[カテゴリー別保管庫] 駒場学部講義2015


2016年11月04日

駒場学部講義2015の準備メモ(2015年5月版)

今年の駒場講義(2015年6月10日)が近づいてきたのでそろそろ構成を考える。去年のハンドアウトはこちら。去年は両眼視野闘争と盲視からスタートして神経現象学と当事者研究でまとめるという方向性だったけど、今年は統合失調症の仕事が進んだのでそれを盛り込む。

いまの構想としては、前半は同じかんじ。両眼視野闘争からGoodale & Milnerと盲視の話に持って行って、腹側視覚経路と背側視覚経路の話で一旦まとめる。そこから盲視とサリエンシーの話をして、サリエンシーがベイジアンサプライズであることを説明してベイズ脳に持ってゆく。

そのあとで統合失調症について説明して、統合失調症のベイズ脳的説明(C Frith)を入れて、この考えがabberant saliece説と整合的であることを説明して、いまやってる仕事の話にまで持ってゆく。ここまで。

これだと連続性はあるのだけれども、半側空間無視の話が入らないのであまりよろしくない。本当はtake-home messageとして、盲視、半側空間無視、統合失調症を研究することでそれぞれ「知覚」「身体と空間」「agencyと現実感」という意識の解明に必須な要素にアプローチできるのではって話にしたいので。

半側空間無視の話をすることで注意の背側経路(LIP-FEF)と腹側経路(TPJ-VFC)の概念も導入して、統合失調症とサリエンスネットワーク(AI-ACC)まで入れると、脳内ネットワークのかなりの部分を抑えることができる。多次元レクチャーの文脈はこっちだった。今回はやらない。

とかいうことを考えて、統合失調症について今回の文脈(意識研究)のなかで最小限説明するべきことはなにかを考える。ここが今回の講義の準備としては必要になりそう。とりあえず図書館でいろいろ本借りてきた。「心をつくる」「幻聴と妄想の認知臨床心理学」「分裂病と人類」あと各種教科書。

統合失調症における意識経験という意味では「気づきの亢進」について以前ここで言及した:Aberrant salience仮説と潜在制止と主観的経験 ほんとは「自明性の喪失―分裂病の現象学」とか各種手記とかも探しておきたい。でも時間的にはクリスフリスの話をちゃんとスライドにする準備までとなりそう。


Cris Frithの論文を読んでいたら、統合失調症患者の主観的経験に関連してPeter Chadwick 1993が引用されていたがうちの施設からは取れないジャーナルだったので、代わりに単行本"Schizophrenia: The Positive Perspective. Explorations at the Outer Reaches of Human Experience (2nd edn)"を読もうと思ってBr. J. Psychiatryに掲載されたレビューを読んでみたら、開口一番”I wanted to like this book”だって。どうやら精神科医にはパーソナルに寄り過ぎてて不評な模様。

ベイズ脳的説明によると、統合失調症ではevidenceとpriorとのバランスがevidenceに寄っているため、確率的推論の場面でjumping-to-conclusionが起こるし、ラバーハンドイルージョンの効果が強いのは視覚と触覚の一致というevidenceが強いからだし、

逆にhollow maskイルージョンが効きにくいのは「鼻は出っ張っているもの」といったpriorが弱いから、ということになる。視覚サリエンシーの効果も、サリエンシーが「面は均一であるもの」といったpriorからのoutlierであるという意味で予測誤差であり、ベイズ的扱いからはKL(prior | posterior)というふうに取り扱うことができるという意味で、priorよりもevidenceに寄っていることの反映と捉えることができる。(PPIもMMNも同様。)

ああ、気づいたけど、scanapathが下がるとかはWM落ちるとかと同様下がる方向なので特異性がないんで、サリエンシー値が高くなるってのはそういう意味で大事に扱いたい。ラバーバンド錯覚が増大することよりもホロウマスク錯覚が効かないことのほうが特異性があるのと同様。


統合失調症の講義マテリアルづくりのための資料を探していて、ここを見つけた:Schizophrenia Block Course 2012 TNU Zurich これは素晴らしい。泣きながら一挙にダウンロードしました。

Abnormal Beliefs Updating in SZ これを見れば、latent inhibitionが下がることとサリエンシーが亢進することとは同じように扱えるのが分かる。トイモデル作って理解しておきたい。


駒場講義の準備。サリエンシーマップとpresenceの関係の議論についてもうちょっと詰めておきたいと思って、積んでた「指示、注意、意識 : Campbellの議論の問題点」を開いた。

ここで言及されているCampbellを探してみると、「視覚的注意に関するブール的地図理論」ってのが出てきて、それってサリエンシーマップのことじゃね?って思う。元ネタのHuang & Pashler Psychological review 2007(pdf)を開いてみると、Fig.4のところで「ビンゴ!」(<-映画でハッカーがパスワード当てたとき風)


「統合失調症」(医学書院)の52章を読んでいたら「…幻聴や妄想に似た経験は、精神科にかかったことのないいわゆる「健常者」も、高頻度で体験することが、多くの疫学調査で示されるようになった」ということが「ノーマライジング」の方策(当事者のスティグマを軽減する)として書いてあった。

ここでreferされていた論文はJ. van OsのPsychological Medicine (2009) これはpsychosis(精神症状)の経験について重要な資料となりそうだ。

J Van OsはDSM5に”Salience syndrome”という概念を入れようと提唱した人だけど(結果それはとりこまれなかった)、調べてみたら超大物だった:Google Scholar


トノーニ、マシミニの「意識はいつ生まれるのか」を入手した。俄然、いま作っている駒場講義スライドで統合情報理論について言及してみたくなったが、どうやっても入れこむことが出来ない。無理せず、統合失調症の方をちゃんと膨らませる方向で進める。明日のうちに目処がつくとよいのだけれど。


salience network (AI-ACC(-IFG))とventral attention network (rTPJ-rIFG)の関係だけど、Uddin 2015では重なっているか別ものかはまだ未確定としている。

両者が大きく関連していることはKucyi et al 2012とかを見るとよくわかる。

サリエンスネットワークではなくてcingulo-opercular networkっていう言い方でもっと広くlateral fissureのなかに折りたたまれたoperculum一帯を入れる言い方があることを知った。PNAS 2007とか。

TICS 2008 (pdf)とかを見ているとfronto-parietal (initial & adjust)とcingulo-opercular (set-maintenance)となっている。rsfMRI的に分かれるところまではかなり確立していて、それの機能的位置づけの解釈の問題というところか。


2015年06月10日

駒場学部講義2015 「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」レジメアップしました

駒場学部講義2015 「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」レジメアップしました。

駒場学部講義2015 総合情報学特論III 「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」 from Masatoshi Yoshida

今年の目玉は後半部。Predictive coding - フリストン自由エネルギーから統合失調症についての話を経由して、presenceへ。

統合失調症のトピックはコンパレーター仮説(フリス) - ベイズ的説明(フリストン) - 過剰サリエンス説(カプア)という流れになってきたが、ぜんぜんエナクティブでないのでなんか本意でない。現在確立しつつある視点を紹介という言い方になるか。

過剰サリエンス説と予想コーディング説を接続するという考えはすでにFletcher & Frith 2009 http://t.co/JmZPHmgJei に見られるので、それを基本的なところから、自分のongoingな仕事も絡めて解説した、というのが後半の講義の意義になる予定。

統合失調症のコンパレーター仮説(フリス) -> ベイズ的説明(フリストン) -> 過剰サリエンス説(カプア) という流れで作ってきたけれども、けっきょくのところベイズいらないじゃん(prediction errorで十分じゃん)とかベイズでDA-precision-salienceの概念を入れるならば、あらかじめサリエンス仮説の方を先に喋ったほうが良いじゃんとか、いろいろ構成を弄りたくなってきた。

でもDA-precision-salienceの話をするならばempiricalなevidenceも必要だろう。うーむ、削除かな!勇気ある撤退!(<-自己欺瞞)

こんなかんじでギリギリまでスライドアップデートしていてます。乞うご期待!


2015年06月06日

駒場講義2015/6/10の準備メモ

恒例の6月の駒場でのオムニバス講義「意識の神経科学:「気づき」と「サリエンシー」を手がかりに」6/10(水)がいよいよ近づいてきたので、講義に向けて準備しているところです。2012年から毎年、4年目となった池上高志さんの総合情報学特論IIIでの学部講義 105min * 2です。

昨年のレジメはこちらにあり:駒場講義2014「意識の神経科学を目指して」配付資料

今年もいくつか内容を補充してアップデートしたものをお送りする予定です。前日くらいにレジメをブログおよび生理研のサイトにアップロードする予定です。

今年は統合失調症についての話を盛り込んで、予測コーディングとサリエンシーとプレゼンスについて言及する予定。そんなわけで以下は準備メモです。


Predictive codingについての説明をするときってだいたいモジュール描いてトップダウンとボトムアップの絵を書く。(たとえばこういうやつ) でもそれだけだとホントのところ何をしているかわからないだろう。そこで流れているというpredictionとかprediction errorというものの実態が見えるような説明を作りたい。

結局のところ、たとえば顔モジュールから送られてくるpredictionというのは「顔があるかどうかの確率密度分布の時間的変動」でしかない。つまり、実態は発火頻度の時間変動であって、それが意味を成すのはそのニューロンの反応選択性の組で取り扱ったとき(=likelihood function)だけだ。prediction errorも同じ確率密度分布の引き算だ。

たとえばRaoの論文Vision Research 1999とか、昨今のfMRIデコーディング論文とかにあるように、表象されている絵が時々刻々と切り替わっているのを見ると、あたかも詳細な顔の絵の表象が顔モジュールにあってそれが送られてくるように誤解されるかもしれない。(追記:あとでVision Research 1999確認してみたら、pixelベースでprediction error作る絵が書かれている。誤解してたかも。この後あとで見直す予定。)

Prinzの中間レベル表象説は顔モジュールレベルにはretinotopicな情報がないことをわかっているのでこの意味での誤解はないと思うけど、じゃあ中間レベルに全部を持っているところがあるかというとそれは幻想で、ただただ分散表象されていると言わざるをえないだろう。

Ittiのbayesian surpriseを説明するときに使う「テレビの砂嵐はエントロピー最大だけどサプライズはない」って話(こちらのサイトの"What is the essence of surprise?"の項目参照)について考えてみよう。フレームごとの砂嵐の変化はpixelレベルではものすごく大きな情報量があるといえるのだけれども、人間の認識レベルではその違いに気づかずに同じ砂嵐だと思う。

だからt=1での砂嵐からt=2での砂嵐への変化は人間にとってのサプライズはないし、uncertaintyの減少(情報量の増加)も起こらない。これは、情報量というのは外界にあるものではなくて、外界とセンサーとの間の関係で決まるものなのだから当たり前。

でもそれだけの話ではなくて、網膜のセンサーのレベルでの時間空間解像度があって、それが層ごとに「処理」を経て、あるレベルでは「顔があるか否か」「建物があるか否か」といったpopulation codingでの時間空間解像度になっていく過程で情報量云々というのはそれぞれの層ごとの伝達でのことに限られる。ってやっぱあたりまえか。

とにかく、通り一遍なprediction codingの説明を神経回路網の考えで前提となっているところを正しくおさえたうえで説明するにはどうすればいいかということ。

分散表現を身も蓋もない感じで表現するならば、顔モジュールが持つ確率密度分布、色モジュールが持つ確率密度分布(+おおよその刺激位置の確率密度分布)、傾きモジュールが持つ確率密度分布(+詳細な刺激位置の確率密度分布)があって、どこにも「顔」の絵(ピクトリアルな表象)なんてない。これを強調しておきたい。

そのうえで、それが層間でどう相互作用して時間変動するかってところがprediction codingなのであって、それ以外はあくまでコネクショニストなのだから。(ただし、ここでは中間層がsparseな表象をしているように書いている。実際には投射ニューロンはスパースで、介在ニューロンはコネクショニズムの中間層的な表象をしている、って話になるだろう。)

こんなこと言い出したのは、情報量と神経回路網の話をよく整理しておかないとIITの議論についてけないというか、IITでの情報量の扱いになんか文句付けられるんではないかと考えていて、しばらく調べていたのだった。でもってここあたりが力学系的世界と情報、統計的世界の繋がり方を考えるためになんか分かってないといけないことなんだろうなあと思う。

上丘では顕著なのだけど、視覚応答に対して潜時が短くてonsetとoffsetの両方にtransientに反応するタイプのニューロンと、潜時が長めで刺激提示中にsustainedで反応するタイプのニューロンがある。ざっくりいえば前者が予測誤差で後者が予測と言えなくもない。

でもってたいがいの視覚ニューロンというのはonsetに強く反応するので、こいつらは傾きとか形とかを表象しているだけではないよな、ってのが生理学者的な実感としてある。

多層のニューラルネットワークを作って、それに視覚刺激をいろいろ提示して、脳のニューロン活動を再現するようなシナプスの重みを学習させておく。そうするとtransientな応答のあるニューロンを再現には片方向の流れだけだと無理なのでで、リカレントとかフィードバックとかの回路が必要になる。

ではこうして結果的に学習されたシナプスの重みは、predictive codingに相当することをやっているのか、それともニューロンの応答のダイナミックレンジの最適化とかその種のルール(レセプターの一次的な飽和とか伝達物質の一次的な枯渇とかニューロンのintrinsicな機構を反映した帰結)なのか、とかそういうことをあるていどリアリスティックな(マルクラムほどでなくても手に負えるくらいの)規模のニューラルネットワークを作って、検証できないだろうか。夢見すぎか。

(追記:ここで書いているような、spiking netwrok modelでpredictive codingかそれともadaptationかを検証するパラダイムはすでにDehaeneがMMNで行っていた。Wacongne, C., Changeux, J.-P. & Dehaene, S. A neuronal model of predictive coding accounting for the mismatch negativity. J Neurosci 32, 3665–3678 (2012).)

そうすれば、IITで考えているような条件の前にまず安定して自発発火が持続するようなニューラルネットワークの条件ってものがあって、(たぶんそれはquasi-self-organizing criticalityになってるだろう)、そうやって絞ったパラメータ空間のなかでこそ、はじめてIITで言うような条件を満たすパラメータ空間を探索することが可能となるのではないだろうか? 夢見すぎか?


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