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■ NCC(意識の神経相関)ってそもそもなんだったっけ?
先日担当した総研大の大学院講義(生理科学専門科目「認知と運動の脳科学」の「意識」の回)で、両眼視野闘争の研究の例などを上げながら、NCC(意識の神経相関)についての説明を行った。
その際にさいきん話題になった、神経科学におけるnecessityとsufficiencyという言葉の誤用を指摘したコメンタリ論文Journal of Neurogenetics 2018を読んで、KochのNCCの定義について整理してみた。
講義では時間が足りなくてかなり簡単に済ませてしまったので、ブログ記事としてちゃんとまとめておくことにしよう。(そして、うまくいけば次回の池上さんの駒場オムニバス講義でフルに展開してみよう。)
NCCの定義としてよく出てくるのはKoch C (2004)注1にある
- The NCC constitute the minimal set of neuronal events and mechanisms sufficient for a specific conscious percept.
- 意識に相関があるニューロン活動、NCCとは、「特定の現象としての意識状態を生じさせるのに充分な最小限の神経活動」である
というものだ注2。
ここで大事なのは「充分sufficient」と「最小限minimal」であるということだ。ここでNCCの意味を理解するために、もっと基本的に、神経科学における神経活動と機能の関連について議論する、command neuronの概念について説明しておきたい。
たとえば、ザリガニの腹部の介在ニューロンを刺激すると逃避行動を引き起こすことができる(TINS1999の図1がわかりやすい)。これは介在ニューロンなので、筋肉を支配している運動ニューロンではなくてそれの上流にあるんだけど、このようなニューロンを見つけたWiersma and Ikeda 1964はこの介在ニューロンをその行動のコマンド・ニューロンと呼んだ(正確には神経細胞ではなく神経線維なので、コマンド線維と呼んでいる)。
コマンド・ニューロンの概念をさらに厳密に定義しようとしたのがBhavioural Brain Science論文(しかも第1巻、第1号の最初の記事!)に掲載されたKupfermann and Weiss 1978注3なんだけど、ここでは「必要条件」と「十分条件」がより明示的に書かれている。
... a command neuron be defined as a neuron that is both necessary and sufficient for the initiation of a given behavior. These criteria can by tested by:
- establishing the response pattern of the putative command neuron during presentation of a given stimulus and execution of a well specified behavior
- firing the neuron in its normal pattern and showing that the complete behavioral response occurs (sufficient condition)
- removing the neuron and showing that the response is no longer elicited by the stimulus (necessary condition)
(説明の都合上、元の文の2と3をひっくり返してあるので注意。)
ではこれをザリガニの例をとって図示してみる。
まず1)「相関correlation」として、そのコマンド・ニューロンの候補は、ある特定の機能と相関を持っている。つまり、ザリガニの尻尾に触れると、このputative command neuron(赤枠の丸)が活動して(オレンジ色)、逃避行動が起こる。ザリガニの尻尾に触れていないときは、このニューロンは活動していない(濃灰色)ので、逃避行動は起こらない。
(ほんとうはこの例では、このニューロンがtailへの触覚刺激(感覚入力)と相関しているのか、それとも逃避行動(行動としての出力)と相関しているのかを分ける必要がある。このため、tailへの刺激があったのに逃避行動が起こらなかったとき(信号検出理論での"miss")にこのコマンド・ニューロンが活動をしていないことを確認する手続きが必要になる。)
つぎに2)「充分sufficient」の条件として、局所的な電気刺激することでこのコマンド・ニューロンを活性化(赤枠、中オレンジの丸)してやれば、tailへの触覚刺激が無くても逃避行動が起きるかを検証する。
さらに3)「必要necessary」の条件として、局所的な抑制をすることでこのコマンド・ニューロンを抑制(赤枠、中濃灰色の丸)してやれば、tailへの触覚刺激があっても逃避行動が起こらないことを検証する。
このようにして、(原理的には)コマンド・ニューロンを同定することが可能だろうというものだ。実際にはこのような定義は厳密すぎる、実際的でない、といった議論がいろいろあったようだが、ともあれ定義としては明確だ。これを元にして、最初に上げたNCCに定義に戻ってみよう。
- The NCC constitute the minimal set of neuronal events and mechanisms sufficient for a specific conscious percept.
- 意識に相関があるニューロン活動、NCCとは、「特定の現象としての意識状態を生じさせるのに充分な最小限の神経活動」である
改めて見直してみると、ここには「充分sufficient」条件はあるけど、「必要necessary」条件がない。そして「充分sufficient」条件には「最小限minimal」という条件が加えられている。ではこれを同様に図示してみることにしよう。
まず1)「相関correlation」としてそのニューロン活動(NCC candidateと呼ぼう)は、ある特定の意識(内容)に相関を持っている。つまり、このNCC candidate(赤枠の丸)が活動するとき(オレンジ色)に特定の誰かの顔の経験が起こり、活動していないとき(濃灰色)にはこの特定の誰かの顔の経験が起こらない。経験と神経活動をつなぐ部分では因果関係は前提としていなくて、あくまで相関関係なので、点線で示しておく。
このようなニューロンを見つけるためには、その顔の提示(“presentation of a face”)だけでは足りない。あくまでも視覚刺激の提示そのものではなく、その顔が見えたという経験があったかどうか、に相関しているものを探す必要がある。これが両眼視野闘争のようなbistable perceptionが使われる理由だ。(この点でさきほどのコマンド・ニューロンの例と比べると、NCCでは、hit-missを比較するという考え方は必須のものとして捉えられている点に大きな違いがあるだろう。)
(ところで1の相関の条件は上の定義に入ってないじゃないかと言いたいところだが、Neural correlates of consciousnessという言葉がそれを前提としている。そういう意味ではNCCの定義としてこの文章だけがあるのは変だ。じつはNCCにはもっといろんな付帯条件があるのだが、それは後述する。)
つぎに2)「充分sufficient」ということで、局所的な(電気または磁気)刺激を想定している。顔を見せていない状況でも、このNCC candidateを活性化(赤枠、中オレンジの丸)してやれば、「ある人の顔を見る経験」を引き起こすことができるだろうということだ。しかしこのような刺激は空間的な広がり(オレンジの楕円)を持つため、NCC candidateではないニューロン(黒枠の丸)も刺激してしまい、「ある人の顔を見る経験」以外の別の効果(“other effects”)を起こす可能性がある。
そこで出てくる条件が3)「最小限minimal」ということで、NCC candidateだけを選択的に刺激することによってそれを実証することができるというわけだ。また、NCC candidateの上流や下流のニューロンを刺激しただけという可能性を排除することも必要となるだろう。
この3のような実験は昔は仮想的なものとしてしか考えられなかったが、現在は光遺伝学によって、(細胞種特異的なプロモーターを使うことで)特定のクラスのニューロンを選択的に刺激したり、抑制したりすることができるようになったことで、かなり現実的な話になってきている。
以上がKoch 2004によるNCCの定義のエッセンスだが、「充分sufficient」の条件はあるのに、「必要necessary」の条件がないのは変だと思わなかっただろうか? NCCについても、コマンド・ニューロンと同様に必要条件について考えるのが筋が通っているように思える。さらに「必要なミニマルなセット」も考えるとこのような図になる。
今度は先程の図の2)2’)とは逆に、ある特定の顔を提示していても、NCCを抑制することによって、その顔の経験が生じなくなる、という実験をすることになる。
じつはKoch 2004では「エッセンシャル・ノード」という表現で必要条件についての議論がある。これまでに上げたNCCの定義は簡潔版であって、より詳しいリストがKoch 2004の6章の表6.1注4にある。これを見てみよう。
[あるニューロン活動がある意識の側面や特徴をコードするNCC意識の側面や特徴をコードするであるとみなされるのに必要ないくつかの条件]
- 明示的な表現
- コラム構造によって特徴を明示的に表現していなければならない
- エッセンシャル・ノード
- NCCを含む脳部位が破壊されたり、不活性化されると、その意識の側面が意識されなくなる。
- 人工的な刺激
- 適当な電気・磁気刺激をNCCに与えると、意識感覚が生じる。
- ニューロン活動と知覚の間の強い相関
- 候補となっているニューロン活動は、その「活動」の開始時間、持続時間、そして強さにおいて、これらが「1試行ごと」の「感覚」の開始、持続時間や強さのバラつきとできるだけ一致し、相関していなければならない。
- 知覚の安定性
- まばたきや眼球運動などには、普段我々は気づかないが、感覚入力としては重大な影響を与える。NCCはこれらの出来事に影響を受けてはならない。
- 計画を立てる脳部位への直接的なアクセス
- NCCは、計画を立て、それを実行する部位に直接のシナプス投射を送っていなければならない。
相関、充分条件、必要条件、の3つはそれぞれこのリストの4,3,2に対応している。5は4の延長上にあると言えるだろう。1と6は新しい論点だが、ここではその話はしない。
エッセンシャル・ノードについては2章2節で言及されている。この言葉はSemir Zekiによるもので、脳損傷患者を対象にした研究から出てきたものだ。たとえば、紡錘状回の一部の損傷によって顔の知覚だけが選択的に(色や動きなどの知覚は影響を受けずに)失われる。これを「紡錘状回の一部は、顔の知覚にとってのエッセンシャル・ノードを含んでいる」と表現する。
そしてこのような研究からは損傷部位のニューロンのすべてが重要なのか、それとも興奮性ニューロンだけが重要なのか、といったことはわからない、とも書いている。「特定の意識に必要なminimal setの神経集団」(図3の3’)という概念に近いところまで来ているが、明示的にはそのような表現はしていないようだ。
あと、V1の損傷では特定の知覚(動き、色など)が失われるのではなく、すべての正常な視知覚が失われるので、V1は動きや色のエッセンシャル・ノードではない、と議論している。NCCの定義が意識の内容contentについてのものであることを考えると、この議論は正しい。しかし個人的な意見を言えば、「すべての正常な視知覚が失われる」んだったら、意識経験を成立させるのに重要なのってむしろV1の方なんじゃないの?って思うのだけど。
さて、NCCの定義についてもう一段階掘り下げて考えてみたい。
じつのところ、NCCとは「ある特定の顔の経験」に選択的な活動なので、そのとき顔を提示しているかどうかには依存しない。つまり眼の前にその顔があるのに見逃したとき(miss)のときはまったく活動しないのと同時に、なにもないのにその顔があるという経験をしたとき(false alarm)、つまり幻視ではつよく活動しなければならない。
これは2x2マトリクスで表現すれば右のような図になるだろう(NC = neural correlates)。この図を見るとわかるが、視覚提示は視覚経験の必要条件ではない。形式論理学における「必要条件」とは2x2のマトリクスで言えば包括関係にあるかどうかによって決まるので。この問題には後で戻ってくる。
さてこうして考えてみると、2)3)についても同じ条件を当てはめる必要があることに気がつく。つまり、局所刺激、局所抑制どちらにしても、それが視覚提示に対する効果ではなくて、視覚経験に対する効果であることを保証する必要がある。すると、こんなややこしいことになる:
ここでは3’)の必要かつ最小限、の条件について考えてみる。特定の顔の視覚提示があるかないかにかかわらず、その顔の経験があるときに、それに関わるニューロンだけを選択的に抑制してやる必要がある。このため、この図にあるような、視覚経験を元にしたフィードバック制御が必要になる。
さっきまでの話では視覚提示をしたときに抑制することを考えていたわけだけど、それでは抑制効果が視覚経験ではなくて、視覚提示を抑制した可能性が排除しきれない。よって、顔を提示してないのに顔を見た経験を持った(幻視 = false alarm)のときにすかさずそれをブロックしてやる、これがもっとも強力な証拠になるはずだ。
厳しい基準を設けすぎだろうか?では2’)の充分かつ最小限、の条件について考えてみよう。
こんどは顔を提示しているのに顔の経験がない(miss)のときにすかさずそれを活性化してやる、これがもっとも強力な証拠になる。こちらは両眼視野闘争だったら可能だろう。顔と家をそれぞれの眼に提示して、「いま家が見えている」と報告したタイミングで顔領域を刺激して顔経験を引き起こしてやればいいのだから。
そういうわけで、ややこしいことを考えてみたよってのがこの話の結論。ややこしすぎて講義のネタに使うには難しそうだが。
つづけてさらに話がややこしくなる。それは、そもそも「必要条件、充分条件」という考え方、言い方は形式論理の言葉を使っているけどそれは誤用だという問題があるからだ。これについては次回の記事でまとめることにする。
補足1: 上記のNCCの定義の文章にはじつは続きがあって、
「意識に相関があるニューロン活動、NCCとは、「特定の現象としての意識状態を生じさせるのに充分な最小限の神経活動」である(ただし、可能要因 enabling factor が満たされてなければならない。5章1節を参照)」(クリストフ・コッホ 『意識の探求―神経科学からのアプローチ』 土谷尚嗣、金井良太訳 岩波書店, 2006年, 19章 p.557)
と書かれている。では5章1節にはなにが書いてあるかというと、ある特有の意識経験に対応するNCCとは別に、意識を可能とする要因をNCCeと呼ぶ、としている。それはある特有の意識経験そのものには対応していない、覚醒状態を支えるものだ。たとえばノルアドレナリンはNCCeではないが、アセチルコリンはNCCeのひとつであるとしている。つまり、表6.1とはべつに条件が足されていて、なんだかとっちらかってるなあという印象を受ける。
補足2: じつのところ、いままでの話はKoch 2004でのNCCについての話であって、その後でKochはTononiと組んで、情報統合理論の立場からNCCを見直すということをやっている。でもこれをよんでみたところ、NCCの定義自体には変更がない。
p.253の"the idea that the NCC of a given conscious experience are given by active neurons bound by synchrony discounts the importance of inactive ones"ここはいいことを言っていると思う。おばあさんニューロンが活動するときに非おばあさんニューロンが活動していないことこそが、選択性を作り、情報を作っていることがここでは明確になっていて、IIT的であると言える。
注、参考文献など
- 注1: Koch C (2004) The Quest for Consciousness: A Neurobiological Approach. Roberts, Denver, CO. p.304
- 注2: NCCという言葉自体の初出はおそらく Crick F. and Koch C. (1990) Towards a neurobiological theory of consciousness. Seminars in Neuroscience Vol. 2, 263–275.
- 注3: Kupfermann, I., & Weiss, K.R. (1978). The command neuron concept. Behavioral and Brain Sciences, 1, 3–39.
- 注4: クリストフ・コッホ 『意識の探求―神経科学からのアプローチ』 土谷尚嗣、金井良太訳 岩波書店, 2006年, 6章 p.218
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- / 投稿日: 2019年01月09日
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