[カテゴリー別保管庫] コネクトーム・コネクトミクス

脳のニューロンの結合関係を網羅的に記述するという大プロジェクトが始まっています。

2007年12月14日

ハーバードからの通信

コネクトーム・コネクトミクス関連のつづきです。いよいよSebastian Seungが来日して各地でトークをしているところだと思います。生理研には来週の月曜日12/17にやってきてトークを行います。こちらがセミナーの要旨:所長招聘セミナー。それでもって駅までお迎えに行ったりとかすることになったので多少勉強しているところです。私としてはいまのところ興味はあるのだけれど、直接的な接点はありません。

前回のエントリのコメント欄でいろいろ資料を教えていただきました。どうもありがとうございます。最近読んでて面白かったのはNature Methods 4, 975-981 (2007) "Following the wires"でした。なんかDenk vs. Lichtman (serial block-face imaging vs. ATLUM)の構図を強調するような煽り方をしていますが、この分野の熱さを感じます。

そうしましたら、とあるきっかけで、岡崎統合バイオセンターの岡村研出身で 現在Lichtmanラボに留学されている岩崎広英さんとお知り合いになりまして、Lichtmanラボの様子やコネクトミクスの現状などについてレポートしてくださいました。どうもありがとうございます。今回のエントリは岩崎さんによるゲストブログです。それではここから:


Lichtmanラボでは,現在4,5人のメンバーが,このプロジェクトに関わっております.私自身は直接関わっているわけではないのですが,ラボミーティングや,先日OK さんも挙げておられましたレクチャーコースにも(全部ではありませんが)参加しており,その様子の一端だけでもお伝えできたら幸いです.

件のレクチャーコースはMITとハーバードとの合同のレクチャーコースとして今年から始まったもので,隔週で交互に会場を換えて毎週火曜日に行われていましたが,今週全ての講義が終わりました.レクチャーコースの予定表をご覧になってもお分かりのように,色々な大学から講演者が招かれており,それらの研究者が対象としている動物も哺乳類にとどまらず,線虫やショウジョウバエまでと多岐に亘っています.

おそらくこのホームページを読んでおられる方の多くは,哺乳類を用いた神経科学に興味のある方が多いのではないかと思いますが,マウスの脳でさえセンチメートルのオーダーですので,これを数ミリメートル角のブロックに切り分け,さらにシナプスを鮮明に見るために電子顕微鏡を使うとすると,数ミリ角のブロックをナノメートルのオーダーでスライスしていくこととなります.

これがいかに大変かというと,うちのラボのメンバーが今までに調べた中で最も大きいサンプルは,縦1.2ミリメートル,横 4.5 ミリメートル,厚さ約30ナノメートルというものですが,得られた顕微鏡像を最高の解像度(約2ナノメートル)のままで処理すると,1枚の画像ですら,なんと 180ギガバイトもの容量となります.したがって,30マイクロメートル程度の厚さの切片ですら,180 テラバイトもの容量となるわけで,とてもでないですが普通のパソコンでの解析は無理です.実際には,大まかな部分はもっと低解像度で画像処理を行い,シナプスを見たいときなどの必要に応じて,高解像度での画像処理を施しているようです.

こうしたプロジェクトの場合,いかに多くの部分をオートメーション化するかが重要なポイントとなるでしょう.Lichtmanラボでなされている工夫もこの点に集約しており, pooneilさんが挙げておられたリンク"Following the wires"の中に出てくるATLUM (automatic tape-collecting lathe ultra-microtome)は,この切片作成のプロセスのオートメーション化の効果的な手法ではないかと思います.

しかし,切片作製や画像取得のプロセスをオートメーション化したとしても,その画像を3次元に再構築するステップは,未だに人間の目と手に依る部分が大きいことは否めません.上記の長方形サンプルのうちの極々わずかの部分を,この夏ラボで働いていた学部学生が解析していましたが,あまりの膨大な情報量に圧倒され,夢の中でも電子顕微鏡の切片像が出てきて困ったと,その学生は嘆いていました.

情報量の問題もさることながら,pooneilさんもご指摘のように,個体差の問題も無視できないでしょう.もちろんゲノムプロジェクトにおいても個体差は問題となるでしょうが,神経細胞の結合の場合,その個人差は更に大きいと思われます.というより,神経細胞の結合様式の場合,どの程度が個人差であり,どの程度が共通なのかさえ,ほとんど分かっていないのが実情でしょう.

コネクトミクスのレクチャーコースで線虫の研究者が話していましたが,線虫にはオスと雌雄同体の2種類の性があり,このうちオスの方が雌雄同体に比べて神経細胞が多く,オスの神経細胞は294 個であり,雌雄同体の個 体に比べて89個多く,そのうち41 個は生殖器特異的な41個の筋細胞に投射しているのだそうです.しかし,こんなに具体的なことが分かりながら,またこの程度の細胞数でありながら,オスの神経細胞のコネクトミクスは,今なお完成していないのだとか.この程度の規模でも,1 人でやると解析に20年はかかるのだそうです.線虫1匹の大きさは,マウスの大脳皮質の厚さの半分にも満たないことを考えると,哺乳類の脳におけるコネクトミクスは,まだまだ多くの困難を抱えているだろうと思います.

pooneilさんご指摘の,生理学との関連ですが,やはり私にはカルシウムイメージングなどにより神経細胞の活動をモニターした後,その部分をコネクトミクスの手法で解析することで,神経細胞の同期発火と実際の解剖学的な神経回路とを照らし合わせるという形になるのではないかと思っています.

果たしてこれだけの人数の研究者がやるに値するプロジェクトなのか,というのはもっともなご指摘で,私自身も正直言って懐疑的です.しかし,この手のプロジェクトは「やってみなければ分からない」部分が大きいことも確かでしょう.少なくとも,このプロジェクトを推進することで色々な技術的な革新が見込めるでしょうし,それらの恩恵を受ける機会が,今後無いとも限りません.

ドイツではDenkが,アメリカではLichtman やClay Reid, Sebastian Seungといった人々が強力にコネクトミクスを推進している様を見ていると,むしろ私には,この流れに日本が完全に取り残されているのではないかという気がしています.膨大な人と金をつぎ込む価値があるかどうかは別として,この流れに全く乗らないということが果たしてよいのかどうなのかと思ってしまいます.

日本の神経科学への利益・不利益云々はともかくとしても,こうした最新の動向に関して,学部生向けのレクチャーコースが開かれるというのは日本では考えられないことではないでしょうか.最新の流行を追うばかりが良いとは限らないでしょうが,最先端の研究者達が,現在,何を問題にし,どのようなことに取り組んでいるのかについて,学部生の頃から接する機会があるというのは,刺激的なことであると思います.今回のレクチャーコースに,私はアメリカの科学教育の底力を垣間見たような気がしました.


以上です。岩崎さん、どうもありがとうございました。


2007年12月06日

脳のニューロンの結合関係を網羅的に記述するコネクトーム(connectome)

コネクトーム(connectome)という言葉をはじめて聞いたのはいつだったか忘れてしまいましたが、その存在をはじめて意識したのはShuzoさんのエントリでの
Sporns O, Tononi G, Kötter R (2005) The Human Connectome: A Structural Description of the Human Brain. PLoS Comput Biol 1(4): e42 doi:10.1371/journal.pcbi.0010042
の解説でした。
脳のニューロンの結合関係を網羅的に記述するということで、neuroinformatics的な立場からgenomeプロジェクトの次はこれだ、というかんじで出てきてるわけです。
ようするに全ニューロン間での結合強度の行列を作ってやろうというわけです。(こないだのガヤの生理研での講演もそんな感じの話でした。)
そこまで聞くと、はたしてその結合をどのレベルで記述すりゃいいのか、っていう疑問が出てきます。ミクロからマクロ、それから構造と機能レベルで。じっさい、そのへんについては上記のPLoS Comput Biol論文で扱われていて、Shuzoさんのエントリにもまとめがあります。どうやらconnectomeと言ってる人にもこのへんのレベルがいろいろ違っているようなのですが、どこに労力とお金が注力されるべきかという点で争点となることでしょう。
つまり、よりマクロなレベルだと、ニューロン間ではなくて領野間の結合の行列だったらもうVan Essenとかがnhpの視覚野でやっていて、それを拡張していこうみたいな話があるわけです。上記のHuman connectomeではDTIとかを用いるようなことが書いているのでかなりマクロでの話でしょう。
よりミクロのレベルだと、mouse brainで電顕を使ってシナプス全部追ってやるという話になります。これはすごい。おおごと。こちらのレベルでの解析に重要になるであろう基礎技術に関するまとめがShuzoさんのSFN2007に関するエントリのところにあります。
要はゲノムプロジェクトと同様で、少数の研究者だけでやってたらいつまで経っても達成できないであろうことを、人海戦術と技術的ブレークスルーによる自動化とで乗り越えてしまおうというわけです。
こっちの方向性でわたしの興味が向くのは、構造と機能との関係です。じっさい問題、connectomeは構造レベルでの記述を目指すことになると思いますが、二つのニューロン間には複数のシナプス結合(さらにギャップジャンクションまで)があって、結合関係についてどのように記述すればよいかということを決めること自体が唯一解のある問題ではないわけです。興奮性か抑制性かの違いもあるし。まあ、なんでもいいからとにかく始めてみよう、でもいいんですが。
ガヤのScience論文で見られるようなrepeated sequenceが画面の中のえらく離れたニューロン間でできていることを以前もつっこみましたが(つっこみすぎたのでこないだは蒸し返さず)、要は機能的結合だけ見ていて、構造的結合を見てないからではないか、とか繋げてみたり。しかも機能的結合は比較的短めな記録時間の中でのrepeated sequenceや同期発火を検出することに依っているので、より体系的な検証がほしくなるわけです。(もっと長時間記録してcross correlationとるとか、パッチで二本刺しして片方刺激して相手の応答をとるとか。) そのあとでsliceの顕微鏡の視野内のニューロンの構造的結合を明らかにする、みたいな話になればかなりいけると思うんです。生理学者としては、網羅的にいくよりは狭い部分でいいから機能と構造とひと揃いでデータがあるほうが面白いと思うんですが。やっぱ生理学的発想ですかね。
ちなみにググってたらハーバードでのプロジェクト(Clay Reidが入ってる)というのも見つけたんでメモメモ。
ちゃんと論文読まずに書いているんで書いていることがいつもにましてぬるいのですが、そうでした、今回のエントリの目的はSFN2007でもconnectomeについて講演していたというSebastian Seungの仕事についてまとめるということでした。Sebastian Seungじたいはまだこのプロジェクトに関する論文を出していないようですが、MITのサイトを見ると、Winfried Denkと組んでプロジェクトを進めているようです。Denkがserial block-face imaging(上記のShuzoさんのエントリでreferされてます)を開発して、そこで得られた電顕データからシナプスなどの画像を自動的に抽出するアルゴリズムをSebastian Seungが開発する、という話のようです。このへんについてもう少し調べてみることにします。ではまた。

コメントする (4)
# Ryohei

このまえ、コールドスプリングハーバーのNeuro-imagingミーティングでも、Connectome projectのテクニカルな議題が多かったですね。リード、リヒトマン、デンク、とあちこちで電顕プロジェクトやっていますね。そして電顕からいかに構造情報を早く取り出すかということもComputer scienceの人にはとても面白い問題のようです。リヒトマンがあげていた問題の1つは、シナプスの連結が個体ごとにまるで違うこと。Neuromuscular junctionでは、同じ個体の右と左でさえまるで違うフォーメーションになるとか。まあそれでも、ある程度の基本原理は小さい領域が解けただけでわかる可能性もありますね。数-数十ニューロンからなる小さい計算ユニットみたいなものがみつけられるかもしれないし。もっとも計算ユニット探しは、生理学のほうがはよさそうな気もしますが。日記にあるような長距離の計算ユニットを見つけるには再構成にものすごい精度が必要でしょうからこの方法では難しそうです。でも、私にも、こんなにたくさんの人が膨大なお金をかけてやるべきプロジェクトには、実は思えないんですよねー。

# Shuzo

http://www.nature.com/nmeth/journal/v4/n11/full/nmeth1107-975.html

http://www.nature.com/naturejobs/2007/071101/full/nj7166-130a.html
といった記事は、SFNのPresidential Lectureの裏を知るのに良さそうです。

個人的には、ニューロンのスパイクを調べていると、そのメカニズムがどうしても気になることがあります。その場合、コネクトーム的な研究が進んでくれないと、いつまでも現象を追うだけでフラストレーションがたまります。

おそらく、「この回路のここをmanipulateして、システムの振る舞いがどう変化するか調べよう」という話は、これからどんどん出てくる気がします。そのためには、オームはつけなくても良いですが、もっと局所回路のことがわからないと何から手をつけたら良いのかわからない、という感じがします。

一方で、どこまで詳しく見るべきなのかは正直私はno ideaです。少なくとも「定量的な」結合情報はどうしても必要だと思います。その意味では、シナプスレベルの結合情報まで必要なのかもしれません。

またゲノムプロジェクトのアナロジーで考えれば、とにかく何らかのドラフトを手に入れると、神経科学の仕方が変わるような期待もなくはないです。

# OK

http://hebb.mit.edu/courses/connectomics/
を見ると、だいたいどんな人が関わっているかわかります。参考文献ものっているのでご参考までに。

# pooneil

みなさまコメントありがとうございます。
今週末くらいからSebastian Seungが来日して各所にconnectomeのことをトークして回ってくるのですが、生理研にもやってくるので、
http://www.nips.ac.jp/seminar/2007/abst/20071217.html
ちょっと勉強しておこう、というのが背景でして、Denkの論文とか読んでたところです。
OKさん、どうもありがとうございます。まさにこういうものを求めていました。Sebastian Seungのサイトには関連する論文がないので困っていたのですが、proc IEEE ICCV 2007あたりを読んでおくと良さそうに思いました。Two-photonの人が機能的にやろうとしていることとconnectomeでの解剖学的な解明とがどのように連携していくのかというところにわたしの興味があります。
Ryoheiさん、リード、リヒトマン、デンクとはまさにOKさんご紹介のセミナーの関係者ですね。「こんなにたくさんの人が膨大なお金をかけてやるべきプロジェクトには、実は思えないんですよねー」、ま、率直に言って、私もよくわからんです。やるなら生理学の役に立つようにやってほしいので、どのくらいのミクロ、マクロスケールでやるのか、個体全部でやるのか、なんの種でやるのか、というあたりを見届けておきたいと考えております。日本がどういうふうに関わるのかとかも含めて。
Shuzoさん、"following the wires"のほうはまさに読んでるところでした。私は電顕はまったくの素人なので、Denk方式で切片を切りながら電顕をやる方式だと低電圧にしないといけないから解像度が悪くなるとか裏事情がわかって面白かったです。「コネクトーム的な研究が進んでくれないと、いつまでも現象を追うだけでフラストレーションがたまります。」これがまさにコネクトームの推進のモティベーションとなるものですね。これによってコネクトームでなにがわかればいいのかが決まるんだと思います。
思いっきり生理学に引き寄せて考えれば、たとえば、二本差しでニューロンを記録しているときの他のニューロンの影響をなんらかモデルベースで考慮するために役立つとかしてくれればうれしいですが、そのためにはある個体での構造と投射関係がわかるのがベストですが、そういうわけにはいかないので、個体を越えた統計的性質みたいなものを使うことになるわけです。これってどうなんだろうか。言ってることがさっきからずっと同じですが、要はこのプロジェクトは解剖学者と計算論の人の出番で、その人たちの役に立つのはわかるけど、生理学者はどう寄与できるか、もしくは恩恵を受けられるか、なのかな。そのへんにわたしの疑問が収束してきました。


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