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■ グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ

Chap.2 学校の生徒だったらみんな知ってる

認識論についてのベイトソン流「基礎の基礎」。

  1. 科学は何も証明しない。

    科学は過程を向上させたり反証を加えることはできるが、それ自身の正しさを証明することは出来ない。これはポパーの考え方と同じ。オッカムの剃刀でより単純な答えを正しいと思っているだけ。原文ではこういってる。"Science probes; it does not prove."
  2. 地図は土地は別物。名前と名付けられたものは別物。

    記号論。シニファンとシニフィエ。
  3. 客観的経験というものはない。

    経験とは全て主観的なものである。足を踏まれたときに経験するのは「足を踏まれたこと」そのものではなくて「神経報告を元に再構成された足を踏まれたことに対する私の印象」である。
  4. イメージの形成は無意識過程である。

    我々は知覚の過程に入り込んでいくことは出来ない。我々が意識するのは知覚の産物だけである。錯覚の実験でわかるように、遠くにあるものは小さく、近くにあるものは大きく見える、という法則が意識しないところに組み込まれている。
  5. 知覚された世界が部分に分かれるのは必然かもしれないが、その分かれ方は必然ではない。

    ある多角形を記述する方法は複数ある。この「記述」は必然的に恣意性を持つ。このような「記述」を元に「説明」がなされる。
  6. [発散する連鎖]を予測することはできない。

    全体の振る舞いを知ることは出来ても、個に関する言明は出来ない。カオスの発想。
  7. [収束する連鎖]を予想することはできる。

    発散と収束は異なる論理タイプに属する。発散は個を扱い、収束は集団を扱う。確率法則とは、(大数の法則による収束の原理を使って)個と集団という異なる論理タイプに属するものを結びつけるものである。論理タイプ:ラッセルの考え。命題の論理タイプを考えることで自己言及によるパラドックスを回避しようとした。
  8. 無からは何も生まれない。

    a. エネルギー保存の法則。 b. パストゥール:生命なしに生命を生み出すことは出来ない。 秩序、パターンは情報なしには作り出せない。
  9. 数と量とは別物である。

    数はパターンとゲシュタルトとデジタル計算の世界に属し、量はアナログ計算、確率計算の世界に属する。
  10. 量によってはパターンは決まらない。

    量とパターンは別の論理タイプに属する。
  11. 生物学に単調な価値はない。

    どんな薬にだって致死量はある。
  12. 小さいことはいいことだ、ということもある。

    四倍体の馬の話。サイズには関連する他の変数によって決まる最適値がある。ゾウの時間、アリの時間、だっけ?
  13. 論理は[因果のモデル]としては不十分だ。

    サーモスタット、ブザーの話。論理には時間が含まれていないのに、因果には時間が含まれている。
  14. 因果の方向が逆転することはない。

    そのため、目的論的過ちを犯す。しかし、原因と結果が循環的であるとき、どちらも互いの原因になっているということができる。卵が先か鶏が先か。
  15. 言葉は通常、相互作用の片面だけを強調する。

    主語Aが述語Bという性質を持っている、という表現はAがその内的、外的及び観察者との関係によって規定されていることを無視しやすくする。
  16. [安定している][変化している]という言葉は記述のうちの一部分のみを表している。

    生きているシステムにおいて、安定している、とは何か他のものが変化しているからであり、この言葉が属する論理タイプを明確にする必要がある。

Chap.3 世界の重なりを見る

複数の情報が組み合わされるとより多くの理解が得られる。

  1. 差異

    差異の知らせ(=情報)は、二つ以上のものの相互作用に差異が内在するときに、その二つ以上のものによって作り出される。
  2. 両眼視

    片目ずつの情報の重ねあわせによって奥行きという情報が生まれる。つまり、片目からの情報とは別の論理タイプに属する情報が生まれ、視覚に新しい次元が加わる。
  3. 冥王星の発見

    ゆっくりとした動きを見付けるためには、時間上の異なった瞬間の観察を比べる、という作業が必要になる。冥王星の小さなジャンプは恒星の経時的な位置を基準にすることで発見された。
  4. シナプス加重

    ニューロンAとニューロンBとが同時に発火するときのみ、両者の下流にあるニューロンCが発火する。つまり、加重という言葉は適当でなく、むしろ論理積ANDを行っている。
  5. 「マクベス」の幻の剣

    マクベスは剣が幻であることを触覚では血は付いていなかったのに視覚では血が見えることから見やぶった。二つの感覚を比較することでメタ情報を得ている。
  6. 同義表現

    (a+b)2=a2+2ab+b2は幾何学的に、一辺がa+bの正方形の面積を考えるとよくわかる。しかしここでは新しいことが付け加えられているわけではない。しかしここで生徒は代数と幾何とが翻訳可能であることを発見している。
  7. 二つの性

    生殖は単一の性で行われる場合と比べて、二つの性の分裂と融合による方法は個体の偏差を抑えつつ、遺伝子の組み合わせを変化させることを保証している。
  8. うなりとモワレ

    二つのリズムパターンが重ね合わされるとその差が第三のパターンを生み出す。二つの音を重ねると、二つの周波数の差がうなりとして聞こえる。二つの縞パターンを重ねると、二つの空間周波数の差がモワレとなる。
  9. 「記述」「トートロジー」「説明」

    説明は記述以上の情報を与えることはないはずなのに、それ以上のボーナスがある。「説明」は「トートロジー」の上に「記述」をマップすることであり、「記述」と「トートロジー」との重ねあわせによって「説明」はより豊かになっている。

Chap.4 「精神過程」であることの条件

精神の過程mental processが他の物質的出来事とどう違うかを論ずる。

  1. 「精神」とは部分が相互作用してできる集合体である。

    この書は全体論的であるが、まともな全体論はみな、部分の相互作用を基盤とする。
  2. 「精神」の各部分での相互作用は差異によってトリガーされる。

    相互作用はエネルギーの受け渡しではない。
  3. 「精神過程」は付帯的なエネルギーを必要とする。

    2.からエネルギーが必要でないといっているのではない。それぞれの部分がそれぞれの部分でエネルギーを必要としており、準備してある。
  4. 「精神過程」では決定要因が循環的に連鎖している。

    フィードバックによって互いの決定関係の記述が一周すると、論理タイプが変化している。
  5. 「精神過程」では、「差異の効果」とは「それに先立つ差異をコード化したもの」のことである。

    コード化のうち、「部分が全体の代わりコーディング」では部分を知覚してそこから全体を推測する。我々の生活での知覚がそうだ。
  6. これらの情報の変換プロセスを記述し分類するとしたら、その現象の論理タイプの階層構造を明らかにすることになる。

    論理タイプを移り渡れるかどうか。パブロフの犬、イルカの例、ダブルバインドの理論。

Chap.5 関係の重なりを見る

Chap.2に続いてこんどはそのメタの部分同士の重ね合わせを考える。佐藤訳ではそこは訳出できてない。ちなみにchap.3の原題はmultiple versions of the world、chap.5の原題はmultiple version of relationship。つまり、chap.7で出てくるprocessとformという形式をchap.3-6で模している。(追記20070630: 改訂版では「重なりとしての関係」となっている。)

  1. 「汝自身を知れ」

    「汝自身を知れ」という言葉に従うことで新しい情報が加わる。また、自分の状態を知っていない方が問題解決がうまくいくこともある。「遊び」という例ではシステムAとBが内部の情報のみから学習をしている。
  2. トーテミズム

    「人間社会のシステム」と「自然をも含んだ生態システム」との重ね合わせで捉えること、これがトーテミズム。
  3. アブダクション

    例:カエルの体構造と他の動物の構造との同型性に気づく。これは複数の出来事の多重な記述をしていることになる。

Chap.6 大いなる「確率的過程」

「進化」と「学習」は本質的におなじ「確率的過程」であり、両者の違いはその過程の基盤が属する論理タイプの違いに過ぎない。

  1. ラマルク説の誤り

    ラマルク説の誤りとは、「獲得形質の遺伝」で受け渡される遺伝情報についての論理タイプの誤りである。
  2. 用・不用

    用・不用の問題では、体細胞変化と遺伝的変化という別の論理タイプを渡っている。そのためには体細胞変化と遺伝的変化とはそれぞれがお互いの柔軟性が保てるように拘束しあっていることを考慮すべきである。
  3. 遺伝的同化

    Conrad Waddingtonの実験。個体の体細胞変化と周りの生態系との共進化を考える。ここで、個体、個体群、共進化、という違った論理タイプが現れることになる。
  4. 遺伝的変化による体細胞変化のコントロール

    体細胞変化の制御は「変化の能力」「変化の能力を変化させる能力」とメタ化することができる。(神経の場合、神経間の伝達を変える「神経の可塑性」に対して、「神経の可塑性」を変える「メタ可塑性」というのがある。)しかしこのメタ化は数段で遺伝子レベルに達する。そういう位置に遺伝子変化はある。
  5. 無からは何も生まれない―発生ヴァージョン

    カエルの受精卵での極性の発生は精子の突入による。非対称であるということは対称であることよりも多くの情報を必要とする。「ベイトソンの法則再考」。
  6. 相同

    トムソンのカニの形の例。動物の相同には違った種類のものがある。また、系統発生的相同はその中でより安定な擬似トポロジカルパターンによるものである。
  7. 適応と耽溺

    「耽溺」とは破滅的結果をもたらす「適応」のことである。例として、短期的に見て好ましいことが、長期的には破滅的である例。これは論理タイプ間での価値の違いによる誤算が関係している。
  8. 「確率的過程」「発散的過程」「収束的過程」

    遺伝的変化の発散的、確率的過程は発生の収束的システムによってバランスをとっている。
  9. 二つの「確率的過程」を比較し、組み合わせる

    1)遺伝子変化にランダムな要素があり、それが生物の内的ストレスによって選択されてゆく。2)表現型と環境との関係に予測不能性=ランダムな要素があり、これは適応によって選択されてゆく。無からは何も生まれない。
    この二つを組み合わせてわかることは、1)の遺伝子変化が抽象的、質的量的どちらでもありうるのに対して、2)の体細胞変化は直接的で全て量的である。またこの二つの「確率的過程」と「精神過程」を比較すると、「精神過程」も二つの「確率的過程」によっていることがわかる。1)「創造的思考」はランダムな要素をもっている。これは論理的一貫性のフィルターによって選択される。2)環境との関係のランダムな要素があり、これは学習などによって適応的に選択されてゆく。
    さらにこの二つの「確率的システム」は「分類」と「過程」という形で組み合わされる。これはchap.7にて。

Chap.7 「分類」から「過程」へ

記号化する、とは「名づけられるもの」から「ものの名前」へと論理タイプをジャンプするものだ。形態と過程の関係はトートロジーと記述の関係に一致する。

  • 「ナヴェン」の例

    バリ島民の行動の記述(過程)は男女気質の類型化(形態、分類)にまとめられ、これは類型間の相互作用(過程)にまとめられる。このジグザグによって論理タイプを登っていくことになる。
  • エアコンの調節の例

    調節される気温(量的変化)、エアコンの設定温度(閾値)、人が寒い/暑いと感じる(量的変化)と論理タイプを登る。
  • 賢者は輪郭を見る

    こうして過程のみを重視するものと分類のみを重視するものとは時間を捉えなおすことによって統一的に解決される。時間が関わるとき、不連続性が現れる。感覚と組織とコミュニケーションの世界はこのような不連続=閾値の存在なしには考えられない。

Chap.8 それでいったいなんなの?

野暮な物質主義を逃れる道は美だ。そして美と意識と神聖さの領域、これらを考える前の問題として、精神、トートロジー、差異、の問題を論じたのがこの本だ。



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