■ イースタンユース at ペニーレーン24行ってきた! (20251003)
(20251003) 10/3(金)のイースタン・ユース at ペニーレーン24行ってきた。よかった! イースタン・ユースは2024年3月の極東最前線以来2度目。(前回のレポのブログ記事)
開場15分前くらいに行って並んだ。自分の整理番号は171だった。並んでいるときに310番台くらいまでは声がかかっていた。当日券があったから、売り切れなかった模様。(でもライブ始まる前に後ろを見たら、最後列までほぼ満員だった)
~18:35に会場に入って、前5列目くらいを確保。
~19:06にスタート。「夜明けの歌」でスタート。一挙に胸が震えて持ってかれた。感情落ち気味だったので、ちゃんと反応できてる自分に安堵。
曲順は以前の福岡のセトリと(たぶん)同じ。
今回*は音がデカくて、正直この歳にはしんどかった。次の日一日中耳がキーンとしてた。まあ今回のツアーは「全国巡業 〜爆音列島2025〜」と謳っているのだし 爆音でなにも間違っていないのだが。耳栓を持ってきておくべきだったか。
(* 前回(極東最前線2024年3月)と比べても、爆音だった)
吉野氏のMCは僻みっぽい発言が多かったが、これはまあ前回もそうだった気がする。
あと、吉野氏もぼやいていたが、どうにも観客の反応が悪い。前の方で体揺らさずに直立不動している観客がいる。そういう音楽じゃないだろう?あと、誰もシンガロングしないし、(MC中に反応する)うざい観客(いい意味で)がいない。この辺りについては、イースタンではそういうものなのかもしれないし、コロナ禍でライブの文化が切れたせいかもしれない。
周りにうざがられてもいいからシンガロングするぞと意を決して、自分が歌詞を把握している曲 (「夏の日の午後」「砂塵の彼方へ」「雨曝しなら濡れるがいいさ」など)ではサビで叫ぶところだけ*シンガロングした。だって、「それが全ての景色を燃やしちまうだろ」とか、歌うしかないだろ?(ライブ後半はけっこうシンガロングしている客が多かった)
(* いちおう常識的な範囲で)
アンコール2回で終了したのが~21:10。トータル2時間くらいの演奏だった。全曲体を振っていたら、はじめの1時間でもう足がガクガクになった。正直1時間くらいが自分的には精一杯。
終了後にステージを撮影。吉野氏はYAMAHA SG-1000を2本を取り替えて使ってた。(チューニングがズレたタイミングで交換?)
客層は男女比5:1くらいか。年齢層は自分よりも若い人(30-40代くらい)がメイン層っぽかったが、自分と同年代かそれ以上の白髪の人とかもいた。(ちなみに自分は吉野氏とは同い年)
そういうわけで、観客として2時間全力投球してたいへん満足できたのだが、自分の体力的に限界も感じた。全曲知ってる曲だったが、歌詞を覚えている曲が少なかったのは忠誠度が低かったと言わざるを得ない。(ライブごとに予習して思い出す、みたいな参加の仕方だから。)
そういうわけで、つぎのライブ(オウガ)に向けて予習を始めるのだった。
■ toeライブ at ペニーレーン24行ってきた! (20250501)
(20250501) toeライブ at ペニーレーン24行ってきた。よかった!
今回のライブは、
- センターステージだから収容人数が少ない
- わたしがチケットを買った直後にソウルドアウトした
この2つの条件から、早めに行ったほうが良いと判断して、18:30の会場オープンに合わせて到着。18:50あたりに入場できた。
自分の整理番号は359でほとんど最後尾。370-380くらいまでで最後だったはず。ということは、no showの人数を考慮すると、観客の人数はたぶん300人ちょっとくらい。
センターステージ方式なので、間近で演奏してくれるのが最高。私は入って右側で前から3列目。
写真にあるように、ど真ん中に演奏の場所を作ってあって、上げ底とかないので同じ高さで演奏している。路上ライブ的。私のいる場所は入って右側で、写真の右側に見切れた部分には座って観ることができる席もあった。
19:30開演の予定が10分遅れでスタートして、アンコール込みで終了が21:25(2時間弱)。
セトリは前半は福岡のときとほぼ同じ。福岡のときのセトリでYoutube Musicの再生リストを作ってある。
「LONELINESS WILL SHINE」でスタート。ボーカル曲はライブで聴くと力強かった。
「風と記憶」もライブだとドラムとベースがドライブさせてくれるので、めちゃ体を揺すった。
ニューアルバムの曲が中心だったが、なんかの曲のときにイントロで客が湧いてた。あれは以前のアルバムの曲のはず。(「エソテリック」をやったのは覚えているので、たぶんそれ。)
後半から児玉奈央氏と徳澤青弦氏が参加して「WHO KNOWS ?」を歌ってた。このあたりは福岡のときとは違う。たぶんセトリ的には「サニーボーイ・ラプソディ」の前に「WHO KNOWS ?」が加わった以外は福岡とほぼ同じ?撮影した写真にはセトリを書いた紙が写っていたが、小さすぎて解読できない。
ライブの後半では客演の児玉奈央(ボーカル)と徳澤青弦(チェロ)が加わった。アンコールの2曲目で二人とも再登場して、「グッドバイ」に参加。これがすごくよかった。
写真、録画は禁止のアナウンスが出てたけど、アンコールで山嵜氏から、いまから写真だけならOKなのでSNSで宣伝してほしい、というアナウンスがあったので撮ったのがこの写真。
ポストロックの曲って終わりが唐突で拍手しにくいことがあるが、今回はなんか親切設計だった。
そんなかんじでたいへん満足したのだけど、会場を出ると21:30過ぎ。今回はまだ肌寒い季節だったので自転車で来るのは避けておいた。このまま帰るのも名残惜しいので博多ラーメンを食ってJR琴似駅に到着したら、次の札幌行きは20分後。JRってそういうもんだったわ。
そういうわけで、自転車で来るのは意外と理にかなってることが判明。桑園のイーオンに寄って、半額弁当を買って帰るというのがいつものパターンなのだけど、案外ベストアンサーだったみたい。
■ 第1回CHAINシンポジウムで講演しました(スライドあり)
第1回CHAINシンポジウムで講演をしました。
CHAINシンポジウムはCHAIN教育プログラム履修生を中心とし、CHAINに関わる方々の相互交流、CHAINの活動を知っていただくことを目的として、今回第1回が2025年9月9日に開催されました。
第1回は、本センターからの講演者としてわたくし吉田正俊が登壇し、ゲスト講演者として沖縄科学技術大学院大学(OIST)から本センターの連携研究員でもある谷淳さんにも講演していただきました。2人の講演の後ではパネルディスカッションも行われました。
これらの講演と議論を録画したものが、CHAIN youtubeチャンネルで公開されています。
スライドについてはこのブログで公開しておきます。
「行為する意識」 (2025年9月9日開催 CHAINシンポジウム講演のスライド)
当日使ったものから、著作権を考慮すべき部分について削除または差し替えを行っております。ダウンロード可能。書籍で使用している図については、CC BY4.0ライセンスを採用しています。
内容について少々語ると、このスライドは、2025年5月に出版された著書「行為する意識: エナクティヴィズム入門」(吉田正俊+田口茂)に沿った内容となっています。意識に関する研究の流れを追いながらそこにある問題を指摘し、それを克服するための方策として、予測的処理、エナクティヴィズム、神経現象学について説明します。そのうえで、「脳の過程と意識の過程の絡み合い」という考えを提案して、著者なりの神経現象学を提案しています。
著書「行為する意識: エナクティヴィズム入門」を買う前に内容を知りたいという人にとっては、あらかじめこのスライド(と講演動画)を見てもらうとよいと思います。
また、著書「行為する意識: エナクティヴィズム入門」を読んだ方にとっては、そのさきについてどう考えているかもこのスライド(と講演動画)で語っています(p.90-95)。ざっくりと言うならば、エナクティヴィズムを提唱したフランシスコ・ヴァレラは、それを当時の知覚、認知、進化の研究が持っていた、認知主義的、表象主義的な態度を批判したうえで、それに対するカウンターとして、エナクティヴィズムという考えを導入していたわけです。
私自身も「行為する意識: エナクティヴィズム入門」においては大枠はそのような流れで書いてあるのだけど、どうもしっくり行かない感じがする。
つまり、エナクティヴィズムは古典的な表象主義(「意識の神経相関」のようなアプローチ)については批判する。無意識的推論(ベイズ脳仮説)も見た目は違うけど表象主義を採用している。だからといって、それを間違っていると主張し、それに取って代わるものとしてエナクティヴィズムを置くことは、エナクティヴィズムですべての現象を説明しなければならないという立証責任が生まれる。じっさいにはそれに成功してない。そして、そんな必要はないのではと思う。
それで出版後にたどり着いた比喩が、「エナクティヴィズムと無意識的推論(ベイズ脳仮説)の関係は、非平衡系の物理と平衡系の物理のような関係ではないか」というものです。
逆さ眼鏡のような介入や、発達期の視覚のようなダイナミックな過程を説明するところにこそ、エナクティヴィズムの強みがある。しかし、いったん感覚運動カップリングが安定して繰り返し再現される、習慣された状況(=平衡系)では、確率的に事象を扱うことができるので、無意識的推論(ベイズ脳仮説)が役に立つ。
では、エナクティヴィズムは無用なのかというと、そんなことはない。われわれの認知と生命はつねに揺らでいる(=非平衡系)。意識の理解において、この揺らぎは無視できない。だからこそエナクティヴィズムは不可欠。
そしてじつのところ、エナクティブな視点はあらゆる事象に関わってくる。しかしそれは、習慣化されていない状態に立ち返る必要があるときだ。
そのための説明として、「蝶と蛾の世界」*の話をした。 (* これは自由エネルギー原理の説明をするときにいつも使うネタなので、知らない人は著書「行為する意識: エナクティヴィズム入門」もしくは吉田のFEP入門のスライドを見てほしい)
世界に蝶と蛾しかいないときは、観測値(網膜の活動パターン)と隠れ状態(蝶または蛾)との間に繰り返し再現される統計的パターンがあり、それをわれわれは「生成モデル」という同時確率分布として持つとするのがベイズ脳仮説、予測誤差最小化の前提だ。しかしそこにバッタが現れたとしたらどうなるか。このとき蝶または蛾のみを集合として持っていた隠れ状態の空間が壊れてしまう。このとき、ベイズ脳仮説、予測誤差最小化の確率的枠組みはいったん無効になる。そこで起きていることを知るためには、その確率的推論が埋め込まれている神経ネットワークのレベルに立ち返る必要がある。
そこではまずバッタが現れたときに、誤分類を起こして、蝶または蛾であると推論することになるだろう。しかしそれが繰り返されてゆくとき、どこかでバッタに固有の意味が付与されたとき(たとえば、蝶も蛾も美味しいが、蝗はもっと美味しいことが判明したとか)、[蝶、蛾、バッタ}を集合として持つ隠れ状態の空間の作り直しをしていることになる。
この例も感覚運動カップリングが安定して繰り返し再現される、習慣された状況が壊れたときのことを想定しているけれども、それは「意識」とかややこしいものを持ち出さなくても、学習というダイナミックな過程で起きていることだ。
(計算理論の中で破綻なく話をすることは可能だ。あらかじめ隠れ状態の空間として、蝶と蛾と、それ以外の可能性もあるけどそれらはすべて生起確率をゼロとしておけばよい。でもそのような処置をあらかじめ用意することはできない。「バッタが現れる」という想定外のことが起きてから、後付けでそのように説明することができるということに過ぎない。)
「行為する意識: エナクティヴィズム入門」では、このような、実際にやってみないとわからないものを、行為的媒介と呼び、可能化条件として非自明な制約が過程と過程をつなぐものとして、生命や意識の構造について議論したのだった。
話が長くなったので、いったんここで切っておきたい。CHAINシンポジウムでは、質疑応答の中でも有意義な質問が数多くあった。そのあたりは録画の方を見てほしい。
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- / 投稿日: 2025年09月29日
- / カテゴリー: [吉田+田口「行為する意識: エナクティヴィズム入門」]
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■ 札幌から小樽まで自転車で往復してきた (2024/5/18)
(2024/5/18) 札幌から小樽まで自転車で往復してきた。往路のGPSウォッチでの記録。35.79 km in 1:57:37 (18.3 kph)。帰りはGPSウォッチが電源切れで計測できず。
てっきり新興住宅街に「富士見台」って名付ける昭和的センスだと誤解していた。星置は発寒とともに、札幌で始めて和人が入植した場所(江戸末期)で、当時から「ホシホキ」だそうな。ソース: 「星野・ほしみ・星置の地名の由来」
JR銭函駅から朝里駅までは海沿いを行く線路で駅間距離が11kmあるのだけど、並走する道路がない。山の中を走る国道5号線(日本海オロロンライン)を行く必要がある。高台から海を見下ろせるのでいいかんじ。ジョギングしている人を5人くらい追い越した。けっこう過酷だと思うんだけど。
オロロンラインは自転車レーンがないので、車道を走ると時速100kmで爆走している車に抜かれたりして、命の危険を感じる。
けっきょく、ほしみから小樽築港までの14km (最高高度150m)に45分くらいかかった。
鱗友朝市で小樽丼。ここは観光ルートから外れているので穴場。12時前に到着したら、並ばずに座れた。
んですぐ隣にある小樽市総合博物館 本館へ。ここが今日の目的地。手宮駅の跡地に鉄道が保管展示されている。ここはすばらしい。
小樽の観光地っぽいところも寄ったけど、すげー混んでた。街の様子だけ見て退散。往路で力尽きたので、復路はゆっくり帰った。
往復してみての感想:今回サイクルグローブを初めて使ってみたけど、手の衝撃が抑えられて有効だった。指出しグローブって古のオタクのステロタイプで恥ずかしいと思ってたけど、グローブ重要。
一日で合計70km, 4hrは自分にとっては限界だった。ロードではなく小径車だからというのもあるけど。
いつかは札幌-旭川(150km)を自転車でと考えていたけど、輪行して滝川-旭川(60km)くらいのほうがよいかも。
■ 「ツバサ、紅葉山砂丘、ローレイ・オルガン」(さうして、このごろ2024年5月前半)
(2024/5/2) 異世界転生IIやっと第15話まで観た。ナナホシ回だったのだけど、特殊EDがすごくよかった。
ナナホシが宴会で楽しそうに木のスプーンをマイクに見立てて歌うカットからイントロが始まって、聞き覚えあるけど何だっけ?と記憶をたどっていると、懐かしい歌が始まって、ナナホシが歌っている。そうするとさっきのカットも、異世界にあるはずのないマイクでカラオケを歌っているシーンなのだと気づいて、しかもその曲は故郷からの旅立ちの歌で、ナナホシの望郷の思いの強さに涙が出てきてしまった。
感想サイトを漁ってみると、9話の段階でナナホシが鼻歌でこの曲(アンダーグラフの「ツバサ」)を歌っているという指摘がある。確認したら本当だった。ああすごい。
前述の特殊EDの件だけど、見直してみると、ナナホシが木のスプーンをマイクに見立てているカットはイントロが始まったときは提示されているのだけど、歌が始まるとそれは消され、画面は全面スタッフロールに切り替わる。このため短期記憶が要求される。もしこのカットを消さずに歌が始まるのなら、ナナホシが歌っているということがもっとベタに分かるはずだ。(そのカットを縮小して、その隣にスタッフロールを流すというのはよくある演出だから。) でも意図的にそうしてないのだろうが、その意図はなんだろうか。さりげなくしたいということもあるけど、画面を消すことで歌詞を聴くように誘導しているのかもしれない。
まだ言葉が足りないな。初見でこのカットを見たときは、宴会で(これまで見たことがないような表情で)楽しそうにしているナナホシのカットとして見逃される。でも特殊EDでナナホシが歌っていることに気づくと、さっきのカットは「木のスプーンを、異世界にあるはずのないマイクに見立てて、異世界にないカラオケで、ナナホシが転移されてきた5年前くらいにはすでに名曲として定着していた歌を歌っている」ということが判明する。それは短期記憶を駆使するか、もしくは見直さないとわからないようになっている、こうだな。
原作ではここで歌う曲が「ガンダーラ」だったらしいのだけど、それを差し替えたのも、良い改変だと思った。
「板橋区徳丸のスリバチ地形」 こういうの大好き。歩いてみたい。
地形図もあった。なんかすげえ。
(2024/4/29) 同じく地理ネタ。東京の場合、5000-6000年前の縄文海進で武蔵野台地の東は海に沈んでいた。同様に札幌の石狩平野も海の下だった。 ここまでは知っていたのだけど、縄文遺跡のある場所として「紅葉山砂丘」というのを知った。現在の海外線よりも内陸に、細く砂地が伸びているらしい。宅地造成でだいぶなくなっているが、まだ訪問できるスポットが点在してる。これは自転車で見に行きたい。
PDF: 紅葉山砂丘/6000 年前の海辺から陸地への変化と人との関わり
紅葉山砂丘の地形、要はサロマ湖の砂州みたいなものが、いまの石狩湾の内陸5kmあたりにできて、それが海が下がって陸地の中に含まれたということだな。
(2024/5/9) 以前言及した「紅葉山砂丘」だけど、自転車で行ってきた。このページの地図から逆向きのルートで。
写真1: 地図の(9)。紅葉山33号遺跡は公園の中にある。うしろのこんもりしたものが砂丘跡だろうか?とくに説明板とかは無し。
写真2: 地図の(3)。保育園の裏に砂丘らしくものが残ってる。
写真3: 地図の(1)。オタベリヶ丘の砂山。観光スポットというかんじではないが、新興住宅街の中で、このあたりだけ林が残っていて、こんもりとした丘が点在していて、それが砂丘の跡という、そういう風情がある。
帰りは行き当たりばったりで。発寒川沿いのサイクリングロードを見つけた。川沿いを4kmくらいで気持ちよく走れる。歩いている人もぜんぜんいないので、歌いながら走った。
サイクリングロードが終了した道を南下すると、建設会社の敷地に札幌市電が保管されているのを見つけた。「新琴似」行きになっているところが味わい深い。とはいえここは新琴似駅からはだいぶ離れているのだけど。
ウィキペによると、鉄北線が札幌駅前から北大前を通り 新琴似駅まで全線開通したのが1964年で、1974年に地下鉄開通に伴って廃止されてる。
帰り道で「グルメファクトリー 新琴似店」に寄って、ホルモンを買って帰った。店構えとか店内のシステム(小型ホワイトボードに買いたいものを書いて渡す)が「トリッパ」と同じなので、系列店だろうか?牛サガリとシマチョウを買って食べたが、シマチョウがよかった。ここは再訪したい。
あと、屯田6条12丁目のバス停、車庫にも通りかかった。北大前の西6丁目通りを歩いていると「屯田6条12丁目行き」のバスというのは飽きるほど見かけるのだが、終着地には初めて訪れた。バス停は、運河沿いの寂れた住宅街で、商店もコンビニもない場所だった。
寝る前にスマホで読むコミックについて、無料分を追い求めていたら「逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件」にたどり着いたけど最高。髪飾りがメリケンサックってwとか王子のストレートでバラが咲くのかよwとかコメント欄と心を一つにできる。
「私にだけテンパる上司の話」も独特に面白い。「わたなれ」もはやくアニメ化してほしい。「れな子が悪いんだよ」ってご唱和したい。「継母だけど娘が可愛すぎる」「ジャンル、変えさせて頂きます!」も面白い。寝るヒマがない (<-はやく寝ろ!)
Togetter: 「文化人類学では基本的に『途上国』『先進国』って言葉を使いません」
この件、文化人類学にもの申す意図はないので、自分事として考えておきたい。
エナクティヴィズムは反表象主義的だけど、そこで「「表象」なんて言葉は使いません」なんて言うと同じ隘路にハマる。「神経表象のような、表象でないものには「表象」の語を使わず、「マッピング/対応関係」の語を使うべき」とか、「「表象で説明する」のではなく、「表象を説明する」に発想転換するべき」とか、その都度もっと解像度の高い言い方をする必要がある。
ブログ記事について補足。
橋本治を再読して考えたのだけど、「自分の頭でものを考えるこのと重要さ」これって「合理的判断」と「情動に基づく判断」のせめぎわいの問題だ。身体を持つわれわれ人間は「情動に基づく判断」から逃れるのは難しい。(例: トロッコ問題でのpersonal condition) それがいまのイスラエルのガザ地区攻撃を説明すると思う。(荒れないように多くは語らないが、岸田秀による「日本国家についての精神分析」と同じ手法であの件を語ることができると思った) このような意味で、橋本治の「自分の頭でものを考えるこのと重要さ」って今にして思えば、だいぶ知識人的な議論だなと思った。
あと訂正:「宗教とは、この現代に生き残っている過去である。」だった。
あと、橋本治は「宗教なんかこわくない!」で、当時ブッダの生涯について別件で調べていたと書いてある。それってどの作品かと調べてみたら、「サイケ歌舞伎 月食」の脚本(1994)だったみたい。
Mike Ratledgeはハモンド・オルガンが高くて変えなかったのでローレイ・オルガンを買ったというエピソードがある。progarchivesより:
「weedyな音質(Ratledgeの言葉)に悩まされ、(…)ファズ・ボックスを使うことで改善した。このセットアップをマーシャル・スタックに接続すると、ボリューム・レベルを著しく狂わせることができたが、(…)ラトリッジは音符と音符の間の空白を避け、レガート・スタイルでソロを続けることでハウリングを防ぐことができることに気づいた。」
ベネットの本によれば「オルガンにファズ・ボックスを使うことを最初に思いついたのはマイク・ラトリッジだったらしい 」ともある。ググってみたところ、ベネットの本、とはこれのことだろうか: "The Canterbury Sound in Popular Music: Scene, Identity and Myth"
「Lowreyには、Ratledgeが有効活用した多くの機能(例えば、ノート・ベンディング)があった」というのを見て、ああ、"Why Are We Sleeping?"のあれか!と合点がいった。
お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
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- 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
- 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
- DKL色空間についてまとめ 20090113
- 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
- ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
- Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
- 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
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