« 本が出版されます。「行為する意識: エナクティヴィズム入門」 | 最新のページに戻る

■ なぜ私はサイケとカンタベリーが好きなのか

(20240413) YoutubeのおすすめでSoft machineの"Soft space" (1978年ライブ)が出てきたので聴いてみたら、ドナ・サマーの"I Feel Love"のパクリみたいなテクノ/ディスコで驚いた。自分は「Soft machineは"Third"まで派」なので。サイケデリックな時代のロバート・ワイアットの歌が好き。

そういえば自分はフュージョン音楽を全く聴かないことに気づいた。「ブルデュー読んで自分語り」の視点からすれば、80年代のキラキラした文化で好んで聴かれていた音楽全般へのうっすらとした敵意があるようだ。

ちょっとググってみたら「J-POPのような質の悪い音楽ばかり聴く若者がかわいそう。フュージョンのような上質な音楽を聴くべき」みたいな言説をみて怒りが湧いてきた。そうそう、こういうこと言うやつが嫌いだったんだよな。

プログレが1970年代後半にだんだんテクニック至上になってシンフォニックな方向に向かったものには興味がなかった。そちら側の立場からカンタベリー・ロックを「素人・下手くそ」みたいに嘲る批評が大嫌いだった。自分はSoft machineの初期とかGongみたいな素人臭くDIYな音楽が好きなので。

そしてそれは思っていた以上に、私が私であるために重要な要素であるようだ。

サイケデリック・ロックってのはまさにこの「素人臭くDIYな音楽」の最たるものであって、LSD経験を音楽で表現するために、フォーク、ブルーグラス、R&Bなどのバンド(ジェファソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、13thフロア)があれこれ試行錯誤して(*)、まだ名前のついてない音楽を作り出したことが尊く価値があるのだと思う。ゆえにそれは一過性の音楽だ。(とはいえ新しい世代がそれを再発見してDIYすること自体は尊い。)

(*以前ブロクで書いた: 「サイケデリック・ミュージック成立における1966年から1967年」)

とここまで書いてから「素人臭くDIYな音楽」という字面を見れば、すぐに連想されるのはガレージであり、パンクだ。自分はガレージもパンクもそんなに聴かない。「初期衝動」を聴きたいってわけでもないんだよな。自分は。

このように考えてみると、自分はかなり物語込みで音楽を聞いているのだろうと思う。

そうでなければ、「上質な音楽」であるはずのフュージョン音楽とかハイテクニックなプログレとか現在の高度に発達したジャズとか、さらにいうならばJ-POPなんかではカバーしきれないくらいの音(旋律、ハーモニー)の多様さがあるクラシック音楽を聴くべきだからな。 でもそういうもんじゃあ、ないんだ。


お勧めエントリ


月別過去ログ