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■ Neuron 10/14 Glimcher論文
というわけでやっとこさGlimcher論文にコメントです。
"Activity in Posterior Parietal Cortex Is Correlated with the Relative Subjective Desirability of Action." Michael C. Dorris and Paul W. Glimcher
Glimcherは何度も出てきましたが、Platt and GlimcherでLIPがそれまでattention(ME Goldberg)かintention(Andersen)か、という論争をしていたところにDecisionである、という話をはじめて持ち込んで成功させた人、と言えるでしょう。LIPがdecisionに関わっているか、という話自体は1996 PNASでShadlen and Newsomeが最初に言い出したことではありますが、のちのrandom dotによるperceptual decisionの結果が出てくるまでは大きな進展はなかったはずです。Glimcherはその前はDavid Sparksのところで上丘のニューロンが眼球運動を開始する以前から活動を開始するのを見つけていて(Nature '92; Schallより前にselectionと言った論文)、知覚でも運動でもない、自由意志に近いものを見よう、というポリシーははっきりとしています。
そういえば、Glimcherの近著、"Decisions, Uncertainty, and the Brain: The Science of Neuroeconomics." の前半はまさにシェリントンの反射学説からそのような自由意志を見つけ出そうとする流れについて概説する、という内容です。ちなみにこの本の後半は上述のLIPがattentionなのかintentionなのかという論争をGlimcherがdecisionである、として仲裁、解決したかのような都合のよい史観とゲーム理論の初歩、そして今回の論文のエッセンス(Figure 12.5)までで終わります。題名にneuroeconomics(神経経済学)とありますが、体系的な本ではありませんし、あくまで今回の論文までのpreludeがこの本である、と考えるのがよいのではないかと。(ですので、私は正直言ってこの本の訳書を出版する意義はあまりないように感じます。Human fMRIの結果、とくに以前話題になったペプシチャレンジのようなneuromarketing的なアプローチあたりこそが世で「神経経済学」という言葉に期待するものではないでしょうか。そういうことがまったく書かれていないことを知ったら読者はさぞがっかりするかと。) あ、飛ばし読みで言っているので以上のことは信じないでください(人生は短いのでそんな時間はない)。
1st authorのMike DorrisはカナダのQueen's UniversityのDoug Munozのところで上丘での電気生理でいい論文を出してきました。そのあとにGlimcherのところ(new York University)へ行ってやった仕事がこれです(SFNでの発表自体はすでに2002年に出ています*1)。
んで、この論文のエッセンスは上記のとおり、Glimcherの近著のFigure 12.5です。つまり、被験者とコンピュータがあるゲームを対戦します。このゲームは繰り返すうちに被験者とコンピュータとのあいだでナッシュ均衡になります。実験者が決めた条件によって違った均衡状態になります(ある行動の選択率が変わる)がナッシュ均衡なのでexpected utilityはその条件間で不変です。一方で、その行動の選択率が変わっているので条件間でexpected valueは変わっています。さて、このゲーム中のLIPニューロンの活動はexpected utilityとexpected valueのどちらと相関していたか:expected utilityでした、つまり、違った条件間でもナッシュ均衡にある限りLIPニューロンの発火頻度は不変だったのです。以上。
たぶんそう言いたかったのですが、じつはかなりその辺はあいまいにしてあって、要旨での主張は、LIPの活動はsubjective desirabilityと相関していて、reward magnitideやreward probabilityやresponse probabilityのcombinationにはよらない、というところまでなのです。このへん微妙なラインでして、慎重にものを言う必要がありますが、大胆に行きましょう。
では、順を追ってもう少し説明しつつ(ナッシュ均衡についても説明しつつ)、彼らの主張が本当に正しいかを検討してみましょう。とくにこの論文を読むには、以前採りあげたSugrue and NewsomeによるScienceでの「LIPニューロンがexpected value(!)と相関している」という主張とあわせて批判的に読む必要があります。というかGlimcher論文がNature,Scienceを落ちたのは恐らくはこの批判を充分跳ね返すことができなかったからであり、このため今回のGlimcher論文では"expected utility"という言葉を一回も用いていません(検索して確認しました)。全部"subjective desirability"という言葉に差し替えることで両者の比較をあいまいにしたのです。そしてそれは明らかにレフェリー(Newsome or Shadlenが入っている確率は150%でしょう)による指示 and/or かGlimcherによる妥協案だったはずです。
うーむ、前置きが長い、つづきは次回(エー)。
*1:ところでこれの題名は"expected value"なんです。D. LeeおよびNewsomeそれぞれの論文が'04で出てしまい、それを追っかける形でなんとか'04で出版に漕ぎ付けたDorris and Glimcherの苦労と後悔と怒りが忍ばれます。
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- / 投稿日: 2004年11月12日
- / カテゴリー: [神経経済学 (neuroeconomics)]
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# mmmm
私の聞き違いでなければ、「probabilityが既知であると言えない場合、economistsは”expected utility”という用語を使うことを認めないから、desirabilityを使った」とGlimcher本人は言っていたように記憶しています。
# pooneilそうなんですか、ありがとうございます。ただ著書でも今回のSFN(human fMRI)でもexpected utilityという言葉を使っているところを見ると、後付けの理由っぽい感じもします。もしGlimcherの言うとおりであったら、utilityという言葉を使わなかったのはレフェリーに入っていた経済学者の主張に基づく、ということなのですね。そのへんもう少し邪推も交えて読み込んでみるつもりです(じつは半分ぐらい原稿を作ってあるのですが、そのへんがネックになって止まっているのです)。