[カテゴリー別保管庫] 知覚的意思決定 (perceptual decision)


2011年05月27日

BPT_モデル、意志決定の応答潜時モデル、自己組織化臨界現象

さいきんのBPT_分布とかそういう話題(たとえばBPT過程、更新過程メモ、さらに元ネタのpdf)で、応答潜時のdiffusion modelとかで見たことあるようなランダムウォークの図が出てきたので、なるほどこうやって繋がるのかとか思った。

ランダムウォークモデルを使うということは、閾値は一定で、毎度同じ大きさの地震が起こるということを仮定しているわけで、でも実際はそんなことはなくて、いろんな大きさの地震が起こって、その大きさの分布がべき乗則に従うわけだから、生成過程のモデル(process model)の部分をもっと精緻にしたりとかたぶんできるんだろう。

ある震源地で、M1からM9までいろんな大きさの地震が起こっていて、その頻度の分布はべき乗則に従っている(*)んだけれども、たとえばM7以上とかに絞るとけっこう周期があるように見える、というのが実情なのだろう。

(*あとで確認してみたら、これにはグーテンベルク・リヒター則という名前が付いていて、経験則として確立していることを知った。地震発生の頻度を自己組織化臨界現象として捉えるというのは、国内でも元神戸大の伊東敬祐先生のプロジェクトがあったのをwebで見つけたし、けっこう前から複雑系のメイントピックではあるらしい。ともあれ、ここでは意志決定の過程の話をしたい。)

以前に『歴史は「べき乗則」で動く』を読んだときに一時的にかぶれたんだけれども、「科学」の地震の特集の号(たぶん2010年8月号か?)とか読んでみたらぜんぜんそういった複雑系的な話題がなくて拍子抜けした覚えがある。

だから地震の発生頻度の予測にランダムウォークと閾値のモデルを使うというのはかなり簡略化したモデルといえるだろう、みたいな話にして終わるつもりだったのだけれども、逆に考えることができることに気づいた。

つまり、地震だけではなくって、応答潜時に関しても、ランダムウォークで一定の閾値を超えるとイベント発生というのはかなり簡略化したモデルなのであって、実際にはそんな閾値などどこにもない。急速眼球運動(サッカード)の開始コマンドを発生させるニューラルネットワークは試行ごとにいつバーストするかは入力の大きさとは一対一対応には決まっていない。つまり砂山が崩れるタイミングと同じ自己組織化臨界現象となっている。

そう考えると、一定の閾値を超えたらバーストするという心理学的モデルが実際のニューラルネットワークの挙動とずいぶんかけ離れているように見えたものだけれども、もうすこし生理学にできそうな気がしてくる。

もちろん、リアリスティックにすればいいってわけではない。CarpenterのLATERモデルが1/RTが正規分布するというモデルでかなりうまくいったことは、本質をうまいこと突いたことを示している。(LATERモデルは試行ごとにslopeが変わるだけで、試行の中では直線的にevidenceが蓄積する。よってこれはランダムウォークですらない、非常に簡略化されたモデルとなっている。)

論点はそこではなくて、以前Marrの階層的に応答潜時の計算論モデルを考える、ということをブログに書いたことがある(20100317)けど、あれに関わっている。あのとき書いててぴんとこなかったのは「はたして閾値を作るニューラルネットのprocessとはじつのところいったい何だろう?」もっと簡単に「閾値の実体っていったい何だろう?」ってことだった。

そのときは個々のニューロンのintrinsicな特性とネットワーク的特性、みたいなかんじで自分を納得させていたのだけれど、ここまで考えてくると、そのネットワーク的特性というのを閾値の中に押し込まずに、自己組織化臨界現象がおこるニューラルネットワークの中でとらえる方がよいような気がする。そのうえで改めて、basal gangliaからの入力とかそういったものによる調節をとらえるならば、閾値の上下のような心理的な概念をもっとニューロンの言葉で語ることができるのではないだろうか。

とここまで書いたところで、計算論のひととかだったら当然思いつくことであるような気がした。たぶんそういったアプローチはあるのだろう。だから私としてここで強調したいのはそういったテクニカルなところよりかは、閾値という概念から砂山が崩れるタイミングのような現象への移行だ。

でも意志決定のneural dynamics的なモデルってXiao Xing Wangの(2002それから2006)とかあるなあ。でもNature neuroscience 2006を見直してみたところ、あらかじめthresholdを決めてあるようだ。まだそんなにメジャーなものはないのかもしれない。

ニューロンのバーストをself-organizing criticalityとして見るってのは”Neuronal avalanche”でやってる。neuronal avalancheじたいはスライスだけではなく、最近ではmacaqueのECoGでも見られるらしい(PNAS)。ただしここでやってることは、ECoGから大きい同期発火とおぼしき波形を検出してそれのamplitudeの分布がべき乗則に従っているとかそういう話。

つまり、まず事実レベルとして意志決定の過程での閾値のバーストというのがSOCなのかどうかを検証する段階にあるので、モデルとしてはまだ神経科学内で受容されるほどのところまでは来ていないということなのかも。(物理系のジャーナルとかには出ていてもおかしくない。)

これ以上は論文読んで考えた方がよいことだけど、ふつうにニューラルネットワークのモデルで近接したニューロンどうしてreciprocalに結合した状況で個々のニューロンに閾値があってバーストするようにしてあるだけではSOCにはならない。Criticalであるちょうどよい状態を保つためにはネットワークの相互の結合強度をそのように調整する必要があるし、それがどのくらいロバストなのかとか、そもそもcriticalである必然性があるのかとかいろいろ気になるところはある。

でも、以前言及した"Self-organized criticality occurs in non-conservative neuronal networks during ‘up’ states" Nature Physicsとか見てて、consciousな脳はcritical stateであるってのはなんだかすごく重要であるような気がしてきた。Buzsakiもたぶんなんか言っているよね。

"Rhythms of the brain"見てみた。128ページだ。これはバーストの話ではなくて、脳波の話だけど。なんだか収拾つかなくなってきたので、5章のまとめを貼って終わりとします。

Order in the brain does not emerge from disorder. Instead, transient order emerges from halfway between order and disorder from the territory of complexity. The dynamics in the cerebral cortex constantly alternate between the most complex metastable state and the highly predictable oscillatory state: the dynamic state transitions of the brain are of the complexity-order types. When needed, neuronal networks can shift quickly from a highly complex state to act as predictive coherent units due to the deterministic nature of oscillatory order.

(ついったに書いたことを元にして編集して作成した)


2009年05月21日

Confidence in LIP

ShadlenのConfidence in LIPの論文が出てます:
"Representation of confidence associated with a decision by neurons in the parietal cortex." Kiani R, Shadlen MN. Science. 2009 May 8;324(5928):759-64.
要はpost-decision wageringをやっているときのLIPを記録したという話で、random dot刺激のperceptual decisionの実験系にuncertainなときはlow risk choiceを選べるようなオプションを付けたわけです。でもって、low risk choiceを選んだときはLIPの活動がどちらともつかないようなものになっていたというわけです。
いわば"post-decision wagering in LIP"なのですが、そういう言い方はしてません。恐るべきことにと言いましょうか、"Post-decision wagering objectively measures awareness."はreferしてません。これはあくまでdecisionの論文であって、awarenessの論文ではないので、awarenessに関連する言及はほぼ完全にシャットアウトしてます。
さらにこのようなconfidence judgementにはmetacognitionの概念を用いた説明が必要ない、としてます:
"This simple mechanism ... removes the need to resort to metacognitive explanations for certainty monitoring ... Our findings support a low-level explanation of postdecision wagering in our task"
Awarenessに関連する言及はこれにつづく一文だけです:"but they do not preclude the possibility that an animal that experiences subjective awareness of degree of certainty might base such impressions on neural signals like the ones exposed here."
まあ、こんなもんでしょう。以前も書いたことがありますが、awarenessのstudyとperceptual decisionの話は食い合わせが悪い。Perceptual decisionの話はその中できっちり話が閉じるので、awarenessの概念が必要ないのです。わたしの興味からこの論文を眺めれば、話の順番としては、awareness/consciousnessの評価をしたくて、metacognitionが関わって来るであろう課題としてpost-decision wageringを選んで、ニューロンを記録して、perceptual decisionの枠組みで解釈してみると、metacognitionもawarenessも必要なくなっている、という事態になっているように思います。しかし、Shadlenはdecisionのことが出来ればよいのでなにも困らないでしょう。
けど、わたしは困る。このへんがわたしの主戦場となるもんでね。敵にもせずに、味方にもしないようなうまい立ち回りが必要、というわけです。私の話も半分はawarenessで、半分はdecisionなのですから。彼らが使っている"Log posterior odds = log-likelihood ratio + log prior odds"という式はaccumulator modelとSDTとを組み合わせるために有望なものです。わたしがいま扱っている問題こそがいちばんこれをうまく使えるんではないかと思ってます。
そして、blindsightの話はいったん整合性よくできたperceptual decisionの話をdetection/discriminationの乖離というのを持ってきてまた揺り動かそうとするものなのです。さて、これがうまくいくかどうか、わたしの論文の行方で判断してみてください。


2008年08月12日

ラット脳から意思決定の信頼度情報を解読

当ブログでもNewsome論文のスレッドなどでいくつかコメントを寄せてくださっていたHarvardの内田さんの仕事がNature AOPに掲載されています。おめでとうございます:
"Neural correlates, computation and behavioural impact of decision confidence" Adam Kepecs, Naoshige Uchida, Hatim Zariwala and Zachary F. Mainen
まだ図をちらっと見たくらいですが、これは重要。以前から精力的に続けておられるrodentでのperceptual decision (二種類の匂いを混ぜて、どちらが多いかを選択)の仕事ですが、今回のはOFCからニューロンを記録して、perceptual decisionのSDT的モデルと組み合わせて、"decision confidence"がOFCのニューロンに表象されている(=研究者が情報を読み出すことが可能)ということを示しています。
さらにreinitiation taskというのを使ってrodentでもそのようなconfidenceを使っているとする証拠(=動物自身がその情報を使っている)を出しています。これは、perceptual decision taskなのだけれど、choiceをしてからrewardが出るまでの時間が2-8 secと振ってあって、自信がないときはrewardが出るかどうかわかる前に次の課題を始めることができる、というもの。(エラーだったら8secあとにエラーの音が鳴る。) これは行動の評価としてはシンプルで良いですね。
このへんは待つことのpayoffとかそういう話にもなるので、南本さんの話に関連してくるはず。研究会ではそういう質問をしてみましょうか。
モデルの図4も読めてないけど、TICS 2008 "Getting technical about awareness"とかとつなげて考えたいです。
全体として、accuracyとconfidenceをどうやって分離できるのかとか、reinitiation taskのシンプルさ故の限界はどこか、とかまだわからないところはあるのですが、いろんな意味で私にも関係のある重要な仕事なので精読しときます。とりあえず今日は速報まで。
「Rodentを使ったperceptual decision」に関してはShuzoさんのエントリ「カンファレンス・プレビュー」(超力作!!)をどうぞ。
わたしの仕事との関連、という点は次のエントリで。

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# Shuzo

私のまとまりのないエントリーまで引用していただいて恐縮です。(素人丸出しな部分も多々あって、恥ずかしいですが、、、)
それはともかく、ジャネリアのカンファレンスでは、この論文の筆頭著者Kepecsさんのトークが最もインパクトのあるトークの一つでした。その時すでに投稿済みだったのですね。

ちなみにこのKepecsさん、Mainenラボがポルトガルへ移る時、あとがま?として独立しています。超若いです。
http://kepecslab.cshl.edu/

内田さんラボ、Mainenラボ、Kepecsラボと、げっ歯類のperceptual decisionの分野がどう発展していくか注目ですね。


2007年02月13日

ランダムドット刺激のcoherenceってどのくらい保証されてるの?

どもども。前から気になってたことをざっくり書いてみます。勘違いしてたら指摘してください。どなたか名指ししているつもりはございませんので、もしよろしければということで。
Bill Newsome以降のランダムドット刺激を使ったperceptual decisionの仕事がうまくできていたのは、near-thresholdの刺激をランダムドットのcoherenceという形で連続的に操作できる点にありました。だから、coherence 50%という同一の刺激に対して、右向きだと判断したときと左向きだと判断したときとでニューロンの反応が違っていたら、それは刺激の物理的特性によるのではなくて、どう判断したかに関連している、だからこれはperceptual decisionのneural correlateなのだ、という論理が成り立っていたのです。
しかし、coherence 50%の刺激って試行ごとに同一であると保証されているのでしょうか。これがわたしの疑問です。常に画面上に出ているドットの左右の向きの個数が一定になっていない限り、時間的には細かく変動しているはずです。(つまり、ランダムとpseudorandomの問題です。もしくは、わざわざm-sequenceを使うことによってすべての周波数帯域がフラットであることを保証するような話と関連させて考えてます。)
もとのNewsomeの実験のように1秒間とか一定の時間の刺激の後で判断をするときなどはその提示時間の中で左右方向のドットの数を同じにするように出来るかもしれませんが、それ以降のShadlenがやっているようなreactin time versionのタスク(刺激提示中でもdecision出来たら応答してよいため、刺激提示時間は一定でない)などでは、それが保証されるように思えません。
また、上記のレベル(時間的にローカルな変動)で問題がなかったとしても、もう一つ気になることがあります(こちらは空間的にローカルな変動とでも呼べるでしょう)。我々の目というのはランダムな中にもパターンを見出すものでして、50%のcoherenceの刺激でも、たまたま近接したドットがcoherentに動くとそれが非常にsalientな刺激となります。たとえば、そういうlocalなcoherent motionに反応するような時間的空間的フィルタを作ってやって(local saliency detectorとでも呼ぶことが出来るでしょう)、それで積分してやった値をもとにしてdecisionしたとしたら、なんのことはない、同一の刺激に対してべつの反応をしていたのではなくて、coherence 50%とはいえ、試行ごとに刺激そのものが違っていて、ニューロンはそれに反応していただけ、そういうオチになったりはしないものなのでしょうか。
というのも、同一刺激に対する行動選択の影響をニューロンで見る実験パラダイムでは、刺激が試行ごとに一定であることを保証する必要があって、そのためには必ずしもランダムドットがよい刺激とは言えないのではないか、なんてことを考えていたのです。このあいだのRomoのNature Neuroscienceみたいな、刺激の強度を下げてnear-thresholdにした刺激を使った行動選択の影響の仕事のほうが、刺激の試行ごとの同一性に関しては問題が少ないのではないか、という問題意識です。
わたしはまだランダムドット刺激のポイントをつかめていないのかもしれないのだけれど。
追記:なんか前ラボの人たちと議論したことの受け売りである気がしてきたので(もはや記憶が定かでない)、その旨記載しておきます。

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# mmmm

10年くらい前、完全に同じランダムドットを呈示すると、MTの細胞の発火の時間系列が驚くほど一貫している、という図を、M木さんに見せて貰ったことがあります。確か、Newsomeのところのデータだったと思うんですけど。そのときはへぇー(アハ!じゃなくて)と思っただけだったのですが、Perceptual decisionの考えと矛盾しそうですね。何せ図1枚だったのと、10年も前のことなので、情報の信頼性は高いわけではありませんが、思い出したので久しぶりにコメントしてみました。

# pooneil

レスポンスどうもありがとうございます。
>> 10年くらい前、完全に同じランダムドットを呈示すると、MTの細胞の発火の時間系列が驚くほど一貫している
そっか、それの話を忘れてました。それはWyeth Bair and Christof KochのNeural Computation 1996 "Temporal Precision of Spike Trains in Extrastriate Cortex of the Behaving Macaque Monkey"でしょう。Wyeth Bairのサイトからpdfが落とせます。
わたしのサイトでも以前さらっと言及してました。20040824のエントリにて。
以前このへん関連の論文(Neuron 1998)をジャーナルクラブで採りあげて議論したことがありました。でもそうしてみると、今回書いたことは自分で考えたことのつもりでいたけど、そのころ議論したことだった気もしてきました。にわかに自信を失ってきたので、その旨を本文の方に追記しておきました。
Neuron 1998と絡めて議論したときの文脈は、ニューロンの応答というのは刺激のonset(directionの変化など)をよくコードしているのだ、ということでした。当時の私はいつも通りベイトソンを思い起こしながら、情報とは差異をコードすることだからとか考えてましたが、いまだったら「ニューロンはベイジアンsurpriseをコードしている」みたいな言い方をすれば多くの人に通じるかな、と思います。これがneural correlate的発想の一部にある、ニューロンの活動はなにかの実体contentを表すと考えるような発想を見直して、content間の差異を表すもの(カッコつければintentionalなもの)として取り扱うべきという考えの補強になるのではないか、なんてことを考えてました。
つまり、neural correlateの問題です。赤のneural correlateというものはない。あるのは赤と黄色、赤と紫との区別を生み出す情報をニューロンの活動からdecodeできるという事実だけだ、というわけです。つまり、科学的にきっちりやろうとして構造主義的発想を徹底させる方向に行くと、クオリアが差異からなる情報ではなくてそのcontentであることに思い至る。すると情報的な取り扱いは不可能である。逆にクオリアが差異からなる情報として捉える方向に行くと、それはhard problemではなくなるというわけです。ま、以前も話をしたような気はしますが。
話がずれてきて、しかもこっちのほうが面白いことだったりするのですが、このへんにて。

# potasiumch

差異の方が重要だ、という話だと最近こういうのが出てましたね。

Search Goal Tunes Visual Features Optimally
Vidhya Navalpakkam and Laurent Itti
Neuron, Vol 53, 605-617, 15 February 2007

彼らの言っていることが実際にあるとしたら、少なくとも差異を強調するべく調整が出来るようなメカニズムがあるのかな、とか思いました。

# pooneil

どうもこんにちは。いいかんじに話題がつながりました。それにしてもtop-downの話というのは難しいなあと思うので、2/16の
>>どのニューロンにトップダウンで影響を与えるべきかを知る(observer's beliefを形成する)のは結構大変なのでは
これには同感です。
じつはpotasiumchさんが教えてくださるまでこの論文に気付いてませんでした。ちょうどLaurentにメールする用事があったので、ギリギリセーフでメールに盛り込めて助かりました。

# にんちにいちに

どなたか詳しい方がコメントされるかと思ってましたが反応がないようなので一言。ここで提起されている問題は、運動弁別に関しては、Britten et al. (1996)Visual Neurosci. のp93右側とFig.8で検討されています。また、奥行き弁別の実験では、Uka & DeAngelis (2003)JNSのFig.5と同じ著者のNeuron(2004)のFig.8で検討されています。結論は、トライアルごとに異なったランダムドットを使った実験で得られた結果は、トライアルごとに同じランダムドットを使った実験においても基本的には維持されるというものです。刺激のバリエーションがチョイスプロバビリティーが0.5からずれることを説明するのではないということで、ご心配の点は大丈夫かと思います。

# pooneil

どうもありがとうございます。そんなに的はずれなことを言っていたわけでもなかったようで安心しました。まずは宇賀さんの論文から読んでみようと思います。また来週お会いできるかと思います。それではまた。
重複分は削除しておきました。


2004年11月22日

Nature 10/14

"A general mechanism for perceptual decision-making in the human brain." L. G. UNGERLEIDER
これひどい論文だと思うんですけど、なんでこれがNatureなんでしょう。
これまでShadlenとNewsomeがやってきたperceptual decisionの実験系では左右に動くランダムドットがあって、左に動くドットと右に動くドットの二つのevidenceを比較してどっかで右か左かdecisionする、というフレームワークを使ってきています(たとえば12/20で採りあげたやつ)。
んで今回Ungerleiderはこれをhuman fMRIで顔および建物の二種類の画像にノイズを加えて、顔か建物かを判別させるような課題での脳の活動を調べたというわけです。これは例の顔領域(fusiform face area)と場所、建物領域(parahippocampal area)とで顔や建物に対する反応がsegregateしていることを活用したということです。
同一の刺激に対して顔であると判断したか建物であると判断したかでこれらの領域の反応が変わったとしたら面白いと思うのですが、そういうことはなくて、単にノイズを加えた量によってactivationの大きさが変わることを示してます(Fig.2)。それはあたりまえだし。
一番重要なデータはFig.4です。顔領域での顔応答(Face(t))と建物領域での建物応答(House(t))とを比較してperceptual decisionをしているところがどこか、ということを調べたら、posterior DLPFCだったと。つまり、posterior DLPFCのBOLDシグナルは知覚応答の差分Face(t) - House(t)と相関していたと。でもそれではたんなる刺激応答と分離できてないでしょう。Near-thresholdのambiguousな刺激があるときは顔に見え、あるときは家に見えたとして、そういう入力がまったく同じ状態でのperceptual decisionの結果とBOLDシグナルとが相関しているのでないかぎり、perceptual decisionのneural correlateとはとても言えません。しかもその場合にはmotorの要素を揃えなければいけないし。
いったいShadlenとNewsomeはなにをやってたのでしょうか。彼らのどちらもがレフェリーに入ってないなんてありえません。Glimcherのような同業者は落としたくせに、human fMRIだと自分たちの陣営の援護射撃になると思って結果がヌルくても通してやる、そんな政治判断が透けて見えますけどね(まったくの推測だから信用しないように。でも本当っぽいでしょ)。
あと、Fig.4のデータの点をよく見てもらうと、これに一本のregression lineを引くことのイカサマさが見えてきます。明らかに二つのクラスターがありますよね。正答率0.7あたりのものと正答率0.95あたりのもの。なんか気付いてないパラメータがあって、じつはslope=0の二つの直線(y=0.7とy=0.95)でANCOVAでregressionするようなデータだと思うんです(刺激の種類が少なすぎて、簡単な条件と難しい条件の二つぐらいしか実際には条件を振れてないのでしょう、だったらそんなのでパラメトリックにやるべきではないし)。
いちおうこの論文の意義としては、Shadlen and Newsomeのランダムドット(MTあたりの視覚野が使われていると思われる)での実験パラダイムがventral pathwayの高次視覚野を使っているであろうperceptual decisionにも一般化可能であること、そのようなdecisionのevidenceをじっさいに比較しているところの候補としてposterior DLPFCを見出したということです。この場所はGold and ShadlenのNatureでのDLPFCに対応するから尤もらしい、と言えます。しかし以上に挙げた理由から私はまったくこの論文を評価できません。
とはいえ私はこの論文を精読したわけではないので、読み込んだ方、事情をご存知の方のコメントをお待ちしております。とくにイメージングをやってる方の参入を超encourageします。


2004年03月22日

PLoS biology四月号

"Perceptual "Read-Out" of Conjoined Direction and Disparity Maps in Extrastriate Area MT."
DeAngelis @ Washington University School of Medicine と William Newsome @ Stanford University School of Medicine。
今回のPLoS biologyのシステムニューロサイエンスもやはり大物による執筆。はじめのほうはたぶん招待されているんだと思うんだけど、どうなんだろ。Shadmehrには聞けなかった。英語勉強しなきゃ。
で、今回の論文はMTへのmicrostimulationによるdirection弁別のpsychophysicsへの影響、という、以前からNewsomeがずっとやってるパラダイム。MTのdisparity-sensitiveなneuronのある領域を刺激したときにはdirectionの弁別への影響がないが、disparity-sensitiveなneuronのない領域を刺激したときにはdirectionの弁別へ影響する(どっちもdirectionへのselectivityはあるのにもかかわらず)。つまり、タスクに関係のない刺激の次元(disparity)へのtuningが、行動への寄与の有無に大きく関わっているということだ。
というわけだが、はたしてこの論文はhigh quality paperであろうか、ということに判断を下せるほどにはこの論文を読んではいないんだが、印象としては、JNSとJNPの中間、という感じであろうか。PLoSはNatureやScienceでは充分に書ききれないhigh quality paperを出すところとして機能できる可能性があるわけであるが、この論文は微妙だと思った。
とはいえ、MTでrepresentされている二つの情報(directionとdisparity)がどうread-outされるか、ということがタスクで要求されることによって変わっている、という仮説は面白いと思う。そこまで言えてるかどうかは別として。


2003年12月20日

Nature Neuroscience

"Microstimulation of visual cortex affects the speed of perceptual decisions."
Shadlen @ University of Washington。
ShadlenはむかしからNewsomeといっしょにやってたmotion stimuliを使ったperceptual decisionの実験系を研究している。この実験系では、ある方向に動くランダムドット(a)とその180度反対方向に動くランダムドット(b)とが重ね合わせて提示される。たとえば(a)が右方向、(b)が左方向とすると、(a)の点が100%で(b)の点が0%のときは動物は右であるとジャッジする。しかし、(a)の点が60%で(b)の点が40%だったりすると全体として見える動きはambiguousになって、何割かの試行では左である、と間違えてジャッジするようになる。このようなジャッジ(=perceptual decision)がMTニューロンのスパイクと対応していること('89 Nature)、それからMTを電気刺激すると刺激した位置に合わせてジャッジが変化すること('90 Nature)などを彼らは示してきた。これはニューロン活動と知覚とを結びつけた研究の金字塔であり、ヒューベル、ウィーゼル以降のシステム神経科学の中では一番ノーベル賞に近い仕事であると私は考えている。
"Cortical microstimulation influences perceptual judgements of motion direction."
それで、これまで彼らはそのジャッジの結果(=正答率)だけを主に解析してきたのだが、今回の論文ではそのジャッジまでにかかる時間を解析しだした、というのが今回の論文の内容であり、なんで今までやってなかったのか、という驚きもある。
で、かれらはこのdecision processに、ある方向をコードするニューロンとその180度反対方向をコードするニューロンとが互いにinhibitionしあう"Motion opponency"メカニズムがあることを彼らは提唱してきた。この考えの特異な点は、それが単なるwinner-take-all rule*1ではないということだが、今回の論文の結果はmotion opponency説をsupportしていると彼らは書く。
なお、私自身は、彼らがsignal detection theoryの解析に向いた二方向のジャッジ、という実験系を選んだことがmotion opponency説への偏向を生んでいるような気がしていて、いまいち信用できないと思っている。


*1:方向をコードするMTニューロン(それぞれは360度全ての方向のどこかを担当している)の出力をどこかが受け取って、一番大きい出力を出しているところをジャッジの材料にする。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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