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■ 小休止で余談

線条体の話はまだ続きますが小休止。
月曜日にjournal clubで扱いました。SugrueのNature Review Neuroscienceの流れに組み込んで、SugrueのScience、Dorris and GlimcherのNeuronと併せてNeural correlate of valuationということでやってみたのだけれど、詰め込みすぎて失敗。Free-choice taskを使うことの意義(valuationとactionとの一対一対応を外す)と、その難しさ(valuationとactionとを分離することに起因する難点)とを説明したかったのだけれで、そこへ行く前にtaskの説明をするだけでいっぱいいっぱい。
これまた余談だけど、彦坂研のNature '02の本文の第一文はこう:"Reward shapes goal-oriented behaviour." めちゃかっこいい。「破戒」の出だしの名文「蓮華寺では下宿を兼ねた。」これに通じるような。文章が短くて、しかも主語、動詞、目的語の全部に情報があって、ムダな言葉(指示語)がないわけです。こういう締まった文章で始まる論文を書きたいものです。わたしはキャラ的にクドいもんで、こういうあっさりさに欠けるだけに、そうありたいなという気持ちは強い。
あと、NatureやScienceっぽい出だしでいいな、と思うのは、"Suppose that ..."とか"Imagine that ..."みたいなかんじではじめて、日常生活でだれもが持っている経験(記憶はあるのに名前だけ出てこない"tip-of-tongue"現象とか、時計に目を向けると秒針が一瞬止まったように見える現象とかね)を採りあげて、それのneural correlateを明らかにしました、みたいなやつね。
ムダだと思うのは、"It has been recognized that ..."とか"A number of studies have shown that ..."(って自分の論文かよ!)とか、情報がほとんどない前置き。
長くなるのはしょうがないところがあります。著者としてはいろんな断り書きを付けたいものですから。よくないんだけれど。科学論文はおもしろいことの書いてある読み物であるべきなんだけれど(NatureやScienceに関しては明確にそう)、いっぽうで法律の文書的に、あれは言った、これは言ってない、ということを厳密に記した文章なのですね。だからつい、あれこれ断り書きを付けだくなる。「われわれは現象Aがおこることを見つけた。」が「われわれは条件Bのときに現象Aを見つけた。」になって、「われわれは条件Bのときに現象Aを見つけた。条件Cのときには現象Dが起こることを見出した。」になって、この二文の関係をあたかも関連のある現象であるかのように見せるために(ロジカルには正しくないときに使うズルテク)、「われわれは条件Bのときに現象Aを見つけた一方で条件Cのときには現象Dが起こることを見出した。」とかにしてどんどん文章が長くなってゆくわけです。
まあ、すべてのことにはトレードオフがつきものであり、私たちはパラメーターが多すぎる問題を適度なタイムスケールである程度マシなやり方(思いついた限られた選択肢の中で選んだマシな方であり、最適化された、とは言わない)でもって処理する。そういうわけです。それがむずかしい。お、強化学習ネタ。
つれづれと。


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