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■ Nature
"Recollection-like memory retrieval in rats is dependent on the hippocampus." HOWARD EICHENBAUM。
TulvingのReal episodic memoryのcriteriaに関して:
アメリカカケスが普段やってる餌隠しは餌というexternal stimulusに依存しているからこのcriteriaには合格しません。しかし、external or internalな生理学的刺激に依存しないような行動とは何でしょうか*1。アリジゴクのように、何の脈絡もなく穴を掘り出して、それを落とし穴に使うのではダメなのでしょうか、それともそれは土という刺激、もしくはreleaserによって誘発された行動というべきでしょうか。Tulvingのこのcriteriaは行動分析学のタームからして有意味なものであるのかどうか検証する意義がありそうです。
とはいえ、気持ちはわかります。生理学的刺激に依存しないような、真に自発的な行動をこそ見たいわけでしょう。しかし、これこそが意識を操作的に定義しようという泥沼に入りかけている証拠です(ここでは自発性という概念にすり替えてはいますが)。
SquireはAnnual Review of Neuroscience '04 "THE MEDIAL TEMPORAL LOBE."でrecognition memoryについてどう書いているか:
YonelinasのNature Neuroscience '02 "Effects of extensive temporal lobe damage or mild hypoxia on recollection and familiarity."をreferして、recollectionが海馬に、familiarityが海馬周辺皮質に依存していると提唱されていることを紹介する一方で、自身のNeuron '03 "Recognition Memory and the Human Hippocampus." Manns et.al.を引いて、海馬に限局した障害を持つ患者さんでもrecollectionとfamiliarityとが同程度に低下している例があることを示します。また、Cogn Affect Behav Neurosci '04 "Recall and recognition are equally impaired in patients with selective hippocampal damage."においてYonelinas et al. (2002) をかなり批判的に扱っているようすです。
また、RK judgementが基本的には被験者からの主観的な報告(remember or know)に依存しているということにRK judgementの結果が論文によって違っていることの理由を求め、"Further work will be needed to decide this issue."として閉じています。
また、animal modelでのrecognition memory testに関しても記載がありますが、rodentでのthe novel object recognition task (二つ同じ物体aを呈示して探索させたあとで、物体aと物体bとを呈示すると、動物はnovelな方を選ぶ)においては
This task depends on a spontaneous tendency to seek novelty and would seem to depend less on recollection of a previous event and more on the simple detection of familiarity. To the extent that rats and mice do base their performance in this task on the ability to discriminate between familiarity and novelty, the impairment in this task after hippocampal lesions provides direct evidence for the importance of the hippocampus in detecting familiarity.
と書きます。つまり、recognition memory taskでも、条件によってrecollectionとfamiliarityの成分比は違うだろうというわけです。で、Eichenbaum論文に戻れば、この論文で使っているtaskは(ratにとっての)recollection-likeな要素が必要とされるようなtaskかどうか、ということが状況証拠のひとつとして重要になることでしょう。つまり、familiarity (or novelty) judgementだけで解けるようなものでないかどうか。もっとも、これではepisodic-like memoryのcriteria ('what-where-when')に逆戻りです。これはもともと、'what-where-when'というcriteriaがfamiliarityによっては解けないことを保証するために作られたのだから当然なのですが(ただのdelayed-matching-to-sample taskがfamiliarな方を選べば解けるのに対して、Claytonのtaskはfamiliarityの程度に関しては同じになるように統制されています。)。
*1:Internalな生理学的刺激とは、たぶん食事や睡眠と関連したものとして見られるでしょう。
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- / 投稿日: 2004年09月13日
- / カテゴリー: [Episodic-like memory]
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# NHK
この辺りはpooneilさんの独壇場で、私などが出てきてもろくなコメントができるものではありませんが、大変面白く重要な問題であることは私にも分かるということを是非お伝えしたくてコメントしています。Practicalには、エピソード記憶の想起に限らず、様々な認知機能には意識的な側面と無意識的な側面があり、これを分離し、その差異を見出すということが研究の取っ掛かりにならざるを得ないのかなぁと思っています。たとえそれが意識を操作的に定義することであっても。Eichenbaum論文についていえば、動物に判断基準のバイアスをかけさせる手法は(是非は別として)大いにヒントになりました。
# pooneilおひさしぶりです。>>様々な認知機能には意識的な側面と無意識的な側面があり、これを分離し、その差異を見出すということが研究の取っ掛かりにならざるを得ないのかなぁうむ、そうですね。そういう意味でGoodale and MilnerのDFさんの話とかもanimal modelを考えられないかなあと思います。あと、Eichenbaumの「動物に判断基準のバイアスをかけさせる手法」、これ自体はまったく問題がないと思っております。2/10にも書きましたが、signal detection theoryでbiasを変えさせてROCカーブを作成するには二つの方法があります。(1) 確信度評定をする、trialごとに被験者にその選択にどのくらい確信があるかを5段階評価してもらい、確信度ごとにhit rateとfalse alarm rateを計算することで5つの点からROCカーブが書ける、(2) discrimination targetの出現比やrewardの比をmanipulateすることによって選択の判断基準を変えさせる。Animal modelでは(1)は不可能なので、(2)に行くわけですが、(2)はブロック単位で条件を振らないといけないのであんまりデータがきれいにならないという印象があります。Eichenbaumは(2)のほうを使ったというわけですが、Fig.1d-fでは複数のラットのデータを全部足しこんでROCカーブを書いているようで、これはとてもまずいと思います。