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■ "Messy Mind"の威力

アンディ・クラークの「現れる存在」の付録部分(駒場での連続講義)読んでたんだけど、"Messy Mind"という概念を知って衝撃を受けた。つまり、ニューラルネットワークを使って外から問題与えて学習させるようなパラダイムを、FPGAのような物理的な実現の制約の中で行うと、ちょっとありえないような雑な('messy')な解決方法が出てくると。ここで出てきたのは論理演算をするデジタルな回路を学習するはずが、隣接した回路からの影響(回路をデザインするときには極力避けたい部類)というアナログな影響を積極的に利用しているという例だった。アンディ・クラークによるスライド資料:Messy Minds: Embodiment, Action, and Explanation in 21st Century Cognitive Science

Messy MindとFristonがどうつながるのかがわからない。Messy Mindは問題解決をするのは必ずしも脳でなくても良いし、身体の機構を使っても良いし、あるものなんでも使うって話である一方で、フリストンだと予測誤差はなんか脳内でもいいし、行動でもいい。というあたりでつながるのだろうか。Messy Mindで「漏れだす」という言い方をする一方で、active inferenceではいちばん予測誤差を大きく減らせるところで減らしてゆく、みたいな最適化の思想かと思っていたのだが、messy mindもイメージはGAだろうからそんなに変わらないのか。

Messy mindの話を読んでいて、たしかにこのようにして漏れ出すものをいくらでも使っていけるのだとしたら、ニューロンのスパイクだけでなくて、局所電場電位のような、もともとはもしかしたら脳の層構造が生み出したbyproductに過ぎない(かもしれない)ものをなんだかんだと利用してシステムの一部に組み込まれていて、そこには整然としたハイアラーキーとかは必ずしもない、っていうような理解でこのへんはすごく納得がいく。

脳波のcross frequency couplingとかも意義が正直よくわからなかったけど、とにかく起こってしまったものが使われて、システムに組み込まれてしまうのだったらそれもありかなと。自分が思った以上にsingle-unit至上主義者であったことに気づいた。

こうなると、脳と身体と環境、そして脳の中でもミクロとマクロの階層性みたいなものをもっと断念する必要がある。もともとそれはrecursiveなものなのだからシリアルではないっていうことはわかっていたつもりだったし、神経回路が短絡路だらけであることもわかっているつもりだったけど、messyであることの威力はそれ以上だった。

もしmessyであるのならば、物理的な遠隔作用であれ、シンボリックなものであれ、成り立ちの必然性から読み取ろうとするのは不充分であり、無謀であるようにも思えてきた。もちろん反動はあって、じつのところどの程度までmessyであるか、決定的な影響はあるのか、という線形 vs. 非線形、みたいなことを検証してゆく必要があるのだろう。


messyといえば、盲視そのものが、同名半盲からの機能回復の方策としてはmessyな解決方法であるといえるのではないだろうか、ということに思い至った。


"messy mind"が「猥雑な」ってなんかピンと来ないよなあと思ってmessyでgoogle画像検索してみたら、汚部屋の画像がぞろぞろと出てきたので納得がいった。似非関西弁で言うならば「むちゃくちゃですがな」みたいなかんじ。


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