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■ メタ認知を動物で証明するってどういうことだ?

10/18(金)-19(土)の生理研国際研究集会「メタ認知」いよいよ今週末となりました。参加申し込みはギリギリまで受け付けます。ぜひ来てください!プログラムが最終版になっています。紙が必要な人はダウンロードして印刷して持参してください。


ということで今回は最終回、後藤さんのトークの予習中。

後藤さんに紹介してもらったHampton 2009 Multiple demonstrations of metacognition in nonhumans: Converging evidence or multiple mechanisms? を読んでるけど難しい。「Primary taskのperformanceとsecondary behavior (monitoringやadjustment)とが相関するのを見つけた」ってのがいわゆるメタ認知課題。でもそれだけではダメだよ、って話。

そこで出てくる論点がpublicかprivateかということ。つまりヒトにおけるメタ認知の定義が「自分自身の認知的な処理についてモニターして適応的に処理すること」というものであるとするならば、ロイドモーガン的にはprivateにアクセスできるものでないのならばメタ認知と呼ぶ必要はない(内的にアクセスするのではなくてpublicな情報にアクセスしているのだから)、という話。ここがわかったような、わからないような。

でもrejectするべき他の説明として、"behavioral cue association"というのが出てきて、これはよくわかる。つまり、primaryのほうの反応が遅れる(RTが長くなる)と、RTが長くなったという自分の反応を手がかりに出来てしまう。だから実験デザインとしてそれが出来ないようにしないといけない。RTが長くなったことを使えばそのsubject以外でも出来てしまうからprivateでもない。

primaryとsecondaryを同時に答えさせるのも応答のcompetitionが起こってしまう。だからsecondaryを先に答えさせてからprimaryを答えさせるんだよ、ってのがHamptonのPNAS 2001 "Rhesus monkeys know when they remember"での理屈だったんだろう。

"Environmental cue association"はわかるようでわからん。ある刺激条件(コヒーレンスでも輝度でも)で同じ条件だったら同じようにsecondaryが出来てしまう(generalizeできる)のではいかんって話だけど、それって同じ輝度のデータの中でもprimaryとsecondaryの間に相関がないとって話とおなじか? それなら以前のMarc Sommerの論文についてコメントしたときに書いたから分かる。それならpublicな情報だし。

わたしがメタ認知に興味を抱くのはそれが意識に関係しているかもしれないから。というのもヒトにおけるメタ認知には上記の通り定義としてintrospectionを行うことをを含んでいるから。もしメタ認知の動物モデルがintrospectionをしていないのならそれは意識の研究ではないということになるだろう。

そしてそれじたいは、研究者によってはどうでもよいことなのだろうと思う。introspectionしてようがしていまいが、課題で与えられたuncertaintyを評価して行動を調節する過程さえ解明できればよいのだろうから。そもそも俺らに意識なんて必要か? 意識の存在なんて前提とするなよ、って話となる。ヘテロ現象学。

ということでふたたびラットの因果推論の時に出てきた「因果推論に思考は必要なの?」って話と同じところまでやってきた。そういうことに興味があるから、動物心理の人の話を聞きたいと思っていたのだ。この興味をはたしてどのくらい共有してもらえるかは分からないのだけれども、はじめに後藤さんがそういった話を持ってきてくれることで議論を(mechanisticなものよりかは)もっとcognitive寄りに出来るんではないかなあとか思ってる。


ということでhampton 2009を読んでいるところですが、参加者の皆さんが後藤さんの話を聞くときに予習として読むべきファーストチョイスは日本語講演録の「比較認知科学は擬人主義とどうつきあうべきか」 ではないかと思います。ぜひ行きの新幹線で読んできてください。カムカムエブリバディー。


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