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■ さうして、このごろ 20130331

「太陽風って、厨二病っぽいよね」僕はキメ顔でそう言った。

3月3日じゃん。ひなまつりじゃん。ボン・ボリーニ!

「花粉症とか甘えだよね〜wwww」ってフレーズを見て、さすがにネタだろと思ったが、ちょっと冷や汗出てしまったことは認めざるを得ない。

アンカーリング? 鎖(くさり)? 錨(いかり)? 坑(あな)を塞(ふさ)ぎ? 腕を預け、地中海風に。刻んだ、3万2千種類の色彩が、強制的に集められ、そしてそのまま流され、それでも


リンゴ・スターほんとは叩いてない伝説ってのが昔あった。ストロベリー・フィールズは複雑すぎて叩けないってのを読んだことがあって、んなもんドコドコいってるフロアタムはオーバーダブしてるにきまってんだろと思ったもんだけど、I feel fineだけはどうしたら叩けるか分からなかった。

そしたら、回転下げてドラムだけ別に録音しているという記載を見つけて、試しにスピード下げて再生してみたらまったくその通りで、自分の愚かさを笑った。元の音聴くとドラムのピッチが高いもんな。この頃にはすでに4トラック使っているのだった。


「ハンマー・ビート」って概念が正直よく分からない。クラウトロックはAmon duul IIとかCanとかは好きだけどNeu!とかクラフトワークとかはあんま聴いてない。後者をハンマー・ビートと呼ぶなら分かるが、Canが該当するというのが分からない。独特なのだが、けっこうハネてるし


日本の郊外新興住宅街について「サヴァービア」という言葉を使うのは違和感がある。「ファスト風土」ならまあわかる。たとえば岡崎市はイオンモールが街の中心になるようなファスト風土化した街だが、サヴァービア的風景は以前の上地だったり北斗台だったりと限定的で規模も小さいように思う。


ダイナソー・ジュニアのJ-マスシスはグランジでルーザーでドラッグやり過ぎで不健康みたいなイメージだが、ふつうに金持ちでゴルフ好きで生活をエンジョイしているのをインタビュー記事で知ってずっこけたが、ニール・ヤングと同じで金持ちであることを隠さないという意味で自然体なんだなと思った。


自分のブログをあらためて見てみると、告知とツイッターの編集というかんじで、なんだかぜんぜん「銀河通信」じゃないな。特別なにか変えるつもりもないけど、もうちょっと遠くまで届くように投げよう。

less social and more reflectiveに。エレベーターホール前の乾きたてのコンクリートを踏んでしまったときの触感とか、今日の大粒の雨の生暖かさとか、今日重ねた敗北の記憶とか、そういうのを綴ることにしよう。


ピッグデータ! (<-Twitterクライアントでは文字が小さくて見逃すであろうことを見越した犯行)


ニール・ヤングの「サザーン・マン」を聴きながら車で竜美ヶ丘公園に向かう坂道を登っていたら、カーブを回りきったところで桜並木の間から三日月が正面に現れたので、「運命の刻は満ちた」というような鮮烈かつ厨二病な啓示を受けたのだが、自分で言ってていったいなんの運命だかさっぱり分からない。


XTCの"Skylarking"の"Summer's Cauldron"、蒸し暑い夏の美しい時間の曲だが、もしかしたら日本の夏の感覚を安易に投影しすぎた理解かもと思って、Cauldron(釜)について画像検索してみたら、魔女が毒薬作るような大釜ばかり出てきてなんか吹いた。


「おのれ何奴?」(<-懐の刀を抜きながら障子の向こうの影に)

「そうだ、メッセージなど何一つ残さずに」

「リリシズムと凛々しいってなんか似てるよね」そのまんまだと思ったが、野暮なことは言わずにテーブルの上にある煎餅に手を伸ばした

「モ、」 「モ?」 「モンドリアーン!」 「感服しました!」


さいきんのコンビニのスパゲッティーカルボナーラとかおにぎりとかで見かける業務用温泉タマゴ(外も中もペースト状のもの)を見るとなんだか怒りが、悲しみが、苦しみが、憤りが沸いてきて、その日丸一日が、もう役立たずになる。(<-なこたぁない)

つかあれの商品名いったいなんなんだろう? "卵 黄身 ペースト 業務用 コンビニ"くらいでググってみたが不明。ある時期からどっと出てきたから、なんか製法が確立したか、もしくは法律が変わって使いやすくなったか、なんらかのことが起こったらしい。

判明した。これか: 「ロングエッグ」 いやいやいやいや、ロングエッグはゆで卵なので、あの半熟タマゴとは違う。


昔私は旅行に行ってもカメラで写真を撮ることはなかった。きっと俺はこの光景を忘れるまいと、そういう光景だけを心に刻めばいいのだと思っていた。だが時は経ち、歳を取り、すべては忘れ去られ、記憶は歪み、過去の自分との連続性さえおぼつかない。そしていまはバカみたいに写真を撮るようになった。


「夢見すぎ」このフレーズイイネ! 神経科学に夢見すぎ。意識研究に夢見すぎ。現象学に夢見すぎ。大学教員に夢見すぎ。研究計画に夢見すぎ。あらゆるものに冷や水をかけ、すべての情熱を静めて、フラットな心で冷静に正しく物事を取り扱うことにしよう。実のところブッダの悟りとはそういうものなのだ「来世に夢見すぎ」

弱くありつづけるタフさ、みたいなことをずっと考えてる。追求しているとまでは言えないが。太宰を読んだ中学生のときから、私の芯のようなものになっていて、自分を見つめ直すとき常にそこに、立ち戻る。


キンクスのアルバム「アーサー」に入っている"Mr. Churchill Says"では、WWII中のイベントをいろいろ織り込んでいるんだけど、そのなかで"Vera LynnがWe'll meet again somedayと歌う"という歌詞が出てくる。

この曲がキューブリックの「博士の異常な愛情」で流れるのを見て、何となくその再会するところとは天国だか死後の世界を指しているのだろうと思っていたのだけれども、それは日本での「靖国で会おう」に影響を受けた理解であることに気づいた。ウィキペで知ったけど、元はミュージカルの曲だったんだ。


「シューゲイザー名盤 TOP100」このリストのうち12/30は聴いてた。でもいちばん好きなのはライド。その時代を共に生きたという感覚がある。SlowdiveとかSwervedriverはじつはちゃんと聴いてない。なんか違うんだわ。

Magnetic Putty Time Lapse これはヤヴァかった。サイケデリック。


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