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■ クオリアについての「心の哲学」(7)

Stanford Encyclopedia of Philosophy---Qualia 7節(Tye, 1997)より:

VII. クオリアの表象理論

私とあなたがあるものを見て、あなたはそれを望遠鏡だと思うが、私はそう思わなかったとしても(私たちの経験は表象的に違う)、望遠鏡の見えかたは現象的には二人にとって全く同じである。これは私たちが同じ3次元表面、輪郭、色、形などを表象する経験を共有しているからだ。この表象はDavid Marr(1982)が提案した2 1/2次元スケッチと似た内容を持っている。2 1/2次元スケッチは初期知覚処理の出力を作り、高次の認知的処理システムへの入力となるが、表象主義者はここにクオリアが見つかると主張する。

クオリアの表象主義者によれば、微細物理レベルまで同じ双子での表象的な内容の違いとは、双子それぞれの環境での主体と対象との関連(tracking)である。表象主義ではクオリアは「主体が直接的に意識している観念の内在的特質」ではなく、むしろ「個人とその環境との間の外的な関係によって決定付けられる外在的特質」である。クオリアはある種の表象的特質と同一である。弱い重生起命題からすれば表象的内容が同一である双子は必然的に現象的特性も同一であることとなる。

表象主義への反例として(1)経験の表象的内容は同一であるが現象的特性には異なるもの(逆転スペクトル)、(2)経験が別の表象的内容を持っているが現象的に同一である例(Ned Block 1990の逆転地球)(3)ある種の経験は持っているが表象的内容を持っていないと思われるような例(Davidson 1986のスワンプマン)がある。

「逆転地球」についてだけ手短に議論する。逆転地球での物の色は地球にある対応物の補色になっている。逆転地球の住民は地球とは逆さまの表象的内容を持っている。彼らは空は黄色く、芝生は赤く感じるが、地球上の私たちと同様、空のことを「青」と呼び、芝生のことを「緑」と呼ぶ。地球人のあなたは(知らないうちに)目に色の逆転レンズを入れられて逆転地球に連れていかれる。あなたは逆転レンズのせいで違いに気づかない。しかし時間が経って逆転地球に順応するとあなたは他の住民と同様、空は黄色いと信じるようになる。だから新しいあなたは昔とは表象的に逆転しているが、現象的にはあなたの経験には変化がない。よって表象主義は間違いとなる。

この反論に対する返答は、色についての正常なtrackingには変化が起こっていないとすることだ。逆転地球への環境の変化は正常なtrackingを変えないし、ゆえにあなたの経験の表象的内容も変えない。


[qualia:2192]吉田
「David Marrの2 1/2次元スケッチ」について補足すると、両目の網膜上の二次元画像から輪郭、色などの要素を抽出し、影、視差などの情報を合わせて立体像を再構成する、というのが大脳の初期視覚野で行われていることであるとする説です。


[qualia:2211]村上
> る。2 1/2次元スケッチは初期的なモジュール的知覚処理の出力を作り、次の高
> 次の認知的処理システムへの入力となるが、表象主義者はここでクオリアが見つ
> かると主張する。

これはvisual awarenessが低次視覚野「のみ」で成立するということなのでしょうか。もしそうであれば,直感的には,うーん,どうかなあという感じですね。あるいは茂木さんの仰る「ポインタに指されていないクオリア」みたいなものが考えられているのかも?

> なくとも一部は決定付けられているとする。広義の表象主義者によれば、微細物
> 理レベルでの双子で表象的な内容に違いを作っているものは外的な違いであり、
> つまり双子それぞれの環境での主体とものとの関連(tracking)である。

これは正しかろうと思いますが,夢とか幻覚とかを考えると,外的な違いではなくとも表象に違いが生じることもある,という気がします。あるいは,「外」とは何か?と問い詰めても良いのかもしれません。このテキストの議論では「意識=脳内現象」が前提されてはいないようなので,ここで「外」と書かれているものは必ずしも「脳の外」を意味してはいないと思うのですが,そうすると一体「外」というのは何なのでしょうか。

また,脳内現象が異なると微細物理レベルが異なることになるだろうと思うのですが,上の文章からは,外的な違いがあるにも関わらず内部の微細物理は変わらない,つまり異なる感覚入力を受けているのに脳内現象は同一であるという状態を考えているようにも思えます。しかし,そんな状態はありえるのかな…?

> あなたの目に色の逆転レンズを入れてあなたを逆転地球に連れてゆく。目覚
> めたあなたは逆転レンズのせいで違いに気づかない。しかし時間が経って逆
> 転地球に順応するとあなたは他の住民と同様、空は黄色いと信じるようにな
> る。だから新しいあなたは昔とは表象的に逆転しているが、現象的にはあな
> たの経験には変化がない。よって表象主義は間違いとなる。

この思考実験の論理がよく分からないのですが(^_^;),なぜ被験者は空を黄色いと信じるようになるのでしょうか? ちょっと原文を探ってみたのですが,

> But after enough time has passed, after you have become sufficiently
> embedded in the language and physical environment of Inverted Earth,
> your intentional contents will come to match those of the other
> inhabitants.

もしかして,色の表象は目に入る光以外とは無関系に,他の環境要因や言語によって規定されると考えられている…?


[qualia:2217]吉田
> これはvisual awarenessが低次視覚野「のみ」で成立するということなのでしょ
> うか。もしそうであれば,直感的には,うーん,どうかなあという感じですね。
> あるいは茂木さんの仰る「ポインタに指されていないクオリア」みたいなもの
> が考えられているのかも?

いやあ、実はここは原文読んでていまいちわからなかったところでして、Representationalists sometimes claim that it is here at this level of content that qualia are to be found.のhere at this levelというのはthe early, largely modular sensory processingとhigher-level cognitive processingとをつなぐ2 1/2Dスケッチのことだろうと思うのですが、いまいち確かでないです。クリックの説でのV1以外のhigher-levelのvisual cortexのレベルでvisual awarenessが成立するというのとたぶん同じとして考えている感じがします。(2 1/2Dスケッチ自体はV1/V2/V4辺りまでで成立している感じがしますが。)

> この思考実験の論理がよく分からないのですが(^_^;),なぜ被験者は空を黄色
> いと信じるようになるのでしょうか?

実は私も読んでて理解できませんでした。実は手元にNed Blockの"Inverted Earth"の論文がありまして、これを読めばさすがにわかると思うのですがまだ手付かずです。


[qualia:2353]吉田
> これは正しかろうと思いますが,夢とか幻覚とかを考えると,外的な違いでは
> なくとも表象に違いが生じることもある,という気がします。あるいは,「外」
> とは何か?と問い詰めても良いのかもしれません。このテキストの議論では
> 「意識=脳内現象」が前提されてはいないようなので,ここで「外」と書かれ
> ているものは必ずしも「脳の外」を意味してはいないと思うのですが,そうす
> ると一体「外」というのは何なのでしょうか。

Tyeのほかの論文を読んでみると、フラッシュの残像はそれが表象しているcontentがある、痛みも何かについての表象である、という言い方をしてます。痛み自身は脳の中にあって、痛みが表象するものは(たとえば)ひざにある傷である、といいます。そこから推定すると、「外」というとき、「脳の外」を意味しているようです。でも幻覚のことまで考えれば、さらに脳の中にまで入っていかないといけない。私の幻覚と双子の幻覚が表象的に違うのはそれが表象するcontentが違うから、という感じで、どんどん中へ入っていくことになる。この辺どう考えてんのかわかりませんが、なんか文献学みたいになってきているので、とりあえずは疑問として残しておくことにしておくのがよいかと思います。

> また,脳内現象が異なると微細物理レベルが異なることになるだろうと思うの
> ですが,上の文章からは,外的な違いがあるにも関わらず内部の微細物理は変
> わらない,つまり異なる感覚入力を受けているのに脳内現象は同一であるとい
> う状態を考えているようにも思えます。しかし,そんな状態はありえるのかな…?

訳をそのまま理解するとそういう感じがしますが、脳内状態は同一ではないと理解した方がよい感じがします。

> この思考実験の論理がよく分からないのですが(^_^;),なぜ被験者は空を黄色
> いと信じるようになるのでしょうか?

私もよくわからなかったので、元ネタの論文:Ned Block, "Inverted Earth"を読んでみました。この話で、現象的な部分が変化しないことについてはまあ問題ないと思うのですが、志向的、機能的な部分がどうなのか、というところが話をわかりにくくしているようです。

逆転地球に移された君にとって逆転地球の空は、地球の空と同様、青く見える。逆転地球に移された初日の君が「空が青い」というとき、青いもの(460nmの光を持つ地球の空)を指している。しかし、自分が逆転地球にいること、逆転地球の住人には空が(現象的に)黄色く見えているのに「空は青い」と呼ぶような言語習慣を持っていることなどを知ってそれに慣れると、君は「空が青い」という言葉で、黄色いもの(570nmの光を持つ逆転地球の空)を指すようになる(ちなみに設定として、地球と逆転地球は交流があって、お互いの星の絵の具を買ったり、互いのラジオが聞いたりできる)。

まとめると、君が「空が青い」と言うときに指しているもの:
---地球にいたとき:地球の空(青いもの)
---逆転地球初日:逆転地球の空(青いものだと思い込んでいる)
---逆転地球での50年後:逆転地球の空(黄色いもの)

そして、機能的状態とは、[入力と出力および他の心的状態と因果的関係を持っている状態]のことであり、よって逆転地球の話では、青いものを入力としているとき(地球のとき)と黄色いものを入力としているとき(逆転地球50年後)では機能的状態が違う、ということになる、これがBlockの言い分です。

私自身わかったようなわからないような感じなのですが、Blockはひとつたとえを出しています。
君は地球にいたときThatcher首相(以下MTと略す)を知っていた。逆転地球には対応するそっくりさんのニセMTがいるが、逆転地球初日にニセMTを見て「MTだ」と言ったら、君は逆転地球人とは違ったものを指している (機能的、表象的に逆転地球人と君は違っている)。しかし、「MTだ」という言葉をニセMTを指す言葉として使うようになれば、君の「MTだ」という言葉は機能的に逆転地球人と同じになる。
どうでしょう?

ひとつすぐ浮かぶ反論は、「入力は逆転地球の空=黄色いもの、ではなくて逆転レンズを通して入ってくる青い光線なのでは」(外と中の境界はレンズと空の間ではなく、レンズと瞳の間である、とする)というものですが、Blockの反論は外と中の境界をそのように内側に持っていくのであれば、逆転レンズを入れる場所も内側に持っていくだけだ、と言ってるようです(この辺不確か)。

それから、逆転地球の空を黄色い、と地球の言葉で表現するのも果たして正しいのかよくわかりません。

逆転地球の話は逆転スペクトルの話の弱点をなくそうと作られたものですが(そのため、逆転させるものが逆転スペクトルでは現象的側面だったのに、逆転地球では機能的、表象的側面になっている。現象的側面の逆転は本人の報告に依らなければならない弱点を持っている)、逆転スペクトルと比べて逆転地球の話は直感的に訴えかけてこないです。

> ちょっと原文を探ってみたのですが,
> > But after enough time has passed, after you have become sufficiently
> > embedded in the language and physical environment of Inverted Earth,
> > your intentional contents will come to match those of the other
> > inhabitants.
>
> もしかして,色の表象は目に入る光以外とは無関係に,他の環境要因や言語に
> よって規定されると考えられている…?

以上が、表象がどう規定されているかについての説(私が理解した範囲での)明にもなっているかと思います。もっとも、参考にしたBlockの論文自体はfunctionalism, intentionalismに対しての議論であって、表象の話とはイコールではないようですが。


[qualia:2360]村上
> 君が「空が青い」と言うときに指しているもの:
> ---地球にいたとき:地球の空(青いもの)
> ---逆転地球初日:逆転地球の空(青いものだと思い込んでいる)
> ---逆転地球での50年後:逆転地球の空(黄色いもの)

1つ確認したいのですが,最後の逆転地球での50年後でも,やはり被験者は逆転レンズを装着したままなのでしょうか? つまり,逆転地球の空が黄色であるということは単に知識として知っている。

> ひとつすぐ浮かぶ反論は、「入力は逆転地球の空=黄色いもの、ではなくて
> 逆転レンズを通して入ってくる青い光線なのでは」
> (外と中の境界はレンズと空の間ではなく、レンズと瞳の間である、とする)
> というものですが、Blockの反論は
> 外と中の境界をそのように内側に持っていくのであれば、
> 逆転レンズを入れる場所も内側に持っていくだけだ、と言ってるようです
> (この辺不確か)。

うーん,そのBlockの反論はどうなのでしょう。それでは逆転レンズが「内」と接するところ(表象と現象の境界)まで持って行かれてしまい,結局のところ逆転スペクトルの話と区別が付かなくなってしまいそうですが。

でも,機能主義に対しては確かに有効な反論のような気もします。機能主義にとっては「内」も全て機能の筈ですから,どこに内と外の境界を設定しようが,常にその境界よりも内側に逆転「機能」を置かれてしまいますね。

あと,要約の方なのですが,最後の段落の

> この反論に対する返答は、色についての正常なtrackingには変化が起こっ
> ていないとすることだ。逆転地球への環境の変化は正常なtrackingを変え
> ないし、ゆえにあなたの経験の表象的内容も変えない。

この部分は,要するに先の「入力は逆転地球の空=黄色いもの、ではなくて逆転レンズを通して入ってくる青い光線なのでは」という主張を意味していると考えてよいのでしょうか?


[qualia:2361]吉田
> 1つ確認したいのですが,最後の逆転地球での50年後でも,やはり被験者は
> 逆転レンズを装着したままなのでしょうか? つまり,逆転地球の空が黄色で
> あるということは単に知識として知っている。

そのとおりです。逆転レンズが途中で取れてしまったら、「現象的には地球にいたときと逆転地球にいるときとで同じ」というのが崩れてしまいますので、間違いありません。

> うーん,そのBlockの反論はどうなのでしょう。それでは逆転レンズが「内」
> と接するところ(表象と現象の境界)まで持って行かれてしまい,結局のとこ
> ろ逆転スペクトルの話と区別が付かなくなってしまいそうですが。

その辺についてはBlockの論文で言っているのですが、感覚中枢とその外側の境界がシャープでない例を考えればよい、というようなことが書いてあります。でもこれでは全然納得できないのですよね。

> > この反論に対する返答は、色についての正常なtrackingには変化が起こっ
> > ていないとすることだ。逆転地球への環境の変化は正常なtrackingを変え
> > ないし、ゆえにあなたの経験の表象的内容も変えない。
>
> この部分は,要するに先の「入力は逆転地球の空=黄色いもの、ではなくて逆
> 転レンズを通して入ってくる青い光線なのでは」という主張を意味していると
> 考えてよいのでしょうか?

いや、たぶんそうではないんではないかと思います。Trackingと言っているときも指しているのは、外部の「黄色いもの(逆転地球の空)」になるはずですので。

いきなりこのパラグラフの訳を出してしまいますと、
たぶん強い表象主義者がこの反論に対して答えるいちばん簡単な方法は(少なくともあなたの経験に関する限り)そこでは色についての正常なtrackingに何らかの変化が本当に起こっているということを否定することだ。結局「正常」という言葉は目的論的、非目的論的両方の意味を持つ。もしある経験が正常にtrackingするものが自然によってそうさせらているものである、つまり生物学的目的としてtrackするものであるなら、地球から逆転地球へと環境が移ることによっては正常なtrackingに関しては何も変わっていないし、ゆえにあなたの経験の表象的内容に関しても何も変わっていない。[人間という種が進化した際に自然によって決定付けられた青をtrackするときの感覚状態]はそのままであり続ける。たとえ逆転地球という異なる環境で時間が経ってその感覚状態がふつう黄色いものを見たときに引き起こされるものであるとしても。
おそらく目的論的には空を表象している、という意味では何も変わっていないだろうということ、それからたぶん、「正常な」trackingといっているあたりに意味があるんだと思いますが、「地球での正常なtracking」は逆転地球にいても保たれている(いつ地球に戻っても機能的、表象的に正常である)ということかな、そういう意味なら納得いくな、と思ってます。


[qualia:2368]村上
> おそらく目的論的には空を表象している、という意味では何も変わっていない
> だろうということ、それからたぶん、
> 「正常な」trackingといっているあたりに意味があるんだと思いますが、
> 「地球での正常なtracking」は逆転地球にいても保たれている
> (いつ地球に戻っても機能的、表象的に正常である)
> ということかな、そういう意味なら納得いくな、と思ってます。

なるほど,現象と表象内容のtrackingが変わってしまうわけではなく,いわば逆転地球の環境に対応してtrackingが増える?ということでしょうか。

ふと思ったのですが,そもそも
> 表象主義への反例として(1)経験の表象的内容は同一であるが現象的特性
> には異なるもの(逆転スペクトル)、(2)経験が別の表象的内容を持って
> いるが現象的に同一である例(Ned Block 1990の逆転地球)(3)ある種の
> 経験は持っているが表象的内容を持っていないと思われるような例(Davi
> dson 1986のスワンプマン)がある。

(1)はともかく(2)は何故反例となるのでしょう。(1)の場合は現象が異なる原因を表象内容以外の何かに求めないといけないですが,(2)の場合は表象内容が現象に対して縮退してしまいますが,だからと言って表象主義が否定されることはないような気もします。表象主義にとって,表象内容と現象は1対1対応でないといけないのでしょうか。とすると,逆転地球の例では,正常地球の空に対する「青」と逆転地球の空に対する「青」は実は異なる現象である必要が出て来ますね。同じように見えるけど,異なる現象。しかしそれはparadoxの臭いを感じたりもしますが…?(^_^;)


[qualia:2373]吉田
> ふと思ったのですが,そもそも
>
> > 表象主義への反例として(1)経験の表象的内容は同一であるが現象的特性
> > には異なるもの(逆転スペクトル)、(2)経験が別の表象的内容を持って
> > いるが現象的に同一である例(Ned Block 1990の逆転地球)(3)ある種の
> > 経験は持っているが表象的内容を持っていないと思われるような例(Davi
> > dson 1986のスワンプマン)がある。
>
> (1)はともかく(2)は何故反例となるのでしょう。(1)の場合は現象が異なる原
> 因を表象内容以外の何かに求めないといけないですが,(2)の場合は表象内容
> が現象に対して縮退してしまいますが,だからと言って表象主義が否定される
> ことはないような気もします。表象主義にとって,表象内容と現象は1対1対
> 応でないといけないのでしょうか。とすると,逆転地球の例では,正常地球の
> 空に対する「青」と逆転地球の空に対する「青」は実は異なる現象である必要
> が出て来ますね。同じように見えるけど,異なる現象。しかしそれはparadox
> の臭いを感じたりもしますが…?(^_^;)

本文でTyeは
(1)は「強い」表象主義、「弱い」表象主義両方の論難になり、(2)は「強い」表象主義のみにとって論難となる、と書いています。ですので「強い」表象主義とは何か、によると思います。「強い」と「弱い」の違いについて著者は明言してませんが、推測するに、
(本文より)広義の(=弱い)表象主義者によれば、微細物理的双子はその経験の現象的特性に関して違うということはありえない。
のに対して、
(本文より)強い表象主義者(Lycan 1996, Tye 1998)にとって逆転地球問題に関して用いることの出来る代案がいくつかあって、これには「クオリアが逆転地球への移動によっても変わらずにいることを否定する」というものや「(クオリアが変わらずに)非目的論的だが広義の感覚の内容の記述は詳しくなるかもしれないことを議論する」というのが含まれる。
とあるところを見ると、

「弱い」表象主義では「表象内容が同一であれば現象に関しても同一でなければならない」のに対して、「強い」表象主義では「表象内容が違っていれば現象に関しても違っていなければならない」ということであって(こっちの方が強いのは確か)、村上さん言うところの「表象内容と現象が1対1対応」しているというのが「強い」表象主義のほうで当てはまっているのではないかと推測します。

村上さん指摘の通り、「逆転地球の例では,正常地球の空に対する「青」と逆転地球の空に対する「青」は実は異なる現象である必要が出て来ますね。」まさにそのとおりのことが起きていて、「強い」表象主義者は逆転地球に対する反論としてTyeは逆転地球に行ったら(そして長い年月がたったら)青のクオリアが地球にいたときと変わっているかもしれない、と言います。これは無理がある反論かもしれないけど、Blockが排除しようとした、「現象時側面の変化を当事者の証言によって証拠とすること」が排除しきれていないことを示しているのかもしれません。
Blockは逆転スペクトルの話をさかさまにした改良バージョンとして逆転地球の話を作ったが、元の材料は同じだから、問題はやはりどっかに残っているのでは、というのが私が持っている疑念です。


[qualia:2375]村上
> 「強い」表象主義者は逆転地球に対する反論としてTyeは
> 逆転地球に行ったら(そして長い年月がたったら)
> 青のクオリアが地球にいたときと変わっているかもしれない、と言います。
> これは無理がある反論かもしれないけど、
> Blockが排除しようとした、
> 「現象時側面の変化を当事者の証言によって証拠とすること」
> が排除しきれていないことを示しているのかもしれません。
> Blockは逆転スペクトルの話をさかさまにした改良バージョンとして
> 逆転地球の話を作ったが、
> 元の材料は同じだから、問題はやはりどっかに残っているのでは、
> というのが私が持っている疑念です。

度々御解説頂き,恐れ入ります。(実は原文にしっかり書いてあったのですね。手抜きして読まずに質問を発してしまいました(^_^;))

確かに,論理的には表象主義者はBlockの追及から逃れることができそうです。逆に表象主義を攻めるとしたら,やはり幻覚の問題などが最大の論難なのでしょうか。要約からは省いてしまったのですが,VI節に次の一節がありました。

> This point holds good even if you are hallucinating and there is no real
> patch of paint on the wall before you. Still you have an experience of there
> being a patch of paint out there with a certain color and shape. It's just
> that this time your experience is a misrepresentation. And if you turn your
> attention inwards to your experience, you will `see' right through it again
> to those very same qualities.

メモに残っていた要約の跡もついでに書いておくと,
> このポイントは,白い壁に塗られた赤丸の幻覚を見ている場合でも通用する。
> そのとき,単に貴方は誤った表象を経験しているのである。

といった感じです。幻覚を指して "It's just a misrepresentation" と言うのですが,いま思い返すと,misrepresentaionとは何ぞや?と気になってしまいます。mis-representationの場合も,それがrealなものでは無いとしても何らかの表象内容(content)が必要な筈ですが,それはどこにあると考えているのでしょう。表象主義者は,幻覚のcontentを「外部」に設定できるのでしょうか…。


[qualia:2386]吉田
> 逆に表象主義を攻めるとしたら,やはり幻覚の問題などが最大の論難
> なのでしょうか。
(中略)
> 幻覚を指して "It's just a misrepresentation" と言う
> のですが,いま思い返すと,misrepresentaionとは何ぞや?と気になっ
> てしまいます。mis-representationの場合も,それがrealなものでは無
> いとしても何らかの表象内容(content)が必要な筈ですが,それはどこ
> にあると考えているのでしょう。表象主義者は,幻覚のcontentを「外部」
> に設定できるのでしょうか…。

たぶん、どこかでその問題は扱われていると思います(先述の痛みの表象の論文とかで)。外部に幻覚のcontentを置くということをおそらくやっていると推測します。ただ、とりあえずはこれ以上のことは今出来そうにありませんので、ここで打ち切らせてください。

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