[カテゴリー別保管庫] Episodic-like memory

エンデル・タルヴィングの最新の定義によれば、エピソード記憶とは過去の出来事に自分の身をおいて追体験する'mental time travel'である。意識の存在を実証できない動物において、そのようなmental time travelは可能か、もしくはそれのアナログとなるものは存在しうるか。

2004年12月15日

Science 12/10

  • "The Mentality of Crows: Convergent Evolution of Intelligence in Corvids and Apes." EndNote format Nathan J. Emery and Nicola S. Clayton。かなりレビューっぽいんですが。(追記:レビューでした。) なんども言及しているNicola S. Claytonのepisodic-like memoryの話も少し出てますが、episodic-like memory(what-whre-when memory)を持つscrub jay(アメリカカケス)はカラスの仲間なのです。カラスが頭がいいことは皆さん実生活でご存知かと思います。だからイモムシを埋めて隠して保存しておいてあとでそれが腐る前に回収するというアメリカカケスの習性(すでにこの中にwhat-where-whenの概念が全て含まれていることは明白)を生かしてwhat-whre-whenの保持が出来ることを鳥かご内での統制された実験で示したのがClaytonの'98 Natureだったというわけです。それだけに限らず、鳥類(特にCorvids)もさまざまな認知能力(霊長類が行うのと進化的にconvergeするような)を持っていますよ、というお話のようです。

2004年11月19日

Nature Neuroscience 11月号

  • "Messing about in memory." Richard G M Morris & Michael D Rugg。このあいだのEichenbarmのROC analysis論文の解説。やっぱり通したのはRGM Morrisだったらしい。ヒトで海馬損傷でrecollectionの成分が障害を受けてROCカーブが対照的になる。ラットでも海馬損傷でROCカーブが対照的になる。だからってこの変化がrecollectionによるものなのかどうかは充分な証拠があるわけではない、というようなことを以前私は書きましたが、ここではもっと明確に書いてあります。つまり、「(1)recollectionがある人ではROCカーブは非対称的になる、(2)ラットではROCカーブは非対称的になる、ゆえに(3)ラットにはrecollectionがある」、こういう三段論法は間違っていると。それはモグラが四本足でラットも四本足だからモグラとはラットのことである、という論理と同じくらい間違っていると。そりゃそうだ。しかしそれでも彼はこの論文を評価しているわけです。 私はこの論文はヒトでの現象学的報告をラットでの行動実験にフィードバックさせ、それをまたヒトでの実験に適用してゆく、という研究パラダイムの現れとして評価しようと思っているし、そのようなやり方はClaytonのepisodic-like memoryのような純粋に行動的なcriteriaを立ててやるやる方とは相補的なものである、という感じに考えているのですが(このへんをこんどの大学院講義での結論として持ってくる予定)、Morrisはべつにそういうことを考えているわけではなさそうです。

2004年10月07日

Episodic-like memory

ご隠居のところに関連記事あり。おお、ちょうど偶然、大学院講義のネタ調整を兼ねて、セミナーで"Episodic memory in human and Episodic-like memory in animal"というテーマを扱ったところです。採りあげた論文は以下の通りです。

Humanのimagingとしては
を準備していったのだけれど、時間が足らずスキップ。
基本的な筋は、二つのanimalでのstudy(ClaytonのアメリカカケスとEichenbaumのラット)を主軸に、そこへ至る道を描く、という感じです。
そのうち解説を編集して掲載します。(Claytonに何度も言及している割りにはいまだにそのタスクについてここで説明したことないし。)

コメントする (7)
# ご隠居

いやあ,第一線の研究者による臨場感あふれたすばらしい講義になりそうですね.院生にはちともったいない!?日本にいるならぜひもぐりに行きたいところです.それともWeb中継?

# pooneil

いやいや、以前やったClayton論文のJCの再利用です(昔のpowerpointみたら2002年4月18日になってたけどこのときもうご隠居は在籍してませんでしたっけか)。内容は徐々にこの場に掲載してゆくつもりですので、(とくに)神経心理学的側面に関するご隠居のツッコミを期待します。じっさい、WMS(のsubset)のrecallができなくてWAIS-Rの語彙テストとかができる、とはいったいどんな感じ(feel like)なんでしょうね。

# ご隠居

あ,失礼しました.昔のファイル探します...いや,冷静になって考えてみたら,すでに引退後です.歳歳年年人不同...

# ご隠居

そうでした,WMSの想起ができなくて,WAIS-Rは大丈夫,というのは,成人の側頭葉内側面障害では時々見られることだと思います.ヘルペス脳炎後遺症(結構多い)や,HMさんのような症例が相当しますね.それは,ただ単に語彙は記憶障害の発症前に獲得されたということを示すだけで,あまり不思議じゃないですが,(ご本人はもちろん大変なご苦労をされておられるとは思うのですが,ノートを取ればある程度記憶障害がカバーできるので,職場復帰をされた方も多々いるという話を聞きます).ただ,重度の記銘力障害がある状況で,新たな意味記憶を獲得できるかどうかは,一般的には難しい問題ですよね.急性期の症例報告はあるのですが,それは急性期だからそんなこともあるのでは,っていういかにも臨床家らしいごまかしでやりすごすとしても,developmental amnesiaはどういうことなんでしょう.やはり子供の脳はさらに難しいですね.

# ご隠居

あ,ついでなので.Wernicke-Korsakoff症候群(主なものはVitB1欠乏症による間脳・乳頭体の障害)でも臨床像はちと違うのですが同様な状況が起こりえますね.カップラーメンと飲みで生活しているような学生さんで発症してしまうのをたま見ます.栄養のバランスにはきおつけませう.

# pooneil

さっそくありがとうございます。JCは引退直後でしたね。そういうわけで、Vargha-Khadem et.al.(=MishkinのScience ’97)でのdevelopmental amnesiaで、発症後に語彙などの意味記憶を獲得している点はやっぱり不思議なことですよね。Korsakoff症候群か、むずかしい。Hippocampus-fornix-mamillary bodyの系とかってanimal modelではGaffanとかしかやってないのではないでしょうか。どうやって組み込んで理解すればよいんだろう。海馬=episodic and recollection、rhinal cortex=semantic and familiarity、という単純なストーリーに落とし込んでおいてから、本当はそんなに簡単じゃないとフォローする、ということを考えていますが、それにしても複雑すぎますな。

# pooneil

あ、もちろんfrontalの寄与は当然ではありますが。というかimagingでふつうにRK judgmentやっても海馬やrhinal cortexのactivationが出てこないので、いろいろやってなんとか出したのが上記のNeuropsychologia ’04である、と理解しております。


2004年09月13日

Nature

"Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus." HOWARD EICHENBAUM。
TulvingのReal episodic memoryのcriteriaに関して:
アメリカカケスが普段やってる餌隠しは餌というexternal stimulusに依存しているからこのcriteriaには合格しません。しかし、external or internalな生理学的刺激に依存しないような行動とは何でしょうか*1。アリジゴクのように、何の脈絡もなく穴を掘り出して、それを落とし穴に使うのではダメなのでしょうか、それともそれは土という刺激、もしくはreleaserによって誘発された行動というべきでしょうか。Tulvingのこのcriteriaは行動分析学のタームからして有意味なものであるのかどうか検証する意義がありそうです。
とはいえ、気持ちはわかります。生理学的刺激に依存しないような、真に自発的な行動をこそ見たいわけでしょう。しかし、これこそが意識を操作的に定義しようという泥沼に入りかけている証拠です(ここでは自発性という概念にすり替えてはいますが)。
SquireはAnnual Review of Neuroscience '04 "THE MEDIAL TEMPORAL LOBE."でrecognition memoryについてどう書いているか:
YonelinasのNature Neuroscience '02 "Effects of extensive temporal lobe damage or mild hypoxia on recollection and familiarity."をreferして、recollectionが海馬に、familiarityが海馬周辺皮質に依存していると提唱されていることを紹介する一方で、自身のNeuron '03 "Recognition Memory and the Human Hippocampus." Manns et.al.を引いて、海馬に限局した障害を持つ患者さんでもrecollectionとfamiliarityとが同程度に低下している例があることを示します。また、Cogn Affect Behav Neurosci '04 "Recall and recognition are equally impaired in patients with selective hippocampal damage."においてYonelinas et al. (2002) をかなり批判的に扱っているようすです。
また、RK judgementが基本的には被験者からの主観的な報告(remember or know)に依存しているということにRK judgementの結果が論文によって違っていることの理由を求め、"Further work will be needed to decide this issue."として閉じています。
また、animal modelでのrecognition memory testに関しても記載がありますが、rodentでのthe novel object recognition task (二つ同じ物体aを呈示して探索させたあとで、物体aと物体bとを呈示すると、動物はnovelな方を選ぶ)においては


This task depends on a spontaneous tendency to seek novelty and would seem to depend less on recollection of a previous event and more on the simple detection of familiarity. To the extent that rats and mice do base their performance in this task on the ability to discriminate between familiarity and novelty, the impairment in this task after hippocampal lesions provides direct evidence for the importance of the hippocampus in detecting familiarity.

と書きます。つまり、recognition memory taskでも、条件によってrecollectionとfamiliarityの成分比は違うだろうというわけです。で、Eichenbaum論文に戻れば、この論文で使っているtaskは(ratにとっての)recollection-likeな要素が必要とされるようなtaskかどうか、ということが状況証拠のひとつとして重要になることでしょう。つまり、familiarity (or novelty) judgementだけで解けるようなものでないかどうか。もっとも、これではepisodic-like memoryのcriteria ('what-where-when')に逆戻りです。これはもともと、'what-where-when'というcriteriaがfamiliarityによっては解けないことを保証するために作られたのだから当然なのですが(ただのdelayed-matching-to-sample taskがfamiliarな方を選べば解けるのに対して、Claytonのtaskはfamiliarityの程度に関しては同じになるように統制されています。)。


*1:Internalな生理学的刺激とは、たぶん食事や睡眠と関連したものとして見られるでしょう。

コメントする (2)
# NHK

この辺りはpooneilさんの独壇場で、私などが出てきてもろくなコメントができるものではありませんが、大変面白く重要な問題であることは私にも分かるということを是非お伝えしたくてコメントしています。Practicalには、エピソード記憶の想起に限らず、様々な認知機能には意識的な側面と無意識的な側面があり、これを分離し、その差異を見出すということが研究の取っ掛かりにならざるを得ないのかなぁと思っています。たとえそれが意識を操作的に定義することであっても。Eichenbaum論文についていえば、動物に判断基準のバイアスをかけさせる手法は(是非は別として)大いにヒントになりました。

# pooneil

おひさしぶりです。>>様々な認知機能には意識的な側面と無意識的な側面があり、これを分離し、その差異を見出すということが研究の取っ掛かりにならざるを得ないのかなぁうむ、そうですね。そういう意味でGoodale and MilnerのDFさんの話とかもanimal modelを考えられないかなあと思います。あと、Eichenbaumの「動物に判断基準のバイアスをかけさせる手法」、これ自体はまったく問題がないと思っております。2/10にも書きましたが、signal detection theoryでbiasを変えさせてROCカーブを作成するには二つの方法があります。(1) 確信度評定をする、trialごとに被験者にその選択にどのくらい確信があるかを5段階評価してもらい、確信度ごとにhit rateとfalse alarm rateを計算することで5つの点からROCカーブが書ける、(2) discrimination targetの出現比やrewardの比をmanipulateすることによって選択の判断基準を変えさせる。Animal modelでは(1)は不可能なので、(2)に行くわけですが、(2)はブロック単位で条件を振らないといけないのであんまりデータがきれいにならないという印象があります。Eichenbaumは(2)のほうを使ったというわけですが、Fig.1d-fでは複数のラットのデータを全部足しこんでROCカーブを書いているようで、これはとてもまずいと思います。


2004年09月11日

Nature: Episodic-like memory in rats

"Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus." HOWARD EICHENBAUM。
つづき。
んで、この論文がやろうとしていることですが、以前からepisodic-like memoryの話を何度か書いておりますが、episodic memoryのcriteriaには意識の関与が必要で、意識の存在を証明できないanimal modelでは"episodic-like"と書くしかありません。今回の"recollection-like"もまったく同じことでして、recognition memory testのうちのepisodic memoryの成分に対応するrecollectionの成分をanimal modelで見つけることで、ratにepisodic-like memoryがあることの証明に代えてやろう、というわけです。
エピソード記憶という概念のオリジネーターであるTulvingは当初、1970年代にはエピソード記憶のテストとして再認記憶課題を使っていましたが、それ以降エピソード記憶がmental time travelであり、autonoetic consciousnessを伴うものであることを強調しています。Animal modelとしてはwhat-where-whenという全ての情報を統合した記憶課題ができることをcriteriaとして示しており、それが鳥類のアメリカカケスでできることを示したのがClaytonでした。それからRGM Morrisなどがratでこれを示そうとしましたが、完全に示せたといえるものはありません。Macaqueではじつはこれをほとんど満たすようなtaskがすでに行われていますが、prefrontal cortexでの作動記憶の文脈に入ってしまってます。なんにしろ、訓練さえすればできるのは間違いない。ほんとうのところ、episodic memoryを操作的に定義してやるためにはwhat-whre-whenだけですら足りないのです。TulvingはPhilos Trans R Soc Lond B Biol Sci '01("Episodic memory and common sense: how far apart?")にて二つ注文をつけます。
まずはepisodic-like memoryのcriteriaに関して:


In animal studies of episodic-like memory, it would be interesting to see whether it would be possible to persuade the subjects to demonstrate their ability to act 'flexibly' upon the information that they have about a given 'whta-where-when'.

ひとつめはwhat-whre-whenの情報をflexibleに扱うことができるかどうか。Claytonの実験ではアメリカカケスが隠したイモムシが腐らないうちに掘り返すという習性を利用したがゆえに、あるときは腐ったイモムシを先に探し出して、あるときは腐ってない芋虫を先に探し出させる、というようにflexibleな行動を起こすことはできません。
つぎにこれができたらepisodic-likeではなくて、realなepisodic memoryであるだろうというcriteriaとして以下の条件を提唱します。

Systematic observation shows that animals, at some point T1 in their 'spare time', engage in a given behavior X which is not controlled (instigated and maintained) by any physiological stimulus, external or internal, but which can be shown to be of benefit to the animal at some future time T2.

というわけです。かなり行動の統制が難しい難題であります。
これで充分かは別として、このように考えを進めていくことはある種、意識の操作的な定義を与えようとするのに近づきます。定義する脇からどんどん零れ落ちている面はあるわけだけれど、それでもなんかヒントはないだろうか。少なくとも、ここが最前線のひとつなのです。
なんにしろ、ネタがひとつ増えました。組み込めるかどうか。


2004年09月10日

Nature

"Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus." HOWARD EICHENBAUM。
ウ、ウギャーッ。いろいろ言いたいことがあるぞ(<-興奮してる)。
ま、まず、なにをやっているかだけれど、この論文はAndrew Yonelinas @ UC Davisがずっとやってきたことに準拠しています。このへんの事情については1/31に書きました。もう一度書きましょう。
以前見たことがあるかどうかを答えるtaskではrecognition memory(再認記憶)が必要となりますが、これにはrecollectionとfamiliarityのcomponentがあります。Recollectionは意識を伴った想起、以前あったエピソードを想起する、その時点にあったことを追体験する、"mental time travel"であり、意識の関与が不可欠な成分です。Familiarity (judgement)はいつそのエピソードがあったかを想い起こすことはできないが、見覚えがある、それを見たのははじめてではない、ということを元にした判断です。このふたつのcomponentの存在について、humanのpsychologyでsignal detection theoryによる解析からROCカーブが二つのcomponentからなっていることを示したのもYonelinasですし、このような解析を使って海馬に選択的な障害ではrecollectionが傷害され、海馬周辺領域(entorhinal, perirhinal, parahippocampal cortex)の障害によってはfamiliarityが傷害されるというdouble dissociationを示したというのもYonelinasです(Nature Neuroscience '02 "Effects of extensive temporal lobe damage or mild hypoxia on recollection and familiarity.")。なんにしろ、humanのstudyでは、taskの試行ごとに、そのアイテムをremember(recollection)したのかknow(familiarity)だったのか(=RK judgement)を報告してもらうことができるのが最大のメリットなわけです。
んでもって、Eichenbaumがなにをやったかというと、humanでわかっているようなrecognition memory testのROCカーブのプロファイルと同様なものがratのOdour recognition taskによって得ることができて、海馬の選択的なlesionによってhigh-threshold modelで説明できる成分(=humanでのrecollectionによる成分に相当)がなくなって、old-newのjudgementが対照になった(old-newそれぞれのシグナルの分布が同じ分散を持った正規分布であることによる帰結)humanでのfamiliarityに相当する成分が残った、というものです。だから、ratにも海馬に依存したrecollection-likeなcomponentがあるのだ、というのが彼らの主張です。
わたしの第一声としては、そのlogicは通らんでしょ、というものですが、だんだんうまくできているというか、やられたな、という感じがしてきました。
今回の論文がROC解析からrecognition testのcomponentが複数あることを示した、そこまではよいと思います。しかし、Fig.1e-fを使ってこれらがrecollectionとfamiliarityに一対一対応しているとする証拠がそんなにあるとはいえません。Fig.1eでの海馬依存であることを傍証にするにも、海馬依存であること自体が示したいことなのですから。また、fig.1fはdelayを長くするとfamiliarityの成分がなくなってrecollectionの成分だけになる、というYonelinas and Levy '02の知見を援用してますが、それがdelayを30分から75分に延ばすことで見られた、というのもあまりに定性的です。よって、残るは分布の形ですが、モデルの当てはめの評価については十分な手続きを踏まえているかを検証する必要があります(やたらとt-vaueやF-valueはあるみたいだけれど、複数のモデル間の比較をした統計はなさそうに見受けられます)。Animal consistencyに関しても、こんなグラフ並べられただけで騙されてしまってはいけない。
一方で、うまくやったと思うのも本当です。このようなlogicを作り上げるのに必要な知見に関してはわたしはすでに知っておりました。しかし思いつけなかった。あーくやしい(このlogicが妥当かどうかは別として)。
それでうまくやったな、と思うのは、この論文はまちがいなくYonelinasのところにレビューがまわったでしょうが、Yonelinasは喜ぶに決まってるわけです。自分がやってることのanimal modelを作ってくれたのですから。じっさい、acknowledgementにも入ってますし、かなり地盤を固めてからこの論文が投稿されたのがうかがえます(投稿してから2ヶ月でaccept)。Human psychologyのレビューワーを押さえてしまうことができれば、あとはratの研究者でしょうが、RGM Morrisあたり(共著あり)ともうひとりEichenbaumの弟子あたりの都合がよいところにレビューが回ったというところでしょうか。なんにしろ、レビューワーは3対0で賛成したということがレビュープロセスの時間からうかがえます。Signal detection theoryでの解析についてはたぶんYonelinasさえ通ってしまえば問題ではなかったでしょう。
Episodic-like memoryをやっている人間(Claytonあたりとか)やhumanでneurologyやってるようなSquireとかにまわれば、そんなにあっさりと通さなかったのではないかと予想します。Squireは’04 annual reviewで、recollection vs. familliarityが海馬対海馬周辺領域とは簡単には分けられないと書いていて、実際のneurologyの結果もそんなに簡単な二分法を許すものではありません。もっとも、SquireがどのくらいSDTをわかっているかという問題はあるけれど。
とはいえ、もし私が自分でこれを考え出したとしたら、このぐらいなら通るんじゃないか、と思うであろうこともたしかなわけでして(回りくどい?)、なんか読んでるこっちがすごい掻きたてられるというかむしゃくしゃするというか痒いのです。


2004年05月10日

JNS 2/25

Episodic memoryのanimal model(Episodic-like memory)に関する重要論文を見逃していたのを5/7の友人が教えてくれた。
"Integrated Memory for Object, Place, and Context in Rats: A Possible Model of Episodic-Like Memory?" Madeline J. Eacott @ University of Durham Science Laboratories。
EacottはOxford UniversityのDavid Gaffanといっしょにlesion studyをやってきたが、現在はそこから離れてratでのlesion studyで海馬とその周辺の機能について研究している。Oxford時代の重要論文としては、Eur J Neurosci. '92 "Inferotemporal-frontal Disconnection: The Uncinate Fascicle and Visual Associative Learning in Monkeys."(これがfrontalとtemporal cortexとの結合が対連合記憶に重要であることを示した最初の論文であり、のちのScience '98とNature '99へとpreludeとなった)、Eur J Neurosci. '94 "Preserved recognition memory for small sets, and impaired stimulus identification for large sets, following rhinal cortex ablations in monkeys."などがある。
さて、以前(12/28)に吠えたことがあるけど、げっ歯類でepisodic memoryをやろうとする人はしばしば心理学のバックグラウンドが弱い。Tulvingが最初にepisodic memoryの概念を導入したときはrecognition testが評価法だったこともあって、その辺を引きずっているのではないかと私は疑っている。せっかくClaytonがepisodic-like memoryとしてはwhat-when-whereのすべての情報が必須であるような課題が解けることがcriteriaであることを確立したのだからそんなのではいけない、ratがepisodic-like memoryを持っていることをそもそも証明しなければならない、と私は言った。Ratにepisodic-like memoryがあるわけがない、と言っているわけではないことに注意。
でもって、今回の論文はwhat-where-context、という三条件を与えたtaskをratにさせて、それがfornix transectionによって阻害されることを示した。だから問題はこの"what-where-context"がじゅうぶんなcriteriaであるかどうかになる。もちろん、Claytonの論文が満たしたcriteriaだけが唯一の条件ではないし、概念はもっと拡張されて、より人の認知をうまく抽出したものへと進化するべきだ。Tulvingも、what-whre-whenだけではなく、そういう情報をflexibleに活用できることをも条件に挙げてよいというようなことを言っている。そういう拘束条件がより増えてゆくことは認知モデルとして望ましい。
つづく。

コメントする (2)
# uw

げっ歯類を使ったepisodic memoryの話、興味深く読ませてもらいました。続きを期待しています。

# pooneil

ありがとうございます。続きというか本題やります。ちょっとすぐには出来そうにないですが。


2004年02月10日

信号検出理論

ではROC curveを書くために同一の刺激条件において判断基準を操作する(シグナルとノイズの二つの正規分布の横軸を変える、ということ)。このための方法には

  1. 刺激の呈示確率や利得条件を変える
  2. 確信度評定(各試行ごとに判断にどのくらい確信があるか答えさせる)をさせて違った確信度ごとにデータを並べなおす
という二つがある。前者はブロック単位で条件を変えなければならないのでいろんな条件の統制が難しいが*1、後者は同一のブロックでそれぞれの確信度のデータを得られるのでよりきれいなデータが(おそらく一般的には)取れる。どっちにしろ、刺激条件がまったく同じにしてあるというところがミソだ。
たまに見るのだが、刺激にいろんな程度のノイズを加えてデータを取ってROC curveを書くのはこの意味では間違ってないだろうか?*2 刺激条件が変わっているわけだし。たとえばNewsomeが使うrandom dot kinematogramでROCカーブを書くのは間違っていないだろうか?
逆に、確信度評定にはverbal reportが必要だから人でしか使われてこなかったけれど、response latencyを確信度と捉えなおせば*3、動物でも確信度評定を用いてROC curveを書いたことにならないだろうか? そういうことを誰もしないのは端的に間違っているからだろうか? 心理学者の方、ご教授願います。


*1:この意味でPlatt & GlimcherのNatureのタスクはブロック単位になっているところに問題があり、本当はもっと生に近いデータがないと信用ならない。
*2:こういうのが心理学にあるかどうかわからないが、神経科学ではたまに見る。
*3:早ければ早いほど確信度が高いとする。Binに切らずに連続的にROC curveを書けるという劇的なadvantageもある。


2004年01月31日

J Exp Psychol Gen 02

"Separating sensitivity from response bias: implications of comparisons of yes-no and forced-choice tests for models and measures of recognition memory."(PubMed)
Andrew Yonelinas @ UC Davis。
こんど採り上げるのはこれの予定。私がやっていることがわかる人にはわかるチョイスのはず。というわけでSDTの勉強が必要(Green and Swetsで)。ちなみに電気生理の論文でよくみるROC analysisはたんなるノンパラメトリックな統計の指標としてROCやd'を使っているだけに過ぎず、SDTではない。今回の論文は真のサイコロジーの論文であり、SDTなのでどうやってbiasを操作しているかとかその辺から読んでいく必要あり。
YonelinasはRKジャッジメントパラダイムを用いて、recognition testで事象を(エピソードとして)思い出せるか(Remember)、たんに見覚えがあるか(Know)というふうに分けて被験者に答えさせることでrecognition testのうちrecollection(=episodic memory)が必要な成分とfamiliarityで充分な成分とを分離した。これはTulvingがepisodic memoryとsemantic memoryとを分離したのをより細分化し、より操作的な扱いをしていると言えると思う(TulvingもProc Roy Socとかでその分類をアップデートしている)。つまり、たんなるrecognition memory testをepisodic memoryのテストであるとはもはや言えない。この辺は前にも書いたけど、たんなるwhat-when条件でもfamiliarityで解けてしまうからepisodicとは認められないのだ。
で、このRKジャッジメントを使ってYonelinasはERPをやったり(PNAS '97)、neurologyでRとKのcomponentのdouble dissociationを見出したり(Nature Neuroscience '02 "Effects of extensive temporal lobe damage or mild hypoxia on recollection and familiarity.")と活躍中。なお、recollectionは海馬でfamiliarityは海馬傍回というのは尤もらしい。


2003年12月28日

Neuron

Prospective and Retrospective Memory Coding in the Hippocampus
Shapiro @ Mount Sinai School of Medicine。
さて、アブストだけ読んで暴言しよう。
ラットの海馬のplace cellがprospective codingとretrospective codingをしていて、task performanceにも関わっている、というわけだが、問題はこれをepisodic memoryと絡めようとしているところだ。Wendy Suzukiはこの論文のpreviewで
Episodic Memory Signals in the Rat Hippocampus
この神経活動が"the sequence of past, present, and future events that make up an episode"を反映してるなんて言ってるわけだが、animal studyにおけるepisodic-like memoryの定義の問題をずるく回避しようとしているんじゃないのか。
Tulvingが言ったように、episodic memoryはmental time travelであって、"concsious recollection"を伴っていなければならない。このため、意識があるかどうかわからない動物では、Claytonがscrub jayを使ったNature論文'98のようにwhat-when-where全てを必要としたタスクを使って"episodic-LIKE memory"と言わなければならない。Shapiroはちゃんとclaytonに言及してさらにEichenbaumの未発表データに依拠している。*1 しかしWendyはClaytonとの共著論文もあるくせにこの辺に触れようとしない。ようするに言いたいことは、「ラットでepisodic-likeのニューロンコーディングをやるなら、まずラットがepisodic-like memoryを持ってることを証明しろ」ということ。まだ証明されていないんだから。いや、アブストとreferenceだけ読んで書いてるんだけれど。
だいたいprospective codingとretrospective codingなんてのは霊長類ですでにやられていて、側頭連合野にも前頭前野にもそういうニューロンがあることも知られている。霊長類が内側側頭葉記憶システムと前頭前野とのインタラクションでやってるとわかっていることを、げっ歯類の海馬で研究しようとするからにはそうでなければわからないことをやる必要があるはず。その意味で注にあるDay and Morrisは薬理をやることでその水準をぎりぎり保ったと思う。
海馬がepisodicだろう、なんてことはhumanの研究から推測できることなわけで、それをいいかげんな形で論文にされては困るということ。


*1:ちなみにRG Morrisは最近Natureにwhat-whereが必要な対連合記憶課題をラットにやらせていて、episodic-likeを標榜しているが、タイトルにはそうは書けていない。 http://dx.doi.org/10.1038/nature01769


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

月別過去ログ