なぜ私はサイケとカンタベリーが好きなのか

(20240413) YoutubeのおすすめでSoft machineの"Soft space" (1978年ライブ)が出てきたので聴いてみたら、ドナ・サマーの"I Feel Love"のパクリみたいなテクノ/ディスコで驚いた。自分は「Soft machineは"Third"まで派」なので。サイケデリックな時代のロバート・ワイアットの歌が好き。

そういえば自分はフュージョン音楽を全く聴かないことに気づいた。「ブルデュー読んで自分語り」の視点からすれば、80年代のキラキラした文化で好んで聴かれていた音楽全般へのうっすらとした敵意があるようだ。

ちょっとググってみたら「J-POPのような質の悪い音楽ばかり聴く若者がかわいそう。フュージョンのような上質な音楽を聴くべき」みたいな言説をみて怒りが湧いてきた。そうそう、こういうこと言うやつが嫌いだったんだよな。

プログレが1970年代後半にだんだんテクニック至上になってシンフォニックな方向に向かったものには興味がなかった。そちら側の立場からカンタベリー・ロックを「素人・下手くそ」みたいに嘲る批評が大嫌いだった。自分はSoft machineの初期とかGongみたいな素人臭くDIYな音楽が好きなので。

そしてそれは思っていた以上に、私が私であるために重要な要素であるようだ。

サイケデリック・ロックってのはまさにこの「素人臭くDIYな音楽」の最たるものであって、LSD経験を音楽で表現するために、フォーク、ブルーグラス、R&Bなどのバンド(ジェファソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、13thフロア)があれこれ試行錯誤して(*)、まだ名前のついてない音楽を作り出したことが尊く価値があるのだと思う。ゆえにそれは一過性の音楽だ。(とはいえ新しい世代がそれを再発見してDIYすること自体は尊い。)

(*以前ブロクで書いた: 「サイケデリック・ミュージック成立における1966年から1967年」)

とここまで書いてから「素人臭くDIYな音楽」という字面を見れば、すぐに連想されるのはガレージであり、パンクだ。自分はガレージもパンクもそんなに聴かない。「初期衝動」を聴きたいってわけでもないんだよな。自分は。

このように考えてみると、自分はかなり物語込みで音楽を聞いているのだろうと思う。

そうでなければ、「上質な音楽」であるはずのフュージョン音楽とかハイテクニックなプログレとか現在の高度に発達したジャズとか、さらにいうならばJ-POPなんかではカバーしきれないくらいの音(旋律、ハーモニー)の多様さがあるクラシック音楽を聴くべきだからな。 でもそういうもんじゃあ、ないんだ。


本が出版されます。「行為する意識: エナクティヴィズム入門」

告知です。

神経生理学者のわたし吉田正俊が、現象学者の田口茂さんと共著で本を書きました。タイトルは「行為する意識: エナクティヴィズム入門」です。青土社から5月下旬に出版の予定です。


わたし吉田正俊は神経生理学者として意識、注意、眼球運動などについて研究してきましたが、並行して「意識を解明するとはどういうことか」について問いながら、このブログ上でも活動してきました。

いっぽうで田口茂さんはフッサール現象学の研究者として「現象学という思考」などの著書のある方ですが、近年は意識や自己の問題について学際的な共同研究を進めておられ、西郷甲矢人さんとの共著「〈現実〉とは何か ──数学・哲学から始まる世界像の転換」という非常に重要な本を書いてます。

こういったバックグラウンドを持った二人が邂逅して、意識とは何かという問題について共同研究を始めた最初の成果が日本神経回路学会誌の解説論文、吉田+田口(2018)「自由エネルギー原理と視覚的意識」でした。

そのあとで北海道大学人間知・脳・AI研究教育センターが発足し、田口さんはそちらのセンター長となり、吉田はそちらの専任教員として着任することで同僚となったのでした。

この本がどういう本か、どういう狙いを持ったものか、そういうことについていろいろ熱く語りたいのだけど、まず今回は出版についての第一報ということでこのくらいで。(まだゲラの直し中なもんで。)


この本についてのサポートページを作成しました: 吉田正俊+田口茂「行為する意識: エナクティヴィズム入門」青土社 サポートページ こちらにおいおい資料を追加してゆきます。

今回の書籍では、幅広い層に読んでもらえるように、数式を入れないというルールを自分に課しました。青土社からの出版なので、おそらく「哲学・思想」の棚に並ぶだろうと予想したもんで。とはいえ、現在数多くある「意識本」と比較して読んでほしい。そういうわけで、「医学、脳・神経科学」の棚にも並ぶとより良いのだけど、さてどうなるか。

数式を入れないという判断をしたことで後になって困ったのは、「脳は力学系である」という主張を理解してもらうためには、微分方程式は避けて通れないということです。そういうわけで、補足資料の第一弾として「神経活動の力学系的モデルの初歩」のブログエントリーを前回作成しました。「数式がある方がわかる」という人にはこういう説明のほうがわかるはず。(短い記事だけで力学系を説明するのは無理なので、あくまでも本書を理解する際に下敷きとなっている理論的背景を、なるたけごまかさずに書くとこうなる、というのが記事の意図。)

今後は「アシュビーのホメオスタットの挙動のモデル」や「メトロノームの同期を蔵本モデルでシミュレーション」とかについて追加する予定。

目次や概要のような情報についてもおいおいこのブログ(およびサポートページサポートページ)に追記してゆくことにします。

ぜひご期待ください。


神経活動の力学系的モデルの初歩

神経ネットワークは力学系であり、安定な状態の間を遷移するようなものだ。それを構成する素子である神経細胞も力学系で記述される。神経生理学者として神経細胞の活動は散々見てきたけど、自分でコードを書いてシミュレーションしたことはなかった。(いっときBrianをいじっていたことはあるが。)そういうわけで、Izhikevichの本を参考にして、Matlabのコードを動かして、図を書いてみた。

Izhikevich, E.M. (2007) Dynamical Systems in Neuroscience. MIT Press, Cambridge. https://doi.org/10.7551/mitpress/2526.001.0001

Matlabのコードは吉田のgithubに置いてある。

disclaimer: 式やコードの作成ではGemini 2.0の助けを借りたが、自分の目で確認を取ってある。


[モデルの選択]

まず図Aにあるように、じっさいの神経活動は、シナプス電位の操作Iと膜を透過するイオンによる電流 $I_{Na}$ および $I_{K}$ によってできる膜電位Vが本体だ。膜電位Vの波形にある活動電位の数を時間あたりのrateとして計算したのが発火頻度Rだ。

spiking5.png

図1: 概要


DNNで使われるマカロウ・ピッツの形式ニューロン(図B)では、それを入力Iから出力Rを得る非線形な関数fという形で表現する。

このような簡略化をせず、膜電位Vの時間変動を記述するのが、ホジキン、ハックスレーのモデルだ。それは4つの微分方程式から成り立っている。

これの挙動を扱う大変なので、簡略化が試みられてきた。まずフィッツフュー-南雲モデル(FitzHugh-Nagumo model)では膜電位Vと回復変数Wの二変数の微分方程式を作る。これは回復変数Wの生理学的な意味がわかりにくいので、ここではスキップ。

Izhikevichのsimple modelは膜電位vと回復変数uの二変数の微分方程式を作る。これはじっさいの神経活動の挙動をうまく再現してくれるメリットがある。ただし、単純な微分方程式ではなく、if文的な条件分岐が起こるので、phase plotでの説明には向いてない。

そういうわけで、Izhikevich (2007)の第4章 "Two-Dimensional Systems"で採用されている、ホジキン、ハックスレーのモデルを簡略化して2変数化したモデル(Morris and Lecar 1981)をここでは用いる。それで作ったのが図Cだ。


[スパイキングニューロンモデル (INa,p + IK モデル) の式]

このモデル(INa,p + IKモデル)は、持続性ナトリウム電流 (persistent sodium current, INa,p) と遅延整流カリウム電流 (delayed-rectifier potassium current, IK) を持つニューロンの活動を記述する(Izhikevich (2007) 第4章)。

モデルは、膜電位 ($V$) とカリウムチャネルの活性化変数 ($n$) の2つの変数で記述される。図では簡単のため、$n$ の代わりに $I_{K}$ と表示してある。

$$ \begin{aligned} \frac{dV}{dt} &= f(V, n, I) &\qquad(1')\\ \frac{dn}{dt} &= g(V, n) &\qquad(2')\\ \end{aligned} $$

2つの方程式はそれぞれお互いに依存している。入力電流 $I$ はシナプス電流を模したものを表す。この式のとおり、$I$ は$V$ の挙動だけに直接影響を与え、$n$ には直接影響しない。(間接的には、$V$の変動によって影響を与える)

それぞれのパラメーターを明示すると以下の4式になる。はじめの二つが微分方程式で、うしろの二つはそれに影響を与える$V$依存の変数。

$$ \begin{aligned} C \frac{dV}{dt} &= I - g_l(V - E_L) - g_{Na} \cdot m_{\infty}(V) \cdot (V - E_{Na}) - g_K \cdot n \cdot (V - E_K) &\qquad(1)\\ \frac{dn}{dt} &= \frac{n_{\infty}(V) - n}{\tau} &\qquad(2)\\ m_{\infty}(V) &= \frac{1}{1 + \exp{\left(\frac{V_{12m} - V}{k_m}\right)}} &\qquad(3)\\ n_{\infty}(V) &= \frac{1}{1 + \exp{\left(\frac{V_{12n} - V}{k_n}\right)}} &\qquad(4) \end{aligned} $$

パラメーターの意味やシミュレーションでのパラメーターの値は、matlabのコードを参照。


[Vector fieldの描画]

まずはvector fieldを描画する。式(1)と式(2)それぞれからV, nそれぞれについての時間微分をquiver plotで表記したのが図2の(A)と(B)。

spiking6.png

図2: vector fieldの可視化


図2AではV(横方向)の傾きの大きさが矢印で表示されている。$dV/dt = 0$ となる点を繋いだV-nullclineが赤点線で重ねてある。(右上の灰色の矢印はそのまま描画すると大きすぎるので、40%に縮小してある。以下の図でも同じ。)

図2Bではn(縦方向)の傾きの大きさが矢印で表示されている。$dn/dt = 0$ となる点を繋いだn-nullclineが青点線で表記してある。

図2AとBを見ただけでこのvector fieldのだいたいの様子がわかる。たとえば(A)では-80mVあたりと10mVくらいに安定な場所があることがわかる。(B)を見ると、Vが-50mVより高いとき、nが大きくなる(=Kイオンが排出される)、Vが-50mVより低いとき、nが小さくなる(=Kイオンの排出が止まる)、という調節がなされていることがわかる。

図2CではV(横方向)の傾きの大きさとn(縦方向)の傾きの大きさを合わせたベクトルが矢印で表示されている。V-nullclineとn-nullclineが交差する場所が緑丸で、ここが安定点になっている。

図2Cは全体的に反時計回りの流れがあることがわかる。黒線はリミットサイクルで、この周りに初期値を置いたとしても、この黒線を反時計回りにぐるぐる回るようになる。

つまりこのvector fieldでは初期値をどこに置くかで2種類の安定性がある。ひとつは緑色の安定点でずっと同じ値であり続けるか、もうひとつは黒色のリミットサイクルを反時計回りにぐるぐる回るか。


[初期値を決めて時間発展の描画]

このようにしてvector fieldを作ることができたら、あとは初期値を設定して、そこから時間発展してゆく様子を計算する。ここではオイラー法を用いている。

(ほかにも修正オイラー法とか、ルンゲ・クッタ法とかもっと正確なものがある。matlabではルンゲ・クッタ法はode45()という関数で実装されている。)

すると、図1C上のような挙動が表示できる。初期値を黒丸のところに置くと、点線を通って、リミットサイクルに取り込まれる。

これを縦軸V、横軸時間でプロットしたものが図1C下。スパイク状の波形が再現できているのがわかる。この波形が活動電位(スパイク)だ。たとえば今の例だと30msの間に8発あるから、だいたい250Hzくらいとなる。


[入力電流Iを変えて挙動を調べてみる]

次にこのモデルで入力電流Iを変えて挙動を調べてみる。

spiking7.png

図3: 入力電流Iを変えて挙動を調べてみる


図3は左,中央、右がI=0mV, 10mV, 40mVとそれぞれ変えて、ベクトル場、ヌルクライン、初期値を置いたときの挙動およびVの時間変動を示したものだ。

まずn-ヌルクライン(青線)を比べると、皆同じであることがわかる。上記の式(2')にあるように $dn/dt$ はIに依存しないからだ。一方でV-ヌルクライン(赤色)の方はIが大きくなると上にズレていくのがわかる。入力電流Iはこのように、ベクトル場のV-ヌルクラインを移動させて、矢印の向きを変える働きをしている。

図3の左がI=0mVの場合。初期状態を安定点(緑丸)にしておくと、そのままVの時間変動はなく、一定値になる。

図3の中央がI=10mVの場合。初期状態をI=0mVでの安定点にしておくと、Vは多少振動するが、すぐに安定点(緑丸)に収束する。

図3の右がI=40mVの場合。初期状態をI=0mVでの安定点にしておくと、Vはリミットサイクルに入って、スパイクバーストが続く。


[ネットワークの中での神経活動]

ここでの入力電流Iはシナプス伝達によっておきる電流を模したものであるので、脳内のネットワークに組み込まれている神経細胞においてはこの入力電流Iは揺らいでいる。それゆえにじっさいの個々のニューロンの活動はイレギュラーなものになっている。

それをモデル化しようとするなら、上記のニューロンを繋いでやる必要がある。たとえばIzhikevichのsimple modelでは、1000個のニューロンにランダムな共通入力を入れると脳波的なリズムが出てくるというもの。そうではなくて、あるニューロンの出力を別のニューロンへの入力にして、みたいなことをやりたい。(別ページで扱っているAshbyのhomeostatを、線形ユニットからニューロンモデルで置き換えたものになる。) これは大掛かりになるので、また後日にする。


[まとめ]

神経活動の力学系的モデルについて、生理学的な意味を失わないギリギリのものを使って、説明をしてみた。個々の神経細胞は力学系であって、入力Iの有無によらずに状態stateとして細胞膜電位Vを持っている。

細胞膜電位があまり上がりすぎていればCaイオンが流入して細胞死が起こるし(たとえばALSでの運動ニューロン)、逆にまったく活動がなければまた細胞死が起こり、ネットワークから除去される(こちらは発達期についてはよく研究されている)。このような意味で、神経細胞の活動は細胞のエネルギー代謝などのカップルして、細胞のホメオスタシスに関わっている。

このことはマカロウ・ピッツの形式ニューロンだけ見ていてもわからないことだ。というわけで今回はここまで。


本記事および画像のライセンス: 吉田 正俊 CC BY 4.0


「生命の樹」ではなくて「生命の珊瑚」

いまさらだけど、進化について調べている。

「全生命の最後の共通祖先 LUCA (Last Universal Common Ancestor)は地球形成からわずか約3億年後に誕生していた?」という記事を見かけた(2024年7月)。

元論文はこちら: 「[最後の共通祖先]の性質と、それが初期の地球システムへ与えた影響について」 Moody et al. Nat Ecol Evol 8, 1654–1666 (2024).

このLUCAが出現したのは42億年前で、その時期、地球の大気はほとんど二酸化炭素だった。(30~25億年前シアノバクテリアが出現して酸素を作ることで大気中の酸素ができた。つまり、生物が大気環境を変えている。)

だからLUCAも酸素を使わずに、二酸化炭素と水素から酢酸を生成していた、つまり有機物を産出する代謝を行っていたとのこと。そうすると今度はその代謝産物(酢酸)を使う生き物ができる、みたいな生態系を作る余地を生んだ、という推測。

生命の起源がこんな昔に遡るのか、とかいろいろ面白い。


ここでLUCA「最後の」共通祖先とはどういう意味か。ここで絶滅を考慮する必要がある。

ここでJ P Gogartenの総説にあった「生命の樹」(ただし、絶滅した種を含む)を参照しておく。このページで表示しているのはJ P Gogartenのサイトにあるgifファイルだ。

この図でわかったと思うけど、LUCAの「最後の」共通祖先とは、いま生存している生物から見た共通祖先という意味だ。じっさいには現存する生物以外にも絶滅した生物がたくさんいたことを考えると、それら込みでのFUCA「最初の」共通祖先が別にいる可能性もある。そのことがさっきの図だとわかりやすい。(gif動画の中ではLUCAが"cenancestor"と表記されているのに対して、FUCAはもっと下の方に位置している)

2017年の自分のツイートを引用すると、

進化論で出てくる系統樹って、いま生存しているものから遡るんではなくて、絶滅したものまで入れて作れば、たえず枝分かれしては絶滅してゆく繰り返しのなかで、ほんの僅かな偶然を辿っていまここに生存しているというのが見えるはず。 2017年4月10日

さっきのツイートの図を見ると「生存バイアス」を可視化できたようなかんじがしてなんだか面白い。2017年4月10日


あと、この論文を引用している論文を探してゆくと、この図が正確には「生命の樹」というよりは「生命の珊瑚」Corals of Lifeと呼ぶべきであることがわかる。

Wikipediaの"Coral of life"の項にあることをまとめると、

  • 「生命の珊瑚」のメタファーはダーウィンがすでに言及していた。
  • 「生命の樹」だと、全部が生きているように見える。「生命の珊瑚」なら、いちばん上だけが生きていて、あとはもう死んでる、という事実を反映している。
  • 「樹」は枝分かれしかできないけど、「珊瑚」はふたたび合体できる。だから遺伝子の水平伝播も表現できる。水平伝播とは、ミトコンドリアが核に取り込まれたり、葉緑体が植物にとりこまれるとか。
  • 種の概念を理解するのに、絶滅種も含めたかたまりを考慮する意義が理解できる。

これは以前からの私の素朴な印象なのだけど、「生命の樹」の根本が太いのはおかしいと思っていた。あそこは細くあるべきなんだよ。せめてその時代ごとの個体数と比例して書くとか。

系統樹に不必要な意味を持たせずに、巨大な家系図なのだと考える*ならばそうあるべきだろう。人類のボトルネック現象**とかもそういう図なら表現できる。

(* これは描かれているのが種なのか個体なのかという問題に関わっている。これは後述の「ナチュラル・ドリフト」の概念につながる。)

(** 19万年前-12万年前の氷期に、まだアフリカから広がる前のホモ・サピエンスが絶滅の危機にあった。日経サイエンス: 祖先はアフリカ南端で生き延びた )

「生命の珊瑚」が生き延びたわれわれの系統だけでなく、絶滅した、まだ化石すら見つからぬ膨大な数の生物の家系図の集合として表現される点に、そして生者と死者をニュートラルに見る視線に、なにか救いを感じる。

進化を「適者生存」として捉える、ネオリベ的というか自己啓発本的な視点がある。あれが元々の進化論には想定されてないことは「理不尽な進化」で指摘されていた。「生命の珊瑚」の図は「適者生存」ではない進化観を持つためにも有効だと思う。


例えばこちらの論文の図1のbとcの違い。図1cのように、生存者を直線にして、絶滅者をそこから枝分かれして消えたものみたいに描くパターンもある。でもそれって生存バイアスに無自覚な行為だ。史学において、勝者の史観を無批判に受け継ぐのと同じ行為だとも言える。

上のツイートでも書いたように、たえず枝分かれしては絶滅してゆく繰り返しのなかで、ほんの僅かな偶然を辿っていまここにわれわれは生存している。勝ってるかどうかなんて、後から懐古的に見ることでしか決定できない*。

生命の珊瑚を現在から遡って推定するという遺伝子解析の手続きだけ見ていると、こういう罠にハマってしまう。あらためて過去から現在へと向かう流れを再構成する視点が必要だと思う。

(* しかも未来いつ絶滅があるかはわからない。ホモ・サピエンスが生存していたのはこの数10万年くらいでしかない。10億年後の地球の生物は、絶滅したホモ・サピエンスの化石を見つけて、かつて反映した三葉虫のように、恐竜のように、ホモ・サピエンスを眺めるだろう。)


長々と話してきたが、生命の珊瑚としての系統樹の見方は、エナクティブな進化観ともよく合致している。「エナクティブな進化観」というのはヴァレラが「知恵の樹」や「身体化する心」で展開した、進化を「ナチュラル・ドリフト」として捉える見方のことを指す。

「ナチュラル・ドリフト」とは、生物が環境と相互的に影響を与え合う関係(カップリング)を維持する(=適応的でありつづける=生態学的ニッチの構築)という構造的カップリングを成立させて、それが系統的に綿々と繋げれてきた軌跡のことだ。このような意味で進化とはナチュラル・ドリフトであり、この視点では種よりも個体の役割が重視される。遺伝子の役割は前面に出てこない。


いま書いている本で、「生命と精神の連続性」という概念に言及しているのだけど、この点を深堀りするならば、やはり進化からは目を背けることはできない。というわけで遅ればせながら、ちょっとずつ読み始めている。そうすると、脳科学でデネット的なものとエナクティブなものが対立するのと同じように、進化でもデネット的なものとエナクティブなものが対立するのが見えてくる。

スタンダードな進化論(デネットとドーキンスを踏まえたもの)の場合は、創造説との対立のほうが大問題なので、デネット的なものとエナクティブなものの対立というのはあまり俎上には上がってこなさそう。(ドーキンス的なものを批判すると、創造説みたいな立場と同一視される恐れすらある)

というわけで要注意な分野なのだが、まあ恐れずに進むのだった。犀の角のように。


1960年代にサイケデリック化したアルバムのリリース時期を表にしてみた

前回の続き。いわゆるアシッド・テストのシーンは1966年のうちにほぼ終わってるのだった。それに関連して「サイケデリック・ミュージック成立における1966年から1967年」についても書いた。

そのときの結論は、「1966年の段階ではどのバンドもサイケデリック・ムーブメントのシーンを長いギターソロとジャムという形でしか表現することができなかった。録音機器の性能の向上によって多重録音を元にした複雑な曲構造やサウンドコラージュを行うことが可能になったのが、1967年の作品群だった」というものだった。

今回は当時のサイケデリック化したアルバムのリリース時期を表にしてみた。


上記の記事から差分としては、ビートルズについては驚きがないが、バーズとドノバンが異様に早い。シーンに近かったということがよく分かる。


ビートルズのメンバーがはじめてちゃんと(*)LSDを使った日については記録が残っていて、1965年8月24日にLAでバーズとピーター・フォンダといっしょに体験している。

これが"She Said She Said"でジョン・レノンがピーター・フォンダに「俺は死というものがどういう感じなのかを知っている」と繰り返し言われてうんざりしたという有名な逸話。

(* 歯科医にこっそり入れられた逸話は1965年春。)


バーズは当時LAのローレル・キャニオンにいたので、まさにアシッド・テストのシーンの眼の前にいたのだと思う。

スコットランド人であるドノバンがアルバム"Sunshine Superman"を録音するためにLAハリウッドにあるCBS Sonyの録音スタジオを使ったのが1965年12月から1966年5月の期間とされているので、ちょうどまさに(サンフランシスコで)トリップ・フェスティバルのあった時期に遭遇しているらしい。ただし、シングル"Sunshine Superman"を録音したのはロンドンで1965年12月ともあるので、ちょっと計算が合わないのだが。

アルバム"Sunshine Superman"に入っている曲にはキャス・エリオットをモデルにしたという"fat angel"がある。キャス・エリオットはローレル・キャニオンのパーティーシーンの中心人物だった。(ソース: 映画「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック)

あともう一曲、"The Trip"もLAのSunset Stripにあるライブハウスについての曲。でもあの有名なサンセット・ストリップ暴動*は1966年11月の話なので、まだそういう意味で社会問題化する前だったことがわかる。

あとこちらのサイトにThe Tripでの1965-1966年のライブ情報がある。すげえ。1966年3月24日~31日、4月1日~2日:ドノヴァン with ザ・ジャグド・エッジとなっていて、この次の週は1966年4月4日~10日:ザ・バーズ だ。

というわけで、ドノバンもバーズもLAのシーンで繋がっていたと思われる。

(* サンセット・ストリップのライブハウスに若者が集まりすぎて、自治体が夜間の外出禁止令が出したために暴動。でもってバッファロー・スプリングフィールドの"For what it's worth"に記録されることになった。)


というわけで、サイケデリック・ロックについてはLAの動きのほうがサイケな楽曲を作るという意味では早かった。いっぽうで、サンフランシスコの方は一段遅かった。以前書いたように、グレートフルデッドはライブで長時間のジャムをやるような時期("Viola Lee Blues")からスタジオを駆使してサイケデリックな音を作る("Born Cross-Eyed"とか)のに1967年までずれ込んだ(1967年9月以降録音)。

ジェファソン・エアプレインも"Surrealistic Pillow"(1966年10-11月録音)は自分はサイケだと思ってない。あれは「サンフランシスコ・サウンド」というやつで、フォークとブリティッシュ・インヴェイジョンの反映だと思う。After Bathing at Baxter's(1967年6-10月録音)とそれに先立つMonterey Pop Festival(1967年6月)で"The Ballad of You & Me & Pooneil"を演ったところでサイケデリック化した、という認識。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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