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■ ガヤ日記2/25の「分類すること」

ガヤ日記2/25の「分類すること」についてだけど、これは12/19コメント欄および12/20の日記あたりにdecodingの話をしたときと書いたことなのでつなげてみる。パターン識別の本を読んでいると「醜いアヒルの仔定理」というのがある(「認識とパタン」以外にもネットでいろいろ探したことがあるのだが、これのステイタスがどのくらいのものか私は知らない。それは別としていかにも濫用されやすそうな概念だと思う。)。これの帰結は分類には論理的に最適なものはなくて、どのカテゴリー分けに重きをおくか(たとえば、背骨があるかどうかと水中に棲んでいるかどうか。)という評価関数によらなければならない、ということだ。2/23のガヤのコメントでアルゴリズムを探し中と言ってたからきっと「No free lunch theorem」のほうもご存知だと思う。Pragmaticにはどのくらいインパクトがあるのか私にはわからないが。
というわけでこれが関係しているかどうかは別として、前にも言ったように、われわれが外から脳の神経活動をdecodeするときにも何らかの重み付けをすることがたぶん不可欠なんだろう。ただし、このことはdecodeの不可能性を意味しない。<コメントアウト。>ちょっとぱっとはわからないのだけれど、入力と出力が一対一で対応するようなネットワークを作ったときに、中間層への入力の重みだけを見てideal observerがすべての入力情報をdecodeすることは必ず可能なのだろうか?
<コメントアウト。>


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