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■ 生理研研究会 予習シリーズ:ラットの因果推論と連合学習理論(1)
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さて、生理研研究会 予習シリーズ、前回の続きです。講演者の澤 幸祐さんの仕事の紹介を兼ねながら、動物で「因果推論」の証拠を得るためにはどのような手続きが必要か、連合学習理論とはどういうものか、といったことをまとめておきたいと思います。
(9/8追記:第一回から最終回までつなげたPDFを作りました。ご利用ください:pdf (11MB))
今回メインで読むのは澤さんがUCLAに居られた時の仕事のうちのひとつで、「ラットが因果推論をする」というものです。
- Blaisdell AP, Sawa K, Leising KJ, Waldmann MR. (2006) Causal reasoning in rats.(pdf) Science. 311(5763):1020-2.
さらに補足的にこの論文の続編的な二つの論文にも言及します。
- Leising KJ, Wong J, Waldmann MR, Blaisdell AP. (2008) The special status of actions in causal reasoning in rats.(pdf) J Exp Psychol Gen. 137(3):514-27.
- Blaisdell, A. P., Leising, K. J., Stahlman, W. D., & Waldmann, M. S. (2009). Rats distinguish between absence of events and lack of information in sensory preconditioning.(pdf) International Journal of Comparative Psychology, 22, 1-18.
Science 2006では「ラットが因果推論をする」ということを見つけました。「因果推論をする」ってことを証明するにはどうすればよいか。この論文のNews and ViewsをClayton and Dickinsonが書いてますので、そこにある例を引いてみます。
- Clayton N, Dickinson A. (2006) Rational rats. Nat Neurosci.9(4):472-4.
つまり、「あなたは裏庭に洗濯物を干しました。居間に戻ってきてしばらくしたところで、表門側の窓に水滴が付いていることに気付きました。あなたは雨が降り始めたなと推測して、あわてて洗濯物を取り込みに行きます。
いっぽうで、もしあなたが洗濯物を干した後で、表門側の庭の芝生でスプリンクラーのスイッチを入れていたとしたら、表門側の窓に付いた水滴はスプリンクラーによるものだと判断するので、洗濯物を取り込みに行こうとは思わないでしょう。」
このたとえ話の前半部分の行動は以下のような因果モデルに基づいています。
- 「雨が降る」->「表門の窓に水滴が付く」
- 「雨が降る」->「洗濯物が濡れる」(->「洗濯物を取り込む」という行動を引き起こす)
さらに後者では
- (自分が)「スプリンクラーを起動した」->「表門の窓に水滴が付く」
という知識を元にして、「表門の窓に水滴が付く」を説明する因果モデルとして
- 「雨が降る」->「表門の窓に水滴が付く」
- (自分が)「スプリンクラーを起動した」->「表門の窓に水滴が付く」
のうち後者を選択した、つまり「表門の窓に水滴が付く」からその原因を推測したわけです。
というわけで、スプリンクラーを起動したかどうかの違いで洗濯物を取り込むかどうか行動が変わることが「因果推論」をしたことの証拠となるわけです。
確率表現にするならば、これはベイズネットで表現できて、洗濯物を取り込みに行くかどうかは以下の確率に基づいて行動選択することになるでしょう。
- P(洗濯物が濡れる|表門の窓に水滴あり, スプリンクラー起動してない)
- P(洗濯物が濡れる|表門の窓に水滴あり, スプリンクラー起動した)
いったん脇道にそれますが、ポイントとしては、人は今示したようなcommon causeの因果モデルから因果の向きをひとつ逆向きにしたchain modelの因果モデルとを混同しません。
Common cause
- 「雨が降る」->「表門の窓に水滴が付く」
- 「雨が降る」->「洗濯物が濡れる」(->「洗濯物を取り込む」という行動を引き起こす)
Chain cause
- 「表門の窓に水滴が付く」->「雨が降る」
- 「雨が降る」->「洗濯物が濡れる」(->「洗濯物を取り込む」という行動を引き起こす)
もしchain causeを信じていたら、スプリンクラーを起動するたびに洗濯物を取りに行くことになります。これは不合理。
- 「スプリンクラー起動する」-> 「表門の窓に水滴が付く」->「雨が降る」->「洗濯物が濡れる」
不合理だけど、そんな論理的誤謬のケースを考えてみた。
- 「夏休みが終わる」->「カレンダーが9/3になる」
- 「夏休みが終わる」->「宿題提出の期限が来る」
こういうcommon causeの因果モデルを我々は理解しているのだけれども、宿題提出の期限が来ないようにカレンダーの日付を一日戻す。
- 「カレンダーが9/3ではない」->「宿題提出の期限が来ない」
これは誤ってchain causeに基づいたという論理的誤謬なのだけど、その気持ちわかるなー。
もうひとつの例として「カーゴカルト」で当てはめてみた。(なお、これじたいの信憑性などについてはwikipediaへ。)
- 「アメリカ人がやってくる」->「飛行機がやってくる」
- 「アメリカ人がやってくる」->「食べ物が投下される」
こういうcommon causeの因果モデルがあるはずなのに、chain modelと誤解して、
- 「飛行機や軍服のパチものを作る」->「食べ物が投下される」
と理解できるわけ。こうしてみるとじつのところどのくらい非合理化だと言えるだろう?
話を戻すと、これと同等のものをラット用にデザインしてやれば、因果推測のテストとなるわけです。そこでScience 2006で使ったのは以下の条件です。
- 「ライトが点灯する」->「砂糖水が出る」
- 「ライトが点灯する」->「トーン(純音)が鳴る」
こういうcommon cause因果モデルを学習させる。テスト段階では、
- 「トーン(純音)が鳴る」
もしラットがcommon cause因果モデルを理解しているなら、「トーン(純音)が鳴る」ときには(ライトが点灯するかどうかは見えないのだけれども、)「砂糖水が出る」と推論して砂糖水の出るところに鼻をつっこむだろう。実際そうだった。
(なお、テスト条件では砂糖水は出ない。もし砂糖水が出てしまうとそれだけで強化されてしまうので、そのまえに学習したことのテストにならない。これはこの種の実験での基本的な手続き。)
テスト段階にはもう一つの条件があって、レバーを押したときだけトーン(純音)が鳴る。
- 「レバーを押す」->「トーン(純音)が鳴る」
ではこの条件のときにラットは砂糖水の出るところに鼻をつっこむかというと、さっきの条件よりも減った。
これはどういうことかというと、洗濯物の話のときと同じ。「トーン(純音)が鳴る」を説明する因果モデルとして
- 「ライトが点灯する」->「トーン(純音)が鳴る」
- 「レバーを押す」->「トーン(純音)が鳴る」
のうち後者を選択した。ゆえに前者を選択した場合に起こる鼻をつっこむ行動が減った。つまり「トーン(純音)が鳴る」からその原因を推測したわけです。
というわけで、レバーを押したかどうかの違いで鼻をつっこむ回数が変わることが「因果推論」をしたことの証拠となるわけです。なるほどね!
でも思うに、どうしてこんなに複雑な条件を使わないと「因果推論」を証明することが出来ないんだろう? われわれはもっとシンプルな条件でも因果推論をしていると思うのだけれども。
なんでかというと、もっとシンプルな条件のものは連合学習理論で充分説明できるからです。連合学習理論ではこれまでに説明したような「因果モデルを元に推論する」というような認知的なプロセスを仮定する必要がありません。
では連合学習理論とはどういうものか、これについては次回まとめてみます。
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- / 投稿日: 2012年09月03日
- / カテゴリー: [生理研研究会2012「推論の脳内メカニズム」]
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