[カテゴリー別保管庫] 内部モデル、遠心性コピー、アフォーダンス

リゾラッティらが前運動野で発見した「ミラーニューロン」は「自分の行動遂行」と「他者の行動の観察」とでinvariantに活動するニューロンだが、これは頭頂連合野や上側側頭溝などとネットワークを作っている。Arbibがこのシステムをアフォーダンスと結びつけようと考えているが、少なくともオリジナルのJJギブソンによるアフォーダンス理論と脳科学とは食い合わせが悪いはずだ。

2007年08月03日

頭頂皮質で三次元の形状に反応するところ

Neuron。"Anterior Regions of Monkey Parietal Cortex Process Visual 3D Shape"。Guy A. Orbanのグループによるmonkey fMRIのstudyなのですが、もはやactivationの図がsliceで表示されているものがなくて、ぜんぶunfoldedになってます。IPSのどっちにactivation出てるかとかかなりシビアな気がするけど大丈夫なんでしょうか。
ともあれ実験のまとめ。実験1で、3D shapeで反応して、単なる出っぱった平面では反応しないところがAIP、どっちでも活動するのがCIP、それからLIPも。このLIPの活動とかはたんなるスムージングの効果ではないのでしょうか。実験2では、3Dのcurvatureとかorientationとか三次元のsurfaceに対する応答を見て、これはAIP。CIPは無し。実験3では、2D shapeの提示で、gray scaleの図とline drawingの図とで反応がちがうのがAIPとLIP、コントロールのスクランブル図形よりも応答が大きいのがCIP、ということでした。
さて、これはこれまでのsingle-unitの結果とどのくらいconsistentなのか、という疑問ですが、AIPが三次元図形に反応する、というのは村田哲さんのJNP 2000 "Selectivity for the shape, size, and orientation of objects for grasping in neurons of monkey parietal area AIP."など(1996 JNPに対応する日本語による解説が「三次元図形記憶の神経機構」にあります)でも詳しく調べられています。こちらの仕事はたんなるvisionではなくて、graspingとの関わりに注目したものです。Michael ArbibがAIPをアフォーダンスが抽出される場所である、というようなモデル(Neural Network 1998 "Modeling parietal–premotor interactions in primate control of grasping")を立てていますが、これにconsistentなストーリーと言えましょう。
いっぽうでCIPのほうは筒井健一郎さんのScience 2002 "Neural correlates for perception of 3D surface orientation from texture gradient"が有名で、日本語による解説のタイトルにあるとおり、「テクスチャーの勾配から3次元的な面の傾きを知覚するための神経機構」であると考えられています。(なお、このdepth from textureというのの元ネタのひとつはギブソンですので、アフォーダンスとかミラーニューロンとかとも併せて、このグループがいかにecologicalなアプローチを志向しているかがよくわかります。) 一方で、CIPはdisparityで定義されるような平面の傾きに関しても応答することがわかっております(JNP 2001 "Integration of Perspective and Disparity Cues in Surface-Orientation-Selective Neurons of Area CIP")。こちらのほうは平面ではありますけど、Orbanの実験2でのdisparityでdefineされた3D 曲面ではAIPのみ活動して、CIPはactivationが見られないというのはどうもconsistentではないように感じます。
ともあれ、CIPおよびITからの入力でAIPの3D shapeへのselectivityができる、というのが基本的な流れのようです。(たとえば、Neuroscience Research 2005のレビュー"Neural mechanisms of three-dimensional vision"など。)
さらにこの情報の流れは3D objectをgraspする過程の一部として捉えられ、CIP-AIPと形成された3D shapeに対する情報がF5のgrasping neuronに送られて、さらにそれがefference copyとしてAIPに帰ってくる、というストーリーが描かれています(日本語での解説が「手操作運動のための物体と手の脳内表現」 PDF)。このへんについてはアフォーダンスと内部モデルとefference copy、なんてお題でこのサイトでも一時期盛んに採りあげました。
どちらかというとOrban論文をネタに日大グループの仕事を復習してみた、というテイストになりましたが。それではまた。明日は岡崎は花火大会です。


2006年10月04日

身体性と不変項:一人称的世界と三人称的世界

ひさびさに更新したのはこれが書きたかったから。前置き長いです。

論文書き関連で「モデル選択とAIC」関連をwebで漁っていたら、 統計数理研究所の伊庭幸人氏の「モデル選択とその周辺」(pdfファイル)を発見。(伊庭幸人氏はMCMCに関する解説のモノグラフ、岩波講座「ベイズ統計と統計物理」の著者。)

これに

「階層ベイズ法についてのレビュー[2]の中で、「解釈モデル」と「生成モデル」の関係についてEM アルゴリズムや学習方程式、川人らの順逆モデルによる認知の理論に絡めて述べた。」

なんて書いてあるものだから、はげしく興奮して「学習と階層 ― ベイズ統計の立場から」(pdf)を見てみると、

「実際のところ、ベイズの枠組における事前分布や事後分布が脳内にそのままの形で実在するとは考えにくい。脳はアクティブエレメントの集まった力学系にどちらかというと似ており、それを使ってベイズ的な計算をするのは無駄が多すぎる。しかし、ここであげた問題は、ある程度枠組を越えた一般性を持つかもしれない。」

なんて書いてあって興味深い。これが書かれたのが1996年で、10年経ったいま、ベイジアンが脳科学でも大流行で、ShadlenとかはLIPがprior probabilityを計算しているとか考えているとか、昨今のneuroeconomics的な議論もかなりそういうneural correlateを想定しています。しかし、そもそもどういうneuro-computationalなモデルがあり得るのか、力学系としての脳がどうやってベイズ的な取り扱いが出来るようになるのかという問題への手がかりにこの論文はなりそうです。読まなくては。(ここでそういう議論を始められると楽しいのだけれども、「メモメモ」とか書いて終わってしまうのでありました。)

んでもって、やっとタイトル関連だけど、「無時間の思想 (附:反身体の思想) 」を読んでて、

「世界が実在するのはいいとして、それはどのような世界なのであろうか.ギブソン派が本来指向する筈の、濃密で解読困難な「身体性」の世界なのだろうか.それとも物理的、幾何学的な身体の世界、「不変項」という表現が文字通りの意味を持つような世界なのだろうか.どちらでもよいが、ここでも、両者が無批判に等置されることが、ギブソン派の独特の実在論の基盤となっているように思われる」

という文章を見つけました。なるほど。ようするに、ギブソン的な考えの中にエコロジカルであろうとするなんというか現象学的な立場と、実在論的立場というふたつの食い合わせの悪い二つの立場を共存させようとする側面があるのですな。前者は「身体性」という概念に、後者は「不変項」という概念に特徴的に現れているのだけれど、前者の現象学的ニュアンスと、後者の計算論的ニュアンスとが混ざり合っているのがギブソン心理学の特徴なのですな。そういうわけで両者をごっちゃにせずに分けて扱う、というのがひとつの賢明な(かどうかわからないけどスクエアかつ生産性のありそうな)やり方で、以前私が書いたように(20040313)、ギブソンが扱ったoptic flowとかが部分的に認知科学的に取り扱えるのも、その計算論的な部分のみを持ってきたからなんだと思います。同様に、アフォーダンスという概念も、20040314で使った表現を使えば、存在論的含意を取り除いた「行為の記憶とコンテキストに基づいて事物からピックアップされる行為の可能性」みたいな、ある種の情報としての取り扱いがあり得るというわけです。それにアフォーダンスという名を付けるべきかどうか、という疑問をくっつけてつつ。

そういうわけで、たぶん話としては、「ではなぜギブソンはエコロジカルであることと実在論的であることとを同時に主張する必要があったのか、それはその時代のコンテキストや本人の志向に依るようなものではなくて、議論の一貫性としての内的必然性があったのか」という問題になるのでしょう。そして、ギブソン心理学のエコロジカルな側面のことを考えるには、たぶんもっと現象学的アプローチについて私が理解しないといけない。「現象学の自然化」っつー話になってもうよくわからないところになってしまうのでここで打ち止めにしときます。

追記。「実在論的」と「認知科学的」と「計算論的」あたりの繋げ方が上のままだとよろしくありません。伊庭氏の表現の「物理的、幾何学的な身体の世界、「不変項」という表現が文字通りの意味を持つような世界」というほうが適切に思えます。うーむ。

そうか。そしたら、一人称的世界、三人称的世界という対立のさせかたの方がよいのかもしれない。つまり、ギブソンは、自分の論の中で、身体性のような現象学的一人称の世界と不変項のような物理的な三人称の世界とを吟味せずにそのまま繋げようとしているために無理が出ている。ひとことでいえば、「カテゴリーミステイク起こしてないですか」ということですな。問題はそれをどうつなぐかであって、それが疑似問題であるにせよ、心の哲学だったら両者を混同せずに明示的に取り扱うであろうところを曖昧にしている、という言い方です。いや、より正確には、以上の批判の可能性をもって「生態学的知覚論」を読んでどこかにそういうことを言及してあるか探すことにします、というのがフェアですな。「ギブソン心理学の核心 」(勁草書房)はエコロジカルな側面に専念しよう、という立場ですな。

追記が長い上にそっちのほうがマシなこと言ってる気がしたけど、文章の構成を整えるつもりなし。そういうのはべつの機会で、という方針。

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# 伊庭

はじめまして,伊庭です.いろいろ読んでくださってありがとうございます.明日,奈良先端大学のNC研究会でベイズの話をするんですが,なんか20年前の記憶がよみがえってきて,川人さんと乾さんが車で高の原の駅まで学生の私を迎えにきて,ATRにつれていってくれたのとか思い出してました.なんかそれから進歩ないなあ.

# 伊庭

#「進歩ない」のは自分の話なんで世の中のことではないですよ.

# pooneil

どうもはじめまして。とばし読みで浅いことしか書いてないので恐縮です。
NC研究会(http://staff.aist.go.jp/h.asoh/NC200610.html)の講演タイトル、「ベイズ統計の流行の背後にあるもの」、興味ありますが参加できませんでした。
20年前ですか…川人先生もまだATRに移られてすぐか阪大基礎工にいたかくらいの頃のことですね。


2005年07月23日

自分で自分をくすぐる話

いととんぼさんのコメントに関連してSarah-Jayne Blakemoreの仕事をメモしておきます。

Nature neuroscience '98 "Central cancellation of self-produced tickle sensation"

自分で自分をくすぐるとくすぐったくないのは自分でくすぐる動作の指令を出したときにそれがfeedforward的シグナルを作って体性感覚野の活動をキャンセルするからだ、という仮説の元でhuman fMRIをやってみたら、くすぐりをキャンセルできたときには小脳が活動しているのがわかった、というもの。実際には自分でくすぐる条件の中で、くすぐりの指令からくすぐりマシーンの実際の動作までの間に時間的遅延が起こるようにすることで、くすぐったい状況とくすぐったくない状況を作って比較する、ということをやっています。

というわけで、こういう自分の動作をモニターするときの回路にはおそらく小脳を介したものと頭頂葉とを介したものとがあるわけだけど、Experimental Brain Research '03にてBlakemoreはAngela Siriguとともにレビューを書いてます:

"Action prediction in the cerebellum and in the parietal lobe" あくまで「自分の動作をモニターするときの回路にはおそらく小脳を介したものと頭頂葉とを介したものとがある」ということの問題提起であって、明確な機能的違いについてはspeculativeなものとあると断ったうえで、こんなふうに書いてます:

These studies suggest that the cerebellum makes rapid predictions about the sensory consequences of self-generated movement at a very low level of movement execution, presumably without awareness. In contrast, the parietal cortex predictive functions have been addressed using tasks tapping the most cognitive aspects of movement. It is possible that the prediction made by the cerebellum is unavailable to awareness, whereas the prediction made by the parietal lobe is concerned more with highlevel prediction such as strategic planning actions. Perhaps the predictions made by the parietal cortex can be made available to conscious awareness.

小脳の方は意識が関与しない予測で、頭頂葉の方は意識が関与する動作予測である、というわけです。

さらにConsciousness and Cognition '03 "Deluding the motor system"では、より明確にというかより大胆にというか、小脳は"predicting the sensory consequences of movement"に関わっていて、頭頂葉の方は「自他の区別」を含むような‘self-monitoring’ mechanismに関わっている、としています。

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# いととんぼ

Nature Neuroscienceに論文が出ていることは知っていましたが、あとの2つは知りませんでした。情報をありがとうございます。話変わりますが、子供と花火をしたり、くすぐりあったりする合間に研究する(もしくは逆でもいいけど)というのは、人生の中で至福の時期のひとつと思います。充分にご堪能ください。


2005年04月29日

Rizzolatti IPL single unit

Science 4/29より。
"Parietal Lobe: From Action Organization to Intention Understanding." Rizzolattiグループ。Inferior parietal lobule (IPL)のsingle unitの論文がついに出てきました。
Rizzolattiの考えるミラーニューロンを含んだネットワーク(Annual Review of Neuroscience '04 "THE MIRROR-NEURON SYSTEM"Nature Reviews Neuroscience '01 "NEUROPHYSIOLOGICAL MECHANISMS UNDERLYING THE UNDERSTANDING AND IMITATION OF ACTION.")はF5-IPL(PF)-STSというものです。 Miallのレビュー Neuroreport '03 "Connecting mirror neurons and forward models."と併せて以前にも「内部モデル、遠心性コピー、アフォーダンス」のスレッドなどでいろいろ言及しました。
んで話としては、IPLにもミラーニューロンがあって、行動するときと行動を観察するときに同様な応答を示すものがある。しかも「ものを掴む」行動をコードするニューロンがそのgraspingがどういう目的の行動の中に埋め込まれているか(「ものを食べるとき」か「ものを置くとき」かなど)で違った発火パターンを示す。だからIPLニューロンは単なる行動(「ものを掴む」)をコードするだけでなく、他者の行動(「ものを掴む」)の意図(「ものを食べるため」か「ものを置くため」かなど)の理解をもコードしている、と結論づけています。
"Understanding"ときましたね。だとしたら、他者の行動を「誤解」したときにはそのニューロンの応答も誤解した内容に対応する、というところまで示せればよいと思います。つまり、他者の行動を「ものを食べるため」と正しく理解したとき、「ものを置くため」と誤解したときとで(観察している行動自体はまったく同じであるにもかかわらず)ニューロンの応答が違う。一方で、(全体としてみれば違っている他者の行動を)「ものを食べるため」と正しく理解したときと「ものを食べるため」と誤解したときとでニューロンの応答が変わらない、このくらいまで行きたいところです。あいかわらずアブストしか読んでないんで失礼。Human fMRIならできますよね。


2004年09月15日

J.J.ギブソン

直接知覚論の根拠―ギブソン心理学論集 勁草書房 直接知覚論の根拠―ギブソン心理学論集
K.Moriyama's diaryより。
ギブソンの遺稿を編集した"Reasons for realism"の抄訳らしい。さらにその大元となった遺稿集が
The Purple Perils: A selection of James J. Gibson's unpublished essays on the psychology of perception
ということらしい。ちなみにここでそのような遺稿がたくさん読めます。"Overt and Covert Attention"を1974年にギブソンが議論しているのに驚いたり。
目次


2004年03月23日

アフォーダンス続き

3/15のU.T.さんのコメントに関して。まだちょっとよくわからないのですが、U.T.さんの最初のコメントをパラフレーズすると、「知覚運動変換(たとえば、Arbibがやってるようなgraspingのプロセス)を説明するには、べつにアフォーダンスなんて言葉を使わなくとも、単純に、運動系から知覚系へのフィードバックと捉えればじゅうぶんではないか?」ということだったのでしょうか。それとも「アフォーダンスという言葉が扱っていることは、運動系から知覚系へのフィードバックと捉えればじゅうぶんではないか?」ということだったのでしょうか。つまり、「何を(知覚運動変換の調節なのかアフォーダンスなのか)」運動系から知覚系へのフィードバックと捉えているのかがよくわからなかったのです。私は後者だと思ってコメントを書いたのですが。
あと、「「運動系から知覚系へのフィードバック」にはいろんな段階のものがありますし」と書いていたのがまさにU.T.さんが書いた外在的(知覚フィードバック)と内在的(遠心性コピー)のことです。前者の研究のほうがたぶん楽でしょうね。行動しているときの視覚フィードバックが変わるようにすればよいわけで、プリズム適応とか のvisuo-motor illusionかがこの部類ですでにあるわけでして。しかしこれらが前者のみによって説明できるわけではないし、後者によってわれわれは運動の学習を獲得しているわけで、後者が重要なのは間違いない。で、どうやって研究しているかかといえば、現状では内部モデル(順モデルのほう)があることを示す、というやり方をしているわけですが、たしかに直接的ではないかもしれません。まあ、この先が面白い、ということで。

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# U.T.

アフォーダンスといってしまうと、色々なのを召喚してしまうので注意が必要かなと。進化生態論者なら、その生物種が生育する環境をあらかじめ神経系は生得的に「知っている」ことでしょうし、佐々木正人氏ならcross-modal integrationでしょう。結局、ギブソン原理主義だというのも理解できます。それぞれに個人的には好きなのですが・・・。意図したのは、現在の課題パラダイムに合致する方向性で重要な問題は何かということです。純粋に現象論者だと、この辺が甘くなる(というかあんまり問わない)。具体的な方法論で挙げられた例には全く同意です。順モデル・逆モデルと計算論的に定義されたのは目からウロコでした。

# pooneil

コメントありがとうございます。


2004年03月15日

アフォーダンスと脳科学 続き

認知主義的に脱臭したアフォーダンスをニューロン活動で記述するときには、べつにアフォーダンスと言わなくても、なんか別の名前を付ければよいのではないだろうか。たとえば"affordability"とか(ジェームスとパースとの間でのpragmatismとpragmaticismの話をイメージしつつ)、Arbibが使っている"action-oriented perception"とか。
もしくは(こっちのほうが正しい道だと思っているが)、逆向きの拘束条件をつける、アフォーダンスに関してギブソンが含意したことが脳科学に拘束条件を与えるようにしなければならない。たとえば、行動するときにのみアフォーダンスに関わると言えるようなものが立ち現れてくるようでなければおかしいと予言できるし、そのほかにもエコロジカルな視覚というのを成り立たせるための条件が脳科学を拘束するだろう。
不充分な勉強からかなり大胆なことまで言ってしまったことにちょっとビビり気味ではあるが、ギブソンがやったことが、有機体と環境との間で成り立つ知覚についてのある種の現象学的記述であるとしたならば、それと脳科学との関連を考えるのにVarelaのneurophenomenologyを持ち出すことはそんなに間違ってはいないのではないだろうか。

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# Correggio

Gibsonの心理学の一部が,神経科学に取り入れられたのは,単に偶然たまたまではないのではないか?

# U.T.

単純に、運動系から知覚系へのフィードバックと捉えておりますが…。ダメですか?

# pooneil

U.T.さん、はじめまして。お名前はほかの方の日記への書き込みなどから存じ上げております。SRのときには言及もしましたし。えーと、アフォーダンスについての言及かと思いますが、それでべつに良いのかもしれません。しかし、「運動系から知覚系へのフィードバック」にはいろんな段階のものがありますし、アフォーダンスという言葉を認知科学の枠組みで使うのは注意したほうがよいのではないか、というのがシンポジウムで会ったCorreggioさんとの話で落ち着いたところでした。アフォーダンスについての記述に関していくつかリンクされているのに驚いているのですが、私は素人なので、専門家に聞いたほうがよいかと思います(科学の分業化の弊害を体現してみる)。ちなみに私の興味はたぶん河野 哲也氏の「エコロジカルな心の哲学―ギブソンの実在論から」および現代思想の現象学特集でのギブソンとメルロポンティとの関連を扱った論文辺りにあるようで、かなり哲学寄りです。

# U.T.

SRの件、フォローありがとうございました。アフォーダンスについては、一応フォローしていたつもりで、入出力で考える今時の神経科学に最も似合わないと感じていたのですが、そういう話が出てきているのはちょっと驚きでした。どうにか、フォーマットに載せる上で、単純に考えるのは?ということで、コメントしました。フィードバックといっても、運動で変わる知覚を想定する外在的な形と、運動系から知覚系への逆行性の投射とかを想定する内在的な形が想定できます。実証的という観点では、前者の方が楽だなと感じています。刺激を操作するのは楽なんで。

# pooneil

U.T.さん、ありがとうございます。長くなってきたので返答は3/23に書きました。


2004年03月14日

アフォーダンスと脳科学

Varelaは脳と現象的意識の関係について、脳科学の知見(三人称)と現象学的世界(一人称)とが互いに還元不可能である一方で互いを拘束するような形で関係していると考え、この互いの拘束関係を取り入れていくストラテジーを"neurophenomenology"と呼んだ。脳科学とアフォーダンスとの関係についてもこれを援用できないだろうか。というのも、ギブソンがやったことは有機体と環境世界とで起こる知覚に関する現象学的記述なのだから*1。脳科学が言っていることと、(ギブソンが(「生態学的視覚論」で意味している)アフォーダンスが言ってることとの間はなんつーかカテゴリーエラーとでも言うか、違う世界を見ている。だからきっと、昨日言ったことは生理学者の出る幕がなくなることを意味しない。脳科学の知見はアフォーダンスが記述される世界について拘束条件を与える。たぶん、私はアフォーダンスをニューロンの活動へ「還元」することに反対しているだけなのだ。
それからもう一件、茂木さんの本での扱いについて。
茂木さんの「心を生み出す脳のシステム」を引っ張り出して、アフォーダンスの扱い(第五章)について確認してみた。茂木さんもこの辺はぎりぎりのラインを揺れ動きつつ書いていると思う。


「運動前野において見出された行為の可能性、ないしは行為のレパートリーを表すニューロンは……このような意味の行為の可能性は、ギブソンの言うアフォーダンスと関連している可能性がある。」(p.134)
「ギブソン的な意味のアフォーダンスに相当するものが私たちの認知プロセスに含まれていることは疑いようのない事実であり、行為の可能性を表す運動前野のニューロンが、このような意味でのアフォーダンスの生成のプロセスの一部を担っている可能性が高い。」(p.135)
「ギブソンが主張したのは、知性というのは、……脳や身体と環境との相互作用の中に埋め込まれているということだった。……むしろ、ギブソン的な視点からは、脳内のニューロンを見ても、知性についての本質的なことは何もわからないというようなことになりかねない。」(p.135)
「しかし、最終的にはアフォーダンスも脳のニューロンによって支えられていることはいうまでもない。運動前野において見出されている、行為の可能性を表現するニューロンは、アフォーダンスを支える脳内機構の一部を担っていると考えられるのである。」(p.136)

茂木さんは「アフォーダンスのneural correlate」というような表現はしていないし、かなり気をつけて書いている様子が見える。私が考えるような、アフォーダンスが記述される世界について脳科学の知見が拘束条件を与える、というのに沿っているようにも見える。しかし、このときのアフォーダンスはたんに「行為の記憶とコンテキストに基づいて事物からピックアップされる行為の可能性」という操作的な定義に基づけば充分であって、ギブソン心理学の存在論的、認識論的含意は不要になっている。このことは、逆方向の拘束、アフォーダンスが記述される世界が脳科学について拘束条件を与える、ということが欠けている、と言うことができるかもしれない。(3/15に続く)


*1:これが私が「ギブソン心理学の核心 」から読み取れたことの一つだ。

内部モデルまとめagain

  1. 目標とする軌道(x)を決める
  2. 目標を実現するための関節角(theta)を決める
  3. 目標を実現するための張力とトルク(u)を決める
  4. 軌道(x')が実現する
(「脳の計算理論」p.80の図よりまとめ) とあるときの 1.から2.が逆キネマティクスで 2.から3.が逆ダイナミクス。 1.から2.は座標変換と言ってもよかろう。1)から2)で行われているのは本当は何か。

2004年03月13日

アフォーダンスと遠心性コピー

Correggioさんへの返答を書いた際にまとめたこと(2)を加筆して以下に。(02:26加筆)

オートポイエーシスでも当てはまる話なんだけれども、家元とその継承者との間で概念がずれてくるようなときには、その概念がどう形成されたかに立ち戻って考えるべき、という立場を私は取っている。つまり、この点においては私は原理主義者であり、ギブソン自体の考えに基づいて考えよう(べき)だと思う。その点で「ギブソン心理学の核心 」(勁草書房)は非常に参考になると思う。

(アフォーダンス概念からの帰結として、)「アフォーダンスは、生理学的メカニズムや情報処理論に言及していない。 アフォーダンスは、「動物の環境との関係に関する記述」であって「認識のメカニズムの記述」ではない。したがって「生理学的メカニズムや情報処理モデルと合わないから」という理由でギブソンの理論を否定するのは筋違いである。」(「ギブソン心理学の核心 」(勁草書房)p.160)

また、ギブソン自身は

「環境の知覚が直接的だと主張するときには、それが網膜的画像、神経的画像あるいは心的画像によって仲介されてはいないという意味である。」(「生態学的視覚論」p.161)

という風に書く。ギブソン心理学は現象学的なアプローチを目指したゲシュタルト心理学の末裔であり、根っこは認知主義および表象主義そしてDavid Marr的な考えへの批判である。たぶん(ナイサーとずっと批判しあってたわけだし)。で、そんなに詳しくない私から見ても、アフォーダンスをニューラルネットワーク中のモジュールのように扱うのはどうにもおかしいことのように思える。

それで、そのようなアフォーダンスをどうやってArbibは認知科学と結び付けているのだろう、というのが私の疑問。Neural Networks '98では、「IPやF5やITから来た情報からAIPが抽出する」という感じに使っている。Arbibはけっしてナイーブな書き方(たとえば、情報を統合する、とか)をしてはいないのだが、けっきょくのところ、それだとまんま情報を表象していることになると思うのだけれど、それでよいのか? 情報そのものでよいのか? いや、定義的には、「事物が情報をaffordしている」ということになるのは確かなのだが、「直接知覚」の考えからすれば、アフォーダンスを脳が属性を分析して統合する形でどっかのニューロンが表象している、なんてことはありえないのではないか? それとも、行動に直結した形で、属性として分解されない形で処理されればよいのか? アフォーダンスはピックアップされるものなので、「ピックアップする」というある種の能動的な作用のneural correlateを探す、というのなら脳とアフォーダンスを結びつけるというのはありかもしれない。でもそれですら本当にいいんだろうか、私はまだ納得してない。

追記: ギブソンが見出したoptical flowは認知科学の中に簡単に取り込むことができた。MSTのニューロンがoptical flowをコードしている、ということもわかっている。それはたぶんギブソンの本意ではなかっただろうけど、この概念はそれだけ切り取って使うということがしやすい。しかし、アフォーダンスに関してはそうはいかないのではないだろうか。ギブソンがアフォーダンスという概念を使い出したのは、それを使うことによって、有機体と環境との関係からなる知覚を現象学的に記述するため(この点でオートポイエーシスと相通ずるものがある)であって、感覚運動変換の理論を唱えたかったわけではないのだから。(さすがに知ったかぶりしすぎか。)

アフォーダンスは行動する前から事物にあるのではない。行動してはじめてそのアフォーダンスがあった、と事後的にわかることになる。たぶん、何度同じことをしようが、その一回一回ごとにしか事物のアフォーダンスは現れないし、そのような形でアフォーダンスが現れるようでなければならない。その意味でもオートポイエーシスが作動しているときのみに作動の関係によって規定されるのとよく似ていて、センスには近いものを感じる。

なんつーか、アフォーダンスを記述するときには脳が見えなくなるし、脳を記述するときにはアフォーダンスが見えなくなる、という形の説明になってたらいいのかもしれないなと思う。

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# Correggio

「なんつーか、アフォーダンスを記述するときには脳が見えなくなるし、脳を記述するときにはアフォーダンスが見えなくなる、という形の説明になってたらいいのかもしれないなと思う。」といってしまうと我々生理学者は,出る幕はなくなってしまう?

# pooneil

Correggioさん、それでも出る幕はなくならないと思ってます。続きは3/14に書きました。


2004年03月12日

内部モデル

Correggioさんへの返答を書いた際にまとめたこと(1)を以下に。
「脳の計算理論」からいくつかピックアップ。
そもそも、逆モデル(もしくは順モデル)には、

  • 腕などの関節の角度(theta)から手の平の位置(x)を決める逆ダイナミクス問題
  • 筋肉の張力(u)から腕などの関節の角度(theta)を決める逆キネマティクス問題
とがある(「脳の計算理論」p.81)。
小脳はフィードバック誤差学習において逆モデルとして働いて筋骨格系の逆ダイナミクス問題を解いている(「脳の計算理論」p.201)。
そう考えると、PF->F5とかの大脳皮質のほうでは逆キネマティクス問題を解いている、と考えればよいのではないか(私の推測なので自信なし)。
視覚から運動まで全部つなげて考えてしまえば、
  • 知覚から運動の向きの情報伝達は外界の逆モデルと言えるし、
  • 運動から知覚の向きの情報伝達は外界の順モデルと言うこともできる((「脳の計算理論」p.397)。
これは拡大解釈かもしれないけれども、感覚系まで拡張できるアイデアではある。そして、Miallが書いているのにはこの種の拡大解釈なのではないだろうか。


2004年03月11日

内部モデルとミラーニューロン

Correggioさん、コメントありがとうございます。Miallの論文は読んでまして、1/18の日記で多少言及してます。これを読むかぎりだと、他者の行動を観察しているときにはSTS->PF->F5の回路が逆モデルとして働き、模倣して行動するときにはF5->PF->STSの回路が順モデルとして働く、という図式らしい。私の理解が間違っていなければvoluntaryな運動そのものでは、PP->PMv->M1は逆モデルを使っていて、この逆モデルを訓練するのに、PMv->PPcの向きの順モデルが働く、ということかと考えてます。もちろん小脳の関与は常にあるとして(私はどうもcortex以外をないがしろにしがちだけれど)。
それから、酒田先生の説については興味があって少し調べていて、12/31のSiriguの論文のところで多少言及してます。酒田先生のFARSモデルは、Arbibの論文 (Neural Networks '98 "Modeling parietal-premotor interactions in primate control of grasping.")としてしか読んでないので、もう少しこの辺、よくわかりたいところです。頭頂葉といってもいろいろあるので、実際どこがどう分担をしているかが重要だろうと考えています。たとえば、graspingとsaccadeではいろいろ違うところがあるだろうけど、何が共通しているのだろうか、とか。
そして、このメカニズムが自己意識を形成する一つの材料であることは間違いない。で、私の問題意識としては、はたしてその自己意識と、現象的な意識とはどう関係するのか、両者は同一なのか、別だが互いを要請する関係にあるのか、それとも別のものであって、何らかの形でdissociationが見られることがあるのか、ということなのだけど。
じっさい、neurologyでそういうのはないんだろうか、自己意識と現象的な意識との(double) dissociation。

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# Correggio

ちょっと長くなるので,メールでお返事をしましょう

# pooneil

メール確かにいただきました。ありがとうございます。お返事はメールとこの日記の3/12のところでということで。

JNS 4月号


2004年03月10日

Reza Shadmehr

Reza Shadmehrのwebサイト(reprintあり)。
Reza ShadmehrはEmilio Bizziと運動系のhuman studyをやって主にreachingの実行に内部モデルがどう関わっているかを研究してきた。とくにmotor memoryやmotor learningについてやってきた。 けっこう計算論っぽいところが強いので理解は厄介。
JNS '03 "Quantifying generalization from trial-by-trial behavior of adaptive systems that learn with basis functions: Theory and experiments in human motor control."
JNSの仕事は、reaching中に速度に従って力がかかる"force-field"でのarmの動きを被験者に学習させて、その学習が他の方向の動きにgeneralizeするかどうかを調べている。内部モデルは二つの種類のbasis elementを使って学習をgeneralizeしている、というのがその結論。
PLoS biology '03 "A Gain-Field Encoding of Limb Position and Velocity in the Internal Model of Arm Dynamics."
こっちも関連する話のはずだけれども、よくわからん。

Randy Flanagan

Randy Flanaganのwebサイト(reprintあり)。
Randy FlanaganはカナダのQueen's Universityの人。Umea大学のJohanssonnと一緒に仕事をしている。
Object manipulationをするときにactionのcontrolとpredictionとがどのように行われるかをhumanで研究してきた。この人は内部モデルの人で、ようするにactionのcontrolとは、「行動の目標(視覚)を運動指令(運動)に変換すること」(逆モデル)であって、actionのpredictionとは「運動指令(運動)からどういう運動結果が出るか(知覚)を変換すること」(順モデル)のことだ。
Current Biology '03 "Prediction precedes control in motor learning"
Motor learningの学習速度は、運動を予測すること(prediction)のほうが運動を制御すること(control)よりも早いことを示している。つまり、この結果はcontrolとpredictionという別のプロセスがあることの証拠である。
Nature '03 "Action plans used in action observation"
Natureで彼はRizzolattiらが提唱する"direct matching hypothesis"というやつの実証をしている。"Direct matching hypothesis"とは、「(他者の)行動を理解するためには、観察した行動(視覚情報)をその行動のmotor representaion(運動情報)に変換するメカニズム(逆モデル)が必要である」というもの。
積み木を移動させるタスクをやってるときの目の動きを見ると、人のタスクを見るときでも、動作より先に目が動いている。つまり、人の動作を見るときでもpredictionが働いている、ということを示した。
たぶんこのことは、逆モデルが(他者の)行動を理解するために必要であるということを示しているのだろう。

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# Correggio

こんにちは。ミラーと内部モデルとの関わりまMiallのReviewにもあります。Miall R.C. connecting mirror neurons and forward models NeuroReport 2003 14(17) 2135-2137 ところで,視覚と運動のマッチングという考えは,実は酒田先生が,ずいぶん前に頭頂葉でいっています。この場合には,遠心性コピーと物体の視覚情報のマッチングです。さらにこのとき,自己の運動の感覚フィードバックのことも示唆していました。

# pooneil

お返事ありがとうございます。長くなったので3/11のところに書きました。


2004年02月18日

Nature Neuroscience

"Random presentation enables subjects to adapt to two opposing forces on the hand."
川人先生 @ ATR。
これがどう多重内部モデル説につながるかはシンポジウムで聞きにいって学ぼうっと。

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# antares

いいえ、私は。ご存知のとおり、大ボスは行くようです。こちらは技官さんが充実してるので、やることがなさ過ぎて物足りないです。

# pooneil

おお、失礼しました。antaresはそちらでしたね。勘違いしてました、別の人と。メールの返事も出さぬまま済みません。また何か突っ込み入れてみてください。そちらの大ボスの論文でも読んどこうかな。

# antares

お久しぶりです。すごい充実なHPですね。楽しく読ませていただきました。この論文が多重内部モデル説とどうつながるのかは私も知りたいです。BizziのForce fieldとtaskは似ていますが。。。ちょっとしたことで、全然違うストラテジーになっちゃったりしますしね(私は理解不十分なので)。また教えてください。

# pooneil

コメントありがとうございます。お久しぶりです。なるほど、”BizziのForce field”がキーワードですね。ところでシンポジウムはいらっしゃいますか?


2004年01月20日

Nature

"Bayesian integration in sensorimotor learning."
Wolpert @ University College London。
でちょっと前に書いてたら(1/6)いきなりWolpertですよ、タイミングよすぎ。運命かも。
カーソルを動かしてtargetまで持ってゆくタスクで、visual feedbackが横にずれた位置(ずれの程度は不確定)に運動開始からtarget到着までの時間のどこか不確定なところから現れる。これらの不確定さがどのくらいtargetへの到着位置のばらつきに影響を与えるかを評価する、というもの。内部モデルが、運動(出力)の確かさと感覚(入力)フィードバックの確かさの両方を確率的に扱って最適化している、というもの。ぱっと考えた感じでは、自由度が大きくなりすぎて扱えるのか、とか思うのだけれど、そのほうが生物らしいのは間違いない。 ベイジアン的 or カルマンフィルタ的 or 最尤推定的プロセスは、有機体がそれまでの知識をそのつどの入力によって変化させながら対応していく、という点でも生物らしい、大げさに言えばautopoieticであると思う*1
感覚系について入力の推定をするのにベイジアン的な発想をしているのは今までに見たことがあるのだが、sensorimotor両方にまたがって、というのがいいと思う。それがどのくらい新しいかはまだ知らない。両方を扱うこと自体は、川人先生も感覚系、運動系それぞれに順逆モデルを使って最適化を図る双方向の回路というのを想定しているので、それの実験的検証、とでもいうステータスか。あと、どこが内部モデルなのかまだわからない。
というわけでまたほとんど読まずに書いてしまった。コンテキストだけにて。


*1:もちろんこれだけでautopoieticなシステムを作ることはできない。そのつど作り上げるものが元のパラメータ空間に新しい次元を加えることがありうる、というのがオートポイエーシスだから。


2003年12月31日

Nature Neuroscience AOP祭り again (1)

"Altered awareness of voluntary action after damage to the parietal cortex."
Sirigu @ CNRS。
Libetのパラダイム(一周/2.5secで回る時計を使って意思や認知の時間を報告させる)で、parietal lesionの患者ではvoluntaryなmotor intentionの時間の見積もりがずれる。このことから頭頂葉は自発的運動の内部モデルを生成している、とする。関連する論文に
Cerebral Cortex '03 "The Role of Parietal Cortex in Awareness of Self-generated Movements: a Transcranial Magnetic Stimulation Study."
があげられる。また、これはArbib-SakataらのFARSモデルと関連する。このモデルの一部には、premotor cortexでの運動命令(たとえばF5でのgrasping、FEFでのサッケード指令)が遠心性コピーとして頭頂葉(たとえばAIP、LIP)へ伝えられる、という考えが含まれている。私が知る限り頭頂葉が遠心性コピーであるという実験的根拠はpremotor cortexと比べた反応潜時が遅いことにあると思うのだが、それでは不充分に思う。ほかにないか調べる。Gottlieb and GoldbergのNatureでのperisaccadic remappingは根拠になるか。その意味でSommers and Wurtzのcollolary discharge (Science '02)も読むべし。


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