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■ ニコラス ハンフリー
喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 ニコラス ハンフリー(原著は"The mind made flesh" Nicholas Humphrey)があったのではじめのほう(意識関連の部分)を少し読んでみました。意識のハードプロブレムのハードさ(コリン・マッギン流の)をいったん受け入れ、デネット流の消去主義やペンローズ-ハメロフ流の説明を行きすぎとして、進化的説明に持っていこうとするあたりの感触は悪くなさそうなので、もう少し読んでみようと思います……年度末のあれこれが無事済んだら(いやマジで)。
意識の進化的説明(「内なる目」も含めて)に関しては、身体化された心 フランシスコ ヴァレラ(The embodied mind" Varela)での9章「進化の道程とナチュラル・ドリフト」とつき合わせて読んでみる必要があることでしょう。
ちなみに1/6のエントリーで言及した"WHAT DO YOU BELIEVE IS TRUE EVEN THOUGH YOU CANNOT PROVE IT?"でのニコラス ハンフリーの答えはこんなかんじ。超訳、ということで勘弁。
"WHAT DO YOU BELIEVE IS TRUE EVEN THOUGH YOU CANNOT PROVE IT?"に対するニコラス ハンフリーの答え
人間の持つ「意識」とは手品の一種であって、これによってわれわれは説明のしようのない神秘があるかのように考えさせられている、そう私は信じている。誰が手品師で、なにが目的かって?手品師はnatural selectionであって、その目的はというと、人間の持つ自身への信頼と尊厳とを支えること、そうすることによって私たちが自分と他者の生命への価値を高いものとしておくことだ。
もしこの説が正しいなら、この説は私たち(科学者であろうとなかろうと)が「意識のハードプロブレム」をなんでそんなにもハードなものであると思うのか、簡単に説明してくれる。つまり、自然は意識をわざとハードなものとしたのだ。じじつ、「神秘主義的哲学者」たち(コリン・マッギン("mysterious flame")からローマ教皇まで、眼前の不可思議にひれ伏して、意識が物質的な脳から生じるということを理解するのは原理的に無理なのだと断ずる人たち)、彼らはまさに自然がそう望んだとおりに反応してみせているわけだ(衝撃と畏怖付きで)。
この説を私は証明できるかって?どうして人間がそのような経験をするのかを説明するような適応主義的な説明というものはどんなものでも証明するのは難しいのだけれど、この場合、加えて難題があるのだ。その難題は何かといえば、意識を合理的説明の届かない範囲に置くことに自然が成功したのと同じ程度に、それが自然が行ったことであるということを示す可能性そのものも自然はうまく隠しているに違いないのだ。
でもなんだって完璧ではない。抜け穴はあるかもしれない。どうやって脳で起こっている過程が意識の質的なものを持つようになったのか、をわれわれが説明するのは不可能なように見える(もしくはじじつ不可能である)いっぽうで、どうやって脳で起こっている過程がそのような質的なものを持つような印象をもつように作り上げられたかを説明することはまったく不可能なわけではないのかもしれない。(考えてみよう。わたしたちはなぜ2+2=5であるかを説明することはぜったいできないけれど、なぜあるひとが2+2=5であるというような錯覚を起こすのか、ということを説明するのはそれと比べればより容易であるだろう。)
この説を私は証明したいかって? それは難しい質問だ。もし意識が不可思議なものであるという信念が人間の希望の元であるとしたら、そのような手品の仕掛けを暴くと私たち全てが地獄に送られてしまうような危険があるのかもしれないのだから。
なお、今年の質問はニコラス ハンフリー自身が作ったものらしい。
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- / 投稿日: 2005年01月13日
- / カテゴリー: [視覚的意識 (visual awareness)]
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