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2017年11月24日

「意識の介入理論」に向けて

以前ブログ記事「田口茂「現象学という思考」合評会行ってきた!」でも書いたように、現象学的にはわれわれ意識を持つ人間は「行為的連関のモード」と「反省的思考のモード」とを行き来する。ある生き物が意識経験を持つためには「行為的連関のモード」だけでなく「反省的思考のモード」へと移行することが可能である必要があるだろう。

脳の話に変換して言えば、ニューロンの活動はそれだけではただの物理現象であって、「そうであったかもしれない可能性を含んだ確率分布を持つこと」がなければ「表象」とはなりえないだろう。意識に必要なのはこのような意味での表象であって、「おばあさん細胞の活動」そのものは意識に必要な表象を作るための構成要素という位置づけに最終的にはなるのではないか。

このように考えて、わたしは意識に関するenactivismから、enactivismであると同時に表象主義的でもあるという方向に移りつつある。そしてそれを計算論モデル的に扱うのに有望そうな題材がFristonの自由エネルギー原理FEPだ。Anil Sethが書くように、FEPはsensorimotor contingency説と整合的であるだけでなく、わたしがKフォーラムのときに喋ったように、(鈴木貴之さんのいう)ミニマルな表象主義ともと整合的であり、sensorimotor contingency説と表象説とを統合する説明となりうる。

とはいえFEP自体は第三者的な工学的な理論であって、これそのものは意識の理論ではない。つまりIITのΦが意識に直接関わっていると提唱するのと同じような意味では、FEPは意識の理論ではない。Agentの生成モデルと推測が持つ変分自由エネルギーVFEを最小化すると意識が生まれるというわけではないから。よってFEPの枠組みに付加して意識に必要なものは何か、という議論をすることになる。

そこでわたしは先日のKフォーラムでのトークのときに「意識の介入理論」ということを提唱した。つまり脳が世界との交互作用において生成モデルを作りあげ、維持してゆくのに際して、「観察」と「介入」のうち介入こそがagentを自分ごととして世界にgroundさせるためには必須である。意識を持つためには世界への介入によってあらかじめ生成モデルを作りあげておくことが必須であり(Timbergenの発達、系統発生)、意識はこのようにしてできた生成モデルと推測との照合という過程(Timbergenの至近メカニズム)で生まれる。 世界への介入がなくても生成モデルは作りうるが、これは意識に上らない。このようにして意識の有無を判別する理論となりうる。

例えば、コンピューター上のVariational autoencoderはたとえ生成モデルを持っていたとしても意識を持たない。世界に介入することで生成モデルを作り上げたわけではないから。

「意識の介入理論」はIIT批判にもなっている。IITでいうニューロン間の因果推論とは「観察」による推論であり、granger causalityみたいな意味での因果推論なので、「介入」が入ってない。Granger causalityみたいな意味での因果推論はサブパーソナルなレベルで埋め込み可能だが、「介入」が必須となるような因果推論はパーソナルなレベルでしか作りこめない。このような介入が可能となる単位がagentであり、意識を持つ範囲、単位を決定づけるだろう。

「意識の介入理論」を完成させようとすると「そうであったかもしれない可能性を含んだ確率分布を持つこと」を含めて考える必要がある。FEPが想定するような生成モデルを持つということ自体が「そうでなかったかもしれない」をもつことであり、「行為的連関のモード」と「反省的思考のモード」とを分ける契機(そのものではないかも)となるだろう。たとえばカエルの視蓋の活動は生成モデルではないし、「行為的連関のモード」のままだろう。

これはenactive理論、sensorimotor contingency理論の計算論的言い換えになっている。これは「意識には反実仮想が必要」という考えと根っこは同じなのだけど、よりenactiveな側面に重きを置いているという点で異なり、これまで私が書いてきたことの延長上にあると言える。

「意識の介入理論」を計算論的に実現するとなると、第一近似としては、FEPの枠組み自体は参考にしつつもJudea Pearlの理論的枠組みを組み込んだようなものになるのではないか。ここで使える道具を探すために、さいきんは情報と因果推論の関係についていろいろ読んでいる。そのへんについてはまたいつかの機会に書きたい。


今回のもうひとつの話題はそれよりはもうちょっと基礎的なところで、因果性の哲学について勉強してるよって話。いま書いたような目的意識から、ヒュームとかデイヴィド・ルイスとかよりももっと新しい時代で、Judea Pearlの理論的枠組みを踏まえた上で因果性について考えている人はだれかと調べてみたら、どうやらそれはJames Woodwardであるらしい。Stanford Encyclopedia of Philosophy "Causation and Manipulability"によればWoodwardは因果性の操作性理論を提唱している。

主著であるWoodward (2003) Making Things Happen: a Theory of Causal Explanationを読んでみようと思うけれど、とりあえずこの書評を読んでみたら、これじたいが因果性の哲学についていいかんじに整理されていたので、ここでまとめを作っておきたい。

(1) ヒュームのregularity theory では、たとえば「キーを押す(H)と音が鳴る(S)」の例で言えば、HとSの二つのイベントが続くだけにすぎない。

(2) D LewisのCounterfactual theoryでは、HでなければSでないだろうという反実仮想を前提としている。

(3) von Wrightのagency theoryでは「キーを押す(H)」というagencyが必要になる。

そして(4) WoodwardのManipulability theoryでは、Hへの介入によってSが変わるという「論理的」可能性をベイズ的確率ネットワークで明らかにすることで因果の関係を特定できる。これはagencyを仮定せずに因果を定義できる。「論理的」可能性と言っているのは、天体の操作のような物理的に不可能なものも含むから。

臨床実験での介入の発想でいえば、介入するところ以外の値を固定する操作が精緻になる(*)とか、タイプとしての因果とトークンとしての因果を別に分けて扱えるとか、いろいろメリットがある。

(* たとえば「ジュリアス・シーザーが現在に生きていたなら戦争でどちらを使った?核兵器?カタパルト?」という言明は無意味な反実仮想であり、何を操作しているのかの観点から反実仮想を精緻化することができる。この例はここのLecture 29-32からとってきた。とてもわかりやすくてよかった。今回の記事のアンチョコ。)

Woodwardの操作理論では、介入の概念を使うことによってagencyという擬人主義を排除するのがミソらしい。哲学側の問題として、因果を他のものに還元することができるか(ヒューム的に「因果など実在しない」と言うか)、それとも還元不可能、つまり因果の実在論をとるか、という問題があるが、Woodwardは実在論を取る。

因果をagencyには還元できない、と議論することは哲学的には大事なのかもしれないけど、進化、発達の段階でどう因果推論が出来たかを想像してみれば、agencyがあり、目的論を持つ生き物こそが因果推論を持つだろうと思う。はじめに書いた「意識の介入理論」が正しいのなら、因果推論とagencyと目的論は同じ根っこから同時に生まれるんではないかと想像する。あくまで直感に訴えているだけだけど。

このあたりについては発達やっている人と議論してみたい。発達の段階で赤ちゃんが因果推論とagencyを作り上げていくときに「観察」と「介入」はどちらが本質的な寄与をしているだろうか。両方大事なのは当然として、どのように両者が時間的に組み上がっていくだろうか。

とまあいろいろ書きたいことはあるのだけど、ちょっとずつ先に進めているところ。


2017年11月22日

「理不尽な進化」読んだ!(2年前に)

旅のお供に「理不尽な進化」(吉川浩満 著)を持ってきた。第1章を読み終わったけど今のところいい感じ。「適者」は強者ではなく、ニッチの埋め合いであって、進化とは必ずしも進歩ではないこと、「適者」であるがゆえに一見トートロジーに見えるということ、このあたりについて正しく理解したいと思っていた。

ここで紹介されている「理不尽な絶滅」を自分の人生と実存に引き寄せて読んでしまいたいところだが、まさにそういった進化観とと実存と認知バイアスというのがこの本のテーマなわけで、あんまり即断せずに読み進めていこうと思う。

「理不尽な進化」は最終章まで来た。なるほど「回帰する擬似問題」とか「心脳問題」のときと同じ構造を持っている。進化論が歴史と適応の組み合わせであり、これは意識での一回性の問題と同じなのだな。そして袋小路の成り方もよく似ている。機能主義者の無意識的な形而上学的コミットメント問題とか。

ほかにも「「お話としての説明」と「科学としての説明」という対比」の話と繋げて考えてみたりとか、いろんなとっかかりがあって、頭のなかで重要なところに杭を打つことができたような気がする。これを起点にもっと進めてゆくことにしよう。

あと、フリストン自由エネルギーとも関わる「最適化」の問題。歴史の影響から逃れ得ないがゆえの「奇妙な生物」と「messyな解決法」。期待に依存しない「アルゴリズム的解決」と物理に拘束された「embodiedな解決」。IITや自由エナジーをこちらから鍛えることができないだろうか?


「理不尽な進化」は読了してたけどメモ書くのを忘れてた。パウル・クレーの「新しい天使」くだりとかしびれた。トラルファマドール星人のように永遠の相のもとに進化、そして我々の歴史を見るならば、それはランダムウォークと枝分かれた先が消えたものでできた樹形になるわけで、その消えた先を見て"So it goes"と言ったんだなとか改めて感じ入った。あれの話でも、なんかしょうもないもの盗んで射殺された話とか、そういうときに"So it goes"というフレーズが繰り返されたはずだ。

あと、この本を読んだことで、Varelaが「知恵の樹」や「身体化された心」で「ナチュラル・セレクション」に対抗するために使った表現「ナチュラル・ドリフト」の概念を理解する準備がやっと整ったように思う。たぶん「アルゴリズム」なのかそれとも「来歴」なのかという問題に回帰するはず。


2017年11月17日

2015年9月英国IPC2015およびSussex大学訪問記

ギリギリまでいろいろ準備してて、やっとオックスフォードに行く準備が出来た。寝室に掃除機をかけ、雑巾で畳を拭き清める。サセックス大学でのトークは今から作る。神経科学大会のシンポから半側空間無視を抜いて、上丘のスパイキングネットワークモデルを広げる方向で。

オックスフォードで開催されるinternational pupil colloquium (IPC 2015) でのトークは紆余曲折あってなぜか15分(質問込み)に。こちらは30分シンポジウム用に作ったものを改変しないといけない。無茶だ。

明日は朝早く羽田から出発。東横インから無料バスが出ていることを知った。British Airwaysは24時間前からチェックインできるし、モバイルアプリもあった。ということでだいたい準備整った。あとは寝坊さえしなければ。


イギリスに到着!ヒースロー空港の入国を通過するのに35分かかった。空港からオックスフォードに向かうバスに乗ったところ。最終目的地到着まであと80分。

飛行機の中でスライドとしゃべり完成させた。いつもの say -f talk.txt -v Alex -o talk.aiff でしゃべり音声ファイルを作って8分ちょっと。実際にしゃべるとたぶん12分くらいになるだろう。だいたい準備出来た。

会場はオックスフォード大学のうちPembroke Collegeというところで、この古めかしい建物の中はきれいな施設で、宿泊施設も講演会場もぜん揃ってる。

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昨日は22時までなんとか寝ないように粘ってから寝たら、途中4時に目覚めたけど最終的には7時まで眠ることができた。9時間睡眠って赤ちゃんかYO! 健康的だ!窓の外は雨が降っていて寒そう。イギリスだ。短パンポロシャツが使える機会はなさそう。

出張中に急ぎで対応しなければならない事項が勃発。シンポジウムもそこそこにメール作業へ。結果として飛行機に乗ってるあいだにスライドを終わらせておいて正解だった。今日は街を歩いて回る余裕はなさそう。

食事は朝昼晩TESCO express (スーパー)でサンドイッチと缶詰。つかポンド高すぎて外食できない。バーガーキングで7ポンド払ったら1300円相当とか笑える。


Pupil Colloquiumの後は @ksk_S さんに対応してもらってサセックス大学でセミナーをさせてもらうことになった。Webサイトに出てる。

時差ボケで眠いが、23時まで粘って発表練習してた。喋ってると眠さを抑えられる。通しでだいたい10分30秒。本番はもっと引っかかるから12分くらいか。まあ妥当な線。

知り合いがほとんどいない学会のうえ、座席についての夕食という状況で正直困ったが、隣りに座ったスペインから来たoptometristの院生がいい人だったので、それぞれの国の事情とか話しながら案外楽しく過ごした。


講演は無事終了!だいたい時間ぴったし。あとで名前の知らない初老の先生から"the most enthusiastic talk"と評されたので(いつものことではあるのだけれど)、それは必ずしもよくないですよね、と言ったらいい講演でしたよと言ってもらえた。今回は練習の成果があった。

一緒にチェアをしたArash Sahraieが講演前のコーヒーブレークで「フリービューイングの話、面白いね」と言ってくれたのだけど、準備していたのはSci RepsのYN課題の話なのだった。一瞬トークの内容を変更することも考えたが、練習全部ぶっ飛ぶのでそのまま行くことにした。

それから特筆するべきは、自分のトークの時間にLarry Weiskrantzが聞きに来てくれたことだ。彼は「盲視」という言葉を作った人でこの分野のゴッドファーザーだ。ずいぶんお歳を召していて耳も遠いようで挨拶するだけにとどまったが、ついにここまで辿り着いたかと感慨深い。

そして共同研究のきっかけも掴んできた。食事の後にさっそく何ができるかディスカッション。そんなに仕事増やしてどうすんの、という話もあるが、種を蒔けるときに蒔く。さいきん正直しんどい時期を迎えているのだが、なんだかもういっちょやったろうという気が出てきた。とはいえ今日は疲れた。寝る。


IPC2015、最終日のディナーも終了。隣りに座った大御所の先生に「君はとてもいい声をしているから歌を歌ったほうがよい。これが君にとって今回の学会における最大の教訓だ」と言われた。そんなこと言われたことないですよ、と答えても大真面目だった。明日から歌手に転向することにしますた。

Sussex大学のスライドもだいたい完成。前半awarenessで後半saliencyという構成。いま思案しているのは、[皮質下でのsaliency]と[皮質でのPE(bayesian surprise ~= saliency)]との関係の議論まで盛り込むかどうか。

皮質ではPEはpredictionとカップルしていて順逆ループを構成しているけど、皮質下でのサリエンシーはたぶん別の構造を持っている、みたいなことを議論してみたい。そういうことするのと、スパイキングネットワークの話を入れるのとどっちが面白がってもらえるかどうか。

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ブライトンに到着した!例の観覧車のあたり。B&B(と言っても朝食は出ない)の小さい部屋に入って、ベッドに寝転がって、さてくつろごうと思ってドクペを開封したら泡が噴出して、ベッドとズボンが台無し。ラップトップにも一部かかったがギリギリ回避。というわけでいきなりブルー。

Sussex大学でのセミナー終了! 参加人数は25人くらいで部屋の椅子は8割がた埋まる感じだったので、盛況と言ってよかったと思う。けっきょくYes-no課題、電気生理+ムシモル、サリエンシーで話をしたら時間いっぱいに。真ん中は削ってしまうくらいでバランスとしてはよかったようだ。

トークのあとで聞いた感じでは、データと結論がはっきりしていて説得的だとか褒めてもらえたので、だいたい良かったかんじ。あと、Michael F. Landが聞きに来てくれたのは良かった。日常生活での視線計測の大家だから期待していた。

Michael F. Landからのコメントは「フリービューイングでは被験者はimplicitなゴールを作ってしまうものだがどう対処している?」というものだった。これはFAQかつ難問で、Yarbusの課題の影響の議論を踏まえている。

答えとしては、「これは難問であって、複数の課題(たとえばwhere’s Waldo課題を含める)で比較しないと解決しない」「ただし現在のデータに関しては、centerに向かう傾向を除くために、peripheryに向かうサッカードだけで解析しても同じ結果が出る」ということを伝えた。

Anil Sethも来てくれてサリエンシーについて質問があったけど、こちらは「トップダウン注意はどう考慮すればいいと思う?」というこれまたFAQかつ難問。「課題のゴールを明示的にマーキングするなどの方法、そしてBayesian Surpriseで現在のモデルからの予想外を検出」というアプローチについて答えて、サリエンシーの問題がpredictive codingでのprediction errorとして捉えられることについてセミナー後に話をした。Friston 2012論文での顔を見ているときの視線データのモデル化についての話になったので、マカクは目を見ないけどマーモセットは目を見るので、そちらはデータを既に持っているのでモデル化するかも、とかそういう話をしてた。というわけでSussex大学への来訪もいろいろ収穫大きかった。


夜の帰り道(23時)に「ブライトン日本フェスティバル」に通りがかったらKissみたいなかぶりものしたバンドが演奏してた。観客に混じって一緒に踊っていたら「日本おめでとう!」とか言われて一緒に肩くんで踊った。帰ってきてから、ラグビーWCで日本が南アから大金星というニュースを知った。

UK出張の全行程が終了。ヒースロー空港に到着。3時間以上前に到着して、チェックインオープン前から並んだが、安全審査は5分で通過。拍子抜けした。

昨日の夜の寝苦しい時間から、バスに乗っている時間までのあいだに将来のいろんな可能性について極論含めていろいろ考え、なんだか頭が疲れた。それでも一休みすればもう一度なんとかしようという気持ちが湧いてくる。レジリエンス!


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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