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■ 研究関連メモ(aphantasia, CCSM 2015年7月)

FB経由で知ったaphantasia (心的イメージを作ることができない)という話。講義で使うNed Blockの話で「哲学的ゾンビの話を講義ですると2/3は理解するが1/3は(その可能性すら)理解できない」という話に近いかも。

さらにその着想のもととなった症例報告では冠動脈形成術を受けてから心的イメージを失っている(がimagery課題はできる)。よってBlindsightの向こうを張って‘blind imagination’と表現している。

つかこれみんなホントのところどうなのか聞いてみたい。私は心的イメージは無いわけではないけど、彼らのVVIQによれば”Perfecting clear and lively as real seeing”ではなくて”Dim and vague; flat”の方だと思う。

今みたものを目をつぶって思い浮かべたときに直観像的に画像が目に浮かぶというよりは、黒い背景に筆でそのシーンを書き込むように、なんかmotorを起源としたものして持っているように思うのだけれど。

このこととsensorimotor contingency的な考えへの親和性には相関があるのかも。われわれそれぞれがなんらか心と脳の理論を持っていてその妥当性の判断基準は実は心像やら夢やらそういったものの処理能力によって制約を受けているのかも。つまりembodiedってことだけど。


洗顔か何かで顔をこすりすぎて、鼻の穴の入り口にかさぶたが出来てしまった。そしたら視野のなかでかさぶたが目立つ。どういうことかというと、普段は視野から見える鼻は片眼からしか見えないから両眼視野闘争で負けて見えないのだけど、かさぶたでサリエンシーが上がって勝ち残ったのだな。


Robert Kentridgeが盲視での色の論文を出していたことに気がついた。Curr Biol 2012でreferしていなかった。これは恥ずかしい。

Kentridgeが書いてくれたDispatchでは、ヒト盲視において色(PNAS2007)や動き(PNAS2011)の処理の原理が異なっていること、盲視におけるcueingの必要性など、この論文で書ききれなかったことを補ってくれている。

他の人がどのように自分の仕事を引用しているか調べると、自分では使わないようなフレーズが出てきて参考になる。たとえば、いつもanimal model of blindsightと書いてきたけど、experimental blindsightって言い方はよさそう。


VMware FusionでUbuntuを使っているんだけど、USキーボードとKarabinerで運用しているので、Macのほうでコマンドキーを押してUbuntuに移ってくるといちいちCaps Lockがかかるのがウザい。「Caps Lock キーの機能が逆になることがある」

解決法としては、Ubuntu上でもう一回コマンドキーを押せばいいのだが、そうするといちいちDashが立ち上がるのでESCで閉じる。これまたウザい。この問題をずっと放置していたのだけれど、CCSMというやつで解決できることを知った。

CCSMをsoftware centerからインストールして、Desktop > Unity plugin > key to show dashをsuperからsuper + shiftに変更。これでcommandキーを押してもdashがポップアウトしなくなった。快適だ!


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