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■ Ehud Ahissarの閉ループ知覚仮説がほとんどSMC説だった
このツイートにあるCOSYNE19のレポートを見て知ったけど、ワイツマン科学研究所の神経科学者Ehud Ahissar(ラットのヒゲ触覚、アクティブタッチの研究で有名)による知覚理論がすごくSMC的なことを言っている(SMC: Alva Noeのsensorimotor contingency説)。この理論についてeLife 2016を読みながらまとめてみることにしよう。
彼の問題意識は「外界からの刺激から脳活動までに時間遅れがあること」と(ギブソンやNoeの)「直接知覚」をどう整合的に説明するかというもの。
彼の仮説「閉ループ知覚(CLP)仮説」によると、アクティブな知覚では、感覚、運動、身体、外界を含んだ閉ループが形成されて、そのループに属する外界の対象と脳の活動と身体は同じ知覚的時間(not物理的時間)として捉えられる。(Webサイトに短い説明あり。)
外界のある刺激が知覚されるかどうかは、外界の刺激そのものでは決まらない。それを動きのあるセンサ(ヒゲだったり、眼球運動だったり)が探り当てたときのみ、このループの中に取り込まれて、定常状態へと向かうことで知覚として成立する(eLife 2016のFig.4C)。
この閉ループを言い換えるなら「外界と身体も含めたセルアセンブリ」と言えそうだ(と私は理解した)。そしてそれが状態空間の中である定常状態(アトラクタ)に近づいてゆくのだけど、その定常状態の軌道がどういう形をしているか(固定点、リミットサイクル、カオスアトラクタ)がどういう知覚なのかを決める。
つまりCLP仮説では脳内表象を想定してない(eLife 2016のFig.1)。閉ループそのものが知覚であるとしている。見つけた動画ではループの穴が知覚者だと表現している。ドーナツの穴はドーナツそのものではないけど、ドーナツがなければ存在し得ない。それと同じようなことだと理解した。(ちなみにこの動画は録音状況がひどく悪くて時折音が割れるので耳を傷めないようにご注意。)
CLP仮説によれば、知覚される対象はループの一部に属しているので、知覚の原因でも無ければ、推測の結果でもない。そのような意味で、この知覚は直接知覚だ。(無意識的推論のような)感覚入力から推測される間接的知覚ではない。
この閉ループをぐるぐる回して定常状態に達するまでの過程で、外界の対象も自分の身体も閉ループに取り込まれてゆく。この取り込まれるまでの時間の違いで外界と身体とを区別する。(ゆえに本質的違いはなく、この境界は拡張しうる。)
CLP仮説によれば、そもそも知覚というのは普通の状況ではアクティブなものであって、(実験で使われる)パッシブな刺激はその特別な状態として取り扱われる。つまり、アクティブな知覚においては、刺激はループに取り込まれて定常状態へと向かうが、(ガボールパッチのフラッシュのような)パッシブな刺激では、ループの中に短時間取り込まれて定常状態までたどり着かないものとして説明する(eLife 2016のFig.5)。
このループでの知覚の強度(というか論文内ではperceptual confidence)が何で決まるかはまだ確定してないけど、ひとつの可能性として「内部モデル」であると言っている。よってCLP仮説でのループと言っているものの実体が予測符号化の回路であってもよいということになる。(このことはこれまでに私が書いてきた、FEPをenactiveにする(無意識的推論ではなくて)という問題にとって重要。)
こうしてまとめてみると、ほとんどAlva Noeのsensorimotor contingency (SMC)説と同じようなことを言っているなと思う。ただし、SMC説においては脳のことがほとんど語られない(ゆえに神経科学者からはほとんど相手にされてない)のに対して、CLP仮説は脳と身体と環境を含んだ力学系という、実験による計測と操作を用いた検証が可能なもので構成されている。あと、SMC説の「知覚とは探索である」が過激さを狙った傾いた表現で誤解を生みがち(例:「夢では行動はないけど知覚はあるよ」)であることを考えると、CLP仮説での「知覚とはループ(or アトラクタ or 拡張されたセルアセンブリ)である」は神経相関という考えに慣れた神経科学者からは反発を受けにくいだろう。そういうわけで、CLP仮説は神経科学者がシリアスに受け取ることが可能なSMC説として機能していると思った。
また、基本的な道具立ては力学系で、時間の話も入っていて、これはいいと思った。ここしばらくFEPをエナクティブにするということを考えているのだけど、この「閉ループ知覚仮説」はそういう意味で非常に参考になるのではないかと思った。
弱点はいろいろありそう。この閉ループ仮説の論敵として出てくる開ループシステム(つまり、外界の入力から脳が活動して表象を作る)では知覚の動的特性を捉えられないと議論するけど、それでは予測符号化で無意識的推論をするシステム(ただし行動は入ってない)を否定することはできない。つまり、論敵の矮小化をしている。あと、複数の刺激や時間をどう統合するかの理論がないので、あと付け的に相関によるbinding問題の解決、みたいなことを言ってる。このあたりはいまいち。
なお、「閉ループ知覚仮説」はあくまでも(アクティブな)知覚の理論であって、意識の理論ではない。じゃあ両者はどのように異なりうるのか、というのが次の問題なのだけど、長くなったのでまた別の機会に。
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- / 投稿日: 2019年03月23日
- / カテゴリー: [オートポイエーシスと神経現象学]
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