二病感あるぞ。
研究所のエレベーターホールにポスター掲示用のパネルが設置されて、マグネット類が貼り付けられているのだけれども、誰かは知らないがそのマグネットを使ってさまざまな絵が描かれている。しかも日替わり。各フロアで違った作品が掲示されていて、私は密かに「せいりけんギャラリー」と命名した。
「ドグマ」って言葉の語感の力強さはなかなかに素晴らしいと思う。今気づいたけど、もしかしてsulpirideの商品名の「ドグマチール」って「ドグマ」+「散る」ってことか?
Precuneus (プレクネウス)には、ヘラクレス的な、ロゴセティス的な、ギリシア感を強く感じる。(<-ドヤ顔)
2014年11月28日
■ さうして、このごろ 20140316
なるほど、「勝利の方程式」という言葉をよくよくみると、方程式解いてないじゃんって思う。逐語的に考えるならば、複数の拘束条件から(ナッシュ均衡的な)最適解を得るみたいなイメージが湧く。
しかし(たとえば)名監督の名采配ということであれば、毎回違う状況から流れに合わせて最適な手を打つことが必要になる。それならば「勝利の微分方程式」でどうだろう? もしくは、いつもの必勝パターンに持ち込むということだから、アトラクターに落とし込むということであって(<-かぶれすぎ)
無謬性なんかどうでもいいだろ。敗北主義で良いじゃんか。ぼやぼやと歩いて信号赤で警笛鳴らされたりしながら、泥と雪と魚の臭いと、騒音の向こうから聞こえる鐘の音と、そういうものでできたトンネルの中を、ポケットに手を突っ込んでかすかな熱を探りながら、正しくない選択をとり続けるんだ。
暗い寝室に戻って、黄色い防寒着を探してみたら、暗い部屋の中でその黄色は暗い灰色のようになっていて、なるほど黄色は白に近いから暗ければ灰色だななどと理屈に合わないことを考えた。そんな考えが、切れ味の悪い刃物のように、滑った鋼の棒のように、私の腹の中へと差し込まれるのを想像した。
オカザえもんが生理研に来訪。一挙に非日常モードへ。私は見逃したが。もしオカザえもんに質問できる日が来たら、Stereolabのジャケとかこの辺りのデザインからの影響の有無について聞いてみたい。
影響あるかもでござる“@pooneil: オカザえもんが生理研に来訪。一挙に非日常モードへ。私は見逃したが。もしオカザえもんに質問できる日が来たら、Stereolabのジャケとかこの辺りのデザインからの影響の有無について聞いてみたい。http://t.co/BBg7c7FZ6Q”
— オカザえもん【公式アカウント】 (@okazakiemon) 2014, 2月 19
@pooneil アルバム「トマトケチャップ皇帝」を愛聴してるでござる!ステレオラブ!
— オカザえもん【公式アカウント】 (@okazakiemon) 2014, 2月 19
.@okazakiemon 「トマトケチャップ皇帝」いいですよね!
「虐殺器官」の4章を読んでたら、CEEP(Child Enemy Encount Possibility)という造語が出てきた。戦場で武器を持つ子どもたちというモチーフが、最近読んでた「虐殺器官」「スローターハウス5」「カタルーニャ賛歌」ついでに「カラマーゾフ」も入れてもいいかもしれないけど、なんだか連続して出てきたので、なんだか驚いた。
平行してkindleで再読していた「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」でも、語り手のなぎさは「実弾」を手に入れるために中卒で自衛隊に入ろうとする。いろいろあって結果としてそれは断念されることになるのだけれども、もしかしたらそこにも「子ども十字軍」のイメージはあったのかもしれない。
空へと続く階段? 「ブーツストラップ」? カモメとビスケット? なにもかもが明白すぎて、でもなにもかもおろそかにすることはできなかった。それでも疑問が浮かんでしまう。ぶら下がっている紐? 紙飛行機? 懐中電灯とスコップとセメントの袋? ぜんぶ引き寄せてフレームの中に押し込んだ。
世界が回る、地球が回る。血が巡り、水が回る。なんという偶然だろう? ほんとうに、水が回り、血が巡った。歌は終わり、火は止められた。ほんとうに、水が回り、血が巡った。
2014年10月08日
■ tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろやってみた(2)
前回の続き。以前考えたように、tonnetzをちょっといじるとダイアトニックコードは図のように並べることが出来る。
つまり、赤の部分を繋ぐとメビウスの輪になる。じゃあっていうんで、ほんとうにメビウスの輪の上に乗っけてみた。
2周(4pi)を7等分してやるとたしかにそれぞれの音が置くことができるのだけれども、点の間の距離がばらばらになってしまう。
正三角形の形は崩さずにメビウスの輪のように繋げないのだろうか。折り紙で自作していたのだけれども、どうにもうまくいかない。ふと家にジオマグがあることに気がついた。やってみた。
するとどうやっても繋がらないことが判明。右端のD音と左上のD音が繋がれば完成なのだが、どうやってもうまくいかない。そもそもうまくいく保証はなかったのだけれど。
ここまできたら無理矢理繋げばいいんではないかと思い立った。B-Fだけ音幅が違うので、そこだけ長い。
なんか対称性が出てきて良くなったんではないだろうか。でもそこまで考えるんだったら、そもそもC-E-Gを半音の数で3-4-5の直角三角形と捉えた方がいいかもと思った。
隣接している三角形で出来ている菱形はmaj7コードを構成する(e.g., C-E-G-B)のだけど、閉じられていない菱形が気になる。E-A-B-DとかC-D-F-Gとか。でもいいかげん飽きた。
でもってそのまま次男とジオマグで遊んだり、ジェンガで遊んだりというそういう一日となった。長女とiPod Touch買いに行って設定してやったりとか。
2014年10月02日
■ tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろやってみた(1)
以前tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろ考えてブログに書いたことがあるんだけど、ふと思い立って、三和音を三次元の一点で表現するようにして24個の和音を並べたらなんか構造でも見えてくるのだろうかと思って図を作ってみた。
24和音を低い方から並べて、たとえばCmajorだったらc,e,g音をc=0を基準に半音の数を数えるとc=0,e=4,g=7となるので、3次元空間の(0,4,7)にplotする。この調子でぜんぶplotするとx軸は0-4, y軸は3-8, z軸は7-11に全てのコードが並ぶ。
んで眺めてみたけれども、たとえば高さ9のところにはa音を含むコードが集まるので、xy平面上でD-Dm-A-Am-F-F#mという六角形が見える。縦方向に見てやると、Dmの縦線(黄色)の流れが上に進むとマゼンダの縦線の流れに繋がる。こっこにはなんか構造が見える。色で言うとmajのg-c-rとminのm-b-yの二つの系列。
とはいえ、c音から積み上げていくというところが無意味なので、もっと幅広くplotしてみたらなんか違ったものが見えただろうか?
けっきょくcircularであることを無視するとよくないので、Cmajorだったら輪っかでc-e-gに印をつけて、あとはおなじように24個作って、二音共有しているコード、一音共有しているコードって感じで近接度からグラフ構造を作る。そうすると…ってそれがtonnetsじゃん。ギャフン。
今度の10月の一般公開の出しものについて考えていたのだけれど、せっかくアイトラッカーがあるのだからそれを活用したい。とりあえずはサッカードの反応時間を測ってランキングをつければ小中学生はめちゃ頑張るはず。これまでも伊佐研では「マッスルセンサー」(簡易筋電計測装置)を活用してたし。
それはそれとして、もうすこしなんかインタラクティブなことしたい。今考えているのは、アイトラッカーから視点計測して、視線の位置を使ってsupercolliderでなんか音を出させる。tonnetz上での視線の位置によって出る音を決める。
位置によって出る和音がカテゴリカルに変わるだけだとつまんないので、Chordataで見た図みたいに、使う音に重みをかけてやる。たとえばc-g-eの三角形のど真ん中だとCメジャーコードだけど、c-g-eとc-a-eの三角形の間だとAm7になる。
画面描画はprocessingにやらせる。そうするとeye tribeからマウス代わりの入力を取って、それをprocessingで描画して、oscで通信してスパコラで音鳴らす。手間はかかるがプログラミングを覚えれば可能だろう。
じゃあc-e-gとc-ds-gの間だとどうなるのだろう?CメジャーとCマイナーがなると不協和音なのでそれを避けるとしたら、tonnetzを斜めに切り取ってCメジャーダイアトニックコードだけにしたバージョン、つまりこれのfig2cか。
C-Amの中間系だけでは面白くなくって、C-Fの中間系(=Cmaj7)とかAm-Dmの中間系(=Dm9)とかも作れると面白い。ではそのときはどのようにこの三角形を貼りあわせたらよいのだろう?3次元にすればいいのか。
だからそっち方面から詰めてゆくと、アイトラッカーよりはKinectかLeapMotion使ったほうがよいということになってしまう。じゃあアイトラッキングだったらなにが効果的な出力かという方向から考えたほうがよさそうだ。使える情報は位置だけではなくてサッカードの向き、速度もある。
課題の最初の画面の中心では7音全部が鳴ってるんだけれど、音のフィードバックだけを頼りにして探索していくといい和音のところが出てくる。これをウォーリーを探せ課題をやっているときに重ねてやって、音で強化して視覚探索をコントロールしてやる。(<-もはや一般公開と関係ないし)
サッカードの特徴から考える。じっと留まるのではなくて、アチラコチラに動くのがサッカード。そしていつ目が動いているかはほとんど意識しない。動いている瞬間はサッカード抑制で視覚が使われない。だからサッカードのタイミングで画像を変えるとchange blindnessが誘導できる。
そういうわけで、Processing + SuperColliderでTonnetz上の平面をクリックしたら音が鳴る、というのをじっさいに作ってみた。
ここまでならSCなくてもできるが、もうちょっと音を工夫してみようと思う。
あとはEye TribeがMacに対応するのを待って、アイトラッカーからの入力で音を出せるようにする。今日はここまで。
2014年09月26日
■ さうして、このごろ 20140216
今日は次男と一緒に将棋して、それから次男と一緒に凧あげした。すごく寒い、風の強い日で、凧はよく上がったが、風に持ってかれて凧はぶっ壊れた。長男が小さい頃からずっと使ってきたポケモン凧。来年になっても次男は凧揚げなんてしたがるだろうか?新しい凧を買うべきだろうか?そういう一日。
アパマンショップの歌を舞の海が歌うCMで、「アッパマン ショップでえ?」みたいにイントネーションが上がる部分、あそこが好き。とここまで書いてからぐぐってみたら自分のブログが出てきたので、どんだけアパマンショップの歌が好きよ俺と思った。
「思ってた? 恐れてた? だけど あれ? なんか 違うかも」ってくだりを聴くと「ガッデームって俺って何も言ってねーっ」をなぜか思い出す。
ひとつも 含みを持たないように 腕時計はずすように 道端に紙を敷いた / それから 腕まくりの洗面器 氷水とキュウリ 振り向くとなにか消えた / だれもが 角のとれた電池 花粉症の薬 ハサミムシ逃げ出した
無責任な野次飛ばしてみたり、ポリカーボネートの棒磨いてみたり、途切れそうな会話をむりやり繋いでみたり、毛布の毛玉を全部もぎ取ってみたり、私は宇宙の法則を探るために、あらゆる方法で世界に働きかけた。鶏をかたどった錆びた風車が軋み、コーヒーカップが電子レンジの中で泡を溢れさせた。
「行くも地獄、引くも地獄、だったら俺は引くぜ」…って引くな。
crossingって語は、鉄道用語だと交差する部分であってけっして乗り換えができない。だからこの語は、いっとき交差するのだけれども、それはけっして互いに影響を与えないような偶然の邂逅である、みたいな醒めた視点を含意している。もちろんこれは深読みです。深読み大好き。
「いいからそこの学食の端っこの方で石鹸でもかじってろよ」#今日の罵詈雑言
恐竜なんて、滅びればいいのに。#すでに起きている事象をまるで自分の願望が成し遂げたことのように言うためのレトリック
寒すぎて足首攣った。ベンチに座って伸ばして凌ぐ。(<-ライム?)
ひと仕事終了した! 札幌駅のホームに降り立って「のんのんびより」のOPを爆音で聴きながらホームの時計を見上げたら、「どうあれ俺は俺であり、変わりようがない」という当たり前なのにずいぶん大げさな啓示がやってきて、なんだかそれはカラマーゾフのミーチャの改心の瞬間のようだった。
「どうあれ俺は俺であり、変わりようがない」と昨日は思ったが「時が来たなら終わるもいいさ / それが俺の最後の運命だったら」とも思った。
節分。今日は俺が鬼の役だったので「不動の心、不動会」とか言いながら居間の片隅でポーズを取ってみたら、子どもたちが「無言で」落花生を「勢いつけて」俺に投げつけるというわけのわからないことに。途中で奥さんが指摘して「鬼は外、福は内」がコールされるようになったので節分らしくなった。そんな日。
「夜は短し歩けよ乙女」をkindleで再読してた。前回読んでたのは2008年4月。思えば遠くへ来たもんだ、と言いたいところだがそうでもない。あのときは「太陽の塔」を読む前だったのでうまく出来たエンターテイメントとして読んだのだけど、「太陽の塔」を読んだあとでこれを再読すると、なんだかすべてが悲しい願望から再構築されたもののように読めて、それはそれですごく良かった。
人間ならだれだって、夜中に「ハンター!!!」と叫んで家族を全員起こしてみたいものだろうと思うのだが、わざわざそのようなことをけっしてすることはない。この、「わざわざそのようなことをけっしてすることはない」という感覚って催眠的だよなあと思う。
術者の言うことに反抗することもできるけどでもわざわざ抗しようという気も起こらずに従ってしまう。われわれはつねに、社会やらなんやらに条件づけられて行動していることに後付けで理由をつけて、催眠的に生きてるんだな。(<-凡庸の極み)
2014年08月06日
■ さうして、このごろ 20131231
「さむわんすぺっしょ(すぺっしょ)」(<-長女が隣でクリスマス用CD聴きだした)
「テコ入れ」ってファニーで、なんか好きな詩語の一つだけど、「シワ寄せ」ってのもかなりイケてるんではないかと思ってる。
次男が食パンを自分で切ると言うので、「出来るの?」って聞いたら出来るって言う。「じゃあ、やったことあるの?」って聞いたらあるって言う。じゃあって見てるところでやってもらったら上手に出来てた。我ながら「悪しき前例主義」に陥っているな、とか思った。
大学院生の方が来て、インタビューというかアンケートというかそういうのに答えて、生まれ変わったら高等遊民になりたいとか、一番行きたいところは心のなかでもなければ宇宙でもなく、士林市場でマンゴーかき氷食べたいとか、バカ丸出しの発言してきた。
お薦めの本は?という質問事項があって、とくにひねりもなく「スローターハウス5」と答えておいたが、「くものすおやぶん とりものちょう」と答えた方が正しかったのではないかという気がしてきた。なにをもって「正しい」とするかはまったくわからないが。
(2014/5) インタビュー企画公開されました:生理研には総合研究大学院大学というのが併設されていて、私もそちらの教員を兼任しているのだけど、その総合研究大学院大学の企画として「研究者時計」(元ネタは「美人時計」)というのをやってる。(主に)オッサンがにっこり笑って時間をお知らせする。「研究者時計」の私のページ。
MêléeのBuilt to Last、古風な曲だが大好きで今でもよく歌うのだけれども、歌詞がド直球のラブソングで、なんかイッケメ〜ンが女子口説いているシーンがイメージされて、俄然萎えた。だって「あの花火とろうそくの灯火の夜」っすよ。それでも大好き。(<-どっちだYO!)
家の中からドリアン臭、家の中からドリアン臭、きっとだれかがふざけて、ドリアンチップスを水に浸したまま放置しているだけなんだろ (<-「氷の世界」のメロディーで)
ずっと昔にテレビで見た映画で、防波堤の先?途中?にある公衆電話から誰かが電話をかけるシーンがあって、なんかそのありえなさ、異様さがトラウマ的に記憶に残っていたのだけれども、調べてみたら寺山修司監督、清水健太郎主演の「ボクサー」だったらしい。
この記事の最後のあたりに"politically correct"の語源というか元の意味が書いてあって、恥ずかしながら全く知らなかった。「もともとは左翼の人々が…自分たちのドグマ的態度を自嘲するために使っていた言葉」つかwikipediaにも書いてあるな。"Political correctness"
我が家の大掃除で行き場所がなくなった地球儀が、なぜか私の衣装ケース兼本棚兼DTM関連の棚のうえに鎮座することになった。地球儀って、いいよね。(<-FMラジオのDJっぽく)
ラボからの帰りの車で上機嫌で、「オナラ ブッブッブー ブッブッブブー ブッブッブー ブッブー」とスモーク・オン・ザ・ウォーターのリフで歌っていた。そのバックでは、ロバート・ワイアットっぽい手数の多いドラムを叩きながら。
図書館で「おかざえもん展」のチラシを見つけたが、開催は今日までだった。じゃあ行きたかったのかと言われれば、とくに行きたかったわけでもないと答えざるをえないのが多いに不本意だ。(<-ガストロンジャー)
今年のクリスマスイブは、家族でケーキを回し食べして、クリスマスソング歌おうということになって、なぜか「赤鼻のトナカイ」をみんなで歌うことに。そこは「きよしこの夜」ではないだろうか。ともあれ、冬空の明治通りを自転車こいだ年やヒピ男君と語った年と比べれば総じて良かったと言える。
人生の何処かのタイミングで「止まった時計でも一日に二回は正しい時刻を刻むんだぜ」というフレーズを使ってみたいと考えているのだが、どこで使えばいいかはよくわからない。
「クレヨンのロザリオをきつく握った手に」ってところは好き。
2014年05月05日
■ さうして、このごろ 20131131
起きたが眠い。昨晩は近くで酔っぱらいの若者がなんかによじ登ったかなんかで警察に「危ないから降りなさい」とかマイクで注意されてた。サンセットブルヴァードかっていう。
長女が「薔薇がいっぱい入った風呂に入りたい」とか言ってたので「セレブか!」と突っ込んでおいた。
「よし!ロペス!」野球見てる次男の反応と@ichipoohmtさんのツイートがシンクロしてる。
子供の頃は私は父親のことを「とーちゃん」と呼んでいた。大人になったどっかのタイミングで「おやじ」と呼ぶようにクラスチェンジするというのが正しいあり方だったと思うのだけれども、大学院生活、ポスドク生活が続いてタイミングを逸してしまった。一方で弟は大学に入ったあたりで「おやじ」と呼ぶようになった。
ともあれ自分の方はタイミングを逸していたのだけれども、私の子どもが生まれ、彼らが父親のことを「じーちゃん」と呼ぶようになってからは自然と私も父親のことを「じーちゃん」と呼ぶようになった。たとえ孫がいなくても。
私にとっての父親は、子どもたちにとってのじーちゃんなんだなとなんか合点がいった感じがした。そんなわけでなんだか変な方法で、この問題は解決した。
朝から機構のソフトボール大会だった。結果は準優勝。とはいっても全部で6チームだが。以前は16チームくらいあったものだが。
ともあれ、私は2試合分くらい出場して、4打数3安打。レフト越え三塁打、レフト越え二塁打、三塁強襲ヒット。スイートスポットはひとつしかないが当たればよく飛ぶ。
そんなわけで個人成績としてはこれまで最高ではなかろうか。満足した。
打ち上げには不参加。そのあと長女をミュージカル教室に迎えに行って、長女を新体操に送って、渋滞に超ハマって、長女を迎えに行って、長男を図書館に迎えに行って、車のガソリン入れて、次男を野外教室からのバスの迎えに行って、それでやっと帰ってきた。長い一日だった。まだ終わってないけど。
次男を空手に迎えに行って、上機嫌で「家に帰ったら何が起こっているかな? カニが千匹生まれてるかな? カニが百匹生まれてるかな? カニが千匹? カニが百匹? カニが千匹? カニが百匹?」と歌っていたらいつの間にかメロディーがユニコーンの「大迷惑」になっていたという驚きを伝えたくて。
僕らは砂であり、山であるけれども、砂山ではない。僕らはロバであり、藁であるけれども、その境界に背骨はない。僕らの上空には今にも零れ落ちそうな蜜があり、森であるけれども、木箱には仕掛けもなく、運転手もいない。地層が割れて現れた眼が、全てを一つの光景にまとめ、丸呑みする。
今日はラボからの帰りの車の中で歌い出してみたら、それは「およげたいやきくん」だった。これあらためていい曲だな。こう、横ノリでシンプルなリズム隊をイメージしつつ、ちょっと裏に食い気味な感じでソウルフルに歌うの。あと、子門真人の声が太いから気づかなかったけど、けっこう音が高い。
しばらくカラオケ行ってないので行こうと思う。ひとりカラオケ、以前はよく行ってた。上地(うえぢ)のシダックス。ラボでのひとりすき焼きも済ませたし、三八でひとり焼き肉は当たり前だし、サンディエゴではひとり動物園も済ませた。残るはひとりディズニーランドくらいではないだろうか。
ウインドブレーカーのポケットに豆腐入れたままロッカーに放置してしまった! (<-ブルースマンの歌う素朴な歌詞風)
ふと気づいたが、明日(2013年11月29日)でブログ書き出してから10年目だ。niftyでやってたホームページから、はてなダイアリーへと移ったのが2003年11月29日だった。10周年だからと特になにかするつもりもないが、とにかく思い出せてよかった。
はじめて書いたエントリがこれ:「Eight miles highのイントロではベースの音でドラムがビリついているのが聞こえる。それだけ。」なんか今書いてるツイートと変わってネーわ!
2014年04月06日
■ Python関連で試行錯誤 (2013年11月バージョン)
Mac上で動かしているPsychoPyがスタンダローンバージョンだといろいろプラグインを使うときに不便。(TobiiやらEyeLinkやらNIのUSBやら。)そこでこの機会にEnthought canopy入れてpython環境整えてみる。
もともとはMacPortかHomebrewで環境を構築しようと思っていたけど、プラグインとかで、もともと入っているPythonとの関係がなんだか不安だ。Enthought canopy入れればscipyとか各種全部入るようだし、もう少し調べてみる。
ちなみにすでにScipy Superpackを入れてあるので、Macに入っているPythonでscipyとかを使うことはできる。PsychoPyではEnthoughtを使うのを推奨してる。
そういえばScipy Superpackを入れてあったのだ、と思い出したのでiPython動くかどうか調べてみたら、動かなくなっている。そういえばMavericksにしてからいじってなかった。Superpackのアップデートをしておく。
Scipy Superpackのコード見たところ、easy installコマンドを使っているわけで、まずはライブラリと本体のpythonとの関係とかそのへんを理解しておこうと思う。いままでこのへんずっと回避してきた。
PsychoPyはいまだに64bit対応していない。これはかつてはpygletが32bitだったのが理由だが、pygletは1.2で64bit化された。しかしPsychoPyがpyglet1.2に対応していないため、今年4月段階ではまだ64bit対応がなされていない。つまりMacでは使えないということ。
Python(x,y)とSpyderを知った。なるほどこりゃほとんど見た目Matlabだ。Enthought canopyとかと競合するようだが。
Scipy Superpackよくよく読んでみたら、64-bit buildsをインストールする、って書いてあった。ということはここでpsychopyをインストールしても動かない。やっぱenthought canopyか。
Scipy Superpack入れるとStatsmodels, Scikit-Learn, PyMCが入るので、Rの代わりにもなるし、機械学習もできるし、MCMCもできる。素人なりにtutorialとかいじっていると楽しいのだが時間がどんどん飛ぶので、我慢している。
Pythonにはggplot2みたいなものもあるのか:Bokeh しかもネーミングは日本語語源だった。"Photographers use the Japanese word “bokeh” to describe the blurring ..."とのこと。
追記:PsychoPyの設定の件、けっきょくこれまでの実験系をぶっ壊さないように、外付けSSDにMarvericksインストールして、そこにcanopy 32bit入れて、easy_install psychopyにて動作確認した。参考: psychopy-users
あとはここから、standaloneバージョンには入っていないようなplug-inを入れてってちゃんと動作するかどうかとか検証してゆく。
追記2:PsychoPyで刺激を出して、フォトダイオードで提示時間測って、ばらつきがどのくらいあるかを評価。最終的には、刺激の提示と、Labjack U3での計測とTTL出力と、EyeLinkのデータを同期させるのをMacで正しく行う。
LabJackPythonを使うためには、USBのドライバ(Exodriver)をインストールする必要があるが、Marvericks上でインストールしたら "import u3”でモジュールを読み込めない。エラーをよく見たらこれはパーミッションの問題で、chmodしたら解決した。
とさらっと書いたが、じつは土曜日に解決できなくて週末越えて月曜になって解決。遅々として進まず。ちなみにMountain Lionのときにはパーミッションの問題には遭遇しなかった。なんか変わったんだろう。
LabJackはStream Modeにしないとイカンかと思っていたが、ふつうにports.readRegister(FIO4)を繰り返すだけで0.8msecごとに読めることが判明したので、これで充分だった。
2014年03月23日
■ さうして、このごろ 20131031
今日も長女の新体操のお迎え。今日は車内で長女が「冬の寒い時期におしゃれを取るか暖かさを取るか」という話題を持ち出しつつ、小学校の校舎がいかに寒いかという話へ展開した。
"grit your teeth"(歯ぎしりする)の「グリット」ってホント歯ぎしり感高くて、擬音語としてかなりいい線いっていると思う。
「百万遍」とか地名にしては中二病すぎるだろ、常識的に考えて、とか思ってウィキペ調べてみたら、知恩寺の通称が百万遍で、その名の謂れは念仏を百万遍唱えて疫病を収めたからというこれまたまさに中二病的エピソードがあることを知った。
「借金」の話かと思ったら「しゃきっとしてない」ってだけの話だった。すっかり手持ち無沙汰になった私は、「爪楊枝」のポーズをとった。
目隠しをし、片手に剣、片手に天秤。
激しい雨の降る中を傘を差して家まで帰った。竜美ヶ丘の三菱社宅の緩やかな坂を下りながら、日没後の暗い空と雲を眺めながら帰った。心のなかで長時間露光をして、空の光を蓄積してみた。すると、暗い空のように見えたのはじつは真っ黒な雨雲であり、それが欠けた部分に白い雲があることに気づいた。そのとき図と地が逆転し、灰色の雨雲が雨を降らせるために一面を覆っていることは、はじめからそうであったように、当然のことだったように見えてきた。私の表象は変わり、私の知覚経験は変わった。
家で布団に寝っ転がってだらだらとしている。Dark room problemってあるじゃん? 自由エネルギー最小が脳の原理だったらみんな暗い部屋でじっとしてるだろよwwwってやつ。でもオレ今暗い部屋でずっとじっとしていたいわ。なんでみんなこんな大雨の中、わざわざ外で出てゆくんだ?
だが腹が減ってきたので雨の中豆腐とモヤシを書いにコンビニまで行く。暗い部屋問題、完全解決!
ザッカーバーグの“Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity”ってのはある種の革命を目指している。たとえば教育者が公では理解と和解を口にしながら家族に対しては暴君である、みたいな"lack of integrity"をぶっ壊すことを目指している。
それじたいは良いことのように聞こえる。しかしこの理屈ですべてを塗り込めてしまってよいのだろうか? すべてについて裏表無くできる人間なんているだろうか? できたとしてもそれは強者の論理じゃあないだろうか? なんて風にこの言葉を聞いたときは思った。
この理念(Only one identitiy)をどう扱うかという問題はこれまでは技術的に不可能だったので考えることが不要だった。しかし、FBが遅かれ速かれ衰退するとしても、今後は繰り返し出てくる論点なのではないだろうか。
SF的発想で間主観性の問題を私的な内面を完全に共有することで一つの主観にしちゃうようなのってあるけど、そもそも自分に私的な内面がなければ、行動がすべてであり、行動ですべてが伝わっているのであって、行動から意図を忖度する必要はないのであって、問題は解決しているようにも思える。
つまりそもそも、行動から相手の意図を忖度しなければいけないという事実自体が、内面を持っていることの証拠になるんではないだろうかってこと。じゃあ、忖度しない場合は内面を持っていないのか? こっちはよくわからん。
当事者研究関係の本を借りるために豊田市中央図書館まで行ってきた。豊田市中央図書館に行くのは久しぶりだ。いまは岡崎市中央図書館が改装して大きくなったので当分行ってなかった。5年ぶりくらいだろうか。かつては専門書は豊田に行かないとなかったので月2ペースで行ってた。
以前と比べるとすごく静かになっていた。以前は試験勉強とかしている高校生がずっとおしゃべりしていて、図書館側が放置しているのでひどいありさまだった。館長が変わったか方針が変わったか。以前これは環境のせいではないかということを考察したことがある。
岡崎の方では図書館のすぐ外にオープンスペースがあって、そこでおしゃべりできるようになっているので、館内はとても静かになっている。これがいわゆる環境的管理(マクドナルドの椅子が硬い理由、とか)かあとかわかったような口をきいたものだが、豊田でも静かに出来ていたということは普通に対策取ればできることだったのだな。
以前豊田図書館に来ていた頃は、長男がまだ小学校低学年くらいのころで、このエスカレーターを降りるときに長男は階段を先に降りてたっけとか、この階段でお昼代わりにミスド食ってたっけとか(ミスド閉店してた)、なんかものすごく場所ごとに記憶が埋め込まれていることに気がついてなんか泣けた。
いや、泣いてないけど。
次男が、クリスマスツリー買って家にたくさん友達を呼んでパーティーしたい、とリア充な発言をするのでなんかスゲー笑った。ぜひこのまま大きく育ってほしいと思った。
2014年03月02日
■ さうして、このごろ 20130831
「ハンドルネームはひらがなにしろ!」 気持ち分かるわー。だれも「プーニールさん」って呼んでくれないからブログのfaviconにわざわざ「ぷーにーる」って入れた。といいつついざ初対面でプーニールさんって呼ばれたら引くな。(<-自分勝手)
なるほど、生理研には社会脳研究用に2つ並んだMR装置があるけど、じつはあれは転送装置だったんだな。(おれがあいつであいつがおれで、的なあれ。)
朝っぱらからこんだけたくさん蝉が鳴いているわけだが、まさか30年後には食料としての利用というイノベーションによってこれ全部が絶滅するなんてことにはお釈迦様でも気がつくめえ、なのであった。(<-50億羽のリョコウバト絶滅ネタ)
次男の足し算問題100問が一分を切るようになってきて、滑舌がよくなったことを自慢していたので、「人間発電所」のライム(「寺のボーズのようスネアードラムス木魚 お経のBUDDHA STYLE ライムフロー」)を一発決めて、真似できるか?と聞いたら、「無理」とさっくり流された。
"Slow in, fast out"は好き。"first in, first out"はとくにどうという気持ちもない。"garbage in, garbage out"はなんか嫌い。
A:「ちょっと待て!」 B:「ちょっと待った!」 A:「ありがとう」っていう吉本新喜劇っぽいシーケンスが頭をよぎったが、実生活で使うことはありそうもない。
研究所の耐震改修工事が済んで、エレベーターも新しくなったのだけど、そうしたらエレベーターが閉まるまでの時間が長いし、ドアの近くにいると赤外線かなんかで感知して閉まらないようになっている。研究所なんて急いでいる人しかいないのだからもっとさっさと閉まってほしいと思っていた。
でもあるとき気づいたのだけれども、これって「バリアフリー」の一環なのだろうか? 車椅子の人でも、パーキンソン病などで歩行が機敏でない人でも、この研究所では受け入れることができますよというメッセージなのだろうか? 考え過ぎかもしれないがバリアフリーという意図なら文句は言うまい。
20130815
「アンドレアス・グルスキー展」 行ってきた。すごい良かった。緻密化で圧倒的で不思議な遠近感に圧倒された。自分で持ってきた音楽聴きながら2時間以上かけてじっくり見た。MBVとかSeaside Voice Guitarとかかけて見てた。
不思議とザッパが合う。アンクル・ミート辺り。まあまさに、緻密で圧倒的で不思議なかんじだから納得がいく。ドブ川に写った光と影を写した「バンコク」とか衛星写真を貼りあわせて作った「オーシャン」とかすごく良かったけど、写真の面がテカっていて、観客とかライトとかが反射してしまう。
だから、でのせっかくの川面の深い色(「バンコク」)とか、衛星写真の海の深い色(「オーシャン」)とかがちゃんと見えない。これはけっして今回の会場だけの問題ではないのだけれども、なんとかならないものだろうか。暗い部屋に作品だけ光を当てて影を作らないようにするとかそんなかんじで。
学会でも顕微鏡写真のスライドの時とか会場の照明を暗くしたりするけど、あれみたいな感じで。
新宿までブックオフ巡りをしてきた。新宿駅西口と東口の両方に大型店がある。そこで真説ザ・ワールド・イズ・マイン(新井 英樹)をコンプリートしようという算段。西口から東口に移動する際にAflacのデカい壁宣伝ポスターがあるのを見かけた。
それは、将来に対して投げやりで雑な黒いアヒルが「病気なんて起きてから考えればいいだろ」みたいに言うやつで、ブラックスワンじゃなくてブラックダックか、ツイッターのネタになるかもとか考えながら通り過ぎた。
そして東口店には真説ザ・ワールド・イズ・マインの3,4巻がないのを見届けると、西口店にまた戻ることにした。タレブの「ブラック・スワン」の上巻が200円だったので買った。でもそのとき、Aflacの看板のことは完全に失念していた。
そしてまたさっきのaflacの看板を通るところで看板のことを思い出して、「ブラック・スワン」の上巻を買ったことがこの看板に影響されたっぽいことに気づいた。さらに看板をよく見ると、この黒い奴はアヒルではなくて本当にブラック・スワンだった!
西口店で真説ザ・ワールド・イズ・マインの3,4巻を買って、なんかの縁を感じて「ブラック・スワン」の下巻も1000円だったが買った。そして家に帰り、ネットを探し、aflacのは最近始まった宣伝であることを知った。テレビはほとんど見てないのでTV CMもあることは知らなかった。そんな一日。
2014年02月21日
■ さうして、このごろ 20130930
水曜に理研BSIに行ったときになんかデカイ塔みたいなのを見つけて写真撮ってたら、鳥の群れがやってきた。
そのあとで「群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序」 郡司ぺギオ幸夫 を買ったのはプライミング効果だったのかもしれない。
***
予定どおり刈谷市の児童館「はばたき」に行ってきた。「貴様も羽ばたきたいか!」(仮面ライダーの解説の声で)
卓球の勝負の方は30分3回のあいだに11点先取で勝利として7勝4敗。けっこう負けが込んできた。余裕こいてスマッシュとかしてたらあっという間に点差が縮まった。
次男はかなり勝負にこだわっていて、練習のときは無謀なこともやりつつ、試合では確実かつコーナーを突いたプレーを選択。普段なら4試合ほどすれば満足していたところを、どうしても勝ち越したいらしくラストは練習なしでずっと試合。こっちは汗だく。いい運動になった。
***
飲み屋で隣の席の人が、「俺なんかね、こう、鉄球で、やっちゃうわけですよ、バーーンっと」と言いながら手のひらに反対の手で拳作ってバーーンとかやりながら、古い店構えで、田舎の親戚のうちに行ったときのような匂いで、煙草臭くて、そんな風景をでっち上げて妄想してみた。
***
研究所のトイレに向かう廊下から夕日が差し込んでいるのに気づいた。廊下は東西に走っているので春分、秋分の日には真っ直ぐ夕日が差し込んでくる。こうしていつものあの季節が来たなと思うのだった。
耐震工事後に残念なことのひとつなのだが、いたるところにドアが付いて廊下が分断されているので、長い廊下の先にある夕日を見ることはできなくなった。
***
「夏休みは終わらない」って、歌本でギター弾き語りで把握していたので、ひさびさに原曲聴いてみたらけっこう予想を裏切られた。私のイメージでは「海を抱きしめた西向きの部屋」から始まるところがワウワウを効かせたギターで浮遊感出す感じなのだけど、もちろん原曲は80年代アレンジなのであった。
80年代シリーズつづき。ユニコーン「大迷惑」聴いてた。もう歌詞が他人事に思えなかった。ラストの「お金なんかはちょっとでいいのさ」ってところで感涙した。この歌詞を、こんなふうに感じる日が来るなんて予想だにしなかった。
***
セントレアまでやってきた。今日もいろいろあったがなぜか悲しい気持ちに。空港に向かって西へ走るバスの中で、沈む夕日を見ながらMBV聴いてた。もう全てのことは成就しているのであり悔いはないなとか、森も向こうから見えては隠れる夕日を見ながらぼんやり思った。
***
「自分の背骨をしっかり持ってないからいけない」なぜか武道家に腕組みで説教されるイメージで。
2014年02月05日
■ 「シューゲ感」
"vapour trail"というタイトルにはシューゲ感があるが、「ひこうき雲」というタイトルにはシューゲ感がない。"seagull"というタイトルにはシューゲ感があるが、「かもめ」というタイトルにはシューゲ感がない。つかカタカナでないとシューゲ感って出てこない。「スロウ」とかシューゲだけど、「ゆっくり」だとダメ。
シューゲってのはたんに音の鳴らし方の形態の一つでしかないのだけど、歌詞にもどこか共通したものを感じていたのだが、よくよく"Vapour Trail"の歌詞とか読んでみるとシンプルなラブソングだったりする。マイブラもそうだ。
どちらかというと、シンプルな言葉づかいで、なんか届かないかんじとかを伝えるというのが特色なのかも。ブローティガンの詩とかにはシューゲを感じたことがある。
ヘルダーリン詩集のアマゾンレビューを見てたら「天上的なハーモニーと至福の美、そしてその中に潜む歪み、それはまさにmy bloody valentineの音楽に通じるものがある。」なんて記述を見つけた。チュービンゲンがらみだし、読んでおこうかと思う。
あと、音と同じように、歌詞ももごもごしている。あんま明確かつエモーショナルな歌詞はシューゲ的でない。これをシューゲの定義とするならば、音がシューゲでも歌詞がJ-Pop的だったらそれはシューゲではない。含羞がなければシューゲではない。80年代的スタジアム・ロックみたいなもののアンチ。
とここまで書いたうえで言わずもがなの断り書きを入れるならば、シューゲとはこうあるべきだとかそういう考え自体がクソ。(<-ちゃぶ台返し)
2014年01月27日
■ ヴォネガット関連雑記
ヴォネガットのCat's cradleのkindle版を買って、日本語訳と原文の対応とか見てる。いくつかの点でわかりにくいところがあったので、たぶんそれは翻訳のためだろうと推測して。
102章の「自由の敵」のところで、ハリボテの標的にスターリンやヒトラーと並べて「それからなんとかいう日本人」とあるが、これは東条英機か昭和天皇あたりを訳で回避したのかと思ったが、原文も"some old Jap"だった。
116章の最後「空では、何匹もの虫がのたうっていた。虫は竜巻だった。」後ろのほうまで読むと竜巻のことを「虫」と読んでいることはわかるのだが、「虫」と言われてハチの大群みたいなものを想像していた。でも原文はworm。つまり、一本一本の竜巻をイモムシ(やミミズ)に喩えているのだった。
あと116章の印象的なシーン、「つかのま、わたしは夢を見た…ツバメ式飛び込み」ここは"swan dive"、つまりこんなん: SwanDiveActive.jpeg 一瞬時が止まって、スローモーションでの光景が浮かぶ。
正直なところ、ギャツビーのあれを思い出した。たったひとり、owl-eyed眼鏡の男だけが遅れて現れてこう言う、"the poor son-of-a-bitch"と。
「人生なんて、そんなものさ―カート・ヴォネガットの生涯」を図書館で見つけたので借りてきた。真ん中へん、つまり売れない作家時代からスローターハウス5でブレークするあたりを読んでて、すごく面白い。
無名時代にアイオワ大学でライティングの講師をしているときに再評価がなされ、旧作が再販され、スローターハウス5と続く2作分の前払金を受け取ったとき、ヴォネガットは45歳になっていた。すっげー沁みる。
村上春樹の「35歳問題」ってのがあるけど、そしてその意義とかすごく考えたことがあるのだけれど、でほんとのところ身に沁みたことがなかった。私のヒーローは夭折した早熟の才能者(ランボウとか中原中也)だったし、太宰や芥川が死んだ歳に自分は一体何をしたというのだろうという感覚だった。
つまりわたしは35歳問題に真摯に向き合おうとせず、いまだに人生に奇跡と一発逆転はあるんじゃあないかというさもしい妄想を捨てきれず、フワフワとフラフラとしている。馬鹿馬鹿しい表現をしてしまえば、私は今からでもロックンロールスターになれると内心思っているのだ。ほんとだよ。
2014年01月07日
■ さうして、このごろ 20130731
「あなたの脳を3Dプリントする方法」 段ボールを切り抜いて貼り合わせれば小学校の夏休みの課題にぴったりだ。次男の課題に「お父さんの脳みそ」という題での提出を勧めてみることにしよう。
「醤油差しと馬刺しどちらを選ぶ? 俺なら両方だ!」そう言ってわたしは自分の胸に西洋風の剣を刺し当てた。
「コーンフレークでいい?」コーンフレークにオレンジジュースかけたやつ出してきやがった!
「馬好き?」聞かれて思った。はたして私は馬と牛どちらが好きなのだろうか? そもそも質問は競馬好きかという意味だったのだろうか? じつのところ、そのような自問自答に至る前に私には「う・ま・す・き」という四文字が怪しく脳髄に響き、その意味に届く前にサイケデリックな気持ちになっていた。
「ヌー!」(<-両手で天に向けてサムズアップ)
双六でサイコロを振ったら、幻の番号9999が出たので、9999歩進めるのに時間がかかって他のことが何もできない。
戦いの幕は切って落とされた! …のはずなのだが遅刻したので戦場がどこだかわからない。誰もいない一階の教室をくまなく探して回ったあと、私は階段を登ったり降りたりしながら、無駄な時間を過ごしていた。
井上陽水の「ロンドン急行」をギターを弾きながら歌っていて、そういえばロンドン発ブライトン行きってまさに「ロンドン急行」だなということに気がついたが、一年遅かった。
研究所の一階の廊下にでっかい蜘蛛がいた。タランチュラか! よくよく見たら、足が長いだけでそんなに大物でもない。どうしても水を買いたかったので、失礼ながら脇を走りぬけさせてもらった。
AICS出張から帰ってきた。AICSは近隣の芸大とコラボして廊下がギャラリーみたいになっていてとても素敵だった。絵柄がオタク系というかpixiv系なのがけっこうあった。私は違和感ないけど、普通の人が見たら面食らうのではないだろうか? オタクとサブカル(芸大系含む)の垣根が消失していることを実感した。
鰻、絶滅しちゃうね… わたしがはじめて食べた鰻は、中学受験の後のお祝いで父が連れて行ってくれた亀戸の駅ビルでの鰻重だった。(中略) そんなこんなで、もし来年鰻重が消滅していたとしても構わないし、もし来年世界が消滅していたとしても構わない。
子どもたちにはぜひ、昔は鰻というとてもうまい食べ物があったんだということを語り継いでほしい。そういえば絶滅したリョコウバトは旨かったらしい。食えなかったのが残念。
Last dinosaurの替え歌でthe last eelって曲を作ってほしい。
"The last pigeon / swan song" とかスラッシュ入れて雰囲気出してみたり。最後の一匹となったハトが、死の間際になっていきなり人間語を使って喋り出す。「もうあんな空を飛びたくない」と。(<-井上陽水と混ざってる)
朝っぱらからこんだけたくさん蝉が鳴いているわけだが、まさか30年後には食料としての利用というイノベーションによってこれ全部が絶滅するなんてことにはお釈迦様でも気がつくめえ、なのであった。(<-50億羽のリョコウバト絶滅ネタ)
もしいつか遠い将来の万が一に私の送別会が開かれるような日が来たとしたら、大岡越前のテーマ (山下 毅雄)をアレンジして家族で演奏してみたい。きっとお別れのテーマにうってつけだと思うのだ。
「ステークホルダー」って腰のところでカラビナかなんかで財布とかナイフとか連結する道具っぽい音感。
「カムチャッカ」ってどう考えても、ギターでカッティングしながらワウペダルを操作して、しかも深めにリヴァーブかけてるかんじだよなあ。
今日は次男とプール(吉良のホワイトウェーブ21)へ。半屋外式でそんなに日焼けもせずにすんで気持ちよく泳いできた。滞在時間4時間で正味3時間で、次男は滑り台が怖いのでほとんど流れるプールにいた。拳銃で打たれるごっことか背中に乗せて潜水で運んであげるとか水の噴出口の勢いに対抗とか。
次男がなんでホワイトウェーブ21て名前なのか?、なんで21なのか、って聞いてきたので、今が21世紀であること、「世紀」という概念の説明、二十世紀梨についてまでこってりと講釈しておいた。
そしたら、22世紀になったらホワイトウェーブ22になるね、とか、22世紀になったら96歳だね、みたいな話になったので、そのころになったらまたホワイトウェーブ行くかな?みたいな話をした。俺はホワイトウェーブは無理であるにしても、次の関東の皆既日食は見届けたい。
もちろん、見届けられなくても構わない。
送り迎えの合間に「Boy's Surface 円城塔」を買う。つか図書館にあるのを知っていたのだけど、立ち読みしてて急激に今読みたくなった。最初の短編を読み終えたところ。盲視についての言及があるのはなんかで聞いてたので読もう読もうとは思っていたのだけど、それとはべつに面白かった。
こことか好き「ここにつけこむ余地があり、実際につけこまれており、つけこむことが可能である。」あと、なんかするするっとしてる。ドルトンの話から二人の会話へ移行するところとか。なんか自在なかんじ。
思ったより波長が合う気がした。独特な読書経験だった。「屍者の帝国」読むかどうか思案してたけど、これなら行けそうだなと思った。
2013年12月25日
■ さうして、このごろ 20130430
今日は奥さん医者に連れてって、子守して、ラボの花見に参加して、夕食作って、みたいな日。花見会場の伊賀川で水切りに耽る次男の後ろ姿。
乙川沿いは花見の客がいっぱいで、雨もなんとか持ちこたえてよい日だったのだろう。午後から強い雨が降り、花びらが落ちだした。夜は強烈に味噌の香りがした。この臭いを懐かしく思い出す日が来るのだろうか?
奥さんが帰郷した際に、実家にあった「生徒諸君!」庄司陽子を持ち帰って、我が家では「生徒諸君!」ブームに。読んだの大昔だからストーリーは覚えてないけど、けっこうショッキングな展開があったように思うんだが、小学二年生がそんなの読んで平気か。
「もしキミが鳥で、空高いところにいるとしたら、キミはやってくる風に身を任せることだろう、キミを連れ去る風に向かってキミはこう言うんだ、『今日はそっちに行きたかったんだなあ』(<-前田馬之介っぽい口調で)」
「ウィー アー ザ トーチャンズ マイ フレンズ」と歌っていると、胸の奥に熱いものが迸ってきて、涙が流れそうになる。
「スナップえんどうとスナックえんどうってなにが違うんだろう?」って思ってググってみたら、そのまんまの疑問と答えがあったので、なぜかがっかりした。
"I Am The Resurrection"はなんらかウザい奴をディスる曲なんだろうと思っていたのだが、songmeaningsのとあるコメントを見て、もっとまっすぐアンチクライストな意味に読めるということを知って、愕然とした。
つまり「喋りすぎるお前」「死んだ方がよいお前」と悪し様にイエスのことを罵るヴァースがあって、コーラスの「わたしは復活であり、命である」(ヨハネによる福音書からの引用)の部分だけがイエスの言葉だというのだ。すべて比喩だと理解していた私は、虚を突かれたような気持ちになった。
英語の論文での表現で、"One could argue that …"って言い方があるけど、これって「著者自身が主張するわけじゃないけど、こういう言い方も出来るよね」って使い方であって、いわゆる「東大話法」だよね。あちらにも東大あったんだね。知らんかったわー
"accidental XX"って表現があるけど("Accidental Technologist", "Accidental CIO", …)、「なんかの間違いでXXに」みたいなかんじでどうでしょう。
次男がお菓子の入ってた箱に輪ゴムを張って、ギターみたいにして弾いている。けっこういい音がする。眠くてしかたない。シーツを洗濯して干した。隣の部屋からホルンを練習している音が聞こえる。ラップトップがうなりを上げている。そして、ここに書いたことの時系列順はすべて完全に間違っている。
復讐は断念させられ、犯行計画は暴露され、なにもかもが中途半端で、雨の日に埋葬され、石が目印として置かれ、世界の因果を逆行させるための秘術を探り、化学薬品を買いあさり、自動車にはさまざまな荷物が積み込まれた。
「ひょっとこ」を「ひょっとっこ」と読んでみれば、「トッポッギ」みたいでエキゾチック。
今度の土曜日はアパートの草刈りの日。だがその日は南山大学に行くことにしたので草刈りには参加できない。くさかりまさお!
2013年12月16日
■ さうして、このごろ 20130630
時にはアリスのセイウチのように、自己嫌悪と自己憐憫に浸りながら、牡蠣を一つ残らず食べ尽くしてしまいたい。
カンタベリー派な研究者になりたい。でも研究にとってのカンタベリー派ってのがどういうものかは見当が付かない。
トニー谷、いいな。ウィキペのこの辺りとかとてもいい:「無礼な芸風の芸人については「しかし舞台裏では礼儀正しかった」というようなエピソードが語られることが多いが、トニーは舞台裏でも一貫して無礼だった。」
「伝えなきゃ……みんなデネットに騙されてる!」っていうネタスライドのアイデアが浮かんだが、オタクネタは強く自分に戒めているので、ボツにした。
今年初のGとの遭遇。いわゆるencountering。なんかバタバタした奴が来たので蛾でもキタかと思ったらあれだった。いったんなにか分からない状態から戦闘モードに入る時間があったので、ビビる暇もなく適切かつ冷静に処理することが出来た。またもや成功体験を積み重ねてしまったwww
だがそうやって押さえ込んだ恐怖はじわりと私の行動に影響を与え、たとえばこれから私は機構図書館に仕事しに行こうと思うけど、もう窓を開けることは出来ないだろう。
そして風呂場を開けると排水口の黒い楕円を見てぎょっとする。意識はしていなかったけれども、Gフィーチャーに対するサリエンシーディテクターがenhanceしていたのだということに気付かされる。
朝ゴミを捨てに行くと、ゴミ捨て場には地域のご老人が持ちまわりで見張りをしているんだけど、ひとり気難しいかんじのおじいさんがいて、こちらが挨拶をしても返事もしてくれないので感じが悪いなあと思っていた。
あるときこのご老人に対してどこかの奥さんが挨拶したら快活に返事をしているのを見て、なんて露骨な人なんだ、歳取るとこうなっちゃうもんかねとか思ってた。
でもふと気づいて、ある朝このご老人の「耳元で」挨拶してみたら、快活に返事をしてくれた。そうだった、まったくもって私が間違っていた。なにもないところに悪意を見出すなっていうあれだった。(<-新聞の投書風)
吉田ヘンドリックス、帰宅!(<-夜更かしhigh)
プリザベーション、ナンバー5千万!
「つか、でっかいオデキ!」と発声した時の志向的態度。
ホテルのパソコンデスクの前が大きな鏡なので全然集中できない。しかたないのでキメ顔してみたりする。
bluetoothヘッドホンの方は、東京行った時にイヤーパッド買ってみたのだけど、けっきょくどれも現状のものよりはよくない。しかたないのでテニス用品売り場でヘアバンド買ってそれで耳を押さえることにした。フーwwwカックイーwwww
2013年11月28日
■ さうして、このごろ 20130531
「ハンターー!」 レコード屋さんがテレビCM出してたってあらためてすごいことだったような気がする。
自転車での帰り道、「キャンプだホイ」を白ふんどし姿の屈強な男たちが歌うという設定でねばっこく歌いながら坂を下った。
「矩形波!矩形波!矩形波!」(<-鳥の物真似をしながら)
「才気走る」ってフレーズいいなあ。なにがいいって、音的に"psyche"が読み込まれているあたり。「再帰」が入っているところもいい。
今日のグループミーティングではしゃっくりネタを披露してみたが、トンチャイにイグノーベル賞目指してがんばれ、と励まされた。
ライジング・サンとセッティング・サン、どっちが好き? おれはどうでもいいや。
血中温度、血中速度、血中騒動、血中疑獄。
水中結露、水中高度、水中騒音、水中硬度。
間違った占い、迷信に基づいた治療法、「祟り」という因果律。
証拠のない裁判、観客のいない決勝戦、反証された思考実験。
「レッチリ「アンダー・ザ・ブリッジ」はどこの橋か?」 以前LAに滞在してた頃にそういうこと書いた:
~~~
今は恨詰めてるところなので遠出したりとかしないのだけど、自転車であちこち行ってる。で、気付いたのが、川がないのな。いや、井上陽水じゃないんだけど。Culver cityの方に行ったときにBallona Creekというのがあった。川じゃなくて運河なのだろうけど。
護岸工事がされていて、完全にコンクリートで固められていて、厳重に立ち入り禁止になっている。たぶん、ジュリアーニ流の市内浄化政策みたいなもんなんだろう。
そうしてみたら思い出したのが、レッチリのアンダーザブリッジな。あれはLAについての歌("the city of angel")なんだけど、"under the bridge downtown is where I drew some bood"って歌詞がある。
でも、僕ら日本人がイメージするような「橋の下」つまりドブ川にかかる橋の堤防の内側みたいなところはここにはないんだな。
ってここまで書いたところでLos Angeles Riverがあることを思い出した。……えー……すべての論理が破綻しましたので、以上の発表についてはwithdrawさせていただきたいと思います……
~~~
ただ、今にして思えば、「橋の下」とはけっして川ということではないな。ハイウェイの下とか、道路の立体橋の下とか、ホームレスがたむろしてそうな場所、それこそが「橋の下」だったんじゃないだろうかって思う。
(茨木への出張にて)
朝早めに起きて太陽の塔を見に行けばよかったんじゃ?ということに気づいたが後の祭りなのである。(<-である、じゃねえ)
このささやかな人生において、太陽の塔を見に行くチャンスはこれが最後だったのかもしれないのだが後の祭りなのである。(<-である、じゃねえ)
じゃあ、そんなに太陽の塔を見に行きたかったのか?と問われると、べつにそんなことないということも事実なのである(<-である、じゃねえ)
けっきょく太陽の塔行ってきた!(<-そんなに行きたかったんだ…)
まさか入場料取るとは思わなかったぜ…
2013年11月16日
■ さうして、このごろ 20130331
「太陽風って、厨二病っぽいよね」僕はキメ顔でそう言った。
3月3日じゃん。ひなまつりじゃん。ボン・ボリーニ!
「花粉症とか甘えだよね〜wwww」ってフレーズを見て、さすがにネタだろと思ったが、ちょっと冷や汗出てしまったことは認めざるを得ない。
アンカーリング? 鎖(くさり)? 錨(いかり)? 坑(あな)を塞(ふさ)ぎ? 腕を預け、地中海風に。刻んだ、3万2千種類の色彩が、強制的に集められ、そしてそのまま流され、それでも
リンゴ・スターほんとは叩いてない伝説ってのが昔あった。ストロベリー・フィールズは複雑すぎて叩けないってのを読んだことがあって、んなもんドコドコいってるフロアタムはオーバーダブしてるにきまってんだろと思ったもんだけど、I feel fineだけはどうしたら叩けるか分からなかった。
そしたら、回転下げてドラムだけ別に録音しているという記載を見つけて、試しにスピード下げて再生してみたらまったくその通りで、自分の愚かさを笑った。元の音聴くとドラムのピッチが高いもんな。この頃にはすでに4トラック使っているのだった。
「ハンマー・ビート」って概念が正直よく分からない。クラウトロックはAmon duul IIとかCanとかは好きだけどNeu!とかクラフトワークとかはあんま聴いてない。後者をハンマー・ビートと呼ぶなら分かるが、Canが該当するというのが分からない。独特なのだが、けっこうハネてるし
日本の郊外新興住宅街について「サヴァービア」という言葉を使うのは違和感がある。「ファスト風土」ならまあわかる。たとえば岡崎市はイオンモールが街の中心になるようなファスト風土化した街だが、サヴァービア的風景は以前の上地だったり北斗台だったりと限定的で規模も小さいように思う。
ダイナソー・ジュニアのJ-マスシスはグランジでルーザーでドラッグやり過ぎで不健康みたいなイメージだが、ふつうに金持ちでゴルフ好きで生活をエンジョイしているのをインタビュー記事で知ってずっこけたが、ニール・ヤングと同じで金持ちであることを隠さないという意味で自然体なんだなと思った。
自分のブログをあらためて見てみると、告知とツイッターの編集というかんじで、なんだかぜんぜん「銀河通信」じゃないな。特別なにか変えるつもりもないけど、もうちょっと遠くまで届くように投げよう。
less social and more reflectiveに。エレベーターホール前の乾きたてのコンクリートを踏んでしまったときの触感とか、今日の大粒の雨の生暖かさとか、今日重ねた敗北の記憶とか、そういうのを綴ることにしよう。
ピッグデータ! (<-Twitterクライアントでは文字が小さくて見逃すであろうことを見越した犯行)
ニール・ヤングの「サザーン・マン」を聴きながら車で竜美ヶ丘公園に向かう坂道を登っていたら、カーブを回りきったところで桜並木の間から三日月が正面に現れたので、「運命の刻は満ちた」というような鮮烈かつ厨二病な啓示を受けたのだが、自分で言ってていったいなんの運命だかさっぱり分からない。
XTCの"Skylarking"の"Summer's Cauldron"、蒸し暑い夏の美しい時間の曲だが、もしかしたら日本の夏の感覚を安易に投影しすぎた理解かもと思って、Cauldron(釜)について画像検索してみたら、魔女が毒薬作るような大釜ばかり出てきてなんか吹いた。
「おのれ何奴?」(<-懐の刀を抜きながら障子の向こうの影に)
「そうだ、メッセージなど何一つ残さずに」
「リリシズムと凛々しいってなんか似てるよね」そのまんまだと思ったが、野暮なことは言わずにテーブルの上にある煎餅に手を伸ばした
「モ、」 「モ?」 「モンドリアーン!」 「感服しました!」
さいきんのコンビニのスパゲッティーカルボナーラとかおにぎりとかで見かける業務用温泉タマゴ(外も中もペースト状のもの)を見るとなんだか怒りが、悲しみが、苦しみが、憤りが沸いてきて、その日丸一日が、もう役立たずになる。(<-なこたぁない)
つかあれの商品名いったいなんなんだろう? "卵 黄身 ペースト 業務用 コンビニ"くらいでググってみたが不明。ある時期からどっと出てきたから、なんか製法が確立したか、もしくは法律が変わって使いやすくなったか、なんらかのことが起こったらしい。
判明した。これか: 「ロングエッグ」 いやいやいやいや、ロングエッグはゆで卵なので、あの半熟タマゴとは違う。
昔私は旅行に行ってもカメラで写真を撮ることはなかった。きっと俺はこの光景を忘れるまいと、そういう光景だけを心に刻めばいいのだと思っていた。だが時は経ち、歳を取り、すべては忘れ去られ、記憶は歪み、過去の自分との連続性さえおぼつかない。そしていまはバカみたいに写真を撮るようになった。
「夢見すぎ」このフレーズイイネ! 神経科学に夢見すぎ。意識研究に夢見すぎ。現象学に夢見すぎ。大学教員に夢見すぎ。研究計画に夢見すぎ。あらゆるものに冷や水をかけ、すべての情熱を静めて、フラットな心で冷静に正しく物事を取り扱うことにしよう。実のところブッダの悟りとはそういうものなのだ「来世に夢見すぎ」
弱くありつづけるタフさ、みたいなことをずっと考えてる。追求しているとまでは言えないが。太宰を読んだ中学生のときから、私の芯のようなものになっていて、自分を見つめ直すとき常にそこに、立ち戻る。
キンクスのアルバム「アーサー」に入っている"Mr. Churchill Says"では、WWII中のイベントをいろいろ織り込んでいるんだけど、そのなかで"Vera LynnがWe'll meet again somedayと歌う"という歌詞が出てくる。
この曲がキューブリックの「博士の異常な愛情」で流れるのを見て、何となくその再会するところとは天国だか死後の世界を指しているのだろうと思っていたのだけれども、それは日本での「靖国で会おう」に影響を受けた理解であることに気づいた。ウィキペで知ったけど、元はミュージカルの曲だったんだ。
「シューゲイザー名盤 TOP100」このリストのうち12/30は聴いてた。でもいちばん好きなのはライド。その時代を共に生きたという感覚がある。SlowdiveとかSwervedriverはじつはちゃんと聴いてない。なんか違うんだわ。
Magnetic Putty Time Lapse これはヤヴァかった。サイケデリック。
2013年09月01日
■ ダイエット試行錯誤(2013年9月版)
運動だけでは体重減少が2ヶ月止まってしまったので(体脂肪率は低下してたけど)、90キロ台で停滞するわけにはいかないと、食事の方も対策しだして一ヶ月経った。そしたら停滞していた体重減少がまた始まって、先週計測した時点で88.1kg。いきなり3キロ近く落ちた。やっぱ食い過ぎだったか。
お昼だけカロリー減らさずにローカーボ気味に。普段はラボでレンジでシリコンスチーマーでいろいろやってれば楽しいのだが(他称ヨシダズキッチン)、いざ学会などで外食を利用しなければならないとなるとなかなかこれを維持するのは難しい。
まず気づいたのが、外食で売っているようなものというのはほとんどが炭水化物だということだ。パン、うどん、パスタ、ドーナツ、それからあらゆるスイーツ類。けっきょく学会中は隣のスーパーで時間差で安くなったお惣菜三点500円セットで持ちこたえた。
それからあと、炭水化物は中毒の対象なんだなとも思った。いったん量を減らしたら、あまり飢餓感を感じなくなった。自分の血中のグルコース濃度とかインシュリン濃度とか時間変動を計測してみたいと思った。(開示:糖尿病の気はありません)
ただし、コンビニやスーパーのお惣菜類を多用するのは塩分多いからよろしくない。ちなみに自分は高血圧もない。糖尿もなければ痛風もないし、中性脂肪なども異常値が出たことがない。だから太ってていいってわけでもないんだろうけど、どういうことなんあろうかと思う。
だから自分の場合、ダイエットをする動機は健康のためとかではなくて、他人からの「なんだこのキモデブ」という意識的無意識的な処遇を受けて社会的生活において不利に働かないようにという点が大きい。
自分の体に興味があるけど、けっきょくのところ、宮川さんのトークにもあったように、我々個人は皆たくさんのSNPsを持っていて、「正常」なんてものが実のところありえないくらいにばらつき、不完全なのだろう。
ローカーボ関係はいろいろ調べて読んでいるけど、進化的に云々とかあのへんは眉唾だと思う。けっきょく体はホメオスタティックに働いている。そのなかで一つポイントとなるのは、血中グルコースはインスリンで脂肪として取り込まれるけど、ケトン体は回収できない、ここだろうか。
あと、アメリカのそれ系の本は炭水化物お悪者にする代わりに脂肪を許容するので、肉とかチーズとかたくさん食べたいアメリカ人の欲望に併合しているようにも見える。だからそこは信じない。ということで比較的タンパク質多めにしてる。鳥のささ身とか豆腐とか納豆とか。
ともあれ発見だったのは、炭水化物は中毒の対象だということで、これまでは、頭脳労働だしこまめに摘んだりして脳内グルコース濃度下げないようにしているつもりだったのだけど、もしかしたらかえってインスリン反応性の低血糖とかになってしまっていたのかもしれない。やっぱ計測してみたい。
一時期調べたことがあって、「血糖自己測定器」ってのは糖尿病の人用に一万位かとかでオムロンとかにプロとかのがamazonで買えるようになっている。でも、毎回針で血出すあの作業が怖いのでそこまでしたくない。赤外とかでモニターできないもんかね。もしくはMRでBOLD(<-大げさすぎ)。
「お弁当におすすめ! 20分以内にできるストックレシピ集」 そっか、鶏そぼろとか作って冷凍して常備しておけばよいのか。
お盆に東京に行ったときに「野郎ラーメン」の前を通ったがガラガラだった。以前通ったときはすごい並んでたので諦めたのだが、そのときはあまりにガラガラすぎてなんかあったのかと思ってやっぱりスルーした。そして今は当分食べたくない感じ。80キロ切るくらいまでは。さらば「野郎ラーメン」。
2013年08月12日
■ さうして、このごろ 20130228
中の橋珠算教室の先生をやっていた老夫婦の二人のことを急に思い出した。怒ると「バカスケ!」って言うの。あと、昔の人だから、トイレのことを「ご不浄」て呼ぶ。生徒の子どもたちはみんな意味が分からないから「牧場? へんなの」とか言ってた。そういう記憶が走馬燈のように俺の脳髄を駆け巡った。
走馬燈のように、フラッシュバックのように、電撃的に、俺の脳髄を駆け巡り、嵐を引き起こし、そしてまた遠くへと去ってゆくのを、私は失禁し、座り込んで、または這いつくばって、ただただやりすごそうと眺めながら、でも時間は全然経過しないままで、太い縄がほどけるように、ゆっくり弛緩していた。
「雲母を剥がすか 生爪剥がすか」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「薬局坂道 いつもの流れ」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「ハトを生き埋め ボクは深爪」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「赤血球の流れに逆らい 遅配誤配要求撤回」「ローリーポーリー ローリーポーリー
延滞していた岡崎図書館の本を返しに行って、空を見てみたらまだ8時なのにオリオン座が西の空にあって、冬ももう後半なんだということに気づかされた。
"closer" (クローザー)だとシューゲっぽいが、"closer" (クローサー)だとR&Bっぽい。異論は受け付ける。
原発ってお湯沸かしてるだけなわけで、ぜんぜん原子力うまく使えてないよね(現状いちばん効率がよいことは知ってる)。なんかもっと、直接電力として利用するとかそういうんでないと「原子の力」を制御してる気がしない。工学的解決は別にして、科学にはもうちょっとがんばってほしいって雑談をした。
たまに東京の実家で車運転すると感覚が全然違うのでびびる。狭い路地で車の近くギリギリを自転車が通り抜けてきたりとか。いっぽうで岡崎では制限時速30km/hのところでみんな50キロギリギリで走ってる。
それが日本的建前の世界であることをチュービンゲンに行って知った。あそこでは市内の30キロの道はガチで制限が30キロで、25キロぐらいで走ってた。でもって、アウトバーンで、制限のないところでは160キロとか出してる。あいつらメリハリありすぎ。
私は安全運転してるけど。車は人間の制御能力を超えた凶器であり、運転者はだれもが不慮の事故で人を殺す可能性というキモいクジを毎日引いている。自転車で車の接触事故の被害者になったことがある。あのときどうして道に飛び出したのか分からない。だからいま意識の研究をしている。(<-後付け)
今日は次男と刈谷の児童館まで行ってきて、卓球をしてきた。前回は11/25で、その前は8/4。twilog見るといつ行ったかが分かって便利。次男はなかなか鋭角で鋭い球を返してくるので勝負が成り立って楽しい。私はテーブルに貼りついて足を動かさないという隠れたハンデ付きで、4勝2敗。
あとで聞いてみたら、パパのフォアサイドに玉を集めておいて、決め球ではバックハンド側の深いところを狙っていたという。なかなか戦術的で素晴らしい。
自分は守備的でスマッシュとかは打たないが、ライジングで鋭角に返すのが基本戦術。自分はペンホルダー型で、次男はシェークハンド型。
前回は次男はバックハンドの練習とかしていたがかえってそれで攻める形を崩してしまったようなので、今回はバックにはもう玉は回さないで、得意なところでラリーを続かせることを目指した。やっぱ小さいうちは弱点を直すのではなくて、得意なところをどんどん伸ばしてゆく方がよい(<-コーチ気取り)
店でものを買うときに、たとえば値段が576円とかだったときにちょうど小銭が無くて1131円出したときに、店員に違ってますけどとか言われるのがものすごく嫌。
「俺はいま目を閉じたいのであり、目を閉じたことによって眠ってしまったとしてもそれはそれでかまわないという覚悟で目を閉じるのであって、俺の行動は常にそういった覚悟によって一歩ずつ進められるのであって、無意識を制御し、あらゆる意味での責任と自由意志とに殉ずるつもりでこのように行動し」
今日の空手の帰り道に、ストーン・ローゼスの"I am the resurrection"をかけてたら、それを聴いた次男がこの太鼓だったらたたけると豪語したので(次男は「太鼓の達人」が大好きなのだ)、いやよく聴くとバスドラがこう鳴ってんだよとか説明していたのだが、後半のギターソロ部分が始まってリズムが変わると、神妙そうに聴いておったことよ。
というわけで、今後の人生の夢は、家族でバンドを組むことです。
「雨だれと塩だれ、どっちが好き?」わたしは答えを急がずに、そっと空を見やった。
帰り道に月を見たら、月の右上の方に明るい星があって、月の右下にもいっそう明るい星があって、なんだか妖しい気持ちになった。
男は「ずっと、ハノイの塔を作ってたんですねえ」 とさげすむように言った後、「世界の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってますよ」と言った。私は尊敬のまなざしで相手を見やった。
コストコ、コストコ (<-口でドラム演奏中)
ジョギングしているときに道に変なデコボコがあって、すっころんだ。無様にカエルのように、しかしiPhoneをかばうように、哀れな老人のように。
「俺のことはレジー・シャックマンって呼んでもらってかまわない」「それにいったいなんの意味が」ってところまで書いて、「さくらの唄」のパクリじゃんってことに気付いた。
俺もポストロックがどうのとか言いつつ、けっきょくはサイケデリックロックとシューゲイザーで時が止まってしまっているわけだが、せいぜい「これが大人の音楽」とか「良質な音楽が消えてしまった」とか自分を正当化するような無様なことは言うまいと堅く心に誓った。相対性の檻に居続ける覚悟が云々。
Milky Wayをドイツ語にしたらMelkweg (アムスの有名なライブハウス)になるんだろうと思って答え合わせのつもりでwikipedia見たら、Milchstrasseって書いてあった。なんか嫌。
2013年08月01日
■ チュービンゲン大学訪問記
1月27日
プレゼンで使う同名半盲の視野の図には、岡崎なら岡崎城、犬山なら犬山城、名古屋なら名古屋城、ソウルなら昌徳宮、とご当地の建造物の写真を使ってきたのだが、チュービンゲンだったらなんだろうか? ホーエンツォレルン城?
ヘルマン・ヘッセとチュービンゲンの関わりというのもいま知った。ヘッセは神学校からドロップアウトしなければチュービンゲン大学に進むはずだったが、けっきょくチュービンゲンで本屋のバイトをしながら詩を書いていた。「チュービンゲン時代のヘルマン・ヘッセ」
ケプラー、シェリング、ヘーゲルが居たということは知ってる。
よしよし、こんな感じで気分を出してゆくことにしよう。とりあえずiPhoneアプリで英独辞書入れといた。
1月28日
いま中部国際空港で、これからフランクフルトへ出発。ラップトップ持ってたら税関申告する必要あるかどうか聞いてみたが、先方にも、ルフトハンザの人にも、そんな必要ないが心配なら税関で聞けば?で言われた。たしかに、2009年にASSCでベルリン行ったが、とくになんも言われなかった。
ルフトハンザ LH737 名古屋->フランクフルトはネットが繋がる(20euro/24hr)。こりゃいいわ。これからはラップトップ用のバッテリーが必須だ。
無事フランクフルトに到着。いま16時54分。ラップトップは申告要らんかった。S-bahnは改札ないわ切符券売機わかりにくいわでちと難儀した(調べたとおりだったけど)。S-bahnはふつうに満員電車だったが自転車持ち込み可。ここで寝たら夜中に起きるので無理してなんか食いに行く。
中心街まで歩いてきた。ユーロの形のモニュメント経由で。ゲーテ広場とその奥あたりまで行ってきたが、けっきょく食事自体はその手前あたりのトルコ、パキスタン人街(床屋が多い)のところでチキン半分食って満腹にした。ユーロは金銭感覚ずれる。
1月29日
これからチュービンゲンへ出発。雨。Webから調べると列車は10分遅れとか出てる。まあこういうことは予想されるわな。
1月30日
だいぶ慣れてきた。今朝は自力でバス乗って大学まで来ることができたし。昨日の夜はMax Plank Instituteのゲストハウスまで誰もいない暗い道を帰ろうとして、曲がり角を見逃してかなり無駄足歩いた。遭難するかと思ったが、バスマップを印刷していたのでなんとかなった。
ホストが用事があるので今日は自力でダウンタウンで夕食食べてくれって話で了解した -> 建物出たら強風と雨 -> 予定変更してゲストハウスへ直帰することに -> 誰もいない道を傘を差してMax-Plank Instituteへ -> ゲストハウスに自販機があったはずと見てみたら専用カードが必要 -> 隣の部屋に専用カードが売ってた! -> 5ユーロで買う -> 自販機にかざしてみたら'Keine Kredit' なぜか金が足りないという -> 諦めて部屋に戻って冷蔵庫にあったミネラルウォーターを飲む(<-イマココ)
つくづく500mおきにコンビニがある日本は素晴らしいと思った。つか今度来るときはレンタカーでも借りればよいのだろうか。学生ばかりでみんなバス通学だし、ダウンタウンは狭くて車停めにくそう。とりあえず毎年来ることになりそうだし、なんかましな方法を考えないとダメだ。夏なら自転車でもいいかも。坂だらけなのが難点だが。
いまのところ予想外に暖かいし、雪がほとんど無いので助かってる。調べてみたら+7~+13度だった。先週は-10~-4度だったのだから大違い。もしこれでバス停(Horemer)から雪道を1km歩いてゲストハウスとかだったら軽く死ねた。
つか天気予報見たら今週は日曜以外毎日雨だ。まあ暖かいから良い。(<-ヤケクソ)
歩けば3kmだってことが判明した。 つまり、我が家から南公園くらいまで。つまり、ウォーキングしてた頃のコースとおなじだ。
1月31日
今日は台湾出身の院生を含めて3人で夕食。ドイツまで来て「中二病」について話題に出るとは思わなかったが。たのしくノンアルコールで。アップルジュースばかり飲んでる。ホストも飲まない人なので、ちょうどよい。
昼は旧市街を案内してもらった。「ゲーテがここでゲロした」の写真を撮った。
あと、この建物で有名な詩人が死んだんだよって説明してもらったんで、だれだろ、ヘルダーリン? とか返答してみたんだけど、いま戻って調べてみたら正解だった。天才じゃね?とか一瞬思ったが、実のところチュービンゲンについて調べているときに、無意識に目に入っていたのだろう。
2月1日
サリエンシーマップのいじり方講義も終了!以前のASCONE2010のときの準備が役に立った。あのときはvirtualboxだったのでセッティングがけっこう難しくて難儀したけど、今回はVMware fusionにして、前回作った資料を英語化して、それで準備終了。
今日は論文のレフェリー談義やら津波談義やら英語教育談義やらデータ駆動型研究やらあらゆる話題を駆使しまくって喋り通した。こうやって価値観とかいろいろすりあわせてゆくことが今後にも役に立つであろうことを期待しつつだが、けっこう波長が合うので親しくなれそう。
歩いてチュービンゲンの市内まで向かう。Max Plank InstituteとかTuebingen Univとかは丘の上にあって、そこから見下ろすとダウンタウンが見えてくる。
だいたい40-50分で到着。iPhoneのGPSは役に立たず。
2月2日
午後はシュツットガルトまで連れて行ってもらった。駅前は大都会だった。規模としては、栄くらいの感じ。
行く途中でチュービンゲンの外れの村にあるKloster und Schloss Bebenhausenに連れて行ってもらったんだけど、ここがすごく良かった。Wikipedia独
1200年とかそういう時代からのもので、中の装飾とかも中世感があってすごくいい。
かつてはmonastery (修道院) だったんだけど、いまは博物館になってる。二階は寝室になっていて、いや、これはいまでも使えるんじゃない? Wifiさえあれば、ガッハッハ、みたいなバカ話してた。
チュービンゲンの中心からここまでが3kmというから、岡崎城から大樹寺までってかんじ。(すべてを岡崎座標系で評価する)
2月3日
起きた。土日はMax-Plank-Hausは食事が出ない。食堂も受付も週末は全部閉鎖している。訪問者にとってはいまいちな環境だが、労働者にとっては非常によい環境。日本のブラックな労働事情とは真逆なのだが、結局良いことと悪いこととは表裏一体なのだなと思ってしまう。
ホストは工学畑出身なので、ホビー関係で話が盛り上がった。「タミヤ」知ってるか?とか聞かれた。これはもう、今度は秋葉原に案内するしかない。このあたりで:ラジコン専門店 ~ RCアドバイザー チャンプ 秋葉原店 あと、フタバ産業、ツクモロボット王国。十字屋 ホビーショップは閉店してた!
ホーエンツォレルン城行ってきた。雪にけぶっていてすごくいいかんじだった。 ホストに拠れば、ノイシュヴァンシュタイン城よりも観光地化してないとのことで、じっさい静かで良かった。
よし、書類書きが終わった。もうすこしで、すべてが、すべてが終わる。(<-中二病っぽく)
そしていまから寝る。あしたはチュービンゲンの最終日。
2月4日
Peter Theirと会って話をしてきた。これからオペに入るということで、たいへん忙しそうなところを時間取ってもらって恐縮した。
あと、Nature Neuroscience 7, 56 - 64 (2003) (上丘でpre-cueの応答)のファーストのAlla Ignashchenkovaがいまはジアドのところでポスドクをしていて、こちらともこってり議論してきた。背景の知識が豊富なので話が楽しい。
「俺、無事帰国できたら矢場とんのわらじとんかつを食べに行くんだ」(<-死亡フラグ)
2月6日
自宅へ帰ってきた! 毎度ながら飛行機ではぜんぜん眠れてない! そういうわけでいまから寝る!
2013年07月27日
■ さうして、このごろ 20130131
めざましが遠くから呼びかけるせかいのせかいのせかい。
「吉田サンクチュアリ」を見つけに行くことにしよう。
「フィロポディア」ってなんか、いいよね。(<-フシギちゃんを気取って)
「顕(あらわ)せ 壁画の中」「張り巡らせ 檜の火」「かき乱せ 星の土」「トルコキキョウの水のように」
イントレピッド・トラベラー!
マジカルな感じでありたい、と願うことは地に足が付いていない証拠だろうか? それでも、マジカルな感じでありたいと思うんだ。
「かがみよ かがみよ かがみさん ブーツストラップで そらまでのぼるには どうすればよいのでしょうか」
おれヨシダ。だから友達はあいうえお順的にワタナベとかヤマダとかが多い。これホント。フシギ!
浮遊感を出していきたい。送別会でもらったメッセージで、後輩から、吉田さんはいつまでも浮世離れしていてください(意訳)と書かれていて超苦笑いした覚えがある。俺もそうしたいわ。
"OOO in the sky with diamond"でOOOに何入れればしっくりくるか考えていたんだけど、「ハリガネムシ」かな。
Flipping outを出したばかりのGigolo Auntsがテレビ番組でニールヤングの"Cinnamon Girl"を弾き語りで歌ってるんだけど、後ろで座っているチアリーダーが全員つまんなっさそーな顔して聴いていて誰も一緒に歌わないという、ひどい映像を堪能した。
大学院講義まであと一日になったヤヴァい。だがここからが面白い。かもしれない。なんか思ってもみなかったもの(だがたしかに自分の中になったもの)がうまいこと言葉になって出てきてくれて、その興奮の元で情熱的に語ることが出来たならうまくいくだろう。情熱大事。俺、獅子座だから。(<-牡牛座です)
丸ノ内線の階段を歩いているときに、サラリーマンで俺よか若いようなのが同僚に向かって「あんな、女の腐ったようなやつが…」とか言いながら歩いているのを聞いて、なんだか昭和にタイムスリップしたような気がした。そりゃ、体罰なんか無くなるわけがないよね。(<-こじつけ)
「ばねぢから☆さいばねてぃくす」
「づぼらや」の「づ」はあざとすぎる。
「じつはこの世界は、幻なんかじゃなくって、本当なのかもしれない」って表現は形を変えいろんなところに出てくるのだけれども、大好き。たとえば「私も生きているんだってことに気付いた」みたいな。子どもにとっては幼年期の終わりを意味する言葉が、大人にとっては一周回って逆説的な言葉となる。
「悩む」って言葉を「どちらを選択するか決めかねている」くらいの意味で使われるとなんか面食らう。言葉が軽すぎるわ。「悩む」って言葉は苦しみを伴うときだけにとっておいてほしい。
世界のすべてのカレーにもれなく納豆が入る日が来ますように。(祈願)
水色の厚紙に 前島密の切手を10枚貼って 六階の窓から 紙飛行機にしてしまおう
運が良ければそれは リッチ徳川園グリーンホテルを越えて
電車通りの市電まで 所内便を届けてくれることだろう
錆び付いた市電のシートからは ルミノール反応が出ることだろう
このエマルジョンが、俺をすっかり真白にしてくれる…(<-コックピットに座って、空と海の境を見据えて)
家に帰って、「明日は人間ドック。わんわんわん」と宣言してみたが、家族に完全にスルーされた。だれひとり「犬はドッグだろ」と突っ込んでくれません。
2013年05月09日
■ さうして、このごろ 20121212
あるアイデアが原理的に実現可能であることを示すためにトイモデルでfeasibilityを実証する、って概念になんか言葉があったよなと浅い眠りの中でずっと唸っていたのだが、proof-of-conceptだ!と今回は思い出せたのですっきり。
今日は東公園までリース作り教室へ参加しに長女と次男と一緒に行ってきた。帰りに象のふじこちゃんを見てきたが、ふと見ると生まれた日は1968年4月と書いてある。俺より一ヶ月年長だった。これからは「ふじこさん」とさん付けで呼ぶことにしたい。
それは色を変え、形を変え、動いたり傾いたり点滅したりしながら己の存在証明を更新し続けていた。
「浮遊感」を出してゆきたい。
キャプテンビーフハートのタロットプレーン (「ミラーマン」に収録)を聴いてて、ドン・ヴァン・ヴリートがブルージーにシャウト混じりで歌うんだけど、ふとこの歌唱法はアイドル歌謡で語尾を「しゃくって」歌うのと同じだなと気づいたらなんだか可笑しくなってきた。
今日は研究所の官舎(正確には独法化したので宿舎)の植木刈りの日。夏は草刈りで冬は伐採。ハシゴに乗って、植木ばさみで伸びてきた枝を刈る。没頭しているといつの間にか一時間が経過する。なぜか頭の中には遊佐未森の「ふたりの記憶」が流れていた。似つかわしいような、そうでもないような。
今日は大掃除の日。長男の部屋にある私の蔵書が埃をかぶっているのでそれを全部取り出して、埃をぬぐってまた戻す。
現象学入門本がたくさん出てきた。新田義弘、木田元、竹田青嗣、リオタール、それから清水書院「人と思想」のフッサール、メロポン。がんばって線とか引いて読んだ様子。オリジナル読まないからいつまで経ってもワナビにしか成れん。といいつつこのへんから読み直してみることにしよう。
メロポンの「行動の構造」も出てきた。ぜんぜん読んでなかったつもりだったが、本を開いてみたら第二章のあたりは線引いたり書き込みをしてたりする。これも読むことにしよう。ぜんぶ自分の手の届くところに移動した。
図書館に車で行ってきた。国道の温度計は摂氏3度を示していた。ドイツのガイドブックとユリイカ増刊号 魔法少女まどかマギカ を借りた。帰りに地下駐車場から地上に出てきたら、雪が舞っていた。雪はじきに止んだけど、家に帰って、ベランダに干していた敷き布団カバーを生乾きのままに取り込んだ。
本棚の片付けをしていたらいろいろ懐かしいものが出てきた。1995年のエレカシの野音のチケット。 ただよく分からないのは、半券がもぎられてない。このライブの記憶もない。そのあとの渋谷クアトロはよく覚えているのだが。
オーム社の「マンガでわかる」シリーズには注目していたけど、「マンガでわかるコンクリート」 にはひさびさに頭にコンクリートをぶつけたような衝撃を受けた。
帰りに自転車漕ぎながら、ニールヤングのI am a childを歌っていたら、サビの"the sky is blue"まで来たところで、'bl'の子音が重なっているところって気持ちいいなあって思った。Out of the blue, into the black.
"meridian"ってなんかいいな。"zenith"もかなりいい。前者はラテン語起源で、後者はアラビア語起源だそうな。zenithの逆向きがnadir。日本語訳の「天頂」「天底」もいい。
2013年04月25日
■ さうして、このごろ 20121129
長女は夜更かしして手芸かなんかやってる。わたしは布団に入ってスライド作ってる。次男は寝相が悪いのでそっと押しやる。こうやって夜が更けてゆく。
ラップトップのACアダプタを家に忘れてきてしまった。なんど同じ過ちを繰り返すというのだろう。そう、これは習慣を変えるためにはどうすればよいかという、太古の昔よりわれわれ人間につきまとう構造的問題なのだ。(<-さっさと家とラボ両方にACアダプタを買って設置しておけ)
「止(と)める」「止(や)める」問題シリーズ、「床(ゆか)」か「床(とこ)」かってのもあったか。「川床料理」とか。こういうのが気になる。(<-人生もっと大事なことがあるからそういうことを気にするべき)
「涙は心の汗というがの、あれは逆での、体を動かすと体が悲しみ、涙をたくさん流すというわけでの」 (<-いんちき聞き取り調査風)
総武線の車内広告で「gabaだけは許す つかかなり認めてる」みたいな文面があって、みんないろいろたいへんなんだな、と世界に向けてなんだか優しい気持ちになった。
次男と城西高校まで「ふれ愛ときめきフェスティバル」に行ってきた。グレート家康公「葵」武将隊が来ていて、チャンバラが好きな次男は見入っていた。曲調が仮面ライダー/スーパー戦隊だったんで、なんか通底するものがあるんだなと面白かった。じっさい次男は「侍戦隊シンケンジャー」が好きだった。
木工ミニカー競争で惨敗したのが悔しかったらしく、帰りの車でずっと敗因を探していた。タイヤとシャフトの大きさが合わなくて直進性が悪かったんだよと教えてやった。案外細かく理知的であった。
図書館に本を返しに行く車で、iTunesの選曲からエレカシの「歴史」が流れてきた。これまでに幾度となく聴きながら歌ってきた曲だが、今日初めて歌詞の意味を実感して、涙が止まらなくなった。
「栄達がのぞめなくなる」「肩の荷が降りたのだろうか」「死に様こそが生き様だ」こういった歌詞をまあ、意味は分かったつもりいたし、「死に場所を見つけるんだ」という言葉には共感していた。それでも、ちょっと他人事みたいに聴いていて、森鴎外を出してくるところにはファニーささえ感じていた。
でも、まあそういうんじゃないんだなってことは分かったし、なんというか浄化された思いだった。
「世界を火の海にする」なんて言われても、心に響かない。ならば「世界を火の海にする」とはどんなことか、時間をかけて想像してみることにしよう。そこは「悲しみで涙が涸れた」り「三十年来の復讐を果た」したりということのない世界だ。
「どこ吹く風」ってあらためていいフレーズだな。自然に日常会話の中に忍び込ませてみたい。
「この窓から見える矢作川へと沈む夕日を見ることが出来さえすれば、僕は楽園にいるのとおなじなんだ。」
「ちくしょー、おれはまだやれるぞー」(<-不可視境界線のむこうに引きずり込まれる様子)
次男とだらだら遊んでる。「うらにわにはにわ、にわにはにわ、にわとりがいる」を理解させることに成功した。つぎは「わたしたわしわたしたわ」をどのくらい速い喋られるか特訓。
次男がごっこ遊びで「これがにくであるとします」と仮定を持ちだしたのでなんだか面白くなった。
次男がずっと「わたしたわしわたしたわ」で替え歌作ってる。プーさんみたいで楽しいので静観している。
次男を連れて、刈谷市中央児童館「はばたき」まで車で40分かけて行ってきた。卓球とバスケットボール。
次男はフォアはなかなか鋭いのを返すのでけっこう試合が成り立つ(10対5とか)のだが、バックハンドを攻略したいらしく、今日はなるたけバックに玉を集めるようにと要求。向上心のあるやつだ。
いつの日か、いろいろ回り道はしたがやってきたことは間違ってはいなかったと言えるような日が来たらよいと思うのだが、どちらにしろそれを認めるのも認めさせるのも俺自身だ。いまはまだ人生を語らず、ただ生き延びていることを根拠に、まだすべてが終わったわけではないと言いきかせるしかない。
2013年04月15日
■ ひとりツール・ド・三河湖・チャレンジコース行ってきた
そんなこんなでまた自転車再開してるんだけど、1時間から1時間半くらいかけて20-30kmくらい走ってる。次の日が期限の論文も無事提出できたので 今日はまるまる一日空いた。そんなわけでひさびさに遠出することにした。
一つの可能性は、浜名湖一周コースで80kmくらい。これは以前にやったことがある。あともうひとつは、くらがり渓谷経由でつくで手作り村までの往復のコース。これはツールド三河湖のチャレンジコースと同じ。けっきょく後者にした。
行ってきた。トータルの走行距離 68.25km、経過時間202分。平均速度 20.23km/h。(runkeeperへのリンク)
行きは緩やかな上り坂で、26kmで250mの高さを進み、くらがり渓谷まで辿りつく。
くらがり渓谷から、これから登る道を写したところ。峠を攻め終わったオートバイが通りかかっている。
くらがり渓谷からつくで手作り村までは6kmで300m登るきっついコース。こういうのは三河湖スカイライン以来。ギアをいちばん軽いのにして、なんとか一度も足を付かずに登り切った。いちばん遅いときは時速7キロ切ってた。ロードバイク及びオートバイの人がたくさんいて、さんざん追い抜かされた。
目的地である、つくで手作り村に到着。 五平餅食った。鹿カレーは食ってない。クリーム大福も買ったが、凍っていたので背中に入れて溶かして食べた。 いまにして思えば、開封せずにポケットに入れておいて、帰りに補給用に食べればよかった。
帰り道は下り。これが最高だった。そんなにスピード好きではないのだけれども、クネクネ道を時速30キロオーバーで飛ばすのは最高だった。位置エネルギーってすごい!これのためにまたこのルート行こうと心に誓った。ブレーキワイヤがゆるみぎみだったので出発前に調整しておいたのだが、大正解。
帰りは楽に漕いでくるつもりだったのだけど、くらがり渓谷まで降りてきた時点で全行程での平均時速が18km/hであることに気づいた。これはつまり、帰りを24km/hくらいでキープできれば平均時速が20km/hを越えることを意味している。新しい目標が出来たのでちゃんと漕ぐことにした。
根詰めていたら、いつの間にか心拍数が165bpmくらいになっていた。これはまずい。行きの登り道でさえも155bpmくらいだったのに。信号で停まった2カ所で10分ずつくらい休んで、心拍が<120bpmになるのを待ってから再スタート。
ゆったりとした下りが続くのでスピードが出るはずだが、逆風で思ったほどスピードが出ない。思えば行きのゆっくりとした登りのときは追い風だったのだろう。まったく気づかなかった。追い風のときは気づかないけど向かい風のときは気づくものだ。まるで人生のように。(<-なんかうまいこと言った風)
けっきょく田舎道を降りきって、国1まで出たあたりで平均時速20キロ越えを達成。だいたい満足した。朝10時に出発して、午後4時前にはすべてが終了。妥当な線。もっと先の三河湖あたりまで遠出するとしたら、二時間早く出発することが必要そうだ。
2013年03月30日
■ さうして、このごろ 20121030
2012/10/3
今日見たアマゾンのレビュー。「ドライブ感というかグルーヴ感というか、著者自身が自分の語りにワクワクしている雰囲気」ここいいな。ドライブ感大事。
ついったに書いたものを再構成してブログの記事にすると、労力が減っていいのだけれども、まさにこのドライブ感を失ってしまうなあと思ってた。思い入れを断ち切って、冷めた目で扱うことが出来ていると言えなくもないが。
2012/10/5
"tranquility"って単語は語感がゴージャスすぎて、「静謐さ」といった語義とミスマッチが起こっているように思う。もちろん私は英語の語感など分かっちゃあいないが。"Selene"は清廉な感じが出ててとても良い。(<-日本語そのままじゃん)
2012/10/6
今日は研究所のソフトボール大会。7チームあって、うちは3位。かつてはもっとチーム数があって、うちも準優勝とかあったのだが、時は流れ、いろいろあったが、ともあれ久々の賞状! わたしも第一試合ではランニングホームラン出た。レフトライナー性のあたりにドライブがかかって野手越えた。
あとの打席はいまいち。ひとつ気持ちよくセンター返しが出せたので、あれが確実に出せるとよいのだけれども。みんなで祝った。酒は飲まなかったが、楽しい会だった。
次男はあいかわらず「コロッケぱらだいす ごきげん歌謡笑劇団」が大好き。コロッケの物まねネタとかわからんだろうと思うんだけど、次男によると「劇」が好きなんだそうな。気付いたけど、こういう「チャンバラ」の出てくるものって今時ほかにないからかも。次男は新聞紙で剣作ったりするの大好き。
さかなクンのコーナーも好きだってw
2012/10/10
食堂の前のアスファルトの道を目の醒めるように明るく綺麗な黄緑色のカマキリが歩いていた、というか立ち往生していた。その色の美しさに感激したが、茂みに返してやることはしなかった。
2012/10/14
「グングニル」がなんだかは知らないが、語感から北欧神話だということは分かるようになってしまった。機械学習で北欧神話っぽい言葉を生成させるとかできそうだ。(<-ドイツ語っぽいものジェネレータみたいなのだったら普通にあるか。)
ChromeのGoogleで「一晩で」まで入力したところで「一晩で法隆寺建てられちゃうよ」を補完したので感心した。
2012/10/17
竹田製菓のお菓子の城には家族で何度か行ったことがある。ほんとにお菓子で城作ってたりして楽しいのだが、あそこで有名なのはたまごボーロ工場で子どもの声で「ありがとう」を聞かせるということ。これはいかん。録音テープではなくてほんとうに子どもに言わせなくては効き目がない。(<-目がマジ)
うちの奥さんが捕まえてきた毛虫が順調にサナギになって、そして無事羽化した。ほかのサナギはすでに羽化して空っぽになっている。(写真へのリンク) 下に付いている染みは奥さんによると、羽化するときになんか汁が出るらしい。生まれ出ずる悩み? 人生と重ね合わせてみた。
オクラが英語Okraであるということに静かな感動を覚える。(<-遠回しなニューオリーンズネタ) でもロック好き的には、オクラと言えばCANのEge Bamyasiですよね!
次男の冷えた、やらかい二の腕をなでながら眠る。
2012/10/18
研究所のエレベーターが新しくなってから、合成音声で「2階でございます」とかいちいちアナウンスしてくるので、「そうでございますか!」とおばちゃん声で慇懃に返答してみたい欲望が高まっている。
次男と「おさるのジョージ」を見ているときに、電撃的に”furious George“というフレーズが浮かんだ。映画化決定。当然復讐もの。
2012/10/22
次男がテレビにかじりついて「よーし、ナイスナイス、ブランコ」とか言ってる。
あちこちに爆竹を投げ散らし 煙は強い風に流され 石畳は磨かれ 鈍く日の光を跳ね返し 街と街の境界の門のあちらとこちらで 問いかけが無駄になったり たまにうまくいったりする
2012/10/23
デッキブラシでこすったところで、取れてくるのは2億年前の苔だけだ。小さい竜巻があらゆるところで発生しているのだけれど、無色透明なのでさっぱり分からない。
雨の中歩いてラボへ行くのは嫌なものだ。中1の雨の日に、放課後のクラスで雨って嫌だよねーとか話している中でわたしは、そうかな、この雰囲気が好きだけど、なんて反論して、それを当時新任だった担任が擁護してくれたのを憶えている。たぶんその頃は服が濡れるのなんて気にならなかったのだろう。
なんかスッゲー味わい深い:「大量発生した蛾の幼虫にウキクサの葉が食べ尽くされたためで、幼虫もその後、自らの足場のウキクサをなくして水中に沈み、魚の餌食になった」 (リンク消失: http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20121023-OYT1T00662.htm) イイ話なのかどうかは分からん。
今日は「にゃんチュウ線」という言葉を知った。また新たなる高みに上り詰めてしまった。
2012/10/24
ゴミを捨てに行ったら、もう冬であるかのように寒かった。さすがにもう今年は短パンは終了か。もう少し粘れるかと思ったんだけど、みたいな話をしたら同僚に「いったい何と戦ってるんですか」とたしなめられた。
2012/10/25
車での帰り道に、「俺はごまかしだと言われても、地球を四角く切り取るぜ」っていうのと「俺は理にかなってないと言われても、地球を丸く切り取るぜ」っていう対比を考えた。「俺はXXX」の部分は改良が必要。
意を決して私は言った「ミートボールください」と。店員を顔色も変えずに厨房から出て行った。帰ってきた店員がタッパーに詰めてきたのは、たしかに、あの幻のミートボールだった。
今日の防災訓練では放送システムがダメダメで、連絡事項を伝えるたびにハウリングが起こってやむことがなかったのだが、よくよく聴いてみるとそのノイズは多彩な音色を持っており、なかなかサイケデリックでいい音だったので、このサウンドシステムで俺にギター弾かせろ、とか思ってしまったのでした。
教習所に行って実技でえらく苦労した憶えがあるんだけど、地元の同級生たちは河原とか駐車場とかで練習してから教習場に行くのが常識なんだと聞いたときには、やっぱ俺ってガリ勉ヒョロメガネ君の世間知らずなんだなって思った。
2012/10/26
「私のことは、エル・ニーニョと呼んでくれてかまわない」そう言われてもどう返したらよいのか分からなかったので、愛想笑いした。自分が愚鈍に見えたとしても、それ以外の方法はなかった。
ウルトラQのオープニングみたいにサイケデリックなマーブル模様が逆回転して、すべてのものが、あるべきところに収まり、因果律とか、漏電している水中モーターとか、水底に沈んだ無数の小豆の粒とか、そういったものが救済され、仲裁され、仲介される。
2012/10/27
ひさびさにたくさん喋ったからか、声が嗄れているということに気づいた。延滞している図書館の本を返すために車を運転しながら音速ラインとか歌っていたら、声が出ない。こんな弱い喉じゃあ、いつかスタジアムで歌うときに保たないな。(<-現実と空想の区別が付かなくなっている)
2012/10/28
犬山から帰ってきた。家に入ったらママが次男のことをなんか叱っている途中だったので、次男の耳元で「ユッフォー」と囁いたら、いま叱っているところなんだからやめてよね、とママに叱られた。そんな一日。
“fluffy”を日本語訳するなら「もっふもふ」だろうか。以前だったら「ふわふわ」だったんだろうけど。
2012/10/29
ザ・フーの”I Can See For Miles”の日本語タイトルは「恋のマジック・アイ」と絶妙にダサいが、それだったらいっそのこと「恋の千里眼」とかにしたほうがむしろダサかっこよくなったのではなかろうか。(<-キメ顔で)
2012/10/30
まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの うえでやかれて それでもそこそこ おれたちは せいかつしてんだから わけわかんねえよなあ おい
「まriがとさーん」って粘っこく言うへんなガイジンさんってキャラを創造/想像したことがあるのだけど、ぶっちゃけペリーさんじゃん、と気づいたら俄然萎えた。
2013年03月06日
■ さうして、このごろ 20120930
0908
「クリンビュー」の「クリン」の部分はかなりいい、もちろん「バスクリン」もいいかんじ、「ミミクリン」もニューウェーブだが悪くない、でも「アイスクリン」では狙いすぎ。
「アサヒクリン」は知らなかったが、「アサヒペン」の「ペン」のところは間違いなくいいかんじ。
Wikipediaのアサヒペンの項目より:「銀座中央通りの ... ビルの屋上には ... ペール缶と刷毛をかたどった巨大な回転立体看板が存在したが ... 2009年に撤去された。かつては千代田区岩本町の昭和通り沿いのビル屋上にも同様の立体看板が存在したが、こちらも撤去されて現存しない。」大ショック。
今日の午前中は次男とポケット人生ゲーム極辛をして遊んだ。なんか悪いイベントごとにストレスカードとかあって、それ持ってると生命保険に入れない。あと、職業選択でフリーターを選択すると退職金がもらえない。なんかいろいろ過酷で、人生ゲームも世相を反映しているのだった。
けっきょく次男は教師でスタートして途中でプロスポーツ選手として成功し、退職後も悠々自適の生活を営み一位でゴールした。わたしはと言えば、ストレス多めなコースを続けて、退職直前で借金をしたため、退職時に利子分を払って、老後もカツカツな状態でゴールすることになった。なんか身に沁みる。
2012/9/20
このあいだひさびさに名鉄に乗ったら、後ろで二人の女性が「大学のレポート出さないといけないけど、最近夜の仕事を始めたから時間がない」みたいな話をしていた。やっぱ研究所に籠もっていると世間に疎くなるなあとか思った。
2012/9/21
今日は17:50に長女をダンス教室に送って、帰ってきたら次男に空手の胴衣を着せて18:40に道場まで送って、その脚でダンス教室が終了した長女を迎えに行ったら待たされてけっきょく19:30で、帰ってきて夕食食べて、これから次男の空手のお迎え。まごう事なきリア充と言うほかない。
2012/9/22
次男が「おばあさんのシワは何本あるでしょう?」という昨日と同じ謎々を出すので、4*8=32で32本!と答えたら、そういえば昨日出したか、と笑っている。「エズミに捧ぐ-愛と汚辱のうちに」のCharleyのように拗ねたりはしない。いいやつだ。
wikipediaのサルトルの項目より: 「想像力についての実験のため、…メスカリン注射を受ける。この際に全身をカニやタコが這いまわる幻覚に襲われ、以降も幻覚を伴う鬱症状に半年以上悩まされることになる。甲殻類に対する恐怖は生涯続いた。」 味わい深い。
「窯変」って概念は格好いいなあ。「ケミストリー」と同じっちゃあ同じだが、前者を選んでおきたい。陶芸に興味を示しだしたにわかのオッサン、みたいな雰囲気さえ払拭されれば。こっちもよかった: http://www.shift-inc.co.jp/weblog/2008/03/post_29.html
奥ゆかしさを極めるのは、たいへん難しいことだなあ。
車の中で歌いながら「イー」と音を引き延ばしていると、なんだかホーミーみたいな高音が出ていることに気づく。いつかホーミーをマスターして、飲み会とかで芸として披露してみたい。
2012/9/26
"Quicksand"(流砂)ってかなりイケてる単語だ。シューゲイザーっぽい。
デイリーポータルZ「雨が降ると現れるまぼろしの大河」 これよかった。視覚の倍率を変えてみると、世界が違って見える。地面に寝っ転がってみるとか、脳内でモーションブラーかけてみるとか、自分もいくつか技法を持っているのだけれども、こんなやり方もあるんだな。
2012/9/29
数年前の話だけど、岐阜の叔父さんが畑で取れた野菜をゆうパックで送ってくれたんだけど、不在だったらしくて郵便局に放置されて、再び届いたときには萎びていたということがあった。叔父さんには電話で謝った。唐突に思い出した。
今日も今日とて長女のお迎え。道が混んでたので無駄話してたんだけど、ちょうどザッパのアブソリュートリー・フリーの"Invocation & Ritual Dance of the Young Pumpkin"(ザッパのギターとバンクガードナーの木管のインプロビゼーション)がかかってたんで、クラリネットやっている長女にここで聞こえる木管はなに?って聴いたら、わからないけどたぶんオーボエかなって答えだった。ちなみに"The Duke of Prunes"のほうはビブラートがかかっているのでクラリネットはあり得なくて、たぶんフルートとのこと。感服した。
2012/9/30
「エステー化学」はかなりいけてる、「テー」はもちろんのこと、「化学」もいいスパイスになっている。たとえて言うなら「大名古屋ビルヂング」くらい。
はじめから間違っていたんだと、そしてなにも始まっていなかったんだと、予言の自己成就を望み、(略)
「デッカ・レコード」の「デッカ」もいいかんじ。目移りしちゃう。
ビートルズの「ヘルプ!」に入っている、"Tell Me What You See"、どうってことない曲だけど、間奏のエレピとドラムだけのあそこがかわいくて好き。(ベースも入ってるか)
流しで洗い物の音がしているから奥さんかと思ったら長女だった。この時間は当然ママは寝ているので一発で分かるはずなのだが、なんというか、不思議な感覚だった。
月が見えてきたので、ちょとコンビニまで散歩がてら月見。ちょうど満月で、雲がすごい勢いで動いていくのだけれども、私には月がものすごい勢いで動いているようにしか見えなかった。道の真ん中でしばし立ち止まり、雲に隠れてはまた出てくる月を眼で追って、なんだか妖しい気持ちになった。
なんでそのように見えるのかといえば、それは今晩が満月で、月が高いところにあって、フレームオブリファレンスとなるような地上のものが視野に入らないからなのだけれども、それをしたところで妖しい気持ちは消えなかった。奈良井公園ではなにやら若者がはしゃぐ声、台風で興奮した様子。
わたしはといえば、禁を破ってカルピスチューハイを買って、コンビニの駐車場で月見。それ、ふつーにDQNです。気温とか、湿度とかを感じながら、こころのゲインを上げてゆく。遠くで聞こえるであろう列車の音に耳を澄ませようとしたのだけれども、虫の声と近くを走るバイクの音でかき消された。
今日の昼ごはんには、サークルKでモヤシが一パック20円で売っていたので、それをサッポロ一番味噌ラーメンに突っ込んで食べる。炒めるのと違って煮るのだとそんなに体積が減らないので、一パック投入は無茶だった。だがそれがよい。
2013年01月31日
■ 「ハーモニー」読了した
2012/10/28
「ハーモニー」読了した。よかった。いろいろ突っ込みたいところはあったし、いろいろ説明もしくは書き込みが足りないんじゃあないかとも思ったのだけれども、よかった。
あの理屈では「意識」は生まれないし、あの理屈では「ヒトだけに意識が出来た」というふうにできないだろうとかは思った。でも、「意識なんかなくなってしまえばいいのに」っていう強いメッセージを受け取れて、それがすごくよかった。本当はもっと外堀を埋めてこそ伝わる気はするのだけれども。
正直、これまで聞いていたヒントと、冒頭でetmlってのが出てくるところで予想できてしまったところはあるのだが、わたしの問題意識として重なるからすごく惹きつけられた。はたしてほかの人にとってはどうなんだろう、って気になった。これからネットで感想漁ることにする。
たとえばとあるアマゾンのレビュー「この話の最も重要なSF的モチーフの一つである「意識のない人間」というものがどうも腑に落ちない。人々から「意識」が失われる、といって何事か問題のあるように思えない。」
この人は逆転クオリアを意味のある問題だとは捉えなさそうだ。
あと、ここで指している「意識」とは「自意識」のことなんだろうなあと思わせるところがあったが、性急すぎてかつ舌っ足らずだとか思った。
ただし、意識がなくなると、(エピソード)記憶もなくなっていた。ここは評価できる。そしてそこにおぼろげな幸福感もあったと言っていて、これもいい。
ちょうど松沢先生の話を聞きに行って(本読んだのと合わせてこれで三回目だが)、「チンパンジーは今ここを生きているから絶望しない、人は絶望するから自殺もするが、希望を持つことも出来る」っていうのがメッセージで、驚くくらい同じことを言っていたような気がする。
2013年01月24日
■ さうして、このごろ 20120831
0802
自転車で見知らぬ道へと進めていくと(マーカー1)、田んぼの中の新しく整備されたきれいな道に出て、国道1号線のようにトラックに脅かされることもなく、かといって珍走団に囲まれたりすることもなく、肥料の強烈な臭いをかぎながら、半月が雲に隠されるのを見ながら、ずっと進んでゆく。
安城市に入り折れ曲がると(マーカー2)、古い街道(県道44号線)に出て大失敗。車道は狭く、その横にある歩道はデコボコでガードレールもない。歩くのなら素敵なんだろうが、自転車で走るには最悪の選択だ。中島町-福岡町あたりの県道43号線も同じ。
こういう道は自転車のものでないどころか、そもそも自動車のものですらない。江戸時代とかに人や馬が通った場所なのだろう。歴史との繋がりを感じる。
古地図見つけた。大正13年の岡崎市中心部。「三島尋常」とあるあたりが今の生理研で、たぶんこの「三島尋常」が今の三島小学校の前身。 (参照:岡崎って日本のどこにあるんすか?)
0811
A.A. ミルンの"Spring Morning"の一節だけど、「もしキミは雲で、空を漂っているとしたら、キミは空と同じくらい青い水の上を漂いながら、野原にいるボクを見下ろしてこう言うんだ、『今日の空は緑色じゃあないかい?』」ここの、"the sky looks green"がよく分からない。なんか意味、というか慣用句でもあるんだろうか?
探してみると、竜巻の現れる前兆なんてのがあるが、なんかそれってアメリカであって、イギリスっぽくないし、これじゃあないと思う。
しかし、床屋談義であることとDIYであることの距離はけっこう近いし、DIYするためには床屋談義であることを恐れてはいけないという側面もある。Consistentな倫理を作るというのはなかなか難しい。
0812
町内会の夏祭りの二日目。長女は友達と一緒に盆踊りの輪に加わってた。長女によれば盆踊りは踊りのパターンが簡単とのこと。そりゃ新体操よりは簡単だろう。わたしもホームラン音頭と炭坑節だけは分かったので踊った。次男は恥ずかしくて踊らなかった。そして終了。なにかすべきことがあったような。
「その透明な嵐に混じらず、見つけ出すんだ。」もう、このフレーズだけで失禁できる。ちなみに本体の方はまだ見てない。TSUTAYAで100円になるまで待つ。
0813
「それとも、これは、転調の」「colorized / polarized / victimized / vectorized / 」「送風機とあさがおと避雷針」「(未定)」「それともこう言うべきか、はじめからずっと居たのだと、」
駐車場に出てみると、雨上がりの蒸し暑い夜で、草の臭いだか樹液の臭いだかが立ちこめて、カブトムシだらけになったような気がした。 / 廃墟の吹き抜け、病院の階段 / 避難経路の案内図、公園の溜め池 / ホームレス、ヘルプレス / 誘蛾灯に集まる甲虫の脚の棘の産毛まではっきりと見える。
0815
高校野球の途中で12時に黙祷。次男に今日は日本が戦争に負けた日なんだよと教えたら、あ、わかる、徳川家康は日本で勝ったんでしょ、といわれて、まだまだ説明が難しそうだが、ともあれ岡崎の子どもになっておった。
昨日は実家の居間に隣接する仕事場(木の床にミシンが並んでる)でごろごろしていたらそのまま寝てしまった。12時間くらいそのままですっきり目覚めた。背中も痛くならない。なんだかよく分からないが、晴れがましいかんじ。
思えば小学生の頃は、仕事場にしかクーラーがないもんだから、夏休みにはこうやってごろごろしては親に邪魔がられていたのだ。
0816
「ピラルクとラマルクどっちが好き?」ボクは答えに窮した。
磁石を貼りつけ/昼寝をする/便りは来ない/腕を上へ伸ばす/洗濯ばさみが/立ち並び唸る/マイナスイオンの粒が/光り飛び散る/古いタンスが/それを跳ね返す/蛍光灯の紐の/かすかな振動/天井のしみは/古代の意匠/遠くの街灯は/錆びたまま上昇し/すべての行動を/無かったものにしてしまう。
0817
「バッファロー牛乳、ピッチャーでお願いします」隣の客が俺のことを不審そうな顔で見た。
0826
昼寝から目覚めてみると、ママが次男にピアノを教えているほほえましい風景なのだけれども、わたしはと言えば、宮崎吐夢のピアノレッスンネタを思い出して吹いてた。「Oh、違うでしょ。違うでしょ。何も違うでしょ」
0828 チクシュルーブ・クレーターとか読んで、マグニチュード11という記述を見て、もう笑うしかない。こんなの来ちゃったらいつでも人類絶滅するわけで、自然の斉一性なんていつでも終わらせられるよね。(<-まさに中二病)
0831
いま次男にどのくらい古いエピソード記憶を持っているか聞いてみたら、ひよこ2組(3歳)のときにみどりいろのところ(保育園の昇降口)からそら組(の教室の方向)を見てたことだけ憶えているとのこと。しかし、なぜか聞いてみると、後で自分がそら組になったので憶えてたと、これがたぶんポイント。
2013年01月14日
■ さうして、このごろ 20120731
0706
?「ねこパンチを受ける覚悟は出来ましたか?」 私「はい」 そしてわたしは拳を堅くして、そのときが来るのを待っていた。
「俺六角形だけど」って自慢したら、「俺八角形だけど」って自慢し返されてピンチ! もう12角形を使うことも出来ない。どうするか、どうするか、剣の刃の上に乗っかって真っ二つになる前に、今言え、今言え(<-禅の公案ぽく入道感出しながら)
0713
空の星を見るのも、海水浴場で遠くの深い冷たい水に触れるのも、なんだか世界の端っこに触れるようで、なんだかあらためて恐ろしく、宙に放り出されたような感覚を抱く。常にそれに触れ続けているんだってことも分かっているはずなのだけれども。
「日の当たる坂道」空虚だ。「世界が揺らいだ」それめまいです。……身も蓋もない言葉で世界を塗りつぶして、すべてが合理的で、実務的で、最適化されている。そんな世界には一瞬だっていたくない。でもその反対がうわさ話と迷信で作り上げられた非合理で、感情的で、無駄ばかりの世界であるとしたら。
0715
僕らは太陽を直視しない。僕らが外に出て歩くときの目の動きを計測したら、視線は太陽から逃げるように動いているだろうか? それとも端的に空を見上げていないだけだろうか?
ふと空を見上げたときに偶然太陽は目に入るだろうか? なんとなく避けていないだろうか? 僕らは無意識に太陽の位置を把握て行動していないだろうか?
同じことだろうけど、ふと人混みを見渡したときに目と目が合う確率は偶然以上に高いだろうか? 偶然以上に低いだろうか?
ニール・ヤングのLotta Loveでこういう歌詞がある。"So if you look in my direction And we don't see eye to eye, My heart needs protection And so do I."
目と目が合う実験。5人くらいで全員グラス型のアイトラッカー付けてもらって、お互いに必ず誰かを見なくてはいけないいっぽうで、目があったら逸らすように指示しておく。(これをしないとずっと見つめ合ってしまう平衡状態が生まれるw) これで創発してくる状態をモデル化。すでにあるか。
じゃあ、さらに操作を入れて、まずセッション1で順番になにかを読み上げてもらってその間の視線を記録する。セッション2(ここがさっき書いたやつ)でなんかルールを入れてお互いを見続ける。そのあとのセッション3で1と同じことをして、なにが変わったか調べる。なにを言ってるんだろう俺は。
「数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ」 図書館行って借りてきた。前にも借りたけどけっきょく挫折した。今から変分法学ぶためにはサバティカルが必要(<-このネタはもうよい)なので、せめて文系的に理解しておきたい。
ネットの資料的には「最小作用の原理はどこからくるか?」がいちばん分かりよかった。だがこういうことは教科書写経してごりごり練習問題解かないと身につかない。
数物系で、教科書写経して、練習問題ごりごり解いてやっと身につくのと同じような意味で、神経科学で「練習問題」を解くことは出来るだろうか。それは計算をするとかいうことではなくて、「実際に実験をやってみる」ということになるのだろうか? (たぶん前にも同じこと書いた)
プログラミング言語を覚えるためのいちばん手っ取り早い方法は、実際にそれを使って自分の問題を解いてみる、というところらしい。それと同じような話だろうか? なんかズレたような気はしているのだけれども。
0727
ついった落ちてたね。スペイン戦の影響か。そしてわたしも落ちてた。飯食って目覚めたら1時過ぎ。どうやって今から寝ればいいんだ?
しょうがないのでコンビニまで散歩。夏の真夜中は気持ちがいい。1号館からの帰り道の蔵前橋通り、午前2時くらい、自転車を飛ばしながら、今日この日と同じような空気を感じていたような気がする。過去は未来の私を規定し、未来は過去の私の意味を確定する。
ホテルで心置きなく冷房をつけっぱなしに出来る幸せ。29度では熱いので、28度にて。
次男はラップトップが充電できてインジケーターが緑になると外してくれる。しかも私がいないときには勝手に外したりしないのでのでえらい。
空が白みかけているヤヴァイ。
帰りは歩きながら仙台駅まで向かう。文化横町は前に通ったことあるからパスして、もう一段南に行ったら、すっげー戦後のバラックみたいなところを発見して(こういうの大好き)、一定の間隔でトイレとかあったり、かなり異次元だった。帰ってから調べてみたら「日本DEEP案内」で採りあげられてた。
壱弐参横丁 http://japandeep.info/2010/05/08/214051.html
ちなみに東岡崎駅の安城方面北側線路沿いにあった古い飲み屋街は完全に撤去されてしまっている。歴史的成り立ち的にはたぶん同様のものだったのだろう。
0728
象ラーメン、象ビール、象サラダ、象寿司、象雨、象石、象亀、象像、象潰瘍、象浮腫、象解像、象汁、象雨、象地獄、象天国、象蟻。表象できるものは、認識することが可能となり、存在することが可能となった。雨が砂山の小さな谷を流れてさらに谷を削るように、表象は偶像となり、磔とされた。
"Sleep inertia"ってフレーズ、いいな! なんかシューゲイザーっぽい。 http://en.wikipedia.org/wiki/Sleep_inertia
0730
自然史博物館のお土産に次男に買ってきた「化石掘りセット」(粘土で固められたブロックの中からプラスチックのトリケラトプスを掘り出す。3ポンド) を次男がやるのにつきあう。どうやればうまく粘土を削れるか、彫刻刀の要領で教えてやる。2時間かけてやっと1/3で今日は終了。先は長い。
0731
小学生の頃、夏休みの自由研究で段ボールを切って重ねて作る立体地図を作ったことがあった(こんなやつ )。 でもってふと今思うに、MRのデータがあるんだから自分の脳で同じもの作れるじゃん、って気付いた。実物大で。作ってみたい。
2012年12月30日
■ さうして、このごろ 20120629
20120601
「また逢う日まで」を歌いたい。こればっかりはギター弾いて歌うより、マイクを通して絶唱したい。変態っぽく、粘っこく。
よく替え歌にして、「そのとき心は何かを放つだろう」(エクトプラズムかなんかが口からスポーンと飛び出してくるイメージ)、とか車の中で独りで歌っては噴いてたのですが、それもこれからは出来ないかと思うと、寂しいものです。
20120603
車ってのは、殺人兵器であり、人間の能力を超えていて、それでも乗るのをやめることが出来ない、悪魔の文明の利器だと思うのだけれど、それでも、ハチクロでデザイン事務所のイケメンが、山田にそば食いに行こうってまるで近所のそば屋にでも行くような言い方で誘いつつ、東京から蓼科まで中央道を飛ばして行った、という逸話を読んだときは、なんかその爽快感にやられちまった。
スピードに惹かれないのだな。MTB寄りの安物クロスバイクに乗っているけど、ロードとか乗りかえたいとは思わない。岡崎で時速30キロ出したら死ぬ。それよか、なんらかの方法で負荷かけて、時速15キロでいいから心拍140bpmで2hrキープできるほうが望ましい。山道登れってか。
20120604
なんか名残惜しかったので、ちと外へ歩きに行ったら、空気が気持ちよかった。コンビニでカルピスサワーとおにぎり買って、奈良井公園のあずまやで暗闇の中BB2Cでも見ながらゆっくりとするつもりだったのだけれども、2,3人のインド系の方々があずまやには先客としていた。
ブラジル系の人はけっこういるのだけれども、インド系の人は珍しい。研究所の人がここまで来るだろうか? ともあれ、異国の地で、でもものすごく安全で(車運転して珍走団にでも巻き込まれない限り)、誰もいない真っ暗な公園で楽しそうに話をしているのをわたしはちょっと離れたベンチで聞きながら、カルピスサワー飲み干して、ちと気分を高揚させて、空気が気持ちよくて、見上げたら月がほとんど満月で、そういえば明日は部分月食だったのを思い出して、そうしてうちに帰ってきた。俺のことをダメ人間だと思うやつがどれだけいたとしても、俺は生き延びてやるんだ。
先日子どもたちの運動会を見にきたお婆ちゃんズが回転寿司屋に連れて行ってくれたんだけど、そこで店員が注文を受けるたび「ガッテン承知」と返事するのを次男が気に入ったらしく、日常生活で活用している。ママが風呂に来なさい、と言えば「ガッテン承知」。ネタに走る精神がたいへん素晴らしい。
「ネコまっしぐら」の代わりに「ベコまっしぐら」っていう、東北弁に基づいた切れ味の鋭いフレーズを考えたんだけど、前にも同じこと書いた気がする。そしてそれを検索して確認する元気がない。元気重要。眠りたい。
20120607
ブラッドベリは「たんぽぽのお酒」と短編いくつかしか読んだことがなかった。西尾図書館で廃棄処分になっていた洋書をゲットして「華氏451度」「火星年代記」といくつかの短編集を積んでいたのだが、ちょうど先週捨ててしまったところだ。なんというタイミングだろう!
いまは、オーウェルの「カタロニア賛歌」を読んでいる。いまはバルセロナでバリケード作っているところ。飢えと退屈と寒さとがきつい、みたいにでさらっと書いてあるが、なにげに周りで人は死にまくっていて、死線を乗り越えてきているというのがじんわりと読み取れる。
20120615
Magic Trip (DVD) これのレビューで、"what really surprised me is how crew-cut all the Merry Pranksters were!" ここ笑った。1964年だもんな。
20120618
次男に「お父さんスイッチ」で操られた。なるたけキモめな反応を出すことに心を砕く。「あ」「開いた口がふさがらない。え?え”----------?」「い」「イカれてる、イっちゃってる、異ノーマル」「う」「歌いつづける、24時間。もぐってもぐってもぐってランランラン…」「え」「えずく。う、う、うぼぇーーーーー」「お」「おがくずだらけの海に飛び込む。どっぽぉーーーーーん」たいへん体力が必要。しかも6周する必要があるとか言われる。わけがわからないよ。
20120622
「高等遊民」になりたい。親から膨大な遺産を受け取って(<-そんなものはありません)、都会から1時間くらい離れた静かだがそれなりに便利な街で(昔の鎌倉のイメージ)、早朝に起きて書き物をして、昼から外に出て人間観察して、5時にはそば屋で日本酒を飲んで、そんなかんじで朽ち果てたい。
昨日はけっきょく3D and VR展に行くには時間がもう少なかったので、渋谷の街をちょっと歩いて、まっすぐ帰ってきた。ひさびさに歩く渋谷の街は何も変わっちゃあいないといえば変わっていない。いや、レコード屋が無くなった。べつに俺の体は渋谷を欲していないなと確認できたので収穫だった。
豊橋ではいつも通り精文館書店をぶらついて新刊チェック。いつも通りその手前に通りにはアフリカ系っぽい人が待機している。いつもいる。ファミマでは「まどかマギカ Half Age Characters」というのが新発売されていて、出来はよさそうだがラボの机以外置き場がない。あきらめた。
知らない街まで車で行ってみたい。昼はジャスコの駐車場で車中で寝て、夜になったらツタヤとかで涼んで、だらだらとサブカル本とか無駄に読んで時間を浪費して、夜はひたすら次の県へと車を飛ばして、10時にジャスコが開店したらまた駐車場で仮眠するんだ。ヴィレヴァンとか人工的なものに囲まれて。
美しい田んぼの風景とか美しい山並みとか河川敷とかには目もくれず、ファスト風土のまっただ中だけを縫いながら、日本を縦断してみたい。風景とか歴史名勝とかそういうものをまったく目的に入れずに、機械的に日本を縦断することだけを目的として行動してみたいんだ。
20120624
今日のフットベースの練習はキック練習担当だったので、投げまくって疲れた。お子さんらは5回に一回だが、こっちは全部投げる。腰に来た。
奥さんがソフトボールの練習の後にコクワガタを見つけて家に持ってきて、メープルシロップをしみこませたのに乗せておいたのだが元気がなかった。しょうがないのでどっかに掴まらせておいたようなのだが、消灯すると俄然元気になって天井をブーンブーンと飛び回っている。それを私は横になって見てる。
100円ショップでレエン・コオト(芥川風)を見つけたので買ってきた。イギリス人傘差さないっていうし、イギリスの雨は土砂降りじゃなくて小雨らしいし、ASSC16はこれで対処してみようと思う。折りたたみ傘は持って行くが持ち歩かない方針で。
0629
今日も次男を連れて空手教室へ。7時だけどまだ日が落ちていなくて、ちょうどいいかんじの夕焼けがビルの谷間に落ちていくところで、車を降りると次男がそっと手を繋ぎに来た。
長男や長女のときを思い出して、こんなことももうすぐになくなるのかと思うと感慨深い。この気持ちを忘れまいと思うのだけれども、じつのところいろんな記憶で上書きされてしまって誰のエピソードだったかごちゃごちゃになっているのだ。「納豆ご飯」のことを「なっとぐわん」と言ったのは誰だったか?
アノラックからパステルズバッヂを外して、引き出しにしまって、そして僕らは誓うんだ、この気持ちを忘れないと、だからさよなら」というわけだけど、この気持ちは忘れてしまう。いや、気持ちは覚えているけど、それと結びついていたエピソードが抜け落ちてしまう。
これってオートノエティックかつコンテントのないエピソード記憶?
次男が「2000年前の0年のときって太陽にものすごく近かったんでしょ?」って聞くんで違うって言ったら、「じゃあ無量大数くらい?」(無量大数は最近の次男のマイブーム)と聞くので、46億年前だよ、と答えたのだけれども、無量大数と比べたら46億年前なんてすぐ近くだな、と思った。
ネットで探して、原始的生命の始まりが39億年前、魚がいるのが5億年前、と説明しだしたら異様に興味を持った。年表にはさらに続きがあって、10億年後には太陽が膨大して地球が滅びるとある。パパたちはせいぜい100年しか生きられないから関係ないよと教えたのだけれども、また100年後になったらなにか変わっているかもしれないので教えてほしいと言われた。逆にこっちが教えてほしい。
2012年12月17日
■ クール・ビッズ!
クール・ビッズ!
うちの高校では柔道の授業があった。体育の先生が柔道の人だったのでみっちり指導してもらえてよかった。それでも怪我をした奴はいたし、私も水泳部の大事な試合の前だったから、乱取りで小林の体落としに無理な体勢になるまで粘らずに倒れたら、サメさんに「本気でやってないだろ」とスゲー怒られた。
浪人時代や大学生時代、なんかいいことあるんじゃないかみたいな根拠のない冒険心で、夜になると自転車でどっか遠くに向かうのだけれども、当然なにもあるわけがない。でもそんな気持ちだけで水戸街道を松戸の方まで延々漕いで、夜中の2時で周りは暗闇で、畑の肥料の香りがして、いったいなんだったんだろう、と思いつつまた家まで帰ったことがあった。そのときのひんやりした空気のことを憶えているような気がする。
井上陽水のセカンドアルバムのA面の最後の曲「夜のバス」、深町純のシンセとストリングスの編曲が印象的な曲だけど、よく聴いてた中学生の頃はこの「バス」をローカルバスだと思ってた。でもこれは長距離夜行バスだ。「どこにも停まらないで」「矢のように走る」わけだし。博多ー東京とかだろうか。
「ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。」(毎日JPリンク切れ) この感じはよく分かるし、これこそがcomplexityだよなあ。それをsimplifyせずにsimplicityを見抜くことなんて本当に可能なのかと途方に暮れる。
クール・ビッズ! (<-作務衣を着て硯に向かい墨をすりながら心を静めていくようなイメージで)
小林がかけた技は正確には、体落としで崩しておいて、そこでいったん私が持ちこたえようとしたのだけど、そこを膝車みたいなかんじで膝に来たので、これは危ないと思って飛んだのだった。なんでこんな26年前のことを覚えているかは分からないが、とにかく思い出したので、お詫びして訂正いたします。
ラノベを図書館から借りてきたので読みたいと思ったが、わざわざスタバに行くのもばからしいし、車でエンジン駆けっぱなしというのもよくないので、けっきょくちょっとは寒くなさそうな、ジャスコの4階駐車場で羅針盤とか聴きながら読んでた。
そうしたらいつのまにか閉店時間が過ぎていて、周りに車が一台もいなくなっていて、それでも読み続けたら、駐車場が完全消灯して、閉じ込められそうな恐怖感を感じて、あわてて逃げ出した。逃げ場所などどこにもなかった。
こんな強風と雨の中をカサぶっ壊しながら自転車でラボに行く意味なんてあるのかね(<-自虐的修辞疑問文)
説明するまでもないが「自虐的修辞疑問文」というのは、「XXXであろうか。いやそうではない。だがやるのだ。やれやれ」という意味の造語。
クール・ビッズ! (<-意味がないフレーズを繰り返していると、なんとなくアートっぽい雰囲気が出るものだという信念を胸に)
2012年11月17日
■ 今日のエミスタ川柳
エミスタとは: Ina Researchホームページの説明
(7/13)今日のエミスタ川柳:休日の動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて消毒液を噴霧されるときの今大地震が起こったらどうなるんだろう感は格別。
(7/15)今日のエミスタ川柳:暑い夏の日に動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアシャワーを浴びたときの汗の飛び具合と快適感は格別。
今日のエミスタ川柳2:動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアシャワーを浴びながらこんなときに地震が起こったらどうするんだろう、と考えていたら目の前に「非常ボタン」があることを発見したときの安堵感は格別。
今日のエミスタ川柳3:動物実験施設に行って、誰もいない施設でエミスタの中に閉じ込められて、エアミストを浴びるときにちょっと背伸びしてミストを頭に直撃させて楽しんでいるときの、人に見られたくない感は格別。
世界でひとりの「エミスタ川柳家」を目指します。それによってグリーン・イノベーションに貢献します。(<-なぜかグラント公募申請書風)
(8/10)帰ってきた今日のエミスタ川柳。夏の暑い日にエミスタに入ってミストを浴びている時に、ふとここで歌ったらよく響いていいんじゃね?とか思って歌っている最中に、面識はあるが話したことのない微妙な距離の研究者と鉢合わせた時の気まずさはプライスレス。
(8/12)帰ってきた本日のエミスタ川柳:夏の暑い日の日曜日に誰もいない動物施設で処置をしていたらビクタス持ってくるのを忘れたことに気づいて、それだけのためにもう一度エミスタ往復しなければならないはめになったときのやるせなさは無限大。
帰ってきた本日のエミスタ川柳:夏の暑い日の日曜日に誰もいない動物施設で処置をしたら忘れ物に気づいて、エミスタ通って出てから忘れ物取ってきて戻ってみたら、まだエミスタが人が出た後の洗浄作業をしていたのを発見したときの達成感はプライスレス。
ちなみにエミスタとビクタスで韻を踏んでいる。(<-踏んでない)
(8/19)帰ってきた今日のエミスタ川柳:と言いたいところだが、とくになにもない。夏休みの宿題の絵日記で「今日は何もなかった」と書きたくなるようなそんなかんじ。白紙のページ、先の丸まった鉛筆。
(8/24)帰ってきた今日のエミスタ川柳:夏の暑い日に今日も今日とてエミスタ通過とか考えながらファルセットで歌ってみたら、それがザッパの「セクシュアリティ・ガスマスク序曲」であることに気付いて、まさにこの消毒用エアミストを浴びながら歌うにはこれしかないであろうことに気付いて我ながら感激した。
飽きたので終了。
2012年11月07日
■ 2012年のカブトくん脱出の観察日記
今年の夏のツイッターからカブトくんについて書いたものを集めてみた。
(7/24)今日は蒸し暑い夜なので、カブトムシが虫かご(フタ無し)から脱出して、ごそごそとやっているのが聞こえる。どうか俺に踏まれないようにしてほしい。
カブトくんは端的に道に迷っていたようだ。虫かごから脱出して、買い物袋を登ろうと難儀してごそごそしていたのだった。虫かごに返してあったら。なんだか静かにしている。とりあえず私が寝るまではしばらく静かにしていてほしい。
(7/30)カブトムシが脱出して、寝室を縦横無尽に飛び回っております……(<-三点リーダは偶数個で使わないといけないんだって)
(7/31)カブトくん今日も元気に脱走中。まだ21時前なのに。でもしょうがない。フタが新聞紙なのだからw 奴が羽ばたくと、部屋にカブト臭(樹液っぽい)が立ちこめる。
カブトくん、絶好調。うるさくてかなわないのでとっつかまえてお家に返した。
カブトくんたちが元気すぎて、ケンカしている。マジでツノで突き合いしてらっしゃる。
(8/3)カブトくんが脱走する気満々では音をばたばた言わせているのだが、今日はフタの新聞紙が二枚重ねで、しかもそれがずれていたのを直してあるのだ。(<-ドヤ顔)
(8/11)近いうちに(<-今年の流行語大賞)、カブトくんを知らずに踏んづけてしまう事故が起こってしまうのではないかと危惧している。そっと歩くしか対策はない。
(8/29)なんとか23時前にやるべきこと終了した(自慢げ) -> 駐車場に戻ってくると昨日とは打って変わって蒸し暑い夜 -> カブトくん活発化 -> 布団で寝モバ -> 耳元で羽音 ->超びびる -> 家族は全員爆睡 -> ふんづかまえて巣に戻す -> 手を洗って横になる -> イマココ
(9/6)9月になったというのに我が家のカブトくんはまだ羽音を鳴らして元気だ。さいきんはコクワガタがどんどん脱走するのだけれども、羽音をさせないのでみんな気付かない。いつの間にか脱走して、寝る前になって誰かに見つけられてお家へ強制送還させられる。
いやいや、脳天気すぎたか。羽音も元気がない。もう秋なのだから、カブトくんとはお別れの時期なのだ。
(9/7)今日は暑い夜なので、カブトくんの元気が回復してまた荒々しい羽音を立てている。「キミは、明日まで飛びたいのか?」と問いかけた。(<-「紙飛行機」と「ゼンマイじかけのカブト虫」が混ざったようす)
(9/12)カブトくんが脱出するたびについったに記録しているので、あとでみるといつ脱出したのが分かるというナイスな記録。
(9/18)「伝道者ILL!」とか「フリー・サトパル・ラム!」とか叫んでみたいが、横では次男が爆睡しているし、カブトくんはまだまだ元気でフタをかぶしてやんないといけない。「そして天まで飛ばそう」
ここまででツイッタへの言及はなくなっている。しばらくして今年はカブトくん全員亡くなっていることを奥さんから聞いた。
それでもコクワはもうしばらく元気でいた。ある日のこと、私が前日脱いだ靴下を再利用(<-ヤメれ)しようと履いたら、中に異物があってびっくりして確認してみたら、それは靴下に紛れ込んだコクワだった。びっくりしたなあモウ。
2012年09月22日
■ エズミに捧ぐ-愛と汚辱のうちに
サリンジャーのナイン・ストーリーズに入っている「エズミに捧ぐ -愛と汚辱のうちに」("For Esmé - with Love and Squalor")の原文を読んでた。
このSqualor(汚辱)をどう訳すか、なんだけど、英語のニュアンスなんてわかりゃしないんだけど、試しにsqualorで画像検索(セーフサーチオフで)してみたらゴミ屋敷系の画像がたくさん出てきたので、なんか分かった気がしてきた。
それにしても、まだ分からないのだけど、Esmeはなんで"I prefer stories about squalor"と言ったのだろうか?
"I'd be extremely flattered if you'd write a story exclusively for me sometime. I'm an avid reader."
I told her I certainly would, if I could. I said that I wasn't terribly prolific.
"It doesn't have to be terribly prolific! Just so that it isn't childish and silly." She reflected. "I prefer stories about squalor."
"About what?" I said, leaning forward. "Squalor. I'm extremely interested in squalor."
I was about to press her for more details, but I felt Charles pinching me, hard, on my arm.
私はずっと、Esmeは背伸びをして間違った言葉を使ったのではないかと思っていた。"Make it extremely squalid and moving”とあるように、movingに近い、なんかの言葉と取り違えているのではないかということだ。
でも、解説とか探したんだけど、そういうことではないようだ。 ネット上で一つ見つけたのがこれ:
- J.D.Salinger;"For Esme-with Love and Squalor"の一解釈 那知上 佑 (1973)
どうやら、Esmeはsqualor / squalidという言葉の意味を知ってはいるけれど、実のところ世の中のsqualorとはどんなものなのかを知らずにそう言ったという理解のようだ。その直前では、”childish and silly”ではないものを書いてほしい、と言ってるし。(とはいえ、彼女は以前戦争で父親を失っているのだが。)
"About what?" I said, leaning forward. ここを見ると、やっぱそうとうあり得ない単語が出てきたと考えるべきだ。英語のニュアンスはわからないが、主人公はギョッとしてように見える。
英会話すらおぼつかないくせに英語文学読もうなんてのがそもそも的外れなのである。でもやる。
"I told her I certainly would, if I could" ここの"if I could"は泣ける。なぜなら主人公はこのときノルマンディー上陸作戦へ出発する前日で、死を覚悟しているわけなのだから。
いちばんはじめのこの部分も味わい深い。
I thought it might just be possible for me to make the trip abroad, by plane, expenses be hanged. However, I've since discussed the matter rather extensively with my wife, a breathtakingly levelheaded girl, and we've decided against it--for one thing, I'd completely forgotten that my mother-in-law is looking forward to spending the last two weeks in April with us. I really don't get to see Mother Grencher terribly often ...
この文章の”rather extensively”という表現で、奥さんに「ちょっとぉ、うちのお母さんが来るの忘れたの? お母さんもう歳なんだからそうそう一緒にすごす機会無いんだからね?」とかこんこんと説教されて、泣く泣くEsmeの結婚式へ出席するのを断念したところまで想像できた。
それは、"breathtakingly levelheaded girl"のbreathtakinglyという大げさな表現で書くことでもそういう皮肉のニュアンスが出ているはず。少なくとも私はそういう毒電波を受信wできた。
All the same, though, wherever I happen to be I don't think I'm the type that doesn't even lift a finger to prevent a wedding from flatting.
持って回った表現すぎてどっちなんだか混乱する。よくなくなくなくなくなくない、みたいな。
そのまま読めば「俺盛り上げられずにはいられないよん?」みたいなかんじだけど、キャラ的にあり得ないからこれも皮肉的表現としかいいようがない。
つか著者病んでるから、書いてあることの意味は全部いつでも、いくらでも反転するよな。主人公がEsmeに好感を持ったかどうかすら確定してない。
というか著者は確定させないようにバランス考えて書いているんだと思うので(つか自分が著者だったらそうする<-投影しすぎ)、「Esmeはsqualorでcharleyはlove」みたいな図式的な説を見ると、ホントどうかしてると思う。
国語の問題とかで、「主人公がEsmeに好意を抱いていることを示唆している部分を書き出しなさい」なんてのが出題されるんだろうか? そんなのわたしが許さない。
次男が「おばあさんのシワは何本あるでしょう?」という昨日と同じ謎々を出すので、4*8=32で32本!と答えたら、そういえば昨日出したか、と笑っている。Charleyのように拗ねたりはしない。いいやつだ。
知らず知らずのうちに、サリンジャーとかヴォネガットとか自分の観測範囲内での「戦争」文学に目が向くところに、時代とのcoincidenceを感じる。(<-非科学的な物言い) 今夜はEve of Destructionなんだろうか?
2012年07月24日
■ 「野暮」でない方法なんてあんのかな?
フェンスを外す人 これ、いろんな広がりがあって面白い文章だ。「なんにでも理由があると思うと動けなくなる」という文句も付けられる。でもそれよりは「どうやってその理由を伝えつづけてゆくか」ということを考えるために使う方がよいと思う。
この話で出てくるチェスタトンのフェンスの話のソースを探してみた。"Don't ever take a fence down until you know the reason it was put up" というのが流通しているフレーズだ。
これはHeretics (1905)というのににあるらしい。 ということでグーテンベルグで原本見てみるとこのフレーズはない。
さらに探してやると、The Thing (1929)というのにもっと小話ふうに書かれていることがわかる。「フェンスを壊すな」はパラフレーズされて一人歩きしたフレーズであるらしい。リンクしたところではJFKだと書いてる。
内容を読むと、"In the matter of reforming things ..."というかんじで、 明確にreformersとtraditionalistとの間の話だってことが分かる。グーテンベルグだとThe Thingsの4章"THE DRIFT FROM DOMESTICITY"でアクセスできる。
JFKによるパラフレーズだということについてはWikiquoteにもあった。というかここを最初に見つけるべきだった。回り道をした。ソースははてブ
もひとつこの文のポイントは「粋」ってところで、つまり無粋な奴には分からないって言ってる。マニュアルでがちがちに固める「野暮」な方法はだれででもできると言う。
心情的には前者を応援するけど、実務的には後者じゃないと回らないってのも分かってる。でも、前者が成り立つ楽園を作りたいんだ。これが心の奥底に隠した、コミューンの夢、革命の夢。気の合うものと夜を徹して語ったりしながら思いついた、名前の付いていないことを、ガレージから始めるんだ。
いっぽうで、教育とは「誰にでも出来るようにする」ことを前提とした、本質的に野暮なものだ。 (教育は無粋なもの参照。)
じゃあ、逆に言えばさ、「誰にでも出来るようにする」ことを考えなければ、それは可能だろうか? 研究は「粋」であり続けられるだろうか? それとも科学そのものが本質的に野暮なものなのだろうか?
2012年07月11日
■ 人生の伏線を回収しに行こうぜ
家に帰るなり次男に向かって「ごんぶと!」とCMっぽくダミ声で呼びかけてみたが、完全にスルーされた。そんな春の夕暮れ。
ポジティブフィードバックが効き過ぎて、焼き切れてしまったり、すり切れてしまったりしないようにするための、自然が僕の心と体に埋め込んだ安全装置としての物理的界面。
「健康な成年男子ならだれしも口まねでシンセサイザーの音作ったりするよね、ビニョーーーン、みたいなかんじで」ってツイートしようとして見返したら、「健康な」も「成年」も「男子」も迂闊な名詞だと思ったので消そうと思ったが、どっちにしろすべてどうでもよいことなのだ。(<-語尾が気になる)
機嫌がよいときは、夜中に県道を車で運転しながら、舞の海がアパマンショップCMで歌うときを真似て、低く太い声で「ぼんっちあっらっれ」って歌ったりする。
「断捨離」ってどういう意味だかまったく知らないのだが、なぜだか、団塊の世代が作務衣とか着て蕎麦打ってドヤ顔みたいなイメージが湧いてくる。これは共感覚だな。
次男が、中古車屋でもらったお菓子セットの中で、クッピーラムネはいらないのでくれるという。俺もいらねえ。
amPlug Cabinetが1900円で売ってたので買ってきた。amPlug専用かと思っていたら、マルチエフェクターとかでも使えるという情報があったので、pocket PODとつなげてみたら、ちゃんと動くことを確認した。これで花見にエレキを持って行けるぞ! ってかさばるので、エレクトリックウクレレ用に使う。(<-これ貼り付けただけ)
これで格段に自由度が上がったので、家にあるセミアコに繋いでやって、長男のアコギと一緒にスピッツを弾き語りして楽しむ。とりあえず長男が今ギター教室で教わっているチェリーと空も飛べるはずあたりから。
サリンジャーの"For Esmé – with Love and Squalor"のSqualor(汚辱)をどう訳すかという問題で、英語のニュアンスなんてわかりゃしないんだけど、試しにsqualorで画像検索してみたらゴミ屋敷系の画像がたくさん出てきたので、なんか分かった気がしてきた。
小説内でEsméは13歳、弟は5歳、ちょうど我が家の長男と次男の年齢に相当することに気づく。
長女がポテトスナックがあまりおいしくないのでくれるという。俺もいらねえと思ったが、ラボに持って行ったらけっきょく一日で食いきってしまった。
The Ballad of peter Pumpkinheadを聴いていたら、サビのところでColin Mouldingが優しいかんじで下にコーラス重ねているのに気づいて、なんだか泣きたくなった。
次男の耳元で「ごんぶと!」とか「カール・フランゾーニ!」とかダミ声で囁いてやったが、完全にスルーされた。しかたないので「だめよ!デイビッド!」と裏声で女装したオッサンっぽく唱えたら、その本あるよ、と教えてくれた。知ってる。なぜなら目の前の本棚にあったのを読んだだけだから。
人生の伏線を回収しに行こうぜ(<-なんかかっこいいこと言ったつもり)
2012年06月27日
■ 「科学手品セット」などもうないし、なくてよかったんだ。
流水の中に白熱電球をそっと沈めて、ただ祈る。亀裂が入ったところで、時が止まり、空気が留まり、心臓が停まる。
水浸しのコンクリートの床にピアノが置いてあって、長靴とツナギで入り込んで、デッキブラシで床を掃除しなければならない。最悪なことに、床は傾いていて、ピアノのストッパーが壊れていて、ピアノがぐらぐら動くのを止めることが出来ない。塩素の臭い、水の臭い。ホワイトノイズが流されている。なんのために?
無謬性の誤謬が云々かんぬん。
押し寄せるのは、竜巻? 嵐? 雪崩? それともXXX? 言葉は失われたが、またあらためて分節し直されて別なところに生まれ落ちるだけなんだ。
思い立って、レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」を借りてきた。表題作だけ読んだ。なんてことはない話だけど、そして主人公はまったく普通に、嫌なところもある人だけど、それゆえになんかいいかんじで終わるのが気に入った。原文でまた読んでみることにしよう。
ついでにカポーティの「クリスマスの思い出」も読む。これはなんども読んだが、今回は村上春樹訳のやつだ。「そして僕らは思い出すのだ、すべての鳥たちが南に渡ってしまったわけではないのだということを」 キタワー
原文では、"Here, there, a flash, a flutter, an ecstasy of shrillings remind us that not all the birds have flown south."というくだり。
Here, there, a flash, a flutter, an ecstasy of shrillings" ここの圧縮の具合ったらないわな。感涙する。「そこかしこで、何かがさっと前をよぎり、ぱたぱたっという音が聞こえ、感極まったような鋭い啼き声が響く。」
"As for me, I could leave the world with today in my eyes."
そういえばこのあいだの出張のとき、かわいそ犬3号と名付けたくなるようにのを見つけた。年老いて毛並みがぼさぼさになってしまうだけではない何かがあるんだろうと思うのだけど、何かは分からない。とにかくそれは私の自己憐憫回路を揺さぶるんだ。
そのような「何か」の正体など私の中にしかないのだろう。「世界を再魔術化する」ってのが俺の中での「脳内革命」でしかないのなら、そんなものは要らない、いや要るか。要ります、要ります。「科学手品セット」などもうないし、なくてよかったんだ。
ここまでエントリ書いてしばらく放置していた。そしたらあとで気付いたのだけど、まだ我が家には「科学手品セット」は捨てられずにとってあった。なんだろう? 砂浜から潮が引いてゆく感じだ。自分が9年前の自分と繋がっているのを感じる。こんど次男に「科学手品セット」を使って見せてやることにしよう。
2012年06月14日
■ Why Am I So Short?
「行列の出来ない大学生」か。でも自分のこと考えてみると、固有値とか未だに意味が分かってないな。Cはポインタから先はわからない。Rはいつまでたってもワナビ。変分法を学んでいないから、変分ベイズも分からない。Marrの本読んでない。プリゴジンの本読んでない。ハーケンの本読んでない。医学教育受けてないから解剖実習も出来ない。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。
逆上がりができたことがいちどもない。木登りできたことがいちどもない。徒競走はいつもビリ。英語聞き取れない。英語で世間話できない。論文は未だに印刷して書き込まないと読むことが出来ない。経済のこと分からない。株のこと分からない。土地のこと、相続のこと、法律のこと、税金のこと、なにも分からない。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。
世の中のことを世間話するほどには何も知らない。震災のこと、原発のこと、捕鯨のこと、基地のこと、領土問題のこと、欧州経済のこと、北アフリカのこと、ハイチのこと、なにも語れない。ブログではそういうことは語るまいと誓ったことが徒になって、そもそもなにも語れない。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。
下級生をうまい店に連れて行っておごってやったこととかない。親身になって相談に乗って感謝された記憶がない。そういえば俺告白されたことがないな。(今書き出して愕然とした。) 恫喝が怖くて仕方がない。暴力が怖くて仕方がない。自分で吐いた暴言を夜な夜な思い出しては苦しむ。でもそんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。
本当に重要なことは全部迂回して、なんだか深刻そうに、あれもない、これもないとあげつらってみる。でも本当に重要なことを全部迂回しているかぎり、こんなことぜんぶ吹き飛ばすくらいだめなんだ。
“You may laugh at me / say I don’t deserve all the things I’ve had”
"Whenever you feel like criticizing any one," he told me, "just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had."
こういう書き方でしか伝わらないことをただしく伝えたいのだけれども、伏線とかコンテキストとかそういうものが足りない。だから今は、見つけるべき公式を求めて、なんどでも書き直しを自分に命じる。
2012年06月07日
■ タフグリップ
「タフグリップ」ってフレーズなかなかいいな。チャールズブロンソン的かつがっちりグリップ。タフでマッチョ。わずかにに開いたドアから入ってくるドブネズミなど気にもしないんだ。空は快晴、壁掛け式の黒電話。ヘリコプターの着陸する音。なにかの始まる兆し。タフグリップ。
「疾走感と喪失感。」大事なのは、音だけ聞いてもその意味が取れるかどうかなんだけど、そういう意味では悪くないか。でも手垢にまみれたフレーズか。ロキオン的な。やーめた。
「焦燥」も好きな言葉だがロキノンすぎて使えねえ。
もっと突拍子ないかんじで、ちょっとプレコックス感出てるかんじで、話聞いてる方が焦燥感煽られちゃうようなかんじで、「そこに置いてあるのは塩ですか?」「本末転倒ですね」「なんでこんなところにエスカレータがあるのですか?」「ハトに糞をかけられました」「奥歯がずきずきと痛みます」「白魚の踊り食いははじめてです」「布団が足りないんでこたつで寝てもらえる?」「急転直下の展開だったね」「鉛筆削るの上手ですね」「これから私がやることをよーく見ておいてください」「よく聴かないと倍音が聞き取れないな」「お湯が沸かしっぱなしだ、火をとめないと」「辞書に載ってないよ」
ターヘルアナトミアの翻訳の挿話で出てくる「フルヘッヘンド」とはオランダ語のverheffenだそうだが、「なんであそこに鉄球がぶら下がってるの?」「掃除が全部終わるまで帰れないよ」「オブラートって口の中で残るよねえ」「雨乞いについて世界大百科事典で調べてみよう」「急ブレーキかけると危ないよ、鼻が前のシートにぶつかる」「フルヘッヘンド」
「オッティ」が南風に乗って、川をさかのぼってやってくる。浅瀬なのに大挙してやってきて、乙川は大変なことになる。
「オッティ」はたいへん貪欲で、川底の石を全部ひっくり返して、それでも足ることを知らない。雨が降り続けていて、このままだと水かさが増して、また予想できないことが起こる。
オグデン、オグデン。”Ogdens' Nut Gone Flake”のオグデンって地名だったのだな。
Bの音をVに置き換えてしゃべってみる。イヴォイノシシ、とか。
以前、「プライベート・ジェット」って言葉がすごくいけてると書いたことがある。なんツーか、ゴージャスかつ70年代っぽいっていうか。
それで、今日思ったけど、「トップ・ブリーダー」ってのもかなりいいんではないかと思っている。犬がたくさんいるデカい家に住んでて、トロフィーに囲まれてて、しかもすっげー金歯たくさん入ってんの。
終電で寝過ごしたら高尾駅で駅員に「お客さん、耳からハミルトンシリンジが出てますよ」と言われて、はっと目覚めた。
2012年05月11日
■ 寂しい場所を通り抜けて
立食パーティーでそれぞれの皿から順番に料理を取るために長蛇の列を作るってのが納得できないっていうか、端的に嫌なんだ。しかもこれ世界共通だ。それぞれの皿に並べばいいんじゃんか。ぜんぶ盛る必要なんか無いから、なんか一品食わせてくれ。
でもそういうことが気にならないときがあって、それは誰かと一緒におしゃべりしながら並んでいるときだということに気づいた。つまり、そういうことが気になるというのは、立食パーティーでボッチになってとりあえず食うだけ食ったらさっさと辞去したいという気持ちになっているからなんだな。
「よける」と「さける」が同じ漢字なのってどうやって処理したらいいんだ? これは困った。日本語バグってるぞ。
「ゆがむ」と「ひずむ」ってどっちも「歪む」って同じ漢字使うのか。「とめる」と「やめる」と同じ現象だな。日本語バグってんじゃん。
ASSC17のほうの議論は収拾つかないし、査読した論文の著者はrevisionで俺を目の敵にしてるし、次男は味噌汁をこぼすし、ダイエットする気は起きないし、前髪が伸びてきて気になるし、雨は降り止まない。俺の世界は混迷を極めている。(<-ってほどのことか?)
248号線を走りながら、「風の辿り着く場所」とかひさびさに聴いてたら、なんだか岡崎に来たばっかりのころのことを思い出した。夕食後にまたラボに行くのがなんだか億劫で、地図も見ずに248号線を北上したら、寂しい場所を通り抜けて豊田市街に入って、本屋で立ち読みをして帰った。
新幹線で東京に向かうと神奈川県あたりのどっか左側の車窓から、坂というか小山の切り立ったところに家がびっしり立ち並んでいるところがあって、なんだか記憶に残っているのだけれども、いざあそこがどこかと言われると答えられない。もう数え切れないほど通ったのに。
私のために飲みニュケーションしてくれた先輩方には感謝している。説教食らうのに反発したこともあったけど、それでも時間とお金と労力をかけてくれたことに感謝している。その恩を何らかの形で返したいとは思いつづけてきたけれど、それを果たせずにいることにずっと焦っている。
わたしのなかには体育会系マッチョ思考の私と、貧弱モヤシメガネ君の私とがあって、政治的正しさを守るためにマッチョ君の方を隠蔽するのでかえっていろいろこじれたりする。
2012年05月02日
■ ボン・ボリーニ!
昨日の長女との会話:父「(iPhoneに)アングリー・バード入れておいたから」娘「あれおもしろいよねー」父「面白すぎないところがいいよね」娘「あー、わかるー」そうかわかるのか。
昨日豆まきできなかったから今日豆まき。次男が鬼になりたいって言うからみんなで次男に豆を投げる。なんだかいたたまれなかったので鬼を守った。我が家から鬼は出て行かなかった。
夜9時過ぎだというのに次男が寝もせずに「ひな祭り」の歌(灯りをつけましょぼんぼりに)を歌っているので、横からイタリア人っぽく「ボン・ボリーニ!」と合いの手を入れて邪魔をしてやった。
車の中でフランス映画のナレーションみたいに、むちゃくちゃセクシーに「イヴォーンヌ」とか囁いてみたりする。(<-けっこうある)
「うどん」をフランス人っぽく「ウドォーンヌ」と発音できるように練習を繰り返す。(<-ネタの使い回し)
そこには「つるにはまるまるむし」が集まってくるので夜は離れた方がいいよ。(<-無駄な忠告)
窓の外ではキュウリ売り、窓の外ではキュウリ売り、きっと誰かがふざけて、語感だけでキュウリ売りに歌詞変えてご満悦しているだけなんだろ?(<-字余り)
幸せはスペードの43。200枚トランプで、各スートは50枚。Jack-Queen-Kingのあとには見たことのないキャラが並び、43は読むことの出来ないカタカナ四文字で呼ばれる。
暖かいところに集まる習性を持っている「つるにはまるまるむし」をゴザごと全部焼き払いました。これでやっと新年を迎えることが出来そうです。
神田明神から秋葉原へと下る坂で、車にはねられたとおぼしき猫の死体が置きっぱなしになっていた。私がついったに書いていることのほとんどはシュールレアリスティックかつマジックリアリズム的な嘘ばかりだが、これだけは本当のことなんだ。
2012年04月16日
■ あの、なんだか宙に放り出された感じ。
高校3年になっていきなり受験モードになった教室になじめなかった野郎ども(運動部引退直後)はすることがなくて、でも意地でもその空気になじみたくなくて、毎日夕方ギリギリまで中庭でサッカーというか今でいうフットサルみたいなのやってた。
けっきょくわたしは眼底出血で入院とかもあって、高3の共通一次は補欠試験を受けて、千葉大の足切りで落ちて、2月頭には受験は終了してしまった。そんな顛末からほぼ自動的に卒業旅行の幹事に。あれはひどい仕切りだった。春の軽井沢とか行っても何もねえ。スケートできてやっと何とかなったかんじ。
急にそんなことを思い出した。あの、なんだか宙に放り出された感じ。自分が原点に戻るというなら、どこまでさかのぼるかというと、あの場所かなとか思う。あそこからもう一度やり直すとしたら、自分はいったい何をやっただろう。というか、そこからもがき続け、なんにも変わってないなとも思う。
けっきょく功利的に合理的にやってくことなんてぜんぜんできなかった。想像力に欠けたロマンティシズム(<-最悪の組み合わせ)で重要な選択をなんども無駄にした。あのとき寝飛ばさずに電話を取れたらなんか変わったんだろうか? いや、なにも変わらないだろう。
あのときあの失言をしなかったらなんか変わったんだろうか? いや、なにも変わらなかったろう。なんども吐き、なんども倒れ、救急車を呼ばれたり、なんかぶっ壊したり、いろいろと自滅しながら、なんであんなにも自分が許せなかったのだろうか。なんであんなにしぶとかったんだろうか。
自分では屈託があり、含羞もある小物だと思っていたけど、自分から見たものなんて当てにはならない。あとから答え合わせで、じつはこんな風に考えていたんだと明かされて、世界が崩壊するような恐怖を覚えて、そして自分の脳天気さに呆れて、でもピンピンしている。
あのときあの失言をしなかったらなんか変わったんだろうか? よかれと思っていったことが全部お節介で、何もしなかったことがぜんぶ事なかれ主義で、俺はもう何をしたらいいかも分からなくなっていた。だからそんなところからさっさとおさらばできるということにちょっとほっとしていた。
罪は消えない。恥も消えない。苦しみの記憶とともに、心の底の方になんだかいやあなかんじで沈殿してきて、見て見ぬふりをしないと日常生活さえこなせない。それでもたまにはそれに復讐されたりする。
「だがこれは過ぎたことだ、いまではわたしは美に敬礼するすべを知っている」とか言って終わったことにするのってかっこつけすぎだよなあ。だが人生は続く。
2012年03月03日
■ そういうみっともなさを愛する。
空を飛びたいなんて思ったことないな。海水浴をしていて、ずいぶん離れたところまできて、深いところの冷たい水を感じたりすると、ぞっとする。深夜に丸の内のオフィス街あたり自転車で通って、誰もいないってことに気が付いてぞっとしたり、深夜のLAの街を自転車で徘徊しながら、自分を知っている人間はどこにもいないんだということに気づいてぞっとしたり。
いやいや、それはある、ふつうにある。大雨が降って、買った水が全部無駄になって、花火工場が爆発して、いつまでもあれが消えないままに、いやそれはどうでもよい、頭がはっきりしているあいだにたいせつなことに取りかかることにしよう。バカバカしいくらいに積み上げられた蛍光灯の束。
農道を走る自転車と遠くのたき火の臭い。顕微鏡の下でそっとネジを回しながら、船底で海水が流入してくるのをそっと待つ。腕がしびれて、前を向いた瞬間に、どっちが上だかわからなくなった。外巻きの渦と内巻きの渦がぶつかり合い、無限大を表象する。
いやいや、それはそうではない、と持ち替えた手がそもそも左右が間違っている。牛乳パックが日本刀で手品のように切られ、中の液体がスローモーションで落ちてゆく。眼球の毛細血管がゆっくりと膨張してゆく。バスケットボールが後ろ回転をしながら放物線を描いて、ガラス窓を直撃する。
蜘蛛の巣には誰もいなくて、近くで落ちた実がひからびている。その周りは住宅街で、蛇やら狸やらが追い出されては車に轢かれる。手のひらの皺から三十通りの単語を拾い出す。緊急用の赤いランプが点灯しっぱなしで、もはや意味を失っている。
オーバーロード、オーバードーズ、ウーバーメンシュ。鉄球と魂とペンドラムの歌。練乳をかけた植木鉢に集められた30個の錆びた缶バッチ。独学で至った境地。血に染まった川。顔に修正の加えられた白黒写真とステッキと山高帽。皮ははち切れそうになっているし、枝からは千切れそうになっている。
一斉に押されるスイッチ達。夕日の中を飛ぶ航空機。道ばたに置かれたままになっている白いペンキ。すべては止まっていて、ここから遠く離れていて、私が別れを告げるためだけに存在している。
「黒の二枚刃」「すぐのお出かけ」「ハッシュタグ、ハッシュタグ」
寒い道を康生町から東岡崎の駅まで歩いて行った。東岡崎の駅前は忘年会終了後の客でごった返していて、岡崎の夜とは思えないくらいの様子だった。ちょっと離れると静かさが際だって、なんだかスキー合宿で雪道を買い出しに出かけたような気分がしてきた。
iPhoneの光を頼りにして、足下のあやしい暗い道をたどって向かう。街を縦横に駆け巡るコミュニケーションの束。落ち葉とともに掃き集められた昆虫の死骸。鋭角に割れた窓ガラスが下腹部に突き刺さっているイメージ。路上に敷かれた鉄板から立ち上る冷気。
プルーフロックの"I do not think that they will sing to me" …なんて、なんという自己憐憫の固まりだろうか。ぜんぜんかっこよくないぞ。ダサダサだ。「キリッ」とか付けちゃうぞ。「私のために歌ってくれるとは思わないけど(キリッ)」そういうみっともなさを愛する。
2012年02月14日
■ 人生の簡素性(simplicity)と単純化(simplification)
俺の泣きの琴線的には、ベム達は人間を助けようという崇高な目標を持ち続けていることで既に人間であるってことがわかるって展開。人間であるということは汚い心を持つということであり、それゆえに彼らは裏切られつづける、とかなんとか。
あとあれ、なにかを得るためにはなにかを捨てないといけないというジレンマにおける「捨てる喜び」。ベタなのでいけば、子どもの命を救うためには自分の命を投げ出さなくてはいけない、みたいな。そういうのに心を振るわされる。
そういう意味では、人生とはシンプルであって、俺の心を振るわせることはほんの一握りしかないのだろう。これが人生の簡素性(シンプリシティ)。
行動をシンプリファイしようとするタイプのライフハックは俺の敵だと思うけど、欲望と動機のシンプリシティについては深く確信している。
ちょっと分かった気がする。このふたつを混同していたような気がするんだ。複雑なものを簡単なものと見なすsimplifyではなくて、複雑なものの中にある簡素なものを見つけるsimplicity。この二つを混同せずにありつづける知恵をどうかお恵みください。
なにかうまいこと本質を抽出したときはsimplicityであっても、それがレッテル付けとして一人歩きしたときはsimplificationとなりうる。そんなふうに両者は繋がりあっている。
2012年02月02日
■ "Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity"
それでも、ザッカーバーグの"Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity"ってのはなんか違うと思う。でも頭に来るくらいには切れ味のあるフレーズだ。
自分は"facebook/mixi"と"blog/twitter"の二分法だったら後者の人間なのだということは身に沁みてよく分かった。
いじめを受けていてマリリン・マンソンとか聴きながら世界への呪詛を書き連ねるようなやつがわざわざ身元を明かしてfacebookに名前を載せて、web上ですらジョックスどもの笑いものになったりするなんてあり得ないだろ?
だから俺には、前述のザッカーバーグの発言が、リア充がリア充の価値観で世界を塗り込めてしまおうとするものにしか思えないんだ。ザッカーバーグってIT業界の人間だけどナードじゃない。
Facebook上の俺は社会性を意識した外ヅラ用の俺。Twitter上の俺はもうちょっと内面に近いけど、それでもいろんな検閲を通して作ったある種の芸風の俺。もし本当の俺ってのがあるとしたら、飲み会が三次会ぐらいまでいって人も減って夜中にしんみりと語っているときぐらいだ。
でもだれだってそんなの同じだろう?
いや、その書き方は言いたいことを正しく言い当ててない。同意を求めているのではなくて、「これが自分だけのことである」なんて勘違いしているわけではないよ、って言いたかっただけ。
"All the jocks stand up!" "Anybody with a white hat or a shirt with a sports emblem on it is dead."
Wikipediaより: "teachers commonly looked the other way when confronted with bullying" 「見て見ぬふり」って英語だとこう言うのか。
Marilyn Manson is asked ... what he would say if he could talk to the shooters of Columbine. He responded, "I wouldn't say a single word to them. I would listen to what they had to say, and that's what nobody did."
…ちとDVD借りてくるわ。(F-15のAA略)
2012年01月13日
■ そうして、このごろ1209
人生へのアティテュードというかなんというか、屈託がない方がよいとは思う。でも含羞はあった方がよいと思うんだ。マトリックス作ってみた:屈託-/含羞+=>サイコー、屈託-/含羞-=>恥知らず、屈託+/含羞+=>小物、屈託+/含羞-=>ダメ人間
夕食のときに国体のハンマー投げの部を見ていたら、次男が「いもむしとはちがうね」と言うのでワケわからなかったが、長男がすぐに「室伏のことね」と即理解したので、笑うとともに感心した。
長女といちばん好きな季節は秋、ということで意気投合した。ワビサビがわかっとる。(<-ドヤ顔)
「俺には俺の唄がある」には野島という謎の男が出てきて、質素な暮らしをしながら、高等遊民をやっている。高等遊民いいな! 俺も「先生」のように、野島のように、高等遊民をやりながら(ry ... ry)したい
ものすごく近くで秋の虫が鳴いている音がする。まるで部屋の中にいるかのようだ。しかも音源の位置が複数あることまでわかる。子どもたちはよく寝ている。寝息が聞こえる。歯ぎしりが聞こえる。よく耳を澄ませると、金魚のためにバブリングをしている音が聞こえる。
ほのめかしメソッドをやると、違う人が釣られちゃうので絶対やってはダメ。これ先生との約束な。
いちばん好きなギターコードはFmaj7 add9thだろうか。でもただひたすらにEmだけを弾きつづけたいときもあるものだ。EよりはEm、これだけはまちがいない。
なるたけ実生活で感情の上げ下げをしないようにしておいて、そのぶん小説とか読む。ふだん運動しないでおいてそのぶんジムで運動するのと似ているような似ていないような。
「みどりのそうげん はだしになろう」ここ泣くポイント。
「あー僕らの人生って、せんみつのセイ!ヤングみたいだね(みたいだね)」ってフレーズを考えたが、あんまり泣けない。オールナイトニッポンの方がよかったか。
夜に自転車で走っていると、道路工事用の移動型光源(あのなんか丸いやつ)が煌々と光っているのを見つけて、まるでビルの谷間に半月を見つけたときのようにギョッとする。やっぱり夜はいろんなものを空目するのでギョッとする機会が多い。
長女の新体操のお迎えに、車に乗ってセバドー聴きながら到着したら、音が漏れて恥ずかしいからやめて、と怒られた。長女にとって私はDQNなおっさんなのであった。がーん。
長男から「ピロカルピン」とか「andymori」とかを教わる。そんな俺の存在証明。
2011年12月31日
■ トラルファマドール星人と永劫回帰
「スローターハウス5」は2/3くらいまで来たが、意図せずカラマーゾフの兄弟と繋がってきたので、この偶然の一致に感激したが必然だとは思わない。(スローターハウス5のテーマとからむネタ。) トラルファマドール星人が「あなたの人生の物語」と繋がるのはあらかじめ知ってた。
"He said that everything there was to know about life was in the Brother Karamazov ... "But that isn't ENOUGH any more", said Rosewater."
さらにまどマギやエンドレスエイトと絡めているのを見つけた。なるほど、ループものと自由意志とトラルファマドール星人的視点(すべてを永遠の相の元に眺める)で三題噺ぐらい作れそうだ。
わかったような顔をして「永遠の相の元」とか書いたがスピノザとか読んでいるわけがない。
「来世に託す」という考え方を完璧に打ち砕くために、「来世はあるけれども、今生とまったく同じものが繰り返されるだけである」というふうに認識したらどうだろう? この人生を生きるしかないなって気がしてこないだろうか? ていうかそれ永井均経由で俺が受容した永劫回帰をさらに転倒させたものか。
もしくは、記憶の持続とかそういうメカニズムがまったくないループもの。ゆえに、やり直ししてもうまくはならない。カタルシス無し、神の視点無し。
たとえ輪廻転生があったとしても、ふたたび1968年の公害と騒音と地盤沈下の町まで引き戻されるのだ。校内暴力とツッパリハイスクールロックンロールの時代を生き延びて、バブルを横目で見て、ふたたび入院したり、交通事故にあったり、耳を七針縫ったりするのだ。
トラルファマドール星人にはすべての時間の事象が一挙に見渡せるので、つらい事象に対してはただ無視するだけだ。つまり、空間的注意と同じような意味で「時間的注意」とでも言ったものを備えているということになる。
こういう眼で見直すと、arousalレベルの上げ下げというのは不完全ながら時間的注意の一種であるといえる。focal attention (空間/featureへの注意)とsustained attention (arousal)という注意の分類は空間と時間の違いであると言える。
"I was still alive somewhere and always would be."
あるとき俺は1000分の1、あるとき俺は1分の1、統計的な俺と実存的な俺。
スローターハウス5読了した。よかった。トラルファマドール星人的描写に慣らされて、静かな心でイベントが描写されるのを眺めてゆくところで、ついにドレスデン空襲が描写される。ちょっと他にはない感覚だ。そして、そのような状況になったら、そのように世界を眺めるような気もしてくる。
ヴォネガットの「乾いたユーモア」みたいなものは正直好みではなかった。ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」も同じくだめだった。でも「西瓜糖の日々」が大好きだったように、「スローターハウス5」の静謐な世界は好きだ。たぶん「乾いたユーモア」ってのはそれを引き立てる効果があるのだろう。
つーか、スローターハウスとかギャツビーとかライ麦畑とか、向こうの高校生の課題図書みたいなのばっか読んでる俺ってのはバカみたいに見えるのだろうか? まあいいや。
2011年12月10日
■ そうして、このごろ1001
ついったから転載。
自分はどのタイミングで全脳感を失ったんだろうか? ひとつ覚えているのは、小学校六年のときに生徒会長だったんだけど(正確には代表委員会委員長)、それが教師の傀儡として操られる存在であるという醒めた認識を持ったときだろうか? (小6で中2病ってかんじ。)
そういう状況事態をひっくり返すようなメタな発想と行動力を小学6年生に求めなくてもいいと思うけど、ともあれあそこが私の原点だったことを思い出す。徒競走が遅くたって、泣き虫だったって、投手として使い物にならなくてコンバートしたって、そういうことで自分の自尊心は揺るがなかったけど、「優等生」をやらなくちゃいけなくなった屈辱は忘れない。
そんなことを考える今日は次男の運動会の日で、両親がはるばる応援にやってきて、ビデオを撮影して、ステーキをごちそうになって、その店は今月で閉店となっていて、すっかり寒くなっていて、けっきょく私は帰るなり2時間ほど昼寝していた。そんな日のこと。
俺はこれだな:(15)の改変 何者かになりたいという欲望はあり、何者かになる強烈な快感をまだ味わってない自分をみじめだと思っていたが、仕事が忙しいのでどたばたしてたら年を取ってしまって、もはや何者かになれる人間ではなくなっていた。
だがここからが人生だ。俺の情熱はけっして消えないし、消えそうに思ったこともない。その時々の状況の中で、自分の疑問を磨き続けて、先鋭化させていく俺の旅はまだ終わっていないし、終わらせる必要もない。どんな状況にいようとも、だれも私のことを何者と認めなくても、それを続けていく力がある。
こういう抽象的な議論は好きではないのだが(<-おまえが言うな)、「何者かである」ということは「何者かであることによる強烈な快感」によってのみ定義される純粋に内的な価値であって、直接的には外的に決まらない。もちろん内的なものは外的なものによって影響を受け、規定されさえするが。
あーあ、でもさあ、率直に言って、世界が俺の思うとおりにならないなんて理不尽すぎる。ぷんすかぷーん。(<-キモッ)
2011年12月01日
■ Amazonのカスタマーレビューの「有用性の高い順」ってどうやって決めてる?
Amazonで本を探したりするときにはレビューの文章をけっこう読んだりするのだけれども、あれは「このレビューが参考になった」の数に基づいた「有用性の高い順」でソートすることができる。そうするとしょうもないレビューを読まなくてすむ。まさにwisdom of clouds。
ところであの「有用性の高い順」ってどうやって決めてるんだろう? たとえばUSアマゾンのSlaughterhouse 5のレビューで、Most Helpful Firstでソートしてみると、一位が257/286 (全投票数286のうち、helpfulが257)で、次が212/236、67/75, 16/16, 28/31, という順番になっている。
一番のものから順番に、「helpfulに投票された比率」をプロットしてゆくと図のいちばん上のようになる。もしこの比率だけで並べられているならこんなにはデコボコにならない。
どうやら、「helpfulに投票された比率」だけではなくて、投票数も加味して順位を決めているっぽい。そりゃそうだよね。16/16と1/1ではデータの信頼度がぜんぜん違う。
そこで以前のエントリ(20090319)で作ったように、最尤法で95% credible intervalを計算してやって、エラーバーを付けてやったのが真ん中の図。それっぽくなってきた。ちなみにエラーバーが0-1になっているデータは0/0のもの。
「helpfulに投票された比率」は二項分布での最尤推定値だけど、そのかわりに尤度の分布で重み付き平均を計算して表示したのが下の図。(これをnon-informative priorでのベイズと捉えれば、前者がMAP推定に相当して、後者がベイズ推定に相当する。)
完全には同じでないのでなんかまだ違うことやっているようだけど、だいたい近づいたので満足した。
データ入りのmatlabスクリプトあり:sh5plot3.m ご自由にどうぞ。
…とここまで書いて、Amazonランキングの謎を解くという本があることを思い出した。関係あるんだろうか。まあいいや。(あとで図書館で見つけたが、売り上げランキングの話で、今回の話題とは関係なかった。)
余談だけど、順位が下のレビュー(helpfulの比率が10%以下)ってのはたいがいは読んでなくても書けるような文章、たとえば「退屈で難解、読む価値無し」みたいなやつだったりして、0/10とか付いても当然ってかんじでつまらん。でもたまにトラルファマドール星人に拉致られたとしか思えないようなものが見つかる。しかもレビューへのコメント欄が煽り合戦。まさに「いったい何と戦っているんだ」状態。
2011年11月25日
■ この厳然たる事実を祝福しよう
このあいだ農協の企画で次男と稲刈りに行ってきた。三十家族ぐらいが田んぼに入って横並びで鎌を使って稲穂の根元をじょりっと切ってやる。次男は30分で飽きて田んぼのカエルを探してる。ちょうど稲の花が咲いていた。終了して新米と豚汁を食べる。うまい。隣の大家族はお父さんがひとり大声でしゃべっている。「これうめえなあ、おまえももっと食べろ」「稲の花見たか?」いろんな家族があるなと思った。
稲の花はすっごくかすかな白い花で、二時間ぐらいしか咲かない貴重なものだそうだ。これから俺の中では「白い花」とは稲の花を指すことにした。
(ある者は医者になり、ある者は役人になり、ある者は裁判官になり、ある者は大学教員になった。ある者はサラリーマンになり、ある者は会社役員になり、ある者はニートになった。でも驚くべきことに、ほとんどみんな生きている。ほとんど統計的に当たり前なくらいに。)
(これは当たり前なんだろうか? では小学生のときの同級生はどうだろう? 大学生のときの同級生はどうだろう? これは当たり前なんだろうか? 驚いたことに驚いてもいいけど、けっこう驚くべきことなんではないかと思っている。)
(吉田、オメー変わんねーなー、と言われるとなんだか誉められたような気恥ずかしいかんじがしたりする。けっして誉められたわけでもないのに。女性に同じようなこと言われてうまく返せなかったことがある。正しい答えは「XXさんはきれいになりましたね」だ。でもこれがとっさに出てこないんだな。)
(ほとんどみんな、生きている。この厳然たる事実を祝福しよう。)
ぼくらの時間にはほとんど決定的な瞬間など含まれていない。それでも決定的な瞬間はあるし、それはあまりにもさらっと過ぎていってしまう。気にするまいと、目をふさいでしまえばなんどでも過ぎていってしまう。やり直しはきかない。やり直しのつもりでもそれは言い訳してるだけだから。
気心しれた人とあんまりお金かけないで、酒飲みながら語って、あんま人生の厳しい面とか思い起こしたりとかせずに、なんか楽しいことだけ話したり、頭空っぽにしてUNOとか大貧民とかやったりしたい。蚊のいない涼しい森でキャンプファイヤーしたい。
みんなが語っているうちに、知らぬ間に居眠りをしていて、また普通に話に参加したりして、それでもぜんぜん話に着いていくことができて、山盛りのハッピーターンとカントリーマアムつまみながら、あんま人生の厳しい面とか思い起こしたりとかせずに、たのしく酒盛りをしたい。
いつも通り単独行動していたら、みんなもう撤収してしまっていた。次に行くところが置き手紙してあって、俺はそれを頼りにして蒸し暑い夜の街を歩く。(イメージは池袋ロサ会館前)
2011年11月06日
■ ショービズ臭と自尊心問題。
高一の夏に買ったIn-A-Gadda-Da-Vida、思い起こすに、はじめて聴いたときにはちょっと失笑した。ボーカルがなんつーか、今持っている語彙で言うなら、すごいショーヴィズ臭かったから。どうやら自分はそういったショーヴィズ臭になじめないのだな。
だから[80年代スタジアムロック] vs. [グランジ/シューゲイザー/ローファイ]でわたしは後者に入り込んだのだろう。シューゲイザーの自尊心問題というのもそういう点から考えると「ショーヴィズを否定しつつ自己表出を肯定する」と捉えることが出来る。これこそが「ベッドから革命を始める」という意味。
もちろんこれは自己矛盾から逃れられない。
Jefferson Airplaneでいうならば、Marty Balinだけあきらかにショーヴィズな人なので、バンド内の立ち位置として後期はどんどん浮いてくる。コマーシャルに成功したバンドであるにもかかわらず。
なんてことは高校生のときにはけっして言語化できなかったが、言語化できたところでどうにも陳腐だった。でもそのころのまだうっすらと消えずに残っていた万能感を思い出して(さよならボクのパステルズバッヂ)、恥じ入りながら、こんなはずじゃなかったと思いながら、焦燥感持って表出し続ける。
全部この二分法でいける。カンタベリー系はショーヴィズ臭くないが、メジャーなプログレはスタジアムロック的なショーヴィズ臭がする。アシッドなサイケデリック音楽と流行に併合したファッションサイケの違いはショービズ臭の有無でわかる。
そういえば「ミスター・ソウル」「クレイム・トゥー・フェイム」「ブロークン・アロー」で一貫して歌われているテーマでもあった。
あとで見直してみたら、これはまったくもって、中森明夫が「オミズ、オェッ」(正確な表現は忘れた)って書いたのと同じではないか。
じゃあここからオフレコね。
王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳! 王様の耳はロバの耳!
オフレコ終了しました。
どうか、オレのことを単純化しないでくれ、オレもあんたのことを単純化しないから、とかカマをかけたりするような会話を全くしなくなるぐらいにはオレはオレ自身を単純化してしまっていて、自分の欲望をそれっぽい物語に落とし込んで語るようになったのだが、そんなのは嫌なんだ。それが出来るためには、それが伝わると思えるくらいの自信と目の輝きと無知とが必要だったんだ。
2011年10月27日
■ Electric Kool-aid acid testを読みながら年表を作成しているんだけど
いつもどおり、ついったからまとめ。
"Magic Trip" ついにケンキージーによるあのバス(The Electric Kool-Aid Acid Test)で撮影されたビデオが編集されて映画に。酷評されてる。メリープランクスターズが作った音楽と同様クソなんだろう。それでもいいから、俺は見ておくべきだと思った。
Gus Van SantがThe Electric Kool-Aid Acid Testの映画化を進めているという話があったけど、完成したという話を聞かない。どうなってんだ。
「あなたが選ぶWIRED大学 新・教養学部必読書50」をテーマごとに見ていったらそんなに読んでる本がなかったのだけれど、カウンターカルチャーHだけ10冊中6冊を読んでたんで、俺ってそういう人なのねとかスゲー笑った。
残りの本も全部読みたいやつばかり。Whole earth catalogを探すつもりはないが。いまKool-aid acid testを原書で読み直しているけど、Stewart Brandがプランクスターズの一員として出てくる。Stay hungry, stay foolish!
Neal Cassadyはオン・ザ・ロードの主人公として、そしてクールエイドアシッドテストの準主人公として生きて、ビートの時代とヒッピーの時代とを生きて、42歳の誕生日の直前に死んだ。
マジックバスを運転して山からの下りの道をブレーキを使わずに降りきった。ハンマーでジャグリングしながらずっとしゃべりつづけた。アシッドテストで瞑想してる参加者にアクションを起こせよと悪態をついた。
Electric Kool-aid acid testを読みながら年表を作成しているんだけど、何もかもが早くて驚く。いわゆるサマーオブラブは1967年夏のサンフランシスコのこと。1966年10月にLSDは非合法になっている。キージーがバストリップをしたのは1964年。グレートフルデッドを大フィーチャーしてアシッドテストを行っていたのは1965年の末。有名なトリップフェスティバルが1966年の1月。そのあとケン・キージーは9月までメキシコに逃亡していて、1967年には服役しているから、ほとんどすべてのことは1965年までに終わってる。
つまるところ、サンフランシスコのサイケデリックシーンなんてものが有名になってたときには、すべてはもう終わってた。むりやり一般化しなくてもいいんだけど、シーンなんてものができたときにはすべてはもう終わってる。だから、未だ名前のついていないなにかをやるしかないんだと思うんだよ。
年表についてさらに言うと、1,2章はメキシコから帰ってきて拘置所に勾留中のキージーにトム・ウルフが面会するところから始まる。3章ではそこからいったん1962年までさかのぼり、そこからは時系列順に描写が進む。ラホンダでプランクスターズ結成、バストリップ、アシッドテスト、メキシコ逃亡帰国して拘留、ここまできて第1章の記述まで戻る。そして保釈、アシッドテスト卒業式となり、エピローグでキージーの服役とカサディの死去とが触れられる。きわめてオーソドックスな描写であって、訳者が書いているような、時系列を気にせずにコラージュのように書き連ねたようなものではない。
また、ハンター・トンプソンのゴンゾジャーナリズムみたいなことをしているわけでもない。つまり、トム・ウルフはプランクスターズの一員として混ざり込んで活動していたわけではない。アシッドテスト卒業式の直前の<ウェアハウス>にしばらく滞在はしていたようだが、バストリップとかアシッドテストとかそういうものはトム・ウルフが取材を始めたときにはすべて終わっていた。なにしろトム・ウルフははじめは「あの「カッコーの巣の上で」を出した作家が没落してメキシコに逃亡中」みたいなストーリーで取材を始めたのだから。
たぶんそこから、宗教活動の一種の始まりと終わりとを捉える(「インターサブジェクティビティー!」からマジックを失ったプランクスターズのライブまで)を描くという方向で、関係者にインタビューをして、様々な資料を合わせて完成させたもの、というのが本質らしい。その名残ゆえか、メキシコ逃亡時の記載に4章分も費やしているのだが、正直つまんない。一章分にまとめてほしい。
それはさておき、この本のgradesaverとか出ているので笑った。それってつまり、大学だか高校だかわからないけど、この本が読本となって意味とか解釈してるってことでしょ? 「バストリップしているときのキージーの気持ちを答えなさい」とかw まあある種の古典となってるのでしょうね。
トム・ウルフのインタビュー:「私が...書くだけの意義があると思ったのは、それが宗教だったからなんだ。キージーのグループは、原始的な宗教集団だった。... 初期のキリスト教が形成されていった時期に、レポーターになったような感じだったよ。」
amazon調べてみたら、訳書って絶版になってないのな。
東海岸ではティモシー・リアリーが瞑想を助けるものとして使った。白い服を着て、30年後のあれを思い起こさせる格好で。まあ元ハーバード大教授だしな。一方で西海岸ではケン・キージーがもっと雑に使った。つまりパーティー会場でジュース(Kool-aidな)に混ぜて振る舞ったw バカすぎる。
クールエイドの最終章、誰もいなくなったギグでキージーとバッブは掛け合いをしながら、いつしか"We blew it!"に収斂してゆく。イージーライダーでもこれががキーワードだ。どんな訳がよいだろう。「俺ら、台無しにしちゃったな」とか? ドリフっぽく「だめだコリャ」っての考えた。
2011年10月16日
■ テキストジェネレーターで遊んでみた
テキストジェネレーターというのを知ったので、さっそく自分のついったの文章を入れて自動生成させてみる。なんとなく意味がつながったものをピックアップしてみることにする。
CORDUROYSMOODってユーザー名を使って背伸びしすぎの科研費の話題がつながって、そしてそれなりの地位を築いた人はみんなハカセくんもしくは火曜サスペンス劇場的なものが内部モデルのような理念のもとで研究の議論するのだろう。
空を飛びたいなことができるかとビビるが、そりゃわかる。ありがとうございます。転載させてしまった。まあ、他人の人生気にする前に、自分のことを考えて買い物に行かせてもらえませんか? 日時とか情報教えてください。
短期間の制御と予測というイメージで、後者が現象には必要とする。ん?これはニューロン集団での確率的表現という概念自体が重要なのではなくて、量が質に転換しただけではないでしょうか。
ここまで書いてある貼り紙全部はがしてみた。はがない。なんにしろすごい。これの論点は、コンテキストがない。Ubuntuをスリープさせてしまった。友達を探す: 自分やお友達の結婚式の二次会の司会をしたこれみたいなんてまとめ方はどうでもいい。
そっかあ、明日はサンマにしようと思う一方で、退場せずにワナビくんでもよかったでござるの巻(<-ぶっちゃけすぎ) リア充よか相当高いレベルで別なのだという意味ならば納得がいきます。
これがいちばん好き。バランス的に言えば、維持されるかぎりは新たに生み出された。人生が二度あればまた、耳を7針縫ったり、油滴実験したことはちと長い。もっと考えてます。なんと「やすらぎ」だ。これから自己はないです。
…意外と平常運転って感じもある。「これから自己はないです」とか気に入った。「転載させてしまった」とか、させんなよw こんな勢いで自然とジェネレータと役割交代してみるなんて人生も面白いかもしれない。それではひきつづき、メタレベルとかぶっ壊していこう…
単回のイベントが発生すんの? やっぱり表象だ。表象以前に現象はある。だから酒(発泡酒)買って帰った。二層までは可能。
でも、そのぶんが内臓脂肪かなんか対策出るまでこのまま放置。スナップショットは取ってあるのだろうか。ぜんぜんかっこよくなかったのと同じように思う。ちとインテリ臭が強すぎてぱっとはわかりませんか? それとも生きていかなければならなさそうに思う。
しかし未公開設定。そういう意味で観察者ではない。ある意味相補的なのだという概念自体が重要なので聞いたのとつながっていったいどうなってやっと生活に余裕が出来る程度の複雑さが現象的側面が実装可能かどうかはpriorがあるかもしれないし、物事の捉え方が反転していたりするのや止(や)めた。
あんまShadlenの後追いみたいな話と意識の問題をSDT側からいろいろ発表を聞いてきたw 深夜のLAの街を自転車で通って、誰もいない動的な情報処理 のように考えることです。
…「ちとインテリ臭が強すぎてぱっとはわかりませんか?」とかなんだよw 嫌みかよw 俺からはどれが生成させた文章かは自明だけれども、それは自分で書いた文章だからという理由でしかない。これこそがinternal monitoring。俺はこうやって雲散霧消してゆく、それにある種の喜びを感じる。それはこんなに単純で簡単なことだったんだ。…
とりあえずプシュケの涙と小早川さんとのやりとりだけが重要。重みをデータから学習させることは言えない者として使われているのと同じようにその中でのいろんなもんだったので何が起こっていいじゃん、とか会話のネタになってしまうこと。
「信じられるのw じゃあ飲もうぜ!」みたいなそういう展開にはならないことができないかと。「唯識入門」って刺さるフレーズだ。これって日本的な概念なのだとしたらそれは「情報」の概念とかかわりますか?マニラの美しい夕日を見てる。それで、なんらか相互作用を同時に現象が出来る。ちなみにジェファソーンエアプレイン好きですか? そういうところの話。そうだ、そういうところの話。
2011年09月27日
■ 好きなラノベ並べてみた
なんだかふと思い立って。
- 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない これすばらしい。死と虐待と虚言と田舎町の陰惨な話なんだけど、ラノベとして書かれる意義(大人でないってのはどういうことか)があって、すごく沁みる。コミック版もよい。
- 田中ロミオはAURAが最高。中二病ネタで、スクールカーストとかけっこう痛いネタも盛り込みつつ、基本ラインはエンターテイメントで、ラストはドラマチックに盛り上がる。このラインでもっと読みたい、って思ってたら新作出た! 人類は衰退しましたは何冊か読んだけど、この作風、さっぱり分からねえ。
- 紫色のクオリアはタイムリープしたりとかいろいろめまぐるしくて楽しめるが、最後に出てくるのはなんかすごくシンプルなことで、なんか四畳半神話大系的な読後感だった。
- 旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。それから作者は別だけど、テルミー これらはそんなに出来はよくないのかもしれないけど、どちらもすごく好き。「喪失感」みたいなのが満ちあふれているのが好物なもんで。
- 竹宮ゆゆこ作品は全部好き。基調はコメディーなんで、ラノベ的テンプレキャラかと思って読み進めてゆくと、あるところで相手はこちらの思い入れを投影する存在ではなくて、生きている人間なのだと思わせる場面が出てきて、はっとさせられる。リアルな人物像が書き割り的に動くのとは真逆のラノベ的リアリティーがある。とらドラ! わたしたちの田村くん ゴールデンタイム
- 桜坂洋はゲーム的リアリズムの誕生で紹介されているのを見てAll You Need is Killから読み始めた。これはこれでループものとして楽しめたのだけれど、よくわかる現代魔法が好き。あんま本読みながら笑うことってないんだけれど、こよみの受け答えでけっこう吹いてしまう。なんか波長が合う感じ。
- 神様のメモ帳は「ニート探偵」という出オチネタにこだわらずに読むと、いいエンターテイメント。ラノベ的な虚構の世界とはちょっと違った肌触り。とある飛空士への追憶もボーイミーツガールできれいに話が閉じたので、満足した。続編は読まないでそっとしておく。
- 半分の月がのぼる空は難病ものなんだけど、湿っぽくならずに、しかしじんわりとリアルなところに入っていく。肝心なところはかなりさりげなく書いてあるので、読者を信用している感じがして、好き。
- メジャーどころとして涼宮ハルヒシリーズは「消失」最高。俺の妹がこんなに可愛いわけがないもリアルタイムで最高。いろんなバランスの調整を感じて感心するが、いよいよそれが崩れそう。どうなるか。僕の妹は漢字が読めるは今年最大の驚愕作。タイトルでノックアウト、はじめの10ページでクソ笑った。次巻でちゃんとまとまることを期待。
- 佐藤友哉をラノベと呼んでいいかどうか分からんけど、鏡家サーガはぜんぶ大好き。無駄にしかも大量に人が死んだり、出てくる人間みんなおかしかったり、やたらと陰惨だけど、なんかここにしかない真実みたいなものが垣間見えるように思う。水没ピアノがいちばん好き。
タイトル通り、好きなラノベを並べてみた。読み返したら、好き、としか書いてない。だがそれがよい。
2011年09月12日
■ [告知] 9/15にシンポジウムでトークします
今度の神経科学大会で9/15に応用脳科学ネットワークによって開催される「脳科学研究者と企業のマッチングシンポジウム」というのでトークをします。
企業の方に向けてのトークとなりますので、普段とはちょっと違った切り口になるのではないかと思います。ぜひご参加ください。
といいつつスライドは出来ていない。いまのところ、以前南山大学で行った、哲学者の方へのセミナーの内容を元にしてなんとかする予定。
2011年06月02日
■ 机に堆積した荷物を片付ける時間
夜に見る花は色を失っていて、なんか現世っぽくないところがよい。ちなみになんの花なのかは知らない。
世界の秘密。河原で見つけた石を礫岩かと思って喜んだら、たんなるコンクリートに混じった石だった。知識は俺の目を曇らせ、直感がすっかり働かなくなっている。明るいところから室内に入ると、まぶたの裏に残光が残り、それは数分かけて広がり、そして消えてゆく。
小さい荷物とともに、牧場を一人歩き、糞を踏まないように気をつけたり、空気を胸いっぱい吸ったり、/ 点滴とバイタルモニタの部屋、室温は正しく保たれて、空調の音が低く聞こえていて、/ 激しい雨が古い家の木製の雨戸を叩き、壊れた蛍光灯を片付ける
さび付いた看板を爪でひっかき (こうして一心に話をそらそうとしているのだ)、電柱に括りつけられた看板の針金をほどき (ずっと目をそらし続けるわけにもいかないのに)、あらゆるものに形を変え、本質を失い続けて (答えはここにはないのだから)、繰り言を続ける
オセロなんだけど、表が緑で、裏が赤で、黄色い碁盤の上で遠くに打った手によって端から端までひっくり返されてゆく。夜景に写る様々なネオンサインやら不必要な灯りたち。置きっぱなしになっていたコーヒーカップがずっと真っ黒で、ずっと底が知れなくて、いろんな角度から見直しては存在を確認する。
いつか俺も、あれだというなら、そのときは浄化されてあれしたい。すべての罪を浄化してあれするか、逆にすべての罪を抱いてあれしたい。「贖罪」のとき、「断罪」のとき。
海辺のあずまやは砂に埋もれていて、誰かが捨てたとおぼしき菓子だかのビニール袋が吹きだまっていて、わたしはそれが餓死した草食動物の肋骨のように思えたのだが、ともあれ長居をするのはやめて、逆風の中また自転車を漕ぎはじめた。尻の痺れはもうとれていて、太陽は傾きだしていた。
その日が来ないことをずっと願っていた。だがすべては回帰し、再びわたしは修羅場に飛び込み、統一のとれた世界から「荒野のおおかみ」の世界へと不本意ながら進む。
150年、ってのが人生2回分なんだと考えると、そして白黒の写真が彩色し直されて、屋根の低い町並みや、護岸工事の跡や、クリアランスされたスラム街や、不自然なくらいにきれいに整備された公園や、宅地造成に囲まれた墓地や、廃業した書店や、トタン屋根や錆びた看板が、人々の苦悩を残したまま、すべては重なり合い、すべては片付けられ、すべては雨ざらしのまま、主人を失い、故郷を失う。すべてはコンクリートで固められ、すべては箒で掃き清められ、すべてはペンキで塗り直されて、神聖だったものは隠されている。そうだ、隠されたまま、証人も失われ、その由来を失い、埃をかぶって新生する。
「人間失格」で「焼酎特有のピリピリとした酔い」だったかそんな一節があったのを思い出す。そういうのはいやだ、もう二度とそんなものに遭遇したくない。ポロリとこぼれた本音なんか聞きたくないし、こぼしたくはない。俺は思い出す、まさに血の気が引いて、ぶっ倒れたのだ、どうやって起き上がったのかも憶えていないのだけれど、それだけ恐ろしい経験だったんだ。
夕暮れの空き地を利用した駐車場で、草むらをちびいぬが駆け回っていて、飼い主が「マカローン、そっち行っちゃダメ!」と言っているのを聞いた私は自転車を停めて、その声にモーションブラーをかけたり、リバースゲートをかけたりしながら頭の中で反芻してみる。
いつか、また、会う日まで。手を振り、夕焼けを背に、しょぼくれた格好で。空から俯瞰すれば、それは餌を探す蟻の群れのように、無目的と目的とが混ざり合って。地面に耳を当ててみれば、「すべて」が足し算されて、聞こえてくる。
さあさあ行こう、次の季節へ。 / 机に堆積した荷物を片付ける時間とともに。
(ついったに書いたことを元にして編集して作成した)
2011年05月25日
■ 僕らの人生って空飛ぶブタくんサーカスみたいだね?
昨晩次男に読んでやった絵本が心に沁みた。
アザラシが司会の動物サーカスで観客もみんな動物。最後の最後でさるくんが怪我をしたため空中ブランコができないのでこれでサーカスを終わります、と司会が言ったら観客が大ブーイング。
司会が「それでは観客のどなたかにやっていただきましょう」シーン。それではそちらのぶたくんお願いします。「ブ・タ・くん!」「ブ・タ・くん!」大成功しました!みたいなのなんだけど、なんかぶたくんに感情移入した。
たぶん、ブタくんは仕込みだったんだと思うんだけど、そのあたりのフォローもなく終わったので絵本って怖い。
ともあれ、そうやってわけもわからずひっぱり出されて、命がけの飛躍をして、しかもそれにもかかわらずに予定調和的に収束して、なんてむりやり意味を見いだそうとなんてする必要はないんだけれど、「あー、ぼくらのじんせーいーってえー、ねー、そらとぶブタくんサーカスみたーいーだーね?」「みたーいーだーね」とか思った(<-それパクリ)
昨日の絵本で、「ブ・タ・くん!」ネタが我が家で大流行。トイレから出てくるなり次男が「ブ・タ・くん!」、寝っ転がってる子どもたちをどかすために俺が「ブ・タ・くん!」、そのむかし水泳部の頃、ネタに走っていたのとやっていることはまったく変わっていない。
@a_kbysh タイトル失念してたんで補足していただけてどうもありがとうございます。ブタくん仕込み説に関してはこのページで謎が判明しました。 えほんおじさんのぶろぐ:どうぶつサーカス はじまるよ 裏表紙見逃してた。
よろこびいさんで次男に「ブタくんってサーカスの仲間だったんだけど知ってた?」って聞いたら、「いっしょにバスに乗ってたってことでしょ」と言われて、知らないのは俺だけだったということが判明。
次男の空手教室の帰りを車で迎えに行ったら生暖かい夜で、オケラがジージー鳴いていて、窓を開けてどちらから聞こえるかきょろきょろしていた。あとで次男に「何をしていたの?」と聞かれたから「オケラを探していたんだよ」と答えたら「探してどうするの?」と聞かれて、問いの深遠さに笑いこけた。
今日はフットベースのコーチ今年の第一回目。朝6時起きで6時半から8時半まで。お子さんたちに心を開いてもらうのが最初の仕事なんだけど、ぜんぜんこっちの言うこと聞かねえ。とくにうちの娘(<-だめじゃん)
Google Calenderで「6:30 フットベース」って入力したら勝手に6:30pmに設定されたので、温厚な俺様でも「屋上へ行こうぜ…久しぶりに…キレちまったぜ」とか思った。
(ついったに書いたことを元にして編集して作成した)
2011年04月21日
■ ブログどうやって活用するかいつも通りちょっと考えた
ブログの方はちびちび更新してはいるものの、骨格とかはぜんぜん以前のまんまなのでなんとか更新したいなあと思ってた。でもいまさらmovable type 5にアップデートするのも先がないよなあとも思うし(おわコンとか知ったかぶりして言ってみたり)、wordpressにも惹かれない(テンプレ中にphpコードがばらまかれてるとかなんかヤダ)。そもそもブログという形式がよいのかなとも思う。
自分のブログをさかのぼって読んでいても、自分的には内的な流れをいろいろ思い出して面白いんだけど、これだけ巨大になるとこれを一つ一つ読もうという人もいないだろう。(かつてはアクセスログを見ると、なんか記事を見つけてそこからどんどんさかのぼって読んでくれた様子が見えたものだ。)
カテゴリー分けしてアーカイブしたりはするけれども、それが活用されているかんじもしない。かえってgoogleとかで無駄に検索に引っかかって申し訳ない気もする。
以前はwikiとかにした方がよいかとか考えていたけど、なんかピンと来ない。なんかCMS使うのかなあ。最近ちょっとJoomla!をいじってた。インストールが激カンタンで驚嘆した。こいつからCMS臭さを消去して(「ログインしてください」とか削って)、flowとしてのブログとそれを再構成してまとめたstockとしてのサイトとを作るとかかなあ。twitterとfacebookとに分散したものをまとめたいというのもある。ただいっぽうで、そもそもこういった「俺ポータルサイト」みたいなのってweb2.0じゃないよなあとも思う。
とにかく断片としてソーシャルに使えるようにしておいて、でもそれらの断片がpooneil.sakura.ne.jpにつながるようになってればいいのかなあ。でも"like"ボタンや"tweet"ボタンくっつけたりするだけじゃあしょうがない。どうやらそういう人たちと客層が違うようだし。
わたしのところのお客さんというのはつまり、googleでなんか調べ物してて("Goodale and Milner"とか"遠心性コピー"とか)それで何度かわたしのサイトが引っかかって、これ前にも見たなあって思った結果としてidentifyされるってあたりだろうと思う。
だんだんそういう意味では役に立たなくなっている。ちょっとややこしく書きすぎてる。これは複数の人に指摘された。だからといって、なんか対策しなきゃとおもっているわけでもない。これでアフィリエイト入れて稼ごうとかそういうつもりがあるわけじゃなし。
わたしがどういうことを面白いと思ってるかとかが分かってもらえたら、どういう関係であれそれはメリットなんじゃないかとか思ったりはするけど。その意味では単著を書くよりはアクセシブルだ。(<-「単著もないのに」症候群)
だから…なんなんだろ。まあどうでもよい気がしてきた。どうあれ俺は書き続けるのだろうし、書けば書くほどに書きたいことは増えるし、でもそれがどうにも突き抜けてないというもどかしさは増える一方だ。そういう自分とつきあい続けてゆくのだろう。それ以外に動機なんてはじめっからなかったんだ。
といいつつふと思い立って、ひさびさにpagerank調べてみたら4から3に落ちてたので軽くショックを受けつつ(こんなもん、長く続けてれば上がることはあれど下がることはないと思ってたYO!)、だからどうしたというわけでもない。(<-あんがい気にしてらっしゃる様子)
ひさびさに更新頻度を高めてみた。ついったに書いたことの再編集なのだけれども、こっちはこっちで見てくれる人がいるらしく、アクセスは増えてる。あと、facebook経由でコメントもらえるようになってきたので、facebookのコメントプラグイン使ってみようかと考えてる。
2011年03月14日
■ Tohoku Area Vision/Neuroscience Researcher Safety Information
Prof. Ohzawa at Osaka university constructed a site for Tohoku Area Vision/Neuroscience Researcher Safety Information.
2011年02月06日
■ 岡崎って日本のどこにあるんすか?
生理学研究所、通称せいりけんは名鉄東岡崎駅前の丘の上にあって、地名としては明大寺町西郷中となる。研究所が出来たのは1977年、敷地としてはここはもともと愛知教育大学があったところで、敷地の駐車場の脇にはいまでも昔の門とおぼしきコンクリートの残骸がある。
Wikipediaによれば、愛知教育大学はかつては愛知学芸大学の岡崎本部と名古屋分校とに分かれていて、それぞれ元は愛知第二師範学校と愛知第一師範学校だったのだが、両者を合併する際に間を取って(取るなよw)、刈谷に移転することになったのだ。
生理研から西向きに坂を下ると愛知教育大学附属岡崎中があって、ここはかつて岡崎高等師範学校といってまたべつの学校の敷地だったのだが、後述する岡崎空襲で焼けてしまい、またすぐに豊川に移転してしまった。
愛知教育大学附属岡崎中に隣接して市立竜海中があって、さらに狭い坂を上りきった敷地は私が岡崎に来た頃からずっと、住宅街の中ここだけ草ぼうぼうの空き地であって、私はそこから夕日を見下ろし、「存在の裂け目」というラカンぽいあだ名を付けて悦に入っていたのだが、ついに最近工事が始まり「存在の裂け目」はあっという間に消え去ってしまった。
そこからまた研究所に戻る道を歩くと今度は岡崎高校の前を通ることになる。そんなわけで、このへんは文教地帯なのだった。もうすこし進むと右手に岡崎コンファレンスセンターがあって、ここで生理研研究会を開催してきた。そこからさらに右に折れると市立三島小学校が見える。
岡崎図書館の資料を見るかぎり、三島小学校はもともと明大寺西郷中、つまりいまの生理研の敷地にあったのだが、戦災で移転して空いたところに愛知学芸大学の岡崎本部が入ったということらしい。
現在の三島小学校を通りすぎると統合バイオサイエンスセンターに到着する。10年ほど前くらいまでは統合バイオの敷地は愛教大のグラウンドという名義で空き地になっていて、そこでわたしはまだ小さかった長男と凧揚げしたものだ。わたしが結婚してすぐに入居したアパートはこのグラウンドに面していて、子どもたちがこのグラウンドで遊んでいるのを部屋から見下ろして確認することができた。ってことで岡崎文教地帯の歴史散歩を終了します。そして寝る。
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…寝ない。そして回想が始まる。生理研に来たばかりにはヘビが道ばたにいるのを見たこともあるし、夜ともなると守衛所のところにタヌキが現れたりしたものだ。どちらもここしばらく見ていないな。守衛所の前ではたまに天気のいい日など、仮眠用だろうか、布団を干していることなどあって微笑ましく通り過ぎたりする。
ただいっさいが通り過ぎ、同じ頃赴任した人がすっかり白髪まじりになったり、我が家でも長男は来年はいよいよ竜海中に入学で、もう岡崎に15年も居るということに気づいて愕然としたりする。
回想は続く。東京から離れてはじめて一人暮らしをするために、近くに墓地とダイエーのある宮下ハイツに入居して、まだ自転車もなくて、ジャスコで買い物してたくさんの荷物を抱えて、流しのタクシーを捕まえようとしたがぜんぜん捕まらず、えらく心細い気持ちになった。東京と違ってタクシーを捕まえるためにはタクシー会社に電話をかけて呼ぶ必要があることをわかっていなかったのだ。
結婚するまで結局車は買わず、つまり、車というものは人間が制御できる能力を超えたものであり、家族のため以外は乗るべきではないというのが当時のわたしの持論だったのだが、そんなわけでいつもママチャリのカゴを満タンにしてふらふらと漕いでいた。
まだおおらかな時代で研究所は館内禁煙とはなっていなくて、ニコチンが切れた俺は実験室から出ると廊下でたばこを吸っていたのだった。非常階段に出て、鳩の糞が降り積もっている場所を避けて階段に座って喫煙していると、上の階から森先生が現れて(というか捕まって)、一緒に連れタバコしながらお話をしたりとか、実験室の前の廊下にはソファーがあってそこで仮眠していて、通りがかった松山先生を驚かせたりとか、なんだかそんなことを思い出しては書き連ねる。
Wikipediaを漁る。東南海地震 1944年12月7日にひきつづき、三河地震 1945年1月13日、こちらは直下型で西尾市あたりを中心にしてたくさんの方が亡くなっているのだけれど、戦時中だから記録が充分残されていない。いまでも三ヶ根駅から形原温泉のアジサイ寺に行く道の途中で断層の場所の標識があって見に行くことが可能だ。
さらにそのあと1945年7月19日未明から20日が岡崎空襲。これによって先述の岡崎高等師範学校は開校前に焼失した。このあとの復興からこのあいだの伊賀川の水害の話まではつながっている。詳細は言うまい。
ともあれあの水害のあとの数年ですっかり移転がすんで、堤防は整備され、ウソみたいにきれいになった伊賀川は親水公園となって、岡崎総合図書館(例の事件の「りぶら」)から見下ろすことができる。親水公園の川はもう水がちょろちょろとしか流れていなくて、飛び石で川を渡れるようになっている。俺はそこを自転車を担いで渡り、凍えながら「あなたの人生の物語」を読み、日が暮れるまでそこにいた。このへんで終了とします。
ということをtwitterに書き連ねたんだけど、そのときはtwitterという今を記録するメディアでなぜか唐突に走馬燈のように昔のことを回想し出すという着想が気に入ってた。そこでなぜか醸し出される哀れなかんじというのを定着させたくてブログにまとめ直してみたのだけれど、調べ物していろいろ書き足していたらなんだかそんなニュアンスが薄れてしまった。なんだか退職した人が半生記書いたみたいだ。そういうつもりじゃあなかったんだけど。いまはまだ、人生を語らず、ですよ(<-なにをいまさら)
2011年01月10日
■ OpenFrameworksいじってみた
Beyond Interaction ―メディアアートのためのopenFrameworksプログラミング入門 のコード打ち込んでOpenFrameworks動かしてみた。アドオンでBox2d(物理エンジン)とOpenCV(のうち輪郭検出の機能)を組み合わせることで、webカメラから取り込んだ画面上に玉を飛ばしてインタラクションすることができる。
著者の田所氏によるデモ (on Vimeo)。これをわたしも自分の環境でも動かしてみたというわけです。玉の半径を大きめに設定してやると、風船で遊んでいるみたいなことができる。家でやってたらさっそく子どもたちに奪われた。せっかくなので画面をキャプチャーした映像を作ってみた(手の出演:次男)。YouTube貼り付けのテストを兼ねてます。
fpsは12とかしか出てないけど、初めのうちは60くらい行ってた(DebugではなくてReleaseでビルドしてappを作ってある)。これは画面キャプチャーしているうちにどんどん遅くなってきたため。
この本は「メディアアートのための」と銘打っているけれども、私のようにC++の入り口のところでずっとウロウロしてきた人間にとってはちょうどよい難易度のC++入門なのだった。たとえば、多数の円を描画させるということになると、ちゃんと円のクラスを作って、そのインスタンスを作って、あとはbox2d.updateで勝手に落下させたりバウンドさせたりすることができるようになる。クラスを作ったり、vectorでそれを保存しておいたりすることの便利さがわたしにもよく分かった。
「クラスにするとコードの保守性が良くなる」とか言われてもさっぱりありがたみがわからなかったんだけど、「クラスの定義を読んでヘッダだけ取り込んでおけば人の書いたコードを中身に立ち入らずに使えるようになる」と言われると納得する。わたしの場合。
コードはopenframeworks.jpからダウンロードすることができる。解凍してできる"3-4_H"のフォルダの中にある。
ここでやってることはほぼ本の丸写しなのでとくに言うことはないのだけど、Xcode上でコンパイルしてみて引っかかった点としては、UTF-8で書かれたコードをXcodeで開くと文字化けする(<-Xcodeの設定分かってないオレ)。あとBox2dのアドオンがコンパイルエラーを起こす。問題究明のためにincludeすらしない状態でビルドして確認してみた。(<-デバッガ使いこなせてないw <-というかincludeされてないのにどうしてコンパイルされるのか分かってない <- Xcode使いこなせてない)
そうしたら、どうやらofxBox2dBaseShape.hで定義されているaddImpulseForce(ofPoint pt, ofPoint amt=1.0)というのに文句が付いているらしい。"default argument for parameter of type 'ofPoint' has type 'double'"ってエラーが出る。この関数はどこでも呼ばれてないのでamt=1.0をamtとだけしたらコンパイル通った。
ofPointは座標[x,y,z]を格納するためのものなのに1.0が代入されたから文句が出たのかと思ったんだけど、g++だとコンストラクタがオーバーロードされてamt.xに1.0が代入されるからエラーは起こらないとのこと。(Thanks to kohskeさん) というわけでXcodeの動作によるのか、私がなんかアホな設定してるからなのかはよく分からないけど、とりあえず問題解決したのでこれで良しとする。
ところでそもそもなんでこのへんを調べはじめたのかというと、C++で書かれたオープンソースのアイトラッカーのコードを探していて、ALSになったグラフィティライターのためにopenFrameworksで開発されたEyeWriterというのを見つけたのがきっかけだった。
いぜんそっちについても試行錯誤したことがあるのだけれど、未解決なのはカメラからの入力に関して。iSightからの映像をキャプチャするのはデフォのままでできる。Point GreyのFirefly MWを買っておいたのでそいつからの映像を取りたいのだけれど、Point GreyのSDKはMacに対応していない。libdc1394とか汎用のドライバだと不完全な映像(カラーがモノになったり)しか取れない。
今回はとりあえず本の丸写しで動作させてみただけだけど、かなりこれで心理的障壁が下がったので、次にいじるときにはEyeWriterのコードを読んでみることにしよう。アイトラッカーの部分はtrackingManager.hから読み始めればよいってことがわかった。以前コード読んだときはさっぱり手掛かりさえつかめなかったのだからまあ進歩したと言える。
本当にいちばんやりたいのは、saliency mapの計算をアドオン化して利用すること。いまのiNVTはそういう発想はなくて、ぜんぶ自前で用意する(入力系から出力系まで)。このため、コンパイルするためにはぜんぜんどうでもいいライブラリまでインストールする必要があって、現状ではLinuxでないと事実上コンパイルできなくなっている。
かといって自前でsaliency mapをインプリメントするのもいい方法とは思えない。(比較対象としてインプリするのではなくて、実際に活用するつもりならば。) 自己流の解釈ではなくて、いま動いているコードを使った方がよい。というのも、なんか細かいパラメータ部分でチューンされているということが経験上わかったので。
だから、いま動いているコードからどのクラスを使えばいいのか見つけて、そいつをヘッダでincludeして、必要な部分のコードだけaddonで参照できるようにしておけばよい。問題はiNVT部分が巨大すぎてどこが必要なコードなのか分からんこと。なんかツールを使えばよいのだろうけど。(emacsでetags使うのが推奨されているけどよく分からん。IDE使わせてほしい。) ともあれ、もうちょっとやりたいことが絞れてきたらLaurentに聞いてみることにしよう。
たぶん本当はopenCVから呼んでやるというのが正しいのだろうと思う。OpenCVはどんどんバージョンが上がってコンパイルのしかたとかもゴンゴン変わるので追いつけてない。いまはとりあえずofxOpenCVいじってもうすこし慣れてゆくことにする。
そんなこんなでこっちの方向はじりじりと進めているところなんだけど、たぶんどっかで風穴が空いて、もっと生産的にいけるはず。
2010年12月11日
■ ぼくを取り囲む、心配事のスレッド
「世界はデタラメである」とは最適化されていないものを見たときに感じることだけど、キツキツにチューンされていないものを見ることは救いであったりもする。だが、その最適化されていないというのが、進化と来歴の元でlocalには最適化されているが、globalには最適化されていない、ということを指しているのなら、当たり前すぎてつまらない。
なんかそういうのではなくて、考慮すべきパラメータが多いうえに統計的に取り扱うこともできない、みたいな制御不可能なもののイメージを探してみよう。King Crimsonのredのジャケットの、メータが赤に振りきれているあれ? いやあれはポジティブフィードバックのイメージだ。じゃあさ、仕分け現場とか?
整然としているものを見たら、取り澄ましてないでもっとぐちゃぐちゃに行けよと思う。いっぽうで、雑然としていて手をこまねいているのを見たら、もっと頭使ってクリアーに行こうぜって思う。恐れず混沌に浸って、しかもそこから毎日帰ってくるんだ。
進化と来歴の元で形成された局所最適化をぶっ壊すためには、べつの進化と来歴を持ってきて繋げることが必須だ。だからこそ繋げることに意味があるのだし、正論と原理的物言いで全体的最適化を目指しても状況を動かすのには足りない。
いや、正確でないな。「正論と原理的物言いで全体的最適化を目指す」ってのもひとつの個人的局所的方策なんだよな。そうなるとこれはコンテキストのpoliticsとして捉えることができる。それは戦って勝ち取るものかもしれないし、話し合ってお互いのコンテキストを共有することかもしれない。コンテキストの共有、これが理念の共有が指しているものなんだろう。
なんてことはどうでもいいのであって、今日もぼくは局所的な事業に従事したいと思う。「だけども、問題は、今日の雨、傘がない」ってのは当時、そこをひっくりかえすような挑戦的な物言いだったんだ。
ぼくを取り囲む、心配事のスレッド。切れ目のない、ガントチャート。片付かないメールの束、チェックマークの付かないToDoリスト。ベランダに毛布を干す。サッシを拭いて、レールのゴミを取り除く。窓ガラスに付いた水拭きの跡をから拭きして透明なガラスにする。
2010年10月14日
■ 「クォンタム・ファミリーズ」読んだ!
ネタバレになるかどうか知らんけどそういうのが嫌な人はスルーで。
面白かったですよ。人間原理とか量子脳情報理論とかそういうキーワード見るとそれだけでもう期待が胸にあふれてきちゃうんで、買ってきて、だが即積んでましたけど、やっと読み終わりました。
「万物理論」とか「あなたの人生の物語」と「紫色のクオリア」(さらに元ネタは「虎よ!虎よ!虎よ!」なの?)と「クラナド」とか今まで読んでたものをいろいろ思い起こした。あとやっぱ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」読みたいなって思った。「One」の元ネタでもあるしね。
なんてことはどうでもよいのであって、言いたいことは、最後の方であれを思い出したんです。どこで読んだんだっけか、「もし911を事前に察知してそれを阻止した人がいたとする。その世界ではそもそも911が起こらなかったのだから、その人は決してヒーローとして祭り上げられることもなく、市井の人として一生を終える。」この話自体がどういう文脈だったかはおぼえがないのだけれど。
私にとって世界というものは、そういう人たちによって崩壊から支えられていて、私自身もいろんな場面でそれに少しずつ寄与していて、自由意志とはなんぞやとか運命に翻弄されるちっぽけな私とかそういうものを越えて、選択肢の中から結果としてこれしかあり得ないような道を通ってきたと思わせるものがある。人間原理みたいに。
なるほど、いま書いててわかったけど、人間原理ってそういうカタルシスがあるんだな。
そういうわけで、読んでよかったってことです。
2010年10月08日
■ 次男に自転車の乗り方を教える
以前のエントリで娘に自転車の乗り方を教える というのがありました。あれから3年たって、今度は次男が補助輪を取って自転車に乗れるように練習をする番となりました。
ポイントは、自転車に乗ってバランスを保ってまっすぐ進むところと、ペダルを漕ぐところとを分離することにあったわけです。だから、まずはペダルを漕がずに自転車にまたがってまっすぐ進めるようにするトレーニングをする。じつはこれさえできてしまえばそこからペダルを漕ぐようにするには難しくない。
「伊東家の食卓」に出てた例ではペダルを自転車から外してしまって、それにまたがって両足を同時にで蹴って進むことを憶える。これは理にかなっていて、ペダルを外さないと、自転車にまたがって進むときにスネにペダルがぶつかって痛い。痛いと庇うから変な癖がついてしまう。
ただ、ペダルを外すための工具が必要なので、思い立ったときにすぐできないと具合が悪い。でもって思い立ったときにすぐ練習することが大事。というわけで、長男と長女の時は、ペダルを付けたままでとりあえず蹴って進む練習をした。右足をペダルに乗せて、左足で何回か地面を蹴って直進する練習をする。(あらかじめシートの高さとかをよく調整しておくことが大事。) 長女の時は脚力があまりないので、左足を蹴るタイミングで右足のペダルも漕ぐようにして推進力を作った。
でも、次男は力が結構あるので、右足はペダルに乗せるだけにしておいて、左足で蹴るのを繰り返してその推進力でまっすぐ進めるようにする。1,2,3と左足で地面を蹴って左足をペダルに乗せてみよう、と教える。そうしたら、左足をペダルに乗せるだけでいいのに、いきなり自転車が漕げるようになってしまった。つまり、次男に必要だったのは充分な助走だけであって、左右のバランスを取る部分はたいした問題ではないということがわかったのだ。
だから、しっかり助走を付けるために、一回、二回、三回と左足で地面を蹴って、充分スピードが乗ったところで自転車をこぎ始めるように教えた。これでその日の家に近所の公園の周回コースを足を付けずに一周できるようになった。するともう止まらない。けっきょく公園を10周して、付き合ってるこっちはヘトヘトになって、でもだいたいマスターしたといってよいところまできた。これが数ヶ月前の話。
でもって最近になってひさびさに次男の自転車の練習に付き合う。1,2,3と左足で地面を蹴って助走を付けてスタートすることを律儀に守っている。じゃあこんどは1,2でスタートしてみよう、と言ったらすぐできた。次男みずから「じゃあこんどは1でスタートしてみる」と言い出したので感心した。
最後に助走なしでスタートできるように、スタート時にはペダルを高い位置にしておくことを教える。実際これは以前にも教えていたのだけれどそのときはまだ身についていなかった。いまはほかのことが習得できているので、よく理解した上でペダルの位置をコントロールしている。教える順番の大切さがわかる。
さらにブレーキのかけ方について教える。もちろん以前にも教えているが、スピードが出せるようになったので、狙った位置でぴたり停めるにはどうすればいいかを教える。自転車の機構に興味を持ちだした。右のブレーキが前輪を挟んで停めること、左のブレーキが後輪を包むように停めることを見せてやる。
チェーンに油を差すと漕ぐときに抵抗が減って音が小さくなることを知ると、油を差してくれとせがむようになる。雨降ったあととかだけでよいことを教えておいた。
三人目ともなるとそれなりに教える側のノウハウが蓄積しているかんじがする。三人とも性格とかいろいろ違うのでそれにどう合わせて教えてゆくかということも。世の中のほとんどのことはこういった単純なノウハウから構成されていて、うまくいかないときはいかなくべくしていかない。(へんな日本語w でも言葉操るのも同じ話だよな。)
一方で、お祭りに行く前にママが揚げたテンプラにラップをかけて家を出ようとしたら、そんなことしたらじっとりしてしまうからダメ、と言われた。そっちのほうのノウハウはぜんぜんないんですー
ってそういうオチ。
2010年09月22日
■ おちゅーしゃのじかんデスよ!!!
薬学の学生実習のとき、分析化学の回でHPLCを使った実験があった。何分おきかで分析したい薬物をシリンジで注入すると、ペンレコーダーでいくつかに分かれたピークが描画される。
でもって、注入の時間が来ると私は「おちゅーしゃのじかんデスよ!!!」と野太い裏声で、オッサンがコントでナースの扮装をしてるようなシチュエーションを想定しつつ、注入をしていた。
私がなにをやっているのかみんなに伝わっていたのかはよくわからないけれども、あー、また吉田がなんかヘンなことやってるとか思われつつ、なんかそういうキャラとして受容されていたのだった。
でもそのとき違ったのは、同じ実習グループの、おとなしめな女の子が恥ずかしそうに小さな声で「おちゅーしゃっ」と真似して注入してくれたんだ。なんかスゲーガッツポーズを取った。惚れなかったけど。
俺の人生にピークなどなかったが、強いて言うならばあそこがピークだったんじゃないかと思う。(<-大ウソ)
こう書いたことのなにもかもがウソであったように思える。あんなに無邪気に、自分のネタが理解されてウケると信じることができたということがいまでは信じられない。
べつにそういう細い設定が理解されていたわけではなかったのだけれど、俺のそういうキャラ立ちが受容されていた、それで充分だったのだし、幸せだったんだろうと思う。
ところでみんなも、役職に押し込められたりしながら、なんか非人間的な応対をしたりされたりして、そういうものを失っていったりして、あるとき自分が他人の人生の脇役になっていることに気づいたりするんだろうか?
俺自身はいまでも「おちゅーしゃのじかんデスよ」とかやってみたいんだけどね。
2010年05月30日
■ ある闘いの記録
数週間前の日記:
ああ寝なくては。だがまだ書く。今日はGlendale まで自転車で一時間かけて行ってきた。BOSEショップでquietcomfort15を買うのが目的。ロックンローラーでローファイ系の私としてはオーディオに凝ったりとかって人生的にないのだけれど、これは買いたかった。
こっちで買うと1万円分安いんで、こりゃチャンス、ナイスお買い物とか思って意気込んで店に入ったんだけど、iPhone用に使うって話をしたら、店員にiPhone用のアクセサリも売りつけられた。断ろうと思ってI won't buy it.って言ったら、You want to buy it?とか言われて買わされた。じぶんの英語のへたくそさに苦笑いしつつも、そのときはまあいいかって思った。
あとででもこのアクセサリぜったい使わないなって思った。iPhoneで音楽の途中でも通話できるようにするやつなんだけど、わたしは電話なんてほとんど使わない。なんかこういうバカでナイーブな買い物客になっちゃったことが悲しくなってきた。ちなみに私は基本的に断れない。無理めなこと頼んだりできない。やらなきゃいけないときはものすごく憔悴する。それで一日分の労力を使う。
たとえば小学校の高学年くらいのとき、学習塾の月謝を払う日に、たまたま家に現金が無くて、塾の人に交渉して次回持ってくるからと宣言するようにと親から言われた。そんなことぜったいできない、って泣いた。(よく泣く子どもだったのだ。)
とにかくそんなわけで、せっかくの買い物ウキウキ気分が台無しに。せいぜい40ドルくらいだしまあいいやとか、それでも日本で買うよりは安いんだからとか、自分を納得させる理由を探しながらモールの中をさまよった。釈然としない気持ちのままにフードコートで脂っこいメシを食っているときにふと思いついた。「いまからアクセサリだけ返品すればいいんじゃん?」(この時点までそういう発想にすら至ってないという点に注目)
それで、たいへんな決心をして、すごく緊張しながら、店に行って返品してもらった。店員に「いや、便利だよ?」って言われたから、「いやこれこれこういう理由で使わないんで」ってわざわざあらかじめ文章練っておいてしゃべった。もちろん問題なく返金してもらった。
そんなこんなでなんとか台無しな気分を取り返すことに成功したというわけ。それからまた自転車で一時間かけて夜の道を帰ってきて、クタクタになって、横になって、これを書いている。まったくもって、毎日は戦争だ。こんどこそ寝る。
# おつかれさまです。
I don't like it.で返品するのが簡単でいいと思います。鍋使ってから返す人もいるらしいですから。
# pooneilですよねー、それだけでいいんだと思います。
あいつらサービス悪いくせに売りつけるときだけはしつこいんで、もうなるたけネットで済ませたいと思ってます。
2010年05月13日
■ 「好きな音楽」はコミュニケーションツール。
「好きな音楽」はコミュニケーションツール。だから、相手がアメリカ人のときは「ニールヤングとかのクラシックロック」って言うし、年長者に対しては「井上陽水とか70年代フォーク」って言うし、ロック好きのヒトには「カンタベリー系」って言うし、ブログでは「シューゲイザー系」って書くし、別アカでギャルゲソングについて語ったりする。
でも本当に好きなのは、というとそういうものはないんであって、結果としてこれを聞いたという統計的事実だけが残る。そこからこの人はこういうのが好きなんだなという形でだけ捉えられるのだ。だから、iTunesの「聴いた回数」みたいな記録が私がこれまで聴いたものすべてについて残っていたら面白かったろうなって思う。
さてさて、これって「自分」って者のあり方一般にあてはまる。「キャラ」「個性」これらはコミュニケーションツールであって、他者にとりあえず使ってもらえるように、自由度を下げてある。「多様で複雑な自分」というものは親しくなってから、お互いにそれをやりとりすればよいのだ。
このとき生まれるのがI-You relationship。生きている人間として他者に対峙して、魂をやりとりするんだ。
では、その他大勢としてでなく、人間として出会うということにはいったい何が不可欠なのか。いや、脳科学の話だけではなくて、実生活での話なのだけれど。たとえば、ぼくのことを心配してくれている人を邪険にするとき。
さっきわたしは、複雑さが質を変えるような書き方をした。「量が質を変えることもある。」自由度を上げることじたいにはたしかに意味はある。複雑なものを単純化せずに扱うってのは人間関係で言うならば、たとえば「君ってこういう人だよね」みたいな決めつけをせずに付き合うってことだ。ここには量から質への転換がある。
I-Youは指し示すことが難しい。I-Itのcounterとしてしか存在しないのかもしれない。
ところでI-Itの代わりにUs-Themを持ってくれば、党派性の構造のできあがりだ。もちろん、社会科学はI-Itの科学なのであって、人文科学の中にしかI-Youは存在しえない。
「聴いてる音楽」の話にまでぐっと引き戻してみれば、たとえば、じゃあそういう音楽聴いている俺が音楽を作ったらどういうもの作るか、っていう切り口で考えてみる。
そこはごまかしのきかない世界だ。そしてはじめのうちはなんか真似っこしたものばかりが出てくる。この時点での俺は「ニセモン」でしかない。「自分」なんて存在しない。そこから他者に届くように魂を込める。論文だって、曲だって、小説だって、ありとあらゆる創作物で。
このブログだって、言葉が少数の誰かに伝わるようにと魂を込めて書いている。わかりやすいストーリーにして自由度を下げないように、錯綜したものを錯綜したままに書いている。この言葉が伝わったとき、私はあなたに向けて書いている。Web的なザッピングによる情報収集から私とのコミュニケーションに移行している。
なんかありきたりのところに着地した気がする。「ありきたりのところ」はわたしにとってまだ、逃れたい故郷のような、親密性を失った観念的な存在(I-It)でしかないのだろう。たぶんね。
2010年05月04日
■ 川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
いろいろ煮詰まってきたので久しぶりにジョギングした。
そしたらなんだかくしゃみが止まらない。逆効果。
しかたないので帰る。自転車で30分くらいかかる。
ビルの合間から月が出てきてぎょっとする。
そういえば月を見ていなかった。そのくらい余裕がなかった。
深呼吸をして周りを見渡す。ずっと緊張していたことを思い出す。
緊張と弛緩を繰り返しながら、ベストなパフォーマンスを目指す。
高校時代にクロールがいちばん速かったやつは、
水を掻いてない時の腕がよく脱力できていた。
私はいつも力が入っていて、なんつーか動きが堅かった。
そういう自分となんとか折り合い付けてやってきた。
ぼくはやり遂げられるだろうか。なんだか水平線を遠くに感じる。
自転車をこいで、この町を精査する。
やかましい音楽が流れる。ヘリコプターが飛んでいる。
バスがものすごいスピードで走っている。ガラスの破片が散らばっている。
誰もが違う言葉をしゃべる。ぼくは腹が減り、水を飲む。
小銭で財布をふくらます。段差を気をつけて飛び越す。
突風で帽子が飛ばされる。ぼくはそれを拾うことができない。
信号があっという間に変わる。坂道を上ると行き止まりになっている。
自転車をくくりつける。写真を頼りに食事を注文をする。
誰かの携帯電話が鳴る。おとなが道ばたでトランプをしている。
この目で見たものをモザイク状に切り刻んで並べる。
スーパーのカート。車いす。満員の路面電車。
コインランドリーの蒸気の匂い。路上で設営中の観覧車。
思いを向けるべき面影はどこにもなくて、ただ逃避を繰り返す。
ぼくは暖房をつけっぱなしにした暗い部屋でこれを書き留め、
明日こそは気持ちよく目覚めることができるようにと祈る。
2010年04月29日
■ Conference management system: update 2010
Last year I made a survey about free conference management system. At that time, I thought that OCS was the best choice.
I set up OCS for NIPS-SSC last year and tested it for a while. But I decided that I did not use it because nobody other than myself cannot handle it. Another, but related, reason is that it is too complicated - it is aimed for multiple conferences. My system should be simpler.
Now I searched the web again and found that most of the systems are now web-service based. It is reasonable. You do not have to take care of it.
But I still like a system that can be maintained on my web server - I can modify it just like my blog.
Aside from OCS, a new version of OpenConf (ver.3.5) can be one of the candidates. I found that OpenConf became more 'open' -- Previously, you have to send email to the author to get the code. But now it is downloadable from the web. You can find here some complains about the older version of OpenConf. Seems like it was an old-fashioned system. But maybe better than before. And it is simpler than OCS. I will test it.
Below is the summary of my survey this time. Largely overlapped with my previous entry.
------------------------------ OpenConf * Developed using the PHP scripting language and MySQL database, * available for installation on your server * or as a managed hosting service from a state-of-the-art data center. ------------------------------ ConfMaster * provided as a service * ask for conditions by email * Used in ASSC13 and ASSC14 ------------------------------ Continue 2.0 * a free Web application * a new, AJAX-based architecture * completely free of cost, including hosting and support ------------------------------ EasyChair * a free conference management system * All installations are hosted at the server www.easychair.org ------------------------------ ConfTool * a Web-based event management system * For smaller, non-commercial events we offer a free license on request. ------------------------------ Conference Online-Management System (COMS) * No installation, you only need Internet access and a web browser * Event with up to 100 participants 200 EUR * Event with up to 400 participants 340 EUR ------------------------------ Confious * as a web service * NonFree? ------------------------------
2010年03月12日
■ あるカレー屋の思い出
岡崎に住むようになって10年以上経つんですけど、ものすごく好きなわけではないのだけれど、たまに行きたくなるインド料理屋があります。東岡崎の駅前にあって、正直言って流行ってない。グルメ特集で取り上げられたりすることもない。ただ、特色は、経営者の方針でしょうか、お店をやってる人(インド/パキスタン系)が定期的にどんどん入れ替わってくんです。
初めて行った頃はまだわたしが独身のときで、外食ばかりしていたんで、そのローテーションのひとつだったのですけど、明らかに店員にやる気がない。それでもインド料理屋がほかになかったので、我慢して通ってました。あるときなんか、レジ打ちの女の人がなんかレジ場で私的な電話をしてて、そっちがなんかこじれたらしくて電話相手と激高して話をしてて、こっちがいつまで待ってても会計ができない。こりゃひどいと思って、さすがに通うのを止めました。
なんかそのあとくらいでしばらく店じまいしてた気がする。
でもってもうすっかり店の存在を忘れていたのですが、久しぶりにその前を通ったら店が営業してる。期待せずに店に入ってみたら、あいかわらずおいしくない。でも、こんどは店の人がやたらとフレンドリーで、どんどん話しかけてくる。いつのまにか店の人と身の上話とかしたりしてて、土曜日の午後とかはなんかサロンみたいになって、外国人客が集まってなんか2時間とかだらだら話をするような場所になった。ちょっと日本ぽくないところが気に入ってた。インド料理屋と書いてあるけど、お店の人はネパールの人だって言ってたような。
でもってそのときはけっこう通っていたのだけれど、またなんとなく忘れていて、ひさしぶりに店に入ってみたら、また違う人になってる。こんどの人はまじめでおとなしいかんじの人で、バイトを雇わずにひとりで切り盛りしてる。今度の人は確かバングラディシュの人だったかで、前の人は国に帰ったって言ってた。
でもって前の人のときの緩い空気が店からなくなってたんで、まあ、これはもう行かないかなと最初は思ったんだけど、じつは料理がうまくなってることに気づいた。昼は基本ランチバイキングだけで、3種類のカレーが並べてあって、セルフサービスで好きに取ってよくて750円ってかんじなのだけれど、ローテーションの一つでたまに出てくるバターチキンマサラがすばらしい。クリーミーかつスパイシー。
うまくなったと思ったのは私だけではなかったようで、明らかに客層が変わった。OLとか、レストラン通いが好きそうなおばさんグループとか、そういった人たちが増えた。この店が満席になってるのをはじめて見た。850円に値上げされたけど、それでも充分行く価値があると思った。
そういうわけで私も通っていたのだけれど、やっぱカレーはカロリー高いんで、ダイエット始めてからはちょっと控えるようにしてた。
で、しばらく行かないでいたのだけれど、たまにはいいよね(AA略)とか思って店に入ってみたら、また店の人が変わってたorz これが今日の話。とりあえず今日のところは様子見だ。とりあえずお昼どきなのにお客が私しかいないという時点で危険信号。あとは、バターチキンマサラが出る日を見て判断するしかない。
いまでは岡崎中心部にも「スバカマナ」という良い店ができて、いつもスイーツな人たちで満員なんで、うまいものを食べたかったらそちらに行けばいい。俺もここのチーズナン大好き。だけれども、クソオタの俺にとっては、なんかこっちの、東岡崎駅前の、寂れた店のほうが気持ちが落ち着くんだ。(さいごまで店の名前を書くつもりはない)
さて、君たちはどう生きるか。(<-へんな終わり方。)
# viking
ご無沙汰しております・・・ってか、pooneilさんってインド料理(厳密にはインド亜大陸料理)お好きなんですか? エチオピア談義で、もしかしたらそうなのかなと推察しておりましたが・・・。
# pooneilどうも。
>> pooneilさんってインド料理(厳密にはインド亜大陸料理)お好きなんですか?
いやぜんぜん、ってところが笑いのポイントです。ではまた。
# おやかたよー元気?久しぶり。
そのインド料理屋のうらぶれ感が好きなのか?
インドじゃないけどさ、下北にシーシャのカフェみたいなのがあるよ。アラビアンなおじさん達が虚ろな表情で座り込んで、シーシャ吸ってる。たぶん君、こういうの好きなんじゃない?
おー! 元気? Facebook更新してないじゃん。
これだね:シーシャ 下北沢一番街店
なるほど、なんちゃって系じゃなくて本物のアラブの人が集まってるんなら興味あるなあ。
タバコは10年以上前に止めたけどね。
ではまた。
2010年03月04日
■ Google Chart Tools のAPIで数式
Google Chart Tools のAPIで数式
via Okumura's Blog
これまではmimeTeXをレンタルサーバに入れてそこから動かしていたのだけれど、なんかの拍子に動かなくなっていました。GoogleのAPIを呼べば、画像が返ってくる。なるほど、これは簡単。
たしかに成功。
2010年02月21日
■ Doesn't the sky look green today?
"Doesn't the sky look green today?"って最高にサイケデリックだよね。
このフレーズは、私の名前pooneil(ぷーにーる)の元ネタであるジェファソン・エアプレインの「キミとボクとプーニールのバラッド」の歌詞なんだけど、これにはさらに元ネタがあって、くまのプーさんの作者であるA.A.ミルンの詩「春の朝」から取られている。いや、「取られている」というのは正しくなくって、まんまパックリといってるんですわ。
ポール・カントナが著作権ガン無視でヴァースまるごといただくという無茶なアティテュード、初期のフォーク的三度のハーモニーとかから逸脱した三人のコーラスがつくるカオス、タオイストのプーさんによる「自由」へのメッセージ、そういうものへの賛辞として私は自分にこの名前を付けた。
というのはもちろんウソで、はてなダイアリーにユーザー登録するときにアルファベットでユーザー名を入れなきゃいけないってんで、とっさに決めた名前をずっと使っているだけなんだけど、意外に悪くなかったって思ってる。
(読めない人がいるところが難点。「ぷーにーる?ぽーにーる?」-ポール・カントナがくまのプーさんとフレッド・ニール (彼らは「人生の裏側」をカバーしている)とをくっつけて作ったフレーズだから「ぷーにーる」が正しい。ちなみに「ぷーにーる」はタイトルにだけ現れて、歌詞には現れない。)
そういうわけで、心情的にはOSS応援してるし、最近のarduinoいじりとか、ovenCVだったりRだったりいじるのとかもそういう側につきたいと思う気持ちから来ている、部分もあるのかもしれないけど、たんにとっつきやすくていろいろいじれるのがいいじゃん、って思ってるだけなんだ。
ま、結論としては、はやくミルンの著作権が切れてパブリックドメインになれよ、ってことですよ。(ってそういう話でしたっけ <- このフレーズ使いまわししすぎ)
もしわたしが今の高校生だったら、プログラムばっかしてたんじゃないかな。 Web上の情報使ってRでデータマイニングしたりしてさ。ChucKとか使ってサウンドプログラミングしてるとかさ。
実際の私は、家ではカセットテープに多重録音したり(座布団にマイクくっつけてバスドラ代わりにしたり)、授業中に内職して、おーそういえばまさに「キミとボクとプーニールのバラッド」の歌詞をノートに書き写していたもんだ。昔のレコードの歌詞カードってのは聞き取りがめちゃくちゃでね。さっぱり意味とれないからもうシュールレアリズムとして捉えるしかないから結果サイケデリックになってたっていう。
って昔話になっちゃったからこのへんで止めとくわ。
2010年02月07日
■ アイロンビーズで遊んだ
なんかこんなネタが続いて、芸風に偏りが見られますけど、そういうときもあるということで。アクセス数増やそうとかそういう魂胆ではないですよ? (<-なぜ疑問文)
今日は今日とてママがアイロンビーズを買ってきた。ここにギャラリーがあるけどこんなかんじでいろんな模様を作って遊ぶ。だけど、いろんな色がごっちゃになったものが売られているので、まずそれを色分けしてから使う。そうすると模様を作るときとかに便利だから。ということで一家総出で色分け。今日は私も参戦。
下の写真みたいなかんじで色分けしてる。いちばん下にあるのが私の割り当て分。上にあるのが色分けしたやつ。我が家の小さい食器総動員。けっこういろんな色がたくさんあって、たいへん。緑とエメラルド色と黄緑と白っぽい黄緑と透明な黄緑とか近隣色がたくさんあるので、それを混ぜないようにしないといけない。
それでもやってみるとだんだんコツがわかってきておもしろくなってくる。まずはじめは、微妙な色のあるやつは無視して、はっきりわかる色でかつたくさん数があるやつ(紺色とか)から手がける。そのつぎに、似た系統の色でたくさん数があるやつ(緑とエメラルド色とか)を微妙な色の違いは気にせずにべつの容器にとにかく集めてしまう。そのあとで緑とエメラルド色とをより分ける。こうすると、赤や青の中に混ざっているなかから緑とエメラルド色をより分けるよりももっと簡単になる。
このへんまでやっていると、じつはこれがsaliencyを用いたvisual searchであるということに気づく。(ということで脳科学ネタにつながるのであった!!!) つまり、なるたけポップアウトが使えるように色を選んで探してゆくのがいい方策なのでした。眼球運動を記録してやったらそれなりにおもしろいんじゃないかって気がしてきた。
さらに続けていると、こんどはなんか目が微妙な色の違いに慣れてきてさらに効率が良くなる。Top-down attentionでcolorを頼りにしたsearchに切り替わったと言えばよいのでしょうか、それともperceptual learningとでも言いましょうか、ともあれ、ビーズの向きとか形とかを無視して、色だけを気にしながら、なんか色に対する解像度が上がるのを感じる。つまり、「緑系のグループ」みたいな捉え方から、「緑」「エメラルド色」「黄緑」「白っぽい黄緑」「透明な黄緑」みたいな階調が明確になってくる。しかも被験者(<-ちがう)は人間なので、色の名前を使って、カテゴリカルかつセマンティックに捉えるようになってくる。
というわけでIttiのtoolkit動かしてシミュレーションしてやって、今私が考えたようなアルゴリズムが最適かどうか、もっといい方策はあるかとか調べられるんじゃないだろうかとか、そういうことを考えつつ、無事に色分け終了しました。つーかアイロンビーズこんなにたくさんあって全部使うんだろうか? 色分けしたらなんか満足してしまったような。
そのあとで、庭でとれたでっかいブロッコリーをママがゆでたのをみんなで食べて、娘はヒーリーズしに行って、ママは土いじりを始めて、長男は宿題してて、わたしはこのブログ書きながら、次男がくみくみスロープやってるのを手伝ってる。
そんな日曜のこと。
2010年01月22日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20091230
今回は高校の同窓会まで。
11/29 ママが西武で不二家のミルキークリームロールというのを買ってきて、これがうまかったのでみんなで皿をなめる勢いで食べた。// ミルキークリームロールってプリキュアの技みたいだよな。// 「ミルキー! クリーム! ロール!」「シュウィーン」「シュワー・シュワー」(悪者がやられるときの音)とか言ってたら、長男がケーキ吹いた。// Sufjan Stevensの"Come On Feel The Illinoise"を聴きながら大掃除。I made a lot of mistakes, I made a lot of mistakes, I made a lot of mistakes, ...
11/30 これすごい:オープンソースでアイトラッキング // 正直いろいろ業者探してたんだけど、これなら自分で作れるかも。
12/1 俺がいなくなっても、だれも気にしないだろ? // なんかがっくりしながら、宿へ戻った。ラーメン屋まで行こうという気すら起こらない。マンサンのlegecyとか聴きながら、ぐったりしてる。"Nobody cares when you're gone. Nobody cares when you're gone..." // 生命保険の見直しとやらが来て説明を聞いたのだけれど、俺の保険って2500万しかないのな。いざとなれば不慮の事故ででも、なんてことを考えたこともあるけど(戯れ言だよ)、これじゃ死ねないな。// やはり天命に従い、この命を捨てる必要ができるときまで、燃やし続けていこうと思う。// さっきジュンク堂で買った「我と汝」をお守りにして、俺はどこまでも、走るんだ。// 覚めない夢。いまごろ「本当の俺」は病室でシーツをかきむしりながら覚めない夢を見続けているのだと思う。// もし、すべてが間違いがなくて、ただしく予定通り過ぎゆくとしても、俺はそれに異議申し立てをして、関節を外すようなやり方でそれをよく見ないとわからないようにぶちこわしてみせる。// 弾丸は俺の胸の文庫本を撃ち抜き、俺の不整脈ごと心臓を止める。// べつにご大層なことを言っているのではなくて、覚悟を見せるために4REALとカッターで切り刻んでしまうような、そんな、(ネタ古!)
12/6 SLRのところで出てきた2次関数の例だけど、 x側でsampling biasがあるような場合にはそこは推定が大きくなるのが正しいのであって、その意味ではGAMとかlowessのような局所回帰を使うというのがあのデータ自体の解としては正しい方向であるように思われる。// ちなみにGAMはただのsplineではなくて正則化をするのでベイズ的な方向でもある。そういえばspline自体が多項式によるfittingなんだから、よりrelevanceは高い。というかGAMとカーネル法の関係ってなんだ? つながっているはずだよね。// Neuronal firingは計数データなので poissonでgeneralized linear modelにするのが正しい方向なように思う。たとえ正確にはpoissonでないとしても。Firing rateではなくてspike countが生により近いデータなのだから。// そっちよりは、time window選択の恣意性を排除するために、 時間方向に広がったデータをどうやって解析するのが良いかということの方が 対処すべきことのように思われる。// そういう意味では、longitudinal dataとして、trial内でのcorrelationの構造を明示的に取り扱いながら解析するのが正しい方向であるように思う。// 説明変数と応答変数の関係からすると、統計モデルの式というのは、左辺に応答変数を、右辺に説明変数を持ってくるというのが正しいと思うが、この辺が整理されてないように思う。// もしくはデータ生成の過程を考えてモデル式というものを考え直すとか。モデル式は単なるcorrelationであって、生成過程を捉えていない。// single-unitも、生態学とかも同じ状況のはずなのだけれど、結局、observationに基づいた実験をFisher発の実験計画に基づいて解析しようとするからおかしなことになっている。
12/8 ギラギラしてたい、ってわけじゃない。うまく言い当てられてない。そう、メラメラしてたいんだな。
12/9 CARMENについて調べていたら、あれ、篠本先生が著者に入っているって思ってよくよく見たら、Simonottoさんという方だった。
12/11 大掃除してますか?!!!!!! 我が家じゃ私は窓掃除担当で、サッシのレールとか隙間とかを歯ブラシでごしごしやってますよ!!!!!!!!!! 気分はとらドラ!の高須竜児ってかんじで。// 死蔵してたCDラックを掘り出して、fishmansのlong seasonとか聴いてみる。やっぱ素晴らしい。そういえば彼はインフルエンザで亡くなったんですよね。// エルマロとかクーラシェイカーとかTokyo No.1 Soulsetとか嶺川貴子とかそういうの聴いちゃうオレ。スチャダラパーのCDが見つかんないんだけど、だれかに貸したっけ?
12/13 「僕は友達が少ない」よさそうだな。買う。
12/13 「ヤルネェ!」ってスゲー泣けるんですが、これは一生続くよ。俺なんか今でもいたたまれない。外国人の中に首突っ込んでみろよ。Facebook見てみろよ。やつらが使う「ヤルネェ!」すらわからないままに苦笑いでコミュニケーションだぜ。// もうやだ。こんなの。// Mixiもfacebookもさ、リア充のものじゃん。俺はずっとlooserの方にいたと思うんだ。
12/13 Google Phone来るか? LA行ったときにはこれ買うか。
12/15 「日経ビジネス オンライン無料会員登録=登録されたメールアドレス宛にメールマガジンを配信する、というルールで運用しています。」だって。いまどきんなことすんなっての。
12/22 「「器」はなんていうか、マジかよと思うデザインだった 」<-これなんか気に入った。//「僕は友達が少ない」1巻、読んだ。楽しめましたけど、ちとデレが早くないすか? もっと辛口の方が好き。GEの影響でしょうか。// ベビステ神回とか騒いでいるに違いない(<-他人事風)
12/27 「都内の新築マンション+高級外車」というフレーズを見てさめざめと泣いた(<-ウソ) // 「そこでたまたまFXでもうけたお金でプーケットなんかに行って」なんか見覚えがあるなあと思ったら、「金魂巻」だった、って俺も古いね。
12/29 いま東京理科大10号館前 // 飯田橋。汗かいてきた。// Just posted a new Hiking trip, "市ヶ谷から", to EveryTrail. Check it out here // 21:40 秋葉原到着。休憩がてらブックオフへ。電撃文庫の「少年テングサのしょっぱい呪文」というのを買う。ジャケ買い。// 22:20 休憩終了。出発。22:35 両国橋。23:10 錦糸町。 23:30 自宅到着。トータルで二時間くらい。// 歩きながらtwitter更新していくつもりだったのだけれど、EveryTrailというGPS機能を利用してトラッキング情報をtwitterに送るiPhoneアプリを入れてたことを思い出して動かしてみたら、あっという間に電池がなくなった。使えねー。// なんか岡崎の地理感覚になじんだせいか、東京都内ってじつはかなり狭いんじゃないかって感じる。 // 「少年テングサのしょっぱい呪文」のほうは一章読んだ。けっこう良さげ。だが寝る。// フォローゼロでやってきたのだけれど、高校の同窓会で友人をフォローしだしたので、この機会に知り合いをフォローしておいた。
12/30 Unconstrainedな状況で高次元のデータを習得するときの空間を埋めることの難しさ。
2010年01月17日
■ 色の立方体のペイパークラフト作った
このあいだ娘と話をしていたら、「色ってじつは赤は赤でもちょっとずつ違っていたりして、無限にあるよね」なんてことを言い出した。無限という概念に目が向いたことに軽く感動しつつ、そうだね、じつは色ってのは色鉛筆の数だけあるんじゃなくって、赤と緑と青の組み合わせでたくさんあるんだよって説明をして、photoshopだかペイントだかの色選択の部分を見せたりしてみた。でもそれだと2次元までなんで、3次元だってのを説明するのがなかなか難しいんですよね。
これはちょうどいい機会だなと思ったので、赤緑青の三原色が混ざりながら変化する様子がわかるようなペイパークラフトを作ってみました。
娘が完成した立方体を見て、うわぁとか言ってる。
そうしたら長男も寄ってきて、パパが色が三次元だって言ってたことの意味がわかったよ、なんて言ってたんで、頂点をなぞりながら、赤と緑を足すと黄色になるのがわかるでしょ、みたいに説明した。
でもってよそ見してたら、次男がぼくも触りたいとか言ってやってきて、むんずとつかんで、くちゃっと潰してしまいました。ああ、寿命は5分でした。まあしょうがない。次男はちょうどいま「くまたくん」の年頃なんです。
そんな寒い寒い冬の日のこと。
技術的詳細。練習がてらR言語を使ってみました。Rのコードはこちらから:ファイルをダウンロード。(名前がdiceになっているのは、目を書き込んでやってサイコロとして使えるようにするつもりでいたからなのだけど、時間切れ。)
Rは統計検定のためにちょこちょこいじったことはあるけど、image processingをしたことはありませんでした。Matlabでいうところのimshow()をRでやるためにはどうやらlibraryを読みこまなくてはいけないみたいなので、いくつか探してCPANからbiOpsモジュールというのをインストールしました。
Matlabとくらべてクソ遅い。まあ私も使い方よくわかってないんで、ホントはもっと最適化できるんでしょうけどね。
この調子でDKL空間も作ってやるといいかも。直方体をゆがませたものになります。でもって、Lum=0とかL-M=0とかの平面を示す線を引いてやる。ただ、モニタの色と印刷した色で違うので、そんなに追求してもしょうがないのだけれど。
あと、いま思ったけど、単なる直方体じゃなくって、斜めにカットを入れて分割して、断面の色とかを見せるようにするとなおいいかもしんない。いまのだと彩度の高いところしか見えないし。
ということで、今日のエントリでは、家庭シリーズと科学シリーズとを合体させてみた。
2010年01月03日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20091127
あけおめ。なんかTwitter流行ってますね! わたしはソーシャル抜きで(フォローゼロで)ほんとうにつぶやくためだけに使ってたのですが、さいきんまたちょぼちょぼフォローしだしました。そちらもぜひどうぞ。あんま交流しないけど。
んで、まいどのtwitterまとめただけエントリなんですけど、再読を要求するという意味でよくないかと思っていたのですが、あんま気にしなくてもよさそうなので堂々と再利用します。ここから:
8/21 Data assimilationの概念を脳に当てはめて考えている人がないか探してたらけっきょくFristonだったので、やっぱここを勉強するべきだと思った。
8/22 「効用」の最大化のメカニズムを考える経済学ではなくて、「幸福」の最大化のメカニズムを考える学問というものを夢想してみた。
8/26 「禅とオートバイ修理技術」読んでから、一挙に自分のルーツに立ち戻ろうという欲求が高まってる。ベイトソンも読み直しておきたい。ずっと積んでたTom WolfeのThe Electric Kool-Aid Acid Testも引っ張り出してきた。// Black Swanもちらちら読んでる。思った以上に読みやすい本だねこりゃ。
8/29 「NTTサイバーソリューション研究所でインターン」 スゲー、このレベルでトレーニングコースっていうかインターンやるべきだよね。やっぱこういうところにこそ人が集まるよね。とにかく道を切り開いて、おもしろいことやれる環境を作りたい。
9/9 こんど9/30-10/1に東北大電通研 共プロ講演会でトークします。さっそく仙台のラーメン屋チェック。二郎系の「卍」というところを発見。ちょうど東北大前。量が少ないのは別に良いので、ニンニクなし脂多めブタ増量で頼んでみることにする。// (追記) 10/1 東北大電通研で二郎系の「卍」行った。けっこうよかった。ニンニクなしで頼んだのに入れられたけど。
9/9 たばこも止めて、酒も止めて、ドラッグもやったことのない俺は「ストレイト・エッジ」と名乗ってもいいんじゃね?腕にバッテン印つけようか。菜食化して筋肉付けてアタマ剃って、ヘンリー・ロリンズみたいに。風貌的にはパーフリフォロワーよりそっちのほうが向いていてるのよねー(姉原美鎖っぽく) // そういう側面から、私はクラウザーさんに関しては、ちと人ごとでないかんじで感情移入しながら見てました。(過去形) あれは戯画化したキモイ渋谷系だけどね、わたしは本気で、世界塔時代のオザケンになりたかったんだ。(retrospectiveなもの言い)
9/12 「あなたに私の時計をあげます」って直截すぎるか。
9/22 ニコ動でアイマス+Bluetones! しかも俺の心の歌Slight Return! つーか13年前の曲かよ、歳とるもんじゃねーよ、ホントに。
10/10 これ食いてえ>>巨大マッシュルームが丸ごと入ったハンバーガー発売 // (追記) 11/15 食った。味付けが濃かった。もっと薄くてもよいのに。
10/11 bind - bond - band ということだ。(なんかしたり顔) // "In XXX we trust"ってフレーズよく見るけど、あれの元ネタなにかと思って調べたら、1ドル札に書かれてるモットー"In god we trust"なのな。こういうのに付き合ってるとさすがに一生が終わると思ったので、英語の教養とかもうどうでもいいと思った。
10/18 tumblrが重くてしかたない。Twitterと同じで、ソーシャルな部分はどうでもいいんで、レンタルサーバとかにインストールして自分用だけで使えないもんかね。 // Evernoteもクソ思いうえにインターフェースが悪い。Webアプリ化してtemplateとかいじれるようにして、必要なことだけやらせてほしい。// クラウドとかどうでもいいから。// つうかwordpressでべつにブログ作ってパスワード認証かければよいか。// pukiwikiか?// Evernoteがなんでこんなに人気あるのかわからん。Webクリップ200個入れただけで開くのに時間がかかるし、いちいち開くのに画像化したサムネール開くから遅いし。検索も遅すぎて使えない。
10/23 37.9度なう(<-「なう」使ってみたかっただけ)
11/14 玉川シンポ、なんつーか疲れた。いろいろしゃべってテンションも高かったけど、終わってみると、なんかすごい落ちた。劣等感とでもいうのかな、あまりこういう言葉使わないようにしているのだけど。// 早々に辞して、町田まで歩きながらafter bathing at baxter'sを大音量で聞きながら住宅街を歩く。なんか金持ってそうな若夫婦とか見てさらに落ちる。// この気分に浸るために「太陽の塔」なんか古書店で買って再読してみる。あの最後の数ページだけ読んで、すべてを思い出してから、またはじめから読んでみる。ちょうど同じような季節になっている。// でもコンビニに入ったら、なんかスゲーウキウキしている店員さんに対応してもらえたので救われた。つーか結婚してほしい。// なんか友達みたいにレジ打ちしておつりを返してくれるの。
11/25 なんか曲の名前を付けるとしたら、プレコックス感溢れるやつがいい。たとえば、「これ落としましたよ」とか。
11/27 事業仕分け関連はいろいろ思うところはあるけど、とにかく科学は国民を敵に回しちゃいけないよな。わたしがブログに書いてたことは科学に対するenthusiasmを共有してもらうには役立つかもしれないけど、それだけじゃ足りない。それはわかってる。// そういうことよりはわたしが強く感じたのは、けっきょくこの問題はお金の分け合いで、どこへ行っても痛みを感じる人間がいて、卵と壁の問題なんだってこと。// あらゆる分野で「ハコモノ行政」とか「天下り」とかを批判してどのお金を削ったって、そこには生身の人間がいて、血を流す。// 俺には俺の「友愛」ってものがあって、「箱から出る」とか、ブーバーの「我と汝」とかそういうものを意識する。それでも冷徹になって、言葉が一人歩きするのを阻止するために、いろんなデモンストレーションをしてゆくしかないんだ。// って俺は思ってるんだけど、そっちが無くて素でやってる人たちがいるんだろうなとも思う。// 今言おうとしていることはつまり、「すべてを人ごとにしない」という大それた野望なんだ。// ナイーブだと思うかい? でもこれが俺の本質で、いつまで経ってもけっきょく変わらなかった。// 誤解されないように書いておくけど、けっきょく決定は一人歩きするんだから、そのレベルで実効性のあることは、即座に削減に反対の意思を示すということで、それをやってるんだよ。それはわかったうえで書いてる。// なぜか「シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか?」を思い出した俺www
2009年12月27日
■ What is the best way to access to the internet in US?
I got a fellowship that will offer money to stay at LA from the next April to June. It is just a three-months long. It is not enough to complete some projects but is enough to start something new.
Right now I am gathering information about apartments, cars and so on.
One thing I am not certain is what is the best way to access to the internet in US. I have an iPhone 3G for the Japanese phone network and did not unlock nor jailbreak it. The points are, it is just a short stay and all I need is email and skype and I do not need a cellular phone.
I guess I have some choices:
- Use Global Roaming service of the Japanese phone company. Ridiculously expensive.
- Buy a Verizon MiFi 2200 portable WiFi hotspot and connect my iPhone via wifi (link). It looks promising but it requires a 2 year commitment.
- Unlock my iPhone and use a prepaid phone (for example, goPhone: link). I do not want to jailbreak it.
- Buy a prepaid phone and forget about my iPhone. Cheapest choice.
- Wait for Google to sell their SIM-free Google Phone. If I can use it when I am back in Japan it is a best choice, but I am not sure, because of the difference in the phone systems.
I hope that the Google Phone will come out soon. Although it is a completely different issue, I think it would be easier to start openCV on android than openCV on iPhone. It would be another factor.
#
"monkey" in the first sentence would be "money", wouldn't it?
# pooneilThanks. I corrected it.
# 在米年越し3ヶ月でお一人ならcraigslistでサブレットのアパートを探すのが良いのではないでしょうか?場合によってはネットも使えると思います。LAなら街にはそこそこフリーwifiがありそうです。
ルームメイトがいることもあるかもしれませんがこちらの人は皆そんな感じでなれていると思いますし、そんな経験も楽しいかもしれません。若者や学生は騒がしいかもしれませんが、普通の落ち着いた大人もルームシェアをしています。
車もcraigslistで買えますが、売ることや保険を考えるとレンタカーで3ヶ月リースした方が良いと思います。通勤に車が使えない場合もあると思うので毎日使わないのなら、その都度レンタカーの方が良いかもしれません。
携帯はクレジットヒストリーやら社会保障番号が必要な場合もあって面倒くさいかもしれません。プリペイドなら簡単です。機種が限られますけどね。たいてい多めのデポジットを払えば何でも使えると思います。国際電話はネットが使えればスカイプを使えば良いし、プリペイドの携帯でも国際着信は出来ます。
電話機自身もcraigslistで安く買えるかもしれません。
友達も必要ならcraigaslistですかね?
一年間の予定でアメリカに留学中です.
携帯は日本からDocomoとe-mobileのS21HTを持ってきました.
S21HTにAT&TのプリペイドSIMを挿しています.
ただし,AT&Tの3Gには対応していないので,GSMでつながっています.それゆえ,ネット速度が非常に遅いです.
僕は日本に電話はたまにしかしないので,Docomoの無料通信分で十分です.
最近,Kindle2を購入したので,これでもネット接続をしてみましたが,いつ課金されるか分からないのとそもそもブラウザの処理が非常に遅いので,あまり実用的ではありません.
スターバックスで,スターバックスカードを購入し,ホームページで住所等を登録して,使用すると一ヶ月間毎日2時間以内なら無料で無線LANに接続できます.
http://www.starbucks.com/retail/wireless.asp
また,Barns & Nobleでは無料で無線LANが使用できます.
Skypeは使用していないので,使えるかどうか分かりません.
おふたりともどうもありがとうございます。
craigslist駆使するのは賢い選択であるようですね。私は英語がへたくそなので自信ないですが。
Touch DiamondはプリペイドのSIMが差せるのですね。それはいいですね。
なんとかうまいこと節約してやっていこうと思います。御礼まで。
2009年09月14日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20090815
あーちくしょー、エビ喰いてー (ごあいさつ)
7/2 「STUDIO VOICE 8月6日発売号で休刊」って、エー!!! // と言いつつ当分買ってないよなと思って // バックナンバー一覧見てたら // いちばん最後に買ったのが「2000年7月号 narcotic psychedelia」だった。 // それ以降立ち読みだけかよ俺wwwwww
7/5 なんかいろいろ思うことはあるけど、日本を変えたかったらアメリカを変えるのがいちばん「早い」んだなと思った。 // これは逆説的な言い方であって、「社会を変える」「デザインする」という発想自体の意味を問いたいわけなんだけど。
7/6 propofolだってよ!!! // propofol abuseについてのサーベイ論文:http://bit.ly/43DL4
7/15 一輝の二郎インスパイヤ、SO二郎を食べてきました。これで4度目。 // いま岡崎ではここでしか二郎インスパイヤ系は食べられないということで超喜んで食べたのが4月。そのときは脂増しとかにしなくてもよかったのだけれど、2度目は全然背脂が少ないので途中で追加。 // 3度目ははじめから脂増しで注文。でも醤油の方が強すぎて喜びが感じられずかなりがっかり。んで今回4回目もはじめから脂増しで注文。でもぜんぜん背脂が入ってない。たんなる脂の層。そんなのいらない。 // ということで、残念だけどたぶんもう行かない。こんどの京都の国際生理学会の時には「ラーメン荘 夢を語れ」に行っておこうと思う。
7/18 ブラーのfor tomorrowでいちばん泣けるところは、"trying not to be sick again"ってとこだと思うんだよね。(なんかしたり顔)
7/20 今日はおうちで家族でバーベキュー。着火剤とかバーナーとかの進歩のおかげで準備が早い。でもウチワ扇ぎすぎて疲れた。明日はきっと筋肉痛。
7/28 東プレ Real Force 91Uを使ってるんですけど、こいつが素敵なのは、'Q','A','Z'のような小指で押すキーがほかのキーより軽くなってるんです。こういう気の利かせ方は好き。理想としたい。(さりげなくいきたいのだけれど、素っ気ないと言われる質。)
7/30 自転車で走っていたら、カナブンが羽音を唸らせながら真横を通り過ぎていった。俺もああいうかんじに鋭く飛ばしていきたい ---- 「むりやりなにからでも教訓を引き出さない方がいいですよ」女神が池に落ちた斧を拾い上げて俺を諭す。
8/1 いま気づいたけど、毎日jpってさ、右クリックできないようにしてあるのな。コピペ禁止のつもりか?必要なリンクがなされてないとかいちいち不便なんですけど。わかった、フリーミアムモデルの導入で、有料会員はコピペ可能、リンク付きってのでどうよ。(フリーミアムって言いたいだけだYO!)
8/4 かえりみち、きのしたで、みずのかおりがする。ほたるをみにいくときに、ほそいかわにかかるはしを、てとてをつないで、わたるときのように。ちゅうしゃじょうで、がいとうがうえからひとつ、きいろくつよくひかり、わたしのめをやく。わたしのめをやく。
8/4 大学時代からずっと積んでた洋書の"Zen and the art of motorcycle maintanance"なんだけど、ビレッジヴァンガードで訳書を見つけて購入して、それでも積んでた。ハヤカワ文庫に入ったのを発見して、上巻まで読み終わった。いまの俺には沁みる。
8/4 2はAだけには勝てる。そして、「止まっている時計ですら、一日に二度正しい時を告げる。」 このふたつを重ね合わせてみる。角度を調整しながら、モワレを目で追う。スペードが斜めに切断されて、ダイヤと接合される。
8/6 昨日はATRでカラオケ。(途中はしょりすぎ!) 浪々と歌う系統で:ルパン3世のテーマII、青い影、すばらしき日々。そしたら、「ユニコーン、16年ぶり再結成・ライブ」だって。なんという偶然!というか意識下でこの情報が入ってたみたいだね。
8/7 「止まっている時計」の話を続けてみる。ぼくらはみんなそれぞれ特有の様式でぶっ壊れていて(陳腐な表現だ)、それを組み合わせてなんとかやっていかないとものごとが進まない。毒舌家は毒舌家の、ハイテンションはハイテンションの。そのときに自分で自分に課す倫理に何の意味があるのか? // ここでダメ押し的に説明をしてしまうならば、つまり、止まった時計を組み合わせて使うってこと。そしてそのときにどうやって「自分」を形作るかってこと。これが伝わるくらいに信用してもらえる日が来たらうれしいのだけれど。自然発生的な理解と行動の価値とつながっていると思うんだ。
8/9 「禅とオートバイ修理技術」読み終わった! すごくよかった。20年近く積んでたけど、読み出したら3日で読んじゃった。700ページあるんですけど、するするっといってしまった。つまり、ここにある考えのいくぶんかはもう獲得してたからってことなんだけど。 // 私にも10歳の息子がいるのだから、重ねて感じるところはある。ただ、これだけは言っとかないといけない。Winnie the Poohがクリストファー・ロビンの人生をめちゃめちゃにしてしまったように、この本はクリスの人生をめちゃめちゃにしたと思うから「俺は決して憧れない。」 // この本は本当にすばらしい本だと思うし、いろいろ語りたいのだけれども、岸田秀が「積み木くずし」などについて指摘したのと同じ問題から、けっして「事実に基づく」と明示して出版されるべきではなかったと思う。その意味で35年前の本の限界だと思う。俺はけっしてこういうことはするまい。 // やべ、語りすぎた......いえいえ、たいしたことではないんです。
8/11 79.2kg - 22% だいたいキープしてる。 // ATRで厚切りタンなどたくさんいただいたけどなんとかなってるみたい。いま運動はちょっとやめてる。NIPS-SSC終了したらふたたび69kgへの道を進む予定。(わざわざ退路を断つところが俺が俺であるゆえんであって、ブラーブラー。) // "Microblogging the ISMB"これ見てFriendFeed始めたら、いきなりFacebookに買収されてる! Facebookはいまだに使い方がよくわからん。
8/12 Facebookでこんなことつぶやいてたのをサルベージ:つーか、プロフィールに「交際状態」とか、「学歴」とか、ジョックスの作ったSNSだなと。あースクールカースト問題ってこれか、とか。なんかスポンジボブとか青いケーキとかそういうのイメージして吐き気がした。 // 自分で書いてなんか気に入った>>「青いケーキとスポンジボブ」。これ曲のタイトルにできるな。ちなみに青いケーキってのはこれのことね:http://tinyurl.com/lu9u3x // 思えばザッパのplastic peopleで「たまに君にうんざりすることがあるんだけど、たぶん君のヘアスプレーの臭いかなんかかな」みたいなくだりがあるんだけど、これもその種の醜悪さだよね。 // あと、"smells like teen spirit"も。無理訳すると「エイトフォーみたいな臭いがする」でしょ。とか思ったけど、wikipedia見るとなんかもっと無意識なかんじだね。はーむ。(ポール・グラハムの真似で)
8/13 ヒガンバナの「リコリス」(Lycoris)とカンゾウの「リコリス」(Licorice)ってべつもんか! Tim BuckleyのPleasant streetでの"christian licorice clothes"ってのは後者なのね。
8/13 青いケーキとスポンジボブ / でっかいピザ100個注文しよう / マリリンマンソンが着替えしてる / 鼻歌歌って全部燃やせよ / ニキビだらけの顔でオンステージ / トムジェリも呆れて見てる / センター・ホスピタル / 2002年7月31日。
8/15 (なんか口調が違う) Webを使い始めた頃にはさ、なんかのドラマか映画かのイメージでさ、誰かがなんか情報を出すと、それを深く知っている人が重要な情報を出すみたいなのをイメージしてたんだけど、そんなことはなかったぜ。床屋談義なんてしないでさ、もっと内に溜めてさ、メラメラしようぜ。
2009年09月03日
■ 渦の中で
Twitterに書いてたら長くなったのでこちらに移動してエントリ化。
T.S. Eliotの「荒地」の冒頭、サテュリコンからの引用より。 「クーマエのシビルが甕の中にぶらさがっているのを私はこの目で見た。子どもたちはシビルに問うた『なにがしたい?』シビルは答えた『死にたい』」
これを冒頭に持ってきたことによって、この詩は「死」というよりは「老苦」についてのものとなっている(シビルはアポロンから不死を得ながらも老苦から逃れることに失敗した)。思えば「プルーフロック」もそうだった。
シビルって巫女/予言者/魔女のことか!バナナフィッシュの女の子はシビルだった。なるほど、額を撃ち抜いてしまったのだな。以前、シビルの萌えキャラ化というのを考えたことがあったけど、ならば名前は「巫女子(みここ)」だな。なんかラノベっぽい。(つうかそれ西尾維新)
実家に"The Pictorial Key to the Tarot"を置いてきたままだ。やっぱ俺はさ、英文学科とかでT.S. Eliotとか読んでればよかったんじゃないかな。(逃避中) ... 俺はさ、弱さを弱さのまま保ち続けられる能力と安全弁とを備えていたのだと思うのだよ。
(タロットを繰りながら)逆さ男が出てきませんね、水死に気をつけてください、これを読んだ15歳の晩から人生を重ねた一方で、すっかりすり切れて無感動になった俺は、すべてを取り戻すために、無謀な賭けに出たりするのだ。
ツーか、違うよな、大学時代にカポーティとかに言及してるオザケンの文章とかに戦慄して、貴族でなきゃむりなことはやめようって誓ったんだよな。俺がいまからやっても間に合いそうなものが何か、それなりに冷徹に考えて、道を選んだんだよな、... 後付け的に言うならば。
Twitterのタイムラインは見たくないものを見ずにいられるのが特徴だそうだ。なるほど、俺のひとりtwitterはそういう意味では究極だ、だれも俺のタイムラインにはいないのだから。(follow=0にしてあるんだ)
シビルは答えた「死にたい」と。そしてシーモアはベッドで銃の引き金に指をかけた。それがすべての始まりだった。
2009年08月30日
■ 「頭の良さ」談義
飲み会の時とかにわたしが振る話題で「頭の良さ」談義ってのがあります。あなたの知っている「頭のいい人」の頭の良さというのはどういうものだったか教えてください、っていうお題で議論をするんです。なかなかうまくいかないのだけれど。
で、具体例になってしまうのでここでは書かないのだけれど(エー)、もっと抽象的な言い方をすると「ややこしいものをものすごくシンプルにしてみせる頭の良さ」ってのがあります。じつはわたしは「見切りの良さ」みたいな頭の良さは信じてない。このへんはいつものわたしの話同様、入り組んでいるのでもうすこしきっちり書きます。
見切りの良さと手際の良さで頭がよく見える人はいる。大学に入ったころはそういうのに憧れてた。だけど今は、そういうのって自分の得意分野に引き込んだ上での巧緻性なので、よりメタな問題に対処するために自分を拡張しなくちゃいけないときにときとして邪魔するんじゃないか、なんてエラそうに考えてる。
わたしが科学者にありがちな極端な還元主義的思考になじめないのはじつはそれと同根であるものを感じているからだ。ウサンくさい複雑系かぶれだと思われないようにさっさと付け加えると、還元主義がいけないわけでもなくて、ものごとをシンプルに保つこともいけないことじゃない。見切りの良さとものごとをシンプルに保つことが重要なのは、もっと複雑な問題(たとえば「意識の問題」とかね)を考えるためにその手前のことをさっさと片付けるため、そしてそのときだけだと思うんだ。
だから、上記のことをもっと正確に言うと、「『物事をシンプルに保つ』という思想をじっさいに扱っている問題自体をシンプルにすることにまで使ってしまう不用意さ」をわたしは問題としてる。
わたしがデビッド・アレンの「Get things done」の本で好きな点は、「頭の中にたまっているToDoを全部書き出してしまう」ということを人生の目標を矮小化する(「書き出されたことだけが人生で可能なことだ」)ためにやるのではなくて、頭のもやもやを取り除いて、もっと創造的なことに頭を使うべきである、という風に考えている点だ。(正確な表現を探しておく必要あり。)
そして、そういった創造的なことをするには頭はもやもやさせなければならないし、わたしが以前書いた「わたしの中のカオティックな部分」ていう表現はまさにこれについてだった。
Simplicityを薦める本がもし真っ当であるならば、それはcomplexityを雑に扱っていないはずだ。
この文章を書き始めたのは「シンプリシティの法則」(ジョン・マエダ)の書評をいくつか読んだからでした。極東ブログでの表現で、
シンプリシティ(簡素さ)とはけしてシンプルなことではないからだ。そしてなぜそれがシンプルではないかというと、シンプリシティを求める人間の知性や美意識のなかに、生命の本質が関わる複雑性の要素をそぎ落とすことができないからだ。
なんて書いてあったので、これはいけるんではないかと思ったのです。ちなみに5番めの法則はこう:Simplicity and complexity need each other.
ちなみにジョン・マエダはMITメディアラボ教授。わたしは「ビジュアライジング・データ」の前書きでその名を知りました。
ジョン・マエダのブログのこのコメントなんかは科学者的発想でしょうね。
Simplicity can live by its own. complexity need to be simplified.
それにたいしてJohn Maedaはこう答えてる。
That’s a neat idea — to ask whether one can cancel out the other, and whether that relationship is reciprocal.
ここはとても素敵だ。考え続けてるかんじがある。かんたんな答えじゃないよね。
わたし自身はどうかというと、自分で自分の限界はわかっているから、とにかくできるところからやってる。図式化とかしたがる。なんかほかの例につなげてみようとか。パラフレーズして自分の表現にしてみようとか。私と会話していると、なんかこの人の言ってることは繰り返しばかりだな、と思われるかもしれない。仕方ない。その通り。コジツケとか、思い込みでの即断とかもけっこうあるけど、要はわたしなりに見通しを良くするところにそれなりに労力をかけているんだ。 (続き書くべし)
論文コメントブログってのをやってるのもそういう意義がある。べつにわたしは流行りものに飛びつきたくってこんなことやってるんじゃない。メタパターンを学習したいとか、いろんな言い方ができるけど、そう「見通しをよくして、重要な問題を見つけたい」、それだけなんだ。始まりは素人的な素朴なアイデア、それのimplementationのためにはきっちりとしたサーベイ、この二つのプロセスの両方に、違った意味で効いてくると思うんだ。
(KISS (keep it simple and stupid)に対する複雑な思い、について書くべし)
話を戻すと、だから今はわたしは、粘り強く物事の本質を見出すところまで辿りつく能力に頭の良さの価値を見出していて、じぶんでもそこへなんとか辿りつけないかなと思いながらいろいろやってます。
じつはこのエントリは「頭の良さ談義」の話と「Simplicityの書評」とかに分けることができて、読み物として楽しむためにはもっと整然と書く必要がある。だがこれは俺のブログだ。わたしがどういう思考過程を経ていたのかを記録するためにこのような構成が使われているというわけ。とはいえ、これでもかなり構成をいじり、書き直しを経ているのだけれど。
なんて言って、唐突に終わる。なんかエラそうな物言いなので、このエントリに漂っているヴァイブwが気に入らない。けど出す。いやあねえ(キンドーさんっぽくシナを作りながら)。
2009年08月26日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20090622
お元気ですか!!! NIPS-SSCのほうはどんどん参加者増えてますよ!!! ポスターのほうもおかげさまで35枚来ました!!! もうすぐ要旨集もできます!!! Webサイトの方もチェックしてみてください!!! (なんか雑なしゃべり方で。)
いつもの、twitterでたまってるやつをまとめ直してみたんだけど、ちょっと前の精神状態がわかっておもしろい。なんというか、セラピー効果があるね。
4/16 どこででも可能なんだ。// 広くて笑っちゃうくらいだ。
4/17 「到着」が「ちゃーちゃく」になるの。// キュートでしょ。
4/18 このあいだ大府の晴レル屋に行ってつけ麺食べてがっかりしたので // 岡崎にできた「つけめん舎 一輝」もとりあえず敬遠していた // たまたま近くを通ったので入ってみたら、 // なんと二郎インスパイア系のS0-二郎というメニューがある。 // 俄然頼む。残念ながら肉増量分は売り切れ。 // どうせ三河の趣味に合わせてあっさり味で出てくると思ってたら、 // スッゲー背脂乗っかって出てきて大感激。 // これが食べたかった! // 「アブラ多め」とか言わなくてよかった。 // ちょっとタレが強すぎる傾向はある。 // カネシ醤油とも違ったかんじ。 // けど、この三河の地でこれだけ「ガッツリ」食せるやつにははじめて出会った // 健康のために1ヶ月に一回までと決めることにする。 // とか思いながらwebあさってみたら、限定メニューじゃんかこれ。 // ヤバい、また明日行く(人生オワタ\(^o^)/) // ちなみに半角仮名は使わないようにしているので。 // 三河の人はスガキヤの味で育っているので、とんこつラーメン屋とかもみなあっさりめが多い。 // 背脂系なんて皆無。 // だから期待していなかったのだけれど、 // どこから集まってきたのかってくらいに3桁台の漢たちが集まって、 // みな無言で携帯いじってる。 // 俺が痩せてる部類に入ってるwww // 参考URL1: http://tinyurl.com/dbrf74 // 参考URL2: http://tinyurl.com/dffr34 // 参考URL3: http://tinyurl.com/dhau43
4/28 一輝再訪。SO-二郎を肉増しで注文。ぜんぜん背脂が入ってない。 // 途中で油増しをリクエスト。 // なんか三河の味覚に合わせたのだろうか。納得いかねー。
4/29 子連れの潮干狩りはたいへん。ヘトヘト。// たくさん取れたんで楽しかったけどね。// あと、逃げ遅れたアメフラシが点在。スゲーでかい。// こいつのことを「ウミウシ」って呼ぶ方がよくね?
4/30 今日はこれがいちばん納得いった://「成功したと思っている人間は、深く検討したわけでもないのに、自身と同じ経験を他人に勧める傾向がある」という仮説が浮かんだ。// URL: http://tinyurl.com/d43ew5
5/2 ワロタ>>「え?一気に全部ダウンロードしたい?わんぱくだなー。」
5/9 思わぬところで「とらドラ」のひどいネタバレを見た。// 告訴したい。// ということで、// 自宅から安城のbookoffまで往復。// とらドラの4巻を買いに行くがないので10巻を買っとく。
5/7 ひさびさのカラオケ。というか今年初。// Perfume 「Dream fighter」を熱唱。// そのあと井上陽水「帰れない二人」。// 忌野清志郎関連ということで。
5/13 Amazon Web サービスでRESTでデータ取得したりとかいじってたのだけど、// なんか仕様変わるって。// わたしのはたんなるXMLプログラミングのお稽古だからいいけど、// そんな面倒にする必要ないのにね。// わたしがしたいのはたんに、// http://tinyurl.com/pcp6dv // とかRESTでレビューを取得したいだけなんですけど。
5/14 1000人がぜんぶ消える。// なにも言い訳はできない。// だれも笑っていない。// 遠くでモーターのうなり声が聞こえる // 強い風が吹いている。// かすかに焦げたにおいがする // やけに涼しい。// 人間だけが止まっている。// 生き物はせわしなく動く。// 僕らは、終わってしまった。// そしてそれによって何も変わらない。// ある種の、廃墟。// だが主体はそこにない。// ...人間味というものが失われている。// 人影、気配、そういったものに欠けている。
5/16 BLUE BIRD by Unconscious // をタグ付けしてて気づいたけど、// これってwhite-lipsですね。// いま気づいた。
5/18 「スラムドッグ$ミリオネア」見た。// よかったよ。// 地元のシネコンでレイトショー、1000円。// 客10人くらいしかいなくて、いいんかってかんじだったけど。
5/22 中田ヤスタカと田中ユタカってなんか字面が似てる。 // オタクなんで、後者の方が好き。
5/24 HT-03Aってぜんぜん詰められてないんだけど、 // 出る前から終わってないか? // プッシュ不可、flash不可でしょ。 // なんで後発なのにその点でiPhoneからのアドバンテージがないの? // あとは料金プランだけ見とけばもうよさそう。
5/29 金沢来た。 // チャンピオンカレー行った。 // レンタルサイクルこいで5キロくらい。 // カツも作りおきでないっぽい。 // ルーも濃いくて、なかなかよかった。 // 帰りに手前の別のカレー屋でリトバスの痛車発見。 // 痛車って実物はじめて見たよ。 // さすが金沢工大前(決めつけとく)。 // でもそのとき俺は片霧烈火のorange girlを聞いてた。(イェイ!)
5/29 音楽を聴いていると意外なところでホロリとさせられることがある。 // まえに「ももいろのうた」が「百色」であることを知って泣いたことがある。 // でも、「あたしが虹で道しるべ作ってあげる」で泣いたのは // さすがに心が弱っているとしか思えない。 // (いい曲だけどね。)
5/31 Gigolo Auntsの"Gun"って曲があって、大好きなんだけど、 // 歌詞は「38口径かCOMBAT 45があれば、生きてるって素晴らしいって思うんだ」ってやつ。 // 当時は銃社会への皮肉みたいなもんだと思って聴いてたのだけれど、 // 歌詞的には銃全肯定なんで、もしかしたらまんまの意味だったのかも。 // Nirvanaの"rape me"とかはそこを明示的にグチャグチャにしていると思うのだけれど、 // Gigolo Auntsみたいなバンドがどういうattitudeを持っているのか理解してなかったかも。 // 歌詞的には誇張的に露悪的な表現があるから // (「ママにもひとつ買ってあげた」) // 俺の読みで正しいと思うのだけれど。 // ボストンのバンドでカレッジチャートとかで人気が出たりするわけだし。
6/16 ICAで有名なAapo Hyvarinenの単行本"Natural Image Statistics"がダウンロード可能。 // http://www.naturalimagestatistics.net/ より。
6/18 ブログのエントリ上書きししまった。 // けどGoogleのキャッシュで復活。 // Googleさんありがとう。 // phpAdminでデータベースのバックアップ取っとかないとね。
2009年08月23日
■ でっかいキュウリがとれた!
愛する奥さんがせっせと家庭菜園で野菜を育てているんだけど、今年はプチトマトとか茄子とかいろいろ収穫があって、おいしくいただいてます。
今日はキュウリを食べようと、娘が下のほうで葉っぱに埋もれているところを探してみたら、お化けキュウリがとれた!
比較のために次男に持たせて写真を撮ってみた。手前のやつは普通のやつ、っていってもかなりデカいやつで長さが25cmあるんだけれど、奥のやつは長さにして43cmある。重さも(量ってるしwww)手前のやつが200gで、奥のやつが730g。
つーかデカくなりすぎなんでこれは食べるのには適してない。どうしようかね、みたいな話をしてる。
昨日は奥さんと長男は鮎のつかみ取りに行ってて、そのあいだに私と娘は「パパのための料理教室」でピザ作り(粉をこねるところから)。まあ、そんな日々。
2009年08月20日
■ これからどんどん、もっと変わるよね。
「12/25 マック行列、バイト千人// 昔からそういうもんだったんだろうけど、// それが見逃されなくなった、ということでしょうね。// なんか、時代が変わったってかんじがした。// これからどんどん、もっと変わるよね。// そのとき、俺はどっちにいるんだろうか。」
ってまえに書いた。これじたいがどうという話ではないのだけれど、これまでの「本音/建て前」の世界が崩れて、かえってみんな杓子定規にルールで動かなければならなくなった。お上の出したルールを「建前のもの」として無力化して、「自分で責任を取る」と言って行動できた時代が終わった。それが英雄的行為として褒め称えられた時代は終わり、プロジェクトX的な馬力はもう評価されない。ルールは建前ではなく、ほんとうにルールになった。
これに俺は対応しなければならなくなった。(いろいろと中略)
もいちど反転:というような思いを奥歯でかみしめて、すべての人が「それ」ではなくて「あなた」であることをかみしめて(ここブーバーね)、人に対してものを伝えるようにしてゆくしかないのだけれど、しばしば人にシステムを投影してしまうんだ(村上春樹の「卵」と「壁」な)。
さいごに反転:まあ、こうは書いたけれど、「俺」なんてものはないし、「自由意思」なんてものもないので、「俺」なんかはどこかに雲散霧消してしまえばよいと思うんだ。
2009年08月15日
■ あじさいの鉢植え
母の日のために、愛する奥さんの名前のついたあじさいの苗を買って育て始めた。ちょっと気が利いているかなと思って、まったくの思いつきで通販で買ってみたのだけれど、植物を育てたことがない私は全然うまくできなかった。
届いた5月あたまの段階ではまだ花(というか萼だけど)はつぼみ、というかまだ緑色で開花してない状態だった。とりあえずベランダにあった直径15cmの植木鉢に植え付けたのだけれど、窮屈そうだった。
直射日光を避けた方がよいとネットで見たもんだからベランダで育ててたら、茎が徒長して、花を支えられなくなって倒れてしまった。花がだんだん開いてきて白くなってきたのだけれど、元気がない。さらに長期出張のあいだ娘に水やりを頼んだのだけれど、一日一回では水も足りなかったらしく、葉っぱもしおれてきてかなり危機的状態になっていた。
6月あたまの出張から帰ってきた私は抜本的な立て直しを図るために、バケツに鉢ごと入れて水揚げをしてから、朝晩一日二度水やりをすることにした。(あじさいは水がたくさん必要なんだ。ヒドランジアっていうくらいで。) それから、娘の朝顔用の支柱を貸してもらって、倒れてた茎をくくりつけて、花をなんとか立たせた。でもって、ベランダから、もっと日当たりの良い場所に移した。
これでやっといろいろ好転してきた。花はまず白くなり、その縁がピンク色になってゆき、それがだんだん全体へと広がる。写真は7月あたまの段階。ことしは梅雨が長かったから、それからは水にも不自由せず、さらに一ヶ月近く花を咲かせ続けた。
8月あたまにしおれた花をカットして、来年の芽が出るところより上で茎もカットして(といいつつどれが花芽かわかんないんだけど)、直径25cmの植木鉢に移し替えた。ここからは葉と茎の状態でずっと維持していく。また来年にうまく咲かせることができると良いのだけれど。
すべてが隠喩を帯びてしまうことを承知のうえでこうして書いているという点が「夏休みのあさがお観察日記」との違いなんだけどね。そういうときもある。
追記:「なんて名前の花ですか?」って聞かれたら、「知らぬが花」って答えるに決まってる ... 木霊する緑の中で。(<-なに言っちゃってんの、このひと。)
2009年08月02日
■ IUPS2009に行ってきました
IUPS2009に行ってポスター発表してきました。なんかいろんな人にラーメン食ってきたかどうか聞かれたんですが、昼に一乗寺の「ラーメン荘 夢を語れ」に行ってきました。ブタ入りニンニク抜きで麺は少なめ200g (この店の標準は300gで、値段は変わらず400gもあり)。いやーこれですよ、食べたかったのは。豚バラの分厚いのが5枚入っていて、背脂もたっぷり。これをスープ飲みながら食っちゃうんですが(沁む/死む)、初めのうちは脂メインで塩気少なめ、だんだん醤油味が強くなるのがちょうどいいかんじ。昼にこれ食っちゃったんで夜はコンビニで豆腐ハンバーグのお総菜を選んで超軽めにしときました。
今回の出張では金沢出張に引き続いてレンタルサイクルを活用。ホテルからタダで自転車が貸してもらえるので、これを漕いでラーメン屋もIUPS会場も行ってきました。京都出張はいつも移動はバスだったり地下鉄だったり叡山鉄道だったりと微妙に乗り換えが多くて不便だったのですが、京都は平らですし、もともと自転車乗りも多いということで試してみたんですが、これがなかなか正解。ホテルから一乗寺までが7キロくらいで、そこから国際会館までが2キロくらいなんで正味一時間で、負荷的にもちょうどよい。高野川沿いの道をギヤなしママチャリ(シート上げまくり)で乗ると天気的にもよくて、なかなか気持ちよかったです。
Posterのほうは多くの方に見に来ていただけたのでありがたかったのですが、けっきょく同じ時間のポスターをほとんど見ずに終了してしまいました。Sten Grillnerが見に来てくれて、pulvinarはどうなってるんだろうね、みたいな話をしました。
ついでにメモ:先週はPeter Redgraveが来て議論をしたのだけれど、これがなかなか面白かった。彼はSGI->CM/Pfの投射が効いているんではないかと話をしてた。確かにそうすると、私の見ているある種のawarenessとMCSの人のawakeningに関わる経路(Shiff et al)とのつながりが出てくる! Arousalとawarenessとconsciousnessはconceptualに言っても別ものであるのは明白なのだけれど、それらが何らかの形でつながっているところを見ることができたら面白いんじゃないだろうか。
次の日は早起きして龍安寺へ。有名な石庭を見に行きたかったのですね。学会の開催時間を考慮してオープン直後の8時に行ったのですが、これが大正解。団体客が全くいなくて、いるのは私ともうひとりカメラを持った男の二人だけで、石庭を見ながら静かにずっとボンヤリとする(瞑想と呼ぶのはおこがましい)ことができました。
ただ、思ってたより狭いですね。いや、べつにその箱庭感が良いのだけれど、観光用の写真とかだとすごく大きく見えるように写すんで、はじめ眼に入ってきた瞬間、ちょっとあれって思った。
ここを見に来たのは高校の修学旅行以来でしょうか。記憶がありません。それよりかはPTAMを使ったARによる「龍安寺石庭で戦うダース・ベイダー」 (YouTubeに出てるあれ)を見た記憶に上書きされて、本物の石庭を見てもあれを思い出して笑ってしまう。(<-現実と作り物の境界が失われている嘆かわしい現代人)
あとはBMIシンポジウムに参加して、阪大の八木先生とATRの神谷さんのトークに質問してきました。これについてはのちほど。
そんなこんなで楽しんできました。
2009年05月03日
■ VSS不参加となりました
今年のVSSはうれしいことにtalkでacceptされたので楽しみにしていたのですが、不参加となりました。非常に残念です。
この決定およびその前後の手続きなどでいろんな人が関わり時間を割いてくださっていることを考えれば、憤慨したり揶揄したりするのは違うと思ってます。もうこれはしかたない、あとのところでベストを尽くすしかない、という気持ちです。
この件に関連するみなさまに、良い休日が訪れることを祈っております。
ではまた。
P.S. お次の出番は、金沢での第24回日本生体磁気学会大会(2009年5月28-29日)です。輪行して「カレーのチャンピオン」まで行ってくる予定(あいかわらずB級グルメ系)。これまでと違って、オーディエンスには臨床系もしくはヒトでのイメージング研究の人が多いでしょうから、わたしのトークにどのような反響があるか楽しみです。ただ、今月はiPhone一括で買っちゃって金がないんで、夕食は財布を気にしながら行く予定です。
P.P.S. そのつぎはベルリンでのASSC13(2009年6月5-8日)でのトークです。ドイツはこれがはじめて。アイスバイン楽しみ。テクノ系のクラブも行っておきたい。生理研での国際ワークショップの宣伝とか打ち合わせの活動もする予定。こっちはキャンセルにならないといいんですけど。
# viking
今年は生体磁気って金沢なんですね。ところで、たぶんイメージング屋(=fMRI屋)は少ないです。コテコテのMEG屋さんが多いので、time courseの話には食いつきがいいんじゃないかと思いますが。ちなみに今プログラムをザッと見たらY. C. Okada先生の教育講演があるのを見て、一度ぐらい聞いてみたかったとちょっと後悔しました。
# pooneilなるほど、time courseはポイントですね。課題のどの時点からdecisionを反映した活動が出ているか、なんてのはひとつのトピックとなると思います。
もうひとつの論点は「局在論」のあたりかと思ってます。Single-unitをやっていると、極端局在論代表みたいな立ち位置になるし。
このへんで普段と違った議論ができるといいなと思ってます。
どのタイミングでdecisionを反映した活動が立ち上がるか、なんていう論点には生体磁気の人ならみんな食いついてくるんじゃないかと思います。MEGというのはある意味ヒトでそれを調べるために特化している手法だとも言えますし(無論EEG/ERPでもいいわけですが)。
「局在論」ということですが、最近のtime-frequency domainメインの人たちはともかく、昔ながらにコテコテのsource estimatesをやってきている人たちにはものすごく受けがいいと思いますよ。MEGは「一応理屈の上では」解剖学的にピンポイントに絞った位置におけるneural activityのtime courseが見られることになっていますので・・・。
そうそう、今年はどうかわかりませんが伝統的に心磁図・胎磁図の研究も多く発表されていますので、お時間があったらぜひご覧になってみて下さい。門外漢にも結構面白いものです。
2009年04月19日
■ "Make:"いいですね、とかつれづれ。
4/16 さいきんはArduinoとかprocessingとかPTAMとか // openCVとかARToolkitとかなんかそういうのが気になってる。
4/16 これイイ! http://tinyurl.com/c4rj7g // PTAMとArduino組み合わせて現実世界のLEDの色を // GUIで点灯させたり、コピペしたり。// これと脳科学をつなげたい、って思ってる人が世界に何人もいるはず。// 俺もそう。脳の「リアル」を知るためのBMI。// 俺は「現実」には住んでいない。// つねに5年くらい先に住んでいて、// (とりけし。)
さいきんはオライリーの本ばかり読んでる。"MAKE:"いいですね。オタク趣味を脱臭してオサレ系にしたgeekのための雑誌にしてある。マッドサイエンティストもモンド的味付けがなされているし。
でもって、岡崎図書館行ってみたら誰も借りてないの。悔しいからNo.6までおよび"making things talk"まで全部借りて順番に読んでる。Chu-Moyヘッドホンアンプとかエフェクタの自作とか、そういったわたしが興味持ってるけど出来てないものがたくさん載ってる。これは素晴らしい。"MAKE"がちゃんと売れて続いてくれたらいいなと思ってます。
iPhoneとか出る前の話だけど、Ittiラボの人が携帯のカメラでオンラインでsaliency map計算させてるのを見せてくれたことがある。じつは、わたしのやってることとけっこう近いんですよ。
Palm Preのプレス発表も良かったですね。あのくらいキビキビ動いてくれると楽しい。でもどちらかというと、こういう競争が激しくなることによってiPhoneが進化してくれることをこそ期待していたりして。
LEDでレバータスクだったらTEMPOなんかいらないんであって、マイコンで作れるじゃん、とか思ってた。プログラミングとか面倒そうだから敬遠してたんだけど、Arduino使ってセンサ買ってprocessingでプログラミングすればトータル5000円で組めるじゃん。LEDでレバータスク。だれかやって。一般公開あたりこれで遊ぼうよ。
あーなんか気楽に書きすぎたな。俺床屋談義って嫌いなんですけどね(どの口でそれを言うか)。
(前回のエントリの追記部分が長くなったので独立させました。)
2009年04月18日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20090416
2/18 Sekai Cameraの発表時には興奮したけど、ほんとうに動くのか疑わしかった // 今回ので、ある程度狭い領域では稼働することがわかった。// ほんとうに稼働するんだったら、ぜったいに面白い!// ということでフォローしておく。
2/19 「恥ずかしいこと思い出すとなぜか独り言が・・・」// あー、みんなやってたんだ。// 自分だけじゃないんだ。// ちなみにわたしの場合は、//「あー、うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ」// とうんこ連発してます。
2/23 これなんだけど、// http://tinyurl.com/alldfc //これは研究されていることなんでしょうか。// 文字抜けもあるけど、// 構文のレベルですよね。// みんな面白がってるけど、// aphasia関連ではないのですか?// だれかくわしい人いないの?
2/23 Amazonで見たすごいいいレビュー:// http://tinyurl.com/d8qcnr
2/25 iPhone キャンペーン キター!!! // CREST報告会で大阪に行ったときにスパボ一括で、とか考えていたけど // 全部すっ飛んだ!!! // つーかこれは新機種発売フラグ // また買えなくなった(<-ダメぢゃん)
3/10 今日ネットで見て気に入ったフレーズ //「現在の、微妙にマジックリアリズム気取りの胡散臭いポジションが一番いいよ。」// これは「デンデラ」読まなくては。
3/18 「うちの開成高校では」まで読んだ // そっちよか今日はiPhoneコピペキターのほうだな。// 決めた、今度こそ買う(まだ買ってないのかよー)
3/21 さらに暗くなるまで長男とキャッチボール。// ボールを受けるときに一歩前に出る習慣ができていて、感心する。
3/26 LEGO MINDSTORMS NXTが欲しいと思ってたけど、// LEGO Education WeDoっつーのが出てくるね。// こっちを息子に買ってやるのがいいかも。// でも元の発表では1月発売のはずだったのに、7月になってるみたいだし。
2009年03月18日
■ 「意味なんてどこにも無いさ」
The Whoの"so sad about us"を聴いてたらなんかほとばしってきたんでまた書いちゃう。
反復運動は回転運動。
どんな言葉も作り手がコンテキストを設定しなければ、読む側のコンテクストが設定されて陳腐になる。
クヌギの木の下まで行こうぜ / そこにはなんにもないとわかっているけどさ
クヌギの木の下まで行こうぜ / そこにはなんにもないとわかっているけどさ
どうでもいい言葉をマントラのように繰り返して、それで感情を揺さぶる。それがメロディーとリフの力。
だから、反復運動は回転運動なんだ。
2009年02月02日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20090202
Twitterに書いたことを断章形式でブログに再利用。前回は20081130まで。ダイエット関係は割愛にて。
12/1 クラス会と人間ドックを前にして// 突然始まりましたよダイエット。// カナダに持って行ったフィリップ・マグローの本が思ったより良かったので// 原書も購入:"the ultimate weight solution"// つーかこの人、本職はあくまでカウンセラーだね。// アマゾンUSAではマグロー自身が太っているのが問題だとか、// MDではないとか、荒れてる。// でもさ、特効薬なんて無いんだから、まんべんなくカロリー減らしていくしかないのであって、// って長くなってきたからそのうちエントリ作る。// とりあえず今日からここで毎日報告。
12/6 「ケツバット」ってフレーズになにかヒップホップ風味を感じる。
12/7 「ぼんのくぼ」って言葉をだみ声で言ってみる。
12/8 首が繋がってました!!! イエーイ!!! // とりあえず一人で祝う。// 誰もいないラボでかき鳴らす(なにを?) // Neil YoungのDown to the wire最高。// コード進行がG-Cと進むところでメロがF#-E-Dを動き、// そのままコードBで解決、って解決してないけど最高。
12/9 「ぼんのくぼ」を「う゛ぉんのくう゛ぉ」と発音してみる// 今日ネットで見た印象的なフレーズ:"Albert Hoffman's Bicycle" // ていうか詩のタイトル。// 「あなたはもう既にゆるされているんですよ」// こういう言葉をずっと聞きたいと思っていた。// ぼくに降り注ぐ「恩寵」。
12/16 このあいだセミナーで「ペロニアル ナーブ」て解剖学用語を聞いたんだけどめちゃかっこいい。// この名前でバンド組みたい。// んで、なんかスミスっぽい音出すの。
12/17 夕方に自転車で帰るときに、東の空から上ってくる満月の月を見ると、// お、満月か、みたいなまんざらでもないかんじがある。// でも、夜中に自転車で帰るときに、東の空から昇ってくる半月が建物の陰から現れると、// なんかぎょっとする。// て「満月の月」ってなんだよ、オレ。
12/19 @hobby_hobby ありがとうございます。いま気づきました。
12/21 Windowsでのfirefoxに入れてるEvernote。// Web clipのときにlocalのアプリケーションを立ち上がるのでいちいち面倒だった。// 今回のアップデートでやっとMacと同等になった。// それでもいまだにwindowsとmacでlocalのアプリのインターフェースが全然違うまま。// これはやくなんとかしてほしい。// でももうこっちに慣れたので「紙copi Net」は使ってない。
12/25 マック行列、バイト千人// 昔からそういうもんだったんだろうけど、// それが見逃されなくなった、ということでしょうね。// なんか、時代が変わったってかんじがした。// これからどんどん、もっと変わるよね。// そのとき、俺はどっちにいるんだろうか。
12/27 (翌朝)3時56分、ぶじ自宅に到着しました。// 幹事さん、どうもありがとうございました。// 赤坂見附から自宅まで、虎ノ門、銀座、新大橋経由でちょうど1時間でした。// ...ママチャリで。
1/1 あけおめ。// 私が好きな瞬間:// 紅白歌合戦が終わって、ゆく年くる年に切り替わった瞬間の静寂。// 寺に雪など降っているとなおさらよい。// 今年は富山で、雪は降ってたらしいけど、雪は見えなかった。
1/6 もうすぐkeynote speech。// Steve Jobsのコメントも出ましたね。// んでそれの翻訳の出来がめちゃいい。http://tinyurl.com/7dg93w // たいがい機械翻訳とかでガックリなのだけれど、// これは実力者と見た。// We'll be back soon キター! // でも寝る。// って17インチMBPだけって、なんだよー // iPhone買う気でいたのに。
1/7 mapionのキョリ測おもしろい。http://www.mapion.co.jp/route/ // こないだの実家から赤坂見附までは11km。みじか! // たしかにちんたら自転車で走って1時間でした。// 岡崎の自宅から隣の市の豊田図書館までで19km。// だいたい1時間40分。// ここ往復するのはちょうど良いかも。// 本持って往復するのはたいへんだけど。
1/14 エレカシの「新しい季節へキミと」聴いた。超絶よい!!! // 「桜の花、舞い上がる道を」聴いた。超絶よい!!! // 「俺たちの明日」がCMで流れてるのを聞いたときは正直ピンとこなかったんで // しばらくフォローしてなかったんだけど、// これはいい!!! ちとJ-POPぎみだが、曲もよければ、歌唱もよい。// さっそくj-total見て熱唱。// はやくライブに行かなくては。// 今日webで見た印象深いフレーズ: // 「いい珍奇男だね。ラストがしっかり決まれば最高だ」// んでしっかり決まったんで感涙した。// 武道館って席まだあるのかな。
1/18 http://tinyurl.com/7tp4ep // これ面白い。// オタ友がいないままにネットを友にしてオタクをやってきた私にはしみる。
1/19 @shokou5 水泳いいですよ。頭が冴えて仕事にも良いです。(<-ダイエットハイになってる)
1/23 人間ドック行ってきた。さて結果の方はどうでしょうね。// 胴周りは10cm減った。でもまだメタボ圏内。
1/25 今日笑ったフレーズ: // 買わなきゃハドソン(ハドソン河に沈められるぜ、の意)
1/31 ポストロック系を手当たり次第聴いてたのだけれど、// みんな好きなんだけど、ほんとにいちばん魂にくるものが見つからずにいた。// んで、Lastfmで流し聴きしてたら見つけたYndi Halda。// ギターとストリングスの組み合わせで // じわじわと盛り上がる曲調で、GYBEの亜種みたいなつもりで聴いてたんだけど、// "We Flood Empty Lakes"の最後の盛り上がりのところまできてあわてて曲目をチェック。// これはキタ! // Lastfmでフルで聴ける:http://tinyurl.com/az3s45 // いったん突破口が開いたら、"This will destroy you"とか"God Is an Astronaut"とか // "Saxon Shore"とか、もうぜんぶいける。// 忙しいったらありゃしない。// (MogwaiとかSigur RosとかExplosion in the skyとかThe Album Leafとかは知ってるんで推薦無用)
# マコちん
ポストロック系ですかー。
僕はガスター・デル・ソルとかトータスが好きですね。
そもそもポストロックってプログレと意味が似ているし、いったい何なの?って感じもするんですけれども・・・^^;
# pooneilどうも。ポストロックってなんなんですかね。
ともあれ、もともと(サイケ系の)プログレ好きで(シューゲ系の)ギターロック好きなもんで、音的には私の好みのど真ん中です。
シカゴ音響派は興味あるけどずっと聞き逃してきたのでこのへんで浴びるように聴いてみたいです。
2009年01月21日
■ 10kg減量しました
ところで右の写真を見てくれ。こいつをどう思う?
すごく…大きいです(腹が)。
というわけで、さすがにそろそろダイエットしないとまずいので始めました。左の写真は前回のダイエット成功から3年後にまだ体重を維持していた頃の私。右は体重最高潮、体調最悪だった昨年9月にJSTの取材で撮った写真。この写真では見えてませんが、ジーンズのボタンがきつくてはめられてません。隣でいっしょに映っている伊佐先生が小さく見えるっていう。
ところでなんで前回リバウンドしてしまったかというと、それについてはまたそのうち別エントリを作ることにします。左の写真が汗だくなのが伏線ですな。
以前のダイエット経験については昔のエントリで書きました:20000816。2回ダイエットしててどちらも半年で20kg超の減量に成功してます。履歴書には「特技:ダイエット」と書けるくらい。ただ、問題なのはリバウンドも2回してるんですよねえ(ダメぢゃん)。いまのところ2勝2敗。これが3勝2敗になればいいわけです。でもさ、人生で5割を超える戦績を残せるものなんてそんなにないと思いません?(こじつけ)
そういうわけで、これまでの経験からわたしが知っているのは、ダイエット自体はいったんその「モード」に入ってしまえば難しくないってことです。いかにしてわたしが「ダイエットモード」と呼んでいるマインドセットに入るかがダイエットには重要なのですよ。そこに入れば痩せるのはつらくない。逆に言えば、ダイエットがつらいような状態(「意思の力」で減量しようとしている)のときは成功しないんです。そして、どうやったらリバウンドせずに体重を維持できるか、これに関しては成功したことがないので強いことは言えません。ただ、どちらのダイエット成功のときもそのあと3年くらいは維持できてたんですけどね。(ダイエットやめたら即太るようなでたらめな食習慣を持っていたわけではない。) これが最大の課題です。どうやって俺がこの自分の身体と一生つきあっていくかっていうね。
んで、このあいだの出張のときに「全米NO1「こころの主治医」が教える なりたいカラダになれる7つのプログラム」 フィリップ・マグロー を読んだんですが、これに書いてあることはすごく同意できた。要は行動習慣を変えよう、ということです。フィリップ・マグローはさいきん勝間本が出たりとか自己啓発系の人ですね。ま、そのへんはスルーするとして。
僕らはどうすれば減量できるかなんて知ってる。摂取カロリーを減らして、消費カロリーを増やせばよい。へんな特効薬みたいな発想はしない方がよいんです。そんな本たくさん出てるけどね。フィリップ・マグロー本に書いてあるのは、ストレスでものを食べるような習慣を無くして、手の届くところから食べ物をなくして、周りの人を味方につけて、適度な運動をする、まあそういうことで、たいしたこと書いてないっちゃあ書いてないかもしれないけど、このシンプルな原則を明確にして、行動習慣を変えることを主眼にするというのに説得されました。
ちょうど一ヶ月後に高校のクラス会もあるし、二ヶ月後には人間ドックの予約も入ってる。このへんを目標にして、重い腰を上げて(文字通り)、いよいよダイエットを始めることにしたのです。
んでけっきょくいまどんなかんじかといいますと、こんなかんじ:
2009/1/19: 87kg
ダイエット開始から47日で97kgから87kgまで10kg減量しました。でも目標体重は72kgだからまだ15kgあります。ここからはこの倍のペースぐらいにスローダウンして体重を落としていけるといいのですがね。まだ先は長い。
体重および体脂肪率の変化は図の通り。途中に停滞期が来たりする(25daysあたり--12月の終わりあたりとか)のは、身体の自然な反応なんで、あわてずダイエットを続行するしかありません。Twitterでは「アセルナ、ユックリダ」と念じてましたけど、これはダイヤのエースネタです。(<-解説するな)
これまでやってきたダイエットの反省点として、運動を組み込まずに、食べ物の量をかなり減らしたので、筋力は落ちるし、便秘になるし、必ずしも健康的でないという問題がありました。というわけで今回のダイエットのテーマは「健康に痩せる」でいきます。あ、もちろんこれが人生最後のダイエットということで。
食べ方としては、朝はしっかり食べる(パンだったり、シリアルだったり、前の晩の残りだったり)、昼は外食せずに軽めに(蕎麦ゆでて冷凍温野菜レンジしたり、豆腐や納豆付けたりとか)、おやつはヨーグルトなどで100kcal程度まで(へんに血糖値下げすぎてパフォーマンスを下げない)、夜は全体的に少なくするけどおかずをまんべんなく取って栄養不足にならないようにする、というかんじでだいたい一日トータルで1500kcal程度にはするけど、1200kcal切ったりするような過激なことはしないでおきます。酒は飲まない。クラス会も正月もこれで乗り切っちゃいました。しばらく落ちついた生活をしたいと思っていたのでこれも悪くなかったです。
んで、ゆっくり味わって食べる。昼とかはなかなか難しいけど。ふだんどれだけ味わわずに口に詰め込んでいるかということを思い知らされる。
はじめの一ヶ月くらいはなんか胸焼けしてた。胃酸過多なのに食べる量が減ったからでしょうか。ともあれそれも消えました。
冬にダイエットすると風邪を引きやすい気がするんだけど、今年はいまのところ高熱を出したりしてません。
んで運動の方ですが、これまでは、眠くなったり、猛烈な食欲が出たりするんではないかと思って避けていたのですが、今回はプールで泳いでます。高校のとき水泳部でバタフライ泳者だったりしたんですが、ひさしぶりすぎて腕が掻ききれません。夕食前に泳ぐと、かえって食欲が抑制されてそんなに夕食がいらないし、運動強度をあまり上げずにおけば、夜にラボに行ったときでもかえって頭が冴えるなというかんじがあります。週に2,3回くらい、毎回1時間のペースです。運動に時間を費やすというのは人生の時間の使い方として、どうあるべきか考えたりしますが(一生やっていくのかどうか)、いまのところ悪くないです、というかなんで今までやらなかったんだろうってかんじです。
とはいえ、プール代がバカにならいないので、自転車も使い始めました。ラボまで乗っている街乗り用のMTB車にサイクルコンピュータ(って名称は大げさすぎる気がするんだけど)をくっつけて、速度とケイデンスを計測して、1-2時間ほど遠出。水泳と同じで重いギアでゆっくり回すのが好きだったんですけど、本当は90rpmとかでやるべきなんですね。知らなかった。ママチャリの延長だから姿勢は立ちぎみだし、正しいフォームを身につけたいのだけれど、ともあれHR=140くらいの維持を目指してます。こっちも楽しくなってきた。
というわけで、だんだん運動が面白くなっていていろいろ凝りだしてる。楽しいのはいいんだけれど、度が過ぎるとほかのことができなくなる。たとえばブログの更新とかw
運動自体のダイエットにおける効果はそんなに大きくないはずだけど(7000kcalの消費で脂肪1kgですからね)、これまでほど摂取カロリー量を減らさなくて良いし、やつれたかんじもない。あと、直接的因果はわからないけど、今回は便秘してない。悪くないです。
ただメンタルな部分も健康になりすぎているかんじがする。なんかさっぱりしすぎてるというか、スクエアになってる。Twitterにポエム書いたりとかしないし。布団入ったらすぐ寝るし。ちょっと俺らしくない。わたしのクリエイティビティの源泉だとわたしが信じていたカオティックなというかそういったドロドロなものが後退してる。そのへんがたぶんダイエット後の維持期には問題となってくることでしょう。それは予想できる。要は俺はどういう俺でありたいのか、ってことなんですけどね。
とたくさん語ってきましたが、まだまだダイエットは途中。まだまだ人生(たび)の途中ッス。いまはまだ人生を語らずッス。(<-なにをいまさら)
# tkitom
カオティックなpooneilさんが好きです。
と、無責任に言ってみました。
ダイエットがんばってください。
# ろんすごいですね!僅かの間に一気に痩せられるぷーにーるさんの意志力に驚かされました。僕には無理そうです。こういう意志力は、どこの脳活動とどのように相関しているのでしょうね。。。私も脳科学系ですが、分野外なので、そういうことがあまり詳しくありません。
私も12月中旬から水泳&公開ダイエットを始めました。ブログを書きながら体重と体脂肪率を公表しています。
1週間に4日ペースで1キロ泳いでいますが、なかなか体重には反映されません。そのかわり、体脂肪率が落ちてきました。運動ダイエットは、筋肉が付くので体重に反映しにくいようです。途中でがっかりしないためにも、体脂肪率を体重と一緒に記録しておくことをおすすめします!
蛇足ですが、吉田拓郎、僕も好きです笑
# kazuhi-s最初の写真のインパクトがでかすぎますwww
ダイエットに関して感じるのは、pooneilさんもおっしゃるように、生活習慣を変えるのが重要であるということ。
いまの生活サイクルのままで頑張っても、気を抜けばすぐもとの行動パターンに収束してしまうけど、もうひとつ外側を変えてしまえば、意識せずに摂取カロリー量を減らせる。
僕は大掛かりなダイエットはしないですが、パターンを変えていくことで平均体重を2年くらい前に比べて5キロくらい落とすことができました。
というか、今の体重のpooneilさんしか存じ上げていなかったので最新の写真にはびっくりです(^ ^;
僕の方は一時期blogにも書いていた通り、相変わらず平日週5日全て昼休みにテニスしておりますもので、太らないのは結構なことなのですが一体研究とテニスのどちらが本業なのかわからないという有様です・・・いやいや研究が本業です。多分。
# pooneilどうもありがとうございます。全レス。
>tkitomさん、そこ拾ってくれてうれしいです。>>カオティック
>ろんさん、「意思力」なんて要りませんよ。意思力が必要なときは失敗すると思います。
>kazuhi-sさん、このフレーズいいですね >>もうひとつ外側を変えてしまえば
大掛かりに減らすより、生活習慣で少しずつ減らすほうがリバウンドしにくいんで、kazuhi-sさんのやりかたの方が圧倒的に正しいと思います。(いわゆる「王道ダイエット」)
>vikingさん、ここ数年は「モテすぎないように肉布団を着て世を忍ぶ仮の姿」でしたwww (というのがわたしのお約束のネタ。)
太ったり痩せたりを繰り返しているので、だれがどっちを知っているのかわからなくなったり。伊佐研、宮下研、薬作の人は前の姿を知ってますけど、統合脳とか研究会とかブログとかで私を知った人にとってはデブキャラなんですよね。いや、キャラ的にはゴレンジャーの黄色の役(いつもカレー食ってる)でいいんですが。
2008年12月18日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20081130
Twitterに書いたことを断章形式でブログに再利用。前回は20080918まで。
9/19 ディランのタンブリンマンの"magic swirlin' ship"ってフレーズが// 頭の中を回ってる。// 曲のタイトルに使いたい。// マジック!// スワーリン!// シップ!// (戦隊ものみたいにいちいちポーズをつけながら。)
9/23 真夜中に、"Footprints"の詩を読んで、静かに涙を流してみた。
9/23 「痛くない」ということで痛みを伝えるような、// 言葉の持つ「分節作用」を超えて// 無邪気に言葉を発するような// そんな詩を書きたい。// そのためには、韜晦の混ざる余地のないような// 未知の場所に立って、// 即座に声を出すんだ。
9/28 今日気に入った書き込み:ゆ←この文字考えたやつは天才だろ ぬ←すげえ前衛的 さ←イケメン
10/8 バンド名また考えた!// 「プライベート・ジェット」// 音はローファイにしておけば名前のセレブ感が皮肉であることがわかる、みたいなかんじで。
10/8 毎日のこれってwikipedia丸写しじゃね? http://tinyurl.com/4lq8rf
10/14 well be back soonキタ-!// でも寝る。
10/17 音極道でのこれ:http://tinyurl.com/4dcnyx // 王道J-POPコード進行Fmaj7-G7-Em7-Amってやつだけど、// わたしはこっちの方を王道だと思ってた:Fmaj7-E7-Am7-G // こっちのほうが短調テイストがきつめ。// 「決戦は金曜日」とか、フィッシュマンズ「100ミリちょっとの」のサビとか。// グレイプバイン「光について」のAパートとか。// わたし井上陽水から始まってるもんで、F-E7-Amってのが大好きなんですよ。// でも宅録するときは恥ずかしいので1,2弦開放でC#m-B-A-Eとかそういうかんじで。// ていうかそれvapour trail
10/19 「メイドインヘブンの服』ってのが// ウイングスーツなんだってのを見て// スゲー納得いった
10/20 Too late to be late.
10/20 永久機関に抱かれて眠る
10/21 ここは全力でスルーでよろしく
10/27 ――文学線って、さすがにおどろいた
10/31 ドバイの雲形をくり貫いたってネタだけど http://tinyurl.com/62zjgg // 英語のキャプションがあるから怪しいと思ってググってみたら// 元ネタあるじゃん http://tinyurl.com/2grzb4 // これはドバい(<-使い方間違ってる)
11/1 今日ネットで見た印象的なフレーズ:「キリンは慈悲の獣ですから」
11/7 さいきん「ミスリード」を名詞として使うのをよく見るんだけど、// なんか「違和感を感じる」。// 形容詞の「ミスリーディング」ならいいんだけど。// これが歳とったということでしょうか。// あと、パワポでプレゼンとかのときに、// 「次にお見せしますのは」っていうのもなんか嫌。// それは丁寧語だから。// 「次にご覧いただくのは」// って言うようにしている。// これが歳とったと(ry
11/8 納豆巻きってさ、//海苔が貼りつくよね(鼻くそをほじりながら)。
11/17 こういう話は好きなんだけど、http://anond.hatelabo.jp/20081117033650 //「友達が言ってたメソッド」をこうやって使うのは好きじゃない。
11/17 もうすぐ出発。// 5時20分発の空港バス。// 起きるの無理だから徹る。
11/24 カナダの山奥に潜伏中。// ネットも繋がったり切れたり。// 「燃えよ剣」はよかったけど泣けなかった。// 泣かなくていいんだけど。// 帰りはアーヴィング。// のはずが、DKL color spaceとか勉強することに。// 楽しいからいいけど。
11/30 「ドングリ百個で30円」// って曲を作りたいと思った。
ちなみに上記の「プライベート・ジェット」うんぬんは例のビッグ・スリーの話題の前です。なんか奇妙な偶然に笑いました。
2008年12月14日
■ ぬりえをした。
娘が「パパ、久しぶりにぬり絵やらない?」って言うんで、お気に入りのマンダラ塗り絵(アメリカかどっかでおみやげとして買ってきたイタリアの本)を引っぱりだしてきて、いっしょにやった。
となりで次男もいっしょになんかべつの本を塗ってる。茶色とピンクが好きらしくて、これまではすべてを塗りつぶしていたんだけど、今日はけっこうちゃんとぬり絵をしてる。
そうこうしているうちにふたりともできあがり。娘もけっこう手際が良くなって、ほぼふたり同時に終了。
左がパパで、右が娘。パパは夜のもみの木をイメージして書いたんだけど、そうしたら娘は「じゃあわたしは夕焼けにする」と言ってバランスを取ったりしながら。さいごにお互い交換できるようにコピーを取り合って、終了。
次男はずっとそのあいだも塗り絵をしてて一冊終了させてた。長男は「モモ」とか読んでる。
そんな日のこと。
2008年12月09日
■ Twitterの使い方がわかってきた
「私にとっての」という話だけど。
Twitterでちょこまか書くのは意外と楽しいのだけれど、そこでなにかコミュニケーションしたいってわけでもないことに気づいてきました。というわけでフォロー全部切って、完全につぶやきモードに入りました。他意はありませんので悪しからず。
それで、あくまでブログの中で役に立てたらいいんだと。右カラムと左カラムの役割分担がわかってきました。
右カラムにtwitterのつぶやきを入れてやると、左カラムのブログのですます口調の白々しさを右カラムが相対化してくれる、つまり、押さえきれないものの噴出みたいな役割を果たすことがわかってきました。それによってちょっとは血の通ったかんじになるんではないかと思うんですけど。あと、左カラムのストックと右カラムのフローって対称関係も悪くないし。
もともとのわたしのブログの文章はですます口調ではなくて、「だ」「である」だったんですが、なんか辛口コラムニストみたいになりがちで嫌だったんでやめました。けっきょく、「ブログで憂さを晴らさない、溜飲を下げないようにしよう」という方針に向いた、人に向かって話す口調を選んできたというわけです。でもそうするとなんかラジオDJ口調と申しましょうか、オッサンブログ臭いキモさが出てきてそれもやだなあと。それでwwwとかorzとか書いてるとそれはそれでこんどは若作りオッサンブログ臭く、さらにキモさがきわだつ。(さらにいえばこういう自意識過剰的なところがさらにオタ臭さを醸し出す。) 脱線しましたが、そういうところをちょっとでも中和してくれたらいいなあと。
また、左カラムの政治的に正しくかつですます口調の中にたまにそういう噴出をエントリとして入れ込んでやることによって、象徴界(左カラム)のなかにぼっかりと想像界(右カラム)が噴出しているというその「穴」「噴出」という事態を通じて現実界を付置していることになるんではないかと思い当たったのです。
あ、前のパラグラフの単語はデタラメなので、ウケる人だけウケてくれればいいです。どういう言葉を使えばよいのかわからないんだけど、なんかそれに近いことをやった気ではいるのだけれど、どう?(こっち見んな)
…というエントリを9月くらいに作って放置しておいたんだけど、けっきょく、twitterを右のカラムに入れると狭くて読みにくいのでやめて、いちばんあたまに持ってくることにしました。つまりいつでも噴出している状態っていうw
2008年12月02日
■ iPhone/touch用のページを作成しました
iPhoneほしい!!!
けどX01HTの支払いがあと9ヶ月残っている!!!
というわけでここは我慢。
きっと待ってれば新しいバージョンのiPhoneが出るでしょ。そのうち32GBバージョンが出て、8GBのやつは値下げしたりとか。そのへんまで待つつもり。
iPhoneもケータイとしての機能に難が、とかいろいろ言われてるけど私には問題なし。だって、わたしが欲しいのは携帯電話ぢゃなくて、「無線LANとか無くても、いつでもどこでもネットにつなげる端末」なんだから。
X01HTにはお世話になったけど、なるたけ電話回線使わないようにして気を遣いながらネットに繋いだりするのはもう止めにしたい。月3000円(つまり基本料金980円と割賦金)くらいで抑えるようにこれまでなんとかしてきた。
iPhoneもはやく寝モバに耐えうる通信速度になってほしい。無線LANぢゃなくて3Gでニコ動とか見られるようにしてほしい。電話できなくていいから3Gでつなぎ放題で月3000円とかにしてほしい。もしくは新幹線の中でも岡崎でも幡豆の山の上でも日本中どこでも無料の無線LANが使える時代が来るとかそういうんでもいい。マクドナルドの無線LANがタダになるくらいじゃお話にならない。
21世紀にもなって、そんな貧相でもの悲しい状態に耐えなければならないことに激しく疑問を抱きつつも、そして自分の経済状況もあり、とにかくいまはiPhoneを買えないので、代償行為的にこのブログのiPhone/touch用のページを作成してみました(ここまで前置き!!!)。こちらから:iPhone/touch用のページ
cremadesignのiPhoneテンプレート for MTを使わせていただきました。当ブログはmovable typeを作って製作してますので、iPhone用のテンプレートで別のindex.phpとエントリーのファイルを生成するようにしたというわけです。
基本的にiPhoneテンプレート for MTのデフォルトのまんまで、iPhoneからコメント書き込みはできませんが、これまでのコメントは読めるようにしておきました。
こんな長文わざわざiPhoneで読むかっつう問題はありますが、ごてごてした部分を取り除いて文章だけになると、意外に読めるかなと。ぜひ活用してみてください。問題点など気づいたら教えてください。ちょっと文字が大きすぎる気がしてます。よろしくお願いします。
以下はテンプレート変更部分についての自分用のメモです:
- ファイルの拡張子がphpなので、各テンプレートの第一行目を以下のように変える。
<? echo('<?xml version="1.0" encoding="<$MTPublishCharset$>"?>') ?>
-
アーカイブファイルの構造がデフォルトと違っているので、個別のエントリへのリンクを以下のように変える。
<a href="<$MTBlogURL$>i/permalink/<$MTEntryID pad="1" $><$MTBlogFileExtension $>" target="_self"> <$MTEntryTitle$>[<$MTEntryDate language="ja" format="%b月%e日" $>]</a>
-
アーカイブファイルの構造がデフォルトと違っているので、前後のエントリへのリンクを以下のように変える。
<MTEntryPrevious><p class="previousEntry"> <a href="<$MTBlogURL$>i/permalink/<$MTEntryID pad="1" $><$MTBlogFileExtension $>"> « 前の記事へ</a></p></MTEntryPrevious>
-
iPhone用個別ページのテンプレートで以下を加えて、コメントを表示する。
<MTEntryIfAllowComments> <MTIfNonZero tag="MTEntryCommentCount"> <MTComments> # <$MTCommentAuthorLink spam_protect="1"$> <$MTCommentBody$> </MTComments> </MTIfNonZero> </MTEntryIfAllowComments>
-
アーカイブマッピングの設定をデフォルトから変えてあるので、「iPhone用個別ページ」のアーカイブマッピングを追加して、以下のように設定する。
../i/permalink/<$MTEntryID pad="1" $><$MTBlogFileExtension $>
# 徳生 健太郎
おおちゃんとiPhoneできれいにでたぞ。お見事!
でも字体は確かに少々デカめに見える。
(テンプレートにフォントタグいれて小さめにすればいいだけではないのかな。あるいは貴殿PC版ブログでのフォント指定(がもしあれば)がiPhoneのSafariにヘンに反映されているのかも)
あと、Safariのユーザーエージェントを見て自動的に/i/のページにリダイレクトするとかできるともっとかっこいいと思う!iPhoneのUA文字列のサンプルはこんな感じ:
Mozilla/5.0 (iPhone; U; CPU like Mac OS X; en) AppleWebKit/420+ (KHTML, like Gecko) Version/3.0 Mobile/1A543a Safari/419.3
>>Safariのユーザーエージェントを見て自動的に/i/のページにリダイレクトする
なるほど。そのほうがスマートだね。http://allabout.co.jp/internet/javascript/closeup/CU20080715A/ のjavascriptを使ったやり方を見て入れてみました。よければ試してみて。
if(navigator.userAgent.indexOf('iPhone')!=-1){location.href='http://pooneil.sakura.ne.jp/i/';}
@pooneil: 試してみたけどだめだったよ。でもコード見たら、こうなってたよ?
if(navigator.userAgent.indexOf('iPhone OS 2_0')!=-1
僕のiPhoneはまだ3Gじゃないんで、だめでした。'iPhone'だけだとフィルター甘過ぎ?
しまった、参照元のサイトのコードのまんま('iPhone OS 2_0')になってた。直しておきました。
2008年11月28日
■ 子どもと「BigDogごっこ」をした。
パパがyoutubeで見ていたBigDogのことを、一番下の子がえらく気に入って、「へんなドボット見たい」とせがむようになった。ついでにBigDog Betaも見せてやったら大喜び。
毎日見せるのもよくないかと思って、今日は代わりに「BigDogごっこ」をやってみた。つまり、ふたりで頭と頭をくっつけて、「ブーブー」とうなりながら行進する。そこを横から長女が蹴りを入れて、おっとっととなりながらもなんとか耐える。そんなあそび。ウケてた。
そんな日のこと。
# 徳生 健太郎
こりゃウケた。オリジナルのビデオでスゲえと思っただけに、パロディが爆笑。ブログ本題の「ごっこ」はどうだったかは知らんけど(笑)
# pooneilどもひさしぶり。
やっぱあの黒タイツがポイントだね。
「ごっこ」のほうはお父さんと幼児だからバランスが悪いのだけど、昨日も下の子に「へんなドボットごっこしよう」とせがまれたから、面白かったみたい。
それではまた、クラス会にて。
2008年11月21日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20080918
Twitterに書いたことを断章形式でブログに再利用。前回は20080809まで。
8/9 質より量に学ぶ - Radium Software//まったくもってホント重要。//「泥のように働く」で荒れたけど、こういうことを指してたんじゃないのかな。
8/11 北島58秒台キター!!!
8/12 Proteus VXフリー化!!! スゲー!!!//さいきん、スゲー!!!とかキター!!!とかそんなのばっかり。//Proteus VX落としてきた!//スタンダロンで動かしてみた。音鳴らねえYO!!!//FL Studio 8からVSTで読み込んでみた。 音鳴らねえYO!!!
8/13 twitterfoxからテスト。//こ、こりゃええ(タモリっぽく)
8/25 "Twitter is over capacity"出た! もう引っ越すか。
8/27 つらいときには明るい歌を歌い、平和なときにブルースに絡まる。//言葉には二面性があり、僕らの主観性には二面性がない。//だから僕は、主観性は表象に先立つ、って言ってるんだ。//だからこんな日は、ビール飲みながら「バナナフィッシュにうってつけの日」を読む。//ビール、にが。
8/31 みえるものすべてが、灰色になって、//遠くにあるように見えて、//それはそれでかまわないのだけれど、//ちりちりとしたかんじが残るのだけが、//どうにもゆるせないのだ//そうぞうの世界で。//ぼくはひとりで立っていた。//とおくで音楽がながれていた。//トレモロをかけた、ひどく歪んだギターの音が、//遠ざかったり近づいたりするように、//トーンをびみょうに上げ下げしてゆく//やはりぼくはひとりで、//なつかしいことを思い出したりとかしながら、//ひっしに耐えていた。
9/1 ここはポエムを垂れ流すところにしたので、//フォロー全部切ったのであしからず。//「入滅」なんてかんじで。
9/6 今日みたいに寝苦しい夜は//カエルがゲコゲコ鳴いて//水に飛び込む音がしたりして//...家の中で。//って気づいたらスゲーでかくなってるし。//もう寝る!
9/17 Paradieswarts。xx-boundてかんじか。//ノースバウンド、アースバウンド。//だから、訳すなら「楽園行」で。//楽園へ、いこう。//いまの俺がなりたいのはただひとつ。//13th floor elevatorsの「壺男」。//あ、研究会の感想だけれど、私がいちばん印象深かったのは、//iPhone持ってる人にまったく遭遇しなかったってことです。//あ、冗談ですよ?(>>いちばん印象深かった)
9/18 「XXですよ?」が使いたかっただけなんだけど、いまいち。
2008年11月13日
■ 飛行機で読む本の候補200811
いよいよSFNですね。しかし今年はわたしは不参加です。ネタはあったんですが(JNS論文のdiffusion modelの部分とか、NCM2007で出したV1 lesionでのexpress saccadeとニューロン活動とか)、今年はちょっとあちこち行きすぎたので、実験に専念ということで。
……のはずだったのですが、HFSPミーティングでカナダのDoug Munozのところに行くついでにニューヨークのHakwan Lauのところに行って、コロンビア大学の心理学部のセミナーでトークをすることに。関係する方を訪ねたかったのですが、あいにくSFNの会期中なのでそれもかなわず。またの機会に!
んで、帰りのトロントから成田までの飛行時間が17時間ですよ。給油時間込みとはいえ。
仕方ないので読む本を探しました。さいきんはラノベばっかり読んでましたが、さっさと読み終わってしまって時間が保たないので、なんか長編を探してみる。
「鉄鼠の檻」 (文庫版) 京極 夏彦はいつも候補に入ってるんだけど後回しになりそう。
「ビューティフル・マインド」 シルヴィア ナサーも積んだままだったので読もうかと思ってアマゾンの批評を見たら(見ちゃうし!)、訳がひどいと書いてあったのでがぜん萎える。
「オウエンのために祈りを」 ジョン アーヴィング。アーヴィングは大学の頃に「ガープの世界」「熊を放つ」を読んだ以来で当分遠ざかっていたのだけれど、最後が一挙に来るみたいでスゲーよさそうだし、新潮文庫に入ってたので買いました。
「燃えよ剣」 司馬 遼太郎。自分はシバリョーとか、っていうか歴史物をまったく読んだことがないので、死ぬ前にここらでチャレンジ。楽しめるかどうかではいちばん間違いないはず。ちなみに岡崎には近藤勇の首塚があって(法蔵寺)、縁のある土地なのですが、まだ行ったことありません。
PRML訳本読むってのも急務なのだけれど、飛行機では無理だな。あー、ベイジアン、ベイジアン。
「全米NO1「こころの主治医」が教える なりたいカラダになれる7つのプログラム」 フィリップ・マグロー さすがにそろそろダイエットしないとまずいので。経験上(ダイエット成功歴2回! でも失敗歴も2回)、いかにしてわたしが「ダイエットモード」と呼んでいるマインドセットに入るかがダイエットには重要なのですよ。そこに入れば痩せるのはつらくない。逆に言えば、ダイエットがつらいような状態のときは成功しないんです。このあたりの体験談は昔書きました:20000816。ということでこの本が良さそうなので、図書館から借りてきました。次回のダイエットのテーマは「健康に痩せる」でいきたい。
というわけで「 オウエンのために祈りを」と「燃えよ剣」をかばんに入れてくことにしました。
2008年10月11日
■ A sort of homecoming
や、どうも、元気です、なんとかこらえてます。久々に実家。なんとなく実家に残してきた本を列挙してみますね。前にもやったことある(20060102)。まあ、意味はないけど。(自意識的にはこういうにはなにかセラピー的要素があったりするんで意味はあるけど。)
「眼球譚」G.バタイユ
「青空人生相談所」橋本治
「俺にはオレの唄がある1,2」柳沢きみお
「ランボー『地獄の季節』探照」篠原義近
「The pictorial key to the tarrot」 Waite
「マイルスとコルトレーンの日々」植草甚一
「カトマンズでLSDを一服」植草甚一
「May Ray 1984-1985」
「よい子の歌謡曲 1991年12月号 特集フリッパーズ・ギターに会えてよかった」
「ステファン・グロスマンのカントリー・ブルース・ギター」
「クマのプーさんスケッチブック」B.シプリー編
「エレキな春」しりあがり寿
「米国音楽 vol.4 1995 "Licensed to Kitten" Issue」
「Duineser Elegien」Rainer Maria Rilke
「ものぐさ精神分析」岸田秀
「吉岡実詩集」
「続・吉岡実詩集」
「天使の王国」浅羽道明
「The complete poems」William Blake
「ぼのぼの 8」いがらしみきお
「お前がセカイを殺したいなら」切通理作
「レコード・コレクターズ 1991年9月 60年代のフランク・ザッパ」
「レコード・コレクターズ 1991年10月 ソフト・マシーン R・ワイアット」
「危ない1号」
「櫻の園」吉田秋生
「別冊宝島153 世界の読み方が変わる本!」
「銀星倶楽部 7 特集 バロウズ plus ビートニク」
「島田奈美写真集」撮影・会田我路
「SHILOH and other stories」Bobbie Ann Mason
「定本 はっぴいえんど」
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」A・ブルトン
「優雅で感傷的な日本野球」高橋源一郎
それから、Jefferson AirplaneのFillimore auditoriumでのライブ(1966/12/16-18)のサイケデリックなポスターのレプリカが今でも壁の一番高いところに貼ってある。まるで護符のように。
2008年09月17日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる20080809
Twitterに書いたことを断章形式でブログに再利用。前回は20080322。と思ったら古いのが消えてる。Twitter使えねー ともあれサルベージ:
5/15 日が落ちても空が暗くなるのをずっと見てた。//海と空が交わるあたりの海が筋のように白く光ってた。//たぶんずっと向こうで太陽の光が当たっているところが見えたんだと思う。//それが消えるまでずっと海を見てた。
5/17 これあり得ないだろ、不可能だろ:http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0805/17/news003.html //250GBコピる気か?
5/20 ここでwiredに反応するか「天才」論に反応するかで人間性が問われるよ(大マジ)。//「天才」論に関していえば、ここまで青い鳥flashに言及なし、ということで。//あと、ポスドク問題とつなげる、とか。
5/30 神経科学者SNS経由でcogentのサイトへ。//Zekiがブログをやってるのを発見。//1月からだけどけっこう書いてる。//NeuroscientistのPIでブログ書いてる人はじめて見た。//http://www.profzeki.blogspot.com/
6/8 世界記録1秒更新って、北島sugeeeeeeeee//たぶん北京オリンピック後あたりで、LZRへ出した許可は見直しされて使えなくなる。//そしたら北京での北島の記録(6秒台?)が10年残ることになるんじゃないか。
6/11 ついったー遅すぎる。//ブログのサイドバーに入れておいたらツイッターで引っかかって本文開くまで待たされる//しかたないからサイドバーは本文読み込んでから書かせるようにした。
7/8 Chris Frithについてwikipediaで調べた。//そしたらFred Frith (ex. Henry Cow)の兄弟だということが判明してびっくり!//なんかスゲー!
7/22 ホッテントリメーカーの「リア充がひた隠しにしていたXX」ってのいいな。//なんかちょっと泣けた。
8/5 生物オタが非オタの彼女に分子生物学の世界を軽く紹介するのための10タンパク//くるところまできたな。//オレはやんね。//>>紅衛兵は過去にのみ存在するわけではないのだ。//自分では使えないけど、イイね。//とりあえず数行読んでやめたけど、あいつ、嫌い。//「脳神経外科手術の基本手技」読んだ。//ヤバイ、超重要。//外科結びとかもうそのへんからやってかないと。//ちょwww >>今後は立替の時に足立区や江東区や板橋区に集中的に配置して欲しいものです
8/6 ストリートビュー面白い! 江東区wにあるわたしの実家も自転車の台数から看板まで全部映ってた!//ジンジャー エール買って飲んだこんな味だったけな//て書こうと思ったらもう書かれてあったからやめた。
2008年09月11日
■ 夏の夜に覚めてみた夢
寝苦しい夜に目覚めて、
モニタの光に耐えながら、
そのとき見た夢を書き付けた。
-----------------
気がかりな夢から覚めた。
バットとボールを置きっぱなしにしていた。
書き置きがあるはずだ。
もうすぐ雨が降る。
もう真夜中だ。
車に乗って回収しに行こうと考えたときに
どう行けばいいのかわからないことに気づいた。
それは夢の中の球場だった。
バットとボールと一組のマットレスが置いてある
あの球場にどう行けばいいのだろう。
書き置きにはなにが書いてあったのだろう。
なにもかもわからないまま、
また寝た。
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あとで見直して推敲してみた。
-----------------
気がかりな夢から覚めた。
バットとボールを置きっぱなし。
書き置きがあるはずだ。
もうすぐ雨が降る。
もう夜中だ。
車に乗って取りに行こう。
どう行けばいいのか。
それは夢の球場。
バットとボールと一組のマットレスが置いてある
あの球場にどうやって行けばいいのか、
書き置きにはなにが書いてあったのか、
なにもかもわからないまま、
また寝た。
-----------------
中原中也のまんまパクリであることに気づいたので
ボツにした。
-----------------
しばらく放っておいた。
-----------------
あとで見直して過程ごと全部突っ込むことにした。
これで満足。
2008年08月27日
■ Acceptキタ!
サッカードの方の論文がやっとacceptされました。投稿してrejectされて(20080421でドンヨリしてた頃)、resubmissionして、major revision2回やって、けっきょく6ヶ月かかりました。達成感よりは疲労感の方が強いけれど、やっとこれで先へ進めます。くわしいことはまた。
2008年08月26日
■ 昆虫だらけの我が家についてご報告させていただきます2008
昨年のエントリはこちら:20070802
例年の通りカイコを飼ってます。ほかに羽化中の蝉の幼虫を連れてきたり。いまはカブトムシ、サワガニ、カマキリ、カタツムリ、トノサマガエル、ヤゴなどなどが滞在してます。そんな我が家です。
以下カイコの写真を並べます。嫌いな人はスルーで。でもグロくならないように遠くから撮影してますんで。
こいつらほんとに成長が速い。成長度に合わせて何系列か別々のトレーに分けてます。奥さんは毎日桑の葉の収穫に。いちばん早いところはいよいよ糸を吐き出したのでカイコアパート(トイレットペーパーの芯)へお引っ越し。これは7月25日の夕方。
同じ日のカイコアパートの拡大図です。まだまだ繭はできてません。
次の日の朝(7/26)にはすでにほとんど繭が完成。次々に新しいカイコがアパートに入居してゆきます。
さらに次の日(7/27)に完成した繭を採集。きれいに二色に分かれるんですよ。幼虫自体を見てもよくわからんのですが。(後述)
紙を貼ってない団扇(左)とか、針金をぐるぐる巻きにしたもの(右)とかを置いておいて、糸を吐き出した幼虫をはべらせておくと糸を張ってくれます。
でも、幼虫が遠征しすぎて、わたしの本棚に繭を作られたorz
黄色い繭と白い繭の秘密ですけど、調べてみたら一発で答えが。Webってすごい。
農業生物資源研究所のプレスリリース:「東大、生物研、国立感染症研究所などの研究チームが黄色の繭ができるメカニズムを解明」
ということで遺伝子の違いなのだそうです。PNAS 2007 "Carotenoid silk coloration is controlled by a carotenoid-binding protein, a product of the Yellow blood gene"によると、CBP geneからできるCBP proteinが黄色の元だそうな。しかし、CBP geneに一部欠損があるとCBP proteinができなくなって、白くなるとのこと。これは良い教材なので息子に教えてあげることにしよう。
ついでにこんなのも発見:PCRでどっちのgeneを持っているかを検証できる教室。8/5 カイコの繭は何色?DNA鑑定教室@磐城高校
後日談:息子に教えてあげたら、ふーん、ってかんじだった。娘の方が面白いこと言ってた。幼虫の段階で、黄色いやつと白いやつはちょっと色が違うからわかるそうな。ホントか?
さらに後日談:娘が言った。「ママ、いま気づいたんだけど、うちにいるものみんな「か」で始まる。かまきり、かに、かいこ、かえる、かたつむり、かぶとむし、かなへび。」戦慄した!
2008年08月09日
■ はてなブックマークウィジェットをちょっといじってみた
細胞外記録のエントリがけっこう多くブクマされたので、この機会にはてなブックマークウィジェットを入れて使ってました。しかし、いちいちブログのタイトルが表示されるとか、昔のhtmlで作ったエントリが表示されるとか使い勝手が悪かったので「はてなブックマークウィジェットをhackする」をちょっと改変して使ってます。
Javascriptをいじったのははじめてなので、文字列処理の仕方とかをwebでチラ見してとりあえず完成。使える技が'split'しかないわたしw もっとマシな方法があるんでしょうけど、とにかく動いたのでこれ以上追求しないでおきます。コードを貼ってみた。
<!-- 20080806 参考:http://www.h-fj.com/blog/archives/2007/12/02-093206.php --> <!-- a[4]をチェックして*.phpのファイルだけ表示する(古いhtmlは表示しない) --> <!-- c[4]をチェックしてpermalinkのファイルだけ表示する(アーカイブファイルは表示しない) --> <!-- 人気エントリの数が増えてきたらdata.lengthを8とか(10以下)に決めうちにする --> <script type="text/javascript"> //<![CDATA[ var SimpleHBWidget = {}; SimpleHBWidget.showBookmarkList = function(data) { var i, j, html; html = '<p>' + SimpleHBWidget.title + '</p>'; html += '<ul>'; for (i = 0, j = data.length; i < j; i++) { a = data[i].link.split("."); b = data[i].title.split(":"); <!-- ブログタイトルを削る。matchのほうがよいけど --> c = data[i].link.split("/"); <!-- permalinkだけに絞る。カテゴリーアーカイブを除く --> entryurl = '<a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/' + data[i].link + '"><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/' + data[i].link +'"></a>'; if (a[4]=="php" & c[4]=="permalink"){ html += '<li><a href="' +data[i].link + '">'+ b[1] + '</a> ' + entryurl + '</li>'; } } html += '</ul>'; document.getElementById(SimpleHBWidget.id).innerHTML = html; }; //]]> </script> <script type="text/javascript"> //<![CDATA[ SimpleHBWidget.title = '<a href="http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http://pooneil.sakura.ne.jp/&sort=count"><img src="http://b.hatena.ne.jp/images/widget/favicon.gif">当ブログの人気エントリ</a>'; SimpleHBWidget.id = 'hatena_count'; //]]> </script> <script type="text/javascript" src="http://b.hatena.ne.jp/entrylist/json?url=http%3A%2F%2Fpooneil.sakura.ne.jp%2F&sort=count&callback=SimpleHBWidget.showBookmarkList"></script>
ちなみにブクマはふだんは自分では使ってません。Web上のエントリってすぐ消えるし。ブログが盛んになったから状況は変わるような気がしていたが別にそんなことはなかったぜ!でも人気エントリを見るのは大好き。非モテとかメンヘルとかネタとか揉め事とかそんなのばかり見過ぎです俺。
細胞外記録のエントリはけっこう多くブクマされたけど、じつは来訪者数はいつもとあまり変わりませんでした。いろいろナゾだ。
2008年08月06日
■ ASSC12のフォトアルバム、台北レポート
台北の出張とかいろいろレポートしておきたいんだけど、どんどん忘れてゆく。
このあいだASSCからメールが来て、ASSC12のphoto albumができた、とのこと。さっそく見てみる。わたしのトークの写真がないしorz
ポスターセッションの方の写真はありました。縮小したのを貼っておきます。オリジナルはASSC12のサイトへ。左で背を向けているのが私で、真ん中で伊佐教授がポスターの説明をしていて、それをChristof KochがもうNeil Youngかってくらいスゲー険しい顔してそれを聞いてた。(Caltechではにこやかに応対してくれました。)
うまいもんはたくさん食いました。川人先生、西田先生、北澤先生、伊佐先生とともに夜市へ行ったりとか。寺尾さんNature Neuroscienceおめでとうございます。
屋台とかでも普通にうまいし。魯肉飯大好き。日本にも店がほしい。つゆだくで頼みたい。牛肉麺も好き。肉よりスープが重要。臭豆腐はビビったので揚げたやつにしておいたけど。鼎泰豊は本店はめちゃ込みだったので忠孝店のほうに行ったけどスゲー良かった。
オタク的には西門の万年ビルとか光華商場とかも行ってみた。万年ビルはいまいち。光華商場はスゲー。また今度も行くべき。
なんかすごい近くで雷が鳴ってスコールになったりするんだけど、誰もビビってない。慣れっこ?
台湾のGは車高が高いって書いてあってビビってたけど遭遇せず。よかった。
ホテルは冷房効きまくりってのは本当だった。中山駅から徒歩3分のRoyal Inn Tapei。ネットは有線だけどタダで使えて、エアコンは温度調整が出来て良かったのでたぶんまた使う。
あと、バイク社会、っつーかスクーター社会。歩道とかにもたくさん駐車してる。ものすごい数のスクーターが走ってて、しかも車の間とか縫って走るから横断歩道とか渡るときけっこう怖い。学会で台北の学生さんと話をしてて、事故とか起こらないの?って聞いたら、じつはさいきん事故って、ここが縫った部分、とか言われた。
発表のことが書いてないな。
発表はだいたい時間通り。哲学っぽいこと(what it is like to be a batと結びつけてみる)言ってみようと狙ってたんだけどそのへんは構成上不発に終わりました。質問は土谷さんと金井さんとあともうひとりフランス人の哲学系の人からでした。しゃべりはあまり良くなかったかなと思ったけど、あとで声かけてもらったりしたんで、やって良かったです。
Alexの仕事が印象的でした。スライドではin pressってなってたけどまだ出てこないですね。
ではまた。
2008年05月16日
2008年04月21日
■ あーあ。
日々は、楽しいことばかりではないけれど。
それでも、僕らは生きてゆく。
しっかりと前を見据えて。(二回目)
ま。つらいときもあるよな。カラ元気だしてます。
こないだバラニー学会のサテライトシンポジウムに行ってきました。 会場は琵琶湖沿い。せっかくなんで前日に京都に寄って町を散策。 高瀬川はちょうど桜が満開で、先斗町など歩くのも気分が良い。 ふと思い立って四条通沿いのジュンク堂で森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」など購入して新京極あたりの道ばたで第一章を読んでみたり。(森見登美彦の作品は京大周りが舞台になってる。) そのあとで出町柳まで出て叡山鉄道に乗って一乗寺駅で降りて「ラーメン荘夢を語れ」の行列に並ぶ。小ブタニンニクなし。うまいが麺は残した。ラーメン二郎系は昨年の神経科学大会でラーメン二郎の関内店に行って以来。 そんなかんじで気持ちよくいってたんですが、墜落しました。三連発くらい。そこからいままで立ち直れてません。ヤケクソ気味。 シンポジウムの方はNeeraj GandhiとかBrian Corneilとかとも話せたし、Edward Kellerに仕事の説明もできたので、行ってよかったです。伊賀側沿いで恒例の花見。以前のイギリス人も入れてギターとウクレレとハーモニカでジャムったり。6弦切った奴はじめて見たよ。
「12月の雨の日」のコード進行を最近覚えたので歌ってみたり(サビがGから下降するカノン進行のあとでF-Aで転調してさらにDから下降するカノン進行になることを知って驚き。ぜんぜん違和感がない)。この曲知ってる人がいて、うれしかった。いっしょに歌った。
多次元共同脳科学推進センター キックオフシンポジウムにも行ってきました。いろんな人に会えてうれしかったけど、晴れ晴れとしない。懇親会は出ずに、論文の方を。
二日目はシニアな方たちとカラオケ。私のチョイスは「Dancing Queen」「全力少年」「春だったね」とかそんなかんじ。ぜんぶ絶叫系で。「歌がうまいジャイアン」とか評されましたけど、じつはこの表現、気に入ってます。名刺に刷り込もうかしら。
プログラムで一番印象に残った場面は、玉川の鮫島さんのトークに対するボストン大の渡辺武郎さんの質問でしょうか。そのあとも川人先生と話が続いてたのを覗き見させていただきました。具体的な表現は避けておきますが、私としては「Marr流の計算論的脳科学はconnectionism以降どうあるべきか」という問題意識として捉えました。
こういうデカイ議論が今度の生理研研究会でも出来たらいいなあと思います。たぶんそれは仕込みではできない。ガチでやらないと。
生理研研究会の方はだいたい詳細が決まってきました。ちゃんと正式に発表できるように準備中です。発表をここでするのは筋が違うと思うので、もうしばらくお待ちを。
あーあ。とにかく、I'll be back soon!
# UKER
はじめまして。
リハビリの病院で心理検査の仕事をしているものです。
昨年から、ちょくちょく覗き見させてもらってまして、
日々の業務(心理検査から、患者さんの特徴をつかむ)の参考
にさせてもらっています。(とは言っても同じ現象ながら異なる
切り口なので、なかなか統合は難しいのですが。)
それに、自分もUKULELEを弾くので、そっちの内容にも
親近感が生じまして。
ついに、コメントに至った次第です。
今後の活躍をご期待申し上げます。
どうもありがとうございます。高次脳機能障害のリハビリの現場について興味があります。それではまた。
2008年03月22日
■ Twitterに脳内がだだ漏れる
今年これまでtwitterに書いたことを断章形式でブログに再利用:
1/4 酔っぱらった勢いで夜11時にウクレレ。//で気に入ったコード進行がEb-G-B-C。1弦がAb-G-F#-Eと降りてくるところがミソ。//うーむ、Eb-G-B-F-Cのほうが1弦の下降的には良いけど4小節にならない。Eb/G/B|F/Cとかで押し込めるか。
1/7 なんかどうでも良くなってきた。//オレダッテ、ソウイウコトモアル。(パクってみた。)//音速ラインいいな。//英語なんて無理だって。//それでも話を振ってくれるのでありがたい。//なんか、そういう惨めなかんじが常に残る。//ていうか日本語の会話でもけっこう早とちりすることあるんですけど。//気の利いた素早い切り返しみたいなことは期待しないで欲しい。//もともとそういうのが得意と誤解していたことがあった。//それはキツいシャレで返すということを気を使わずにやっていたから。//舌禍事件も多々あった。//長文過ぎ。今日はここまで。//かんちがいのいちばんひどい例は、//車を運転しているときにガソリンの話を振られたので、まだガソリンはあるから大丈夫、と言ったら、//日本のガソリン価格は高いのか、っていう質問だったこと。//そのときはさすがに死んだ。// 心に茨を持つあたりを書いてみた。
1/10 もうね、PIがエアギターとか。//スイート・ホーム・アラバマで総立ちで全員踊ってるとか。//ボヘミアン・ラプソディーの中間部分を完璧に歌っちゃうとか、//カオスでした。楽しみすぎて次の日は絶不調。
1/22 すべてをそのあるべき姿に戻す豪腕。//とかそれっぽいフレーズで。//大洪水のあとで。//薄膜で。僕は3万倍に薄められて。//天幕が。遠い山。そして虫眼鏡で見た蟻。//声は遠く、色は薄い。//静まった夜に、冷蔵庫の音。//Dreamers dreaming, weeper weeping.// Teaser teasing, fetcher fetching.
2/3 バンド名ひとつ思いついた! 「コールドスリープ」。シューゲイザーっぽくてクール!
2/5 なんつーか、それは、すごい嫌な、夢の残骸だった。
2/15 "Wilder Penfield in the Age of YouTube"だってさ!イカしてる!なんかデヴィッドボウイみたいだ!
2/22 昨日は夜遅くまで仕事して、さあ寝ようってwebを見てたら荒川工さんが退職ってニュースとmixiでの日記を見て、なんか自分と重ねてしまって、眠れなくなってしまった
2/23 やっとsumbitした!//酒飲んで寝る。
2/26 We'll be back soonキター!//よし、USサイトでmulti-touchと200GBと2,4GHzのMBPキタ!//X300も正式発表か!
3/12 Amazonのwish listが騒ぎになってる。//とりあえずなにも入れてないんでいいんだけど。//「ひだまりスケッチ」とかリストに出たら死ねる(といいつつ無難なチョイス)。
3/17 とりあえず俺はさ、win-winとか言うやつ嫌いだぜ。//すくなくとも自分がwin側にいることが確定したつもりのは。
3/19 世界がオレで満ちている。//それは美しい、「兆候」。//遠くで地鳴りまでしている。//ほとんど不可能なくらいまでに。
2008年01月10日
■ ニールヤンギーなハネ系
ふだんはニールヤンギーなエイトビートなんだけど、これは意外とハネてて独特にいい曲、ということで。
"Cowgird in the sand" - Neil Young、この曲だけはライドシンバルたたきまくり、フィルイン入りまくり。ラルフ・モリーナが素朴なエイトビート以外も出来るという貴重な記録。いくつかブートを聞いたけど、このノリが再現できてるのがないんで(もっと引きずった感じの"Down by the river"に近いかんじになってる)、替え玉説を私は主張してます。
"Girlfriend" - Matthew Sweet、これはすばらしい。はじめはインスト部分だけハネてて、唄部分はエイトビートなんだけど、ラストヴァースはハネるという構成がまたよい。
"Puke and Cry" - Dinosaur Jr., J・マスシスはドラムもたたくのでけっこうこういうのあるかんじ。ほかにもいくつかあるけど。
ルー・バーロウもFolk Implosionのほうはそんな感じか。
どれもけっしてダンス・チューンにはならないところがまたいいのだけれども。
ソフトマシーン時代のロバー・トワイアットのドラムもそういう観点で好きでした。
ストーン・ローゼズのドラムは良いけど、ハッピー・マンデーズだとダンス寄りすぎでダメ、みたいな感じ。
だからファットボーイ・スリムは好きだった。
どこかロックっぽさがないとダメなようです。
とりとめがない。
2008年01月08日
2007年12月29日
■ 「学会とセミナーの間」から自分語りへ
またも過去日記。「リア充」とかがあっという間に死語と化しているところがいとをかし:
--今回の研究会のことを「学会とセミナーの間ではセミナーに近い」というふうに書きましたが、要は「学会とセミナーの間」の存在がもっとあったらいいのに、というのがずっと考えていることであって、この研究会もその機能を果たしているのでした。
偶然自分の昔のエントリ(20041207)を読んでて、言ってることが変わらんなあと思いつつ、でもこのときから状況はずいぶん変わったと思いました。神経科学者SNS(まさに「こみゅにちさいと」)が出来たし、私も生理研研究会を運営しました。このブログについても、当時のはてなダイアリーでの活気あふれる状態とは変質してしまったけど、蓄積は出来ました。
班会議で泊まりがけで語りたい(ようするに私は「合宿」がしたいのですな)なんて語ったこともありましたが、これも同じことでした。
こういうのだけ抜き出してくるとまるで私が「さみしがりやさん」みたいぢゃないですか! 本人は至って素っ気ないキャラクターなんですけどね。子どもの頃から、つるんでなんかする人間でもなかったし。って自分で自分を表すると見誤ってるものがあるって話が最近のうちのブログのネタだったわけですが(脱線中)。
どうなんだろ。自分語り開始。仕事以外の遊び仲間がいたら、こういう欲求は消えてしまうんだろうか? 私は生理研に来るタイミングで、それまでずっと暮らしていた東京を離れ、高校の友人とかとの深いつながりを断ち切ってしまってから、岡崎で仕事以外の交友関係みたいなものを作ったりしてこなかった。僕にとってはそれだけ水泳部OB会(紫水会)というのは大きな存在だったし、僕をどこかつなぎ止めていたと思う。
でもそんなのみんな似たようなもんじゃないの? 6時に帰って食事して、スポーツ同好会で汗を流して仕事と関係ない仲間を作るとか? それとも週に一回教会に行って地域の人とだべるとか? あ、子育てサークルはそういう側面があるか。でもそんな時間はないし、そういう時間削ってブログ書いているという側面はある。あー、なるほど、わかってきた。(自分で言ってて自分で納得するというわたしの行動によく見られるパターン。) つまり、そういうネット寄りの生活から眺めた健全な生活のことを「リア充」と言うんだな。なんて悲しい言葉なんだ。そしてその悲しさは僕に戻ってくる。
ネットにこうやって書いてると「壁に向かってる感」がどうしても出てしまう、ということを書いたことがあります。そもそもブログに文章を書くということのどこがおもしろいのか、うちの奥さんはさっぱりわからない様子です。ま、正直に言って、毎晩バスケットボールの練習で忙しかったらネットで活動などしてないだろうな。
大学まではそういう生活だったんですけどね。昼にラボにやってきて、午後はまるまるバスケットボール大会のための練習をして、プールで泳いで、助手さんに見つからないようにそうっとラボに戻ったらもう夕方で、教授室の冷蔵庫開けてビールを飲んで、さらになんとキャビアの缶詰があったんでつまみにしてたら一晩で全部食べちゃってw、あとで教授に「吉田は思いやりがない」とか言われたりして、んで大学の仮眠所で寝てまた昼に起きてきて、カツカレー大盛食って、図書館で論文コピーしまくって、またカレー大盛食べて、夜からslice cultureの電気生理実験して、ラボメンバーに「吉田、スライスも寝るぞ」とか言われたりして、あー、とても楽しかった。
完全に自分語りでしたがもう消しません。消すもんか。
2007年12月27日
■ エアロソアラ買った(半年前に)
超忙しい。またもや半年前に書いたエントリで。
タカラトミーから出てる超軽量赤外線コントロール飛行機エアロソアラ 2400円。超惹かれたので買いました。本体は発泡スチロールの飛行機にプロペラが付いたもの。赤外線リモコンで操作します。ラジコンというよりは紙飛行機です。紙飛行機に小さいモーターとプロペラが付いたというかんじ。
箱には15歳以上向け、とか書いてあります。完全に大人向き。なぜかは飛ばしてみてすぐ判明するのですが、ぜんぜんうまく飛ばない。充電は30秒くらいしか持たないのですがそれで充分。最初は3秒と保ちません。羽根の傾きを調整したりとか、使用感は紙飛行機です(20050831)。やっとまっすぐ飛ぶようになったので今度は旋回させてみるのだけれどぜんぜん無理。タカラトミーのサイトにDr氏田のフライト講座というムービーがいくつか置いてあるのですが、ここにあるのはどれもほぼ神です。購入前にも見たけど、購入後に見て、あらためて神であることを知りました。
というわけで上達したら子どもに見せるつもりでこっそり練習中。
2007年12月19日
■ 部室でジャムった日のこと。
長雨で曇ったガラス窓にそっと文字を書いていたらブルーな気持ちになったので、懐古的なことを書いてみる。(ここまでは全部ウソ)
その昔わたしが大学の教養課程にいた頃、あるサークルに入ってました。そのサークルはちょっとマイナーめな(ロック系)音楽を聴くという活動をしていて、わたしはそこでいろんな音楽を知りました。毎週誰かが担当になっては、だれかバンドとかを選んで、カセットテープを編集して、簡単なバイオグラフィーと曲説明のハンドアウトを作って、それを見ながら教養の教室を借りてそこで酒を飲んだりたばこを吸いながら音楽を聴く、ということをしていました。ある回はCaravanだったり、またある回はPere Ubuだったり、Familyだったり、ローザ・ルクセンブルグだったり、というかんじ。灰野敬二のライブに行ったこともありました。ライブハウスで、観客はサークルの人間だけ。
ある週はみんな一曲持ち寄るという企画だったのだけれど、それを知らされていなかったわたしは仕方なくその場でギターを弾いて、My my, hey, heyを歌ってみたり(奇をてらい気味)。でもコード勘違いして憶えていて、Am-G-Fmaj7のところをAm-G-Amで弾いてたもんだからみんな珍妙な面持ちで、あとでそれを知って恥ずかしくなった、なんてドジっ子伝説もありました。
参加してた人はみんなちょっと栄養状態悪いかんじの、痩せてて顔色悪い、まさしくロックな人たち(芸大系の人もいたような)でしたが、わたしはといえば、当時は出身高校の水泳部のコーチと掛け持ちしていて、黒光りして筋肉もりもりでしたので、えらい場違いなやつが来たもんだというかんじがあったような。
活動後は下北沢の王将で夕食と談笑。吉祥寺で飲んだりとか。ま、中央線沿線文化、といえばわかりやすいでしょうか。そういう中にわたしはいました。レコード屋巡りしたり、単館上映の映画をひとりで見たりとか。
当時はちゃんと正規のサークルとして認められていて、部室もちゃんとありました。文化系サークルの部室というのはいくつかのサークルがひとつの部屋に固まっているのだけれど、うちは音楽をかけるサークルなものだから、大音量でレコードをかけては、他のサークルといざこざを引き起こすこともあったり。
さてそんな部室でジャムった日のこと。午前中の授業に遅刻したかなんかでそのまま部室に直行してみたら、なんだか知らない人がいる。髪の毛は長くてぼさぼさで、ガリガリ。作業服を着てたから学生じゃなかったのかもしれない。ひとりでアコースティックギターを弾いていて、めちゃうまい。なんかブルースっぽいのを演ってる。それを見た私はふとピンと来て、もひとつあったアコースティックギター(わたしの私物)を手にとって、基本のコード進行(E-E-A-E-B-A-E-E)を始めてみた。そしたらそいつがそれに合わせてソロを弾き出したので、こちらも適当にリフを加えてみたり、リズムパターンいろいろ変えてみたりしつつ展開させてみた。そしたらいきなりそいつがバッキングに回り出したので、あわててソロを弾く。ぜんぜんダメダメ、ボロボロなのだけど、なんとか24小節(2 verse)ぐらいやって、また相手に渡してやる。またそいつのソロが始まって、どのくらい続けたかおぼえがないけれど、いいかげん手詰まりになったあたりで終了。
自発的に起こったこの状況にわたしが感激していると、そいつは黙って(黒縁めがねの無表情なやつだった)部室から出て行った。そのあとで、わたしはそいつと一言も言葉を交わさなかったことに気がついたのです。それ以降その男を見かけることはありませんでした。
これがその日の話。そのときのことを懐かしく思い出します。自分の人生でそんな風に自然に、うまく呼吸があってなにかをしたことなどなかったと思います。どちらかというとさりげなさとかをあきらめて、かっこわるいくらいに相手の望みを聞き出して。プレゼントあげたりとかそういう場面のことね。ああいうヴァイブ(と書くとついwとか付けたくなるけど)にはあこがれるし、ほんの少しは知っている。だけどすごく遠い。
ふと思いついてサークル名と大学名で検索をかけてみたのだけれど、みつからなかった。あのサークルはもうなくなってしまったんでしょうね。
(オサーンくさいエントリになってしまったことを認めます。もはや17年前の話なのですから。学生時代のわたしが団塊の世代の回顧話を見るように、いまの学生がわたしの世代を見るのかと思うと、ほとんど愕然としたりする。Don't trust over forty!なんつて。この括弧の中は削除した方が潔いな。)
# edouard
くすんでて、映像が浮かんできそうな、いい文章だと、二十歳前のガキは思いました。
# pooneilどうもありがとうございます。
十代の方が読んでいるということ自体に驚きました。
はてなアンテナのリストも見ましたが、めちゃ幅広いですね。
これがまさに「高速道路」の例でしょうか(勝手に納得)。
2007年11月28日
■ 固定リンクhit数ランキング
このブログもいろいろ続けていたら過去ログがたまってきました。もはや自分でも何を書いたかわからなくなってきていて、確認のために検索窓から自分のブログを検索してたりします。そういうわけでたまった過去ログの有効活用を考えているのですが、まずどのエントリがよく閲覧されているかを調べてみました。
ここ最近一年間の固定リンクファイルへのhit数を計算して、多い順に左から並べた図を作りました。エントリ数は全部で1128個あるので横軸の最大値は1128です。上の段がlinear scaleで、下の段が横軸をlog scaleにしてあります。予想通り、power law的になっていて、少数のエントリが多くのhit数を稼いでいます。
このようなエントリにはどういうのがあるかというとじつは、vmwareでubuntu動かした、とかXAMPPでmovable typeをローカルに動かす、とかそういうエントリだったりします。そういうのを見に来た人はこのブログの論文コメントを読んでくれることはないでしょう。そういうわけで、そういうエントリは除いて、「論文コメント」と言えるようなエントリだけを選んでベスト20を作ると以下のリストが出来ます。
- 前頭葉ニューロンは行動の順序をカテゴリー別にコードしている
- Repeating Sequence Revisited
- Implicit perception and signal detection theory
- BMIと脳の可塑性
- "Neural Plasticity and Consciousness"前半読みました
- Christof Koch
- Alva NoeとかEvan Thompsonとか。
- ランダムドット刺激のcoherenceってどのくらい保証されてるの?
- EyeLinkってどうなんですかね
- マッカロー効果
- 身体性と不変項:一人称的世界と三人称的世界
- Ideal observerモデルとHeegerのprediction
- 神経生理必読文献リスト作ってみました
- 内部モデルとミラーニューロン
- 視床が自発的行動に関わっている?
- Blindsightでの弁別能は刺激提示の繰り返しによって向上する
- 「行動の価値」を表す線条体ニューロン
- Rational agency、それからMilner and Goodale
- extracellularで記録されるsingle-unitの波形
- Perirhinal cortex(嗅周皮質)の構造と機能
だいたい納得のいく結果かなと思います。前頭葉ニューロンは行動の順序をカテゴリー別にコードしているは丹治研のNature論文へのコメントで、ブクマ数も最大です(9個だけどネ)。つぎのRepeating Sequence RevisitedはガヤのScience論文関連。
このランキングはあくまで個々のエントリの固定リンクへのhit数によるものなので、カテゴリアーカイブへのhit数は入ってません。そちらの寄与も大きいはずなのでうまいこと定量化してみたいのですが、今回は簡単なやり方で。Googleにひっかかるものもカテゴリアーカイブによるものが多くあるはずです。
それから、リストは全体として新しいエントリが中心で、昨年以前のエントリがあまり活用されていない様子が見えます。このへんをうまく活用したい、というわけです。たとえば、エントリごとに「関連するエントリ」みたいなリンクを付けておくと親切なんですが、ちょっと大変すぎます。とりあえずは今回のリストをサイドバーに入れておくことにします。
2007年11月19日
■ 父と娘の会話
ある日のこと。
娘:ピンクは?
父:わからん。
娘:のぞみ。
娘:青は?
父:わからん。
娘:かれん。キュアアクア。
父:緑は?
娘:まこと。
(中略)
娘:じゃあピンクは?
父:のぞみ。キュアドリーム。
娘:青は?
父:かれん。キュアアクア。緑はまこと。えーと、
娘:キュアミント。
父:そうだった。キュアミント。
(中略)
娘:ぜんぶできるようになったね。じゃあこんどは順番を変えて。黄色は?
父:うらら。キュアレモネード。
(中略)
父:ぜんぶできた!でも明日になったら忘れてるかも。
娘:じゃあまたあしたやろう。
つぎの日とつぜんに。
娘:赤は?
父:りん。キュアルージュ。
娘:緑は?
父:まこと。キュア、うーんと、キュアミント!
(中略)
父:ぜんぶできた!やった!ママ聞いてた?
またつぎの日とつぜんに。
娘:青は?
父:かれん。キュアアクア。
娘:緑は?
父:まこと。キュアミント。
(中略)
父:ぜんぶできた!もう完璧。
ということで解放してもらえました。
# jaco-pas
先日の研究会でお世話になったものです。
その節は本当にありがとうございました。
かなり刺激になりました。
普段は雲の上の存在のpooneilさんが共通の試練に・・・。
ということで意味もなく絡んでみました。
こちらは映画館に拉致・監禁される気配です。
お気をつけて(^^;)
どうもこんにちは。
雲の上なんてことはべつにありえませんが、
娘と楽しくやっております。
このあいだは一緒にアイロンビーズ作りました。
こちらは映画館はまだ未体験です。それは大変そうだ。
ではまた。
すみません.どなたも指摘しないようなので.
研究会やNeuroでお見かけしたことはあるのですが,ネタがネタなので匿名でコメントいたします.
緑担当のキュアミントは「こまち」だと思います.
どうもありがとうございます。
確認しました、間違ってました(私も娘も)。
じつは我が家ではプリキュア5のアニメは見せていないので、そんなに詳しくなかったという次第でして。
皆さん、こういう話題だとレスポンスが早い。
2007年11月14日
■ GTDに興味出てきた……けど興味失せた
んで、携帯活用するようになったので、予定表もこれまでのThunderbirdのプラグインからGoogle calenderへ移行して、携帯と同期するようにしました。あと、昨年GTD (Getting Things Done)がブロゴスフィアで話題になったときから気になっていたのだけれど、ここらで実践してみようと。
んで最近気になっていたのがToDoリスト管理用webアプリケーションのRemember the milk。Google calenderと連携できるだけではなく、さいきんgoogle gearの機能でオフラインでも使えるようになりました。あとは携帯でもオフラインで使えるようになると完璧なのだけれどそれはまだみたい。というわけでさっそくRTMに登録。カレンダーに書く項目ではなくてToDoとして書いておきたい項目はこちらに入れてます。Google Calenderとどう連携して使っていくか試行錯誤中です。
あとはGTDの方法に従ってやるべきことを全部書き出してみるという作業をしたいところなのだけれどちょっと時間がないのでそれはASSCの飛行機でやることにして、教典の「仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法」デビッド・アレンを買おうかなと思ってアマゾン見たら訳がひどいとの評判を見たので止めて図書館で借りました。ま、ITmediaのGTD特集見れば充分そうだし。
GTDの方法論はすごく納得できる。あれもやらなきゃこれもやらなきゃでも今日はこれしかできなかった、みたいな惨め感をもっとうまく扱って集中して仕事できたらいいなと思います。現状は机の上が紙のメモだらけで堆積した下の方から忘れられていくという状態。さてどうなるか。
……というエントリをX01HTを買った6月に作っておいたのだけど、放置していたのを発見しましたのでこのへんで出しときます。今の心境としてはGTDはべつにいいや。ライフハックw みたいな。スイーツwとか(<-よけいなことを)。
2007年11月02日
■ 100万visitありがとうございます
2004年12月にはてなダイアリーから引っ越してきて、sakura.ne.jpに移動してから累計で100万visitになりました。見に来てくださった方、どうもありがとうございます。前回も前々回も前々々回も書きましたが、この値じたいの意味合いが以前とは変わってきていて、RSSの購読などを考慮に入れる必要がありますが、節目ということで。前回の50万visitが昨年の10月ですので、だいたい1年かけて50万visit増えました。
グラフはwebalizerのログに出ていた、月ごとの訪問者(Visit)数と訪問サイト(Site)です。見方は Webalizerの見方などを参考に。
どっかで頭打ちになるかなと思ってたけど、意外にじんわり増えてます。そういえば、以前は「ブログ見てますよ」と言っていただく経験がありましたが、さいきんは「ラボのみんな知ってますよ」とか言われたりします。さすがに大げさだと思うけど、ビビる。初音ミクがどうのとか書いてる場合じゃないかも、とかそういうことはまったく気にせずに、これからもこの調子でいきたいと思います。
「専門用語を検索していてこのブログを見つけた」という話を聞きます。たしかに「遠心性コピー」とか「内部モデル」とか「信号検出理論」とか日本語で検索するとGoogleのはじめのページに出てきます(11/2現在)。Googleさまさまです。「盲視」や「blindsight」でははじめのページに出てこないところがどうなの俺ってかんじですが。ちなみにPageRankははてなダイアリーのころは4/10で、さくらインターネットに移ってから3/10に、それからさいきんの騒ぎで2/10になったり3/10になったり(いわゆる「グーグル・ダンス」)でよくわかりません。
大昔、まだ世紀末前でGoogleとかない時代にgeocitiesにこっそり趣味のサイトを作ってたことがあったんですけど、カウンター付けたら一年間で100人以下ですよ、しかもたぶんほとんど自分。全俺が泣いた(<-このフレーズを使ってみたかっただけ)。
ともあれ、過去ログを有効活用したいと思うんですが、どうすればいいかわかりません。このへんはいつも考えては断念して、の繰り返しです。WordPressへの引っ越しを考えて、XAMPPでローカルにApache/MySQL/PHPの環境を作っていまのサイトをインポートしてみましたが、簡単だし速い。いいかも。ただ、過去ログの活用という意味ではあまり代わり映えがしません。要はweb検索で過去ログを見つけた方をうまく関連するエントリに誘導することが出来たらいいと思うんですけどね。タグとか自分自身活用しないし、どうすればいいんだろ。
やっぱCMSのことを考えた方がいいんでしょうか。CMSは興味があってXOOPSとか入門書を読んだりしたけど、複雑すぎて敬遠してます。ただ、MODxはかなりシンプルでなかなかよさそうです。これもちょっとローカルにインストールしていじってるところです。MODx + WordPressはいいかもしんない。
さすがにつれづれすぎました。ではまた。おそらく次回はSan Diegoからでしょうか。
2007年10月02日
■ konozama喰らった
konozama喰らった……これで。「現在の予定出荷日10/4-5」ってぜったい根拠ないだろこれ。
岡崎の楽器屋、パソコン屋まで来るのはまだ時間がかかりそうだしなあ。忘れた頃に見つけて買うというのが正しいあり方かな。
ちなみに「人類は衰退しました」もさいきん岡崎の本屋でやっと見つけたので読みましたけど、あんまピンと来なかった。
なんかホットなときに出会わないと面白くないという気もするし、でもそういうもんだったらべつに必要ないし。べつにニコ動に動画上げたい訳じゃないし、べつに祭りに参加したい訳じゃない。(酸っぱいブドウ的雰囲気が醸し出されてきた!)
2007年09月27日
■ 今日ネットで見た印象的なフレーズ
「シャワー浴びてると嫌な事思い出して壁パンチしたくなるよな?」
2007年09月02日
■ カポーティとかグラースサーガとかブローティガンとか読んでます
ども。元気です。論文コメントは進まず。
「ロング・グッドバイ」とか「グレート・ギャッツビー」の村上春樹訳とか読んだあたりからアメリカ文学にひさびさに回帰中です。あ、作品について言及するんで、ネタバレ有り、と書いておきます。
トルーマン・カポーティはオザケンつながりで(「犬は吠える」ね)、大学生の頃に原書まで買って気合い入れて"A Christmas Memory"とか読んだりして、いいかんじだったんだけどそれに入ってた"Breakfast at Tiffany's"にはたどり着けず放置。で、ついにあきらめてこのお盆に訳書で読みましたが、よかったです。ストーリー的には、わたしバブル世代なもんで恥ずかしながら、つい東京ラブストーリーのリカ(原作コミックの方ね。ドラマは知りません)とか想起してしまいましたけどね(いや順番逆だから)。訳が古くさいんで新訳が出るといいんではないかと思いましたけど、さっそく原書へ。もう50年前のものだから元の文章も古くさいんだろうけど("phony"とかね、Frank Zappaの歌詞とかでしか聞かないような)、表現ひとつひとつが読んでて楽しいです。つぎは「冷血」へ行けば映画の「カポーティ」が楽しめそうなのだけれど、私が好きそうなのは初期の方(まさにオザケンってかんじのこういう写真の時代ね)かなということで、「遠い声、遠い部屋」を選びました。まだ読んでるのはじめの方だけど、素晴らしいです。車のガラスのひび割れを「星が破裂したみたいな」みたいに表現したりとか。南部を舞台にしたものは前にフォークナーの短編とか読んで気が重くなっちゃったので向かないかなと思ったけど、意外にいけそう。
あと、佐藤友哉つながりでサリンジャーのグラースサーガを。「ナイン・ストーリーズ」は読んだはずだけど、もう忘れた。「フラニーとゾーイー」から。「フラニー」いいかんじ。こう、かみあわないかんじが良く書かれてます。解説書とか読んでると、レーン(Lane)を落としてフラニーを上げるような書き方をしているけど、フラニーの中にもレーン的な要素はあるし、ことさら貶めるようには書いてないと思うけどなあ。そもそもそんないい者悪者みたいな読みは「だれもがふとっちょおばさん("FAT LADY")だ」という啓示を踏まえていないと思うんだけど。
「ゾーイー」のほうはバディのもったい付けまくった文体にうんざりして断念しかけたけど、最終的には良かったです。わたしの読みが正しいかどうかわからないのだけれど、あの「FAT LADAYとは**(いちおう消しときます)のことなんだよ」というゾーイーの発言は本人も知らなかった、その場でひねり出した(シーモアとバディの力を借りて)、言葉だったんではないでしょうか。あらかじめ知ってたキメ言葉なんかじゃなくて。なんかわたし自身の人生の大事なタイミングでどう行動したかとかを反芻しながら考えるに、そういうものだった気がするんです。ゾーイーは言ったあとには「決まった!」とか思ったかもしれないけど、それをひねり出してくる過程はそれまでの、饒舌でなにもかもをダメにしてしまうところからほんのひととき離れることに成功していたのではないか、って思うんです。あー語った語った。
というわけでかなり楽しめたので、勢いづいて「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-」も購入。「ナイン・ストーリーズ」も原書で"A Perfect Day for Bananafish"とか読んでみました。でも、最後の方の"Hey!" "Hey, yourself"とか原文で読んでもニュアンスがわからんのでけっきょく訳書を頼ることに。英語英語。
図書館で「サリンジャー―伝説の半生、謎の隠遁生活」中公新書を読んだけど、なにこの上から目線。サリンジャー好きでないなら書かなけりゃいいのに。かなりがっかり。
というわけで、だれか本田透方式(バッファロー'66や宮沢賢治に非モテ主人公を当てはめて読む)でグラースサーガを捉え直すべきですよ。もしくはBananafishのSybilの会話を麻枝/久弥風にアレンジとか("Hey"=「わっ、なにするんだよっ」みたいな)。すでに「フリッカー式」でやってるってオチは無しで。……ぶっこわれてきたことを認めます。
あと、ブローティガンね。これまた大学生の頃に「ロンメル進軍」(高橋源一郎訳)とか「西瓜糖の日々」とか読んですごくよかったんで、原書で"Trout Fishing in America"と"In Watermelon Sugar"の合冊っつうのを買って持ってたんだけど、これも積んだままで。んで訳書で「アメリカの鱒釣り」がついに文庫化したのでさっそく読んでみたけど、さっぱり読めない。断念。なんか、こういうアメリカ風ユーモアみたいなのはダメみたい。もしくはこういうのが読めなくなっただけか、と「西瓜糖の日々」を再読してみたところ、こっちはイケる。かなりすばらしい。この独特の世界、すごく静かなのに常に不安に脅かされている。どこか現世ではないかんじ(近未来というよりはこの世でないかんじ)、にすごく惹かれたのだとわかりました。ようするに「えいえんのせかい」ですよ。ってだから俺が本田透式読みをしなくていいっつうの。
そんなかんじでお盆休みと札幌で本を読んでました。
2007年08月25日
■ 「皆既月食」から始まって「過去への旅路」まで
こんどの火曜日は皆既月食ですね。月が出てくるときにはもう欠けていて、皆既月食になるのが19時台、というわけでとても見やすいので、子どもたちと一緒に見ようと思ってます。
んで、ふと、むかし子どもの頃にひとりで皆既月食を見たことを思い出したんです。父も母も兄弟も寝静まっていた深夜、ひとりでベランダのガラス戸を透して見ていたんです。部分月食が始まるところから、皆既月食になって赤黒い月を見て、また部分月食になって完全な月に戻るまで。眠かっただろうに。だから時間はけっこう夜中だったし、そんなに寒くはなかったけど、窓を開け放ちたくなるような真夏でもなかった。そんなに夜遅く起きているからには小学校には入ってたろうし、高校生だったらもっと記憶が鮮明なはず。このへんの記憶をもとにしてあの皆既月食がいつだったか探してみようと思い立ちました。ネットがあればこんなことも出来るはず。
まずはwikipediaでList of lunar eclipsesというのを発見しました。予想通り、皆既月食はそんなにはないので絞り込めそう。わたしが6歳(1974)から16歳(1984)までのあいだで世界で見られた皆既月食は9回ありました。
さらにNASAのサイトでJavascript Lunar Eclipse Explorerというところを発見しました。ここに東京での皆既月食、ということで条件を絞ってみると、
Date | 部分月食開始 | 皆既月食開始 | 皆既月食終了 | 部分月食終了 |
1974-Nov-29 | 22:29 | 23:36 | 00:51 | 01:58 |
1978-Mar-24 | 23:33 | 00:37 | 02:08 | 03:12 |
1978-Sep-17 | 02:21 | 03:25 | 04:44 | 05:48 |
1979-Sep-06 | 18:18 | 19:32 | 20:16 | 21:30 |
1982-Jan-10 | 03:14 | 04:17 | 05:35 | 06:38 |
1982-Dec-30 | 18:51 | 19:59 | 20:59 | 22:07 |
こんなかんじになりました。両親や兄弟が寝ていたということからして、夕食時だった1979-Sep-06や1982-Dec-30は除外されます。また、6歳で深夜まで起きていたとは思えないので1974-Nov-29も除外です。そんな寒くなかったはずなので1982-Jan-10も除外です。そうすると残るのは1978-Mar-24かもしくは1978-Sep-17。どっちかはわからないけど1978年というところまでは絞れました。10歳、小学校4年生でそんなことをしてたんだろうか。どうも自信がないのだけれど、4年生、このころは科学が大好きで計算尺を自作したりとか、そろばん塾に通い出したり、深夜ラジオ(といっても11時くらい)をこっそり聞いたりとか、なんか自我の芽生えみたいなのが起こってたころで、なんかもっともらしいようにも思えて、なんか満足しました。
思えば長男ももうそのころのわたしの歳に近づいてきました。その事実にただただびっくりってかんじなんですけど。歳喰うわけだ。わたし主観としては25歳くらいで時が止まったかんじなんですけどね。
タイトルはピンク・フロイドとニール・ヤングでした(ラジオのディスクジョッキー風)。
2007年08月23日
■ 班会議終了
札幌で開催された統合脳の班会議、わたしのスケジュールは無事終了しました。第一領域でポスター発表して、講演を聞いて、第二領域を見に行って、ポスターを見て。
懇親会ではいろんな方がブログを見てくださっていることを知って感激しました。でも、自分の仕事が出ないでブログで有名ってのもかっこわるすぎるので、さっさと論文を出して、そちらで知られるようになりたいと思います。
札幌はなんか涼しくて秋を感じました。なんかもの悲しいです。なんかぐったりしてしまったので、飲み会にも参加せずさっさと寝ます。
2007年08月19日
■ Susan Hurley死去
via "fragments of consciousness" (David Chalmers)
わたしが読んだことがあるのはAlva Nöeとの共著"Neural Plasticity and Consciousness"だけですが、consciousnessをactionとの関係から見るという観点を持ち、しかも表象主義的である(arational agentさんによる寄稿より)ということで、私にとって大変重要な位置にあります。主著 "Consciousness in Action"は読まなければ、でも大著だしなあ、と躊躇しているところでした。arational agentさんの記述によれば、最終章の元となった論文がSynthese 2001 "Perception and action: alternative views."ということのようですので、ここから読んでいきたいと思います。
追悼の意を表します。
Susan Hurleyのサイト。
2007年08月11日
■ 皆既日食見たい!
Life is beutifulの「皆既日食地図」に学ぶプレゼンのテクニックを見てて、ネタはプレゼンについてなんだけども、皆既日食の方が気になってしまって、いろいろ見て回ることに。
LIVE! ECLIPSE 2006 ここに2006年のリビア-エジプト-トルコで見ることができた皆既日食のムービーがいくつかあるのだけれど、日食じゃなくて、日食を見てる人を撮影してるムービーがあって、これがすごい。ほんとに真っ暗になるんだ。そしてその皆既日食になってる直径200kmの周りは明るいから、空の端が赤くなってる。なにこれ。すげー。
それから日本で見ることのできる皆既日食を探してみると再来年に奄美大島北部で見れるらしい。WikipediaのSolar eclipse of July 22, 2009を見る。ここのGIFアニメもわかりやすくて素晴らしいです。
さらにここからのリンクでGoogle mapのマッシュアップとおぼしきサイトへ。なるほど、奄美大島はいい位置にあるけど、上海も皆既日食の通り道になってる。こっちのほうがいいかも。奄美大島は季節的に台風などもあることでしょうし。
ふたたびWikipediaの日本語版を見てみると、21世紀中に日本で見ることのできる皆既日食は2009年7月22日、2035年9月2日、2063年8月24日、2089年10月4日だそうです。2089年とかあまりに遠いのになんだかリアルなもんだから、涙が出てきてしまいます。
というわけで、2009年7月22日の皆既日食見たい! そのときわたしはどこでなにをしてるんだろか、とか考えたり。
2007年08月10日
■ 暑いっすねー
暑いっすねー。人いねーなー。頭茹だってる。頭茹だちすぎて、今日からこのサイトはポエム日記になりました。ではみなさんさようなら。
昔のことを思い出しながら。
パズルのピースはところどころ欠けて落ちてる。もう、どうでもよかった。
目をつぶって考えた。なにも浮かばなかった。
手が震えていた。力が入らなかった。
坂を自転車で上ったけど、尋常じゃないくらい息を切らした。立ち止まった。
目の前が真っ暗になって、背中から落ちた。水びたしだった。
深呼吸をしてもダメだった。手がしびれていた。
血だらけだった。助けが必要だった。
悪夢から覚めて、へんてこなやり方で壁を乗り越えて、
すべてのつじつまを合わせずに、
目を輝かせて、テンション上げて、みんなにつっこまれて、
んで僕がしたいことは。
自転車で坂を上ったり下ったりしながら。
2007年08月06日
■ 「1000の小説とバックベアード」読んだ
花火の方は楽しく終了。途中で雷なったりとかすごいことになってましたけど。
んで、「1000の小説とバックベアード」佐藤 友哉が岡崎の書店に入るのを待っていたのだけれどけっきょくどこにも入らずあきらめていたところで、図書館に新潮の2006年12月号があったのでそれで読むことに成功しました。
いや、良かったです。奇妙な設定もじつは自伝的。どう話を落とすのと思ったら後半はけっこう盛り上がりました。熱くてやる気満々、ということはけっしてあり得ないのだけれどなんだか決意に充ち満ちているという雰囲気はこれまでの作風とも通じているような。あと、かなり狙ってた感じはする。「日本文学」さん、なんてかなり高橋源一郎的ですよね。(三島賞の第一回受賞者は高橋源一郎で、しかも三島賞受賞後に佐藤友哉は高橋源一郎と対談してる。ネットのどっかで見たけどいまみつからない。) これまで通り全体としてなんか戯画的な感じというのもそういえば通じている気がします。あと、「キャラクター小説の作り方」 大塚 英志にたいするアンサーソング的な側面も感じました。
……ここまで書いてから「佐藤友哉 高橋源一郎」でググってみたら、はてなだけでもけっこう採りあげられてる。「海難記」とか「東京猫の散歩と昼寝」とか。後者で「日本文学盛衰史」高橋源一郎への共感、という表現がされていたので、つぎはこれを読んでみようと思います。高橋源一郎はかなり好きで、10年ぐらい前に小説はけっこう読みましたけど(「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」「虹の彼方に」「ジョン・レノン対火星人」「ペンギン村に陽は落ちて」とか、ストーリーよりは独特のポエジー(という表現をこの人はします)で読ませる)、21世紀になってから出たこの作品は読んでませんでした。
ユヤタンの方に戻ると、本作は鏡家シリーズとかに出てくるヤケクソ風味やグロ風味はほとんどみられず、強いていえば「友がみな僕よりえらく見える日は 刃物を振るいて お前らザクザク」くらいでしたが、その調子で小説、小説と繰り返したまま終わってしまったので、ネタだよね、というかボケっぱなし?とか思いつつも(しかもあまり皮肉が効いてないもしくは皮肉臭くない)、こういう書き方は好きですけど。今っぽいと言えるかも。
あと、「小説」家になってしまったせいか、オタク的意匠は見られなかったですね。強いて言えば、「バックベアード」ですが、これはいろいろコンテキストがあって面白いですね。私は改変ネタの方を先に知ってしまったのでちと笑ってしまいましたが。
2007年08月02日
■ 昆虫だらけの我が家についてご報告させていただきます。
岡崎って町は名古屋と浜名湖の間にあって、北と東を山が囲んでいて、私が住んでいる中心部はけっこう町でして、田んぼとか全然ないコンクリートジャングルなんですけど、借家住まいで犬が飼えないからか、どんどん家の中に昆虫とか小動物が増えてきてます。奥さんと子どもとで。
まずカブトムシ。何年越しかで飼い続けていて、冬とかは発泡スチロールの大きな箱の堆肥の中にいる幼虫をたまに虫干ししたりしてつねに10匹とかいます。はじめのころは幼虫を奥さんが友人に分けてみたら成虫になって出てきたのがカナブンだったとかそういう失敗もありましたが、最近は安定供給。さらに車で15分行ったあたりの秘密の場所でクヌギの木で樹液が出ているスポットがあって毎年そこで野生の生きのいいのを取ってきてはカブト相撲大会に出場とかそんな感じ。夜とかスゲー羽音鳴ってます。その横で寝てる私。あと、巣箱から出てきたのが私の脛にかじりついて痛さで目覚めたとかそういう心温まるエピソードもあり。
それから、カミキリムシ。一ヶ月くらい飼ってるけどスゲー元気。このあいだ夜古本屋に行って車停めていたらカミキリムシのメスが一生懸命卵を車のリアガラスに産み付けてた。車走らせても卵はしっかりくっついてる。すごい。
それからカイコ。保育園で娘が飼ってたりけっこう身近だったのだけれど、ついに我が家でも飼うことに。桑の葉っぱをものすごい食べて、ものすごい勢いで大きくなる。あんなに急激に成長して、やつらは肉割れ出来ないんですかね、って脱皮するわけですが。トイレットペーパーの芯に繭作って、成虫が出てきて、交尾して、卵びっしりトイレットペーパーの芯にくっつけてます。もう一周行くらしい。
昨日はきれいな緑色のナナフシを奥さんが見つけてきました。はじめて野生のを見て感激。ほんとに枝そっくりなのですが、うごきもなんかゆらゆらとしていて、風に揺れる感じを再現しています。レベル高い。でも手足長すぎて歩くのとか下手。擬態にリソース使いすぎてるかんじです。絶滅しそう。
それから、カタツムリ。いま4匹います。脱走したやつがいてしばらく見つからなかったのだけれど、テーブルの裏にいるのを私が発見。フローリングに寝ころんだとき。
あと、アメリカザリガニ。西尾の方に西尾いきものふれあいの里というところがありまして、そこでザリガニ釣りが出来るってんでこのあいだ行ってきたのですが(費用は釣り竿第20円のみ)、誰もいない池があって、もう釣り放題。早く帰りたいとか行ってた娘もいったん釣れたら大はしゃぎでけっきょく3時間くらいかけて一家で20匹ぐらい釣って、2匹残してあとは全部放流。
んでおとといは今年はじめてのGに家の中で遭遇。そして逃がしました。そういうオチ。
2007年07月26日
■ トレーニングコース始まりました。
今週は生理研のトレーニングコースです。今年はanatomyのレクチャー(Nissl染色した切片を顕微鏡で覗きながらlayerのborderを解説)、それからこれまで同様、電気生理データの解析担当です。LFPの説明を作らなくちゃ、と昔コピった論文を開き直します。以前のエントリでこのへんの事情を書きましたが(「extracellularで記録されるsingle-unitの波形」および「extracellularで記録されるsingle-unitの波形つづき」)、そこからあまり進歩してません。馬力でなんとか作り上げる予定。
ちなみにこういう機会ですと、ブログを見てくださっている方がこっそりと「見てますよ」と言ってくださることがあって、たいへんありがたいのですが、べつに秘密でブログを書いているわけではありませんので、こっそりと聞かなくても大丈夫です。
2007年06月30日
■ 「このエントリーを含むはてなブックマーク」ボタン付けました
どんだけはてなが好きかっていう(<-「どんだけ」を使いたいだけ)。
はてなから移動してはや2年半なんですが、アンテナとかブックマークのホッテントリとかはいまも使ってます。というわけで、はてなブックマークに登録しやすいようにボタン付けました。何人ブクマしてるかも表示してますが、ほとんどブクマされてないので0人のところはへんな青い小さいリンクが出来ます。かっこわる。あと、昨年10月くらいにファイルをhtmlからphpにしたのでそれ以前のブクマは全滅。ま、自分ではSBMでサイトを登録するって習慣はないのですが、かんたんなのでとりあえず設置。
ついでにウノウラボを参考にしてdel.icio.usとDiggへも登録できるようにしたけど、こちらは英語ブログでないとほとんど意味がないですね。
2007年06月20日
■ 飛行機で読む本の候補
「1000の小説とバックベアード」 佐藤 友哉。鏡家シリーズは全部読んでるくらいのファンなのですが、小説新潮とかに短編書いてるなあとか思ってたらいつのまにか三島賞を受賞しててびっくり。あいにく岡崎の本屋では売ってない。情報遅すぎ。
「人類は衰退しました」 (小学館ガガガ文庫) 田中 ロミオ。C†Cのと比較でコミュニケーションを主体から見るのとネットワークで見るのと、みたいな比較をしている論評を読んで購入確定しました。あいにく岡崎の本屋では売ってない。ガガガ文庫初回配本のうちの一部だけが入ってきている様子。
このあいだの出張では「鉄鼠の檻」 (文庫版) 京極 夏彦も持って行ったのだけれど、行き帰りで「ロング・グッドバイ」を読むのがちょうどくらいだったので読めませんでした。ということは、鉄鼠の檻を読み終えるのは無理だろうなあということで後回し。ToDoリストへ。
あと、「NHKにようこそ!」(文庫版) 滝本 竜彦も持って行ったのだけど読めず。内容的にいって楽しめないわけないと思うので今回は持って行きます。
「仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法」 デビッド・アレン。GTDを学ぶために図書館で借りてきました。セルフヘルプ系というのはデール・カーネギーを別としてほとんど読んだことがないのだけれど、これは方法論っぽいので読んでみます。
ActionScript勉強したくて「おしえて!!FLASH 8 ActionScript」 森 巧尚も買ってあるのですが、 微妙なタイミングでflash CS3が出てきて、actionscriptも3がメインになっていく様子。ApolloもAIRになって、mxmlcからamxmlcとかを使うようになるようだし。このへんに対応した書籍が出てくるまではactionscript2でなんとかした方がいいかなあと思うのですが、ずいぶんとごちゃごちゃしているのですよね。
2007年06月18日
■ 携帯変えました、オタクっぽいやつに。
西暦2007年の岡崎に住んでいてこれまでとくに携帯の必要性を感じていなかったので、とりあえずvodafoneのプリペイド携帯を待ち受け専用に使ってました。でもぜんぜん使わないので持ち歩くのも忘れて、そういうときに限って奥さんから着信があって連絡が付かないとかいうことを何度か繰り返しました。んで、これではいかんと。依然として緊急連絡先としてしか電話は使わないのだけれど(メールとかはしない)、それでも肌身離さず持つようにしたい。ということでいつも持っていたくなるようなやつに変えよう、と。
というわけでスマートフォン。アメリカ在住の共同研究者がBlackBerryを使ってるのを見ていいなあと思ったので、NokiaのE61あたりにしようかなと思っていたのだけれど、キーボードでわざわざ文字打つことはないだろうしなあと。おりしもSteve JobsのiPhone発表のmovieを見たところだったので、やっぱ画面大きいやつがいいなあと。WillcomのWzero3[es]もちょうどadvancedが出るところだったけど、PHSはいいやと。というわけでHTCのX01HTにしました。もう少ししたらX01TとかX02HTとか出てくるのだけれど、待ってられない。
X01HTは画面解像度が320*240だけど、サイズは2.8インチ。Windows Mobile 5。画面は大きいがサイズもデカい。首からぶら下げると携帯というよりはデジカメをぶら下げているかんじ。さっそくEBpocketとかインストールして電子辞書を入れる。青空子猫を入れて青空文庫の書籍をいくつか入れる。GoogleMapを入れたり。無線LAN以外で使ったらあっという間にパケ死しそうだけど。Googleカレンダーとの同期のためにGooSyncを。あとはTCPMPを入れてmpegを3gpに変換してリトバスのデモ見たりとか。YouTube見るくらいのつもりで見ればけっこう使える。
ミュージックプレーヤーとしてどのくらい使えるかはまだ試行錯誤中。iRiverと両方持つのはかさばるからここで移行してしまうか。でも音量が足りない。売ってるヘッドホンアンプとか調べてみるとiRiver持つのとあんまかわんないし。音質にはこだわらないんで、コンデンサで蓄電するとかして006P電池無しで超小型ヘッドホンアンプとかって作れないものですかね。本体とヘッドホン端子の間に挟めばいいようなやつ。(たんにマスターボリューム絞ってるだけだった。)
PDAを持つのはHP2000LX以来ですが、日本でiPhoneが出てくるまではこれで行くつもり。iPhoneには惚れた。ところでげんざいiPhone発売前ですけど、あのスペックからすると電池の持ちがものすごく悪いはず。ものすごくほしいのだけれど、電池の持ちと、指での操作がどのくらい使えるのかが気になります。(X01HTでもスタイラス使うのが面倒で手を使うことがあるけど指紋だらけになるし。)
というかんじで、いいおもちゃが手に入ったのでいじくってます。
2007年06月11日
■ さてさて、英語英語。
というわけで英語のしゃべりを時間のあるときには聞いておこうと、本買ったり、ネットで探したりを以前から繰り返していたのですが、あまり興味をそそられるのがない。英語の教材でドラマ仕立てのやつとかはどうにも好きになれない。試行錯誤した結果わかったのは、自分は技術関係のものの方が楽しんで聞けるようなのですね。そんなに自分のこと理系だと思っていなかったのだけれど。とにかく、興味を惹いたものを聞くのがいちばんというわけで、IT conversationsとか、Nerd TVとかから適当に見つけて聞いてます。このへんのはtranscriptがついてるのが多いのがよいです。Paul Grahamの"Great Hackers"とか、Tim O'ReillyのOSCON 2004講演とか。Alva Noeが"Action in Perception"について語るというのもありました。
それから、iTuneで探すとBill NewsomeのStanfordでのtalkがあるんですが、って書こうとしたら以前のエントリで書いてた。なんかもうさいきん書いたことあるかないかわからなくなってきて、心配になって自分のブログ検索したりします。
iTuneからはNatureとかScienceとかScientific americanとかいろんなところがpodcastしているのでよいですね。
Kochのもいくつかあるので聞いてます。20060831でも言及しましたが。"Conversations with History"とか。Strange Angelsでもふたつ(mp3直リン:SA#78aとSA#53)。もうすぐASSCなのでこのあたりを聞いておくのがいちばん良いかも。
んで、Steve Jobsね。今更言うのもなんですが、最高です。もうブロゴスフェアでは大昔に話題になったのですが、そのころから(いちおう言い訳)、よく聞いてます。有名なStanfordの卒業式でのスピーチ。テキスト版。はじめはiTuneで聞いたかYouTubeで聞いたかもう忘れましたけど。あの、"The Whole Earth Catalog"の最終号の言葉、"Stay Hungry. Stay Foolish"を3回繰り返す段を聞くと、何度聞いてもなんか泣けてくるのです。ま、わたしは60年代ロックからスタートしたカウンターカルチャー(死語)野郎ですので、価値観とか、抗しがたい。"follow your heart and intuition"とかね。老子とか読んじゃったり。わたしの現象学への興味って単にそこから来てるのだと思ってます。脱線した。
んで、Steve Jobsのプレゼンとかもyoutubeとかアップルのサイトとかから見てますけど、やはり最高。iPhoneを発表したMacworld 2007でのキーノート・スピーチとかちょっとヤバい。教祖じみてる。しゃべり完璧。エンターテインメントとしてレベル高い。(途中で出てくるゲストのGoogle CEOとかYahoo cofounderとかもいいかんじ。電話会社のエラいさんだけ原稿丸読みでダセえなあとか、また脱線。) ちょっと、じぶんも科学者としてなんとかプレゼンに活用できないかな、という目で見たりするけど、どうすればいいんだろ。結論3回繰り返したりとかをあのまま使うとうさんくさすぎる。ともあれ、楽しめるもの見つけて英語聞いてます。
2007年06月06日
■ サラソタ出張つづき
過去日記つづき。
5月16日
今回の出張はHFSPのグループミーティングも兼ねていて、VSS終了後はコンドミニアムにカンヅメで共同研究者と議論。んで、英語。研究の話はまだ良いのですが、一息ついて雑談とかするともうぜんぜんわからない。帰ったら勉強しなくちゃとか思っているともう40歳に近づいてきていたりする。さいきん人の名前が出てこないんですよね、とかちょっともう壊れてきているんでないかと思ったり。
5月18日
無事全日程終了。冷蔵庫に余りまくってるビールを片付けます(胃に)。サラソタはフロリダ半島の西側に位置していて、海に夕日が沈みます。いまはだいたい20時くらいに。ビール片手にビーチに出て、iRiverに入れた音楽を大音量でかけて、夕日が沈むのを見届けることにしました。一曲目はトッド・ラングレンの「魔法使いは真実のスター」から"I Don't Want To Tie You Down"。エレピでの弾き語り形式なんだけど、どこかスペーシーで、夕日によく合う。だんだん日が沈んでくる。お次はザ・ビーチ・ボーイズ の「サーフズ・アップ 」(というかベスト盤から)から"Surf's up"(「波が来た」)。もの悲しい弾き語りから祝福するようなコーラスへ。やはり最高。まだ日は沈んでいない。最後の瞬間を迎えるのにブライアン・ウィルソンの「スマイル」からもう一度"Surf's up"を選択。こちらはスマイルを作ったブライアン・ウィルソンを40年後のバンドメンバーが祝福する、というかんじのすてきな出来。これで日が沈みきって、空は暗くなってくる。人が減って、波の音が目立ってきて、カモメの声が目立ってくる。そこでベタだけどライドの「ノーホェア」から"Seagull"。ギターのフィードバックが鳴り響いて曲が終わると、寂寞とした海に変わっていた、というわけで満足して(DJきどり)、今回の出張でやるべきことがすべて終了となりました。
2007年06月04日
■ サラソタのVSSミーティングに行ってきました
捏造過去日記つづき。
5月12日。VSS (vision science society) 2007 meetingで発表しにフロリダ州のサラソタへ向けて出発。今回は飛行機で読む用にと村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」を購入。文章表現とかがいちいちおもしろいのでそういうページは端を折って印を付けておく。これは原書購入決定(向こうの本屋で探したが見つからず、けっきょく帰国してから購入しました)。半分読んだあたりでデトロイト到着。デトロイトの入国審査は相変わらず列に並んだもの勝ちでひどい有様。以前書いたときから進歩がない。彼らにはカイゼンという概念がないっすよ! んで、飛行機三つ乗り継いで、サラソタに到着。天候のため飛行機が遅れて到着したのは24時。へとへと。
5月13日。んでその次の日がポスター発表。立ちっぱなしで話してたのでかえって時差ぼけとかで苦しまずに済みました。ポスターには多くの人が来てくださって感激。途中まで人数数えてましたがあきらめました。教授と私とで二つ平行して説明するときも出るなど、なかなか良かったです。説明してゆくと、だいたいみんなどこに引っかかり、どこをおもしろがってもらえるかがわかってきて、説明もパターンができてゆく。あとはこれを論文書きにフィードバックするだけ、というわけです。んで無事発表も終わり、ビールかっくらって、宿泊しているコンドミニアムの前のビーチで泳ぐ(<-死んだかも!)。近くを飛び立つ鳥がペリカンだったり。とかむりやり活動したら時差ぼけがけっこう解消しました。
# nhk
お久しぶりです。VSS、いいですね。来年から参加しようと思っています。
# pooneilご無沙汰しております。
VSSは規模が大きいわりに、セッションが平行して二つしかない、ポスター会場が適度な大きさ(ちいさな体育館くらいの一部屋に5 subsectionで90枚程度)で回りやすい、などの利点があってなかなか良かったです。来年はフロリダ州のNaples(ナポリ)です。次回はぜひ。
今年のASSCは参加しますか? 私は現在ポスター作成中です。今年はNCMとVSSとASSCとでどれもちがうネタを出すという果敢な試みを行っております。
NCM > NSM? ASSCはまだ様子見というか、まだネタがないので。。。VSSは見に行くだけでも面白そうだと思いました。それにしても3つとも違うネタとはすごいですね。
2007年05月31日
■ 娘に自転車の乗り方を教える
どもども。元気です。VSS (vision science society) 2007 meetingで発表しにフロリダ州のSarasotaに行って、無事帰ってきました。なんだかんだで間が空きました。最近忙しそうですね、なんて言われたりしますが、忙しいからブログの間隔が空くわけではないのです、だって、じゃあ、ブログ書いてるときは暇だったのかっていうとそういうわけじゃなく、っていうかそれ認めちゃダメでしょ、ってことです(自爆系)。
んでもって、いろいろネタはたまってるので捏造過去日記形式にて。
5月3日。娘に自転車の乗り方を教える。
そろそろ補助輪を取らなくっちゃ、ってことで連休のうちにやってしまうのがいいだろうということでさっそくチャレンジ。駐車場にて。娘もヘルメットかぶって気合いが入ってる。
「伊東家の食卓」かなんかで見た方法で、ペダルを外した自転車にまたがって、地面を足で蹴ってまっすぐに進むことを教える、というのがあってなるほどと思っていたのでさっそく実行してみようと思ったら工具がなくてペダルが外せない。ペダルを外す方法のポイントは、はじめのうちはペダルを漕ぐことに気が行って自転車のバランスを保てないものなので、自転車のバランスを取ることだけに集中させるという点にあります。というわけでそのスピリットだけいただきます。自転車にまたがって、両足で地面を蹴って、勢いが止まるまで足を浮かしておく。ペダルは漕がない。という方法でやってみたのだけれど、ペダルが足にあたって痛そう。
そこで方針転換。自転車にまたがって、片足はペダルに乗せて、もう片足は地面に着いておく。でもっていっせいのせで地面を蹴ると同時にペダルを踏む。これ一発でどのくらい遠くまで進むか少しずつ目標を上げてゆく。一緒に付き添って走って、つぎはここまでが目標、なんて言いながら励ます。ペダルの位置と、蹴るタイミングが合わないとうまく力が入らないので、最初の位置が大事だよ、最初が肝心、なんてアドバイスすると、自分で「最初が肝心、最初が肝心」なんていいながらやってる。駐車場を3往復くらいしたらだんだん感じがつかめてきたみたい。近所の子たちも併走したり応援したりしてる。
そろそろいいかなってことで、それじゃあ、つぎは足で蹴ってスタートしたらそのまま漕いでみよう、と言ってみると一発で成功、2,3回転ぐらい漕いでまっすぐ進めました。おお、素晴らしい、この「つかんだ瞬間」の喜びを共有してみたりする。その調子、と励まして繰り返していると駐車場の半分くらいは足を着かずに乗れるようになる。ママに見せたい、というのでベランダからママに見てもらってるところで披露。ママが感心して、娘も得意げ。良かったね、ということで今日は終了と家に引っ込んで一休みしてたら、公園で練習したい、なんて言う。超ヤル気。疲れてないの?って聞いたらだいじょうぶ、って言うので、もう今日一日で完璧にしてしまおう、ということで近所の公園へ。
また併走しながら、最初が肝心、とか、そのまままっすぐ、とかいいながら公園を五周くらいして、最終的には一周まるまる足を着かずに回ることが出来たので、今日は終わり。 んでうまい酒を飲んだというそんな休日の一日でした。
追記:補助輪の外し方をwebで検索するとこんなのが出てきました:
- トイザらスの自転車 -補助輪をはずして自転車にライドオン!
- Bicycle Kids 補助無し自転車の練習方法
- 補助輪なし自転車
- 春になったら、ご家族でサイクリングを! 補助輪無し自転車に乗ろう! - [幼児教育]All About
- 自転車(補助輪なし)
- お役立ち情報
ついでに。このあいだ図書館で読んだ物理学の雑誌「パリティ」の2007年3月号には「なぜ自転車は倒れないか?」なんて記事(昔の記事の再録)があってハンドルと前輪の関係をどのように変えると乗りにくい自転車になるかを実験するという、理系変人説をはげしく強化するような記事がありました。同じ号の記事をryoheiさんが翻訳しているのを発見したりとか。
# mmmm
うちの娘も、そろそろ補助輪を外したいなー、と思っていたところなので、大変参考になりました。今度やらせてみよーっと。
# pooneilどうもありがとうございます。Webで補助輪はずしについて調べてみたらけっこうたくさん記事があるのを知ったので追記してみました。ではまた。
2007年04月30日
■ 夜の町を疾走する列車
夜中のこの時間にはいつも、遠くで列車が猛スピードで通り過ぎてゆくのが聞こえる。1:13AMと1:38AMと1:55AMと2:04AMと2:07AMと2:31AM(おもわずメモっちゃったよ)。そんな音が聞こえるくらいに町が静かなんだ。窓を開けると、国道をまばらに車が走るのが聞こえる。地方小都市では夜が早い。暴走族の音も最近聞かない。
たぶんあの音は東海道本線を走る寝台特急なんだろうなあ(元鉄ちゃん)、と思ってネットで調べてみたらすでにけっこういろいろ廃止されていることを知って驚く。そもそも、九州まで行くようなやつはうちのあたりは24時よりずっと前に通り過ぎてくし、ムーンライトながら(昔の大垣夜行)は5時くらいにならないと通らない。浜松を1時過ぎに通るサンライズ瀬戸/出雲というのを発見。でもこれ一本しかそれっぽいのがない。
けっきょくわからずじまい。たぶん貨物列車なんだろう。この地に10年住んで来て、あの列車の音を何度も聞いてきて、それでもわからずじまい。それもまたよし。おやすみなさい。
って1:38AMの音を聞いてから文章書いておいたら、次々に列車が来るのでどんどん文章が長くなる。
The WhoのSell Outのボーナス曲で"Early morning, cold taxi"ってのがあって、あれは3:36AMなんだけど、これいいタイトルだなあ(鼻提灯をぶら下げながら)。
2007年04月19日
■ 子育てよもやま話みたいな
一番下の子はカタコトで少ししゃべられるようになってきたところなのですが、この時期は発達過程がいろいろ面白い。さいきんは、自分がなにかを手渡すときも、自分になにかを手渡してほしいときも、「ハイッ、ドージョッ」と言います。なるほど、自他の区別がないのかー、とか納得してみたり。
そしたら、愛する妻の報告によると、今日は動かなくなったおもちゃに、単3の乾電池を持ってきて入れようとしたそうな。じつはそのおもちゃはボタン電池で動くやつなんで、ボタン電池を持ってくるのだったらわかる。見覚えがある(familiarityレベルでのobject間の連合の記憶がある)とかで出来そうな気はする。でも、単3の乾電池を持ってきたということはもう少し高度なことをやっていると考えることが出来るというわけです。どんな勘違いをするかで、どんな概念を持っているかがわかる。以前紹介したことがあるScience論文(20040515)での、ミニチュアの椅子にむりやり座ろうとする子どもの話とかもそういう話でした。
2007年03月26日
■ 元気です0326
どもども。元気にやってます。
いよいよ成果発表の旅三連チャンその1が始まりまして、いまはセビリアにいます。マドリッドでの昼ご飯が遅れて列車に乗り遅れそうになるとかドタバタもやりながら、なんとか到着して、レセプションに出てきたところです。
いろんなことが並行して進んでいて目が回りそうですが、楽しんでやってます。
と、ほぼ私信モードでした。ではまた。
2007年03月18日
■ 貸本屋のある田舎町、ではないけれど。
どもご無沙汰してます。
ふと思い出したんですが、私が住んでいた街には、小学生のころまだ「貸本屋」がありました。べつにそんなレアなものが置いてあったわけでもなくて、少年チャンピオンコミックスとかそんなかんじの品揃えだったと思う。「マカロニほうれん荘」時代の。都電の路線が廃止されて出来た緑道沿いの店。おんぼろで怖くてほとんど立ち入らなかったのだけれど。あれはまさに昭和だった。風街、はっぴいえんど、てなかんじで。
2007年02月17日
■ このサイトでよく読まれているエントリのランキング
(0207/2/17に作成して放置していたものをこっそり再掲。)
ブログのサイドバーによくある「このサイトでよく読まれているエントリーのリスト」みたいなものを作ってみようと思って、うちのサイトの固定リンクへの総hit数(04年12月から現在まで)のランキングを作ってみました。どのエントリが検索エンジンから来た人に読まれているかを見る目安となるでしょう。
……けっきょく、ネット見て反応したネタが上に来やすいわけですな。というわけで、うちのサイトにふたたび来訪してもらうためには、ロングテールの部分が重要。というわけで、脳科学コメントに関連したエントリだけでランキングするとこんな感じです:
ま、こういう感じで細く長く読んでもらえるエントリをすこしずつ増やしていけたら、と考えております。じつのところ、がんばってアクセスを増やす必要もないのだし。ま、エントリも増えてきたし(もうすこしで1000エントリです)、ネタ用に。
2007年02月01日
■ すべての 牛を 黒くする 夜
今日も今日とてスウェット姿で車で本屋に乗り付ける夜10時半。ジモティーまる出しってかんじで。
んで、新書かなんか立ち読みして目に入ってきたフレーズが、「すべての 牛を 黒くする 夜」。ヘーゲルがフィフテだかシェリングだかを評した言葉とかなんとか書いてあったけどうろ覚えで。
もうこのフレーズにしびれました。「すべての牛」と来てオッと思い、「黒くする」と書かれて何事と思い、直ちに「夜」が加わってもうこれ以上ない完成度で、なんつーかこのフレーズの醸し出すポエジーにやられてしまったのです。
意味はさっぱりよくわからないのだけれども、これが正しいフレーズなのか、原文ではどういう表現なのかとか知りたくなるのだけれど、ググったりwikipedia見るのとかをちょっと我慢して、ここはこのフレーズにひたることを楽しむことにします。
2007年01月30日
■ ヨーグルトの崩れる音
プレーンのヨーグルトの700mlぐらい入ってるやつから底の深い皿に取るときにヨーグルトが崩れてボテってかんじで落ちたんだけど、息子に言わせればそれは「にゅむるん」ってかんじだそうだ。「にゅむるん」って、その発想はなかったな。息子に許可を得たので(得てるし!)、鬼才あらわる、と書いておきます。
2007年01月26日
■ そうして、このごろ0126
元気です。おひさしぶりです。どうも気軽に書けなくなっててよくありません。楽しく使いたいんですけどね。
Mixiもやっと入れたので探索してみたけど、母校のコミュとか行っても若者ばっかりであきらめた。こないだのクラス会のときに何人かに聞いてみたけれど意外と誰も活用してないので驚いた。つうかネットがなくても楽しめているということかもね。
リハビリのつもりではてな匿名ダイアリー活用中。こりゃいいや。こっちはいい調子。つうかこのエントリの文体がすでになんか影響されてる感じ。
こっちのブログについては、なんどか書いたことけど(書いては消しているので残ってるかどうかわからない)、へんに自分語りをしたりせず、時事問題(あるあるとか水伝とか)に首をつっこまず、論文とかの堅めな話に絞って、愚痴とかを書かないようにして、politically correctになるように気を遣って、荒れる要素を極力排除するように心がけていました。キュートなボケ役みたいなのを封印してました。ここまでですでにいくつかの文章を書いては消してます。はてブに捕捉されるような面白い記事も書かないように心がけてましたw いや、ほんとだって! ……そうすることによって、実名で研究者としてブログを続けることは、メリットが大きくて周りにも迷惑をかけないということを示せるんではないか、なんて野望を持ってたんです。盛り上がりには欠けますが、このやり方は続けてみようかと思ってます。
なんか終わりそうな書き方してますが、終わりません。書きたいことはたくさんあります。
なんツーか、今日のまとめは、ようするに自分語りがしたくて仕方ない俺ガイル、ということです(そうだったっけ?)。いや、率直に言って、自分に課した枷がうざったくなるなんてばからしい、ってことだな(ひっくり返した!)。
……全体としてやっちゃった感が強いですが、今回は消さずにとっておきます。ま、これがいちばん上にあるまま放置するのも体裁悪いんでさっくり更新する予定。
# mmk_chocolate
これが初めてのコメントと云うのもどうかと思いますが、はじめまして。いつもblogを読ませていただいています。
自分のblogについて自分でルールを作って、日記というよりは自分の納得の行く作品作りに近くなってくると、もう日記らしいことは書けなくなってきますよね。私も記事を書くときにいつも悩みつつ書いています……多分それは多くのblog書きに共通の悩みなのかもしれませんが。
pooneilさんのblogは目標にしているblogです。これからも応援しております。
2006年12月26日
■ 帰ってきちゃった。(後ろ手でそっとドアを閉めながら)
ってネタ元どこでしたかね。ま、元気です。
BMIシンポのまとめ作ろう、とか考えてたらなんか筆が進まなくて。かえって足かせになってよくなかったです。ここは華麗にスルーで(エー)。
班会議もばたばたしましたがなんとか無事終了。
村上春樹翻訳の"The Great Gatsby"が売られてたのでさっそく読んでみました。なんかこういうの久しぶり。よかったです。翻訳者後書きで、現代の物語となるように努めた、みたいなことが書いてあったけど、たしかに古くささを感じなかった。なんか「ジャズエイジ」とか「ニューヨーク」とかそういうイメージに引っかかって躊躇していたのだけれど、臭みなくおいしく頂けました。原文は Litfixにあるんで、こんどは原文で読んでみようかと。
2006年11月01日
■ SFN2006 at Atlantaのまとめ
忘れぬうちに今年のSFNについてのメモを。
- 行き帰り。昨年はデトロイトの空港の入国審査とかひどいめに会ったうえに乗り継ぎですごい待たされてへとへとだったので、今年はアトランタ直行便を選択。これは正解だったように思います。入国審査も人の流れをちゃんと組織してスムースに流れてました。でもアトランタ直行だと飛行機に乗る時間が長くてつらい。行きが11時間で帰りが14時間。しかも帰りは霧で出発が2時間遅れた。こんど行くときはシアトルあたりで一泊するってのも手かもしれない。
- 会場。なんか人少なかったというか、知り合いの参加者が少なかったような。じっさい全体の参加者も少なかったようです。もう巨大化する方向は止めた方がよいと思いますよほんとに。滞在期間が短かったこともあって、あまり発表は見れませんでしたが、彦坂研の二連ポスターは人が集まってました。Habenula (MD核のdorsal側にある視床の小さな核)がSNc dopamineニューロンのちょうど反対向きの活動をする、というもの。理研の松元さんの仕事の延長上にあるmedial prefrontal cortexの仕事も二連ポスターになってて、人が集まってました。
- 発表。非常に不本意でしたが、仕方ない。論文が出ればもっと人は来るだろうけれど、論文出す前に想定レビューワーに見せておくという効果を求めているわけで、このへんはうまく回り出さないといつまでも状況は変わらない。(ちょっと、正直に書きすぎた!) それでも、在米の皆さまに会えて、多くの人がポスターに来てくれたのは大感謝で、おかげでひとり惨めにポスターの前に佇んでいる、ということにならずに済みました。
- 街。治安が悪いと聞いていたけれど、正味滞在2日で、あまり歩き回らなかったのでわかりませんでした。今回も地下鉄(MARTA)を活用。ホテルが埋まってしまってしかたなくBuckheadの高いホテルから通う。SFNのサイトのホテルのリストに後から追加された、空港の近くのホテルは安いけどシャトルバスがないから敬遠していたのだけれど、じつはMARTAを使えばBuckheadから通うのとあまり変わりませんでした。
- 街その2。働いている人はみな黒人でした。ここが南部だということを痛感。朝はマックとかでジャンクフード。Buckheadにしろ、downtownにしろ、都会すぎてスーパーとかがないので不便。これはWashington DCと同じかんじ。けっきょく、CNNもコカコーラも水族館も行かずに、ホテルの近くのショッピングモールでおみやげを買って終了。
もうちょっと小さい学会で顔を売ることを目指していかないといかんなと思ってます。そういうわけで、現在はNCMとVSSとASSCを目指しているところ。いや、VSSはとてもデカいみたいですけどね。
2006年10月27日
■ 50万visitありがとうございます
2004年12月にsakura.ne.jpに引っ越してきてから累計で50万visitになりました。見に来てくださった方、どうもありがとうございます。前回も前々回も書きましたが、この値じたいの意味合いが以前とは変わってきていて、RSSの購読などを考慮に入れる必要がありますが、節目ということで。
グラフはwebalizerのログに出ていた、月ごとの訪問者(Visit)数と訪問サイト(Site)です。見方は Webalizerの見方などを参考に。SiteのほうがおなじIPアドレスを加算しないので(*)、読者の漸増を表現してると言えそうです。じんわり倍になった(5000から10000へ)というのがこの2年弱で起こったことをよく示しているのではないかと。この調子でゆっくりやっていきます。
(*注: ダイアルアップで毎回ちがうIPの方は繰り返し加算されてはいるのだけれども。)
それに併せて、Movable typeの方も最新のものにアップデートしました。スパムの処理あたりがよくなって満足です。最近は弾けないトラックバックスパムが出てきて、いちいち管理画面から消してましたが、いまは自動的に振り分けられてます。素晴らしい。
併せてファイルをhtmlからphp化しました。以前のファイル(html)をリンクしてあるところも.htaccessを設定して新しいファイルにリダイレクトされるようになってます。ですので、たぶんつながらないところはないと思いますが、これまでと挙動が違う点に気付きましたらご一報を。
これまでに気付いている点はふたつ、1) コメント投稿者のメールアドレスが表示できなくなってますが、データとしては消えてませんので、現在どうすれば元通りになるか調べているところです。 2) mimetex.cgiが動かなくなったのでtexライクな数式の表示が出来なくなってます。これもなんでかわかりません。mimetex.cgiのファイルの実行属性は変更したのだけれど。
そんなわけで、これからもよろしくおねがいします。
2006年10月04日
■ そうして、このごろ1004
元気です。いろいろレスポンスすべきところ放置してますが、どうかご勘弁を。ぼちぼちやってきます。
いよいよ、電気生理と論文書きとがともに佳境に入ってきました。体調に気をつけつつ。
ソフトボール大会、今年は3位。晴れたのがとにかく良かったです。自分的には3位決定戦で打撃で貢献できた(勝ち越しの満塁ホームラン!)ので満足気味。つーか、太ったら、球が飛ぶようになった気がする。
SFNのポスター作り。論文書きに併せて無難に。SFN、今回の運営はひどいと思う。Itinerary plannerダウンロードはどうなってるんですか。どこのセッションだか連絡が来なかったのでこっちから聞いた。最終日の、思い切り関連性のないセッションにつっこまれたのでかなり萎え気味。去年の反省で、セッションの選択には気を遣ったのにまたも失敗。がっかり。関係者への宣伝をしてベストを尽くすしかない。
ま、そういうわけで、元気です。
2006年08月22日
■ はてなのウクレレ記法使ってみた
ポスター作り、終わんねー。新事実発見したりとか。良くも悪くも。
しょうがないから、このあいだの花火の時から置きっぱなしにしているウクレレ(famousのFU-200)かき鳴らしまくり。深夜の階段の踊り場に鳴り響く、C-Em6。Em6はE-G-A-Bで音がぶつかるヴォイシングにしたらいいかんじ。そういえばはてなのウクレレ記法があったよな、とか思って作ってみる。まだはてなのアカウントあるし。
はてなダイアリー上で[uke:CM7@2000 Em@2540]と入れると上のpngファイルが生成される。Em6がなかったのでEmとして表記しときました。つーか、@の前をなんとでも指定できる(文字制限くらいは入れとくとして)ようにしとけばいいのだけど、そうなってない。
空が明るくなってきた。
…というエントリをうち帰ってから作りました。いま5時。
…というエントリを札幌着いてから投稿しました。もうすぐ発表。
2006年08月15日
■ David Chalmersのphoto gallery
ググっていろいろ回っていたら、いろんなconsciousness studyの人たちの写真を撮っているサイトを発見したので確認してみたら、David Chalmersのサイトでした。学会のポスター会場風景とかいろいろある。Weisskrantzの顔とかはじめて知りましたよ。ツーソンのポスターはみんなカラフルですな。ちょっと文化圏が違っていてビビりつつもあこがれるのだけれど、そのうちチャレンジ、ということで。ほんと、英語できないとつらいですよ。
これを機に、David Chalmersのブログ"fragments of consciousness"もRSSリーダに登録。
2006年08月13日
■ 神経科学は無事に終わりました
ごぶさたしてます。元気にやってます。レコーディングがやっと軌道に乗ったところ。
神経科学の方は無事に終わりました。初の座長経験も、時間が余って無理矢理質問をひねり出してみたり、かといえば時間がないので早めに次行こうとしたときに限ってNewsomeが質問してたりとか。
諸先輩および同年代の研究者と飲んで、みんな頭いいなあと感激しつつ深酒。
京都へのラーメンツアー的観点では、背脂好きとして銀閣寺口の「ますたに」を選択。良かったけど、辛味噌はあまり好きでない。だからはじめの方は良かったけど、スープが混ざったらあまり良くなくなってしまった。あと、京都駅を出る前にちょっと歩いて「新福菜館」へ。ここは好き。食べてるとだんだん飽きてしてしまうのだけれど、それは空腹でないのに行ったせいだと思う。一見びっくりするスープの色とか、豚の味とか、常滑の「八百善」を思い起こさせます。「八百善」はでかい角煮というプラス要素があるので、こっちのほうが好きかも。
2006年07月24日
■ クロールの最新理論
学会も終わって一息ついて。
以前コピーだけしていた岩波の「科学」2004年6月号の「手のひらの推進力と身体の抵抗からみた最速の泳法 イアン・ソープのスピードの謎を解く」をすこし読んでみました。スッポン泳法、おお、おもしろい。著者のサイトからこの論文およびScienceのNews focusで紹介されたときのpdfファイルが入手できます。科学大好き土よう塾に簡単な説明がありました。
私は中高と競泳をやっておりまして(今年の水泳資格表で見ると18歳で6級程度)、大学のときにはOBとしてコーチをしていたので、クロールの泳法の理論については興味があったのですが、ここしばらくご無沙汰になっておりました。
というわけで最近の情勢をすこし調べてみました。
わたしのころはカウンシルマンの教えで、S字プルというのが重要なんだ、という話があって、さらにE.W. マグリシオが「スイミング・ファースター」を出版して、流体力学を元にして、抗力(水中を進む向きに押す力)だけではなくて、揚力(水中を進む向きに垂直にかかる力)を考慮して二つの力のベクトル和で推進力を考える、みたいな図が話が出てて、難しいなあと思いながら読んでいたのです。
わたしがフォローできているのはこのへんまでですが、そのあと、E.W. マグリシオの本はアップデートされて、「スイミング・イーブン・ファースター」になってさらに"Swimming Fastest"(まだ邦訳出版されてない)になっているらしい。
近年はS字プルがいちばんいいわけではない、というのがトピックのようで、上記のスッポン泳法も腕を入れたところで手を伸ばすのではなくて、すぐに肘を立てることで、揚力よりは抗力を優先させて泳ぐという話です。
今回はじめて知ったのは「2軸泳法」という概念で(Swim No.12や「クロール革命」など)で、これもこれまでのS字プル+体のローリングという考えにとらわれない発想です。スッポン泳法とともにイアン・ソープはこのやり方をやってる、というのが売りです。
それから、total immersion swimmmingというのはもっと普通の人向けに一掻きを大きくしてよく伸びる泳法を提唱しているもので、わたしの泳法に近いので親和性を感じます。ここは日本の支部もあって、短いムービーがダウンロードできます。このサイトでは2軸泳法との関連をコメントしているところがあります。
いろいろ見てみましたが、もともとの、流体力学の抗力と揚力(さらに水の抵抗)を考慮した上での最適化、というのがどのくらいアカデミックにやられているか、ということに興味がわいてきました。
The Coaches Information Serviceというところにはいくつか詳しい記事があって、"Propulsion in Swimming"とか、Total Immersion Strategies - A Closer Lookとか読みたいものも見つけてきました。おもしろい。
おもしろいけど、ま、泳ぎながら考えることにします。
2006年07月18日
■ 娘との会話
神経科学大会の準備で家でパソコン打ちながら娘の相手したり。
娘:パパさー、昨日かおとといかずっと前でいちばん楽しかったことってなーに。
父:そうだなー、水泳でいちばん速い記録出したときかなー。
娘:それはいちばんうれしかったことでしょ。いちばん楽しかったこと。
父:そうだなー、友達とみんなで花火やったことかなー。
娘:XXちゃんはねー、コチラちゃんのところに行ったこと。
父:これからまだまだたくさん楽しいことがあるよ。
娘:ね。
という会話をしました。
ずっと忘れてたけど、鎌倉の海沿いの公園で酒飲んで花火して、酔っぱらった勢いで公園を全力疾走した(なんでだっけ?)夜のことを思い出した。あれが人生でいちばんだったかどうかはわからないけど、バカバカしく楽しい夜だったのを思い出してすこし追体験してみました。
(注:コチラちゃん:鈴鹿サーキット付属の遊園地のこと)
2006年07月06日
■ にせタグクラウド作ってみました
Movable type 3.3出ましたね。バグ修正とかが落ち着くのを待ってから移行したいと思います。やりたいことはいろいろあって、PHP化して再構築を軽くしたりとか。タグ付けも使ってみようかと思います。もっとも、pluginでやるのかmovable type純正のものでやるのか考えたほうが良さそうですが。
んで、どうやってタグ付ければいいかなのだけれど、Connotea使ったときの経験からすると、めんどうくさい。もう、思いっきりステロタイプなかんじになるように、あらかじめ候補をだいたい決めておいた方がよいかと考えました(かなりカテゴリー分けと発想が同じになりそうだけれど)。そういうわけでそもそもうちのサイトにはどういうキーワードで検索に来ているかをこれまでのデータ全部を使って調べてみて、それらをタグの候補としてしまえばよいわけです。
というわけで100回以上検索のあったキーワードについてタグクラウドっぽく表示してみました。大きいやつほどたくさん検索されてる。リンクはその言葉でうちのサイトをgoogle検索した結果、つまり"keyword1|keyword2 site:pooneil.sakura.ne.jp"の結果です。同義のキーワード(神経経済学とneuroeconomics)とかは同じものとしてカウントしております。あんまり一般的すぎる言葉は抜いてあります。
- ミラーニューロン317
- 背側視覚路120
- 科学論文223
- 記憶 | memory798
- ニューロン | neuron321
- エピソード記憶 | episodic memory142
- matlab446
- 神経 | neural203
- 脳科学420
- ホムンクルス127
- 脳 | brain1557
- アフォーダンス155
- 内部モデル163
- 半側空間無視 | hemineglect140
- 遠心性コピー127
- 科学 | science163
- 宣言的記憶116
- 海馬 | hippocampus226
- 側頭葉 | temporal152
- 心理学139
- ROC曲線104
- 神経経済学 | neuroeconomics576
- 頭頂葉 | parietal113
- サッケード | saccade178
- ペンフィールド | Penfield172
- 神経科学 | neuroscience220
- 記憶障害131
- スパイク | spike134
- 視覚 | visual324
- 哲学247
- 皮質 | cortex231
- nature136
- あくび102
- 信号検出理論 | signal detection theory187
- 論文 | paper845
- 逆相関法 | reverse correlation105
- 一次運動野252
- オートポイエーシス164
- 症例H.M112
- タルヴィング | Tulving137
- クオリア283
- fMRI | MRI257
結果はだいたい予測通りで、現在のカテゴリー分けとそんなにずれていないことがわかります。
そういうわけで、Movable typeをupdateしたらこういうかんじでタグクラウドを作って、タグによるリストへリンクできるようにしてやろう、というわけです。
2006年06月18日
■ Firefoxでもtextareaをエディタで開けるんだ
以前Slepnirを使っていたときはInternet Exploerer用でtextareaをエディタで開けるようにするソフトがあって重宝していたのですが、Firefoxに移ったらそれがなくて不便でした。
でもじつはFirefoxのプラグインの中にそういうものが前から存在しているのを発見。
mozex 1.93
via Going My Way: Hotkeyを利用してTextareaを外部エディターで開くFirefox用エクステンション Mozex 1.93
エントリ作ったり、コメント書いたりするときにこれさえあれば忘れずにローカルに原稿を保存できるので超重要。
設定画面がなんかへんだったりするのだけれど、とりあえず使いはじめてます。
2006年06月09日
■ そうして、このごろ0609
研究会の発表が済みました。たくさん質問してもらえたので興味を持っていただけた様子。つっこみどころもいろいろあるわけだけど。予告編と称して、電気生理のデータ無理矢理つっこんでみたり。来月の神経科学学会で電気生理データ追加します宣言をして退路を断ってみたり。
んで、ほっと一息。
ビール飲んで、J-Total Musicとか見ながらギター弾いていろいろ歌いました。赤ん坊がギターにさわろうとするのを足でガードしながら。にこにこしてるけど。
山_崎ま_さよしが紅白で歌ったらしいやつとかやってみて、泣きのツボが刺激された。なんつうか、鍵っぽい、っていうかONEっぽいですよ、あれ。しかもあの、もしも奇跡が起こるなら、君に会いたい、ではなくて、いますぐ(奇跡を)君に見せたい、なのな。大泣き。横で息子が宿題やってるけど。(酔っぱらってます。)
2006年05月01日
■ VMware Player上でLinux動かすのは簡単でおもしろいですね。
(ことわり書き: わたしのように生物系で、UNIXとか知らない人向けのエントリです。詳しい人は笑ってスルーでお願いします。ややこしいところぜんぶ飛ばしてますし。もしもっと簡単なやり方がありましたら教えてください。とくに、Debian系でなくてRedHat系で同等かより簡単なやり方があるといいのですが。)
このあいだ必要に駆られてMandriva Linuxをインストールしてみたのですが、必要なプログラムが動いて、なんとか仕事になったので、もうすこし勉強してスキルを上げておこうと思いました。その時点での私自身のスキルはほぼ未経験者レベルです。(Linuxはインストールしたことがあるが日常的に使ったことがない、shellはDOSからの類推でしか使えない、sudo知らなくて、ルート権限の必要なファイルを編集できない、emacsのキーバインドわからない、RPMやAPTでソフトをインストールしたこともなければ、ソースからのコンパイルなどしたこともない。)
これまでにKnoppix 4.0をDVDに焼いてから起動させるというのはやったことがあって、これは簡単、Windowsにはまったく影響を及ぼさずにCD/DVDからLinuxが起動します。ネットワークもUSBメモリも全部おまかせで認識してくれます。
おつぎはいろいろ設定いじってみたり、ソフトをインストールしてみたりしたいところで、Knoppixで設定をUSBメモリに書き出すというのもひとつだけれど、昨年の秋に出た仮想化ソフトVMwareのフリー版、VMware Playerを使ってみることに。Windows上のソフトのひとつとしてLinuxが起動します。
使いかたなどはネット上にいろいろあるのですが、とにかくwindow上でLinuxを動かしていろいろいじってみるのにいまのところ一番楽なのは、Ubuntu 5.10を日本語化したものを使うことではないでしょうか。
使いかた:
- VMware Playerをwindowsにインストールする。
- Ubuntu Japanese TeamのダウンロードページからUnofficial Ubuntu 5.10 Japanese VMWare Image (ubuntu-ja-5.10-vmware-i386-20051129.zip)をダウンロードして解凍。
- 解凍してできたUbuntu-Breezyの中のUbuntu-Breezy.vmxをダブルクリックするとVMware Player上でUbuntu5.10が立ち上がる。
- 日本語も使えるし、ネットにもつながる。フォントもきれい。
- いろいろ使ってみる。システム-システム設定-synapticパッケージマネージャーでいろいろソフトを入れてみる。画面解像度を変えるためにxorg.confとか設定をいじってみる。ネットにあるソースファイルをコンパイルしてみたりする。
- なんかぐちゃぐちゃになってくる。再起動してもX-windowsが立ち上がらなくなったり。
- Ubuntu-Breezyのフォルダを捨てて2から再スタート。
- 飽きるまで2-7を繰り返す。
使わないときはVMware playerを終了させてしまえばWindowsにはなんの影響もあたえないので気楽。Linuxのディレクトリ構造を知ったり、shell動かしてみたり、設定ファイルいじったりとかそういうのを勉強するにはこの1-8がいちばん早そう。
わたし自身はMandiriva LinuxのisoファイルをVMware Player上にインストールしてネットワークの設定いじってみたり、Browser Appliance(中身は、日本語化されていないUbuntu5.10)を日本語化してみたりとか寄り道してみたけど、動き出すまでの労力が最小なのがいちばんでしょう。もはやLive CD/DVDよりも、BIOSいじったりCD焼いたりする手間が省ける分、楽かも。
VMware toolsがUbuntuにインストールされているのでWindowsとLinuxのあいだでテキストのコピペが出来るとか、インストールの作業が不要なのでvmxファイルを編集しなくてよいとか、そういう意味でも楽ちん。しかもタダ。2-7のループを回らずに5のphaseに留まれるようになってきたので、そろそろ関係を逆にして、Linux上のVMware PlayerにWindowsをインストールすることを思案中です。
......というエントリを嬉々としてUbuntu on VMware Playerから作りましたよ、という話でした。
2006年04月12日
■ なんかすげー好き。
空中キャンプ2006-04-11
内容自体に立ち入る気は全くないけど、さいごのくだりとかなんかすげー好き。
2006年04月11日
■ Whirlpoolが出ねー(ついにデター)
20060316からつづき。Whirlpool by Chapterhouseが出るっつーから待ってるのに、3/20発売予定が3/27になって、4/3になって、4/10になって、今日見たら4/17になってる。フンガー(ジャイアンっぽく)。予約するつもりだったけど止めた。岡崎のタワーレコードまで届くのは遠そうだけど、忘れた頃に見つけて感激するという態度で臨もうと思ってます。
追記:4/20に見たら4/24に変更してた。なんか待ってるのがばかばかしくなってきたけど、こういうのってよくあることなの?
追記:4/23に見たらまだ4/24になっている。はたして延期はまた続くかどうか。このサイトは"Whirlpool"が出るまで発売日の延期を追い続けることにします(大マジ)。
追記:4/24に見たら、「発送可能時期:通常8~12日以内に発送します。」となってるんだけれど、ほんとうに出たんだろうか。
追記:5/5に見たら、「通常24時間以内に発送します。」になっていた。"Die,Die,Die"が入ってないことが判明。岡崎タワーレコード見にいっても売ってなかった。ということであきらめて、アマゾンで注文しました。
追記:5/7到着。すげーうれしい。速攻聞く。もっとくぐもったイメージがあったけど、けっこうシャキッとしてる。記憶は当てにならないな。Sleeve note付き。歌詞カードも"Lyrics appear courtesy of Chapterhouse"で入ってる。"Breather"こんな歌詞だったのか。私が気に入っていたラスト曲は"in my arms"であることが判明。ということで"Die Die Die"は聞いたことがないらしい。ぜひ予定されているようにweb上に出てくれるといいのだけれど。
■ セルフアーカイビング
ネイチャー・パブリッシング・グループはセルフアーカイビングに関して新しい方針を採用しました
via これからホームページをつくる研究者のために
via 教科書には載らない「研究者の個人ホームページの歴史」年表
気付いてなかったんで、メモメモ。このへん、自分の論文をpdfで公開できるようにする、というあたりとの絡みでもう少し知っておきたいのだけれど。
2006年04月07日
■ Mandriva Linuxインストールしてます
元気にやってます。とりあえずニューロンは記録できましたが、除去しきれない非定常なノイズがあって、それの原因が判明して、でも除去できてない、という状況。
平行して、海外の共同研究者との作業の準備に追われてます。Linuxをインストールしなくちゃいけないんだけれど、向こうの指定がMandriva Linux(かつてのMandrake)だったもんで、日本語の資料が少なくて手間取りました。Mandriva Linuxじたいは非常に初心者に優しいソフトで、インストール時にwindowsの空き領域にパーティションを切るのを自動でやってくれます。LILOをどこに入れるかとか、PartitionMagicでスワップ領域にどのくらいとるかとか、ちょっと思案していたんだけれど、なんも考えずにお任せでいけました。MandrivaはRedHatのほうの流れをくむのでインストールはrpmで、ソフトウェアの依存関係とかはツールがいろいろやってくれるので助かります。ともあれ、ここ最近ほかの環境を試してるわけではないんで、優劣の比較は私には出来ません。
10年くらい前のLinuxブームにSlackWareをPCに入れて、でも特にやりたいことがないことに気づいて消した経験有り。数年前にFedora Core2をノートPCに入れたときは、KDEが重くてまだデスクトップ用途に使うには無理かなと思いました。しかし、PCも変わったし、もうそろそろいけるかもしんない。OpenOfficeとFirefoxとThunderbirdとRさえあればなんとかなるし。今回もMandrivaを入れる前にハードウェアの認識がうまくいくかテストする目的で、Knoppix4.0のDVDで立ち上げてみたんだけれど、Live DVDでもけっこうちゃんと動きますね。とくに設定しなくてもインターネットにつながるし、素晴らしすぎます。
それでもMandrivaのインストールの方は、グラフィックボードの設定に失敗して画面が真っ暗になることを繰り返して、けっきょく3回くらいインストールし直しを。いちおう、Xを立ち上げなくても、Mandriva特有の設定ツールを動かせるのでそこからいろいろやったんだけれどもダメ。グラフィック系の設定はうまくいかないとそもそも画面が真っ暗でなにも出来なくなるので恐ろしいっす。
こんな調子でいろいろやってます。
2006年03月31日
■ ギリギリでやってまーす
なんとかノイズ取りが完了か。eye coilのノイズ除去用に年末に作ったアクティブフィルタをひさびさにテストしてみたら変な発振がまざっててかなり焦る。これではぜんぜん使い物にならない。フィルタ壊したか、と福本漫画みたいにぐにゃりときたが、いろいろとっかえひっかえ試して、けっきょく電源が悪いことが判明。電源取り替えたらなんとかなった。
グラフィックカード入れてLinuxをインストールしようとしたら、オンボードのi845をdisableにできない。デュアルディスプレーになってしまう。そんなことしたいわけではないのに。BIOSではオンボードと追加したものとどちらをprimaryにするかの選択しかできない。DellのやつもPROSIDEのやつもだめ。どうなってるんだ。Web検索してもわからん。ピーンチ。ビデオチップ引っこ抜きたくなってきた。刺したカードの方をprimaryにすると起動の途中で最初に戻ってまたLILOの選択画面になったりとか、もういや。
こんな感じでいつも通りギリギリでやってます。体に悪い。
2006年03月29日
■ 元気です。
よしだたくろうじゃないです(ご挨拶2)。
ぜんぜん更新する余裕がありません。
ぜんぜん更新してないのに、来訪者が減りません。どうなってるんでしょ。つうかすみません。
こないだの日大での研究会は良かったです。なんか書いときたい。
あと、ずいぶん前の話だけれど、英語のリスニングの題材探してStanford on iTunesでNewsomeの"Perception, Decisions, and Reward: Toward a Neurobiology of Decision Making"を見つけたたので聞いてみたら、大脳皮質の構造とか、Hubel and WieselのV1のカラムの話とかかなり基本的なところから始まって、random dotのperceptual decisionの話まで、という感じでした。それはいいんだけれど、音がひどい。たぶん録音したそのまんま。ファイルは120分あるけどトーク自体は74分で終了して、あとは無音だったり。音量のレベルも低いままだし。マイクの位置が変わったりしたのを補正しろとまでは言わないけれども、コンプレッサーとかリミッターとかかけて聞こえるレベルにしないと、というわけで自分でmp4を編集して(audacityも使ってたけど、今回はsonarで)、ついでにogg vorbisに変換してiRiverで聞いてます。
そしたらjapan.linux.comで関連する記事が:「Audacityを用いたポッドキャスト用のマスタリング処理」。やっぱり、おなじような問題に直面している人はほかにもいるんでしょう。説明が詳しいので、こんど編集するときはこれ読んでやってみるつもりです。音さえ良ければ不要なんですけどね。IT conversationはそういう問題はないですが、NerdTVはけっこう音悪いなあと思います。
2006年03月20日
■ ループとXMLと私?
なんか、素朴なこと書いてみるけど、
matlabとかでifとかforとかのループを書くときに、 ifとendとの対応がわからなくならないように endのほうにもif文をコメントで書いたりすることがあります。 (Cとかだったら{}の対応ですな。)
if (xxx) if (yyy) z(i,j)=function(i,j); end % if (yyy) end % if (xxx)
これってなんか、HTMlタグだなあ、と思うんです。 ループタグ。
<loop if(xxx)> <loop if(yyy)> z(i,j)=function(i,j); </loop if(yyy)> </loop if(xxx)>
そうすると、XMLみたいにとらえられる。
XMLでは objectとして入れうる情報の置き場所が タグに挟まれているところと、 タグの中の特定子href=""とかid=""みたいな のとがあって錯綜しているのだけれど、 たぶんぜんぶ特定子から外に出すか中に入れるか どっちかにそろえることが出来る。 たとえば
<a href="http://xxx">とあるサイト</a>
とは
<a referするhttp="http://xxx" referをつけるobject="とあるサイト"></a>
とか
<a> <referするhttp>"http://xxx"<referするhttp> <referをつけるobject>"とあるサイト"<referをつけるobject> </a>
ということなのだろうし。 ただ、入れ子状になっていると簡単ではないけれど。 タグに挟まれているものは引数で、 タグ自体としてなんかの返り値を作る。 タグの中にタグがあるときは、 入れ子になってるタグでの返り値が得られないと 外側のタグに必要な引数が確定しない。 そういう意味では、 入れ子状に内側のタグで処理されうるものに関しては、 特定子として指定はできないからタグで挟み、 入れ子状に内側のタグで処理されえないものに関しては、 特定子として指定する、ってことか。
タグに挟まれたオブジェクトに特定子で属性を与える、 とも言えそうだけれど、 オブジェクトと属性の関係は 階層的かつ逆転があり得るようになってるようだ。
あと、こうやって考えると、 データベースの形にも変形できる。つまり、
[if(xxx) ~if(xxx)] * [if(yyy) ~if(yyy)]
の2*2のテーブルの四つあるセルの中の一つに
z(i,j)=function(i,j);っていうオブジェクトが入るということ。
なんかこうすると、 プログラムってのは その場で作ったオブジェクトを使って データベースにどんどん新しい次元を作りながら またオブジェクトを作る、 ということを繰り返している、 っていうイメージがわいてくる。
なんかわかんないんだけれど、 データベースの表現として、 RDBみたいにやるのと XMLみたいにやるのとがある、みたいなのを 思い出したらなんかこんなことをぼんやり思った。
アルゴリズムとかやってる人ってのは こういうことをいろいろ考えているんだろうか。
……っつうか、こういうのがチューリングマシンってことか。 わからん。
あとで「こんなLLはXXだ」の「記法がXMLだ」を発見しました。
2006年03月17日
■ 大阪へやってきた
友部正人じゃないです(ご挨拶)。
先週の月曜日に大阪に出張する用事があったので、前日から大阪入りしてレコード屋巡りをすることに。前回の栄、大須巡りの続編みたいな感じで。(ところで前回栄を探しても見つからなかったのはMUSTANG RECORDSであることが判明。しかも現在は通販専門に。ショック! ここで以前私はAmon Düül Iの2nd "Collapsing"とかを買ったのでした。)
なんか大阪で西新宿みたいなところはないのかなと思って調べたのだけれど、よくわからない。キタとミナミのどちらにするか思案して、とりあえず心斎橋アメリカ村あたりに向かってみました。キングコングのstones店とかパルコの上のやつとか回ってみたけど、やっぱりサイケ・プログレ方面が充実しているところが見つからない。Time bombはサイケコーナーはあったけれど、ほしいものがない。あきらめそうになったけど、マルカバツ、ここはいいところでした。Boredomsとか思い出波止場とかそれ関連のコーナーもあったし、90年代前半のギターバンド関連の棚もあったりして、Boo RadleysのEP("Boo! Forever EP"と"Adrenalin EP")をここで二つ買いました。
そのあとタワーレコードへ。羅針盤の「ソングライン」が良かったので「はじまり」を。以前から気になっていたGuitarの"Sunkissed"(「マイブラを継承」みたいな)が大フィーチャーされてたので視聴してみたのだけれど、私にはちょっと音がきれいすぎたのでパス。あとは深追いせずに、でこれまで聞いたことあるやつをCDで買い直す、という後ろ向きな選択に。Gongの"You"(紙ジャケット仕様)、Trafficの"John Barleycorn must die"。なんばのForever Recordsの一階でTodd Rundgrenの"Runt - The Ballad of Todd Rundgren"とPosiesの"Frosting on the Beater"。SOUND PAK なんさん店は覗いただけだけど、なんか数寄屋橋のハンターを彷彿させる感じがあって好き。
そんな休日でした。
2006年03月16日
■ 近況報告アンドChapterhouse復刻
お久しぶりです。3/3以来新しいエントリ書いてませんでした。貯めたの貼ってただけ。Alva Noë関連はなんか書いておこうと思うのですが、身動きできません。しかもどんどん忙しくなってきた。ぶっ壊れかけてます。vikingさんもとりあげていたような、change blindness関連からアプローチするのが良さそうですが。
なんか2月くらいから、エントリの更新とも相関せずにvisit数が増えてます。平日は1000越えてる。ちょっと異様すぎます。いっぽうで、あいかわらずpagerankは2だし。原因究明中。RSSリーダで読む人増えましたね。トップページ(http://pooneil.sakura.ne.jp/)にアクセスしに来る人とatom0.3を読み込みに来る人(http://pooneil.sakura.ne.jp/atom.xml)との比がhit数にして2:1くらいになってきてます。わたしもFirefox1.5にSageを入れてRSSから読むようになりました。これ便利だけど、更新順にソートしてくれないかな。フレッシュリーダーはブロガーライセンスとか気にはなるけど使ってません。
20050803のエントリで「Chapterhouseのbreather聴きてー」などと叫んでいた私に良き知らせが:
CDJournal.com - ニュース - “シューゲイザーの名盤”チャプターハウス『ワールプール』が復刻!
via くもりめがね060212
もう、感涙。ボーナストラック付き。"Die Die Die"ってたぶんサビが"Die Die Die angel ..."ってやつのことですよね。あれはよいものです。メロディーがいい名曲とかそういうものではないけれど。そもそもこの1stの曲ってみんなそんなだし。("in my arms"と勘違いしてました。)
ところでシューゲイザーならやっぱり曲のタイトルはワンワード、ですな。"Breather", "Mesmerized", "Paralyzed", "Taste", "Nowhere", "Seagull", "Soon"。しかもなんか独特な、詩語みたいな、選択を感じます。手元の辞書で"problem", "place", "fight"とかみてもあんまりらしくない。あ、"empty"とかはすこし使えるかも。
そんでもって、なんかこの独特のワンワード、というのは「歌詞が聞き取れないようにギターの音に埋没させるようにして歌う」ってのとたぶん態度として通じているもんなのだと思う。わたしはその種の含羞をすくなくとも一回は通り過ぎているものを求めているんだろうなあ。ついでだけど「スロウ」「リライト」「ハルジオン」なんてタイトルにも私はシューゲイザー的メンタリティを感じます。
こういう日記的な書き方するとつい最後にSo what?と付け足したくなってしまうのだけれど、それはそれ。(「それはそれ」って英語訳できないよね!)
2006年03月09日
■ 雑記らしい雑記を。
なんだかな、と思う瞬間。
コンビニで、レミ_オロ_メン聴きながら、ホー_リーラ_ンド立ち読みしている37歳のオレ。
はてなで、非_モ_テとかサーク_ルク_ラッシ_ャーとかそういうネタ読んでた37歳のオレ。
言い方を変えただけだからダメだ、ということはない。
それによって何かが生まれるかもしれないから。
ぎゃくに、言い方を変えただけで、何か新しいことを言ったとは認められない。
娘が「あいたかったー、あいたかったー」って歌ってるのを聞いて、なんだっけそれ、と思ってたらスピッツの「夏の魔物」であることに気づく。いや、カーステレオで流して教え込んだんだけれども。息子は「プール」が好き。
レッテル付け(それはXXだ)にはんたいするため、
すべてのXXにはよいXXとわるいXXがあるのだ、
という言い方を徹底する。
食卓にはじめて出てきた「ちくわぶ」を指さして、見たことないでしょ?って娘に聞いたら、えー、ハー_ドゲ_イ(*)で見たよ、と言う。なんだかわからない。なんだかわからないけれども、愛する妻と顔を見合わせて笑ったら、娘が怒った。
2006年03月03日
■ 熱出して休んでました。
熱出して休んでました。二晩続けて40度台到達。人生初。
「ニューロインフォマティクス:IT時代の脳科学展開」もドタキャンしてしまいました。
ニールヤングの"Cowgirl in the sand"は高熱のときに出来たという逸話を聞くけど、そういう、ケクレのベンゼン環の構造みたいないいこともなく。ただなんか頭の中を同じことがぐるぐる回ってて(心像に浮かぶ一点からそれを囲む点へとなんか電撃みたいのが流れているのが消えないように中心の点の位置のバランスを取ろうとして、って書いてみてもさっぱり意味がわからん)、疲れ果てました。
なんか脳細胞すごい壊れたっぽい。いまもまだなんか視野が狭い感じ。
というわけで今週はおとなしくしてます。
2006年02月25日
■ 「ニューロインフォマティクス:IT時代の脳科学展開」
こんどの月曜に「ニューロインフォマティクス:IT時代の脳科学展開」に行ってきます。
私自身はこの件については、どうやって草の根レベルでいろんな情報を集めて、継続的に運用してゆけるか、という点に興味があります。つまりハコモノ行政的にとりあえずサイト作りましたよ、ではなくて、データを提供する人もデータを使用する人もいる状態を続けられるか、ということです。これはなかなか難しい。Web1.0的発想で言うなら、ポータルサイトとなるものを作りましょう、みたいな話になるでしょうが、それではデータを提供する経路ができない。だから、Web2.0的発想でXOOPSとかを使ったコミュニティーサイトを作るとか、Wikiを立ち上げましょう、とかそういう話になるわけです。
しかしそういった、読みに来る人がデータを提供する人になる、という形に持って行けるかどうかはなかなか難しい。上からのコントロールだけではだめで、そういう「生きた」システムが創発するのを待たなければならない、という面があるわけですから。たとえばさいきん、「成功するWikiの条件」という話題が出ていました:
Wikiが成功する条件としていくつか挙げられていますが、いま話していることと関連することとしては、
- ある程度利用者が見込める(すでにコミュニティがある程度形成されている)
- スタートしてすぐにまとまったコンテンツがある(すぐに利用できる)
- 書き込みの敷居が低い(管理人以外にもアクティブなメンバーがコンテンツ作成をしている)
というあたりがひっかかってくるでしょう。ま、もちろん同一視できるわけでもありません。どのくらいオープンにするか、ということでもあります。でも、興味ありそうな人たちのあいだでデータをやりとりする、という感じだったら、これまでのメール中心のコミュニケーションとあまり変わらないわけで、そういうのよりはもっとオープンにしてゆくものと私は想定してます。ともあれ、あらかじめこのくらいのことは考えておきました、ということです。
わたしじしん、こうやってブログをやりながら同様な問題意識を抱いております(というか、上の文章は自分の持つ問題意識に引き寄せて書いた、というほうが正確ですな)。日々リソースを蓄積しているつもりだし、濃い書き込みをしてくださる方がいることがさらなるリソースの蓄積とコミュニティの形成につながっている、という思っています。そしてさらに、おなじように情報発信をするサイトに書き込みしたり、トラックバックしたりすることでそのコミュニティーが拡大し、より継続的なものとなってゆくのではないかと。そういうわけで、このサイトが日記というよりは、(かなり偏った)情報サイト的な側面をもつようにしているのは、私がそのように方向性をしぼっているからです。しかしあまり堅い話題ばかりでも敬遠されるし、すでに書き込みの敷居が上がってきてしまっているな、と気になっているところなのですが。ま、あんままぜこぜにして話してもしょうがない。このくらいにて。
2006年02月24日
■ 沈没大作戦ゲーム
家族で沈没大作戦ゲーム。娘も参加できるところがよいです。トランプとかオセロとかはまだ無理なのでいつも応援役だったから。
みんな性格がよく出る。息子は私にそっくりで、策に凝るわりにあまりうまくない。愛する妻は強引な回し方で落ちるべき玉が落ちない。そんなのありか? 娘は自分の玉そっちのけでママの玉をゴールさせて喜んでいるけどなぜか私より先に上がった。赤ん坊がすごい勢いではいはいして玉に手を伸ばそうとする。
予想外の玉を落としてしまったり、自分の玉がどんどん自分の陣地から離れていったりとコントロールの効かないところがあったりするところもよいです。
んで、結果発表-- 1位: 妻 2位: 娘 3位: 私 4位: 息子。意外に実力伯仲していて楽しめました。こういうのもまたよし。
そういえば、二人対戦で戦艦を沈没させるゲームってのもあったなあ、テレビで宣伝してたけどみんな紙に書いてやってたやつ、そろそろ息子と出来るんではないだろうか、とか思ってググってみたら、ああ、TAKARAの製品でレーダー作戦ゲームという名だったのですね。ここにも記載あり。ノートに桝目を書き、ってのはこちらにもありました。みんなおなじことしてたんですね。
2006年02月13日
■ 神経科学学会要旨の提出終了
ぎりぎりまでねばって、まだ不十分なところもあるのだけれど時間切れ……と思ったら締め切り延長してるし! どうしよう、まだまだねばるか。
2006年02月09日
■ ScienceDirectって使い勝手悪いっすよね
今に始まった話じゃないのですが。Vision ResearchとかNeuronとかTINSとか、とにかくScienceDirectでfulltext開いて、referenceからScienceDirectで扱っている以外の雑誌に行こうとするとめんどい。Referenceのリンクは、publisherのサイトのabstractのページかfulltextのページに行くか選択できるようにしておいて、publisherのサイトがないときはEntrez PubMedのabstractのページに行けるようにしてほしいのですよ、こちらは(JNSとかJNPみたいに)。
しかし、ScienceDirectはそんなことしてくれない。まず、referenceのところにpublisherのサイトへのリンクがない。しかも、"Abstract-MEDLINE"とか書いてあるリンクをクリックすると、ScienceDirectが取り込んだabstractのページに移動したうえに、やはり、fulltextへのリンクがない。ようするに"Abstract + References in Scopus"とかを経由してSCOPUSへ呼び込みたいらしいんだけれども、SCOPUSも使い勝手悪いし、citationはScienceDirectの雑誌しかないし、"view at publisher's site"はしばしばうまくつながらないし、っつうか一発でpublisherのサイトへ行かせなさいよ。
こういう「囲い込み」思想、っつうのは、もう、完全に排除すべきですよ! Web 2.0らしくないっすよ! リンクの情報だけもっておいて、fulltextにすぐ行ける仕組みを作りなさいよ! そういうのがWeb2.0ですよ! (いま思いついたけれども、"Web2.0"というタームは「うちはWeb2.0だ」とか主張するのに使うのではなくて、「あなたのところはWeb2.0でないね」と非難するのに使う戦略的タームなのではないかという気がしてきました。っつかハイプってそういうものか。)
PMID使わないでDOIを活用しようって言うならそれで徹底すればよいのにそうもなってないし、なに考えてるんでしょうか。
こんなことにぶち切れている私を大切にしてください(急に甘えだした!)。
2006年02月08日
■ テンパってます
わたしの住んでる場所では、夜中に寝台特急が通り過ぎるのが聞こえます。遠すぎてどちらからどちらへ向かうのかわからないくらい。
こういうのがよく聞こえるときと、ぜんぜん気づかないときがある。
このあいだは、あつい雨雲の切れ間から夕焼けが見えていて、それを見みながらなだらかな坂を下って帰りました。
さらにこの前は、三日月が細すぎて、月の影の部分が新月のようにぼんやりと光っていたのを見ました。「ギリギリの三日月もボクを見てる」って聞いてもピンとこなかったけど、なんのことだかやっとわかった。
ずっと前に、夏の明け方に、貨物列車がずっと遠くから、ものすごくゆっくりと通り過ぎる音がするのを聞いたのを思い出して、耳を澄ましたら冷蔵庫がジージーいうのが聞こえた。
2006年02月03日
■ Movable typeテンプレートいじりました
カテゴリ名が長すぎてエントリのタイトルが読みにくくなってきたので、各エントリの右上にboxを作ってそこに入れました。固定リンクはtDiary方式でタイトルの前の四角から行けるようにしていたのだけれど、これもわかりにくそうなので同じboxへ。小粋空間のデザインを参考にしました。……現状のtemplateだと、タイトルよりも先にこのboxがくるようになっているので、アンテナとかで見るとエントリのタイトルの前にカテゴリが来てしまって読みにくい。うーむ、CSSでちと策を弄してこれを避けるようにしたほうがよさそうです。
あと、印刷用のCSSを導入しました。うちのサイトは、字が多くてスクリーン上で読むにはあまり適していないので、印刷することもあるのではないかと。そうすると現状ではサイドバーやらいらんものが入ってページ数が多くなってしまってよくない。というわけで、print-site.cssを作成。CROSSBREEDのエントリを参考に。印刷プレビューをしてもらえるとわかりますが、印刷時はヘッダ、フッタ、サイドバーや上記のboxが消えます。カテゴリ別過去ログなど、ある話題をまとめて印刷して読むのによいのではないかと思います。不都合などございましたらお知らせください。
ほんとはもっといろいろいじりたいのですが、かんたんにできることからやってます。カテゴリー[雑記]や[Paper]が巨大になっていて、カテゴリー別過去ログを開くと、この巨大なファイルを読み込むのを待たなければならなくなってます。MTpagenateを使っていくつかのページに分割してやればいいのだけれど、サイトをphp化しなければならないので二の足を踏んでます。php化するタイミングでMovable typeのバージョンも上げたいし、ファイル名も統一性のあるものにしたいので、これをやるのはけっこう大工事をするときにしようと考えております。
2006年01月31日
■ FolderShare
さいきんwebで何カ所かで見かけたFolderShare。これを使ったらデータをノートPCに移して持ち運んだりしなくてもよくなるのかも。Firewallも越えられるらしいし。これまではVPNが使えるようにならないとダメかな、と思っていたけれどこれが使えるようならそれで用は足りそう。使えるかどうか聞いてみようっと。
リンク:
2006年01月25日
■ トラックバックURL表示するようになりました。
Movable type関連。20060110でvikingさんからご指摘があった、トラックバックのURLが表示できない件、直しました。どうやら、index.htmのテンプレートと同じものを個別アーカイブのテンプレートに上書きしていた模様。トラックバックの自動送信もエントリを書き直すたびに送信されているようなのでやんなって切ってしまったので、こちらからトラックバックを送ることもしてなかったのですが、いちおう送れるようにエントリの編集画面を設定しました。
それからついでに個別アーカイブや月別過去ログ、カテゴリー別過去ログなどにもサイドバーを付けるようにしました。アクセスログを見ると、index.htmだけでなくて、パーマリンクや過去ログへもけっこうアクセスが来ている様子(googleさまのおかげで)なので、そちらにも案内を付けようというわけです。以前は再構築が重かったので避けておいたのですが、日々のエントリ作成ですべてを再構築しているわけでもないのでよいでしょう。
Movable type 3.2への移行はまだしてません。移行する際についでにphp化してしまおうと思ってローカルでテストしたらなぜかエラーが出たのでそこで止まってます。一回バックアップを取って、もう一度エントリを作り直したいのだけれど、それでURLが変わってしまうので、せっかくならこのへんで一意に名前が決まるようにしたい(日付と時間がファイル名になるように)のだけれど、サイト内でのリンク関係が崩れるので、まだ躊躇してます。それから、データベースのファイルの中身も、あるところはUTF-8であるところはEUC、みたいな気持ち悪い状態になっているのでなんとかしたい。支障はないのだけれど。サイドバーとかの部品のモジュール化とかいろいろしときたいのだけれど、なんかそのへんへの興味が減退してきてるので、Movable typeがもっとメジャーアップデートして安定したくらいに(Movable type 4.1とか出てくるくらい)になってから考えるつもりです。
つーか、もっとシンプルにいかないもんスかねえ。Google baseとかが稼働したら出来るようになるとか? わからん。
# viking
お忙しいところお疲れさまです。こちらの方とTBで話題を共有できるとうれしいですね。
僕のところはスクリプトにWordPress ME(http://wordpress.xwd.jp/)を使っているのですが、色々とカスタマイズが容易にできますのでMovableTypeのバージョンアップと並行して検討されてみてはどうでしょうか?もっともサーバ側のMySQLアカウントが必要になりますが・・・。
はてなダイアリーを使っていたときからすると、エントリ書くのもコメント書くのも処理時間がかかりすぎる、というのがいちばんなんとかしたいことです。Movable typeはいろいろいじるのは可能ですし、MySQLなどのデータベースを使ったblogに特化したCMSであるという点ではWordPressと同じなんですが、新しく開発されたぶん、WordPressの設計が良くなってるのかどうかには興味があります。
なんか機能が多すぎないけど柔軟でかつ軽いプログラムが出てこないかなあ、というわけです。データベースのことをユーザーが意識せずに済むいっぽうで、ユーザーが好き勝手にデータのフィールドを追加していくことができて、必要に応じてデータベースからhtmlなどを生成できるようになる、とか。
そちらのブログはエントリが充実してますね。いつも見てます。
自己レス:上で書いていたことは最近見たRightFields pluginの話とかが混ざっていたことを思い出したのでメモメモ。http://www.staggernation.com/mtplugins/RightFieldsおよびhttp://blog.bulknews.net/mt/archives/001866.html
# vikingすみません、Movable TypeとWordPressの違いをきちんと(いや全く?)理解しておりませんでした。お恥ずかしい・・・。
ということでgoogleで調べてみましたところ、MTからWPに移行したユーザーからは「(MySQLを標準で持っているので)テンプレート等を変更しても再構築の必要がない」のが最大の利点だという声が多いみたいですね。ちなみに、WPにはMTのエントリをそっくりそのままインポートするプラグインが実装されていますので、移行そのものは簡単なようです。
とはいっても、その他のbloggerなら誰しも悩むような問題点はWPといえども簡単に解決できるわけではないですし、特にpooneilさんの場合は7年以上もの大量のログをお持ちですから、慎重に検討された方がいいかもしれませんね。
2006年01月20日
■ 20万visitありがとうございます
おととし12月にsakura.ne.jpに引っ越してきてから累計で20万visitになりました。見に来てくださった方、どうもありがとうございます。前回も書きましたが、この値じたいの意味合いは変わってきてはいるのですが、記念に。
ついでにWebalizerでの統計をグラフに。Weekごとの平均値。以前ほどは更新しなくなっているのですが、継続しているとじんわりと来訪者が増えてくるのが見てとれます。5月の連休、お盆、年末年始にいったん下がるのは予想通りなのですが、このサイトならではだなあと思うのは、昨年の11月、SFNの直前あたりで下がっているところですね。エントリじたいの頻度がその時点で下がったわけではないのです。
こういうデータを手にすると、つい、更新頻度との相関はあるか、その時間遅れはどのくらいか、とかいろいろやってみたくなるけれども、さすがにやり過ぎなので自粛。
2006年01月16日
■ そうして、このごろ
たまには身辺雑記を。
- 日曜はTOEICテストを受けに行きました。このあいだの海外出張とかでも、英語には困りました。ぜんぜんだめ。みじめな気持ちになる。というわけで、英語勉強しないといけないとつねづね思っていたのだけれど、とっかかりをつくるために、自分の現在の実力を見てやろう、というわけ。TOEICを受けるのはこれが初めて。結果は30日以内に返ってくるとのことだけれども、さてどうなることやら。
- 年末年始は恒例のひとりお留守番状態。というわけで宅録でいろいろと。今年はSONAR HOME STUDIO 4を17,000円くらいで購入。これまで持ってたFL studioのflooty loop editionをversion 6にアップデートして、rewireでつないで、ドラムやベースはFL studioで打ち込んで、ギターとボーカルはSONARの方で取り込む。Dm7-Cmaj7-Bm7-A繰り返しまくり(ダイアトニックから外れているところがロック)。シタール専用のVST(syntar.zip)とか見つけて感激。ドノバンっぽいのを目指して作ってみたり。
- あと、年末は劇場版Airのレンタルが始まっていたので見たんだけど……すげえなあ、別ものすぎる。でもこれもまたよし。繰り返し見ることもないだろうけど。
# 慶
はじめまして。
脳科学には興味あって、たまに拝見させてもらってます。
まだまだ理解するには至ってませんが…。
宅録されるんですね。SONARですか。いいですね。
僕はLive4を使ってるんですけど、バンドなんかでMTR代わりに使うにはイマイチなんですよね。そういうのにはやっぱりCUBASEとかSONARのほうがいいんでしょうね。
どうもはじめまして。Live4とくらべてどんなかはわかりませんが、どんなもんなんでしょう。わたしは機材にあまりお金をかけないもんで、このあいだまでは、FL studioのデモ版でバックトラックを作ってwavにexportして、MTR代わりにKRISTAL Audio Engineを使う、という一銭もかからない状態でやってました。
# 慶僕は無駄にお金かけてしまうほうで…(^ ^;
困ったものです…。その割にあんまり活躍してないという…orz
僕もチョット前はフリーウェアを使っていたのですが、ソフトによってはバグで強制終了なんてことが多々あったので、敬遠してたのです。
まあ、Live4をせっかく買ったので、何とか活用してみます。
これからも見に来ますので、頑張ってください。
2006年01月02日
■ A Slight Return
あけましておめでとうございます。実家に数日滞在してます。
本棚にあった、わたしが実家に置いてきた本をいくつか恣意的にピックアップ(いわゆる「見せリスト」)。人となりが垣間見えるはず。
- 別冊宝島いろいろ。「80年代の正体!」とか。
- 岸田秀だったり、浅羽通明だったり、宮台真司だったり、宮崎哲弥だったり、なんかそのへん。
- アメリカの現代の小説。ジョン・アーヴィングとか、ポール・オースターとか、ボビー・アン・メイソンとか。
-
メジャーなSF。「ブラッドミュージック」グレッグ・ベアとか、「幼年期の終わり」とか
FP.K.ディックとか。(修正しました。) - 名作コミック少々。「リバーズ・エッジ」岡崎京子、「青い車」よしもとよしとも、「さくらの唄」安達哲、「デロリンマン」ジョージ秋山、「マカロニほうれん荘」鴨川つばめとか。
- 青春文学っぽいやつ。太宰とか芥川とか橋本治とか高橋源一郎とかブローティガンとかJ.D.サリンジャーとか「デミアン」以降のヘッセとか、なんかそのへん。
- 詩集。吉岡実と中原中也と萩原朔太郎とアルチュール・ランボーとウィリアム・ブレイクとT.S.エリオット。
現在の自分の本棚ではなくって、20代前半まで住んでいた実家の本棚で、しかも実家に残してきた、ってあたりがミソ。
# VFA:揮発性脂肪酸
pooneilさん明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
初めて書き込みをさせていただきます。
pooneilさんがこのようなURLをお持ちだとは知りませんでした。
私は脳研究に携っておりながらまったくの無知ですが、雑記なら参加できると思い、つい書き込みをしてしまいました。今後も宜しくお願い致します。
くれぐれも風邪をお子様にうつさないようにして下さい。
あっ、内臓脂肪が高い人だ(断定口調)。
今年もよろしくお願いします。
ところで、今年のNCMのposter deadlineの通知が来ましたが、どうしますか?
残念!私の内臓脂肪は心配ございません。
pooneilさんもそろそろ心配された方が・・・
NCMのposter deadlineの通知は私のところにまだ届いておりませんよ。
2005年12月28日
■ 忘年会
線条体論文の締めにたどりつけてないけど、年内にはなんとか。
3次会はひさびさにカラオケ。DAMは曲数が多かったので感激して趣味全開で選ぶ。TPOとかなし。すんません。
- 「冬の散歩道」 サイモン アンド ガーファンクル(「冬」ネタしばりということで。ほかの皆さんは「冬の稲妻」だったり、「津軽海峡冬景色」だったり。)
- 「無限グライダー」 アジアンカンフージェネレイション ずっとサビは「無限グライダー 有限 it's my world」って歌ってるのかと思ってたから驚いた。「無限? ゆらいだ 有限 つまりは」だったのか。それとも「はいからはくち」みたいなもん?
- 「歌声よおこれ」 サンボマスター
- 「サーフズ アップ」 ザ ビーチ ボーイズ 一番高いところの声も出たよ!
- 「ストライク」 スネオヘアー
時間があればエレカシの「ガストロンジャー」を歌うつもりだったけどタイムアップ。こんど歌うときまでにレミオロメンの「粉雪」をおぼえておく予定。
2005年11月22日
■ Washington DC関連のメモ
無事帰ってきました。
忘れないうちにメモメモ。あくまで自分のために。
行きのDetroitのcustom最悪。大行列に二人しか役人がいないからそこに並んでたら、だんだん役人が増えて行列が分かれてゆくのだけれども、だれも仕切らない。だから、行列の後ろの方にいる人間はそのままで後から来た人が短い列に並んでさっそと通り過ぎていったりとか、ひとことで言えば、"disorganized"。んなもん、passengerを全部一列に並べて、空いた窓口にどんどん割り振る人間が一人いればいいだけなのに。ダメすぎだが、ダメな状況にさっさと気づいて対処しないと問題が解決しない、このことを忘れない。
町中にスーパーが全然ない。CVS pharmacyしかなくて、21時には閉店する。朝飯食いっぱぐれないようにする。
SFNの会場内はなんでも高い。サンドイッチと飲み物買ってから行かないと金のムダ。
San DiegoだろうがNew Orleansだろうがどの会場でもそうだけれど、シャトルバスは混乱しまくりなので、初日とかは使わない。公共の交通機関利用した方が場合によってはよい。今回はメトロがけっこう使えた。2,3分おきくらいで頻繁にくるところがよい。メトロバスも活用できたら良かったのだけれど今回はそこまでは出来ず。
ホテルはエレベーターの運転手が居るというめちゃ渋いところだったけど、ビジネスマンには全く向かないところだった。やっぱこんどはSFN通さずに自分でネットで探した方がよいかも。
ガザニガのcognitive neuroscienceとか重い本買い込んでスーツケースに詰め込んだら、重くなりすぎてcheck inでよけいな金を取られた。だったら本屋に別に発送してもらえばよかった。
行きのcustomがたいへんだったので、帰りのDetroitで急いだら、なんにも必要なくて、緑の紙をはがされるだけだった。いつまでたってもこのへんわからないのであわてる。
2005年11月16日
■ 16日の昼
Slide発表。ポスとback-to-backにて。プレゼン自体は神経科学学会の時よりはずいぶんマシに出来ました。ほぼ同じ内容だったし、やっぱり繰り返しは重要です。
Larry SnyderとTehovnikが質問してくれました。感謝です。留学中のIさんがセッション後に質問してくれました。ネタはいろいろあるだけに、どのへんに皆さんが興味持ってくれたかが、どのように仕事をまとめるかという点で本当に重要です。
残念ながら観客は激少なかった。ぶっちゃけ泡沫候補。最終日だったりとか、関連するポスターセッションがあってそっちに人が流れた、とかいろいろ言い訳は出来るけれど、まだまだ力不足だったし、宣伝不足だったし、どのセッションにネタを出すかなどに考慮が足りなかったし、と反省材料はいろいろ。メゲずにつぎ行くしかない。
■ 15日の夜
大飲み会。ちょっと遅れて行ったら満席で椅子がありませんでした。参加者は30人越えるくらいでしたでしょうか。いろんな人におめでとうを言ったり、近況を聞いたり、わかった風を語ったりしつつ。
ご隠居に語ったことですが、わたしはconsciousnessの問題をnhpで扱うためにはattentionとdecisionを同時に扱わなければならない、と考えています。だからこのサイトはattentionネタやdecisionネタ(neuroeconomicsもあくまでこの範疇のものとしてわたしは興味を持っております)を扱ってるわけです。認知科学的枠組みの中で扱う限り、その種のreference workが必要だと思うし、まだまだ足んないと思うのです。
であとはオタクネタとかネットネタとか。なんでこんなところでサーク_ルクラッシ_ャーネタとか語ってるんだか。
7時から始まって帰ったら11時。けっこう長居しました。明日のslideの原稿はまだ暗記できてないし。
2005年11月15日
■ 15日の昼
ryasudaさんにポスター会場で会って、takashiさんのポスターがあることを知ったのでそこで話し込んでたら、一緒にお昼を食べよう、ということになりました。ryasudaさんと話すのは今回がはじめてでしたが、ryasudaさんはいい感じに力の抜けた味わいのある方でした。
Ryasudaさんとantaresさんとの立ち話で、rodentでの実験ではなにをやるのが適切だろう、という話になったので、visualよりはolfactoryだろう、という話になって、そういえばEichenbaumのrecognition memory taskを使ったepisodic-like memoryの話とかもolfactoryを使ったものだったですね、とかそういう話をしました。あと、water mazeなりplace cellなりの話がおそらくはvisual inputを元にしているにもかかわらず、visual cortexからの入力で海馬の応答が形成される、という形になっていないことにnhpでの研究者としての違和感を表明したり。しかしながら一方で、rodentのV1の応答を記録してニューロンを分類しているBulkhalter(綴り自信なし)のような人もいるが、それはかなり道としては遠そうだなあとか。
takashiさんも相変わらず。今後どうやっていくつもりですか、という問いにその場ではきっちり答えることが出来なかったけれど、わたしはニューロンおよび局所回路のレベルに主に注目して、consciousnessの「現象」的側面から離れないようなかたちで明らかにしていく、というスタンスでそのつど出来るベストのことをやっていきたい、というかんじで考えてます。いや、こんなんでは足が地に着いてない感じがしてダサいのだけれど。
■ iRiverとわたし
なんか頭の中を"moon in June"が流れまくるので、iRiverで大きい音にして流しながら街を歩きました。あれはRobert Wyatt(イギリス人)がニューヨークでイギリスを懐かしむ、という歌であるということをかすかに思い出しつつ。
地下鉄ではいちばんミスマッチなものを、ということでなんか萌え系、みたいな。ゴツいおっさんらに囲まれて。
急に思い出したのが、松代に行くときの車での会話。これから日本で日本のとくいな点でやっていくとしたらなんだろうか、ということでロボティクスと萌えだ、と主張したのだけれどだれも食いついてくれない。しょうがなく後輩が、じゃあ、ネコミミなんかはどうでしょうか、とフォロー(?)してくれたので、よし、これからはネコミミをBMIで動かすnekomimi-prostheticsだ、と強引に主張したことを思い出します。(自分にはそういう属性はありません。)
明日は発表前日にして、大飲み会。参加者50人だって聞いたよ! つぼ八貸し切りかよ!ってかんじですが。
超つれづれと。
2005年11月14日
■ SFN報告11/14
やっとネットにつながりました。つーかワイヤレス設定をコンピュータ相互にするように、と書いてあったからそうしたのにそれが間違っていたようなのです。
ダライラマ講演は参加できず、ってかひと多すぎ。
チャイナタウン人多すぎ。メシ食えない。
とりあえずネット上関係者ではしげさんのポスターに行ってきました。Stateがdistinctでなくてcontinuousなものであるのにdistinctなものとして扱うようなモデル構成につっこみを。ほんとうはよくわからなかったのだけれど。
2005年11月12日
■ 私信
Western Ontario University@London_Ontario, Queen's University@Kingston_Ontario経由で今日ぶじ、Washington DCに到着しました。みなさまにお会いできることを楽しみにしております……がそのまえにスライドの仕上げをまだまだやらなければならない私。
明日はダライラマの講演に行くかどうか思案中(警備が厳しそうだし、混みそうだしなあ)。
ネットにつなげられたのでこちらからも更新する予定です。
2005年11月10日
■ フールプルーフ
「フールプルーフ」って言葉ってバンド名にぜったい使えると思うんだけど。
ワンワードでシンプル。カタカナだと上から読んでも下から読んでも同じ。尊大かつ自虐的に使いうるヒネった概念で、人をくった感じがまたよい。ハッカー的なpolitically incorrectな表現。理系っぽさも漂う。なにより音づらがいいでしょう。
んでジャンルはメガネロック系。ギターはノイジーだけどすっとんきょうな打ち込み音が入ってるかんじ。ヘナチョコなようで、じつはボーカルの声は太い。
こんなかんじでどうでしょう(->誰に言ってんのよ!)。
せっかくなのでフリーのフォントでロゴ作り(Gray GraphicsのNationalizeを使用)。なにやってんだか。
2005年11月08日
■ PubMed2.0
本読んでて思ったんだけど、Googleのpagerankみたいに、論文のcitationにかんしても論文単位で評価するのってないんですかね。もちろん、web of scienceみたいなやつはあって、referされた回数というやつが個々の論文で評価されるわけだけど、それだけでなく、referenceのグラフ構造みたいなものからデータマイニングの手法を使ってわかることがあるのではないかと。
たとえば、論文間の近接度からオリジナリティがどのくらいあるかを評価したり、新しい領域を作り出した論文による新しいクラスターの形成とかも見えるだろうし、この論文が引くべき論文を引いていないとか、個々の論文からではわからないことが見えてきそうだし。
もちろん、さいきん増えてきた、この論文はこれらの論文からreferされてます、というようなのは非常に有用ですが、このへんはもっと進歩するのではないかと思うのですね。
論文のreferenceにかんして、webでのページランクと違う点として、
- 論文では新しい論文によるリンクの付加しかない。
- author自体にも、overlapは離合集散があって、small world的構造がある
- 全く同じ内容のものがあってはならない。オリジナリティがなければならない
というあたりがあるわけで、このへんを加味して考えると、pagerank的なものをたんに論文のreferenceにかんしても作ってみました、というのよりもおもしろくなりそうです。というかこういうことはどっかでやられているんでしょう。
全く同じ内容のものがあってはならない、という拘束条件によって類似度の高いものについては新しい方の重みを下げる、とかすると、オリジナルペーパーとレビューとをまとめて一つの仕事として捉えることに寄与しそうだし、二番煎じ的論文はその素性がばれやすくなるということでもあります。
そもそもpagerankからしてそうなんだけれど、「内容は全く問わずにリンクだけで評価できる」というところが重要なのであって、これらはすべて内容を読んで新しい論文を作成してゆく人たちによって補完され、データが付加されてゆくわけです。あとはこれにF1000やconnoteaでのタグ付けなど、論文の執筆者ではなくて読者によるデータが付加されて統合されることによって「PubMed2.0」とでもいえる状況になるといえるでしょう。やっぱり、webとちがって、読者によるデータの付加というところがむつかしい。
つれづれと。
# tny
こんにちは。はじめまして。
最近、Web 2.0的論文査読システムのことを考えていました(http://d.hatena.ne.jp/tny/20051108/1131545621)。
こちらのエントリーを読んで、論文の評価システムも考えなくてはいけないのだな、と気がつきました。どうもありがとうございます。
#Google Scholarというのがあれば、はてなスカラーというのもあってもよいかな、と考えてみたりして(笑)
2005年10月25日
■ Amputator 1.2入れました
Movable type関連。PubMed RSSを入れるようになってからW3CのXHTML validatorでinvalidになったままでした。これは、PubMed RSSで送られてくる論文のURLには&が含まれているためです。CGIへ変数を渡すときに&を使うのだけれど、これは&amp;というふうに文字実体参照を入力してやらないといけないわけです。
というわけでAmputator 1.2プラグインを入れました。これで20050919のコードを
<$MTGetXMLValue name="link"$>
から
<$MTGetXMLValue name="link" encode_ampersands="1"$>
へ、ついでに
<$MTEntryBody$>
から
<$MTEntryBody encode_ampersands="1"$>
へ直すことによって、&問題を解消しました。めんどくさい。
2005年10月17日
■ ここさいきんで買って読んだ本
行動分析学入門 集英社新書 杉山 尚子 図式を頭にたたき込むのには、わかりやすいのでよかったです。
飛鳥井全死は間違えない 元長 柾木 メタテキスト云々とか、ラストの盛り上がりとか、なかなか良かったけど、もっとシビレさせてほしかった。コズミック・ランが流れてくるみたいなかんじで。
2005年10月14日
■ 「ぼくらの小松崎茂展」
刈谷の美術館で「ぼくらの小松崎茂展」というのをやっていたので先週末行ってきました。わたしの世代にとってはタミヤのプラモデルの箱絵の人ですが、戦後の絵物語、少年マガジンとかの口絵、円谷映画、サンダーバード、このへんの流れが全部わかる展示でした。子どもたちも大喜び、SFっぽいやつがおもしろかったようで、1960年代に2000年の未来予想として書かれたのだ、という点なども楽しんでもらえたようす。
なにげに脳波から考えを読まれて管理化が厳しくなる、なんて未来予測の記事に挿絵を付けていたりして、つい読みふけってしまったり。昔から言われていたことがげんざいneuroal prosthesisとして形作られてきたってことっすね。
おみやげにタミヤのプラモとかが売ってたらよかったのだけれどなかった。しかたなく一種類しかなかった500ピースのジグソーパズルを買って作ってます。半分くらい完成……てめちゃ忙しいときにこういうことをやるのは逃避です、ハウルの城のぺーパークラフトも放置中だし、どうしよう。
2005年10月03日
■ ラーメン談義revisited
名古屋へ出かけたので、周辺のラーメン屋を巡ってみることにしました。ラーオタモード。塩系をメインに。
金山から上前津で乗り換えて鶴舞線で荒畑で降りて、ラーメン三吉へ。(前にも書いた「たかみ」の跡地です。) 開店ぎりぎり。私以外の客はもう一人ラーオタっぽい人。牡蠣のクラムチャウダー塩ラーメン、というのを前日から始めているのを知ってこれを食べました。クリーミーで魚介のフレーバーということでラーメンには合うだろうと予想しましたが、なかなか良かったです。
んで荒畑からまた鶴舞線に乗っていりなか駅で降りて翠蓮へ。テレビで紹介されるようなところらしいので覚悟して行ったけどべつに並んでませんでした。客には地元の大学生(南山大?)も多く、女性も入れるきれいなラーメン屋さん。小さい塩ラーメンとチャーシュー丼を。エビの香りがするスープとやらかいチャーシューでうまかったです。そういうわけで、チャーシュー丼も選んで正解。でもさすがに昼に二店行くのは苦しかった。
本山から池下まで地下鉄に乗って、慈庵へ。ここがwebで見ていると不定期営業でなかなか入れないらしいのだけど、開いてました。初チャレンジで成功。先客二人。それぞれ単独の客で、私が入った後にも一人客が入ってきて、客が私を含めて全員ラーオタだけという状態に。地元の人がふらりと来るようなところではなくて、私を含めてみんなwebで調べてはるばるやってくるわけですな。たしかに塩ラーメンはうまかったです。
もう一店行くつもりだったけど、力尽きてその日は終わりました。
2005年10月02日
■ 共感覚
「共感覚える」と書いてあって、「共感覚」のことかと読み違えた。「この先生きのこる」みたいなもん。
とかいうどうでもいいねたを書くことがめっきり減ったのははてなを離れたからで、なんかちょっとしたメモには使いにくいんですよ。
Movable type 3.2はとりあえずローカルにインストールしてみて使い勝手など調べてから移行する予定です。バグとかもあるようだし、3.21くらいになって安定してからの方がよいかも。
2005年09月28日
■ 博士と研究所
子どもとポ_ケモンを見てて思ったのだけれど、あんなに「博士」と「研究所」って言葉が出てくる番組ってほかにないよな、と。おかげで、前はパパの行っているところは「かいしゃ」ということにしてたのだけれど、さいきんは「けんくーじょ」ということで通じるようになりました。
ついでだけど、わたしの持っているHard disk型ポータブル音楽プレーヤーのiRiver(iPodぢゃないよ!)のことを子どもになんと呼んでもらえばいいかわからなくて、「あの音楽の入ってる箱」とか呼ばれていたのだけれど、さいきんはiPodが有名になったので、「iPodみたいなやつ」で通じるようになりました(オーノー)。(orzとかは意地でも使わないのであった)
2005年09月25日
■ 通知領域が消えた、けど直った
図1
使っているラップトップPC(ThinkPad X31、Windows XP SP2)の通知領域(図1)がなんかの拍子でなぜか見えなくなってしまって、時計しか使えなくなってしまいました(図2みたいなかんじ)。
図2
んで、やっと解決。こちらのサイト:角谷HTML化計画 2004-01-28(Wed) X40を再起動すると、Windows XPのタスクバーの「クイック起動」が時どき消える問題についてでのコメント部分を見ていて、Taskbar Repair Tool Plus!というのを発見しました。これでNotification Areaの"Hide or Show All Listed Icons"を使って復帰。やれやれ。私自身は何の保証も与えられませんが、同様なことでお困りの方は試してみる価値があるかもしれません。
2005年09月18日
■ 中秋の名月
ベランダの布団を取り込もうとしたら満月だったので、娘を呼んでいっしょに月を見ました。たまたま昨日もいっしょに見たもんだから、娘が「昨日よりももっと丸いね」と言ったので、「明日になってもっと丸かったらどうする?」と聞いてみました。さすがによくわからなかったようなので、「明日になって月が四角だったらどうする?」と聞いたらすかさず話に乗ってきて、「じゃあ、明日になって月が三角だったらどうする?」とか「月がピカチューになってたらどうする?」とか応酬。んであとで今日が中秋の名月だったことを知ったという、そんな日でした。2005年09月06日
■ Labor Day三者三様
しげ日記 9/5
Gardener's diary@Yale 9/5
Ryohei’s neuroscience notes 9/5
2005年08月31日
■ ハウルの動く城ペーパークラフトの無料ダウンロード今日まで
息子とハウルの動く城ペーパークラフトを作ってます。8/31まで無料ダウンロード。でもA4のPDFで26枚もあるもんだから、印刷代とインク代だけで2000円はかかるという罠。やるなエプソン。でも私はCANON派。しかもそうそう完成までたどり着けません。こちらのハウルの動く城 ペーパークラフト組立日記 プラスα(おすすめ、というかここを見ないと作れません)を見ながら作っているのだけれど、この方も20日かかってる。私の方はというと、げんざい、骨格がだいたいできたところ。ここからいろんなパーツをくっつけてゆくのですが、まあ、息子が飽きるところまではやってみるつもり。
以前は紙飛行機のペーパークラフト(よく飛ぶ紙飛行機〈Vol.1〉―切りぬく本 切りぬく本のシリーズ)など作って公園で息子といっしょに飛ばしてたりしたのだけれど、作りきってしまった。しかし、せっかく完成させても、扱いが荒いからか、一日くらいでちゃんと飛ばなくなってしまうのです。補強するテクを身につけてまたやってみようか。
なんにしろ、そういうわけで家に帰ると私にはなつやすみのしゅくだいがあるのでした。
というエントリを作って放置していたのだけれど、松代に行くときに思い立って、紙飛行機を作って持っていってみました。しかし、飛ばす場所がないのでホテルで飛ばしていたという私。いや、なんとなく高原をイメージしていたのだけれど、松代は古くからの城下町だった、というオチで。
2005年08月30日
■ The robot said, "this is what it is like to be a bat!"
2005年08月19日
■ 松代の統合脳班会議
松代の統合脳班会議に参加してきます。諸先輩方や同年代の若手研究者と熱く語ったり、飲み過ぎたりしてくる予定。
# nak
どうでしたか?
よろしければご感想をお聞かせください。
正味一日しか参加してない(計画班のプレゼンと公募のポスターセッション)のですが、忘れぬうちになにか書こうと思ってます。しばらくお待ちください(来週くらいになりそうです)。
■ CSSでmax-width設定
メインコンテンツの横幅が広すぎるというのも読みにくいものなので、CSSでmax-widthを640pixelに設定しました。FirefoxとOperaで有効でIEでは変化ありません。そのぶんサイドバーを広げたいのだけど、うまくいかん。とりあえず放置。(サイドバーのwidthは%ではなくてpixelで設定して、そのぶん本文のカラムは右のマージンを空ける、という方式にしてます。)2005年08月08日
■ 10万visitありがとうございます
昨年12月にsakura.ne.jpに引っ越してきてから累計で10万visitになりました。見に来てくださった方、どうもありがとうございます。
以前と比べて、訪問者数というのはあまり意味をなさなくなっていると思いますし(RSSやアンテナで見ている人もいる)、そもそもvisit数というのは正確なものではありませんし、ダメ押しで言えばこの数の中には私自身も含まれるわけですが、それでもなんかうれしかったりします。
かつてのNiftyでのサイトのカウンタが5年かけてやっと1万に達したとか、はてなダイアリーで書き始めた頃には10人/dayくらいしか読者がいなくて、目標は100人/day、とか書いていたことからすると感慨深いです。
今後も無理せずエントリを蓄積していく所存です。
と、いちばん上に来ないようにこっそりエントリを追加。
2005年08月05日
■ 三河ラーメン談義つづき
ローカルネタ。ひさびさにラーメンたじまに行ってみるとその日のメニューは「酢豚麺」とこれまたトリッキーなものだったので、すかさず頼んでみました。酢豚のあんがスープに混ざってもそんなに濃くならないようにバランスを取ってあって、スープも飲めてしまう。豚もおいしかったのでけっこうおいしく食べることが出来ました。でも前に食べた、すじ肉入りのラーメンをまた食べたいなあ、と思ってカウンター正面を見ると、「好評のため、再登場 すじラーメン 650円」とか書いてあるではないですか。おお!私以外にも好評だったんですか!ということでこんどまた行こうと思います。
……んでもって、今回もまたガラ空き。というか入ってから出るまで(8時半から9時まで)客は私一人だけ。ホント、つぶれないでほしいです。
関連する前回のエントリはこちら:20050512
追記:愛する妻の友人から「たじま」の場所の問い合わせが来る、というオモシロ展開に。ということで場所などの情報はこちらへどうぞ:「ラ王への道」での記述
2005年07月30日
■ 神経科学学会大会
無事終わって帰ってきました。けっきょく台風は逸れて、たいした問題なく横浜に到着。その日はneuro socialには参加せずにホテルにカンヅメで原稿とスライド準備をギリギリまで。ホテルにカンヅメ、って集中できてよいですね。けっこう気に入りました。
発表の方は、準備不足がたたって原稿を暗記するところまでたどり着けず、時間もオーバーして、かなり不本意な出来。質問は想定範囲内のものでした。質問にかこつけて説明してしまうつもりで用意したスライドは不発に。ぎりぎりまでupdateしていたスライドはけっきょくのところ、とばしておいた方が時間的にはよかったし、正直言って準備にかける労力のバランスがまずかった感じ。まあ、SFNのときまでにさらに完成度を上げていこうと思います。
夜はガヤとガヤ友とガヤ友の友と飲む。バカ話だったけどそれもまたよし、ということで、世知辛くない楽しい酒でした。
今回印象深かったのは、こないだの木村研のCM核論文近辺などのstriatum電気生理のポスターが大盛況だったことです。うちにも書き込みしてくださっている某氏がparietalの時代は終わったか(正確な表現は忘れた)みたいにぼやいてたんで、なにいじけてるんすか、とツッこんでおきました。
あちこちのオーラルで質問してまわって、時間切れ。
というわけで今回は実質1日ちょっとの学会参加でした。
# mmmm
「準備不足」のトーク、聞かせて頂きました(笑)。それはともかく、、、
今回、あまり多くを回ることはできませんでしたが、ポスターでは、嶋さんと丹治さんの「pre-SMAにおける行動回数のバイナリー表現」に純粋に驚かされました。もしかしたら細胞活動だけでNatureかScienceに載るのでは?と思いました。
もう一つは、鮫島さんの「Striatumにおける行動価値表現」ですかね。「Sutton & BartoのActor-Criticじゃなくて、Q-learningだ」という銅谷さんの仮説を見事に生理学的に証明したという内容。インパクト大でした。
神経科学学会ではゆっくり話ができませんでしたね。
丹治先生が直々に説明していたポスターは面白かったですけど、なんであんなことが起こるのが不思議ではありませんでしたか? 澤村さんのNatureでのparietalでの数ニューロンとか、藤井さんのScienceでの始まりと終わりをコードするニューロンとかはtask demandと関わっているように思いますけど、今回の、奇数回だけ、とか偶数回だけ活動するニューロン、っていったい何に使われているのかよくわかりませんよね。というわけでtask demandによってニューロンの応答特性が変えることができるのではないでしょうか、と私はコメントしました。このへんのニューロン全体での統一的なストーリーをもう少し知りたいと思ってます。
鮫島さんの話に関してはこれまでうちで書いてきたことと密接に関わりますので、あたらめて独立したエントリで書きました。
2005年07月26日
■ 神経科学学会大会
今日26日に横浜へ出発します。新幹線と台風、どちらが速いか。はたして会場までたどりつけるでしょうか。
2005年07月21日
■ 子供と花火
神経科学学会の予行が明日あるというところで子供にせがまれて花火をすることに。下の子が自分で花火を持てるようになるとか、上の子が線香花火を維持するのがなかなかうまいとか、いろいろ味わい深いこともあったのだけれど、あっという間に1時間たってしまった。その後あわてて研究室に行ってパワーポイント作り。終わらない。はたして間に合うのでしょうか。ということでまた明日。2005年07月16日
■ みんプロ
まだうちには来ないなあ。いや、来たら速攻削除するんだけれど、来なければ来ないでこのサイトへのアクセスの悪さが気になったり。2005年07月05日
■ 超短いブログ語り
ブログ語りはブログを書いているない読者には関係のないことなので最小限のことだけにしようと自分を戒めてます。
日々のできごとやネットの話題に言いたいことは山ほどあるけれど、なるたけスルーしようと心がけてます。
「壁に向かって話しかけているむなしさ」に耐えかねてエラそーな物言いをしないように「ですます」調にしてます。以上です。
2005年06月30日
■ The Elements of Styleの日本語訳
"The Elements of Style" William Strunk, Jr. の日本語訳 via YAMDAS現更新履歴
英文書くときの必読文献"The Elements of Style"の日本語訳が出てます。元の文章(1918年の(おそらく)初版)はBartleby.comから入手できます。
- 単数名詞の所有格には'sを付ける
- Charles's friend
- 3つ以上の項が並んでいるときは最後の項以外にカンマを付ける
- red, white, and blue
- 挿入句はカンマで挟む
- The best way to see a country, unless you are pressed for time, is to travel on foot.
■ 移動する研究者たち
ryasudaさんがNew York(CSHL)からDurham(Duke University)へ引っ越し。
ryoさんはLondon(National Institute for Medical Research)からHalifax(Dalhousie University)へ。
Gardenerさんは柏からNew Haven(Yale University)へ。
ガヤはNew York(Columbia University)から本郷へ。
わたしもがんばろうと誓った。
2005年06月10日
■ PubMedPDF
文献の整理に関してですが、やっぱりPubMedPDF(*)のことを考慮した方がよい気がしてきました。
以前20041214のコメント欄でcogniさんやkamiさんが話題にしてましたが、そのときは敬遠してました(20041229とか20050125とか)。そのときはコンテンツ本体の引っ越し後の環境をmovable typeにするか、XOOPS(というかWordPress)にするか、という選択肢の方がメインだったのでXOOPSのことはそれ以上考えなかったのですが、それとはべつに試してみればいいだけだな、と思いました。(Connoteaを試すのと同じくらいに。)
いまでもpdfを元にして整理するよりはオンラインで整理した方が良さそうだなと(DOIかPMIDで)考えているのですが(さいきんはPDFファイルを整理するのはあきらめてます、PubMed行った方が早いし、Google DesktopSearchをいまいちだし)、なんにしろ、試したりいろいろ調べてみる価値があるのは間違いありません。PubMedPDFがPubMedのweb serviceをどう利用しているかとか調べてみたいし。それに前回のエントリにあるように、すでにApache,perl,PHP,MySQLを入れるところまでやってしまったことだし。XSASにするか、PubMedPDFだけモジュールでXOOPSに入れるかはまた考えるにしても。というか前回のエントリでApache,perl,PHP,MySQLを入れるのにphpdev + ActivePerlを使ったけれど、XSASで全部入るではないですか。ほかの物も入ってしまうわけだけど。
で、ひさしぶりにXOOPS日本公式サイトを見たら本家と分裂とかややこしいことになってるし……(これがいわゆるforkというやつか)
(*) この配布元は阪大の大澤研ですね。例に挙げられてる論文もGoldman-RakicだったりHubelだったりしてかなり位置が近いんですが……知らなかった。
うちの20050609へのcogniさんのところの20050609での言及(1)と言及(2)をいただきました(ありがとうございます)ので以下追記: そういう意味では、Movable Typeをいちばんかんたんにインストールする方法はphpdevのようなWAMP(Windows + Apache + MySQL + PHP)よりかは、かんたんWAMPPセット(Windows + Apache + MySQL + PHP + Perl)みたいなものを使うことなのかなと思いました(XSASはさらに+XOOPS+XSASという位置づけですね)。ということで探してみると、おお! XAMPP for Windowsなんてものがあるではないですか。やるならこれでかなあ。
XAMPPを使ってmovable typeをインストールという記事も発見。
これを読むと、いくつかモジュールを追加してやったりしないといけないようです。あと、Movable typeのデフォルトのcgiパスがusr/bin/perlなのでそうなるようにXAMPPをインストールすればより手間が省ける、という感じでしょうか。そのうちこれを使ってみようかなと思ってますが、そんなには深追いしない予定。
#
おひさしぶりです.PubMedPDFとても楽で便利ですよ.いまやすっかりこれなしではすごせないってくらい頼っています.XSAS-XLP http://jp.xoops.org/modules/mydownloads/singlefile.php?cid=4&lid=160 というのをダウンロードしてインストールすれば全部いっぺんにセットアップしてもらえるのでそのまま使えて,(僕のようにあまりなにもわからない人間には)一番楽だと思いました.活用していないのですが,論文ごとにメモをつけることも可能なようです.ただ,メモの中身を検索することはまだ出来ないみたいですね(使っていないので不確かですが).
# ご隠居すみません,なまえがはいっていませんでした.
# pooneilご無沙汰しております。
>>これなしではすごせないってくらい
うーむ、そうなんですか。最近はpdfの整理はあきらめて印刷したらファイルは捨てるという方針だったのですが、やっぱ試してみようと思います。
2005年06月09日
■ movable typeをXPでローカルに立ち上げるメモ
Movable type 3.15をローカルのPC(windows XP SP2)で動かしたときのメモです。つまり、自分のPCのブラウザから記事を書いて、自分だけがそのPCから記事を見る、ということができるようにする、ということです(tDiaryでの例が結城浩氏の日記20040830にあります)。Movable typeの動作テストをしたり、ローカルで日記をつけたりできます。練習してからレンタルサーバーなどで公開するときにもデータをエクスポートして使い回せるので無駄になりません。なにより、タダです。
動かすための最小限の記述とそれぞれの関門でのチェック項目だけでできています。ファイルのダウンロードさえ済ませておけば30分でmovable type 3.15が動かせるはずです。
断り書き:あくまでローカルのテスト用に最小限の労力で、ということを目指しているのでセキュリティとかは全く考えていません(データベースにrootでパスワード無しで入ってるとか、Apacheの設定とか)。というわけでもし以下のメモを試すのならば各自の責任で行ってください。また、phpdevを使っているのでapacheとかPHPとかは最新版ではないです。とにかく、詳しい人はこんなメモ必要ないわけで、笑ってスルーでお願いします。ターゲットは2年前の私です: Sourceforgeからファイルをダウンロードして解凍することはできる、ローカルでapacheを立ち上げたことはない、UNIXのことは知らない。いまだに私はperlもPHPもいじれません(なにも見ずにcgiでhello,world書けと言われてもできません)。そのくらいど素人ということで。
概要
Apache1.3,PHP4.2,MySQL4,ActivePerl5.8をインストールしてからMovable type 3.15をインストールします。Apache,PHP,MySQLはphpdevによって一挙にインストールできます(これを知ってわざわざやってみる決心がついたくらい)。
ファイルの準備。
(1) ダウンロードするもの:http://www.firepages.com.au/phpdev4u1.htmからphpdev423.exe
http://sunsite.tus.ac.jp/pub/apache/httpd/binaries/win32/からActivePerl-5.8.6.811-MSWin32-x86-122208.msi
http://www.movabletype.jp/download-mt.htmlからMT-3.151-full-lib-ja.zip (TypeKeyの登録が必要)
http://ppm.activestate.com/PPMPackages/zips/8xx-builds-only/Windows/DBI.zip (ver.1.48 419KB) http://ppm.activestate.com/PPMPackages/zips/8xx-builds-only/Windows/DBD-mysql.zip (ver.2.1026 169KB)
phpdevのセットアップ
(2) phpdev4.23(phpdev423.exe)をC:\phpdevにインストール。phpdev2k-XPを立ち上げて、ブラウザのhttp://localhostでapacheが稼働するのを確認。
http://localhost/phpinfo.phpでphpが稼働するのを確認。
(3) http://localhost/phpmyadmin/でMySQLの新しいデータベースを作成。名前を付ける(以下pnlとする)。
(4) C:\phpdev\Apache\conf\httpd.confをエディタかメモ帳で開いて
ScriptAlias /cgi-bin/ "C:/phpdev/www/cgi-bin/"を見つけて
ScriptAlias /cgi-bin/ "C:/phpdev/www/public/"に書き換えて保存。
<Directory "C:/phpdev/www/cgi-bin">を見つけて
<Directory "C:/phpdev/www/public">に書き換えて保存。
Alias /public/ "C:/phpdev/www/public/" <Directory "C:/phpdev/www/public/"> Options Indexes FollowSymLinks MultiViews AllowOverride None Order allow,deny Allow from all DirectoryIndex index.htm </Directory>を見つけて
Alias /public/ "C:/phpdev/www/public/" <Directory "C:/phpdev/www/public/"> Options Indexes FollowSymLinks MultiViews AllowOverride None Order allow,deny Allow from all DirectoryIndex index.htm index.html </Directory>に書き換えて保存。Apacheはctrl-Cで終了させてふたたび立ち上げる(phpdev2k-XP)。
ActivePerlのセットアップ
(5) ActivePerl(ActivePerl-5.8.6.811-MSWin32-x86-122208.msi) をC:\usrにインストール。DOSプロンプト立ち上げてcd C:\usr\bin perl -hでperlの動作を確認。
(6) CGIの動作確認。C:\usr\eg\cgi\env.plをC:\phpdev\www\publicにコピー。env.plをエディタかメモ帳で開いて一行目を
#!/usr/bin/perl -wと書き換えて保存。http://localhost/public/env.plでApacheの環境変数が出てくれば動作確認OK。
(7) ActivePerlからMySQLを使えるようにする(ppmを使った Perl モジュールのインストール)。DBI.zipを解凍してC:\temp\DBIに入れる。DOSプロンプト立ち上げて
cd C:\temp\DBI ppm install DBI.ppdでインストール終了するまで待つ(時間かかる)。同様に、DBD-mysql.zipを解凍してC:\temp\DBD-mysqlに入れる。
cd C:\temp\DBD-mysql ppm install DBD-mysql.ppdでインストール終了するまで待つ。
Movable typeのセットアップ。
(8) Movable type 3.15(MT-3.151-full-lib-ja.zip)、を解凍してC:\phpdev\www\publicにフォルダmtを作成してからC:\phpdev\www\public\mtにコピー。(9) http://localhost/public/mt/mt-check.cgiを実行して、「Movable Type のシステム・チェックは無事に完了しました」が出るのを確認する。
(10) C:\phpdev\www\public\mt\mt.cfgの編集。
*18行目
CGIPath http://localhost/public/mt/
*27行目
#DataSource ./db
*38行目-41行目
ObjectDriver DBI::mysql Database pnl DBUser root DBHost localhost
*142-145行目
DBUmask 0022 HTMLUmask 0022 UploadUmask 0022 DirUmask 0022
*157行目
HTMLPerms 0777
(11) C:\phpdev\www\public\mt\mt-db-pass.cgiを空欄にして保存
(12) http://localhost/public/mt/mt-load.cgiを実行して、「システムの設定、初期化が完了しました。」が出るのを確認する。
(13) C:\phpdev\www\public\mt\mt-check.cgiと C:\phpdev\www\public\mt\mt-load.cgiの削除
(14) C:\phpdev\www\public\mt\mt.cgiを実行。ユーザー:Melogy、パスワード:Nelsonでログインする。
(15) 「プロフィールの編集」でユーザ名、パスワードを自分専用に変更
(16) 「First Weblog」をクリック。「ウェブログの設定」で
ウェブログの名前: (なんでもお好きに) ローカル・サイト・パス: c:/phpdev/www/public サイトのURL: http://localhost/public/ ローカル・アーカイブ・パス: C:\phpdev\www\public\archives アーカイブのURL: http://localhost/public/archives/で保存。全体を再構築する。
(17) 「エントリーの確認」でhttp://localhost/public/にできたサイトを見る。まだ空っぽ。
(18) http://localhost/public/mt/mt.cgi?__mode=list&_type=template&blog_id=1 の新規エントリーでコンテンツを作る。投稿の状態が公開になっているのを確認して、保存。
(19) 「エントリーの確認」でhttp://localhost/public/に新しいエントリーができていることを確認。
(20) あとはスタイルシートやテンプレートいじったりいろいろやっているうちに憶えます。
参考にしたサイト:
- Movable Type 3.x 導入手順 (movable typeのインストールではまったらこれを見てトラブルシューティングする)
- MySQLのインストール/動作確認手順 (perlからMySQLを動かせるようにするためにppmからのインストールをする必要があり、movable typeのマニュアルには方法の記載がない。やり方はここを読むとわかる。)
- パソコンにMovable Typeをインストールする (このエントリを書いている途中でこのサイトを発見。今回のエントリででやったことはほとんどこのリンク先と同じ。違いはphpdevをつかうことでより簡略化されていることくらい。)
んでやりたかったのは、ローカルで自分のサイトのデータを再構築するともっと速いかどうかの検証だったのですが、すべてを再構築するとやっぱり3分くらいかかる。たしかにレンタルサーバーよりは少しは速いけど、倍は違わない感じ(もちろん時間帯によるんだけれど)。というわけで、古いエントリは再構築しない、とかそういうことをしないと速くならないようです。
ま、ほかにもプラグインを試してみるとか、ダイナミックパブリッシング試してみるとか、web service(SOAPとか)のお勉強するとかに使ってみる予定です。
追記:cogniさんのところの20050609に言及(1)と言及(2)があります。XSASを使ったよりかんたんな方法が紹介されてます。また、うちの20050610にも関連記事あり。
2005年06月08日
■ 昼食セミナー
6/1に無事終了しました。けっきょく止むを得ぬ理由で一週間延期させていただいて6/1に変更。出席してくださったみなさまにお詫びしました。
ムービーが動かなかった、とか時間が足りず後半駆け足になってしまった、とか'migraine'の和訳を間違える(*)などかなり恥ずかしいミスも犯しつつ、なんとか話し終えた、というかんじです。
私がいちばん伝えたかったメッセージは、神経科学学会での発表にご期待ください、というものでしたが、きっとにオーディエンスの心にいちばん残ったのは、生まれた赤ん坊の写真スライドだったに違いない。
(* つまり、素で「ふいんき<-なぜか変換できない」をやってしまったと。)
2005年06月05日
■ サイトのレイアウト変更中です
Connotea関連でいろいろ書きましたが、これで終了。論文コメントに復帰しました。
スタイルシートいじってレイアウト変えました。まずフォントを変更。FireFoxで見たときとInternet Explorerで見たときとでの違いが小さくなるようにしました。
それから2カラムへの変更。ねばって1カラムでやりつづけてきましたが、2カラム、3カラムのサイトに慣れてくると横に間延びしているように感じるようになりました。2カラム、3カラムのサイトに順応する過程でブラウザのウインドウ幅を広げざるをえなくなってきた影響でしょう。また、過去ログへの案内をわかりやすくするなどの工夫もしていきたいし。というわけで、印刷のときにじゃまにならないくらいの幅で右カラムにナビゲーション用の情報を載せました。なんかmovable typeのデフォルトのテンプレートに戻ってきただけのような感じもしますが。なお、ウインドウ幅は可変(リキッドレイアウト)になっているのでウインドウ幅をかなり狭めない限り横スクロールバーは出てこないはずです。
というわけでこれからも少しずついじっていきます。よろしくおつきあいください。
2005年05月30日
■ Research Buddy, Saves references to webpages
Web上の文献の情報を取り込む方法を探しているのですが、FireFoxプラグインのResearch Buddy 1.02, Saves references to webpagesというのを発見。
via Internet News050102
Movable type pluginでもそういうのないか探索中です。MTAmazonとconnoteaのcitation pluginをくっつければできそうな気もしますが(<-手を動かすつもりなし)。
2005年05月25日
■ Hello, world.
月の近くに大きな惑星があった。
黒猫が豹のように優雅な足取りで歩いていた。
駐車場の夜風は懐かしい香りをしていた。
生まれいづる界面と視野の交錯、
こんにちは、世界、ようこそ、この世界へ。
2005年05月23日
■ 昼食セミナー
休む間もなく研究所の昼食セミナーのスライド作りです。
なんかネタを仕込みたいと思っているのですが、まずは完成したものを作るのでいっぱいいっぱいです。
いま思いつくのは最後のtake-home message部分に高橋メソッドを超部分的に導入してみるとかそのぐらい。
このあいだ書いたこととも関連しますが、プレゼンの画面をもっときれいにしたいなあとは思ってます。Macと違ってWindowsのPowerpointの文字ってアンチエイリアシングが効かないわけですが、そのへん何とかしたいと思ってPowerpoint以外でのプレゼン法を調べていたら、flashを使う方法というのが紹介されていました。
Macromedia Flash MX professional 2004だとスライド方式のプレゼンテーションも作れるようになった、とのことなので、さっそくトライアル版をダウンロードして試用中。文字をきれいにできるかどうかは別として、少しいじってみる価値はありそうです。今度のセミナーには間に合いそうにありませんので神経科学会に期待、ということで。
# nono
pooneilさんこんにちは。
生理学会ご参加ありがとうございます。成功をおさめましてスタッフ一同安心しました。
さてアンチエイリアスのことですが、お使いの環境がXPであった場合、このような方法で幾分改善するかと思います。
画面のプロパティからデザイン→効果を選択。
次の方法でスクリーンフォントの縁を滑らかにするの項目をClearType選択。
使用するフォントで変ってくるかと思いますが、前よりは良いかと思います。
# pooneilコメントありがとうございます。スタッフの方ですか。お疲れ様でした。
じつはClearTypeは試した、というか有効にしているのですが(20050518に記述あり)、英字にしかかからないので不十分だなあと思っております。(日本語は大きいフォントにしかかからないし、powerpoint 2000はそもそもClearTypeに対応していない、はず。powerpoint2003は対応してるのでしょうか。)
そういうわけで現在はillustrator上でスライドを作ってフォントをアウトライン化してからアンチエイリアシングがかかる設定で画像として保存したらどうだろうか、とか考えているところです。
2005年05月22日
■ 生理学会行ってきました
生理学会に行ってきました。二日目の夕方から参加。神経研の高田先生のシンポジウムを途中から聞きました(というか今回これしか聞いてない)。理研の藤井直敬さんは現在進行中のMulti-Dimensional Recordingsの話、産総研の長谷川良平さんはME Goldbergのところで始めたself-ordered taskの話(Science '00とJNP '04)、東北大の筒井健一郎さんはfree-choice taskの話。おもしろかったです。聞き逃したATRの鮫島和行さんの話と合わせて、きっちり話がつながってくるようにできているあたりとかも。
そのあと関係者大勢でおでん三吉で飲み。さらに行きつけらしいバーに行って絡みぎみに話をしつつ(すいません)、「リライト」歌いました(このへんから記憶が定かでない)。そのあとはラーメン屋で角煮ラーメン食べたことと、3人でタクシー乗って帰ったことは憶えているのですが、ご迷惑かけてたらすみません。ホテルに戻ったのは3時前くらいだった様子(不明)。
つぎの日は二日酔い。頭いたい。テレビ付けっぱなし。明かり付けっぱなし。でも奇跡的に寝とばさずに済みました。んでポスターの方ですが、なんとか準備した分についてはしゃべれました。ボスが動員をかけてくださったおかげか、偉い先生方がたくさん訪れてくださったのでほぼ休み無くしゃべりました。新しい知見が出てきたので急遽発表の重心を変えてみたのですが、その部分についてはおおむねそんなに外してはいなかったのではないでしょうか。
というわけで今回関係した皆様どうもありがとうございました。
2005年05月18日
■ Supporting Information
PLoS biologyを見ていたら、Supporting Informationがおなじhtmlファイル中にあるんですよね。ムービーとかはそこからリンクしていて。そういえばこの方がずっと便利なわけで、NatureやらScienceやらで字数制限があるためにmaterial and methodsをsupporting informationに回しているときなんかは同じことやればいいじゃん、と思いました。なんでマテメソ見るためだけにpdfファイルを開かなければならないんでしょう。つまりPLoS biologyが原稿のXMLファイルを提供している、というあたりと比較してみても、NatureやScienceはまだ発想が活字中心であってまだまだネット中心には移行しきれていない、ということなのでしょう。
関連記事がalchymiaさんのところの20050406にあります。
alchymiaさんの記事に関連したことを書くと、Mac OS Xのquartzみたいに画面描画がWindowsでもpdfネイティブ化して(metro化でもいいから)、pdfファイルを開くという操作をとばして論文を読めるようになったらハッピーなんですけどね。Macをうらやましいと思ったことはなかったですけど、あのアンチエイリアシングのかかったきれいな文字の画面はうらやましい。XPのClearTypeは英字しかアンチエイリアシングがかからないし、日本語フォントのアンチエイリアシング化プロジェクトのフォントも試してみましたけどまだきれいでないですし。
どっちにしても、液晶の高密度化、画面描画の高速化、構造化テキストとして論文の提供、ぐらいが必要ですかね。深く読み込むべき論文はどっちにしろ印刷して真っ黒に書き込まなければならないわけです。ちょっとチェックする、読み込むべき論文かどうかスキャンする(ネットを使うときというのは主にこういう状況)、ぐらいのときに論文全体を見渡す環境がもっとよくなったらいいのに、と思うのです。
おそらくこの問題はamazonなどのネット本屋がどのようにして「立ち読み」をできる環境を作るかという問題とリンクしているのですな。Amazonはサンプルページを作るとか、検索を充実させるとかいろいろやっているけどどれも立ち読みにはかなわない。書物全体にアクセスできるけど内容を深く読んでいるわけではないという状況と、買った本とはじめから最後まで読むこととを分けるということがいかに難しいことか、ということでしょう。ひとつはフルアクセスできるけれど時間制限など付ける(一定時間以下は課金されない)、ということでしょうけどそれだけでは不十分でしょうしね(たとえコピーできなくしても、画面print screenしてOCRかけられたら終わり。歌詞掲載サイトなどでコピーできなくしてあることが有効なのは、まだ画面の解像度が低いのでOCRをかけることができないからだし)。やっぱり立ち読みは偉大だ。立っているから長時間読めない、これこそが「環境型管理」というやつか! そしてジュンク堂はその管理すらもゆるめたと。なら規律型管理をゆるめた本屋というのはどうだろう……ってそれ万引きし放題本屋ってことじゃん(<-脱線しすぎたのでやめます)。
# alchymia
トラックバックありがとうございます。「深く読み込むべき論文はどっちにしても印刷しなければならない」、「読み込むべき論文かどうかをスキャンする過程をもっと手軽にしたい」は、その通りだと思います。論文が構造化テキストで配布されれば、figureのみを表示させたり、methodのみを抽出したりできるようになりますね。個人的には、Pubmedが検索結果のRSS配信を始めるそうなので、これも注目したいです。
2005年05月16日
■ 生理学会のポスター発表
は最終日の三日目なんですけど、SFNの最終日とかとおんなじで、午前中の口演聞いたらみんな帰ってしまうではないですかこれは。ということでかなり寂れそうで不安なのですが、題材いっぱい持って(ラップトップで行動のムービー流すとか、ポスター以外のsupplementary dataとか抱えて)朝からずっとポスターに張り付いている予定なので、向こうでお会いできた方は一緒に議論してやってください。おねがいします。
■ 嗤う日本の、とか
3月に書いて寝かしていたやつに手を加えて貼ります(<-言い訳がましい)。
ここさいきん買って読んだ本は「嗤う日本のナショナリズム」 と「電波男」 です。ネットネタに偏りすぎていて相当気恥ずかしいのですが。
つまり、「電車男」と「電波男」のどちらを選ぶかという問いに、すくなくとも「電波男」の方は買いました、と私は答えたわけです。というか「電車男」のまとめサイトのログは保存して最初の方を読みましたけど、ネタくさすぎて途中で放棄しました。「電波男」のネタベタ混交というのとはまた別もんだと思うんですがね(後述)。わたしは「しろはた」のよい読者ではありませんでしたが、えいえんのせかいに応答するトラウマ度の高さという点において共振した、と回りくどく記しておきましょう。「電波男」はなにげに題材は「タクシ_ードライバー」や「バッフ_ァロー'66」だったり、「津山事件」だったりして、オタク知識をあまり前提としない(布教したりしない、えいえんの世界と二次元の世界をつなげて考察したりしない)、というあたり、オタクへ向けたアジテーション(「エルメ_スのカップをたたき壊せ」)だけでなく、非オタクの人に向けても届くように書く著者の本気度が伺えます。とはいえ、「電波男」のネタくささ(本屋の棚でのサブカルコーナーへの収まりの良さ)が大きく障害になって非オタクの人(とくに、著者が標的としている「エルメ_ス」みたいなひと)が手に取るとはとても思えないのだけれど。(「電車男」は新潮社ブランドだけでなく、ほとんど未編集であるにもかかわらずなんらかのパッケージングの良さでそこから脱出したわけで、それがなんなのか、読んでないので私にはわかりません。「電車男」のネタくささは「電車男」と板住人との関係で閉じていて、本を読む人はそれを外側から読むから安全である? 「電波男」はそのメッセージのネタベタ混交を本を読む人が受け止めなければならないのであれこれ言いにくい、という点でネットの流儀を活字に持ち込んだふつうにサブカルな本だとおもう。追記:この「サブカル」は本屋の棚のことなので、オタク対サブカルの対比とは関係なく、両者を含みます)。ところで売れたんですかね。私の地元では町じゅうの本屋探してやっと見つけた、というかんじでしたけど。(けっきょくamazon使った方が早かったりして。)
「嗤う日本の」は「世界」の同名論文を読んで以来期待していたものですが、意外や意外、最初の連_合赤軍のところで出てきた「自己否定から総_括へ反省を極限までを推し進めた末で生まれたフォル_マリズム」、というやつが一番おもしろかったです。この種の「形式主義」はいろんなところで出てくるわけです。起源と成立を問えなくなっている形で閉じているあらゆる種類の言説にこの問題が関わっているのでは、なんて極論してみたくなるくらいに十分よく抽象化して抽出された形式だと思うのです。(なんて堅苦しく言わなくても、上の人に無理難題言われるようなシチュエーションすべてで成り立つってことですな。)(追記:「反省」という言葉から最近の大事件でのアレにつなげて考える人も出てくるでしょうな。)
「ロマ_ン主義的シニ_シズム」というやつはなにか不十分というか捉え切れてないと思うし……それはたんに現在進行形のことの多様性を捉えきれない(それが、いまぷ_ちナショナ_リズムであることを偶然的なものにおとしめているとか)のは当たり前ということではなくて、なんというか形式として十分煮詰まっていないというか、いや、煮詰まったならばもっと決定的な事件としてそれは後付け的に捉えられるというだけのことなのかもしれない、時代精神自体が煮詰まっていないことの反映なのかもしれないのだけれど……いや、単一の事件に象徴させようということ自体よいことではないのだけれど(90年代をオウ_ムや酒鬼_薔薇事件に象徴させるということをこの本は賢明にも避けたわけだし、といっても連_合赤軍も使ったわけだし……使わなければ筋は通ったろうけど、地味になったろうなあ)。
なんだろ。うまくいえないので、「起源を問えなくなっている形で閉じているあらゆる種類の言説にこの問題が関わっているのでは」というほうをもっとちゃんと書くことで対比させるべきなのでしょうな。いいや(<-放棄した)。
2005年05月13日
■ SFN2005要旨
昨日なんとか提出しおえました。締め切り2時間前。当日明け方まで解析したのははじめてですよ……
所内の昼食セミナーの要旨も提出完了。ご迷惑かけました。
2005年05月12日
■ 三河ラーメン談義
たまになんか「千石自慢ラーメン」とか「弁慶」みたいな背脂たっぷりのラーメンが食べたいと思うんですが、三河にはそういう店がないんです。需要がないんですかね。以前ネットで探して見つけて名古屋の鶴舞まで出かけた「たかみ」では満足できませんでした(いま調べたら閉店してしまったようです)。というわけで三河ラーメン談義開始。ローカルネタです。ラーオタくさいもの言いがあったら笑って見逃してください。
かつて岡崎で有名なラーメン屋といえば「ばいしゃんたん」でした。時間がたつとスープの表面に膜が張ってくるような濃厚かつクリーミーなとんこつで、ここさえあればほかのラーメン屋はいらない、と愛する妻と意気投合したものですが、最近はまったく見る影がありません。それでも角煮麺を食べにたまに行ってみるのですが、がっかりして帰ってきます。もうひとつ以前からの有名店といえば248号線沿いの「末広」なのですが、なんでいつもあんなに混んでいるのかわかりません。
現在の岡崎の有名店といえば「まる銀」と「日本晴れ」です。「まる銀」はいいところで、麺もスープもチャーシューもみなよいですが、しょうゆとんこつはそんなに好きでないので、ここだけでは私のラーメンライフは満たされません。「日本晴れ」は「博多一風堂」系統のあっさりしたとんこつで、好みでありません。栄の「一風堂」に行列して食べに行ったこともありますけど、そのときもがっかりでした。
とんこつは濃厚で獣くさいやつが好きなのですが、そういうのがこっちにはあまりないんですよ。三河じゃないけど池下の「とんぱーれ」はそういう意味で素晴らしいです。平日しかやってないので行く機会がなかなかとれないのですが。しょうがないので脂っこいのを食べたいときは安城の「横綱」に行ってます。ここもしょうゆとんこつなんですが、たまに行きたくなるところです。「麺達」が豊田にできたらしいので行こうと思うのですが、本店共々まだ行ったことがありません。
文句ばかり書いているようですが、塩ラーメンの喜びについては三河にきてから開眼しました。安城にはよい店が二つあって、JR三河安城駅の近くの「味正ラーメン」と名鉄新安城駅の近くの「ぼんや」。どちらも有名webサイトや雑誌などでもとりあげられるところですが、いつ行ってもガラガラ。ほんと、心配。「味正ラーメン」のほうは定番が塩バターラーメンで、スープが非常にすっきりしているのだけどまろやかな感じがあっていつもスープ飲み干します。(西日暮里の「神奈備」もすっきりしていてよいところですが、三河に「味正ラーメン」があるかぎり私は行列してまで再訪する必要を感じません。)ちなみにとんこつもあるのですが、これは向いてません。「ぼんや」のほうはスープになにか独特なエスニックな味わいがあってなんだかわからないのだけれど不思議にうまいです。名古屋まで出ると「ラーメン三吉」という有名店があって、たしかによいのですが、行列してまで行こうと思いません。量も少ないし。
岡崎での最近のイチ押しは六名の「たじま」です。はじめて行って塩ラーメンを頼んだときには失敗したかと思いましたが、醤油ベースのスープの方がよいようです。なんというんでしょうか、よいたとえじゃないかもしれませんが、秋葉原の「玄」に通じるうまさがあります。(余談ですが「玄」で食べているときになんか知らんが取材に来たことがあるらしい女性が訪れたのを丁重にもてなしてタダでラーメン出してうちのラーメンは健康によいだのと語っている店長を見て超引いたのでもう二度といかねえと心に決めました。)「たじま」はそのときどきで期間限定オリジナルメニューを作っていて、昨年の暮れには牛すじラーメンなんていう奇をてらったっぽいものだったので、すかさず頼んだらとてもうまかったです。ちなみにここもガラ空き。
結論としてはこんな感じ:「ばいしゃんたん」亡き後のたどり着くべき場所見つからず。あと、三河にも「ラーメン二郎」できないもんすかねえ。
場所とかそういう情報が必要でしたら専門サイト、たとえば
などに当たっていただくのがよいかと。
2005年05月02日
■ 仙台か横浜でお目にかかりましょう。
連休明けまで更新を休みます。連休明けも生理学会の準備で止まりそうです(ギリギリまでデータ取りしたものを反映させる所存)。仙台か横浜でお目にかかりましょう。
■ ブランコ
去年の夏に書いたボツ原稿を改変:
息子がいつのまにか、ブランコを立ち漕ぎできるようになっていて、自慢したいのかさかんにやって見せる。私はいつでも飛んでいけるようにして、それをただ見るだけで。わざわざ言わなくても親はみんな「キャッチャー」をやってるんです。
かつて子供の頃、親が演歌を聞き歴史書を読むのを見たとき、そして学生のころに運動部の先輩らがさかんにバーとかに行きたがり誘われたとき、自分もこうなるのだろうか、と漠然とした不安というか信じがたい感覚を抱いたことがあります。しかし、なんにも変わりませんでした。不連続性はどこにもありませんでした。サイケデリックロックを聴き、ギターを弾いて歌い、漫画を読み、ライトノベルを読んだり、ゲームをし続けるままに妻子持ちとなったのです。それはそれでイメージ湧かなかったことだけど。
そういう連続性の中で親をやったり、エラソーに議論したりしているということがもうほとんど不思議だったりする。ということを想い起こして書いてみました。
2005年04月22日
■ 酸っぱい葡萄。
マスター、今日だけはグチらせてください。
はてなから飛び出て4ヶ月、PageRankが3から1に落っこちたまんま、上がりません。
いや、べつにいいんです。読んでる人は読んでくださってます。これ以上積極的に読者を増やそうとする必要もありません。継続して書いていれば、読んでくださる方はこれからも少しずつ増えてゆくことでしょう。
しかし、なんか納得いかないんです。というかサイトの作り方間違えているんでしょうか。
# いととんぼ
割りに最近読者になったものです。有益な情報満載で眼を離せなくなっています。どうやってこんなに広い分野に眼を配っておられるのか驚嘆。しかし、こういうことも可能だということで刺激を受けています。ページ管理運営者の方には感謝しています。時には書き込みをして、感謝の念を形にしてお返ししたいものと思っています。長く続けてください。
# pooneil書き込みどうもありがとうございます。励みになります。忙しいとどうしても表面的なコメントが増えてしまうのですが、蓄積することに意味があると思って更新しております。同じ分野で同様なことをやる人が増えたらいいな、と願っております。
このあいだはいきなりのことだったのに見学させていただけてありがとうございました。かなりアクティブにやっているラボの様子がうかがえました。興味がオーバーラップしている領域のあたり、ぜひディスカッションさせていただけたらと思います。生理学会は出席されますか? 私はポスター出しますのでそこでご意見いただけたら幸いです。
これからぜひいろいろ書き込みしてください(お手柔らかに、と付け足しつつ)。
やりなれないことをしたもんですから、コメントが送られたのかどうかわからず、2つほとんど同じ内容のものを送ってしまいました。最初の削除してください。29日記載のRizzolattiの論文、旅先で読もうと思います。
# pooneil消しておきました。コメントの書き込みにかなり時間がかかるために、皆様にストレスかけてしまっているようで恐縮です。
2005年04月19日
■ inertia
"inertia"(慣性/惰性)ってなんかいい単語だなあ。意味といい、語感といい、発音といい。サイトのタイトルとかハンドル名とか自作曲の題名とかにいつか使ってみようっと。
2005年04月12日
■ Conference Management Software
以前のシンポジウムのときにオンラインでの要旨提出用のシステムにどういうのがあるかを調べたことがあります。けっきょくどれも採用しなかったのだけれど、ブックマークを整理していたら出てきたので再利用してリスト化。現在はもっとアップデートされていると思いますし、グループウェアを活用する、というのが定着しているのではないかとも思いますが。2005年03月28日
■ 顕微鏡で遊んだ
ご無沙汰しております。元気です。
- 愛する妻が部屋を掃除していたら彼女のお兄さんが使っていたという顕微鏡が出てきました。検印に昭和40年とか書いてある。もの持ち良すぎ。というわけでさっそく子供たちとこれを使って遊んでみました。
- むかし理科の授業で使ったような正立顕微鏡で、ミラーを使って光を集めてやらないといけない。出来合いの標本(竹の切片を染色して封入したもの)があったのでまずはこれが見えるか試してみました。部屋の蛍光灯の電気で充分かと思ったらぜんぜん見えない。暗いなりに見えるように鏡の位置を合わせて息子たちに顕微鏡をのぞかせてみるが、いまいち要領がわからないようす。もっと徹底的に明るくしてやらないといけないということに思いあたり、寝室のスタンドを持ってきてミラーの前に置いてやると画像が劇的に改善。子供たちも竹の維管束の構造をみておおすごい、とおおよろこびです。親の面目回復。
- いろいろ標本を作ってみます。まずは髪の毛。透明でないのでいまいちおもしろくない。お次は息子が提案した、口腔の上皮細胞。口の中の粘膜をスプーンでこそぎとる、という定番のやつなんだけど、なんでそんなこと知ってんだ。無染色なのでミラーの位置を少し斜めにしてやって暗視野っぽくしてやると平べったい細胞が見えます。息子は人間がたくさんの細胞からできていることを実感して感慨深げ。あれ見たいこれ見たいとおもしろがっている様子で私もうれしい。
- 標本は薄いものがいいのだということを教えてあげると、じゃあティッシュペーパーを見たいという。なるほど。というわけで見てみると繊維が絡まっているのが見えて、これは予想外だったらしく驚いていました。ニューロンみたいだね、なんて言ってる。そんな言葉教えたことないんだが。こんど私の作った標本を見せてやろう。CTBでゴルジ染色っぽくニューロンの細胞体と軸索と樹状突起とが染まってるやつを見せればお父さんがどういう仕事をしているのかもう少しイメージできるかもしれない。
- 娘が飽きてきたのでそろそろ野外に出て標本探しをしてみます。私はタンポポの綿毛を発見して確保。息子はタンポポの雌しべを見ることに決めました。タンポポの綿毛は拡大すると箒のようで、毛の部分に細かいギザギザがある。顕微鏡の対物レンズの回し方や接眼レンズの取り替え方などを少しずつ教えると、息子はだんだん一人でできるようになってくる。スライドガラスをずらして見たいところを変えられることを教えてあげると、綿毛の根元の部分を拡大するとごっついトゲトゲがある(これで風に飛ばされるまでは引っ付いているのでしょう)ことを発見してお母さんにも報告している。タンポポの雌しべには花粉がついているのを発見。
- そうこうしているとなぜか私の鼻から鼻血が垂れてくる(花粉症で鼻のかみ過ぎ)。ちょうどいいや、ということで鼻血をカバーガラスで封入して血液を見てみました。これが赤血球だよ、なんて言うとそんなこと知ってるよ、という口ぶり。
- そろそろきりがないのでまた今度やることを約束して終了。
- そんな楽しい休日でした。
2005年03月03日
■ アナウンス
サイトを無理せず続けてゆくため、更新は不定期にしてペースを落とします。というわけで、タイトルを少々変えました。アンテナやRSSリーダなどで更新を検出したときにでもぼちぼち見ていただけたら幸いです。
2005年02月22日
■ 「う」
昨日うなぎ屋さんに夕食を食べに行ったのだけれど、それがうれしかったらしく、その行き帰りに娘が「んなぎ」とか「なぎやさん」とか連呼する。
そういえば「おうまさん」は「おんまさん」だし、「うさぎさん」は「しゃぎしゃん」だなあ。うちの子は言わないけれども、「旨い」のことを「んまい」と書いたりしますよね。というわけで、これはひとつの活用パターンなんですな。
かといって、「う」がいつも「ん」もしくは無声化するかといったらかならずしもそうではなくて、「うみ」「うた」「うえ」「うんち」あたりではこのような変形は起こらないのです。つまり同じ「う」のようで違う「う」なのですな。たぶん言語学的に解明されていることなんでしょうけど。追記:cogniさんより、phonology(音韻学)的にわかっていることでは、というレスポンスあり。なるほど。「言語学」ではあまりにおおざっぱすぎました。
2005年02月21日
■ 民明書房論法
ポール・グラハム論法(via http://www.hyuki.com/tf/200502#i20050221000037)の逆で民明書房論法を提唱。オリジナルなことを考えて論理的な議論と説得力のある証拠を付けておいて、しかし出典に民明書房刊と書くことですべてを台無しにするというやつ。いや、あれって本のタイトルがかなめっすよね。私には無理です。
2005年02月14日
■ 風邪
風邪を引いて寝込んでいたのですが、そうしたら娘がみょうに優しいんです。うれしい。
2005年02月04日
■ Lab Beer
楽しく飲んだ。カタカナ語を使わないゲームから本題へと。いい飲み会だったです。帰ってきてこれからMATLABでGIFアニメを作るのを試行錯誤。
2005年02月02日
■ 生理学会要旨
の提出間に合いました。締め切りが後ろにずれたので駆け込みセーフ。で一息ついてたらまた大変でtrouble coming everydayというかんじです。
# nikkei225
みんなの科学改めnikkei225です。
日本神経科学大会の方もお忘れなく。
演題締めきりは2月14日です。
あー、おつかれさまです。準備のほうはいかがでしょうか。神経科学会も演題を出します。要旨の文字数が生理学会よりもさらに少ないんですよね。いまのところuminのサイトにはダミーデータだけ入れてあります。ということで、横浜で会いましょう! 仙台には行かないですか? 私は4-7月は学会ラッシュです。
ハンドルネームはべつに英数字である必要はないと思いますよ。たんにはてなダイアリーのidが英数字でないといけないので自動的にidが入っているだけでして。
もし参戦されるならはてなダイアリーが一番楽だと思いますが、movable typeはタダで3つまでサイトが構築できるので、私の借りてるところにサブドメインを作ってそこでやってもらうことも可能ですよ。
ご隠居さんのとこでの話題ですが。
以前ちょっと長い日本語ハンドルネームを使ったら拒否されたことがありまして、それで勘違いをしてたんですね。
この場をお借りして日本神経科学大会の宣伝をしてしまってすみません。もうオープンにしてもよいのかも知れないですが、確か鳥のエピソード(的)記憶をやっている方なんかもシンポジウムに来られる予定ではなかったかな。この機会に学会員、非学会員問わず、たくさんの神経科学の研究者のご参加をお願い申し上げます。7月26-28日パシフィコ横浜です。<しっかり宣伝してる。
2005年02月01日
■ 敬称続き。
cogniさんの20050131を見てて「氏」のことを忘れていることに気付きました。20040116でも自分で書いてるし。最近見た関連記事:小林Scrap Book Heartlogic。
というわけで、「ネット上で知り合った人」と「それ以外の人」、という分類では足りなくて、「それ以外の人」というのには「面識のある人」と「面識のない人」というのがあって、後者では「氏」を使ってきたわけですな。さいきんほとんどそういう機会がないので忘れてました。ネット上で著名人に言及したりすることはほとんどないし(ミュージシャンくらいだけどたいがい外人だし)、まだコミュニケーションを取ったことのない有名サイトに言及するときとかはURLだけで示すことで回避してきたわけだし。このへんは距離感覚のとり方があらわれてくる、ということなのでしょう。
ryasudaさんのところでも関連コメントが。私も似たような文化にいたのですが、はじめは驚きました。中学生のときに50歳も年上の大先輩を「さん」付けしなければならなかったのですから。もちろんこれはタメ口使っていいということではまったくなくて、そういうグループに属しているという自負とともにあることだったのですが。
2005年01月31日
■ 手作りパソコンの価格が納得できません
[教えて!goo] 手作りパソコンの価格が納得できません。
via ARTIFACT ―人工事実―
いやー、ぜったいネタでしょ。しかしこのフラグの立たなさっぷり、明らかにムダな努力。自作男のその気持ち、よくわかる。すげ―泣ける。そんなとんちんかんな努力をしなかった、と言える者は石もてこの自作男を打て。私は打てないっすよ。なんか胸が疼いてきた(妄想と回想が進みすぎ)。
しかもそのたった2週間後にシステムおかしくなってるし:[教えて!goo] アイコンが動かない、データ移動もできない。
・・って最近「雑記」ばっかりです。
■ 敬称
ネット上での敬称、私自身はいくつか決めているつもりのことがあるので整理してみたらこうなりました。(2/3加筆)
んで、実生活での呼び方は以下の通り。
- 自分のmentorには「先生」をつける。
- それ以外は全部「さん」付けにしたい。
というわけで言いたいことは要するに、私自身のこともけっして「先生」付けせずに呼んでいただきたい、ということです。
2005年01月29日
■ movは開かない
なんでオンラインジャーナルの動画ファイルはmovだけしか掲載しないんすかね。WindowsユーザーはQuickTimeをインストールしないといけないではないですか(TMPGEnc + QTReader.vfpもQuickTimeをインストールしないと使えないですよね)。かつてQuickTimeをアンインストールしようとしたときはシステムがおかしくなるかもしれないがそれでもアンインストールするか、とか脅しをかけてきたんで、今のシステムには入れてないんです。いや、Windows media playerだって同罪です。だけど、せめてmpegとmovと両方を掲載するようにしとけばいいのに。そういえばLinuxの人にはなにが最適なんだろ。
2005年01月28日
■ 生理学会に向けてダッシュしてます。
今日は木下先生による講義「回転する分子モーターとATP合成」があるのでラボのサイトへ行ってryasudaさんの論文やレビューとか含めていくつかダウンロードしたんで、読んでから聞きに行こうと思ったのだけれど、けっきょく聞きに行けず。ほかにネットで手に入る資料にはNetScience Interview Mail(1998)があります。
2005年01月25日
■ 「ログインしてください。」
より良いCMSを作る
via YAMDAS現更新履歴1/24
これにコメントを付けられるほどにCMSの事を知っているわけではないけれど、"Users of a public Web site should never, never, be presented with a way to log in to the CMS"というのにはあー、やっぱり、と思ってしまうのです。
あの「登録してログインしてください」ってのがものすごい心理的に障壁なんですよね。半年ROMってから書き込む、というような形でだんだん参加したいのにそれがしにくくなるわけです。けっきょくは気心知れた人のあいだで使うグループウェアとしての側面のほうが強いのだと理解しております。
似たようなことはブログでもあって、Movable typeでもTypeKeyというのを使ってサインインしないとコメントを書き込みできないようにする機能があるし、MSNブログでも「コメントを投稿するには、Microsoft .NET Passport を使用してこの Web サイトにサインインする必要があります。」というのがあります。これらは「半年ROMってから」いざ書き込むときにはじめて出てくるのでより心理的障壁は低いわけですが、それでも気になります。Six Apart自体がコメントスパム対策のひとつとしてTypeKey使用を推奨しているわけですが、ほかのやり方で対処したほうがよいかと考えています。追記:あ、べつにこのサイトに書き込む前に半年ROMれ、なんてぜったい言いませんので。
2005年01月21日
■ XHTML1.0 Transitionalでvalidにしてみました
このサイトをWeb標準に準拠させるということで、インデックスページに関してだけvalidatorでXHTML1.0 Transitionalとして合格するようにしてみました。
まずAnother HTML-lint gatewayにかけてみると-1点とか出ます。教えに従って、</p>の入れ忘れや空要素の閉じ忘れ(<img />とか)を直します。あと、movable typeの編集画面で「改行を変換する」にしておくと、<p></p>の中に<blockquote>や<ul>が入ったりといった、ブロック要素の混乱が起こるのでこれを整理します。さらに<A HREF="">を<a href="">に直すとかしょうもないことをいろいろやって50点までたどり着きました。
やっかいなのはcgiに送るurlの中にしばしば&が入っている、というやつで、AdminLinks.plがcgiに送るurlの&を&amp;に置換するためにAdminLinks.plのソース自体を直して再構築しました。っつーか、これって"Edit Entry"が丸見えってことですか(気付いてなかった…実害ないけど)。それから、PLoS biologyのfulltextのurlには&が入っているのでこれも&amp;に置換しないといけない(こんなこと毎日やってられないな)。このへんをやってやっと77点まできました。
そこで、W3Cのvalidatorにかけてみると、validになりました。
2005年01月20日
■ Scienceのwebサイト
のfulltextのページにadvertizement(annual reviewsのやつ)が入ったことで激しくレイアウトが狂ってます。なんでこのまま放置してるんだろ。しかもfirefox1.0だけでなくinternet explorer 6でもおかしいんですけど。たとえば昔の論文、適当にhttp://www.sciencemag.org/cgi/content/full/275/5306/1593とかでみると、バックが白いところと灰色のところがある(Fig.2の後ろで必ずこうなるらしい)。
2005年01月18日
■ 昨日と今日は研究会
だったのですが、時間がなかったので二つだけ聞きに行って質問してきました。詳細は省略するので奥歯にものの挟まった言い方なんだけど、私が質問で聞きたかったのだけれどたんなる違和感の表明にしかならなかったものを、それぞれの質問者の方がより具体的な質問にしてだんだん解き明かしてゆく様に、ああ、そうい言えばよかったのか、とおのれの修行不足を痛感。私と同じくらいから少し上ぐらいの人たちが主な参加メンバーということもあって、もう少し参加したかったし飲みにも行きたかったのですが、残念ながら明日の準備があるのでじゅうぶん参加できませんでした。今度は発表者として参加したいと思います。
2005年01月14日
■ 横スクロールバー反対、リキッドレイアウト万歳のつづき
Firefox1.0で気になることといえば、長いURL(とか数式とかとにかくスペースのない長い英数字)が折り返されずに一行に延びてしまってカラムからはみ出てしまうことなんですけど、これってブラウザのバグなんでしょうか、それともhtmlの書き方の問題なのでしょうか。Internet Explorer6.0では起こらないし(かといってIE6が正しいとは限らないけど)、Lynxでも起こらない(あたりまえか)のですが。
<pre>の中身の一行が長いときにもブラウザのウインドウ幅ではなくて一行が終わるまで横幅がひろがって、横スクロールバーが出ますよね。これはIE6でも起こることですが。
とにかくイヤなんですよ、横スクロールバーが出てくるのが。ウインドウ幅より大きい画像だったら自動的に縮小させて表示するべきだし、2カラムや3カラムでウインドウ幅からはみ出すようだったら自動的にそのカラムは左のカラムが修了したらその「下」に表示すべき(CSS外したときのように)だと思うのですよ。その意味ではCSS賛成、テーブルレイアウト大反対ですし、フレーム大反対です。
なんでそんなに横スクロールバーが嫌いかといえば、こっちはブラウザのウインドウ幅をおそらくかなり狭め(いま測ってみたけど、縦スクロールバー入れないで680pixel)にして使っていてそういう場面にぶつかることが多いからだと思うんです。そしてそれはなぜかといえば、1カラムしかなくてウインド幅をpixelなどで限定してないようなサイトのテキストを読むことをデフォルトとして考えているからなのです。そういうばあい、ウインド幅が800pixelもあったらすでに読みにくいわけです。1行の横幅が長いと読みにくいというのは、昔のIBROのNeuroscience誌が段組みなしでA4で1行丸々使われていたとき、現在の段組み2カラムと比べてどんなに読みにくかったか思いおこしていただければわかるのではないかと。
だから、対策として逆を考えることもできるわけです。リキッドレイアウトつったって1600x1200pixelの画面に全画面表示して読ませることなど誰も想定していないわけで、ブラウザ全画面表示をデフォルトにしても困らないように、ウインドウ幅をとくに指定していないhtmlに関してはブラウザの設定によって折り返す文字数かpixelを設定して勝手に折り返してもらうようにする、これでいいわけです……そんな設定いまのところないですよね。
もしくはCSSでこういう設定ができたらいいのだけれど、文字描画領域の最大幅を800pixelとか設定しておいて、ブラウザを全画面表示したときにテキストが横幅いっぱいは表示されないようになるのだけれど、ブラウザの表示領域が600pixelとかのときには途中で折り返してくれて横スクロールバーが出ないようにする。これは現状不可能ですよね?
3カラムのレイアウトのサイト(blogとかに多い)とかで、本文の部分のカラムがむちゃくちゃ狭くて携帯かなんかで読まされているかのように見えるサイトをいくつか見て、なんて変なレイアウトなんだと思っていたのだけれど、それは左右のサイドバーの幅をpixelで設定してその余りをメインコンテンツのカラム幅に充てるようになっているからだ、ということに最近気付きました。そういうところは製作者がブラウザを全画面表示にすることをデフォルトだと思っているのでしょう。
うーむ、みんなはどうしてるんだろう。どっかに統計はないもんだろうか。
2005年01月12日
■ 月の暗い部分
月がほとんど新月状態に欠けていて、月の暗いところがうすぼんやりと見えていて、それを私は夕食を摂りに家に戻るときに自転車で坂を下りながら見た。影の中に影があるのを感じる、とはこんなことなのかもしれないと思ったり。今晩は早く寝よう。
Pooneilとはなんなのかはググればわかります。ところで私はthe tao of poohから入って遡ってMilneのpoohのファンになったclassic pooh主義者でもあります。そういえば、トイレに貼ってあるclassic poohカレンダーで今朝見た印象的なフレーズは"neiled it on its right place"。
2005年01月06日
■ science と PNAS が RSS feed を始めた
via ktazの論文メモ 1/6
ということで私がいまアンテナに入れてフォローしている雑誌の分野での対応状況はこんなかんじ:
- Nature あり RSS1.0 (XML)
- Science あり RSS1.0 (XML)
- Nature Neuroscience あり RSS1.0 (XML)
- Neuron まだ
- PLoS biology まだ
- JNS まだ
- PNAS あり RSS1.0 (XML)
- JNP まだ
- Cerebral Cortex あり RSS1.0 (XML)
- Nature Reviews Neuroscience あり RSS1.0 (XML)
- Trends in Neuroscience まだ
- Trends in Cognitive Science まだ
あとはScienceDirectに入っているジャーナルが対応すればほとんど網羅できてそうなかんじ。というわけで、firefoxにインストールしただけで放置していたRSS ReaderのSageにいろいろ登録したところです。
2005年01月01日
■ あけましておめでとうございます
- あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。現在実家に帰っております(いるはずです)。このエントリは投稿日の指定機能を使って公開してみました。うまくいくかどうか。
- と書いたらうまくいかないでやんの。というわけであらためてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
- 実家のinternet explorer 5でこのサイトを見たらいろいろひどい。H1タグがアホみたいに大きいし、過去ログの選択だけ字体が行書になってるんです。なかなか難しい。
- 子供たちと近くの川沿いの大きな公園に行って凧揚げをしました。はじめて凧揚げをする息子はなかなかコツがわからないようですぐにあきらめて他の遊具で遊びだしたので私がやってみました。風が強いのですぐに揚がります。ちょうど凧と太陽が重なってサイケデリック。ま、自然が一番サイケデリックであるなんてのは当たり前なのだけれども。雲の複雑な形とか、葉っぱのすべて落ちた木の枝振りとか。んでもって、だんだん凧揚げの感覚を思い出してきます、凧の動きを見ながら凧の周りで吹いているだろう風を感じて、凧糸一本でそれに最小限の介入をする、凧は地面とほとんど垂直になるくらいに揚がって、風に対する抗力よりは揚力の方が優勢になったのを感じます。小学校の時に叔父さんの手製の凧を持参した凧揚げ大会で同じ河原(そのころはいまのような綺麗に整備された公園ではなくて、本当に堤防の内側の河原だった)で誰よりも高く凧を上げることが出来たことを誇らしく思い出してみたりして。そうこうしているのを見て息子がまたやりたくなったようなので、今度は息子が揚げている横でいろいろコツを教えてみます。あんまり無駄に走らないとか、糸が弛んだときだけ凧糸を引くとか、さかさまになって落ちてきても凧糸が弛んでいなければ凧が自分で体勢を立て直すから平気、とか。最後のコツは息子が気に入ったようすで、わざと凧が落ちてくるぎりぎりまでもっていってから急上昇させるような技を開発して「つばめ返し」と命名するまでに。そのうち息子は放っておいても凧揚げが出来るようになってきたので、今度は娘と揚がっている凧の影を追っかけて遊びます。でも娘はすぐに飽きる。まだ小さいのでしょうがないのだけれど。私の父親(子供たちのおじいちゃん)も自作した飛行機(バルサと発泡スチロール製)をいっしょうけんめい調整してました。私も持参した論文を読む事もなく、凧揚げが面白くなってきた息子とけっきょく1時間半付き合うことに。そんな正月でした(<-まだ終わってない)。
2004年12月30日
■ 引越しほぼ完了しました
これから更新はこちらのさくらインターネットのほうで行います。書き込みもこちらでお願いします。
http://pooneil.sakura.ne.jp/ pooneilの脳科学論文コメント日誌
アンテナやブックマーク使用の方、新しいサイトのほうの登録をしていただけるとありがたいです。お手数かけて申し訳ありません。
皆様の書き込みもこちらに移動させました。コメントの移動に関して問題のある方は申し出てください。すぐに対処します。
はてなとniftyはしばらくおいておきますが、そのうち消します。これまでどうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
早急に直さなければならないこと:
- コメントの改行がなくなっているのを直す
- 個別のアーカイブページで前後のエントリーに移動しようとすると前後の日の一番目のエントリにだけリンクがつく
- トラックバックできるようにする
- はてな上にある画像ファイルの移動
- mimetexを使った数学記号の移動
こんなかんじですが、とりあえずは動いてます。書き込みも時間が多少かかりますので気長にお待ちください。
# kami
新サイトへの移転おめでとうございます。当サイトでも、新アドレスにてリンクさせていただきました。よろしく御願いします。
自らサイト・CMSを立ち上げてブログ管理というのも大変でしょうが、手のかかる子ほど愛着が沸いてくるものだと思います。色々と新機能を期待しています!
さっそくのコメントありがとうございます。あまり手をかけずに済むようにだいたいの原型を作り上げた、といったところです。何ができるか少しずつ模索していくつもりですが、まずは引越しで失ったものを少しずつ取り戻してゆくつもりです。これからもよろしくお願いします。
2004年12月29日
■ さくらインターネット
でmovable typeで構築したサイトに引っ越すことにしました。というか年賀状にさくらインターネットのURLを入れてしまったもので。けっきょくのところ、11/9で書いたような点ではてなダイアリーの利点を充分オーバーライドできたかというとそんなことはなくて、テンプレートをいじっていて、はてなダイアリーがいかによくできているかということを痛感したのですが*1、それでも枠の中にはまっている状態から逃れたいと思ったので、えいやと移動するつもりです。今年じゅうにniftyのサイトと併せて完全に移動して、更新と書き込みはさくらインターネットでできるようにしてはてなのほうははてなポイント使い切るまではリンクだけ示して、そのうち消す、そんな順番で行く予定です。
XOOPSに関しても多少調べたのですが、まだ私には少なくとも1年くらいは早いと思いました。私はこれまでせいぜいearly majorityあたりのスタンスでネットに関わりつづけてきました:はてなへの参入が各種日記サイトのはてなへの移動を見てから、movable typeへの参入がver.3で日本語化されるようになってから、はてなアンテナは使っているけれど、RSSリーダはまだ使っていない、というあたりで私のスタンスはわかってもらえると思います。XOOPSはまだinnovatorからearly adopterのものであるかと。こういう私はダサいかもしれないけどしょうがない。オライリーの本が出るよりも遅く、おっさんパソコン雑誌で採りあげられるよりは早いくらい、これからもそのくらいでキャッチアップしてゆく所存。
2004年12月27日
■ 我が家のクリスマス
子供が大きくなるといっしょにうたえる歌が増えて楽しいのだけれど、子供は移り気なのでギターのコードを拾っているあいだに次の歌をうたうことになってけっきょく伴奏せずにいっしょに歌いました。
酔っぱらった私はワインを絨毯にこぼしてしまい、食事そっちのけでふき取り仕事に……どうもすみません。
そんなクリスマスでした。
http://d.hatena.ne.jp/ryasuda/20041226#p2
うちも似たかんじです。我が家では上の子がプレゼントについているジャスコのシールを発見したのですが、サンタさんはジャスコでプレゼントを買ってきてくれたことになったようです。
2004年12月25日
■ sciencedirect
はそれぞれの論文が長いURLでしかもその中にuseidが入っているからURLでfulltextにリンクしても私しか使えないよな、と思っていたらcitationのexportの画面でASCII formatでexportするともっと短いURLを出力してくれることをいまさらながらに発見。これだとsciencedirectでfulltext読める人は直接アクセスできるのでしょうか。ということでテスト。http://www.sciencedirect.com/science/article/B6VRT-4F13RF4-9/2/8a69e9eb48557a8e8869067734b7113a
2004年12月17日
■ Neuron誌の目次
Neuron誌の目次のフォントがあまりに小さすぎるのが前から気になっていたので、ソースを見てみました。
論文のタイトルと著者はcontentクラスがstyles.cssで定義されていて、FONT-SIZE: 10px。fulltextやpdfへのリンクはfulltextクラスがneuron.cssで定義されていて、こちらもfont-size: 10px。これは小さすぎる。おそらくはモニタが72dpiに設定されているマックでデザインされたのでしょうけど、96dpiがデフォルトのwindowsユーザにとってはこれではアリンコのようです(さらに悪いことに、私は最初に画面のcalibrationをしているので104dpiです)。
しかもフォントの大きさをpixelで設定しているため、internet explorer6では文字サイズの拡大縮小(ctrl+スクロールボタン)が効かないのです。前述の"Designing with Web Standards"ではpixelで設定してやる方法が他の方法(emやpointを使う方法)よりも良いとは言っているけれど、こういう事例を見ると疑いたくなります。ちなみにfirefoxではpixel単位で設定されている文字のサイズの拡大縮小は可能です。というわけでinternet explorer6のバグのひとつなわけですが。ちなみに著者のzeldmanはこのことはわかったうえで、それでもemは機能しないし、pixelで表記するのがいちばんブラウザ間の見栄えのばらつきが少ない、という意味でそう主張しているわけではあるのですが。
# ryasuda
フォントに関しては、テキストブラウザ(w3m)を使ってる私には何の問題もないのでした(上つきも下つきも無視ですけど)。
# pooneilw3mだと書き込み時にテキストエディタが立ち上がるから、IEでのAreaEditorの対応物とかを探す必要もないというメリットもありますね。http://www.kowa.org/modules/pukiwiki/176.html
2004年12月16日
■ ウェブログとジャーナリズムと余暇
via 参加型メディア時代におけるウェブログとジャーナリズム 著者: Rebecca Blood 日本語訳: yomoyomo
Nieman Reports Magazineの2003年fall issue (pdf)というので"Weblogs and Journalism"という特集がまるごと読めます。もうこれだけでおなかいっぱいというか、読みおえるうちに話題が収束してしまいそうなボリュームです。Rebecca Bloodの上記論文の原型だけでなく、DAN GILLMORによる"Moving Toward Participatory Journalism"なども含まれてます。ちらっと読んだかぎりでは、ジャーナリズムの立場からものを言っている人が多そうな感じがしました(雑誌の性格上、しょうがないのだろうけど)。
ところで、「中途半端に書くと馬鹿だと思われるし、真面目に書くと暇人だと思われる」、これ、他人事ではないのですが、上記の特集のp.63-64 "Is Blogging Journalism?" By Paul Andrewsで似たようなくだりがあります。
とあるパネル・ディスカッションでベテランのジャーナリスト集団に向けて、私は一日平均2時間を自分のウェブログに充てていることを話すと、驚きの反応がそれこそ部屋全体から聴こえてくるかのようだった。いったいだれが報道業務の中から毎日の2時間を割くことができるだろう? これはまっとうな質問だ。いま私はフリーランスなのでそれができるけれども、私の25年間のフルタイムでの記者経験からすれば日々の作業でブロッグを書くことに充てる余裕などなかったであろうことを知っている。
つまり「暇人」と思われると困るのは、9to5で働いて余暇にブロッグするとか、時間のたっぷりある学生がブロッグを書くのとかとは違って、自分の使える時間を全て仕事に充てなければいけないような職場(9to24、お好みなら7to26で)にいる人がどうして仕事以外のことをしていることを公表してしまえるのですか、という話なのです。
# kami
>「中途半端に書くと馬鹿だと思われるし、真面目に書くと暇人だと思われる」名言ですね。とある、NPO・読者参加型ネット新聞というのがあるのですが、そこで活発に議論されている方は、結局睡眠時間を削ってますね。そこまでやるんかいなと思いましたが、しっかりソースを調べて、論理的に展開し、かつ相手の反論(時にただの詭弁・揚げ足取り)に答えていくには、そうなってしまうんでしょうね(半分中毒性あり?)。そのサイト自体は、結局、個人情報登録必須かつ実名報道・議論という展開になって、常連さんの一部は、個人ブログやアンチテーゼとしての新サイト立ち上げて撤退という風になってしまいました。
# pooneil>>真面目に書くと暇人周りから、あー、この人は仕事もそこそこにネットばかりやってて窓際族なのだな、などと思われないように実績をガンガン出していきましょう、とけっきょくいつものオチにわたしの場合話が向かいます。この点で、ガヤ日記は明白にすばらしかった。>>個人情報登録必須かつ実名報道・議論こちらはまた別に議論する価値のある話題ですね。私が巡回している各種ブログやweb日記の中でも、実名を出している人いない人、プライベートなことを書いている人いない人、ボスに読まれることを想定している人いない人、などいくつかの点でそれぞれスタンスが違っていますが、実名でガンガン議論する、というのとは違ったスタンスの方が多いという印象があります。私だってググって探しものをしているだけの人にはわたしの名前が露出しないようにしてあるわけでして。実名でガンガン議論、というのは技術系MLとかからの流れで、それとはちょっと違ったコミュニティの一部としてある感じがしてます。このことはもちろん、そういう中でどのように議論を活発化していくことができるだろうか、というこれまでにも話題になった問題意識とも大いに関連しています。
# ryasudaあじわい深い言葉ですね。でも、ブログの記事がポリッシュされていなくても、それほどInsightfulではなかったとしても、馬鹿だと思われることはない、と思うのですがね。少なくとも、私はそうは思わないけど。ブログが仕事の一部のようになってる人もいるのかもしれませんが。あと、年齢では、F1-ATPaseでノーベル賞をとったボイヤーは、60才のときの仕事で、88才でとりました。高齢のほうを探してみるのも励みになりそう?
# pooneilなるほど、どちらかというと「真面目に書くと暇人」の方に反応していたけど、「中途半端に書くと馬鹿だと思われる」かどうかは再考の余地がありますね。じっさいのところ私も、ただ来訪者数を稼ぎたいというわけでもありませんし。これまで書いてきたようなリスクうんぬんの問題があるので、隙のあることは出さないほうがよいと思うけど、prematureな考えをメモってく、という気軽さもblogの利点ですしね。ってryasudaさん、とってもinsightfulな指摘をしているではないですか。あと、60才のときの仕事で88才に受賞、ですか。その場合いかに長生きするかがノーベル賞を取れるかどうかの最も重要な要因となりそうですね。
# kami実名・所属を明らかにしての議論するか、ニックネームだけでよしとするのか結構難しい問題ですね。いろいろなフォーラムやMLを見てても、やはりそれぞれで問題が起きてました。必ずしも、実名だから議論が形式的になるとか、問題が起きにくくなるとも思いませんが、気軽に議論しにくい面はあるかもしれませんね。
■ 年齢
がいくつであろうとやるべきことをやるしかないのだけれど。
ryasudaさんのところになにげなく書いてあるSvobodaが38歳という情報に涙。誰かそのへんの若手-やり手の年齢リストを作るべきですな。机の前に貼って、なにくそと思って働くの。ノーベル賞受賞者が受賞に値する仕事をした年齢リストってのはどっかにあったかもしんないけど、それより身近に感じれてよいのではないでしょうか。ShadlenとかSchallあたりはそんなに歳ではないですよね。Stephen ScottとかTirin Mooreとかは私よか若いですよね。ちなみに作るときは全角文字で作ること推奨。
2004年12月14日
■ サイトの再構築
つづき。
EndNoteとの連携を考えたほうがよいんだろうか(ぜんぜん活用できてない)。データベース化するときになにを情報としてもっておいたらよいのか、というあたりが重要そう。でもPMIDだけ持ってればいいか、というとそうでもなくて、いまダイアリーでリンクしているURLは(私が)full textにダイレクトにアクセスできるようにひと手間かけたURLを入れてきたわけで(たんにPubMedのURLを入れていたわけではないし、hippocampusやexperimental brain reserachなどのようにPubMedからはリンクが張られていないものもある)。
だんだんデータベースの設計みたいなことを考えたほうがよい気もしてきました。現状では日々の複数のエントリーが一つのデータで、それらの間にリンクが貼られていて、そのリンクは場合によっては違う日のエントリーだし、場合によっては論文へのリンクなわけです。これを論文単位でデータベース化しようとすると、ほとんどの論文はURLを貼っているだけで、いくつかの論文ではコメントが複数日付けられている。一つの論文にコメントする際には他のいくつかの前報にもコメントしているし、そういうときにコメント文を論文の属性としたデータベースを作ると重複してしまうし…だんだんわからなくなってきた!
さらに、PubMedとの連携、EndNoteとの連携など考えてゆくときりがないのだけれど(いつのまにかセマンティックWebとか調べてしまっている私)、このへんおろそかにしていたので少しは考えておいたほうがよいのかもしれません。Blogで論文メモ作るのとEndNoteに論文を取り込むのとがバラバラになっているというのはおかしな状況だし。Movable typeにエントリを入れて再構築するとEndNoteやReference Manager形式で落とせるようなものを出力できるようにして(RSSみたいに)、自分のEndNoteにコメントごと取り込めるようにするとか(こういうこと言うだけは簡単なのだけれど---たぶんPHPが使えれば可能なんでしょう)。いやいや、順番が逆か。ジャーナルのサイトで気になるものをEndNoteに取り込んで、そこからの出力をサイトに貼るとか。もうぐちゃぐちゃ。
■ EndNote関連
このあたりで、Endnoteをちゃんと活用したほうがよいのではないか、という感じがしてきました。ということでマニュアルを読む。それからwebをあさる。
- "EndNote日本語版活用講座"
- "EndNoteに取り込んだデータから論文の引用文献を作る方法"
- "EndNoteでReferencesを作る(その2) "
- "PubMedからダウロードした文献集ファイルをEndNote Plusで整理する "
- "EndNote - 文献管理を簡単に"
- "EndNote Tips (総特集:日本語の参考文献を何とか使えるようにする方法)"
- "EndNote Tips"
- "研究留学ネット-What's new!"
- "Endnote による MDL形式のダウンロード"
- "EndNote - k1h"
# ryasuda
Endnoteは、昔はよいプログラムだったのに、バージョンが新しくなる毎に不安定で使いにくくなってるんですよん。なんか他にいい方法があるといいんですが。。。御隠居さんの紹介していたiPapersはよさそうかな?
# pooneil私はwindows版 ver.6を使っているのですが、wordとの連係あたりでけっこうかたまったりします。というわけでバージョンアップしたほうがよいのだろうかと考えていたのですが、>>バージョンが新しくなる毎に不安定で使いにくくなってるうーむ、どうしよう。手元のpdfファイルの管理ということを考えるとwindowでもiPaperみたいなことができるものがあるといいなあと思います。
# cogniXOOPSでのPubMed PDFはどうでしょうか。WindowsならXSASを使えば2分ぐらいで構築出来ますし、ネットに設置も出来ました。http://pubmed.hardproblem.org/。一応、ID・パスワードともにguestで利用できます。でもネットはデータを持ち歩かなくて良いものの、動作が遅いのが難点になりますね。僕個人としては、学校が機関登録しているRefWorksを使っています。
# pooneilcogniさん、ご無沙汰しております。PubMedPDFよさそうですね。Xoopsまでは手を広げまい、と思ってましたが、げんざい「XOOPS入門 ―― ひとが集まるWebをつくる。」翔泳社ISBN: 4798106186を読んでいるところでして、movable typeよりもxoopsで新サイトを構築したほうがよいのではないかというふうに気持ちが傾いてきました。もう少しいろいろ調べてみるつもりです。どうもありがとうございます。
# kamiPubMed PDFは研究室での論文共有・検索にとてもいいですね。XOOPSだと、試薬の発注管理とか研究室セミナーのスケジューリングとか研究室管理のモジュールが増えてくると、研究室で導入する事例が増えそう(イントラで使うのがメインになるでしょうか)。
2004年12月13日
■ MovableType3.11導入メモ
さくらインターネットのスタンダードプラン(ライトプランではphpが使えないし、データベースがBercley DBしか使えなくてMySQLは不可)にMovableType3.11を入れて、はてなの記事を移動するテストをしています。
現状まででやったこと、わかったことをメモ。
とりあえず以下の3つを見ながらやれば30分で投稿できるところまで辿りつけました。
注意点としては、さくらインターネットのマニュアルの記載はBercley DB専用なので、データベースをMySQLにするためには設定ファイル(mt.cfg)にいくつか変更が必要になります。それに関してはきままにポロポロに書いてあることをやればいいだけですが、非常に簡潔に書かれているので、Movable Type 3.x 導入手順を見て一手一手手順を確認しながらやるのがよいでしょう。
私が引っかかったところ:FFFTPでファイルをアップロードする、これが一番大変で、途中で何度も接続が切れてやり直しを繰り返しました。それからあと、mt.cfgの「142-145行目の#を外す。」というのをしないでいたら、mt.cgiの動作がものすごく遅くて難儀しました。最後にindex.htmlの生成される場所の指定を間違えたのでhttp://pooneil.sakura.ne.jp/が空っぽでディレクトリが丸見えになってました。でもそんなもんで。
現在やっていること(1):Movable typeでは管理画面から編集できるテンプレートとスタイルシートでもってサイトの構造と見えを決めてやるわけですが、これはネットを見ながらデフォルトのテンプレートとスタイルシートをいじってゆく、という形で少しずつやってます。テンプレートの方はあとで変更をきかせにくいところだけあらかじめやっておくつもりです(MTPaginateを使うためにアーカイブページを.htmlではなくて.phpに変更するとか)。ほかに「エントリーからすぐ編集画面へ」 「プレビューボタンのみ表示してhashを仕込むというコメントスパム対策」、これらを入れる予定。スタイルシート自体はあとですこしずつ。あんまり凝らずに、カラムを使わないことで印刷しても読みやすいようにして、あとweb標準を目指す方向にて。
現在やっていること(2):log2mtを使用してはてなの記事(+画像およびコメント)をmovable typeの形式にexportして、これをmovable typeの管理画面からimportします。このファイルの形式はMovable Type Import Formatにあります(しかし、ver3.11から導入されたサブカテゴリーについての記載がない模様で、どうやって情報を入れればよいのかわからない)。log2mtだと一日のデータが一つの本文として認識されるため、別々のカテゴリーの記事が混ざっている日のデータを分けてやる必要があります。また、カテゴリーのデータに■ [Paper] とかで指定したものではなくて日付が入ってしまいます。また、コメントの改行がなくなってしまっています。このへんに対処するために、log2mtでexportしてできたファイルを編集してやる必要があります。Perlとか知っていれば簡単なんでしょうけど、私は知らないので秀丸のタグ付き正規表現を使ったマクロを探すか作るかして対処する予定です。
使い勝手:サブカテゴリーはいい感じです。コメントが続いた論文などを適宜サブカテゴリーに入れることで論文(Glimcher論文とか)やトピック単位(遠心性コピーとか)で書き込みとともに閲覧することが可能に。これがしたかった。ただ、論文タイトルをサブカテゴリー名にしたら文字数制限で途中で切れるし、アーカイブのファイル名が長くなってしまうとかのデメリットがあるので、なんらか別のidentifierを使った方がよさそう(PMID?)。
なんて書いておいたらhttp://d.hatena.ne.jp/go-in-kyo/20041203#p1でiPaperというものが紹介されてます(日本人の方がCocoaで作ったMacOSX用のアプリケーションであるようです)。うーむ、まさにPMID。どうしよう。Windowsユーザーなので使えないし。
つづきます。
2004年12月11日
■ ジャーナルのfull textに<SUP>タグが入っている
ということで最近Designing with Web Standards―XHTML+CSSを中心とした「Web標準」によるデザインの実践 とかweb designingの記事とかを読んでCSSとかweb標準とかにかぶれているのですが、firefoxに変えて一つ発見をしたんで報告。
JNSのfull textを開いてみたらslepnirで見ていたときと比べてなんか行間が広いんです。おかしいなと思ってhtmlソースを見たら、テキストに60文字ごとに<SUP> </SUP>とか入ってるんです*1。Fulltextのページでctrl-Aしたら一目瞭然でした。どうやらこの<SUP>タグでどのくらい文字を上にずらすかがinternet explorerとfirefoxとで違っているようなのですね。たぶんこのタグを使って行間を広めにしようとしてるんでしょうけど、ひどい技ですよね。たとえばブラウザの横幅小さくして30文字くらいしか見れないようにするとこのタグが入っている行と入っていない行とで行間がぜんぜん違って見えるわけです。しかもこのサイトはCSSを使っていないわけではなくて、論文のファイルごとに頭に埋め込んであるのです。だったら、line-heightで設定してやればよいではないですか。line-heightがInternet explorer 3ではバグるから回避した、とはちょっと思えません。しかもこんなことされるとhtmlファイルでフレーズ検索するときに<SUP>タグに引っかかって検索に失敗するということも起こるわけです。どうもテキストを溜め込んでデータとして活用する可能性というものをまったく考えてないのではないか、と思う次第です。本文と図のレジェンドの関係とか、もっと構造的にして再利用できるようにしてちゃんとXML的にですね……(<-かぶれ過ぎ)。
そういえばかつて論文のfull textのhtmlを貯めこんで全部つなげてコンコーダンサ用のコーパスを作れば論文を書くときに便利なのではないかと考えたことがあるのですが(いつもこういうことを考えるだけで実践しない私)、こういう変な技をしている例があることをよく確認しておいたほうがよいのでしょう。やるとしたら日本人含むnonnativeが書いた論文をはねるとかいくつかの前処理をしておかないと使いものにならないだろうし(ま、自分のことは置いといて)。
追記:こんなヌルいことを書いていたらNatureではすでに2001年の段階でThe Public Library of Scienceとの兼ね合いなどで"Future e-access to the primary literature"というdebateサイトを作ってXMLの可能性とかについてもextensiveに議論した形跡がアーカイブしているのでメモメモ。下のほうへいくとRichard StallmanやTim O'Reillyも書いてる。こんなのがあるとは知らなかった。とはいえ、最近はこのhttp://www.nature.com/nature/debates/は活用されていない様子だけれど。
*1:PNASやScienceなどもそうなってました(pdfのautomatic downloadをする画面を見るかぎり同じ所がweb製作を手がけているのでしょう)。Natureはそうなりませんし、ScienceDirectからダウンロードするところはみんなそうなってません。
■ OPEN ACCESS
のものやラボのサイトから落とせるものなど、有料でないものについてはできるだけ明記してみるつもりです。
2004年12月10日
■ Firefox 1.0
Firefox 1.0に乗り換えました。これまではslepnir1.62を使っていたのですが、いくつか不満なところが出てきたのをfirefoxが解決していることを確認したので。
以前mozillaやfirebirdを我慢して使っていたときに不満だったのが、タブの操作だったのですが、tabbrowser extensionsを入れることによってslepnirとほぼ同程度のタブ操作が出来るようになっていました(ブックマークを開くときやweb検索のツールバーの結果がアクティブにならずにバックグラウンドで開いてくれることが私にとっては重要)。また、PubMedの要旨のページやwired newsなどの2カラム(や3カラムのblog含む)のページを印刷するのに用紙に合わせて横幅を縮小して印刷してくれるようになっているのを発見したこと、これがデカかったです*1。たくさんのタブを開いたときにタブの横幅が小さくなってくれるのはMozillaとのときと同じですが、やっぱこっちのほうがよいです。Slepnirだとアクティブなタブがなんかの調子で見えなくなることがしばしばありますから(たとえば、ウインドウを最大化してから戻したときとか)。
あとはAreaEditorがFirefoxでは使えないことが問題だったのですが、これに関してはFirefox利用時にTextareaを任意のエディターで開く方法を発見しました。http://www.measure-zero.jp/blog/archives/2004/11/mozex_1.htmlにある通り、Show Old Extensions 0.1.7を入れないとmozexがインストールできないそうです……それでもインストールできない……またこんどにします。
あともう一件、ブックマークがfirefoxではスクロール式で長いリストから探索するのに手間がかかる(というかあほらしくて使えないので「ブックマークの管理」から開くようになる。一方、slepnirでは「お気に入りの続きを表示」で新しいカラムが出現するのですぐ開ける)という難点。とりあえず目的別拡張選び - Mozilla Firefox まとめサイト見るかぎりはそういうのはなさそう。なんかこの問題解決してくれるようなプラグインを誰か作ってくれないですかねえ(他力本願)。
……まあしかし、上記のメリットのほうがデカいと考えてfirefoxに乗り換えました。
追記:こんなことが起こっているとは知らなかったです。
*1:なんで世のwebサイトは横幅800pixelをデフォルトにするんでしょう。1カラムがデフォルトで読んでいる身としてはブラウザの横幅が800pixel分もあったら1行が長すぎて読みにくくてかなわないわけで。印刷するときはみ出るからテーブルレイアウトのhtmlをセーブしてwidthを消してローカルで開きなおして印刷したことがなんどあったことか。横スクロールバー超反対。リキッドレイアウト万歳。
■ EndNote
に取り込むためのリンクを付けられるものについては付けてみました(ScienceDirectはurlにuseridが入っているのでどっちにしろ使えない)。
2004年12月08日
■ はてなへの住所登録の義務化撤回
について(反応遅すぎ)。
なんというかはてならしく始まりはてならしく(とりあえずの)終結しましたね。はてな利用規約も新しいものが発効しています。確認しておくべきは著作権の問題くらいでしょうか。
はてな 利用規約 http://www.hatena.ne.jp/help/rules
第8条(当社の財産権)
- 当社は本サービスに含まれる情報、サービス及びソフトウェアに関する財産権を保有しています。
- 本サービスに使用されている全てのソフトウェアは、知的財産権に関する法令等により保護されている財産権及び営業秘密を含んでいます。
- ユーザーは、はてなダイアリーおよびはてなグループにおいて自己が作成した日記の内容および、はてなグループの有料オプションを利用しているグループのキーワードの内容について、著作権を有するものとします。
- 本サービスの提供、利用促進及び本サービスの広告・宣伝の目的のために、当社はユーザーが著作権を保有する本サービスへ送信された情報を、無償かつ非独占的に本サイトに掲載することができるものとし、ユーザーはこれを許諾するものとします。
- ユーザーが自己の保有する、本サービスへ送信された情報に関する著作権を第三者に譲渡する場合、第三者に本条の内容につき承諾させるものとし、第三者が承諾しない場合には、同著作権を譲渡できないものとします。
というわけで、はてな上で書いたことをどこか外部で発表もしくは出版するようなときにはてなが非独占的に持っている公衆放映権(など)を取りあげてcopyright transferをすることは出来ない、ということのようですな。でももしはてなの日記を全削除して脱退してからその記事を使うとしたらどうなんだろう。
なんにしろ、遅かれ早かれはてなからは出ようと思っております。それはサイトの再構成との兼ね合いなのですが。
2004年12月02日
■ 夜9時くらいに寒い中を車
でえんえん遠くの本屋まで片道30分かけていって、とくになにを買うこともなくぐるぐると回ってみて(そのへんでいちばん大きい本屋で、哲学書の棚が3列ぐらいある)、なにか(本ではなくて)あると思ってなにもなくてしかしがっかりもせずに淡々と帰ってゆくのです。
いつもこんなことばかりしてたような気がします。「なんかあると思ってなにもなくてしかしがっかりもせずに淡々と」。
20歳くらいの頃だったろうか、夜中の寒い中を自転車でえんえん遠くまで行って、国道でたくさんの車に追い抜かれて、大きな川を渡って、周りが畑だらけになって肥料の香りの中を一人で走っていることに気付いたあたりでなんか限界を感じて家に帰っていく、こんなことを幾度となく繰り返していたのです。
私の行動はそういった無意味なものから成っていて、なんかそういう人の姿の見えない衝動で夜を徘徊する(周りには誰もいない)、そんなことばかりをしているのです。
たぶんこういう行動をしているのはなんかのサインだったんだと思います。いつでもやってるわけではなくて、なんかのタイミングで無性にそういうことをしたくなっていたのだから。自分にサイン出してどうするんだろう。
2004年11月30日
■ 自分にコメント
本番は木曜日なので、そろそろ今日あたりで症例報告については締めとしましょう。
- / ツイートする
- / 投稿日: 2004年11月30日
- / カテゴリー: [大学院講義「記憶の脳内機構」] [雑記]
- / Edit(管理者用)
■ はてな
で書きはじめて一周年が過ぎてました。ばたばたして忘れてました(こうやって結婚記念日を忘れたりするのだけれど)。この一年間いろいろありましたが、何とか無事にというかなんというか(ゴニョってる)。読んでくださっている方、どうもありがとうございます。
2004年11月29日
■ Teaching Tips
- http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips/
- http://www.fcs.iastate.edu/computer/tips/onlinetechtips.html
- http://adulted.about.com/cs/teachingtips/tp/teachertips.htm
- http://ase.tufts.edu/cae/pages/Tips.htm
- http://www.cat.ilstu.edu/teaching_tips/index.shtml
- http://www.oir.uiuc.edu/Did/docs/lecture.htm
- http://online.fsu.edu/learningresources/handbook/instructionatfsu/PDF-Chptr7.pdf
- http://www.city.londonmet.ac.uk/deliberations/lecturing/content.html
- http://www.everythingesl.net/inservices/
- http://web.indstate.edu/ctl/tips/tips.html
- http://www.teach-nology.com/
- http://www.teachingtips.com/
- http://honolulu.hawaii.edu/intranet/committees/FacDevCom/guidebk/teachtip/teachtip.htm
- / ツイートする
- / 投稿日: 2004年11月29日
- / カテゴリー: [大学院講義「記憶の脳内機構」] [雑記]
- / Edit(管理者用)
2004年11月25日
■ テストの進行状況
サブカテゴリーに論文の名前を入れたら半角100文字のところで切れた。なんでだろ。まえにBarcley DBで作ったときはこうはならなかったので、MySQLのデータベースのどっかを設定してやらないといけないのだろうか?
■ Googleのページ翻訳
via http://www.hyuki.com/tf/20041122141745.html
http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=ja&u=
の後ろにURLを入れて使います。ためしにうちの11/22のエントリーを入れてやってみたところ、ひどい翻訳ではあるけれど、このUngerleider論文とShadlen and the Newsomeに対して怒っていることだけは伝わってしまいそう。もはや、日本語で書いてもhalf-closedでなくなってしまうのなら、もうちっと違った態度で臨まなければならないのかもしれない。
2004年11月21日
■ テストの進行状況つづき
サブカテゴリを活用できたので満足。後は論文が増えていっても(ORこれまでの論文を加えていっても)今のやり方で対応できるかどうか。
2004年11月20日
■ テストの進行状況つづき
HINAGATAテンプレート消してもう一回defaultテンプレートから作り始める。tDiary1のレイアウトを模するにはGPLライセンスにする必要があるだろうか?さくらインターネットのライトコースではphpが使えないので試用期間が終わる前にスタンダードプランに変えるつもり。その際にデータベースもBarkeley SQLからmySQLに変えとこうと思う。
2004年11月18日
■ テストの進行状況つづき
tDiary1をまねてbodyとentryの色とリンクを変える。
禁則処理できるようになった。ベーススタイルシートの
word-break: break-all ;
word-wrap: break-word ;
をコメントアウト。
2004年11月17日
■ テストの進行状況つづき
テストの進行状況:コメントの時系列がバラバラ、ははてなからexportした段階で時間が全て23:45となっているせいらしい。なんかうまいやり方を見つけないといけないようです。また、preのタグのところの改行がなくなってしまっています。それから、6/31のデータが6月の月別アーカイブからなくなって6月から7月へ行けなくなるバグを引き起こしております。これはおとなしくデータの方を7/1に直すことで対処すればよさそう。本文中のリンクの挙動や色はtDiary1.cssを参考にするつもり。
英語とかが途中で改行してる。禁則処理してない。CSSのどっかで設定すればいいのだろうか。
さくらインターネットはtDiaryも使えるし、Xoopsも使えるのだけど、movable typeにした私は中途半端だったのだろうか。インターフェースはtDiaryで、機能はCMSって無理な相談か。しかしめげずにCSSを勉強中。
2004年11月16日
■ こちらのテストの進行状況
現在HINAGATA 2columnを入れたところ。はてなからexportしたデータは書き込みの時間順序がめちゃくちゃになっています。あと、エントリーが日単位になっていて、一日の中の別のエントリーが分離できておりません。このへんは早急になんとかするつもり。
2004年11月11日
■ 昨日の件について
id:cogniさんよりレスポンスあり。ありがとうございます。本題ではない「一日6000アクセスぐらいのhomepageを持った経験」というあたりに反応してみたり:あーそれはもしかしたら(略)。
で、英語圏に関してですが、日本人が読者ならどういうリアクションが来ても理解できるし対処しきれると思いますけど、英語圏の読者が対象だったら所属を明かした実名の方だけをtypekeyとかで認証する、ぐらいまでやらないと怖くてできません。そして、これまでの私の経験では、彼らは実名所属つきならぶっちゃけトークなどせずに余所行きの言葉でしか語らないことでしょう。id:ryasudaさんが書いているように、Faculty of 1000とかで論争的なことを書く人はいないわけです(F1000はすこしコメント文を読みましたが、誰が何の論文を選んだか、という情報だけ押さえておけば充分ではないかと思うようになりました)。そういう意味で日本語に限定するというのはhalf closedにするための方法の一つでもあるわけです。(ゆえに平瀬さんのときや今回のOKさんのときはどうすればよいかなかなか難しいのですが、いまのところ私自身は直で関わってない分野:two-photonだったので私自身がconfidential matterの問題に触れずに来れた、というところはあります。このへんに関してはいつも書いていることですが、皆様ご自分で自衛してください。)
いろいろ書いてはみましたが実際問題としては、英語圏の人が入れるようにするとトラックバックやコメント欄を利用したスパムで苦労するのがいちばんいやだろうと思ってます。端的にはてなからmovable typeにするだけでそうなるだろうと危惧し、移転を躊躇しております。メンテしないとこうなるという例はこちら*1。そういう意味で最近いちばんショックだったのは、私がよく読みに行くtDiary上で更新されているサイトですら被害を受けていること(ご迷惑なのでサイト名は出しません)です。はてなはこの点一つだけでもすでに素晴らしすぎると思います。
*1:放置されているのでこういう例としてリンクしても構わないでしょう。
■ はてなの住所登録問題 pukiwiki
はてなの住所登録問題 pukiwiki
via http://www.hyuki.com/tf/
2ちゃんねるの「石川は…」コピペのスタイルでこうやって分類されどっかに位置付けられてしまうと、オリジナルなことを言おうとするか言った人を見つけてリンクする、というゲーム(http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20041108)に参加したものは全員敗北したことをまざまざと思い知らされますな。いや、ここから先が文学の領域だ、なんて知ったかぶりしてみたり。
2004年11月10日
2004年11月08日
■ 検索ワードリスト
この日記の検索でやってくる方がどういう語で検索に来ているか多い順にまとめるとこんな感じです。重複ありで延べ4ヶ月以上で検索されているものを選び、研究に関係なさそうなものは適当に除外してあります。神経経済学/neuroeconomicsの台頭が著しいので、まう少し内容を充実させようと思いました。あと、それぞれの検索ワードがそもそもどのくらい多くの人に検索されているかでnormalizeしてみたい感じ。
検索ワード | 検索回数 | 検索月数 |
脳/cortex | 172 | 12 |
論文 | 121 | 7 |
MATLAB | 91 | 10 |
視覚/visual | 83 | 11 |
ニューロン/neuron | 71 | 19 |
頭頂葉/LIP | 42 | 10 |
サッケード/saccade | 41 | 9 |
神経経済学/neuroeconomics | 35 | 5 |
遠心性コピー | 33 | 6 |
記憶/memory | 32 | 7 |
脳科学 | 32 | 4 |
nature | 31 | 6 |
fMRI | 30 | 5 |
ROC | 23 | 6 |
カルマンフィルタ | 21 | 4 |
海馬/hippocampus | 17 | 6 |
ミラーニューロン | 17 | 4 |
regression | 16 | 4 |
fluo-4 | 15 | 5 |
gaussian | 14 | 4 |
アフォーダンス | 14 | 4 |
binding | 10 | 4 |
■ ソフトボール疲れ
というか三日酔い。しかも今朝はSFN報告会とジャーナルクラブ(例のGlimcherをやりました)。というわけでGlimcher論文に関してはまた明日ぐらいにでも。
2004年11月03日
■ はてな住所登録問題
参考資料:http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041103
via http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20041103
私は本名がわかる形でやってますんで、べつに登録しても困らないっちゃあ困らないです。はてなには一月たった180円で恩恵を受けているんで、はてなのためになるならやっても構わないとも思います。
しかし、以前(8/23,8/25,9/23)の公衆送信権のときの騒ぎにもあったように、なんか不用意な感じだし、真意がさっぱりよくわかりません。もう少し様子を見てからにしようと思ってます。
そもそも告知からたった2ヶ月でやるってこと自体に無理があると思います。niftyのメンバーズホームページ廃止ですら告知から半年の猶予期間があったわけですが、それでもたくさんのホームページがそこでなくなりました。niftyもなんでああいう、サイトを作りっぱなしで放置しているだけで月2000円入れてくれる客(私も含めてだけど)を切り捨てようとしたのかいまだわかりませんが。
ちなみに私の登録はもとから本名、メールアドレス、生年月日、郵便番号、性別全て正しいものを入れてあります。
2004年11月01日
■ SFN
でいろいろ書きたいことはあるけれど、つい、Neuronを見てしまったのでそちらを先に。
2004年10月29日
■ 無事
帰ってきたところです。
ご隠居(id:go-in-kyo)とはこれをよい機会にとあれこれ聞きまくり、教えてもらいまくり。本当にありがとうございます。
id:ryasudaさんの話を聞きに行ったら大盛況だったので、短い質問だけしてきて退散しました(赤い上着着てなんでRasを選んだのか、Ras以外の細胞内メッセンジャーにも応用できるのかを聞いてたのが私です)。
ガヤには一つ質問をしたのだけれど、他の人にも同じこと聞かれた、とのこと。残念。昼食だけ大学院時代の仲間といっしょに食べました。
何人かの方には日記読んでますと言っていただきました。どうもありがとうございます。
つづきはまた。疲れた。
# ryasuda
やっぱり、あの赤い人がpooneilさんでしたか。ぱっと質問されて、風のように行ってしまったので、定かではなかったのですが。それ以降は会うことができませんでしたね。飲みにでもいけたらよかたのですが。
# Gould学会お疲れさまでした。
# pooneilryasudaさん、こんにちは。大混雑だったのでささっと通り過ぎてしまいましたが、名前ぐらい名乗っておけばよかったですね。いつかお話をできる日が来るのを楽しみにしております。しかしSFNはポスターを見ている時間がぜんぜん足りなかったです。Slideきっちり見てたらposter見てる時間は1時間ぐらいしかないのですから。毎日午前午後どっかに見なければならないslideセッションはあるし、かといって見にいってがっかりしたりして。会場の固定化やslideセッションの重複なども併せて、SFNの巨大化でいろいろ弊害が起こっているという印象があります。全体的な質の低下を感じるのもそれの一環のようにも思えますし。Gouldさんもぜひ来年の神経科学会かSFNあたりでお会いできるとうれしいです。来年は私もなんとか演題を出せるところまで持っていくつもりです。
# go-in-kyo来年はDCですね.お時間があったらこちらの田舎町にでもよって下さいな.
# pooneilぜひぜひお願いします。ところでピッツバーグまでってどのくらい時間かかるもんですか?USA大きすぎて距離感がないんですよね。
# go-in-kyoDCから車で4-5時間,飛行機なら1時間たらず.めりけん的にはごく近所ですね.でも同じ時間かけるならNYやボストンに遊びに行くほうが充実しているかも(涙)...
# pooneilいえいえ、なんにしろ、仕事を出して存在を認知してもらえるようになってから行けるようにしたいと思います。
2004年10月22日
■ SFN annual meeting
へ行ってきます。10月29日あたりまで休みます。
2004年10月18日
■ はてな世代表
はてな「三百傑ダイアラー」(アンテナへの被登録数による)のうちで年齢を明らかにしている人の年代分布。
http://d.hatena.ne.jp/siken/20041014
via http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20041014#rd_68
うーむ、あくまで年齢を明かしている人についての統計なので偏りはあるだろうけど、若い。
4/18でやったGAMでこの分布を累積確率密度にしたものをfittingすると図のような感じになります。年齢のlogをとるとちょうどgaussianの累積確率密度でfittingできる模様。
なんにしろ、中間値が27歳、最頻値が26歳、40歳以上が全体の4%で、35歳以上が全体の13%。ああ、学会やマスコミや出版で活躍している人々の多くが私より若い。ダメじゃん。なんとかしようっと。
■ 娘との会話
絵本を見ながら。
娘:これはうさぎで、これはうさぎで、これは? 父:レイ。 娘:これは? 父:まこと。 娘:これは? 父:あみ。 娘:これは? 父:みなこ。 娘:これはうさぎで、これはうさぎで、これは? 父:レイ。 娘:これは? 父:まこと。 娘:これは? 父:あみ。 娘:これは? 父:みなこ。 娘:これはうさぎで、これはうさぎで、これは? 父:レイ。 娘:これは? 父:まこと。 娘:これは? 父:あみ。 娘:これは? 父:みなこ。
五周くらいして父が音を上げました。
2004年10月12日
■ ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス
ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス
遅まきながら、これを読みました。なるほど、よいではないですか。強引にまとめれば、「自分を楽しませることを忘れずに、更新を継続してゆくことで、だんだんコミュニティを作れたらいいね」、というところでしょうか。まったく文句ありません。なんツーか、ぜんぜん商売っ気がないところに好感が持てます。なんか、力づけられました。
というわけで、私も自分の楽しみであることを忘れずに、そして焦らずにこつこつやっていくことにします。
2004年10月10日
■ 「マーフィーの法則」は実在する!?――科学者がその方程式を作成
10/7 「マーフィーの法則」は実在する!?――科学者がその方程式を作成
via こちら
なんだこりゃ。というわけで元ネタを探索して見つけました、British gasのプレスリリース。"British Gas : latest news : The formula that proves that 'Sod's Law' really does strike at the worst possible time."
つまり今回の話はこういうことらしい。あるマーフィーの法則的な状況(たとえば「急いでいるのにタクシーが来ない」)での5つの要因についてスコア化(0-9)します。どのくらい緊急か(U)、どこくらいややこしいか(C)、どのくらい重要なことか(I)、どのくらいそれに対処する技術を持っているか(S)、どのくらい頻繁に起こるか(F)。そうすると、
マーフィーの法則度の高さ = ((U+C+I)*(10-S))/20 x 0.7 x 1/(1-sin(F/10))
で、0-8.3の範囲の値をとり、高ければ高いほどマーフィーの法則っぽいと定量化できる、というわけです。(U,C,I,F=9でS=0のときに最大43.6の値をとりうるので、実際の事例では8.3という意味でしょう。F=9のマーフィーの法則なんていやだし。)
5つの要因についてどうスコア化するかは個人差があり、それによってある状況がどのくらいマーフィーの法則的であると受け止めるかの個人差を説明できる、こういう意味なら、そんなにおかしなことを言っているようにも見えません。原文では左辺は「マーフィーの法則の起こる確率」だけど、上のように理解したほうが本当でしょう。
具体例でやってみましょう。
- 「待っているのにタクシーが来ない」
- 「大事な会議の前なのにタクシーが来ない」
- 「大事な会議の前で遅刻寸前なのにタクシーが来ない」
ようするに頻度(F)が最も重要な要因だと思うのです。つまり、U+C+Iが大きくなってもFが小さくなったように感じないという認知バイアスこそがマーフィーの法則なわけで、そういう形で定量化できるのではないかと。そういえば、以前のプロスペクト理論のところで、「小さい確率で起こる事象を過大評価する」というのがありました。
せっかくなのでいくつかリンク:
- "Murphy's Law - thefreedictionary.com"
- "The Fastest Man on Earth - Why Everything You Know About Murphy’s Law is Wrong" イグ・ノーベル賞で有名なAnnals of Improbable Research。
- "Beating Murphy's Law" amazon.com
2004年10月06日
■ 蒲郡ファンタジー館
週末に蒲郡ファンタジー館に行ってきました。貝殻を使って作ったものがいろいろあるという情報と、「ファンタジー館」という名前とから正直しょぼいものだろう、と予想して敬遠しておりました。実際、近くにある竹島水族館は小さくてあっという間に周りおわってしまうものですし(その割には我が子たちは喜ぶんだよね、そういうの)。
雨が降っててほかに行くところがない、ということで期待せずに行ってみたら、なんか古ぼけた建物が見えてきたんで、こりゃもうさっさと周って出るしかない、と思ったんですが、意外や意外、楽しめてしまいました。
入り口からしてけっこう迫力。中に入ると膨大な量の貝殻をびっしり敷き詰めて作られた龍とか女体像とか竜宮城とか通路を作るいろんな装飾とか(海底を模している)に圧倒されます。こんなに徹底的にやっているとは予想しなかったんでおどろき。最初のうちはこんなものまで貝で作っている、と夫婦でバカ受けですが、そのうちにたんなるファンシーな趣味でできたものでないことに気付き、そのうちにそれにかけられた労力のでかさに思い至ってほとんど感動してきます。そんなに大きいところではないと思うんだけれど、周るのに30分くらいはかかったでしょうか、いやそれ以上あってもおなかいっぱいだけど。菊人形の館とかに近いものはありますが、大小いろんな種類の貝を使うことでかなり緻密なことができるわけです。砂絵とかに近いとも言えるでしょうか。
愛する妻は、日本国内いろいろ旅してきたけれどこんな建物はほかにないのでもっと広く知ってもらうべきでないかと主張していました。とはいえ、あんまり期待しないで行くんだからよいものであるんだと思うんですがね。
こちらにサイトあり。三河えびせんべいの館併設(というかこちらが母体か)。近場の方で敬遠していた人は話のタネに行く価値ありますよ。
2004年09月23日
2004年09月22日
■ 大阪の神経科学会
大阪の神経科学会に行ってきました。mmrlさんに会って私の実験の話を聞いてもらいました。どうもありがとうございます。たいへん助かりました。
ついでにラーメン屋めぐり。大阪駅前ビルの「楼蘭」の柚子塩ラーメン、神山町の「大勝軒」のつけ麺、道頓堀の「神座」で小チャーシュー麺。梅田阪急三番街はRONがもう閉まっていたのでインデアンカレーに行きましたが、私には辛すぎました。
2004年09月20日
■ 愛知人チェック!
愛知人チェック!
ソースは某所より。
東京生まれの東京育ちであることがアイデンティティの一部でありつづけている私ですが、三河で生活すること8年目、もはや第二の故郷です。私が該当するのは以下の項目でした。12/138。少ない。
- 情報誌といえば「ケリー」「チーク」「東海ウォーカー」である。
- 蒲郡競艇のマスコット「トトまる」の絵描き歌を知っている。でも描いたことはない。
- 「メイダイ」は「明治大学」のことではない。
- 愛知には名古屋の他に三河地方があるということを強調したくなる。
- 世界の山ちゃんの看板の絵は中村雅俊に似ている と思う。
- ヤマナカやナフコの「おつとめ品」につい目が行ってしまう。
- 冷やし中華には、必ずマヨネーズを入れる。
- 琴光喜には横綱を目指してほしいと思っている。
- テレビジャック状態に流れる「マリエール岡崎」のCMがうざい。
- 名古屋清水口の美宝堂のCMに出ている少年の成長を、これからも見守り続けたいと思う。
- 「カール・名古屋コーチン味」「プリッツ・八丁味噌味」「おっとっと・みそ煮込みうどん味」を土産にしたことがある。
- 名駅前の「大名古屋ビルヂング」の「ヂ」の文字が気持ち悪いと思ったことがある。
2004年09月11日
■ amazonへのリンク
に書影を付けられることを知ったので、小さいやつを付けてみました。ここからのリンクでamazonで本屋CDを購入するとはてなに紹介手数料が入ります。私には一銭も入りませんので。
2004年09月09日
■ 講義の仕方
に関するwebサイト。"心理学にまつわる活動日記"の"統計講義"より。
- / ツイートする
- / 投稿日: 2004年09月09日
- / カテゴリー: [大学院講義「記憶の脳内機構」] [雑記]
- / Edit(管理者用)
2004年09月06日
■ へんな夢
私ほとんど夢を見ない(もしくは覚えていない)のですが、今朝はじめて研究所の夢を見ました。Newsome Science論文のfirst authorはSugrueというのですが、じつは留学から日本に帰ってきていて、鈴木すぐる(卓?)さんという名前の人で、うちの研究所に所属していることが判明したので、じゃあ話を聞きに行こうとあちこちを探すところで目が覚めたのでした。気になったんで確認してみたら、Leo P. Sugrue、ってぜんぜん違うじゃん!
http://monkeybiz.stanford.edu/people.htmlを見てみると、そうか、Leo P. Sugrueはまだgraduate studentか。メンバーはアジア人が一人いる以外はヨーロッパかラテンアメリカの人という感じだなあ。
私の夢にはタイムラグがあって、新しい環境に移ってからその環境の夢を見るまでには一年以上の遅れがあります。大学生のころの夢は大学院で見たし、大学院のころのメンバーが出てくる夢はポスドクで見るのですな。というわけで研究所勤めはもう長いのだけれど、こんなに明確に研究所に関連する夢は始めてみました。そして登場人物は別々の環境の人が混ざってくる。高校の同級生と大学院のメンバーとが違和感なく共存している夢とか。
みんな違うの? 愛する妻が報告してくれる夢はいつも、現実をダイレクトに反映していて、登場人物の配置には矛盾がなく、最近起こったことがすぐに夢に出てくるようなのだけれど。
2004年09月04日
■ 本サイト
多くの方が本サイトのブックマークを
http://homepage2.nifty.com/pooneil/
に変更してくださったようです。本当にどうもありがとうございます。
■ 講義
人生ではじめて講義の一回分を任されました(やっとですよ)。記憶の脳内機構に関して2時間。HMさんの症例から始めて、LTP(および松崎君のNature)までmicroに行って、またvivoに戻って連合記憶とTE-Perirhinal cortexの回路とhebbian synapseを結びつけるところまで語る。そこで終わりと思いきやTulvingのepisodic memoryの定義からRK judgementまで行ってepisodic memoryの定義には意識の存在が必要であることを示し、claytonのepisodic-like memoryでanimal consciousnessについて問題提起し、そして最後は心を明らかにするには意識を研究することが必然で不可避であることを語って締める、というのが現在の構想です。このままだとぜってー時間足りない。
- / ツイートする
- / 投稿日: 2004年09月04日
- / カテゴリー: [大学院講義「記憶の脳内機構」] [雑記]
- / Edit(管理者用)
2004年09月03日
■ 本サイト移動
Niftyのメンバーズホームページのサービスが終わってしまいました。この辺の経緯についてはアット・ホームページ、利用規約改定へが詳しいです。というわけでniftyはもうやめてどっかに引っ越そうと思うのですが、とりあえずは応急処置としてアット・ホームページのほう(べつのurl)に表紙のページだけ移動させました。元のurlからも転送されるはずです。
http://homepage2.nifty.com/pooneil/
サイトを移動が完了したらまたお知らせします。読者のみなさま、これからもよろしくお願いします。
2004年09月02日
■ niftyの本サイト
が繋がらなくなってます。サービス終了してたの? niftyからのメールをまったく読んでなかったら大変なことになってる。なんとかします。
2004年08月26日
■ ご隠居参入
うちのサイトへハイレベルな書き込みをしてくださっているご隠居がNeuron Blog ご隠居のにゅーろん徒然草にてblogを始めました。期待しております。
2004年08月25日
■ はてなダイアリーの公衆送信権
続報。"はてなダイアリー日記" 8/19 コメント欄。改定案にあったような、公衆送信権をユーザーからはてなに移動するということではなくて、ユーザーも公衆送信権を保持したまま、はてなも公衆送信権が行使できるようにする、ということになるようです。すこしほっとした。それでも、その目的がなんなのか(はてなダイアリーを本にして出版できるようにするためか、第三者にはてなダイアリーの内容を勝手にコピーされることを防ぐためか、ほかにもあるか)はいまだわからないけど。
2004年08月23日
■ はてなダイアリーの公衆送信権
ソースははてなダイアリー - 《陸這記》 crawlin’on the ground 8/23 はてな利用規約改正。ユーザーは、ユーザーが作成した日記及び有料オプションを利用しているグループのキーワードにつき、パブリックモード、プライベートモードのいかんを問わず、著作権のうち、公衆送信権以外の権利を有するものとし、日記に関する公衆送信権については、当社が有するものとします。("改定案(pdf)"より)ということだと、はてなダイアリー - はてなダイアリー日記 8/19へのコメントにもあるように、日記の内容を別のサイト(私だったらniftyのサイト)へ転載することができなくなるかもしれません。もしその種の著作権への縛りが出てくることになるようなら、はてなから引越しすることにします。 意見を書く前にお勉強: 著作権には大きく分けて「著作者人格権」と「著作者財産権」があって、「著作者財産権」のみが譲渡可能。「著作者財産権」には「公衆送信権」以外に「複製権」(copy rightの直訳ですな)や「譲渡権」や「翻訳権」などがある。("著作権 - Wikipedia"よりまとめ) 「公衆送信権」のうち「送信可能化権」を侵害する例には、自分が著作権を持たないソフトや音楽データをアップロードして不特定多数者からダウンロードできるようにした例が含まれる。("公衆送信権 - Wikipedia"よりまとめ) というわけで、公衆送信権をはてなが持っていると、ダイアリーの著者ははてなに無断でダイアリーの内容を別のところにアップロードすることができなくなるようです。やっぱりまずそう。しかし複製権は著者が保持していて、公衆送信権ははてなが保持しているとはいったいどういう状況なんだろう。どんなに複製できても、公衆送信権がなければネットに置くことができないから意味がない、個人でのみお楽しみください、ということになって首根っこは抑えられている?
2004年08月21日
■ Write globally, act locally
文章を書いたとして、それに影響されるのは文章を読むのが好きでそれが苦にならない人たちだけです*1。だから、文章にして書くことで何かを変えたいと思うときには、それが文章を読む習慣のある人にしか通じないことを踏まえて書かないとムダなのです。なんでもいいのですが、子供のしつけ方、ゴミの捨て方、交通マナー、もっと巨視的なことはいくらでもありますが、「それを読む人が、それを読まない人に働きかけるような形」に持っていくようにしないと実効性のあるように伝わらないのです。文章を書いて何かを変えようとする人は、それを文章を読む人にだけ読ませて、溜飲を下げさせる形で終わってしまってはしょうがないのです。そういうムダな文章は新聞の社説や投書欄を見ればいくらでもあります。
だから、私たちが文章を書いて何かを変えたいと思うなら、こういうことが伝わる必要があるのではないでしょうか:「このことをあなたがあなたの隣人、家族や親類、近所の人たち、職場の人たちを粘り強く説得してゆく過程で達成できるような形で理解して実行してほしい」と。まったく同じ文章でなくても良いわけですが、そういう意図がなければその文章は他者(自分の言葉が通じない人)へ向けているのではなくて、たんなる憂さばらしを仲間うち(自分の言葉が通じる人)へ向けているだけであると言われるのを甘受せざるを得ないでしょう。
もういちど。何かを変えたいと思うなら、その局面はあなたの家族や親類、近所の人たち、職場の人たちとのあいだで伝えて変えてゆくところにあるのです*2。そうしてそれを信ずるということこそが、文章を遠くまで行き渡らせてそれが自分の同類にしか伝わらない言葉だったとしても、その先を託していくことができるほぼ唯一の希望であり保証となるのです。
*1:浅羽通明が執拗に書いてきたように。また、ここ最近「読者の棲み分け」的な話題で書かれてきているように。そしてすくなくとも丸山真男『日本の思想』での「タコツボ化」まで遡れる問題であるように。
*2:そしてそのことはあなた自身が変わることも要求するでしょう。
2004年08月20日
■ 昨日はリンク数が178
行ったけれども、半分以上がvisual area 6であれに引っかかったものだったというオチ。
2004年08月18日
■ 2:6:2の法則
K.Moriyama's diary 8/13より。
8:2の法則(=Paretoの法則)は以前書いたpower lawと本質的には同じもの("Zipf, Power-laws, and Pareto - a ranking tutorial.")であるらしい。
ところで昆虫での元ネタってなんだったっけ、と調べてみると、
アリは働きものに「?」北大助手ら確認 2割「働かない」
というのにたどり着きました。んでこれを元にググって見つかったのがこちら。
西森拓氏のホームページはこちらのようです。
ちなみに、圏外からのひとこと(2003-08-20)にあった、2:6:2の法則は正規分布を0.84SDを切ってみればあたりまえだ、というのは群への操作の前後で働き者であるかないかの基準が変わってしまうときには成り立つことだと思います。日常生活での印象の場合、操作後の群の全体を見て基準を引きなおしている可能性があって、たしかにトートロジカルな感じはあります。しかし実験で基準をちゃんと固定している場合(double blindにする:たとえば、操作前後の行動をビデオで撮影して、それをランダマイズして別の実験者が行動をratingする)にはそれは当てはまらないので、その辺の興味もあって原著ではどうしているのか興味があるのですが。
■ 「マザーズレコード」
でググると二番目に来ることが判明。っていうかblogとかはてなとかがgoogleで引っかかりすぎ。上のエントリ書いてるときにも思ったんだけど、googleで有用な情報を見つけにくくなってきている気がします。現在の検索エンジンgoogle一人勝ちを止めるには、この問題への対処が効くと私は見ます。
2004年08月14日
■ Online journalサイトへの悪口つづき
Science Directもpdfを直で落とさせてくれるのはいいんだけれど、右クリックでダウンロードするとどれもこれもファイルの名前がscience.pdfになるとか、左クリックでブラウザでpdfファイルを開いたりするとファイル名がscience__ob=MImg&_imagekey=B6T0V-4CPM210-5-1&_cdi=4872&_orig=browse&_coverDate=08%2F01%2F2004&_sk=999729991&view=c&wchp=dGLbVlb-zSkzk&_acct=C000049112&_version=1&_userid=950955&md5=7dd282e043b9a05551d1765d6ef619f1&ie=f.pdf?とかになってしまうとか、ほんと、勘弁してほしい。
2004年08月13日
■ Nature webサイトへの悪口つづき
なんでhtml取るのにもpdf取るのにもcgi経由してるんだ? http://www.nature.com/cgi-taf/DynaPage.taf?file=/nrn/journal/v5/n5/full/nrn1390_fs.html&filetype=pdfなんてことするから、ブラウザ内でpdfを表示させないとダウンロードさせることもできない。http://www.nature.com/nrn/journal/v5/n5/full/nrn1390.pdfとかでファイルに直接アクセスさせればいいのに。一挙にダウンロードさせるのを嫌ったのだろうけど、かえって遅くなってるだけではないんだろうか? Experimental brain researchやjournal of comparative neurologyとかも同罪。European journal of neuroscienceとかneuroreportとかのようにjavaだかjavascriptだかで別windowでpdfファイル開かせるのもウザい。JNS/JNP/Cerebral cortex, Brain (Oxford journals online)/とかはいい。これらって全部同じ会社が扱ってるんだと思うんだけれど、全てこのweb製作会社の様式で統一してくれないもんかな。
2004年08月12日
■ ダメ人間
昔々、私にダメ人間呼ばわりされて傷ついた方へ、なんで私があんな言葉を使っていたか、それはもちろん、私自身がダメ人間だな、と自問自答するのに何度も使って馴染みのありすぎる言葉だったからなのです。ダメ人間は私です。その言葉を薄めて、無害なものにしたくて、キッツい冗談として使ってみたのです。まったく正しくないやり方でした。筋肉少女帯の曲は聞いたことないけれど、そのタイトルが、私のダメであるあり方を撃ってくれていたと思ったのです。ダメ人間は私ですよ。
2004年08月11日
■ 予想通り、
というか予想以上の書き込み量でしたね。みなさんありがとうございます。なんか日記サイト界隈のtwo-photon関連の神経科学者が勢ぞろいという感じでした。(追記:「私が存じ上げている」を入れないと正確でないでしょうな。)こんなかんじで、私の手を離れてどんどん話題を展開してくださることを激しく推奨します。(追記:これを皮肉だと取る方がいたら本意ではないので追記しますが、7/2にも書きましたように、それが私の望みであって、みんなが参加できる場所にしたいのです。それに、どんな話題にも私がコメントしなければならない、と縛られてしまうのはサイトの運営上無理があることですので。)
7/16および0000年00月01日の注意書きにもありますように、今回の話題も皆様のコメントと合わせて編集したものをniftyの方の本サイトに掲載させていただきます。ご都合の悪い方はお申し出ください。
2004年08月09日
■ 8/9-11まで留守にします。
せっかくまた盛り上がりそうなところで残念なのだけれど。家族サービスですな。
2004年08月07日
■ コメント欄
の大きさをスタイルシートを編集して広くしてみました。20行。これで長文書き込みをさらにencourageしてみました。
div.commentshort textarea { width:90%; height: 20em; STYLE="overflow:hidden"; }
こんな感じ。height: 100%; では大きくならないらしい。いまだにCSSよくわかんない。
追記:20040808 この件でリンクがいくつかあったので、ソースを明記しました(ていうか書き忘れてた)。ソースはARTIFACT@ハテナ系 8/6経由でチープカ 8/3で"div.commentshort textarea"というのを編集すればよいことを知って、スタイルシート/フォーム/入力欄やボタンのサイズを指定するでtextareaのwidthの単位を確認しました。
しかし今の状態だと、編集に入ってテキスト入力した時点で横幅が大きくなります。Widthを%単位にしていることと右スクロールバーが入ってることのどちらかのせいでしょう、というわけでいまTEXTAREAにてSTYLE="overflow:hidden"というのを見つけて追加しました。追加したんだけれど、うまくいかないので放置。同じ症状が出ている方、解決した方、お知らせください。
2004年08月04日
■ はてなのコメント欄
がtextareaになった模様。コメント欄に<BR>を入れなくてもリターンキーで改行できるようになりました。ぜひご活用ください。テストしてみましたが、<blockquote>や<A HREF="">とかは使えないようです。
2004年08月02日
2004年07月28日
■ さいとにふりがながつきます
ひらひらのひらがなめがね。 ソースはいつものARTIFACT@ハテナ系。
さっそくやってみました。
http://trans.hiragana.jp/ruby/http://d.hatena.ne.jp/pooneil/
うーん、キュート。英語の読みを付けてくれると完璧なのだけれど。
こぐにてぃぶ ぶれいん りさーち ぜろさん
Cognitive Brain Research '03
みたいに。あと、(笑)に「かっこわらい」というふりがなが付くのは笑った。
2004年07月24日
■ 武蔵書店
せっかく青山ブックセンターのことを思い出したので、ついでに、と言っては悪いが、武蔵書店のことも思い出してみた。私が茗荷谷に生息していたころ、夜中12時とかになってなぜか妙に本が恋しくなって、自転車乗ってお茶大の正門前から本郷通りと不忍通りの交差点を越え、新大塚の三叉路を越え、都電の踏切を越え、池袋駅の臭い地下道を潜って池袋北口を越えてゆるい坂を下って山手通りと交わる要町交差点の武蔵書店まで通っていたのでした。岩波文庫の品揃えが妙によくて、行くたびに徒然草の章を立ち読みしたり、背伸びしてベルクソンとか買ったりしていました。1980年代後半。なんかあのころ、ABCでも武蔵書店でも水戸街道を松戸へ進む道でも、その先に何かがあるような昂揚感があって、それでなんにもなくて、それでもめげないでまた同じ道を繰り返し進んで、それでも満足だったんです。私はロマンティシズムだけで生きていました。"I could dream all day"*1(by Posies). なんにもなくてもいいと思ってたんです。"I remember the good-old days"(by Neil Young)ですな。いいじゃん、べつにこういうのも。今日からこのサイトは私の生まれ育った東京での自転車での日々を追憶する日記となりました(<-ウソだって)。次回は広尾から南砂まで明治通り(環状五号線)全制覇ルートです(<-マジかよ)。その次は、外苑東通りとつながるはずだった幻の環状三号線の名残りの播磨坂、言問通り、三つ目通りな(<-もういいって)。
追記;やっぱりいくつか間違っていたので修正。
*1:追記:All dayに仮定が入っている仮定法だから、canではなくてcouldでした。「一日中だって夢を見ていられる」ですな。
2004年07月23日
■ 日記・つぶやき・思いつきは書かない
日記・つぶやき・思いつきは書かない
技術系サラリーマンの交差点より。
- 日記は書かない
- つぶやきは書かない
- 思いつきで書かない
■ あなたのブログはどのタイプ?
あなたのブログはどのタイプ?
ソースはARTIFACT@ハテナ系。
いつもどおり遅延を入れて今さら貼ります。
私がやっていることもオンラインにある論文に言及してそれを記録してゆく、という意味ではブログの定義に含まれるのでしょう。話題は専門的なところに限られているのだけれど。私がやっていることは、そういった読む価値のある論文をメモり、必要なら最小の説明を加えるだけでなく、論文をただ読んだだけでは出てこないような指摘を加え、その論文の本質に迫ることを目標としています。*1それはそうそう成功しないのだけれど、ガヤ論文とNewsome論文に関してはかなり迫ることができたのではないでしょうか。そういう意味では私がやっていることは日々の生活雑記ではないし(実名でやっている以上、それは抵抗があります)、あんまりweb日記、という感じではないのかもしれません。「日誌」ですな。それが私がconfidential matterを守りつつも有意義のあるやり取りを交わすにはどうすればよいかというひとつの案なのです。
そうやって考えれば私がやろうとしていることはエフェクター型のうちのエンハンサー型(「よそのネタ(=online publication)の考察を深める」)だし、こまめに日々出版される論文にまんべんなく要約をつけてゆくエフェクター型のうちのコンプレッサー型(「よそのネタを要約する」)を目標としているわけではないのですな。もちろんそれ自体は意味があるわけです。Journal clubのネタ探し用に使ってもらうならそれがよいことでしょう。そして怠けているときは単に論文へのリンクだけを列挙するサンプラー型(「よその情報をたくさん列挙する」)となることもあるわけですが、サンプラー型であるためには安定して情報提供をしなければならないわけで、そういうわけでたまにサンプラー型になるってのはあくまで自分のため、あとで深く考察する候補のひとつとして記録してゆく、という役割を果たしているのです。私のところでは。
というわけでセレクションかけた論文を深く読み込む方向に進んでいこう、と確認したのでした。「pooneilの脳科学論文考察日誌」です。あー、また偉そうなこと書いた。前口上はいいからさっさとやればよいのだけれど、こういうことを語るのも大好きなのです。
*1:もちろん可能ならば関連論文に言及してさらに議論を一般化させることによってその分野がどこまで進み、どこまでいけるのか、そこまでいければよい、と思っています。そこまではまだ到達できていないし、本当はNewsome論文に関してはここから先が、neuroeconomicsの将来性、行動分析と神経科学との関係、といったところまで食い込めるチャンスなのですが、息切れしております。
2004年07月21日
2004年07月20日
■ "はてなアンテナ被登録数"
Figure 1
"はてなアンテナ被登録数"の統計が出ていたのでヒストグラムを書いてみました(図1)。横軸ははてなアンテナ被登録数(logスケール。0と1はomitしてあります)で、縦軸はそれぞれの横軸に該当するidの数です。それぞれのプロットは1月から7月までの毎月の計測データで、色分けしてませんが、だんだん増える方向にあります。注目する点としては、分布の形自体は変化がないのですね。
Figure 2
というわけでこれをcumulative plotにしたのが図2です。横軸は図1と同じで0と1は計算から除外しています。縦軸Pは累積データの全体のデータに占める割合です。スケールはprobitスケール、つまりP-valueをZ valueに変換したものです(MATLABでいうところのnorminv(P,0,1))。もし分布がgaussianならこのプロットは直線になります。じっさいにはpoisson-likeですが。青線は各月のデータですが、ほとんど重なっていることがわかります。赤丸を赤線でつないだid:pooneilは順調に被登録数を上げていき、7月現在で上位10%まで来てます。専門的なサイトにしては健闘していると言えるでしょう。
# ガヤ
おっと?これは思わず書き込みせずにはいられない統計処理(笑) 0と1が省略されているのでなんとも言えませんが、2エッジ以上を見る限り期待通りスケール・フリーっぽいですね。各月の折れ線が重なっているのにも、その特徴が現れているかと。
# ryasudaPoissonになるってのは面白いですね。全員がランダムにリンクしたとしても、ポアソン的になりそう。
# pooneil>>ガヤ なるほど、scale-freeの話でしたねこれは。というわけで7/21のところでやってみました。けっこうきれいにいきました。>>ryasudaさん、はじめまして。日記見にいってます。アメリカでラボを持つことに関する貴重な資料だと思っております。これからもよろしくお願いします。それから、分布がpoissonだというのは私の早とちりでした。全員がランダムにリンクしたときには今回の分布のような100以上のリンクを持つサイトができることはない、というあたりも7/21で検証してみました。よければご覧ください。
2004年07月17日
■ 青山ブックセンターが倒産
なんてこった。私の青春の一ページですよあそこは。渋谷でのバイトでの帰りに自転車で寄ってあそこでサブカル系の漫画やらニューエイジ系の本などを読み漁ったものです。背伸びして洋書を買い込んだり。建築系とかのでかい写真集立ち読みしたり。夜想とかバロウズとかそういうものに出会える唯一のところでした。ベイトソンの「天使の恐れ」を買ったのもあそこではなかっただろうか。今にして思えば、ヴィレッジヴァンガードほど旧宝島文化くさくはなかったし、丸善ほどはおっさん臭くなかったし、リブロとも違う、今でもほかにない存在でありつづけたのですよね。そして明け方までの営業時間。渋谷で飲んだ帰り、自転車こいで西麻布とか六本木とかの町に目もくれずABCに寄って、ふらふらしながら立ち読みして、なんも買わず、もしくはやっすい雑誌をなんか買って、そんでそこから赤坂、銀座を経由して永代橋を越えて帰っていってたんです。若いなあ。それはまだBOOKOFFもTSUTAYAもないころの話でしかないのだけれど。
2004年07月16日
■ コメントしてくだった皆様へ
いつもコメントありがとうございます。うまく繋がったスレッドに関してはniftyの方のホームページに編集したものを掲載していますが、これまでのものについてはコメントを掲載する許可をいただいていなかったのでコメントは掲載していませんでした。もしよければ今回のNewsome論文およびMilner論文以降はみなさまのコメントも掲載させていただきたいと思いますがよろしいでしょうか。それ以外に転載したくなった場合には改めてお願いをしますので。なお、この件については0000年00月01日の注意書きのところにも記載を入れました。
2004年07月13日
■ 臨床医のネクタイは病原菌のすみか?米学会で報告
以前書いて忘れてたのを貼ってみます。ってもうソースが消えてるし。
臨床実習先のニューヨーク市内の病院に勤務する医師ら医療従事者が着用したネクタイ42本で、ほぼ半数の20本から黄色ブドウ球菌などが検出された。患者と接することがほとんどない警備員のネクタイでは、検出されたのは10本のうち1本だけだった。
Yomiuri Online 6/2より。ていうか医師のネクタイと警備員のネクタイではなくて、医師のネクタイと医師のシャツとで比較してほしい。もしくはネクタイと手。それと医師/警備員とネクタイ/手との2x2でinteractionを出してくれ、と思うのです。そうしないと、単に医師がネクタイをしなければよいというだけの話なのか、そもそも医師の着るものが充分にきれいになっていなくて、院内感染を引き起こす元となっているのか、ぜんぜんわからない(ニュースの口調からすると前者として捉えられているようだが)、ってニュース記事につける文句ではないですな、これは。
# ご隠居
個人的な経験によると、ぼくみたいな貧乏人はネクタイをしていてもタイピンをもっていなくて、ベッドサイドで診察するときにネクタイがでれーって白衣から出てきてしまって、触れてしまうことがありました(過去形)。反省します。
# pooneilへー。へんてこな研究かと思ったけど、意外に的を射ているんだろうか。
2004年07月05日
■ 6/29へのコメント再録
mmmmさん、その通りですね>>このサイトの意義。こういう論文を交えた話は事実関係のところであれこれやったほうが面白いわけで、いかに深く、核心までたどり着くか、という方向へ行きたいと思っております。また同時に、このことは各方面の研究の将来性と限界とを検討することになるわけで、今後の脳研究がどういう方向へ行ったらいいかを議論するための重要な材料にもなるであろうことを期待しております。ほんと、ここまで行けたらよいと思ってます。
2004年07月02日
■ あーすばらしい。
Newsome論文スレッドはうまいこと伸びましたね。mmmmさん、mmrlさんのおかげです。大感謝。こういうふうにうまくいくスレッドがもっと増えて並行して複数流れるようになって、究極にはべつに私がいなくても参加者のあいだでやり取りが始まっている、というふうにメディア化してゆく、というのがいいなあと思います。1/17に書いた「2ちゃんねる形式で論文ごとにスレを立ててそれぞれにコメントを付けるという風にして、ゆくゆくは私以外もスレを立てられるようにする」と基本的には同じことですが、もう少しイメージが現実味を帯びてきました。あのとき書いた「匿名性」とはいま書いた「メディア化してゆく」ということだったんだと思う。あんまそっちばっかでも疲れるけど。追記:これってようするにスラッシュドットと同じだろうか。あれよくわかんないんですよ。
2004年06月23日
■ はてなのコメント欄、長文書き込み歓迎。
0000年00月01日の注意書きをアップデートしました。[コメントを書く]をクリックしてもらえばわかるように、はてなのコメント入力欄はたった一行しかありません。プレビューもありません。むちゃくちゃ不便です。おそらく機能としては一行書き込みのような簡単なものしか想定していないのでしょう。これで書き込むと自分の文章の全体像が見えないばかりか、漢字変換のつもりでリターンキーを押してサブミットしてしまうことがしばしばあります(私もやりました)。というわけで、書き込んでいただくときにはエディタで編集してから貼ってみてください。長文書き込みのときにはパラグラフごとに別々にサブミットしてもらえればなおわかりやすくなります。
と書いてから、入力フォームから起動して編集したテキストをフォームに流し込めるAreaEditorというのを発見しました(ソース)。これはいい。さっそく秀丸を関連付けて使い始めました。ただ、はてなは入力フォームがinputタグなので、エディタで改行を入れても無視されます。Movable TypeのようなblogとかtDiaryなどのように入力フォームにtextareaを使っている場合にはそういうことはないようです(コメントに改行を入れてパラグラフを分けて入力することが出来ます)。というわけで結局のところ、はてなのコメント入力欄の書き込みにくさはinputタグを使っていることによるようです。参考サイト:"diary.yuco.net" 6/21
ま、なんにしろ、はてなに月たった180円しか払ってないで文句を言ってもしょうがない。はてなであるがゆえのメリットを今も享受していると思うし。なんかもっと貢献できたらいいのですがね。
# kanose
brタグをいれると改行できますよ。
# pooneilそうなんですか。どうもありがとうございます。さっそく試してみました。ほんとだ。ちなみに私もハテナ系入ってます。
ちなみに段落タグは効かないようです。<P>なんでか。
2004年06月22日
■ コメントのスタイルシート。長文書き込み歓迎。
コメントのスタイルシートをいじってみました。参考サイト:deadman ― 今日死んだ人 6/18。ソースはARTIFACT。
コメント欄をもっと目立たせようというわけです。名前の前に本文のキャプションと同じ四角を入れたいのだけれどうまくいかないなあ。
2004年06月19日
■ Svoboda研 安田さん
"アメリカでラボを持ちたい ! テニュアトラックへの道" Svoboda研 安田さんのホームページ。
"Making the Right Moves" Howard Hughes Medical Institute。
ソースはshima’sLog 6/18のコメント欄。
2004年06月18日
■ ガヤ日記が公開終了
してしまいました。ガヤ日記が私を含むコミュニティーに与えた影響は大きかったと思うし、私のこの日記はガヤの書き込みやガヤ日記での紹介によっていろいろと恩恵を受けていましたし、そもそも読者として楽しませてもらってました。非常に残念です。またいつかガヤの考えていることについてネット上でいろいろやり取りできる日が来たらいいなと思います。いままでどうもありがとう。
# ガヤ
暖かいお言葉をありがとうございます。やむをえず日記公開休止に踏み切ったことで読者からメールを何通かいただきまして、正直「早くも休止解除か」と心が動かないわけではないのですが(爆)、でも、これからはこういう形で頻繁に顔を出させていただきますね。よろしくお願い致します。
ところで17日の日記の最後。今日見たら消去線が入っていますね。残念。
うん、ぜひまた書き込んでください。ここでネタ振るのも歓迎です。
イヤー、誰もやってくれなかったら自分でやります>>論文リスト。論文の説明自体は、こうやって毎日論文コメントを出してゆくと網羅できそうな気もしてきました。
2004年06月16日
■ 禁煙セラピー つづき。
禁煙セラピー つづき。
(以下ネタバレ注意)つまりこれはどういうことかというと、「禁煙セラピー」のときは「タバコの味ってじつはまずいよね」ということをよく実感するところが胆なのわけだけれど、「ダイエットセラピー」になるとこれに代わって(たとえば)「牛乳って大人は必要としてないよね」というのを植え付けようとしているわけです。前者はタバコを吸ったことのある者なら誰でも共有している実感であるのに対して、後者は実感として受け止めるには訓練が必要だし、理屈としても不充分である、ということだと思うのです。
私が「ダイエットセラピー」を書くとしたら、「食べ過ぎたときって気持ち悪いよね」とか「なんか味わわずに口に詰め込んじゃってる食事ってつまらないよね」といったような実感に直接訴えかけるものを植え付ける方向に行くと思います。実際、これらは私がダイエットに成功したときにずっと頭の中をまわりつづけていた言葉です。*1
*1:半年で27kg落とした人間の言うことですので、どこか病的な部分がある可能性は否定しませんが。
# 宮崎
はじめまして。
ダイエットセラピーの効果を確認するために多くのblogを覗いているものです。
「食べ過ぎたときって気持ち悪いよね」とか「なんか味わわずに口に詰め込んじゃってる食事ってつまらないよね」といったような実感に直接訴えかける
というのは達見だと思います。
*
僕の感想をネットラジオにしたので聴いてみてください。
http://www.voiceblog.jp/booknavi/9666.htm
どうもありがとうございます。しかし私の方はといえば、思いっきりリバウンド中です。では。
■ いきなり自分語り
私はそういう意味ではずっと前から、クオリアなんて言葉を使わなくてもクオリア派だったし、感覚と感情とを何度でも取り返しながらやり直してきた偽phenomenologistだったのです。禁煙のときもそうだったのですが、そうやって深呼吸して、もう一回同じものを違うように見直してみる、それが私にとっての原点だったのです。帰り道、ゆっくり歩いているのを実感しながら、何度でも生きていることを実感しなおしているのです。
2004年06月15日
■ 禁煙セラピー
禁煙セラピー
Gardenerさん 6/12のところで「禁煙セラピー」の話題が出ている。おお! 私もこれを読んで禁煙に成功したのです。喫煙歴5年、最盛期で一日2箱ぐらいからのことでした。こう書いてみるとたいしたこたあない。
以前そのときのことを書いたのが 00/01/11のエントリ。(追記:この本はネタバレせずに読んだ方が効果があります。上のリンクはこれからこの本を読むつもりのある方が読むとネタバレしてしまいます。注意。)今見直してみるとしょぼいな。ニコチンの薬理の続きをちゃんと書かなくては。
今でもまったく吸ってません。興味深いのは、禁煙直後しばらくあった、禁を破ってタバコを吸ってしまう、という夢さえ見なくなったということです。そう、私はついに打ち勝ったのだ! たぶん。禁煙はダイエットより楽です。食べないわけにはいかないからなあ。
勢い余って同じ作者の「読むだけで絶対やせられるダイエット・セラピー」という本も読んでみたのだが、これはダメだった。何を食べるのがいいかというアドバイスがあるんだけど、日本に生まれてよかったというか。牛乳を敵視していて、コーンフレークにオレンジジュースをかけろだと。ヴェ。
# Gardener
はじめまして。pooneil さんも同士だったとは。一方『ダイエット・セラピー』なんですけれど、そもそもこれはアレン・カーのオリジナルのものではなく、明確な元ネタがある話と思われ(ハーヴィー・ダイヤモンドとか)、僕もあまり高く評価していません。脳科学と関係なくてすみません。
# pooneilGardenerさん、書き込みどうもありがとうございます。元ネタがあるのですか。やっぱり一番面白いのは『禁煙セラピー』の[「太陽政策」的メソドロジーによるセラピー]的側面でしょうね。Gardenerさんのこの切り口からのエントリーを期待しております。
2004年06月14日
■ 匿名性うんぬん
つづき。
というわけでもうひとつの障壁、匿名性をこのページから排除しなければならないと思いました。いままで私のこのページは自分の名前を入れないようにしておきましたが、それは(1) はてなの文化を尊重しよう、(2) 荒らされたくない、その他いくつかの理由があったのです。んで、ある程度ネットのことがわかっている人なら私のniftyの本サイトを見つけて本名もわかるようにしてあるつもりだったのです。ところがこのあいだ、後輩に会ったときに聞いたら彼にはたどりつけなかったらしいんです。日記が始まった頃の記述に本サイトの文をコピペしているのでそれでググればよいのですが。彼にわからないようではかなりネットに精通している方でも無理であるということです。私がこの日記にinvolveしたいのはネットで活動しているシステムニューロサイエンティスト(すでにそういう方には見つけてもらっていると思います)だけではなくて、そんなにネット慣れしていないシステムニューロサイエンティストなのだから、これではまずいようです。「ハンドルネームしか知らない相手に「人格」を認めて、対話できますか?」の答えがNoの方でもここを読み書きしてもらいたいと私は思っていることがわかりました。
というわけで、やっぱり本名を出したほうがよさそうです。(2)の問題しだいなのですが、いまのところこれで困ったことはありません。(1)は思ったほどきつくないような気がしているので、やるなら本サイトへのリンクだけこのページのヘッダに入れて、名前はpooneilさんで通すことにしようかと思います。
ところでひとつ考慮しなければならない点があります。それは今までコメントを書いていただいていた方がそれで迷惑をすることはないか、ということです。匿名(ってほどのことでもなかったんだけど)だから書きこんだのに名前を出されては困る、ということはないかと。見た限り大丈夫だと思いますけど、まずかったらご連絡ください。一週間ぐらいしてから実行することにしますので。
2004年06月12日
■ コンピュータ世代とネット世代、匿名性うんぬん
"Doblog - デジモノに埋もれる日々 -" 私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの。コンピュータ世代/ネット世代の違い。ソースは"梅田望夫・英語で読むITトレンド" インターネット世代論・再び。
- コンピュータ世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションを、「価値ある情報に近づくための手段だ」と考えることが多いようです。情報交換を重ねて、価値ある情報という「結果」が得られれば目的が達成できる、その過程に於ける対話は手段でしかなく、結果が生み出せない対話は価値が薄い、と。
- ネット世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションそれ自体を、生活に於ける「娯楽」の要素として捉えていることが多いようです。そこに於いては、より良い情報が引き出せるかどうかは「二の次」であり、その過程に於ける対話の連続そのものに楽しみを見出しているのだ、と。("Doblog - デジモノに埋もれる日々 -" 私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの)
私ははてなでは「価値ある情報に近づくための手段だ」を求めていますし、2ちゃんねるを見るときは「コミュニケーションそれ自体を、生活に於ける「娯楽」の要素として捉えている」と言えます。つまり一人の中でも二つの要素がありうるというあたりまえな指摘です。
私自身はおそらく今も基本的には「コンピュータ世代」であります。2ちゃんねるを読み書きしだしたころは議論ができる可能性を信じていたのですが、今はあきらめています。それはようするにネット世代の場所でコンピュータ世代が議論をしようとしたという間違いだったのです。そういうわけで私は生物板や心理学板のようなところに行くのは止めて、趣味関連の板に行ってアホなレスの応酬を楽しんだりするようになったのです。そういう意味での2ちゃんねるは大好きですし、ネットで戯れる喜びというものもわかってはいるつもりです。
一方でまともに議論できる場を作りたいと思ってこのはてなでの日記を作ったのですが、今のところ、ここで書き込みをしてくれて私が十分うまくコミュニケーションできたと思う方はリアルの世界で私がどなたか存じ上げている方々がほとんどです。私自身はリアルでご存知ない方にも書き込んでいただきたいと思っているのですが。いまのところわたしがまだネット世代の感覚というものに慣れていないことを反映してしまっているのかもしれません。
それから踏絵。
A.あなたは、ハンドルネームしか知らない相手に「人格」を認めて、対話できますか?はてなでの私は気持ちとしてはYes, No, Yesですが現状はYes, No, Noになっています。2ちゃんねるでの私はYes, Yes, Yesですが。はてなではなるたけ2ちゃんねるノリは排除していくつもりです。以前はキター、とか書いてたりしたけど、書き込んでもらいにくくなるなと思って抑えるようにしました。私が批判的なことを書いたとしても、批判された方が日記を見て2ちゃんねるノリ(wとか)で書いてあるのを見たらきっと議論しても意味ないんだろうなと思われてもしかたないです。そうだわかった。私がここでやりたいことはコンピュータ世代もしくはあまりネットに繋がないようなニューロサイエンティスト(私も含めて彼らはたいがい実験で忙しくて、ネットにつなげっぱなしの生活をしていない)をinvolveしていくということなんだ。というわけでもうひとつの障壁、匿名性をこのページから排除しよう。つづく。
B.あなたは、ハンドルネームも無い匿名の相手に「人格」を認めて、対話できますか?
C.あなたは、ネットでのみの関わり合いを、自分の「生活」の一部として認めていますか? ("Doblog - デジモノに埋もれる日々 -" 私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの)
# mmmm
“コンピュータ世代もしくはあまりネットに繋がないようなニューロサイエンティスト(私も含めて彼らはたいがい実験で忙しくて、ネットにつなげっぱなしの生活をしていない)をinvolveしていくということ”をしたいのは何故なのか知りたいです。すでにどこかで意見表明されているのでしょうか。ネットに繋がない人にはリアルな世界でしか情報を伝えられないので、ネット外でこのサイトを宣伝する必要があると思いますが。
# pooneilmmmmさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。まず、私は「ネットに繋がない人」をinvolveしたいのではなくて(それはさすがに無理)、「あまりネットに繋がない」人をinvolveしたいのです。そしてそれはなぜかといえば、そういう人のほうがネットにどっぷりはまっている人よりはおそらくはずっと人数として多いのであって、そういう人をinvolveしていかないとこの日記の議論、というか話題が展開していかないからです。このことについてはべつにどっかリアルの世界で意見表明しているわけではありませんが、幅広く話題を提供してゆくことでもっと多くの人が興味を持って読み書きしてくれることを期待して、コンテンツを充実させているところです。それしかないと思ってます。
2004年06月07日
■ 週末は人少ない説
を検証してみました。各曜日での来訪者の平均とSEです。土曜日下がっているのはたしかなようです。思ったほどではなかったけれど。
2004年06月05日
■ アナウンス and 来訪者プロット
このページの来訪者数は週末になるとぐっと下がります。というわけで、この日記は土日はお休みにすることにしました。こうすることでもうちょっとマシなエントリーの密度が増えるようになることも狙ってます。
といいつつも来訪者プロット。横軸が日を、縦軸が来訪者数を示します。クロスが各時点での値(80以上の値は80でtruncateしてます)。Fittingした値とプラスマイナスseを曲線で表示。RのGAM(general additive model)にてfittingしました。以前のfitting (4/18)と比べると、点の数が多くなったせいか、ずっと滑らかになっています。周期が2ヶ月ぐらいの山と谷とを繰り返しながらだんだん数が増えていってるのがわかります。
2004年05月31日
■ 本サイト
のトップページのカウンタが1万人を超えました。見にきてくれた方、どうもありがとうございます。更新ははてなばっかりで、niftyの方はまったく更新していないので恐縮であります。しかし、ここまで来るのに6年、4-5人/dayというペースでした。のろいがしょうがない。ついでに自分の名前でググって見たら、ついにトップページが一番上に来た! 今までは北海道で写真撮ってる人と共立女子大学名誉教授のほうが上にいたのだけれど。
本サイトの方ももうちょっとなんとかしようと考えているのですが、いま計画しているのは、はてなの記事をテーマ別にまとめてリファレンスとして閲覧しやすくする、とかそんな活用の仕方です*1。項目は、ミラーニューロン、アフォーダンス、内部モデル、運動野、エピソード記憶、注意、decision、意識、初期視覚処理、形態視、知覚運動連関、眼球運動、ニューロンのコーディング、サイバネティクス、オートポイエーシス、これじゃ細かすぎるか。もっとおおざっぱに:神経回路、感覚、運動、高次脳機能、現象的意識、あたりでなら今までのエントリーでいろいろ分けて整理できるかも。
うぬっ、こういう口調の方が書きやすいなあ(いまだに模索中)。
*1:と言いつつもはてなに慣れてしまうと、たかがftp転送ソフトを立ち上げるのさえ億劫になってしまうのだけど。
■ ブラッドベリ
のペイパバックの真新しいやつが図書館のリサイクルコーナーにあったのでごっそり持って帰る。Dandelion Wineすでに持ってるのになんで持ってきたんだろ。
2004年05月25日
■ ゴスロリ
シンポジウムで東京へ行った際に、実家へ帰った。1/2の日記でも書いたが、私の実家はニット製作業を営んでいる。消費が下がっている一方でユニクロのように中国への生産拠点の移動などもあって、わが実家のようなテクはあるが工賃が高いところは苦戦していた。そこで実家の父親は、単価が充分高くても買ってくれる人がいてしかも海外での生産が出来るほど大きくない取引先を探していた。父親が以前見いだしたのはコスプレ用の衣装だった。なるほどこれはうまいことを考えたものだと思う。それぞれのショップは小さいものばかりで、商品はかなりオーダーメイドに近いところもあり、少ない資料から型紙を起こしてリアルに作り上げる技術は取引先に重宝された。我が実家はメイド服やらいろんなキャラの服で埋まった、というのが正月に実家に帰ったときまでの経緯だ。
んでもって今回実家に帰ってみると父親はまたも新しいニッチを発見していた。ゴスロリだ。父親は日暮里でそういう情報をキャッチして成長中のブランド(大企業系でないもの)とコンタクトを取り、取引をはじめた。というわけでわが実家は黒と白のなんかゴテゴテ付いている服で埋め尽くされるようになった。ゴスロリ系の服の製作もかなりテクが必要となるので我が実家のようなところにとってアドバンテージがある。ゴスロリ特集の雑誌を買ってきて、ブランドに電話をかけて社長と話をつけてきたらしい。すばらしい。
んでもって今回の出張で後輩たちと飲みにいってさっそくその話をしたのだが、次はなにだろうかと聞いてみたところ、次は「着ぐるみ」が来る、というのだ。絶対冗談だと思って流したのだが、なんかネット見てると局所でそういう記述を見かけるんです。本当なんでしょうか?
2004年05月23日
■ はてなアンテナ
を使っているのだけれど、最初に作るときにガンガン人のアンテナをインポートして使っていたんです。そしたらもちろんいらないページも出てくるんで「表示しない」のオプションを入れておいたのです。本当は編集していらないのをサイトごとに消していきたいのだけれど、編集がアンテナのインポート解除しかしてくれないんです。しかもしばらくしていたら私のアンテナの内容がどんどん変わってくるのです。
つまり、どうやらアンテナのインポートは定期的にか呼び出すごとにか、インポートした元のアンテナの現在のラインナップにアップデートしていくようなのです。そんなこと、いったいだれが望んでいるのだろう? 私はたんにそのときの人のアンテナをインポートした方が自分で一個一個登録するよか早いからインポートしたのです。ほかの人のアンテナを丸々、しかも日々アップデートさせながら使いたいなどという人はいるのでしょうか。
というかもっとうまい方法があったんだろうか。よくわからなかったので、しょうがなく手で全部貼り付けた。もう、超せつない。
2004年05月21日
■ シンポジウム、
とりあえずの目的は達した。Peter Thierに会って、valid cue - no cueの使用の是非についてあたり聞いてみた。
2004年05月20日
■ はてなアンテナ
を使っているのだけれど、最初に作るときにガンガン人のアンテナをインポートして使っていたんです。そしたらもちろんいらないページも出てくるんで「表示しない」のオプションを入れておいたのです。本当は編集していらないのをサイトごとに消していきたいのだけれど、編集がアンテナのインポート解除しかしてくれないんです。しかもしばらくしていたら私のアンテナの内容がどんどん変わってくるのです。
つまり、どうやらこの人のアンテナのインポートは定期的にか呼び出すごとにか、インポートした元のアンテナの現在のラインナップにアップデートしていくようなのです。そんなこと、いったいだれが望んでいるのだろう? 私はたんにそのときの人のアンテナをインポートした方が自分で一個一個登録するよか早いからインポートしたのです。ほかの人のアンテナを丸々、しかも日々アップデートさせながら使いたいなどという人はいるのでしょうか。というかもっとうまい方法があったとか? というわけで結局一個一個編集で貼り付けた。オーノー、おれはそんなの信じない。
2004年05月18日
■ PNAS
のwebサイトのデザインがなんかblogみたいなスカしたのになった。ていうか私のモニタでは字が小さすぎるんだよなあ。Neuronもそうなんだけど。たぶんモニタの解像度の違いを考えないでデザインしているんだと思うんだけど、ほんと止めてほしい。こっちは1600x1200pixelで小さくしてみているのだが、文字の大きさの設定をいじっても変化がない。Pixelかpointで指定しているのだろう。
2004年05月15日
2004年05月11日
■ 4_7_氏逮捕
あんま時事問題扱いたくないので記事へのコメントのみかつキーワードリンクを回避してみる*1。スパマーっぽく。(ところでそういうキーワード、セカ_イ系とかイラ_ク戦争、とかを自動的にdetectして_で切ってくれるようなスクリプトはないものだろうか。)
これらを見て比べてみると、wi_nn_y自体が目新しくてその説明でいっぱいいっぱいで、「違法コ_ピーの温床」とかで締めて終っている。毎日の解説および朝日の解説だけが、「包丁を作ったら違法か」問題と、ネットワークによってコピーが簡単になった時代のコ_ピーライトの問題を解説している。というわけで新聞間での温度差がよくわかるのであった。
*1:記事へのリンクを見つけてリストにするいわゆるトラッ_クバックス_パムは防げてないが、リンクはすぐ切れるのでそしたらリンクも消してしまう予定。<-チョー過敏。
2004年05月09日
■ Catcher in the rye
の原文を見つけたので久々に最後の二章分読んでみる。昔読んだときは太宰のようなものとして肩入れして読んだ気がする。いま読んでみると、なんつーか、DQNが一貫しないことを偉そうに言ってる、という感じに訳すのがいいのではないだろうか、ということを思いついた。あんまりリリカルにすべきではなくて、ほんの滲み出すくらいがいいのではないだろうか。Catcherであろうとすること、落書きをを消そうとすること、そういうこともなんか美化すべきことではなくて、たんなる思い付きでしかない、というニュアンスがあるほうがほんとではなかろうか。訳文はどうだったっけ?
2004年05月08日
■ ギャー
なんか包囲されている。shimaさんの5/6およびガヤ日記の5/6より。うむ、やりますが、今週末は使わないでまたこんど。ただ少しだけ。って少しだけじゃないじゃん俺。
2004年05月07日
■ 大学院時代の友人(留学中)
からメールが来て、Thomas Struthという写真家の"Thomas Struth 1977-2002"という本の中で、渋谷の町を撮影したページの片隅に太っていた時代の私が写っているのを見つけて知らせてくれた。というわけでせっかくの機会なので探してみる。
2004年05月06日
■ 自転車
5歳になる息子がいつのまにか補助輪なしで自転車に乗れるようになっていて、自転車を買ってもらった。駐車場でぐるぐる回っているのを、日が暮れるまでずっと見ていた。
2004年05月05日
■ 1993
体重が90キロ以上あったころの話。
中野のあたりで「ウッドストック」と「ツェペリン熱狂のライブ」を上映してて、自転車をこいで見に行った。まだビデオも出てないころ。ぼろい映画館で、途中でフィルムが止まってかけなおしてたのでみんなブーイングしてた。
自転車を止めて、隅田川の堤防でビールを飲んでタバコを吸って、観光船が行くのをぼおっと見てから桜橋を渡って家に帰った。
まだメジャーになる前のダメ連のミニコミを新宿御苑前の模索舎で買った。ほかにもいろいろミニコミを買って自転車で家に帰った。
渋谷で飲んでから自転車で千駄ヶ谷のホープ軒に行って吐くほど食べて、それからお堀を周って京葉道路に行って家に帰った。自転車の電気が切れていたのでオマワリに三度停められた。以降破らていない最高記録。
2004年05月04日
■ しゃっくり
大学以降の私を知っている人は、私が不思議なしゃっくりをするのを知っていると思う。それが、体調が悪いわけでもないのに、でかいしゃっくりが一回だけ出て、しかもそれで止まるのだ。いつもいきなりなものだから、口を閉じて防御することが出来なくて部屋に鳴り響いてしまう。最初のうちは心配されるか酔っ払い扱いされたかしたものだが、そのうちあたりまえのこととして受け止められるようになる。いつだったか、セミナーで鳴り響いてしまうので、どのくらいのペースで出るのか測定したことがある。その結果:一回目から二回目まで約一時間、二回目から三回目まで50分、四回目まで40分、とだんだん短くなることがわかったのだ。ストレスフルだと出やすくなるらしい。
んで、こういう低周波の横隔膜の痙攣が起こるとはいったいどういうことなのだろうか? 人間はサーカディアンリズムやら睡眠の90分リズムやらいろいろ持っているわけだが、なにでこういうことが起こるのだろうか?
なんてことを世間話でしていたものだが、なんと最近、その頻度が減ってきている。毎日聞いていたはずなのだが、ない日がある。こりゃまたさらにどういうことだろうか?
オチとかそういうものはないんだけれど、これが一種の近況報告。
2004年05月02日
■ 難波田龍起
を銀座かどっかの画廊で見てからずっと好きで、以前世田谷美術館での個展とかを見に行ったことがあるのだが、そんなことをなんか急に思い出した。調べてみたら、1994年の「難波田龍起展 1954年以後ー抽象の展開・生命の響き」というやつだったらしい。なんツーか抽象画なんだけれど、いろんな青を重ねたテクスチュアを一面にダーンと描いたやつ、たとえばこのリンクのところの"生の記録 3"とか赤い"暁"とか黄土色の"人と自然4"だったりですばらしい。一番好きなのは土色のやつでこれがデカくて圧倒的なのだがwebでは見つからない(たぶん"生の記録"の1か2)。なんか大木を前にしているようで。デカければデカいほどいいって趣きがある。
2004年05月01日
■ Nature neuroscienceのfull textに図のサムネイル入った。
4/7に書いてた件。ガヤ日記4/28より。ほんとだ。やつら俺様の日記読んでたのか…(<-べつにツッコまなくていいっす)
2/14に書いたほうの検索の件も、対策がなされている様子。やっぱみんな思うことだったんでしょう。
2004年04月30日
■ 毎度ながら
コメントを書くときと日記を書くときとでの口調が違うので困ってしまう。あんまこういう書き方ばっかりだとコワモテな感じがしてしまうかもしれない。すべてをですます調にしたほうが楽なのかなあ。
2004年04月27日
■ Journal club
でのアンチョコとして使ってもらえたら幸い。そのくらい中身が充実しているようでありたいと思う。そういう意味ではガヤ論文に関してはかなり充実したと思うし、かなりcriticalにも読んでいるつもり。
2004年04月18日
■ 来訪者プロット
来訪者数のプロットを作って、RのGAM(general additive model)でfittingしてみた。横軸が日を、縦軸が来訪者数を示す。クロスが各時点での値。Fittingした値とプラスマイナスseを曲線で表示。GAMでの計算は以下のとおり。
# diary.txtとして一列目に日記開始からの日数を、二列目に各日の来訪者数のファイルを作成しとく。 library(mgcv) DIARY<-read.table("diary.txt",header=FALSE) x<-DIARY[,1]; y<-DIARY[,2]; b3=gam(y~s(x),family=poisson) pred3<-predict.gam(b3,se.fit=TRUE) se3a<-exp(pred3$fit+pred3$se.fit) se3b<-exp(pred3$fit-pred3$se.fit) write.table(cbind(x,se3a,b3$fitted.value,se3b),file="diary3.txt", quote = FALSE, sep = " ")
めちゃシンプル。ほとんどデフォルトの設定のままだが、縦軸は0以上しかないので、Poissonモデルを使用した。GAMはあまり細かい変動には影響されずにfittingしてくれるので都合がよい。データからは、いくつか山があって、いまは多少停滞しているということがわかる。
2004年04月13日
■ amazon.co.jp
からamazon.comへ行きたくなることがある。
レビューを読みたいんだけれど、日本語では全然ないから自然と.comのほうに行きたくなる。でもひとっ飛びで行けない。不便。co.jpと.comでちゃんと提携してカスタマーレビューの情報とかを提供できるようにしておけばよいのに。
今回もムーディー・ブルース調べてみたら、co.jpではカスタマーレビューが一個もない。.comのほうには44個あるのに。
2004年04月07日
■ Nature NeuroscienceとかNature Medicineとか
のwebサイトで論文がテキストだけで図はリンクになってる(サムネールが埋め込まれてない)のってムカつかない? Abstじゃなくてtextを読む意味がないじゃん。こっちはabst読んで図をざっと見してから読むべき論文かどうか見極めたいわけだ。一般論にしたって、webサイトってのは熟読するためのものではなくて、ざっと見するためのものなわけで(参考:"Reading on the Web"内の"Why Web Users Scan Instead of Read")、その辺わかってないのではないか。サイトの負荷を下げたい? Nature本誌はやってるじゃん。サーバが別? しるか。
2004年04月04日
■ 佐藤友哉「鏡姉妹の飛ぶ教室」
読了。Pdfファイルは読みにくい。*1 「本気の本気」という言葉が出てくることに驚くが、ある意味いままでとつながってるようにも思う。オチはいつもながらデタラメなようだが最高。フリッカー式と比較することで佐奈の鏡一家らしい能力とは何かわかった気がする。
*1:縦書き文章のときは「印字領域の縦の大きさに合わせる」とかいうのが表示メニューにあればよいと思うのだが。ま、日本語のことなど考えてないんだろう。
2004年04月03日
■ エイプリルフール乗り遅れた。
今回見たので一番すきなのは「萌えるJAMBO「もえじゃん」創刊」。脳科学でやるとしたらなんだろう、もえかんでるしゅばるつ?(<-ながすぎ)
2004年04月01日
■ 名鉄三河線が一部廃止
名鉄三河線が一部廃止になるので日曜日に子供を連れて乗りにいった。私は中一まではテッちゃんで、ブルートレインを撮影しにカメラもって東京駅まで行ったものだが、すごいことになってます。超満員。超テッちゃんだらけ。我が子を押しのけて最前部へと向かう大きなお兄さん、ヤメレ。
車両はディーゼルカー一両で単線を走る。最大の見所の一色あたりでの海の上を高架線で走るところは省略。車から見たことあるし。というわけで米津から碧南まで乗った。米津や三河平坂のあたりは町の中を縫って走る。故郷の東武亀戸線を髣髴とさせる。矢作川を渡るぼろい橋(これがまたいい感じ)では堤防にカメラの列。川の浅瀬に足突っ込んで撮ってる人もいた。次の見所は碧南に入ってからのヘアピン状の急カーブ。2-3kmぐらいの範囲の中で左に120度、右に90度、もう一回右に90度曲がる。終点の碧南駅の周りは完全に寂れていた。町の中心は碧南中央駅の方だし。で、「シリーズ・哲学のエッセンス ベルクソン〜人は過去の奴隷なのだろうか」を読んで車で帰った。
# U.T.
ベイトソンの新刊が出てたのですね。けど、訳が金森修というのが好かん。この人は、一体なにを言いたいのだろうか?
# pooneilいやいや、二つ違ってますよ。ベイトソンじゃなくてベルクソンです。金森修氏が訳したのではなくて氏による初心者向けへ解説書です。
この本はわかりやすくてよかったです。ただ、ベルクソンがした100年前の科学的知見からの議論をそのまま持ってこられても困るとは思いましたが。金森修氏の「サイエンス・ウォーズ」は読んでません。
2004年03月30日
■ 昨日の続き
そういう意味では研究者のweb日記で各週のNatureやScienceをどっかでだれかが解説しているという現状っていいなと思う。もっとそういうところが増えて、これだけ見ておけばどっかで誰かが解説しているというような状況になって、その中に入っているようになれば、ここの読者も増えてゆくかもしれない(とはいえ書き込みをしてくれるような方はディープなネット者に限られがちなわけだけれど)。私のところはどちらかというと丁寧な解説をするというよりはいきなり疑問や議論に飛んでしまうので、どちらかというと親切ではないだろう。Journal clubのアンチョコとして使ってもらえるぐらいの情報量が合ったほうがよいのかも。
■ アクセス向上施策
というわけである程度アクセス向上施策をしてみる。
- タイトルにやってることを含めてわかりやすくする。"pooneilの脳科学論文コメント日記"としてみた。すごくウザくなった。"pooneilの「今週今月のシステムニューロサイエンス論文はこう読め」"というのも考えたが、ヘッダがH1だとでかくてウザすぎる。
- 以前の不定期日記を入れてコンテンツを増やした。以前のテキストもほとんど突っ込んでおいた。
- 「本当に訪問者が知りたい20の質問」を作ることでリンクなどのルールを明記してリンクしてもらいやすくした。
2004年03月29日
■ 日記の効用
忘れたころに書いてみる。
ガヤが見通しよくすべきでないと考えることは良いことだと思う*1。こっちの言いたいことも伝わったうえでの見事な返しだと思った。これについては深入りせずに自分について書く。
私の場合は書いてみないと思いつかない性質なので、もう、書くしかない。放っておくと、ただただ混沌を抱えたままになってしまう。ぎりぎりまで絞ってゆかないと力は出ない。ぎりぎりまで絞ってゆくには、キーボードたたいているのではかったるすぎる。きっちり考えるときと日記を書くときとでは頭の使い方が違いすぎる。というわけでこの日記では、守備範囲を広げるために半可通な知識しかないところについて恐れず書くことで、読者のツッコミを待つ、という方向性を取ることにしたのだった。(私基本的にはキュートなボケキャラですし。)Stochastic resonanceだってlearning theoryだってアフォーダンスだって私は冷や冷やしながら、本職が来るのを待っているのだ。来なかったけど。でもまだ待ってる。
そういう意味ではもっとたくさんの人に見てもらえるような状態を作らなければ無理なわけで(現在定期的に来てくれているのはmaxで30人ぐらいです)、現在私はジレンマにある。人数が増えれば変な人が現れて荒れるのは必至なわけで、それだけは避けたい。以前経験したのだが、一日中ネットでの議論のことを考えているなんてのは間違ってる。というわけで、へんに宣伝せずに、少しずつ読者が増えるのを待とうというのが現在の戦略だ。だんだんgoogleで引っかかってくるのが増えてくれば昔のエントリーに言及してくれる人が来てくれるかもしれない、と望みながら。
*1:議論しているとかに思うのだが、ある種の確信と信念を持ってものを言うのが一番伝わるやり方だと思うし、一番重要な局面ではそうやって来たと思う。しかしそれだけでやってくと頑なになって大切なものを見失うときがあるし、私は自分で言ったことに縛られるところがあるのでそれが問題になることがある。これが私の実感。
2004年03月28日
■ マンゴージュース(500mlペットボトル)
を最近二種類(バヤリースとサンガリア)飲んだのだが、うまいなこれ。トロピカルフルーツ好きとして超肯定。同時期に二つ出てきたのは、なんかの規制が解除されたとかそういう理由でもあるのだろうか。
2004年03月25日
■ 「おたく」の精神史 一九八〇年代論 講談社現代新書 大塚 英志
「おたく」の精神史 一九八〇年代論 講談社現代新書 大塚 英志
読了。うーむ。著者も書いているようにこの本は80年代を懐かしむようなものではなく、宮崎勤の事件から神戸小学生殺人事件への流れを軸にしているので、読後感としてはけっこう暗い。私自身は80年代後半は別冊宝島を読むようなやつで、バブル期の大学生文化から外れたところにいてなんかいい目に会えなかったので、『80年代の正体!』での「80年代はスカだった」にはけっこう胸のすく思いがしたものだ。で、今回の本はそれにかなり近い感じがあった。扱ってるものが重複してるし、と言われるのはきっと好まないだろう、「80年代はスカだった」という言い方が「80年代」を延命させてきたというのが大塚氏の主張なのだから。でも、言うほど差はないと思う。最初と最後でそういうふうにまとめたようにも見えるし。
私は90年代はどちらかといえばオタク(notおたく)というよりはサブカルだったと思う。サイケやプログレを中心としたロックマニアだったし、Quick Japan*1やStudio Voiceとかそういうの読んでた。エヴァンゲリオンについては私はQuick Japanの竹熊健太郎の記事や庵野秀明のインタビューなどを読んだだけで済ませてしまってまったく見てない。いま時間があったらみたいが。そして00年代から急速にオタク方向へ、セカイ系(しかしこれって便利な婉曲表現だなあ)っぽいものへと向かっている現在。ってべつに自分語りしなくてよいのだが。
でこの本に戻ると、けっきょくおたくの道が行き止まりであって、神戸小学生殺人事件まで辿り着いてしまった今、どこまでさかのぼったらやり直せるだろうか、という筋なわけで、しかもおたくではないから他人事だというわけにはいかない、という意味では東浩紀の「動物化するポストモダン」と同じ一般性のロジックにあるのな。それはある種のテクニックでしかないようにも思えるが。
ここで書かれている、現実が虚構の世界で使われていたものを取り込んでいる、というか取り込まれている(オウム、多重人格、プロレスと戦争)というのは重要な指摘だと思う。「現実と虚構との区別がつかなくなっている」ではなくて、「虚構の世界であったものが、現実の世界で起こっている」というほうがましな物言いであるのは間違いない。
*1:Quick Japanは準備号から買ったが、あるときは鴨川つばめ、あるときはGreatful Dead、あるときはナンバーガールというナイスな雑誌だった。
2004年03月23日
■ シンポジウム
で話をしていただいた方からいくつか重要な話を聞いたので、すでに公開されていることに絞って書いてみるつもり。だがどんどん記憶が薄れてゆく。
2004年03月20日
■ ヘッダにも書いたけど
はてなダイアリーでは、過去の記事への書き込みでも、メールで著者に知らせてもらえるようになっているので、いつでもどこの記事にでも書き込み歓迎。とくに、googleで探しものをしてこのページを見つけた専門家の書き込みを激しくencourageします。
2004年03月19日
2004年03月18日
■ 英語
が不充分で、シンポジウムではかなりの機会を逃した。みじめ。まだ蚊帳の外であり、なにものでもないる自分を売り込むために空しい努力を繰り返した。みじめだなあ、と反芻して風呂に入った。シラケ鳥の歌が頭に流れていた。
とはいえ、ある程度はいろんな人と話ができたので有意義だったのは間違いない。ほとんど日本人だけど。
予習は役に立っただろうか…自信ない。
2004年03月16日
■ R windows version 1.80
を使ってるんだけれど、けっこう飛ぶ。それも脈絡のないところで。それから、コマンドウィンドウでの使い勝手はMATLABより悪い印象。コマンド履歴が時系列でしかでない。MATLABだとf、と入れてから上矢印を押すと、fで始まるコマンドの履歴figure(i)とかfminsearch(...とかが出るのにそれがない。また、currentの行でコピーがマウスを使ってしかできない、とか。まあ、基本的にはUNIX上で開発されたソフトなのだろうからwindow上での使い勝手はしょうがないのかもしれない。
まあ、MATLABにだっていろんな問題があるのだろうけれど、それには慣れてしまった。ま、いわゆるバッドノウハウというやつだな。
2004年03月15日
■ 明日からシンポジウム。
朝早くから夜遅くまでのかなりの強行軍なので、日記はサボるかも。ネタはいろいろ仕込めるはず。
ちょっと労力かけすぎになってきたのでもうちょっとクールダウンしようと思う。一日にこれにかける労力は30分以下であるべきだろうと思う。二週間前もそんなこと言ってたような気がするが、性格的にどうもこうなのです。だからこそ「方針:ちゃんと続ける。がんばらない。無理しない。」なわけで。
2004年03月13日
■ なっちゃんスムージー オレンジ&マンゴー
うまい。あまりにまろやか。酸味までまろやか。最近一日二本飲んでます。(<-太るって。)
2004年03月04日
2004年03月03日
■ さくらの唄 安達 哲
さくらの唄 安達 哲
やっぱ重要だよなあ。オチまで超肯定。いや、なんかあの自分のうちでパーティーの準備をして独りぼっちで待ってるけど誰も来ない、っていうシーンをなんか思い出したもんで*1。"Dedicated To You But You Weren't Listening"とか言ってみたり。あとあれな、「ポッキーアーモンドクラッシュなのだ―」って好きな女の子が言うのを主人公が反芻するところ。ああ、つらい。それでよしもとよしともの青い車とか読んじゃう、そういうやつでした(ぶっこわれ)。
*1:おかげさまで十人くらいは見てくれてるようです。
2004年03月02日
■ インデックス作り
こういうのを自動化するにはどうすればよいのだろう。出版社がRSSとかを提供してくれてればなんかできるのだろうが、ないときはどうすればよいんだろうか。Endnote?
2004年02月29日
■ 私信とか。
アンカー付けてくれてどうもありがとう。手間かけました。
あと、身に余る言葉に恐縮です。て硬派かよ―俺(口調変わってるし)。丁寧ではないな。なんにしろ、性格は違うな。分野もいい塩梅にずれてるし、切磋琢磨できるような関係であれたらいいなと思ってます。(きれいにまとめすぎか。)
で、ガヤがすごいやつであることはいまさら私が言うことでもないが、ちゃんと言っておく。すげーやつです。昔から時間きっちり無駄なく生産性の高い仕事をしていたがそれだけではない。非常に見通しがよく効いてて、何をやればよいかいつもよくわかっていた。あきらめが早いんじゃなくて、見通しをつけるのがすごく早かったんだと思う。この点は本当に突出してた。今回のScienceはほとんど遅すぎるくらいだったと思う。
ところでこの一週間、さすがにちょっと絡みすぎというかはしゃぎすぎだった。俺がはしゃいでどうする、という感じではあるが。徐々に戻していきます。
2004年02月28日
■ 私信とか。
さらに。なんか交換日記と化しているが。これはオタクをカミングアウトしているのだろうか? べつにそのぐらい書いてもいいんだけど、そこまでにしとこうよ、お互いのため(ギャー)。あれからほぼ十年。なつかしいなあ。新宿で飲んでから二人で交代で自転車乗ったり走ったりしながら本郷まで行ったのを思い出した。深夜の車どおりの少ない飯田橋の交差点の高速道路の下を走り抜けて。
あと、2ちゃんねるについては何も言うまい、ということは前に伝えた通り。それを守るつもり。追記:いやこれだけちゃんとはっきりさせとく。たまに読んでるけど書きこんだことありません。
(P.S. 超私信:<A name="040225">みたいなアンカーを入れておくと日ごとの記述をreferしたりされたりするときに便利なのでお勧め。)
# ガヤ
いろいろコメントありがとう。まずは取り急ぎ、脳裏に浮かんだ顔はもちろんpooneilさんではないのでそれを伝えたくて。』
# pooneilコメントサンクス。ガヤの元「身近な関係者」でしかもwebで活動している私としては、読者に「容疑」を晴らしといたほうがよいかと思ったもんで書いてみた。ガヤにというのではなく。それ以上の他意はないので。
# pooneilあ、ひとつまちがいみっけ。同級生じゃなくて同級生2だよ(<-もうヤメレ)。
2004年02月24日
■ cnn.co.jp ジッパーの「悲劇」
cnn.co.jp ジッパーの「悲劇」
なんだこりゃ。私はジッパーの「悲劇」は小学生のときに経験した。自力で脱出した。ウッドフロアで転んだことはないが、このあいだラーメン作るためになべにお湯を入れて歩いてたらすっ転んで廊下を水浸しにした。ズボンを履く時にバランスを崩して倒れ、病院で手当てを受けたことはない。むかし膝を捻挫して以来、ちょっとした膝のネジレですっ転ぶことはある。だめじゃん。
2004年02月23日
■ 私信
引用、問題ないですよ。リンクを貼らないでもらってるのもあくまで厚意に甘えさせていただいているだけで、誰かがリンクしても文句を言うつもりはないです。
逆にこっちの2/21のほうはちょっと突っ込みすぎたかもと気にしてます(書きすぎないように気をつけて直してはみたのだけれど)。このへんを議論するのがいちばん面白いとは思うんだけれど、言い過ぎてたら言ってください。といいつつもガヤが挙げたArieliだけでなく、Nicolelisを読んでいたというあたりもたぶんヒントだろうなあ。
ちなみに私は私が何をやってるかはわからないように書いているつもり。興味の中心はまるわかりだろうとは思うけど。
# ガヤ
いえいえ全く問題ないです。「まだ書けない」のは秘密という意味ではなくて、まだ解析すらできていないということなのです。でも、ここら辺の話題は本当にもっとでかく展開したいところですね。今日もいろいろとアルゴリズムの勉強していました。何がベストがわかりませんわ。だからこそこんなにも色々なアルゴリズムが世の中に溢れているのでしょうね。
# pooneil了解。またぜひそのへんの話をしましょう。もう少し勉強してきますよ。
2004年02月14日
■ Nature publishingの検索ページ
Nature publishingの検索ページって使い勝手が腐りすぎてないか?
- 検索結果見てから検索ページに戻ったら検索しようとした項目が完全にリセットされてやんの。戻って検索項目をmodifyするなんて誰でもしそうなことなのに。
- 検索ページで検索する雑誌にチェックを入れないといけない。デフォルトでは何にもチェックが入ってない。Nature Neuroscienceから検索ページに飛んだんだからNature Neuroscienceを検索するに決まってるだろうが。
しかもURL見るとちゃんとcgiにNature Neuroscienceから来たって情報が入ってるのに。
2004年02月11日
■ 2/8へ反応
2/8へ反応があった。いやあ、あれかけて仕事ってそれは無理でしょう。私はBGMかけて仕事することができない性質のようで(昔は違ったと思うけど)、車での往復ぐらいしか音楽が聞けなくなり、あまり新規開拓できてない状態。
2004年02月09日
2004年02月08日
■ 宿酔
明け方三回吐いた。酒弱くなってしまった。
昨日は苺ババロアを自作し、熱く語り、なかなか良い酒だったのだが、一転、家庭崩壊の危機っす。
2004年02月01日
■ オセロ
を五歳の息子とやった。むきになって完全勝利したら泣かせてしまった。その感覚よくわかるのにやってしまった。抱きしめて謝った。いくつか技を教えた。
2004年01月27日
■ ほんとうにどうでもいい
勝者はいなくて、
いるのは降りるやつと残るやつのみか……沁みるなあ。
■ いよいよ
いいかげんなことは書けなくなってきたがそれでもいいかげんになることを恐れず書くつもり。
2004年01月19日
■ 熱が出てきた。
家でおとなしくしている。論文読み。娘の髪を漉いていやるのが面白いことを発見。
■ 面白い絵本特集
毎晩子供が寝る前に絵本を読んでやっているんだけれど、これは大人が読んでも面白いというものがある。ちょっといくつか挙げてみる。ネタばれあり。
- 「どろんこあそび」 川上 越子 架空社 図書館から借りてきたんだけれど、今まで私が読んだ中で最高です。野菜たちがどろんこ遊びをする、というものなのだけれど、絵がよい。泥まみれぶりが良くて、ページの中にはほとんど灰色なページもあったりして、泥まみれの気持ち良さが伝わってくる。しかもその豪快さは笑える。圧巻は後半。野菜たちが雨に打たれて泥が落ちていくんだけれどそのときの野菜たちがまたいい顔をしていて、これかアルバムのジャケットにできるすがすがしさ。というわけで愛する妻もこの本を購入しようとしているのだけれど手に入らない。
- 「なかよしのりもの大ぼうけん」 ジャックデュノワ ほるぷ出版 子供が好きで繰り返し読まされた。いいかんじ。飛行機と船と機関車の三人が一緒に出会って遊ぶ。で、三人は怪我をして入院してしまうのだけれど、看護婦さんが置いてくれたのはこわれたテレビ。テレビと三人は一緒に抜け出してこわれた機械の国で遊ぶのだけれど、この『こわれた機械の国』ってのは泣けます。こちらは手に入って今晩読まされました。
- 「かわいそうなぞう」 土家 由岐雄 金の星社 超有名。ないたあかおにでは泣けなかったけれど、こっちでは今でも泣けた。
2004年01月18日
■ 昨日の続き
で、そもそもなんでこんなところでこんなことを書いているかといえば、やっぱり書いてみると頭が整理される、というところがあるからだと思う。少なくとも私はそういう人間で、孤独に弱いということかもしれないし、人のアイデアに頼っていただけなのかもしれないけど、結局は議論に飢えている、というのがいちばん自分にはしっくりくる。
# Gould
初めまして、pooneilさん。脳科学の知識豊富なpooneilさんの日記をいつも楽しみにしています。
# pooneilようこそ、Gouldさん。日記ちょっと見ましたよ。始めたのも同じくらいですね。盛り上がっていくのを期待しております。これからもよろしくお願いします.
2004年01月17日
■ ネットでの儀礼_的無関_心
とくにお願いはしなかったんだけど、こちらのサイトにリンクをつけずにいてくれたことに感謝(私信)。基本的にここでは専門的な話に終始することにして、波風を立てないようにしておきたいと願っている。それだけここは脆い。いまでもリンクは当然の権利と考えているけれど、これはいわゆるネットでの儀礼_的無_関心って問題のことだ。
パーソナルなことを書いているわけではないけれど、私がやっていることも似たようなことだ。私が宣伝した約十五人ぐらいとそれに近い人物に向けながらも、新しい読者が生まれることを期待している。そのぎりぎりを保ちたい。だからゲストを限定していないわけで。
一方でもう少し反響がほしいとも思う。意外にコメント書いてもらえないな、というのが印象*1。そんなに危険かな? 前に考えたことあるんだけど、 2ちゃんねる形式で論文ごとにスレを立ててそれぞれにコメントを付けるという風にして、ゆくゆくは私以外もスレを立てられるようにする、というのはどうだろうか、現状だとちょっと難しそうだが、そういう風にもっと匿名化した存在にする、というのもあるかもしれない。とはいえなんにしろこの日記は始めてまだ一ヶ月ちょっと。徐々に内容を充実させながらコメントが増えることを期待して今日も書く。
*1:ガヤ以外ね。
# Gould
僕の意見では、2chチャンネル方式は嫌いです。(好き嫌いの問題で恐縮ですが)
# Gouldある特定の個人が日々つける日記からでしか、その個人がどの程度その分野に精通しているか分からない。
# ガヤこの日記の管理人さんが匿名でやっているのは知っていましたから。あ、ちなみにGouldさんも最近日記を付け始めたのは他の人の日記から知っていますよ。
# pooneilGouldさん、たしかにそうだとおもいます。実際、著者のキャラも含めて面白いと思ってもらえないと日記も読んでもらえないわけで、ある種の芸が必要になると考えることもありますし。しかし一方でGouldさんの日記にもあったように、自分の実験の話が見えてしまわないようにしなければならないので、そのレベルであんまり自分が明らかになってしまうのも嫌だと思うのです。それで2ちゃんねる方式という可能性を考えたのです。現実味はないけれど。
# pooneilガヤの日記は上の意味で芸を織り交ぜつつ書いているのだと思ってます。ここは匿名ってわけでもないんだけれど(私を知らない人でも検索すれば見つけることは可能だし)、ちょっと距離感みたいなものがまだうまく行ってないのです。固有名詞をどのくらい出してよいのだろうか、とか。
# uma9月に某大学の認知科学系学科に入学する青二才ですが毎日pooneilさんの日記を読ませて頂いております。高尚なコメントはできませんけれど研究者さん達の日記にはとても触発されますので続けて頂きたい次第です。頑張って下さい。
# pooneilようこそ。認知科学系の人は生物系と比べてネット上では少なくて貴重な存在だと思います。気軽にどうぞ。
# pooneilいま上のumaさんが現在のcogniさんであることに気づいた(確信度99%)。
2004年01月16日
■ 私の呼称のつけ方
ネット上では私は面識のある方にはさん付け、ない方には氏を付けてきた。それでガヤの本の書評の時には「池谷さん」と書いてみた。なんかそぐわない感じでまだ最適化した感じがしなかった。(元)同僚や先生に対しては以上のルールでは合わないのだろう。というわけで普段呼んでいるように、またはそのmodoficationでいこうと思う。というわけで私に対しても君付けあたりでいいです。よっちゃんでもウェルカム。
2004年01月06日
■ 新しいPCがうちに来る
ので、DTM再開を目指してPCに差すサウンドボードを選定中。現在の候補はaudiotrakのMAYA 44 MK-II。
http://www.egosys.co.jp/HP/php/maya44mkii.php
これでギター弾きまくり重ね録りしまくりの予定……いつできるんだか。
2004年01月04日
2004年01月03日
■ Bruce Almighty
を見た。映画で泣いたことなんて小学二年生のときの「泣いた赤鬼」以来だ。いっしょに見に会った愛する妻と帰りに話し合ったときの結論としては、男性向きに、主人公の男性に感情移入するように作られているからではないかということになった。もしその通りなら、Field of dreamsを見直してもいまなら泣けるのかも。
なにが琴線に触れたかはわかっている。私はそこを刺激してほしい。それは動物化かい?
私の琴線を知りたい人のための映画ネタバレ:ようするに泣いた赤鬼と同じで、自分を捨てるということ、それにキてしまう。ヒロイズムと自己憐憫。ブルースは全知全能の力を得て、その使い方を知り、それを捨てる。喧嘩中の彼女は神(=ブルース)に、こんなにつらいのなら彼のことを忘れさせてください、と祈り、神であるブルースはそれを聞いてしまう。私はそこまで来たらもう、ブルースは悲しみながらも彼女の願いをかなえてしまう、という結末を想像してもう泣いてたわけだけど、そういう展開では彼女が浮かばれない、と愛する妻は言った。たしかにひとりよがりか。実際の結末はそういうのではなく、もっとご都合主義な感じであった。
2004年01月02日
■ 実家
は私が生まれる以前からニット製作業を営み続けてきたが、この不況で新しい方向を模索し、人件費が高くてもやっていけるような単価の高い服に活路を見出した。注文票からいくつかピックアップしてみる。「ときメモ」、「あずまんが」、「ピアキャロット」、「カノン」、「ダカーポ」……すごいことになってます。
2004年01月01日
■ 保坂和志
世界の終わりとを読もうと思ったら「書きあぐねている人の小説入門」を発見。小説家志望でなくてもいろいろとピンと来るものがあって面白い。科学との比較から小説は個へとどんどん向かってくのを突き詰めるとこうなるのだろうと思う。手垢のついた題材で物を書いたり、クリシェを使ったりすることの問題が、未だ共有されない個を描くという目的から筋を通して語られる。猫を比喩として使うな、は小説家にしか必要ないかもしれないが、小説語を使うな、なんてのは文章を書く者全体に当てはまる。ただ、ストーリーの否定とか袋小路になっているところもあるようだし、ここは音楽や科学で比較して考えてみるとよいかもしれない。
2003年12月31日
■ preセカイ系
さてそれではこんどは世界の終わりとハードボイルドワンダーランドでも読んでみるか、とわかるやつにはわかるセレクション。
2003年12月30日
■ 佐藤友哉
エナメルを塗った読了。これで三部作制覇。いちばん陰惨だった。水没ピアノもそうといえばそうだが。で、予想通りオチはデタラメな感じだが、最後は余韻が残る。いまのところ、水没ピアノ > エナメル > クリスマステロル > フリッカー式 という順位か。あとは単行本化するまで読むつもりなし。飛ぶ教室も完結してから読むつもり。
■ 今気付いた
恐ろしいことに十年近く生*1を見に行ってない。最後は移籍直後の渋谷クアトロでのエレカシだったから95年あたりか。
*1:ライブと言うのもコンサートと言うのもギグと言うのも気恥ずかしい。
2003年12月29日
■ 西尾維新読了
よかった。私はミステリ好きではないので謎解き自体はどうでもよかったんだけれど、最後どう収めるのかが気になってた。でもって…なるほど、これはある意味壊れてるとも言えるし、壊れなさすぎとも言える。というわけで今度は「エナメルを塗った魂の比重」へと行くのであった。
2003年12月27日
■ 西尾維新
昨年ぐらいから西尾維新や佐藤友哉とかいわゆる「セカイ系」周辺を読み出しているのだけど、昨日から「きみとぼくの壊れた世界」 を読み始めた。現在探偵編。
で、なんですかこれは。エロゲではないですか。サイコーです。戯言シリーズからの延長上でなんか妙なところ狙ってきてる感じ。正直、西尾維新はちょっと軽すぎるかと、佐藤友哉くらいイタくしてくれるほうが好みかと思ってたんだけど、これは期待が持てる。
■ 忘年会
ホテルで忘年会をしている旧友のところに深夜に電話出演してみた。ナイスアイデアだと思ったんだけれど、あとでなんか切なくなった。
2003年12月26日
■ Nature Neuroscience AOP 祭り
書こうと思ったけど力尽きたのでまたこんど。
2003年12月24日
■ 私のクリスマス
今年は教会へは行かずに、家で電気を消してロウソクをつけて、ギターを弾いて子供といっしょに歌いました。子供へのプレゼントはポケモンとキティちゃんでした。
2003年12月22日
■ 「泣ける感じ」
愛する妻が子供用に科学手品18種セットみたいなおもちゃを生協から買ってきたんだけど、それが開ける前からなんか軽くてちゃちな感じがして、なんかひさびさにあの「泣ける感じ」がきたな、と思ったんですよ。開けてみたら予想どおりあんま中身が詰まってない感じで、もやはダメかと思ったんです。でも子供がそれで喜んで遊んでくれて、なんかいろいろ説明して一緒にあれこれやっていたらなんか感極まりまして、僕はこの感じを決して忘れないよ、だからさようなら、なんてパステルズバッチですよ、もう。いや、吉野家コピペではないんです、けっしてこれは。
で、その「泣ける感じ」というやつを説明しておきたいと思うのですが、「かわいそ犬」というのがかつて私の近所に二匹いたんです。一号と二号。どちらも年老いていて毛並みが悪いみすぼらしい犬だったんですが、一号は道路沿いの民家で飼われていて、コンクリート塀の向こうから「ボッ」って弱々しげに泣くんです。番犬としての役割を果たそうとがんばっているんだけれども、もう力がなくて、こちらの目を見ようともせずに弱々しげに吠える。それが不憫で不憫で仕方なかったんだけれども、あるときから見なくなりました。
二号は駅前にいて、ぼさぼさの毛で駅前の雑踏をうろうろしていたのをよく見たものです。あるときなんかの都合で私がそいつの近くを自転車で通ったときに、二号がキャンキャンいいながらものすごい勢いで追いかけてきたことがあります。これはそれでなんかやりきれない悲しさがにじんだものです。こいつもここ二、三年見てません。
で、このかわいそ犬だけではなくて、小学生のころ、コカコーラのおまけのヨーヨーが大流行したことがあってねだったんですが、親が買ってきたのがよりによってパチモンのヨーヨーのなんかちゃんと空回りしないやつだったりして、同じような感覚を抱いたものです。
なんかそういうチャチで惨めだけど罪のないものに出会ったときに私の自己憐憫回路が働き、私はなんか妙にやさしげな気持ちになっていく。この感覚が私が言うところの「泣ける感じ」というやつです。ある意味、「もののあはれ」とも言えるかもしれないが、もっとなんかかっこ悪い感じが付随する点に違いを感じます。
(追記)子供は早くも飽きてきている模様。ブルーバックスの科学手品の本でも読み直してみようか。
2003年12月19日
■ 私信ついでに。
私信か、っていう意味ではここに書かれていること全てが私信であり、世界中から見えるようにはなっているけれども、結局のところ、ある限られたメンバーの顔を思い出しつつ、そこへ向けるように書かれている。
まあ、
http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20030904#p2
でいうところのテキストサイト的ウェブ日記とブロッグ系ウェブ日記のどちらかといえば前者に近いつもりでこの日記を書いている。ていうかだれかコメント書き込んで!匿名でいいから!
# がや
ARIELIの論文はKohonen algorithmだけで抽出している点がすげえ。これは説得力がある。
# がや続:この論文のおかげで投稿中の私の論文は蹴られる可能性が大だという噂。だとしたらかなしい。
# がやもう一点。decodeの研究には常に不可避な問題があるような。だってdecodeしているのはあくまで実験者であって脳ではないのだから。decodableだとは言えるけど。
# pooneilそうそう、その点が上記のJNSでの「decodingは一般性の点でencodingとは同じレベルにはない」と言っていることかと思われる。Fig.2も意味深い。
# pooneil続きは12/20の本文にて。
2003年12月17日
■ "pooneil"でググったら二番目に来た。
なんだこりゃ?Googleってクッキーでも読んで人に合わせて答えてるんだっけ?
2003年12月13日
■ 断り書き
ホームページのほうから転載:
- ガヤの日記を見て、論文チェック日記やってみようと思い立った。はてなダイアリーを使うことで、コメント書き込みしてもらうことができる。はたしてなんか書いてもらえるかどうかは更新と宣伝しだい。どんな感じになるか、ちょっと作ってみたところ。分野的に毎日論文を複数挙げるというよりは、何日かに分けて追記しながら論文を読んでいく、という形になりそう。その場合、更新をどうやって追っかけてもらうようにするかが課題となるだろう。
2003年12月08日
■ 針千本飲ーます
ではなくて針一本飲ーますのほうがリアルで怖い。そう前に提唱したことがあるんだけど、なんかで同じようなこと言ってるのを見た。私のオリジナルではなかったらしい。
2003年11月29日
■ とりあえず作っとく。
稼動は来週以降。
追記and注記:この日からはてなダイアリー開始。これ以前はニフティのサイトにあった「たまにつづるメモ」を編集して移動したもの。
2001年06月18日
■ たまにつづるメモ
なんかいつのまにかbk1に書評が載ってる。名前は苗字だけになってるし、分けわからん。これで300ポイント入ったのか?全然わからん。
2001年05月30日
■ たまにつづるメモ
Psyche-BからFrancisco Varela死去のメールを受け取る。5月28日パリ時間で午前5AM、ここ数ヶ月の病気の後に死去、安らかな死であったとのこと。まさかMaturanaより早いとは驚いた。まずは追悼の意を表します。
2001年04月20日
■ たまにつづるメモ
チーズはどこへ消えた?にだんだん本気でむかついてきたので、原書を買って読む。Amazon.comの書評をかいつまんで読む。この本の問題点を指摘した文章を作ることにした。
2001年04月16日
■ たまにつづるメモ
サイコドクターあばれ旅に行く。 チーズはどこへ消えた? 完結編 面白い。迷路の中のチーズなんて枠より、その枠に気付く方がよっぽど大切だ。それではオレもひとつ。
- おそれずに新しい行動を起こそう。
- でも、新しい行動を選ぼうとするもの一人一人には必ずしも幸運は得られない。
- しかし集団としては、その中から適者生存的に選ばれた行動が選ばれることで、成功例が生まれる。
- つまり、進化に必要な突然変異と並べて考えてみればよい。突然変異への対応物である、[行動のばらつき]を持たせよう、というのが「チーズはどこへ消えた?」のメッセージなのだ。そしてこれはサラリーマンへのメッセージではなくて、サラリーマンを使う側に都合の良い論理を植え付けるのが狙いなのだ。
- こう考えると、会社が読ませたがるのは確かに狙いと合っている。でもさ、これをサラリーマンが一生懸命読んでどうするよ?
なーんてあたりまえすぎてつまらなかった?
でも、およそすべてのサクセスストーリーにこの種のトリックがあるのは強調しておきたかったもんで。
2001年04月15日
■ たまにつづるメモ
結局bk1書評掲載されず。掲載拒否されるようなことなんて書いてないぞ。投稿し直すのもアホみたいなのでもう考えるのを止める。
2001年04月07日
■ たまにつづるメモ
ブルーバックス書評、amazon.co.jpは即掲載されるが、bk1はまだ。遅い。審査に時間がかかっているというより、どっかで溜まっているだけと邪推する。600ポイントサービスの締め切りと関係あるかも。ホームページへのリンクを貼ったらエラー出るし。こういうのは信用落とすな。
2001年02月01日
■ たまにつづるメモ
大学、大学院を通じての同僚である池谷裕二君が講談社のブルーバックスから本を出した。早速買う。ごめんまだちゃんと読んでない。
「記憶力を強くする」= 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 =、池谷裕二 著、講談社ブルーバックス、定価 980円、ISBN:4062573156
せっかくだから「脳と記憶の謎 遺伝子は何を明かしたか」山元 大輔著、講談社現代新書1351、ISBN:4061493515とか「学習する脳・記憶する脳 メカニズムを探る」磯 博行著、裳華房ポピュラーサイエンス208、ISBN:4785387084とかと比べて読んで書評書こうかと思ってる(いいから書けって?)。ちゃんと読んでからまた。
2000年09月25日
■ たまにつづるメモ
- 近くで本屋が開店した。リリー・フランキーの「誰も知らない名言集」が外国文学・評論のところにあった…トホホ。
- 自己と他者はどちらかが先にできるものではなく、片方だけがあるなんてことはありえない。「縁起」の概念がわかっていたとすれば、片方から片方が生まれる、なんて図式は到底書けないはずだ。両方が一気にできる、という考えの方がよい。
- 論文The early days of autopoiesis by F. Varelaを読む。Varelaは神経生理学(T.Wieselのところにいた)のトレーニングをしながら、本当に目指しているところを隠しながらドクター生活を過ごしていた。共感できる。けど真っ当な論文は出せてない。マスターか学部生のときの論文もせいぜいbrain research。共感できない。Biosystemに出た'74の論文(autopoiesisについてのシミュレーションをした初めての論文)は実はNature, Scienceにも投稿していたらしい。Complete rejectionだったと。彼がNatureに論文を載せるのはそれから25年後のimaging studyでのことだった。
2000年08月16日
■ なぜ私は93kgから73kgへのダイエットに成功した後リバウンドに苦しんでいるのか。
もともとは
16-8歳。1984-6年:70kg
水泳部に所属して夏には1万メートル以上泳ぐ。腹が裂けるほど飯を食っているが当然太らない。身長などはこの頃から変化がない。
前回のダイエットとそれ以降
19歳。1987年:80kg台
浪人時代。運動をやっているときと同じペースで飯を食っていたら即効太った。
21歳。1989年初夏:93kg
あまりの変化に人の漏らす言葉にショックを受けてダイエットを開始する。
21歳。1989年秋:73kg
りんごやトマトを主体にした過激なダイエットで筋肉ごと3ヶ月かけて体重を落とす。あれはよくなかったが、水泳部のコーチをやりながらなので、運動を平行して出来たのはよかった。
25歳。1993年:70kg台後半
四年間程度はこの体重を維持できた。
27歳。1995年:80kg台
この辺からじんわり増えてくる。
28歳。1996年:90kg台
初めての一人暮らし開始で三食飯食って間食して夜中の帰り道に四食目買ってお菓子もつけるようになる。
30歳。1998頃の最盛期:98kg
結婚して妻が食事を作ってくれるようになるが、それまでの食生活が改まらず、こっそり間食をする生活が続く。前から妻を食事には気を使ってくれていたが、私がそれを役立てることをしなかった。
1999/12/22:96kg
忘年会。食いまくる。肉もあれば生牡蠣もあれば酒もあればケーキもある。
ダイエット開始
1999/12/24
風邪を引いて丸二日何も食べられない状態が続いた。もともと風邪を引いても食欲はある性質なのだが。
1999/12/26:94kg
体重を測定したらいきなり2kg程度減っている。これは基本的に水分の減少であるので、脂肪が減ったわけではない。しかし、せっかくなのでダイエットをすることにした。食事はまだお粥適度だが、間食を完全に止めた。しかしまたも始まりのきっかけは禁煙と同様、風邪だった。
2000/1
ダイエットの内容:朝昼は普通通り食べる。夜だけはご飯無しでおかずだけにする。間食はしない。コーヒーなども飲まない。別にタバコも吸いたくない。特につらくはない。精神力で減量しているわけではない。なんとなくそういう調子が出てきている、という感じ。ウーロン茶などのノンカロリー飲料を飲むが、太っていたときより量が減った。
2000/1/11:88kg
約20日間で96kgから88kgまで減らして腹のふくらみの脇にへっこみが出てきた。再びリバウンドするのか、いやその前に前回のようにちゃんと痩せられるのか、乞うご期待!!!
2000/1/31:83kg
うまくいってます、というか減り過ぎです。現在、83.0kg。約40日間で13kg減りました。
2000/2後半
順調だがそろそろ回りの声に賞賛だけでなく、心配の声も混じってくる。確かにペースが速すぎる。ただ、無理しているわけではない。めまいがするなどの体調不良もない。風邪も暮れ以来全くひいていない。
2000/3/19
ついに75kgを切る。これで運動をしていた頃の体重となるので減量は終了。この体重と体調を維持することを心がける。ここからが新たな戦いです。
ダイエット完了
2000/5/17
ダイエット完了したのだが、まだ微妙に体重が減っている。グルコース不足にならないように三時のおやつなどは取っているのだが。ちょっとビビリ中。
2000/8/16
ダイエット完了して、69-70kgを行き来する。3ヶ月ほど安定している。ウンチが毎日安定して出ないので、それによる体重変動がある。つらくはないが、飲み会などあるとすぐに71kg越えそうになる。気は抜けない。
2000/9/13
微増。危ない。3時のおやつや夕食後のデザートなどを調節してなんとか抑える。
2000/11/27
学会でニューオリーンズへ行く。観光地なので結構いろいろ食べる。Acme oyster barの牡蠣しょっぱいけど西洋ワサビつければうまい。Gumbo shopで食ったクロウフィッシュエトフィ気に入った。体重は激増せずに済んだ。ジャンクフードを食わなければアメリカでも保てる希望が出てきた。
2001/2
じんわり増えてきた。そろそろまずいのでまた食生活に気をつける。間食を不必要に取ってないか気をつける。
2001/4
しばらく体重計に乗ってない。乗るのが怖くて後回しにする日々。
2001/8/13
そろそろ増えた感じがしたので意を決して体重を測る。なんと、再び70kgを切って一番やせていた状態に戻っている。夏の方が冬より痩せている、ということか、それとも論文執筆のプレッシャー(マジで)によってか。
2000年08月15日
■ たまにつづるメモ
犬を蹴飛ばすと追っかけて来る - オートポイエーシス的 - 因果なしの世界が加わる
犬を蹴飛ばして空まで舞い上がる(少年ジャンプっぽく) - アロポイエティック的 - 物理的因果
2000年08月08日
■ たまにつづるメモ
Nature Neuroscience 8月号 p.743
As one participant quipped, the most remarkable thing about the Cold Spring Harbor meeting was that most of the speakers were not yet tenured. It is no longer considered professional suicide for young experimentalists to study consciousness, and for a field that is itself so young, that represents progress.
これは間違いなくいいことだがどうやっているんだ?ニューロサイエンスのラボでやれるのか?
2000年07月28日
■ たまにつづるメモ
よい音楽がイメージを生成するものである、というKさん、Iさんの意見:それに対して私はイメージは湧かない。演奏者のイメージは出てくるけど。
しかし音楽の強度は私だって強く受け止めている。そういえば視覚系が弱いのかもしれない、夢もあまり見ないし、見ても白黒だし。同じ音楽の喜びといっても現象学的に言って違うものが混じっている可能性がある。
2000年06月04日
■ たまにつづるメモ
- 構造主義生物学が外部世界の実在性を必要としないと言うとき、実際にどういう場面でこれが関わってくるのか。どこでも関わってこないような「穏健」なものなら意味はないだろう。
- 自律性を持っている運動系、動きのレパートリーは脊髄レベルで持っている。階層的、進化的に大脳皮質が付け加えられて修飾系が増えた、という図式。
- 意識の問題が科学に乗りにくいのは、科学に必要な「観測」の問題に難点を抱えているから。そしてそれはなぜかというと、「観測」自体に意識が関わっているから。同様にして宇宙論、進化論が科学に乗るのに苦労するのは「再現性」に問題があるから。そしてそれは宇宙論、進化論が「一回性」の問題に関わっているから。
2000年01月11日
■ なぜ私はたばこを止め、そして問題無く過ごせているのか。
タバコは21才から吸い始めて、三日で一箱ぐらいのペースで問題無くやっていたのだが、実験によるストレスが増すようになって、吸い始めてから5年ぐらいで、煙を本当に肺に全部入れられるようになってからは(つまりそれまでは単にふかしているようなものだったってこと)ニコチン中毒になりだして、ニコチンが切れるのがわかるようになってきた(最大で一日二箱ぐらいだったろうか)。実験の都合上、何時間も煙草を吸うわけにはいかない。実験の休憩時間にタバコを水にベランダへダッシュするようになって(研究所はベランダ以外禁煙)、これはまずいから止めなければ、と思うようになった。もちろん、前から彼女(現在の妻)や家族には止めるべきと言われていたのだが。
97年の暮れに風邪を引いて、ゲホゲホ言いながら寒いベランダでタバコを吸っているときにふと、何でこんな思いをしてまで吸っているんだろう、実際タバコは全くおいしく感じれないし、と思って風邪が直るまではタバコを止めておくことにした。
妻と一緒に買って置きっぱなしにしていた禁煙の本「禁煙セラピー」(アレン・カー著KKロングセラーズ) を読んだ。別にこの本でなくてもよかったかもしれない。この本は別に科学的な知識を教えてくれたわけでもなかったし。しかしこの本が私にはとてもよかった。
この本が伝えようとしているのは、喫煙の習慣とは、ニコチン中毒と洗脳によるのであり、ニコチンの排除のための約3週間の禁煙と脱洗脳によってタバコを止めることができる、というものだ。このため、この本は煙草を吸う人間が持っている幻想を一つ一つ取り除いてゆく。つまり、「タバコは退屈やストレスをまぎらわしてはくれないし、集中力やリラックス感を高めてもくれない」「タバコは単にニコチンの禁断症状を除くだけである」など。タバコが健康に悪いことなど誰もがわかっているが、それが理由では私もタバコを止めなかった。この本は逆に、タバコの利点なんて本当は全くないことを我々に説得させることで、脱洗脳を図った。そのため、「減煙は禁煙よりも難しい」「タバコを精神力で止めようとしてはならない、それでは洗脳が解けていないため、逆戻りしてしまう」と禁煙中のアドバイスをする。そしてこの本のメッセージが納得いったとき、最後の儀式として、最後の一本のタバコに火をつけ、それを吸いながら、いかにこれがまずいものであり、体に悪いものであるかを感じながら吸い、悲壮感ではなく、このようなものをもう吸わなくてよくなる、という喜びを持って吸って、これでもう二度と煙草は吸わないことを決意すべしという。
私がこの本を読んだのは風邪の間に煙草を止めて1週間経ったぐらいだったが、ゲホゲホ言いながら寒いベランダで吸ったタバコがまずかったこと、そして、煙草の味自体は別にうまいものでも何でもないことをよくおぼえていたから、そのままもう二度と煙草は吸わなかった。ニコチン中毒でのイライラがなくなることを喜べたし、タバコの禁断症状は思ったよりもつらくなかった。ふとした時に口の中がなんか変な感じになることに気づくことがあったが、深呼吸をしたときの空気の方がよほどおいしいと思えた。この感覚は本で言うところの3週間よりはかかったが、1ヶ月でほとんど気にならなくなった。
ちょうどこの頃妻が妊娠していることがわかった。意図せず赤ん坊が生まれる前にタバコを止めるということになり、妻は感激したし、家族も喜んでくれた。最後まで禁煙の障害となったのは、ニコチン中毒ではなくて、かつて煙草を吸っていたようなシチュエーションになったときやそういうのを思い出した時のことだった。酒を飲むとき、公園のベンチに座るときとか。結局、こういうのは、失恋した女の子をつい思い出してしまうのと同じで、結構尾を引くものだと思った。こういうときが半年はかかった。禁を破って煙草を吸ってしまう夢を見たこともあった。けれども現在、子供が生まれて1歳半近くになるまで煙草は一本も吸っていないし、吸う意味がない。一本試しに吸ってみようとも思わない、なぜなら、タバコにいいことなど一つもないことが今の私にはわかっているから。
ニコチンの作用については私は薬理学から生理学に移った人間なので、論文などは読んでいる。報酬系のdopamineなどとも関わっていることがわかっている。だから、洗脳をとくのには時間がかかるし、喫煙によって起こった報酬系の可塑性はニューロンの構造レベルにまできっといっていたのだろう。失恋した女の子を忘れるのと同じ時間がかかる、というのは比喩ではなくて、本当に同じような脳の部分が関わっている証拠だ。この辺もう少し論文の紹介でもしてみたいが、今回はここまでにて終了。参考資料としては、Neuron 1996 May;16(5):905-8 "Molecular and cellular aspects of nicotine abuse"あたりからいってみたい。
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