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■ 「自閉症の現象学」

身体論研究会のページを見て「自閉症の現象学」を読むべきだなと思った。岡崎図書館には入ってなかったけど「治癒の現象学」のほうは入ってる。

エヌ氏の成長・円錐この記事を見ていても、社会性がどうのこうのという話よりも感覚・知覚の統合能力という議論になっていて、この方が自分的には納得がいくし、自分にもできることがあるように思う。そしてこれは意識の研究になると思う。


「治癒の現象学」借りてきた。「結語」の部分の「現象学者は…対象に巻き込まれる。彼は客観的な視点を取らない。それゆえに自然科学的なエビデンスは持たないが、巻き込みの中での追体験が別種の確かさを生み出す。これをフッサールは明証性と呼んだ」とかこのへんにピンときた。

「現象学者が行うのは、経験そのものの追体験ではなく、経験を「創りだす構造」の再作動である。」こことかもすごく合点がいった。いわゆる現象学的な心理学とか精神分析とかって精緻化された内観報告にしか思えなかったのだけど、もし構造を取り出すのならそれは現象学的だろう。

でもって本文を読み進めてみたけど、これはあまりに現代哲学的で読み進められなかった。「生身の身体のもつ運動感覚とはフッサールが考えていたような単一の純粋な現象ではなく空想身体と生理学的な身体との複合現象、交差する地点のことなのかもしれない」とかすごく興味あるけど進行が速すぎる。

「幸いなことに現象学は一種の数学を使わない「科学」である…たえず間違いは訂正され、知が伝承される可能性を持つ。たとえ新しい概念を創りだしたとしても、それは分析者の個性の発露ではなくて、新しく発見された現象や構造への目印である」とか惹かれるけど、事実というよりは目標では?と思う。

「行為の方は空想身体に埋め込まれる」「触発する出来事や人間関係は、それ自体は目に見えない。現実と近くの背後から空想身体を触発する。そしてその触発において空想身体は「意味」を産出する」こういう部分はすごく惹かれる。惹かれるんだけど、そういうところで断定的に進むのには着いてゆけない。

ここで書かれているような「科学とは違った意味での明証性evidenz」が本当に確立していて、現象学による経験の構造についての研究プログラムというものが概念の拡散をせずに意見の一致を見る形で深化していけるのだとしたら、現象学の自然化なんてものはそもそも必要ないのではないだろうか。


現代思想-2013年8月号-看護のチカラ-“未来-にかかわるケアのかたち これに惹かれたが、岡崎市立中央図書館では「現代思想」をとってない。ありえないことだが、とってない。

現象学的心理学、みたいな方向を調べていくと「質的研究法」についてちゃんと理解しなければならないことがわかる。うーむ、そこまではまだ(私の中で)時が熟していない感じ。


Dan Zahavi: "Empathy and mirroring: Husserl and Gallese"(pdf)ってのを見つけた。フッサール現象学でのempathyとか間主観性とミラーニューロンの話。


「自閉症の現象学」取り寄せてぴらぴらめくってる。とても面白いし、書いてあることがすごく納得がいくのだけど、話の展開の仕方が決めつけ的なのが非常に気になる。

「感覚刺激に没頭する自閉症児の世界は、このような感性野がひとりでに組織化する現象が、純粋な姿で実現している状態である」(p.11)ということでフッサールの「受動的綜合」のより純粋なものが自閉症児の世界にあるのだという話で、すごく魅力的なのだけど、こんな言い方でよいのだろうか?

「受動的綜合が見られるのではないだろうか? その論拠を示す。」みたいな議論でないのがすごく気になる。読み続けていけば違うのかもしれないけど。


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