[カテゴリー別保管庫] ヒルの意思決定

「Leechのdecision makingのoptical imaging」の論文を元に「そもそもdecisionとは何だ?」という疑問へ移行。

2005年02月17日

Science 2/11 leech decision

"Optical Imaging of Neuronal Populations During Decision-Making." K. L. Briggman, H. D. I. Abarbanel, W. B. Kristan, Jr@UCSD。
んで、今回のleech論文はdecisionなのかchoiceなのか、という質問ができるわけです。いろいろ書いたようになかなか難しい問題はあるのだけれど、行動をbiasさせるためのパラメータを振っていないという点で今回の論文は単に「行動選択」でもよかったわけです。ただ、そのような行動選択に関わるニューロンの中で一番早く行動分岐に相関して発火の分岐が起こるものを見つけた、その点でactionやchoiceに先立つdecisionである可能性を持ったものを見つけた、ということは言えるのだと思います。もちろんべつにJeff Schallのパラダイムに乗っかる義理なんて全くないわけですし。それに、進むべき方向はそちらではなくて、そのような行動分岐がどういうネットワークのメカニズムによって起こるか(nonlinear dynamicsでのbifurcationと行動選択との関係)、というあたりでしょうし。
もちろん、行動選択の回路解明という意味で重要な知見で、その意味では小田洋一先生@阪大の金魚のMauthner cell刺激による逃避行動の仕事とか、lamprey(ヤツメウナギ)やcrayfish(ザリガニ)でのlocomotionとかの膨大な知見と比較して読む必要があることでしょう。(すいませんわかっておりません。)
それからもう一件:哺乳類で脳活動をsingle-unitなどで記録してさまざまな認知行動のneural correlateを見つける、というのはいわば博物学的な仕事です。そのとき問題になるのは、「ある認知行動のneural correlateを見つけた」というときにそれを引き起こした上流のニューロンはどこにあるか、という無限退行が起こることです。たとえばmovitationでも、SNrの上流にcaudateがあって、caudateの上流にSNcがあって、ではSNcの上流は何か、と遡ってゆくわけです。また、このように遡っていく課程でmotor-premotor-SMA-preSMA-cingulateという順番で研究が進んだのだと思うし、prefrontalの研究で10野の機能を明らかにしようとしている人は、どんなに遡っていっても結局知覚と運動のコンビネーションとしてしか情報がコードされていないprefrontalにまだ何かあるのではないか、とフロンティアを探しているのだと思うのです。(かなり無理をしたのでツッコミよろしくお願いします。)
んで、こういう状況に関して私は、個々のニューロンは入力を足しあわせて計算して出力しているだけであり、どこかで全体をモニタしているところなどない(prefrontalであってさえも)し、直接知覚や行動とカップルしているのはretinaやmotoneuronだけに限られるのであって、そういう分散処理されているなかでsingle neuronがたまたま知覚や行動とcorrelateしているのを「表象」として扱っている、ということだと言うわけです。つまりこの表象はVarelaがいう「弱い意味での表象」であって、観察者から見たcorrelation自体のことなわけです。
今回の無脊椎動物での仕事はこのような状況をみもふたもなく示しているわけです。In vivo optical imagingのときに書いたことと重なるけど、すべてのニューロンの活動がモニタされて、どこにもすべてをモニタしているニューロンがないことが明らかな状況で、どう私たちの概念構成(sensory-decision-motorとか)が変化し、どうやってニューロンのコードの読みかたが確立するか、という問題がより明確になってゆきます。しかしそれ自体はいまでもわかっていることなのであって、もっと違った問題の捉え方、定式の仕方が出てくるのではないか、と期待しているのです。実験科学者としては、やってみて初めてわかること、手を動かすことで問題がより明確になってゆく、ということにかなり素朴な信頼を寄せているわけですな。うーむ、とりとめなくなってきた。ここまでか。

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# がや

 お、ひさびさに読む論文が一致しました。
 そうですね、ロジック上の「無限退行」は避けなければいけません。この意味で「総合モニタ系が存在しない」という意見に激しく同意しますし、案外、“かなり低い次元の回路”に含まれるニューロン個々のongoing membrane fluctuationが一種の“stochasticity”としてdecisionに効いているのでしょう。このScience論文はまさにそういう内容なりますね。つまり、回路だけでも、また神経だけでも、説明できないわけで、これはとりわけ、Cell208の同定の仕方と刺激実験の“いまいち切れ味の悪い結果”が、それを物語っていると思います。いずれにしても、そう、実験科学者は「弱い意味での表象」の観察(傍観)者にすぎないことを忘れてはいけませんな ← ポジティブな意味です。そして、それを踏まえたうえで、今回の論文は、「真実」をきわめて鋭利な刃で切った、その一面(のみ)を見せてくれています。こういう論文は私の好みです。
 あと、一昨日の記述。イントロの3種類のストラテジーは、あくまで実験者側からのストラテジーの分類ですので、pooneilさんの「現象側」から批判は当たらないかもです。あ、些細なことっすね、これは。


2005年02月16日

Science 2/11 leech decision

"Optical Imaging of Neuronal Populations During Decision-Making." K. L. Briggman, H. D. I. Abarbanel, W. B. Kristan, Jr@UCSD。
つづき。Jeffrey D. Schallは以下のレビューでchoice(行動選択)とdecision(意思決定)との区別およびそのneural correlateに関して議論しています。
Jeffrey D. Schall, Decision making, Current Biology, Volume 15, Issue 1, 11 January 2005, Pages R9-R11
Nature Reviews Neuroscience 2, 33-42 (2001) "NEURAL BASIS OF DECIDING, CHOOSING AND ACTING" Jeffrey D. Schall
ここで書かれていることをまとめるとこんな感じ:"choose"とは、取れる行動に選択肢があるときに、選択肢に対して行う行動のことで、どういう目的でそうしたのかを説明できるようなもの。"Choose"は選択肢に関する予備知識があればどちらをchooseするかを予測することが可能である。いっぽう、"decide to"とはある選択肢の中から行動を選ぶこと。"Decide to"は本人によってすら予測可能ではない。なぜなら何をdecide toしたかをいったん予想してしまうとすでにそのdecisionは済んでしまっているのであって、decisionよりも先にその予測が先立つことができないから。だから、"choose"と"decide to"との違いとは予測可能性の違いにある。また、"Choose"が最終的な行動まで含んでいるのに対して、"decide to"は行動に移る前に考える過程を指す。
またさらに"neural correlate of choosing"と"neural correlate of deciding"に関しても区別しようとして例を出しているのだけれど、こちらはいただけない。"choosing"としてodd ball taskのような例を挙げて、そこではchoiceがautomaticに、effortlessに起こっているのに対して、"deciding"では、moving random dotでの方向選択のtaskのような例を挙げて、そこではchoiceはもっとeffortfullで時間がかかる、とするのです。それでは質的な差ではないでしょう。まあ、気持ちはわかります。昨日も書いたように、"decision"というときにはそのdecisionに影響するような様々なパラメータを振ってやって、どう最適行動を選択するか、というところに主眼がいっているわけです。だから、最終的な行動と分離するような形でなければいけない。しかし完全にこれを分けることはできない。Attentionとintentionとかで毎度出てくるのと同じ議論に戻るのです。(そういう意味ではSFNレポートで挙げた「足し算のneural correlate」なんてのは行動に直結しないdecisionそのものの途中の結果が見えているのでいい線いっていると思います。いま書いたように、原理的な問題はあるにしても。)
おまけ:VanderbiltでのSchallの心理学の講義のサイトにも関連する資料があります(Psychology 216およびChoosing, Deciding & Doing)。なお、Schallが準拠している P. H. NOWELL-SMITHは倫理学者で、倫理学の教科書も書いてます(Ethics. by P. H. Nowell-Smith; Penguin Books, 1954)。ま、話としてはデカすぎるネタであります。倫理学的文脈ということは自由意志との関連ですからね。
さいごに少し続きます。


2005年02月15日

Science 2/11 leech decision

"Optical Imaging of Neuronal Populations During Decision-Making." K. L. Briggman, H. D. I. Abarbanel, W. B. Kristan, Jr@UCSD。
ふだん無脊椎動物の仕事はスルーしてしまいがちなのですが、これは何とかフォローしておきたい論文です。Leech(ヒル)のdecisionだそうです。LeechのDP nerveを電気刺激してやると、それに対してあるときはswimming行動を起こすし、またあるときはcrawl行動を起こす。このような行動分岐が起こるときのmidbody segmental ganglionのmembrane potential変化をvoltage sensitive dyeとFRETでimagingしてやる。すると、行動分岐に先だって一番早くニューロンの応答も分岐するものとしてcell208というのを見つけた。(Leechなので個々のニューロンが番号付けしてidentifyすることが可能なわけです。)じっさいにこのcell208を過分極させるとswimming行動が起こり、脱分極させるとcrawl行動が起こった、というものです。
いま調べたところ、behaviorに関してはすでにJNSにThe Journal of Neuroscience, December 15, 2002, 22(24):11045-11054 "Evidence for Sequential Decision Making in the Medicinal Leech."として出版されております。
んで、論文そのものに関してもいろんな点で興味を抱くのですが、私が考えておきたいと思うのは、「はたしてこれは"decision"なのだろうか」、「そもそもdecisionは行動としてどう定義すべきか」ということです。
たいがいperceptual decisionの仕事というものは、ランダムドットのようなambiguousな刺激に対して行動(左右どちらかへサッケードする)が確率的に変わる状況において運動指令自体ではないものを見つけ出そうとするわけです(刺激は同一で行動が分岐する場合)。可能性としてはほかにも「刺激は別だけど行動が同一な場合」とかいくつかのバリエーションが考えられますが、一番取り組みやすいのが前者の「刺激は同一で行動が分岐する場合」というやつでしょう。この論文のイントロでは3種類のストラテジーとして"sensory discrimination"、"choice competition"、"choice variability"という言い方をしてますが、どれも「刺激は同一で行動が分岐する場合」の話なので差があるように思えないんですが。
Glimcherなど、現在のdecisionの研究者たちがdecisionというときにはそれは「たんなる行動の確率的な分岐」だけではなくて、状況を規定するパラメータの変動させることによってどのように合目的に行われているか、というところに主眼があります。(Neuroeconomicsというときにはさらにそのようなパラメータが明示的に示されていない状況、"decision under uncertainty"を取り扱っているわけです。Glimcher論文でもinspection cost Iというやつは明示的に示されていませんでしたよね。) よって、あまりdecisionとは何か、というような根本的な問題には直面しなかったりします。じっさい、decisionのような認知心理学的なタームを議論するというのはじつのところ鬼門で、ちゃんと定式化するなら行動分析学的に取り扱わないといけない、ということになることでしょう。このへんに関して、ちょうどJeffrey D. SchallがCurrent biology 1/11にChoice-Decision- Intention-Actionを分けて説明しようとしている(Jeffrey D. Schall, Decision making, Current Biology, Volume 15, Issue 1, 11 January 2005, Pages R9-R11)のでそれをまとめてみましょう。というかこれの元ネタはNature Review neuroscience '01なんでそちらも読みましょう。(つづきます。)


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