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■ ブロードマンの脳地図の欠番

先日のTwitterでのやりとりで神谷さんがブロードマンの脳地図の欠番について言及していた。

これはなんかのときの話のネタになるかもと思ってざっと調べてみた。

ブロードマンの脳地図では13-16野と49-51野が欠番になっている。たとえばMark Dubinのwebサイトにある脳領野のリスト。今回はとりあえず13-16野だけを話題とするけれども、なんで13-16野が無いかというと、これはあくまでヒトの脳地図だからで、他のnon-human primatesでの地図では13-16野は島insulaに割り当てられている。

このことはZilles and AmuntsのNature Reviews Neuroscience 2010には以下のように書かれている。

Each cortical area of his human map is labelled by a number between 1 and 52, but areas with the numbers 12–16 and 48–51 are not shown in his map. Brodmann explained these ‘gaps’ with the fact that some areas are not identifiable in the human cortex but are well developed in other mammalian species. This holds true particularly for the olfactory, limbic and insular cortices. The insular cortex is segregated into areas 14–16 in Old World monkeys (for example, Cercopithecus) and into areas 13–16 in prosimians (for example, Lemuridae). Brodmann could not find homologous areas in the human brain.

この総説のSupplementary information S1でブロードマン(1909)英訳版の図が転載されていて、旧世界ザル(オナガザル)や原猿(キツネザル)にはinsulaに13-16野があることが示されている。

ブロードマン(1909)英訳版はGoogle Booksで少し読むことができる。119ページのFig.89ではヒトのinsulaがJ.ant, J.postとなっていて、番号が割り当てられていない。また122ページのinsularの記述では1904年の段階では4つの領域に分けていたが、1909年版では2つに分けるとしてあり、番号は割り当てられていない。Google Booksでは123ページにはアクセスできないが「より正確な領野の同定には今後の研究を待たなければならない」と書いてある。もしかしたら将来的にはヒトのinsulaでも13-16野を割り振るつもりだったのかもしれない。

ブロードマンの脳地図が未完成であるということについては河村満氏の記事「ブロードマン没後99年に寄せて」(週刊医学界新聞)に記載がある。ブロードマンは50歳直前に亡くなっていて、それまでに脳地図もアップデートを繰り返している。河村満氏のもうひとつの記事「情動領域とBrodmannの脳地図:とくに12野について」(臨床神経学)にもう少し詳しい記載がある。さらにこのシリーズの決定版と思しき12ページ長の記事が「ブロードマンの脳地図をめぐって」(神経研究の進歩)にあるようだが、残念ながら当施設では購読してないので未読。

ブロードマンの人生についてはNeurosurgery 2011という記事に記載がある。けっこう苦労人で、ドイツの中をあちこち移動している。フランクフルトからベルリン、チュービンゲン、ハレ、ミュンヘンというかんじで。ベルリンでVogt夫妻のもとで主著であるBrodmann (1909) "Localisation in the Cerebral Cortex"を出版してから、テニュアの教授になるために教授資格論文(habilitation)を提出したけどリジェクトされている。Vogtの(Facultyへの)怒りのコメントが引用されてる。

“every effort to provide [Brodmann] with a modest, but secure living has failed, mainly due to non-understanding. The Medical Faculty in Berlin thereby carry great guilt on their shoulders.”

それでブロードマンは1910年にチュービンゲンに移動して、医師として働きながら空き時間に解剖学の実験室をセットアップをしつづけて、1913年にやっとチュービンゲン大学の医学部の教授になる。でも第一次世界大戦が始まり、ブロードマンは志願して精神病院で働いたので研究は中断している。そのあと1916年にハレで検死解剖が可能なポジションを得て、1918年にクレペリンに招かれてミュンヘンのPsychiatric Research InstituteのTopographical Anatomy部門長になって、これからというところで肺炎で急死。

まあこのあたりについては「ブロードマンの脳地図をめぐって」(神経研究の進歩)を読んでもらったほうがよさそう。ではまた。


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