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■ ハーバードからの通信

コネクトーム・コネクトミクス関連のつづきです。いよいよSebastian Seungが来日して各地でトークをしているところだと思います。生理研には来週の月曜日12/17にやってきてトークを行います。こちらがセミナーの要旨:所長招聘セミナー。それでもって駅までお迎えに行ったりとかすることになったので多少勉強しているところです。私としてはいまのところ興味はあるのだけれど、直接的な接点はありません。

前回のエントリのコメント欄でいろいろ資料を教えていただきました。どうもありがとうございます。最近読んでて面白かったのはNature Methods 4, 975-981 (2007) "Following the wires"でした。なんかDenk vs. Lichtman (serial block-face imaging vs. ATLUM)の構図を強調するような煽り方をしていますが、この分野の熱さを感じます。

そうしましたら、とあるきっかけで、岡崎統合バイオセンターの岡村研出身で 現在Lichtmanラボに留学されている岩崎広英さんとお知り合いになりまして、Lichtmanラボの様子やコネクトミクスの現状などについてレポートしてくださいました。どうもありがとうございます。今回のエントリは岩崎さんによるゲストブログです。それではここから:


Lichtmanラボでは,現在4,5人のメンバーが,このプロジェクトに関わっております.私自身は直接関わっているわけではないのですが,ラボミーティングや,先日OK さんも挙げておられましたレクチャーコースにも(全部ではありませんが)参加しており,その様子の一端だけでもお伝えできたら幸いです.

件のレクチャーコースはMITとハーバードとの合同のレクチャーコースとして今年から始まったもので,隔週で交互に会場を換えて毎週火曜日に行われていましたが,今週全ての講義が終わりました.レクチャーコースの予定表をご覧になってもお分かりのように,色々な大学から講演者が招かれており,それらの研究者が対象としている動物も哺乳類にとどまらず,線虫やショウジョウバエまでと多岐に亘っています.

おそらくこのホームページを読んでおられる方の多くは,哺乳類を用いた神経科学に興味のある方が多いのではないかと思いますが,マウスの脳でさえセンチメートルのオーダーですので,これを数ミリメートル角のブロックに切り分け,さらにシナプスを鮮明に見るために電子顕微鏡を使うとすると,数ミリ角のブロックをナノメートルのオーダーでスライスしていくこととなります.

これがいかに大変かというと,うちのラボのメンバーが今までに調べた中で最も大きいサンプルは,縦1.2ミリメートル,横 4.5 ミリメートル,厚さ約30ナノメートルというものですが,得られた顕微鏡像を最高の解像度(約2ナノメートル)のままで処理すると,1枚の画像ですら,なんと 180ギガバイトもの容量となります.したがって,30マイクロメートル程度の厚さの切片ですら,180 テラバイトもの容量となるわけで,とてもでないですが普通のパソコンでの解析は無理です.実際には,大まかな部分はもっと低解像度で画像処理を行い,シナプスを見たいときなどの必要に応じて,高解像度での画像処理を施しているようです.

こうしたプロジェクトの場合,いかに多くの部分をオートメーション化するかが重要なポイントとなるでしょう.Lichtmanラボでなされている工夫もこの点に集約しており, pooneilさんが挙げておられたリンク"Following the wires"の中に出てくるATLUM (automatic tape-collecting lathe ultra-microtome)は,この切片作成のプロセスのオートメーション化の効果的な手法ではないかと思います.

しかし,切片作製や画像取得のプロセスをオートメーション化したとしても,その画像を3次元に再構築するステップは,未だに人間の目と手に依る部分が大きいことは否めません.上記の長方形サンプルのうちの極々わずかの部分を,この夏ラボで働いていた学部学生が解析していましたが,あまりの膨大な情報量に圧倒され,夢の中でも電子顕微鏡の切片像が出てきて困ったと,その学生は嘆いていました.

情報量の問題もさることながら,pooneilさんもご指摘のように,個体差の問題も無視できないでしょう.もちろんゲノムプロジェクトにおいても個体差は問題となるでしょうが,神経細胞の結合の場合,その個人差は更に大きいと思われます.というより,神経細胞の結合様式の場合,どの程度が個人差であり,どの程度が共通なのかさえ,ほとんど分かっていないのが実情でしょう.

コネクトミクスのレクチャーコースで線虫の研究者が話していましたが,線虫にはオスと雌雄同体の2種類の性があり,このうちオスの方が雌雄同体に比べて神経細胞が多く,オスの神経細胞は294 個であり,雌雄同体の個 体に比べて89個多く,そのうち41 個は生殖器特異的な41個の筋細胞に投射しているのだそうです.しかし,こんなに具体的なことが分かりながら,またこの程度の細胞数でありながら,オスの神経細胞のコネクトミクスは,今なお完成していないのだとか.この程度の規模でも,1 人でやると解析に20年はかかるのだそうです.線虫1匹の大きさは,マウスの大脳皮質の厚さの半分にも満たないことを考えると,哺乳類の脳におけるコネクトミクスは,まだまだ多くの困難を抱えているだろうと思います.

pooneilさんご指摘の,生理学との関連ですが,やはり私にはカルシウムイメージングなどにより神経細胞の活動をモニターした後,その部分をコネクトミクスの手法で解析することで,神経細胞の同期発火と実際の解剖学的な神経回路とを照らし合わせるという形になるのではないかと思っています.

果たしてこれだけの人数の研究者がやるに値するプロジェクトなのか,というのはもっともなご指摘で,私自身も正直言って懐疑的です.しかし,この手のプロジェクトは「やってみなければ分からない」部分が大きいことも確かでしょう.少なくとも,このプロジェクトを推進することで色々な技術的な革新が見込めるでしょうし,それらの恩恵を受ける機会が,今後無いとも限りません.

ドイツではDenkが,アメリカではLichtman やClay Reid, Sebastian Seungといった人々が強力にコネクトミクスを推進している様を見ていると,むしろ私には,この流れに日本が完全に取り残されているのではないかという気がしています.膨大な人と金をつぎ込む価値があるかどうかは別として,この流れに全く乗らないということが果たしてよいのかどうなのかと思ってしまいます.

日本の神経科学への利益・不利益云々はともかくとしても,こうした最新の動向に関して,学部生向けのレクチャーコースが開かれるというのは日本では考えられないことではないでしょうか.最新の流行を追うばかりが良いとは限らないでしょうが,最先端の研究者達が,現在,何を問題にし,どのようなことに取り組んでいるのかについて,学部生の頃から接する機会があるというのは,刺激的なことであると思います.今回のレクチャーコースに,私はアメリカの科学教育の底力を垣間見たような気がしました.


以上です。岩崎さん、どうもありがとうございました。


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