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■ アフォーダンスと脳科学

Varelaは脳と現象的意識の関係について、脳科学の知見(三人称)と現象学的世界(一人称)とが互いに還元不可能である一方で互いを拘束するような形で関係していると考え、この互いの拘束関係を取り入れていくストラテジーを"neurophenomenology"と呼んだ。脳科学とアフォーダンスとの関係についてもこれを援用できないだろうか。というのも、ギブソンがやったことは有機体と環境世界とで起こる知覚に関する現象学的記述なのだから*1。脳科学が言っていることと、(ギブソンが(「生態学的視覚論」で意味している)アフォーダンスが言ってることとの間はなんつーかカテゴリーエラーとでも言うか、違う世界を見ている。だからきっと、昨日言ったことは生理学者の出る幕がなくなることを意味しない。脳科学の知見はアフォーダンスが記述される世界について拘束条件を与える。たぶん、私はアフォーダンスをニューロンの活動へ「還元」することに反対しているだけなのだ。
それからもう一件、茂木さんの本での扱いについて。
茂木さんの「心を生み出す脳のシステム」を引っ張り出して、アフォーダンスの扱い(第五章)について確認してみた。茂木さんもこの辺はぎりぎりのラインを揺れ動きつつ書いていると思う。


「運動前野において見出された行為の可能性、ないしは行為のレパートリーを表すニューロンは……このような意味の行為の可能性は、ギブソンの言うアフォーダンスと関連している可能性がある。」(p.134)
「ギブソン的な意味のアフォーダンスに相当するものが私たちの認知プロセスに含まれていることは疑いようのない事実であり、行為の可能性を表す運動前野のニューロンが、このような意味でのアフォーダンスの生成のプロセスの一部を担っている可能性が高い。」(p.135)
「ギブソンが主張したのは、知性というのは、……脳や身体と環境との相互作用の中に埋め込まれているということだった。……むしろ、ギブソン的な視点からは、脳内のニューロンを見ても、知性についての本質的なことは何もわからないというようなことになりかねない。」(p.135)
「しかし、最終的にはアフォーダンスも脳のニューロンによって支えられていることはいうまでもない。運動前野において見出されている、行為の可能性を表現するニューロンは、アフォーダンスを支える脳内機構の一部を担っていると考えられるのである。」(p.136)

茂木さんは「アフォーダンスのneural correlate」というような表現はしていないし、かなり気をつけて書いている様子が見える。私が考えるような、アフォーダンスが記述される世界について脳科学の知見が拘束条件を与える、というのに沿っているようにも見える。しかし、このときのアフォーダンスはたんに「行為の記憶とコンテキストに基づいて事物からピックアップされる行為の可能性」という操作的な定義に基づけば充分であって、ギブソン心理学の存在論的、認識論的含意は不要になっている。このことは、逆方向の拘束、アフォーダンスが記述される世界が脳科学について拘束条件を与える、ということが欠けている、と言うことができるかもしれない。(3/15に続く)


*1:これが私が「ギブソン心理学の核心 」から読み取れたことの一つだ。


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