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■ 駒場学部講義「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」準備中です
今年も昨年に引き続き、東大駒場の池上高志さんに誘われて、駒場の学部講義の一回分(90分*2)を担当します。
- 科目名: 「総合情報学特論III」
- 曜 限:水曜3・4限(13:00~14:30,14:50~16:20)
- 場 所:駒場キャンパス15号館1階104講義室
これはいろんな人が毎週喋るオムニバス講義というもので、こんなリスト:
- 5/8 多賀 厳太郎 発達脳科学
- 5/15 藤井 直敬 脳と世界
- 5/22 三輪 敬之 共創表現と場のデザイン
- 5/29 國吉 康夫 身体性情報構造と知能の創発・発達
- 6/19 茂木 健一郎 システム認知脳科学
- 6/26 吉田 正俊 意識の科学的研究 - 盲視を起点に
というわけで来週の水曜日は私が担当です。そんなわけで講義の準備してます。
駒場学部講義、前半部分はだいたい完成した。MIBを出して「網膜に映るものがすべて見えているわけではない」、これの極端な例が盲視、って導入で盲視、二つの視覚系(Ingleのカエル)、二つの視覚系(GoodaleのDF)、ふたたび盲視でvision for actionとしての盲視。
さて後半をどうするかだけど、意識の定義、ゾンビから入って、LogothetisのBRの神経相関の話までして、これがヘテロ現象学であることを示す。神経現象学のような試みはうまくいっていないが、一人称の神経科学というものをどうやればいいのかという課題は依然残る。
ノエのsensorimotor contingencyはそういうところから生まれていて、意識が脳の中にあるわけではないということを可塑性の議論から説明する。しかし夢の問題、色の問題などから考えるとノエの理論はもっと範囲を縮小するべき。背側経路のfeeling-of-something-happeningを作るものであって、意識の内容物そのものではない。また、意識経験を「構成する」のではなくて、「意識経験の前提条件となる」というところだろうという私見を述べる。
知覚は受動的なものではなくて常に行動とカップルした予想的なものであるということのempiricalなサポートとしてSommerの話をする。
そこから予想コード、フリストン自由エネルギーの話をして、active inferenceの話まですることで、decisionはconsciousnessではない、と高らかに宣言する(エー)。
まとめとしてはdorsal経路にノエ的な概念を押し込めて、dorsal, ventralのそれぞれにフリストン的な説明を入れる。(冬の大学院講義の最後のスライドのアップデート。) でもって池上さんに力学系入ってないじゃんってツッコまれる。ってそれでは予定調和でよろしくない。もうひと味加える必要がある。
力学系を入れるために考えていたのがヘテロ現象学への対抗策としてのヴァレラの神経現象学で、神経現象学では[フッサール現象学的な一人称データへのアプローチ]と[力学系によるモデル]と[神経科学的な計測]とを組み合わせることを目指している。
でも前から書いているようにこの試みはうまくいっているとは言えない。力学系的な神経科学とはどうあるべきなのかということはこれからの課題みたいな言い方にしかしようがない。「俺たちの戦いはこれからだぜ!」みたいな。
このあいだユーリッヒの伊藤さんが来たときにこのへんの話をしたら紹介してくれたのが、"Neural population dynamics during reaching"(PDF) で、なるほど非定常のものをどうやって相空間に表示できるように持ってくるかが課題なんだなということは分かった。
そんなわけで、書き出してみたらとてもではないがchronostasisまで話をしてらんないなということが判明したので、今の流れで説得力を書いている部分をちゃんと穴埋めする方向でスライドを作るとそのとき当日の朝になっていることが判明した!
それでもここでヘテロ現象学を入れておけば、来週の土曜の「現象学的な心」合評会にも使えるはず。そちらで言及するであろうHOTとpre-reflective self consciousnessについてはたぶん木、金でなんとかする。(なんとかなるかどうかは現在不明)
あと本当は入れたかったのはfeeling-of-something-happeningを突き詰めてゆくと、insulaのagency-presence経路のことを無視することは出来ないということ。
しかも最近統合失調症のサリエンス仮説についていろいろ読んできたので、上丘 -> (sensory salience) -> SNc -> (motivational salience) -> AI, ACCのsalience networkがまさに現象学でいうpre-reflective self consciousnessなんではないか(<-手近にあるモン全部くっつけただけだろ!)とか考えてる。
明示的な(後反省的な)社会性や自己は意識には必要ないかもしれないけど、前反省的な自己意識は意識の一人称的な性質のためには必須なんではないかと考えるようになってきた。だがすくなくとも今回の話に盛り込むのはちょっと無理。ぜひ別の機会ではそこまで到達したい。
今言ったような話に関しては"Two visual systems and the feeling of presence"という論文があって非常に関係ありそうなので、前から読もう読もうと思って今回も持ってきているのだけど、なかなかそこまで辿り着けない。
ともあれ後半の講義もスライドだけならすでに80枚で流れ作ってあるので今やれといわれても出来るようにはなっている。あとはこれをぶっ壊さないようにリファクタリングしてゆけばなんとかなるはず。(<-「リファクタリング」って言葉を使ってみたかっただけー)
わかった、順番を変える。予想脳、フリストン、神経相関、これらは全部ヘテロ現象学であって、一人称の神経科学となっていない。「神経現象学」という考えがこれこれこういう形で構想されているけれどまだ不充分な形である。そこでは現象学と力学系を入れ込む必要がある、俺たちの戦いはこれからだ、で締める。
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- / 投稿日: 2013年06月21日
- / カテゴリー: [視覚的意識 (visual awareness)]
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