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2015年02月26日

「状態空間モデル入門」講義に出てきた

明日総研大の大学院講義で「状態空間モデル入門」小山慎介(統計科学専攻)というのがあるので勉強してくる。島崎さんのPLoS Comput Biolとか理解できるようになることを期待して。

予習中。「神経科学と統計科学の対話3」State Space Methods in Neuronal Data Analysis (Z Chen) パート1及びスライド。動画はパート2およびパート3まであり。


「状態空間モデル入門」講義参加してきた。あいにく出席者が少なくて残念なかんじだったが、おかげでバンバン質問してマンツーマン的に教わることができた。講義としてはまず確率的因果推論とマルコフ過程の概論から。

確率的因果推論っていうけど、以前ブログで「ラットの因果推論」について採り上げたときに、原因の確率を手計算していたけど、あれがまさに確率的因果推論であって、PRML8章の「グラフィカルモデル」というやつのこと。たとえば遺伝の話で言えば、メンデルの法則っていうforwardモデルがあるから、先祖から子孫で表現型がどのような確率で伝わるかわかる。ベイズの法則を使えば逆向きの推定ができて、ある子孫の表現型から先祖の表現型の確率を推定できる。

マルコフ過程のほうはPRML13章の「系列データ」に出てくるあれ。状態量x(t)が直前のx(t-1)だけで決まる。隠れマルコフモデルでは、計測値y(t)と見えない状態値x(t)とに変換式P(y(t)|x(t))があって、x(t)がマルコフ過程になっている状態空間モデルの特殊例(取り扱いしやすい例)だということですっきりまとまった。

ベイジアンのグラフィカルモデルでは有向でループのないツリー状構造が扱われるのに対して、マルコフ過程ではx(t-1)だけでx(t)が決まるという、枝のない特殊例であるということも理解した。

カルマンフィルターも状態空間モデルの特殊例で、隠れマルコフモデルが離散的であるのに対して、カルマンフィルターは連続的であり、ノイズがガウシアンであるという仮定が入ってる。

隠れマルコフモデルでは、いったん計測値y(1:t-1)が入手できれば、現在の状態値x(t)の確率密度分布p(x(t)|y(1:t-1))を計算するのにチャップマン=コルモゴロフ方程式を使ってやればよい。

M1ニューロン活動から運動の方向をデコードするような例の場合、ニューロン活動も運動も自己相関が高いので運動の方向は急には変わらない、つまり自己相関が高いのでマルコフ過程の仮定を置くことができて、デコーディングがうまくいく。

実際にチャップマン=コルモゴロフ方程式を使う際には

p(x(t)|y(1:t)) ∝ p(y(t)|x(t)) * p(x(t)|y(1:t-1))

でベイズの公式を使う。規格化するために分母を計算しないといけないのでパーティクルフィルタとか使ったりとかいろいろテクがある。講義では省略されてたけど、ここが難しいし、時間がかかる部分であることはわかる。

けっきょく状態空間モデルでは見えない状態x(t)を計測値y(t)から推測するためにベイズ推定を使うので、x(t)からy(t)を生成するモデルがうまく作れないとダメな推定を行ってしまうことになる。


後半の講義では、小山さんのJ Comput Neurosci. 2010 Comparison of brain-computer interface decoding algorithms in open-loop and closed-loop controlを元にした話をしてた。

ここでは、デコーディングをする際に、1) population vector => 2) ordinary least squares => 3) nonlinear least squares => 4) loglinear least squares => 5) state space model とモデルを変えるごとに拘束条件をゆるめてより自由なモデリングができること、そしてこれらのなかでM1ニューロンのデコーディング(Andy Schwartzのデータを利用)にはどの拘束条件が効いているかを検討した話を聞いてきた。

結論としてはopen loopのデコーディングでは「サンプルしたニューロン集団のなかでpreferred directionが一様に分布している」という1)での縛りが聞いているのだけれど、closed loopでは動物が学習してくれるのでこの縛りは重大でなくなる。それでも5)でadaptiveのノイズのスムージングをしてくれることがデコーディングの性能に効いているという点ではclosed loopでもopen loopでも変わらん、というものだった。

これはモデル推定のパラダイムだから、たとえば状態空間のモデルとして複数のものを作って、それらからより良いモデルを選択するということも可能。


状態空間モデルは自由度が高いので、島崎さんの論文のように高次相関を状態空間モデルに組み込んでやれば、時々刻々と高次相関が出たり消えたりする(セルアセンブリの形成)のを推定することができる。多細胞同時記録神経スパイク時系列データの状態空間モデルおよび動的スパイク相関の状態空間モデル やっとこのへんわかってきた。

状態空間モデルでは、データの追加にともなってそのつどベイズ更新をしてゆくから、たとえば電極埋め込んで長期間デコーディングをしてゆくときとだんだん記録が悪くなっていくのだけど、そのときにデコーダーを逐次アップデートしてゆくことができるわけで、それはよさそう。ざっとググってみたかんじタイトル的にこの論文が該当するか:Neural Comput. 2011 "Adaptive decoding for brain-machine interfaces through Bayesian parameter updates."


状態空間モデルがうまくいけば、状態量 x(t-1) -> x(t) -> x(t+1) といった推移を推定できるわけで、究極的にはそれがスパイキングネットワークモデルでの推移則を決めるための拘束条件にできればいい。こうすると力学系的アプローチにつながる。夢見過ぎだろうか?

それはそれとして、時系列の解析で見えない過程から測定値への変換のモデルを作って、測定値から見えない過程を推定する、というのはまさに生理学者がやりたいことそのものなので、いろんなところに使えるということがわかる。


ニューロン活動だけでなくって、サリエンシーに基づいた視覚探索の場面でも使えるだろう。サリエンシーにもとづいてどのように目を動かすか、IORとかattention apertureとかいくつかパラメータを作って、モデルを作ってパラメータフィッティングとか最近やってるんだけど、これってまさに状態空間じゃね?

とか思ってふと考えてみたら、NTT木村さんがやってたのってまさにベイジアンな隠れマルコフモデルによるアプローチだった。A stochastic model of human visual attention with a dynamic Bayesian network いまのいままで繋がってなかったomg!!! ということでなにすればいいか判明した!


2015年02月25日

研究関連20140630

多重共線性が出たときの対処法って結局どうすればよいのだろう。Y = b1*X1 + b2*X2 + e でX1とX2が相関高いときにX1もしくはX2だけに変数をdropしてregressするのは正しくないと思う。(X1+X2)と(X1-X2)という二つでregressするほうがよくないか?


Kindle入りするまで待つつもりだったちくま新書の哲学入門(戸田山和久著)を買ってしまった。まだ2章だけど、買って正解、ものすごく役に立つ。ミリカンの議論に基づいて表象とは何かという話から始まるのだけれども、「因果的に決まる限り表象は間違え得ないけどそれではおかしい」というところで、下條先生の「「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤」でのNewsomeのperceptual decisionの議論を思い出した。こういうことを知りたかったんだった。

あと、「意味を作るためには中国語の部屋だけではダメで行動が必要」って議論があって、分析哲学でも行動の意義は考慮されてるのであって、enaction説とそんなに断絶してるわけでもないなと思った。さらに読み進めてみることにしよう。


薬学部の頃に「プログラム学習シリーズ」の赤い本、たとえば「有機合成化学」とかがあって、あのシリーズにすごくお世話になったのだけれど、ああいうかんじで神経解剖学を大づかみなところから詳しいところまで教えることはできないもんだろうか。

いきなり「Gray's Anatomy」最初っから読めってのが正しいとは思わない。学部だったら薄めの教科書を一冊とにかく最後まで行くのが精一杯だと思うけど、どうしたものか。和訳本「カンデル神経科学」が出たタイミングなので考えてみた。

大学院の勉強会やるとしたら、カンデル本やってから"The New Visual Neurosciences""The Neurology of Eye Movements"だろうか。

数年前に二分冊の"The Visual Neurosciences"からいくつか章を選んで輪読したのだけれども、合冊の新版を見たらけっこう内容が変わってる。もう一回新版でやってもいいのかも。人も入れ替わっているし。


messy mindについてだけど、@fronoriさん、@kazuhisさんが言及しているとおり、これは「機能というものについての進化的な見方」というかなりgeneralな観点なのであって、私自身もこの概念を知ったとき、下條先生の「来歴」やVarelaの"lineage"を思い出した。

だから論点はそれ自体というよりも「脳波や脳波のcross-frequency couplingみたいな直接byproductっぽいものが機能を持ちうる」という気づきを得たことを記しておきたかった。

そしてこれは計算論的脳科学におけるデビッド・マーの「脳活動と行動から計算論的原理を抽出する」という考えに対して、否定はしないけれども、機能とimplementationの関係が一対一のような関係ではなくてもっとmessyでありうることを示唆しているわけで、意義は大きいと思う。


いろんな人に会って考えていたが、左右の脳で半視野ずつ分担しているのに、なんで左右が切れ目無く繋がっているかということは、連合線維と交連線維とが同等であるわけでもなかろうし、けっこう難問なのではないかと思った。


「非線形な世界」の補足ページより。こことかシビれる:「「複雑系」はダーウィン過程によって生成する系あるいはそのような系によって構成された系であり,短時間の過程で生成することは一般にあり得ない.したがって,伝統は枢要である.反動ならざる保守だけが複雑な系を維持しうる.」

脳とSOCとかそういう話題についての記事なのだけど、砂山モデルのPer Bak氏はすでに亡くなっていることを知った。nytimesの記事:obiuaries

「バクはデンマークのもっとも偉大なアメリカ人だった。…普通のデンマーク人は対立を避けるものなんだが、彼ときたら尊大で同僚と論争をすることを好んでいた。バクと合ったことのある人達ならみんなバクとの初対面のときに彼からどんなふうにひどい放言と侮辱をされたかを話すことができるよ。」ウィキペより。


いろんな動物の脳のサイズを比較している図がツイートされていて興味をもったが、出典が書いてない。Google画像検索で調べてみたらFrontierジャーナルのレビューであることが判明した。"The evolution of the brain, the human nature of cortical circuits, and intellectual creativity" ここのFig.7。リンク こういうのをストックしておくとトークの時とかに役に立つ。

この図を見ると、ヒヒやマンドリルの脳が思ってた以上にマカクにそっくりだったので見方を新たにした。ちょっと彫りは深いかもしれないが、IPS, ArcS, LunSとかほとんど同じだからブロードマンの領野とか即推測できそう。

あと、イヌやネコに中心溝(ローランド溝)がないのってあらためて不思議なことな気がしてきた。それよりも外側溝(シルビウス溝)のほうがより深く、発達の段階でも一番最初に形成される脳溝らしい。胎生10-15週だそうな。(The Development of Gyrification in Childhood and Adolescenceのfig.1より)


autismでのSensory overloadとNed Blockのoverflowって繋げることができるんではないかなとか考えた。


Rodolfo R. Llinásの"I of the vortex"にホヤの話があることを知った。つまり、動いているときは原始的な脳を持っているのだけれども、いったん定住してしまうとホヤは自分の脳を消化してしまうと。「動きが脳を作る」系の話でこのネタは使えるな。


2015年02月15日

ROVO@今池Tokuzoに行ってきた 20140512

ROVO TOUR 2014 名古屋公演 これに、行きたい。VSSの前で、ここは重なってない。


20140511: ROVOツアー、京都と大阪が終わったから情報探してみたが、セットリストそのものはなかった。「近年あまりやっていなかった曲をあえて取り上げて、2014年版としてリアレンジ」「3時間の二部構成」「ファーストセットは、メンバー全員による完全即興演奏にて60分の超長尺新曲」「セカンドセットは、ツインドラムによる壮絶ロングセッションやアコースティック編成」「imagoとかflageの曲も久しぶりにたくさん」「割とシンプルで音数減らしつつ極端な盛り上がりをしない感じかなって前半から、重めの曲が中盤以降に」ソース


20140512: ROVO@今池Tokuzoに行ってきた。すごくよかった。7時過ぎ開演で、9時半前くらいに終演。前情報で聞いてた二部構成は日比谷野音の話だったらしい。2時間くらいぶっ続けでMCもなし、ほとんど曲は繋がってる、ラストはEclipseで、アンコール2曲(といっても長い)で終了。

最初っから飛ばしまくりで、途中サイケデリックなジャムっぽいところもあったが、つねにドラムがリズムを刻んでいて、ここは力抜くところってかんじの場面がなく、一挙にラストまで。Eclipseはもともとバイオリンの旋律が明確でキャッチーな曲だが、ライブではかなりイフェクトがかかっててすっごくヘビーにしてあった。たぶんImagoの曲もあったかと思うけど、スペーシーな感じよりも ヘビーなかんじだった。記憶にある限りでは、CanvasとMelodiaはやってたと思う。

Tokuzoは基本居酒屋なのでキャパは小さい。開演10分前くらいに数えたときに80人くらいだったろうか。おかげで前から5列くらいで見ることが出来た。

オールスタンディングなので、途中で疲れたら後ろに引っ込んで見てるつもりだったが、2時間半ぶっ続けでも疲れなかった。内容がだれなかったのが最大の理由だろうけど、ジョギングした成果があったかも。この日のためだったのだな! というわけでたいへん満足。

ROVOでは山本精一氏のギターは録音ものではアンサンブル中心というかあんまり強い印象がなかったのだけど、ライブではストラトのいい音(羅針盤で聴けるあれ)がすごいよく聞こえて、それがスペーシーというよりジャムバンド感を出してて、すごくよかった。

勝井氏のMCでは、月曜日という来にくい日を名古屋公演にしてすいません、みたいなのと、日比谷野音にも来て、ROVOの野音は雨が降ったことがありません、って断言してた。以上レポっす。(<-ラーメン二郎風)


昨日のRovo@Tokuzoのライブ写真がFBにアップされてた。俺が写ってた。右手前の赤チェックシャツ。


20140531: ROVO日比谷野音のセットリスト見つけた。1および2

これ見ながら確認したかぎり、今池TokuzoではBaal, Loquix, Melodia, Agoraはやってた。でもって、ラストがEclipseで、アンコールがKNM!というのはたしか。REOMはやってない。HAOMA, SINO DUBあたりはやった気がするが記憶がたしかでない。これで8曲だからたぶんこのくらい。


2015年02月06日

駒場講義の準備メモ(2014年版)

毎年6月恒例となってきた、駒場講義について少し考える。このあいだのclinical neuroscienceの総説原稿を元にして再構成する。「意識のcontent」だけではなくてstateとしての意識、みたいなことを考えるのに「前反省的自己意識」の概念が使えることがわかったのが去年からの進歩だけど、いきなり現象学入門ができるほどこなれているわけでもないので、ダマジオの中核自己みたいなもの、いやそれでもまだ抽象的すぎるので、「自己」概念についての経験的な知見に言及する方向か。大きくは変わらないがいろいろこなれた流れを目指したい。

来月の駒場オムニバス講義では、先日書いた日本語総説のストーリーに沿って、これまで作ったスライドを再構成しようと思う。NCCという研究プロジェクトがあって、contrastive methodで強い表象主義なのだけれども、内的な意味を持ったカテゴリーを作るためには行動をして、その主観にとっての意味を作らなければならなくて、ゆえに知覚と行動ととのループがどう作られるかを力学系的に捉える必要がある。いったんそのような意味での表象ができてしまえば、その脳の活動はふたたび同じ知覚刺激が与えられたときだけでなく、夢や想像でその神経ネットワークが活動した時にも知覚経験に対応した夢、想像の経験を作ることができるだろう。こういった考え方でまとめようとすると、Varela-Noeというよりも、Andy Clarkの穏当な表象主義あたりに落ち着くだろう。

じゃあってんで、「現れる存在」"Visual Experience and Motor Action: Are the Bonds Too Tight? (2001)"あたりでまとめるということになると、まあ池上さんはみんな知ってることだろうから面白みはないかも。

あと神経科学側から足せることは、ここ数年でのMark Churchlandの運動皮質ニューロンの仕事やMante et alのPFCの仕事のように、多数のニューロンの活動から状態空間を作ってその中で軌道を描く、みたいな仕事が実験側からも出てきたことを紹介するとかか。

つまり、革命家ではなくて改革主義者でいくと、(単純な)NCCを拡張して、行動からの意味付けによって形成したものにして(たぶんここにベイズ脳が入る)、(単純な)contrastive methodを拡張して、isomorphismからhomeomorphismになる。

"neural correlates"の歴史を辿るひとつのやり方として、「運動野ニューロンが何を表象しているか?」を追うと、個々の筋肉の活動に対応しているという説と、ポピュレーションコーディングをしているという説があったのだが、Steve Scottによってそれらがoptimal controlをしている内部モデルの一部として捉えればよいということで統一された。これは知覚での予想コーディングへの流れと似ているというか先取りしている。(というか川人先生の説ってのは知覚も運動も両方それで説明する。)


駒場講義でIITについてちょっと喋れないかなあと思って大泉さんのPLoS Comb Biol論文 "From the Phenomenology to the Mechanisms of Consciousness: Integrated Information Theory 3.0"をぴらぴらとめくってた。IITがver.3になってて、現在と過去だけでなく未来への影響まで考慮するようになった。

あと、大泉さんから教えてもらったブログ記事も読んでる。これはあまり意味のないネットワークでもphiが大きくなってしまうという問題を指摘している。これ自体は前から議論になっていることで、indexの作り方しだいで対処できそう。

あともうひとつこのブログ記事では、"Pretty-Hard Problem of Consciousness"という言い方をしていて、これはIITの目指していることを端的に示していてわかりやすい。つまり、あるシステムがconsciousであるかをシステムのある時点(+直前直後)の状態だけから決めるという試みだというわけだ。行動とか来歴とか力学系的な軌道とかそういうものをprojectして、ある時点でのスナップショット的に捉えるという点ではNCCと発想は近い。だからChristof Kochがこれに肩入れするのかなとか思った。

京都のシンポジウムの時にも話したことだけど、IITに行動と環境との相互作用は明示的には入ってないんだけれども、高いphiを持つネットワークを作るためには進化と発達とをやり直すような経験が必要になるであろうという意味では全く入っていないわけではないはず。

以前の論文でGAで進化させてfittnessを上げるとIITも上がったというシミュレーションのPLoS Comb Biol論文 "Integrated Information Increases with Fitness in the Evolution of Animats"があった。たぶんphiを挙げてゆくためには、そんなかんじでagentを鍛えてゆく必要があって、ある時点でそのまま与えて作れるようではないはず。というか作れたらたぶん間違ってる。

"Pretty-Hard Problem of Consciousness"に関してはコメント#39がNed Blockの“Harder problem of consciousness”と同様であるとコメントしている。

あと、Chalmersがコメントしている。詳しいことはGiulio Tononiの反論を待ってからとのことだが、Pretty-hard Problem (PHP)をPHP1,2,3,4に分類している。つまり、consciousであるかどうかに関する我々の直感(石には意識はないだろう)に合致しているかどうか(PHP1)とあるシステムに意識があるかどうかを教えることができる(PHP2)。この違いは機能的なものからだけでは意識があるかどうか決められないから直感を使うよって話で、それではまたまたハードプロブレムに逆戻りなんだと思うんだけど。

ともあれ私の理解ではPHP2は、vegitative stateの人のように、直感的には意識があるとは思えないが、呼びかけに対してfMRIで反応が見られる例(「テニスをしているところを思い浮かべてください」)のことを想定しているのかと思った。


大泉さんから教わったけど、以前のIIT批判のブログにGiulio Tononiが反論(後述ブログ記事内のリンクのwordドキュメント)を書いてて、さらにそれへの応答が書かれてる。Giulio Tononi and Me: A Phi-nal Exchange コメントではChristof Kochも応答している。


駒場講義の方は昨年のそのまんまなら今すぐにでも出来るがそういうわけにもいかない。合評会、基礎論学会を取り入れて再構成、それなら今日中に作れる。それをバックアップとしておいて、日本語総説で作った流れで再構成する。これを火曜の夜まで時間が許すかぎりで、レジメをアップする。

意識を科学的に研究するためには一般的定義で充分 -> NCCとはなにか -> Logothetis and Schall 1990 -> Kreiman 2001 -> Wilke PNAS -> セマンティックプライミング -> 盲視 -> 可塑性(Sugita + Sur)-> 環境との相互作用 -> active inference -> 理論の必要性 IIT みたいな流れ。たぶんぜんぶは無理。

途中に「awarenessとattentionを区別する」、「awarenessとdecision biasを区別する」-> メタ認知、という流れもあったが、これは無理か。冬講義のときにこのへんやってみたけどもう少し工夫してうまくやる必要がある。


うーむ「力学系」についてしゃべろうとしたらけっきょく多賀さんの本とかから抜書きすることになって、これは私である必要はないなあという気がしてきた。だったら「精神・神経疾患におけるさまざまの意識経験」みたいな方向について集めてきた事例について話して当事者研究につなげるほうがよいか。

ただし、それならそれで「当事者研究について話してください」ではなくて「意識研究の中で当事者研究がどうしても必要になる」というふうに理屈を持ってゆく必要がある。うーむ。


そういうわけで、これまでにツイートしたのとかまとめて、半側空間無視や統合失調症の前駆期の意識経験などについてスライドを作ってる。

「日常的になにかを探しているとき、見つけにくいなあということが多くなることにまず気づきます。周りにいる人に尋ねると、ほらそこにあるよ…と簡単に言われて見渡すけれどもぜんぜん見えたものじゃないので、教えてくれた人がいらだって、ほらここ、と手にとって目の前に突きつけられるまで、ああ、あったとは思えないほど、ものが魔法のように消えてしまいます。」「目玉がどんなに一生懸命あたりを探っても、目的とするものの上に画像を結ばないのです」「高次脳機能障害者の世界―私の思うリハビリや暮らしのこと」山田 規畝子

べつの部分については以前抜き書きしてブログにまとめたことがある:研究関連メモ20140316

あと、"Psychedelic" Experiences in Acute Psychosesに関してもブログに抜き書きを作った:Aberrant salience仮説と潜在制止と主観的経験

超訳気味に日本語にしてみよう:「「いちばん最初に起きたのは、私の脳の眠っていた部分の一部が目覚めて、さまざなま人、出来事、場所、考えに対して興味が惹かれるようになったことです。それらは普段だったらなんの印象も憶えないようなものでした。」

「全てのことになにか圧倒的なまでに意味深いものがあるように思えるのです…知らない人が道を歩いているのを見ると、そこに私が解釈しなければならないなにか徴(sign)があるように思えました」

「私が入院をした頃には、窓枠の光や空の青さがあまりに重要な意味を持ちすぎて叫びたくなるような、そんな「覚醒状態」の段階にまで到達していました」」

それから中安信夫 (1999) 初期分裂病 日医雑誌より、

  1. 自生思考 「自分で意識して考えていることと無関係な考えが,急に発作的にどんどん押し寄せてくる」
  2. 気付き亢進 「他人の声や不意の音,たとえば戸を開閉する音や近くを走る電車の音などを聞くとビクッとして落ち着かなくなる」
  3. 緊迫困惑気分 「何かが差し迫っているようで緊張を要するものの,なぜそんな気持ちになるのか分からなくて戸惑っている」
  4. 即時的認知の障害 - 即時理解の障害 「他人の話の内容,テレビの内容などが理解しにくくて,なかなか頭に入らない」

前駆期という概念自体には問題があって、これらの症状は最終的に統合失調症を発症する人でなくても一時的には起こりうることなので、前駆期に投薬などの処置をすることは多量のfalse alarmの例を含んでしまうことだろう。ただし、発症過程のメカニズム理解の意味では重要な資料だと思う。


当事者研究が自己と経験の構造について重要な知見を持っていること、でも人それぞれでのその経験をどうやって共有するかという問題までたどり着くと、じつは以前から興味を持っていたテンプル・グランディンの自身の自閉症としての経験と動物の行動理解の話というのがまさにこの間主観性の問題であり、そして私の仕事そのものの、動物での経験とヒトでの経験とをどう繋いで考えるか、という問題にぶち当たる。

これこそがわたしのライフワークと言ってよいものになるのではないだろうか。まだ骨格しかないのだけれども、かなり核心っぽいものに手を伸ばしている感触がある。

この歳でそんなこと言ってていいのかというのはあるが、あくまでこれはモノの言い方であって、これまで問うてきたことを拡張していった先の方向性が見えたというか、そういう意味で。


駒場講義の構成、いろいろやっていたらけっきょく統合失調症のサリエンス仮説を入れるスペースがない。11月の当事者研究の話を入れて話の流れを作るとそれだけで昨年とはずいぶん違った感じにはなっているのだが。Goodale縮めて半側空間無視を入れて3*2の腹側・背側経路を入れるか。


新幹線の中でだいたい講義スライドはできあがった。でも、広域科学の授業で「前反省的自己意識」とは「当事者研究」とか言い出すのは無茶な気もしてきた。ギリギリまで手を加えて、前提を吹っ飛ばさないようにする予定。両眼視野闘争に関しても今回はその手前のおばあさん細胞あたりから話をすることでもうちょっとはマシになったはず。そういう作業を繰り返して、極力置いてけぼりにしないようにする所存。でも眠い。


明日のスライド用に「せっかくだから、俺はこの赤の扉(神経現象学)を選ぶぜ!」っていうネタを考えついたが、元ネタ(デスクリムゾン)を知らないのに引用するのは正しくないなと思ったのでボツにした。

両眼視野闘争の説明の図で、ノートを丸めて望遠鏡みたいに覗きながら手の平を横に添えると、手の平に穴が空いて見えるという図がOlivia Caterだったかだれかが作っていたはずなのだが、探してみたら見つからない。こういうのは気がついたときにストックしておかないとダメだな。

該当するブログの記事をひとつ見つけた。

ブログ更新しました。「駒場講義2014「意識の神経科学を目指して」配付資料」

寝る!


目覚めた。あと4時間か…

Jakob Hohwyの両眼視野闘争の話をスライドに足した。part 1のスライドは97枚、 part 2のスライドは89枚。実際には"Any questions?"だけのスライドとかもあるから実質はもっと少ない。あとは丁寧に説明していければよいのだけれど。

corollary dischargeとmicrosaccadeについては削った。これで寄り道が減って、かなり一本道になってきたと思う。


駒場講義終了! 諸々重要な行事も終了で、新幹線で岡崎まで移動中。東京駅へ行くためにひさびさに満員電車に乗って、やっぱあんなの正気の沙汰ではないなあと思った。

講義の方は、前半の「両眼視野闘争、二つの視覚経路、盲視」は質問もたくさん出て、興味持ってもらえたようでよかった。以前に藤井さんがブチ切れたようなので、講義参加者の皆さんがへんに空気を読んでたくさん質問したとかでなければよいのだけれど(<-気にしすぎ)。

後半の「ベイジアンサプライズ -> 予想コード -> Active inference -> sensorimotor contingency -> ヘテロ現象学 -> 神経現象学 -> 当事者研究」の方は、ヘテロ現象学のあたりで参加者の集中力が落ちてしまったのがよく分かった。

もっと話の流れをこなれるようにすべきあったかもしれないし、「ヘテロ現象学(=現状の意識研究)を超えるものを探そう」というかなり無茶な問題意識を共有してもらうことに失敗したというのが最大の問題だったか。(まさに「せっかくだから俺はこの赤い扉を選ぶぜ!」としか言いようがなかった。)

てんかん患者さんの研究とかも入れてそれなりに具体的にはしたのだけれども。もし次の機会があるならば、元々考えていた、力学系と状態空間(Mark Churchland)とSOC (avalanchesとup-dawon state)とIITというテーマについて掘り下げるという方向でいこうかと考えている。

そうそう、IITが高い状態というのはSOCになっているだろうか、という興味がある。excitation-inhibitionのバランスでcritical stateになっていること自体は意識の充分条件ではないだろうけど、SOCになってないような回路はpathlogicalであるか、もともと考慮に入れる必要のないtrivialな回路(デジタルカメラの例のような)を排除できると思う。では、criticalであることじたいは内側から見て分かる特性か?って問題にもなるけど。

つかそういうことをこそ池上さんと議論できたらいいなあと。池上さんのMDFというのがIITやSOCから見てどういう性質を持っているのかとか。数理的なことが私の手に負えることとは思わないので、どうやれば寄与できるかとか考える。


大学院講義でcovert attentionを説明するときには、このレビュー論文の図3bを見てもらってから、「皆さんも夜コンビニに行くときに入り口でたむろしてるヤンキーと眼を会わさないようにしてるでしょ? でも注意はそちらに向きまくってる。あれがcovert attention。」と説明するようにしている。

今にして思えば、Covert attentionの話をするためには、その前に「そもそも我々の視野で視力が高いところはせいぜい1degくらいしかない」という話(腕を伸ばした先の親指の爪の幅が1deg)って話をしてからにすればよいのだな。だからこそfoveateする必要があるのだし、orientしたりfoveateしたりせずに、attentionだけを向けるという高度な技がヒトやサルでは可能となる。このあたりをちゃんとまとめると、上丘がそれぞれの動物でなにに関わっているかという比較認知的な話が出来そう。ウサギやカエルの上丘、視蓋には方向選択性がある話とか。

ゴプニックの赤ちゃんはランタン型の注意って話も、赤ちゃんは中心視野の視力が低いということと対応付けて考える必要がありそう。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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