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■ トミーと四重人格をちゃんと読んでみる

今度のASSC16はBrighton。気分出すためにquadrophenia (さらば青春の光)とかDVDで見てたときのツイート:


What are the blue pills in Quadrophenia? Benzodiazepineだとか答えているが、これはあり得ない。夜を徹してバカ騒ぎしているんだからこれはamphetamineでしょう。


昨日の夜は年越し前にquadropheniaの映画の方をDVDレンタルにて。大昔見たままだったのでこんどBrightonに行くし、気分出していこうということで。始まりと終わりの部分についての解釈とかどうだっけとか思ってwebの感想を当たっていたが、どうにも画一的だ。俺が考えるに…とかなんか書こうと思ったけど、そもそも元のレコードのインナースリーブに書いてある文章(”I had to go to this psychiatrist every week”から始まるやつ)をちゃんと読んだことがないなと気づいた。ということで読む。


追記:読んでみたら、昔読んでたことを思い出した。つまり、いろんなむしゃくしゃすることあって、ブライトンの海岸に来て、舟でRock(岩、っていうか岩礁?)に辿りついて、大雨が降っていて、気づいたら舟が流されている(<-イマココ)、っていう文章で、だから所々に挟み込まれる風雨のSEはまさに今の状況を表していて、そこからそれまであった過去を回想している(cut my hair, dirty job, 5:15, bell boy)。そして最後にLove reign on meという啓示を受ける、という流れなのだ。


Tommyの歌詞解説とか読んでる。この物語が時代的にWWIのあとあたりであることからすると、Acid QueenのacidがLSDではないってのはなるほどと思った。

オリジナル版TommyでのWe're Not Gonna Takeで、信者の反乱があった後に"see me, feel me"が始まるのだけれども、なんか強引にフィナーレにいちばんいいフレーズ持ってきて終わらせて曖昧だなとか思ってた。でもそれではぜんぜん読めてなかった。

ニコ動のやる夫シリーズで、ここの部分が「再び自分の世界に閉じこもり、自分のなかで自分(=you)に問いかける」悲しい結末なんだという解釈を知って、激しく衝撃を受けた。この曲を20年以上聴いていて、まったく読めてないことが分かった。なるほどたしかにオリジナル版トミーではここはとても悲痛なかんじで演奏される。songmeaningsでも同様な解釈は見られる。

amazing journey - sparksでの内面の旅("each sensation make some note")、そしてgo to the mirrorでより具体的にlistening to you ...と語られるある種の叡智をtommyは得た。tommyが伝えたかったのはどうやってawakenしたかではなくて、内面世界で得た、感覚を超えた叡智だったのだと思う。だがそれは失敗し、tommyはそのすべてを抱えて、再び内面世界に戻っていった。このように理解した方が感動的だと思った。

それでもまだ納得いかないところがあって、わたしはsee me, feel meは最初はwoodstockバージョンで聴いたのだけれども、この版ではどんどんクレッシェンドしていくまさにフィナーレの盛り上がりの部分であって、「トミーの興亡」って感じはまったくしないのだ。というかこの印象にずっと引きずられてきて、このフィナーレがたんなる「トミーの内面への語りかけ」ではなくて、反逆する弟子たちの意志も含めたようなもっと複数の声だと思ってた。曖昧だけど。

映画版ではどうだったろうか? もう昔すぎて覚えてないが、映画自体はあんま出来のいいものではなかったはずだ。だって"christmas"の場面(10歳のトミー)をロジャー・ダルトリー本人が演技しちゃうみたいなけっこうおぞましいものだった覚えが。

まあでも新しい方の解釈でよいようだ。あんま深掘りするのもなんだが、Pete Townshendのインタビューではこんな言葉が並んでる:

The need in "Tommy" was to create a sense of loneliness and depravation leading to spiritual absolution. And so what actually happened was that somehow the ending of "Tommy", which was really about being destitute, being spiritually empty, being useless, it didn't reach the audience.

その次の文では四重人格でジミーが岩に一人取り残され、"Love Reign O'er Me"を歌うというのが、トミーが拒絶の元で"Listening To You I Get The Music"となるのとまったく同じ状況であるとまで種明かしされてる。

I use exactly the same device at the end of "Quadrophenia". Here is this boy who's spiritually destitute. He sings "Love Reign O'er Me" which if you like is the epiphanistic prayer to equal "Listening To You I Get The Music" at the end of "Tommy" in under exactly the same circumstances.

そうすると、トミーのラストは必ずしも悲しい終わりではなくて、フィナーレの"Listening To You I Get The Music"は啓示なんだと受け取ることもできる。つまり、救世主としてではなくて、拒絶と孤独によってふたたび"Listening To You"の意味を知る。

すると、元通りの三重苦に戻ってしまうという理解よりかは、自分の世界の閉じこもっていたときの経験を取り戻した、という理解の方がよくないだろうか? 前述のsongmeaningsでも、このように書いている人がいて、けっこう賛同できた:

The meaning of "See me, feel me/Listening to you" is a symbolic isolation rather than a literal deafness and blindness. This isolation is actually worse than the first one- "We forsake you Gonna rape you Let's forget you, better still".

もひとつ参考資料: PETE AND TOMMY, AMONG OTHERS by Rick Sanders & David Dalton -- Rolling Stone (no. 37 July 12, 1969)


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