[カテゴリー別保管庫] 腹側視覚路と背側視覚路

Goodale and MilnerはThe visual brain in action (MIT press)において、視覚腹側路がperceptionを、視覚背側路がactionに関わる視覚処理を、というように分けて考えることを提唱したために論争が起こっている。その根拠となったvisual agnosiaおよびoptic ataxiaの症例をよく読みこんで検討する必要がある。

2014年01月19日

視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説

3月に生理研で行われる多次元レクチャーコースで講師することになりました。多次元脳トレーニング&レクチャー「ヒト、サル、ラットの脳解剖学から学習・認知の理解へ」 日程:2014年3月11日〜14日。2年ぶり3度め出場。またFiber pathway of the Brainをネタ本に大脳の線維束の話しつつ、半側空間無視とか失語症とかそういう話につなげてみる予定。(追記1/27: 情報が公開されたので、このパラグラフ追加しました。)

多次元レクチャーなどを視野に入れて、失語症とその神経回路あたりについて最近の論文を読んでた。以前半側空間無視の文脈で注意の背側経路と腹側経路についていろいろ書いたことがあるが、この背側経路というのはTPJとventral prefrontal cortexとを結ぶ経路。

だから、右脳のarcuate fasciculus (弓状束)というのは腹側の注意経路を繋ぐ経路となっているようだ。いっぽうで、教科書的知識では(左脳の)弓状束というのはウェルニッケ野とブローカ野とを繋ぐ経路であることがよく確立している。右と左の弓状束で役割分担してるのかなという可能性もあるが、絶妙に食い違っていて整合性のある話になっていないように思う。

ともあれ、SaurのPNAS 2008 ("Ventral and dorsal pathways for language")などから、言語の経路にも背側、腹側の二つがあるという話が強調されてきた。背側側はposteriorのSTGからAFを経由してBA44(およびBA6)に入る。腹側側はanteiror STGからextreme capsuleを介してBA45のほうに入る。背側側は音から発話への変換に関わり(sensorimotorな側面)、腹側側は音から意味理解の変換に関わる(recognition的な側面)。もとからこういう経路があることは解剖学的には分かっていたので、それの中での機能分担があるということが強調されてきた、ということ。

言語の二重経路の解剖学的なモデル (ライフサイエンス 新着論文レビューより。この図のライセンスはcopyright 2011 上野泰治・Matthew A. Lambon Ralph Licensed under CC 表示 2.1 日本)

図としてはNeuron 2011を出版された上野泰治氏によるライフサイエンス 新着論文レビューがわかりやすかったのでこれを掲載させてもらった。元の論文はLichtheim 2: synthesizing aphasia and the neural basis of language in a neurocomputational model of the dual dorsal-ventral language pathways. Taiji Ueno, Satoru Saito, Timothy T. Rogers, Matthew A. Lambon Ralph Neuron, 72, 385-396 (2011)で、計算論モデルで言語の二つの経路の機能の乖離を再現するというもの。半側空間無視の二重経路の計算論モデルとか考えてたので、わたしにとって超重要。これから読む。

だから、大脳皮質の表面を後ろから前へと走る神経線維を大づかみに説明するならば、三つの情報処理 (視覚、注意、言語)があって、それぞれに背側経路と腹側経路があって、それぞれが背側側は感覚運動的、腹側側は認識的な役割を持っている、とまとめることができる。

それぞれのパーツについては多次元レクチャーのときにも話をしたのだけれども、このような3*2のシステムとして取り扱うことまではやっていなかった。

言語の背側・腹側経路という概念については、この10年くらいでかなり確立してきたと言えるのではないかと思う。昨年出たBrain 2013 (先述のD. Saurによる) は脳梗塞の急性期の失語症について、100人の患者で損傷部位の確率マップを作成して(Hans-Otto Karnathが著者に入っているので、半側空間無視でも出てきた例のあれ)、診断用テストの成績との関連を探した。

その結果、語や分の反復(sensorimotorな要素)に関わるのは弓状束(AF)およびSLF(III)で繋がれた背側経路、トークンテストのような語義理解に関わるのは最外包(extreme capsule)や鉤状束(uncinate fasciculus)で繋がれた腹側経路だった。これはかなり決定的な報告なのではないかと思う。

ただし、話を単純化するために、診断用のテストの成績を、語・文反復repetitionと語・文理解comprehensionとの要素にPCAを使って分けている。

視覚の腹側経路、背側経路の二重乖離の話だと症例としてGoodaleのDFさんが出てくるわけだけど、言語の場合にはWernicke-Lichtheimの失語図式とかでまとめられるようなたくさんの症例がある。Saurの論文はそれを背側・腹側経路というアイデアでえいやと分けてしまったところが強みでもあり、複雑なところをすっ飛ばしているという弱みでもある。

ともあれ、TPJ-STG-insulaあたりの、(神経生理では)比較的よくわかっていない部分を明らかにすることは、ネタ探しという意味だけでなく、大脳全体に当てはまるような原理を見つけ出すという意味でも重要であるだろうと思う。

その意味でもうひとつ考えておくといいと思うのは、ミラーニューロンの背側経路と腹側経路。以前近畿大学の村田哲さんがコメントしてくれた のはV6-VIP-F4の背側内側経路とCIP-AIP-F5の背側外側経路だったけど(参考の日本語総説(PDF))、グッデール的二分論(actionとperception)に合致しているのは、AIP-F5-PFという背側経路とSTS-Insula-VFGという腹側経路という分け方であるように思う。このへんは生理研だと定藤先生がトークや講義で言及してた。

言語とミラーニューロン系の相同性は議論されるが、言語の背側経路がBA22(聴覚)からBA44(Broca野)へ行っているのに対して、ミラーニューロンの腹側経路はbiological motionとか視覚的な情報をVFGに繋いでいるように見える。言語の背側経路では AFはLFをぐるっと迂回してVFCまでいくが、途中の角回(angular gyrus)や縁上回(supramarginal gyrus)で中継している要素は読み書きなど視覚に関連している。うまく繋がりそうな気もするが、解剖学的にはまったくの相同というかんじにはならなさそうだ。

ともあれ、TPJ-SGT-Insulaとこのあたり、マカクでこのへんを探求するのはあんま得策ではなさそうだが、いまだ開拓されていない部分であるのはたしかだと思う。今日はここまで。


2012年06月12日

駒場広域システム講義の準備中。

6/20に駒場広域システムの学部講義(たぶんこれ:61066 システム科学特別講義II)で「意識と注意の脳内メカニズム」と題して講義します。池上さんから依頼を受けて、いいですね!ありがたく引き受けさせていただきます!なんて返答をしたら、90分 * 2コマ連続であることが判明。泣きそう。だがベストを尽くそう。そんなわけで、いろいろアイデア練ってた。


DFさんはtextureとか質感とかは関知できる。Humphrey et al 1994では懐中電灯を見せたときの例(レクチャーのPDFのp.25)がある:「台所用品。赤いパーツが付いてる。赤いところはプラスチックで他は金属。」手渡されると「懐中電灯か」

盲視ではこのような質感はない。だから、同じように腹側経路が損傷しているとはいえ、両者の視覚経験はまったく違っている。V1こそがそのような基礎的な視覚経験に必須であると言えるし、これを「感覚」と「知覚」の区別で言えば、sensation without perceptionと言っていいのかもしれない。

メロポンの入門書を読んでいたら、視覚はゲシュタルト的構成を元に一挙に与えられるのであって、知覚の前の感覚のような段階説は間違っているとするような書き方があって、どういう文脈で言ってるか分からないが、(メロポン的にはセンスデータ説批判ではなくて「行動の構造」以来の、ゲシュタルト心理学の含意の敷延のはずだから)、本人の文章ではどういう言い方をしているのか見てみることにしよう。

ニコラス・ハンフリーはトーマス・リードを引いて、このような感覚と知覚の違いに基づいて議論を進めるのだが、これは哲学者にはとても受けが悪いとこぼす(「赤を見る」)。たぶんこのときはセンスデータ説批判のほうから来ているのだろう。わたしも盲視から発想するので同じような考えに至る。

つまり、sensorimotor contingencyによって決まるような技能としての視覚(背側経路)とpredictive codingしてsurpriseをtop-downのawarenessによって消してく、ヘルムホルツ的視覚(腹側経路)との折衷、ってアイデアになる。

じつはこのようなアイデアはJoel Norman のBBS2002にあって、両者の範囲を正しく限定するという意味でよいと思うのだけど(Noeがcolorについてsensorimotoroの議論を応用しようとかするのは無理だろとか思う)、BBS2002自体の反応見てるとイマイチ。

なにより肝心のGoodale & Milnerが出てこないもんだから、Normanの話の前にGoodale & Milner説自体の妥当性とかの話になったりして。David Ingle (retired)がコメントしてたので期待して読んでみたら、昔話に終始して、使えない奴だった。

まだ全部読んでるわけではないけど、どうやらギブソン的視覚観とマー的視覚観とを統合したい、なんて動機がそもそも共有されていないんではないか、という印象を抱いた。

Goodale & Milnerの中でいちばんきっつい主張(dorsalはunconscious)にも与しない。腹側系は意識のcontentであって、それが配置され、他者と環境を含めた世界として経験されるためには背側系が必要。

進化の過程では、背側系の方が先立つと考えた方がよいのではないだろうか? つまり、Goodale & Milnerにハンフリー的な進化の視点を導入する。視覚への応答がvisuomotor processingそのものであった状態(背側系)から、表象の世界(腹側系)がどうできるか。

こんなことを今度の講義のまとめに持ってくるつもり。Goodale and Milner成分をいくつか付加して、通りいっぺんな説明ではなくてそれなりに血の通った話をして(DFさんの「視覚経験」)、盲視の話への導入とする。ついでにJCでも再利用。

前半は「注意」。サリエンシーマップと半側空間無視の話をして、前者ではpredictive codingまで、後者では空間と身体との関係まで言及する。これが後半の伏線になる。

後半は「意識」。両眼視野闘争とNCCとGoodale & Milnerの話をして、盲視を最後に持ってくる。盲視では質感はないけどサリエンシーはあるのだ、という話をする。脳とかSDTとかテクニカルな話をするか、それとも外在論とかenactionとかの話をするかのバランスを考える。

つまり、ニコラス・ハンフリーの話で出てくる原始的生物の話は、背側系(手で物体を操作し、目で定位する)という過程が先立って、その生態学的な拘束条件によって決まるアフォーダンスそのもの(たとえば手に届くものを届かないもの)が弁別の材料となる。

そのような弁別能力が長期記憶となり、カテゴリー化の源となる、といった腹側系の機能が出来る。このような表象自体が独り立ちして表象間で操作を行うようになると前頭葉が必要になる。ってこういうおとぎ話をえんえんと書く必要はないのだけど、アフォーダンスが表象に先立つ、というのはVarela-Noe系列のenactive viewとしても筋が通っていると思うし、enactive viewの適応範囲を正しく決めるのにも寄与しているんではないだろうか?

「その生態学的な拘束条件によって決まるアフォーダンスそのものが弁別の材料となる。」つまり、この時点では弁別そのものをしているのではなくて、行動として本当に手が届くか届かないかという事実だけがある。そこから行動しなくてもあれは届かない、という判断が出来ればこれは弁別したことになる。

つまり、行動をせずに、あれは届かないと判断するのが弁別であって、弁別は経験からの学習を前提としている。ってそりゃあたりまえだった。Perceptual decisionではこれがもっと具体的に確率密度分布で持つのか、それとも判断基準で持つのかとかそういう問題になったり。


OBEで「痛み」はどちらの「自己」に帰属するのだろうか? たぶん答えがあるはず。調べておこう。どちらに帰属するにせよ、それによって痛みを他人事にしてしまうことはできないのだろうか?

ksk_S @pooneil RHIでラバーハンドの方に痛みを感じるというのはあるようですね。素朴には、痛みのような内受容性の感覚はそれを感じてるところが「こちら側」になって、他人事にならないような気がしますが。

@ksk_S なるほど、rubber hand illusionのほうで考えればよいのですね。まさに「痛みのような内受容性の感覚」と視覚のような外界に投射する感覚とではいったい何が違い、どこに限界があるのか、みたいなことを考えてました。ではまた。

ksk_S @pooneil まさにそれについて僕も考えていました。RHIやOBEで問題にしている身体的自己感覚は外受容性なんですよね。内受容性の感覚は、身体のように帰属させる自己じゃなくて、もっと意識体験のフレームそのものに直接関与してるような気がします。

(4/21のを吉田がリツイート) ksk_S あともう一つ最近の疑問。形式システムと、力学系と、確率論的世界の上下関係。力学系は形式システムを内包してそうだけど、確率の世界は可能性を扱えるので力学系を含んでいるといえるのか? 含んでるけど目が粗くて捉えられないものがあるということなのか?


講義スライド用に今まで持っているマテリアルを並べてみたら、209枚になった。セクション用の見出しとかもあるから実質180枚。これだけあれば3時間の講義には充分だろう。どちらかというと、これを使ってちゃんとストーリーが流れるように構成することに注力するのがよさそうだ。


ブログ更新: 「脳の生物学的理論」からの話の展開: 20111227のtwitterでの池上さんと藤井さんとのやりとり。 pooneilの脳科学論文コメント 20120516

alltbl @pooneil ちなみに吉田さんは、脳や意識についての論文をかなりきちんとフォローされてると思うのですが、脳はどういうシステムだと思ってますか?Alan Turingの考えたチューリングマシーン的なものではないでしょう?

@alltbl むつかしいこと聞きますね。脳を実際に見ているものとして、脳はコネクショニズム的な分散表現を行っているというのが前提なので、古典計算主義的な脳観は持たない。ただし、そしたらニューロンの活動はニューラルネットの中間層みたいなことやっているのかというとそんなことはなくて、じつはスパース表現がなされていることが多い。つまり、おばあさん細胞のようなニューロン活動というものは偶然に出来ているのではなくて、どっかのレベルで最適化の結果であるらしい。そうなってくると、脳で表象をするということがまた違って見えてくる。

@alltbl あくまで仮説ですが、分散表象とかポピュレーションコーディングのような表象が背側系で行動を引き起こすのに使われて、腹側系でのスパース表現というのは表象の操作を含むような認知活動に関わっているかもしれない、とか考えます。

alltbl @pooneil なるほど。コーディングのような表象が背側系で行動を引き起こすのに使われて、腹側系でのスパース表現というのは表象の操作を含むような認知活動に、というのは面白いですね。ただ聞きたかったのは、何をしているかという時に、世界を写しとるというコピーマシーンみたいなもの?

@alltbl ちょっと寄り道しましたが、このようなニューロン活動のあり方というのが、先日の鈴木さんのツイートにもあったような、「形式システム」と「力学系」と「確率論的世界」のすべてに対して寄与しているんではないだろうか、とか考えたりします。

@alltbl ニューロン活動がポピュレーションコーディングで確率論的な振る舞いをすると同時に、スパース表現でばらつきのない確実なニューロン間通信を行う、みたいに考えたら、確率論的な脳と力学系としての脳が同時に説明できないかなとか考えました。

@alltbl 強い表象主義だと外界のコピーを内的に表象することになるけど、それは無いと思う。まず、背側系は技能として視覚を使うのでコピーをしない(昨日書いた、enactiveな脳)。腹側系は外界をinferする表象を作成するけど(昨日書いた、ヘルムホルツ的脳観)

@alltbl 、実のところ注意を向けたところしかinferしてない。これこそがchange blindnessからわかったことで、われわれは注意を向けていない部分についてはコピーを作っていない。(これはpredictive codingの観点から説明するのが良いと思う)

alltbl @pooneil コピーマシーンなんだけど、自分で世界を変えてコピーしやすくしようとする? 必要以上に脳の仕組みが複雑に見えるので、他に何かしてるんじゃないかと。

@alltbl うーん、これは池上さんの言葉が分からない。

alltbl @pooneil すいません。運河を見てましたw Andy の読みましたが、どうなんだろう。ぼくはこのpredictive codingに賛同できないですね。というのも、生命は予測を最適化するならば、暗い部屋にじっとしてるはずだけどそうではないし、遊びこそが大事、だと。

@alltbl predictive coding的にいうなら、コピーを作るんではなくて、予想外だったときのサプライズを脳内に表象を作ることでキャンセルアウトする、というかんじで。(Andy Clarkもなんかこのへんについて言っているけど、まだ読んでない)

@pooneil これまではミクロには力学系で、疎視化すると確率論、とか考えてたけど、こういう可能性もないかという思いつき。

@alltbl predictive codingにしろ、ベイズ脳にしろ、最適化と言いつつ最適化しようのないノイズというか揺らぎがたくさんあるのに抗しているという状態なのだから、最適化と相反する作用とのバランスという図式を描かないと、池上さんの言うとおりになると思います。


predictive codingだと最適化した行動を前提としているとかいうのはニューロンレベルと行動レベルとのカテゴリー錯誤がありそう。predictive codingの重要度はニューロンの表象の意味を一変するところにあり、おばあさん細胞はおばあさんを表象しているのではなくて誰もいないというpriorからおばあさんが現れたサプライズがニューロンの発火として表現されて、それが緩和される過程を我々は観察者としてみているだけだし、脳内では、上流の細胞が下流の細胞のサプライズを消すように活動することが結果として情報をデコードしてことになってるんだと思う。


2012年06月10日

二つの視覚システム説についていくつか。

Goodale and Milerによる、DF氏の症例報告というのがあるんだけど、両側のLOが損傷したDF氏はvisual form agnosia (視覚形態失認)なので、形とか線分の角度とかそういうのがまったく分からない。だから、perception task (スリットの角度同定)はできない。それにも関わらず、visuomotor task (スリットへのカードの投函)ができてしまう。これを元にして、Goodale and Milerは背側視覚経路がvision for action、腹側視覚経路がvision for perceptionである、という「二つの視覚システム説」を提唱したのだった。(このへんについてはこのブログの「腹側視覚路と背側視覚路」のスレッドで繰り返し取り上げてきた。)

しかし、もっとあとに出版された、Goodale and Milerの「もうひとつの視覚」を読むと、DF氏は課題に習熟するに従って、visuomotor task (スリットへのカードの投函)だけでなく、perception task (スリットの角度同定)を解くことが出来るようになったということが書いてある。

これはどういうことかというと、「visuomotor taskでどのように手を動かすか」を想像してしまえば、そのときの手のイメージをperceptual taskに使えるというわけだ。

このように、vision for perceptionとvision for actionは密接に関連していて、vision for actionはvision for perceptionのおぼろげなものを作ることが出来てしまう。

たぶん、同様にして、盲視に関してもproprioceptiveなフィードバックが「なにかあるかんじ」を引き起こしているんではないだろうか、と想像している。

あらゆるaccess consciousnessにはどういうかたちであれphenomenal consciousnessが付帯する。もし「何かある感じ」というのまでphenomenal consciousnessに含めてよいなら。


(Ingle 1973の準備。)

Annu Rev Neurosci. 2008とか見てた。オタマジャクシ(tadpole)では視交差で完全に交差するけど(右目の入力はすべて左へ)、大人のカエルになるとほ乳類と同様、半交差になる。魚類、鳥類は完全交差で、ほ乳類は半交差。カエルだけ中間で面白い。

正確な分かれ目はしらんけど。両眼視が必要かどうかとかいろいろ要因はありそうなもんだけど。(今はじめて知ったことばかり。)

Ingle 1973思い出した。完全に忘れてたけど、これはtectum lesionしたあとで、ipsiの結合が出来た後で、contraの入力とipsiの入力を比べるって話で、単なるlesionじゃなくって可塑性の入る話だった。つまり、Hurrey and Noeネタに足せる。


Milner/GoodaleのDFさんの仕事とかでdelayがあると残存能力が落ちる(obstacle avoidanceとか)とかそのたぐいの仕事があるけど、これとmemory-guided saccadeとは同じように見えてかなりやっていることが違いそうだ。

とか思ってたら、DFさんでmemory-guided saccadeってのが出版されているのに気付いた。EBR2010 わけわからないのは、左右の刺激での差がある(両側性障害なのに)。MGS出来ないってのを強調しているけど、 チャンスレベルではない。


2011年12月24日

知覚と行動の乖離-サッカード編

De Valois and De Valois 91みたいなmoving gaborで場所がシフトして見えるillusionでgaborにサッカードをしたときの結果を探しているのだけれども、なぜか見つからない。Goodaleの到達運動とかOFRみたいな広い刺激ではなくて。

Perceptionとactionの乖離みたいなストーリーで、結構あるだろうと思っていたのだけれど。 Motion-induced illusory displacement reexamined [Exp Brain Res. 2005] これにすこしサッカードでの結果の記載があるが、くわしいことは書いていない。意外に進んでないのかもしれないなと思った。

Goodale and Milnerの仕事(DF, それからエビングハウス錯覚)とかがあって、actionとperceptionの乖離が主張されて、でもそれは方法論的に問題があることが指摘されて(どうやって正しく両者を比較するか)、それでもsupportiveな論文としてATRの山岸さんの論文があって(でも効果が逆)、それでそれをreexamineしたのがこのEBR論文であるということのようだ。

そうして、EBRでは条件によって両者は乖離したり、知覚の方が正確だったり、行動の方が正確だったりといろいろぶれる。

こういう文脈とは別にして、サッカードが知覚の指標として使える、というような論文はある。J Opt Soc Am A Opt Image Sci Vis. 2003 これはサッカード課題を使ってnhpで心理物理をする根拠として押さえておく。

あとVision Research 2006 つうかこんなところでBrian White(共著者)が出てきた。

Eckstein MPってこの論文の人か。つながってきた。SDT applied to three visual search tasks-identification, yes/no detection and localization それよかこっちか:Vision Research 2009 "Statistical decision theory to relate neurons to behavior ..."

こういうことちゃんとやって、ニューロンまでつなげたい。


2007年06月07日

幼児はミニチュアの椅子に座ろうとする

5月20日
んで、無事帰ってきました。到着したら日曜の夜で、明日から仕事。大変すぎ。
テレビで「どうぶつ奇想天外!」を見てたら、幼児はミニチュアの椅子に座ろうとする、という話をしてました。
そうです、以前のエントリ20040515および20040516で採りあげたScience 2004 "Scale Errors Offer Evidence for a Perception-Action Dissociation Early in Life"を元にした話です。
論文と同じように、幼児はプレイルームでおもちゃで遊んだ後にいったん退場。その間に滑り台とかイスとかをミニチュアに取り替えておく。幼児再入場。ミニチュアのイスに座ろうとしたりする、というわけです。それにどういう意味があるか、というような話は以前のエントリで言及してますのでそちらへ。
番組では、2歳児くらいでいちばん起こるというようなこともコメントされていて感心しました。論文をきっちり読んだ人が実験を行っているようです。
それからあと、番組ではひと味加えていて、ではチンパンジーは同じ状況でミニチュアのイスに座るか検証していました。もちろん座らないのですが、チンパンジーではできて、幼児ではできないという対比を付けることによって、これが発達の一時期に起こることであることを強調していて、これはいいと思いました。


2005年07月15日

Cortex 2005 4月号

"The hidden structure of neuropsychology: text mining of the journal Cortex: 1991--2001"
via Mochi's-Multitasking-Blog
via 認知科学徒留学日誌
追記:Mochi's-Multitasking-Blogでの、「神経心理学はイタリアで盛ん」というのがおもしろい。神経生理学でイタリアというとミラーニューロンのRizzolattiのグループとかしか浮かばないし。偶然だけど、今週のScienceに載っている論文 "Shared Cortical Anatomy for Motor Awareness and Motor Control"、運動系の失行と病態失認に関するものですが、これもイタリアのグループでした。そういえばoptic ataxiaのVighettoとRossettiなんていかにもイタリア名だな、と思って調べたら所属はフランスのINSERMでした……気を取り直しつつ、あと、GoodaleとかTulvingとかのイメージからカナダも盛んそうに思うけど、これはドナルド・ヘブとかに連なる心理学の伝統、といった方がよいのかもしれません。
ご隠居のコメントを受けてさらに追記:Science論文のラストオーサー、Paulesuによるworking memoryの最初のPET studyはNature '93 "The neural correlates of the verbal component of working memory" E. Paulesu, C. D. Frith and R. S. J. Frackowiak です。Brain '95の共感覚者でのPETは"The physiology of coloured hearing. A PET activation study of colour-word synaesthesia"

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# ご隠居

あ,僕の神経心理学のお師匠さんもイタリアに留学していましたね.イタリアには面白い仕事をするひとが多いような印象があります.Rizzolattiも神経心理系かも.ヒト神経生理ではRossiniという大御所がいますね.Science論文のラストオーサーのPaulesuはWMの最初のPET studyをしたひとですね.めりけんじゃなくてイタリアでのんびりと隠居するのもおもしろそうだなぁ...

# pooneil

どうもありがとうございます。Rossiniはここ最近はTMSの仕事が多いようですね。PaulesuのWMの最初のPET study、リンクしておきました。Crith FrithやFrackowiakと一緒に仕事をしていたんですね。ほかにもsynaesthesiaのPET studyなんかも出していて、そういえばこれは以前にセミナーをしたときに読んだことありました。


2004年08月19日

神経研究の進歩 8月号

神経研究の進歩 8月号は「頭頂葉の新しい機能地図」という特集です。目次を見ると、酒田先生の系列の方がどっさり。
おお! Galletti et.al.のExperimental Brain Research '03 "Role of the medial parieto-occipital cortex in the control of reaching and grasping movements."が翻訳されています(「内側頭頂後頭皮質の到達運動と把握運動制御における役割」Galletti C. 他著、 村田 哲 訳」)。7/14にCorreggioさんが教えてくださったときに読んでみたのですが、やっぱV 6/V 6A = PO重要ですな。Gallettiの考えでいけば、optic ataxiaはretonotipicalな座標から運動空間座標への変換過程の障害ということで、たしかに後述のBuxbaumの考えと一致するようです。場所的にも頭頂葉と後頭葉の接合部だし、それっぽい感じもする。とはいえ、頭頂葉の相同がhumanとnonhuman primateとでわけわからないので即断できないわけですが。それにしても、HumanのSPG=nonhuman primateのIFGであるとしたら、humanのIFG(+STG=hemineglectの原因領域)はnonhuman primateのどこに相当するんだろうか。
それから、「頭頂葉病変による視覚性運動失調」石原 健司・他著。7/14のご隠居のコメントにあったataxie optiqueとoptische ataxieの区別に関して書かれています。なるほど、まとめ:

  • Balint('09)が見出したのはoptische ataxie(注視した対象物をつかめない)で、Garcin('67)が見出したのはataxie optique(AO:周辺視野にある対象物をつかめない)で別物。
  • RondotらによるAOの発現機序('77):空間情報が運動出力系からdisconnectされる。後頭葉から運動野までのあいだでの半球間を渡る交連線維が傷害されると右手で右視野、または左手で左視野への対象物を掴むことが難しくなる。同側の後頭葉から運動野までの結合が傷害されると右手で左視野、または左手で右視野への対象物を掴むことが難しくなる。
  • Buxbaumらによる発現機序('97):網膜上の座標から到達運動に必要とされる身体の各部位(方、腕、手)中心座標への変換が障害される。
  • 平山らによる発現機序('82):optische ataxieでは上丘->pulvinar->angular gyrusの経路が傷害され、ataxie optiqueではoccipital->->angular gyrusの経路が傷害されている、と提案。
  • 著者の症例からの発言機序('04):左頭頂葉の病変により、左occipital->左angular gyrusの経路と左右のangular gyrus間の結合とに障害が起こる。これによって、左手から右視野の対象物をうまくつかめなくなる。右手からは左右どちらの視野も対象物もうまくつかめなくなる。
「英語圏の論文では両者を厳密に区別しないで記載されたものが散見されるが、対象を注視した状態であるか、周辺視の状態であるかは、重要な相違点である。」と書かれています。これは7/14のVighetto and Milner論文に関してご隠居が指摘されていたことですな。ちなみにVighetto and Milner論文ではこの患者さんたちが注視しているときには対象物を掴むのにほとんど障害はなかったらしいことを彼ら(Vighettoら)の前報
を引いて主張します。それならばそれはBalint症候群ではないのではないか、と思うわけですが、やはりこのへんがあまりクリアーでないのですな。


2004年07月16日

Nature Neuroscience 7月号

"Automatic avoidance of obstacles is a dorsal stream function: evidence from optic ataxia."
つづき。
Optic ataxiaに関する重要な論文にGoodale and Milnerの
Nature '91 "A neurological dissociation between perceiving objects and grasping them."
があります。以前にも言及しましたが、visual agnosia (視覚認知ができない)の患者さんであるDFさんは目の前のスリットの角度がわからないにもかかわらず、このスリットにカードを差し込むことはできます。一方、optic ataxiaの患者さんでは話は逆で、スリットの角度はわかるのに、そのスリットにカードを差し込むことができない、というわけです。
つまり、視覚意識がないのに視覚運動変換ができる場合と視覚意識があるのに視覚運動変換ができない場合というdouble dissociationを示したわけです。さらに彼らは"Visual brain in action"(MIT press)においてその二つがdorsal pathwayとventral pathwayとに分かれている、といった説を展開することになります。
今回の論文の著者であるRossetti and Vighettoは最近EBRにoptic ataxiaに関するreviewを書いていて、上記のGoodale and Milnerの説を批判しています。
"Optic ataxia revisited: Visually guided action versus immediate visuomotor control." Yves Rossetti, Laure Pisella and Alain Vighetto
つまり、前述のとおり、optic ataxiaでは注視点へ手を伸ばすのには問題がないわけで、optic ataxiaの場合のテストは周辺視野で行っており、中心視野で行っていない。一方でvisual agnosiaの場合のテストは中心視野で行っており、周辺視野で行っていない。よって、二つの症状を比較するためにはどの視野でのことなのかをそろえて検証すべきだ、というわけです。んで、このレビューが出た後の今回のNature NeuroscienceにはMilnerが入っている、というわけなんですな。
なお、Rossetti and Vighettoの代表作は
"Optic ataxia: a specific disruption in visuomotor mechanisms. I. Different aspects of the deficit in reaching for objects." Perenin MT, Vighetto A
こいつです。Brainなんですが、Iとか書いてあって連報のように見えて、続報が出てないのです。かっこ悪い。内容は別として。


2004年07月15日

Nature Neuroscience 7月号

"Automatic avoidance of obstacles is a dorsal stream function: evidence from optic ataxia."
つづき。
じつは著者らはほぼ同じタスクを使ってspatial hemineglectの患者さんで同じテストをしています。spatial hemineglect(半側空間無視)は主に右のPPCの損傷によって左視野半分への注意が向かなくなる、というもので、基本的に視覚注意の障害です。
"Preserved obstacle avoidance during reaching in patients with left visual neglect." Neuropsychologia '04
こちらでは結果はまったく逆で、円柱のあいだを手を伸ばすときには、円柱の位置によって手の軌道に変化を受けます。つまり健常者とまったく同じで、automatic avoidanceは可能です。しかし、円柱の中間を示すタスクではちょうど真ん中を指すことが出来ません。これは左側の円柱が無視される影響で中心より右側を指すということが起こるためです(じつは結果はしょぼいのだけれど)。
つまり、この二つの論文の結果を合わせると、double dissociationが起こっていることがわかります。つまり、optic ataxiaもhemineglectもおなじPPCの障害によって起こる症状であるにもかかわらず、optic ataxiaの方ではautomatic avoidanceの機能のみに、hemineglectの方では視覚注意の機能のみに障害が起こり、別の機能には障害がありません。つまり、optic ataxiaとhemineglectとで傷害される部分は別の独立した機能を持っていることがわかるのです。
それではじっさいの障害部位はどこか、といいますと、
"Two different streams form the dorsal visual system: anatomy and functions." Giacomo Rizzolatti and Massimo Matelli
によりますと、上のほう(SPL)が傷つくとoptic ataxiaになって、下のほう(IPL)が傷つくとhemineglectになる、ということのようです。じっさいには単純にSPLとIPLとに分けられるかどうか疑問でして、optic ataxiaの方がparietooccipitalである、というように書いている場合もあるようですが。なんにしろ、Rizzolattiはそれまでのanatomyなどの結果から、PPCには二つのpathway、SPLを通る経路とIPLを通る経路とがある、ということを提唱しています。(じつは、ventral pathwayでも単一の経路があるのではなくて、STSの中を通るような別の経路がある、という話があるんですが、それはまたいつか。)しかし、Rizzolattiはいろんなことやってますな。
なお、PPCのもう一つ重要な機能としてbody schemaの形成というものがありますが、これも二つの症状で現れ方が違っておりまして、optic ataxiaの患者さんの多くは、自分の体を指差すときには不思議と問題がなかったりします。一方、hemineglectの患者さんはしばしば空間を無視するだけでなく、自分の体の半分も無視するという現象が起こります。つまり、IPLのほうがおそらくはbody schemaの形成に関わっているということでしょう。(>>Correggioさん、合ってますか?)
明日つづきを貼ります。これで最後。Goodale and Milnerに関連して。
追記:Rizzolatti and Matelliでoptic ataxiaとneglectについてどう書いてあるか貼っときます。


Lesions centered on SPL determine optical ataxia (Ratcliff and Davies-Jones 1972; Perenin and Vighetto 1988). Lesions of the right IPL, especially its lower part, produce neglect (Vallar and Perani 1987; Perenin and Vighetto 1988). (中略) These data suggest a clear dichotomy between the functional roles of SPL and IPL. SPL is involved in action organization. In contrast, IPL is deeply involved in perception, but it is also involved in the organization of motor activities.

というわけでSPLとIPLという言葉はhumanのものですので、ご隠居の誤解ではありません。Correggioさんも書いているようにRozzolattiは相同に関しては回避している模様です。

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# Correggio

じつは、そういう風にきれいに行けばいいのですが。。。。実は、Rizzolatti等の主張とGalletti等の主張の根拠は基本的にはそんなに違っていません。解剖学的に、確かに二つの経路(正確には3つか)に分ける。つまり、V6-V6A-MIP-PMd のV6-VIP-F4の背側背側経路とCIP-AIP-F5(実はもう一つPF-F5こっちはミラーニューロン)の背側外側経路です。大まかにいえば、到達運動に関わるのが背側内側経路、背側内側経路は把握運動というふうに考えられますが、Gallettiたちは背側内側経路も把握運動に関わっているといっています。ところで、ヒトSPLとIPLはサルのどこにあたるのかははっきりしませんが(Rizzolatti等もはっきり言ってない感じ)とりあえず背側外側のMIP経由はSPLをとおり、背側内側経路はIPLを通るとして、でも、こうするとVIPの経路はどっちにはいるのかなあ(一応RizzzolattiたちはIPLにいれてるみたい)。で、V6-V6Aの経路が、optic ataxiaに、そして、VIPの経路が空間無視に、AIPの経路は、失行症に関わると考えられます。身体感覚は、どちらともいえないようです。Shiriguたちの1999年の論文(Brain)では、自己と他者の手の視覚イメージが、どちらに属するのか区別できない症例の中に39野と40野の傷害の例を挙げています。一方、Wolpertの1998年のNature neuroscienceでは、SPLで、身体感覚の障害を示す患者の例を紹介しているのです。確かに、ニューロンの記録では、入來さんやGrazianoはSPLですし、Hyvaerinenの記録は、PFですね。

# pooneil

解説ありがとうございます。うーむ、そんなに簡単ではないようですね。GallettiのEBRのイントロを読んでみました。SPLからPMdへ行くのがreachingで、IPLからPMvへいくのがgrasingというパラレルなstreamがある、という考え自体は以前から提唱されていて、しかもそれがすでに批判にさらされている、ということからすると、GallettiのもRizzolattiのもそれのmodificationみたいな立場にあるようですね。身体感覚がIPLってのはかなり納得がいってたのですが、なるほどうーむ、もちろんSPLとIPLとのあいだでの情報伝達もあるんでしょうけど、不思議な話ですね。SPLの方がおそらくsomatosensoryとの関連が強いだろうし、IPLの方がミラーニューロンのシステムとの関連は強いでしょう。よって身体図式といっても、違った要素からできているということなのかもしれません。

# mmmm

Yeung&Sanfey(reward magnitudeとvalenceとの分離の論文)を一瞥しただけの茶々です(並立スレッドを立てると混乱しそうですが)。課題も面白いし、Fig. 2はかなり美しいですね。本当はregret(あるいはfactual vs counterfactual)も含めてtriple dissociationを狙ったんでしょうね。ところがこの三番目のfactorでmedial frontalを狙ったのは失敗だったのかもしれないですね。この論文ではbehavioral adjustmentと関連づけるという間接的な役回りを果たしているようです。Camille et al. (2004) Science 304:1167-1170がfMRIを使ってOrbitofrontalで出し抜いた形になってしまいました。

# pooneil

mmmmさん、ありがとうございます。なるほど、そのように読めるのですね。とっかりがなくてどう捉えたらよいかわからなかったのですが。Camille et al. Science ’04は5/22にリンクしておいたものですね。もういちどリンクし付けときます。

# pooneil

Correggioさんから上のコメントの清書バージョンをいただきましたので、ここに貼っておきます。あとで編集するときに忘れないように。Correggioさん> じつは、そういう風にきれいに行けばいいのですが。。。。Rizzolatti等の主張とGalletti等の主張の根拠は基本的にはそんなに違っていません。解剖学的に、確かに二つの経路(正確には3つか)に分けられる。つまり、V6-V6A-MIP-PMd のV6-VIP-F4の背側内側経路とCIP-AIP-F5(実はもう一つPF-F5こっちはミラーニューロン)の背側外側経路です。大まかにいえば、到達運動に関わるのが背側内側経路、把握運動は背側外側経路というふうに考えられますが、Gallettiたちは背側内側経路も把握運動に関わっているといっています。ところで、ヒトSPLとIPLはサルのどこにあたるのかははっきりしませんが(Rizzolatti等もはっきり言ってない感じ)とりあえず背側内側経路のMIP経由はSPLをとおり、背側外側経路はIPLを通るとして、こうするとVIPの経路はどっちにはいるのか。(一応RizzzolattiたちはIPLにいれている)。で、V6-V6Aの経路が、optic ataxiaに、そして、VIPの経路が空間無視に、AIPの経路は、失行症に関わると考えられます。身体感覚は、どちらともいえないようです。Shiriguたちの1999年の論文(Brain)では、自己と他者の手の視覚イメージが、どちらに属するのか区別できない症例を報告し、39野と40野の傷害の例を挙げています。一方、Wolpertの1998年のNature neuroscienceでは、SPLで、身体感覚の障害を示す患者の例を紹介しているのです。確かに、ニューロンの記録では、入來さんやGrazianoはSPLですし、Hyvaerinenの記録は、PFですね。


2004年07月14日

Nature Neuroscience 7月号

"Automatic avoidance of obstacles is a dorsal stream function: evidence from optic ataxia." "The visual brain in action"をGoodaleと書いたDavid Milnerです。それからoptic ataxia関連の論文を書いてきたRossetti and Vighetto。Posterior parietal cortex (PPC)の障害でoptic ataxiaの症状がある患者さん二人へのテストの結果です。
Optic ataxiaとはなにかというと、視覚は正常で、物がどこにあり、何なのかもわかっているのにもかかわらず、それを手を伸ばして掴むことができない、という症状のことです。後述のRizzolattiのEBRによれば、"a disorder of visually guided movements of the arms toward a goal"です。この障害は、その物体が視野のはしっこにあるときにより厳しく、物体を視野の真ん中で見ている(foviate)ときには問題にならなくなります。
んでもって実験パラダイムはFig.1の通りですが、テーブルの向こう側に注視点があってそこを注視しながら手を伸ばして注視点に触れることが要求されています。手を伸ばす途中には円柱が二本、手が通るあたりから10cm横の左右に置いてあります。この円柱は手を伸ばすときに当たることは決してありません。しかしこの円柱の位置を左右に4cmほどずらしてやると、このタスクをコントロールの健常者がやるときには手の軌道がこの円柱を避けるようにわずかに逸れます。被験者はこのような微妙な調節を意識してやっているわけではありませんので、これは"automatic avoidance"です(円柱が手の軌道に近いところに置かれているときには意識してそれを避けて手を伸ばすので、automaticではありません)。しかし、このタスクをoptic ataxiaの患者さんにやってもらうと、そのような手の位置の調節がなく、円柱の位置によらずいつも同じ手の軌道を描くことになります。*1 つまり、optic ataxiaでは、視覚誘導性のreachingの障害だけではなくて、このようなautomatic avoidanceにも障害があるということがこの論文でわかったのです。なお、視覚には障害がないということを示すためのコントロールとして、別のタスクでこの二つの円柱の中間を指差すように、というタスクをすると、これはまったく問題なくできます。よって、円柱の位置の変化を認識していないということではないのです。
明日つづきを貼ります。
追記:Correggioさん指摘のGallettiらのEBRのreview。
Experimental Brain Research '03 "Role of the medial parieto-occipital cortex in the control of reaching and grasping movements." Claudio Galletti , Dieter F. Kutz, Michela Gamberini, Rossella Breveglieri and Patrizia Fattori
追記:ご隠居のコメント関連。RizzolattiのはBrain '83 "Deficits in attention and movement following the removal of postarcuate (area 6) and prearcuate (area 8) cortex in macaque monkeys."、HeilmanのはArch Neurol '94 "Posterior neocortical systems subserving awareness and neglect. Neglect associated with superior temporal sulcus but not area 7 lesions."ということで合ってますか? ほかにメジャーな論文としてはGaffanのBrain '97くらいではないでしょうか。この2、3年でneglectの動物モデルでいいjournalに載ったのはないように思います。マーモセットの論文(Behavioural Brain Research '02)をひとつ見つけましたが。んでもって、neglectの種差の問題の参考文献はNature '01 "Spatial awareness is a function of the temporal not the posterior parietal lobe."ですね。あとご存知でしょうが、Nancy KanwisherのCurr Opin Neurobiol '01 "Neuroimaging of cognitive functions in human parietal cortex."はPPCの種間の相同の議論をするのに役立ちそうですね。


*1:なお、前述したとおり、optic ataxiaがあっても、注視しているところへ手を伸ばすことは難しくないそうです。

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# Correggio

この論文まだちゃんと読んでいませんが、まだちゃんと読んでないですが、GallettiらのEBRのreviewでは、optic ataxiaがサルでいうPOに領域の傷害で起こるのではないかと主張しています。彼らはサルのPOで眼球位置に関係なくターゲットの位置をコードすると思われるニューロンを記録しているわけですが、つまり周辺視野における物体の位置情報をとらえているということでもあります。automatic avoidance の傷害の背景にはこうしたことがあるんだろうか。

# pooneil

Correggioさん、ありがとうございます。コメント、お待ちしておりました。7/15にも書きましたように私はRizzolatti and MatelliのEBRの方に準拠して書いていたので、SPLがoptic ataxiaでIPLがhemineglectと書いておいた一方で、optic ataxiaはparietooccipitalであるという書き方をしているものもあることを示しておきました。たぶん、これがGallettiのEBR ’03でのV6というやつに対応しているのでしょう。周辺視野での影響に限られている、という意味でも符牒が合うわけですね。なるほど。Rizzolatti and Matelliの方は「二つのdorsal pathway」というアイデアのために強引に解釈している節はありますが、それでもVIP-F4とAIP/PF-F5という二つのstreamの分け方は面白いと思ってます。

# ご隠居

いつも大変ためになる議論を楽しく拝見させていただいております。相変わらず冬眠ぼけのまま(もう真夏だろうにっ(^-^;)ですが。古典的なはなしでは、「物体が視野のはしっこにあるときにより厳しく、物体を視野の真ん中で見ている(foviate)ときには問題にならなくな」るような障害は、ヒトでは頭頂後頭接合部の病変で起きるといわれており、(POに相当する部位も含まれているのかもしれません)一方、注視対象もつかめなくなるという症状(Balint症候群の一症状ですね)は両側頭頂後頭接合部から深部白質の病変の広範な病変で起こります。ひとによっては、前者をataxie optique、後者をoptische Ataxieなんて言い分けたりして、よけい訳がわからなくなりがちですが(まあBalintが1909年に提唱しているわけで、いろいろな歴史的経緯があるから仕方がないのでしょう)同じ用語でもどういった概念(症候)をさしているのかはちょっとだけ注意する価値があるかもしれません。病変側と程度の差なのかもしれませんが。。。ちなみに、 Balint症候群のほかの症状として、精神性注視麻痺(いったん注視した対象から他の対象へのsaccadeが起こりにくくなる)と視覚性注意障害(視野内の一つの対象を注視するとその周囲の対象が認知できなくなる)といった症状が知られています。ここまで書いて、論文をはじめてちらっと眺めてみたのですが、じっさいには頭頂葉から後頭葉の一部にかけての広範な病変がありますね。おっと、Balint症候群との記載もありました。そう、要はBalint症候群と彼らがいっているからには、その患者さんは注視対象へのreachingも障害されている(いた)はずです。また、discussionで simultagnosia(同時失認:Balint症候群でいうところの視覚性注意障害です)の影響がないといっているひとくだりは、うーん、あまり説得力がないですね。冷や汗をかいている姿が見えてきます。また新しい患者さんの例をだしていますが、そのひとの症状はさきの言葉ではataxie optiqueに相当する方で、あまり補強にはなっていません。なんか、ついつい、あたりまえの結果のようにも思ってしまうのですが、それじゃいけないのでしょう。ただ、Balintの論文、きっちりと引用してほしいですね。ついでに、個人的な古い僅かな経験では、optic ataxiaとhemispatial neglectについてはdouble dissociationを持ち出す必要性にかられたことはあまりありません。頻度的にもneglectが圧倒的に多いですし(医者くさい考え方ですみません)病変部位・症候いずれもあまり混同する機会がないように思います。もっとも、病変によってはoptic ataxiaにhemispatial neglectを合併することはあると思いますが(neglectっぽい症状は本当にいろいろな部位の病変で起こります)。そう、不勉強ですみませんが、本当にSPLの病変でoptic ataxiaが起こるのでしょうか?SPLに脳梗塞が起こることはよくあるのですが。。。高次体性感覚障害による運動障害(触覚性失認とか、また紛らわしい用語を使うひとがいますが)が起こることは時々あると思いますけど。ただ、いろいろとあたらしい観点からみると違うのかもしれません。そのまたついでですが、neglectの患者さんで、指差したところがずれていたことの原因については長年の論争があり、この論文も、それよりは障害物をよける機能は保たれていたということがいいたかったのでしょう。neglectは注意障害だと捕らえるのはちょっと単純化されてすぎていて、通常はさまざまな機能が多々障害された結果を症候群として観察していると考えたほうがよいでしょう(とくに clinical neuropsychologyの多患者研究では)最近はそれらのなかでdouble dissociationを出してpurifyする努力がされているようですが。素人のなにもよまないでのコメントですので、はずしているでしょう、すみません。さきにあやまっておきますね。ただ、ちょっとなつかしかったものでついつい。 駄文長文失礼しました。これからも楽しみにしています。

# pooneil

ご隠居、どうもありがとうございます。すばらしい。さすが本職。んでもって、ご隠居の書いていただいたことに特に付け加えることはありませんがなんとかもう少し書いてみます。Optic ataxiaがBalint症候群のひとつであって、simultagnosiaやocular apraxiaがこれらの患者にどのくらいあるかどうか、というのは気をつけて見ておくべき問題ですね。ご隠居のメインのメッセージは「neurologyの症状の多様さへの感度」であると捉えました。「optic ataxiaとhemispatial neglectについてはdouble dissociationを持ち出す必要性」ですが、これは私の疑問として、なぜ著者らはoptic ataxiaとhemineglectとを別の論文にしたのか、なぜいっしょにしてdouble dissociationを示す論文にしなかったのはなのだろうか、というのがあったからなのです。そっちの方が論文として強いと思うし、PPCの機能局在についての重要なデータだと思うわけでして。SPLがoptic ataxiaの原因部位であるかどうかについては、上のコメントでも書きましたが、Rizzolattiの過剰な図式化に乗っただけのことでして、頭頂後頭接合部というのが本当だと思います。「neglectは注意障害だと捕らえるのはちょっと単純化されてすぎていて」 うーむ、そうなのですか。これも症状の多様性の問題ですね。一時期Jon Driverの論文がたくさん出たことがあって、あの頃から気にはなっていたのですが、hemineglectに関してはどうしてもきっちり勉強しなければならないようです。まずは御礼まで、というかおかげでまたこの日記の内容が充実するのでありました。

# pooneil

ご隠居、SFNには参加しますか?

# ご隠居

好フォローありがとうございます。基本的におっしゃるとおりですね。。どうしてもメカニズムを考えるにあたって現象を抜き出して単純化した上で図式化することになるので、その過程として当然というか、やむを得ないことではありますが。でも、Rizzolattiの仕事(のスタイル)はとても好きです。って、おっと、たしか Milner論文へちょっと批判をしただけつもりだったのですが。ところで、てっきり humanの話だったのでSPLも humanのことをさしているのかと思ってしまったのですが、 saruの話だったのですね(当然か)。失礼いたしました。ついつい用語にひっぱられて、外延(内挿か?)してしまいました。 saruの lesion、electrophysiology、(やfMRI??)のきれいなデータと human neuropsychologyの実験の結果をつきあわせるのは大変なのかもしれないですが興味深いですよね。とくにparietalでは。ところで、 saruの neglectの論文っていろいろあるのでしょうか? Rizzolattiや Heilmanらの古い論文以降のフォローをしていないので。たしかしばらく前に Olsonらが SFNでなんか出していたような気もするのですが、その後どうなったのでしょう。

# ご隠居

そうそう、今の本職は隠居老人なので。。。そのときまで生きていられたらSFNに遊びに行きたいですね。

# NHK

ご隠居さん、お元気ですか?NHKです。教えていただきたいのですが、neglectとextinctionは区別したほうがよろしいのでしょうか?

# ご隠居

どうもです.neglectとextinctionは一見似ておりまた同時に起こることも多いですが(特に右中大脳動脈の大きな梗塞の後など),double dissociationが示されており機序も別々に考えうるので,区別したほうがよいのではないかと思われますが,いかがでしょう.

# pooneil

>>今の本職は隠居老人なのでなにを言ってるんですか、ご隠居。私より若いんだから、またアグレッシブにいってくださいよ。もし体を悪くしてるんでさえなければ。Parietalの相同の問題およびneglectの動物モデルに関してはもう少し調べてみますが、少し本文で関連論文にリンクを貼っときました。Neglectよりはextinctionの方が動物モデルとしてはやりやすそうな気がするのだけれど、別ものなのか。これは重要なことを聞きました。

# NHK

ご隠居さん、ありがとうございました。他の方のレスをみるにつけても、言わずもがなですが、古典的なdorsal/ventral streamの見なおし、そして両stream間のinteractionのあたりに大きなbreak throughのタネがありそうな気がします。それにしても皆さんのコメントを拝見するとおぼろげながら、どなたなのかみえてくるところが面白いですね。

# NHK

私は、申し遅れましたが、かつてご隠居さんと席をならべていた者です。

# ご隠居

pooneilさん>> 私より若いんだから 確かに数ヶ月若いかもしれませんが、なにぶんこのところ苦労しすぎですっかり老けきってしまいまして。。。まだ論文の束の整理がついていないのですが、いろいろ教えていただいた論文を探して読んでみます。そう、Gaffanもあった、いろいろとぶっとんだこといっていましたね。たしかレビューもあった。楽しいヒトです。Perenin and Vighetto 1988、すっかり忘れてしまっていましたが、pubmedでabstractを見る限りではPPCに病変の主座がありそうな記載ですね。もうちょっとあたってみます。NHKさん、申し遅れても遅れなくてもわかりますよ。これからもますますお忙しくなり大変でしょうが、素晴らしいお仕事を楽しみにしております。

# pooneil

NHKさん、確信度95%でしたが、ということは私とも席を並べてましたよね。なお、私自身はもう完全に匿名でなくなったのでそのへんに関してはご注意ください。>>両stream間のinteraction 昨日慌ててJon DriverのNature Neuroscienceのレビュー”Parietal neglect and visual awareness”を読み直してみましたが、Jon DriverはまさにIPLをdorsal streamのSPLとventral streamとをつなぐinterfaceと捉えているわけでして、そう考えるとますますhumanとnonhuman primateとのあいだでの相同が気になります。HumanのIPL/TPJに対応するのは7a/7bだろうか、それとももっとventralだろうか。ご隠居と意識について話をしていたときに、ventral stream偏重の私にparietalはどうなのかとご隠居がご指摘されたのを懐かしく思い出します。Parietalが意識に関与しているであろうことはJon Driverの言う通りであるけれども、それでもparietalが意識のcontentそのものにはなりえないだろうと思っています。このへん、もう少しまとめて書く必要が出てくることでしょう。

# Correggio

ヒトのSMGが、7bに相当するという考えがあります。私もそう思っています。Zillesは、サルにはSMGはないといっています。7aは、角回にあたるんでしょうか。これは今だはっきりしません。TPJは、どこでしょう。TPJが、Size constancyに関わるという話しもありましたっけ。


2004年06月02日

Goodale and Milnerのつづき

5/30のCorreggioさんのコメントへの返答からの続き。
解剖学的にはRocklandが示したようなinferotemporalとparietalの結合もありますね(Cerebral Cortex '03 "Inferior parietal lobule projections to anterior inferotemporal cortex (area TE) in macaque monkey.")。とくにparahippocampalというのはventral pathwayにあるようでいてかなりdorsal系っぽいイメージを私は持っています(dorsalとventralの収束点としての海馬、というのも重要な観点ですし)。また、機能的に言っても、parietal系はけっこういろんなshape selectivityを持っていること(Nature '98のLIP ("Shape selectivity in primate lateral intraparietal cortex.")JNP '00のAIP ("Selectivity for the shape, size, and orientation of objects for grasping in neurons of monkey parietal area AIP.") )を考えると、dorsal pathwayにかなり形態識別に関わることが出来ることも考えられますし、そのようなshape selectivityへのventral pathwayの寄与も興味深いです。また、そもそも注意をつかさどる回路自体がparietalとventral系とのinteractionであるというのが重大なことかと考えます。
私自身は、「意識のneural correlateをどこかの領野に同定する」という欲望を押さえつつ、「sensorimotor coordinationと分かちがたく絡み合っていて、個体の行動までを含めた総体としてしてしか捉えようのないものとして意識を捉えたい」と考えております。患者DFさんのような意識なしでのaction、というもののステータスをもう少し考えてみる必要がありそうです。たとえば、DFさんは途中からそういう乖離状態になったのであって、もともとは意識と行動とがマッチしている時期があったわけです。もしそのようなマッチングがなければそのような乖離状態はありえない(スリットというものをを知覚によって理解できない状態でどうやってカードを入れることが出来るであろうか)、というあたりをとっかかりに。

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# Correggio

出張やらなんやらで返事が遅くなってしまいました。parietalには,texture gradientの情報ももっていますし,さらにはSTSaからbiological motionの情報ももらってるかもしれません。pooneilさんの意識のとらえ方には共感を覚えます。blindsightの物体に手を伸ばしてつかめるというのも,やはり特殊な条件ではないかと思います。

# pooneil

お返事ありがとうございます。そうですね。STSaからのbiological motionというあたり面白そうですね。この間のMiall論文でもSTSからPFへ行く流れを逆モデルの一部として捉えていましたね。ParietalがSTS、F5、S1/S2、MT/MSTからの情報の集積地であるということがparietalの機能を規定している、という視点も必要ですね。(その点でperirhinalはinferotemporalおよびhippocampusさえ考えておけばよいようなところがありますが、本当はもっといろんな領野とのネットワークとして捉えられるべきなのでしょう。)


2004年05月30日

Goodale and Milner

昨日からの続き。

また、"The visual brain in action"において著者は

"Visual phenomenology ... can arise only from processing in the ventral stream ..." "We have assumed ... that visual-processing modules in the dorsal stream ... are not normally available to awareness." ("The visual brain in action" p.200)

と書き、「意識に上る・上らない」というのとほとんど同じことを言っていますが、さらには哲学的に厳密な意味ではそのようにも言いきれないと書きます。

"Although D.F. in particular seems to have lost conscious perception of shape, it is perhaps debatable whether or not the dissociation between what she can and cannot do is best captured as 'conscious' versus 'unconscious'. ... In a strict philosophical sense, we are doubtless treading on thin ice in proposing that stimulus processing in the ventral stream is a necessary condition for visual awareness, though we are comfortable with defending the proposal that such processing is a necessary condition for visual perception and recognition. Likewise, we suspect that the visual processing that goes in the dorsal stream operates in the absence of awareness, all we can really defend is the contention that one is normally unable to report verbally on the contents of that processing and that it proceeds largely independently of processes of perception and recognition." ("The visual brain in action" p.200-201)

かなり気をつけて書いている様子が見えます。

というわけでmdsさんが言う通りではありますが、かなり近い線を行っていることをわかってもらえるかと思います。また、上の厳密な意味で膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路に関しても吟味する必要はありそうです。

なお、Goodale and Milerの説に対する反論はいろいろあるようですが、とりあえず私が知っているのはJ. Kevin O’ReganとAlva NoëのBEHAVIORAL AND BRAIN SCIENCES '01 "A sensorimotor account of vision and visual consciousness."です。これのp.969において

The work of Milner and Goodale suggests that damage to the ventral stream disrupts non-visuo-motor aspects of seeing. This is an important finding. But it would be a mistake to infer from this that the ventral stream is therefore the place where visual awareness happens.

と書いていたりします。

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# Correggio

最近,dorsalとventralは,解剖学的な仕事から,crosstalkがかなりあるということになって,話しがそうそう単純ではなくなってきましたね。

# pooneil

どうもご無沙汰しております。解剖学的にも機能的にもいろんなinteractionがあって、これを明らかにするというのは、脳の機能を明らかにするためにはここのニューロンや領野を調べるだけでなくてそれらの相互作用を明らかにする必要がある、という意味においてもこれからもっと重要になるかと考えております。続きは6/2に書きました。

# mds

ご丁寧に返答くださってありがとうございます。書きっぱなしになってしまって、申し訳ありません・・・。こんな完璧な回答を頂いて、自分の知識のなさに愕然とするばかりです。けれど、同時に知的な興奮も覚えたので、ありがたく思っております。もっと多くの論文を読みながら、体を動して実験せねばいけませんね・・・精進いたします。簡単に自己紹介させていただきますと、関西の大学院で心理学を専攻しております、M1のひよっ子です。これからも勉強がてらちょくちょく覗かせていただきますので、よろしくお願いいたします。   ...ちなみに某トレーニングコース(脳機能画像解析)に参加いたします。

# pooneil

おお、ではSPM使いですね。私もSPM使えるようになりたいんですよ。潜っちゃおうかな>>某トレーニングコース。といいつつ膨大な参加人数なんですよね(昨年の写真を参照)。


2004年05月29日

Goodale and Milner

去年の12/29に書いたGoodaleの論文への記載についてmdsさんより書き込みがあったのでここで返答します。


mdsさん>>上記の意識に上る上らないに該当する経路は、膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路のことではないのですか? 膝状体視覚経路が損傷した患者は、運動刺激が見えていないと主観的には報告するんだけれども、あたかも見えているかのような行動反応を示す、というものです。確かに背側経路には膝状体外視覚経路からの投射が入ってきますが、背側経路・腹側経路自体は、意識に上る・上らないという二項に単純に対応するものではないと記憶しております。

mdsさん、書き込みありがとうございます。膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路についてのもちろんそのようなことが考えられていますが、Goodaleが書いているのは背側経路と腹側経路についてです。Goodaleが言っているのは正確には、背側経路がvisual control of actionであり、腹側経路がvisual recognition/perception、というものです。
"The visual brain in action" のprecisがPSYCHEのweb siteにありますのでそれを参照してみますが、fig.2にあるように、腹側経路の損傷を持つ患者DFさんはスロットの向きはわからない(perception能力の低下)けれどもスロットにカードを差し込むことは出来る(sensorimotor controlは保持)、という例をGoodaleは示しています。また、fig.3にあるように、DFさんは石ころのようないびつな物体の形を見分けることは出来ませんが(perception能力の低下)、掴むときにはうまく重心を外さないように掴みます(sensorimotor controlは保持)。一方、背側経路の損傷を持つ患者RVさんはまったく逆で、その物体の形を認識することは出来ますが、それをバランスよく掴むことは出来ません。このことからGoodaleは背側経路と腹側経路とでvisual control of actionとvisual perceptionとに機能が分かれていることを示しています。
もちろん、この二つの経路が全く独立であるなどとはGoodaleは言ってませんし、両者がどのように交互作用しているかがこれからの課題であるとしています。
長いので次の日に続きます。


2004年05月16日

Science

"Scale Errors Offer Evidence for a Perception-Action Dissociation Early in Life."
つづき。
実験としては、まず子供をプレイルームに連れてきて本物の滑り台や椅子や足漕ぎ車(中で漕いで進めるやつ)で遊ばせる。いったんプレイルームから子供を外に出して、また入ってきたときにはそれぞれのミニチュアと取り替えておく。それで子供がそのミニチュアを本物のように扱って遊ぶ回数をカウントする。結果、二歳ぐらいでこの数は最大となり、一歳半や二歳半では低くなるという、発達時によく見られる逆U字のパターンが見られた。(よく見られるのはU字パターンの方だったか。)
反論として、単に子供は遊びでまねっこでミニチュアの椅子に座る振りをしただけではないのか、という可能性があるが、この点について著者は押さえをしている。著者は子供たちが本気でその椅子に座ろうとしたのだという証拠として、(1) 遊びで振りをしている時には違った行動を取ること、たとえばミニチュアの滑り台だったらまねっこの時は手や人形を滑らせるのであって自分が滑ったりはしない、(2) 本物で遊ぶときと同じような手順を踏んでいること、たとえばおもちゃの車だったら、ちゃんとドアを開けてから足を入れようとするのであって、窓から足を突っ込んだりするようなことはせず、本物の足漕ぎ車のように扱っている、など説明している。
この逆U字型をどのくらい本物として捉えてよいか。著者は本物の(たとえば)椅子に触れている時間とミニチュアの椅子を本物のようにして遊ぶ回数とには相関がない(データは示されていないが)と書いている。しかし、子供の活動性、特にまんべんなくどのおもちゃにも触れているかどうか、などが影響すると思われるが、そのへんのデータはないようだ。(本物で遊ぶ時間に関しては条件を定めている。)
行動のplannningと行動のcontrolをventral pathwayとdorsal pathwayとに振り分けるというのははたしてどうだろうか。もちろん行動のplannningにはobjectのidentificationは要るだろうが、行動のplannningはpoesterior parietal cortexで、行動のcontrolはpremotor-motor-cerebellumでやっている、ぐらいでもいい気はする。ちょっと型に嵌めようと無理をしたという印象がある。
ところでこういう方向で私が興味あるのは毎度のことながら、はたして子供にはいつからconsciousnessが発生するのだろうか、という問題だ。もし、著者が言うようにventral pathwayとdorsal pathwayの協調がこのころうまく行ってないのであれば、視覚に基づいた行動には視覚的意識は伴っていないのかもしれないのだ。私たちには生まれたばかりの頃の記憶がない。このことはそのころエピソード記憶システムがなかったせいというのももちろんあるが、もしかしたらまだその頃エピソードとして蓄えられるような意識を持っていなかったのかもしれないのだ。これは昨日やった話みたいなもんで、どうやって記憶と意識とを分離するか、という問題だったりする。そしてconsolidationとretrievalとの違いとは別の分けがたさというのがhard problemへの道……

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# NHK

直観でしかないのですがreality monitoringの発達とも関係があるのでは

# pooneil

NHKさん、ありがとうございます。今回のScale errorの方についてか、子供の意識の発生についてかちょっとわかりませんでしたが、後者の方かなと推測して書いてみました。前者なら、本物のおもちゃを遊んだという記憶に付随するcharacteristicsが充分保持できていない、というようなことになるのかもしれません。


2004年05月15日

Science

"Scale Errors Offer Evidence for a Perception-Action Dissociation Early in Life."
これはおもしろい。二歳ぐらいの子供が、人形用の小さい椅子に座ろうとしたり、ミニチュアの滑り台を滑ろうとする。つまり、このぐらいの年齢の子供はそのミニチュアが椅子や滑り台であることがわかった上(identification)で、本物の椅子や滑り台のときに行う行動(action)を選択し、しかもそのミニチュアの椅子や滑り台の大きさに合わせて行動しようとしている(motor control)、ということだ。論より証拠、supplementary materialにビデオのファイルがあるので、それを見たほうが早い。子供がブロックを小さい穴に入れようと延々やってるのと同じっちゃあ同じだが、道具の使用というニュアンスがもっと強い。
私には五歳と三歳の子供がいるのだが、この現象には気付かなかった。愛する妻に聞いてみたところ、このあいだ下の子がまさに小さいおもちゃの椅子に座ろうと一生懸命だったのを見たらしい。この現象でScienceに論文が載っていることを知らせると、知っていたのにー、と残念がった。(私たち夫婦は「伊藤家の食卓」に出せるネタはないものかと探しては、これ知ってたのにー、と繰り返していた。) そう、こういうちょっとしたところに重大な発見がある。私の今までの子育て経験を振り返ればなんかヒントがあるのかもしれないのだ。ひねり出してみよう、たとえば:子供が父親と母親を混同して呼びかけるのはよくあることだが、あれってなんだろう。小学生になっても先生のことをお母さん、とか呼んで恥をかいたりするわけだが。で、子供がそうなるのはよくあるのだが、そうしてるとなぜか、親の方も上の子と下の子を混同して呼んだりする。目の前には上の子がいるのに、下の子の名で呼んだりする。これってなんだろ。
なんにしろ子育ては、だんだん視力が上がってくることや、記憶力が上がってくること、片言が出るようになること、会話に文法構造が出てくることなど、いちいちおもしろい。いま下の子はどんな前のことも「きのう鈴鹿サーキット行ったよね」とすべて昨日だったりする。彼女にとって過去の出来事は時系列順に並んでいない(recency judgementができない)のかもしれないし、時系列に並んでいるのだけれどもそれを区別して指し示すことが出来ないだけ(言語の問題)なのかもしれないが。
でもって元の論文に戻ると、このことのどういう点が重要か:そこで以前にもとりあげたGoodaleの説が出てくる。Goodaleは視覚野のV1->V2->V4->ITといった視覚のventral pathwayが視覚認知(および視覚意識)に専門化されていて、V1->V2->MT->posterior parietal cortexといった視覚のdorsal pathwayが視覚に基づいて行動に専門化されており、この両者はある程度独立して処理されているという説を提出し、脳の局所障害のある患者さんについての研究(neurology)でこの二つが独立して障害されることを根拠とした。この考えをさらに展開させたScott GloverはTrends in Cognitive Sciences '02 "Visual illusions affect planning but not control."においてさらに行動のplannningと実際の行動のcontrolとの乖離について解説している。で、今回の著者はこの二つの考えを合わせて、今回の論文で見られた現象は、ventral pathwayでの行動のplannningとdorsal pathwayでの行動のcontrolとがうまく協調していないことによって起こる、と説明している。この点が今回のたった一つの発見に意義をもたせる重要な点だ。
5/16へつづく。

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# ガヤ

解説ありがとうございます。こういうのを見ると「(科学的)発見とは何か」を純粋に考えてしまいますね。スンクスが吐くのだってもっと以前から知られていたわけで(汗)失礼。。。まあ、ようは「問題意識」があるかないかなんでしょうね。だってパッチやったことがある人だったらsEPSPの出方には特定のパターンがありそうだというのは誰でも感づいていますから。でも、それの「重要性」に気づかないだけなんですね。

# pooneil

うん、その点語るに足るネタですね。セレンディピティは準備したもののところにだけ来るわけですが、特に今回の論文はその素朴さにおいて際立ってます。そういうのって心理学の面白いところな気がする。ラマチャンドランの平面なのに出っ張って見えるillusion(Nature ’88 ”Perception of shape from shading” 参考webサイト:http://www.psycho.hes.kyushu-u.ac.jp/~mitsudo/shading/shading.html)があったけど、たったあれだけで[人間はdefaultの条件で上から光が当たっているように見なすおよび一つの光源のみから影が出来ていると見なすことで認知を作り上げている]ということを示してしまうわけで、素朴であればあるほどすごい気がする。


2003年12月29日

Nature 先週号

"Visual control of action but not perception requires analytical processing of object shape."
MELVYN GOODALE @ University of Western Ontario。
GOODALEは'91 Natureで、形態視に関わる視覚連合野に損傷を受けた患者が物体の形の認知はできないけれども物体をつかんで扱うことはできる、ということを示した。
つまり、患者はその物体の形が意識に上ってこないにもかかわらず、それをつかもうとする手は物体の大きさと形に合った形をして掴むのだ。
Nature '91 "A neurological dissociation between perceiving objects and grasping them."
この知見に基づいてGoodaleとMilnerは脳には視覚的認知処理に意識に上る経路(視覚腹側路)と上らない経路(視覚背側路)とがあることを提唱してきた("The visual brain in action" '95 Oxford scientific publication)。
今回の論文は同じストーリーの延長で、健常者においてもこの二つの経路の違いがあることを示す。被験者は長方形の物体の長径の長さを1)視覚弁別をする、2)親指と人差し指で掴む、の二種類で判断する。この二条件で短径の長さが変わったときの長径の長さの判断への影響を調べる(Garner's speeded-classification task)。
すると、視覚弁別のときには影響がある(短径の長さが変えると長径の長さの判断が遅れる)のに対して、掴むときには影響がなかった。
彼らはこのことから、形態視は短径と長径のバランスのようなゲシュタルト的側面を持っているのに対して、視覚から運動への変換は視覚の各属性をパラレルに扱っている、という違いがあると結論付けている。

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# mds

間違って「投稿」ボタンを二度も押してしまいました。申し訳ありません。上記の意識に上る上らないに該当する経路は、膝状体視覚経路と膝状体外視覚経路のことではないのですか? 膝状体視覚経路が損傷した患者は、運動刺激が見えていないと主観的には報告するんだけれども、あたかも見えているかのような行動反応を示す、というものです。確かに背側経路には膝状体外視覚経路からの投射が入ってきますが、背側経路・腹側経路自体は、意識に上る・上らないという二項に単純に対応するものではないと記憶しております。

# pooneil

mdsさん、書き込みありがとうございます。長くなったので5/29のところに書きました。上の二つは消しておきました。Multidimensional scaling使ってるんですか?


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