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■ 科学基礎論学会「神経現象学と当事者研究」の要旨掲載しました

科学基礎論学会 秋の研究例会ワークショップ@駒場(11/2)でトークをします。Webサイトからプログラムがダウンロードできるようになりました。

東京大学大学院総合文化研究科の石原孝二先生がオーガナイザーで「神経現象学と当事者研究」というタイトルのワークショップが提案されまして、それの中で「意識の神経科学と神経現象学」というタイトルで話題提供を行います。

要旨が学会webサイトに掲載されました。許可を得ましたので以下に転載します。参考文献リストを追加してあります。


意識の神経科学と神経現象学

吉田 正俊 (Masatoshi Yoshida) 自然科学研究機構・生理学研究所

著者は神経科学の立場から「盲視」という現象を通して、意識の科学的解明を目指した研究を進めてきた。「盲視」という現象は脳梗塞などで第一次視覚野を損傷した患者で見られる。第一次視覚野を損傷すると視野の一部が欠損する、つまり視覚的意識が失われる(「同名半盲」と呼ばれる)。一部の患者ではそれにもかかわらず、強制選択条件で欠損視野に提示された視覚刺激の位置などを答えるテストを行うと、あてずっぽうで答えているのに正解してしまう。これを盲視と呼ぶ。つまり盲視の症例は「視覚的な意識経験」と「自発的な視覚情報処理」とが乖離しうることを表している。

では盲視を持つ人は欠損視野に提示された視覚刺激に対する意識経験を持っていないのかというとそうではないらしい。視覚刺激が何なのかは分からないけれども、「なにかがあるかんじ」はするというのだ。つまり、意識経験の「内容content」はないけれども「現前性presence」だけを持っているようなのだ。著者は以前の研究で、盲視の実験モデル動物は「視覚サリエンス」(視覚刺激の空間配置のみによって決まる、視覚刺激が注意を誘引する度合い) の情報を利用することが出来るということを明らかにした(Yoshida et al 2012)。視覚サリエンスは視覚刺激の位置の情報だけを持ち、 視覚刺激の内容の情報を持たない。そこで著者は以下の仮説を提唱した:われわれの視覚経験はふたつのレイヤーの重ね合わせである。一つは日常生活で私たちが体験する「視覚的意識経験」そしてもうひとつは「視覚サリエンス」であり、前者が視覚経験の内容を、後者が視覚経験の現前性を構成している。盲視という現象はこの二つのレイヤーが乖離した自体であると。

さてそれでは、盲視で起こっていることを神経科学的に解明するにはどうすればよいだろうか? 意識の神経科学において現在主流となっているアプローチはcontrastive methodと言われるものだ。これは意識経験がある条件Aとない条件Bとを比較して、脳活動に違いが見られればそれは意識経験に対応した神経活動(「意識の神経相関」)だと結論づけるものだ。これはデネットが「ヘテロ現象学」と呼ぶ、いわば意識の三人称的アプローチである(Dennett 1991)。ヘテロ現象学においては、意識経験があるかないかを被験者が言語報告やボタン押しによって報告する。研究者はこの報告が意識経験についての信念を表しているものとして解釈する (志向姿勢) 。これによって研究者は被験者に意識経験が実在するかどうかを問わずに意識経験を研究することが可能になる。この帰結として、ヘテロ現象学での意識の科学は哲学的ゾンビにとっての意識の科学となってしまう。それでよいのだろうか?

意識の科学的解明のためにはなんらかの一人称的なアプローチが必要なのではないだろうか? ヴァレラが提唱する「神経現象学」 (Varela 1996; Varela 1999)では、意識経験を一人称的かつ誰でも同意できる形で説明するためには以下の三つの手法の統合が必要であると提唱する。1) 意識経験のフッサール現象学的な分析、 2) 生物学的システムに関する経験的な実験、 3) 力学系理論による両者の統合。ルッツら(Lutz et al 2002)はヴァレラの神経現象学を実践するために以下の手段を執った。1) 認知課題を行っている被験者は現象学的還元によって、事項が経験される仕方に注目するように自分を訓練する。これによって被験者は課題遂行中の自分の準備状態について発見的に報告できるようになった。2) このときの脳活動を多点電極から脳波計測としてデータを取得した。 3) 力学系的な方法での解析として、脳波の位相が複数の電極の間で同期する現象を解析した。これによって現象学的に明らかにされた準備状態の違いに対応して同期の度合いが違うことを明らかにした。この方法は意識状態について「発見的にカテゴリー分けをする」点以外はヘテロ現象学と違いはない。よって結局のところcontrastive methodであって、力学系的な「内的に区別可能なカテゴリーの創発」とはなっていない。つまりこの仕事はヴァレラが提唱した神経現象学を実践できていない。ではどうすればよいか。もし現象学が意識経験Aと意識経験Bのあいだの「違い」ではなくて「構造的な関係」を明らかにして、神経科学が力学系的な解析の力を借りて二つの意識経験の間を行き来するプロセスを記述すればよいのではないだろうか。

盲視の例に戻って考えてみることにしよう。ザハヴィは現象的意識の構成的特徴として「前反省的自己意識」が不可欠であると書く(Zahavi and Parnas 1998)。前反省的自己意識とは、経験的現象が現象学的な意味での反省を経る前から直接的一人称的に与えられているということを指す。この意味においては、盲視の研究から示唆された視覚の二つのレイヤーはどちらとも前反省的自己意識を持っている。「視覚の現前性」とは無意識の過程ではなくて、「意識の内容」を図とするならば、それに対する地の関係として意識経験を構成するものなのかもしれない。ならばそれぞれに関連する脳活動がどのようなダイナミクスを持って関係しているかを明らかにすることで盲視の神経現象学を実践できるはずだ。

盲視の例で示したように、神経心理における患者の主観的経験から現象学的分析を深めてゆくという神経現象学は当事者研究ととても近い位置にある。当事者研究では、日常実践の中で問題を抱えた個人が、そんな自分の苦労を客観視しながら仲間に語り、仲間と共にその苦労が発生する規則性についての仮説を考え、対処法を実験的に探りながら検証してゆく(綾屋・熊谷2010)。これは生から乖離しないという原則のもとにあるという意味で現象学的であると言える。当事者研究での解析は、被験者と統制群との間での違いを探るcontrastiveな方法ではなくて、個人の状態変化への介入の効果を検証する単一事例研究法を元にしている。この方法を深化させることで力学系的なとらえ方ができるかもしれない。つまり、繰り返される現象を相空間で表現した上で、そのつど介入や環境や過去の影響によってその軌道が変化しているのを観察しながらその制御法を見つけ出すということはじつに力学系的なことなのだ。このような手法は幼児の発達や運動制御などの場面ではダイナミカルシステム理論という名で実際に活用されている。つまり、当事者研究を拡張することによって神経現象学的になり得るし、神経現象学を正しく実践すると当事者研究を拡張したものとなるのかもしれない。

参考文献



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