« エナクティビズム入門準備中(1): Evan Thompsonによるエナクティビズムの特徴 | 最新のページに戻る | FEPからシュレディンガー経由でMEPへ? »

■ エナクティビズム入門準備中(2): エナクティビズムとFEP

Tom FroeseがMichael D. Kirchhoffといっしょに書いたFEPとenactivismの合体についての論文 Entropy 2017 "Where There is Life There is Mind: In Support of a Strong Life-Mind Continuity Thesis"を読んでた。細部はまだだが議論の構造はだいたいわかったのでここでまとめてみる。

この論文の中で著者は[FEPからLife-mind continuityをどう捉えるか]についての4つの立場を紹介する。

連続的ではないとする立場がふたつ:

  1. Hohwyの認知主義
  2. Fristonの"Life as we know it"での考え

連続的であるという立場がふたつ:

  1. Andy Clarkのradical enactivism
  2. Kirchhoffのautopoietic enactivism

ざっくりとしすぎではあるがそれぞれの立場をまとめると、

  1. Jakov Hohwyの立場では、生成モデルを持ってinferenceできればmindなので、機械でもmindを持つことができる。つまりlife-mindの連続性は不要。渡邉正峰さんの「脳の意識 機械の意識」とか金井良太さんはこの立場だろう。
  2. Karl Fristonは"Life as we know it"論文では、生命がなくても複数の時計の針の同期のようなものさえもある種のinferenceをしているのだと唱えるので、汎心論的な考えになっている。これもlifeがなくてもmindがありうる。ただし、1)とちがって認知主義的ではない。
  3. Andy Clarkはlifeのあるところにmindが遅れてやってくるという意味ではlife-mindの連続性を考慮するが、1)の認知主義を排除しない。
  4. Michael Kirchhoffはlifeのあるところつねにmindの元となるようなものがあるという意味でのlife-mindの連続性を3)よりももっと強く主張する。

だいたいこんなかんじになるだろう。あとはもっと読みこむ必要がある。

(注:じつのところFristonの立場は論文によって振れ幅がある。Michael KirchhoffやJelle Bruinebergとの共著では4)の立場に近づくし、Anil Sethの考えに準拠しているときは3)の立場に近づくし(意識とtemporal thicknessの論文)、Alan Hobsonとの夢の論文やHohwyとの共著では1)の立場に近づく。日和見主義者だな!と正直なところ私は思うのだが、Friston本人は自身を物理学者だと自認しているようなので、本質は2)のようなFEPをエントロピーと関連させて捉える考えにあるのだろうと推察する。)

この論文での4つの立場は、私のスライドp.96-99での、FEPから意識を持つ条件を分類した3つの立場(Perceptual inference / Active inference / Counterfactuals)と関連づけられそうだ。つまり、

  • [意識 = Perceptual inferece派]はHohwyの立場と重なる。
  • [意識 = Active inference派]はKirchhoffの立場と重なる。
  • [意識 = Counterfactuals派]はClarkの立場と重なる。

ということ。かなりざっくりだが。


お勧めエントリ


月別過去ログ