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■ "We’re all heads"

(20231102) 13th floor elevatorsの動画というとたいがいプールの前でYou're gonna miss meを歌うやつなんだけど、別バージョンでTommy Hallがインタビューを受けている映像を見つけた。このやり取りが面白い。

Dick: Who is the head man of the group here, gentlemen?
Tommy: Well, we’re all heads.

司会者(Dick Clark)はバンドのリーダーは誰か聞いてるんだけど、ここでTommy Hallは「俺らはみんなアシッドヘッドだぜ」(LSD決めまくってるぜ)って答えてるの。まあ司会者は理解できなかったのか、取り合わないことにしたのか、スルーしているのだけど。

つづけてTommy Hallは(司会者からまもなく出る1stアルバムの名前を聞かれて、) Headstoneだって答えてる。じっさいには"The Psychedelic Sounds of ..."だったわけだけど。

"Headstone"には墓石、墓標の意味があるけど、ここではstoned headsを含意しているんだろうと思う。こいつドラッグのことしか考えてねえなw

以上のやり取りについては、Paul Drummondによるエレベーターズの評伝 "Eye Mind"に記載がある(10章最後 3568)。そちらの記載によると、

(このショウ American Bandstands)「は10月29日に全米で放映された。これは、エレベーターズにとって最も名誉あるテレビ出演であり、ポップスターとしての最後の舞台となった。」

とのこと。つまり、全米的に言えばエレベーターズは"You're gonna miss me"が売れただけの一発屋だったという評価になる。

"Eye Mind" (9章 3107)によると、プールの前での演奏の方は1966年9月23日に収録されているとのこと。

エレベーターズについての私のブログ記事は例えばこちら: 俺がもし人生をもう一度やり直せるなら、the 13th floor elevatorsで壺にマイク突っ込んでトゥクトゥクいう役、あれをやりたい。

ケン・キージーを中心としたアシッド・シーンの時系列について: Electric Kool-aid acid testを読みながら年表を作成しているんだけど

ここで書いたけど、サマー・オブ・ラブが1967年夏であるのに対して、アシッド・シーンは1966年までに終わってる。エレベーターズが全米的に活躍していたのも1966年までだったことがわかる。

エレベーターズはライブやレコーディングで低用量のLSDをキメながら活動していたという記載が"Eye Mind"やその他の資料で見つかるのだけど、それを読んだ当時(10年くらい前)には、そんなことできるんかいな?と疑問だった。

でも近年、「LSDのマイクロドージング」というのが知られるようになってきている。

こういうの見ると、"Eye Mind"での記載は本当だったんだろうなあと思う。

"Eye Mind"の記載をさらに拾うと、1966年9月26日に"Where the action is"(CBS)が全米での放送のデビューということなので、10月29日のAmerican Bandstandsが最後の全米放送だったということとつなげると、たった1ヶ月の露出だったことがわかる。

1966年の"We are all heads"という発言は、サマー・オブ・ラブが来る前には、まだ「わかるやつにはわかる」表現だったのではないだろうか。つまり、サマー・オブ・ラブとはアシッドムーブメントが「バカに見つかる」(by 有吉弘行)ってことだったと言える。


(20240526) 追記: この動画の1966年9月とは、カリフォルニア州でLSDの使用、所持禁止が法制化されたのが1966年5月30日で、施行は10月6日という時期。(wikipedia) ビートルズの「リボルバー」(1966年8月)が出た直後であり、まだサマー・オブ・ラブ(1967)は来てない。

この時期に起きていたことをまとめておきたいと思ってる。お花畑的憧憬ではなくて、「反逆の神話」ジョセフ・ヒースを経由した視点での描写が必要。


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