[カテゴリー別保管庫] 北大CHAIN大学院講義


2022年02月08日

2021年度 北大大学院講義「意識の科学入門」いろいろメモ

(2022/2/8) 2022年度も4月から北大で大学院共通授業科目「意識の科学入門」を開講します。2021年度に講義をやってみて、いろいろフィードバックをかけて、図にあるような構成に変えてみました。2022年度の講義に関する補足情報はCHAINのサイトにあります。乞うご期待。


「意識の科学入門」は昨年2021年4月にはじめて開講した。その準備とかでいろいろツイートしたことを以下にまとめてみた。ここから1年前にさかのぼります。


(2021/2/15) (北大生宛てです) 4月から大学院共通授業科目「意識の科学入門」を開講します。シラバスに掲載した事項を補足する情報を吉田の北大サイトに掲載しました。私吉田と鈴木啓介さん@ksk_S と宮原克典さん@kmiyahara2013 が担当します。初年度で模索中ですが乞うご期待。

私の担当部分について言えば、「心理物理的アプローチ」や「神経科学的アプローチ」を1回ずつで終わらせるのは無茶だが、あくまで入門的に扱う予定。代わりに「進化生物学的アプローチ」を入れた。昨年の鈴木大地さん@suz_dg のCHAINセミナーで学んだことを私なりに再構成する予定。


(2021/4/4) 北大の方へ: 大学院共通授業科目「意識の科学入門」ですが、zoomでのリアルタイム授業として実施します。履修生は録画した講義をELMS上から観ることもできます。zoomの接続情報をELMSに掲載しました。講義内容や参考文献についてはこちら:北海道大学 大学院共通授業科目「意識の科学入門2021」補足資料

(2021/4/18) 今度の木曜に開催予定の「意識の科学入門」第2回講義「知覚的気づき」のスライドを完成させてアップロードした。第1回の講義ではハードプロブレムの話をして、phenomenalとaccessのあたりでかなりモヤってくれたようなので、第2回も神経相関一般=>意識の神経相関NCCの話だけで終わらせずに、コッホのインタビューとか、デネットのヘテロ現象学とかを入れて、さらにモヤってもらえるように構成した。

(2021/4/23) 「意識の科学入門」のリアペにぜんぶ返事書いた。これはたいへんだ。

(2021/4/27) 「意識の科学入門」ではサールを引いて「意識の探求は分析的定義ではなくて常識的定義があれば始められる」と話したけど、飯島さんのスライドで「認知科学も厳密な定義をしない」と、デルブリュックやクリストフ・コッホの発言が採りあげられてた。これは活用できそう。


(2021/5/6) 今日の講義「注意と意識」無事終了。次回の「脳損傷による意識経験の変容」の準備を昨日からしてたんだけど、次回は意識レベルの変容(VS, MCS)、分離脳、visual agnosia、blindsightと盛りだくさんなので、半側空間無視USNをやる時間がない。急遽今日の「注意と意識」の最後にUSNを移した。

これまで採りあげたトピックについては、だいたいJCか独学で原著に当たる機会があったのだけど、分離脳については全くノータッチなので今から勉強する。ガザニガらの"Cognitive neuroscience"で行けるかと思ったが、Pinto et al 2017の話をフォローする必要がある。

Brain 2017とTICS 2017をざっと眺めた(読んだとは言わない)。なるほどこれは分離脳の研究での意識の統一性の議論がぜんぶひっくり返ったというべきだな。「古典的解釈を説明してから新しい実験による解釈を紹介する」のがフェアだが、端的に混乱させるだけになるようにも思える。どうしたものか。

「生存する意識」(オーウェン)も図書館で借りてちょっと読んだ。倫理的な問題に触れているところがあった。テニスのimageryの実験、倫理審査は通ってるけど、意識がある証拠が見つかった際に家族に伝えるかどうかについては取り決めがなかったらしく、伝えることもできず、患者は後に亡くなっていた。

(p.119-121) 被検者ジョンに実験中した質問:「「死にたいかどうか、訊きなさい」スティーブン(・ローリーズ)は言った。」(p.153) 別のところでローリーズが閉じ込め症候群の人に安楽死を望むか聞いた記述もある(p.204)。赤裸々すぎてびっくりした。これは切り取らずにちゃんと読んだほうがよさそうだ。


(2021/5/13) 「意識の科学入門」第4回「脳損傷による意識経験の変容」も終了。第3回と第4回のリアクションペーパーに全部返事を書いた。効率的に済ませたいのだけど、面白い質問があるとつい調べ物をして長文の返事を書いてしまうので、時間がどんどん過ぎてゆく。

やってることは「認知神経科学入門」の一部とも言えるけど、意識経験の変容に重心を置いている。Blindsightでの「なにかある感じ」、USNでの「左があることを事後的に構成する」とか、akinetopsiaで「コーヒー注ぐと液体が凍りついて見える」とかを強調。脳の説明はもっと減らしてもいいのかも。


(2021/7/5) 「意識の科学入門」は今日が第12回の講義が無事終了。残り3回は@kmiyahara2013 さん、@ksk_S さん、総合討論を残すだけ。吉田の担当分は今日で終了。担当部分の第1-4回はこれまでのストックで準備できたけど、第8-11回はほぼゼロからの構成でしんどかった。

出来上がったものを見直してみれば、第8-11回の講義は、ここ20年の意識研究(私はASSCパラダイムと呼んでる)を羅列的でなく構成して説明したものになった。ここは自信作。木曜の授業のために日曜までにスライドを完成させてアップロードするのは大変だったが、これは無駄にはならないはず。


(2021/7/31) 大学院で「意識の科学入門」と題した講義を14回やって、あとは最終討論を残すだけとなった。それで@ksk_S さんと振り返りをやっていたのだけど、私の部分はperceptionメインで、@ksk_S さんのところはselfメインで、feelingとしての意識のところが比較的薄いなと思った。ダマジオ含めてこのあたりを(とリサ・フェルドマン・バレット含めて)補強しておかないとと思っていた。ついでながら今度の応用脳科学アカデミーでは私のFEP講義のあとが岡ノ谷先生の講義なので、FEPが情動をどう扱っているかを私の講義のところに含めておきたい、という動機もある。

あと石津先生の講義もあるので、artとFEPの話を探してみたら、これらを見つけた。

どうやら"Affective Predictions"がキーワードになりそう。


(2021/8/5) 明日が「意識の科学入門」の最終回。これまでの講義をまとめて、全体の流れの図を作ってみた。これまでの意識研究(ASSCパラダイム)は知覚(青)中心だったけど、意識は知覚、自己、情動、生命の点から俯瞰することができる。もちろんみんな繋がってるけど、情動がまだ充分にリンクできてない。

別案として、外受容感覚、運動固有感覚、内受容感覚からスタートして、そこから立ち上がってくるものとして知覚、自己、情動を置き、生命はそれの上階層にする、とかも考えた。あと知覚があるのに思考を置かないのは異論あるかもしれない。もちろん講義の中ではメタ認知や作業記憶にも触れている。

これの別案として、左側にさまざまな意識に関わる事象(NCC,閾下知覚,盲視,分離脳,共感覚,…)を配置して、右側にさまざまな意識の理論(GNWT, IIT, 社会脳理論,…)を配置して、どの事象からどの理論がインスパイアされたのはを右矢印で、そしてどの理論がどの事象を説明するかを左矢印で書く、とか。

こうすると、「知覚」とか「自己」とか「情動」といった多分に重なり合っている概念を無理に分けて表現せずに、あくまでも(操作的に記述された)事象とその説明モデルとしての理論の関係だけを表現することができるかも。


自律性の概念の先駆ということでロス・アシュビーのホメオスタットについて調べてた。北大図書館に「Design for a Brain」の訳書(1967年)があることを知って借りてきた。けっきょくのところ、入出力のないRNNとでも呼べばよいか。超安定性ultrastabilityとはアトラクターと同一視してよさそう。

面白いのは、重みをいじるだけでなく、適正な状態から外れると(=生存の危機)、「セレクター」が働いて、強制的に重みをランダマイズする。これでふたたび超安定に戻れば良し、そうでないときは再びセレクターが働く。

ネタ本はトーマス・リッドの『サイバネティクス全史』なのだけど、そこで引用されてたメイシー会議録(第9回1952年)も借りてきた。そこでのアシュビーの発表については、サイバネティクスのうち制御の人たちは懐疑的で、ベイトソンとかは興味を持ったらしい。私は後者に肩入れしている。

説明を補足すると、「ホメオスタット」というとたいがいこの4つのゴツい機械の写真が貼ってあっておしまいなのだけど、全体的な動作についての図がないなと思って、自作してみたという話。


ベイトソン「精神と自然」訳者の佐藤良明氏から文庫で再販のニュース。この本は私の人生にとって重要な位置を占めていて、1991年の18刷と原書と、ともに書き込みまくったものを今でも本棚に並べている。

今年度は大学院講義「意識の科学入門」を開講してなんとかやりきった。来年度にさらにこれを磨いてゆくけど、そちらが軌道に乗ったら次は「精神の生態学概論」を開講してみたい。要は19年夏にHSIでやった「エナクティヴィズム入門」の発展形で、アシュビー、ベイトソン、ヴァレラから現在へ繋げる。


(2021/10/2) シンギュラリティサロンでオンライン講演会を行います。吉田と田口さん @ShigeruTaguchi というCHAINメンバー二人で「意識の考え方」を考える──北大CHAINの挑戦」というテーマです。吉田は今年度開講した「意識の科学入門」での実践について話します。


(2021/10/30) シンギュラリティサロン「「意識の考え方」を考える──北大CHAINの挑戦」は明日13:30からyoutubeでライブ配信です。(録画を視聴できます: Youtube)


私のスライドもほぼ完成。講義「意識の科学入門」の内容に忠実に図を作っていたのだけど、けっきょく話す内容に合わせてこの図に差し替えた。


2020年04月12日

グレゴリー・ベイトソンの「形式、実体、そして差異」をまとめてみた

北海道大学の人間知・脳・AI 研究教育センター(CHAIN)の教育プログラムを作っていくところでわたしが密かに構想していたのは、グレゴリー・ベイトソンの「精神と自然」にあるような「サイバティックな認識論」を現在の科学の水準のもとで再構成するということだった。

「精神と自然」についてはこのブログの初期にサマリを作ったことがある:グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ これを作成したのが2000年8月のことで、まだ私はPh.D.を取得する前の過酷な実験生活に合間を見て書いたもので、それが巡り巡っていまここに戻ってこようというのだから感慨深い。

でもたとえば、Chap.2の「4.イメージの形成は無意識過程である」なんて見たら、ヘルムホルツ的視覚観じゃん!とか思うけど、フィードバックとフィードフォワードを組み合わせたキャリブレーションの概念とかまだ汲み尽くせない問題がある。また、「生物学に単調な価値はない」「[安定している][変化している]という言葉は記述のうちの一部分のみを表している」まさにどれもこれも今私が伝えておきたいことだなと思う。

そういうわけでベイトソン読み直してみた。ベイトソンのもうひとつの主著「精神の生態学」のラストの方にある講演原稿「形式、実体、そして差異」は、有名なフレーズ「情報とは、違いを作り出す違いのことである」の初出も含まれていて、ベイトソンの様々なアイデアを繋げて一つの話にしてあるという意味でたいへん重要な記事なので、これについてまとめておこうと思う。(なお、講演原稿であるため、個々の事項についての説明はあまりなく、これだけでは説得力があるかわからない部分も多々ある。)


[グレゴリー・ベイトソン「形式、実体、そして差異」まとめ]

(訳注: この原稿は1970年のコージブスキー記念講演というところで話されたもの。コージブスキーといえば「地図mapと領地territoryはべつものである」のフレーズで有名。これはベイトソンが頻繁に言及する。)

[前置き]

  • ギリシア哲学の時代から、2つの認識論が対立している。ピタゴラス派は(世界について)その実体substanceではなくてパターンを探求すべきとして、実体派と対立し、非主流的立場でありつづけた。
  • 進化論のラマルクは、精神mindとパターンを進化の説明原理にしようとした、ピタゴラス派の後継。しかしラマルクはダーウィンらの生物学的な考え方によって主流からは追いやられた。
  • サイバネティクスとシステム理論によって、(ピタゴラス派からの系譜の)パターンについての探求を行うことが可能になった。
  • ここでは「精神mindとはなにか?」について私なりの考えを書いてみよう。
  • そのためにまず進化の側面から話を始める。

[進化における生存の単位]

  • 「自然選択における生存の単位」とはなんだろうか?
  • ダーウィンの進化理論はこれを個々の生物や家系や亜種と捉えていたが誤っている。
  • もしこれらが生存の単位として最適化されるならば、環境を破壊し、おのれをも破壊してしまう。
  • 集団遺伝学はこの誤りを部分的に訂正した。生存の単位は均一な集団ではない。この不均一性こそが環境を扱うための試行錯誤システムの半分を担っている。
  • このような生物側の柔軟性(flexibility)に加えて、環境自体の柔軟性も考慮する必要がある。
  • よって「自然選択における生存の単位」は「柔軟性を持った生物と環境」これだ。

[精神mindの単位]

  • いっぽうで、精神mindの単位とはなんだろうか?
  • その準備として、差異について考えてみることにしよう。

[差異とは?]

  • ここでコージブスキーのフレーズを思い出そう。
  • 「地図mapと領地territoryはべつものである」というとき、地図の上に載っているのは何か?
  • それは領地のうち、周りと異なっている部分、つまり差異だ。たとえば高度の違い、植生の違い、これらの差異が地図上に線として書き込まれる。
  • では差異とはなんだろう?それはモノthingではない。紙と木材の違いは紙や木材の中にはない。紙と木材の間の空間にもない。差異とは抽象的なコトmatterだ。
  • ハード・サイエンスにおいては力とかそういう具体的な原因によって結果が引き起こされる。
  • しかしコミュニケーションの世界では、差異によって結果が引き起こされる。
  • ゆえに「知らせが無いこと」も原因となりうる。
  • (カントの「物自体」の議論と関連付けたうえで)観念ideaとは、もっとも基本的なelementary意味では、差異と同義ではないだろうか?
  • たとえばチョークと太陽との間、チョークを構成する分子の位置、こういったところに無限の差異がある。
  • われわれはこれらの無限の差異の中から限られたものを選択し、それが「情報」となる。
  • つまり情報(より正確には情報の基本的な単位)とは、ある一つの差異を生み出すような一つの差異のことなのだ。
  • この差異を運ぶための神経回路は、エネルギーを用いていつでもトリガー可能な状態になっている。(訳注: エネルギーが運ばれるわけではない)
  • このようにして身体の内部では差異による信号の伝達があり、身体の外では紙からの光が原因となって網膜へと入ってくる。
  • 「地図mapと領地territoryはべつものである」というのは、このような神経回路での変換によって、地図の地図の地図、が際限なくつづくものが精神の世界なのだということ。

[プレローマとクレアトゥーラを繋ぐ]

  • ユングが導入した2つの説明世界。
  • プレローマpleromaはハード・サイエンスの世界で、そこには区切りがなく、差異がない。
  • クレアトゥーラcreaturaは精神の世界で、差異が結果を生み出す。
  • (これら2つの分断ではなくて、)両者を結ぶ橋を考えてみよう。
  • ハード・サイエンスがプレローマだけを扱っているわけではない。
  • カルノーサイクルで温度差が無くなってしまえば仕事を取り出すことができない。
  • プレローマの研究者はこれを利用可能なエネルギー(=自由エネルギー)として捉える。
  • いっぽうでクレアトゥーラの研究者はこのシステムを温度の差異によってトリガーされる感覚器として記述するだろう。
  • つまり、情報を生み出す差異とは、この場合自由エネルギーになっている。
  • (訳注: 原文では「自由エネルギー」の部分はシュレディンガーの「生命とは何か」にあるように「負のエントロピー」を使っているのだけど、ミスリーディングなので読み替えてる。)

[シナプス加重と閾]

  • シナプス加重という現象では、ニューロンAの活動とニューロンBの活動が同時に起こったときだけニューロンCが活動する。
  • これをプレローマの研究者は加重summationと呼ぶけれども、むしろ差異を作り出すシステムの働きと考えたほうがよい。
  • つまりクレアトゥーラの研究者からはこのシステムは論理積(AND)の形成と捉えられる。

[差異の階層化について]

  • (訳注:省略)

[精神mindの単位ふたたび]

  • それでは、わたしの精神 my mindとはいったいなのか?
  • 木と斧と人間が作るシステムを考えてみる。
  • われわれが木を斧で切るときのシステムはこれらのサイクルをグルグルと巡り、切り離すことはできない。
  • 「精神の最も単純な単位」はこのようなメッセージが周回する回路だ。
  • そしてこれが観念ideaの最小単位とみなしても不合理はない。
  • このようなサブシステムが階層をなして、情報を変換し、試行錯誤をする回路の全体、これが私の精神だ。

[生存の単位と精神mindの単位]

  • このような「精神の単位」についての見方は、前述の「進化における生存の単位」についての見方と正確に一致する。
  • これこそがこの論文が提供する最も重要な一般則だ。
  • 進化における生存の単位も階層的構造をなしており、DNAが細胞の中にあり、細胞が身体の中にあり、身体が環境の中にある。
  • これらはそれぞれのレベルで「システム」であり、前者(例:DNA)がそれを取り巻く基体(matrix)である後者(例:細胞)との対比で可視化される。

[以上のことの意義、帰結]

  • 以上のことは理論的な意味での重要性だけでなく、さまざまな側面について見方を大きく変更するような重要性を持つ。
  • たとえば生態学における倫理的側面。 (訳注:省略)
  • たとえば宗教と神学。 (訳注:省略)
  • たとえば詩的想像力と美。 (訳注:省略)
  • たとえば死の意味。 (訳注:省略)

さいごの省略した部分が充分な分量があって、そこも意義深い。

たとえば、知覚するものと知覚されるものが分断されるような、現在の我々の思考法全体を組み立て直さなければならないのであって、音楽を聞く私と音楽との境界が消え去るような、新しい思考法を身につけること、これが大きな課題だと言っている。

また、「美、芸術」についてのところでは、知性と感情の分離の問題において、芸術家が行っていることはたんなる感情側についてのものではないのだと。芸術が関わるのは、知性と感情の橋渡しの仕事だと。芸術が関わるのは、精神課程のさまざまなレベルの間に結ばれる関係なのだと。

さて、読めば読むほど、話が大きいスケールに広がって、まあそれがベイトソン自身が歩んだ道の追体験であるのだけど、これを批判的に読んだうえで、ダメな部分はちゃんとダメと言ったうえで、もっと地に足をつけた形で再構成してやろう、これが私の野望というわけです。ともあれ今回はここまで。


2020年04月11日

北大CHAINの教育プログラムが始まります/講義の構想メモ

北海道大学の人間知・脳・AI 研究教育センター(CHAIN)に異動して3ヶ月が経ちました。新年度からいよいよCHAINの教育プログラムが始まります。詳しいことはこちらへ:CHAINの教育プログラム

まあいまはどこの大学の教員の方もオンライン講義への対応でたいへんかと思いますが、うちはそれにはじめての講義をデザインする過程がぶつかってしまったので、なかなかたいへんなことになってる。

元々CHAINの教育プログラムについての説明会を行う予定でしたが、こちらはオンラインでの説明会になる予定です。CHAINの教育プログラムwebサイトのwhat’s newのところで最新情報を追加してますので、履修希望の方はそちらの更新をチェックしておいてください。(ちなみに今これを主に更新している「中の人」は私。口調が吉田っぽいところがあるかも。)


さてそれで教育プログラムの中身ですが、まず最初はCHAINのコアメンバーによるオムニバス講義「人間知序論I」からです。人間知序論Iの構成はいまのところこんなかんじ:

  • 第1回: 田口 茂 教授 (文学研究院) 「学際研究の意義、哲学の意味」(仮題)
  • 第2回: 竹澤 正哲 准教授 (文学研究院) 「なぜモデリングが必要なのか」(仮題)
  • 第3回: 飯塚 博幸 准教授 (情報科学研究院) 「AI入門、ディープラーニング」(仮題)
  • 第4回: 吉田 正俊 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「神経科学の方法: 観察と介入」(仮題)
  • 第5回: 島崎 秀昭 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳の理論への招待1:認識への理論的アプローチ」(仮題)
  • 第6回: 島崎 秀昭 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳の理論への招待2:回路・計算・情報」(仮題)
  • 第7回: 宮原 克典 特任講師 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳と心の哲学」(仮題)
  • 第8回: 吉田 正俊 特任准教授 (人間知・脳・AI研究教育センター) 「脳と心の科学」(仮題)

私もここで90分授業を2回、第4回「神経科学の方法: 観察と介入」(仮題)と第8回「脳と心の科学」(仮題)を受け持ちます。

そういうわけで現在の講義の構想をメモっておきます。(このブログはいつも構想練ってばっかだな〜)

第4回の方は神経科学入門なんだけど、理系、文系両方に向けての講義なので、「脳を研究するとはどういうことか、脳を調べたら何がわかるのか」という問いに答える形で、神経科学の基礎的な事項を導入することを目指してる(口調変わった)。

つまり、ある心的活動をしたら脳のどこが「光った」というfMRIの図があるけど、それって相関でしかないよね、とか、そもそも「光る」っていうけど何を見ているかというと血流量だよとかそういう話。じゃあ脳のある部分が「因果的に関わっていることを示した」っていうけどそのとき何をやっているかっていうと、脳のある部分を刺激したり、抑制したりということで、損傷研究、薬理的方法、光遺伝学とかについて紹介する。でもこれらはあくまで介入する方法でしかない。(いろんな視覚刺激を見せて応答を計測するのだって介入の一種だ。)

「因果を示す」ってどういうことか考えてみれば、因果推論とは介入ありと無しとの比較という反実仮想に基づく推定であって、因果のノードが外部の刺激から脳のネットワーク、そして行動までのループに広がっていることを考えれば、因果を「直接的に示した」みたいな言い方には注意を要することがわかる。

このあたりを突き詰めていくと、脳を局在論的に扱うのではなくてシステムとして捉えるべきだ、という考えにたどり着く。以前ブログ記事で取り上げたNCC(意識の神経相関)ってそもそもなんだったっけ?で書いたことはそれを意識に関わるところまで広げたものだけど、90分でそこまで行くのは詰め込み過ぎだろうから、第5回、6回への橋渡しを意識して導入するマテリアルの分量を調整する。

第8回の方はオムニバス講義の総まとめ的な位置づけで、第1回の田口さんの哲学から始まって、第2,3回でのモデリングを経由して、4,5,6回あたりでいったん神経科学寄りになって、ふたたび7,8回で神経科学とモデリングと哲学を合体する、みたいなかんじで考えてるので、こちらは第7回の宮原さんの講義の内容を引き継いだ上で話ができるようにと考えてる。基本的なアイデアは昨年行った「エナクティヴィズム入門一週間コース」(北海道サマーインスティチュートで開催)で使ったマテリアルからエッセンスを抜き出してということになりそう。こちらについては以前ブログ記事で構想練ってるところについて書いたけど( たとえば「エナクティビズム入門一週間コースをやります/エナクティビズムっていったいなに?」)、講義内容の方はまだまとめてないのでそのうちスライドをアップロードする予定。

これらの2回の講義では到底伝えられないであろう部分をきっちりやるのが、来年度の私の通年の講義ということになりそう。そういうわけで、ぜひ北大CHAINの履修しに来てください。(PR表記)


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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