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■ 研究メモ: 球面集中現象、一級マイクロサッカード鑑定士など(20160831まで)
「次元の呪いと球面集中現象」の話が好き。僕らは身長とか足の速さとかテストの成績とかの多次元から成り立っていて「全てにおいて平均的」(超球の中心からの距離=0)ということはありえなくて、みんなが同じくらいどっかずれてる。これって救いだろ?
この図は1-100次元の独立な正規分布の原点からの距離を計算して、期待値(=sqrt(次元数) )で割ってヒストグラムにしている。だんだん0に近いところに分布しているデータが少なくなることがわかる。
ただしこの分布はその多次元が独立であることと正規分布であることを前提としている。でも本当はそれぞれの次元は相関しているし、収入の分布みたいに正規分布してない。
田口茂さんの「現象学という思考」や鈴木貴之さんの「ぼくらが原子の集まりなら(略)」を読んでから、「表象主義批判」ではなくて「表象の起源を問うこと」こそが重要ではないかと考えるようになってきた。「哲学入門」(戸田山和久著)でルース・ミリカンを知ってから、このへんを読もうと思った。
「意味と目的の世界」ルース・ミリカンから始めようと思うが、植村恒一郎氏のブログでまとまった記述があるのを見つけた。これ読むと、人間とそれ以外の動物との違いとして後者には「オシツオサレツ表象」しか無いという議論をしていることが分かった。
このブログ記事では「アイちゃんに水を差すつもりはもちろんないが…」という表現があるけれども、松沢さんは「想像するちから」でチンパンジーは今を生きており、未来に絶望しないと書いている。これはミリカンの言ってることに近そう。
「動物の時間表象は、複数の時間系列にとどまり、前方にどこまでも伸びてゆく線形時間ではない。この線形時間こそが、「未来を変えること」「新しいものの創造」を可能にするのだが、動物においては、これがほとんど欠けている。」引用元
というわけで気分が盛り上がってきたので「意味と目的の世界」を読んでみようと思う。ミリカン本人のサイトに出版前原稿がある。第1章では「パーソナルな目的」と「サブパーソナルな目的」のあいだに明確な区切りなんて無いよって話をしてる。いきなり面白い。
「シリーズ心の哲学〈3〉翻訳篇」にミリカンのbiosemanticsが訳出されていることを知ったので早速借りてきた。原文もresearchgateからゲットできた。
ミリカンの「固有機能」って言葉がキモいなあと思って原文調べてみたら"proper function"だった。要はproper noun(固有名詞)との対応付けで、言語との絡みであとで役に立つのだろう。戸田山本では「本来の機能」と訳してあった。同じもののことだとは気づかなかった。
"Mental representation, communication and the transition from animal to human" このスライドがわかりやすくてよかった。
Gärdenforsの論文も見つけた。Mental representationといっても二種類あって、cuedとdetachedがある。cuedは「イマココ」と直結していて、detachedはそこから徐々に離れてゆく。人間とそれ以外の動物の違いはこちらのほうが扱いやすそう。
「心の中の悪口について」のブクマコメント。こういう、なかなか言いにくい内面のことについてのデータが350人くらい集まっている。これって宝の山なんかないかと思うのだけど、どう料理すればよいのかわからない。
二つの正規分布するarrayを作って、array間の相関係数をいろいろ変えたものを作りたかったのだけど、MATLAB Centralでやり方を見つけた。 これでこんな図が作れた。
これはpairwiseだけど、複数のarrayでもいけるのか?と10次元バージョンを作るためにR = ones(10,10)*0.3; R(eye(10)==1) = 1;として、L = chol(R)を作ってみたら、たしかにいけた。原理はわからないが、すげえ(<-勉強しろ)。
「数年前に起きた東名高速の40キロ渋滞。この原因は、たった一台の追い越し車線への割り込みが原因だったことが分かっています」という記事を読んだ。
でも複雑系でこのように原因を特定する意義ってあるのかな? 砂山に砂を振りかけてゆけばあるタイミングで雪崩を起こすけれども、その雪崩を引き起こした砂に原因というか責任を帰属させるのは「お話としての説明」でしかなくて、制御において意味のあることとは思わないのだけど。
じっさい、ここで提案されている解決案もその「たった一台の追い越し車線への割り込み」を排除するような個別例への対策ではなくて、「アリは混んできたら詰めないって戦略を実践」といった統計的な対策であるわけで。
小学校の国語の時間にみんなの前で音読できない子と無理強いする先生の話。 いまにして思えばこれは場面緘黙症なのだが、当時は僕もわからなかった。今はちゃんと認知されているのだろうか?
この記事のはてブを読むとほとんどが「音読の意義」というタイトルへのレスポンスばかりで、本題の「どうして先生はそういうときに無理強いするかな」 って話になってない。正直これは酷いと思うけど、同時にどうやれば正しく伝わるのかなとも思う。
今日いま此処の俺は一級マイクロサッカード鑑定士を名乗ってもいいと思うくらいに波形を見続けた。
誰もいない部屋で、遊佐未森聞きながら、夏草の線路を歩く野球帽の少年のような心持ちで解析中。
Regular saccadeの直前にあるmicrosaccadeを見つけると、とてもレアなので、「レアマイクロサッカード、ゲットだぜ!」と言いたくなる。(<-言いたくならない)
そういう眼で見ると、これはサッカードの途中で軌道を変えたのではなくて、マイクロサッカードとレギュラーサッカードが同時に起こった例があるように思える。それを証明するのは難しいけれども、もし両者が並行して起こりうるなら、生成メカニズムの議論に寄与できるかも。
窓に並べたフラスコ瓶に月の雫集めながら解析していたら、一時間で1090試行しか解析できなかった。メロウな曲調では効率が落ちることがわかったので、バキバキにアガる曲のほうがよいか。EDMかけて解析する。
さあやっとこれから解析開始。まだデータは2/3残っている。うわあ なんだか凄いことになっちゃったぞ (<-他人事っぽいカンジで)
夏休みの宿題を8/31の夜中にやるような心持ちでマイクロサッカードの解析。あの日あの時あの場所で早めに手を付けていたなら、いまごろ僕らは(ry
ホッテントリに「『共感性羞恥』というあの現象 分かる分からないで盛り上がる人々」と 「経営者には“サイコパス”が多い」が並ぶのが、なんだか感慨深い。