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■ クオリアについての「心の哲学」(1)

Stanford Encyclopedia of Philosophy---Qualia 1節(Tye, 1997)より:

section I. 「クオリア」という言葉のほかの用法(より狭い意味でのクオリア)

私が一匹のダルメシアンを見るとき,私はダルメシアンを表す精神的映像のようなもの(感覚与件)を受け,それに対する内観は,絵の内容(即ちそれがダルメシアンを表すこと、志向的特徴)だけでなく,色や形などの内在的な特徴を露わにする。感覚与件理論の提唱者は,内在的特徴が我々の視覚体験を決める唯一の要因であると考える。ここで,より限定された意味での「クオリア」は,「感覚与件のうち,意識的にアクセスできる内在的特徴であり,現象の特性を決める(それとは別な)非物理的な対象である」とされる。

クオリアの存在を否定する哲学者は,このような狭い意味でのクオリアを考えていることが多い。時には,クオリアが言葉では言い表せない,非物理的な,主観に対して変えがたく「与えられる」ものであるという仮定が加えらている。このように,クオリアに反対する哲学者(例えばDennett 1987,1991)の主張にはいくぶん注意が必要である。先に説明した,より限定された意味でのクオリアは存在しないと考えることができるし,我々の心が言葉で表せない非物理的性質など持っていないと考えることもできるが,それでも標準的な広い意味でのクオリアについては是認できる。

以降のの節では,「クオリア」を標準的な広い意味で用いることにする。


[qualia:1944]村上
sense-datumとかsense-datum theoryと呼ばれる概念に全く心得が無いので,そこらへんの訳出が特に怪しいです。どなたかsense-datum theoryについて簡単に御説明頂けると嬉しいのですが…。


[qualia:1960]吉田
「心の現在哲学」(信原, 1999)を読んで理解したところでは、ダルマシアンの絵について
絵のcontent=絵が差しているもの=表象=intentional(志向的)なもの
絵の色、形=intrinsic(内在的)でnon-intentional(非志向的)なもの
と考えればよいようです。
sense-datum theoryではクオリアを「経験の内在的性質」としているが、志向説ではクオリアを「経験の志向的性質」としているようです。


[qualia:1967]村上
sense-datum theoryが死んだ(demise)と言い切れる根拠は何なのでしょうか? 今の僕の理解では,どちらかと言うとクオリアは内在的と考える方がreasonableなのですが…。sense-datum理論が死んだという解釈が正しければ,僕が「内在」「志向」の意味を誤解しているとしか思えません。


[qualia:1969]吉田
私も充分わかりませんでしたが志向説-sense-datum理論という対比をしているのは信原氏でこの方はクオリアの志向化を目指しているので、sense-datum theoryがクオリアを内在的なものとするのを批判しているようです。
一方、原文の文脈ではTye氏はsense-datum theoryがクオリアを非物理的なものであるとしているところに批判的なようで、この人自身もクオリアを内在的なものであるとしているように読めます。とりあえず「sense-datum theoryは本当に死滅しているのか」という問いを積み残して先に行くのがよいと思いますが、いかがでしょうか。


[qualia:1970]村上
そうなんですか。確かに原文の文脈では,conciously accessibleでintrinsicでnon-intentionalであるという点については似ているが,ただそれがphysicalであっても構わないという点でsense-datum理論とは異なるqualiaが支持されているようなニュアンスでしたが…。


[後日談]吉田
Tyeがクオリアの表象主義者であること(section VII参照)から考えると、Tye自身はクオリアを志向的なものとして捉えているように考えられます。Section VIから考えればクオリアは表象された内容に内在的なものであって、経験に内在的なものではない、とする意見に近い感じがします。

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