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■ episodic memoryとsemantic memory
Brain '03 "Autobiographical memory and autonoetic consciousness: triple dissociation in neurodegenerative diseases." Pascale Piolino, Béatrice Desgranges, Serge Belliard, Vanessa Matuszewski, Catherine Lalevée, Vincent De La Sayette and Francis Eustache
読んできました。内側側頭葉の障害による健忘では最近のエピソードは覚えていなくて、昔のことは覚えている(Ribot's law 1881)、Semantic dementiaの初期症状では最近のエピソードは覚えていて、昔のエピソードは覚えている、という傾向について検証。AMIをやるんだけれども、エピソードの想起の詳細の詳しさの検討と、R/Kジャッジメントを使って報告してもらうことで、過去のエピソードの想起にTulvingが言うようなmental time travelをしているかどうか、つまりpersonal semantic knowledgeの成分を極力少なくした、episodic memoryの最新バージョンの定義での定量化を目指します。
実際には内側側頭葉の障害の患者さんとしてアルツハイマー病の患者さんと、Semantic dementiaには初期症状の患者さん(言語障害が比較的少ない)とに参加してもらってエピソードの想起をしてもらいます。
AMIのやり方はオリジナルのKopelman et.al. '88をmodifyしてます(Journal of clinical and experimental neuropsychologyが手元にないので正確なことはよくわからないのだけれど、問題の数やスコアの付けかたなどがいろいろ変えてある様子)。年齢で大きく分けて0-17歳、18-30歳、30歳以降、最近5年間、最近1年間についてのエピソードを想起してもらいます。項目は4種類
- a meeting or an event linked to a person
- a school and then a professional event
- a trip or journey
- a familial event
こうして得られた報告にスコアをつけます。
4点:繰り返しでない特定のイベントで、どんなことを感じたかまでありありと想い起こせて、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「夏休み最後の日大雨の中を傘をさして海へ行ったときのびしょぬれの服や雨の匂いまでありありと思い出す」)
3点:繰り返しでない特定のイベントで、どんなことを感じたかまでの詳細はないけど、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「夏休み最後の日海へ行ったことを憶えている」)
2点:繰り返しされていたイベントで、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「5年生の夏休みに何度かXXプールへ行ったことを憶えている」)
1点:繰り返しされていたイベントで、いつどこであったか憶えていない(例by筆者:「何度かプールへ行ったけどどこだったか覚えてない」)
0点:何があったかまったく憶えていない(例by筆者:「小学生のとき家族とどこ行ったか知らない」)
これでスコアをつけたのがoverall autobiographical memory (KopelmanのAMI scoreに相当)で、strictly episodic memoryのスコアとしては、上のスコアの4点以外はみんな0点として計算します。これはイベントの想起に付随する詳細(どんな気持ちだったか、どんな感じだったか)こそがepisodic memoryをepisodic memoryたらしめている(想起したイベントのときと場所に自分を置いて、その経験を再経験すること)ものであるとするからです。
また、これらの質問の答えに関してR/Kジャッジメントをしてもらいます。つまり、質問で聞かれて答えたことに付随する詳細が伴っていたときはrememberを、ただその事実を覚えているというときにはknowを、わからないので推測で答えているときはguessを選びます。ここでいうrememberがautonoetic consciousnessがある状態のことで、純粋なepisodic memoryの要素を見ていることになり、knowで答えているときにはpersonal semantic knowledgeを答えているだけ、ということになります。ここでのrememberと答えられた回数remember response(さらにインタビューで詳細を説明することに成功しているものをjustified remember responseとしてますが)がもうひとつのpureなepisodic memoryの指標となります。
結果としてoverall autobiographical memory scoreとstrictly episodic memory scoreとjustified remember responseとが得られます。
Overall autobiographical memory scoreではこれまでと同様な時期による効果があります(アルツハイマーでは昔の出来事の方が成績がよい、semantic dementiaでは最近のことのほうが成績がよい)。
一方で、よりpureなepisodic memoryの成績に特化したstrictly episodic memory scoreとjustified remember responseでは、アルツハイマー病で見られた昔の出来事の方が成績がよい、という傾向がなくなります。つまり、これまでのAMIで見られた昔の出来事の想起の効果は昔の出来事に関するpersonal semantic memoryが残っていた効果であって、昔の出来事についてのepisodic memoryの想起自体はやはり障害されている、ということになるようなのです。
このことは過去の出来事の記憶がどこに貯蔵されているか、というモデルに対して一つ予言をします。つまり、記憶が保存されてからある一定の時期(ある人は数年と言うし、ある人は10年以上と言う)のあいだだけ内側側頭葉が寄与している、とするスタンダードな理論に対する対立仮説としてMTT(multiple trace theory by Lynn Nadel and Moscovitch)というのがあるのだけれど、それでは内側側頭葉はepisodic memoryの貯蔵と想起に一生関わっているとするのですが、今回の結果はこちらを支持する、というわけです。
それはそれとして、Tulving式のepisodic memoryの成分をpurifyする、というのは正しい方向だと思います。たとえそれがdeclarative memoryのような記憶されたものの情報で定義されたところからはみ出るところがあったとしても、これこそが私達が一般的にいう「記憶」のことだと思うのです。酒を飲んで記憶を失ってしまった、とか、この記憶を私は大切にしまっておきたい、と考えるときとかの記憶とはまさにTulvingがいうepisodic memoryのことだと思うのです。それを情報の面から還元してしまうと失われてしまうものがあるということに敏感でありたいと思うのです。ここを一時的に離れるのはよい、研究者なら必ずするべき作業です(いつも離れずにいたいとするドリーマーなわけではない)。けれどもここから離れて一人歩きするようになってしまったらそれは人間を研究していることにはならないだろうと思うのです。このへんをいかに怪しい人と思われずに語れるかというのが今回の講義の裏テーマでもあったりするわけですが。
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- / 投稿日: 2004年11月29日
- / カテゴリー: [大学院講義「記憶の脳内機構」]
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