[カテゴリー別保管庫] 視覚的意識 (visual awareness)
2009年10月31日
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■ 研究集会感想からアクティブな知覚へ:コメント返答
前回のエントリにいただいたコメントに返答を書いてたら長くなりましたので、べつにエントリにしておきました。
>> 土谷さん、
こういう話をもっとしたかったですね。当日はほんとゆっくりしてられなかったですから。これはいつもこういう会を運営するときのジレンマです。
さてそれで返答ですが、わたしとしては土谷さんの指摘する点については逆だと思っていて、なんで夢や幻覚やimageryでの意識体験が普段の意識経験とそれぞれちょっとずつ違っているかを説明しようとしたら、そのような表象がどのように行動とつながっているかがそれぞれで違っていることを考慮しなければ足りないと考えています。
顔ニューロンから記録していたとして、表象としては夢でもimageryでも普段の意識経験でも同じようなものとしてしか取り出せないと思います。Imageryで活動するニューロンは同じものを見たときに同様なパターンで反応するし、だからこそそれがimageryについての応答と考えられるわけですから。そのような情報がどのように読み出されて行動につながるか、働きかけることが可能であるか、というところでこそ違いが出ると思います。
だから、夢の例は意識のpremotor theoryみたいなものからすれば反論というよりかは逆にそれを補強する材料となると思ってます。
また、sensorimotor theory的なものは、onlineで運動といつもカップルしていることを想定していないと思います。視覚運動変換による経験と学習とがofflineで脳内のニューロンに表象を作り、それをどうやって読み出すかということを規定する、という形で寄与していると考えています。じっさい、意識に機能があるとしてもonlineでなんかするというよりは、経験、学習、記憶のようなofflineのところでしか効いてこないことでしょう。(これは意識の機能の議論ではなくて、クオリアが入力によって自動的に生じるというよりは、学習や記憶の過程で後付け的にあったことにされるんではないだろうか、という意識の生成メカニズムの議論です。)
Alva Noeとかが好む説明だと、生まれつき目が見えなかった人が開眼手術直後にはものを見ることができないという話が出てくると思います。ある物体のアフォーダンスを獲得しないとその物体に対するクオリアはできないだろう、なんて作業仮説が作れるかもしれません。
だからそれを「ここでは、発達、発生、進化の話しは除外しています」という捉えてしまうのならば、私たちは別の話をしていることになります。私はneural correlate of XXを見つけるだけでは足りなくて、その先をどうすればよいかというところを考えているのですから。
以前ここで紹介した本に載っていたクリストフのインタビューでも、
ブラックモア:それらのニューロンを刺激して、患者が車をイメージしたと言ったら、あなたにとってはそれで話はおしまいですか?
クリストフ:いやいやまさか。そうするとそれらのニューロンがどこに投射しているか知りたくなるだろ。もしそのニューロンを取って、その対象を不活性化したらどうなる? (中略) 脳全体を歩き回ってNCCの特性をもっと明らかにしたいんだ。
という下りがあったのですが、そこで考えていることに近いといえるかもしれません。
それでread-outの問題も出てきてたわけです。ventral pathwayの高次視覚野にある脳内表象があったとして、行動につながる回路(dorsal pathwayやPFC)にそれがつながってゆくか、フィードバックで初期視覚野に伝わってゆくのか、その寄与が夢、imagery、普段の視覚経験でどう異なっているか、というようなempiricalな問題になると思います。
まあまたこんなことが議論できたらと思います。
>> nishiokovさん、
たぶん似たことを考えておられるのだと思うのですけど、「成立させるための条件」みたいな言い方だと間接的なものとして捉えられてしまうようです。「酸素がないと死んでしまうから酸素は意識経験の「成立させるための条件」だが、意識の解明で酸素について考える意義がない」のと同じで、「成立させるための条件」よりもっと直裁的な言い方が必要なのだろうと考えてます。
>> ふじーさん、
藤井さんの書いてあることはたぶん私の書いたことに関連したうえでの持論なんだと思うんですが、ちょっと文脈がとれませんでした。とはいえ、私のこのエントリも、藤井さんのエントリを見てインスパイヤされて書いた持論なんで、やってることは同じではあるのですが。
視覚意識の研究者が「ツールを作るという強烈な指向性がない」から「結局2番煎じの仕事しか出来ない」というふうに思ったということなのでしょうか? それともわたしがそうだというのでしょうか?
わたしじしんはSDTの拡張とか計算論的モデルへの志向を持ってますし、なんか哲学かぶれなことも書きますので、それを「既存技術の精緻化」とか「言葉はツールじゃないです」と批判されうるとは思いますが、それも私としては使える道具を増やすという意図でやってます。
2009年07月27日
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■ ASSC13 Berlinの感想
6月にASSC13@Berlinに行ってきたんでその感想を書こうと思ったまま放置してました。記憶をたどりつつ書いてみます。
今年のミーティングは前半はほとんどひとりで過ごしてました。空き時間はホテルでスライド作りっていうかMatlabいじってたり(ギリギリすぎ!!!)。後半の方はUCLの金井さんと東大渡邊研の高橋さんとメシ食ったり語ったりしてました。いつも通り演説口調だったけど。今回はそのときがいちばん面白かったかな。
なんというか今回は端的に面識のある人があまりいなかったんですよね。Alex MaierもMelanie Wilkeもいなかったし、Olivier CarterもHakwan Lauも土谷さんもいなかったし。今回はちょっとニューロサイエンス色が弱くて、それよりかは心理物理って印象でしょうか。あと、Ned BlockもChristof Kochも会場でほとんど見かけなかったし。(サボりをいいつけるオレww)
私の発表の方は今年もトークでアクセプトされたのですが、今年入ったセッションはなんかanimal consciousness系というかんじで、私の次のトークは「魚には意識はない、なぜなら視床がないからだ」っていう突っ込みどころ満載の人で、そのつぎはソーク研究所のDavid Edelmanで、「タコに意識はあるか」というよりは「どのくらい知的な行動ができるか」というもので、こちらはおもしろくてまっとうな仕事なのだけれど(もうすぐTICSにレビューが出るとのこと)、基本的に行動についての仕事で、ニューロンの話はなし。ともあれ、それだけ動物での話というのが全体でも少なかったということです。これは会場がヨーロッパであるが故えのことですかね?
というわけで、私はゴリゴリに電気生理の話(「盲視のnhpにはある種のawarenessがあって、それが上丘で表象されている」)をしたらなんか浮いてた。ただ、それなりにオーディエンスは多かったし、chair personはPetra Stoerigだったし、Ned Blockも見に来てたし(あとたぶんAnil Sethもいたような)、John-Dylan Haynesも一番前で聞いてくれて、質問してくれた。というわけで届けたいと思った人には届いたのでよかったのではないかと思います。(2年前のラスベガスのときと比べたらpresenseという意味では大進歩ですよ。)
John-Dylan Haynesの質問は、「普段の行動で見えてないと思えるような証拠はあるのか」というもので、それは想定内なので返答をしたけど、ともあれあまり深い話にはなりませんでした。
Petra Stoerigと会うのも初めてだったので、hemianopiaの人のどのくらいがblindsightになり得るのか聞いてみたんだけど、リハビリのモチベーションがあって十分トレーニングできればだいたいresidual visionがでてくるみたいな話をしてくれた。あと、nhpのblindsightはtype II的なものなのではないか? PetraのCerebral Cortex 2002のRosieのデータなんかはそのように見えるけど?みたいな質問をしたら認めてた。とくにRosieは長期間トレーニングをしているからtype II-likeなのだろう、みたいな話になった。そういう意味ではうちのがtype II-likeなのと整合性がある。種差の問題とかもそれで解決しそうな印象。そういうわけで、Petraと私との間でこの点に関する争点が消失してしまった!!! Petra自身はなんつうかおっとりとした方で、がんがん論争をぶつけるとかそういうかんじではないのでちょっとつかみ所のないのだけれど、ともあれ今回のドイツ行きの目的の大半はこれで済んでしまった。(あとは、もしVSSに行けてたらPaul Azzopardiと議論できたはずなのだけれど。)
今回の学会で印象深かったのは、Tononiのintegration theoryがものすごくフィーチャーされていた点でしょうか。Prenary lectureがTononiだっただけでなく、Kochもこれの解説と簡単なシミュレーションとかをトークでしゃべってたし、Anil SethもTICSの内容(integration theoryと自身のgranger causalityについての研究をまとめたネットワーク的振る舞いについての計算論的研究とかをまとめたもの)をしゃべってた。以前わたしはTononiのinformation integration theory of consciousnessでこういう話は好きだけどempiricalな問題への応用可能性の点で懐疑的だ、みたいなかんじで書いていたのだけれど、こういう状況を見てたら、なんかもう少し時間をかけてしっかり勉強してみようという気になりました。これが最大のポイントですかね。あとは上記の通り、ニューロン活動記録のような話がほぼ皆無(fMRIとかEEGとかはたくさんある)だったんで、ちょっとこの状況は気になりましたね。もうSFNのほうはだれかが呼んでくれるときに行くことにして、VSSとASSCに積極的に行き続けようとか思っていたのですけど、ここは心配。(次回はcosyneにも行っておきたい。)
今年のミーティングはひきこもり気味だったのであんまり観光に行ってないですけど、会場が市内の中心地(ミッテとか自由大通りとかそっち)だったんで、美術館島とか行ってきました。やっぱドイツだし、ということでiPhoneにはAmon DüülとかCANとかクラウトロック系を入れておきましたけど、これが正解。ペルガモン美術館ってヘレニズム系のでかい遺跡がたくさん並んでるところが有名ですけど、バビロニアのあれ(頭が鷲で体が兵士みたいなやつとか)が並んだ「イシュタール門」ってのがあるんですよ。これはかなりキタ。さっそく博物館の説明用のヘッドホンのふりしてAmon Düülの"Psychedelic Underground"を一曲目から通しでずっと聞く。すげーよく合う。見るもの全部なんかサイケデリックなかんじにさせてくれました。残念ながら音量は控えめにしてましたけどね。良い経験でした。歩き疲れて、ペルガモンの大祭壇に座ってAmon Düülの"Paradieswärts Düül"の気怠いの聴いたり。あと、行く前はテクノ系クラブ行こうとか気合い入ってましたけど(Tresorとか調べてたんですけど)、ちょっと無理でした。時差ボケで夜10時には寝てたし。
さて、学会の終わりには次回の会場が発表されていて、ASSC14 (2010)はトロントでMervin GoodaleがPresidentだそうです。そして、いよいよ来ましたよ! ASSC15 (2011)は京都で霊長研の松沢先生がPresidentです。さーキタキタ!!! これは忙しくなるよ!!! (なんか勝手に準備体操とかしてる。)
というわけでそんなASSC15に向けてという面からも、今年の岡崎のワークショップNIPS-SSCをどんどん盛り上げて盛況でいきたいと思います。(NIPS-SSCという名前からわかるように、ASSCから名前をパクってます。Olivier Caterはべつにいいって言ってたんでありってことで。そういうわけで、NIPS-SSCは非公式pre-ASSC meetingという位置づけにしてあるのです。) というわけでぜひポスター応募(締め切り7/31)の方をよろしくお願いします(宣伝にも抜かりなし)。
2009年05月22日
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■ ベイズ脳とsensorimotor contingency hypothesisとワイシャツと私
こういうメモをたくさん作ってるんだけど、死蔵せずに表に出しておきます。まったく威勢だけはいいんで、ま、ある種のマニフェストですな。
--------------------------[フィルタとしての視覚]
特徴抽出をするdetectorを作る、というのがスタート地点だった。
これ自体は一見問題ないように思える。
しかし我々の感覚と認知と行動はクローズドループだ。
# 行動によって周りの環境が変わり、
# 感覚入力も変わる、これがクローズドループ。
クローズドループである影響を取り扱うために、
感覚入力以外のすべてが「トップダウンの要素」
に押し込められてしまう。
# 「受動的」な要素の抽出と
# top-downによるその修飾
よって、その修飾を議論することは出来ても、それより先に行けない。
(top-downはなにを「表象」しているか?)
これが視覚野での応答とそのmodulation、
前頭葉から来る「トップダウン信号」というパラダイムが
早晩スタックするだろうとわたしが思っている理由だ。
--------------------------
[ベイジアンな視覚]
クローズドループでのコントロールを扱うためには、
「なにかを表象している」という言い方ではなくて、
「外部の環境 - 内部状態」
をともに併せたダイナミクスの記述
をするのがより自然なアプローチだ。
# その意味では[ベイジアンな視覚]は
# [フィルタとしての視覚]が記述の複雑さを押さえるために
# 受動的側面から開始したのに対する
# 自然な拡張である、という言い方ができる。
内部状態とは
ニューロンの状態の記述であって、
「心理的表象」を必ずしも要請しない。
ニューロンの状態をすべて記述できれば
それとは独立した「心理的表象」がないのであれば、
「外部の環境 - 内部状態」
は「心理的表象」を含める必要がなくなる。
というわけで、
sensorimotor contingency hypothesis
は表象批判として始まり、それの徹底によって
「心的表象」をそもそも不要とするシステムになる。
(ここで前回のShadlenの話を思い出す。)
ただ、ここでの機能主義の徹底は
「クオリア、意識」どころか「心的表象」すら排除してしまうことになるので、
これはおかしい。
たとえば「言語活動」はどうなるか?
sensorimotor contingency hypothesis
はこれを排除するような形で成り立っているのではないか?
よって、「意識のsensorimotor contingency hypothesis」と言うときには、
以上では収まりきらないような、
極端行動主義ではない状況への当てはめが必要になる。
--------
ちなみに「カルマンフィルタ」としての視覚と言うときの「フィルタ」は
視覚刺激から表象へのフィルタではなくて、
視覚刺激から行動へのフィルタと言うべき。
もはや「フィルタ」という言葉を使う必要はなくなっているとは思うのだけれど。
--------
意識、awarenessの概念の安易な使用を防ぐために、
単なる表象、codingの問題のときにはそれを分けて考えるべきだ。
その意味でいちばんやっておくべき仕事は
「neural correlate of consciousness (NCC)」の
"neural correlate"っていったいなによ、ってこと。
これはconsciousnessの問題ではなくて、
表象とencoding/decodingの問題なんだと思う。
こっから片付けていこう。
--------
こういうことを、神経生理学者が言って、
それを神経生理学の実験として落とし込むところこそがチャレンジ。
「言うだけなら誰でもできるさ」とまでは言わないけど、
こっから先にこそ意味があると思ってるし、
それがこっから10年先の俺の仕事だと思ってんの。
(<-宣言しちゃったYO!)
2008年12月25日
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■ Alva Noeのfilling-inと入不二氏の「クオリアの不在」
ラボの大掃除をしてたら、昔書いたメモ書きが出てきたので写し取ってみます。
Logicには時間がない。
Recurrentなネットワークは常に時間的遅れを持って自己言及するため、そのlogicはトートロジーではない。
常にメタの立場になるような形で、自己言及する。
(これこそが「オートポイエティック」--そのつどメタを作り出す。)
つまり、時間性とはメタになりつづける性質のことである。
(「進化」についてもコメントできる。)
たぶん2001年くらい、qualia-MLで活動してた頃のものでしょうか。ベイトソンから始まってオートポイエシスを発見した頃のことだと思います。「Logicには時間がない。」ってのはベイトソンの「精神と自然」のフレーズです。(以前作った要約が20000819にあります。)
あともひとつ。こちらはもうすこし長いです。あちこちから矢印が延びてわかりにくいので、(A),(B)などで繋がりを表記しときます。
![]()
Edgeのqualiaというものはない。(A)
Edgeからfilling-inされたところにのみ、qualiaができる。(図左)
逆に、そのqualiaから仮想的なedgeを我々は見る。(図右) (B)
ゆえに我々はpureなedgeに対するqualiaを持たない。
Pureな線、点というものをqualiaとして持ちえない。(C)
このことは、qualiaがedge detectionではなくて、それによるfilling-inのレベルにneural correlateを持っていることを示している。
これは視覚では当てはまるが、聴覚では当てはまらない。他のmodalityと共有できる原理が必要。
(->空間のfilling-inと時間のfilling-inとを考える。)
Visualは空間を埋めるqualia。Auditoryは? Somatosensoryは? (D)
そもそもfilling-inはなにかを「表象」しているか? <--> qualiaはある。(E)
Edgeは「表象」している。<--> qualiaなし。(F)
((E)と(F)のあいだに)ここにねじれ、相互隠蔽の構造がある。
->表象とqualiaは互いを隠し合う。
((A)と(C)は)Abduction的にlogicがcircularになっている。橋本治的に、問題がcircularなときには答えもcircularであるべき。(->これは脱構築なのか?) 入不二(表象とqualia)とかも同じか?
(B) 色のクオリアは「面」でのみ有効であるということ? (->色だけではない。)
(C) これはプラトン的世界。経験からは離れている。
((D)と(E)は)ここには循環がある。
こちらはいろいろ考えてみたんだけど、けっきょくのところ、Alva Noeのfilling-inのBBS(PDF)と入不二基義氏の「クオリアの不在」とをつなげて考えてた、ということが書いているうちにわかってきた、というメモです。たぶんこれも2001-2003年あたりでしょう。
以前はこういうことが夜寝る前にいきなり浮かんできて、周りの紙にものすごい勢いで書きつづったりしたものなのですけど、さいきんはもっと実務的なことに頭が行きがちです。(あとでラボに行って、こういう解析をしてみよう、とか。) こうやって考えつづけてきたことと、今やっているempiricalなアプローチとがいつかconvergeすればよいと思っているのですけど。
そういう意味では、「qualiaがedge detectionではなくて、それによるfilling-inのレベルにneural correlateを持っている」、これは有効なアイデアだと思ってます。Kochを含めて、現在NCC (neural correlate of consciousness)をやっている人たちが言うようなNCCは、見ているレベルが違うんではないか、というのがおぼろげながらイメージとしてはあって、まだそれを完全に言語化できないでいるんです。
だから、「edge detectionのレベルでのneural correlate」と「filling-inのレベルでのneural correlate」との関係というのが、一つの入り口にできるのではないかと。後者では、表象として取り扱えないようなものを見ようとしているので、このまま後者のneural correlateを見つけたところで、それはたぶんこれまでのNCCと変わりはない。でももしかしたら、前者と後者の関係の関係には意味があるかもしれない。前者と後者の関係を、まさに上記の「相互隠蔽をするような構造」として捉えられるように問題を取り扱うことができたら、それがわたしがいまここで捉えようとしていることを達成できたことになると思う。
2008年10月16日
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■ JNS論文「線条皮質の損傷は慎重な意思決定およびサッカードの制御に影響を及ぼす」が出ました
生理研で進めていたプロジェクトから最初の論文がやっと出ました。
Yoshida M. et.al., "Striate Cortical Lesions Affect Deliberate Decision and Control of Saccade: Implication for Blindsight" The Journal of Neuroscience, October 15, 2008 28(42):10517-10530
要はV1 lesionによって、サッカードの軌道は真っ直ぐになるし、サッカードの応答潜時は早くなる、だからV1 lesionによってvisionだけではなくてsaccade controlやdecisionまで影響を受けるのだ、という話です。
内部モデルとかdiffusion modelとかいろんなこと言ってます。いろいろコントロールデータも取ってます。本編のfigureが11個でsupplementaryにさらに7個。論文3本分のデータをつっこんであります。そのままだと一つの論文には一つのテーマという一般ルールから外れますんで、それらを全部合わせて、「visionだけでなくそれ以降のprocessing (decision makingやmotor control) も変わる」という一つのストーリーにしました。
いろいろ書いてありますが、わたしがいちばん言いたいことは、「V1 lesion後のvisionはnormal visionでのnear-threshold条件とは違う」ということでして、そのためのサッカードの解析です。その意味ではこの論文もblindsightの研究です。
苦節5年でここまで来ましたが、これはあくまで実験系の確立と基礎的データの記述を行った論文でして、本丸はこれまで学会などで発表してきた電気生理です。こちらにもどうかご期待を。
要旨は以下の通り:
Monkeys with unilateral lesions of the primary visual cortex (V1) can make saccades to visual stimuli in their contralateral ("affected") hemifield, but their sensitivity to luminance contrast is reduced. We examined whether the effects of V1 lesions were restricted to vision or included later stages of visual– oculomotor processing. Monkeys with unilateral V1 lesions were tested with a visually guided saccade task with stimuli in various spatial positions and of various luminance contrasts. Saccades to the stimuli in the affected hemifield were compared with those to the near-threshold stimuli in the normal hemifield so that the performances of localization were similar. Scatter in the end points of saccades to the affected hemifield was much larger than that of saccades to the near-threshold stimuli in the normal hemifield. Additional analysis revealed that this was because the initial directional error was not as sufficiently compensated as it was in the normal hemifield. The distribution of saccadic reaction times in the affected hemifield tended to be narrow. We modeled the distribution of saccadic reaction times by a modified diffusion model and obtained evidence that the decision threshold for initiation of saccades to the affected hemifield was lower than that for saccades to the normal hemifield. These results suggest that the geniculostriate pathway is crucial for on-line compensatory mechanisms of saccadic control and for decision processes. We propose that these results reflect deficits in deliberate control of visual–oculomotor processing after V1 lesions, which may parallel loss of visual awareness in human blindsight patients.
記者会見もやってきました。GFPの下村教授のノーベル化学賞受賞の次の日でしたが、記者の方には集まっていただけました。
昨年10月から小泉周さんが生理研の広報展開推進室の准教授に就任して積極的に広報活動を行ってくださっています。EurekAlertにも出してもらいました。同じ内容がPhysOrg.comにも。生理研のサイトのプレスリリースにも出ました。
さてさてさっさと次へ行きますので。
# knh
おめでとうございます。私もがんばります。
# pooneilどうもありがとうございます。nhkさん、改名した?
# knh頻繁に変異しますが気にしないで下さい。
# vikingおめでとうございます。ご自身でreviewはなさらないんでしょうか?(期待感に満ちた目)
# pooneilども。しない予定です。
2008年09月20日
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■ James DiCarloのuntangled representation space
こないだの神経科学大会のときに招かれたJames DiCarloが生理研にやってきてトークをしました。私もラボツアーに入れてもらって、宮下研時代の仕事についての話をしたり、いまの自分の仕事を説明したり。(hit-missでeye positionに差がないかチェックしたほうがよいと言われた。)
James DiCarloは以前はJohn MaunsellのところにいてIT neuronの反応選択性とeye movementの関係についての一連の仕事をしてきました。
- DiCarlo JJ, Maunsell JH. "Anterior inferotemporal neurons of monkeys engaged in object recognition can be highly sensitive to object retinal position." J Neurophysiol. 2003 Jun;89(6):3264-78.
- DiCarlo JJ, Maunsell JH. "Form representation in monkey inferotemporal cortex is virtually unaltered by free viewing." Nat Neurosci. 2000 Aug;3(8):814-21.
要はIT neuronの反応のinvarianceの形成(ニューロンの反応が、たとえば顔の向きや網膜上の位置やなどに依らずに一定の関係を持っている)に興味があったのだと思いますが、いまいち地味な仕事だと思ってました。
そのあとMITで独立してからは
- Hung CP, Kreiman G, Poggio T, DiCarlo JJ. "Fast readout of object identity from macaque inferior temporal cortex." Science. 2005 Nov 4;310(5749):863-6.
- Cox DD, Meier P, Oertelt N, DiCarlo JJ. "Breaking' position-invariant object recognition." Nat Neurosci. 2005 Sep;8(9):1145-7.
- DiCarlo JJ, Cox DD. "Untangling invariant object recognition." Trends Cogn Sci. 2007 Aug;11(8):333-41.
といったinvariant representationとdecodingに特化した仕事を進めていて、今回はそのへんの話をしてました。
いつもどおり論文を印刷して、それを広げながらセミナーを聞いて、あれこれ質問してみたり。
まず、Science 2005では、ITからMUAを記録して、複数のサイトからの活動を使ってobject刺激のclassifierを作ってやる。SVMを使ってるらしい。原理的には判別分析だから、ある刺激Aが出てるのか、それ以外なのかを判別するということをしているはず。(n個の刺激からひとつの刺激を選ぶidentificationのときにはどうしているのか、n個のclassifierを使っているのか、論文を読めばいいんだけど不明。)
いったんclassifilerを作ったあとで、刺激の位置を変えたり、大きさを変えたりして、同じclassifierの性能を調べてみるとそんなに悪くならない。という話。
ここで判別分析を使っているということから、IT neuronのrepresentationが刺激空間において線形的な構造をしていて、position invarianceなどを達成している、という作業仮説が入っているわけです。
つまり、ITとかでは発火パターンは図の1)のようになっていて、positionの違いによってface Aとface Bのfiring rateが交差したりしない(図の2)のように)、というわけです。Invarianceといってもfiring rateがまったく変わらないという意味ではなくて交差しなければよいというわけですね。(ここでは1個のニューロンからの記録を使った説明になっていますが、原理的には多点記録して次元が増えても同じです。)
いっぽうで、V1とかでのrepresentationの空間はlocalなedgeによるからstimulus positionとかにものすごい影響を受けて、face Aでの発火とface Bでの発火とは交差しまくってるわけです。
だから、V1からITまで顔表象の処理が進んでいくあいだに起こっていることはそのようなfiring rateによる空間をdisentangleすることだ、というわけです。このへんがTICSに書いてあることだと思われ。印刷して図を見ただけなんで詳しいこと知ってる方は助けてください。
それではほんとうにそのようなinvarianceを積極的に作るようなメカニズムがあるのかどうかを検証するために、経験の影響を見る実験を作ったのがNature Neuroscience 2005。Position invarianceを短期的にひっくり返してやるために、図形Aと図形Bのどちらかが右か左に提示されて、それに向けてサッカードする。左に提示したときだけ、サッカード中に図形をswapする。つまり、図形Aを提示してたのにサッカードが終了すると図形Bになってる。Saccadic suppressionが効くから、このswapに被験者(ヒト)は気づかない。
それでここからがunpublished dataだけれども、nhpでニューロンを記録して同じことをやってやる。図を再利用すると、ITニューロンの応答は左視野(横軸の左側)に提示しようが右視野に提示しようが、face Aのときに強い(図の1)。そこで左サッカードの時だけ図形のswapをする。すると直後は図の2)のようにfiring rateは交差する。しかし、しばらくトレーニングを続けていると、また図の1)のように新しい関係の上で交差しないような発火になる、という話。これは強烈。Nature行ったっしょ(こればっかり)。
ポイントとしてはrewardには依らないこと。だからunsupervisedで経験に従ってlearningが起こるわけです。銅谷先生の大脳皮質の学習則の話ともconsistent。わたしはawarenessの有無は寄与しないのかを質問したんですが、上記のNature neuroscience 2005をreferして、すくなくともヒトではawarenessは無かった、って答えてました。
だいたい以上がセミナーでの話です。私が興味あるのは、このuntanglingということとKochのいうようなexplicitなrepresentationとsparse codingとの関係です。KochがNCCはexplicitなcodingをしている、つまりおばあさん細胞的なcodingをしているであろうと書くときにわたしはどうにも素朴なアイデアだなあと思ってました。もっとfiring rate以外も入れた複雑なcodingがありうるし、そういうものを積極的に排除する必然性に欠けていると思っていたからです。
しかし、今回のdisentanglingの話のように、ITのような複雑な視覚刺激を表象するところで、そのclassificationの性能(=decodingの性能)を上げるために、そのようなexplicitな(線形分離可能な)表現が使われているのだとしたら、そこには合目的性があります。(あくまでも意識そのものと直結する話ではないのだけれど。)
また、ここでのdisentanglingというのはけっきょくのところ表象空間での重なりを低減するということですから、個々のobjectの表象の独立性を上げる、つまりsparse codingをするように処理が進む、ということです。大脳皮質のニューロンでの情報処理がそのような独立性を上げることに寄与しているんだという話はHorace BarlowからBruno Olshausen (Nature 1996: 自然視覚情報のICAでできたbasis functionがgabor-patch, simple-cell-likeになる)の流れで言われてきたことでして、これがITでの複雑な視覚objectについても当てはまるということになると、そのようなexplicitなcodingというのにはやはり意味があるのかもしれません。
また、この話はまえにLogothetisのbinocular rivalryの話題をしたときに私が言ったこと(20071213などawareness関連のスレッド)と関連しそうです。つまり、ITニューロンでは90%がawarenessがあるときに反応が大きくなる。一方でV4などでは反応が大きくなるものと小さくなるものとが半々だった。だから、ITニューロンは処理の結果としてのrepresentされているまさにcontentを、V4ニューロンは処理の途中、いわばprocessを反映していると言えるのではないか、と書いたわけですが、今回の話と繋げてみれば、awarenessに上っていくようなかたちでdecode=read-outされる対象となるようなニューロン活動はsparseかつexplicitな表象をしている、というふうに言えるんではないだろうか、と思ったのです。ITニューロンのrepresentationとdecodingの問題をどうawarenessと結びつけることができるか、という問題意識です。
また論文を精読せずに書いてしまった。手癖だけでギター弾くみたいな、これはあまりよろしくない状況なのだけれど。
ではまた(唐突に)。
# コラムが好き
どうも初めまして。いつも勉強させて頂いてます。という話はどうでもいいのですが、DiCarloのunpublishの話というのは最近Scienceに出たUnsupervised natural experience rapidly alters invariant object representation in visual cortex.とは違うのでしょうか?この論文もnhpの話で、ひとの心理物理と違うのは上下に刺激を出している点だったと思います。で、それも刺激選択性が完全に変化するのを示したのはマルチユニットデータのみという話。まぁ、マルチでもいいのかもしれませんが・・・・
それから、この話と直結しているのは、Dicarloが2007年のJNSにTrade-off between object selectivity and tolerance in monkey inferotemporal cortex.という論文を出しています。そこで、刺激選択性がsparseなneuronはinvarianceな性質(position,size,contrastなど)が低いということを示しています。
でexplicitな表象という話ではsheinbergの所から2007年のJNSにActivity of inferior temporal cortical neurons・・・・という論文と関連していると思うのですが、人のコメント欄で延々書き続けても申し訳ないので、これくらいで。
どうもありがとうございます。そうです、そのScience論文です。
このエントリ、じつは7月にDiCarloが来たときに書いておいたものだったのですが、公開するのを後回しにしているうちに出版されてしまったようです。しかも出版されたのを見逃しているし。
>>人のコメント欄で延々書き続けても申し訳ないので
ということはけっしてないので、ぜひもっと書いてください。いろいろ読んでおかないといけない論文があるのですが、ぜんぜん手が回っていないので、この話題を続けてくださるとたいへんありがたいです。
もし長文になるようでしたら私宛てでメールで送っていただければ、それを掲載しますので。たとえばこれまでの例として、ハーバードの内田さんが寄稿してくださった
http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/000688.php
とか東大の池谷君が寄稿してくださった
http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/000487.php
などがあります。ぜひぜひ。
あと、コメントの重複分は削除しておきましたので。
SVMは非線形のデータの識別もできますよ。特徴ベクトルを非線形関数で変換した後、線形の識別を行います(カーネルトリック)。そしてその性能が高いことがSVMが広く用いられているゆえんです。DiCarloの論文は読んでませんが。
# コラムが好き 確かに中途半端なところで止めてしまってすいません。Pooneilさん、ありがとうございます。それではお言葉に甘えて続けさせていただきます。
稚拙な文章で、良く分からないと思うのでガツンガツン指摘して下さい。
先ほど挙げたSheinbergの論文はLogothetisとPNASに出したbinocular rivalryと関連しています。あの論文は、見たという認識をした時には高い神経活動を示すことから、ITは視覚による物体認識の中心部位ということを見事に示しました(すいません、ここはわざと歯切れの悪い言い方をしています)。ただし、binocular rivalryという通常ならば経験し得ないような実験状況下の話だったので、もう少し自然状況下?に置くことで、どうなるかを問題にしています。
タスクは、刺激画面に3つの刺激が出てきます。そのうちの1つがターゲット刺激で、あと2つがdistractorです。そしてターゲット刺激にsaccadeしてレバー押しするタスクです。ターゲット刺激は右レバーを押すものと左レバーを押すものとをトレーニングをして覚えさせます。また、distractorもトレーニング時に呈示しています。
タスクは2つあります。分かりにくいので具体例を示します。タスク1は右レバーを押すターゲット刺激に対して選択性を示すITのニューロンがあるとします。そこで、画面には選択性を示した刺激が1つとdistractorが2つ呈示されます。そして、saccadeをして右レバーを押せば正解として報酬がもらえます。タスク2では、刺激呈示は同じですが、saccadeしている間にターゲット刺激は左レバーを押すと学習させた刺激にswapします(swap後に呈示される刺激には選択性を示さないことを事前に確認しています)。そして、レバーを押すのですが、この時には右でも左でもどちらでも正解になります。
そこでタスク2に関してですが、saccade onset前後200msのニューロンの活動を比較するとswap前の刺激と判断した時には、神経細胞は高い活動を示します。これをchoice probabilityで見てみると、非常に高いCPを示していました。
また、レバー押しのreaction timeを見ている限りでは、reaction timeが速いほどswap前の刺激と連合したレバーを押しています。一方、reaction timeが遅いとswap後の刺激と連合したレバーを押しています。このことから、筆者らはswap前の刺激を明確に認識しているからreaction timeが短く、認識していない時にはswap後の刺激を見ているからreaction timeが長いと解釈しています。まぁ、多分そうなのでしょう・・・。
長々と続けましたが、この論文のミソは、刺激を明確に認識している時にはITの神経細胞は高い活動を示すが、そうでなければ高い活動は見られないというものです。
ただし、解析しているのがsaccade onset 200ms 前後が妥当なのかとか問題は、いろいろあると思います。正直、saccade前に物体認識はしているはずで、むしろsaccade onset前の100msもしくは200msの解析をすべきではとも思います。その数字は、あまり考えた数字ではないのですが・・・。
いや、この論文苦労のあとが見られるし、個人的には好きなのですが、果たして、どこまで妥当性のある議論が出来るのか私では判別つきかねます。単なる論文紹介になってて申し訳ないです。
それで、もう少しだけ続けます。話がそれてしまっている気がしますが、気になっているのが、2006年のJNSに出ていたSuzuki, Matsumoto, TanakaのNeuronal responses to object images in the macaque inferotemporal cortex at different stimulus discrimination levelsという論文で、タスクの難しさが変化してもITの刺激選択性や応答が変化しないという論文です(もう少し詳しく書くと、基本的にはsample-to-match taskで2つタスクがあります。一つはfine & coarseのdiscrimination taskで2つめのタスクではsampl-to-matchの規則が変化します)。ただ、Koida , Komatsuの2007年のNature neuroscienceの論文では色刺激のdiscriminationとcategorization taskでITの神経細胞の活動が異なるという結果もあります。つまり、前者の論文では結局ITでrepresentされているものは単純に刺激の形ということになると思います。Task demandに変化するわけではないのだから、ITの神経活動を読みだして、taskに利用しているのは、その下流(Prefrontal cortex?)ということになるはずです。必ずしもITでは”awarenessに上っていくようなかたちでdecode=read-outされる対象となるようなニューロン活動はsparseかつexplicitな表象をしている”とは言えないと思います。しかし、後者の論文やbinocular rivalry、先に挙げたsheinberg論文の話を考えるとは矛盾しているように思えます。
自分で書いていて、pooneilさんの書かれていることや論文をちゃんと理解せずに書いているのでおかしなことを言っている部分もありますがご容赦の程をお願いします。
- Title: 桁違いの精度が必要
- Excerpt: いずれにせよ、そういう話も、科学の現状では、たぶんそうであるらしい、というくらい
2008年08月16日
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■ 意識と信頼度 (Awareness and confidence)
わたしの仕事はawarenessとperceptual decisionとの関係がツボのひとつです。つまり、awarenessのことをきっちり扱おうとすると必ずやperceptual decisionとの関係を考えざるを得ません。
そういうなかで最近出た
Nature Neuroscience - 10, 257 - 261 (2007) "Post-decision wagering objectively measures awareness" Navindra Persaud, Peter McLeod and Alan Cowey
はawarenessの有無の評価としてSDTで使われるようなconfidence ratingに代わる方法として、お金を賭けてもらう、という単純な方法がうまくいくことを示した論文でした。
わたしはちょっと単純に過ぎるんではないかと思いましたし、ある種confidence ratingの簡便法ということかな、という理解でした。(GYさんのコメントでは、confidence ratingをやるのはたいへんだけど、bettingをするのは簡単だし、楽しい、とのこと)
しかし、Kochの紹介記事("Betting the house on consciousness")では、confidence ratingだとawarenessのcontentそのものへのアクセスによってcontentそのものを変えてしまうのではないか(明示的には言ってないけどattentionの影響とか)、それと比べると優れている、というようないい方をしていて、もうすこし読んでみようかと考えておりました。
しばらくするとTICSに
Volume 12, Issue 2, February 2008, Pages 54-58 "Getting technical about awareness" Colin W.G. Clifford, Ehsan Arabzadeh and Justin A. Harris
が出てきて、decision criteriaとの関係の議論が出てきたり、Anil K. Sethとのあいだでいろいろやりとりが始まったり:
Consciousness and Cognition Volume 17, Issue 3, September 2008, Pages 981-983 "Post-decision wagering measures metacognitive content, not sensory consciousness" Anil K. Seth
Consciousness and Cognition Volume 17, Issue 3, September 2008, Pages 984-985 "Experiments show what post-decision wagering measures" Navindra Persaud, Peter McLeod and Alan Cowey
Consciousness and Cognition Volume 17, Issue 3, September 2008, Pages 986-988 "Theories and measures of consciousness develop together" Anil K. Seth
Sethはhigher-order thought theoryとかそっちのひとですね。このへんのネタを仕込んでHakwan Lauと議論しとこう。
このへんを一度まとめておこうかと思ったのですが、事態がどんどん進んでいてフォローできない。
ともあれ、SDT的にアプローチしてこの問題を明確にしておく必要があるのではないかと思います。ここでいうSDT的というのはSDTをよりrealisticにしたうえでのことですけど。(Criteriaにもjitterを考慮する、reaction timeを組み込む、分布にgaussianを仮定しない、historyのeffectを考慮するなど。)
現時点で私として言えるのは、
* awarenessのneural correlateについてモデルベースで考えようとすると、perceptual decisionの枠組みに入り込む。
* awarenessのneural correlateはdecisionの結果よりは上流にあるべきで、sensory stimulusそのもの(retinaのレベル)よりは下流にあるべき。
* よって、awarenessのneural correlateは、perceptual decisionの枠組みでは、decisionのevidenceのレベルにある。
というかんじになります。
Post-decision wageringの話に戻しますと、論文の結論は、awarenessがないときは賭けによるgainをoptimizeできない、というものでした。よって、heuristicとして、そのdecisionは最適行動なのかという方向から考えることができます。このへんがわたしがやっていること。
今回はこのへんまでで。
ちなみにこのへんで二つくらいセミナーのネタが作れますね。たとえばこんな感じ:
Awarenessとconfidenceとの関係:
Consciousness and Cognition Volume 10, Issue 3 , September 2001, Pages 294-340 "Confidence and Accuracy of Near-Threshold Discrimination Responses" Craig Kunimoto, Jeff Miller and Harold Pashler
Nature Neuroscience - 10, 257 - 261 (2007) "Post-decision wagering objectively measures awareness" Navindra Persaud, Peter McLeod and Alan Cowey
Volume 12, Issue 2, February 2008, Pages 54-58 "Getting technical about awareness" Colin W.G. Clifford, Ehsan Arabzadeh and Justin A. Harris
動物でどうやってconfidence ratingをさせるか:
"Rhesus monkeys know when they remember" PNAS | April 24, 2001 | vol. 98 | no. 9 | 5359-5362
Confidence judgments by humans and rhesus monkeys. J Gen Psychol. 2005 Apr;132(2):165-86
Confidence judgments by rhesus macaques on a serial memory task(PDF)
Nature 2008 "Neural correlates, computation and behavioural impact of decision confidence" Adam Kepecs, Naoshige Uchida, Hatim Zariwala and Zachary F. Mainen
後者の方がやってて面白そう。
ではまた。
2008年01月15日
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■ 明日は土谷さんのセミナー
あしたはカルテクの土谷尚嗣さんが岡崎にやってきてセミナーをしてくださいます。生理研でのアナウンス。
土谷さんはこのブログにも何度か書き込みをしてくださっています。カリフォルニア工科大学のChristof Kochのところで注意と意識の関係に関する心理物理学的実験を行い、現在はカリフォルニア工科大学のRalph Adolphsのところでawake craniotomyでの硬膜下電極による側頭葉からの神経活動記録を行っています。今回は後者に関する講演をしていただきます。セミナーへの多くの方の参加をお待ちしています。
前者の注意と意識に関する話の参考文献はこの二つ:
Trends in Cognitive Sciences Volume 11, Issue 1, January 2007, Pages 16-22 "Attention and consciousness: two distinct brain processes" Christof Koch and Naotsugu Tsuchiya
Nature Neuroscience 8, 1096 - 1101 (2005) Published online: 3 July 2005; | doi:10.1038/nn1500 "Continuous flash suppression reduces negative afterimages" Naotsugu Tsuchiya & Christof Koch
ちなみにググっていたらTICSのセミナー用レジメを発見しました。参考までに。
後者のawake craniotomyに関しましてはSFN2007で発表したての新データでして、表面電極によるventral visual cortexからの記録の話です。
土谷さんがRalph Adolphsと一緒に書いたレビューがあります。これはemotionとconsciousnessについて、というもの:
Trends in Cognitive Sciences, Volume 11, Issue 4, April 2007, Pages 158-167 doi:10.1016/j.tics.2007.01.005 "Emotion and consciousness" Naotsugu Tsuchiya and Ralph Adolphs
こちらはconsiousnessのcontentだけでなくlevelの議論もしています。ま、これから読みます。
ちなみにRalph Adolphsはもともとダマジオと一緒に仕事をしていた人でして、扁桃体損傷の患者さんの研究で有名です。たとえば、
Adolphs R, Tranel D, Damasio H, Damasio A. "Impaired recognition of emotion in facial expressions following bilateral damage to the human amygdala."(pdf) Nature. 1994 Dec 15;372(6507):669-72.
Adolphs R, Gosselin F, Buchanan TW, Tranel D, Schyns P, Damasio AR. "A mechanism for impaired fear recognition after amygdala damage." Nature. 2005 Jan 6;433(7021):68-72.
など。扁桃体の活動に関してはDolanの仕事などとも併せて、どちらかというと無意識に関する場所なのかなあと考えていました。
Ralph Adolphsの仕事でも
Nature Neuroscience 8, 860 - 861 (2005) "Preferring one taste over another without recognizing either"
これなんかはそういう側面を強調しているように見えます。
先月富山大に出張に行ったときに西条先生たちとお酒を飲む機会があって、扁桃体は意識と関連するのか、無意識と関連するのか、みたいな議論になりました。
このへんについても興味があります。
# 土谷
吉田さん、及び関係者の方々、
今日は体調不良(下痢と発熱によりフラフラ)のためトークをキャンセルさせて頂きました。すいません。病院で検査を受けた結果、インフルエンザではなく、恐らくウィルス性の腸炎だということです。ただ、友達の看護婦によると、症状がノロウィルスのそれに酷似しているので、感染させないように気をつけるべし、とのことです。
今は、点滴とクスリのお陰でだいぶ回復しました。
1/30までは日本にいるので、アミグダラの話しとてんかん患者でのintracranial recordingの話し、させてもらえると、嬉しいんですが、日程的にどうなるか分かりません。またメールしますね。
# pooneilどうもどうも、昨日は残念でしたね。まずはよく休んでください。もしよければ来週末あたりにでもトークをしていただけたらありがたいと思います。まずは完治してからということで。
2007年12月13日
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■ MarrのVisionの最初と最後だけを読む
以下のエントリ、またもや下書き状態で放置してたんですが公開します。自分としては超力作なんですが、これを読むと私が「ビジョン」を読んでないことがばれるという次第でして。
このあいだのエントリで、MarrのVisionがうんぬんとか言ってるのは、ASCONE2007で岡田真人さんが講義でMarrの話をしてたのの受け売りでして。ちょうどその次の日の自分の講義でなんとか話を繋げられないかなと考えていたのでした。わたしの講義の方は「視覚的気づき」(visual awareness)というものをどう実験に落とし込んだらいいのか、detection taskでいいのか、というのがひとつのハイライトだったのです。そういうわけで、generalなまとめとしては、
- ある認知的概念(今回は「気づき」)の操作的定義の作成とそのrefinement。
- 実験による検証、とくにメカニズム的説明の作成、他の認知機能との関係の発見をつうじて。
というこのふたつがお互いに影響し合ってrefineしつづけてゆく、というもの(左図)を作っていたのですが、その講義の前日に、岡田真人さんがMarrの話をしてくださって、これがとても印象深かった。三つのレベルの議論をなんとか上記のスキームと繋げて話せないかなと思ってあがいたのですが、だめでした。ざっくりと、上記の1)と2)を回すことが、ある認知概念を計算論のレベルで記述するのに役立つのでは、なんて書いて終わったのです。
というわけで訳書を見直してみました。じつはギブソンへの言及もあったりして驚かされる。(*注1)(*注2)
んで、p.21-26のrepresentationとprocess、というところにピンと来て、p.362の図6-1に釘付けになった、てのが今回のお話。ちょっとベイトソンを思い出したり。
もともと[計算理論のレベル]-[アルゴリズムのレベル]-[ハードウェアによる実現のレベル]という三つのレベルの議論(下図)というのは、「ある情報処理装置を完全に理解したと言うためにはこの三つの水準を理解しなければならない」という文脈で出てきたわけです。(*注3)
それで、それぞれのレベルでrepresentationとprocessの組み合わせがある、という話をしているのですね。これは知らなかった。超重要。つまり、3x2で考えているのです。それがp.362の図6-1。
Representationとはなにか。Representationとはある実体(entity)もしくは情報を明示的にする形式系(formal system)のこと。なにかべつのものを写し取っているわけです。ここでは数というentityをrepresentする系としてアラビア数字の系やローマ数字の系がある、という例を挙げています。つまり、同じことをrepresentするのにいくつかべつの系を使うことが可能であるということ。
Processとはなにか。Processとはそのようなrepresentationを入力としてそれを変換したrepresentationを生成すること、だと思うんだけどあんま明示的に書いてない。例としては足し算を挙げてます。3+4=7というのはつまり、足し算(+)というprocessが(3,4)という数の対を7へ写像している、ということなのですね。この場合だったら入力と出力は同じ数というrepresentationを使っているけれど、フーリエ変換というprocessの場合だと時間ドメインから周波数ドメインへrepresentationが変わってる。
あるprocessを行うには[それの入出力となるrepresentation]と[その変換を実現するアルゴリズム]とが決まらないといけない。よって、process-representationが対等なレベルになってないし、アルゴリズムが出てきてややこしくなってきているのですが。
ともあれ、representationとprocessの関係に関するポイントは、1)上記の通り、representation自体はいくつか選択の余地がある。2)processを実現するアルゴリズムは採用されたrepresentationに依存する。3)あるrepresentationに対して同一のprocessを実現するアルゴリズムは複数ありうる、となります。
じつはこのprocessの項はいつのまにか三つのレベルの話に移行していて、非常にわかりにくい。ほんとうはrepresentationとprocessとの関係を示したあとで、三つのレベルの話に移行すればよいと思うのだけれど。
ともあれ、キャッシュ・レジスタの例を使って三つのレベルの議論を導入しています。[キャッシュ・レジスタがなにをしているのか、なぜそうするのか](what and why)、これがいちばん抽象的な、計算論のレベルです。何をしているか、足し算をしているわけです。なぜそうするのか、買い物の合計支払金額を決めるためです。これが拘束条件となって、行われている演算が決まる。これが計算論のレベル。
このようにしてprocessが決定する。次のレベルでは[どのようにしてそれをするのか](how)を決めます。これがアルゴリズムのレベル。上記の通り、あるprocessを行うには[それの入出力となるrepresentation]と[その変換を実現するアルゴリズム]とが決まらないといけない。たとえばキャッシュ・レジスタでは、アラビア数字をrepresentationとして使って、一の位から足し算して繰り上がった分を十の位に加える、というアルゴリズムを採用している。
このようにして採用されたアルゴリズムをどう物理的に実現するかが、ハードウェアのレベル。同じアルゴリズムを実現するにも複数のハードウェアで可能。たとえばキャッシュ・レジスタでは電子回路によって実現されるが、人間が足し算をするときは脳によって実現される。逆に、実行されるハードウェアの制限によってアルゴリズムの選択は影響を受ける。(電子回路だったら2進法での足し算をするけど、人間だったら10進法を使うとか。)
うーむ、だんだん3x2でなくなってきた。気を取り直して。計算論のレベルでは、どういうprocessを行うかが決定される。アルゴリズムのレベルではそのprocessがどういったrepresentationとアルゴリズムによって行われるかが決定される。ハードウェアのレベルではそのrepresentationとアルゴリズムがどのように物理的に実現されるかが決定される。
さて、そのような三つのレベルはどうやって明らかに出来るか、視覚の問題について書きます。(本文はこんな構成をしていないのでかなりパラフレーズ。)
ハードウェアのレベルは解剖学や細胞レベルの生理学によって明らかにできる。神経生理学はどういうrepresentationが使用されているか、どういうアルゴリズムが使われているか、について明らかにするのにも役立つ。ただ、Marrは実現すべきprocessが明らかになるまでは神経生理学の知見からrepresentationやアルゴリズムについて推論するには十分な注意が必要だと言っている。
アルゴリズムのレベルは心理物理学によって明らかに出来る。たとえば、ある視覚的問題を解くアルゴリズムのうちどちらを使用しているかとか、どういう座標系(representation)でその視覚的問題が解かれているか、とか。
計算論のレベルはどうか、というと明確には書いてないけど、たとえば、RGCやLGNのニューロンの受容野はなぜあんな形(メキシカンハット型)をしているか。これを明らかにするには、ニューロンの記録や結合様式の解明だけではダメで、この受容野の形がある種のフィルタ(ラプラシアン)として働いていることを理解しなくてはいけない、ということになります。
Marrにとっての視覚とは「外界の画像から、不適切な情報によって乱されない、観察者にとって有用な記述を作り出すprocessである」ということになります。計算論のレベルで行っているprocessを明らかにすべし、というMarrの考えが反映しているわけです。じつはここで、計算論のレベルに一番近いことをやっていた人としてギブソンが挙げられるのです。ただし、ここでとりあげられるのは変化する環境から不変項を抽出するという側面であり、以前(20061004)も書きましたが、計算論的ニュアンスのあるほうなのです。そして、その面においてはツッコミが甘いと指摘し、不変項の検出は情報処理の問題として扱うしかない、とそういう話になるのです。
だいたいこのくらいで。けっきょく、このような視覚を記述するにあたって、問題を分割するために、画像、原始スケッチ、2+1/2次元スケッチ、3次元モデルによるrepresentation、という話になるのですが、すべて読み飛ばして(エー)、図6-1へ。これは3x2なんです。
かなりわたしの解釈を入れて改変した図を作りました。本物の図6-1とはべつものなのでご注意を。あと、じっさいにはrepresentationの問題とprocessの問題とは繋がっているから、右端と左端は繋がります。2次元での表現ということで多少簡略化。
これがいきなりprocessとrepresentationのduality、と言ってる。(*注4) さあここにわたしが探していた答えがあった。もうここは全訳で。
「Processとrepresentationの解明のどちらにおいても、一般性のある問題設定は、日常の経験や心理物理的もしくは神経生理学的な知見のうちごく一般性のあるものによって示唆されているものである。そういった一般性のある知見が特定のprocessやrepresentationの理論を定式化する。そのような理論のうちあるものは詳細な心理物理学的テストが組まれて実施される。このレベルで特定のprocessやrepresentationの理論について充分正しいという自信が出来たなら、それがどのように実現しているのかを調べることが出来る。ここに最終的かつとても難しい問題である、神経生理と神経解剖学の問題がある。」
自作してみたけどダメでした。原文で。
In the study both of representations and of processes, general problems are often suggested by everyday experience or by psychophysical or even neurophysiological findings of a quite general nature. Such general observations can ofteb kead to the formalation of a particular process or representational theory, specific examples of which can be programmed or subjected to detailed psychophysical testing. Once we have sufficient confidence in the correctness of the process or representation at this level, we can inquire about its detailed implementation, which involves the ultimate and very difficult problems of neurophysiology and neuroanatomy.
というわけで、結論としては意外に私がその場で言ってたことは間違ってなかったみたい。ここでは「日常の体験」みたいに言っているけれども、ある認知的概念を抽出してゆく段階でどういうprocessを行っているかを定式化する、という意味においてはそんなに違ってないみたい(*注6)。そのときわたしが例に挙げたのは「注意」の問題で、注意を(意識に上るものには量的に限界があるという問題から)ある種のリソースを効率的に使う、という計算論的問題に落とし込む、というような話をしました。ただ、これでいいのだろうか、とも思う。とってつけた感がある。心理物理や神経生理がどのようにしてこの計算論的問題に繋がるのか、そのへんがまだこの図ではうまくかけてないように思う。あと、こうしてみるとここでのrepresentationの問題ってなんだろうか、って思う。本編読めばわかるんでしょうか。ともあれ、以前のLogothetisの話のときにもありましたけど、ニューロンのデータから両眼視野闘争の知覚のcontent(=representation)と選択の過程(process)との神経メカニズムがあるのかもしれない、なんて話と繋げられるかもしれません。じつはここに現象的意識が来るんではないか、なんて思うんですけど。すくなくとも知覚のcontentであるとは言えないでしょうか。(一番重要なことを書いてここで終了。)
追記:ここまで書いてからふたたび川人先生の「脳の計算理論」と「脳の仕組み」を読んでみるといろいろなことがわかってきていろいろ書き直したくなるのですが、このまま出しちゃいます。ひとつだけ書いておくと、Marrの理論が視覚だけに閉じていて、行動と結びついた視覚という観点がないという批判は当時からすでにあって、川人先生の双方向理論はそれを乗り越えようという意図を持っていることとか。
追記2:要は今回"Vision"をちょっと読んでみて、「Marrのrepresentationの問題とはなにか」という疑問に行き着きました、というのが今回のエントリで書いてることです。
(*注1) 正直言って、"Vision"は昔買って積んだままでした。白血病になったMarrが本の前書きで「とある理由でこの本を早く書き上げなければならなくなった」と書いたところとか、最後のクリックとの会話とかそういうところしか読んでなくて、数式をほとんどスキップしてるのです。岡田さんも、そのような理由からものすごく書き急いでいて読みにくい、むちゃくちゃ頭いい人だから飛躍して書いているところがある、というふうに話をしてました。そういうつもりで読めばいまなら読めるかも。
(*注2) 同時期にナイサーもギブソンを重要な論敵としていたことからしても、当時はギブソンが認知科学にとってかなりシリアスに受け止められていたことがよくわかります。いまはよくわからん。どちらかというとべつの学問的ドメインみたいになっているように思えるのだけど。スキナリアンみたいに。
(*注3) 血気盛んだったかつてのわたしは「行動するわれわれ有機体は情報処理装置として捉えるだけでは取りこぼすんではないか」とか言ってMarrをきっちり読まなかったりしてたのですが、やっぱりえらい人は深く考えているのです。(とか書くとこんどはそういうオベンキョウ癖止めろ、という言う声が聞こえてきたりしてもうどっちにしたらええねんってニセ関西弁で。)
(*注4) Dualityって数学的には「双対」みたいな概念なので、ここでどのくらい厳密に使っているかはさっぱりわからないのだけど、representationとprocessがある種裏返しの関係にあることを意味しようとしているのだとしたら興奮するところです。図的にはたんにパラレルに走っているようにしか見えないないけど。ちなみに川人先生の「脳の計算理論」でも順モデルと逆モデルの双対性、みたいな表現は出てきます。こちらは明白に意味がある。もし、順モデルがrepresentationで逆モデルがprocessならばそれはdualityとでも言える関係にあるのではないかと思うのです。
(*注5) この文脈だと抜けてしまうけど大切な部分:この三つのレベルは比較的独立しているだろう、それからどのレベルの問題を解こうとしているのか誤らないようにしよう、というのがここで書いてあることです。たとえば、ネッカーキューブの二つの安定した知覚について明らかにしたいならば、神経回路網のレベルで二つの安定した状態があることを示すこと(ふだんは日常言語で「メカニズム的説明」とか言ったりしますが)よりは、ひとつの二次元図形から二つの三次元的解釈が生まれることを説明する必要があるというわけです。ってさっそく後者はどのレベルでしょうか? 計算論のレベルでしょうか。
(*注6) この「日常の体験」を「現象学」とまで言ったら(知らないのに)言い過ぎかもしれませんが、その方がじつは階層構造的には尤もらしいかもしれません。
2007年12月12日
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■ LammeのV1記録からはじまってV1と注意の関係へ。
このあいだのpresentationに関する話などでnhkさんとメールのやりとりをしていたのですが、面白い方向に展開してきましたので許可を得て掲載します。多少編集、加筆してあります。
教えていただきたいのですが、pooneil blogで、Lammeらの一連の仕事のうち、MUAをfilterにかけたDC成分を使ったものは信用できんと書かれていますが、どうして信用できないのかをお教えくださいませんでしょうか。
以下が私からの返信:
いえいえたいした話ではないのですが、single-unitでの記録との比較を問題にしているのです。
まず、同じニューロンをとり続けているかどうかの保証がもてないこと、それからburst発火が起こるとfieldの波形が潰れるのでLammeのMUAの値はsingle-unitのfirng rateとは少なくともlinearには相関していないし、場合によっては単調増加ですらないかも知れません。
というわけでわたしのlammeらの仕事に対する意見は、「MUAで見たことがsingle-unitで確かめられない限り信用することができない」というものです。
たとえば、V1から記録してshort-term memory taskでdelay activityを見つけた(Science)という論文があります。ここで見ていることに対応したsingle-unit activityがあるかどうかは確かめられていないし、たぶんそういうものはないでしょう。なんらかのsubthresholdのactivityを見ているという可能性はありますが。(初期のfigure-groundでのlate responseのmodulationに関しては single-unit, MUA両方の活動を見ているはずですが、 short-term memoryに関してはそれはなかった。)
そういう意味で、Lammeの仕事をsingle-unitの仕事と並べて理解するのはまずいと思っています。Lammeが見ているものはField potentialの動態を見た仕事のほうにたぶん近いのではないでしょうか。その意味では、Field potentialの動態自体は重要で面白いと思っているのですけど。
たぶんlammeのMUAは高次視覚野からのfeedback入力にたいしてよりsensitiveであって、feedbackのシナプス入力みたいなものも寄与しているんだと思います。そういう意味では、Human fMRIでV1のattentional modulationが見られるのにnhpのsingle-unit recordingではV1のattentional modulationが見られる、という問題があって、これはfMRIで見ているものとsingle-unitで見ているものが違うからではないか、という議論があるのですが、それと同じことなんではないかと考えております。
そうしましたらさらにこういう返信をいただきました。
お返事ありがとうございました。Lammeの話、よくわかりました。V1が意識に果たす役割について考えているところで、私的にはこの話が出てきました。
すこし話はとびますが、attentionとawarenessの関係を考えると、話が難しいなと思っています。
Heegerの、traveling waveのV1でのattentionによるgatingの話も、どう解釈するのがよいか。一つの解釈は、pooneil blogにあったとおり、あの場面でのawarenessは、V1の活動と一致しない。従ってV1なしでもawarenessは成り立ち得る(contentsは決まる)という考えだと思います。妥当な解釈だと思いますが、それでいいのかなという思いもあります。
これはawarenessの定義によるのかも知れませんが、attentionが逸らされた視覚刺激のawarenessは低下する、すなわちこの場合はattentionとawarenssが正方向に相関していると考え ると、Heegerの結果の解釈はなんとも言えない。atttentionが逸らされているため、traveling waveのawarenessは弱まっている。それはV1の活動が意識されないためだ、したがってV1の活動はawarenssに重要かも知れない。
V1のawarenessへの関わりの有無を決定付けるような実験ができないものかと考えています(むろん大した考えはありません)。
うーむ、端的に言えば質的な差ではなくて量的な差の問題ではないの?ということですね。いかにしてawarenessと(top-down) attentionを分離するか、という問題でもありますね。その意味ではこれまで何度か言及してきたカルテクのKochと土谷さんの仕事(Nat Neurosci. 2005 Aug;8(8):1096-101. "Continuous flash suppression reduces negative afterimages."およびTrends in Cognitive Sciences Volume 11, Issue 1, January 2007, Pages 16-22 "Attention and consciousness: two distinct brain processes")の意義は重要で、あれの場合、attentionがあるとかえってawarenessが下がってしまうわけです。ゆえにattentionとawarenessが正方向に相関しているとは必ずしも言えない場合がある、このことを示したのがあの論文のいちばんの意義だと思います。これに関しては「量的な差」の議論はしにくいのではないかと思います。
もひとつ追記で、Kentridgeの論文でblindsightの患者さん(G.Y.さん)がawarenessのない光刺激の弁別で、top-down attentionを向けることでその成績が向上する、というのもあります(Kentridge RW, Heywood CA, Weiskrantz L. "Attention without awareness in blindsight."Proc Biol Sci. 1999 Sep 7;266(1430):1805-11)。これなんかもawarenessとtop-down attentionとをdissociateした例と言えるでしょう。わたしの学会発表もありますが、これに関してはまた論文になったら、ということで。
そしたらさらにnhkさんから返信が。
Tsuchiya and Koch (NNS)は、私ももちろん重要論文だと思います。原稿の中の吉田さんのコメント「あれの場合、attentionがあるとかえってawarenessが下がってしまうわけです。」ですが、より正確には、attentionがあるとafterimageが下がってしまう。一方CFSでawarenessを消すとafterimageが下がってしまう。「ゆえにattentionとawarenessが正方向に相関しているとは必ずしも言えない場合がある」と理解していますが、これで正しいでしょうか。
attentionとawarenessが正方向に相関しているとは必ずしも言えない場合があることから、attentionとawarenessは違うメカニズムに基づくという考えはとても面白く、多分正しいと思います。
他方、多くの場合のphychophysiocsの実験では、attentionがdivertされた状態をawarnessがない状態と考えて実験している、つまりattentionとawarenessが正方向に相関している場合を実験に使っています。
ここではあたかも量子力学における観測問題のように、awarenessを生じるとattentionも生じている、ゆえにattentionとawarenessは違うメカニズムに基づくとすると、awareness本態のneuronal correlateを捉えがたいと。
そこでTsuchiya and Koch (TiCS)は両者を別々にmanipulateすることを提唱しているという理解で正しいでしょうか?
はい、そのように理解しています。"Attention and consciousness: two distinct brain processes"はそのへんを明示的に扱っていて、[top-dwon attentionが必要/必要でない] * [consciousnessが発生する/発生しない]という4通りに分けています。上記のG.Y.さんの話も"Attention without consciousness"の例として挙げられています。
ところでこれはわたしの持論なのですが(まえにLogothetisの話のところでも書いたかも知れません)、consciousnessとかawarenessという言葉を使うときにはそのcontentの議論をしていて、いろんな脳内活動の「結果」だと思うんです。いっぽうで、(top-down) attentionというのはselectionのprocessであって、さまざまなattentionのneural correlateというのはその「過程」を見ているのだと思うのです。つまり、Marrが言うところの「representationとしての神経過程」が「consciousnessのcontent」でして、「processとしての神経過程」が「attentionにおけるselection」だと思うのです。(わたしはこの文脈でのrepresentationという言い方は好きではありませんが。) このように分けてしまえば両者を同一視するのはカテゴリカルエラーだ、ということになります。
問題は「Marrが言うところのrepresentationとしての神経過程とprocessとしての神経過程とがなんで混ざっているのか、ということになります。わたしがMarrの「ビジョン」の最終章の図を見ていていちばんよくわからないところなんですが。ざっくりとしたアイデアですが、川人先生の双方向理論からの連想で考えれば、bottom-up(逆モデル)がprocessでtop-down(順モデル)がrepresentationだ、とか言えたら面白いのではないかと思うのですが。ただ、すくなくともそのニューロン活動を受け取っている別のニューロンが情報を読み出すときにそのような区別を付けることができなければこのような分け方の意味がなくなってしまいます。(そのむかしOKさんとメールのやりとりをしたときにそういう話をしたことがあります、というかほとんど教わるばかりだったのですが、そのころからずっとこういうこと考えてます。)
ところでMarrの話はまだエントリにしてませんでした。じつはASCONEの後に書いた物を下書きとしておいたままでした。そのまま公開すると私が「ビジョン」を読んでないことがバレバレになるので暖めていたのですが、上のパラグラフの意味がわかるようにそちらも公開します。
2007年07月14日
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■ Binocular rivalryおよびgeneralized flash suppression その4
前回(20070711)のエントリへの土谷さんのコメントに対して応答を書いていたら長くなったのでこちらに作りました。
ご指摘の論文の一番目はAlex MaierのPAS 2007 "Context-dependent perceptual modulation of single neurons in primate visual cortex"です。これは20070629にも書きましたように、金井さんのブログの5/28に記載があって、それを見てからわたしも論文をざっくり読んでみたのですが、どう評価したらよいものかわからなくて、前回をセミナーにはこれを入れない方向でまとめた次第です。
この論文で面白いのはFig.2bのなかに黒矢印で示してあるところで、CFG1とCFG2とで同じ向きのpreferred directionのgratingの与えられているのも関わらず、CFG1とCFG2とで違う向きのnon-preferred directionの刺激との組み合わせを使うことによってmodulationのされ方が違うのです。ただ、下の段のphysical alternationの条件を見るとこれでも差が出ているように見える。そういうわけで、なんらか二つの刺激のあいだでのselectionの過程での中間型みたいなものとして捉えた方がよいようにも思えるのです。そういうわけでこのmodulationの差の意味についてはちょっと現状では評価しがたいという印象をそのときは持ちました。
Fig.4は非常に重要な結果で、刺激の組み合わせをいくつか試してみると、MTで記録した90%以上のニューロンでmodulationが見られたということです。これはLogothetis 1998のレビューなどで使われる、V1-V2-V4/MT-ITという順番でmodulationのかかるニューロンの比率が増えてゆく、というスキームとは一見矛盾します。しかし、使われている刺激が違うので、directionに関してはMTでほぼ決着が付いているというのは驚きではありません。また、Logothetis 1989の実験では刺激はニューロンのpreferred directionによらず、上向きと下向きのgratingでした。よってmodulationの見られるニューロンの比率がunderestimateされているであろうことは明らかだったろうと思います。
今さらっと言ってしまいましたが、motion directionに関してはMTがほんとうに最終であるか、その辺についてはV1-V2-MT-MST-LIPくらいで追えると楽しいのではないかと思います。一方で、awarenessに上がってくるようなmotionの成分というやつがほんとうにdorsal pathwayのほうでV1-V2-MT-MST-LIPという方向で処理されるのでしょうか。阪大の藤田先生がdisparityに関して行っていることからのinspirationですけど、motionに関しても、形態視が必要となるsceneの分析のような過程(ventral pathwayでの処理が必要となる)でのみawarenessに上がってくるということになっていたりしないのでしょうか。これはつまりSheinberg論文にあったようなimage segmentation, perceptual groupingを越えたところにあるものに対応するのではないかと思うのですが。
連想は続きます。わたしが見ているようなある種のweakなawarenessとITで見られるようなsceneの解析まで済んだものとして捉えられるawarenessとはそういう意味でcontent of consciousnessがかなり違うのであろう、と考えています。それはtype II blindsightの患者さんがもつ"feeling of something is happening there"みたいなものと私たちが持つconsciousnessとの違いと対応しているのではないか、というわけです。このへんについては以前セミナーで作ったパワーポイントがあるのでそのうち編集してエントリにします。
話を戻します。Logothetis 1989やLeopold 1996で見られたような逆向きのmodulation (physical conditionで決めたpreferredでflashのときのmodulationが下がる)ということがあるのか、supplementaryまで見ればわかるかもしれないけど確認できませんでした。そういうのがある限り最終段階の処理ではないだろうというのが予想です。
あと、Logothetis 1989ではphysical conditionではmodulationが起こらないけれども、rivalryではmodulationが起こるニューロンというものを見つけていました。今にして思えば刺激条件が上下の二通りしかないからと言えるでしょうが、今回のMaierのを見てから考えると、そもそもphysical conditionでのdirection tuningとambigous conditionでのdirection tuningはかならずしも同じではないんじゃないでしょうか。さらに、AsaadのNatureにもあったように、LIPまで行けばどう報告するか(刺激のcategorizationに依存する)にもさらに影響されるわけで。このphysicalとperceptualでのdirection tuningの比較ってだれかやった人はいないんでしょうか。Systematicだし、回路の議論をするのにも使えそうな、いい仕事になりそうな気がするのだけれど。
ご指摘の論文の二番目はLee, S-H., Blake, R. & Heeger, D. (in press) "Hierarchy of cortical responses underlying binocular rivalry."(PDF) Nature Neuroscienceですが、Heegerのラボからpreprintが落とせるようになってますね。リンクしておきました。じつはこの話、以前Heegerが生理研に来たときのトークで聞いたことあります。以前のエントリ(20060202)にも記載があって、こっそりコメントアウトして書いてあります(HTMLのソース参照)。もうpublishされたようなのでここに再録しておきますと、「binocular rivaltyの左右の切り替え自体はV1内で起こっているのだけれど、attentionが向いてないとそのような意識の(潜在的な)contentが実際の「見え」に反映しない、というかreadoutされてこない、とでもいう話になりそう。」ということでした。んで、この話自体はすっかり忘れていたのですが、なるほど、ドンピシャ関係ある話でした。これでV1のneuronal activity自体がconsciousnessのcontentに対応しているわけではない、というストーリーは補強されますね。私自身の意見としては、V1を通る信号(bottom-upかtop-downか両方か相互作用かはそれじたいが研究対象)自体は我々が体験しているようなconsciousnessには必要不可欠だけれども、V1のニューロン活動として(mappingの意味で)representしているものがNCCの主役ではないだろう(脳の各部位と環境とのネットワークとして考えた拡張版のNCCにおいても)、というものです。
Steve Macknikのbackward masking のレビュー、というのはProgress in Brain Research 2006の"Visual masking approaches to visual awareness"でしょうか。Abstract読むと後半はBRについても言及しているようですし。あいにくProgress in Brain Researchはうちではavailableでないのですが、この巻はほかにもPetra Soterigの"Blindsight, conscious vision, and the role of primary visual cortex"とかも入ってますので、入手して読んでおきたいと思います。ざっと考えて、maskingもtemporalにはズレているけどspatialには重なっているわけだし、本当によい系だろうか、とか思ったりもしますが。
ご紹介どうもありがとうございました。それではまた。
2007年07月11日
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■ Binocular rivalryおよびgeneralized flash suppression その3
さてさて今回で締めます。疲れてくるとだんだん仕事が雑に。
PNAS, 94, 3408-3413 (1997) "The role of temporal cortical areas in perceptual organization." D. L. Sheinberg and N. K. Logothetis
この論文の後半の方ではflash suppressionの実験も行っています。というか、non-rivalrousな刺激のシークエンスの中にrivalrousな刺激を入れると自然にそうなります。つまり、図形AとBがnon-rivalrousで出るのをA, B, rivalrousをABと表現するとして、たとえばA-B-A-B-AB-Bというシークエンスだと、B-ABの移行のところでBが消えてAだけが見える、ということが起こるわけです。実際のニューロンのデータでも、Bにpreferenceを持っているニューロンだとB-ABでsuppressionが起こり、A-ABだと発火するわけで、おなじABでも大違いとなる例が示されています。
Flash suppressionは明白に提示した刺激にlockしてsuppressionが起こるのでbottom-up attentionとawarenessとの絡みが重要になるものと思われます。Binocular rivalryでは、左右の同じretinotopicalな位置に刺激を提示してconflictが起こっているため、selectionの過程の関与を仮定せざるを得ないという問題を起こします。彼らはこれ以降の論文ではgeneralized flash suppressionを使うようになりました。Wilke et.a l.のNeuron 2003はまだ読んでないのでスキップで。
PNAS, 103, 17507-17512 (2006) "Local field potential reflects perceptual suppression in monkey visual cortex." M. Wilke, N. K. Logothetis, and D. A. Leopold M. WilkeもASSCのポスター会場でいろいろ話を聞きました。Alex Maierと同様にいまはNIMHのLeopoldのところにいるようです。
Generalized flash suppressionでは片眼にターゲット刺激が提示され、もう片眼にはなにも提示されません。左右の視野のコントラスト差が大きいのでこの条件ではターゲット図形が見え続け、binocular rivalryは起こりません。ターゲット刺激提示後1400msで左右の視野にランダムドットが提示されます。そうするとターゲット刺激が消えます。ランダムドットはターゲット図形のあるところには提示されないので二つの眼のあいだでターゲット刺激のある視野位置ではconflictは起こっていません。ランダムドットの条件を変えてやると、ある試行ではvisibleで、ある試行ではinvisibleという条件が作れます。
んでターゲット刺激の位置に受容野を持つニューロンから記録(multi-unit)してやると、V4では、物理的にターゲット刺激を消去したときにactivityが下がるニューロンでは、flash suppressionでinvisibleになったと報告した試行でactivityが下がりました。一方で、物理的にターゲット刺激を消去したときにactivityが上がるニューロンもあって、こっちの場合はflash suppressionでinvisibleになったと報告した試行でactivityが上がりました。多少傾向は違いますが、前述のV4, MTでbinocular rivalryのときに見られる、preferenceが逆になるニューロンと同じクラスであるようです。同じ電極でLFPを記録してやると、V4のgamma band (30-50 Hz)はperceptual reportでmodifyされていました。V1/V2はmulti-unitでも、gamma-bandでもmodificationなし。面白いのは、alpha-band (9-14Hz)ではV4だけでなく、V1, V2でも同様なmodificationが見られたということです。Human fMRIでのbinocular rivalryの実験ではV1の活動もperceptによってmodityされることが知られています。いっぽうでLeopold 1996にもあったように、spikeではあまりmodificationは見られません。なんでかというcontrovercyがあるわけです。議論としては、fMRIのBOLD acitivityはその領野への入力をその強く反映していて、LFPと近いのに対して、spikeは出力を強く反映しているから、というのがあるわけですが。今回のASSCでAlex Maierは同じ課題をhumanとnon-human primatesとで行って比較することで、この論文で見られるalpha-bandのLFPがhuman fMRIで見られるV1のactivationと対応しているのだろう、と議論しています。この論文自体でも結論としては"These findings, ..., suggest that mechanisms shaping the contents of our perception may involve large-scale, coordinated processes that are most prominently reflected in low-frequency changes of the local field."としています。
なお、WilkeのほうはASSCではこの論文での結果に加えてさらにLGN、pulvinarでも記録を行って、LFP powerのmodificationがこれらの視床でも起こっていることを示していました。大脳偏重主義から逃れるために逆張りしたい私としては、V4->V2->V1というフィードバックを考えるよりは、pulvinarを介して回っていると考える方が面白いのではないかと考えたり。
さてattention問題再訪。ディスカッションではこう言ってます。"Although a contribution of attentional factors on the low-frequency LFP modulation during perceptual suppression cannot be excluded, ..., perceptual modulation was observed well before the lever response. ... Thereby, it seems at least unlikely that the neural modulation was directly related to the execution of the monkey response and, thereby, related to a general release of attention." かなり弱い議論であると思います。General releaseはどうでもよいんではないでしょうか。一方で、Binocular rivalryの弱点はperceptのスイッチがspontaneousに起こるため時間的変動の議論をするのが難しい点にありました。その点、どのようにしてperceptual suppressionが起こるのか、というメカニズムの議論を進めるのにはflash suppressionのパラダイムのほうが向いているのかもしれません。
また、flash suppressionとawarenessの議論をするならば土谷さんの"Continuous flash suppression reduces negative afterimages" Naotsugu Tsuchiya & Christof Kochについて考える必要があるでしょう。Continuous flash suppressionでは、刺激にattentionを向けないとafterimageのvisibilityが上がるということが示されています。つまり、Continuous flash suppressionがselective attentionとawarenessとを分離するのに有用な道具となることを示しているのです。このような方向性でまとめられたレビューがTrends in Cognitive Sciences Volume 11, Issue 1, January 2007, Pages 16-22 "Attention and consciousness: two distinct brain processes" Christof Koch and Naotsugu Tsuchiyaで、ASSCではこれを元にして昨年と今年tutorialが行われたようですが、私は参加できず。ちなみに昨年のtutorialのパワーポイントが入手可能です。
だいたいこのへんまででしょうか。Attentionのeffectをどう除くか、というのがこの方向性では大きく問題となることがよくわかります。Ventral pathwayであるため、行動とカップルする部分の解釈に困らないところがまた利点のひとつでもあります。Dorsal pathwayでやったらすぐにmotor preparationだのなんだのとたいへんなんです。だからこそこっち方向ではより行動とカップルさせたことを積極的に考えていくのが正解なのだと思うのだけれど。それから、以前もHeegerについて書いたときにも言及しましたが、Newsome/Shadlen的なperceptual decisionの系にawarenessの議論というのはどうも食い合わせが悪い。というか入る余地がない。最終的に戦うのはこのへんとかな、とか考えています(謎めき系)。それではまた会う日まで。
# 土谷
素晴らしいレビューですね! 最近このブログをRSSに登録したのでずっと経過を見守っていました。面白かったです。
相当レベルの高い議論なので、このままreview としてpublish したらいいんじゃないでしょうか??。
ところで、
Maier 2007 PNAS (私にとっては一連の論文のなかで最も面白い)
と もうすぐ出るらしい
Lee, S-H., Blake, R. & Heeger, D. (in press) Hierarchy of cortical responses underlying binocular rivalry. Nature Neuroscience.
もチェックしてみてください。
特に、後者は、もし噂が本当で、去年の ASSC@Oxford で Sung Hung Lee が James Prize を受賞した時に発表していた話しであれば、
「attention の影響を取り除いたら、
V1での rivalry が無くなった」という話しのはずです。
まさにここでの話しそのものです。
Steve Macknik も我々の議論に賛同していて、
彼なんかは、
"Binocular rivalry is the worst stimulus for the study of neuronal correlates of consciousness because it totally confounds the effects of attention and the effects of consciousness!"
と ASSC のトークでも声高に叫んでいました。もうすぐ backward masking のレビューが出ますが、そこでも rivalry の問題点を
激しくついています。
コメントどうもありがとうございます。応答を書いていたら長くなったのであらたにエントリを作成しました。よければご覧ください。
2007年07月10日
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■ Binocular rivalryおよびgeneralized flash suppression その2
つづき。長いです。タグは「あとで読む」推奨ということで。論文を時系列順で追っていきます。いちばんよく知られているのはITニューロンの結果だと思うのですが、それは一番最後(PNAS 1997)なのです。ちなみにcatだとFJ Varelaが1987年の段階でExp Brain Res.にbinocular rivalry中のLGNニューロンの記録とか出してます(1987;66(1):10-20. "Neuronal dynamics in the visual corticothalamic pathway revealed through binocular rivalry." Varela FJ, Singer W.)。さてさて。
Science, 245, 761-763 (1989) "Neuronal correlates of subjective visual perception" NK Logothetis and JD Schall。
いちばんはじめに発表された実験はMTからの記録によるものでした。左右別々の目に上下それぞれの向きのmoving gratingを提示して、上向きと感じたら右へサッケード、下向きと感じたら左へサッケードさせるという、当時としては洗練された報告の仕方です。それから、fixation pointがない条件だとOKRが起こるので、perceptにしたがって目の位置がドリフトするのでそれを行動の指標とすることも可能です。 Non-rivalrousな刺激条件(片眼にのみ刺激を提示していて、rivalryは起こらない)に答えさせるトレーニングが完了したところで(こちらは正しい応答だけがrewardで強化されている)、半分のtrialではrivalrousな条件(別々の目にべつの向きのgrating)としてやって(こちらはどっちにサッケードしてもrewardがもらえる)、non-rivalrous条件からの般化を見てやろうというわけです。
実験の結果としては、22%のニューロンでperceptの報告にしたがってニューロンの発火が変わるものが見つかったのだけれど、そのうちの半分はpreferredな方向を報告したときに発火が上がるけど、残り半分は逆に発火が下がります。ここはポイント。まず前者は"neural correlate of subjective visual perception"と言えるかもしれない。しかし後者のような逆向きニューロンがあるということはこの場所はawarenessとして現れるcontentをrepresentしているというよりは、suppressionのprocess自体に関わると考えたほうが自然です。この論文自体ではそういう言い方はしてませんが、のちにITニューロンの結果まで出てきたところではそういう言い方がなされます。
Nature, 379, 549-553. (1996) "Activity changes in early visual cortex reflect monkeys' percepts during binocular rivalry." Leopold, D.A., Logothetis, N.K.
同様の実験をstatic oriented gratingで行って、V1/V2およびV4から記録したというものです。Science 1989と比べると、(1) 行動データが加わった点、それから(2) perceptual alterationでの発火の切り替わりのデータを示したところが進歩しています。
(1) 行動データとしては、ほんとうにnon-human primatesがbinoclar rivalryでのperceptを忠実に報告しているかどうか保証が必要です。このため、rivalryのときのそれぞれのperceptでのstay timeの分布を取ってやって、これがhuman psychophysicの結果と同様、gamma functionでfitting出来ていることを示しています。また、片方の刺激のコントラストを下げるともう片方の刺激が見えている時間のほうが長くなりますが、これも再現できています。よって、rivalrous条件のときのrever pressはデタラメに行われているわけではない、ということが示せました。行動についてはこれ以上のことをやるのはなかなか難しそうだけれど。
(2) 電気生理のデータのまとめですが、Science 1989ではrivalrous刺激が提示されたときの最初のperceptを報告させるものでした。しかしbinocular rivalryの面白いところはずっと見ていると1-2秒間隔くらいでperceptが入れ替わるところですので、この入れ替わりに関連した神経活動を見るのに成功したのがこのNature 1996のいちばん強いところです。このため、課題は25secくらいまでの刺激シークエンス(non-rivalrous刺激の切り替えを答える)の中にrivalous条件を少量入れてやって(4-12secまで)、そのときの報告を集めてやって、左のレバーから右のレバーへ切り替わるところ、それから逆でもってニューロン発火を平均してやるのです。すると、レバーによる報告に先立ってレバー切り替えの500ms前くらいにピークがあるような活動があるのが見つかりました。こいつがperceptual reportを反映しているというわけです。今回の場合もV4では逆向きの活動つまりnon-rivalrousな刺激でのpreferenceとrivalrousな刺激での条件が反転しているものが見つかりました。
PNAS, 94, 3408-3413 (1997) "The role of temporal cortical areas in perceptual organization." D. L. Sheinberg and N. K. Logothetis
んで、ニューロン活動のmodulationとしてはいちばんstrikingなのがITニューロンでの記録についてまとめたこの論文です。日経サイエンスとかレビューとかに出てくるようなデータはだいたいこの論文からです。やってることじたいはNature 1996と比べてそんなに新しくありません。Leverの報告でalignしたときの活動変化の図もありません。
メインの実験結果は、80%以上のニューロンでmodulationがみられるというもので、それまでのV1/V2/V4/MTとはかなり違います。また、V4, MTで見られたようなrivalrousとnonrivalrousとでpreferenceが反転しているようなニューロンがなかったという点も特筆すべきでしょう。ゆえに著者は"These areas thus appear to represent a stage of processing beyond the resolution of ambiguities---and thus beyond the processes of perceptual grouping and image segmentation---where neural activity reflects the brain's internal view of object"と結論づけています。ここでいう"a stage of processing beyond the resolution of ambiguities"っていうのがV4やMTで見られたような極性が反転しているニューロンがある領野と今回のIT野とのコントラストを強調した表現でしょう。
あと、この論文では一工夫してあって、図形A(preferred)と図形B(non-preferred)のほかに図形AとBのブレンドというのをnon-rivalrous conditionでは見せていて、このときはどちらのレバーも引かないようにさせています。これは重要。これがcatch trialの役目を果たして、forced choice taskとして答えさせないようにしてあるのですね。この論文でこれがどのくらい有効かが明確に示されているわけではないのだけれど。Binocular rivalryを経験してみるとわかるのですが、切り替わりはall-or-noneではなくて、ゆっくりと変わってゆきます。その間をどう答えさせるかというのが難問です。Nature 1996で出したようなレバーでトリガーして平均発火、というやつもそのperceptが見えてからどのくらいでレバーを引くかというのが自明でない以上、なかなかデータがきれいになりません。これはbinocular rivalryとflash suppressionの利点難点の議論に関わることになります。
それから、この論文でははじめてattentionとの問題が議論されます。Desimoneの論文とLogothetisの論文はどちらも1980年代でして、その当時ではどちらの説明がよりparsimoniousであるかということはもしかしたらそんなに意識されていなかったのかもしれません。しかし1990年代にはattentionで説明できるものはawarenessで説明できてもダメというコンセンサスは出来ていたといます。んでディスカッションの最後のパラグラフですが、
"Our view is that the phenomenon of binocular rivalry is also a form of visual selection, but that this selection occurs between competing visual patterns even in the absence of explicit instructions to attend to one stimulus or the other. ... Decades of research have failed to reliably demonstrate that the perceptual alternations experienced during rivalry are under the direct control of voluntary attention. ... As such, we believe that rivalry accentuates the selective processing that underlies basic perceptual processes including image segmentation, perceptual grouping, and surface completion."
つまり、なんらかの刺激に依存したselectionの過程であることは認めつつも、voluntary controlの使えるようなtop-down attentionの関わる過程ではないことを明言し、もっと刺激の分析に関わるようなselectionの過程である、と主張しているわけです。
Top-down attentionとconfoundしてしまうのはこの種の実験では致命的なわけですが、はたして他の種類のattentionとの関わりはどうでしょうか。Binocular rivalryでもその揺らぎ自体はarousalやsustained attentionのような要素を考えた方がよいでしょう。Backward maskingなどのnear-threshold conditionでのtrialごとのばらつきでも同様です。ですのでわたしの理解としては、タスク中のinstructionなどの操作によってawareness, visibilityがmanipulateされるとしたらそれはtop-down attentionとconfoundしていると言われても仕方ないけれども、trial中およびtrial間でのゆらぎのような成分はそれらをもとにした結果awarenessがmodulateされると言って問題がないのではないかと考えています。
さてさて、そうしたらbottom-up attentionとの関わりはどうでしょうか。Flash suppressionはbottom-up attentionとの関わりを無しに考えることは出来ません。これについては次回考えてみましょう。
なお、ここでいうattentionとawarenessとは事象のレベルとしては同じものではありません。たとえばselective attentionによってawarenessがmodulateされるということは言えるけれども、awarenessによってattentionがmodulateされるとは言えないことなどからもわかると思います。つまりattentionという認知科学的な概念が課題の条件によって操作されて、その結果は反応潜時だったり、visibilityのスコア(=awareness)だったりという形で行動として出てくる、ここで使っているawarenessはそうして計測される行動のレベルにある、というわけです。(Consciousnessからawarenessに移った段階でその種のeasy problemをあつかっているのです。) と書いてみたものの、このへんは専門家に意見を聞いてみたいものです。その議題は研究会へも持ちこんでみたり(この件はまた別でアナウンスします)。
なお、この論文の中ではじめてflash suppressionの結果が出来てきますが、それは次回。
なげーなげー。つづきます。この文章だけ読んでもほとんど話がわからないので原文を参照していただいたほうが。
2007年07月09日
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■ Binocular rivalryおよびgeneralized flash suppression その1
Logothetisのbinocular rivalryおよびflash suppressionでの神経生理実験をジャーナルクラブで採りあげました。詳細をきっちり押さえておこうというわけです。
そもそもLogothetisはbinocular rivalryを使ってなにをしたかったかと言えば、"neural correlates of awareness"を探したかったと言えるでしょう。もっとも、表現はそれぞれの論文でいろいろ違っていて、"subjective visual perception"だったり、"monkeys' percepts"をニューロンが反映している、だったり"neural activity reflects the brain's internal view of objects"だったり"conscious vision"みたいな言い方をしたりするわけですが。
んで、awarenessとはなにかというと、David Chalmersは"Conscious Mind"の中では"I define awareness...as the state wherein some information is accessible for verbal report and the deliberate control of behavior."みたいに言ってます。また、"Psychological correlate of consciousness"という言い方もしています。わたしは"Awareness is a functional aspect of consciousness."であって、Ned Blockのphenomenal consciousnessとaccess consciousnessという分け方のうちのaccess consciousnessの方を指すものという理解をしています。実験条件で言えば、"Awareness is reportable consciousness."というのがいちばん操作的定義に乗せやすいでしょう。Thompson and Schall のvision research 2001("Antecedents and correlates of visual detection and awareness in macaque prefrontal cortex" PDF)では"To identify neural correlates of visual awareness an experimental manipulation is required by which a visual input is constant but perception of that visual stimulus varies."と言ってます。かれらはbackward maskingでこのような状況を作っていますが、このような実験パラダイムを最初に作ったのがLogothetisのbinocular rivalryだったというわけです。
ちなみにbackward maskingのようなnear-threshold visionにおけるimplicit perceptionの実験は刺激がとてもfaintであるために、awarenessの報告が出来なかったときにそれはno awarenessだったからかweak awarenessだったからかという問題がつきまといます(これがASSCでも話題になっていた、Snodgrassらが関わっている、SDTを使った議論です)。いっぽうで、binocular rivalryやflash suppression、それからmotion-induced blindnessのような実験パラダイムでは刺激はとてもsalientであるにもかかわらず、これが消える。このことがものすごい利点なわけです。
Binocular rivalryとかの説明は省略。ラボでは通販で一枚80円で買った赤-シアンのanaglyph glassesを使ってデモしました。Randolph Blakeのラボサイトの図を使用。Flash suppressionについてはいい材料が見つからなかったのでGIFで自作。それから土谷さんのところのcontinuous flash suppressionのデモページからmovファイルを落としてきてこれも実演。
うお、前置きですでに長いのでいったんここで切っときます。また明日。
2007年06月29日
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■ ポスター見に来てくれたひと
見に来てくださった順に名前がフォローできた分だけ。
まず見に来てくださったのは茂木研の方々。それからあと、茂木さんも見に来てくださいました。2000年ごろはqualia-MLでいくつかコミュニケーションを交わしたことがありますが、リアルで会うのははじめて。握手を交わしました。
うちのブログとも何度も交流させていただいているShuzoさんも訪れてくださいました。分野は離れているのですがよく理解してくださって感謝。やはり握手を。
大阪市立大学経済学部の橋本文彦さんとはバンケットなどでもお話をさせていただきました。哲学と数学のバックグラウンドを持っていて、経済学部の教授で、逆さメガネのプロジェクトへの参加などによって知覚と環境の関係を研究されているというすごく幅広い方です。こういう方とお知り合いになれるのもASSCならではというかんじで。そういう立場からコンセプチュアルな問題点を指摘していただきました。
土谷尚嗣さん。ものすごくenthusiasticに評価していただいて感激しました。後述のAlexander Maierと一緒に食事に行ってさらにいろいろ議論しました。土谷さんは元Kochラボ@Caltechで、Kochの"quest for consciousness"(「意識の探求」岩波書店)の訳者(現在Shimojoラボの金井良太さんとともに)としても有名。現在は同じCaltechのRalph Adolphsラボ(Damasioのところでのamygdala損傷患者の研究で有名)に所属しています。金井さんのブログの5/14のエントリでわたしのVSSのポスターに言及してくださったところにわたしがコメントして、それを見た土谷さんがポスターを見に来てくださった、といいかんじに繋がった次第。
Trends in Cognitive Sciences, Volume 11, Issue 4, April 2007, Pages 158-167 doi:10.1016/j.tics.2007.01.005 "Emotion and consciousness" Naotsugu Tsuchiya and Ralph Adolphs
Trends in Cognitive Sciences Volume 11, Issue 1, January 2007, Pages 16-22 "Attention and consciousness: two distinct brain processes" Christof Koch and Naotsugu Tsuchiya
Journal of Vision, 2006 Volume 6, Number 10, Article 6, Pages 1068-1078 doi:10.1167/6.10.6 "Depth of interocular suppression associated with continuous flash suppression, flash suppression, and binocular rivalry" Naotsugu Tsuchiya, Christof Koch, Lee A. Gilroy and Randolph Blake
Nature Neuroscience 8, 1096 - 1101 (2005) Published online: 3 July 2005; | doi:10.1038/nn1500 "Continuous flash suppression reduces negative afterimages" Naotsugu Tsuchiya & Christof Koch
Hakwan C. Lau。OxfordのWellcome TrustのPassinghaのところに所属していたのですが、現在はニューヨークのColumbia UniversityでAssistant Professorになっています。この方にも私がやろうとしていることをものすごくわかってもらえて、非常に良く評価していただけて感謝。もう少し話をする機会があったら良かったのですが。Decision関連のことをやってる人だと思っていたのですが、彼のサイトを見るともうconsciousness一直線というかんじで驚きました。たとえば、"A Higher-Order Bayesian Decision Theory of Consciousness"(PDFファイル)とか"Are we studying consciousness yet?"(PDFファイル)とか。また、blindsightのこともよく知ってる。というかほぼ当事者。いろいろ教わりました。
The Journal of Neuroscience, May 23, 2007, 27(21):5805-5811; doi:10.1523/JNEUROSCI.4335-06.2007 "Unconscious Activation of the Cognitive Control System in the Human Prefrontal Cortex" Hakwan C. Lau and Richard E. Passingham
PNAS | December 5, 2006 | vol. 103 | no. 49 | 18763-18768 "Relative blindsight in normal observers and the neural correlate of visual consciousness" Hakwan C. Lau and Richard E. Passingham
Science 20 February 2004: Vol. 303. no. 5661, pp. 1208 - 1210 DOI: 10.1126/science.1090973 "Attention to Intention" Hakwan C. Lau, Robert D. Rogers, Patrick Haggard, Richard E. Passingham。この論文に関しては20040225のエントリで言及してます。
Alexander Maier。現在はNIMHに所属。もともとはMax Planck InstitutのLogothetisのところにいたのだけれど、David A. LeopoldがNIMHに異動するのといっしょにNIMHに来たらしい。彼はnhpでのデータを持っていて、かなり近いところにいます。こちらのこともよくわかってます。土谷さんと3人で食事をしながらunpublishedなデータなど見せてもらって興奮。こういう方たちとこれから一緒にこの分野を切り開いていければ良いなあと思います。じつのところわたしはこれらの方たちよりはたぶん年食ってるのですが、ま、同世代と言ってよいでしょう。
PNAS | March 27, 2007 | vol. 104 | no. 13 | 5620-5625 "Context-dependent perceptual modulation of single neurons in primate visual cortex" Alexander Maier, Nikos K. Logothetis, and David A. Leopold。この論文の意義については金井さんのブログの5/28のエントリに記載があります。
Journal of Vision, 2005 Volume 5, Number 9, Article 2, Pages 668-677 doi:10.1167/5.9.2 "Global competition dictates local suppression in pattern rivalry" Alexander Maier, Nikos K. Logothetis and David A. Leopold
Current Biology, Volume 13, Issue 13, 1 July 2003, Pages 1076-1085 "Perception of Temporally Interleaved Ambiguous Patterns" Alexander Maier, Melanie Wilke, Nikos K. Logothetis and David A. Leopold
Alison Gopnik@UC Berkeleyはbabyのconsciousnessについてトークをしてました。McGlll大学の院生のDiego MendozaはChardhuri研でcontinuous flash suppressionをやってるそうですがトークは見れず。などなど、あとほかにも何人か話をしたのですが名前をメモれず。
みなさまどうもありがとうございました。
# 土谷
吉田さん、
なんか色々書いていただいてどうもありがとうございます。
(論文の宣伝もしていただいて!)
Alex と3人での昼ご飯は、今回の学会のイベントの中で、
イチバン興奮しました。
正直、吉田さんのポスター一番面白かったですよ。意識の問題がよけいわけわらなくなった。
1.Hakwan が言ってた、DB(original blindsight)はできないが、
有名なGYは3秒待ちサッカードができること。
2.吉田さんのblindsightサルが2秒間待ってサッカードできること、
3.Petra Storig の3人のblindsightが全員 cueless でdetection できること。
この一連のblindsight spontaneous behavior は、
今の意識のモデルには、大概大問題なんじゃないでしょうか?
意識ってなんの為にあるのか?
最終日は一泊してからクリストフとクリストフのポスドクと3人で車で
5時間かけて帰ったのですが、そのときに、これらの blindsight が提示する
「意識の機能とは?」という謎に、クリストフは相当困ってました。
(ところで、彼がポスターに来れなかったのは、朝8時発でUCLAの学会に
向かっていたかららしいです。次の日の夜には帰ってきてたけど)
まだ心かわりしておられなければ、10月の学会の話、もうちょっとつめましょう。
メール頂けますか?
土谷
# pooneilコメントどうもありがとうございます。
Petra Storigの話は驚きでしたが明らかにひとつの線で繋がる現象だと思います。残念ながらStorigとは話が出来なかったのですが。
DBさんの症例はあまりにstrikingすぎて、その後のblindsightの印象を決定づけてしまいましたが、DBさんはV1切除手術前から偏頭痛で対応する視野に幻覚を見るなどのこともあったようですし、かなりV1切除以外のhistoryの要因が大きい、特殊な例なのではないかと思ってます。たとえば、DBさんはtype I blindsight(どんなに明るい刺激でもawarenessが報告できない)なのに二択の弁別能が90%を越えていますが、それ以降報告されているtype I blindsightでの弁別能はだいたいずっと低いです。(たとえば、StoerigのCerebral Cortex 2002でのHKさんの弁別は二択でせいぜい60%程度。)
それではまたあとでメールしますので。
ポスター発表お疲れさまでした。内容的に馴染みのない私にも丁寧に説明して頂きありがとうございました。私は表面的にしか理解できていないと思いますが、大変精力的な、非常に面白い研究だと思いました。
あれは?これは?と次々とシンプルな疑問が湧く研究というのは、なかなかないです。今後のご発展、非常に楽しみにしております。
Shuzoさん、どうもありがとうございました。以前もgeneralized flash suppressionを採りあげていたり(http://blog.livedoor.jp/brain_network/archives/50649530.html)、この分野のことをよく調べてらっしゃると思っておりました。それではまたの機会に。
2007年06月25日
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■ ASSC出張終了
無事発表を終わらせました。でもって次の日丸一日参加して、翌日早朝6時53分ラスベガス出発。中継地のサンフランシスコでこれを書いてます。
ポスター発表の方は2時間割り当てられていて、一部屋に40枚のポスターが貼られて、けっこう混雑した状態で行われました。残念ながらKochとStoerigとは話を出来ず。というかポスター会場にいなかったような。でも、同年代か若いくらいの人たちがたくさん来てくださって、ひじょうに面白がっていただけたのでとても勇気づけられました。こちらについては次回に。
講演はキーノートのときはひとつの会場で、他のオーラルセッションに関しては二つ並行して走らせるというかんじで基本的にはほとんどすべての人が同じ場所にいます。全部で300人くらいでしょうか。ほどよいサイズと言えます。
今回の大物はガザニガとデネットでしょうか。ガザニガのキーノートがあって、その次の日にガザニガが言ってた話(splitted brain関連)に関してコメントするという内容。スライドがほとんどないので理解に苦労します。英語英語。Global workspace theoryに関連させて、「いくつかの感覚や認知的内容がcompetitionをしてwinnerが意識に上る、と言うとき、そのwinnerは元のものからなにか意識を付与された何者かに変容するのではなくて、"it just wins"なのだ」(超いい加減理解)、というあたりは"Consciousness Explained"から繋がるデネット節というふうに理解しましたが。
ポスター会場はかたや心理学、かたや現象学、というかんじで混ざっていていいかんじだったのですが、哲学者と話をする機会を充分に活用できなかったあたりは残念。ジョン・サールもアルバ・ノエもいなかった。残念。
Implicit perceptionをきっちり定義して心理物理やイメージングを行う、というのがひとつの大きなトピックでした。前述のSnodgrassらの議論、subjective thresholdとobjective thresholdのどちらを使ったらよいのかという論争がありましたが、Luis Pessoaはimagingに応用させて両方使って比較する(type I, IIのROCの両方を使うとか)というアプローチなどをしていて、かなり仕事が進んでいる様子でした。ここに私が神経生理学を加えようというわけです。
二日目の夜はスペシャルセッションで"the magic of consciousness"と銘打って、、ラスベガスの有名マジシャンがそれぞれのマジックを披露しながら、マジックがいかに意識と注意の操作を意識して作られているかということを議論しました。単なる余興のマジックショーではなくて、マジシャン自身が実演しながらどうやって注意をそらしているかということを説明して、その後で研究者から質疑を行うという形式です。これはよかったです。気が利いてる。VSSでも研究者それぞれが開発したillusionなどをプレゼンする「デモナイト」というのがあったのですが、あれもよかったです。サイエンスを楽しむという形式は、なにか国内の学会や研究会などでもうまく取り込めたらいいなあと考えたり。
んで"the magic of consciousness"に話を戻すと、プレゼンターのひとりのTellerは説明用のハンドアウトを作ってきていて、「actionとはintentionを持った動きのことであり、人間は他者の行動のintentionを読み取ることができる。たとえば混雑した町で人と人がぶつからないのはお互いに他者のintentionを理解しているからだ。上手なマジシャンは観客にそのようなintentionを読み取らせる(誤解させる)能力に長けている」(超意訳)みたいなレクチャーをしていて、これはかなりアカデミックな雰囲気なわけです。
ちなみにTellerはPen and Tellerの片割れで、ラスベガス空港にも大きく看板が出ているような有名人。ふだんはデブのPenがしゃべってる横にいるチビで無口ないたずらっ子キャラという感じらしくて、本人がしゃべってるのを見て観客の中からTellerがしゃべってる!と歓喜の声が。でも普段を知らない私にはわからないのでした。
最後に長老的存在として、日本でも有名なジェームズ・ランディが出てきて、縄抜けのマジックを披露。白髪にあごひげ。引っ張り出されてきた観客のひとりがダニエル・デネットでこちらも白髪にあごひげだったもんでなんかいい絵が。写真とっとけばよかった。
これで私の参加は終了。学会はもう一日続きますが、早めに帰ります。
総評:幅広い分野の人が集まるというメリットをあまり生かせなかったのは残念。大物がポスターを見てくれなかったのも残念。しかし、同年代の志を等しくする研究者との出会いを持つことができたこと、これはなにものにも代え難いことでした。参加してほんとうに良かったです。来年は台湾で開催ですが、ぜひまた参加したいと思います。
次回に続きます。
2007年06月23日
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■ ASSC11に行ってきます
なんとかポスターを印刷して、中部国際空港に行ってみたら、岡崎で売ってなかった本はここにもなくて、けっきょく持って行った本はGTDとNHKへようこそだけとなりました。予習用にSnodgrassの論文などを読んで青空文庫からダウンロードしたのをX01HTで読んでたらサンフランシスコに到着したので待合室でこれを書いてます。
Snodgrassの論文は以前リストしていたこれ:
Am J Psychol. 2002 Winter;115(4):545-79. "Disambiguating conscious and unconscious influences: do exclusion paradigms demonstrate unconscious perception?" Snodgrass M.
Perception & Psychophysics, Volume 66, Number 5, 1 July 2004, pp. 846-867(22) "Unconscious perception: A model-based approach to method and evidence" Michael Snodgrass; Edward Bernat; Howard Shevrin
Unconscious perceptionを示すための方法のdissociation paradigm + subjective threshold method ([detection (yes-no test) できないのにforced choiceができるとき、それをunconsciousなperceptionによるものと示す方法])で示せる成分がSDTを正しく運用するとなくなってしまう、つまりartifactであると主張し、彼が主張するobjective threshold methodを使うと正しく評価できる、みたいな話です。Exclusion paradigmでも同様な議論をしてる。まだ完全には理解してないのだけれど。Detectionをawarenessの指標としてよいか、というあたりの議論を読むつもりでいたのだけれど、論文読んでるうちに、以前も採りあげたRK judgementでの二つのプロセスとそれに対応したROC曲線の話と、今回持ってくニューロンのデータとが繋がってストーリーが出来ました。興奮してメモ。
ASSCのほうはどういう反応をしてもらえるか楽しみ。Kochが見にきてくれて面白がってくれるかどうかと、Petra Stoerigがどういった反応をするか見るのが今回の最大の目的かと考えております。
宿泊するところはラスベガスのメインの通りのカジノホテルです。ここから予約確認のメールが来るとおもいっきりスパムブロッカーに撥ねられてしまうという。
それでは行ってまいります。
2007年06月13日
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■ ASSCの予習
来週末はラスベガスで開催されるASSC11(the Association for the Scientific Study of Consciousness)で発表をします。6/22夕方到着で6/23午前発表。6/25早朝にあちらを発って帰るという強行スケジュール。死んだ。
ちょうどプログラムもアップデートされたので、いくつか要旨など読んでおきましょう。かんじとしては去年の方が顔ぶれが面白かったような。
"The Exclusion-Failure Paradigm and Signal Detection Theory - P without A consciousness?" Elizabeth Irvine。これは以前のエントリ(20050905)で言及した、signal detection theoryとexclusion paradigmを組み合わせるとPhenomenal consciousnessとAccess consciousnessとを分離出来るのでは、という話です。論文集めてある程度読んでたのだけれど、放っておきっぱなしになってました。ちょうどいい機会なのでここでキャッチアップ。
"Cueless Blindsight" Petra Stoerig
Blindsight patientのvisionというのはforced choiceの状況で出てくるものなので、go signalのようなcueingにとても依存します。でもこの発表ではcueなしでも視覚検出detectionが可能だと言ってます。デネットも「解明される意識」のなかで似たケースを用いた議論をしてます。つまり、cueingなしでも自発的に視覚認知行動が出来るようなケースを仮想的に考えて(superblindsightと呼んでいます)、もしそういうことがあったらそれは意識があるのと違わないとかそういう議論。この問題、私自身は実験的環境においては"where to go"と"when to go"との関係として捉えられるのではないかと考えているのだけれど。
つづくかも。
2007年01月29日
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■ Blindsightでの弁別能は刺激提示の繰り返しによって向上する
PNAS "Increased sensitivity after repeated stimulation of residual spatial channels in blindsight" Arash Sahraie et.al.で、Lawrence Weiskrantzが自分でcontributeしたもの。
V1に損傷があってscotomaがある患者さん11人のデータで、scotoma内のある位置にgratingを提示して、二択の弁別課題(gratingがtaskの前半に出たか、後半に出たかを報告するtemporalな二択)トレーニングというかリハビリというかを3ヶ月繰り返したところ、scotoma内のgratingの弁別能が上がった、というもの。しかも、トレーニング中に正解だったかどうかのフィードバックは与えていないから、これはあくまで刺激提示の繰り返しによるのであって(blindsightの場合、明確なawarenessがないのでこれを「経験による」と言ってよいかどうかはわからない)、residual visionのわずかな手がかりをフィードバックと対応づけて強化した、ということではありません。また、scotomaの中で練習していない部分の弁別能はこのトレーニングによっては向上しない。だから、このトレーニング効果はretinotopicalに特異性があると言えます。
これまでにもscotomaの端っこの方でトレーニングするとscotomaが小さくなるというような話はありますが、今回の話はそれがscotomaの真ん中でも起こるし、しかも正解だったかどうかのフィードバックを与えなくても弁別能が向上する、という点が新しいです。
さて、しかしこれはblindsightか。Fig.1上段で出てくる、トレーニング途中の例は明確にtype I blindsightであると言ってよいと思います。しかし、populationデータを扱っているfig.2-4はどうも変です。というのも、この課題を行うときに被験者はgratingがtaskの前半に出たか、後半に出たかの弁別を報告するだけでなく、そのgratingが見えたかどうか、awarenessを報告します。だから、たとえば50%のtrialでawarenessがあって、残り50%は推測で答えたとしても弁別課題の成績は75%になります(*注へ)。ですので、弁別能が75%でawarenessの報告が50%だったとしたら、弁別能とawarenessの報告とのあいだに乖離は見られません。つまりblindsightではない、ということです。そういう目でfig.3を見ると、どのcontrastでも、トレーニングの前でも後でも、弁別能とawarenessの報告とのあいだに乖離はありません。よって私が示したようなcriteriaでは、この論文は全体としてはblindsightを扱ったstudyであるとは言えません。
ただ、ここでのawarenessの評価はbinaryであって、なにかがあるかんじ、のようなものでもawarenessありに判定されています("only if they had no awareness whatsoever of the visual stimulus")。一方でscotomaの範囲を決定するときにはHumphrey Visual Field Analyserを使った検出課題を用いて、いちばん明るい刺激を提示しても刺激の存在を検出できなかったところ、としていますので、これは上記のawarenessの報告とは違った基準であって、検出能がより少なく見積もられています。そういう観点からは、今回のstudyはHumphrey Visual Field Analyserで検出能なし、と判定されたところなのに、チャンスレベル以上で弁別ができている、という点でblindsightであると言うことは可能です。ちょっと甘くするならば。
なんにしろ、awarenessの評価は検出課題と基本的に同等ですので、signal detection theoryでいうところのbiasの影響をもろに受けます。つまり、被験者がawarenessがあったかどうかを決める基準が厳しければawarenessのあるtrialは増えるし、逆も真。この問題を明示的に扱おうとするためにこそsignal detection theoryが使われるわけです。
なお、この問題(弁別能とawarenessの報告の乖離があるかどうか)についてはWeiskrantzは90年代後半に患者G.Y.さんを被験者にした論文をいくつか出して議論しています。たとえば、"Parameters Affecting Conscious Versus Unconscious Visual Discrimination with Damage to the Visual Cortex (V1)" L Weiskrantz, JL Barbur and A Sahraieなど。そういうわけで、私としてはこの論文および前報のEuropean Journal of Neuroscience 2003 "Spatial channels of visual processing in cortical blindness" Arash Sahraie et.al.で、患者G.Y.さん以外でのpopulation dataが出てくることを期待して読んだのですが、それには答えてもらえませんでした。(この件については20051027のエントリで言及しております。)
(*注: なお、このような考え方は素朴で実感にマッチしますが、これはhigh-threshold modelと言われるもので、signal detection theoryが仮定するような、decision signalにgaussian noiseが加わったものを想定していません。)
2006年09月03日
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■ Ideal observerモデルとHeegerのprediction
セミナー準備。HeegerのNature Neuroscience '03 "Neuronal correlates of perception in early visual cortex"を元に。Signal detection theoryの説明用の図を作ってみました。まだ途中で、説明もいろいろ足りないけど、とりあえずぜんぶ自作です。ラスターもrand()を使った単純なもの。不応期なし。
というわけで、明示的になるようにモデルを作ってみると、decision processとevidenceのsignalとの関係あたりがずいぶん曖昧であることがわかります。じっさい、Heegerもevidenceとかそういう言い方はしていなくて(そういう言い方をするのはShadlen)、あくまでinternal statesという言い方になるのです。そもそも、purely sensoryからpurely motorまで遷移してゆくあいだに、その中間型みたいな応答パターンが出てくるのは自然なことだし、それに明示的に外界との対応付けをしてなんらかの表象であると言う必然性があるのか、という毎度の議論にもなります。そういうわけで、いちばんニュートラルなのはinternal statesとかinternal representationみたいな言い方かもしれません。
2006年08月31日
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■ Christof Koch
セミナーの準備でdetection taskをfMRIで使ってるやつとしては、以前採りあげたHeegerのNature Neuroscience '03 "Neuronal correlates of perception in early visual cortex"を使おうと思ってます。Detection/perceptionのneural correlateとしては、activation patternがhit=false alarm>miss=correct rejectionになってるところが重要なポイントなのですな。Early visual cortexであるにもかかわらず。これが運動系だと、たんなるmotor-related responseである可能性を排除するのが大変なわけだけど。
VikingさんがとりあげているShulman and CorbettaのJNP 2003 "Quantitative Analysis of Attention and Detection Signals During Visual Search"およびその元となっているPNAS 2001 "Multiple neural correlates of detection in the human brain"はstimulus+/-とresponse+/-とが直交する形になってないので、少なくともわたしの目的にはそぐわない。Ventral pathwayがdetectionでdorsal pathwayがsearchであるというストーリーは、本当かどうかは置くとして重要なので読んでおかなくてはならないのだけれど。
ともあれ、Heegerのみたいな結果のものを探していたら、Oliver SacksによるChristof KochのThe Quest for Consciousnessに関する記事を発見。調べたところ、まだ未発表みたい。でも、スゲー関連してるじゃんか。がぜんKochまわりを押さえておこうということに。これで本題へ。前置き長い。
まずcaltechのラボサイト。
ご存じのとおり、さいきん、Kochの"The Quest for Consciousness: A Neurobiological Approach"の和訳が岩波から出ました。「意識の探求―神経科学からのアプローチ」。ざっと見、これまでの研究のまとめ的な部分がけっこう多い。上記のOliver Sacksの記事にもあったけど、クリックの"The Astonishing Hypothesis"のsequel (=続編)的な側面が強いようです。訳者であるコッホラボの土谷尚嗣さんのサイトに一章のサンプル有り。これと原著の一章のサンプルとを見比べてみたら、和訳に原著にない文章がある。どういうことなんでしょう。和訳時にコッホがappendした?
Kochはかなり多岐にわたる仕事をしているけど、以前言及したLaurent IttiはKochの仕事のうち、saliency-baseなattentionのcomputational modelの方向を伸ばした人です。ほかにも、ニューロンのcompartment model的な取り扱いについては、local field potentialのモデルの話のところでSTさんの紹介でHoltの論文に言及しました。さいきんもGyörgy Buzsákiとの共著でJNP 2006に関連する論文が出てましたね。(コッホラボから落とせるpdfへのリンク:"On the Origin of the Extracellular Action Potential Waveform")
UC BerkeleyのConversations with Historyでのインタビュー。Transcriptあり。Real audioインストールしてないけど。サールのインタビューもあって、これについては以前なんとかしてoggに変換して、iRiverで聞いてたのだけれど、どうやったのか忘れた。
Strange Angelsでのコッホとクリックとのインタビュー。mp3ファイルへの直リン。クリック味わい深い。おすすめ。音悪いけど。
- Title: 帰ってきました
- Excerpt: 仙台出張から帰ってきました。 12時前に仙台駅に無事到着。駅ビルで軽く昼食をすませて、1時から5時まで、4時間、科学的社会主義についての講義。参加者は、年配の...
2006年08月18日
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■ Unconscious cognitionの三つのcriteria
今日も今日とてレコーディングしてから統合脳班会議のポスター作り。ギリギリまでポスターに入れられるspecimenのデータを狙っていたのだけれども、思うようにはいかず。ま、こうやって集めたデータがあとで役に立つはず。
vikingさんのエントリでPerception & Psychophysicsに出た"Criteria for unconscious cognition: three types of dissociation" Schmidt and Vorbergというのを知りました。
これは以前わたしのところで取り上げた"Implicit perception and signal detection theory"に関連する話題ですな。
そのときのエントリの話をすると、awarenessの報告を元にしたdirect measureと、awarenessに依らない行動としての報告indrect measureとのdissociationとしてimplicit percetionを捉える、という話でした。Awarenessというのはおそらく、all-or-noneな現象ではなくて、もっとgradedなものである、というかall-or-noneであるというのはあくまでassumptionでしかありません。だから、direct measureにはsignal detection theoryによるsensitivityを使うべきであり、awarenessのあるなしの報告のような二分法(DehanneのprimingのfMRIで使われているような)では不充分、というのがNature Reviews Neuroscienceのメインのメッセージのひとつでした。
Awarenessがgradedな現象であるかということに関していえば、たとえば、BlindsightのG.Y.さんのawarenessの報告では、awarenessの強さは4段階のスコアに分けて解析されていました:
- score 1: Unaware - There was no feeling of something being there. A total guess.
- score 2: Aware - There was a feeling that something was there and guessed the direction.
- score 3: Aware - Fairly confident of the direction.
- score 4: Aware - Certain of the direction.
(Zeki S, Ffytche DH. "The Riddoch syndrome: insights into the neurobiology of conscious vision." Brain. 1998 121:25-45より。)
こういうことを踏まえて、awarenessをgradedなものとして分けて扱おうとするhuman imaging studyもあります。NeuroImage 2006 "An fMRI study of the neural correlates of graded visual perception."
んでもって、Nature Reviews Neuroscience 2005 "IMAGING IMPLICIT PERCEPTION: PROMISE AND PITFALLS"では、direct measure (D)とindirect measure (I)との関係をプロットしてやって、D=0のときにI>0であることを示すことによって、implicit perceptionのobjectiveなcriteriaとすることを提唱していました。
んでやっと今回の論文ですが、Nature Reviews Neuroscience 2005で言っているような方法(この論文では"simple dissociation"と呼んでいる)以外にもう二つの方法があることを示しています。2番目が"sensitivity dissociation"で、単に、D<Iであることを示すというもの、つまり、D=0でIの値を直接測定したり、外挿したりしない方法ですな。これでオッケーなら話は楽だが、なかなかそうはいかない。3番目が"double dissociation"で、ある操作(lesionをつくるとか、maskingをかけるとか)がDを大きくするのにIを小さくするとか、その逆とか、とにかく効果の向きが違う。この3番目がいちばんassumptionが少ない、というのが著者の意見だというのがabstを読んでわかったことです。
重要なので、読んでみます。
このへんの話題はラボセミナーでとりあげるネタとしてキープしておいたのだけれど、次回はもう少し初歩的なところでアプローチする予定(hit/miss/false alarm/correct rejectionの分類を使ったsingle-unitやBOLDの解析)。前提を共有することがとにかく重要なのです。
- Title: 休暇前で気が抜けたという感も
- Excerpt: ...
2006年02月02日
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■ David J. Heegerのトーク聞いてきました(最終回)
前回の続き。これで終了。
んでもって、activationの伝播のlatencyとしてactivationのpeak timeを使ってます。しかしこれは非常によろしくないやり方で、peak timeはactivationの大きさの影響をもろにかぶります。端的に言って、同じretinotopicalな位置に刺激を出して、contrastを上げてゆけば、activationが大きくなって、peak timeは後ろにずれる。だからそのeffectをさっ引くような処置をしていないのか、ということをHeegerに質問してみました。答えは、それはやっていて、supplementary dataではbinocular rivalryではなくて実際にgratingが動くような刺激での応答を取って、それをモデルに組み込んでさっ引いている、というものでした。それで完全に取り除けているかまではよくわからないけれど、とにかく処置はしているようでした。これはMethodological issueだけれども、データの解釈に根本的に響く問題でして、こいつは話がわかった上で聞いてるな、という印象だけ持ってもらえれば私の目的は達したというものです。
最後の方ではpreliminaryなデータを披露。なかなかおもしろい。同じ系でattentionの効果を見たというものですが。くわしいことはいちおうコメントアウトしておきます。昨年のSFNでも出してないようなので。
セミナー後のラボツアーにむりやり押し込んでもらって、自分の話をすこし聞いてもらいました。相手は専門家だからこちらの用意した図を見てすぐに話はわかったようで、評価は良さそうだったのだけれど、(あちこち回った一番最後だったから)いかんせんお疲れのご様子で、あまり深いことは話せず。でも、出来るだけのことは出来たのではないかと。コツコツと宣伝活動でした。以上です。
2006年02月01日
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■ David J. Heegerのトーク聞いてきました(つづき)
前回の続き。
話の内容はNature Neuroscience '05 "Traveling waves of activity in primary visual cortex during binocular rivalry"でした。これはどういう話かというと、binocular rivalry(=両眼視野闘争がなにかは省略。とりあえず見つけたリンクとしてはこのpdfの8ページを参考にしてください)では、右目と左目に別々に入った視覚刺激が一定の時間を持って入れ替わるのだけれど、その切り替わりの時間帯では片方の視覚刺激からもう片方へ一挙に切り替わるのではなくて、数秒かかってある視野の位置からだんだん広がるように切り替わってゆく、ということが知られています。んでもって、この切り替わりの過程をfMRIで見てやることで、視覚入力が同一な状態で、「見え」の切り替わりが起こるのを、V1のretinotopicalなmap内での活動の伝播として捉えてやろうとした、というのが今回の話です。
この切り替わりのタイミングを再現よく起こすために、視覚刺激にはリング状のgrating(縞模様)を使い、低コントラストのgratingを片目に提示してから、高コントラストのgratingを反対の目に提示します。んでもって、リング状の刺激の切り替わりが伝播したタイミングを被験者に報告させます。このタイミングとV1のactivationとを対応づけてやる、というわけです。たとえば、右上から右下に向かって低コントラストのgratingから高コントラストのgratingに切り替わってゆくのを見たときには、V1の右上視野に対応した部分から右下視野に対応した部分に向かってactivationの高いところが動いてゆく、というのを見ることが出来ます。
んでもって、被験者が伝播の速度が遅いと報告したときにはV1内でのactivationの伝播の速度も遅いし、被験者が伝播の速度が速いと報告したときにはV1内でのactivationの伝播の速度も速かった、というのがmain findingです。細かいことは省略。次回でこの話締めます。
2006年01月30日
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■ David J. Heegerのトーク聞いてきました
David J. Heegerはcomputational neuroscientistで、90年代から活躍してますが、有名な仕事は、以下の二つでしょう。
- Science '94 "Summation and division by neurons in primate visual cortex"
- JNS '97 "Linearity and Normalization in Simple Cells of the Macaque Primary Visual Cortex"
V1のsimple cellの反応特性が、LGNからの入力のsimpleなsummartionだけでなく、lateral inhibitionやfeedforward inhibitionなどによるnormalization(division)によって形成される、とするものです。当時のFersterのcoolingの論文(linear summationだけでできているとする説)とかで論争になっていたものです。んで、FregnacのNature '98でin vivoのsimple cellでのintraで視覚刺激によってshunting inhibitionが起こることが報告されて、そのあとにFersterも追従して、summation + normalizationということでほぼ決着が付いた、という話もあります。別件でした。
んで、それ以降はもっぱら、human fMRIでearly visual cortexに関して仕事を進めてきました。今回の話の内容はNature Neuroscience '05 "Traveling waves of activity in primary visual cortex during binocular rivalry"でしたが、わたし的に重要な仕事はNature Neuroscience '03 "Neuronal correlates of perception in early visual cortex"です。これは、contrast-detection taskをしているあいだのV1/V2/V3の活動をfMRIで調べたものでして、簡単なsignal detection theoryのパラダイムを使っています。つまり、visual stimulus+/-とdetectionのresponse+/-の2*2=4通り(hit, miss, false alarm, correct rejection)のactivationを取得しています。んでもって、これらの領野ではfalse alarm > missだったから、これらの領野の活動は、物理的な刺激の有無よりも、被験者の「見え」と対応しているのだ、というわけです。(Fig.4より。Hit=[視覚刺激があって、「見えた」と報告したとき]とfalse alarm=[視覚刺激がないのに「見えた」と報告したとき]のactivationが同じくらいであるのに対して、miss=[視覚刺激があるのに「見えない」と報告したとき]にはV1/V2/V3でactivationが小さくなる。) Early visual cortexがawarenessに関わっているかどうか、という問題意識から、今回のNature Neuroscience '05で両眼視野闘争の話へ行く、という流れは納得がいきます。
さて、このぐらいでHeeger自身のショートヒストリー紹介は終了。長くなったので、つづきは次回。
2005年10月27日
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■ homonymous hemianopia
Blindsightのpatient studyというのは初期はほとんどDBさんだし、ここ10年くらいのものはほとんどがGYさんを被験者としたものです。もちろんこのような現象が見られるのはこの二人に限ったことではないのですが、実際のところどのくらいの頻度で起こる現象なのか、というのが気になります。とくに、同名半盲homonymous hemianopiaの患者さんのうちでどのくらいの割合で見られるものなのか、というようなstudyはわたしが知る限りではありません。ようするに、hemineglectの場合で言えば"The Anatomy of Spatial Neglect based on Voxelwise Statistical Analysis: A Study of 140 Patients" Hans-Otto Karnath et alとかに相当するようなものがないのです。
んでさいきん見つけたのが子どもでの症例に関するこれ、
Dev Med Child Neurol. 2005 Oct;47(10):699-702. "Blindsight in children: does it exist and can it be used to help the child? Observations on a case series."
です。この雑誌を購読してないので論文は入手できなくて母集団がよくわからなかったのですが、hemianopiaなのは4人で、しかもそこで示されているblindsightの証拠はあくまで"evidence of perception of movement in the blind visual field"であって、stationaryなものに対するものではありません。つまり、RiddochによるBrain 1917とかで描写されているものと同様なものであって、DBさんやGYさんが示すようないわゆるblindsightではありません。というわけで、けっきょくのところわからずじまい。
というわけで、だれかメタアナリシスでもやれば、それだけでも価値ある論文になるのではないでしょうか。もしくは、上記のHans-Otto Karnath論文ででも、neglectのない純粋なhemianopiaの症例を解析しているわけでして……と考えるとなかなか難しい問題がありそうな予感も。じっさい、hemianopiaの症例の論文を読んでても、blindsightに関する記述がないものなんてざらだし、というかどうやら存在を認めていないようすもうかがえるし。
2005年09月08日
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■ nonhumanで信号検出理論(SDT)
nonhumanでSDTってどのくらいあるだろうか? こないだのEichenbaumのratでrecognition memory taskでSDTというのはあったけど。あ、ちなみにニューロンの反応をROC解析するというやつ(Schallとかがやるやつ)は単なるノンパラの解析の代替物であり、SDTではありません。nAFCの成績をd'にするだけ、というやつもほとんどSDTを使っているとは言えません(以下に混ざってるけど)。いや、もちろん、古典的なthresholdの概念から脱するということだけで充分価値があるわけですが。Criteria(=bias)をふってempirical ROCカーブを書くようなやつがどのくらいあるか、ということを私は知りたいのです。そういえば、これなんて
PNAS | April 24, 2001 | vol. 98 | no. 9 | 5359-5362
Rhesus monkeys know when they remember
Robert R. Hampton
Confidence ratingをしているといえるんではないでしょうか。ともあれ以下羅列。
Uncertain responses by humans and Rhesus monkeys (Macaca mulatta) in a psychophysical same-different task.
by Shields, Wendy E.; Smith, J. David; Washburn, David A.
from Journal of Experimental Psychology: General. 1997 Jun Vol 126(2) 147-164
Behavioural Processes
Volume 64, Issue 1 , 29 August 2003, Pages 121-129
Signal detection behavior in humans and rats: a comparison with matched tasks
Brain Res. 1974 Nov 29;81(1):119-32.
Signal detection analysis of stimulus discrimination in normal and split-brain monkeys.
Kulics AT, Carlson KR, Werner G.
J Acoust Soc Am. 1999 Mar;105(3):1784-800.
A signal detection analysis of auditory-frequency discrimination in the rat.
Talwar SK, Gerstein GL.
Percept Psychophys. 1997 Jul;59(5):774-82.
A signal detection theory analysis of gap detection in the rat.
Leitner DS, Carmody DP, Girten EM.
The Journal of Neurophysiology Vol. 83 No. 5 May 2000, pp. 2639-2648
Discrimination of Line Orientation in Humans and Monkeys
Pablo Vazquez, Monica Cano, and Carlos Acuna
Nature 431, 188-191 (9 September 2004)
Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus
Norbert J. Fortin, Sean P. Wright and Howard Eichenbaum
Volume 26, Issue 1 , April 2000, Pages 273-278
Sensing without Touching: Psychophysical Performance Based on Cortical Microstimulation
Detection thresholds for intensity increments in a single harmonic of synthetic Japanese macaque ( Macaca fuscata) monkey coo calls.
by Le Prell, Colleen; Moody, David B.
from Journal of Comparative Psychology. 2002 Sep Vol 116(3) 253-262
2005年01月13日
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■ ニコラス ハンフリー
喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 ニコラス ハンフリー(原著は"The mind made flesh" Nicholas Humphrey)
があったのではじめのほう(意識関連の部分)を少し読んでみました。意識のハードプロブレムのハードさ(コリン・マッギン流の)をいったん受け入れ、デネット流の消去主義やペンローズ-ハメロフ流の説明を行きすぎとして、進化的説明に持っていこうとするあたりの感触は悪くなさそうなので、もう少し読んでみようと思います……年度末のあれこれが無事済んだら(いやマジで)。
意識の進化的説明(「内なる目」も含めて)に関しては、身体化された心 フランシスコ ヴァレラ(The embodied mind" Varela)での9章「進化の道程とナチュラル・ドリフト」とつき合わせて読んでみる必要があることでしょう。
ちなみに1/6のエントリーで言及した"WHAT DO YOU BELIEVE IS TRUE EVEN THOUGH YOU CANNOT PROVE IT?"でのニコラス ハンフリーの答えはこんなかんじ。超訳、ということで勘弁。
"WHAT DO YOU BELIEVE IS TRUE EVEN THOUGH YOU CANNOT PROVE IT?"に対するニコラス ハンフリーの答え
人間の持つ「意識」とは手品の一種であって、これによってわれわれは説明のしようのない神秘があるかのように考えさせられている、そう私は信じている。誰が手品師で、なにが目的かって?手品師はnatural selectionであって、その目的はというと、人間の持つ自身への信頼と尊厳とを支えること、そうすることによって私たちが自分と他者の生命への価値を高いものとしておくことだ。
もしこの説が正しいなら、この説は私たち(科学者であろうとなかろうと)が「意識のハードプロブレム」をなんでそんなにもハードなものであると思うのか、簡単に説明してくれる。つまり、自然は意識をわざとハードなものとしたのだ。じじつ、「神秘主義的哲学者」たち(コリン・マッギン("mysterious flame")からローマ教皇まで、眼前の不可思議にひれ伏して、意識が物質的な脳から生じるということを理解するのは原理的に無理なのだと断ずる人たち)、彼らはまさに自然がそう望んだとおりに反応してみせているわけだ(衝撃と畏怖付きで)。
この説を私は証明できるかって?どうして人間がそのような経験をするのかを説明するような適応主義的な説明というものはどんなものでも証明するのは難しいのだけれど、この場合、加えて難題があるのだ。その難題は何かといえば、意識を合理的説明の届かない範囲に置くことに自然が成功したのと同じ程度に、それが自然が行ったことであるということを示す可能性そのものも自然はうまく隠しているに違いないのだ。
でもなんだって完璧ではない。抜け穴はあるかもしれない。どうやって脳で起こっている過程が意識の質的なものを持つようになったのか、をわれわれが説明するのは不可能なように見える(もしくはじじつ不可能である)いっぽうで、どうやって脳で起こっている過程がそのような質的なものを持つような印象をもつように作り上げられたかを説明することはまったく不可能なわけではないのかもしれない。(考えてみよう。わたしたちはなぜ2+2=5であるかを説明することはぜったいできないけれど、なぜあるひとが2+2=5であるというような錯覚を起こすのか、ということを説明するのはそれと比べればより容易であるだろう。)
この説を私は証明したいかって? それは難しい質問だ。もし意識が不可思議なものであるという信念が人間の希望の元であるとしたら、そのような手品の仕掛けを暴くと私たち全てが地獄に送られてしまうような危険があるのかもしれないのだから。
なお、今年の質問はニコラス ハンフリー自身が作ったものらしい。
2005年01月03日
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■ JNP 1月号
E. J. Tehovnik, W. M. Slocum, C. E. Carvey, and P. H. Schiller "Phosphene Induction and the Generation of Saccadic Eye Movements by Striate Cortex" J Neurophysiol 93: 1-19, 2005 [EndNote format]
ここ数年V1のMicrostimulationをやってきたE. J. Tehovnikによるレビュー。これが重要なのは、William Dobelleがやっているような人工視覚の応用と大いに関連があるからです。William Dobelleに関しては稿を改めていつか語りましょう。
んで、このレビューはここ最近Tehovnikがやりつづけている、V1へのmicrostimulationによって起きているであろうphospheneの生成に対してnonhuman primateがどのようにして応答するかを調べた一連の仕事についてまとめています。
はじめに彼がやったのは、二つの刺激刺激を出して刺激の出現時間を変えてやることでどちらの視覚刺激を選択するかを操作してやり、microstimulationによって選択がどうバイアスされるかを調べたもの。しかしこれはNewsomeとかがやっているperceptual decisionと似たようなもので、そんなに面白くはない。
重要なのはmicrostimulationによるphospheneを視覚刺激とどのくらい混同して、microstimulation単独の条件でphospheneへサッケードするかどうか、というあたりであって、そのへんに関するタスクのデザインが重要なのだと思うのだけれど、タスクとしてはしょぼい。あくまでこの人はmicrostimulation屋さんなのです。すくなくともいまのところ。
むしろこの人がいまのところいちばん得意としているのは、microstimulationのパラメータを調節していかにカラムレベル以下の小さな領域を刺激できるようにしているか、というあたりで、ここにかんして参考にすべきかと思われます。たとえばNewsomeの実験なんかでも1秒間とかmicrostimulationしっぱなしだったりして、いったいどこが刺激されているか(MTの方向カラムどころかMT外まで繋がるネットワークを刺激している可能性がある)さっぱりわかりません。同様なことはTirin MooreやGrazianoなんかあたりでも該当することでしょう。いっぽう、Tehovnikはfineですよ。刺激の効果を片目からの入力だけに限局するのに成功してたりする。つまり、ocular dominance columnの片方のほうだけを刺激しているといえるようなデータを持っているのです。
この仕事といまAOPになっている David C. Bradley, Philip R. Troyk, Joshua A. Berg, Martin Bak, Stuart Cogan, Robert Erickson, Conrad Kufta, Massimo Mascaro, Douglas McCreery, Edward M. Schmidt, Vernon Towle, and Hong Xu "VISUOTOPIC MAPPING THROUGH A MULTICHANNEL STIMULATING IMPLANT IN PRIMATE V1" J Neurophysiol (September 1, 2004) [EndNote format]、これらとhumanでのV1 microstimulationとをつなげる…ああもう誰かやってるんだろうなあ。
P. H. Schiller@MITと連名で論文を出す前からMITには所属しているみたい。私が知っているのは1996年のJ Neuroscience Methods("Electrical stimulation of neural tissue to evoke behavioral responses.")だけど。
レビューに関連するTehovnikの最近の仕事のリスト:
- European Journal of Neuroscience Volume 16 Issue 4 Page 751 - August 2002 "Differential effects of laminar stimulation of V1 cortex on target selection by macaque monkeys" Edward J. Tehovnik, Warren M. Slocum and Peter H. Schiller
- Experimental Brain Research Issue: Volume 148, Number 2 Date: January 2003 Pages: 233 - 237 "Microstimulation of macaque V1 disrupts target selection: effects of stimulation polarity" Edward J. Tehovnik and Warren M. Slocum
- European Journal of Neuroscience Volume 17 Issue 4 Page 870 - February 2003 "Saccadic eye movements evoked by microstimulation of striate cortex" Edward J. Tehovnik, Warren M. Slocum and Peter H. Schiller
- European Journal of Neuroscience Volume 18 Issue 4 Page 969 - August 2003 "Behavioural state affects saccadic eye movements evoked by microstimulation of striate cortex" Edward J. Tehovnik, Warren M. Slocum and Christina E. Carvey
- European Journal of Neuroscience Volume 20 Issue 1 Page 264 - July 2004 "Microstimulation of V1 delays the execution of visually guided saccades" Edward J. Tehovnik, Warren M. Slocum and Peter H. Schiller
- European Journal of Neuroscience Volume 20 Issue 6 Page 1674 - September 2004 "Microstimulation of V1 input layers disrupts the selection and detection of visual targets by monkeys" Warren M. Slocum and Edward J. Tehovnik
European Journal of Neuroscienceに出しつづけてレビューをJNPに出すというものすごく渋い仕事ぶり。見ている人はちゃんと見ている、ということでもあるのだけれど。
2004年08月03日
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■ Francis Crickの脳科学への寄与
つづき。
- Nature '95 "Are we aware of neural activity in primary visual cortex?" by Francis Crick & Christof Koch。この組み合わせになってはじめての論文のはず。これも基本的には領野レベルの議論なんだけれど、前頭前野でのワーキングメモリー(これは悪しき「意識の劇場」概念の継承なんだけど)がアクセスできる領野しか意識には関わらないと考えると、V1は前頭前野とは直接結合がないので、意識には直接関わらない、とする作業仮説を提出したのです。作業仮説なので、著者としてもrejectされてぜんぜん構わないとしているのですが、もちろんいろんなやり方で反論が可能で、じっさいPollenがのちにコメントしています。私もこっちに付きます。この辺は以前のJon Driverのレビュー関連とあわせて、あらためてきちんと書いておくべきことなのでここではやらないでおきます。
- Cerebral Cortex '98 "Consciousness and Neuroscience." Francis Crick and Christof Koch。LogothetisのBinocular rivalryでの"visual awarenessのneural correlate"を大々的にフィーチャーしています。
- Nature '98 "Constraints on cortical and thalamic projections: the no-strong-loops hypothesis." FRANCIS CRICK AND CHRISTOF KOCH。大脳皮質の領野間の結合は大胆に単純化すれば、layer 2/3 -< layer 4 (forward)、 layer 5 -< layer 1/6 (feedback)となっていますので、興奮性ニューロンだけで領野間でlayer 4 -< layer 4のループができることはありません。そういうものがあっても、興奮性ループに抑制性ニューロンでのrecurrentの回路を入れておけば適当なところでoscillationするようになるのでそれでいいようにも思いますが、実際問題そういうふうにはなっていないのです(これは領野内のlayer間結合でも同じで、layer 4 -, layer 2/3は興奮性ニューロンですが、layer 2/3 -< layer 4は抑制性ニューロンしかないようです。このへんに関する参考文献はCerebral Cortex '03 "Interlaminar Connections in the Neocortex."。Fig.1は印刷して机に貼っておく価値があります。また、The Journal of Comparative Neurology '98 "Area-specific laminar distribution of cortical feedback neurons projecting to cat area 17: Quantitative analysis in the adult and during ontogeny."を見ると、feedbackの起点はほとんどlayer 5で、layer 6やlayer 2/3はadultではほとんどないことがわかります。)。んで、それと同様に、大脳皮質と視床との間でもそのような興奮性ニューロンが直接つながったstrong loopはないであろう、ということを予言しているわけです。それはそうかもしれないけれど、あまりインパクトはありません。どこがNatureなんだろうか。
- Nature Neuroscience '03 "A framework for consciousness." Francis Crick & Christof Koch
- "The zombie within." Christof Koch & Francis Crick
これら二つは、CrickがChalmersの議論(視覚運動変換の情報処理の全てを備えたうえでしかし視覚意識を持たないような「ゾンビ」を考えることができること)を通過してより慎重な態度にアップデートしたCrickとKochの理論の最新バージョン。読んでないけど。このへんはおそらくはKochがメインでやっているのではないでしょうか。
2004年08月02日
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■ Francis Crickの脳科学への寄与
Francis Crickが亡くなったことはすでに各地でニュースになっていると思います。Crickは1970年代あたりから脳科学に移行してとくに意識について考えつづけていました。そこで、Crickが脳科学の分野で(おもにChristof Kochといっしょに)発表してきたことについてクリップしておきましょう。
- PNAS '84 "Function of the thalamic reticular complex: the searchlight hypothesis." by Francis Crick。「注意」の機能が、空間や属性のなにかにfocusを向けるものであることを元に、そのようなサーチライト的な役割をはたせる脳の領域はどこかというと、視床のreticular complexではないか、と提案した論文。大脳皮質と視床の間との相互作用を重視することにはまちがいなく意味があって、Sillitoなどがさかんにやったことでもありますし、以前言及しました(5/12)ように、この仮説はStewart Shippによってreticular complectではなくてpulvinar complexがそのような注意とsalience mapの中継地点としての機能を果たしているものとして発展的に継承されています。
とはいえ、PNASに自分でcontributeした論文であって、内容自体はノーベルプライザーである大御所の思い付きであると捉えるべきでしょう。もちろん、Crickはそういう仮説を出すことができる(出すことが許される)貴重な存在としての役割を果たしてきたといえます。ともかくCrickはこの空間スケール(脳領域間の相互作用)と機能レベル(注意を向けるものと向けられるもの)での仮説を以降も提出してゆきます。 - "DNAに魂はあるか―驚異の仮説."
'94 "Astonishing hypothesis: the scientific search for the soul" by Francis Crickの邦訳。二重らせんの発見者としてのクリックの知名度から付けた邦題は科学書ファンを馬鹿にするものだと思うが、出版社はそうすれば売れると思ったのだろうか(いや、「バカの壁」をベストセラーにしたのは科学書ファンではないのだから、それでいいと思っているのだろうなあ)。ってそれはどうでもよいのだが。
んでこの本はじつは視覚情報処理の基本を抑えるという意味で実によい本です。Crick自身、脳と意識を解明するためには一番研究が進んでいる視覚系に絞ったほうがよいと考えてのことなわけで、これは非常にまっとうだったと思います。そして最後はcingulate cortexが自我の座であることがもうすぐわかるかのようにして閉じるわけです。うーむ、うまい。こういうのはベストセラーを書くためには外せないポイントかもしれない、ほんとうのところがどうかは別として。実際、この本の出版以降、cingulate cortexが脳機能マッピングの最終フロンティアとしてさかんに研究されてきたのはたしかなのです。
それからもうひとつコメントしなければならないこととして、少なくともこの時点までではCrickの基本思想は、意識のneural correlateを脳部位のどこかに見出そうというものであり、意識のハードプロブレムのハードさを了解しなかったと思うし、この点で私はCrick的アプローチとは最終的には敵対せねばならないと思っています。しかしそれにしてもこの本は、1990年代前半あたりの意識を研究対象にしようという流れ(リストを下のほうに別のエントリとして入れておきます)の一端を担ったものとして重要であることは間違いありません。
追記:Obituaryは以下のとおり。
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■ 1990年代前半あたり
の意識を研究対象にしようという流れを作り出した本リスト。
- Daniel C. Dennettの"Consciousness Explained" ('91) 邦訳は"解明される意識"

- Franscisco J. Varelaの"The Embodied Mind: Cognitive Science and Human Experience" ('91) 邦訳は"身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ"

- John R. Searleの"The Rediscovery of the Mind" ('92) 邦訳なし
- Gerald M. Edelmanの"Bright Air, Brilliant Fire: On the Matter of the Mind" ('92) 邦訳は"脳から心へ―心の進化の生物学"

- Antonio R. Damasioの"Descartes' Error: Emotion, Reason, and the Human Brain" ('94) 邦訳は"生存する脳―心と脳と身体の神秘"

- Paul M. Churchlandの"The Engine of Reason, The Seat of the Soul: A Philosophical Journey into the Brain" ('95) 邦訳は"認知哲学―脳科学から心の哲学へ"

- David J. Chalmersの"The Conscious Mind: In Search of a Fundamental Theory" ('96) 邦訳は"意識する心―脳と精神の根本理論を求めて"

2004年06月01日
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■ Nature 5/27
"Object-based attention determines dominance in binocular rivalry."
両眼視野闘争(binocular rivalry)とは、[右眼と左眼のそれぞれに別々の絵を見せたときに、その見えは両者が混ざったようなものではなくて、右眼に呈示しているものと左眼に呈示しているものとが時間的に交互に現れる]、という現象だ。この見えの変化が起こっているときに、網膜上で処理されているものはまったく変わっていない。しかし大脳皮質のどっかで、この見えの変化に対応しているところがあるはずである。それが腹側視覚路(とくに側頭視覚連合野)であることがLogothetisによって明らかになった。つまり、顔を見たときに選択的に活動するニューロンを記録しながら、顔の写真と太陽の絵とかで両眼視野闘争の状態を作って報告させる。すると、顔が見えている報告しているときにのみその顔ニューロンは活動するのだった(PNAS '97 "The role of temporal cortical areas in perceptual organization.")*1。またこの実験パラダイムはhuman fMRIへと移植され、Nancy Kanwisherがfusiform face areaでの顔への応答が両眼視野闘争での見えに時間的にロックしていることを示した("Binocular Rivalry and Visual Awareness in Human Extrastriate Cortex.")。以上、両眼視野闘争とそのneural correlateについて。
んでもって、それとはべつに両眼視野闘争のpsychophysicsはいろいろあって、なにによってその見えの切り替わり、つまり左右の入力の選択が起こっているか、ということがいろいろ議論されてきていた。たとえば、両眼視野闘争の状態で片方の視覚刺激をフラッシュさせると、そっちの方に見えが切り替わることがわかっている。この場合だったらおそらくabrupt onsetによるbottom-upのattentionが効いているのだろうと予想される。
というわけで今回の論文は両眼視野闘争とattentionについてのpsychophysicsだ。図1にあるように、ある方向に回転するランダムドットと逆に回転するランダムドットとが重ねあわされた刺激を使っている。これは最初の段階では両眼に呈示され、両眼視野闘争にはなっていない。この二つのランダムドットは重なり合っているから、このどちらかのランダムドットのグループへ注意を向けるのはspatial attentionではなくてobject-based attentionだ。このランダムドットのグループの片方は一瞬別の動きをしてまた戻る。このことで片方のランダムドットのグループにattentionが向けられる。それから片方のグループが右眼に、残りの方が左眼に呈示されて両眼視野闘争を引き起こす。するとその見えはattentionを向けられた方がそうでないほうよりもより多かった。つまり、両眼視野闘争はobject-based attentionによって影響を受ける。
つまり、ランダムドットがそろって同じ方向に回転するということがそのランダムドットのグループを一つのobjectとして捉える作用を持っており、そのことは両眼視野闘争の切り替えが起こっているプロセスと密接な関係を持っているということだ。じつはこのようなobjectの形成と両眼視野闘争との関係というのはすでに報告されており、著者らもreferしている。たとえば、両眼視野闘争で左右の眼に相補的な刺激パターンを呈示する。たとえば右眼にはパターンAB、左眼にはパターンB'A'を呈示して、右眼のパターンと左眼のパターンを組み合わせるとパターンAA'とBB'とが交互に見える、ってまどろっこしい。PNASのfull textが読める人はここのBを見てもらえばわかるでしょう。つまり、object / featureとしてのひとかたまりとして処理されたものが両眼視野闘争で見えたり見えなかったりする、ということだ。
著者はこの論文によって両眼視野闘争にattentionが影響を及ぼすかどうかという論争に終止符を打ったものと謳っている。これがこの論文がNatureに値する部分だ。よって、いままでの論争で本当に決着はついていなかったのか、今回の論文はattentionによる効果以外のもので説明できないか、というあたりについてcriticalに読むことが、この論文をjournal clubで取り上げる人にとっては重要であると見た、なんて勝手に宿題与えてみたりする(<-誰によ)。
*1:実際にはLogothetisの最初の報告はSTSでのmotion stimulusを使った両眼視野闘争(Science '89)、つづいてV1,V2,V4でのgratingを使った両眼視野闘争(Nature '96)があってから側頭連合野ニューロンでの形態を使った両眼視野闘争(PNAS '97)の順で発表されている。
2004年05月28日
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■ Tirin Moore
Mooreはこれで全部かというと、まだそうではない。PNAS '01はCharles Gross (側頭葉での顔ニューロンの第一発見者)によってcommunicateされている。また、シンポジウムではacknowledgementに入れてた。なるほど、Princetonつながりか、などと思っていたのだが、シンポジウム帰ってきて調べてみたら、共著があった。なんとTirin MooreはGross門下だったのだ。(Grazianoとの共著があることから考えればそれは当然予測できることだった。)
それで見つかってきたのが
- PNAS '01 "Direction of motion discrimination after early lesions of striate cortex (V1) of the macaque monkey."
- JNP '96 "Greater residual vision in monkeys after striate cortex damage in infancy."
- PNAS '95 "Localization of Visual Stimuli After Striate Cortex Damage in Monkeys."
なお、Tirin Mooreは独立して現在はStanfordにいるらしい。Webサイト。というわけでWilliam Newsomeとここで繋がってしまうわけだった。なるほどこうやって人脈が出来てゆくのか。
2004年02月12日
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■ 信号検出理論
Yonelinasの論文でさかんにreferしていたDetection theory : a user's guide by Neil A. Macmillan and C. Douglas Creelman (1991)を取り寄せていたのだが、きょう届く。無事間に合った。なるほどこれは便利そう。
昨日書いたLATER modelとSDTの話は、LATER modelでのdecision signalの分散とSDTでROC curveを書くときのnoiseまたはnoise+signalの分散とを同一視してよいかという問題になるのかも。
2004年02月11日
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■ 昨日のはようするに
Signal detection theoryとdecisionに関するLATER modelを繋げられないか、というようなことを考えているというわけ。
2000年02月15日
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■ サール:意識を科学的に研究するには(要約)
"How to study consciousness scientifically" John R. Searle
Phil. Trans. Roy. Soc. London Ser. B (1998) vol.353, 1935-1942
(訳注: この論文は自然科学系一般に関する学術誌の"The conscious brain: normal and abnormal"という特集号に出たもので、この特集自体は1997/12/5-6にあったAmerican Association for Research into Nervous and Mental Diseasesによるmeetingの内容を編集したものです。
同じ号には、Logothesis, Ungerleider, Singer, Llinas, Ramachandran, Damasio, Posner, Zekiなどが書いてます。Searleの書き方は基本的に平易ですが、この文は特に、科学者たちに向けて哲学的問題に深入りせずにわかりやすく書いている、という感じで読みやすいです。)
| 序論 | 意識を科学の問題として捉えるとは、「どうやって脳の過程が意識を引き 起こすのか、どうやって意識が脳で実現されているか」を説明することである。 この論文ではその進歩の障壁となっている哲学的誤りのうちの9つを採りあげ、 ひとつひとつ取り除く。 |
| 命題1 | 意識は定義できないので科学的分析に向かない。 | 1の答え | 分析的な定義(ある概念の本質を伝えるもの)と一般常識による定義(今何に ついて話しているかを明らかにするもの)を区別すべきである。意識の科学的研究 で必要なのは一般常識による定義の方だ。その意味では意識とは、目が覚めてか ら再び眠るまで続く、感覚のある主観的状態のことだ。 |
| 命題2 | 意識は主観的だが科学は客観的である。ゆえに意識の科学はありえない。 | 2の答え | 二つの意味の客観―主観区別を分けて考える必要がある。認識論的な意味 での客観―主観区別とは、その正しさを好みや態度によらずに決めることができ るかどうかだ。一方に存在論的意味での客観―主観区別がある。全ての意識的状 態は私が経験することによってしか存在しないという意味で、存在論的に主観的 である。よって存在論的に主観的な意識について認識論的に客観的な科学分析を することは矛盾していない。 |
| 命題3 | 客観的現象である神経発火と主観的な意識とを結びつける方法はない。 | 3の答え | 脳の過程が意識を引き起こすことがどうやって可能になるのかを説明する 理論を現在我々は持っていないが、そのことは脳の過程が実際に意識を引き起こ すという可能性を否定しない。心臓が血液を循環させていることはかつては神秘 的であった。脳に関して今のところ欠けているのは、脳が意識を引き起こすこと についての同様な説明だ。 |
| 命題4 | 意識を主観的要素(クオリア)と客観的要素とに分けることができて、クオ リアについては無視できる。 | 4の答え | 意識的状態とは質的な状態そのものことであり、意識の問題とクオリアの 問題は同一である。意識を何らかの第三者的、存在論的に客観的な現象として扱 い、クオリアをわきに退けるというやり方は単に問題を変えることである。 |
| 命題5 | 意識は生物の行動に対して因果的には働いていない随伴現象だ。 | 5の答え | 私が腕を上げるとき、意志決定というマクロレベルの説明もあれば、シナ プスと神経伝達物質によるミクロレベルの説明もある。そしてマクロレベルでの 特徴がそれ自身ミクロな要素の動態によって引き起こされるという場合は、マク ロレベルの特徴が随伴現象的なものであることを示してはいない。 |
| 命題6 | 意識には進化的な機能はない。意識を欠いて行動するゾンビを想像するの はやさしいからだ。 | 6の答え | 翼の進化的機能を検証する際には、翼がなくても飛ぶことができる鳥を想 像できるからといって、翼が無用であるなどと議論することはだれも許されると は思わない。意識がなくても人や動物が同じようにふるまうのを想像できるから といって、意識が無用であると議論することはできない。 |
| 命題7 | 意識の因果的説明は必然的に二元論であり、ゆえにつじつまが合わない。 | 7の答え | 因果的説明には、因果的に創発する特性によるものもある。分子が格子構 造の中で振動するとき、その物体は固体である。固体性は分子の動きの総和以上 の因果的に創発する特性である。意識も固体性と同様、システムのミクロな要素 の動態による創発的な特性である。このような因果的説明は脳と意識との二元論 を含意しない。 |
| 命題8 | 意識の科学的説明は意識をニューロン活動に還元する。 | 8の答え | 熱や色の還元ではそれについての主観的経験を削り落としてその概念をそ の経験の原因から定義しなおす。しかし現象が主観的現象それ自身であるときに は、主観的経験を削り落とすことは不可能だ。このような創発的特性の場合には 現象を取り除かずに因果的説明を与えるべきだ。 |
| 命題9 | 意識の説明は情報処理過程についての説明である。 | 9の答え | 意識とは人間や動物の神経系の内因的な特性である。一方、情報処理は観 察者の心の中にある。コンピューターにある情報はそれを見ている人にあるので あって、それにとって内因的にあるのではない。内因的情報と観察者による情報 とに区別をつけるためには意識の概念を必要とするため、意識の概念を情報処理 の面から説明することは出来ない。 |
| 結論 | 避けるべき誤りは「意識を捉えそこなって問題を変えてしまうこと」およ び「意識のことを真剣に捉えようとしないこと」だ。 |