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■ Confidence in LIP

ShadlenのConfidence in LIPの論文が出てます:
"Representation of confidence associated with a decision by neurons in the parietal cortex." Kiani R, Shadlen MN. Science. 2009 May 8;324(5928):759-64.
要はpost-decision wageringをやっているときのLIPを記録したという話で、random dot刺激のperceptual decisionの実験系にuncertainなときはlow risk choiceを選べるようなオプションを付けたわけです。でもって、low risk choiceを選んだときはLIPの活動がどちらともつかないようなものになっていたというわけです。
いわば"post-decision wagering in LIP"なのですが、そういう言い方はしてません。恐るべきことにと言いましょうか、"Post-decision wagering objectively measures awareness."はreferしてません。これはあくまでdecisionの論文であって、awarenessの論文ではないので、awarenessに関連する言及はほぼ完全にシャットアウトしてます。
さらにこのようなconfidence judgementにはmetacognitionの概念を用いた説明が必要ない、としてます:
"This simple mechanism ... removes the need to resort to metacognitive explanations for certainty monitoring ... Our findings support a low-level explanation of postdecision wagering in our task"
Awarenessに関連する言及はこれにつづく一文だけです:"but they do not preclude the possibility that an animal that experiences subjective awareness of degree of certainty might base such impressions on neural signals like the ones exposed here."
まあ、こんなもんでしょう。以前も書いたことがありますが、awarenessのstudyとperceptual decisionの話は食い合わせが悪い。Perceptual decisionの話はその中できっちり話が閉じるので、awarenessの概念が必要ないのです。わたしの興味からこの論文を眺めれば、話の順番としては、awareness/consciousnessの評価をしたくて、metacognitionが関わって来るであろう課題としてpost-decision wageringを選んで、ニューロンを記録して、perceptual decisionの枠組みで解釈してみると、metacognitionもawarenessも必要なくなっている、という事態になっているように思います。しかし、Shadlenはdecisionのことが出来ればよいのでなにも困らないでしょう。
けど、わたしは困る。このへんがわたしの主戦場となるもんでね。敵にもせずに、味方にもしないようなうまい立ち回りが必要、というわけです。私の話も半分はawarenessで、半分はdecisionなのですから。彼らが使っている"Log posterior odds = log-likelihood ratio + log prior odds"という式はaccumulator modelとSDTとを組み合わせるために有望なものです。わたしがいま扱っている問題こそがいちばんこれをうまく使えるんではないかと思ってます。
そして、blindsightの話はいったん整合性よくできたperceptual decisionの話をdetection/discriminationの乖離というのを持ってきてまた揺り動かそうとするものなのです。さて、これがうまくいくかどうか、わたしの論文の行方で判断してみてください。


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