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■ Alva Noeのfilling-inと入不二氏の「クオリアの不在」

ラボの大掃除をしてたら、昔書いたメモ書きが出てきたので写し取ってみます。

Logicには時間がない。
Recurrentなネットワークは常に時間的遅れを持って自己言及するため、そのlogicはトートロジーではない。
常にメタの立場になるような形で、自己言及する。
(これこそが「オートポイエティック」--そのつどメタを作り出す。)
つまり、時間性とはメタになりつづける性質のことである。
(「進化」についてもコメントできる。)

たぶん2001年くらい、qualia-MLで活動してた頃のものでしょうか。ベイトソンから始まってオートポイエシスを発見した頃のことだと思います。「Logicには時間がない。」ってのはベイトソンの「精神と自然」のフレーズです。(以前作った要約が20000819にあります。)

あともひとつ。こちらはもうすこし長いです。あちこちから矢印が延びてわかりにくいので、(A),(B)などで繋がりを表記しときます。

filling-in.png

Edgeのqualiaというものはない。(A)
Edgeからfilling-inされたところにのみ、qualiaができる。(図左)
逆に、そのqualiaから仮想的なedgeを我々は見る。(図右) (B)
ゆえに我々はpureなedgeに対するqualiaを持たない。
Pureな線、点というものをqualiaとして持ちえない。(C)
このことは、qualiaがedge detectionではなくて、それによるfilling-inのレベルにneural correlateを持っていることを示している。
これは視覚では当てはまるが、聴覚では当てはまらない。他のmodalityと共有できる原理が必要。
(->空間のfilling-inと時間のfilling-inとを考える。)
Visualは空間を埋めるqualia。Auditoryは? Somatosensoryは? (D)
そもそもfilling-inはなにかを「表象」しているか? <--> qualiaはある。(E)
Edgeは「表象」している。<--> qualiaなし。(F)
((E)と(F)のあいだに)ここにねじれ、相互隠蔽の構造がある。
->表象とqualiaは互いを隠し合う。

((A)と(C)は)Abduction的にlogicがcircularになっている。橋本治的に、問題がcircularなときには答えもcircularであるべき。(->これは脱構築なのか?) 入不二(表象とqualia)とかも同じか?
(B) 色のクオリアは「面」でのみ有効であるということ? (->色だけではない。)
(C) これはプラトン的世界。経験からは離れている。
((D)と(E)は)ここには循環がある。

こちらはいろいろ考えてみたんだけど、けっきょくのところ、Alva Noeのfilling-inのBBS(PDF)と入不二基義氏の「クオリアの不在」とをつなげて考えてた、ということが書いているうちにわかってきた、というメモです。たぶんこれも2001-2003年あたりでしょう。

以前はこういうことが夜寝る前にいきなり浮かんできて、周りの紙にものすごい勢いで書きつづったりしたものなのですけど、さいきんはもっと実務的なことに頭が行きがちです。(あとでラボに行って、こういう解析をしてみよう、とか。) こうやって考えつづけてきたことと、今やっているempiricalなアプローチとがいつかconvergeすればよいと思っているのですけど。

そういう意味では、「qualiaがedge detectionではなくて、それによるfilling-inのレベルにneural correlateを持っている」、これは有効なアイデアだと思ってます。Kochを含めて、現在NCC (neural correlate of consciousness)をやっている人たちが言うようなNCCは、見ているレベルが違うんではないか、というのがおぼろげながらイメージとしてはあって、まだそれを完全に言語化できないでいるんです。

だから、「edge detectionのレベルでのneural correlate」と「filling-inのレベルでのneural correlate」との関係というのが、一つの入り口にできるのではないかと。後者では、表象として取り扱えないようなものを見ようとしているので、このまま後者のneural correlateを見つけたところで、それはたぶんこれまでのNCCと変わりはない。でももしかしたら、前者と後者の関係の関係には意味があるかもしれない。前者と後者の関係を、まさに上記の「相互隠蔽をするような構造」として捉えられるように問題を取り扱うことができたら、それがわたしがいまここで捉えようとしていることを達成できたことになると思う。


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