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■ ついでに、NatureやScienceに載ること

が科学的にどのくらい重要かという問題にはいろいろ言うべきことはあるが一つだけ。この問題はショートペーパーでどのくらいきっちりした論文が書けるかという問題も含まれる。NatureやScienceはどうしてもインパクトはあるが方法論的詳細が欠けててぜんぜん信用できない、なんてことになりがちだ(私の分野では)。
これに対する過去の人々の対処法は関連するfull paper(私の分野ではJNSやJNP)を書くことだった。前に言及したNewsomeのNature三つはどれも出版後にJNSでほぼおんなじネタを書いている。他にもたくさんある。さすがにここ近年はこういうのは少なくなってきたのだが、それでも最近でも2/19に挙げたSommers and WurtzとかBarashのJNPとかはこのカテゴリーに含まれる。新規性がまったくないんだったら許されるべきではない。データに厚みを加えること自体は科学にとって良いことではあるけれど、その厚みの分がどのくらい新規性をどのくらいあるかという問題。*1
最近はNatureもScienceもsupporting materialを付けることでデータの信頼性を挙げようとしているわけだけれど、それで最近のNature、Scienceは変になってると思うことがある。1/16に挙げたAndrew SchwartzのScienceなんてほとんどのmethodがsupporting materialに回っていて、本文だけではどういうタスクをやってるんだかほとんどわからなくて非常に読みにくい。Schwartzの場合はSOMと別論文*2とを読めばとりあえずわかるようにはなっているのだけれど、他にもいろいろある。(二年前には)Instructionには本文だけで内容が通じるようにすべきと書いてあったはずだけど、と思ってついでに調べてみたらけっこう変わってる!

どちらもsupporting materialについて一ページ使って説明がある。
Natureははじめから別のファイルとしてsubmitするようになってる。Guide to authorには本文にmethodを入れることを指示していて、多かったらpeer-review後に回す、と書いているが。
ScienceがSOAにすべきところを明示して最後尾につけるように、と明示したのはよいことだと思う。
というわけで「本文だけで内容が通じるようにすべき」と書いてあるところはざっと見ただけでは見つからなかった。マジっすか。
なんか脱線してるっぽいが、ショートペーパー集であるということがNatureやScienceが本質的に抱えている問題の一つであって、システムニューサイエンスのように完璧な結論というものがほとんどありえない分野においては詳細が書けないということがかなり足枷になっていると思う。というわけでこの話は「論文誌のブランド志向」という問題とはまったく別の話。


*1:ところでこれは程度を変えればみんな苦労していることだと思う。タスク変えたって、方法論変えたって、前に言ってたことと本質的に変わらんじゃん、という批判から逃れた論文を書くことは本当に難しいことだ。そういう論文こそがNatureやScienceになってほしいと思うし、私もそういうのを書きたい。私は重箱の隅などつつきたくない。いや、究極にはすべて程度の違いの話なんだけど。
*2:これがまたまったく同じタスクでScience論文の方法論的押さえとして働いている。

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# pooneil

追記。この問題はまた、システムニューロサイエンスの方法論がどんどん複雑化していることの反映なのだろう。そのこと自体がこの分野が円熟した、または袋小路に入ってきた、ということの徴とも言えるかもしれない。革命的な論文はあっさり短くてreferenceも少ない、というのを夢想するなあ。

# Gould

JNPもろくに読めない僕としては、pooneilさんとガヤさんの日記はバイブルのようなものです。できる事なら弟子になりたい・・・

# pooneil

2/21日記見ましたけど、NatureでもJNPでも書ききれてないものを読まなければいけないという意味では(程度の差はあれ)同じなんだと思います。その意味では読むのはどれも難しいというわけで。結局前報とかをさらって著者のストーリーとコンテクストを見つけていかないとわからない意味はいろいろあるなあと思います。きりないし全部付き合う必要なんてないけど。(2/23日記へ続く)


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