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■ パレイドリアと「シミュラクラ現象」
大学で意識についての講義をするときに、いろいろ錯覚を見てもらったりするのだけど、そこでの質問やコメントに「シミュラクラ現象」という言葉が出てくることがある。
認知心理学の分野ではパレイドリアPareidoliaという言葉があって、「壁のシミが人の顔のように見えてしまう」という現象をパレイドリアと呼ぶ。「シミュラクラ現象」というのが指しているのは、典型的には「コンセントの3つの穴が人の顔のように見える」というもので、これはパレイドリアの一種であり、わざわざ「シミュラクラ現象」という言葉を使う必要がない。
そもそも「シミュラクラ現象」という言葉は日本でしか通用しない言葉だ。それはwikipediaの「シミュラクラ現象」の項目を見ればわかる。日本語版しか無い。
そういうわけで、講義で学生から「シミュラクラ現象」についてのコメントをもらった場合には「それは学問的にはパレイドリアと呼ばれるものであって、「シミュラクラ現象」という言葉は日本のネットカルチャーでのみ通用する言葉なのでお気をつけください。」と返事するようにしている。
言葉は生き物なのだから「シミュラクラ現象」という言葉自体を禁止してもしょうがない。だから、ネットに向かって「「シミュラクラ現象」という言葉は誤用です。使うのはやめましょう」とか喧伝しようとは自分は思わない。
とはいえ、「シミュラクラ現象」という言葉のルーツは抑えておきたい。初出はいつかLLMに聞いてみたら、「初出を見つけるのは難しいけど、初期の使用例については2000-2005年の範囲でググってみましょう」とアドバイスされた。
すると2005年の記事が二つ見つかった。
それは「シミュラクラ現象(類像現象)」かもしれません。シミュラクラ現象とは3つの点が集まった図形が人間の顔のように見えるという錯覚現象です。ほら、よくマンホールのフタの模様や、天井のシミが人の顔のように見えてくることがありますよね。もともとはSF作家・フィリップ・K・ディックの小説から生まれた言葉だそうで。
「こうゆうもののコトを「シミュラクラ」と呼ぶ。●が三角に3つ並べば顔に見えるとまで言われる。人間にはあらゆるものを顔に見立ててしまう本能が備わっているらしい。(…)何を言いたいかっちゅーと、心霊写真と言われるもののすべて、とまで言うつもりはないが、9割方はこの「シミュラクラ」だとおれは思っているのだ。」
どちらとも心霊写真の文脈で、それは錯覚だ、シミュラクラ現象で説明できる、というものだ。ここでひとつ興味深いことが書かれている。
もともとはSF作家・フィリップ・K・ディックの小説から生まれた言葉
元々シミュラクラSimulacreという言葉は、ポストモダンの哲学者ジャン・ボードリヤールによる「シミュラークルとシミュレーション」から来ている。(BTの記事の解説がわかりやすかった)
そしてそれの影響を受けて、フィリップ・K・ディックはSF作品として「シミュラクラ」という作品を書いている。私は未読だが、人間そっくりに作られたシミュラクラが出てくる話だそうだ。
というわけで、「シミュラクラ現象」という言葉がオカルトとか心霊写真とかのサブカルチャーの文脈で出てきたことを考えると、はじめてこの言葉を使った人は、ボードリヤールを引用したというよりは、フィリップ・K・ディックを引用したのではないかと想像できる。
さて、認知心理学の分野でパレイドリアの専門家といえばまっさきに浮かぶのは高橋康介さんだ。彼は「なぜ壁のシミが顔に見えるのか ―パレイドリアとアニマシーの認知心理学―」 という本を書いている。
Twitter(当時)だと、以下のスレッドが詳しい。
パレイドリアの話をすると「それシミュラクラでは?」という反応がよくあります。wikipediaの力だろうか。それともPKディックのこれ? https://amazon.co.jp/dp/B077QN78N1/ 必要に迫られてパレイドリアとシミュラクラの語源についてかなり調べたことがあるんですが、結局正確なところはわかりませんでした。Twitter 2020
上述の書籍の中でも、「シミュラクラ現象」について手短に触れている。
パレイドリアとシミュラクラはともに同じような概念を示すものだが、パレイドリアが見えてしまう「現象」を示すのに対して、シミュラクラは見えてしまう現象のきっかけとなる「モノ」を指し示す意味合いが強い。…「シミュラクラ現象」といえば、それはパレイドリアとほぼ同義であると思ってよいだろう。(p.46)
ということで、「シミュラクラ現象」という言葉をむやみに切り捨てることなく、考察している。(とはいえこの本で「シミュラクラ現象」が出てくるのは、あくまでもこの部分だけにすぎない。)
というわけで、今後は質問をもらったら、この記事を参照できるようにした。