私はそういう意味ではずっと前から、クオリアなんて言葉を使わなくてもクオリア派だったし、感覚と感情とを何度でも取り返しながらやり直してきた偽phenomenologistだったのです。禁煙のときもそうだったのですが、そうやって深呼吸して、もう一回同じものを違うように見直してみる、それが私にとっての原点だったのです。帰り道、ゆっくり歩いているのを実感しながら、何度でも生きていることを実感しなおしているのです。