「鮫ライド、王様、add9」(さうして、このごろ2024年6月後半)

(2024/6/11) togetter: 「「普段は何聴いてるの?」と訊いても答えが本当に返ってこない」

逆向きの「「普段は何聴いてるの?」って聞かれたらどう答える?」の反転版だな。

自分は教員として学生に「普段は何聴いてるの?」とか聴いたことはないな。「自分の聞く音楽の範囲を広げたいんだけど、なにかおすすめありますか?」という会話はありうるかも。その場でスマホで検索したりとか。

って書いて気づいたけど、この間長男に聞かれたこととまったく同じだった。そのときはUlrich Schnaussの"Goodbye"を勧めた。


このブコメがよい。「物語」に絡んだ時点で描けなくなるものについて。

ちょうどこの前読んだ映画版「トラペジウム」の感想でも、「ハレとケ」の「ケ」を描こうとすると物語に絡んだ時点で「ケ」でなくなってしまう難しさについて書かれていた。

「物語って案外自由が利かない」っていうテーマで考えることが出来そう。ここでの「物語」ってのはエンターテインメントの話に限らず、ただの事実の羅列をつなげてそこに意味を見出すことを指す。


Rideの"Today Forever EP" (通称「鮫ライド」)は自分がライドでいちばん最初に聴いたやつだった。

レンタルCD屋で借りてきたんだけど、なんでこれを借りたかは記憶がない。(たぶん音楽雑誌で紹介されていたのだろう) 一曲目の"Unfamiliar"で衝撃を受けた。

1991年は私にとっては革命的な年で、マイブラもライドもソニック・ユースもニルヴァーナもマシュー・スウィートも暴力温泉芸者もフリッパーズギターも、ぜんぶこの年に初めて聴いたはず。家庭教師のバイト代を注ぎ込んで、毎週のようにジャニスでCDを借りてた。(隙自語)

当時はジャニスでCaroliner Rainbowとかも借りて聴いたけどまったくわからなかった。 でもいまはこうやってyoutubeで映像付きで見ると、ふつうにわかるし、ライブで観てみたいと思った。


以前、無料コミック用のCMで流れていた、「旦那に追い出された、ズタボロな身なりの母子が隙間風の吹く部屋で凍えているのを助けようゲーム」のCMには心が傷んで、勘弁してほしいと思った。試しにググってみたら、同じようなことを書いているweb記事を複数見つけた。定番のネタだったらしい。

さいきんは「王様が残酷な目に合うのを助けようゲーム」のCMになってる。あっちは「助けてあげれば、アラブの石油王みたいに、あとでよいリターンがあるのでかわいそうではない」ということかと理解していたが、調べてみたら、どうやらあれは「王様が自分で見ている悪夢」なのでかわいそうではないらしい。要らんことを知ってしまった。


togetter: 「中高生はadd9が好きで、大学生はmaj7が好き」

これはギタリスト限定だろうなあ。今どきはボカロとかあのへんの曲が丸サ進行(Fmaj7-E7-Am7-Gm7-C7)を多用するから、真っ先にあれにやられるんではないだろうか。

自分の場合はアコギを弾いてたのでよく当てはまる。いちばんはじめにadd9を認識したのはたぶん井上陽水の「夏祭り」。

CSNYやAmericaのハモリでマイナーコードに9thを重ねる快感に目覚めた。(Emにm7, 9を乗っける022032) あと、S&Gのポール・サイモンが好きなFmaj7(add9)な。(XX3213)

maj7はニール・ヤングで喜びを知ったから、中学後半から高校にかけてか。"Nowadays Clancy Can't Even Sing"のヴァース部分がCmaj7-Fmaj7なんだけど、これはアコギで無限に弾ける。それは誇張にしても、まじで一時間くらいずっと、指が痛くなるまで、弾いてた。Cmaj7-Fmaj7に左の小指でいろいろフレーズ入れたりしながら。 Down by the riverでのEm7-A7が延々と続く展開から、Cmaj7に入るところで浮遊感出るところとか、なんど繰り返したかわからない。

m7(b5)を知ったのもS&Gだったかも。My Little Townのサビのここ: Bm7(b5)-E7-Am7


ブラーのいちばんの名曲はファースト・アルバムに入っているサイケデリックなトラックの"Sing"。(逆張り)

って書いてから聴き直してみると、いや、案外本当かもと思った。サイケではなくてシューゲだな。ベースがすごくいい。4つ打ちしているのかと思ってたが、粘っこくハネていることに気がついた。

"Sing"についてライブ映像とかを観てたら、イントロのピアノの段階で、観客が待ってましたってかんじで大人気の反応だった。

自分としては、この曲はファースト・アルバムの他の曲とはちょっと曲調が違う、聴く人によっては捨て曲になるようなトラックだと思っていたので不思議だった。

あとで知ったのが、この曲って映画「トレンスポッティング」で使われていて、ブラーファンでなくても知っているような有名曲だったのだな。


あと、ブラーは"Wear Me Down"のコード進行が好き。ヴァースは Bb-G-D の繰り返しで、サビが F-C-Em-G-D というシンプルなものなのだけど、なんというかシド・バレット味を感じる。(キーCのところ一音上げてDで表記)

もう少し正確に書くと、サビの F-C-Em-G-D は、移調したのでギターコード的にはシンプルなものだけ使っているように見えるが、たとえばサビの部分はルートのDからみれば bIII-bVII-ii-IV-I というトリッキーな進行になっている、ということ。

後半のii-IV-Iは普通なんだけど(とはいえツーファイブii-V-Iではない)、前半のbIII-bVII-iiのところのiiに痺れる。

bIIIとbVIIは主調Dメジャースケールに対するDマイナースケールの構成コードへのモーダルインターチェンジと言える。

でもサビの頭からいきなりbIIIなので、転調したみたいに聴こえる。それがiiに戻ってくるところでまた転調したみたいに聴こえる。この気持ちよさ(気持ち悪さ)が好き。(この解釈でよいか、サビのメロディーを拾って、Dマイナースケールか確認する必要あり)

ところで、それをいうなら bVII-IV-Iは「ヘイ・ジュード」の大サビ進行パターンじゃん、ってツッコめるかもしれない。そうなんだけど、あれもいきなり大サビで出てくるビックリ進行でしょ。(いちおう、曲の中でbVII(=7th)の音が出てくるのがちょっと匂わせになっている、という理解だが。)


JR千歳線が無慈悲だった、という話 (20240620)

毎年恒例の駒場学部講義で、東京まで出張。帰りは最終便の飛行機を予約していたんだけど、けっこうたいへんだった。

21:30羽田空港発で23:05新千歳空港着の便で、そこからJRの札幌までは終電(快速エアポート)が新千歳空港駅23:21発で接続している。16分の余裕がある。

しかし今回は運悪く飛行機が10分遅れで出発。道中ヤキモキしながらも、JRの終電はこの飛行機に接続するために設定されているので、遅延があったら待ってくれているだろうと心配はしてなかった。


けっきょく到着も10分遅れで、飛行機から外に出たのが23:15。あと6分。ギリ間に合うので早足でJR駅へ向かう。改札まで3分で来た。電車に乗り込んだのは23:19。


とりあえず座ってひと安心。ここから手荷物拾って遅れてくる人を待つのだろうと思って時計を見ていたら(写真)、定刻23:21にJR最終便は発車した。無慈悲すぎるだろw (たぶん札幌で岩見沢行きと連絡するのが理由だと思うが。)

けっきょく定刻23:56に札幌駅に到着。ぶじ帰宅した。

自分は飛行機に乗るときはなるたけ荷物を少なくして、手荷物を預けないようにしている。ロストバゲージによるトラブルを回避するようにしている。それがたまたま今回は役に立った。

それにしても、最終便の飛行機は、21:30に羽田で24:00に札幌に到着できて便利ではあるけど、これは他の便がない場合の最後の手段にしておこうと思った。

なお、新千歳空港から札幌行きのバスは22時台に終了するのだけど、臨時の深夜バスというのが出ているらしい: 「時刻表にない幻のバス!深夜0時の新千歳空港に現れる!」


「ロテンボリ、エムドゥ・モクター、男達の別れ」(さうして、このごろ2024年6月前半)

(2024/5/31) 「露天掘り」ってスウェーデン感あるよね。エドベリ、スヴェーデンボリだけでなく、ロテンの部分も。

汎心論のガレン・ストローソンがヘンリー・カウのオーディションを受けていた、という記述をwikipediaで見つけた。

前にも書いたけど、フレッド・フリスの兄弟がクリス・フリス(ベイズ脳仮説の人)。オックスフォード大学とかケンブリッジ大学とかのこの世代は、いろいろ混ざりあってて面白い。


自分は二次元の世界に踏み込んだあたり(2000年くらい)から、(原作付きかどうかに依らず)実写ドラマを観ることがだんだんしんどくなってきた。

それは、二次元の世界(えいえんの世界)に入り込むことで、三次元に対してうっすらとした嫌悪感を持つようになったからかな、と振り返って思う。

そういうわけで、いま実写化周辺で起きている問題には興味があるものの、じつのところ実写化作品をほとんど観てなくて、ぜんぜん被害を受けてないので、読者の立場からは他人事になってる。

それとはべつに、編集者との付き合い方とかそういう問題意識と重なるので、興味はあるけど。

そういうわけで、近年のアイドルにもまったく興味がない。その昔中森明夫が「おミズ」への嫌悪を表現したことがあるけど、自分はショービズ臭さが嫌い、というか怖いので、三次元のアイドルどころか、二次元のアイドルものにもほぼ触れてこなかった。生々しいのダメなんだよな。

自分が鍵に惹かれたのも、麻枝准の寓話的な感じというか、現実から退却してる感じ(それこそ「えいえんの世界」)に波長が合ったから、と言えるのかも。

昔書いたブログ記事: 「ショービズ臭と自尊心問題。」を見直してみると、冒頭の「In-A-Gadda-Da-Vidaのボーカルがショーヴィズ臭い」はうまく言い当てられてないな。

ああいうヴィブラート強めでソウルフルなボーカルが自分には、後期ビートルズ以前の芸能の世界(60年代のハリウッド,LA)から来たものに聴こえた、このくらいの補足が必要だった。

しかもこうして書いてみると、たんにブルー・アイド・ソウルが受け付けないだけだったように思える。(エリック・バードンやヴァン・モリソンも無理なので。)

アニマルズのウィキペを見たら、来日ツアーのエピソードを見つけた:

「ツアーは1968年9月に予定されていたが、ビザ取得が困難だったため11月まで延期された。ツアー開始から数日後、プロモーター(バンドは彼らがヤクザであることを知らなかった)がバンドのマネージャーを誘拐し、銃を突きつけてツアーの延期による損失を補填するための2万5千ドルの借用証書を書くよう脅迫した。誘拐犯が英語を読めないことを正しく察知した彼は、借用証書に「強要されて書いた」というメモを添えた。ヤクザは彼を解放したが、彼とバンドは翌日までに日本を出国しなければ殺すと警告した。ザ・アニマルズは、ツアー用の機材をすべて残したまま、すぐに国外に逃亡した。」

まさにショービズ的なエピソード。


The New York Timesの「10代の頃の音楽の好みが、大人になってからの好みに影響する」の記事 下の方で個別の曲の例が出てくる:

「例えば、レディオヘッドの「クリープ」という曲を考えてみよう。この曲は現在38歳の男性の間で164番目に人気のある曲である。しかし、10年前に生まれたコーホートでも、10年後に生まれたコーホートでも、トップ300には入っていない。現在「クリープ」が最も好きな男性は、1993年にこの曲が発表されたとき、およそ14歳だったことに注目してほしい。実際、これは一貫したパターンである。」

こちらはまた別のグループだと思うけど、"The power of nostalgia: Age and preference for popular music" オープンアクセスで論文が読める。

自分の場合はちょっと例外的というか、14歳(=1982年)に流行ってた音楽(「ベストヒットUSA」でかかるようなやつ)にハマれなかったので、ビートルズとか60-70年代のロックを掘り下げてた。そんな自分がはじめて同時代音楽にノレるようになったのは、1990年代前半のグランジ、シューゲ、ブリットポップだった。

というわけで、「ティーンエイジのときに聴いてた音楽を一生聴くようになる」という意味では該当するのだけど、それが自分の場合、当時流行ってた音楽ではなかった。

昔の自分のブログ記事で時系列的にまとめてた: 「私のからだを通り過ぎていった音楽たち」 (記念すべき、第一号の記事。)


「パワポをさわる前にWordを作れ」

これはわかる。自分の場合はWordではなくmarkdownだけど、アウトラインで構造を作るようにしてる。

それでもじっさいにスライドを作ってみないとその構造に説得力があるかわからないところは出てくる。(データの説得力、情報を出す順番など。) だからいったん構造を作ったら、構造と細部を行ったり来たりしながら完成させてる。

構造作りの段階でどのくらい詰めるかは、10分のグラントプロポーザルと90分の講義とで異なる。時間が短いほど、構造と理屈の流れ作りがより重要になる。

ついでにスライドのタイトルとまとめ文章についてだけど、自分は文章づくりのルールにある「既知からはじめて未知を後ろに持ってくる*」をスライドにも適応したほうがよいと思ってる。

(* Style: Lessons in Clarity and Graceより。)

だからタイトル部分には予想がつくこと(これからなにについて言及するのか)を書いて、スライドでデータを提示したうえで、最後にまとめとして新しいことが出てくるという形にしている。

いっぽうで、パラグラフ・ライティング的に、タイトルで結論を示すという理屈もある。

自分は前者のほうが聴衆のワーキングメモリーに負担がかからないと思っているけど。

"Style: The Basics of Clarity and Grace"については、とりあえずこのハンドアウトに要点はまとまってる。さっきの「既知から未知へ」はPRINCIPLE 3と4。


(ニジェールの)エムドゥ・モクターMdou MoctarはYoutubeでおすすめに出てくるとついつい観ちゃうくらいには好き。よく見るとギタリストはピックでなくて指弾きしてる。ジェフ・ベックみたいに。「砂漠のジミヘン」ってキャッチフレーズを見たけど、そういうのじゃなくて、ふつうにサイケデリックな音だよな。

音は違うけど、このサイケ感は(タイの)Khun Narin Electric Phin Bandにも通じるものがある。


「オペラ座の怪人はぬいペニ現場の分かりやすい例」 「オペラ座の怪人」は観たことがなかったけど、これを見てがぜん興味を持った。


ひさびさにエレカシEPIC時代初期三部作聴いてたけどやっぱすごいなあ。

「「序曲」夢のちまた」が好き。不忍池とか行ってみようと思いつつも、暗い自分の部屋で一日が過ぎてゆく、のを観想していて、焦燥感とかそういうのではない、なんか独特な感じなの。ラストで爆発するのだけど、そこでも「ああ、通り過ぎてゆく」という詠嘆なの。

これが出た1989年8月は自分は二浪してやっと大学に入ったところで、すっかりアパシー状態で自転車で隅田川とか不忍池とか行って、川面を眺めながら缶ビール飲んだりとかそんなかんじだったので、この歌には当時のテーマソングみたいなところがある。


LONG SEASONの「98.12.28 男達の別れ」版は佐藤伸治のギターソロが好き。ニール・ヤング的な、単音だけど歌ってるやつ。とくに12:49からのただただロングトーン鳴らしているところとか。


XTCの"Respectable Street"の歌詞について精読してみた

XTCの"Respectable Street"という曲がある。1980年に発売された4thアルバム "Black Sea" のオープニングトラックだ。この曲の歌詞を理解しようとしたことがなかったので、精読してみた。

まず全体としては、アンディ・パートリッジの出身地であるスウィンドンのような地方都市の庶民(労働階級)を揶揄/戯画化しているのだろう。

壁が薄いアパートで隣人のドアの開け締めがうるさかったり、隣人の会話の話題が丸聞こえで「中絶」「避妊」「どういう体位が歳とった旦那を喜ばせるか」「化粧品の販売員が持ってきたシワ伸ばし」だったりする。

サビがそれに対するツッコミになっていて、「ここはお上品通りだぞ」(下世話な話はやめろ)っていうことなのだろう。

以上のことは公式のMVを観るとより明確になる。XTCメンバーが扮するお上品な弦楽グループの隣人がパンクな老夫婦(セックス・ピストルズのアルバムを壁に飾ってる)で、XTCメンバーによる弦楽の演奏をうるさいって文句つけてる。つまり歌詞の内容をひっくり返してある。つかひねりを加えておかないと映像化出来ないだろうから。

さらにアンディ・パートリッジ自身のインタビューでは、スウィンドンの「本当にみすぼらしい小さなアパート」に住んでいたときの近くの通りがタイトルの由来だと言ってる。

実際のアンディの経験では、"Respectable Street"自体は自分のアパートのことではないし、見下す眼差しを受けたのはアンディなのだけど、それを歌詞の中では変形させている。図示するならこんな感じだろう。

皮肉的な表現なのだろうけど、相当捻れている歌詞だ。そう、曲のほうが捻れているのと同じように。(前にも書いたが、ヴァースのコードの二番目は 79987X- 98907X という命名不可能なやつ)

我ながら、なんでこんなにムキになっているのかと思うが、まあ、ブログのネタになると思って書いてる。


ということでだいぶ歌詞の内容が理解できてきたのだけど、一番のAメロの"immaculate receptions"(完璧な受け取り/受容)ってのがよくわからない。ググってみたら、"The Immaculate Reception"というのがアメフトの歴史的プレー(1972)であることを知った。

"on their portable Sony Entertainment Centers"ってのはテレビのことだろうから、辻褄は合う。でも複数形、単数形の違いがあるし、サッカーではなくアメフトはイギリスではありえない。というわけでこの点は未解決。

さらにググってみると、"portable Sony Entertainment Centers"とはソニーのウォークマンのことではないかという指摘があった。ソニーのウォークマンの日本国内販売が1979年。"Respectable Street"が書かれたのが1980年なので、ギリギリありうる。

でもそれだと、歌詞の繋がりがよくわからない。だって「避妊とimmaculate receptions」だから。それを音楽の内容と読むことは出来ないし。

XTC - Respectable StreetのMVを見直してみたら、「ソニー・ポータブル・エンターテインメント・センター」のときにアンディ・パートリッジがテレビを指差してた。これでウォークマン説は完全に棄却された。

このMV、ほかにもカラオケ動画かよってくらい説明的になっている。たとえば"Avon lady fills the creases"のくだりでは、アンディ・パートリッジが自分の顔のシワを伸ばしてる。

あと、Respectable Street自体はスウィンドンで住んでた家の近くの高級住宅街を表していて、そこのカーテンの隙間から見下した目で見てくる、という逸話が前述のインタビューで出てくる。


このインタビューの中で、アンディ・パートリッジが(「あなたは(自分の作品の)どのMVのファンでもないんでしょうか?」に答えて、)「ああ、どれも嫌いだよ。デュークスの 「Mole from the Ministry 」を除けばね。That one's okay.」って言ってるんで、"Mole from the Ministry."のMVを観てみた。

まあ、ストロベリー・フィールズ・フォーエバーのパクリ的なやつだった。たしかに、まあ"ok"って「許せる」くらいのニュアンスかな。


男性同士のケア、セルフネグレクト、サードプレイスあたりの話題 (2024年5月)

(20240524) 桜庭一樹による「『ライ麦畑でつかまえて』を〝男性の相互ケア〟や〝弱者男性〟というキーワードで読んだ話」

これは納得いった。「ライ麦畑」はホールデンがなにかに負け続けて彷徨う話なのだけど、そのなにかの部分を掘り下げるのに有用な視点だと思った。桜庭一樹はそれを「深刻な傷を負った男性が他者からケアされないまま都会を彷徨う」お話として読んでいる。

この議論はけっして現在の価値観で過去の小説を断罪する形にはなってないと思う。当時あったこととして描写されたことの中にも、現在抱えられているしんどさと同質のものがあることを発見した、ということであって。

ここで出てくる「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」は、はじめは、物語に都合のよいキャラ造形に潜む性差別を指摘するために作られた語だった。しかしそれはいつしか拡大解釈されて、作者がキャラに込めた個性を塗りつぶして、あるカテゴリーに押し込める侮蔑語と化してしまった。そういう経緯がwikipediaに書かれている。

この語を提唱した人はその後に撤回しているんだけど、その後も普通に使用されているみたい。この語を知ったソースも2023年のnoteだったし。


bunkaonline

「吉田豪が「吉田豪」になる前から遊んでいた専門学校時代の仲間のような人が友達であって、「吉田豪」として出会った人は仲良くなっても、仲が良い知り合いなのだろう。」

自分もこの感覚はわかる。仕事の付き合いで仲のいい人はいるけど、それを友達とは言いにくい。東京を離れてからは、仕事に関連しない仲間作り(サードプレイス)に労力をかけてこなかったので、自分は岡崎にも札幌にも友達がひとりもいない。

「男性同士のケア」(トーマス・ジョイナー)の問題を考えることはあるけど、正直興味ないというか、軽いセルフネグレクトをしている自覚はある。

仕事の付き合いで気の合う仲のいい人との関係は、しんどい状況の中を生き延びてきた「戦友」という感覚であって、たまに会って話をすれば、そういうかんじでのつながりを感じながら話をすることはできて、それはとても大切な機会だ。そういう人がいないわけじゃあない。だから「私には友達がいない」という言葉も、それはそれで強すぎる。


「男性同士のケア」について道徳的動物日記が取り上げていた"Lonely at the Top"が邦訳されたらしい。「男はなぜ孤独死するのか トーマス・ジョイナー」 これは読もうと思う。来世で。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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