■ 「北大第一農場、せんみつ、大通公園」(さうして、このごろ2024年7月後半-8月)
(20240728) 金曜日に業務スーパーに自転車で買い物に行った帰り道、なぜだか東の空が異様に明るい。21時なのに。月かと思ったが月は見えない。平成ポプラ並木まで戻ってくると、北大第一農場から札幌駅を越えた向こう側の空が明るい。これは何だと思いつつ写真を撮っておいた。(21:09撮影)
あとで調べてみたら、月は半月で22時まで現れない。もすこしググってみると、
「道新・UHB花火大会」は19:40から20:30を予定。約4,000発の花火が豊平川河川敷から打ち上げ
とある。方向的にどうやらこれが原因だが、花火そのものなら点滅して見えるはず。でもそうではなかった。花火の煙に陽の光が反射したんだろうか? もしくは大通、すすきのあたりの繁華街の街の光が反射したとか?
比較用に昼に撮影した写真を並べようと思ったが、ちょうどよいのがない。冬に撮影した雪の向こうに駅ビルが見える写真(左)と、手前の牛にフォーカスしている写真(右)があった。
急に「せんみつのオールナイトニッポン」というフレーズが降りてきたので「せんだみつお」でググってみたら、まだ健在で存命だった。
さらに調べてみたら、せんだみつおはオールナイトニッポンはやってなかった。ということは、昔小学生のころ深夜ラジオで私が聴いていたのは「燃えよせんみつ足かけ二日大進撃」だったようだ。こう書いても全くピンとこないのだが。
(20240806) 劇場場アニメ「ルックバック」観てきた!
行く前にあらかじめコミック読み直してみたけど、机で描きつづける後ろ姿を繰り返される表現を見るだけでもう胸に響く。
映画の方は前評判で「ほぼコミックの通り」と聞いていたけど、それでよかった。余計なストーリーが足されず、コミックの絵が動き、声が付き、音楽がつくことによって、すごくよいものを観ることができた。
そろそろ公開終了しそうだったので札幌シネマフロンティア のレイトショーで行ってきた。スクリーン1 (160席)に観客は20人くらい(数えた)。周り5mに誰もいない状態でゆったりと観ることができた。(泣きながら)
演出、音楽、声、ぜんぶ過不足なく、まったく不満がなかった。
ED前にちょっと心配していたのは、"Don't look back in anger"への言及についてだが、そこも自分的には不満なし。
コミックでは白黒の止め絵だったので見過ごしていたものが、カラーで動くことによって強調されて気づくことができたものもあった。
そういう意味では、コミックでは小さなコマだったものが、映画では画面いっぱいに広げて表示されるという違いはある。コミックの小さいコマのように、初回はなんとなく見逃してもいいように表示されているものが、映画では明確に意味のあるものとして読むことになる。
「余計なストーリーが足されず」と書いたけど、私が気づいた限り、唯一足されたシーンがある。これについて語りたいので、ネタバレ回避用に改行する。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
足されたのは、編集との電話でのアシスタントについてのやり取り。藤野が「もしウチら漫画を連載できたらさ すっごい超作画でやりたいよね」と言い、京本もそれに応えて絵がうまくなるためにこそ美大に行った。想像のシーン中に「連載できたらアシスタントなってね」という発言もあった。二人で再び共作するという果たされなかった夢がたしかにあったことを補強する演出だと思った。
わかる。そんなに人混みが多くないところがよい。あと、春夏秋冬だいたいなんかイベントやってる。いまはビアガーデン。
自分は都心に出るときは、すすきのはぜんぜん行かないので、だいたい大通公園から狸小路あたりをぐるぐる回ってる。オタクショップもだいたいその範囲にある。丸大ビル、ノルベサ、あとピヴォ クロス(ボークス)。
清里、懐かしいなあ。大学の期末テストが終わった秋休み、特急あずさから小海線に乗り継いで清里駅に到着すると、夜も遅くて秋だから、駅前の店はすべて閉まって閑散としている。肌寒い中、若桐寮までテクテクとゆるい登り坂*を進んでいくと、宴会真っ最中に合流した。なんならあらかじめ酒飲んどいてテンション上げてた。
(*いまでも山歩きをすると、あの涼しい空気をふと思い出すことがある。)
思えば先輩方は大学生なのに車を持っていて乗り合いで来るので、電車で来る人なんかいなかった。あの時点で経済格差(=文化資本?)はあったのだけど、奢ってもらったりしながらそういうのを直視せずやりすごした。そんなバブルの時代。
■ 「相貌失認、キラキラの灰、文化資本」(さうして、このごろ2024年7月前半)
(2024/6/11) 「人の顔を認識できない「相貌失認」は意外に多い? 最大5%にも」のブコメ
ブコメに相貌失認の方の応答がずらりと並んでいる。もちろん自分ごとだと思う人こそがブコメするわけだけど、それを見ていると、たしかに思われている以上に相貌失認の人は多そうだぞ、と興味をひいた。これはネットに良い活用法だと思った。
Logic Pro XでStem splitter使うのすごく便利だ。
空のプロジェクトに楽曲を読み込んで、スマートテンポで解析をした後に「編集 > リージョンのテンポをプロジェクトテンポに適応」をしておく。この後stem splitterを適応すれば、プロジェクトとテンポが合った状態で分離した音源をいじることができる。
たとえば、ドラムだけmidiで打ち込んだものに差し替えることができる。逆に、ドラムだけ取り出してリミックとすることも可能。
つか分離した音を聴くだけですでに面白い。これまで聴こえてなかった音がたくさん聴こえて、分析的に聴くことができるのが楽しい。
かつては埋もれている音を聴くためには再生システムに金を掛ける必要があったわけだが、そこをAIが解決してしまった。マヂすごい。
たとえば"Tomorrow never knows"のドラムを分離して聴くと、バスドラムのドン、ドドンが強調して聴こえる。このモータウン的な成分のため、Setting sunのテクノなビート解釈とは違って聴こえる。
原曲ではポール・マッカートニーのベースが無機質な感じを出すために三連符のフレーズを弾いているため、それにビートの印象が引っ張られていたことがわかる。
あと、タンバリンがけっこう重要で、フレーズがどんどん変わる。
あと、曲の始まりはbpm129で、後半は124まで落ちる。人力なのでブレはある。クリック聞きながら叩いてはいないことがわかる。これは数値化してはじめてわかったので面白い。
無職転生第2期最終話まで観た。なるほど、ヒトガミが言ってた「ベガリット大陸(父のいる場所)に行けば後悔することになる」というのは「悪いことが起きるから止めとけ」という意味ではなくて、「ルーデウスが前世、今生において親を親とも思わずにいたことへの気付きに至り、それを後悔する」ことの予言だったのだな。
そしてヒトガミの言ったことの意味に、この時点のルーデウスはまだ気づいてない。(だから、最終話で留守宅でなにか悪いことが起きたのではないかと推測して、狼狽している。)
本作は言葉で長々と説明するのではなく、絵を使っていろいろ伝えてくる点がとてもおもしろい。
よい創作も、よい研究も、そのつど世界の限界をちょっとずつ広げてゆくものだ。でもそれはいつも、後付け的に他のものと繋げられて、「それは以前から予期されていた」「かならずしも新しくはない」と日常の当たり前に取り込まれてしまう。それは、我々の知覚の能力の、逃れ得ない特性だ。
だから、目を鍛えて、感受性を研ぎ澄ませて、その生成(becoming)に瞬間を見届け、それを味わっていくことで、日常の当たり前を大切な瞬間の連続に変えてゆくんだ。
そんな観察者が一人でもその瞬間、その場に立ち会うことができたなら、その創作物は報われ、贖われる。たとえ、その創作者が報われなかったとしても。
本当だよ。
「さいきんのアニメ主題歌」的な再生リストを流してたら、なんかすげーいいかんじのギターのイントロが流れてきたので作業をする手を止めて曲名を確認したら、リーガルリリー「キラキラの灰」だった。自分は「ダンジョン飯」観てないのではじめて聴いたのだけど、すげーいい曲だった。というわけでヘビーローテション中。
公式が基本のコードを公開してるけど*、レディヘのCreep進行だった。(*つべコメントにもあるとおり、Bが1-6弦反転している)
ヴァースの 354XXX はGmaj7なんだけど、3rdをomitしてあるのがオルタナ感出てる。
あと、ドミナントマイナー進行(C-Cm)が、x3555x -> x35543 となっていて、1弦を鳴らすかどうかを変えてある。公式がこう書いているのだから、ここはこだわりポイントなのだろう。
ここがもし x3555x -> x3554x だと、2弦 5フレ->4フレというモーションが目立ちすぎてベタなので、2弦5フレ->1弦3フレというモーションでマスクしている、ということのようだ。
"Strawberry fields forever"のドラムカバー動画を見てたら、フロアタムがドコドコいうのも込みで叩いてた。すげーとは思ったが、あれって原曲ではオーバーダブだよね?
ジョージ・マーティンが苦労して前半(take 7)と後半(take 26)を合体させた逸話は有名だけど、take 26では、リズムキープをメインにしてるドラム(センター)と、フロアタムドコドコ含めたフィルインを叩いているドラム(左側、アウトロで叩きまくってるほう)は別々に録音されたものに聴こえる。
ウィキペ英語版には以下の通り書いてある。
「12月8日のテープには、マッカートニーとハリスンが演奏したティンパニとボンゴ、そしてハリーズによるとビートルズの仲間であるマル・エヴァンス、ニール・アスピナル、テリー・ドーランが提供したその他のパーカッションも含まれていた。12月9日のセッションの開始時、15テイクのうちの2つのパートが編集され、1つの演奏にまとめられた。」
フロアタムだと思ってたあのドコドコは、ポール・マッカトニーによるティンパニだったということみたい。
この動画はウィキペの記述に忠実な再現を目指しているように見える。
「羊文学は東京の文化資本のある裕福な家庭で育った感じ」云々、について話を追ってたら、管啓次郎の名前が出てきてびっくりした。自分にとって管啓次郎は「知恵の樹」の翻訳者として知っていたが、詩作や批評もあるということで読んでみようと思った。
「東京の文化資本」云々については以前ブログに書いた: 「「100分de名著 ブルデュー」を読んで自分語りした」
これに加えて書くなら、私が好んで聴く音楽のうちカンタベリーやシューゲイザーは英国においては「中産階級の音楽」として揶揄された対象だ。カンタベリーシーンのキープレイヤーを見れば、マイク・ラトリッジはオックスフォード大学だし、フレッド・フリスはケンブリッジ大学だ。
ロバート・ワイアットが書いた"HULLODER"(1969)の歌詞はこんなだ。「もし僕が黒人で、ここ(NYC)に住んでいたら、FBIかCIAの偉い人になりたかっただろう。でも、僕はそうではないし、そう望みはしない。僕は自由で、白人で、21歳だ。今以上の権力が欲しいとは思わない、金欠なときを除けば。」いま発表された曲だったら炎上してただろう。与えられた者の立場から、かなりナイーブなことを言っていると認めざるを得ない。
シューゲイザーについてもライドとかは中産階級側として当時揶揄されていたはず。
どうやら私はそちら側の音楽が好きなようだ。
私にとってシューゲイザーとは「アンチ・ショービズ」としての意味を持っていて、その精神にはまさに「ガツガツと成功を目指さない、文化資本にあぐらをかいた奴ら」みたいに言われ得る。(歌詞が曖昧で心象的なところも、よく合致する)
XTCはねじくれポップだけど、アンディ・パートリッジは労働者階級で、地方工業都市スウィンドン出身で、根っこにはパンクがある人が、シド・バレットやブライアン・ウィルソンの影響を受けてああいう音楽を作ったというのは面白い。
わたモテ喪224、神回だったわ。加藤さんと希心の邂逅エピソードだったけど、加藤さんの激重感情が説明されて、それが(おそらく)希心の長いヤンデレ期を解決するきっかけになるのだろう。
これまでの加藤さんの心情を軸としたストーリーと、初期(土下座エピソードとか)からずっと続いていた希心のストーリーという、2つの独立したストーリーが今回でぶつかることで両方とも大きく進んだ。この構成がもう神回としかいいようがない。ひさびさに考察的な意味で、テンション上がった。
(20240721) サマースクールのゲストを連れてく場所の下見として(言い訳)、昨日から始まった大通公園のビアガーデンに行ってきた。
いちばん手前の西5丁目からサントリー、アサヒ、キリン、サッポロの会場がある。その奥の西10丁目に世界のビール広場というのがあって、そこでリーフマンスというのを選んだ(写真1,2)。これがジュースのようにスルスルと飲めてヤバい。
これ単品のつもりだったが、私の中の大槻班長が「フフ......へただなあ、欲望の解放のさせ方がへた....。」と言ってくるので、アイスバインを追加(写真3)。あっというまに消費してしまった。
しかたなくサッポロの会場でエビス中ジョッキを追加(写真4)。ひとり論文を読みながらゆっくり過ごした。
ほろ酔いの状態でいつものオタク周回コースへ。ノルベサのまんだらけ、(スト休業中の業務スー狸小路店を経て) BOOKOFF 札幌南2条店、丸大ビル、(とらのあな跡地にできた)ジャングル 札幌店、ピヴォ クロスのボークス札幌ショールーム。けっきょくなにも買わず。
家に帰ってみると、部屋の室温が32度になってる。これは危険。今夜の気温は26度で、熱帯夜になるらしい。たぶん今年初。
今日の札幌は昼は34.7度まで上がるほぼ猛暑日。とはいえ札幌なので、日陰に入ればそんなにしんどくない。(気温が34度というのは後で知って驚いたくらい)
■ 「箱から出る」について
(20240603) ネットの話題では「人として接しろ」っていう言説がしばしば出てくる。では何をしたら「人として接する」になるのか、という問題がある。自分はこれについて「箱から出る」という形で自分なりに掴むことが出来たと思う。
「(たとえば)コンビニの店員の行動にイライラして邪険に扱うのは、自分がそういう箱に入っているから」という話で、ここで扱われているのはまさに「人として接する」ことだ。
「自分の小さな「箱」から脱出する方法」 これは自分が価値があると思う、ほぼ唯一の自己啓発本。
「人として接する」ためには、カテゴリによるレッテル付けを越えて、個別の事情に対面する必要がある。だから、ネット上の匿名の会話でそこに届くのは難しい。
「箱から出る」ってのはいったんわかればできるようになることではない。人間の習性として、すぐに相手をカテゴリーに押し込めて、個人にそれを投影してしまう*。だから、不断に成功し続けるという形でしか達成できない。薬物依存と同じだ。
(* 原著ではこうして箱の中に入りそれを正当化することを「自己欺瞞」と呼ぶ。自己欺瞞は本書のメインテーマであり、英語のタイトルにも入ってる。)
だから自分は相手がコンビニ店員だろうと、通りがかりの老人だろうと、同じように箱から出るように、一種の修行を続けているつもりでいる。
そして、しばしばそのことを忘れる。だから今回のエピソードで、自分の重要な修行を思い出すことが出来てよかった。
毎度自分が言及する「銀河通信」の喩えにつなげるならば、ネットを介して、それでも箱の中でないような、個別性を保ちながら、どこかに届けばいいと思ってる。
だからこそ自分は個人名を出して、長年ブログを続けてきたわけで。それによって、もし将来なんか都合悪いことがあったとしても、この人はブログの内容をぜんぶ消して逃げたりはしないだろう、という信用を作ってきたつもりなんだけど。
こちらは別の話題だが、ネットネタ関連ということで、繋げてみる。
ジョセフ・ヒース「哲学者がキャンセルカルチャーを懸念すべき理由」
いろいろおもしろかった。哲学者が学問的実践として獲得してきた規範(1. 道徳的・政治的問題の議論における感情的中立性; 2. 他人の議論を再構成して提示すること; 3. 用語の規約的定義)がキャンセル・カルチャーに脆弱である、というのが本題。
話の枕では、哲学者もキャンセル側の行動をしてる(ソクラテスではなく市民裁判官側に立つ)があるのだが、話は上記の本題で終わってしまい、ここに戻ってこない。
上記の規範は自分も大事だと思うが、ネットには通用しないのもわかる。
「その学問的営為の中核にある「論証」に対して、ちょっと偏執的なまでの関心を持っているため、用語を定義することにも重きを置いている。」
このあたりは分析哲学のカラーが強そう。自分の少ない経験では、どうもこういう論文での、ある(心的)概念について定義を置いて論証、という形式にいまだ馴染めない。
心的現象(注意、意思決定、など)のほうが先にあって、それを言語的に表現することは簡単ではない。でもいったん定義してしまうと、その言葉に引っ張られて、本質を掴めてないので始めから的を外しているようにしか思えなかった。むしろ始めに定義した部分を疑うのが哲学ではないのか?とか思ってしまう。
■ 「鮫ライド、王様、add9」(さうして、このごろ2024年6月後半)
(2024/6/11) togetter: 「「普段は何聴いてるの?」と訊いても答えが本当に返ってこない」
逆向きの「「普段は何聴いてるの?」って聞かれたらどう答える?」の反転版だな。
自分は教員として学生に「普段は何聴いてるの?」とか聴いたことはないな。「自分の聞く音楽の範囲を広げたいんだけど、なにかおすすめありますか?」という会話はありうるかも。その場でスマホで検索したりとか。
って書いて気づいたけど、この間長男に聞かれたこととまったく同じだった。そのときはUlrich Schnaussの"Goodbye"を勧めた。
このブコメがよい。「物語」に絡んだ時点で描けなくなるものについて。
ちょうどこの前読んだ映画版「トラペジウム」の感想でも、「ハレとケ」の「ケ」を描こうとすると物語に絡んだ時点で「ケ」でなくなってしまう難しさについて書かれていた。
「物語って案外自由が利かない」っていうテーマで考えることが出来そう。ここでの「物語」ってのはエンターテインメントの話に限らず、ただの事実の羅列をつなげてそこに意味を見出すことを指す。
Rideの"Today Forever EP" (通称「鮫ライド」)は自分がライドでいちばん最初に聴いたやつだった。
レンタルCD屋で借りてきたんだけど、なんでこれを借りたかは記憶がない。(たぶん音楽雑誌で紹介されていたのだろう) 一曲目の"Unfamiliar"で衝撃を受けた。
1991年は私にとっては革命的な年で、マイブラもライドもソニック・ユースもニルヴァーナもマシュー・スウィートも暴力温泉芸者もフリッパーズギターも、ぜんぶこの年に初めて聴いたはず。家庭教師のバイト代を注ぎ込んで、毎週のようにジャニスでCDを借りてた。(隙自語)
当時はジャニスでCaroliner Rainbowとかも借りて聴いたけどまったくわからなかった。 でもいまはこうやってyoutubeで映像付きで見ると、ふつうにわかるし、ライブで観てみたいと思った。
以前、無料コミック用のCMで流れていた、「旦那に追い出された、ズタボロな身なりの母子が隙間風の吹く部屋で凍えているのを助けようゲーム」のCMには心が傷んで、勘弁してほしいと思った。試しにググってみたら、同じようなことを書いているweb記事を複数見つけた。定番のネタだったらしい。
さいきんは「王様が残酷な目に合うのを助けようゲーム」のCMになってる。あっちは「助けてあげれば、アラブの石油王みたいに、あとでよいリターンがあるのでかわいそうではない」ということかと理解していたが、調べてみたら、どうやらあれは「王様が自分で見ている悪夢」なのでかわいそうではないらしい。要らんことを知ってしまった。
togetter: 「中高生はadd9が好きで、大学生はmaj7が好き」
これはギタリスト限定だろうなあ。今どきはボカロとかあのへんの曲が丸サ進行(Fmaj7-E7-Am7-Gm7-C7)を多用するから、真っ先にあれにやられるんではないだろうか。
自分の場合はアコギを弾いてたのでよく当てはまる。いちばんはじめにadd9を認識したのはたぶん井上陽水の「夏祭り」。
CSNYやAmericaのハモリでマイナーコードに9thを重ねる快感に目覚めた。(Emにm7, 9を乗っける022032) あと、S&Gのポール・サイモンが好きなFmaj7(add9)な。(XX3213)
maj7はニール・ヤングで喜びを知ったから、中学後半から高校にかけてか。"Nowadays Clancy Can't Even Sing"のヴァース部分がCmaj7-Fmaj7なんだけど、これはアコギで無限に弾ける。それは誇張にしても、まじで一時間くらいずっと、指が痛くなるまで、弾いてた。Cmaj7-Fmaj7に左の小指でいろいろフレーズ入れたりしながら。 Down by the riverでのEm7-A7が延々と続く展開から、Cmaj7に入るところで浮遊感出るところとか、なんど繰り返したかわからない。
m7(b5)を知ったのもS&Gだったかも。My Little Townのサビのここ: Bm7(b5)-E7-Am7
ブラーのいちばんの名曲はファースト・アルバムに入っているサイケデリックなトラックの"Sing"。(逆張り)
って書いてから聴き直してみると、いや、案外本当かもと思った。サイケではなくてシューゲだな。ベースがすごくいい。4つ打ちしているのかと思ってたが、粘っこくハネていることに気がついた。
"Sing"についてライブ映像とかを観てたら、イントロのピアノの段階で、観客が待ってましたってかんじで大人気の反応だった。
自分としては、この曲はファースト・アルバムの他の曲とはちょっと曲調が違う、聴く人によっては捨て曲になるようなトラックだと思っていたので不思議だった。
あとで知ったのが、この曲って映画「トレンスポッティング」で使われていて、ブラーファンでなくても知っているような有名曲だったのだな。
あと、ブラーは"Wear Me Down"のコード進行が好き。ヴァースは Bb-G-D の繰り返しで、サビが F-C-Em-G-D というシンプルなものなのだけど、なんというかシド・バレット味を感じる。(キーCのところ一音上げてDで表記)
もう少し正確に書くと、サビの F-C-Em-G-D は、移調したのでギターコード的にはシンプルなものだけ使っているように見えるが、たとえばサビの部分はルートのDからみれば bIII-bVII-ii-IV-I というトリッキーな進行になっている、ということ。
後半のii-IV-Iは普通なんだけど(とはいえツーファイブii-V-Iではない)、前半のbIII-bVII-iiのところのiiに痺れる。
bIIIとbVIIは主調Dメジャースケールに対するDマイナースケールの構成コードへのモーダルインターチェンジと言える。
でもサビの頭からいきなりbIIIなので、転調したみたいに聴こえる。それがiiに戻ってくるところでまた転調したみたいに聴こえる。この気持ちよさ(気持ち悪さ)が好き。(この解釈でよいか、サビのメロディーを拾って、Dマイナースケールか確認する必要あり)
ところで、それをいうなら bVII-IV-Iは「ヘイ・ジュード」の大サビ進行パターンじゃん、ってツッコめるかもしれない。そうなんだけど、あれもいきなり大サビで出てくるビックリ進行でしょ。(いちおう、曲の中でbVII(=7th)の音が出てくるのがちょっと匂わせになっている、という理解だが。)
■ JR千歳線が無慈悲だった、という話 (20240620)
毎年恒例の駒場学部講義で、東京まで出張。帰りは最終便の飛行機を予約していたんだけど、けっこうたいへんだった。
21:30羽田空港発で23:05新千歳空港着の便で、そこからJRの札幌までは終電(快速エアポート)が新千歳空港駅23:21発で接続している。16分の余裕がある。
しかし今回は運悪く飛行機が10分遅れで出発。道中ヤキモキしながらも、JRの終電はこの飛行機に接続するために設定されているので、遅延があったら待ってくれているだろうと心配はしてなかった。
けっきょく到着も10分遅れで、飛行機から外に出たのが23:15。あと6分。ギリ間に合うので早足でJR駅へ向かう。改札まで3分で来た。電車に乗り込んだのは23:19。
とりあえず座ってひと安心。ここから手荷物拾って遅れてくる人を待つのだろうと思って時計を見ていたら(写真)、定刻23:21にJR最終便は発車した。無慈悲すぎるだろw (たぶん札幌で岩見沢行きと連絡するのが理由だと思うが。)
けっきょく定刻23:56に札幌駅に到着。ぶじ帰宅した。
自分は飛行機に乗るときはなるたけ荷物を少なくして、手荷物を預けないようにしている。ロストバゲージによるトラブルを回避するようにしている。それがたまたま今回は役に立った。
それにしても、最終便の飛行機は、21:30に羽田で24:00に札幌に到着できて便利ではあるけど、これは他の便がない場合の最後の手段にしておこうと思った。
なお、新千歳空港から札幌行きのバスは22時台に終了するのだけど、臨時の深夜バスというのが出ているらしい: 「時刻表にない幻のバス!深夜0時の新千歳空港に現れる!」
お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
- 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
- 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
- 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
- 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
- DKL色空間についてまとめ 20090113
- 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
- ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
- Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
- 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
- MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213