■ 「春よ来い 2024」(さうして、このごろ2024年3月前半)
小山田圭吾の件は当時リアルタイムでクイック・ジャパンの記事も読んでたし、後の炎上によってとくに聴くのをやめようとは思わなかった。 でもeufoniusの菊池創が炎上したときは、それから「メグメル」を聴くことができなくなった。 自分を振り返ると、けっきょく理屈じゃなくて感情の問題なんだなって思う。
「今夜はブギー・バック」リリースから30年だって。
1990年代の曲を喜んで聴いている55歳を相対視するならば、自分が大学生のとき(1990年代)に、親がその30年前の曲(1960年代)を聴いているのに相当する。こう書いてみると、そんなに違和感ないな。
自分が小中学生の頃は、仕事場(メリヤス工場)のAMラジオから「恋のバカンス」「恋の季節」「花の首飾り」などが流れてくるのに馴染んでいた。加山雄三の「旅人よ」とか今でもギター弾いて歌う。函館行きの飛行機を見かけたらつい「函館の女」が頭の中で流れるくらいには、馴染みがある。当時のヒット曲って今でもだいたい歌えるわけで、それって貴重な財産だよな。
はじめてギターで弾き語りした曲は「四季の歌」だった。あれはコードが Am, Dm, E7だけで、Fを抑えなくて済む。
ギターを始めたときはFコードを押さえるのに苦労した。でもその理由は単純で、最初のギターは叔父から借りた、クラシックギターにスチール弦を張ったものだったから。弦幅が広いし、そもそもコード弾きには向いてなかった。
しかもギターのピックを持ってないので、人差し指一本でストロークしたがうまくいかない。けっきょく、寿司の持ち帰りセットの蓋の部分みたいな、透明なプラスチックを自分で切ってピックとして使っていた。あれは中学1年生のこと。
Ableton live 12が出たのでさっそくインストールした。見た目もちょっと変わってる。
ブログではこんなこと書いてたが、けっきょくSuite版買っちった。ウェ~イ。
(3/2) 札幌の雪は災害であり、ハンデであり、可能ならもう二度と雪など降ってほしくないと考えていて、けっして雪を美化するまいと考えている。でも先週末の雪(3/2夜)はたぶん今年最後の雪らしい雪で、集中力の必要な仕事(脳切片の作成)を終えて疲れ果てた帰り道に、いつの間にかすっかり積もっていた雪を見たときは、ついついスマホで写真を撮影してしまった。
(3/3) 切片をスライドガラスに貼り終えて、それでもまだ日が高かったので、八軒の業務スーパーまで自転車で行った。
これがなかなかたいへんだった。大学から業スーまでの4.3kmは、ふだんなら自転車で15分で行ける距離だけど、道の雪がカチカチのところと融けてガサガサの部分とが混ざっていて、タイヤが取られて激危険な道だった。なんとか転倒せずに到着した。25分くらいかかった。マヂ偉業。
地下鉄で行ける狸小路店ではなくて、わざわざ八軒店まで行ったのは精肉コーナーがあるから。ラム肉500g 900円をゲットして帰った。その夜サニーレタスにくるんで号泣しながら食べた。自分へのご褒美。
(3/10) 今日も丸一日切片貼り。こんなに組織学やるのは20年ぶりかも。ギリギリ2X時前に終了したので、人間らしい生活と言える。
で外に出てみたら、またもや雪が降って積もってる。月曜から気温が上がって雪解けと聞いていたので、ホントのホントにこれが最後の積雪だろう。
今回の冬は自転車を使いこなせたということもあって、だいぶ精神状態が悪化せずに済んだ。この調子なら、あと10年くらいは乗り切れそう。
「鳥山明追悼から発生した「鴨川つばめ再評価」論」 この史観はけっこう同意できた。
途中のツイートにもあったけど、「マカロニほうれん荘」は連載期間1977-1979に限られた年齢層の読者に強烈な影響を与えてるんだろう。私は当時小学校高学年だったので、鴨川つばめはまさにマンガについての原体験だった。
その後は80年代ジャンプ黄金期のバトル漫画(キン肉マン、DB、)に興味が持てず、スポーツ&ラブコメ経由で90年代のビッグコミックスピリッツ、ヤングサンデー、とかに移っていった。
■ 「20周年、ふつうの軽音部、ブルスカ」(さうして、このごろ2024年2月後半)
(2/17) いま気づいたけど、2003年11月にはてなダイアリーを始めてから私のブログ 「pooneilの脳科学論文コメント」の20周年が過ぎてた。いちおう月1ペースで更新をし続けてる。今後も、バズらず、炎上せず、細々と続けていこうと思う。
秋アニメは「豚レバ」を追ってきたけど、けっきょく第9話で万策尽きて、最終話が2月まで延期という残念な展開だった。
それでも構成とシナリオは原作の理解度が高くてよかったと思うし、映像もアクションシーン以外は破綻してなかった。原作のラノベ1巻分をじっくり映像化してくれたし、松岡劇場も堪能できて、自分的にはこれを選んだことに悔いはない。
ジャンプラの「ふつうの軽音部」って11話まで来たのに、いまだに「ルーキー版のほうが良かった」って言っている人がいる。
あれって「デッサンを最終的なイラストにするところでなにかが消えてしまう現象」と同じだと思う。つまり、ルーキー版でなぐり書きで書かれたものに読者側が自分の想像込みで読み込んでしまうから、ジャンプラ版でそれの清書が出てくるとコレジャナイ感が出るということ。
ともあれルーキー版で連載されている箇所よりも先に話が進めばもう比べようがないから、はやくそこに辿りつくのを見たい。
自分は「ルーキー版は書き分けが下手だったので、ジャンプラ版で脇役の解像度が上がってハッピー派」です。
Dropboxってある時期から、あるPCで更新したものが、べつのPCから見るとタイムスタンプが古いままなので、ファイルの受け渡しが不便になった。(なにか編集したファイルを受け渡しする際は、タイムスタンプが最新のファイルを探すのがいちばん手っ取り早い方法だったが、それが使えなくなった。)
どういうことかと調べてみたら、どうやら同期の仕方を「オンラインのみ」にすると、ダウンロードするまではタイムスタンプが更新されない、という仕様らしい。筋は通ってるかもしれないが、不便じゃない?
「時短! ゆで卵を茹でずに作る方法」 これやってみた。冷蔵庫から出してすぐの卵(画鋲で穴を開けておく)を1cmのぬるま湯から始めて、沸騰してから中火で4分、火を止めて4分置いて水で冷やす。
この条件でやってみたら、黄身がとろとろで崩れるギリギリくらい。ちょっと柔らかすぎか。うちの環境では5分置くか、中火で4分を4分半にするのが正解かも。
「水から火にかける」の水の温度とか、「中火」の加減とか、そのあたりがバラツキを生むのかも。「画鋲で穴を開けておく」は自分で加えた。あと、なんどか転がして、ムラが無くなるようにした。
ブルスカでフェデレーションができるようになった、とのアナウンスが来た。
これは私にとっては重要なニュースだ。これまでレンタルサーバー(さくらインターネット)でブログをやってきた。ブルスカの情報についてもそちらに集約することで、データを自分で持てるようになる。
そのためには、Blueskyに接続するサーバをレンタルサーバーに立てる必要があるが、さくらインターネットではすでにマストドンについてもスタートアップスクリプトを用意してくれている。おそらく早晩ブルスカについても用意してくれるだろう。それまで待ってみる。
プロトコルが違うので、TwitterやMastodonとこのままつながることができないのは理解している。でも、TwitterやMastodonに書き込みしたことをエクスポートして、それを自サバでのブルースカイにインポートできないのだろうか?そうすれば、これまでのすべてのSNSの書き込みを、ブルースカイで管理できてうれしいのだけど。
ブルースカイ自体の仕様としては、あとから記事を書き換えることができないようになっている。だからもしかしたらインポートとかはできないのかもしれない。
まあこれからもっと情報が出てくるでしょう。
"Psych-Out" (「ジャック・ニコルソンの嵐の青春」)を飛ばし観していたら、Flipper's Guitarの"The Quizmaster"の頭で聴いたことあるのが聴こえてきた。ここからサンプリングしていたのか!
いまはてな匿名ダイアリー(増田)で話題となるのが「40代での婚活」だってのが感慨深い。10年前に話題となったのは「就活、転職、会社の飲み会断る話」だし、20年前に話題になったのは「非モテ、サークルクラッシャー」だった。そう考えると、はてなのコア層は就職氷河期世代からもうちょっと若いあたり(ゆとり世代)なんだろうな。
「クラスマガジン」って概念があるけど、はてなも同じで、2005年くらいに大学生-新卒だった若いギークを対象に、そのまま持ち上がって続いているのだろう。
何が言いたいかというと、自分ははてなの文化が好きだけど、あれってすごく限られた視点なんだよな。
いまの大学生にとっても、「非モテ」や「サークルクラッシャー」とかは変わらずインパクトがあるはずなのだけど、はてな界隈で話題になったりはしない。擦られすぎて面白い話題にならないからかもしれないし、はてなではなくてべつのところで話題になっているのかもしれない。
(と思ったが、「ぬいペニ」とかは最近だな。)
■ 「自転車置き場、イトーヨーカ堂、さっぽろ雪まつり」(さうして、このごろ2024年2月前半)
このブログ記事は良かった: 拝啓、松本人志様
これを見て思い出したけど、この人にとっての松本人志が、私にとっての北野武だった。小学校6年くらいで出会ったビートたけしは私の精神の形成に大きな影響を与えた。当たり前すぎて、はじめて言語化したかも。
昔の私は容赦ないツッコミと毒舌の芸風だった。それによる失言を重ねて痛い目にあって、けっきょく大学を卒業するくらいまでにそういうキャラからだんだん脱却していったのだけど。
その後北野武が映画監督になったり文化人枠になった頃、私はもう高校生くらいで、その影響を無意識化して忘れ去っていた。
(2/8) 自転車置き場までの道が雪に埋もれて、坂を乗り越えないとたどり着けなくなった。しばらくそのままなんとかしていたけど、そろそろ滑って転びそうなくらいの高低差になってきた。誰もやらないから自分でやるしかない。これが試される大地か。
そういうわけで意を決して道を作った。今週の最大の成果物です。
住んでる近くの歩道に積まれた雪。高さが3mくらいある。全ての雪を、生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての雪を、この手で。
「イトーヨーカ堂が北海道から撤退」ってニュースを見てびっくりした。(サッポロビール園の隣りにある)アリオ札幌は2005年に開店して、まだそんなに古びてないのだけど。
調べてみたが、ショッピングモールが閉店するのではなくて、中に入っているスーパー部分が「ダイイチ」に入れ替わるということらしい。ダイイチならいいかも。ダイイチ八軒店はお惣菜が安くてけっこう重宝している。
これに関連して、すでにいくつか店が閉まってた:「「アリオ札幌」リニューアルに伴いテナント7店舗閉店、「ヨーカドー」は食品・日用品売り場のみに」
(2/9) さっぽろ雪まつり大通会場に行ってきた。風はないが気温は低くて、沢山の人が踏みしめた道がツルツルになってた。
今年の雪ミクのプロジェクションマッピングはイマイチ。雪像と連動した仕掛けがほとんどなかった。去年の様子はこちら
去年との違いといえば、昨年は30分に一回しか流れなかったのであまり人がいなかったけど、今回は5-10分に一回くらい流れていたので、けっこう人が滞留していた。
らきすた20周年にはびっくりした。立ち止まっている人はあまりいなかったが。アーリャさんが宣伝されているのは、なるほど旬だなと思った。
(2/13) 札幌は気温が10度を超えた。55年ぶりの記録的な気温とのこと。
自転車置き場までの道の雪が柔らかくなったチャンスに雪かきをしたのだけど、汗だくになった。
あと、道の雪が融けて柔らかくなっているので、自転車漕ぐのがたいへん。しまいには諦めて歩いた。
■ 「給料はあなたの価値なのか」から「大腸菌の予測」まで徒然と考えてみた (20240922)
夏アニメで継続して観ているのは「逃げ若」「推しの子」「マケイン」「ロシデレ」まで。
秋アニメはいまのところ視聴予定は「リゼロ3期」だけで、「アオのハコ」「結婚するって、本当ですか」は1話の出来をみて考慮する。
「ふつうの軽音部」の38話で「バビルサの牙が折れた」ってのが繰り返されてて、なんか意味ありげだなと調べてみたら、バビルサってあれか、「牙が伸び続けると脳に刺さる」「性淘汰で牙が長ければ長いほど強い」とかでネットで話題になったアレか。「才能に溺れる」のメタファーに使われてそう。
wikipediaではそこまで書かれてないのだが、「牙は脆く、オス同士の闘争で使用されることはほとんどない」とかは面白い。
ブルスカに来てからはコミックやアニメを題材に語るようになった。文章修行の一環として(言い訳〜)。
Twitterで書いてたときは、学問的なことを書く本アカと、オタク語りを鍵付きアカで分けてた。
でもブルスカに移ってきたら、関係者はほぼ誰も見てないということが判明したので、2つに分かれていた人格を合体して書くようになったら、ほとんどオタク語りだけが占有するようになってしまったのだった。
結果としてザッカーバーグの「2つのアイデンティティを持つことは整合性の欠如の一例だ」を不本意ながら実践していることになった。
ザッカーバークの「2つのアイデンティティを持つことは整合性の欠如の一例だ」については2012年に「そんなのリア充の強者の論理だろ」という趣旨でブログ記事を書いてる。
今もその考えに変わりはないけど、こうして自分のブログを読み返してみると、コロンバイン高校銃乱射事件やスクールカーストが大きな影響を与えていたことがわかる。(当時すでに43歳だったんだけど。)
さいきん「給料はあなたの価値なのか――賃金と経済にまつわる神話を解く」 ジェイク・ローゼンフェルドを読んでる。
米国についての分析なんだけど、民主党も共和党も「良き仕事を取り戻す」(=自動車や鉄鋼などの製造業)を選挙民に訴えかけている、という話が第6章で取り上げられている。
- 近年米国内に製造業が戻ってきたのは、中国などに作られた工場の人件費が高騰したから。
- しかし米国内に戻ってきた製造業の給与は昔の水準には戻らない。
- なぜなら機械化によって製造業における人件費は大幅に抑えられるようになったから。
こういったことが語られる。ここでの製造業での機械化というのが50年前とかの現象であるということは重要。50年前のことが解決せずに今の問題となっている。いまのAIによる社会変動でも同じことが起こるだろう。つまり、これから50年先になってもたぶん解決しない。
AIによって人件費が大幅に抑えられ、給与の不均衡はますます激化する未来が来るだろう。
よくある「そのようにしてあぶれた者はべつの職業に就くから問題なし」というネオリベ的言説は先述の製造業での機械化の問題を考えれば、正しくないと言えるだろう。
(そもそも社会構造の変化というマクロなものと、各個人のかけがえのない人生への影響というミクロなものを混ぜて語る詐術がここにはある。)
こういったネオリベ的言説を程度の差はあれ誰もが(自分も)受容している状況というのをなんとかしたい。この点で自分はマーク・フィッシャーの「資本主義リアリズム」に書かれている問題意識を共有している。
マーク・フィッシャーは「アシッド・コミュニズム」という概念を提出したけど、それを十分形にする前に自死してしまった。部分的に残された文章をいくつか読んでみたけど(たとえば序文)、評価可能な形にはなってないと思う。(もしそれが「60年代カウンターカルチャーからありうるべき未来を辿り直す」で要約できるのならば、少なくとも「反逆の神話」で提示された問題に応答できないとダメでしょう。)
でももしそれが「ネオリベ的価値観以外がありうると気づくためには、われわれの「現実」に対する見方のレベルから買えてゆく必要がある」ということならそれはわかるし、私自身が学問を通して目指していることでもある。
社会は力学系なのだから、だれか黒幕がいて制御しているわけでもない。かといってそのようなトップダウンでの制度設計や個人によるボトムアップの行動変容が無駄なわけではなく、それらによって社会の相転移は起こり得る。
そういう見方からすれば、社会科学的な意味での制度設計の提案自体は無駄とは言わないけど、小さな変更は力学系のflow fieldを変えない。つまり、いろいろやってもお決まりの状態へと回帰する。(これがXTCの"complicated game"の歌詞で書かれていることだ。先日のブログ記事20240911)
むしろ人間の「現実」感を変えることのほうが社会を変えるだろうし、その意味で「現実」感を変えるテクノロジーが重要だと思う。そこに自分も寄与できたらと考えている。とはいえそこで決定的となるのは、VRのようなデバイスではなくて、もっと予測不可能な別のものだろうと自分は想像している。
「VRで現実感を変える」って言葉には、ビジネスの文脈での「バックキャスティング」、そしてネオリベ的な「選択と集中」による決め打ちを感じてしまう。力学系的視点からは、もっともっと、予測つかないものになるほうに賭けておきたい。
2019年12月の段階で、だれもがその先にコロナ禍を想像していなかったように、そういう意味での、想像を超えた、しかし起きてしまえばそれは100年に一度、スペイン風邪以来で起こってもおかしくなかったもの、そういう「ブラックスワン」に来る方に自分は賭けておきたい。
ここで「賭ける」とは、ブラックスワンに頑強であるように準備するという意味で、これがタレブの「反脆弱性」で言わんとしていることになる。
「バックキャスティング」について補足しておく。バックキャスティングの定義である「目的のためにいまをデザインする」、これ自体は構成論的なアイデアであって、けっして悪くないはずだ。(「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」by アラン・ケイ)
でもことビジネスの文脈で「バックキャスティング」と語られると、そんな予測できないものについてあたかも予測できるようにデザインするという考えが、ネオリベの最たるものである「選択と集中」というアイデアと同類になってしまう。このことがなんかおかしいと思ってるんだ。
いわば、バックキャスティングには半脆弱性を持たせる必要がある。
これと関連して先日飲み会で語った話題がある。「大腸菌は予測ができる」という論文(Science 2008)がある。
つまり、大腸菌は人間などの生き物の体内に入ると、環境温度が上がり、酸素濃度は低下する。このとき大腸菌は、環境温度の上昇から酸素濃度の低下を予測して、酸素を使った代謝の遺伝子発現を抑制する。それの証拠に「環境温度が上がると酸素濃度は低下する」という相関関係を崩した条件(たとえば「環境温度が上がると酸素濃度は上昇する」とか)で大腸菌を培養すると、大腸菌はそれに適応できる、つまり予測をしている、というわけだ。
この話の種明かしとしては、個々の大腸菌が予測をしているわけではなくて、集団としての大腸菌が選択されているからこういうことが起こるというわけだ。つまり、大腸菌の中には「環境温度が上がると酸素濃度は低下する」だけでなく、「環境温度が上がると酸素濃度は上昇する」ことが可能な状態を保持している個体もいて*、そういう個体が選択されたという話**。
(* この機構はエピジェネティックなものだと思うけど、そのあたりは自分は調べてない。)
(** この話はダニエル・デネットのkinds of mindで出てくる「ダーウィン型生物」の一例となっている。私の大学院講義「意識の科学入門」でも扱ってる。)
長々と大腸菌の話をしたのは、「どうして大腸菌はわざわざ「環境温度が上がったときに代謝を上昇させる機構」を保持していたのだろうか?」ということ。それはほとんどの環境で無意味な特性であって、実験室環境で不自然な状況を作ることで現れた特性だ。でも大腸菌はそれをわざわざ保持していた。これがタレブの言う「半脆弱性」の一種であり、生物が生物であるために必要な重要な要素なのではないか。
Varelaのオートポイエーシスの条件(生物学的自律性)にDiPaoloは「適応性」と「規範性」という2つの概念を付け加えたのだけど、ここでの「適応性」とはこういう「半脆弱性」を含むのではないか。
そうして考えてみると、「半脆弱性」というのは想定されていない外部からのアタックに対してなんとかもがく能力であり、もがいたうえで絶滅することもあるのだけど、生き延びることもある、そんな確実性はないなにかだ。(それは生きているものが不可避にさらされている、いつでも死にうるという状態precaliousnessを反映している。)
そしてそれは、Ross AshbyがHomeostatを作ったときに、感覚運動ループでは対処しきれない外部に対処するためにホメオスタシスによるリセット機構を作ったアイデアの源になっている。
(感覚器ではなく、体に物理的、科学的に影響を与える得体のしれない外部を「生命の危機」として扱う、これが我々が「情動」を持ち、理性以外の回路を使って予想外の状況に対処することのモデルとなっている。)
…とこういうことを今書いている本で書こうとしているのだけど、考えをまとめるために雑多なまま文章化してみた。雑多なままというところが重要なんだ。整理すると大事ななにかが消えてしまうので。
これらはぜんぶ繋がってるんだ。「3月のライオン」の中で主人公の桐山零が将棋のことと川本家のことを考えるうちに両方について頭脳がフル回転してゆくという描写がある。自分はあれにはなんか親近感というか、そうありたい気持ちと、じっさいそういうふうにやってた気がするという記憶とか、そういうものが駆動されてくる。
つまり、自分の中では、ネオリベ的なものへの反感と研究の動機がつながってエンジンのように働いている。
意図せずどんどん話が広がったけど、話を広げるのは意図して行った。今回は下書きをせずにそのまま書き続けた。それを整理して、今回のブログ記事にしてみた。
マーク・フィッシャーが映画とテクノでやるように、わたしもオタクカルチャーでやってみたい。でもありがちなサブカル語りにしたいわけでもない。そういう文体を作れたらいいのだけど、それって簡単じゃないな。
拾遺: 力学系云々という言説についても自分史とつながっている。浪人生の頃に読んだ岸田秀によって相対主義のドツボに長い間ハマっていた。学部生の頃に読んだベイトソンがそれと合体して、「システムにおいて無力な私」というという構造主義の相対主義的理解に留まっていた。だから、そのシステムのツボを付くことで相転移が起こり得るという力学系的視点の獲得には救いがあった。
じつのところベイトソンにはシステムのメタレベルを上がり下がりすることによってそういうドツボからの解決法が提示されていたのだけど、それを理解できたのは、オートポイエーシスを理解できた後だったと思う。そしてそれが、1998年くらいにブログを書き始めたころのことだった。
■ XTCについて + Zappaについて
XTCについて
(20240216) XTCのAndy Partridgeがこれまでの曲についてギターを弾きながら解説してくれるインタビュー動画。なにもかもすごいけど、その4にわかりやすいところがあったので紹介。
(いくつか観たカバーバンドが)みんな間違えてるって言って紹介したのが、"The Ballad of Peter Pumpkinhead"のヴァースのコード。ここはD-Gだと思われているけど、じつはGではなくてG69 (32223X)だと。(Andyは自分で発明したつもりだったけど、後日ブラジル音楽でよく使われるコードであることを知ったという。
Respectable Streetのヴァースの2つのコードも解説されてる。これもB-C#7と解釈されているかと思うが、実際に弾いているのは
79987X- 98907X B - C?(1-3-b5-b7-11)
という謎コードだそうな。
そういうわけで急にXTC熱が復活したので、"Complicated Game"のコードを拾ってみた。
XX5033 G(-3) XX4032 GM7/F#(-3) XX4532 D7 XX445X Bsus4(-3) XX444X B XX555X C XX777X D XX4032 GM7/F#(-3) XX5033 G(-3)
Andyは3弦の開放弦gを鳴らすのが好き、3度を削って調性を曖昧にしてる、から推定するとたぶんこんな感じ。C-Dのところでは(曲の全体通して)意図的にベースが鳴ってないので、C/B-D/Bと解釈するのがよさそう。
"Complicated Game"はアルバム"Drums And Wires"の最後の曲。はじめはギター一本と病んでるボソボソ声でスタートするのだけど、最後のヴァースでは絶叫するボーカルにディレイを掛けてぐちゃぐちゃになってフェードアウトする。どうするんだこれって雰囲気で終わるので、この曲をアルバムに配置するならたしかに最後に置くしかない。
世界は複雑系であり、自分の意志でなんとかしようとしても世界の構造の中で毎度の結末へと引きずり込まれる、という正しくも悲しい歌詞に打たれる。
この曲を歌いたいんだけど、ギター弾き語りにはまったく向いてない。スマホ持ち込みでカラオケルームで絶叫するか。
アンディ・パートリッジのインタビューを読むと、彼が音-視覚の共感覚を持っているという話が出てくる。
(作曲で歌詞と曲どっちが先かと聞かれて)「いや、パターンはない(略) ただコードをいじっているだけで、海とか雲とか箱とか、何かを暗示することもある。その点に関しては、私はちょっと共感覚的なんだ。音を聞いて、"おお、これは霧のようだ "とか、"11月の雨の日のようだ "とか思うことがある。多くの場合、歌詞が生まれるのは、そのコードや和音の共感覚的な性質、つまりそのコードが描いている絵を説明しようとしているからなんだ。
「イースター・シアター」がそうだった。土のようなコード、茶色く濁った、上昇するようなコードが、「これは何かが地面を突き上げるような音だ。
楽器の音色が何かを暗示することもある。"Chalkhills and Children "のオルガンの音色のように。冒頭の小さな鍵盤の音は中世的で土俗的な響きだと思ったが、その前の穏やかな高音の和音はまるで浮遊しているような響きで、大地の上を漂っているようだった。いつの間にか、この曲が何について歌っているのかを推論しようとする私の精神的な把握が、歌詞になっていたのだ。」
Zappaについて
上記のAndy Partridgeインタビュー動画の聞き手のChanan Hanspalさん。この人のYoutubeチャンネルには膨大な動画があって、とくにザッパへの言及がすごい。
でもその内容が現代音楽的な話なので、ぜんぜんついていけない。(「ピッチクラス・セット理論」というのに言及していて、このへんから調べるとよさそうだが。)
いくつか観てたら、ザッパの音楽の分析で博士論文を書いたって言ってた。
別の人によるこの動画は私にも分かる内容だった: "Frank Zappa's Favorite Chord Progression"
ザッパの典型的コード進行として、Black Napkins進行というのがあると。
C#m7 (C# dorian) - DM7 (D lydian)
これはなるほどと思った。ザッパのギターソロとかメロディーは、あるときはドリアンで、あるときはリディアンだったりするのは別資料で読んでた。コード進行でスイッチしてたのか。動画では"modal center switching"と表現している。
お勧めエントリ
- 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
- 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
- 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
- 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
- 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
- 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
- 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
- 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
- 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
- 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
- DKL色空間についてまとめ 20090113
- 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
- ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
- Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
- 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
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