ひさびさに「思想」っぽい本を読んでる

この夏の期間にしばらく読んでなかった系統の本を読んでる。「ニッポンの思想 増補新版」佐々木 敦、「訂正する力」東浩紀、「訂正可能性の哲学」東浩紀、「庭の話」宇野常寛、「動きすぎてはいけない」千葉雅也、「センスの哲学」千葉雅也、「亡霊のジレンマ」カンタン・メイヤスーなど。

「行為する意識」を書いた今だからいろいろ繋げて語れることが出てきた。

たとえば東浩紀の「訂正可能性」って、エナクティヴィズムにおけるセンスメイキングだな(「行為する意識」IV章 現在から過去へ、意味づけする意識」)とか。


自分の「思想」の履歴についてまとめておくと、自分は90年代にはサブカルとして、別冊宝島とか(小林よしのりと組む前の)浅羽通明とかそういうのを読んできた。東浩紀についても「存在論的、郵便的」からゼロ年代までの著書と活動は追ってた(はてな村民として)。

宮台真司の書くものについても90年代くらいまでは追っていたけど、けっきょくルーマン的なシステム論に興味が持てなかった。

オートポイエーシスを河本英夫的にマトゥラーナ側から読むのではなく、ヴァレラ側からエナクティヴィズムと現象学に繋げて読んでいった、これがゼロ年代以降に自分が神経科学者をやりながら並行して進めてきた孤独な作業だった。(それをブログに出力したことが後で役に立ったのだけど。)


ひさびさにこのへんの本を読み漁りだしたけど、それは先日の池上高志さんとの議論から始まった。

恒例の駒場講義(池上高志さんが今年で退官なのでこれが最終回)で、「行為する意識」について紹介しながら、最後の締めで、「現在の神経科学ではRNNを使って力学系を再現する試みが流行っている。それは神経現象学を推進してゆくうえでも有効だろう」という話をしたら、池上さんがそれに激しく反論したというわけ。(この内容についてここでは深堀りできないが、私の中でずっと考えが進められている)。

力学系に関してあともうひとつの論点は、「環境に全てがあるのだから、内面なんて必要ない」という池上さんの立場だ。それは「行為する意識」においては、補論2での「オートポイエーシスと生態学的心理学の統合」という論点に関わってくる。

ともあれ、池上高志さんの立場は「認知科学誌」の「生命理論としての認知科学:減算と縮約の哲学をめぐって」から一貫したものだと思った。それで、そこで参照されているメイヤスーの「減算と縮約」を読みはじめたのだった。

メイヤスーの論文はかなり厄介なもので、ベルクソンの「物質と記憶」を読み直すドゥルーズ+ガタリの「哲学とはなにか」をさらに読み直して、縮約なしの減算を考える、という筋になっていることまでは理解した。いわば記憶のない知覚を想定するということだ。反論したい気持ちを抑えて、まずは理解を試みた。

しかし、これはベルクソンから理解しないと始まらないわけで、とりあえず千葉雅也の本とか、周辺から攻めてゆくことにしたのだった。「動きすぎてはいけない」では思弁的実在論について整理されている部分があるし、「センスの哲学」では自由エネルギー原理についても言及してる。

このへんはやれることはいろいろありそうなのだが、とりあえず宿題として積んである。


佐々木敦氏がXで「行為する意識」に言及してた。

上記の通り別ラインで千葉雅也を拾い読みしていたこともあって、ちょうど良い機会だったので、「ニッポンの思想 増補新版」佐々木敦を読んでみた。浅田彰から東浩紀へ、そして増補版での千葉雅也、國分功一郎への流れを整理することができたのでよかった。

「行為する意識」をこのような「思想」の流れにむりやり配置すると、宮台のシステム論の親戚に見えるし、身体性の強調や田邊元への言及とかから京都学派の子孫に見えてしまうかもしれない。しかしそれを予測的処理のような現代のAI的な知見と繋げてアップデートしたうえで、あくまでの意識の理論として作り上げているところが「行為する意識」という本の特色。

この本のパンチラインである「差異を消費する」というフレーズも、現代思想的な観点からは決して目新しいものではない*。それをちゃんと現代の神経科学の水準に接続しているところに「行為する意識」の強みがある。(というかそこがこの本で、自分がいちばん労力をかけたところ。)

いわゆる「思想」はポモ(というかドゥルーズ)が前提なので、そこにつなげようという野望はない**。といいつつ、平井さんの本経由でベルクソンを理解して、ドゥルーズまではたどり着きたいと思う。でもベルクソンの「イマージュ」が飲み込めなくて、その段階で(30年くらい)停まってる。

(* 田口さんからの指摘を受けて追記: 田口さんによる「差異を消費する」という考えが目新しくないという意味ではない。「ニッポンの思想」の流れに配置するならば、読者からはドゥルーズの「差異」のように見えただろう、という意味。)

(** だから、「行為する意識」での「差異」はドゥルーズの「差異」とは直接関連してない。これはむしろベイトソンの「difference that makes a difference」が由来なのだけど、じつのところ、この言葉はベイトソンではなくDonald MacKayに帰するべきものだ。そして「行為する意識」では「情報」という概念をなるたけ避けて書いているので、このあたりについては踏み込めなかった。自分はベイトソンから大きな影響を受けているのだけど、いまベイトソンをどう評価するかということについてはいつか別途まとめておきたいと思ってる。ベイトソンの議論にありがちな、ダブルバインドでもなく、違いを作る違いへの言及でもなく、「「分類」から「過程」へ」の先を考えることにこそ意義がある、とここに書きつけておく)


「行為する意識」で展開したエナクティブな視点というのは、けっして「意識の科学」に限定した問題ではなくて、具体的な社会問題と関わっている部分がある。

エナクティヴィズムを始めたヴァレラはチリでアジェンデ政権のサイバーシン計画*を推していた。だから軍事クーデターでヴァレラはチリから亡命することになる。

(*サイバネティックスのスタフォード・ビアが先導し、その精神的始祖はウィノグラードとフローレスの「存在論的デザイン」)

この「存在論的デザイン」はエスコバルの『多元世界に向けたデザイン』に継承されて、さらにそれはオードリー・タンの「多元性 PLURALITY」につながる。


宇野常寛の「庭の話」も読んでるところ。とりあえず著者の解説を頼りに、全体を飛ばし読みした。

「庭」の条件としてもっとも重要なものに「人間を「孤独」にすること」を置くところとか、「庭」の究極に戦争がするという議論の限界を提示したうえでさらにその先を考えるとか、議論の運び方に対して全体的に好感度が高かった。(へんな言い方だが。)

宇野常寛のデビュー当時に「ゼロ年代の想像力」には興味を持ったものの、「セカイ系から決断主義へ」みたいなあらすじを見て、あと回しにしていた記憶がある。

というわけで、ちゃんと時間かけて読み進めてみようかと思う。


あとこれも読まなくては: 「目標という幻想──未知なる成果をもたらす、〈オープンエンド〉なアプローチ」

「行為する意識」では「オープンエンド性」という言葉をなんどか使ったけど、ちゃんと原典を抑えるという意味では、ちょうど翻訳が出たこの本を読んで理論武装しておく必要がある。

というわけで、来週から始まるCHAINのサマースクール2025はテーマが「生命と言語進化の構成論」。

講師の一人はさきほどのWIREDの記事の著者の一人の岡瑞起さん。岡さんには「AIとの共創:Open-endednessとOrganic Alignmentが拓く未来」というテーマで、まさに『目標という幻想──未知なる成果をもたらす、〈オープンエンド〉なアプローチ』で取上げられたテーマについてお話しいただく予定になっている。

(書き始めたときは宣伝のつもりではなかったが、意外にも話が繋がった。)


ダイエットから「行為する意識」執筆の話へ

ひさびさにウォーキングしてきた。書籍の執筆をはじめてから、ずっと運動せずに生活をしてきたのだけど、そろそろ健康的に危機感を感じたので、運動再開。やっぱ体を動かすと気分がいいな。

ダイエット歴の長い自分の持論なのだけど*、ダイエットしているときは心がさっぱりとしすぎて、執筆に専念するときのマインドセットには向いてない。

(* 「特技ダイエット、趣味リバウンド。いまのところ5勝6敗」といつも冗談めかして言ってるのだけど、もう正確な回数はわからなくなってる)

ダイエットをしているときは心がさっぱりしすぎて、「これで仕事終了、他のことに移ろう!」となる。それで自分のQOLは上がるけど、あとから見返してみれば、詰めの甘い、浅い仕事になる。

そうではなくて、「まだまだ足りない、これでは不十分なのではないか…」そういう心が粘り強く仕事を磨き上げると思ってる。そういうときの自分の方が好き。自分のQOLはよくないが。

「ダイエットすると心がさっぱりしすぎる」問題については20090121のブログ記事でも書いてた。

「ただメンタルな部分も健康になりすぎているかんじがする。なんかさっぱりしすぎてるというか、スクエアになってる。Twitterにポエム書いたりとかしないし。布団入ったらすぐ寝るし。ちょっと俺らしくない。わたしのクリエイティビティの源泉だとわたしが信じていたカオティックなというかそういったドロドロなものが後退してる。」


著書「行為する意識」についても、SNS上でのあの本へのコメントで「オートポイエーシス、エナクティビズム、自由エネルギー原理について、つまずきポイントを徹底して埋めてくれている」「誤解の余地をいちいち潰してゆくスタイルがありがたい!」と書いてくれた部分はどれも、校了のギリギリまで粘って文章を磨いたところだった。

もし自分が効率厨であったなら、そんな労力をかけなくても、「書籍を出す」という見える実績さえ作ったら、あの本についてはさっさと心から手放して、別のプロジェクトを片付けるのがより生産的だったはずだ。

でもそんなやり方では俺の面白さが消えると思ってる。どうでもよいことにこだわっていると端からは見えるかもしれない。でも俺の俺らしい部分はそういうところにあって、もし違うやり方をしなければならないなら、それは俺がやる必要のない仕事だと思ってたりする。


執筆の舞台裏を書いておこう。(Xには書けないが、ブルスカは人がいないので書いてみた。それをまとめて、そっとブログにポストする。)

あとがきにも書いたけど、「行為する意識」は2021年11月から執筆を開始したものの、2022年くらいから2年間執筆がストップしている。それを再開したのが2024年12月のこと。

再開する前の段階(2024年12月18日)では、原稿はI-III章まで書き上げていた。(I章: NCC批判から予測的処理、II章: オートポイエーシスから生物学的自律性、III 好意的媒介から予測の概念へ)

中断の期間にほとんど心が折れかけていたのだけど、なんとか気を取り直した。再開の際には、残りIV章とV章を書き上げれば終了となるので、年末年始を全部使って書き上げることにした。

IV章に予測誤差とエナクティヴィズム、V章に神経回路学会の解説記事を加えて、最後まで原稿を書いたのが2025年1月14日。一ヶ月かかってない!

当然そのあいだ通常の業務はあったし、ウィンタースクールに参加して、研究会のプレゼンも作った。マヂ神の所業。


1月14日に書き上げたものでも、「予測誤差の概念でエナクティヴィズムを再解釈した本」くらいの体裁は整っていたはずだ。でもそれでは納得いく本にならないと思った。ここから3ヶ月かけて、原稿に大幅に加筆を行う作業が始まった。

この時点ではまだ、II章のオートポイエーシスの説明が紋切り型で、MaturanaとVarelaの違いにも言及してなかった。そこでII章はほぼ書き直しをすることにした。「オートポイエーシスとは操作的閉包と構造的カップリングである」という説明になるように大幅に書き換えて、さまざまな例も加えた。メトロノームの同期やホメオスタットのような力学系のシミュレーションまで加えることにした。

IV章に「予測誤差とエナクティヴィズム」を詰め込むのも無理な話で、2つの章に分けることにした。これによって新IV章は「予測を見直す」というテーマが明確になった。(「よい制御器定理」「大腸菌の予測」「アロスタシス」を入れてお膳立てしたうえで、予測誤差と自由エネルギー原理FEPを入れるという構成が確立した。)

新IV章の内容については、当初は予測誤差だけで限定して、FEPについて最小限の言及(「予測の束の調整」)だけの予定だったのだが、新V章で渡辺慧とベイズ力学に言及するために、能動的推論についての説明を入れることにした。(これで260ページだった本が350ページになったomg)

新V章でエナクティヴィズムのあとにふたたび予測誤差とFEPを再解釈する構成にした。これで「予測誤差を消費」というパンチラインを操作的閉包とつなげて、認知する我々の生物学的自律性を構成するものとする部分が完成した。

旧IV章を新IV章と新V章に分割して作り直したのが2025年3月7日。もう2度目の校正の段階なんだけど、「てにをは」じゃなくて、まだ論旨が変わるレベルで大きな変更加えてた。

新VI章(旧V章)で脳の過程と意識の過程の絡み合いと神経回路学会の解説記事(アクティブ・ヴィジョン)とを繋ぐために、ヴァレラの神経現象学を入れればよいということに気づいた。(どういうわけだか、この時点までヴァレラの神経現象学に言及してないことに気づいてなかった。) これによって「アクティブ・ヴィジョンの理論」も「吉田と田口の神経現象学」になった。これも3月。

新VI章で脳の過程と意識の過程の絡み合い(行為的媒介)について、状態と過程を深堀りすることで、これがヴァレラの神経現象学での「相互に拘束」を刷新するものだと気づいたのが4月6日。

そんなわけで、マヂでギリギリまで直してた。けっきょく校了したのが4月30日で、書籍の出版が5月26日。ほんと、執筆再開して5ヶ月で出版までたどり着いたのマヂ奇跡。


1月以降のこれらの追加によって、本書が全体的に難しくなってしまったことは認める。しかしもしこれらの追加をしていなければ、この本の内容は2018年の神経回路学会の解説記事からほとんど進歩しないものとなっていただろう。


もしあと1ヶ月時間があれば、第V章2後半の神経回路学会の解説記事を元にして書いた部分(アクティブ・ヴィジョンの神経現象学)を刷新することができたのに、と思う。そこに至るまでの部分を大幅にアップデートしたので、2018年に書いたこの部分は、もっと原型を留めないくらいに書き直しができたはずだ。その部分は悔やまれる。

(表現の正確さを期すならば、この部分の内容はだいぶ書き換えたので、校了の時点で納得行っている。今見直しても、ちゃんと完成していると思う。それでももし、校了直前のあのテンションをもう一ヶ月保つことができたら、この部分を刷新するアイデアが出たのでは、と思う。いつも火事場の馬鹿力で仕事をしているので、こうなりがち。)


そういうわけで、ダイエット談義に絡めたテイで、著書「行為する意識」の執筆時のエピソードを書いてみた。正直なところ、いま書いておかないと、自分でも忘れてしまうので。


ホメオスタット(homeostat)の挙動を再現してみる

前置き

このブログ記事は著書「行為する意識: エナクティヴィズム入門」のサポート資料として作成された。しかし、この本を読まなくても意味が通るようにこの記事は書かれている。

Matlabのコードは吉田のgithub (pooneil68/homeostat)に置いてある。式やコードの作成ではGemini 2.0の助けを借りたが、自分の目で確認を取った。

本文

精神科医でありサイバネティクスの先駆者であったウィリアム・ロス・アシュビーは、ホメオスタシスを電気回路で実現した「ホメオスタット」という機械を作り上げた(1940年代)。

homeostat1.png

図1: ホメオスタットの構成

「ホメオスタットは四つのユニットから構成されている(図1)。それぞれが他の三つのユニットからの入力(と自分からのネガティブ・フィードバック入力)を受けて、これらの入力の重み付き合計が出力となる。この出力値が針で表示されている。それぞれの入力の重みと出力を調節できるようになっている。

この重みの調整がうまく行かないと、針は振り切れてしまう。しかし重みをうまく調整すると、すべての針の位置が中心に来て(適正値を指す)、システムが安定な状態を維持できる。しかもこの安定性はいったん成立すれば、どれか一つの出力を多少いじったとしても四つの針は適正な値のままでありつづける。このような自己修復性のことをアシュビーは超安定性(ultra-stability)と呼んだ。」(本書 p.63-64)

これは現在の視点からは、4つのユニットが全結合しているボルツマンマシンと同じ構造であると言える。しかしホメオスタットはボルツマンマシンと異なり、学習則を持っていない。このためホメオスタットは、安定でない状態になると重みをランダム化する操作を繰り返して、超安定性を確立できるまでその操作を繰り返す。それはまるで現在のスマホゲーでの「リセマラ」と同じ作業だ。

ホメオスタットの定式化

このブログ記事では、ホメオスタットの挙動を再現してみる。(参考文献は最後尾にあり)

ユニット $1,2,3,4$ それぞれの出力を $x_1(t), x_2(t), x_3(t), x_4(t)$ とする。このときそれぞれの出力は以下の微分方程式に従う。

$$ \begin{aligned} \frac{d^2 x_1(t)}{dt^2} &= h(a_{11} x_1(t) + a_{12} x_2(t) + a_{13} x_3(t) + a_{14} x_4(t)) - j \frac{d x_1(t)}{dt}\\ \frac{d^2 x_2(t)}{dt^2} &= h(a_{21} x_1(t) + a_{22} x_2(t) + a_{23} x_3(t) + a_{24} x_4(t)) - j \frac{d x_2(t)}{dt}\\ \frac{d^2 x_3(t)}{dt^2} &= h(a_{31} x_1(t) + a_{32} x_2(t) + a_{33} x_3(t) + a_{34} x_4(t)) - j \frac{d x_3(t)}{dt}\\ \frac{d^2 x_4(t)}{dt^2} &= h(a_{41} x_1(t) + a_{42} x_2(t) + a_{43} x_3(t) + a_{44} x_4(t)) - j \frac{d x_4(t)}{dt} &\qquad(1) \end{aligned} $$

ここで、$a_{11}, a_{12},...$ はそれぞれのユニット間の重みを表す。たとえば $a_{12}$ ならユニット$2$ からユニット$1$ への重みを表す。つまり右辺の第一項は、自分と他のユニットのすべての出力を重みを付けて足し合わせた入力を表している。

$h$ はこのような入力の評価を表す。ここでは定数で $1$ とする。(現在の人工ニューラルネットワークでは、$h$ の部分は活性化関数に該当する。活性化関数はReLUのように非線形性があるのだが、ホメオスタットでは線形和になっている。)

$j$ の入った項は、出力を示す針の粘性を反映している。ホメオスタットの針は水の上に浮かんでいて、入力に比例した磁石に反応して動く。このようなハードウェア的側面が考慮されている。ここでは定数で $0.5$ とする。

ホメオスタットの挙動

このように微分方程式で表現することができれば、初期値さえ決定してやればその挙動を図示することができる。ここでは微分方程式の数値計算のためにmatlabのode45関数を用いている(4次のルンゲ・クッタ法)。githubにある homeostat4.m を動かすと以下の図ができる。

homeostat_fig10.png

図2: ホメオスタットの挙動


まず図2の左側(A,B)はflow fieldを表している。これはネットワークの重み $a_{ji}$ と定数 $h,j$ によって決まる。Flow fieldは実際には4次元だが、ここでは $x_1 - x_2$ と $x_3 - x_4$ の2つの平面についてだけ表示してある。Flow fieldを見るだけで、初期値をどこにおいても、$0$ に収束することが予想つく。

じっさいにユニット1-4について初期値 $[0,0,0,0]$ を設定すると、ホメオスタットの出力は $[0,0,0,0]$ のまま変動しない。(図2(C)の横軸-5-0(秒)の部分。)

そこで時点 $0$ のところでホメオスタットのユニット1の出力を強制的に $1$ に変更してやる。するとユニット1は速やかに出力値が $0$ へと戻る。このときユニット2,3,4の出力も多少揺れているのがわかる。このようにして、このホメオスタットでは超安定性を達成できているいることがわかる。

ふたたび図2(A),(B)に戻ると、時点 $0$ のところでユニット1の出力を強制的に $1$ に変更したことが青丸で示してある。出力値は $0$ へと戻ってゆくのだが、それは一直線ではない。Flow fieldの向きに従って、多少揺れながら戻っている。

本書では図2を参照しながら「たとえばドカ食いをして血糖値スパイクがおきた状態(ユニット1)でも、健康であるならば、ただちに適正な生理状態が回復できることを示している。」(p.65-66)と書いている。お察しのとおり、この文章は「ドカ食いダイスキ! もちづきさん」を想定していた。初稿は「たとえばドカ食いをして「至った」状態でも」と書いたのだが、後年通じなくなるなと思って、文章を変えたのだった。

ホメオスタットの安定条件

ここで示した例ではホメオスタットは超安定性を達成できている。これはあらかじめそのような重みを選んでいたからだ。この安定条件を見つけるためには、ここまで書いたような、数値解析によって微分方程式の挙動を調べる方法では足りない。解析的な手法が必要となる。

ホメオスタットを定式化した $(1)$ は連立微分方程式になっているので、解析的に解くことができる。それによってどういう重みのときに超安定が達成できるかを調べることができる。

まず、連立方程式 $(1)$ を行列表現に書き換える。

$$ \begin{aligned} \frac{d^2}{dt^2} \begin{bmatrix} x_1(t) \\ x_2(t) \\ x_3(t) \\ x_4(t) \end{bmatrix} &= h \begin{bmatrix} a_{11} & a_{12} & a_{13} & a_{14} \\ a_{21} & a_{22} & a_{23} & a_{24} \\ a_{31} & a_{32} & a_{33} & a_{34} \\ a_{41} & a_{42} & a_{43} & a_{44} \end{bmatrix} \begin{bmatrix} x_1(t) \\ x_2(t) \\ x_3(t) \\ x_4(t) \end{bmatrix} -j\frac{d}{dt} \begin{bmatrix} x_1(t) \\ x_2(t) \\ x_3(t) \\ x_4(t) \end{bmatrix} \end{aligned} $$

ここで、$x=\begin{bmatrix}x_1(t) & x_2(t) & x_3(t) & x_4(t)\end{bmatrix}^{tr}$ 、 $x' = \frac{d}{dt}x$ 、 $x'' = \frac{d^2}{dt^2}x$

$$ \begin{aligned} A &= h \begin{bmatrix} a_{11} & a_{12} & a_{13} & a_{14} \\ a_{21} & a_{22} & a_{23} & a_{24} \\ a_{31} & a_{32} & a_{33} & a_{34} \\ a_{41} & a_{42} & a_{43} & a_{44} \end{bmatrix} \end{aligned} $$

とすると以下のように整理できる。

$$ \begin{aligned} x'' & = A x - j x' \end{aligned} $$

同次微分方程式 $x'' + jx' - Ax = 0$ を解くために、$x = v e^{st}$ の形の解を仮定する。ここで $v$ は定数ベクトル、$s$ は複素数のベクトル。

$x'' + jx' - Ax = 0$ に $x = v e^{st}$ を代入すると、

$$ \begin{aligned} &s^2 v e^{st} + j s v e^{st} - A v e^{st} = 0\\ &(s^2I + jsI - A) v e^{st} = 0\\ &s^2 I + jsI - A = 0 \end{aligned} $$

ここで $I$ は単位行列。この式が非自明な解を持つためには、行列式がゼロでなければならない。

$$ \begin{aligned} det(s^2 I + jsI - A) &= 0 \end{aligned} $$

これが特性方程式。この特性方程式の解 $s$ (複素数)の実部がすべて負であるときに収束する。こうしてホメオスタットがどういうときに超安定(収束)を確立し、どういうときに発散するかが計算できる。

しかしこの計算は4つのユニットの場合でさえ非常に複雑であるので、上記のコードではGeminiに安定条件を出してもらって、それを重み $A = {a_{ji}}$ に採用している。

ホメオスタットのその後

「ホメオスタットの挙動を見るかぎり、これは単なる生体恒常性(ホメオスタシス)のモデルに見えるかもしれない。しかしアシュビーはこれを著書『頭脳への設計』において「考える機械」のプロトタイプとして喧伝した。つまりアシュビーにとって、人工の脳をデザインするとは、チューリングマシンのような入力、出力、その変換関数で決まる制御システムを作ることよりはむしろ、外部からの擾乱に「能動的に」抵抗してそのシステムの状態を保つ側面のほうが重要だったようだ。」(本書p.66)

「アシュビーはその後ホメオスタットの大型化を目指したが、安定性を確立させることができなかった。現在の知識から言えば、うまくいかなかった理由は力学系の理論から明らかだった。というのもホメオスタットのユニットは入力の線形和によって駆動される、線形なシステムだったからだ。」(本書p.67)

本書ではこのように書いたのだが、その意味はこのブログ記事の説明からだいぶ明らかになっただろう。超安定性を確立するとは、特性方程式の安定解を見つけることだ。4つのユニットであれば、重みのランダム化(リセットマラソン)でそのような重みを見つけることはできたかもしれない。ユニット数を増やしたらランダムサーチという方法が立ち行かなくなることがわかる。

アシュビーはホメオスタットをスケールアップすることで、考える機械を作ることを目指していたのだが、このプロジェクトは成功しなかった。ではホメオスタットは無駄な試みだったのかというと、そんなことはない。ウィーナーによる評価、ディパオロたちによる再評価、このあたりについては本書をぜひ読んでみてほしい。

参考文献

  • William Ross Ashby (1952) Design for a Brain, Chapman & Hall. (邦訳:『頭脳への設計―知性と生命の起源』山田坂仁ほか訳、宇野書店、1967年)
  • Franchi S. (2013) Homeostats for the 21st century? Simulating Ashby simulating the brain. Constructivist Foundations 9(1): 93–101. http://constructivist.info/9/1/093
  • Battle, S. (2015). Ashby’s Mobile Homeostat. In: Headleand, C., Teahan, W., Ap Cenydd, L. (eds) Artificial Life and Intelligent Agents. ALIA 2014. Communications in Computer and Information Science, vol 519. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-319-18084-7_9

書籍「行為する意識: エナクティヴィズム入門」著者の対談動画をYoutubeに掲載しました

著者の吉田正俊と田口茂による対談動画をYoutubeに掲載しました。この本についての補足事項や、執筆風に考えたことなど、ざっくばらんに話をしています。(1)-(3)まであって、トータル100分弱です。

(1) 行為的媒介とは何か。関係一元論ではない。差異はなくならない。消費し切ることはできない。生きているものが持ち続ける不安定性(precaliousness)。循環的な意識の捉え方。因果的な説明の図式から、並行してプロセスが続く図式へ。AI時代でそれはより必要になる。

(2) 弱い因果のつながり。ビリヤードボールの連鎖から、メトロノームの同期へ。関係性のネットワーク重視による相対主義の闇へ。「現実は幻である」というのは関係一元論の帰結。エナクティヴィズムでの「自分で自分の価値を作る」という考え。でもエナクティヴィズムはオルタナティブではない。今後メインストリームに入ってくる話であり、現在のAIに貢献しうる考えである。本書執筆の経緯。予測誤差消費理論ができるまで。オートポイエーシスの脱神秘化。

(3) 将来の課題。状態と過程。アクティブ・ヴィジョンについての掘り下げ。潜在性の掘り下げ。観察的媒介でない形での意識の解明。意識の科学の進歩によって科学が変わる。GNWTとIITの敵対的協力論文。ニセ科学レター。ベンジャミン・リベットの運動準備電位。運動についても自分に揺らぎを作りながら、生物の自律性に根付いた、運動を生成している。ここに「生命の自由」ができる。AI/LLMはなぜうまくいっているか。「当たってる感」とはいったいなにか。

以上です。


パレイドリアと「シミュラクラ現象」

大学で意識についての講義をするときに、いろいろ錯覚を見てもらったりするのだけど、そこでの質問やコメントに「シミュラクラ現象」という言葉が出てくることがある。

認知心理学の分野ではパレイドリアPareidoliaという言葉があって、「壁のシミが人の顔のように見えてしまう」という現象をパレイドリアと呼ぶ。「シミュラクラ現象」というのが指しているのは、典型的には「コンセントの3つの穴が人の顔のように見える」というもので、これはパレイドリアの一種であり、わざわざ「シミュラクラ現象」という言葉を使う必要がない。

そもそも「シミュラクラ現象」という言葉は日本でしか通用しない言葉だ。それはwikipediaの「シミュラクラ現象」の項目を見ればわかる。日本語版しか無い。

そういうわけで、講義で学生から「シミュラクラ現象」についてのコメントをもらった場合には「それは学問的にはパレイドリアと呼ばれるものであって、「シミュラクラ現象」という言葉は日本のネットカルチャーでのみ通用する言葉なのでお気をつけください。」と返事するようにしている。

言葉は生き物なのだから「シミュラクラ現象」という言葉自体を禁止してもしょうがない。だから、ネットに向かって「「シミュラクラ現象」という言葉は誤用です。使うのはやめましょう」とか喧伝しようとは自分は思わない。


とはいえ、「シミュラクラ現象」という言葉のルーツは抑えておきたい。初出はいつかLLMに聞いてみたら、「初出を見つけるのは難しいけど、初期の使用例については2000-2005年の範囲でググってみましょう」とアドバイスされた。

すると2005年の記事が二つ見つかった。

それは「シミュラクラ現象(類像現象)」かもしれません。シミュラクラ現象とは3つの点が集まった図形が人間の顔のように見えるという錯覚現象です。ほら、よくマンホールのフタの模様や、天井のシミが人の顔のように見えてくることがありますよね。もともとはSF作家・フィリップ・K・ディックの小説から生まれた言葉だそうで。

「こうゆうもののコトを「シミュラクラ」と呼ぶ。●が三角に3つ並べば顔に見えるとまで言われる。人間にはあらゆるものを顔に見立ててしまう本能が備わっているらしい。(…)何を言いたいかっちゅーと、心霊写真と言われるもののすべて、とまで言うつもりはないが、9割方はこの「シミュラクラ」だとおれは思っているのだ。」

どちらとも心霊写真の文脈で、それは錯覚だ、シミュラクラ現象で説明できる、というものだ。ここでひとつ興味深いことが書かれている。

もともとはSF作家・フィリップ・K・ディックの小説から生まれた言葉

元々シミュラクラSimulacreという言葉は、ポストモダンの哲学者ジャン・ボードリヤールによる「シミュラークルとシミュレーション」から来ている。(BTの記事の解説がわかりやすかった)

そしてそれの影響を受けて、フィリップ・K・ディックはSF作品として「シミュラクラ」という作品を書いている。私は未読だが、人間そっくりに作られたシミュラクラが出てくる話だそうだ。

というわけで、「シミュラクラ現象」という言葉がオカルトとか心霊写真とかのサブカルチャーの文脈で出てきたことを考えると、はじめてこの言葉を使った人は、ボードリヤールを引用したというよりは、フィリップ・K・ディックを引用したのではないかと想像できる。


さて、認知心理学の分野でパレイドリアの専門家といえばまっさきに浮かぶのは高橋康介さんだ。彼は「なぜ壁のシミが顔に見えるのか ―パレイドリアとアニマシーの認知心理学―」 という本を書いている。

Twitter(当時)だと、以下のスレッドが詳しい。

パレイドリアの話をすると「それシミュラクラでは?」という反応がよくあります。wikipediaの力だろうか。それともPKディックのこれ? https://amazon.co.jp/dp/B077QN78N1/ 必要に迫られてパレイドリアとシミュラクラの語源についてかなり調べたことがあるんですが、結局正確なところはわかりませんでした。Twitter 2020

上述の書籍の中でも、「シミュラクラ現象」について手短に触れている。

パレイドリアとシミュラクラはともに同じような概念を示すものだが、パレイドリアが見えてしまう「現象」を示すのに対して、シミュラクラは見えてしまう現象のきっかけとなる「モノ」を指し示す意味合いが強い。…「シミュラクラ現象」といえば、それはパレイドリアとほぼ同義であると思ってよいだろう。(p.46)

ということで、「シミュラクラ現象」という言葉をむやみに切り捨てることなく、考察している。(とはいえこの本で「シミュラクラ現象」が出てくるのは、あくまでもこの部分だけにすぎない。)


というわけで、今後は質問をもらったら、この記事を参照できるようにした。


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