[カテゴリー別保管庫] 大学院講義「記憶の脳内機構」

大学院講義「記憶の脳内機構」の準備のために記憶障害の患者さんの症例研究に基づいて宣言的記憶と非宣言的記憶との分類、エピソード記憶と意味記憶との分類について最新の知見までフォローする。

2004年12月20日

Journal of Cognitive Neuroscience 11月号

"The Functional Neuroanatomy of Episodic and Semantic Autobiographical Remembering: A Prospective Functional MRI Study." Brian Levine, Gary R. Turner, Danielle Tisserand, Stephanie J. Hevenor, Simon J. Graham, Anthony R. McIntosh
講義を終えてみると絶妙に関係ある論文が。
via http://am.tea-nifty.com/
via http://www.eurekalert.org/pub_releases/2004-11/bcfg-whi111604.php
この論文はどういうものかというと、fMRIなんですが、autobiographical episodic memoryとautobiographical semantic memoryとを分けて想起時のactivationを見た、というものです。autobiographical episodic memory(過去の一回きりのエピソードをそのときの気持ちまで思い出してmental time travelしてもらう)を思い出しているときとautobiographical semantic memory(過去なんども繰り返した習慣や行動を事実として思い出してもらう)を思い出しているときとのあいだで差分を見てやろう、というわけです。autobiographical episodicとautobiographical semanticとを別々に評価するためにautobiographical memory interview(AMI)を使う、という話を以前書きましたが、AMIにしろなんにしろ、retrograde amnesiaを見るときに使うテストでは昔の記憶を思い出してもらうということが必要なため、AMIを繰り返しやってたりするとその想起をなんども繰り返すことになってリハーサルによる効果や記憶の再活性化による効果などが出てしまうのが難点です。今回の論文は健常者でのfMRIですが、構造的な問題としては同じです。
そこでどうしたかというと、被験者にあらかじめ日記をつけておいてもらう(じっさいにはカセットレコーダーで吹き込んでおく)ことにしたのです。半年分くらいの日記をカセットレコーダーで吹き込んでおいてもらって、それを聞き返さないでおいてもらいます(リハーサル効果の除去)。日記の記述のうちでautobiographical episodicと言えるような描写とautobiographical semanticと言えるような描写とをMR撮影中に聞いてもらってそのときのことを思い出してもらって、二つの条件の差分を取る、というわけです。
その結果、autobiographical episodicのほうがautobiographical semanticよりもmedial temporal, posterior cingulateが強く出たこと、それからautobiographical episodicとautobiographical semanticとで共通に出た部分(general semanticや他者のautobiographical episodicを聞いているときとの差分をとっているのでこれは自己に言及している成分と言える)として、left anteromedial prefrontal cortexが活性化した、ということだそうな。
著者らはTulving門下の人たちですな。B LevineとAR Mcintoshは今回言及はしなかったけれど
Brain '98 "Episodic memory and the self in a case of isolated retrograde amnesia."
の著者だし、AR Mcintoshは
Nature. 1996 Apr 25;380(6576):715-7. "Activation of medial temporal structures during episodic memory retrieval." Nyberg L, McIntosh AR, Houle S, Nilsson LG, Tulving E
にも名前を連ねています。それ以外にも

といった興味深い論文の著者でもあります。


2004年12月06日

大学院講義の反省文

を書きます。アウトラインとしては以前書いた20041127を基本にいくつか手を入れてこんな感じになりました。

  • Part 1 記憶の分類
    • 教科書的な分類
      • Squireの「記憶と脳」
    • 内側側頭葉についての解剖学
      • human
      • nonhuman primate
    • ヒトの臨床例の神経心理学に基づいて分類を見直す
      • 患者H.M.とE.P.による宣言的記憶と手続き記憶
      • 患者K.C.とA.Mによるエピソード記憶と意味記憶
      • 再認記憶課題のrememberとknow
  • Part 2 宣言的記憶の動物モデル
    • nonhuman primateでのlesion study
      • 再認記憶課題
      • 対連合記憶課題
    • nonhuman primateを使った対連合記憶課題での単一ニューロン活動記録
      • 宣言的記憶を支える連合関係をコードするニューロン
      • 視覚連合野から内側側頭葉記憶システムへの向きの情報処理(encoding)
      • 内側側頭葉記憶システムから視覚連合野への向きの情報処理(recall)
  • Part 3 エピソード記憶の動物モデル
    • 行動に基づいた操作的な定義
      • Episodic-like memory: ハトが「いつ、どこで、なにを」の情報を保持する
    • ヒトでの知見との平行関係
      • Recollection-like component: ラットが再認課題でfamiliarityではなくてrecollectionを使っている?
  • Part 4 ヒトでの知見と動物での知見との相互規定

Part 1のメインは症例報告で、ここはなかなか楽しんでもらえたのではないでしょうか。かなり具体的な話もできたし。本職の人がいたらツッコまれまくりだったでしょうけど、ここ数日私自身が論文を漁り読んで面白いなあと思った感じも伝わったのではないかと。エピソード記憶と意味記憶との間の不思議な関係、とくに自伝的記憶の中のエピソード記憶的成分と意味記憶的成分(personal semantic knowledge)との間の微妙な関係に質問が集まったと思います。

準備の順番が適切でなかったのでH.M.さんに関する原著を充分読むことができなかったことが悔やまれます。'68のMilner論文、それからとくに、"記憶の亡霊―なぜヘンリー・Mの記憶は消えたのか" 記憶の亡霊―なぜヘンリー・Mの記憶は消えたのかを読んでいかなかったあたりで。

また、記憶に関する心理学(Tulvingの符号化特定性、Collins and Qullianの反応時間課題、semantic priming)あたりに関してはまったく触れられませんでしたが、さすがに全部は無理でしょう。Human fMRIの知見をまとめるのとあわせてどっかで一回総ざらいしておこうと思います。

ここまでで1時間.5分休みを取って後半戦ですが、こちらは駆け足になってしまって大変悔いの残る出来でした。実際問題、part 2だけで1時間使って話す話題なのですが、私としてはpart 3の方が話したいことだったのでむりやり詰め込んでしまった次第。伝えるべきことではなくて伝えたいことを優先してしまったところがあることは認めます(でも、今ホットなのはpart 3のほうだと思うのですが)。

Part 3に関してはアメリカカケスの話は枠組み(what-where-when)と実験パラダイム(どうやってwhat-where-whenを課題に組み込むか)だけ説明できれば充分な話なのでよいのですが、Eichenbaumの方は厳しいものがありました。Signal detection theoryの解説をしないとROCカーブの形の意味が説明できないにもかかわらずそこをすっ飛ばして、ヒトでもラットでも海馬の損傷によってROCカーブが非対照的なものから対照的なものになり、ヒトでは海馬損傷によってrecollectionの成分が選択的に障害を受ける、だからラットでも海馬損傷によってrecollection-likeな成分が落ちるのだ、というロジックをどう批判的に紹介すればいいか、ほとんど無理でした。ここがボロボロなので、part 3で計画していた「行動に基づいた操作的定義」と「ヒトでの現象学的報告(rememberとknow)をモデル化してそれと平行なものを見つける」という二つの関係をもっと明確にすること(充分議論するに値するほどの話題提供)ができませんでした。これに関してはリベンジというかまた別に語る機会はあることでしょう。この問題は意識と脳の活動とをつなぐlinking hypothesisに関する問題であり、脳高次機能を脳の活動とつなぐ際に必ず出現する問題なのですから。

とまた気が先に行ってますが、もう少し基本的なこととして、参加者ときっちりあいコンタクトを取って話すこと(とくに、一ヶ所にかためずにある程度散らしてゆく)、実際に記憶課題をやってもらうなど受身にならずに参加してもらえるところを入れること、などは気を付けてすこしはできたのではないかと。トークの最初に笑えるネタフリがあるとよかったのですが、そこはちょっと痛げな体験談などを交えたぶっちゃけ気味トークで代用しました。あと、このネタフリを使って最後の最後にちょっとしたギミックを--参加者の皆さんにもrememberとknowとを実感してもらうということで最後に入れてみましたが、これで多少わかせて終えるのに成功したでしょうか(ネタフリが講義のいちばん最初でまだ全員が席についていないような状態だったのが反省点)。

参加者は院生の方々と、関係ラボ(同じフロアとか上のフロアとか)のスタッフの方々。基本的には院生の方々に伝えるつもりで話をしました。同じ時間に神経回路形成とシナプス可塑性に関する研究会をやっていたということもあってあんまりvitroの人には来てもらえなかった感じはありますが、とりあえず座席は埋まりました。

Part 1についてはせっかくなので再構成して「web講義」にしてみようと思います。


2004年12月02日

大学院講義終わった

疲れた。あとで反省文を。

コメントする (3)
# ご隠居

お疲れ様でした〜.最近の日記本当に充実していますね.素晴らしすぎます.講義じゃ準備の百分の一くらいしかしゃべれなかったのでは?ぼくもこのところ全然読めていないので(申し訳ないです)時期を見て少しずつ勉強させて頂きます.

# pooneil

どうもありがとうございます。>>講義じゃ準備の百分の一くらいしかしゃべれなかったのでは?まさにそんなかんじでした。けっきょくH.M.さん、E.P.さん、K.C.さん、A.M.さんとVagha-Khadem論文までの症例報告で1時間、対連合記憶で30分、Claytonのアメリカカケスで15分、Eichembaumのrecollection-likeで15分、全体的にどうも消化不良、という感じになってしまいました(とくに最後のEichembaumは最悪、signal detection theoryを説明せずにROCカーブの形だけで議論をするというひどいことに。今回の最大の反省点です)。もちろん充分文献を読んで準備しておくこと自体は私自身の勉強にもなってよかったのですが、そういう意味では準備が遅すぎでした。せっかくなので再構成して「web講義」にしてみるつもりです。

# ご隠居

聞くほうは消化不良を起こしてしまうかもしれませんが(ぼくはweb眺めているだけでも下痢しそう...失礼)基本的な枠組みのみならず,ホットな分野だという臨場感,そして講師の先生の熱意はよく伝わったんじゃないでしょうか.あ,ところで,聴衆はどんな人たちだったのでしょう?> せっかくなので再構成して「web講義」にしてみるつもりです。楽しみにしています!


2004年12月01日

宣言的記憶と症例H.M.

残るはこのへん(まだやってんのか!)。
Scoville WB, Milner B (1957) Loss of recent memory after bilateral hippocampal lesions. J Neurol Neurosurg Psychiatr 20:11-21
でのH.M.さんの症例報告の記述は1ページ足らずなのでまとめてしまいましょう(Corkin '97やCorkin '02の情報も多少足してあります)。Scoville and Milner '57では両側性の海馬摘出手術の結果として9人の症例を報告していて、そのうち3人(を含む)が重篤な記憶障害、5人が中程度の記憶障害、1人が記憶障害なし、としています。このような深刻な記憶障害が起こることが明らかになってそれ以降側性の海馬海馬摘出というような手術は行われなくなります。
H.M.氏は1926or27年生まれで10歳のときからてんかんの小発作を、16歳のときから大発作を起こすようになります。向てんかん薬を多用してもこの発作の頻度は上昇し、発作の程度も大きくなってゆき、働くこともできなくなってしまいました。
彼のてんかんの原因は不明だけれども、9歳のときに自転車と衝突して5分ほど気を失ったことがあるそうです。脳は計測をしてもてんかんの焦点となるようなものは見つかりませんでした。6-8Hzのslow activityがあり、診断中の発作ではspike-andn-wae dischargeが2-3Hzで見られました。
そこで1953年9月の27歳のときにScovilleが前後方向8cmにわたっての海馬摘出の手術を行いました。この手術のために海馬だけでなく扁桃体や嗅内皮質の一部も損傷されました。実際のlesion部位はJNS '97 "H. M.'s Medial Temporal Lobe Lesion: Findings from Magnetic Resonance Imaging."にあるようにもっと小さく、摘出された海馬は前後5cmで、後ろ側2cmは残されており、perirhinal cortex(のventral側、collateral sulcusのmedial bank)とparahippocampal cortexは残されていることが明らかになっています。
手術後患者は数日は眠そうにしていましたが予後に異常はありませんでした、ただ一つ、重篤な記憶障害を除いては。また、てんかんの発作は顕著に軽減され、75歳になった2002年には一年に2回くらい大発作が起こるくらいとなっています(ゼロにはならないらしい)。
記憶障害は手術後すぐから明白で、1955年の検査の時にH.M.さんは今が1953年の3月であり、自分は27歳であると思っていました。医師との会話では彼は頻繁に子供時代の出来事に立ち返り、自分が手術を受けたことにまったく気づいていない様子でした。
術後のIQは112で、術前の104よりも上がっていました(繰り返しの効果で上がるものですが)。Wechsler Memory Scaleでのstoryのimmediate recallは平均をずっと下回り、対連合記憶課題では0点で、繰り返しの練習によっての成績は向上しないばかりかその課題を行ったこと自体を忘れていました。
よってH.M.さんは手術以降の記憶をまったく保持していない前向性健忘であるだけでなく、手術以前の記憶も部分的に障害されている逆向性健忘を引き起こしていました(古い記憶については保持されているため、「部分的」です)。Scoville and Milnerの記載はこのくらい。
1968年のMilner et alを元にした記載が二木先生の「脳と記憶―その心理学と生理学」にあってそれによって補足:前向性健忘に関しては、30分前に自分が言ったこと、したことをまったく憶えていない。毎日顔を合わせている看護婦や医師の顔を覚えていない(たしか毎日は自己紹介から始まるという記述があったはずだけれどどこだったか)。逆向性健忘に関しては、子供時代の記憶は失われていなくて、10代後半から20代前半の出来事はよく憶えていますが、術前3年間(24-27歳)の記憶に関しては部分的に失われていました(Sager et al '85ではH.M.さんの逆向性健忘は術前11年までにわたると結論づけています)。
H.M.さんは何ができて何ができないか、Corkin '02(Nature Review Neuroscience '02 "What's new with the amnesic patient H.M.?")を元に。

  • スタイラスペンで星型の中をトレースするような感覚運動技能を修得することができる。'65
  • 鏡反転文字を読む能力が向上する(Squireが患者N.A.さんで調べたのと同様のもの)。Corkinはそれをperceptual learningと呼んでいる。'86
  • 複雑図形の再認記憶試験では呈示時間を20sec、遅延時間を10min,24h,72h,1wk,6moとすると、対照群で提示時間1secの場合の成績と変わらなかった。つまり再認記憶課題は解くことができて、familiarity judgementを使うことができる(そこでperirhinalが残っているという事実が効いてくる)。H.M.さん自身はそういったfamiliarityがあることは否定しているようだけれども。'87
  • 術後のあらたなsemantic knowledge(knowledge of the meaning, lexical status, perception, and pronunciation of words and famous names)は獲得できません。'88
  • しかし、H.M.さんは術後に引っ越して住んでいた家の間取りを書くことができます。つまり、H.M.さんの場合でもエピソード記憶は前向性健忘で失われているにもかかわらず、家の間取りというsemantic knowledgeを術後に新たに獲得することができたというわけです。 '02
  • word stem completionは1965年以降に使われるようになった新語ではまったくpriming effectがない。1953年以前の単語ではeffectがある。よってconceptual(semantic)なプロセスは術後に機能していない。一方で単語を短時間(<100ms)呈示して何だったか答えるような課題では新語でも旧語でもpriming effectがある。こちらはperceptual representation(pre-semantic)のレベルでの効果で、明白に宣言的記憶の範疇外。(Neuropsychologia '98 "Impaired word-stem completion priming but intact perceptual identification priming with novel words: evidence from the amnesic patient H.M.")
ところでそうなると再認記憶課題でのfamiliarityというのはどちらに入るんだろうか。Familiarity=knowは意識を伴うのか(autonoeticに対してnoetic consciousness)、familiarity judgmentはsemantic knowledgeなのか、宣言的記憶ではなくて手続き的記憶のprimingの範疇に入れるべきか、だんだん話が拡散しつつも重要な方向が見えてきたかも。もしfamiliarity judgmentをprimingに入れてしまうのであればDMSのような再認記憶課題のrecollection以外のところは宣言的記憶ですらなくなってしまう?
いや、混乱していた。再認記憶課題でrememberと思うのがepisodic memoryの要素で、familiarityを感じて報告するのがfamiliarityによるsemantic memoryの要素で、そのどちらの意識もないのでguessで解いている部分でchance levelよりも上になっているところがprimingによるeffectでこれは手続き的記憶の範疇に入る、これでいいか。Squireの「記憶と脳」では健忘患者のpriming effectはrecognition memory testでの既知、未知の判断の成績とは関係なく生じる(p.160)と書いてあるので、もしpureなpriming成分を見るとしたら上記のことが当てはまるはずだ。どっかに書いてあるだろうなあ。
余談だけれど、Postle and Corkin '98で使った1965年以降に使われるようになった単語のリストからいくつか抜き出すとこんな感じ:
AEROBICS / AFRO / BIKINI / CHICANO / CYBORG / FRACTAL / GIMMICK / GONZO / GRANOLA / HACKER / HYPE / MACHO / NERD / PAPARAZZI / SUSHI / TERIYAKI / YUPPIE
「スシ」と「テリヤキ」が入ってるんだ。どうしても外来語が多くなってしまうのは致し方ない。対照群の1953年以前から使われていた言葉の選択でなんとかするしかないでしょう。

宣言的記憶とエピソード記憶と

うーむ、どうやってもSquireの話を先に持ってきて健忘症の症例から宣言的記憶と手続き的記憶を分けたとして、エピソード記憶と意味記憶とは内側側頭葉の中に局在はない、という話をした後にTuVagha-Khadem論文やYonelinas論文の話をして海馬とperirhinalで分かれるかも、という話をするほうがわかりやすくなってしまう。時系列的に並べるとぐちゃぐちゃでわけわからないし。実際にはそう簡単ではないのだけれど、と但し書きを入れて話すしかないか。


2004年11月30日

episodic memory and semantic memory

さんざん言及したわりにはTulvingについてまだ書いてなかった。Tulvingによるepisodic memoryの最新の定義(annual review of psychology '02)を書いておきましょう。
Annual Review of Psychology '02 "EPISODIC MEMORY: From Mind to Brain."


Episodic memory is a ... past-oriented memory system, ..., and probably unique to humans. It makes possible mental time travel through subjective time, from the present to the past, thus allowing one to re-experience, through autonoetic awareness, one's own previous experiences. ... Retrieving information from episodic memory (remembering or conscious recollection) is contingent on the establishment of a special mental set, dubbed spisodic "retrieval mode". ... The essence of episodic memory lies in the conjunction of three concepts --- self, autonoetic awareness and subjectively sensed time.

簡潔でないし。なんかだらだらと言葉を使うので定義がぜんぜん操作的でないんですよね。
1983年の"elements of episodic memory"(手元に邦訳の「タルヴィングの記憶理論」1985年あり)、1972年の"Episodic and semantic memory." Endel Tulving. In E.Tulving & W. Donaldson (Eds.), Organization of memory.についての差分も必要でしょう。
しかし、「タルヴィングの記憶理論」を読んでも1972年の定義には問題があったと繰り返すばかりで、では1983年の定義はどうなのか、というのがかっちりと書かれていないんです(私が見逃しているだけかもしれないけど)。
なお、1972年の定義は明確です。

"Episodic memory receives and stores information about temporally dated episodes or events, and temporal-spatial relations among these events."
"Semantic memory ... is a mental thesaurus, organized knowledge a person possesses about words and other verbal symbols, their meaning and referents ..."

Annual ReviewでのK.C.さんについての症例報告についても抜き書きしてまとめます。Kapurのやつと重なるけどこっちのほうが詳しいし。

K.C.は1951年に生まれ、30歳のときにオートバイ事故でclosed head inuryにみまわれ(損傷部位はさまざまで、内側側頭葉を含む)重篤な健忘症となる。K.C.の認知能力は正常(そもそもこれは健忘症の定義からしてそうなのだが)で、健常人と見分けがつくことはなかった。K.C.の知能と言語能力も正常で、読み書きにはまったく問題がなかった。集中力と注意を保つ能力も正常だった。思考プロセスも明確だった。オルガンを弾いたり、チェスをしたり、いろんなカードゲームをすることができる。視覚的にものを思い浮かべる能力も正常だった。
自分の人生に関する客観的な事実についてたくさん知っていた。たとえば誕生日、9歳まで済んでいた家の住所、通っていた学校の名前、所有していた車の型と色、両親が別荘を所有していたこと、今も所有していること、どこにその別荘があるかを知っていて、オンタリオの地図のどこかを示すことができる。トロントの彼の家から別荘までどのくらいの距離あるかも知っていて、週末にそこまで行くにはどのくらい時間がかかるかも知っていた。彼自身がそこに何度も行ったことも知っていた。
他の典型的な健忘症患者と同様、K.C.は自分の生活世界から新規の一般的な情報を拾い上げることができなかったし、今過ぎ去りつつある経験を想起することもできなかった。私的経験と意味的情報の両方について重篤な前向性健忘があった。しかし逆向性健忘についてはとても非対象的であり、「私的に経験した出来事」について想起することがまったくできなかった(その出来事が一回きりのものでも、繰り返されたものでも)一方で、世界に関する一般的知識は他の同じくらいの教育レベルの人たちとはそんなに変わってはいなかった。
……
彼のエピソード記憶の健忘は人生の全て、生まれてから現在までにわたっていて、ただの例外は今から1、2分までの出来事だけだった。
……
彼は…以前の出来事に関してfamiliarityを感じるということすら認めなかった。
……
彼の記憶欠損は過去だけではなくて、未来にもわたっていた。彼は質問者に対して今日これから何をするかをいうことができなかったし、明日何するか、これからの人生何をするか、についても言うことができなかった。彼は自分の過去について想起できないのと同じくらいに自分の将来について想像することもできなかったのだ。
彼が示したこの症候はautonoetic consciousnessが機能する時間感覚は過去だけでなく未来にもわたっているのだということを示唆している。
(p.13-14)

このあと、K.C.が疾患の発生後にsemantic knowledgeを獲得することを示したあとで、同様な例を二つ挙げています。どちらも前述。

episodic memory and semantic memory

Cogn Affect Behav Neurosci. '01 "Focal retrograde amnesia and the episodic-semantic distinction."Wheeler MA, McMillan CT.
症例報告のレビュー、というかメタアナリシス。こちらのほうがKapur '99より整然としててよいのだけれど、重複しているので、スキップ。
一つだけ:AMIに関してコメントしているところがあるのだけれど、いくつかのAMIでの質問はpersonal semanticであるので、episodicとpersonal semanticの両方を調べることで両者間の乖離を見れる可能性がある、ということについて言及してます(このへんを前述のPiolinoがちゃんと扱った、というふうに言うことができるでしょう。)。

宣言的記憶と症例H.M.

残るはこのへん。
Scoville WB, Milner B (1957) Loss of recent memory after bilateral hippocampal lesions. J Neurol Neurosurg Psychiatr 20:11-21
でのH.M.さんの症例報告の記述はじつはそんなに多くないのでそれはまとめてしまう。
Milner et al '68は入手できなかったのでせめてCorkin '02(Nature Review Neuroscience '02 "What's new with the amnesic patient H.M.?")は読んでおく。
あとは11/26の"Patient H.M., patient R.B. and patient E.P."のところを膨らませるかどうか。

自分にコメント

本番は木曜日なので、そろそろ今日あたりで症例報告については締めとしましょう。


2004年11月29日

episodic memoryとsemantic memory

Brain '03 "Autobiographical memory and autonoetic consciousness: triple dissociation in neurodegenerative diseases." Pascale Piolino, Béatrice Desgranges, Serge Belliard, Vanessa Matuszewski, Catherine Lalevée, Vincent De La Sayette and Francis Eustache
読んできました。内側側頭葉の障害による健忘では最近のエピソードは覚えていなくて、昔のことは覚えている(Ribot's law 1881)、Semantic dementiaの初期症状では最近のエピソードは覚えていて、昔のエピソードは覚えている、という傾向について検証。AMIをやるんだけれども、エピソードの想起の詳細の詳しさの検討と、R/Kジャッジメントを使って報告してもらうことで、過去のエピソードの想起にTulvingが言うようなmental time travelをしているかどうか、つまりpersonal semantic knowledgeの成分を極力少なくした、episodic memoryの最新バージョンの定義での定量化を目指します。
実際には内側側頭葉の障害の患者さんとしてアルツハイマー病の患者さんと、Semantic dementiaには初期症状の患者さん(言語障害が比較的少ない)とに参加してもらってエピソードの想起をしてもらいます。
AMIのやり方はオリジナルのKopelman et.al. '88をmodifyしてます(Journal of clinical and experimental neuropsychologyが手元にないので正確なことはよくわからないのだけれど、問題の数やスコアの付けかたなどがいろいろ変えてある様子)。年齢で大きく分けて0-17歳、18-30歳、30歳以降、最近5年間、最近1年間についてのエピソードを想起してもらいます。項目は4種類

  • a meeting or an event linked to a person
  • a school and then a professional event
  • a trip or journey
  • a familial event
で、たとえば'give details of a particular event which took place during your family life'という感じで聞きます。もし想起できないときには具体的な手掛かりを与えます('on a day with a teacher or friend', 'in primary or secondary school', 'in the school playground' or 'during an exam')。もし想起したイベントがあまり具体的でないときにはもっと具体的なエピソードを言ってもらうようにお願いします('do you remember a particular day?')。
こうして得られた報告にスコアをつけます。
4点:繰り返しでない特定のイベントで、どんなことを感じたかまでありありと想い起こせて、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「夏休み最後の日大雨の中を傘をさして海へ行ったときのびしょぬれの服や雨の匂いまでありありと思い出す」)
3点:繰り返しでない特定のイベントで、どんなことを感じたかまでの詳細はないけど、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「夏休み最後の日海へ行ったことを憶えている」)
2点:繰り返しされていたイベントで、いつどこであったかを説明できている(例by筆者:「5年生の夏休みに何度かXXプールへ行ったことを憶えている」)
1点:繰り返しされていたイベントで、いつどこであったか憶えていない(例by筆者:「何度かプールへ行ったけどどこだったか覚えてない」)
0点:何があったかまったく憶えていない(例by筆者:「小学生のとき家族とどこ行ったか知らない」)
これでスコアをつけたのがoverall autobiographical memory (KopelmanのAMI scoreに相当)で、strictly episodic memoryのスコアとしては、上のスコアの4点以外はみんな0点として計算します。これはイベントの想起に付随する詳細(どんな気持ちだったか、どんな感じだったか)こそがepisodic memoryをepisodic memoryたらしめている(想起したイベントのときと場所に自分を置いて、その経験を再経験すること)ものであるとするからです。
また、これらの質問の答えに関してR/Kジャッジメントをしてもらいます。つまり、質問で聞かれて答えたことに付随する詳細が伴っていたときはrememberを、ただその事実を覚えているというときにはknowを、わからないので推測で答えているときはguessを選びます。ここでいうrememberがautonoetic consciousnessがある状態のことで、純粋なepisodic memoryの要素を見ていることになり、knowで答えているときにはpersonal semantic knowledgeを答えているだけ、ということになります。ここでのrememberと答えられた回数remember response(さらにインタビューで詳細を説明することに成功しているものをjustified remember responseとしてますが)がもうひとつのpureなepisodic memoryの指標となります。
結果としてoverall autobiographical memory scoreとstrictly episodic memory scoreとjustified remember responseとが得られます。
Overall autobiographical memory scoreではこれまでと同様な時期による効果があります(アルツハイマーでは昔の出来事の方が成績がよい、semantic dementiaでは最近のことのほうが成績がよい)。
一方で、よりpureなepisodic memoryの成績に特化したstrictly episodic memory scoreとjustified remember responseでは、アルツハイマー病で見られた昔の出来事の方が成績がよい、という傾向がなくなります。つまり、これまでのAMIで見られた昔の出来事の想起の効果は昔の出来事に関するpersonal semantic memoryが残っていた効果であって、昔の出来事についてのepisodic memoryの想起自体はやはり障害されている、ということになるようなのです。
このことは過去の出来事の記憶がどこに貯蔵されているか、というモデルに対して一つ予言をします。つまり、記憶が保存されてからある一定の時期(ある人は数年と言うし、ある人は10年以上と言う)のあいだだけ内側側頭葉が寄与している、とするスタンダードな理論に対する対立仮説としてMTT(multiple trace theory by Lynn Nadel and Moscovitch)というのがあるのだけれど、それでは内側側頭葉はepisodic memoryの貯蔵と想起に一生関わっているとするのですが、今回の結果はこちらを支持する、というわけです。
それはそれとして、Tulving式のepisodic memoryの成分をpurifyする、というのは正しい方向だと思います。たとえそれがdeclarative memoryのような記憶されたものの情報で定義されたところからはみ出るところがあったとしても、これこそが私達が一般的にいう「記憶」のことだと思うのです。酒を飲んで記憶を失ってしまった、とか、この記憶を私は大切にしまっておきたい、と考えるときとかの記憶とはまさにTulvingがいうepisodic memoryのことだと思うのです。それを情報の面から還元してしまうと失われてしまうものがあるということに敏感でありたいと思うのです。ここを一時的に離れるのはよい、研究者なら必ずするべき作業です(いつも離れずにいたいとするドリーマーなわけではない)。けれどもここから離れて一人歩きするようになってしまったらそれは人間を研究していることにはならないだろうと思うのです。このへんをいかに怪しい人と思われずに語れるかというのが今回の講義の裏テーマでもあったりするわけですが。

episodic memory and semantic memory

Kapur N. Syndromes of retrograde amnesia: a conceptual and empirical synthesis. Psychol Bull. 1999 Nov;125(6):800-25.
この論文はretrograde amnesiaのさまざまな例についてたくさん書いてある重要な文献ですが、どうにも羅列的なのでどう捉えたらいいかはなかなか難しいです。まあ、ここ数日間私がやってること自体も羅列的で、これはいわば公開ブレインストーミング状態なわけなのですが。
この文献のいいところは、personal semantic knowledgeについての障害の例を記載し、それを分類しているところです。それらをもとにして作ったfigure 2の分類図は重要です(同じものがphilosophical transactionのKopelman and Kapurにあるけれどこちらでは全然説明がない)。
Retrograde amnesiaの中で、semantic memoryについてだけ障害があって、episodic memoryについては障害のない例:

  • De Renzi et al '87の症例の患者さんは単純ヘルペス脳炎によるもの。General semantic memoryの障害としてnamingやsemantic categorizationに障害があるだけでなく、public eventの記憶も失われています。一方でautobiographical memory(明記されていないけれどもこの場合は純粋なepisoddic memoryだけでなくpersonal semantic knowledgeも入ることでしょう)は保持されています。損傷部位は左の側頭葉のanterior inferior partで、medialとlateralの両方を含んでいます。
  • Gross et al '88での患者さんはgeneric semantic memoryとpublic eventやpublic personalityについての記憶が失われている一方でepisodic memoryは保持されています。
  • Yasuda et al '97ではpublic eventやhistorical figure, cultural itemやvocabularyの一部が失われているのに対して、autobiographical memoryに関しては比較的保持されています。損傷部位は側頭葉のanterior/inferior structureで、De Renziの場合と似てます。
  • Kapur et al '94ではpublic knowledgeが失われているのに対して、autobiographical memoryは存在し、その失われ方のパターンはsemantic dementiaと同様、新しいことの方をよく憶えているというgradientがあります。
  • 左のtemporal lobe epilepsyではautobiographical memoryよりもpublic knowledgeのほうがより失われるという傾向が知られています。
Retrograde amnesiaの中で、episodic memoryについてだけ障害があって、semantic memoryについては障害のない例:
  • O'Connor et al '92 での単純ヘルペス脳炎の患者さんでは脳炎になる前5年のpublic eventの記憶がやや失われていて、それ以前のpublic eventの記憶は保たれています。一方でepisodic memoryは顕著に障害されていて、古いpersonal eventについてはまったく失われています。
  • Hodges and Gurd '94 ピック病の患者さんでautobigraphical memoryの想起は障害されているけれども、famous faceのnamingやfamous (public) eventの再認記憶は標準的でした。
ほかにepisodic memory + public eventのmemoryを失っていて、famous peopleの知識は失っていない例
  • Hodges and McCarthy '93
  • Ross and Hodges '97
Episodic memory (personal event)は保持しているけどpersonal semantic memoryは失っている例
  • Kopelman et al '90などの多くの健忘症の症例
Episodic memory (personal event)は失われているけどpersonal semantic memoryは失っていない例
  • Damasio et al '85の単純ヘルペス脳炎患者(Boswellと呼ばれる。仮名?)。両側のmedial and lateralの側頭葉の損傷あり。自分の職業や家族についての基礎的知識(personal semantic knowledge)について想起することはできるけど、それを自分の過去の時間的コンテキストに位置付けることができません。
  • Tulving et al '88での患者K.C.さん(head injury)。自分の過去のpersonal episodeをなにひとつ想起することができません(anterogradeにもretrogradeにも)。かつて自分の兄弟が溺れかけたことや、近所で毒物を運搬していた列車が脱線して何千人もが避難したこと、のような重要な事件に関しても。事故前は熱心なバイカーであったにも関わらず、かつて友人と行ったツーリングについてもまったく憶えていません。一方で、personal semantic factについての記憶は保持されています。自分が行った学校の名前をいえるし、集合写真のクラスメートの名前を言うこともできるし、学校の先生の名前も何人か挙げることができます。事故前の三年間向上に勤めていたことも知っているし、2台のバイクと1台の車を保有していることも知っていますし、バイクと車のサイズ、モデル、色について説明することをできます。彼の家族が別荘を持っていてそこで何度も週末を過ごしたということも知っているけれども具体的にそこに行ったという記憶はまったく持っていないし、そこで何があったかを想起することもできません。タイヤをフラットタイヤに交換するような技能も保持されているし、事故前に働いていた工場の写真を同定することもできます。チェスのやり方、ルールも覚えているけれども、実際に(誰と)どういう対戦があったかを想い起こすことはできません。
  • Wilson et al '95での患者C.W.さん(単純ヘルペス脳炎)も自分の過去のpersonal episodeをなにひとつ想起することができません。しかしpersonal factual knowledgeはある程度保持していて、自分の学校や在籍していたラグビーチームや父親の車の番号について言うことはできました。一方で、自分の出た学校の写真を見てもそれと気付きませんでしたし、有名人についての記憶も失っていました(たとえばJF KennedyやMargaret Thatcherなどが生きているか、死んでいるか、という質問の成績は悪かった)。
  • Schnider et al '94 両側の海馬での血管閉塞の患者さん。anterogradeのamnesiaもretrogradeのamnesiaもあって、自分の妻子のことは見分けがつくけれども、子供時代に遡るまでのepisodicなeventを持っていません。また、長い付き合いの親友が会いに来てもそれと気付けませんでした。public eventに関しては第二次世界大戦はどこの国が戦ったのかということを知りませんでした。
  • Graham and Hodges '97でのsemantic dementiaの患者さんで、ここ最近のpersonalなeventについて想起することはできるけれど、同じ時期のpersonal semantic informationについての情報を思い出すことができない(11/28に言及したHodges and GrahamのレビューPhilosophical Transactions '01のネタとなる原著なので、たぶん同じ患者さん)。
  • Kitchener et al '98 両側の海馬損傷の患者さんでpersonal eventの想起のほうがsemantic knowledgeの障害よりも重かった。個人的に知っていた人の名前を再認してfamiliarityがあるということはできたけれども、その人と過去にどういうエピソードがあったのかをまったく想起することができませんでした。
ひとつstrikingな例で、personal semantic knowledgeについて詳しく調べた報告:
  • Butters '84 著名な心理学者であったP.Z.さんはウェルニッケ―コルサコフ症候群となりましたが、その3年後に自叙伝を書いていました。この自叙伝を元にしてP.Z.さんのpersonal semantic knowledgeについて彼自身の分野で有名な科学者の記憶を調べると、障害が出る10年前のpersonal semantic knowledgeのほうが50年前のpersonal semantic knowledgeよりもより障害されていることが確認されました。(episodic memory自体でも同様な傾向が見られたそうです。)

episodic memory and semantic memory

んで、さんざんやってきましたが、記憶の分類に関する難点について:そもそも分類というのは「ある条件とそれ以外」という形でしかmutually exclusiveかつ洩れのない分類になりえないわけですが、いったん分類をしてしまうとそれぞれの概念が自立性を持ってきて、「それ以外」という立場に甘んずることは決してないがゆえに分類の整然さ(mutually exclusiveかつ洩れのない)が失われてややこしくなる、ということが起こるというわけです。
具体的に言えば、Squireがやるようにdeclarative memoryのsugdivisionとしてepisodic memoryとsemantic memoryを置くときにはそれぞれをeventのmemoryとfactのmemoryというふうに分けるしかありません。これではpublic eventがepisodic memoryに入ることになってしまいます(実際にはJNS '98 "Retrograde Amnesia for Facts and Events: Findings from Four New Cases."ではAMIでpersonal semantic memoryを定量化しているわけですが)。
一方でTulvingのオリジナルのepisodic memoryの定義('72)に戻ってみて、episodic memoryがpersonally experienced eventであるとするならば、semantic memoryはそれ以外、ということになるわけです。Tulvingの分類はepisodic memoryの方が主役で、personalか否かとeventか否(fact)かという二つの次元を持ってしまっていることになります。よって、semantic memoryの中はpersonal semantic knowledgeやpublic event knowledgeやgeneral semantic factのようにヘテロ名集団とするしかありません(このへんを整理しているのがKapur '99のfig.2なわけです)。
そうこうしているうちにsemantic dementiaのような症例について明らかになってくると、episodic memoryとpersonal semantic knowledgeとをまとめたほうがかえってわかりやすいようにも見えてしまう、という現象が起こるわけです。
とだいたいこんな感じに見通せるのではないかと。
しかしこのような問題は記憶の分類以外の認知心理学のいろんなドメインで起こっていることなのでしょうけど。


2004年11月28日

semantic dementia

まだまだいきます。episodic memoryとsemantic memoryとを分ける、という話になると、episodic memoryだけが障害された例とは逆にsemantic memoryだけが障害された例を考える必要があります。そこでsemantic dementia(意味性痴呆)について読みましょう。

semantic dementiaとは言葉の意味を選択的に障害された病気です。側頭葉前方部の萎縮によって引き起こされます。海馬はだいたい影響を受けていません。
追記:"Disorders of memory." Michael D. Kopelmanのレビュー Brain '02のsemantic dementiaの定義と解説が適度にコンパクトなので貼っておきましょう。

Semantic dementia is really a 'temporal lobe' variant of fronto-temporal dementia or degeneration. It is characterized by a progressive disorder of semantic knowledge: this involves a profound loss of meaning, encompassing verbal and non-verbal material and resulting in severe impairments in naming and word comprehension. Speech becomes increasingly empty and lacking in substantives, but output is fluent, effortless, grammatically correct and free from phonemic paraphasias. Perceptual and reasoning abilities are intact, and episodic memory is relatively preserved.

Philosophical Transactions '01にまとめてあるA.M.さんのcase reportをまとめます。
1930年生まれのA.M.さんは1994年になって普段あまり使わない言葉を理解できなくなってゆきます。日々あったことに関する記憶(エピソード記憶)はよく保持されているし、今度いつゴルフに行くかとかもよくわかっています。しかししゃべり言葉に内容がなくなっていきます。こんな感じ:

質問者:Can you tell me about a last time you were in hospital?
A.M.: That was January,Februaru,March,April, yes April last year, that was the first time, and oh, on the Monday, for example, they were checking all my whatsit, and that was the first time when my brain was, eh, shown, you know, you know that bit of the brain (indicates left), not that one, the other one was okay, but that was lousy, so they did that, and then like this (indicates scanning by moving his hands over his head) and probably I was a bit better than I am just now.

また、絵を見て何か答えるテストの成績が悪くなります。それから、category fluency test(ネコの種類をいろいろ挙げてもらうとか)の成績も悪くなります。また、surface dyslexiaが出てきます(普通の単語を発声することはできるけれど、スペルがイレギュラーなもの、たとえばislandとかを間違って読んでしまう)。
一方で、Rey-Osterreith figureをコピーした上に45分後にそれを想起して書くことはできるわけですし、絵を使った再認記憶課題もできますのでanterograde amnesiaはありません。
病状が悪化してゆくと、semantic knowledgeの低下が日常生活に影響を及ぼすようになります。物の使い方を間違えるようになります。傘を開かずに頭に上に横にして乗せて雨の中を行ったり、はしごの代わりに芝刈り機を持ってきたり、ワインに砂糖を入れて飲んだり、ということが起こります。しかし一方で毎週ゴルフはしているし、いつ友人が迎えに来てくれるかもわかっています。
ではこのような患者さんのautobiographical memoryはどうか、ということでまたAMI(autobiographical memory interview)をしてみると、昔のことはけっこう忘れているのですが(対照群と比べて、昔のエピソードを想起できていない)、ここ5年くらいのこと(semantic dementiaが出だす前)のエピソードは比較的よく想起できているのです(それでも対照群よりは悪いけど)。これはアルツハイマー病やSquire論文でのE.P.さんのような内側側頭葉の障害がある患者さんとは逆のパターンです(最近のエピソードは忘れているが、子供の頃のエピソードはよく想起できている)。つまりエピソード記憶のretrograde amnesiaはあるわけです。
というわけでsemantic dementiaの症例はepisodic memoryとsemantic memoryをまったく独立に障害することを示すわけではありません(そういう症例にはDe Renzi '87がある)。Graham and Hodgesはautobiographical memoryはsemantic memoryにある程度依存する、と考えています。つまり、episodic memoryとsemantic memoryとの間に階層的な関係があるというよりは相互に影響を及ぼしあうものとして考えているようなのです。
また、重要なことに、AMIなのでautobiographical memoryの想起だけではなくてpersonal semantic knowledge(昔行ってた学校の名前は?とか)もautobiographical memoryの想起と同様なパターンを示すということです。かなり分けわからんけれども、これはsemantic memoryのうちでfact knowledgeのレベルと語義やカテゴリーのレベルとは別物であって、fact knowledgeのレベルはepisodic memoryの障害と同程度に障害されるということを示しているのではないでしょうか。
これまでsemantic memoryのことをfactの記憶、factの知識、と言ってきたわけですが、実際のsemantic dementiaの病態では言葉の意味、カテゴリー、という部分の障害として出てくるわけです。このへんの概念の整理が(episodic memoryの場合と同様に)必要なのでしょう。なんにしろ、semantic memoryはこのように言語と対象とのカテゴリー化のような意味論的な部分を含んでいるため、言葉を持っているかどうかわからない動物でsemantic memoryがあると言えるかどうかは予断を許さないのです。よって、episodic-like memoryの場合と同様に、semantic-like memoryという扱いをすることが必要になります。
おもにperirhinal cortexで見られる連合関係をコードするニューロンは意味ネットワークを支える基本的な要素であるであろうと言えますが、上記の理由によってこれをsemantic memoryのneural correlateである、とまで断言するわけにはいかないわけです。そこで、declarative memoryでの命題的な構造を支える基本的な要素である、として扱うことになります。このへんについてはSquireが1980年初頭にdeclarative memoryとprocedural memoryという言い方で長期記憶を分けたその時点に戻って考える必要があります。ここも書いてみましょう(現在遡れるのは1980年のScienceと1982年のannual reviewですが、これで何とか凌ぎましょう)。
追記:EJN '04について。これはsemantic dementiaの患者さんに側頭葉前方部の萎縮があるとは言うけれど、実際にはどこなのかをMRIの構造画像から調べて、この萎縮が主にperirhinal cortexにあった、とするものです。この話とYonelinasの話をくっつけてしまえばepisodic memoryは海馬に、semantic memoryはperirhinal cortexに、entorhinal cortexは両方に寄与している、ということになりむちゃくちゃ整然としているのですが、そう簡単に決着はつかないことでしょう。傍証として憶えておきます。perirhinal cortex + temporoplolar cortexが左で体積が対照群の30%、右で50%。一方で海馬の体積は70%くらいでアルツハイマー病の患者さんの場合とそんなに変わらない。

episodic memoryとsemantic memory

宣言的記憶と手続き的記憶

宣言的記憶と手続き的記憶に関してSquireがなにを言っているかを原著に基づいてまとめたいのだけれど、手元にはとりあえず「記憶と脳」とannualn review of neuroscience '82しかないのでそのあたりから。


宣言的記憶は、意識的想起が可能な記憶であり、内容について述べることができる。学習によって獲得された事実やデータに関する記憶で、健忘症によって障害される。
手続き的記憶は、特定の事実やデータ、特定の時間に特定の場所で生じた出来事とは関係がなく、学習された技能や認知的操作の変容にあたる記憶で、健忘症でも障害されずに残る。
(「記憶と脳」p.154)

というわけで、基本的にはH.M.さんのような内側側頭葉の障害によって起こった健忘症amnesiaでできることとできないことというやり方で分けたという面が強いわけです。じっさいSquireのキャリアを見ると最初は記憶の薬理学的なところ(1968-, Nature '73)から始まって、健忘を前向性健忘と逆向性健忘とに分ける仕事(1974-, Neuropsychologia '78)があって、その次がこの宣言的記憶と手続き的記憶の区分を確立する仕事をする(1980-, Science '80)、という感じであるようですし。
H.M.さんが知覚―運動技能の修得と保持ができること自体はCorkin '68とかですでにわかっていたのだけれど、Cohen and Squire '80で鏡に映った左右逆さの文字を読む技能をH.M.さんが持っていることを示したわけです。これによってH.M.さんが保持している能力の"knowing how"(手続き記憶)と傷害されている"knowing that"(宣言的記憶)とが別々の記憶システムであることを確立したのがこのCohen and Squire '80であったということのようです。
さらにいくつか抜き書き。

健忘患者で傷害されている学習と記憶は、命題やイメージとして心に浮かぶ明確な情報に関係しているので、宣言的と呼ばれている。
健忘症患者でも障害を受けずに残っている学習と記憶は、獲得される情報が課題の手続きに関係するものであったり、すでに獲得している認知的操作を実行する手段の変化として現れたりするところから手続き的と呼ばれている。
宣言的記憶は、日常生活で記憶されるさまざまな事実や伝統的な記憶実験で用いられる各種の項目、データなどを含んでおり
手続き的記憶では、知識の内容への明確なアクセスなしに記憶システム(または複数の記憶システム)が作動することによって、特定の技能の進歩やプライミング効果が出現している。手続き的記憶は学習成績の上昇によってのみ表現され、健忘症患者が記憶内容を言語によって記述したり、既知判断課題の成績として非言語的に表現されることはない。
(「記憶と脳」p.160 順番入れ替えなどあり。強調は引用者による)

いちばんcriticalなところは命題的であるか否かと意識によってアクセスされるかどうかの点でしょう。

ほとんどの知識が、宣言的、手続き的双方の形を取って表象されうることを示している。
……
「あなたの家には窓がいくつありますか」という質問に対してどのような答えがあるだろうか?
一つには、答えがすでに記憶されており、この宣言的知識表象の貯蔵庫から情報を直接引き出して答えることができる。
自分の家を思い出して一部屋一部屋窓を数えていくという手続きを用いても、同じ答えを出すことができる。
しかし宣言的知識と手続き的知識とを区別することが有効かつ妥当なものであるのかどうかは、こうした議論によって演繹的な方法のみで決定することはできない。
……
宣言的記憶は意識にアクセスできる点に特徴があるとされ、
また手続き的記憶は別個の脳の機構を通じて獲得される、と見られている。
二種類の記憶は、相互に交替し得ない別個の表象を反映するとされているのである。
(「記憶と脳」p.162-163)

前半はGoodaleのvision for perceptionとvision for actionみたいで面白いんだけれど、それは否定したいらしい。
ここでは記憶されるもののコンテント自体が違うことを強調しているけれども、実際の区分には使われている脳の部位が違うということを大いに援用しています。

宣言的記憶は、より認知的で、早く強固に成立し、一思考学習にも適しており、情報を特定の時間と場所に生じた単一の事象として貯蔵する、と見られている。こうした種類の表象は、以前に体験したことがあるという親近感、気置換を生むことができる。その点に関しては、モダリティーの制限はなく、表象が形成されたときとは異なる情報処理システムを通じてでも、表象にアクセスすることができる。
手続き記憶は、より自動的でゆっくりと成立し、試行の反復によって少しずつ進歩する学習に適しており、記憶が形成されたときに関与した情報処理システム以外のモダリティーを通じてのアクセスは必ずしもつねに可能なわけではなく、記憶の有効性がモダリティー間の境界によって制約されている。
(「記憶と脳」p.165)

ここではモダリティーによる特異性の違いを強調しています。これも命題的なものとして表象されるか否かを反映したものであるといえるでしょう。
こうやって読んでいくと、Squireが宣言的記憶という概念に入れ込もうとしたものとTulvingのepisodic memoryがmental time travelであるという概念とは意識によるアクセス、という点からみればそんなにも違っていないようにも思えるし、命題的であるか、という点に関して考えればやはり外れてしまっているとも思えるし。
こうやって抜き書きしてみるのも良いもんです。なんか写経しているような落ち着いた気持ちになってきてたりして。
追記:Science '80でどんなこと書いてあるか。Cohen NJ, Squire LR. "Preserved learning and retention of pattern-analyzing skill in amnesia: dissociation of knowing how and knowing that." Science. 1980 Oct 10;210(4466):207-10.
鏡映文字を書いてもらう課題で患者N.A.さん(視床の背内側核に損傷。コルサコフ症候群に類似)が被験者。使用する単語には半分はセッションごとに別の単語を使用し、半分は同じ単語を使用する。セッションごとにユニークな単語を使っても練習効果があって、それは対照群と変わらない。一方で、同じ単語を使用したほうの結果では対照群ではfamiliarityの効果による促進効果があるのにN.A.さんではそれが見られない。対照群では同じ単語が使われていることに自発的に気付くけれども、N.A.さんは同じ単語が使われているということ自体に気付いていない。つまり再認記憶自体が失われていることも示されている。
論文のディスカッション部分では、学習されたのはその技能のencoding ruleまたは手続き(手続き記憶)であり、その結果得られた情報(宣言的記憶)ではないこと、つまり、健忘症で保持されているのは(これまで明らかにされてきたような)知覚運動技能だけではなくて、パターン解析の技能、あわせて「ルールおよび手続きによる操作」であり、このような手続き的、rule-basedな情報(knowing how: 手続き記憶)と宣言的、data-basedな情報(knowing that: 宣言的記憶)との区別が脳によって担われている(実際の表現は"such a distinction is honoured by the nervous system"で、このフレーズは要旨とディカッションの最後とで繰り返されています)、としています。
追記:Annu Rev Neurosci. '82でどんなこと書いてあるか。'82 Squire LR. "The neuropsychology of human memory." Annu Rev Neurosci. 1982;5:241-73.
基本的には「記憶と脳」で足りている感じだけど、宣言的記憶と手続き的記憶という対比について"knowing that"と"knowing how"(これはRyle 1949によるものだったらしい)が対応しているだけでなく、ベルクソンのpure memoryとhabit memoryやBrunerのmemory with recordとmemory without recordなどに対応している、というあたりが目を引いたくらいで。
あと、episodicとsemanticの分類についても言及があるけれど(有名の記憶の分類図はこの時点ではまだ出てきていない、あれは「記憶と脳」で出来たものらしい)扱いは小さいし、健忘症の患者さんはepisodicもsemanticも同じくらい障害されていて、片方だけということはありそうにない、と早くも主張しています。


2004年11月27日

episodic memoryとsemantic memory

今週は土日もいろいろ書きながらまとめてます。
というわけで、いろいろややこしいのだけれど、まずは題材はSquireの論文。
JNS '98 "Retrograde Amnesia for Facts and Events: Findings from Four New Cases." Jonathan M. Reed and Larry R. Squire
SquireはH.M.さんの健忘症の研究を元にして宣言的記憶と手続き的記憶、という区分を非常に重視しています。Episodic memoryとsemantic memoryという区分については、episodicは海馬でsemanticはrhinal cortexである、というような機能局在はないとしています。じっさい、 H.M.さん(両側のhippocampus+rhinal cortex)、R.B.さん(両側のCA1のみ)などの結果ではepisodicもsemanticも同程度に傷害されると結論付けています。
Zola-Morgan JNS '86での患者R.B.
Rempel-Clower N, Zola SM, Squire LR, Amaral DG (1996) Three cases of enduring memory impairment following bilateral damage limited to the hippocampal formation. J Neurosci 16:5233-5255での患者G.D. W.H. L.M.
それで海馬とrhinal cortexとがどのくらい傷害されるかで影響を受けるのはretrograde amnesiaの障害の厳しさ自体だというわけです(海馬CA1だけの障害のR.B.の記憶障害の程度はH.M.さんと比べて軽かった)。
JNS '98 "Retrograde Amnesia for Facts and Events: Findings from Four New Cases."
では新たに四人の患者さんの結果でこの問題を扱っています。

  • 両ヘミのhippocampusに限られている例:A.B., L.J.(A.B.さんは酸欠、L.J.さんは原因不明)
  • 両ヘミのmedial temporal lobeにlesion(hippocampus含む):E.P., G.T.(二人とも単純ヘルペス脳炎によって側頭葉を障害)
Retrograde amnesiaなので、事故や病気の起こった時期より前のことを思い出せなくなるわけです。
Retrograde amnesiaの記憶試験はコントロールが難しいので、方法論的な難点を持っています(anterograde amnesiaだったら実験者がランダム性を考慮した課題を記銘してもらえばよいのに対して)。NS '98論文で使った記憶試験は以下の通り。
Fact knowledgeについての試験:
(1) New vocabulary: 新しく使われるようになった(1955-1989)語彙("zilch"=zeroの意味)を答えさせる(recall)、できなかったら四択(to destroy;a stain;a filmy residue;zero)の中から答えてもらう(recognition)
(2) public events: 1940-1995のあいだの事件。"Who killed John Lennon?"(recall)で答えられなかったら四択から選ぶ(recognition)。
(3) famous faces: 1940-1995のあいだの有名人の顔。マリリンモンローの写真を見せて、誰か答えてもらう(recall)、出来なければ、これはマリリンモンローですかと聞くか(chance level 50%)、三択で聞く(recognition)。
(4) famous name completion: Alfred Hitch____から"Hitchcock"と言えるかどうか。
(5) famous names recognition: 三択でJoseph Silva, Jimmy Hoffa, Willie Turmanの誰が有名人か答えてもらう(ジミー・ホッファ = 全米トラック運転手組合委員長 (1957-71)で陪審員買収と公金横領で有罪になり、出所 (1971) 後に失踪)。
Autobiographical memoryについての試験:
(6) Autobiographical memory interview (AMI):以下の質問に答えてもらう。
  • Describe an incident from the period before you attended school.
  • Describe an incident that occurred during the period in which you attended elementary school.
  • Describe an incident that occurred during the period in which you attended high school.
(7) Word association test of autobiographical memory: あるお題(dog,water,school)を元にして連想した昔の出来事を話してもらう。なるたけ具体的に、そしていつのことだったかも答えてもらう。
Personal semantic knowledgeについての試験:
(8) AMIと同時に、personal semantic knowledgeについての質問もする: what was your home address while attending high school?
結果:fact knowledgeのテストの結果は海馬のみ損傷の患者さんでマイルド、側頭葉損傷の患者さんではかなりきびしい。両者ともにanterograde amnesiaは明確にあり、これもfact knowledgeのretrograde amnesiaの成績と同様に海馬のみ損傷の患者さんのほうがマイルド。Autobiographical memoryおよびPersonal semantic knowledgeは海馬のみ損傷の患者さんではほとんど見られない一方で、側頭葉損傷の患者さんでは非常に傷害されている。E.P.さんの場合は昔のことになればなるほどよく憶えている傾向がある。
というわけでepisodic memory(autobiographical memory)もfact knowledge(semantic memory)も同様に傷害されている、としています。とくに言及はされていないけれども、この論文では"Personal semantic knowledge"をautobiographical memoryとは別の項目でテストしているわけです(結果に差はなかったわけですが)。これは名前の通りsemantic memory(=factのmemory)です。つまり同じテスト(AMI)の中でepisodicに相当するものとsemanticに相当するものの効果を見ることができて、それらへの効果は同様なパターンを示した(障害のtime periodのパターンはE.P.さん、G.T.さんとで違っているけれども、同じパターンがautobiographical memoryとPersonal semantic knowledgeとで見られる)ことが著者の主張を裏付けている、ということになるわけです。
しかしこのAMIというやつがepisodic memoryが保持されているかどうかのテストとしてどのくらい妥当なのか、というあたりがいつも気になります。彼らにとってはsemantic memoryもepisodic memoryもdeclarative memory(言語を使った言明で表すことのできる記憶)のうちでその記憶のコンテント(情報)によってそれがfactであるか、それともeventであるかによってsemanticかepisodicかと分けているわけです。そういうわけで、ここではTulvingがいうようなmental time travel的な概念は強調されません(逆にいえば、Tulvingによるepisodic memoryの最新の定義は宣言的記憶という範疇からはみ出している)。このへんの問題はepisodic-like memoryを動物モデルでやる者にとってはかなり切実なわけですが、ヒトでのneurologyではAutobiographical memory interviewをやれば十分である、ということになっているようなのです(というかこれがretrograde amnesiaをやるがゆえに方法論的な難点というやつです)。Weisskrantzがnonhuman primateでの行動実験のパラダイムを人間に当てはめることによってblindsightを見出したのと同様に、episodic-like memoryを明らかにする過程で使われた実験パラダイムをヒトの患者さんで応用すると言うことには意味があるのではないかと考えるわけですが、そういうのはないのだろうか。
同様なフラストレーションはMishkin陣営の方のVargha-Khadem F, Gadian DG, Watkins KE, Connelly A, Van Paesschen W, Mishkin M. Differential effects of early hippocampal pathology on episodic and semantic memory. Science. 1997 Jul 18;277(5324):376-80 にも感じます。こちらはanterograde amnesiaだから、もうすこし工夫できる余地がある気がするのだけれど。
Tulving側の主張についても耳を傾けるべきでしょう。患者K.C.さんについての知見をまとめてみる予定です。つづいてKapur N. Syndromes of retrograde amnesia: a conceptual and empirical synthesis. Psychol Bull. 1999 Nov;125(6):800-25.およびWheeler MA, McMillan CT. Focal retrograde amnesia and the episodic-semantic distinction. Cogn Affect Behav Neurosci. 2001 Mar;1(1):22-36あたりの知見もまとめてみるつもりです。

episodic memoryとsemantic memory

やるべきことメモ:とりあえず三つの大きな陣営がある、という感じでまとめる。Mishkin:nonhuman primateでのlesion studyから出発。Squire:H.M.らの患者での神経心理学的研究を踏まえている。Tulving:認知心理学寄り。YonelinasはTulvingと共著あり。

episodic memoryとsemantic memory

anterograde amnesiaの患者のうち、Episodic Memoryが障害を受けているにもかかわらず、新しいfactual knowledgeを獲得した例。
一般的には、一回一回のイベントの記憶(episodic memory)が一般化してゆく過程でfactual knowledge(semantic memory)となってゆくと考えられているわけだけれども、これらの例ではそのようなイベントの記憶がないのにsemantic memoryとして蓄積されることになるのが驚くところです。

  • "Differential Effects of Early Hippocampal Pathology on Episodic and Semantic Memory." Science '97 Vargha-Khadem et.al. (M Mishkinら) 10/7ですこし言及しました。これはdevelopmental amnesia、つまり生まれてかなり早い時期に健忘になった例なので、基本的に獲得した知識(semantic fact)はすべて障害が起こってから獲得したものになるわけです。しかし非常にきびしいepisodic memoryのanterograde amnesiaがあるため、WMS(のsubset)のrecallができない、つまり、さっき聞いた話を憶えていることができません。それにもかかわらず言葉を憶えてしゃべることができて、学校に通って授業を受けて平均より下か平均ぐらいの成績だった、という驚くべき報告です。この報告に関しては論争が巻き起こってSquireらが反応しています。
  • "Acquisition of novel semantic information in amnesia: effects of lesion location." Neuropsychologia '00 M. Verfaellie
  • "Acquisition of post-morbid vocabulary and semantic facts in the absence of episodic memory." Brain '98 EG Kitchener, JR Hodges and R McCarthy Kitchener 98での患者さんR.S.はAMI(autobiographical memory interview)でepisodeの想起はまったくできない(スコア0/27)のにPersonal semantic knowledgeは成績が悪いながらもある程度できている(スコア24/63)。有名人の写真を見て答えるような問題もできてしまう。KopelmanのBrain '02のレビューにもあるようにこれはおどろきで、この患者さんは1983年にクモ膜下出血で健忘になったにも関わらず、写真からジョージ・ブッシュとミハイル・ゴルバチョフ(1985年に書記長就任)の名前を言うこともできて(1983年の時点でR.S.は彼らを知らなかった)、ゴルバチョフが何者であるかを答えることができる(‘Political. Russia. Moving forwards’と答えたそうです、微妙?)。しかし一方で、自分が何歳であるかもわからなかったし、自分の娘(クモ膜下出血のときに12歳)がどこに行ったか毎朝奥さんに聞いていた(娘さんはすでに25歳になっていて家を出ていた)。自分の娘のことはわからないのにゴルバチョフのことがわかっていいものなのか非常に気になるわけですが。なお、この患者さんは両側性の側頭葉のの障害(海馬、entorhinal cortex、perirhinal cortex、parahippocampal cortex)だけれども右側の損傷は軽かったらしく、semantic knowledgeが残っているのはこれによる可能性もあります。

大学院講義のアウトラインの構想

  • 記憶の分類
    • ヒトの臨床例の神経心理学に基づいて分類を見直す
      • 患者H.M.による宣言的記憶と手続き記憶
      • 患者K.C.によるエピソード記憶と意味記憶
      • 前向性健忘と逆向性健忘
      • 再認記憶課題のrememberとknow
  • 宣言的記憶の動物モデル
    • nonhuman primateを使った対連合記憶課題での単一ニューロン活動記録
      • 宣言的記憶を支える連合関係をコードするニューロン
      • 視覚連合野と内側側頭葉記憶システムとの相互作用(encodingとautomatic recall)
      • 視覚連合野と前頭前野との相互作用(volitionalなrecall)
  • エピソード記憶の動物モデル
    • 行動に基づいた操作的な定義
      • Episodic-like memory: ハトが「いつ、どこで、なにを」の情報を保持する
    • ヒトでの知見との平行関係
      • Recollection-like component: ラットが再認課題でfamiliarityではなくてrecollectionを使っている?
  • ヒトでの知見と動物での知見との相互規定
といいつつも「あれもこれも伝えたい欲求」を抑えつつ。http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips/basics/design/column.html

2004年11月26日

Medial Temporal Lobe (MLT) and Amnesia

ここはなによりもLarry R. Squireのreviewに当たりましょう。

Patient H.M., patient R.B. and patient E.P.
Episodic and Semantic Memory(この件あとで大きく膨らませます。)
Hippocampal lesionとsemantic knowledge。


2004年10月07日

Episodic-like memory

ご隠居のところに関連記事あり。おお、ちょうど偶然、大学院講義のネタ調整を兼ねて、セミナーで"Episodic memory in human and Episodic-like memory in animal"というテーマを扱ったところです。採りあげた論文は以下の通りです。

Humanのimagingとしては
を準備していったのだけれど、時間が足らずスキップ。
基本的な筋は、二つのanimalでのstudy(ClaytonのアメリカカケスとEichenbaumのラット)を主軸に、そこへ至る道を描く、という感じです。
そのうち解説を編集して掲載します。(Claytonに何度も言及している割りにはいまだにそのタスクについてここで説明したことないし。)

コメントする (7)
# ご隠居

いやあ,第一線の研究者による臨場感あふれたすばらしい講義になりそうですね.院生にはちともったいない!?日本にいるならぜひもぐりに行きたいところです.それともWeb中継?

# pooneil

いやいや、以前やったClayton論文のJCの再利用です(昔のpowerpointみたら2002年4月18日になってたけどこのときもうご隠居は在籍してませんでしたっけか)。内容は徐々にこの場に掲載してゆくつもりですので、(とくに)神経心理学的側面に関するご隠居のツッコミを期待します。じっさい、WMS(のsubset)のrecallができなくてWAIS-Rの語彙テストとかができる、とはいったいどんな感じ(feel like)なんでしょうね。

# ご隠居

あ,失礼しました.昔のファイル探します...いや,冷静になって考えてみたら,すでに引退後です.歳歳年年人不同...

# ご隠居

そうでした,WMSの想起ができなくて,WAIS-Rは大丈夫,というのは,成人の側頭葉内側面障害では時々見られることだと思います.ヘルペス脳炎後遺症(結構多い)や,HMさんのような症例が相当しますね.それは,ただ単に語彙は記憶障害の発症前に獲得されたということを示すだけで,あまり不思議じゃないですが,(ご本人はもちろん大変なご苦労をされておられるとは思うのですが,ノートを取ればある程度記憶障害がカバーできるので,職場復帰をされた方も多々いるという話を聞きます).ただ,重度の記銘力障害がある状況で,新たな意味記憶を獲得できるかどうかは,一般的には難しい問題ですよね.急性期の症例報告はあるのですが,それは急性期だからそんなこともあるのでは,っていういかにも臨床家らしいごまかしでやりすごすとしても,developmental amnesiaはどういうことなんでしょう.やはり子供の脳はさらに難しいですね.

# ご隠居

あ,ついでなので.Wernicke-Korsakoff症候群(主なものはVitB1欠乏症による間脳・乳頭体の障害)でも臨床像はちと違うのですが同様な状況が起こりえますね.カップラーメンと飲みで生活しているような学生さんで発症してしまうのをたま見ます.栄養のバランスにはきおつけませう.

# pooneil

さっそくありがとうございます。JCは引退直後でしたね。そういうわけで、Vargha-Khadem et.al.(=MishkinのScience ’97)でのdevelopmental amnesiaで、発症後に語彙などの意味記憶を獲得している点はやっぱり不思議なことですよね。Korsakoff症候群か、むずかしい。Hippocampus-fornix-mamillary bodyの系とかってanimal modelではGaffanとかしかやってないのではないでしょうか。どうやって組み込んで理解すればよいんだろう。海馬=episodic and recollection、rhinal cortex=semantic and familiarity、という単純なストーリーに落とし込んでおいてから、本当はそんなに簡単じゃないとフォローする、ということを考えていますが、それにしても複雑すぎますな。

# pooneil

あ、もちろんfrontalの寄与は当然ではありますが。というかimagingでふつうにRK judgmentやっても海馬やrhinal cortexのactivationが出てこないので、いろいろやってなんとか出したのが上記のNeuropsychologia ’04である、と理解しております。


2004年09月09日


2004年09月04日

講義

人生ではじめて講義の一回分を任されました(やっとですよ)。記憶の脳内機構に関して2時間。HMさんの症例から始めて、LTP(および松崎君のNature)までmicroに行って、またvivoに戻って連合記憶とTE-Perirhinal cortexの回路とhebbian synapseを結びつけるところまで語る。そこで終わりと思いきやTulvingのepisodic memoryの定義からRK judgementまで行ってepisodic memoryの定義には意識の存在が必要であることを示し、claytonのepisodic-like memoryでanimal consciousnessについて問題提起し、そして最後は心を明らかにするには意識を研究することが必然で不可避であることを語って締める、というのが現在の構想です。このままだとぜってー時間足りない。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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