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■ トノーニの「意識の統合情報理論」について:勉強前の素朴な疑問
ジュリオ・トノーニが来るワークショップ "Measuring Consciousness - Theory and Experiments"は京大で3/25開催。参加費無料、申し込み手続き不要。
トノーニの'Phi'本がアマゾンから到着。原価30ドルだけどアマゾンでは1300円。お買い得(<-ステマ乙)。さっそく開いてみたが、ほとんどの見開きページに図が入っていてしかも図はファインアートだったりでむちゃくちゃ格好いい。フランシス・クリックの写真なんか、トリミングして眼のところだけにしてあったりして、ちゃんとデザイナーの仕事が入ってる。一見脳の本とは思えない。美意識徹底してるわ。
fMRIのアクティベーションの図を一つ見つけたけど、それが無粋に見えるくらい。数式も気づいたのはシャノンのエントロピーの式一つだけ(p.145)。糸綴じのハードカバーで紙質もよく、装丁も美しい。これは研究室で読む本というよりは自宅の書斎(そんなものねえorz)で読む本だな。
トノーニ本や論文読むとかの作業は3/25シンポの一週間くらい前から始めることにして、いまはほかのものにとりかかることにする。そういう意味でほんとに聞きかじり状態の現状での私が持っている統合情報理論についての素朴な疑問を書き連ねておく。
まず、トノーニの理論の大元はジェラルド・エーデルマンとともに行った仕事なので、thalamocortical loopを中心とした「意識のunity統一性」に重点を置いたモデルであると理解している。
Baars-Dehaene–Changeuxのglobal (neural) workspace modelではworking memory = consciousnessとなっていて、これはほとんどaccess consciousnessのほうのモデルなんだと思うのだけど、Edelman -Tononiも基本的には同じ系列だと思っていた。
だからPhi自体は意識のunityを説明するための指標であって、これはawakeかcomaかsleepかといった「stateとしての意識」の議論に関わっていて、両眼視野闘争やMIBのような意識のcontentについてなにかを言っているのか?という疑問があった。
ところがもっとあとになってTononiは"qualia space"という概念を出してきている。このあたりからはまったく議論を追えてないけど、どうやらstateだけではなくてcontentについてもなにか言おうとしているようだ。
@pooneil IITがstateだけでなくてcontentも説明しようとしているというのはその理解であっています。contentへの言及が始まったのはTononi, 2008以降です。
— Masafumi Oizumiさん (@oizumim) 2013年2月25日
Stateとcontentの議論を続けると、クリストフ・コッホがIITについて紹介しているScientific americanの記事で強調していたのはdifferentiationとintegrationの両方を脳が扱っているということをどう捉えるかということだった。ではIITがintegration (state)のほうだけでなく、differentiation (つまりはcontent)をどう扱っているだろうか、というのが私が興味を持っていること。
それからもう一段議論のレベルを変えると、トノーニの理論は「情報理論」に依拠したものなので、「情報」っていったい何よ? ってことになる。本当はこういうことにいちばん興味がある。「情報」とは観察者側から見たときにしか作り得ないし、力学系ではなくて確率論の世界に入る。
「情報」を取り扱うためにはその有機体がstateを持つ必要がある。「サーモスタットは意識を持つか」という問いを情報理論に依拠して議論するとき、サーモスタットがonであるstateとoffであるstateとを区別するのが観察者であってサーモスタットであるのならば、それはサーモスタットにとっての情報じゃあない。
@pooneil まさに「情報」が何かということが一番の大問題で、外部の観測者にとっての情報とシステム(例えば脳とかサーモスタット)そのものにとっての情報を区別して考えましょうというのが一番本質的だと思っています。意識にとって重要なのはもちろんシステムそのものにとっての情報。
— Masafumi Oizumiさん (@oizumim) 2013年2月25日
これはメタ認知がどうのという問題とはたぶん違ってる。ぼくらは個々のニューロンのstateをモニターしているわけではないから。
そういう意味で、トノーニの理論には「環境と有機体の交互作用によってgenerativeに情報が生まれる」という視点があるかどうかに興味がある。
フリストン自由エネルギーには明示的にはそのような視点はないが、ヘルムホルツ的知覚をどうやって発生の段階で作るか、ということを考えたらたぶんどっかで必要になってくるはず。完成型だけを見ていたらたぶんわからない。でもこれはIITでも同じはずだ。
…というあたりが現在の理解。シンポジウムの当日までにここからもう少し進めておきたいと思う。
シンポジウムでの自分のトークのまとめ方で考えているのは、上丘でのNeural correlate of awareness (Hit vs. Miss)が皮質でのNCA (LammeとかHeeger)とどう質的に違っているかをIITは説明することができるのか?と問題提起にする。
@pooneil 面白そうですね!!是非Giulioに直接聞いて下さい。そういった問題提起をしていただけると議論が盛り上がりそうでいいなと思います。
— Masafumi Oizumiさん (@oizumim) 2013年2月25日
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- / 投稿日: 2013年02月25日
- / カテゴリー: [トノーニの意識の統合情報理論] [視覚的意識 (visual awareness)]
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