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■ Aberrant salience仮説と潜在制止と統合失調症における主観的経験
JCのほうはけっきょくSchizophr Bull. 2012 Neural and Behavioral Correlates of Aberrant Salience in Individuals at Risk for Psychosis をやることにした。
Kapurのaberrant salience説のレビューだけだとJCにならないので。ただし、RoiserのSalience Attribution Testというのはなんのことはない連合学習課題なのに、縦軸がaberrant salienceとか操作的でないのが嫌。
あと、結果も汚いのでこれは正直信頼できない(散布図で外れ値一個しだいでp値0.03とか信じるの無理)。ただ、良いところは、動物でもこの課題使える。よってcriticalに読んで、associative account of SZ系の話と繋げるのがよさそう。
- Disrupted prediction-error signal in psychosis: evidence for an associative account of delusions.
- それからEscobarにもAssociative deficit accounts of disrupted latent inhibition and blocking in schizophreniaというのがある。
- Associative learning and the genetics of schizophrenia
要は、aberrant salience説と、連合学習説と、フリスとかのprediction error説とがあって、たぶんどれも同じ事態についてものを言ってるんだろう。
"Latent inhibition"をキーワードにしたらざくざく出てくるな。これはヤヴァい。こっち方向は、勉強しなければならないことが多すぎる。
うーむ、このへんまで見てしまうと、Salience Attribution Testとか車輪の再発明としか思えない。ちょっと方針転換するか。Brain 2007 Disrupted prediction-error signal in psychosisにするとか。
ついに見つけた! Latent inhibition and other salience modulation effects: same neural substrates? これはLIとKapur説を繋げてる!って思ったら澤さんが紹介してくれた本の15章だった。ともあれ満足したので寝る。(<-読めよ!)
潜在制止だったらラットで充分だしすでに中間表現系の一つとなってるので、言いたいことはそうではなくて、kapurが提唱したみたいに、(中間表現系を現象論として評価に使うだけではなくて) 病因論的にどのように症状が発達、展開するのかを生理学的に解明するのに使えるのではないかという話。
だから、潜在制止をラットで見てゲノムとの対応を見てとかそういうのでは、PPIを代わりに使うのと同じ。pubmed見たらそういう研究が山のように出てきて、そういうことがしたいわけではないと思った。
私が問うべきだと思うのは、ラットにもし思考があって、そして潜在制止が低下しているのなら、delusionを引き起こすような展開はあり得るかということ。ありえないなら、じゃあ、霊長類なら思考はあるか? これが以前の因果推論の問題に繋がる。そもそも人間は思考しているのか?
Aberrant salience仮説の説明のために「(ぼっちの)大学生が食堂に来てみたら、その場にいる全員がギョッとして自分を見ている」っていうネットでよく見る画像、あれを使おうと思って探してみたら意外と見つからない。わざわざ探そうとするようなものではないものなあ。
見つかった>「(ぼっちの)大学生が食堂に来てみたら、その場にいる全員がギョッとして自分を見ている」っていうネットでよく見る画像。「ぼっち 食堂」でググればよいのだな。
Kapur 2003で引いているSZ前駆期の「気づきの亢進」についての論文を読んでた。"Living with schizophrenia"
"Psychedelic" Experiences in Acute Psychoses こっちはLSD経験についての主観的経験の報告だと勘違いしていた。そうではなくて、「急性精神症状時の「サイケデリック」な経験」、つまり前駆期にさまざまな「すべてがmake senseした」体験とかそういうまさに探していたものだったので、19ポンド払って購入した。
"there was some overwhelming significance in all this … The walk of a stranger on the street could be a "sign" to me which I must interpret"
"In this state, delusions can very easily take root and begin to grow"
"By the time I was admitted to hospital I had reached a stage of "wakefulness" when the brilliance of light on a window sill or the color of blue in the sky would be so important it could make me cry"
盲視に関しても同様なのだけど、こういう「主観的経験の記述」にものすごく興味が惹かれる。
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- / 投稿日: 2014年03月28日
- / カテゴリー: [Saliencyと眼球運動]
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