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■ 「確率論的世界と動力学系的世界」との相克?
「相関はダメで、因果を証明しなければならない」っていう議論についてだけど、けっきょく精度の問題ではないかという気がしてきた。天文学では星一個取り除いたりすることが出来るわけではないので、因果の実験ではなくて、その予測の精度によって厳密科学となっている。
相関ってのもけっきょくr=0.7みたいな相関だから文句を言われるのであって、もし相関がr=0.99999とかだったらそれは予測をしているのとけっきょく同じで、そこまでいけば厳密科学になる。
たぶんそういうことをデコーディングとかやっている人は考えているんではないだろうか。r=0.7をr=0.9にするのは工学的問題なんだろうと思うのだけど、r=0.9999にするにはどうすればいいか。なんかむちゃくちゃ正確なforward modelを作らないとそこはムリな気がする。
ちがうちがう、確率論的モデルを考えている限り、r=0.99999になることはありえなくて、動力学的モデルが出てこないとたぶんそこまでは行けない。池上さんが言ってた「厳密な数学」ってのはそのレベルのことだろうと思う。
地震が自己組織化臨界現象なのだとしたら、M9が起きる比率/M8が起きる比率 = M10が起きる比率/M9が起きる比率 というかんじで1000年に一度と言わず、10000年に一度の現象が起こりうる。だから、想定外はいくらでも起こりうるのであって、想定外をなくせなんて無理なのでは?
そういう意味では「ブラックスワン」なんてものはなくて、量が質に転換しただけであって、「ブラックスワン」を何か実体のあるもののように考えることはちと疑似科学に入ってるんだろう。もしM10の地震が起こったとしてもそれをブラックスワンと呼ぶ必要はない。社会科学の複雑さゆえか?
地震予知の不可能性の話はまさにロバート・ゲラー氏が唱えていることを知った(Nature asia翻訳記事)。そして、これもまた「確率論的世界と動力学系的世界」との相克なのだということに思い当たった。
確率論的世界では「次の30年以内にXXが起きる確率」以上のことは言えない。 そして、この構図は脳の計測と制御でも同じだ。短期間の制御と予測が出来たとして、その先は確率論的世界のものではないのだろう。かといって動力学系的世界のものと言えるわけではないが。
「海馬スライスでカオスを制御する」ってNature論文(PDF)が出たときはすげーと思ったが、あんまそこから先が進んだようすでもない。でも、その方向こそが制御と予測という側面からはファンダメンタルなものであるように思う。ちと忘れないようにしておく。
「確率論的世界と動力学系的世界」ってのは至る所にあるのだろう。疫学で統計モデルを作って病気の様々な要因について研究するのと、病気の要因間の相互作用を同時に計測しながらその時間的発展を研究する。
ん?これは正しいたとえだろうか?今の場合は前者から後者への自然な発展が想像できる。
いやいや同じか。脳も同時計測をしながらその時間的発展を研究することが出来ればかなり動力学系的な研究になる。いまはまだ疫学的なのだな。もちろん、疫学をおとしめているわけではない。
なにがファンダメンタルなことかって考えたりすることがあるけど、やっぱ「複雑系の中でどうやって制御を行うか」なんじゃないだろうか。神経科学、医療、政治、教育、どれでもローカルに擾乱を加えることはできるだろうけど、それによって揺り戻しが起こって、それを「構造的問題」とか呼んだりする。
成熟し、均衡状態になったシステムではどこでもこういう揺り戻しが見られる。なんにもないところに新しい土地を作る喜びってのは、そこはまだ均衡状態になっていないから、デザインしたとおりに物事が動く、そういう制御可能性の喜びなんだろう。それは革命思想。これが通常科学と科学革命の差異。